の背景と実施に向けた日本国内の動向
著者 上條 直美
雑誌名 PRIME = プライム
号 20
ページ 61‑71
発行年 2004‑10
URL http://hdl.handle.net/10723/574
1. はじめに― 「持続可能な開発」 と教育 2002年の第57回国連総会において、 2005年から 2014年を 「国連持続可能な開発のための教育の10 年」 (以下、 DESD(1)) とすることが決まった。
地球サミット以来、 持続可能な開発は、 環境教育 や開発教育の分野においても重要な鍵概念となっ た。 「公正で共に生きることのできる社会」 を創 るために、 教育の側面からできることは何か。 持 続可能な開発のための教育は、 このような問いを 軸として、 開発教育、 環境教育、 平和教育、 人権 教育など様々な教育活動が連携するきっかけとし ての大きな可能性を秘めている。
「持続可能な開発 (Sustainable Development)」
という言葉が最初に使われた公式文書は、 1987年 に 「環境と開発に関する世界委員会」 (通称ブル ントラント委員会) が国連の決議に基づき作成し た報告書 「Our Common Future(2)」 であること は広く知られている。 その定義である 「将来の世 代が自らの欲求を充足する能力を損なうことなく、
今日の世代の欲求を満たすこと」 のできる社会が、
私たちのひとつの目標として目指されていること も、 1992年の国連環境開発会議(3)(地球サミット)、
2002年のヨハネスブルグサミットなどを通して、
市民社会の中で共有されつつある。 この言葉の背 景には、 当時の先進国と途上国の主張の対立が強 く反映されていたと考えられる。 すなわち先進国 は開発によって破壊された環境を保全することの
重要性を唱え、 途上国は自らの貧困を解決するた めに開発が優先されるべきであると訴えた。 この 文脈では開発は経済優先の工業化を中心とした開 発であり、 自然環境を損ない、 そこに住む人々の 生活を損なうものとして捉えられている。 持続可 能な開発という概念は、 その両者の対立する主張 をどのように乗り越えていくのかという重い課題 を最初から背負っている。
1992年の地球サミットで採択した地球再生の行 動計画アジェンダ21は全40章から成り、 貧困、 人 口、 消費、 健康、 居住、 森林、 農業、 生物多様性 など様々な個別課題と、 それらの解決に向けたス テークホルダーとして女性、 子どもおよび青年、
先住民、 NGO、 地方公共団体、 労働組合、 産業 界、 農民などの役割が記されている。 第36章に掲 げられている 「教育、 意識啓発及び訓練の推進」
は、 国際的な機構の整備、 国際法措置およびメカ ニズム、 意思決定のための情報整備など、 行動計 画の実施手段のカテゴリーの中に位置付けられて いる。 「教育は持続可能な開発を推進し、 環境と 開発に対処する市民の能力を高めるうえで重要で ある」 とし、 「基礎的な教育が、 環境や開発の教 育にあたっての支柱を提供するとしても、 後者の 必要性も学習上欠くことのできない部分として教 育に組み入れる必要がある」 としている。 それは 同時にいわゆる 「学力」 の中味を問い直すことを 意味する。 また教育方法も、 従来主流であった
国連・持続可能な開発のための教育の10年 制定の背景と実施に向けた日本国内の動向
上 條 直 美
(国際平和研究所助手)
「教授」 型の教え方から、 自らが 「批判的」 に主 体的にものごとを捉え、 思考できるようになるこ とを目指した 「参加」 型の学習方法への転換も迫 るものである。
本稿では、 「持続可能な開発」 を実現すること と、 そこにおける教育の役割および教育のあり方 について考察し、 開発教育および環境教育を通し て 「持続可能な開発のための教育 (以下、 ESD)」
の概念を読み解いていきたい。 また、 DESDの制 定に際しては、 市民からの働きかけが大きな役割 を果たした。 ヨハネスブルグサミットに向けた市 民側の取り組みの一つについても触れながら、 来 年から始まるDESDへの取り組みを紹介していき たい。 こうした社会変革に向けた様々な教育活動 の動向から、 平和教育のあり方への示唆を得るこ とができると考える。
2. DESD国連決議までの経緯
2002年8月26日〜9月4日、 南アフリカのヨハ ネスブルグで開催された 「持続可能な開発に関す る世界首脳会議 (ヨハネスブルグサミット、
WSSD(4))」 は、 1992年に行われた地球サミット で採択された地球再生の行動計画 「アジェンダ21」
の実施状況を検証することが目標であった。 しか し、 この10年間、 アジェンダ21の具体的な実施は ほとんどなされず、 地球環境はますます悪化し、
貧富の格差はますます広がったとの認識が共有さ れ、 ヨハネスブルグでは、 新たに政治文書、 世界 実施文書という形で行動計画が策定されることと なった。 しかしこれらの行動計画には、 残念なが ら2000年のミレニアムサミットで策定されたミレ ニアム開発目標(5) の達成に必要不可欠である重 債務貧困国の債務帳消しやODAの倍増などに対 する公約は残念ながらなされなかったのである。
このような困難を極めたサミットの中で、 ESD を推進するための活動が行われ、 開発教育関係者 の立場から筆者もそこに参加する機会を得た。 サ
ミット全体から見たら小さな動きのひとつに過ぎ ないが、 持続可能な開発、 持続可能な社会を創っ ていくために市民ひとりひとりの役割がますます 大きくなっている今、 従来の運動における市民の 主体形成のあり方を教育面から問い直すことは重 要だと考えている。
2−1. 「環境教育の10年」 から 「持続可能な開 発のための10年」 へ
1992年の地球サミットでは、 市民連絡会議 「市 民フォーラム2001(6)」 が結成され、 地球サミット のフォローアップやアジェンダ21の推進に始まり、
「地球温暖化」 「環境と貿易」 「エネルギー」 など の個別課題に取り組み、 キャンペーン、 調査研究、
政府・自治体・企業への提言などを通して大きな 役割を果たしてきた。 しかし市民フォーラム2001 の解散により、 2002年のヨハネスブルグサミット に向けた市民組織の新たな必要性が生じ、 2001年 11月、 ヨハネスブルグサミット・提言フォーラム (以下、 提言フォーラム) が設立された。
提言フォーラムの分科会(7) のひとつである環 境教育分科会は、 当初はサミットに向けて 環境 教育 の取り組みを通じて政府への政策提言を行 うべく、 「環境教育の10年」 を提唱していた。
2001年11月にカンボジア・プノンペンで開催され たサミットに向けたアジア太平洋地域準備会合の 場で、 提言フォーラムから 「国連・環境教育の10 年」 が初めて提案されたが、 この時には採用され なかった。 同時に、 従来の 環境教育 の概念は 広がりに欠けるという判断があり、 開発教育、 平 和教育、 人権教育などを含めた 「持続可能な開発 のための教育」 に概念を広げ、 翌2002年3月、 外 務省がサミットの議長ペーパーに対する意見募集 を行った際に再度提案し、 採用されたという経緯 がある。 2002年5月の第3回準備会合 (ニューヨー ク) で日本政府代表団を通じて提案がなされ、 世 界実施文書の議長ペーパーに 「2005年から始まる
国連・持続可能な開発のための教育の10年 の 採択を検討することを国連総会に勧告する」 とい う文言を載せることが決まった。 そしてサミット 本番では、 小泉首相から世界に向けて、 意思表明 演説がなされるという形で日本政府から正式に提 案され、 その年の秋に開かれた国連総会において いよいよ採択される運びとなったのである。 演説 の中で小泉首相は、 「持続可能な開発を手に入れ るための最大のポイントは何でしょうか。 私の答 えは 人 です。 日本は天然資源に恵まれない中、
人的資源を礎として今日の日本を築いて参りまし た。 日本は、 発展の礎として教育を最重要視して きました。 なればこそ、 持続可能な開発のため の教育の10年 を国連が宣言するように、 日本の NGOとともに提案しました。 また5年間で2500 億円以上の教育援助を提供することとしています」
とうたった。 この提案は、 途上国を中心とする約 70カ国の共同提案として行われた。 日本国内にお ける教育活動とともに、 途上国の教育をどう支援 していくかという課題も同時にDESDには含まれ ているのである。 ミレニアム開発目標や 「万人の ための教育(8) (EFA)」 とESDの連携、 整合性は 今後の課題である。
2−2. NGO間の連携の形成
国連総会での決議を経て、 DESDは世界的には 国連の主導のもと実施されることになり、 ユネス コがリード・エージェンシー (先導機関) となっ た。 国連総会の決議文では、 「ユネスコをリード・
エージェンシーとし、 ユネスコが関連国連機関等 と協力して、 DESDの国際実施計画案を策定する」
と明記され、 各国政府はその実施計画をもとに、
国ごとの計画を作成することになる。 そもそも DESDの実現に至るプロセスの中で、 教育の10年 が市民の発案であることから、 当初より提言フォー ラム環境教育分科会は、 さまざまな教育NGOや 国際協力NGO間の新たなネットワークづくりを
意識してきた。 またNGOのみならず、 企業、 行 政、 研究者など多分野間の連携も最初からかなり 力を入れていた。 NGO間の連携へのステップと して、 サミットの準備段階では2002年7月に、 日 本における環境教育、 開発教育、 人権教育、 平和 教育、 まちづくりなどの分野の研究者や実践者を 集めたシンポジウムが開かれた。 100名以上の関 係者や一般市民が一堂に会し、 それぞれの立場か ら持続可能な開発のための教育に向けた視点を出 し合った。 これだけの分野横断的な教育系NGO 間の集まりはおそらく例にないであろう。 このシ ンポジウムに引き続き、 8月にはワークショップ 形式で、 ESDの概念づくりが試みられた。 こう したNGOのネットワーク形成が進展する一方で、
サミット本番に向けて環境省や外務省との最終的 な折衝も平行して行われた。
サミットが開幕する頃には、 すでにDESDの構 想は外務省を通じて日本政府から世界に向けて提 案される方向で進められていたため、 サミットに おける提言フォーラム環境教育分科会の役割は、
次の段階として、 各国NGOにDESDを認知しても らうこと、 DESD推進のために必要な各国NGOと のネットワークを広げることなどへと移行していっ た。 そのためのワークショップの開催や、 教育コー カス(9) との情報交換などがヨハネスにおける中 心的な活動となったのである。
サミットでは、 国連及び各国政府による公式会 合と同時進行で、 NGOピープルズフォーラムが 開催されていた。 ロビイング活動は公式会合の会 場で行われたが、 その他のNGOによる様々なイ ベントやワークショップは本会議場から30kmも 離れたナズレック会場で行われた。 環境教育分科 会は計5回にわたってワークショップを開催した。
(表1) 毎回100名近い参加者が集まり、 教育への 関心の高さを肌で感じた。 参加者層としては、 欧 州圏および南アフリカのNGO参加者が大半を占 め、 アメリカやアジアからの参加者は少なかった。
(表1) ヨハネスブルグにおけるワークショップ の概要
アメリカのNGOは本会議場でのロビイング活動 が中心で、 サミットでは他のNGOとのネットワー クにそれほど重きを置いているようには見受けら れなかったこと、 アジア、 特に東南アジア諸国の NGOにとっては、 南アフリカは距離的にも遠く、
多くの参加者の費用をまかなえる財政的ゆとりの あるNGOはそう多くないという現実も反映して いると思われる。 ワークショップを通じて、
DESDへの関心は、 先進国にとってはまさに環境 と開発が同時に満たされる持続可能な社会を創る
ための教育であり、 また途上国にとっては学習機 会を奪われた人々が、 基礎教育を受けることので きるようになることがまず優先課題であるという ことは明白であった。
第5回ワークショップの 「声なき人たちの声を どう聞いていくか?」 というテーマは、 それまで に行われた4回のワークショップ及びサミット会 場でのある出来事から生まれたテーマであった。
ソウェトに暮らす女性Elizabeth Hlatshwayoは NGOピープルズフォーラムの会場であるナズレッ クの門の外にいた。 彼女はどこの団体にも所属し ておらず、 高い参加費を払うこともできず、 会場 の中に入ることができずにいた。 そこに私たちメ ンバーのうちの一人が行き交い、 ワークショップ のチラシを彼女に渡した。 それがきっかけで彼女 からメッセージを託された。 そこには、 We are willing to improve ourselves in education which will make us to survive end of the day by creating jobs for other people or our- selves." ( 「 私 た ち は 教 育 を 通 し て 私 た ち 自 身 [の生活、 人生] を改善していきたい。 その日を 生き延びるための仕事を作り出すために。」) と書 かれていた。 失業率50%を超えるとも言われる南 アフリカでは、 教育は仕事を得るための手段であ り、 死活問題である。 今回のサミットも数千人の 新たな雇用を生み出したと言われている。 しかし それは一時的なものに過ぎない。 このメッセージ を受け取った私たちは、 サミットの会場の中にい る人たちではなく、 中に入れない人たちの現実、
声なき声にどうやってアクセスしていくのかが問 われていることを改めて認識し、 それをワーク ショップの締めくくりとしたのである。
5回のワークショップを通じて確認されたもう ひとつのキーワードは 「地域 (コミュニティ)」
におけるESDの実践であった。 国際的な枠組み の 中 で 取 り 組 む ESD だ が 、 抽 象 概 念 と し て は
第1回 「環境教育」 講師:阿部治氏 (立教大学)
第2回 「体験型教育とNGOの役割」
経験型及び参加型環境教育と子ども森林 プロジェクト
講師:キャシー神野氏 (オイスカインター ナショナル)
国際交渉における環境NGOの役割〜環境 NGOによる政府への提言活動〜特に温暖化 交渉における事例から〜 講師:毛利聡 子氏 (明星大学)
第3回 「開発教育」
グローバルな視点を教育に 開発と は? 日本における開発問題 学びの ための地域のリソースとは? (ディスカッ ション)
講師:岩崎裕保氏、 中村絵乃氏、 上條直美 氏 (開発教育協会)
第4回 「ローカル&グローバルな視点」
沖縄における地域主体のプロジェクト〜
エコツーリズムの視点から
持続可能な地域コミュニティと持続可能 な世界にとっての重要な要素とは? (ディ スカッション) 講師:大島順子氏 (大島 順子環境教育事務所)
第5回 「声なき人たちの声をどう聞いていくか?」
ディスカッション・セッション&総括
〜あなたのコミュニティの 「届いていない
声」 は誰か?〜
「持続可能な社会を目指す」 という意味において 共有されているものの、 何が持続可能な社会なの か、 という具体的なレベルでは国や地域の社会状 況、 文化、 自然環境などによって異なり、 多様性 が前提とされる。 ESDの実践の現場の最も重要 な単位は 「地域 (コミュニティ)」 であり、 地域 において誰が声の届かない人なのか、 誰の声をもっ とも聞くべきなのか、 地域循環型社会を創り出す にはどういう仕組みを構築したらよいのか、 地域 で解決しきれない問題を、 どのように他の地域や 世界と共有し、 解決に向けた協働行動をとるのか。
この場合の地域には、 物理的空間としての地域と、
共通の課題やテーマのもとに構成された共同体と してのコミュニティの両方が含まれている。
2−3. ESD‑Jの発足
提言フォーラムは、 DESDの国連決議をもって その役割を終えたとして2003年3月に解散した。
そして新たに2003年6月に 「持続可能な開発のた めの教育の10年」 推進会議 (ESD‑J) の設立総会 が行われ、 およそ50団体、 100名の個人が参加し、
新たな組織が立ちあがった。 ESD‑Jは次のような ミッションを掲げて、 2005年から始まる10年に向 けた活動をしている。
1) 異分野のNGOなどが互いに補完し合いな がら、 持続可能な社会づくりに取り組む ネットワークをつくる。
2) 政府のカウンターパートとして、 市民およ びNGO等が政府、 地方自治体、 国際機関、
企業、 教育関連機関とパートナーシップを 組み、 国内外で実質的な 「持続可能な開発 のための教育」 を実現するための政策提言 と協働実施を行う。
3) 学校教育や社会教育、 まちづくりなどを通 じて、 持続可能な社会づくりにNGOなど が参画する仕組みを強化する。
4) 「教育の10年」 についての国際的な窓口や 受け皿となる。
5) 国際的な政策決定プロセスに参画できる NGOの人材養成の仕組みをつくる。
6) 日本のNGOが日本政府の拠出金の活用を 含め、 国際機関へのプロジェクト提案と資 金獲得を可能とさせる仕組みをつくる。
こうしたミッションに沿って、 プロジェクトチー ムに分かれて活動している。
一方、 ユネスコは国連総会決議をうけて、 2003年 7月にDESD国際実施計画の枠組み案を発表し、
広くパブリックコメントを求めた。 これに対して ESD‑Jとしても提言を出している。 ESD‑Jの提言 のポイントとしては、 ①ESDの目標・指標の提 示、 ②平和及び 「平和の文化」 の構築の強調、 ③ 地球市民への認知のためのキャンペーンの実施、
④情報公開と参画の権利保障、 ⑤サポート体制並 びにフィードバック体制の整備、 ⑥地球市民・地 球民主主義とメディアリテラシーの導入、 ⑦グロー バリゼーションに対する注意、 ⑧先進国への注意、
⑨評価と見直しのための国際会議の開催、 の9項 目を具体的に提案している。(10) それぞれユネスコ 草案の各項目に対応した提言である。 特に開発の 視点に着目すると、 草案では、 ミレニアム開発目 標達成に向けてグローバリゼーションをポジティ ブな側面からのみ評価する表記であったため、 負 の側面にも十分留意する必要を喚起している。 ま た、 ESDの主要テーマのうち特に持続可能な生 産と消費に関しては、 先進国の過剰消費の問題に 言及することを提案している。
3. ESDの概念と持続可能な社会に向けた教育活 動とは
ここでは、 ESDという概念がそもそも教育の 中でどのようにして形成されてきたのかをふまえ つつ、 地球的諸課題をテーマとしたさまざまな教
育活動との関連を見ていきたい。
3−1. UNESCOの環境教育とESD
SDの概念は先にも述べたように1987年ブルン トラント委員会の報告書において国際社会が目指 すべき目標として合意されたが、 それが教育の概 念として形成され、 示されたのは、 1992年の地球 サミットにおけるアジェンダ21の36章においてで ある。 ここでは、 途上国における基礎教育の改善 や、 既存の教育の再編、 一般市民の啓発だけでな くビジネス、 産業、 大学、 政府、 NGOなどのリー ダーに対する訓練の必要性が重要視されている。
このように、 政治経済的な文脈でESDの教育概 念が形成されつつあった一方で、 UNESCOなど の教育系国連機関はその文脈とは別に1972年のス トックホルム人間環境会議以来、 「環境教育」 へ の取り組みを通して議論を重ねていた。 そして 1997年にUNESCOとギリシア政府共催で開かれ た 「環境と社会:持続可能性のための教育と公的 意識国際会議」 (テサロニキ会議) において、 環 境教育とESDの統合が図られたのである。
テサロニキ宣言では、 次のように言及している。
「持続可能性に向けた教育全体の再構築には、
全ての国のあらゆるレベルの学校教育・学校外教 育が含まれている。 持続可能性という概念は、 環 境だけでなく、 貧困、 人口、 健康、 食糧の確保、
民主主義、 人権、 平和をも含合するものである。
最終的には、 持続可能性は道徳的・倫理的規範で あり、 そこには尊重すべき文化的多様性や伝統的 知識が内在している」 「環境教育は今日までトビ リシ環境教育政府間会議(11) の勧告の枠組みで発 展し、 進化して、 アジェンダ21や他の主要な国連 会議で議論されるようなグローバルな問題を広く 取り上げてきており、 持続可能性のための教育と しても扱われ続けてきた。 このことから環境教育 を 環境と持続可能性のための教育 として表現
してもかまわないといえる。」
環境教育といった場合、 国際的な文脈では日本 で一般的に理解されているような自然環境教育や 公害教育のイメージとは異なったものであること を前提に捉えていく必要がある。 日本における環 境教育は、 1960年代に深刻化した公害問題や自然 破壊に対する対抗措置としての公害教育、 自然保 護教育への取り組みに始まる。 実質的にはこれら が日本における環境教育のルーツと言える。 一方、
世界の環境教育の歴史はアメリカに端を発する自 然学習や野外教育、 イギリスに端を発するアメニ ティ教育などがあり、 1960年代の急激な開発と工 業化による深刻な環境問題の発生が、 欧米各国で 環境教育の必要性が認識されることとなった。 し かし1990年代以降、 UNESCOやIUCN (国際自然 保護連合) が持続可能な開発の概念に沿って環境 教育の捉え直しの議論を重ね、 国際的な環境教育 の目標は、 自然環境面だけでなく、 社会環境をも 射程にしっかりと捉える教育として、 大きく舵を 切ることになる。 その意味において、 ESDは環 境教育の進化したものであるという見方もある。
世界各国の環境教育研究者がインターネット上 で ESD に 関 す る 議 論 を 行 っ た も の を ま と め た ESDebate International debate on education for sustainable development (IUCN、2000年) によると、 ESDの特徴は次のようにおおづかみ できる。
ESDの特徴的な性格
・より強く未来志向性を持つ ( ありうる未来 について注意深く考察を加える)
・支配的な市場や消費を駆り立てる社会に対す る批判的な思考を伴う
・人々が直面する世界の現実についてより敏感 になる (その原因や背景に注意を払う)
・問題の複雑さ (complexity) を扱う際に、 断
片的でなく体系的、 全体的 (systemic) に扱 う
・個人主義よりも、 コミュニティや連帯を基盤 に置く
・商品に対する執着を減らす (結果としての行 動)
・過程をより重視する (社会における学びのた めの適切な環境をつくる)
・新しい考え方ややり方にオープンになる
・ローカル、 リージョナル、 グローバルの各レ ベルで、 社会・経済・環境的公正を再び結び つける
持続可能な未来のために、 社会経済の構造的な 変革は欠かせないが、 教育はこうした 「構造変革 のための推進力」 の重要なひとつの要素であると 結論づけている。
日本では、 1999年中央環境審議会において、
「これからの環境教育・環境学習―持続可能な社 会をめざして」 と題する答申がなされ、 初めて環 境教育の対象を開発や貧困、 食糧、 人口など社会 的・経済的問題を含めた教育として捉えている国 際動向を反映する具体的な動きがあった。
3−2. 開発教育とESD
このようにESDを環境教育の発展型とする見 方もあるが、 ESDは 「環境と開発」 の問題を扱 うということから、 特に社会的な問題、 社会的公 正の問題を考えると、 環境教育が教育内容を社会 的・経済的諸問題へアウトリーチしていくという 方向性とともに、 1970年代末より日本でも展開さ れてきた開発教育が扱ってきた教育内容により近 いという見方もある。 すなわち社会的公正の問題 を真正面から捉えることが必要であり、 開発教育 と環境教育の連携というのはESDにとっては必 要不可欠であると考えられる。
先にあげたIUCNの冊子の中で、 「ESDは環境
教育よりもずっと鋭い視点を持ち、 批判的な視点 を持っている。 持続可能な開発のための教育は、
平和教育や民主主義教育などと同様に、 今の困難 な (持続可能でない、 暴力的で民主的でない) 社 会を深くとらえ、 行動する批判的で民主的なプロ セスである。 そして私たちがもっと 価値ある (持続可能で平和な、 民主的な) 未来を実現する プロセスである。 ESDは多くの環境教育と異な り、 社会、 政治、 開発教育と強いつながりを持っ ている。」 (John Huckle, UK、 2000年) という 議論がなされていることは、 両者の連携の必要性 を裏付けるものである。
地球的諸課題をテーマにした教育活動の共通の キーワードは 「社会の転換」 であり、 それに対す るビジョンを描くことが求められている。 古沢広 祐は、 それを 「経済中心の社会から人間中心の社 会への転換」 とし、 無限拡大型の成長パターンか ら脱却して 「環境的適正」 を実現し、 世界的な格 差と不平等の増大を是正して 「社会的公正」 の実 現を目指すことだとしている。(12) 古沢は、 環境的 適正に向けた取り組みは、 自然科学的アプローチ を中心とする限りにおいては、 比較的共通理解を 形成しやすいが、 社会的公正については価値観や 歴史・社会的条件の違いなどを背景に、 一致点を 見出しにくい状況にあるとしている。 そのため社 会的公正への取り組みは、 全般的に遅れがちであ る。 ESDを考えた場合、 まさにこの点が大きな 課題であると言える。 さらに古沢は、 社会転換の メカニズムを、 ①技術的解決方法、 ②法的 (規制 的) 手段、 ③経済的手法、 ④社会・文化による内 部化の4つに類型化し、 社会的公正には②③④が 有効であるとしている。 社会的公正は、 持続可能 な開発委員会 (CSD)(13) の作成した持続可能な 発展の指標 (以下SDI(14)) では社会、 経済、 環境、
制度・組織の4分野にわたり細目が設けられてい る。 しかし④の社会・文化の側面は、 その多様性 においてもナイーブさにおいても指標化しにくい
ものである。 ライフスタイル、 慣習、 倫理、 社会 規範、 教育、 生活文化、 市民意識などは、 最終的 には個人の意志に帰するものであり、 外から強制 的に変えることが許されるものでもなければ、 数 字に表すことも難しい。
開発教育において社会的公正は主題であり、 そ の教育内容において、 南北問題、 開発、 貧困、 人 権、 平和などを扱ってきた。 しかし開発教育は教 育活動であり、 その点においてはあくまで個人の 主体性を育むことが目的である。 開発教育で言う
「主体性」 は、 「公正で共に生きることのできる地 球社会」 をどのように構想していくか、 その創造 のプロセスにどのように参加していくことができ るか、 つまり、 私たち自身の社会に対する市民意 識を養うという意味での主体性を指していると考 える。 まさに 「社会・文化の内部化」 である。 開 発教育は、 このねらいを実現するために、 その教 育方法として参加型学習というものを重視してき た。 「参加」 とは、 単に参加することではなく、
「社会の創造プロセスに参加する」 ということを 意味しているのである。 ESDにおいてもこのこ とが重視されるべきだと考える。
こうした教育の取り組みは、 教育のあり方全体 を問い直すことにつながる。 教育内容、 教育方法、
そして教育者の役割も、 従来の教授者(15) の役割 だけでなく、 ファシリテーター(16) や共同学習 者、(17) 特には改革者(18) や省察的実践者(19) の役割 も求められるようになるのではないだろうか。(20) 特に共同学習者として、 学び手とともに考え、 と もに学び、 ともに作り上げること、 あるいはファ シリテーターとして学び手の学習を後押しするよ うな関わり方は、 学習者の主体性を考えた場合、
重要となってくるであろう。
4. おわりに―今後の課題
この10数年、 特に筆者が関わったヨハネスブル グサミット以降のESDを取り巻く状況は、 主と
して教育NGOを巻き込みながら徐々に、 しかし 着実に変化している。 学力低下、 不登校など教育 を取り巻く状況が悪化していると言われて久しい が、 だからこそ、 社会との関わりを重視した教育 活動が、 教育のあり方そのものを問う力を有して いると思うのである。 なぜなら公正、 共生、 平和 が実現される社会には、 その根底に人間への尊厳 というものが前提とされるべきだからである。
最後に2005年から始まるDESDに向けて、 今後 の課題として次の2つのことがらに言及して終わ りにしたい。
4−1. さまざまな教育活動の連携の先にあるも の
この図は環境教育の視点から、 環境教育がES Dへと進化していくためには何が必要であるかを 明らかにしようと試みた図である。 中央の総合系 は、 それぞれの課題を 「つなぐ」 ことを意味して いる。 ここでは具体的な例として自治体やエコ ミュージアムなどが書かれているが、 概念として 捉えると、 それぞれの課題別の取り組みに対して、
それらさまざまな課題を貫く価値観や倫理、 物の 見方、 政策的な視点、 そしてその主体である個人 個人の主体性の形成に関わる視点をどのように創 り上げ、 共有していくか、 ということではないか と考えている。 例えば物の見方に関しては、 最近 特に取り上げられることの多くなったメディア教 育、 単なるITを使いこなすだけのメディア教育 ではなく、 自分自身がどのような価値観、 立場に 立って物を見ていくのか、 また、 メディア自体の 一面性をどのように見抜いていくのかが大切になっ てくる。 また、 社会づくり全体を市民の手で構想 し、 実現していくための政策提言能力を身に付け るという意味での政治教育もますます重要になっ てくるであろう。 今まで政府や行政の手にゆだね てきた政策に関して、 市民自身が参加、 参画して いくことによって、 直接的に政治に関わることが
必要ではないだろうか。 価値観、 倫理に関しても、
宗教間の対話の促進、 文化間の相互理解など、 課 題は多くある。
4−2. ESDの実践―地域と世界
ヨハネスブルグのNGOフォーラムでのワーク ショップでも、 各国NGOスタッフや地域のソー シャルワーカー、 ユースワーカーなどから聞かれ た声のひとつに、 まずは自分たちの地域の問題か ら取り組む必要がある、 ESDの実践はコミュニ ティが発信地だ、 というものがあった。 それは今 まで自らの地域問題へのまなざしが十分ではなかっ たことへの反省も込められているのであろう。 こ のことを日本の文脈で考えてみるとどうであろう か。 「開発」 と言った場合、 日本では宅地開発と か、 道路開発、 リゾート開発などのように土建国 家日本というイメージと結びついた、 環境を破壊 する側という印象がつきまとう。 まさに日本にとっ
ての開発のあり方は、 戦後日本の地域開発政策と 深く結びついて、 一市民のレベルを超えて、 否応 なく進められてきた側面がある。 ダム開発と農村 の過疎化、 水俣に象徴される公害と企業、 大量消 費のライフスタイルの定着など、 日本の開発の負 の側面を私たちはもっときちんと分析し、 日本の 地域開発のあり方そのものを問い直すことが必要 なのではないだろうか。 途上国において参加型開 発、 社会開発、 人間開発を進めようとしている一 方で、 日本の開発はいまだ戦後の大型開発から抜 け出していないことを認識したい。 ESDにはこ うした側面が含まれていくであろう。
開発教育や国際協力に関わっていると、 しばし ば、 自分の頭の上の蠅も追えないのに…というよ うに、 遠くの途上国のことを心配することへの疑 問を投げかけられる。 足元の問題が解決されて初 めて、 より広い範囲の事柄へと目を向けることが できるのだ、 という同心円的な世界観は一般的で
阿部治作成 (原案 角田尚子) 「エルコレーダー」 第12号より
あるが、 足元のことがらの大事さと、 「遠く」 と 思われている途上国の問題が、 実は同時に起こっ ている問題なのだ、 という視点は、 一般には理解 されにくいが開発教育の根幹をなすものである。
またグローバリゼーションの状況を理解するため にも必要不可欠である。 ESDにとって地域、 コ ミュニティの持続可能性と同時に、 こうした世界 とのつながり、 世界全体の持続可能性へのまなざ しを持ち続けることが求められるであろう。
註