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トレノ  シテス リ

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(1)

津山高専紀要第13号(1975)

らうとする者においてはなほ更然りである︒

主たる参考文鰍︑

素堂家集 詩之部︵國會圖書館藏寓本︶

素堂家集︵俳書集覧所牧︶

素堂の詩文︵﹁石楠﹂昭和三年四月號︶

素堂の詩境凡ならず︵同︶ 攻窩久藏考訂次窩久藏編高木蒼梧稿

國府犀東稿

一96一

(35)

(2)

仁枝 山口素堂の漢詩

心地二︑迭中秋︵馨二︑その豊塊風色︑雷鳥清幽

積陰︑老年︑姻嵐︑駒陰︑寸心︑記得︑天柱︑天工︑白雲︑主

賓〜促などは二乃至四品にわたって使用せられてるる︒それも

全詩五十二首であるから素堂の語彙詩語を考へる時に問題とな

るであらう︒

 これらのことを考慮して素堂の漢詩を見るとき︑寡作であっ

て日本漢詩史の中においては何としても物足りない︒三富氏の

言はれるやうに壁代第一流の作家といふ評償は溢美に失すると

思ふ︒︑素堂が俳壇に占める地位ほどには評早出來ないであら

う︒例へば林豊山︑石川群山︑物租徐︑新井白石︑伊藤東涯︑

太宰春毫など素堂と相前後する人達に伍して︑その量において

も質の面でもやは紅頷頑することは困難であらう︒しかし⑳歳

末吟 ⑳琵琶湖を過ぐる作 63枝暉坊の吟 圃狙橋 紛古府中

 幽身延山麓の吟などは︑誰人も秀作として納得出來るであら

う︒秀抜の作が四五首あれば詩人として詩史に名を列ねるに足

ると思ふ︒この灘我が國の漢文學史の編纂者は素堂を忘れてみ

る︒語彙は比較的少いやうであるが︑その背景や出典について

見ると多岐にわたってみる︒これは前の訓解を見ていただけれ

ば分るであらう︒終りに漢文の造詣を知るために︑ 二字墨田

集序﹂を見たいと思ふ︒       テ ミ        ヲ   ニ トス ヲ       ス法徳水子︒嘗好二俳優之句一︒鴻業レ之︒遍來撰ニ     ヲ レ ナル ハ ニリテヲ ニ キヲ字熊笹山集一︒ 夫幽尊命者︒ 鷹下取二塁離耐忍一事除レ西南 ズルヲナルク シ ニサシト長レ蘭之意上︒我聞楚客之三十碗︒悔不レ爲レ少焉︒

 モ スト ヲ      ニ   ダ ハ キルル ヲ         ノ錐レ鯨二三三千三一︒未レ能レ無二三レ梅之怨一 ︒斯集也︒

 シ  ヲ       ニ  シテゲテ起二筆剛性之一宇一︒巻斗二情心忠孝仁義禮智始

     テ      ヲ   テ終末等総百字歯音﹁一︒.以花木芳草︒鳴禽吟本四    ニ  ス  ハ セ・セテ   レ  ゾラン   序︒當二身賞一風物︒併載而不ゾ遺焉︒.何有レ怨鴨乎︒又ヌルニキノ   ヲツテル ノ原三斯集之所二戸來一︒前岩城之城主︒風虎公所レ

スル       ノ      ノ  ︑ヒ ルヲハレ撰之夜錦邑櫻川・信太浮・島ゆ此面・部集︒愁レ不レ行頭  ニ テ シリノ     ヲ フニニ此世一也︒伍抜下墨自二塁三部集一若干聖句上︒副レ之       ノノクフシテノノキフバ ク古風時世赦之中︒四花可・祝︒三三三三レ食者︒壷 ヒヲメヲテノニ シテ   ヲ  ス拾レ之纂レ之︒参詣首引二讃倭歌漢文.一︒而・爲二風︑雅之 トレノ  シテス リ 

媒一︒是編者微意也︒可二面愛一焉︒從ゼ是夜詰不ご夜

 ナラ    モ ム ヲ       ホ フガ ニ    モ リト   ハクニシテノ錦一︒浮嶋定レ所︒野川猶レ逢レ春 ︒難.レ然人︑心如レ面   ナラ  ハ トシテ ヲ トシ ヲシ  ニ ス ヲ  カ ラン ン而不レ一︒或是レ自画レ他︒︑護爲レ.読︒誰知二其眞非眞 ヲ  ルデ ノヲ     クス ノヲ是一︒各不レ出二宮.非間一瞥︒至相器.人品無二新︐古型一︒ レノゾ フニレ   ハ  テスト   

是何位耶︒想夫天地之道︒感興爲レ常︒俳芸風盤 タレリニキニレ  ハラシテセルラ ル亦是然︒寒附熱離︒時之勢自.不レ期レ然而然者也︒ テ カラズ     ハ ルノヲ    ニが強将レ可レ論焉︒一徳水子︒知二斯趣一之人也︒爲レ之    ス素堂書︒

この文は韓退之や蘇東披の影響が想像せられるのであるが︑特

に﹃周易﹄ ﹃荘子﹄の理論を騙使して読を嘉してみる︒格調も

高く洒脱で俳書の序としてふさはしいものである︒この一文で

素堂の漢學の素養を窺ふに十分である︒就中簡輩ではあるが彼

一流の俳論が語られてみることは注意を要す呑と思ふ︒︑要旨を

示すと︑俳譜には作者それぞれに三三があって︑何れを眞理と

決定出託るものではない︒また天地自然の道と同じく︑攣化す

るものであるとも論じてみる︒この立場が談林・蕉風の何れも

是として︑不即不離︑よく卓然として其の聞に猫屋の地歩を占

めた所以であったと思ふ︒

 之を要するに素堂を知らうとする者は︑その俳讃は勿論♪漢

詩漢文について理解する必要があらうと思ふ︒素堂の確立を知

(3)

(33)

津山高専紀要第13号(1975)

 るを以て︑去らば盲從せしものか如何︒

と﹃俳譜二百年史﹂の著者の如きは論じてみると引用せられて

るる︒ ﹃俳譜二百年史﹄の著者は齋藤浮舟である︒これに卑し

て國府犀東氏の論を聞くと︑

 宋人の唾飴を拾はず︑瞥見の下風を拝せず︑隻かに漢魏六朝

 の⊥にまで︑隣ぼつて先秦周季に力を得てみる︒濫蓄の蕾な

 らぬ詩壇の一罪壁であるかのやうに見える︒さうして殊に古

 文僻學派の起り來らんずる先躯をなし︑宋儒道學者流の口吻

 を一旦し去った︑ 一新機軸の新作家であるやうに認めらる

 X︒詩人としては︑多少箇様に褒め構へてもよいような境地

 を得てみるといってもよからう︒⁝⁝この詩境が後代輩出し

 た千梅醤紅︑麗絶奇蕗を競ふ詩人のそれよりも高く卓越した

 といふところに見上げるべき風骨がある︒⁝⁝何だか從來作

 つた吾輩の駄作を悉皆焼き棄てたくなった︒

と殆ど相反する評贋がある︒私は素堂の詩を随分迷惑なものと

の論に到底承服出來ない︒これは詩を吟味して見れば直ちに首

肯出勝るはずである︒犀東氏の論の︑後の江戸時代の詩人たち

より高く卓越したと云ふのも溢美に失すると思ふ︒そこで卑見

を思ひつくままに述べて結びとしたいと思ふ︒

 ﹁一 素堂は寡作の人であったが︑俳譜に比しても著しく少

いので︑これだけでは漢詩人として一流の地位は占めることが

困難であらう︒またこれだけでは素堂の贋値を決定することも

出馬ないと思ふ︒特に作品中歳末歳旦の吟十八首︒旅行中の作

十五首︒これで全作の牛ばである︒想ふに相當敷のものが失は

れたのではあるまいか︒從って今後書幅や色紙などの倭見も可

能であらう︒芭蕉も蕪村も今なほ計りである︒これが出跨れば 更に評償も確立するであらう︒ ﹁二 前に国府犀東氏が傳窮の際の誤字ではないかと思はれるものが少くないやうであると述べられたことを既に記したが︑私も一讃して其のことを感じた︒然し詩人である國府氏が︑誤篤と思はれる字について何ら燭れられてるないことは誠に残念である︒後註の引用の詩についても︑明かに誤字であっても特に指摘されるところがない︒そこで私は文脈から判断して︑恐らくこの字の誤りではないかと考へられるものについては︑訓解のところで卑見を述べた︒漢詩は周知のやうに押韻・李灰の法則があって︑律・絶句の近髄においては嚴重である︒さう云ふことも判断の根嫁として︑敢て臆測を披露したのは︑未だ増増も爲されてるないこともあって︑大方の叱正や意見を承りたいためでもある︒ ﹁三 訓解の中で困れたところであるが︑拗艦の詩が若干目につくことである︒詩型に近膿では好ましくないことであるが︑彼の地の高名の詩人にもないわけではない︒しかしこれが多いと押入としでの評贋は自ら低下する︒素堂の場合或は未定稿のものもあったのではないかとも思はれる︒ ﹁四 同じ詩語詩句が他の詩中にそのまま使用せられてるるのが多い︒また類似の語句が散見するのも氣になるところである︒その詩を一首だけ取った時には何の抵抗も感じないが︑他の詩で同じものに埋れると不調和の感を抱かざるを得ない︒或は初案と再案が土ハに傳へられたものもあるであらう︒再三にわたって使用せられた語について見ると︑尭日春風二︑心見破十

二︑簿︵附︶水中杢︑雪残花外花二︑名走利棄穐麟︶二︑向芳辰二︑牛塁雨︵瀦=︑馨董墨︑占馨二︑鞭

一98一

(4)

仁枝 山口素堂の漢詩

       筆軸レ之︒ 首陽山﹃史記﹄三豊傳に︑画塾已平二殿舎一︒天

 下宗レ周︒而伯夷叔齊恥レ之︒野鴨レ食二周粟︷︒隠二巴首       陽山︼︒釆レ薇而食レ之︒途餓二死於首陽山一︒ 飯穎山﹃聯

 珠詩格﹄黄君度の乞レ米に︑恨不レ移二三二五山一︒却三一レ

 誘導二託顔⁝︒首陽山豊是無本曇一︒癩下屋二清潔一落中世

 間上︒陶暦に﹁乞レ米﹂︑顔魯公に︑ ﹁乞米帖﹂がある︒

圃  言立銘

       ノ      ナ        イデ ヲ一笠一天地︒一身一葉心︒江山皆奮友︒仰・月

 ス    ニ

臥二花陰一︒ ︵侵韻︶

﹁通解㎜この一箇の箏曲の中に一つの天地がある︒これを著け

 て行脚する時には︑この身は一葉の風に吹かれて漂ふ思ひで

 ある︒山も川も善友の如くなつかしく︑行き暮れては月を仰

 いで花の下に眠るのである︒

 以上簡軍な訓解を附して素堂の現存する漢詩五十二首と︑銘

などの韻文四篇について見て來たのであるが︑訓解を附したの

はその背景出典を考察するのが目的であった︒引用の詩の出典

は當時流布したものを主とし︑また素堂が目を通したと思はれ

るものを掲げた︒書名を明かにしてるないものはその別集︵家

集︶である︒例へば杜甫は﹃杜工部集﹄︒白居易は﹃白氏文集﹂

である︒また陶淵明の作品は﹃淵明浜﹄にあるが︑ ﹁文選﹄や

﹃古文眞寳﹄に見えるものは︑この書名を墾げた︒これは後者

の方を一般的であると考へたからである︒これら.によって素堂

の俳譜と同じく︑漢詩についてもその背景を考へる上に参考と

なるであらう︒國府犀東氏は﹁翁は宋入の特色を取入れ﹂る︵⑱

の評︶とか︑ ﹁宋儒の作︑宋入の什を少からず愛讃した﹂ ︵働

の評︶とか︑ ﹁宋代の新流行であった詞蘇の調子をも取入れ︑

⁝⁝元明以後の詞曲をも心得てみた詩の先達であった︒﹂ ︵働

29フ評︶と述べてをられるのであるが︑宋人の詩を特別に讃み

且つ矯取しょうとしたものではなくて︑﹃錦繍段﹄﹃聯珠詩格﹄

等によつて讃んだものと考へられる︒また郡康節の﹃撃壌集﹄

は寛文九年に開板せられたが︑素堂はこの書を熟忘したものと

思はれ︑彼の詩語もこの集中に見えるものが甚だ多く︑素堂研

究上に注意を要するものと思はれる︒また﹁三五七言﹂二首

は︑詩絵の調子を學んだのではなくて︑ ﹃古文眞寳前集﹄の李

白のコニ五七言﹂を學んだものであらうと思はれることは既に

述べたところである︒かかることに出典を研究しなければなら

ぬ所以があるのである︒

 高木蒼梧氏の﹁素堂の詩文﹂は僅か一頁足らずの短いもので

あるが︑先づ素堂の高い評償の説を掲げ︑ ﹁その漢學的造詣甚

深にして︑測り知る可からざるものがあるが如く導く者があ

る﹂と云ひ︑

 含英随記の筆者伯毅の父の人見竹洞は︑素堂と睨近の聞柄で

 俳交もあり︑蟹守は素堂と同じく甲州人である︒お愚者の素

 堂を大きく見せんが爲めに︑過褒誇張の言を成したるもの︑

 是等の言は割引して聞かざる可らず︒何となれば元腺時代の

 片聾方面に︑學者として詩人として何等傳はる所なく︑その

 今日傳はる詩文に徴し︑素堂を以て一廉の詩文に精通ぜるも

 のx如く云へるは︑甚だ以て解すべからざる所なりとす︒素

 堂の詩文の如きは随分と迷惑なものにして︑精通とか巧妙と

 かいふべき程のものにあらざるを︑芭蕉が之に精通云々せる

 は︑.悪く之を解繹する時は彼は素堂の詩文に盲從せしもの

 か︑或は阿諌せしものかといふに定まるバ︑し︒されど芭蕉は

 敢て素堂に限らず︑何人に思しても阿談せりと認むる能はざ

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(31)

津山高専紀要第13号(1975)

た花といった様子だ︒一むらの花は散りかかり︑一むらは新

たに花を響けてみる︒詩文を愛好する人たちは︑これを見よ

うと尋ね然る人が多い︒紫の花は過ぎ紅の花は返り険くとい

った風に︑かくして又春が來るのである︒

 以上で五十二篇の詩について考察したのであるが︑韻文とし

て次の四篇がある︒これは文章中に見えるもので︑既に一般に

柱心が持たれてみるので︑略解のみ付することにした︒

63@簑轟詞︵假に名づけて︶

        フ    ニ     トシテ シ  ヲ    トシテ ル  ニ簑三三轟︒偶三二園中一︒面容侵レ雨︒粛然乗レ風︒

   トトシ ニ       フ  ヲ     スニ ス  ヲ   ハ ム スルヲ ト白露甘レロ︒青苔掩レ躬︒天許作レ隠︒我憐レ裕レ翁︒

 メマルルヲ  ニ  スハルルヲ  ニ  シテ  ヲ ル カラン ノリヲ諌・啄二馬弓︒制・梯・家童一︒脱・薄衣一撮︑誰知・其三一︒

 右の外に﹃風俗文選﹄所牧のものがある︒        チテ ル   ニ      シエント     ニ シ 簑足場轟︒落入二臆中一︒一直欲レ絶︒寸心共空︒

 タルモ   ノ  ニ   シ    ノ        シトシ ニ      フ ヲ 似二奇回状一︒無二蜘蛛工︒白露甘レロ︒青苔粧レ躬︒

  トシテ シ ヲ   トシテ ル ニ      レムコト     ズルコトヲ 從容侵レ雨︒瓢然乗レ風︒栖鴉莫レ啄︒家童禁レ叢︒   スニスヲ ハムスルヲトシテ  ヲル カランノリヲ 天許作・隠︒我憐・構レ翁︒毛脚馬衣一三︒誰識二三終一︒

 ︵東回到底︶

一通解一実轟よ︒お前と偶然園中に逢った︒その檬子はゆった

 りと雨をしのぎ︑ふらりと風に乗ってみるのであった︒お前

 は白露を甘しとして飲み︑青い苔で身を包んでみる︒天はお

 前に隠遁者となることを許した︒私はお前を簑着た翁と云は

 れるのを不便に思ふ︒しかし簑を着てみるのは野鳥に啄まれ

 ず︑悪童に取られることのないためである︒さてお前は古い

 簑を脱ぎすてて何庭かへ行つでしまったが︑誰もお前の終り

 を知る者鳳ない︒さてもお前は誠の隠者だわい︒ 翻 . 芭蕉之文毫二見銘      ンデスシノヲク ヲ四.友之外︒窓前並 面︒窺二会行雲一︒開二芭蕉扇一ゆ    シヲ ラスト ケレハニジナルト葦海作レ航︒文山爲レ桟︒不レ謡講レ崩︒壽慮レ同レ硯︒

︵霰韻艶醗騰︒︶

 通解 この文塁は文房の四友の中には入ってみないが︑窓邊

 に四友と共に面して置かれてみる︒嘗て西行法師が硯の下に

 扇を敷いて文毫としたことに習って︑芭蕉扇の給をかいた︒

 葦軸の筆で硯の海を航海し︑山と積まれた詩文の原稿をかけ

 橋とする︒堅牢で鉄けも崩れもせず︑生命の長いことは硯と

 同じく幾代も傳はるのである︒

      

 ︑四友 筆硯紙墨︒ ﹃文房四譜﹄に︑管城二毛元鏡︒筆也︒師墨三石       虚中︒硯也︒好時侯楮敬白︒紙也︒松滋侯易玄光︒墨也︒ 芭蕉扇

      り      ヨコ    ﹃圓機活法﹄通用門に︑芭蕉屍︒以二芭蕉葉一作︒ 不レ歓不レ

       崩﹃毛詩﹄小雅・天保に︑如二南山壽一︒不レ窺不レ崩︒ 壽慮レ

        

  同レ硯 ﹃古文眞寳後門﹄唐子西の古鴫野に︑筆之壽以・日︐計︒

  墨之壽以レ月計︒硯之三二レ世計︒

一瓢重二岱山一︒自笑稽二箕山一︒莫・習二首陽山一︒這     クヨリラツテス ト レフコト ニノ 65@ 大野四山銘

中飯穎山︒︵韻脚山︶

一通解一この四山は一箇の瓢にすぎないが泰山より重いのであ

 る︒笑って自ら・を箕山に隠栖した許由に比べてみる︒首陽山

 に薇を折って死んだ伯野島齊に習ってはならない︒この中に

 は飯粒が満ちてみるのだ︒

        ﹂一瓢重二岱山一岱山は泰山・太山とも書く︒ ﹃文.選﹄・司馬遷の

  報二影回↓書に︑人固有二一死一︒死或重二於泰山一︒域輕二        於鴻毛︸︒ 箕山﹃蒙求﹄の許由一瓢に︑逸士傳︒一二憾二

  箕山一︒無二盃器︼︒以レ手羽レ水飲レ之︒入遺二一瓢↓︒得二以

﹂操飲一︒飯詑弊宅於水上一︒風吹渥渥有レ聲︒由以爲レ煩︒

一 100 一

(6)

仁枝 山口素堂の漢詩

(52)

嵯峨   ブ       ニ       シ季秋遊二嵯峨之厭離庵一︒爾三︑細行亀二大.  ノニシテル ノヲ 

井川清槍玉︒坐看二小倉山閑雲一︒野中貯ニ

    ヲ    フ  ヲ       ト       ク四時之花一︒謂二之四時叢一︒我聞二三﹁闘大      ノ         ヲ夫雪道西之蘭︒五柳先生三樫之︑菊一︒風.

 ハ チ      モリト  ニ スルノミニシテ      ヲ流則風流也︒難レ二目愛二 一様之花一︒而

  ネカラ    ニ         スル ヲ   シ フ レリト   ハ不レ周二四時一︒主人之愛レ菊︒可レ謂レ至  ︒我

 フ スルハ ヲ     ナル   スルハ ヲ     ナル   スルハ懐︒.愛レ花心之和也︒愛レ水心︑之清也︒愛レ ヲ  ナル ノバ クシテ  カラ ニリ山心算静也︒此等水近而山︑不レ遠︒花曇ニ

         ヒ  ス   テ  ス   レリト四蒔叢一︒心與レ境相適︒盛土二面至一︒吟賞

   シテ    ヲ リヌ之余︒題二一絶一去︒・

.︵餓Y陰暦九月︑嵯峨の厭離庵に遊んだ︒二三日大井川の清らかな分流の傍に出で︑坐って小倉山の静かな雲を看た︒厭離庵の園中には四季の花を植ゑて四時叢と云ふ︒私は屈原の九碗の.蘭や︑陶芸の三脛の菊は聞いてみる︒これらは風流といふ黙では風流である︒しかしこれはただ一種の花を愛するのであ つて︑春夏秋冬の花に湿るわけではない︒この庵の主人の花を愛する最上と云ふことが出來る︒思ふに︑花を愛するのは心のやわらぎであり︑水を愛するのは心の清浮であり︑山を愛するのは心の静穏である︒この地は水は近く山も遠くない︒そして花は四時叢がある︒これは心と土地がらとが相適するものである︒諄しみの至上のものと思ふ︒嘆賞のあまり︑七絶一詩を記して去った︒ ︵余は鯨であらう︒︶

新序分レ珍花作レ隣

一叢邊レ古一叢新

文賓詩客爲レ之悶

紫往耳隠又向レ春

一三隅 眞韻

   コ    作︒ 季秋 四割 珍ヲ分ツテ花 隣ヲ作ス

一叢ハ古キヲ早り一叢ハ新タナリ        おほ文藝 詩客 之が爲二闊シ

紫ハ往キ紅ハ還り又タ春二向ハン

     この詩は国㊤①剛63などと同じく差添十一年の      り  り     陰暦九月︒ 嵯蛾 京都市の西北隅にある地      の   名︒景勝地として有名︒大井川を隔てて嵐山に封し︑櫻花紅 葉の名所︒清涼寺・天龍寺・大魔寺などの名刹はここにあ

      

る︒ 厭離庵 嵯峨の西方小倉山にあり︒藤原定家の中院山荘跡︒久しぐ荒残してみたが︑・冷泉家で修理し︑軸元法皇から厭離庵の號を賜った・いふ︒︵堀永休著嵯峨誌︶峰町戦國       ル     ニの人︑楚の屈原︒﹃史記﹄屈原心胆に︑屈原至二於江・三一︒     テ ヒテニク ハズ   ニ 

ノァリテ

⁝:漁夫見十島レ之日︒蕉門二三闘大夫一罪︒何故  レルトニ     ニク   ハ ル而至レ此︒注に︑汗雫序日︒三甲唄職︒掌二王族  ヲフ トシノヲヒテノヲテ三論一︒日二昭屈景一︒︑序二其譜属目︒率二選賢良一q以はげマス    ヲ      ● ● o ●属二 國王榊︒ とある︒ 九碗之蘭 屈原は蘭を九三の畑に       ニううルコト ヲ レ育てた一章は三十畝︒﹃楚僻﹄離離に︑余既滋レ蘭之

ナルニ      ううルコト ヲ レ   ナリ  ● ・ ● ・

九睨分︒又樹レ 意之百畝︒ 五十先生 陶淵明︒宅邊

に五本の柳があったので自ら號とした︒ ﹁五柳先生傅﹂に︑    ラ  ノナルカヲ タ ニセノ  ヲ   ニリ先生不レ知二尊許人一︒亦不レ詳二其落字一︒宅三三二

五柳衝︒鴎.肚.思懸焉︒︵錨軽ニゴ磐鱒三明は菊

を愛して庭に植ゑた︒庭に三本の小樫があった︒爾三三脛と

は隠者の脛庭を云ふやうになった︒ ﹁婦去軽艇﹂に︑三脛

ケドモ  ニ       ホ  ス       

就レ荒︒松菊依存︒︵同︶ 我憶愛レ花心之和也云      ヘラク ハ       ナル々周茂叔の﹁事理説﹂の︑予謂︒菊花之隠逸者也︒

  ハ      ナル      ハ      ナル牡丹花之富貴者也︒蓮花四君子三三︒によつ

        の   り      

の       り   り        たもの︒ 愛レ水心之清也︒愛山心四一也︒ ﹃論       クハミヲ ムヲハキ語﹄内蔵に︑子日︒知者樂レ水︒仁者樂レ山︒知者動︒

  ハ カナリ   ハ ミ     ハ シ       ● ●仁者静︒知者樂︒仁者壽︒に依った︒ 四馬春夏秋

冬四時の順行次第︒ここでは序によつて四時の花の意︒ っ

コ      ノ      ノ

叢 白樂天の買花に︑一叢︑深色花︒.十戸中人賦︒・

       り   珍 眸︒ 文賓詩客 詩文の賓客︒

通解一この厭離庵の園には四時半花が畔を分ち︑花の隣はま

(7)

(29)

津:山高専紀要第13号(1975)

   ニ  スルハ   ニ      ルハ     ニ 禮儀一︒襲二乎情一民之性也︒止二.乎禮儀一先王之澤

    ●  ︒  ・ ●       ノ   スル 也︒ 芙蓉出レ水 皓然の﹃詩式﹄に︑恵休所レ評︒謝

  ハ シ     ズルガ ヨリ  ノ   ル シ       の   詩如二芙蓉出ジ水︒斯言頗近 ︒ 莫二邪思一 ﹃論       テ  フ  ヲ   ク     シ 語﹄三三に︑詩三百︒ 一言以蔽レ之︒日︒三無レ邪︒

﹂通解=局師直は盤冶判官の妻の素肌を見た︒それは蓮の花が

 水から出た時のやうに瑞瑞しいものであった︒師直に限らず

 誰もみな色情を聾するものである︒しかし禮儀に止って邪念

 があってはならないのである︒

翻   守武肯像之贅荒木田千丁嘘

滑稽風骨二才今一

爲拾二後世落穗一

成二言雀︸人二俳林一    ︵入︶ ・・一語繹﹂脚韻 守武

 ︵一四七三年︶

 七十七︒

 長官と上せられた︒

 武千句﹄がある︒

 表裏一枚をいふ語︒

 るが︑

 ある︒

          る雀︒ 俳聖

     ■       ●  ●

 したもので︑

 らう︒          姓は荒木田︒       に生れ︑    伊勢神宮の一禰宜となり︑         連歌集に               千丁嘘         嘘は吟の古字︒   ここではユーモアのあること︒   また滑稽に俳聖の意味もある︒       俳諸の林︒詩は荒木田から落穂を︑      國語流に云へば縁語である︒ 略言四句荒木田 千丁ノ喰滑稽ノ風 古A﹁二冠タリ孝心後世 落穗ヲ拾ヒ稻雀ト成ツテ俳林二入ル ●   ●   O     連歌作者・俳人︒文明五年 天文十八年︵一五四八年︶画す︒年      長官となった︒世に薗田   ﹃守武句集﹄︑俳譜句集に﹃守

●  ●   ﹃守武千句﹄をいふ︒丁は元來

             滑稽 色色の意味があ

       これが俳譜の一特色で

              稻雀 稻穂にむらが

  林は多く集ってみるところ︒この

       ロ

 落穗から稻雀を︑雀から俳林を聯想

                人は入の誤寓であ ︸通解一荒木田守武の﹃守武千句﹄は︑そのユーモアにおいて 古今に卓絶したものである︒だから後世その落穗を拾ひ︑み な稻穗に集る雀となって︑俳譜の林に入って俳人となるので ある︒馴   山市晴嵐を撃てかけものにし詩作れとありければ漁樵交易道相通 草野ノ交易道相ヒ通ズ聲在二煙嵐翠密中一 聲ハ煙嵐 翠密ノ中二在り人散暮山如二大古一 入散ジテ暮山 太古ノ如シ       ︵太︶市橋不レ改入二残虹一 市橋 改マラズ残虹二入ル      ﹁語繹一束韻 序は和歌の詞書ぎの如くである︒書方︒ 山市

     

 晴嵐 瀟湘八景の一︒宋廼は書に巧みで︑最も八景を描いて

 得意とした︒後世の書家の好んで書くところとなった︒山市

 は山中の市︒晴嵐は晴天に起る山の氣︒嵐は山に立ちのぼる

       ノ

 蒸氣︒ 煙嵐 山のかすみ︒平鞘の閑居賦に︑重田畳煙嵐

之臨.嘩晩寺檜覧︵和漢朗詠集︶麗の二月晦留ニ  スノニ ッテニルニ スヲ 興信中友人一に︑鞭し轍去二暮色一︒遠野起二姻嵐︼︒︵墾詳審であらう︒露藻が橋上で市す・       ●・   ビル ニ     マラ のでいふ︒ 不改 張綴の再到二王橋一に︑青山不レ改

即時ノ容︒︵錦繍段︶

一通︑解︸漁師と樵夫が交易する道がここに通じてみる︒市に集

 つた人の聲は山のもやの濃い翠の中から聞えてくる︒さて夕

 暮の山は雑沓の人たちも去って太古の如く静かとなった︒市

 橋は以前と愛ることなく︑清え残った虹の中に見える︒

一 102一

(8)

仁枝 山口素堂の漢詩

       り一語繹﹁東韻 荘子蟹 荘子とあるが︑特に﹁齊物論﹂の思想

      コ          によって成ったもの︒ 枯木冷灰 肉艦は枯木の如く︑心は      まことニ シ  ムクナラ 冷灰の如く無慾無心の喩︒﹁齊物論﹂に︑形固可レ使レ如ニ

   ノ  シテ    ニ ケン ム クナラ   ノ︑槁木一︒而心固可レ使レ三二死灰一乎︒槁は枯︑死は冷の   ・ ● ・      ハ      ビ 

ジ  シテ

 意︒ 物我同 同じく︑天地與レ門並生︒而萬物與レ我  ル ト 爲レ一︒我と物とは本來一町たるべきものであって︑分別があ

 るものではないといふのが齊物論の中心的思想である︒ 伯レ

      ニ 蝶 荘周が夢に胡蝶になった話︒齊物論に︑昔者荘周夢

  ル    ト       トシテ         ラ ミテ  ヘル  ニ     ル  ラ

 爲二胡蝶一︒栩栩然 胡蝶也︒自喩適レ志與︒不レ知レ

 タルヲ     トシテムレバ チ     トシテ        ラ      ニ 周レ也︒俄然豊則遽遽然周也︒不レ知周之夢  ルト ニレルト チズ 爲二胡蝶一腰︒胡蝶之夢爲レ周與︒周與ご胡蝶一︒則必 ラン レヲレフト   コ 有レ分 ︒此之謂二物化一︒ 夢中読レ夢 人生の測り知       ニムヲハ ニシテ ることの出來ない喩︒ ﹁齊物論﹂に︑夢飲レ酒者︒旦実  ス ニ スルハユシテ  ス リテヤノミルニ  ル ラ 泣︒夢実泣者︒旦 而田猟︒方二其夢一也︒不レ知ニ

  ノ ヲ       タ フ ノ ヲ    メテ     ル ノナルヲ 其夢︼也︒夢之中又占二馬蝉雪餅︒寛而後知二野古穿       イテ ヲ ホ ク 

フ   ニメテ

 也︒また郡康節の夢中吟に︑夢中読レ夢猶能勢︒夢費夢中逓.ろ墨難壌︶沸醗委公の偶成に・あ醒.      ノ      シテ ヲル 池塘春伸早旦︒  誰⁝識レ終  ﹁簑虚言己 に︑脱二本臼衣一面︒

  カ ラン  ノ  ヲ

 誰知二其終一︒

一通解一荘子は云ふ︑無慾無心でみれば︑物も我も同じく一艦

 であると︒なるほど彼の魂は肉膿から離れ︑胡蝶となって春

 風に舞ひ︑荘周が夢に胡蝶となったのか︑胡蝶が夢に荘周と

 なったのか分らなくなった︒また夢の中でその夢を占ふ一

 夢の中ではそれが夢であることを知らず︑寳めてその夢占ひ

 をするやうに︑夢中でその夢の吉凶を占ふことがある︒1

 と云った夢の読をなして千載の後に傳へてるる︒しかし人間

(49) 解なものであ・る︒ の醒める時を識ってみるのであらう︒入間の存在は誠に不可 は眞の夢を見つづけて醒めることがない︒ 一艦誰がその直筆

 ス      ノ ル      ノズルヲ  ヨリ題下高師直見三園冶判官高貞之茶出二浴室一  ニ        ニシテ ニスヲ三斜上︒唐明皇夢二論集一︒相共演而終齪レ國︒

  ノ       テ フ ヲ      ノ キヲ フ ヲ本邦久米仙人︒見二洗レ物女話肌白一失レ通︒

ンヤ スヲヤ    ノ  ヲ

況犯二他人妻一六︒

高師直が墜冶判官高貞の妻の浴室から出るのを見た檜に題した詩である︒唐の玄宗皇帝は楊貴妃と一緒に入浴したことから終に國を鰍すことになった︒我が國の久米の仙人は︑洗濯する女の肌の白いのを見て︑空飛ぶ紳通力を失った︒まして他人の妻を犯すにおいては︑正常な心を失ふのはなほさらの

ことである︒

見二二人肌  一見ス美人ノ肌

芙蓉出レ水時   芙蓉 水ヨリ出ズルノ時

何誰情不レ護   何ゾ車力情 襲セザラン

止レ禮莫二邪思一.  禮二止ツテ邪思ナカレ    ニク シニル 

  古語日︒嚢レ鎌止二乱民﹁︒

      一語繹一黒血 高師直云々 縮に題した詩︑これが後の忠臣藏

        の     コ       

 に護展する︒ 唐明皇 玄宗皇帝︒ 久米仙人 再読︒天李

 時代の大和國の人︒吉野郡龍門山に籠って仙術を學んで仙人

 となったが︑ 一日︑衣を踏み洗ふ婦人の白い脛を見て神通力

 を失ひ︑再び人界に落ちたといふ︒久米寺の戦評といふ︒

 ﹃徒然草﹄に﹁世の人の心惑はすこと︑色欲に若かず︒⁝⁝

 久米の仙人の︑物洗ふ女の脛の白きを見て︑通を失ひけむは

       

 云云﹂とある︒ 情痴レ機︒止レ禮︒ .後註に見える︒古語       ハ シ    ニ  ル とは﹃毛詩﹄の大序に見える︒印ち︒愛風窓二準急一止二二

(9)

津山高専紀要第13号(1975)

㈲   其三脚月構レ陽又小春

小春又黒蜜二輪春一墨レ墨客裏陽春在    ︵舎︶爲二身關一曲春

一語繹﹁韻脚春︵眞韻︶

 の月で︑

 月頃の構︒

  ニ  フ    ト     コ

 故日二小春H︒

 ら︑ ふ︒誤寓であらう︒      十一月になると初交に陽が現れる︒      ﹃荊楚歳時記﹄                客舎   前後の文脈から判断して客舎でなければならないと思              陽關一曲王室の次の詩に篠つた︒別

 離に臨んで三度歌ふ習慣があった︒所謂陽關三畳である︒ ル    ノ スルヲ  ニ      ノ     ス   ヲ  ● の 邊三元二使二安西一に︑潤城朝雨混二集塵一︒客舎青

      タナリ ム  ニ  ニ セ    ノ    ノヵタズレバ   ヲカラン 青柳色新︒働レ君更盈一杯酒︒西出二陽關H無二故

人一︒︵三鵠詩︑圓寄泊法︶また黄山谷の︑陽動一曲水心流︒         ノ 燈火腔陽一釣舟︒

﹁通解﹁十月を小春といふが誠に小春の感じである︒しかし小

 春はやはり小春であって︑どうして陽春に似やうか︒さて旅

 館の宴席で杯を暴げると正に陽春である︒君の出護に際して

 柳色新たなりどいふ三三の一曲を唱へるからである︒ 陰月 陽ヲ構ス筋彫小春小春 又終了ゾ陽春二似ン盃ヲ暴グレバ客舎 陽春在り爲二重フ陽關 一曲ノ春

    陰月 陰暦十月︒易では十月は全陰            小春 陰暦十       ニシテタリ ニ に︑十月天爵和暖似レ春︒

 旅館︒客裏は旅行中の意であるか       テ  ヲズニ シヘントニヲフ  三井氏秀清三二弓山張一献レ君︒欲レ加二三詩一三二於    ニ レリテ  ニ ス  素堂一︒是代二秀清一腰焉︒

﹁語繹 気韻 左註によれば︑卒井秀清が旭と名づけられた弓

 一張をその君に獄上しようとし︑それに添へる詩を素堂に請

         コ    ふて作った詩︒ 言行 言葉と行動︒言ふこととすること︒

 ● ●  ︒      レ 取二賢士噛中庸の道をとり行ふ︒﹁書籍﹂大禺護に︑惟精  レ  ニレノヲ       クああ 惟一︒允執二其中一︒また﹃論語﹄発日に︑千日︒盗爾      リノニ ニレノヲ ロ    舜︒天之暦敷︒在二爾躬一︒允執二其中皿︒ 難物静観

      スレバ ナ    ス     ノ 程明道の偶成に︑萬物静観皆自得︒四時佳興與レ

   ジ        人々︒  理外 道理に外れたこと︒道理を超越したこと︒

難握舞々﹃荘子﹄齊物論に︑天地.一指也︒︵厭駿

重殺︶を男芸語であ・︒

 通解一人の言語と行爲は的を射るやうに︑常に片よらない中

 庸の道をとり行ふべきものである︒また朝日は光はを放つに      あさひ おいて東西南北到らざるはないやうに︑この旭と名づけられ

 た弓の射る矢は︑君子の言行が申庸であるのと同じく︑亦た

 的を外れることはないのである︒さて自然界の甘物を静かに

 観てみれば︑道理に合はないものはない︒この理を知れば︑

 天地間の道理は一張の弓を握る手中にあることが分るのであ

 る︒

一 104 一

(27)・

㈲ 奉献.弓三一

言行如レ弓取二丁中一

旭日射レ光撰定東

三物静観無二理外一

乾坤握レ手一張弓 張一三詩一篇言行ハ的ノ如ク其ノ中ヲ取ル旭日 光ヲ射ル西前タ東

 黒ィ  艀暫皿スレバ麗⁝外盤⁝シ

乾坤手二握ル一張ノ弓 ⑱   荘子贅枯木冷灰物我同遊魂化レ歯舞二春風一夢中読レ夢傳二千載﹇

眞三三レ白鳥識レ終 枯木冷灰 物我 同ジ中言蝶二化シテ春風二舞フ夢中 夢ヲ読イテ千載二傳フ﹁

手記.未ダ減員ズ誰門主.ヲ識ラン

(10)

山口素堂の漢詩 仁枝

(4の

      リテ ク ニ   ニフ 

芭蕉老入︒有レ故赴二郷國一︒老人常謂︒他郷 チガト  ホシスニノヲ レゾランゼノ即吾郷︒今猫莫レ作二戯斯語一︒吾何不レ信二斯 ヲ リテリテ   ヲ テズ 

語一二︒因綴二卑語三絶一︒以投二頭陀︼︒ 初冬念五 素堂山子

芭蕉老人はわけがあって郷里へ行くことになった︒老人は常に他郷が印ち吾が故郷だといってみる︒だから今もこの語を戯れの言葉とはしてみない︒私はどうしてこの言葉を信じないでせうか︒そこで下手な絶句三首を作って︑頭陀袋に投げ入れる次第である︒十月二十五日 素堂山子

其 一

君−去二三庵一莫レ止レ郷

故人多庭即成レ台

風喰露宿時言レ意胸次素無何有郷

﹁忌寸﹁韻脚郷︵陽韻︶

 が︑

庵︒卿

 時に四十四才︒

 日﹃笈の小文﹄

  ス       ニ

 寄二塁二拾遺一に︑人

故旧︒︵鮪詩︶   ナリレノカ リキニ 人稀︒何遷客レ高

 事をし︑

 中︒ ﹃荘子﹄

        無何有鰹

 無爲の仙境︒   やはり拗禮である︒     芭蕉の郷は伊賀上野︒       既に翁と呼ばれ老人と云はれた︒       の旅に出褒し︑饒別の詩三首はこの時の作︒         日       また王之換の九日迭別に︑      ツ         且    露を凌いで宿る︒      田エ・方に︑     無物のところ︒

      同じく迫遙遊に︑ 君 旧庵ヲ去ソテ郷二止ルコトナカ

故人多キ庭 即チ郷卜成爆

風残 露宿 豊二意ヲ出汐ンヤ

   もと胸次 素 無何有郷

素堂は好んで同字を韻に用みてみる

       以下三首同じ︒ 蕉庵 深川の芭蕉

    貞享四年︵一六八七︶芭蕉

       十月二十五

   十二月下旬に蹄評した︒この

        

   故人 蒼友︒高適の入日

シテ ヲ ス   ニ  カニ ム     フヲ題レ詩寄二草堂一︒無爵故人思ニ       トシテ        繭庭薫嘉例

 ル  ルヲ   リ      

邊レ婦︒ 風殖露宿 風を犯して食

      り     旅行中の苦難をいふ︒ 胸次 心         ラ        ニ喜奴哀樂︒不レ入二意思次一︒

 造化の自然の些しむべぎところ︒

       リ         フ  ノ キヲ   今子有二大樹一︒患二其無p    ゾルエヲ        ニ トシテ用︒何事下県二之於無何有之郷廣莫之野一︒彷径   ク ス ノ  ニ    トシテ     セ    ニ    セラレ   ヲ乎無レ爲二階側一︒迫遙乎野中皆野下上︒不レ天引斤三一︒ ノ シ スル   キ  キ フ ゾナラン スル物無二害者一︒無レ所レ可レ用︒安二二困苦一哉︒通解㎜君は芭蕉庵を去って故郷へ向ふのであるが︑長く故郷

に止ることはし給ふな︒友人の多い所こそ故郷とすべきだ︒

さて︑これから旅に出登して多くの苦難を纒ることであらう

が︑どうして心を署することがあらう︒君の胸中はもともと

無物憎淡で︑自然を回しむのであるから︒

囮   其 二

弱笠痩鳥寄二一身一

離宴同レ君道二三身一

河邊楊柳無レ由レ折

身動二型條一迎二老身一

﹇演繹﹂韻脚身︵眞韻︶        ブ ゑ︒

     り 十二 幽に見える︒

  ニ       ノ

 士一に︑秋風天地

    ためニ    ノ  ズ に︑ 表幼之の遊二隻林寺一に︑痩第支レ我到引暉關一︒︵

      一

   ロハ與二骨身一軍二杭

 離の折に楊柳を折って振る習慣があるが︑

 ら葉は散って折るにすべない状態である︒

属通解一拳はひよわな笠と細い杖に身を托して旅に出る︒その

 離別の宴席で旅路のことを想像して詩人の身を苦しめるので

 ある︒河邊の楊柳を折って別れを邊らうと思ふのであるが︑

 落葉してみてはすべもない︒楊柳よ︑春ともなれば早く翠の

 枝を動かして︑芭蕉翁を迎へてくれよ︒  弱笠痩第 一身ヲ寄ス 離宴 首ヲ圓ラシテ再出ヲ悩マス 河邊ノ楊柳折ルニ由無シ 早ク翠條ヲ動カシテ老身ヲ迎ヘヨ       弱三主節 笠はかぶりかさ︒第はつニ ヘテヲレ︑鱗

       ル

吟身 詩を吟ずる人︒察回護の贈二相       フ ルニ  ヲ 半身︒︵同︶また秋匪の︑答レ餉レ茶

肌︒︵聯珠詩格︶無レ曲鼻錐彫では別

         冬のことであるか

(11)

(25)

津山高専紀要第13号 (1975)

 近道に沿ふ︒ ﹃和漢三才圖會﹄によると甲府より十二里ばか

      り        り︑蔦木より二里山坂と見える︒ 竹富破レ曉 回に見え

         る︒ 吟魂 詩情︒歌心︒

一通解︻明け方おかごに乗って城の門を出た︒一帯の山は紅葉

 して青柳村の名を奪ふやうだ︒釜無川を舟で十里も下流の身

 延山へ向つたが︑急流は矢の如く︑舟は石の上を走って︑詩

 心を衝き動かすことだ︒

一宿延山下

終宵聞二妙音一

清流通二竹鳩一

閑月八二松陰︸

曉見二煙嵐起一

眉柵 亡心二罐相 静路 億皿一

鐘鳴猶寂莫

好是洗二塵心一

﹁語繹一翼韻

 と思はれる︒ おなじく埜の坊にやとりて   ︵麓︶

     八月二十一日の作︒

      ﹁甲山記行﹂

ふもとの坊にやとり﹂

       のの略︒ 妙音 たへなる樂の音︒前後の關係からここでは天

楽聖はれ・.嚢の遊仙に︑垣蛾揚が音﹂.︵文選︶惣       竹の茂った堤︒ 煙嵐山にかかるもや︒嵐は山亭の蒸すも       トシテ シ     ヲの︒あらしではない︒頁島の江亭晩望に︑浩澱浸二雲根一︒

    ス     ヲ       

煙嵐波二遠村一︒ 霜露侵霜雪侵と同じ︒⑳参照照︒ 塵

か 俗世間的な心︒ 一宿ス延山ノ下

終宵 妙音ヲ聞ク

清流 竹鳩二通ジ

閑月 松陰二落ツ

嶢二煙嵐ノ起ルヲ見

楢柵二爵相回路ノ億膳ズヂ弓フ亡心ル

鞘鳴ツテ猶ホ寂莫

好シ是レ壁心ヲ洗ハン

       む

      埜 野の古字︒麓の誤窺

   に︑ ﹁はき井の村につきて其夜は

       

 とある︒坊宿坊︒延山身延山 ﹁通解﹇身延山下の宿坊に一泊して︑夜通し自然の神秘な音を 聞いた︒清流は竹の茂った堤に通じ︑静かな月は松の木の間 を漏れてくる︒明け方山にもやが立ち上って︑霜や露に身の 冷えるのも忘れて眺めた︒寺から聞える鐘の音はやはり物さ びしさをそえる︒好し浮世の汚れた心を洗ひ清めよう︒  ・の詩は謹の星破山寺ノ後互.︵三二詩︶の影響と思  はれるので︑比較のために掲げる︒    ルニ スヲ ジニ 清農入二古寺一︒初日照二高林一︒曲脛通二幽庭︒暉      シ      バシメ   ヲ      クス   ヲ 房花木深︒山光悦二鳥性一︒潭影空二人心一︒弓偏

  ニ ニ タリ  ダ  ク    ノ  ヲ

 此倶寂︒惟聞二鐘磐音一︒倒   賎別霜雪未レ降無二物侵﹂ 霜雪未ダ降ラズ物ノ侵ス無シ離笠相祝古二來今一 離凶相ヒ祝シテ來今ヲ占フ     ︵占︶先思櫨上招二賓客一 先ツ思フ櫨上賓客ヲ招キ又是棋聲響二三三一 又タ是レ棋聲ノ竹三二響クヲ       ﹁語繹﹁韻侵 饒別 酒食を設けて別れを逡ること︒ 霜雪云

       々 無二霜雪侵↓の意︒⑳参照︒ 離宴 邊別の宴席︒ 占二

     の        來今一古は占の誤鴬ではあるまいか︒㈲参照︒ 賓客 今      ロ    軽骨を受けてみる人を指す︒ 棋聲 棋は碁︒園碁の音︒

 ・ ●       シテ  ニ ス       シ 野壷 白居易の池上に︑山精封レ棊坐︒局上竹陰清︒

﹂通解一連も雪もまだ降らず物の傷くことない好季節である︒

 邊別の宴席でお互に無事を野瀬し將來を占ふのである︒先づ

 考へることは︑再び櫨ばたに君を賓客として招き︑圏碁の音

 が竹陰に響く日のことを︒

一 106 一

(12)

仁枝 山口素堂の漢詩

      の      

つてみる︒ 力抜レ山分時不利項綱の僻世の詩に櫨つ      チテ ス     ニ    りた︒ ﹃史記﹄項羽本紀に︑項王皇胤飲二上中一︒有二美

   ハ     ニ セラレテ フ       ハ     ニ ル  ニ   テ  ニ人一︒名虞︒常幸  從︒駿馬名驕︒常総レ之︒於レ是   チシラリテヲクキヲフ項王乃悲歌杭慨︒自爲レ詩日︒力抜レ山分氣蓋レヲニ ァラ  カノルハヵ キモ ス ヤ世︒時不レ海鹿豊凶レ逝︒雛不レ逝分星団奈何一︒半分

ヤ      ヲ セント      コ

虞分書レ若何︒ 大風歌 漢の高組が天下を李翻して故郷      ニシテ      チ  ヲに蹄つた時の歌︒ 同じく高組本紀に︑酒酪盲同出撃レ筑︒ラリテ ヲク  ツテ   ス ッテ 

自当日歌詩一日︒大風起分雲飛揚︒威加二海内一分

 ル    ニ   ゾ テ    ヲ   ラント   ヲ   ム ヲシテナ    セ漏二故郷一︒安得二猛士一三守二四方一︒令三児皆和二習

弊コ︒︵歌は古文眞寳前集に見える︒︶

一通解﹇信玄公の居城の跡はどこであらうかと鴉に尋ねるが︑

 荒屡してさだかでない︒ 一帯の秋草の霜にいたんだ様を見る

 につけて感慨の一入深いものがある︒公の力は山抜き世をお

 ほふ勇氣を持ちながら︑時勢は不利で中途にして膨れた︒天

 下の諸侯を服してこの古城に湿り︑漢の高租の如く大風の歌

 を唱へることのなかったことを︑誠に残念に思ふのである︒

  思ふに武田信玄を詠み得て悲愴︒格調も高く︒作中の歴巻

  であらう︒

…㈹@  城外の夢の山にのぼりて奇石を見出し︑草庵へむかへ

    とりて山主人に一翼をおくる︒

三三高鼠輩樹間  萬古 高眠ス老樹ノ間

一朝爲レ漸落二塵簑一  一朝 我が爲二塵野田落ツ

石根慮レ見合白雲起一 石根 耳目白雲ノ起ルヲ見ルベシ

今尚不レ醒在日夢山一 今尚ホ醒メズ津山二在り

      一語繹一半韻 黒山 甲府市の東にある歌枕︒古歌に︑都人お       サ ぼつかなさに夢山を見るかひありてゆきかへるらん 高眠      ハ  ダ 安眠︒心地よく眠ること︒徐相子の偶成に︑高雪男外甥︑纂.︵鱗盛杢讐の答左ズ︑市乳松禦一. クシテヲ   ニ ノ       高レ枕石頭眠︒ 肉詰 塵境︒俗世間︒蘇東披の︑不同   ム        ノ      ノ  ヲ      ラク     タリ    ニ 堂塔二徳興学界櫻遠櫻詩一に︑聞読鳥居似二他山一︒   ラ リニサコ      不レ知門外有二塵宙墨︒石根石のねもと︒白雲起﹃圓      レテ ニ    ル 機活法﹄天文門・雲の﹁叙事﹂に︑燭レ石而起︒とある︒ 雲は岩石の間から起ると云はれる︒故に石のことを雲根とも        スノニ シテヲカスヲ いふ︒頁島の題二李疑幽居一に︑移レ石動二雲根一︒の注     ノ   ム ニ ニク   ハレテ に︑張協詩︒雲根臨二八極一︒二日︒自誓碧雲鯛レ ニズ ナハ       ルニ 石出︒葺石者雲之根也︒とある︒また王道の入レ山   キテリノルニ シテルノルヲ に︑行到二水窮庭一︒坐看二平起時一︒

一通解﹇この石は太古の昔から俗塵を避けて老樹の間に安眠し

 てるたが︑ある日私の爲に人闇世界に落ちることになった︒

 奇石のことであるからなほその根もとから白雲の起るのを見

 ることであらう︒今もやはり昔の夢心にある時と同じく眠り

 つづけて醒めないことであらう︒

働   身延山へ詣けるに青柳村より舟を放て

竹輿破レ曉出二城門一 竹輿 曉ヲ破ツテ城門ヲ出ズ

紅葉奪レ名青柳村  紅葉 名ヲ奪フ青柳村

十里舟行奔二石上一 十里 舟行 石上二奔ル

急流如レ矢射強吟魂一 急流 矢ノ如ク論罪ヲ射ル

      ロ一語繹﹇元韻 八月二十一日の作︒ 身延山 山梨縣南巨摩郡︑

 身延山の中腹にある身延山久遠寺︒日蓮の開基︒日蓮宗の総

       

 本山︒ 青柳村 長野縣諏訪郡︒甲州街道より名古屋に到る

参照

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