著者 稗田 里香
発行年 2016‑05‑12
その他のタイトル Empirical Research for Social Work Practice Theory Generation of Alcohol‑related Problems in the General Hospital
学位授与機関 明治学院大学
学位授与番号 32683甲第37号
URL http://hdl.handle.net/10723/2661
一般医療機関におけるアルコール関連問題ソーシャルワークの 実践理論生成に向けた実証研究
Empirical Research for Social Work Practice Theory Generation of Alcohol-related Problems in the General Hospital
明治学院大学大学院社会学研究科 Division of Sociology
Graduate School
2016 年 1 月 13 日 January 13,2016
稗田 里香
HIEDA Rika
実践理論生成に向けた実証研究
Empirical Research for Social Work Practice Theory Generation of Alcohol-related Problems in the General Hospital
明治学院大学大学院社会学研究科提出博士論文
A Dissertation Presented to the Division of Sociology, Graduate School of Meiji Gakuin University,
For the Degree of Doctor of Social Work
稗田 里香 HIEDA Rika
2016 年 3 月 4 日 March 4,2016
Approved by
明治学院大学 社会学部教授 北川清一
1. 研究の動機
論者が、一般医療機関のソーシャルワーカーとして就労した 1985 年頃、日本は円高不 況から急激な地価・株価高騰により実態以上に経済が泡のように膨らむ所謂バブル期が始 まっていた。一部の人々が華やぎ贅沢な暮らしを送る一方で、持たざる者が一層貧しい状 態に陥る格差社会によってもたらされる生活課題(life tasks)の複雑・多様化に拍車がかか った時期でもあった。
この頃、論者は、身寄りのないアルコール依存症を患う人(以下、クライエント)1の終 末期における死の看取りを支援する病院勤務のソーシャルワーカーであったが、その一人 がアルコール性肝硬変であった。亡くなった後、福祉事務所のケースワーカーとともに火 葬場へ収骨に行った。他の多くの棺が、親族らに囲まれ荼毘に付す前の最後の別れを惜し まれる中、一番端に親族など誰もいないむき出しの棺にケースワーカーとともに手を合わ せることになった。格差社会の現実を突き付けられる思いであった。
また、同じ頃、病院の近くにあるドヤ街からは、屋外で暖をとるドラム缶の火で火傷を 負ったクライエントが搬送されてきた。履いていたゴム長靴が足と融合するように熔け、
重度の熱傷であるにもかかわらず、引火していることに気づかないほどアルコールを摂取 し酩酊していた。
1990年代に入ると、バブルが崩壊し、格差社会に由来する諸課題がますます深刻化して いくこととなる。所謂「失われた 10 年」と呼ばれるこの時代は、生活保護世帯数と貯蓄 ゼロ世帯、「働く貧困層(ワーキングプア)」や非正規労働者、若者の失業率などが増加の一 途をたどっていく。この十数年間に、論者は、多くのアルコール関連問題に直面するクラ イエントやその家族と出会うこととなった。中高年の男性が多かったが、若者や女性の存 在も少しずつ増えていた。過剰なアルコール摂取によって身体的問題(アルコール臓器障 害)を抱え、その治療を受けるクライエントが直面する生活の苦しみは、格差社会の中で生 じる構造的な社会問題と決して無関係でなかった。
本研究において、事例として取りあげるAさんの言葉が忘れられない。
Aさんは、バブル崩壊後、全国にある傾きかけた工場を立て直すため、同僚との関係づ くりにアルコールを介在させた結果、体を壊し仕事を追われることとなった。Aさんは「ま るでボロ雑巾のように会社から捨てられた」とソーシャルワーカーに吐露した。重篤なア ルコール性臓器障害のため入退院を繰り返していたが、アルコール依存症の治療へ向けた アウトリーチが過去に一度も行われていなかった2。
また、あるクライエントは、アルコール依存症の治療に専念するため、生活保護を受給 していた。保護費をもらいに行った際、窓口の職員がガムを噛み嫌々ながらの対応を受け たことに「アルコールだからそのように扱われたのだろう」と悔しさを隠さなかった。
論者自身も、転院支援を行う中、アルコール依存症という診断名がつくだけで、他の医 療機関から転院を断られる経験をしたことは一度だけでなかった。アルコール依存症に対
ール依存に陥っている人々は援助を求めて専門機関を訪れても、なかなか適切な治療や援 助が得られない」「そればかりでなく医療機関でも、福祉相談機関でも、アルコール問題が あるというだけで厄介者扱いにされることが多く、またそれらの場所で出会う人々が崩壊 していく様子をみせていること、そして社会一般にもアル中は治らない、という見方が強 く存在する」3と言及する。一般医療機関でアルコール依存症が見過ごされている問題は、
クライエントに内在する否認などの問題だけと限らない。むしろ、クライエントと医療機 関、ひいては社会との相互接触面に生ずる外在的問題の側面が大きいように思える。その ような思いをソーシャルワーカーとして強く抱きながら、一方で、一般医療機関に勤務し ているにもかかわらず、窪田の指摘に応えきれない実践にとどまっていることに対して忸 怩たる思いがあった。
その窪田から、研修4で「アルコール・ケースワーク論」5を学ぶ機会を得た。窪田の「ア ルコール関連問題におけるソーシャルワーカーの援助」は、①問題の正確な認識を助ける こと、②問題解決の力を強めそのために有効な教育と新たな体験を提供すること、③必要 な情報を受け入れやすい形で提供し専門家・専門機関と結びつけること、④療養条件を整 え療養過程における本人及び家族の生活条件を整えること、の四領域からなる。窪田は、
「アルコール・ケースワークを実践できるようになれば、他のさまざまな課題を解決でき るオールラウンドなソーシャルワーカーになれる」と力説した。窪田の教えが、ソーシャ ルワーカーとしてできることは何かという論者自身の中にある問いに答えを出す手がかり となり、そのままソーシャルワーク実践の課題となった6。
窪田の理論を拠り所にしながら、ソーシャルワーカーが中心となって病院内にアルコー ルリハビリテーションシステムをつくり、様々な診療科のスタッフと連携し実践を展開し た7。在職中に、およそ 600 人のクライエントや家族に対するアルコール専門治療への動 機づけ支援を行った。その結果、アルコール依存症にアウトリーチすることによって、生 活課題の解決とアルコール性臓器障害の悪化を防ぐことができる確かな手ごたえを感じ取 れた8。
同時に、実践の拠り所となったのは、自助グループで出会う回復者やその家族の存在が 大きい。アルコール依存症によって苦しむ自らの体験を率直に語りながら、「今日一日を大 切に」という合言葉を誠実に実践する姿を目の当たりにした。語りは、過酷な病いとの向 き合いでありながらも静謐さが感じられ、その姿は哲学者のごとくであり、心から敬意を 表したい気持ちに駆り立てられた。「アルコール依存症は回復できる病いである」という確 かな信頼を持たせてくれたのである。
このような背景を鑑みると、一般医療機関におけるクライエントの複雑で深刻なデマン ズ(demands)9を解決するために、包括的・統合的支援としてソーシャルワーク支援の必要 に迫られている社会的現状があることはいうまでもない。人々の日常生活と生命をも脅か す社会問題を解決することは、ソーシャルワーカーの使命であり、ソーシャルワークを駆 使して対応すべき喫緊の課題である。しかしながら、我が国においては、複雑で深刻なデ マンズは遷延化し支援の対象になりにくい現状にある。さらに、支援するソーシャルワー
ク実践を、実践現場で汎用化できる方法理論に生成し、接近困難とされていたクライエン トが直面する複雑で深刻なデマンズの解決に寄与したいという点にある。
2. 研究の構造:プロセスと論文の構成
本研究に着手する前提には、博士前期課程で取り組んだ研究から導き出された課題があ る10。本研究は、その課題を前提にしながら、あらためて研究の問いを探究することから 始める。研究の目的は、以下の通りである。
①新たなソーシャルワーク方法理論の生成
従来、接近困難とされていた複雑で深刻なデマンズの解決方法をクライエントと回復を 支援するソーシャルワーカーの語りを手がかりに可視化する。そこに介在するソーシャル ワークの有効性を検証することによって、具体的なソーシャルワーク方法理論を生成する。
②生成したソーシャルワーク方法理論における有効性の反証と汎用化の可能性に関す る探究
生成したソーシャルワーク方法理論における有効性の反証と汎用化の可能性を探究す るため、ソーシャルワーク方法理論に依拠し作成した『実践ガイド』を活用しながら、現 職ソーシャルワーカーを対象とする研修を実施し、その場で得られる評価について分析す る。
研究は、一般医療機関のソーシャルワーカーが取り組む実践に寄与することを目指すた め、生成した理論を実践に活用することができるようアクションリサーチ法で取り組む。
また、ライフストーリーインタビュー法とオリジナル版グラウンデッド・セオリーアプロ ーチを用いた質的研究によるミックス法に依拠した探究型の研究とする。研究の構造はア クションリサーチ型のスタイルを特徴とするが、その構造(グランドデザイン)を図示する と図1の通りとなっており、研究過程としては、グラウンデッド・セオリーとグラウンデ ッド・アクションの大きく2つの過程で構成される。
グラウンデッド・セオリーの生成過程として、第一段階はオープン・コーディング(デ ータとデータとの対話)で、理論的標本抽出、コード化、継続的比較分析による核概念の浮 上、第二段階は選択的コーディング、第三段階は理論的コーディングにより理論的飽和へ の到達、すなわち、理論が生成される。ただし、第一段階は第3章で詳述するが、必ずし も一方向に進むものではなく、行きつ戻りつを繰り返しながららせん状の過程となってい る。
さらに、グラウンデッド・アクションの実施過程では、第一段階の説明的グラウンデッ ド・セオリーの生成、第二段階のアクション問題の設定、第三段階の操作理論の生成、第 四段階のアクション計画、第五段階のアクション、第六段階のアクションの評価と変化可 能な学習となっている。
出典:論者作成
本研究で頻回に引用する用語の汎用については、以下のように規定し用いることとする。
1)「病い」について
「病い」は、通常、「病」と表記し「い」の送り仮名を付すことがない。しかしながら、
本研究では、第 3 章で詳述するように、研究の仮説的視座をクラインマン(Kleinman,A.) の「『病い』の経験」という概念より多くの示唆を受けた。そのクラインマンの原著『THE
ILLNESS NARRATIVES』11の邦訳書12では、全て「病い」で統一されている。したがっ
て、本研究においても、この邦訳書に則り「病い」と表記している。
2)「リカバリー(Recovery)」とは
「リカバリー」は、「回復」と邦訳されるのが一般的である。しかしながら、本研究にお ける「リカバリー」とは、「病気を持ちながら、かけがえのない命を生き、社会に生活し、
再起して、希望を抱いて歩む旅(ジグザグな旅)」と定義して用いることにした。
このように定義した「リカバリー」は、本研究の目的である理論生成に関わる重要なキ ーワードの一つとなるため、第4章で詳述する。
3) 「レジリエンス(Resilience)」とは
本研究では、「レジリエンス」を「逆境を跳ね返す力」と訳して用いる。
レジリエンスについての訳語は、必ずしも統一した形で用いられていない現状がある。
ソーシャルワーク領域における先行研究では、訳語として「復元力」とする表記が散見され る。しかしながら、本研究においては「逆境を跳ね返す力」と訳した。その意図について は、「リカバリー」同様に、理論生成に関わる重要なキーワードの一つとなっているため、
第4章で詳述する。
4)「リカバリー」と「レジリエンス」の関係について
本研究においては、「リカバリー」と「レジリエンス」の関係を次のように捉えている。
すなわち、「レジリエンス」は、「リカバリー」の旅にとって「杖」のような役割をとり、
「リカバリー」の旅を促す働きにつながることを意味する。「レジリエンス」は、病気(アル コール依存症)を患いながら、かけがえのない命を生き、社会に生活し、再起し、希望を 抱いて歩む旅(ジグザグな旅)を促す「旅の能力」を指す。本研究では、「リカバリー」と「レ ジリエンス」は、相互に必要とし合う関係という捉え方をしている。
4. 本研究の根拠となる研究データ・資料等の閲覧について
本研究の根拠となる研究データ・資料等については、総頁数が600頁を超えるため、本 文とは別に『資料編』としてまとめている。
なお、『資料編』は、「明治学院大学機関リポジトリ」で閲覧していただきたい。
1本論文では、「アルコール依存症を患う人」をソーシャルワーク実践の対象者として捉え、
「クライエント」と呼ぶことで統一する。
2稗田里香「ソーシャルワークと援助関係」岩間伸之、白澤政和、福山和女編『ソーシャル ワークの理論と方法』ミネルヴァ書房、2010、142-143頁。
3窪田暁子「クライエントの回復をエンパワーメントの視点からみる」『ソーシャワーク研 究』第21巻第2号、相川書房、1995、85頁。
4厚生労働省・独立行政法人久里浜医療センター主催「アルコール依存症臨床医等研修/精 神保健福祉士(社会福祉士を含む)・臨床心理士等コース」
(http://www.kurihama-med.jp/training/rinsho_2013.html、2015年3月30日)
5窪田暁子「アルコール・ケースワーク論」アルコール健康医学協会厚生省保健医療局精神 保健課監修『アルコール中毒臨床医等研修テキスト』発行年不詳、148-152頁。
6稗田里香「大学病院におけるアルコールソーシャルワーク実践/窪田暁子の『アルコール 関 連 問 題 に お け る ソ ー シ ャ ル ワ ー カ ー の 援 助 』 の 適 用 と そ の 有 効 性 に 関 す る 考 察 」
『Socially』第11号、明治学院大学社会学・社会福祉学会、2003、39-50頁。
7稗田里香「大学病院におけるアルコールソーシャルワーク実践についての一考察『統合モ デル』を適用して」『社会福祉学』第27号、明治学院大学大学院社会学研究・社会福祉学 専攻、2003、23-45頁。
8稗田里香「『コンピテンス(competence)』を促進するソーシャルワークに関する実証的研 究/一般医療機関におけるアルコール依存克服に向けた『動機づけ』支援から」明治学院 大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修士論文、2004。
9デマンズ(demands)とは、「利用者自身がどのように望んでいるか、何をどのように求め ているか(山崎美貴子、北川清一編『社会福祉援助活動』岩崎学術出版社、1998、18頁)」
を意味する。専門家からみて必要と判断する「ニーズ」と区別して用いるものである。
10同上、稗田里香、2004。
11Kleinman,A.(1998) The illness Narrative : Suffering, healing and the Human Condition. N. Y.: Basic Book.
12A・クラインマン、江口重幸他訳『病いの語り/慢性の病いをめぐる臨床人類学』誠信書
房、1996、4-10頁。
はじめに
1.研究の動機
2.研究の構造
3. 本研究で引用する用語の汎用について
4. 本研究の根拠となる研究データ・資料等の閲覧について
第1章 研究の背景と問題の実態 ... 1
第1節 アルコール関連問題と一般医療機関の実態 ... 1
1.我が国のアルコール関連問題の実態 ... 1
2.一般医療機関でアルコール専門医療サービスからこぼれ落ちる現実 ... 3
第2節 一般医療機関におけるクライエントのスピリチュアルペイン... 8
1.一般医療機関におけるクライエントの事例からみるスピリチュアル ペイン ... 8
2.スピリチュアルペインが潜在化する構造とその要因 ... 9
第2章 一般医療機関におけるアルコールソーシャルワーク実践の支援課題... 18
第1節 クライエントの支援とソーシャルワーク:スピリチュアルペインに 寄り添う ... 18
1.個人と環境との相互接触面に働きかけるソーシャルワーク ... 18
2.スピリチュアルペインに寄り添うソーシャルワーク ... 19
第2節 クライエントの「健康権(the right to health)」を保障するソーシャ ルワーク ... 19
1.「健康権」とは ... 20
2.一般医療機関を利用するクライエントの「健康権」と医療保障 ... 21
第3節 「健康権」に対する責務と役割:アルコール健康障害対策基本法を 推進するソーシャルワーク ... 24
第3章 一般医療機関におけるアルコールソーシャルワーク実践の支援課題を 解決する実践理論生成に向けた実証研究 ... 29
第1節 実証研究に至るまでの経緯と本研究の目的 ... 29
1.実証研究に至るまでの経緯 ... 29
2.研究の目的(研究の問い) ... 30
第2節 研究方法の仮説的視座と選定の妥当性の検討 ... 31
1.グラウンデッド・セオリーの過程(ステージ) ... 46
2.グラウンデッド・アクションの実施過程 ... 51
3.研究における倫理的配慮 ... 53
4.研究期間 ... 54
第4章 「リカバリーの三次元的構造理論」生成の詳細 ... 60
第1節 「リカバリーの三次元的構造理論」体系の全体像について ... 60
1.X軸:リカバリー・ヒストリーとは ... 61
2.Y軸:自己表現のプロセスとは ... 62
3.Z軸:支援システムにおける応答性の質とは ... 63
4.空間ベクトル:逆境を跳ね返す力とは ... 63
第2節 「リカバリーの三次元的構造理論」のX軸の解説 ... 64
1.下位概念:回復の機会について ... 64
2.下位概念:リカバリー・ヒストリー【奇跡の生還・生まれ変わる】に ついて ... 66
第3節 「リカバリーの三次元的構造理論」のY軸の解説 ... 67
1.下位概念:自己表現のプロセスについて ... 67
2. 下位概念:【家を建てる】について ... 68
第4節 「リカバリーの三次元的構造理論」のZ軸の解説 ... 71
1. 下位概念:支援システムの応答性の質(四日市モデル) について ... 72
2. 下位概念:支援システムの応答性の質(A病院モデル) について ... 74
第5節 「リカバリーの三次元的構造理論」の空間ベクトル(逆境を跳ね返す力 :レジリエンス)の解説 ... 78
1. 下位概念:行きつ戻りつ(非直線的な発展)、「一連の旅」について ... 78
2.リカバリー・ヒストリーで表す、行きつ戻りつについて ... 81
3. 下位概念:「逆境を跳ね返す力」について ... 83
第6節 理論的コーディングのための文献(先行)研究の検討:ソーシャルワー ク方法理論生成における「リカバリー概念」の統合について ... 86
1. 「リカバリー概念」から捉える「リカバリーの三次元的構造理論」の 特性:「過程」 ... 86
2. 「リカバリー概念」から捉える「リカバリーの三次元的構造理論」の X軸、Y軸共通の特性:「主体性」 ... 87 3. 「リカバリー概念」から捉える「リカバリーの三次元的構造理論」の
旅)」 ... 88
第7節 オリジナル版GTAの結果:「リカバリーの三次元的構造理論」生成と 定義化 ... 90
第5章 グラウンデッド・アクションの第一段階:「説明的グラウンデッド・セ オリー」の生成-「リカバリーの三次元的構造理論」によるソーシャル ワーク実践方法の検討- ... 96
第1節 「リカバリー概念」を基礎にしたソーシャルワーク実践の検討 ... 97
1.ソーシャルワークにおける「リカバリー概念」の歴史的俯瞰 ... 97
2.「リカバリー概念」を基礎にしたソーシャルワーク実践 ... 99
第2節 「リカバリーの三次元的構造理論」に依拠するソーシャルワーク 実践方法の検討:リカバリーの旅の地図 ... 120
1.「リカバリーの三次元的構造理論」による旅の平面地図 ... 121
2.平面地図の詳細 ... 122
第3節 事例で示す「リカバリーの三次元的構造理論」のソーシャルワー ク(X、Y、Z、空間ベクトルの支援)実践 ... 123
1.X、Y、Z軸におけるソーシャルワーク実践 ... 125
2.Z軸におけるソーシャルワーク実践:連携支援のシステム開発-資 源の再利用- ... 137
第6章 グラウンデッド・アクションの第二から六段階:アクション問題から アクションの評価と変化可能な学習まで-仮の『実践ガイド』の開発 から完成版『実践ガイド』の作成の詳細- ... 144
第1節 グラウンデッド・アクションの第二段階:アクション問題の設定 -「リカバリーの三次元的構造理論」を用いた仮の『実践ガイド』 の試行と評価- ... 144
1.仮の『実践ガイド』作成 ... 144
2.ワークショップの開催計画の概要 ... 146
3.仮の『実践ガイド』の評価方法 ... 148
4.仮の『実践ガイド』の評価結果 ... 150 第2節 グラウンデッド・アクションの第三段階:操作理論の生成-完成版
『実践ガイド』(『クライエントのリカバリーを支援するソーシャル ワーク実践ガイド/一般医療機関によるアウトリーチ(早期発見・早
第3節 グラウンデッド・アクションの第四段階:アクション計画-完成版
『実践ガイド』を活用した実践研修開催計画の概要- ... 158
1.研修の目的 ... 158
2.研修開催の形態と概要 ... 159
3.研修対象者 ... 159
4.研修の概要 ... 160
第4節 グラウンデッド・アクションの第五段階:アクション-実践研修(実 践理論)の実施と評価結果- ... 162
1. 相模原ソーシャルワーカーの会研修での「理論編」に関するアンケー トより ... 162
2.同志社大学研修での「実践編」に関するアンケートより ... 163
第5節 グラウンデッド・アクションの六段階:アクションの評価と変化可 能な学習-予備調査から見えてくる完成版『実践ガイド』の実用性 と課題- ... 164
第7章 研究の総括:一般医療機関におけるアルコール関連問題ソーシャルワ ーク:実践の理論化の可能性と課題... 169
第1節 研究全体の総括 ... 170
第2節 ソーシャルワーク方法理論生成研究の総括 ... 173
1.グラウンデッド・セオリーの過程 ... 175
2.グラウンデッド・アクションの実施過程 ... 178
第3節 結論:一般医療機関におけるアルコール関連問題ソーシャルワーク 実践の理論化の可能性と課題-実践のアイデンティティと「射程」- .... 181
1.アルコール依存症からの回復に必要な「能力・スキル」とソーシャル ワークの介在 ... 181
2.「リカバリーの三次元的構造理論」が導く一般医療機関におけるア ルコール関連問題ソーシャルワーク実践のアイデンティティ ... 181
3.「リカバリーの三次元的構造理論」が導く一般医療機関におけるアル コール関連問題ソーシャルワーク実践の射程:パールマンの「問題解 決モデル」再考の意義 ... 189
第4節 「リカバリーの三次元的構造理論」の実践化に向けた今後の課題 ... 190
結 語 一般医療機関のソーシャルワーカーに対する期待と障壁(課題):政 策を具現化する実践の科学としてのソーシャルワーク研究の推進 ... 192
おわりに(謝辞)
参考文献一覧
*文中に示されている「資料編」は、別冊にまとめている。
本研究は、従来、接近困難とされていた社会的援護を必要とする人々が、自らの生活を 通じて直面する複雑で深刻なデマンズの解決過程を支援する際に役立つ有効なソーシャル ワーク実践理論を生成し、それを実践現場に汎用化することを目的としている。そのため の研究対象としては、一般医療機関2におけるアルコール依存症の回復過程全体をモデルと して取りあげ、その構造を提示する。さらに、その構造内でソーシャルワーカーがアプロ ーチする一連の実践方法を明確化するという包括的な研究として考察を進める。
本章では、このような取り組みを必要とする背景と問題の実態を言及することから始め る。
第1節 アルコール関連問題と一般医療機関の実態
1. 我が国のアルコール関連問題の実態
アルコールは、我が国において「人間関係の潤滑油」などと称されるように、広く国民 生活に深く浸透している。それを裏付ける実態として、平成24年度の酒類販売(消費)数量 は853万8千klであり、成人1人当たりに換算すると82.2klとなる。なお、平成22、23 年度の減少傾向から微増に転じている。また、平成25年度の間接税収19兆7395憶円(国 税総収入の39.9%)の内、消費税、揮発油税に次いで酒税が2.7%(1兆3,470億円)を占め、
微減傾向にあるものの、安定して国家財政の一部を支えている3。
図1-1-1 日本の飲酒者の状況
出典:アルコールソーシャルワーク理論生成研究会(代表・稗田里香)『アルコール依存症 者のリカバリーを支援するソーシャルワーク実践ガイド/一般医療機関によるア ウトリーチ(早期発見・早期治療)のための支援地図』アルコールソーシャルワーク 理論生成研究会、2014、4頁を一部修正。
多量飲酒者(約980万人)
アルコール依存症予備軍(約290万人)
治療が必要なアルコール依存症 者(約109万人)
未治療者 約93%
治療者 約7%
行為」「進行性の慢性疾患」ともいわれ、未治療の場合は、身体的・精神的・社会的障害と 様々なアルコール関連問題に直面しながら死に至る可能性が高くなる5。
図1-1-1に示す通り、飲酒者の状況は、現実問題として深刻である。2013年の厚生労働
省の調査6では、多量飲酒者が推計で約 980 万人、何らかのアルコール関連問題を有する
者が1,039万人、アルコール依存症者と予備軍294万人、治療が必要なアルコール依存症
者109万人となっている。特に、着目すべきは、アルコール依存症の専門治療を受けてい る患者数が109万人中約8万人にとどまり、わずか約7%しか専門治療につながっていな い現状についてである。
表1-1-1 の通り、2011 年の『簡易版アルコール白書』7では、死亡数、社会的費用、自
死、飲酒運転、ドメスティックバイオレンス(Domestic Violence:DV)、犯罪、女性の健 康、高齢者の介護の問題にアルコール関連問題が介在していることを明らかにしている。
表1-1-1 我が国のアルコール関連問題とアルコール依存症の実態
アルコール関連問題 実態
飲酒による死亡 年間死亡数推計
男性23,583人/女性11,405人/総数34,988人
*飲酒による死亡は、総死亡数の3.1%(2008年人口動態統計) アルコール乱用に伴う社
会的費用
2008年にあてはめると9兆3,898億円に相当(1987年GDPの約1.9%推 計)
自死者 21%が死亡1年前にアルコール関連問題を呈し、その 80%がアルコール
使用障害の診断に該当(2010)
飲酒運転 飲酒運転検挙経験者の内、アルコール依存症を疑う者の率 男性47.2%、女性38.9%(2010)
DV 刑事処分を受けた DV 事例の内、犯行時に飲酒している者の割合 67.2%
(2008)
犯罪 犯罪の背景となる割合
50代男性の窃盗23%、万引きの再犯の26%が過度の飲酒 リスクが高い女性の飲酒 アルコール関連問題へのリスクが高い女性の飲酒率
男性83.1%に対して女性60.9%。20歳代前半では、男性83.5%に対して、
女性90.4%と、男女の割合が逆転(2008)
高齢者の介護とアルコー ル問題
高齢者の居宅介護に従事する介護支援専門員、介護員等が利用者のアルコ ール問題に遭遇した率:79.1%(2009)
出 典 : ア ル コ ー ル 健 康 障 害 対 策 基 本 法 推 進 ネ ッ ト ワ ー ク ( ア ル 法 ネ ッ ト ) (http://alhonet.jp/problem.html、2014年12月10日閲覧)、『簡易版アルコール白 書』をもとに論者作成。
コール関連問題に、約 101 万人もの未治療者が直面している可能性が高く、その多くが、
内科を中心とした一般医療機関に受診していることが指摘されている9。したがって、本研 究では、残り約93%の未治療者の存在に、ソーシャルワーカーとしていかに接近すべきか に着目し考察していきたい。
2. 一般医療機関でアルコール専門医療サービスからこぼれ落ちる現実
専門治療が必要であり、それによって回復する可能性のある未治療のアルコール依存症 を患う人(以下、クライエント)10が、一般医療機関に受診していながらアルコール専門 治療を受ける機会の不平等にさらされている現象を、アルコール専門医療サービスからこ ぼれ落ちると捉えてみる。そのようなクライエントの現実はいかなるものか。その一端を 論者が、かつて実施し本研究の端緒となった実証研究の調査11(2003年7月~9月実施)か ら示す。
調査は、図1-1-2 の通り、一般医療機関においてソーシャルワーカーが実施したアルコ ール専門治療動機づけ支援(以下プログラム)を受けたクライエント 381事例を母集団とし、
さらに143事例のデータについて表1-1-2の通りⅠ群からⅦ群に分類し、典型事例の定義 化を行い、34事例について考察した。
図1-1-2 一般医療機関においてソーシャルワーカーが実施したアルコール専門治療動機
づけ支援を受けたクライエントの事例調査の概要
出典:論者作成
事例分類 特 徴 典型事例の定義化
Ⅰ群:動機づけ支 援後1年間完全 断酒
院内スタッフ、中でもアルコール専門医以外の他科(内 科)のスタッフによる動機づけ支援を活用したクライエ ントが多い。
内科スタッフから始まる 動機づけ支援を活用し、
断酒しているクライエン トの事例。
Ⅱ群:動機づけ支 援後1年間、治 療、支援は受けて いないが完全断 酒
院内の内科、外科外来の主治医による断酒指導のみで断 酒している。ただし、それらの主治医には、クライエン トが教育プログラム等の動機づけ支援を活用したこと をソーシャルワーカーからフィードバックされている。
外来主治医の断酒指導の みで断酒しているクライ エントの事例。
Ⅲ群:動機づけ支 援後1年間、再 飲酒はみられる が、治療、支援は 継続している
内科スタッフからの動機づけ支援を活用し、治療・支援 につながったクライエントが多い。
内科スタッフの動機づけ 支援を活用したクライエ ントの事例。
Ⅳ群:動機づけ支 援後、他専門病院 に転入院
動機づけ支援につながるきっかけが、アルコール性の精 神症状に対する危機介入を受けたクライエントが多い。
精神症状が落ち着き、入院形態を必要としたアルコール 治療・支援の必要性と、当該医療機関にアルコール専門 病棟がないため、他院転院となった。
精神症状に対する危機介 入から始まったクライエ ントの事例。
Ⅴ群:アルコール 以外の他問題と して支援変更
全ての事例が、精神状態のケアが優先されることとな り、介護支援等に変更となった。
精神状態のケアが優先さ れるようになり、介護支 援等に変更となったクラ イエントの事例。
Ⅵ群:動機づけ支 援後1年間に治 療、支援中断(再 飲酒含む)
治療・支援を中断した理由に、再飲酒後、病院に来院し なくなったクライエントが多い。再飲酒後、主治医から ソーシャルワーカー等他のスタッフとチームワークが 図られていないクライエントが多い。
再飲酒後、積極的な再動 機づけ支援が受けられ ず、中断したクライエン トの事例。
Ⅶ群:動機づけ支 援後1年間に死 亡
動機づけ支援を利用するところまでは辿り着いたが、身 体的問題が重篤すぎ、危機が回避できなかったクライエ ントがほとんどである。
身体的問題の危機回避が できず死亡に至ったクラ イエントの事例。
出典:稗田里香「『コンピテンス(competence)』を促進するソーシャルワークに関する実 証的研究/一般医療機関におけるアルコール依存克服に向けた『動機づけ』支援か ら」明治学院大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士前期課程修士論文、2004。
らである。四事例の全てにおいてアルコール依存症の専門治療に関する介入を受けていな い「現実」があり、生死に関わるような身体的問題だけでなく、家族関係の悪化、離婚、
失業などの社会的問題に直面しながら、専門治療や支援の機会が得られないまま、社会的 に孤立していくストーリーが確認できる。ようやく専門治療や支援につながっても、既に 身体的機能は食道静脈瘤破裂や肝不全など取り返しのつかない危機状態に瀕している。そ の結果、動機づけ支援中あるいは支援後まもなく医療機関で、また、一事例は自宅で孤独 死するという最悪の事態に至っている。
表1-1-3 Ⅶ群:専門治療への動機づけ支援後1年間に死亡
事例No. 事例概要 動機づけ支援前 動機づけ支援期間 動機づけ支援後
1
入院、男 性、40 歳代、会 社員、同 居家族
なし
本事例は約 20 年の 飲酒歴がある。
身 体 的 疾 患(食 道 静 脈 瘤 破 裂)に よ り 緊 急 入院したことが契機と なり、動機づけ支援に つながった。患者は、
支援を活用することに 消極的であったが、次 第に前向きな姿勢がみ られるようになってき た。しかし、退院直後、
身体的疾患の悪化によ り死亡となる。身体的 機能の危機状態が回避 できず、早期介入が望 まれた事例である。
結婚歴がなく、身内 との関係も希薄であっ た。一人暮らしで、飲 酒が唯一の楽しみであ った。30歳代からアル コール性の身体的疾患 で治療を余儀なくされ る。しかし、主治医か ら、飲酒に関しての介 入は一切なかった。身 体的疾患が重篤化し、
失業。入退院を繰り返 し、生活保護を受給す る生活となる。しかし、
福祉事務所からの介入 もないまま、飲酒はエ スカレートする。
身体的疾患が重篤化し、他 院からの紹介で、当該医療機 関に緊急入院となったこと が、動機づけ支援につながる 契機となった。生命危機によ る不安や恐怖を体験する。身 体的問題が回復を見せつつ あった時期に、内科主治医が 積極的にアウトリーチした。
当初、クライエントは消極的 であったが、病棟の計らいで 実習中の看護学生とともに 支援を活用し、次第にソーシ ャルワーカーに対しても心 を開くようになってきた。
ソーシャルワーカーとの 面接では、支援を受けること に対して抵抗が強く、否認の 心理を強化する要因につい て明確化する支援を行った。
その結果、教育プログラムを 修了させた時点では、専門治 療を受けることに積極性が みられるようになった。
退院後は、体 調の様子を見 ながら、可能 な限り専門医 の治療を継続 させる予定と な っ て い た が、退院直後、
身体的疾患が 悪化し、再入 院後に死亡し た。身体的危 機は回避でき なかった。
2
入院、男 性、40 歳代、土 木関係、
同居家 族あり
身 体 的 疾 患(食 道 静 脈 瘤 破 裂)に よ り 緊 急 入院したことが契機と なり、動機づけ支援に つながった。患者は、
支援を活用することに 消極的なまま、支援を 開 始 す る 直 前 に 急 変 し、死亡となる。身体 的機能の危機状態が回 避できず、早期介入が 望まれた事例である。
治 療 を 余 儀 な く さ れ る。禁酒、再飲酒のパ ターンを繰り返してい た。身体的疾患が治療 を要する状態にあるに もかかわらず、治療を 放棄し飲酒がエスカレ ートしていった。家族 の指摘にも応じず、ま た、医療機関からの積 極 的 な 介 入 も な か っ た。
関に緊急入院となったこと が、動機づけ支援につながる 契機となった。生命危機によ る不安や恐怖を体験する。
ソーシャルワーカーとの 面接では、支援を受けること に対して抵抗が強く、否認の 心理が強化している要因を 明確化する支援を行った。し かしながら、教育プログラム を開始する直前で、急変し、
死亡する。
なったため、
支援後の状況 は分析できな い。
3
入院、男 性、50 歳代、無 職、同居 家族あ
り
本事例は、約40年の 飲酒歴がある。
身 体 的 疾 患(食 道 静 脈 瘤 破 裂)に よ り 緊 急 入院したことが契機と なり、動機づけ支援に つながった。支援を活 用 す る こ と は 積 極 的 で、アルコール専門病 院での断酒に向けた治 療を受ける決意をする に至った。しかし、専 門病院に転院直後、急 変し、再び当該医療機 関に戻って間もなく死 亡した。身体的機能の 危機が回避できず、早 期介入が望まれた事例 である。
10歳代より、飲酒に よる問題が続出してい た。周囲からの指摘も あったが、否認が強く、
自宅にひきこもって飲 酒する期間が長期に及 んだ。そのような状況 の中で、患者の記名力 障害が顕著となり一段 と飲酒がエスカレート した。
身体的疾患が重篤化し、他 院からの紹介で、当該医療機 関に緊急入院となったこと が、動機づけ支援につながる 契機となった。生命危機によ る不安や恐怖を体験する。身 体的問題が回復を見せつつ あった時期に、内科主治医が 積極的にアウトリーチした。
患者は、ソーシャルワーカ ーによる動機づけ支援を積 極的に活用した結果、アルコ ール専門病院での継続した 断酒治療を希望するに至っ た。ソーシャルワーカーは内 科スタッフや専門医と連携 を図り、専門病院への転院調 整を行い、転院することとな った。
アルコール専 門病院へ転院 直後、身体的 問題が急変し 死亡。
4
入院、男 性、50 歳代、無 職、同居 家族な
し
身 体 的 疾 患(ア ル コ ー ル 性 末 梢 神 経 障 害) により他院から紹介さ れ入院したことが契機 となり、動機づけ支援 につながった。支援を 活用することには積極 的で、退院後も断酒に 向けた行動がみられる ようになった。しかし、
9 ヶ月後に、自宅で死 亡しているところを発 見される。死因は確認 できないが、おそらく、
身体的機能の危機によ るものと推測される。
早期介入が望まれた事 例である。
た。仕事中の飲酒や浪 費 な ど か ら 離 婚 と な り、飲酒がエスカレー トした。さらに失業も 重なり、社会関係から 全く孤立した状態とな る。
関に入院となったことが、動 機づけ支援につながる契機 となった。神経内科主治医が 積極的にアウトリーチした。
患者は、ソーシャルワーカ ーによる動機づけ支援を積 極的に活用した結果、断酒に 向けて支援の活用を継続す ることを決意した。
の治療を定期 的に受け、断 酒を継続して いたが、9ヶ月 後に自宅で死 亡していると ことを発見さ れる。死因は 確認できない が、身体的危 機が継続され ていたものと 考える。
特徴
飲酒歴が長期にわたっ ている、社会的(人間関 係を含む)・身体的問題 の深刻化、社会的孤立、
動機づけ支援を働きか ける人なし、早期介入 が望まれる。
身体的問題の悪化(生命危機)、内科アウトリーチ、ソ ーシャルワーク面接(ラポール形成、問題を共有、苦 しみを共感)、支援中死亡。
支援中死亡(身 体的問題)。
出典:稗田里香「人権視点に立ったアルコール依存症者へのソーシャルワーク実践/一般 医療機関の実態から」北川清一編著『社会福祉の未来に繋ぐ・大坂イズムの継承/
「自主・民主・平和」と人権視点』相川書房、2014、100-101頁より一部修正。
四事例の全てがアルコール依存症の専門治療に関する介入を受けておらず、生死に関わ るような身体的問題だけでなく、家族関係の悪化、離婚、失業などの社会的問題に直面し ながら、専門治療や支援の機会が得られないまま、社会的に孤立していくこととなる。よ うやく専門治療や支援につながっても、既に身体的機能は食道静脈瘤破裂や肝不全など取 り返しのつかない危機状況に瀕している。その結果、動機づけ支援中あるいは支援後間も なく医療機関で、また、一事例は自宅で孤独死するという最悪の事態に至っている。
このような危機状況にあるクライエントは、「絶望感など自らの存在意義を問わざるを 得ないほどのスピリチュアルペインを経験する可能性が高くなると考える。このペイン(痛
第2節 一般医療機関におけるクライエントのスピリチュアルペイン
1. 一般医療機関におけるクライエントの事例からみるスピリチュアルペイン
A (男性、50歳代、元会社員、同居家族あり)は、身体的疾患(食道静脈瘤破裂)により一
般医療機関に緊急入院したことが契機となり、主治医よりアルコール依存症と診断され、
ソーシャルワーカーが実施するアルコール教育プログラム(以下、教育プログラム)を受け るよう勧められる。アルコール性臓器障害で、既に10回の入退院を経験しているA であ ったが、アルコール依存症と診断されたのは初めてであった。Aは、インテーク面接にお いて「自分は依存症ではない」と否認し、教育プログラムを受けることに対して強い抵抗 を示した。ソーシャルワーカーの問いかけなどにほとんど応じず、拒否的態度をとってい たが、教育プログラムが最終回となった時、声を震わせ感情をソーシャルワーカーにぶつ けた。「自分は、単身赴任で家族と長い間離れ、全国に点在する閉鎖寸前の工場再建に全精 力を傾け立て直してきた。再建するにあたっては団結が必要で、そのために飲酒を介在さ せる必要性があった。その飲酒が原因で身体を壊したのにもかかわらず、働けないという 理由でまるでぼろ雑巾のように会社から捨てられた」と怒りを露わにした。健康を犠牲に して人生を捧げた仕事を奪われた空虚感、理不尽感、家族も失いかけている孤独感、命を 脅かされている不安感や恐怖感に苛まれている自分を誰にも分かってもらえない絶望感や 喪失感などの苦悶などを、はじめてソーシャルワーカーに語りかけた。ソーシャルワーカ ーは、このような背景がクライエント自身の否認を強化していたと捉え、そのような危機 感を持つことは当然のことと伝えた。さらに、これまでの人生の過程と、現在回復に向け た教育プログラムに取り組んでいるAに対し心から敬意を表した。この面接を契機に、A は教育プログラム終了後、次の回復のステップであるグループワーク支援(院内ミーティン グ)に自ら進んで参加するようになった(下線は、スピリチュアルペイン)13。
この事例は、一般医療機関において、アルコール性臓器障害から 10 回の入退院を繰り 返したクライエントを取り上げたものである。まさに、アルコール依存症に関連した危機 的状況が引き金となり、ライフ(Life)が脅かされた際に感ずる空虚感、孤独感、絶望感(実 存的危機感)や、人生の意味・目的・価値の喪失感、存在の喪失感、理不尽感といった生々 しいスピリチュアルペインが伝わってくる。その一方で、スピリチュアルペインは SOS の重要なサインと受け止めて良いであろう。スピリチュアルペインを第三者に伝え、共感 が得られる体験を通して、回復の契機につながる可能性が生まれるとも考えられる。つま り、スピリチュアルペインの表出を助けることは、事態が好転する可能性を引き出すとも いえよう。
ただし、スピリチュアルペインの表出と支援は、より早い段階で果たされることが望ま
きても職を得ることができず貧困状態から脱することが難しい。また、重症化したアルコ ール性臓器障害によって日常生活に支障が出る、あるいは、身体的な生命危機にさらされ るなどの重篤な生活課題に直面し、より深刻化し重複したスピリチュアルペインを経験す る可能性が高くなる14。
2. スピリチュアルペインが潜在化する構造とその要因
しかしながら、既述の通りクライエントの多くが、例示した事例のように一般医療機関 の受診や入院を複数回経験しているにもかかわらず、アルコール依存症そのものの治療を 求めて一般医療機関を利用しているクライエントは1割にも満たない実態がある。むしろ、
図1-2-1に示すように、あたかも海面に浮かぶ氷山の一角のごとく水面上の臓器疾患や精
神症状の治療・支援を第一義的な目的として来院している。
図1-2-1 一般医療機関に潜在化するアルコール関連問題とスピリチュアルペインの
イメージ(氷山の一角の図)
出典:稗田里香「アルコール依存症者のスピリチュアルペイン」『ソーシャルワーク研究』
第38巻第4号、相川書房、2013、45頁。
かもしれない」というような耐え難いスピリチュアルペインを伴って、来院している可能 性が高い。それにもかかわらず、専門家の関心は体や心の痛みに関心がとどまっている。
すなわち、体や心の痛みのみ「見えている(論者の造語)」ため、スピリチュアルペインの 呻きは伝わり難いのである。アルコール依存症は、回復が可能な患いである。他の多くの 疾患と同様に、早期発見・早期支援によって、悪化を防ぎ社会生活への支障を最小限に食 い止めることができる。
しかしながら、クライエントの多くが一般医療機関に受診した経験があるにもかかわら ず、アルコール依存症であることを知る機会がなく、患いは長期化し、その間に多くのラ イフが脅かされる。そして、医療者は、このような患者の存在を積極的に見ようとしない。
このように、一般医療機関においてアルコール依存症は、医療者が強い関心を持って【見 ようとしないと見えない】15患いなのである。
こうして、クライエントのスピリチュアルペインは、水面下に隠されたアルコール関連 問題とともに潜在化していく。一般医療機関に潜在化するアルコール関連問題とスピリチ ュアルペインとの関係は、このような構造をイメージする16。
さらに、アルコール依存症の回復に向け積極的なアウトリーチを図っている一般医療機 関も決して多くないのが現状である17。すなわち、クライエントのスピリチュアルペイン に耳を傾ける体制が、質・量ともに脆弱なため、クライエントが医療機関を含めた社会の 中に埋もれやすい要因になっていると考える。なぜ、クライエントのスピリチュアルペイ ンが潜在化しやすいのか。その要因課題として、以下の四つが考えられる。
1) 潜在化の「内発的要因」:「否認」の課題
一般的に、過剰なアルコール摂取によって引き起こされた合併症の改善を目的に来院す るクライエントの心身の状態は多様である。例えば、職場の検診で明らかとなった肝障害 の精密検査や、胃腸障害、うつ状態の治療、あるいは、アルコール性肝硬変の合併症であ る食道静脈瘤破裂の大量出血により瀕死の状態で緊急入院し、一命を取り留めるなどとい った危機的状態に直面している者も少なくない18。
しかも、クライエントの多くが、自分の身にふりかかった健康問題が過剰なアルコール 使用に起因することを自覚している。医師からも禁酒を厳しく指導され、同意する。とこ ろが、退院後ほどなく飲酒は再開され、同様の治療や入退院を繰り返す場合が多い19。
アルコール依存症の正体は、まさしく「頭で理解できても身体が欲する」といわれる病 的飲酒欲求にあることから考えるならば、一般医療機関におけるクライエントのあり様は、
むしろ未治療のクライエントの自然な姿といえよう。このような欲求を満たすには、アル コールを摂取する正当な理由が必要となる。「少量なら大丈夫」「そんなにひどくはない」
「自分はアル中(アルコール依存症)ではない」など、様々な理由づけをしながら、問題を 過小評価する、あるいは、問題そのものを認めず飲酒を継続する。これを「否認」の心理 が強く作用している状態と捉える。
も打ち明けられず、アルコール依存症そのものの問題解決を放置することとなる。しかも、
アルコール依存症は加速度的に進行し、クライエントの社会生活は、ますます危機的状況 に晒され、深刻なスピリチュアルペインの経験を重ねていく。それは、あたかも「蚊取り
線香」(図1-2-2)のようにじりじりと消耗し、最後は全て灰になるがごとく死に至る可能性
が高くなるのである。
図1-2-2 アルコール依存症の自然死(蚊取り線香型悪循環)
出典:高木敏「内科領域からみたアルコール関連疾患」斉藤学ほか編『アルコール依存症 の最新治療』金剛出版、1989、43頁。
2) 潜在化の「外発的要因」:スティグマの課題
クライエントを苦しめるスピリチュアルペインの潜在化を強化するもう一つの要因とし て、クライエントに対するスティグマの課題があげられる。窪田暁子は、この課題を「ア ルコール依存に陥っている人々は援助を求めて専門機関を訪れても、なかなか適切な治療 や援助が得られない」「そればかりでなく医療機関でも、福祉相談機関でも、アルコール問 題があるというだけで厄介物扱いにされることが多く、またそれらの場所で出会う人々崩 壊していく様子をみせていること、そして社会一般にもアル中は治らない、という見方が 強く存在する」と言及する。つまり、クライエントは「社会的には落伍者とのレッテルを 貼られ(中略)治療や援助の専門家や専門機関から閉め出」されるという「二重の壁」20に回 復の道を阻まれ、より強固な「否認」の悪循環構造に呑み込まれ、スピリチュアルペイン が埋もれることになる。この「二重の壁」をつくり出す要因については、医学、社会学が 各々の立場から行う以下のような指摘の中にうかがい知ることができる。
飲酒開始 正常飲酒者
大酒家
自己抑制欠如 飲酒量の増加
遺伝的素因 環境
身体疾患
内科医
治療=断酒―治療 軽快
再飲酒 死亡
らず、回復することが難しい疾病概念として捉えられている。この問題について、アルコ ール専門医の立場から、猪野亜朗は「(一般)医療機関では、臓器障害は検査データに従っ て、診断され、治療されていく。(中略)検査データだけではアルコール依存症は見えてこ ない。心の病いであるから、当然検査結果には引っかからない。(中略)現代内科学は臓器 障害は治せるけれども、アルコール依存症は放置されたままなので、当然再飲酒によって 臓器障害の悪化、アルコール依存症の進行、家庭崩壊がもたらされていく」21という。そ のようなアルコール依存症者に対して「医療スタッフには無力感のみが残され、燃え尽き、
飲酒問題を抱えた患者は適当にあしらうという姿勢ができていく」22こととなる。猪野は、
これらの実情を「医学教育全体の問題であり(中略)検査データに従って、診断され、治療 されていく(中略)細分化され、専門化された現代医学そのもの欠陥」23と言及し、クライエ ントに対する一般医療機関のあり方に楔を打ち込んでいる 。この問題を、クライエントの スピリチュアルペインが潜在化する壁の一つとして捉えておきたい。
(2) 「イメージ」の課題
壁をつくり出すもう一つの要因は、「イメージ」の課題である。この点については、複数 の研究者が指摘している24。中でも、社会学の立場でアルコール依存の研究を進めている 野口裕二は、ゴッフマン(Goffman,E.)のスティグマ理論に依拠しながら、アルコール依存 における「イメージ」の問題構造について明確化することを試みている。すなわち、アル コール依存にはスティグマが伴っていると提起し、その理由を、アルコール依存に対する 4つの「否定的イメージ」によるとしている。それは、ⅰ)「自業自得のイメージ」、ⅱ)「と らわれのイメージ」、ⅲ)「逃避のイメージ」、ⅳ)「落伍者のイメージ」である。その上で
「これらの『否定的なイメージ』に彩られて、アルコホリズムは、(中略)スティグマの付 着した病気として我々の社会に存在している」25と指摘する。さらに、そのようにイメー ジされた「状態を克服できないでいることに対するスティグマがもう一つ存在する。『意志 薄弱』というスティグマである。(中略)(この『スティグマ』は)社会により根深く浸透する」
26と言及している。
現在、一般医療機関においては、クライエントに対して「意志を強くすること」「がんば って量を減らすこと(節酒)」などの指導のみにとどまる傾向が強い。つまり、アルコール 依存症という根本的な問題にアウトリーチすることなく、むしろ、本人の「意志薄弱」へ と問題がすり替わる形で対応が終結する実態が見受けられる。このような側面に「スティ グマ」の構造が根深く浸透しているあり様を見出せよう。
したがって、一般医療機関に潜在化するクライエントは、否認(内発的要因)とスティグ マ(外発的要因)の構造によってスピリチュアルペインの表出を阻まれ、回復する力が脆弱 化し、医療や支援を受ける権利が侵害される対象者となりやすい側面を抱えていると考え る。
3) 精神障害に対する偏見で生じる医療の課題