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金沢城下遺跡出土漆器椀の研究

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Academic year: 2021

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金沢城下遺跡出土漆器椀の研究

著者 深谷 暖

雑誌名 金大考古

41

ページ 6‑7

発行年 2003‑05‑01

URL http://hdl.handle.net/2297/2919

(2)

えられていたので、この点でもその初現をさかのぼらせるこ とができた。以上のことを明らかにしていく過程で出土状況 を5つに分類することにより、鏡を分けて副葬するという事 (4類)が布留0式以降ほとんど見られなくなるということ、

それが完形鏡によるそのような副葬配置例が出現し始める時 期とちょうど重なるということを見出した。

「近畿地方における前方部埋葬」 

丹羽 裕樹 

前方部埋 れ、最近

まで前方部埋葬の実態やその被葬者像は詳細に研究

158号]。本論で

ではほとんど認められないが、Ⅱ類の後期の事例

にな

後期になると直交例

だし一

比較がなされること

 

頭部形態からみた鉄釘の変遷−石川県内の事例をもとに−」 

廣田 典之  鉄釘は、木材を継ぎ合わせるために打ち込む金具であり、

具の補強など、様々な用途に使用されている。明

釘の特徴が最も表れ、かつ多様で

域とも頭部形態の割合

深谷 暖  出土漆器に関しての研究は漆器の多くが木製品であり土器

などに比べ 資料が

少ないことから分折が難しかった。しかし近年の金沢

葬は従来、複数埋葬の一類型として扱わ されずに った。なぜ後円(方)部だけではなく前方部にも意図的に 埋葬されたのか。この疑問の解答を求めて、本論では主に埋 葬施設の構造と副葬品から、前方部埋葬の実態やその被葬者 について探ったものである。

前方部埋葬の研究は、下垣仁志が詳細に行っている[下垣仁

2002「前方部埋葬論」『古代学研究』第

これを参考・検討しつつ、近畿地方の前方部埋葬がある66 古墳を対象に、古墳時代前期から後期までの前方部埋葬の分 析・考察を行った。編年は『前方後円墳集成』近畿編による。

まず、前方部埋葬を3つに分類した。すなわち、小規模な 主体部が複数設置されるⅠ類。墳頂部に、相対的に卓越する 体部が一ないしは二基設置されるⅡ類。副葬品埋納施設が 設置されるⅢ類。そして、以下の点において分析・考察して いった。

前方部埋葬と後円部埋葬の時期差について−Ⅱ類の前期・

中期の事例

Ⅰ類に分類される事例は時期差がある場合がある。

前方部埋葬の変化−近畿地方には1期・2期の段階に現れ、

その段階では後円部埋葬と質的な格差はなかった。3

、粘土槨が前方部埋葬に採用され、また規模や副葬品の面 で劣り、両者の格差が顕著になる。このころの副葬品を比較 すると、前方部埋葬は後円部埋葬に比べて、武器類などが副 葬されず男性的要素が弱い。中期になると、前方部埋葬にも 武器類が埋葬されるなど、当時の社会情勢の変化に連動して 軍事的側面が強くなる。後期には、埋葬施設の中心は横穴式 石室と木棺直葬になり、群集墳の事例では両者の格差が小さ くなるものも現れるなど、多様化する。埋葬施設は、両者と も同じ構造が用いられるようになる。

埋葬施設の設置方向と墳丘主軸の関係は前方部では平行例が 多く、平行に規制された可能性がある。

と斜交例が増えるが、これは横穴式石室の採用が影響してい るためである。木棺直葬では平行が守られている。

前方部埋葬の被葬者は後円部埋葬の被葬者とキョウダイ関係 にある、王権を分掌したような人物と考えられる。た 部は、キョウダイ関係でない人物であったり、中心的被葬者 とは一族の関係である人物、中心的被葬者に隷属する人物な ど、さまざまな被葬者が考えられる。

 前方部埋葬の実態についてはっきり示せなかった。地域差

の問題や前方部埋葬以外の複数埋葬との

により、前方部埋葬の具体像は浮かんでくるであろう。

兵庫県西山 6 号墳 

 

日本においては古墳時代から現在に至るまで、建築用材や器 治初期に機 械化されるまで、全て鍛造によって製作されており、多様な 頭部形態をもっている。

 近年の発掘調査においても、主に中近世の遺跡から多数出 土しているが、その研究は進んでいない。そこで本稿では石 川県内の事例をもとに、鉄

ある頭部形態から分類することで、その時代的変遷や地域的 差異を解明することを目的とする。

 筆者は頭部形態を8種類に分類し、地域を加賀と能登の2 地域、古代、中世、近世の3時期に区分してそれぞれ分析を 行った。その結果、中世において両地

が変化することが判明し、古代にはみられなかった頭部を巻 き込むE類が出現するという変化もみられた。また、加賀と 能登では地域によって主たる形態が異なることが判明した。

この時期的変化、地域的変化の要因として、他の可能性が低 いことから、鉄釘の主な用途である建物の変化を想定した。

 今回、遺物のなかでもあまり重要視されてこなかった鉄釘 において、石川県内だけでもこのような変遷が存在すること が明らかとなった。今後各地での研究が進めば、より多様な 考察が可能となるであろう。

 

「金沢城下遺跡出土漆器椀の研究」 

て出土しにくいことや、出土しても完型の 城下町 跡の発掘調査により多くの漆器史料が出土している。また

−6−

(3)

科学的分析によって外観による研究だけでなく、漆器の樹種 や塗膜成分に関する研究も可能になってきている。 

しかし、金沢城下町遺跡出土の漆器椀に関してはいくつか の遣跡の出土漆器について科学分析がおこなわれているもの の、漆器椀による編年も含めて統括的な研究は成されていな

性が明らかになることによって、近世金

らず、出土漆器に関しては産地がほとんど特定さ

しかし漆器

宮澤 麻理  馬に鳥の翼をつけた、想像上の有翼獣である有翼馬の表現

は、古く リシア

神話に登場するペガソスであり、多くの作品に表現

概観し

影響を受けたものと考えられる。地中海世界

らされた法隆寺などの文物に

論をあまり深く 有翼馬の持つ象徴的意味や った。そこで金沢城下町遺跡出土の漆器椀について、科学

的分析によって得られた情報を用いての考察をおこなった。 

研究は金沢城下町遺跡群のうち漆器椀が出土している金沢 城遺跡、本町一丁目遺跡、安江町遺跡、木ノ新保遺跡、昭和 町遺跡、醒ヶ井遺跡、穴水町遺跡の7遺跡を対象とした。まず 遺跡出土の漆器椀、計235点を樹種、加飾、下地について分 類することによって、上品と下品の割合をとらえた。そして 出土遺跡の文献資料からみる性格と、漆器椀の上品・下品の 割合とを比較した。その結果、出土漆器椀の樹種の優劣は、

出土遺跡で生活していた人々の地位と関連性があることが分 かった。また加飾については、武家が使用していた遺跡から は金彩の椀が多く出土しているという傾向がみられた。残念 ながら下地の分類からは近世の町割との関連性を見出すこと ができなかった。 

出土漆器椀の上品・下品の分類をおこない、出土遺跡の性 格との比較をしたところ多くの成果が得られた。出土漆器椀 と近世の町割の関連

城下町を知るための指標として漆器椀を用いることが可能 である。 

次に出土漆器椀の産地特定を試みた。現代においては漆器 の産地が、製品の特色や品質の指標としてよく取り沙汰され るにも関わ

ていないのが現状である。そこで科学的分折から出土漆器 椀の技法を明らかにして、現代の漆器産地の技法と比較する ことで産地の特定が可能ではないかと考えた。 

金沢城下町遺跡出土の漆器椀のうち輪島塗、山中塗の技法 的特徴を持つ椀を取り上げた。輪島塗の特徴を持つものが16 点、山中塗の特徴を持つものが3点見つかった。

の産地特定に関しては、技法の類似した産地が全国各地に 存在することや、漆器椀の流通経路がいまだ判明していない などの問題がある。そのため金沢城下町遺跡出土の漆器椀の 産地に関しては、可能性の提示にとどめた。 

「有翼馬の表現にみられる文化交流」 

 

から各地でみられる。特に有名な有翼馬はギ されてい る。そのためか、地中海世界以外の地域にみられる有翼馬の 表現は単純にペガソスと同一視されるか、あるいは関連付け られて考えられてきており、ユーラシア大陸における有翼馬 の表現に関する専門的な研究は、筆者が見た限りでは行われ ていない。馬に翼をつけるという有翼馬の表現が各地で独自 に作り出される可能性は十分に考えられるため、全ての有翼

馬の表現を文化的つながりで解釈することには問題がある。

そこで本稿では、有翼馬の表現について、特徴的である翼の 形状に着目し、各地の表現を分析、比較することで、各地域 の特徴や地域間の文化交流について考察を行った。

まず、地中海世界、西アジア、中央アジア、中国の各地域 における有翼馬の表現について、具体的な資料を挙げて分析 を行い、それをもとに地域間にみられる交流について

。その結果、地中海世界でペガソスが多く表現されるよう になる時代は紀元前7世紀以降であるが、西アジアにおいて は紀元前二千年紀後半にはすでに有翼馬の表現がみられ、そ の翼の形状をみても、表される題材をみても両者に共通点は みられず、有翼馬がそれぞれ独自に作られた表現であること が分かった。また、中国においては前漢に有翼馬の表現が現 れるが、翼の形状を比較するとこの時代の地中海世界の有翼 馬の翼とは明らかに異なっており、西アジアや中央アジアで は有翼馬の表現が途切れていた時代であることから、中国に おいても独自に有翼馬表現が生み出されたということが明ら かとなった。

 西アジアにおいて、アケメネス朝に特徴的な反り返る翼表 現は、アルカイック期の地中海世界の有翼馬の翼表現に類似 しており、この

ではその後反り返らず自然な形の翼が主に表現されるように なるが、西アジアでは翼が反り返る表現様式が継続して使用 され、伝統的なものとなっていた。ササン朝時代に増加する 有翼馬の翼にもこの形の翼が表現されている。ササン朝の時 代にはいわゆるシルクロードによる東西の交易が行われてい たが、反り返った翼をもつ有翼馬の図像も中央アジアを経由 し唐代の中国に流入した。そこには漢代に中国で独自に生み 出され、細長く

線に近い翼を持 つ有翼馬が存在 していたため、

唐代の中国では、

幅が広く先端が 反り返った翼を 持つ有翼馬と、

細長く火炎文の ような翼を持つ 有翼馬の二つの  系統が共存するこ

この時代に中国から日本にもた

は、これら二つの系統の有翼馬をみることができる。

 本稿では扱う地域が広範囲であったため、

   画象石にみられる有翼馬(江蘇省)

ととなった。

掘り下げることができなかった。

他の要素について、より詳細な分析を行うことで、論を補う ことができると思われる。

 

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参照

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