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日 南 田 一 男

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33

『 創 造 の 第 二 週 」 考

日 南 田 一 男

§ I

1962年ソーントン・ワイルダー(ThorntonWilder)は突如として友人知己たちの前か ら姿を消し,アリゾナ(Arizona)の砂漠に引きこもってしまった。妹イザベル(Isabel) との間の連絡だけが彼がこれまで生きてきた世界と彼とを繋ぐただ一つのものであったら しい。既に65歳,漸く老境に入りつつあったワイルダーのこの所謂く隠栖>*'が何を意 味するものであったかは,それから5年経った1967年の春に『創造の第二週』("The EighthDay")が公刊されるに及んで,初めて世人に明らかとなった。

『創造の第二週』は『三月十五日』("TheldesofMarch'')が出版された1948年から

ひ は た

数え起こすと19年目,『アルケステイス物語』("TheAlcestiad'')が『日向の一生』

("ALifeintheSun'')の題名で,エディンバラ国際音楽演劇祭に上演された1954年か ら数えてみても13年目の作品ということになる。その間折にふれて雑誌などに寄稿された

か い む

短い戯曲や評論がワイルダーに皆無であったわけではないにしても,永い間殆ど沈黙を守 り続けてきた老大家のひさびさの大作ということで,世人の注目がにわかにこの一作にあ つめられたとしても,さしてあやしむには当らぬであろう。『創造の第二週」は出版と同 時に忽ちにベスト・セラーの一つになったばかりではない。『書評ダイジェスト』("Book ReviewDigest'')誌によれば*2,英米両国の代表的雑誌で,この作品をその書評の対象 にとりあげたものは13誌。わが国でも二つの英語雑誌がその紹介を行なっていることから 推してみても,世界中の新聞雑誌で実際に多少ともそのページをこの新作の紹介や批評に さいたものの数がかなりに達するであろうことは,容易に想像される所である。

所が専門文芸評論家たちの間では『創造の第二週」の受けは予想外に悪かった。諸誌の 書評の論調は概して冷淡であり,かなり激烈な言葉でこの作品をこきおろし,老作家の創造

うそ夢

力は枯渇してしまったと噸く批評家もあった。称讃の声が全く聞かれなかったわけではな

な ま い る

いにしても,それも精々の所ごく控え目な生温い讃辞にとどまっていた,と言わなければ なるまい。しかしながら私は今しばらくこの問題に立ち入ることを避けて,本書の梗概に つ い て 述 べ て お き た い と 思 う 。

〔註〕*1アリゾナの砂漠での生活をワイルダー自身がく隠栖>(retirement)と称んでいたこ とは,ロバート・ゴールドスタイン(RobertGoldstein)の次の記事が教える所である。

RobertGoldstein,cGReflectionsonWilder,''M〃γ"yRe"泥"(April,1967),p.27。

*2SeetheB""RMe@"Djges#(Aug.,1967),p、287。

(2)

34 日 南 田 一 男

§Ⅱ

1902年5月4日,日ll腿日の午後,イリノイ(Illinois)州南部にある小さな鉱山町コール タウン(Coaltown)で殺人事件が持ち上がった。殺されたのは,この町に住む鉱業所の所 長ブレケンリッジ・ランシング(BreckenridgeLansing)という男で,この日くセント・

キッツ荘>((St.Kitts')とよばれている彼の家の庭で,彼と共にライフルの競射をして いた彼の下役,同じ鉱山に働く技師ジョン・バリントン。アシュレイ(JohnBarrington

Ashley)が,殺人容疑で直ちに逮捕された。動機は被害者の妻ユーステイシア(Eustacia) との邪恋ということであった。被告ジョン・アシュレイは法廷でブレック殺害の事実も意 図もなかったことを終始主張し続けたが,裁判の末有罪の判決がくだり,死刑が宣せられ た。この宣告があって5日後の7月2日,火曜日の夜午前1時頃,ジョン・アシュレイを 刑場のあるジョリエット(Joliet)の町に運びつつあった汽車が,途中フォート・バリ一

や つ

(FortBarry)駅近くの給水所で停車していた時,黒人に身を雲した何者とも知れぬ6

ゆ く え

名が護送中の5人の武装警官を襲い,苦もなくこの死刑囚を奪い出して,共々にその行方

くら

を晦ましてしまったのである。

ほ か

事件当時40歳だったジョン・アシュレイには,38歳になる妻ビアタ(Beata)の他に4 人の子供があった。19歳になろうとしていた長女のリリー(Lily),17歳の長男ロージヤー

(Roger),14歳の次女ソファイア(Sophia),そして三女のコンスタンス(Constance) は9歳であった。一方殺されたブレケンリッジ・ランシングの妻ユーステイシアには−

ランシング夫妻は共にアシュレイ夫妻よりも年長ではあったけれども−リリーと同年の 長女フェリシテ(F61icit6)と,コンスタンスと同年の次女アン(Anne)の他に,事件の前 夜家を飛び出したまま消息を絶ってしまったロージヤーと同年の長男ジョージ(George)

があった。

アシュレイ家の者の上に向けられた世間の目は,当然のことながら極めて冷たかった。

しかしそればかりではない,ジョンには蓄えというものは殆どなかった。わずかにあった ものもすべて裁判の費用に消えてしまった。不用な家財を売って得た少々の金が,はたし ていつまでも一家の者の生命を支えてゆくことが出来るであろうか。殺人犯,そして次に は脱走死刑囚の家族として,ビアタとその4人の子供たちはまことに生き難い状況の中に 置かれた,と言わなければならないのであるが,それにもかかわらずこの5名の者は,そ

れぞれに力強く懸命に生き抜いていくのであった。

先ずロージャーがその年の7月26日にコールタウンの町を棄ててシカゴ(Chicago)に

出た。唯一人の男手として,何よりも一家の者を養ってゆく義務が彼にはあった。シカゴ

でトレント・フレージア(TrentFrazier)と名を変え,レストランの皿洗い,ホテルの夜

間従業員,法律事務所の走り使い,病院の雑役夫等各種の職業を転々とするうちに,ふと

したきっかけから新聞社に入り,1903年の8月末には遂に一人前の記者になることが出来

た。トレント・フレージアの名のもとで次々と新聞に発表された彼の社会時評は大成功を

(3)

4■

『創造の第二週』考 35

おさめ,彼を一躍著名なジャーナリストに仕立てたのであるが,後年ロージャーは政界に 入り,1930年に,おそらくは大統領としてであろう,ワシントンで死去する運命にある。

次に長女のリリーが家を出て,同じくシカゴに向った。1904年6月のことである。彼女 は,事件後下宿屋を開業していたわが家にたまたま泊り合わせたラディスラズ・マルカム (LadislasMalcolm)と名乗るポーランド系の一青年を頼ってこの新興の大都会に出た のであったが,この地でイタリア人の音楽教師ラウリ先生(MaestroLauri)にめぐりあ い,天性の音楽的才能を十二分に伸ばす機会に恵まれたのであった。初めはこの町のカト リック教会など,ごく限られた集いで歌う歌手に過ぎなかったが,後にはミラノ(Milan), リオ・デ・ジァネイロ(RiodeJaneiro),バルセローナ(Barcelona),マンチェスター (Manchester),ロンドン(London)等各地の一流コンサートに出演する国際的歌手にま で成長するのである。

夫がいなくなると共に,<楡の家>((TheElms')とよばれていたわが家の門扉を固

とざ

く鎖して,そこから一歩も外に出ようとしなかったビアタと,そして一時は母親同様現 実に背を向け,いかにしても生き抜こうとする意欲を忘れてしまったかに見えたリリーの 二人に代って,事実上一家の大黒柱の役割を果し,家族を危急より救ったのは,まだ14歳

せ い

になったばかりの次女ソファイアであった。苛酷な生にわれから挑戦するように,力の限 り生き抜くことを誓い合った兄ロージャーとの別れの場面はまことに哀切といわなければ なるまいが,この兄との誓いと,父への敬愛とがソファイアの精神的支柱となったのであ った。彼女は母親に代って町に買物に出たばかりではない。駅前でレモネードや古本を売 って,乏しい家計を助けようと図ったり,インディアンでロージャーの親友だったポーキ イ(Porky)たちの助けをかりて下宿屋を開業し,次第に家族の目を現実の生活へと向け させ,遂には家計を安定させることに成功したのであった。しかしこのような労苦は14歳 の一少女にとってはあまりにも荷が勝ち過ぎていたのであろう。後年ロージャーの援助で 看護学校を卒え,念願の看護婦になった彼女ではあったけれども,やがて精神に変調を来 たし,年若くして死ななければならない。

末っ子のコニイは学校に通うことも許されず,友を持たぬ淋しさを味わわなければなら なかったが,一家の友人であり亡命ロシア貴族の遺児でもあったドウブコフ女史(Miss Doubkov)の計らいでときおり野外に出,農村の人や自然と交わることによって漸く精神 の危機を克服することが出来た。彼女は後に兄ロージャーの力で大学に学び,やがて日本 人の二世西村氏に嫁し,婦人問題の国際的運動家として名を成すにいたった。晩年日本の 長崎で病を養いつつあった時,その誕生日にわざわざ天皇より見舞いの花束と歌一首を贈

られるのである。

フォート・バリーの近くで何者とも知れぬ6名の手で死地から救い出されたジョン・ア

あ た

シュレイは,彼らから与えられた一頭の馬を頼りに,そこから西60マイルの辺りを流れて

ほ と り

いるミシシッピ河(theMississippi)の畔に出た。そしてそこの渡し場ギルクリスト

(4)

36 日 南 田 一 男

(Gilchrist)村のホッジス夫人(Mrs.Hodges)の情けで,ノルウェー人の筏船に便乗,

ニュー・オーリンズ(NewOrleans)に出ることが出来たが,彼はこの米国南部の港町で はカナダ人ジェームズ・トランド(JamesTolland)と名乗り,南米に渡る好機をじっく

り窺うのであった。彼が南米に渡り,太平洋沿岸の各地を転々としながら,ついに目指す チリー(Chile)に着いたのが,危うく死を免かれた日から数えて1年と2週間後のこと であった,と書いてあるから,アシュレイがチリーの小さな港町サン・グレゴリオ(San Gregorio)の町にやってきたのは,1904年7月も半ばは過ぎていたであろう。彼はそこ から更にアントファガスタ(Antofagasta)の町に赴き,ここでスコットランド系資本の 鉱業会社キネアディ鉱業(theKinnairdieMiningCompany)のチリー駐在代表アンド リュー・スミス(AndrewSmith)氏に会い,アンデス(theAndes)山中の銅山ロカス.

ヴェルデス(RocasVerdes)の施設担当技師として傭われることになった。嘗てコール タウンの炭鉱でもそうであったように,ロカス・ヴェルデスでのアシュレイの活躍はまこ とに目覚ましく,そのためにこの銅山の成績は顕著な上昇線を示し,会社は彼の貢献に 大幅な昇給を以て報いるのであったが,1905年5月休暇を得て保養地マナンティアレス (Manantiales)のホテル・フォンダ(theFonda)に逗留中のアシュレイは,たまたま 同じホテルに泊り合わせたアメリカ人ウェリントン・ブリストウ(WellingtonBristow) にその正体を見破られ,窮地に立つことになった。しかしこのホテルの女主人で土地の有 力者でもあったウィカシャム夫人(Mrs.Wickersham)の計らいでまたまた危機を脱し,

再度カルロス・セスペデス。ロハス(CarlosCespedesRojas)なる変名を使ってペルー (Peru)の国境に近いティブロネス(Tiburones)に逃れ,そこから更に中米に向う途中 海難であえなく一命を落すことになる。1905年の夏のことで,殺人事件からちょうど3年 の月日が経過していた。

ジョン・アシュレイとユーステイシア・ランシングとが不義の仲にあった,という噂は コールタウンの町中に流れていたし,又それが裁判官や陪審員たちの判断を大きく左右し たことも事実には違いなかったが,それがまったくの流言に過ぎないことは,被告に親し い者すべてが知る所であった。そしてその事は彼らによって法廷で明確に証言されてもい たのである。たびかさなる審理の不手際から,新聞などでくハイエナ裁判>(the@Hyena Trial')とまで酷評されたこの裁判で,審理の進行につれて,被害者ブレックの無能にし て虚飾に満ちた卑しい人柄が明らかにされたと同時に,被告ジョン・アシュレイの有能に

ひ と と な り

して真率な為人も又明らかにされたのであった。しかもランシング家とアシュレイ家は永 年家族ぐるみ親しい交際を続けてきた間柄であった。ジョンがブレックを殺害しなければ ならない理由はまったく存在しないように思えたのである。だからこそジョンとユーステ

い ま

イ シ ア と の 忌 わ し い 関 係 が ま こ と し や か に 人 々 の 間 に 鳴 か れ る こ と に も な っ た の で あ ろ

うか。ただ被告ジョン・アシュレイにとって全く不利な状況証拠が一つあった。それは殺

人現場に居合わせた二人の婦人,即ちビアタとユーステイシアが,共に銃声は一つだけ

(5)

『創造の第二週』考 37

しか聞かなかったと証言していることであった。後頭部を射貫かれてブレックが倒れた

ひ き が ね

時,ジョンはたしかに自分のライフルの撃鉄を引いていた。射撃に巧みな被告であってみ れば,撃鉄装置に格別故障でもない限りは,誤射の判定は下しにくかったであろうし,又 事実彼の用いたライフル銃になんの異常も認められなかったのである。もしジョン・アシ ュレイが下手人でないとすれば,ブレックを撃ったものは誰か。又どうして銃声は一発で しかなかったか。アシュレイ逃亡の神秘性がやかましく報道されるにつけて,殺害事件の 真相を究明しようとする試みが州外の諸新聞で一時は殊の外熱心になされたのであった。

それにしても事件前まで町に住む多くの人々から敬愛をうけていたジョン・アシュレイ とその一家が,なぜ急によそよそしい扱いを皆からうけなければならなかったのであろ うか。それが世の常なのだろうか。なる程ジョン・アシュレイはニュー・ヨーク(New

よ そ も の な ず

York)州の出身であって,イリノイではいわば余所者に過ぎない。この土地の習いに泥ま

で き 悪 っ

ず,又平均的人向の生き方であったプチ・ブル的生活様式から大きく逸脱していた出来物 であったことが,かえって秘かに世人の妬心を煽り,この事件で快哉を叫ばしめたので

ある−こういう心理的解釈も一応は成り立つかもしれない。しかしまったく箱反する現

象が見られたとしても,些かも不思議のないそれまでのジョン・アシュレイ家の経歴と評 判ではあった。もし被告が主張する如く,これが全くの冤罪であるとするなら,かかる誠 実な人間とその一家の者に対するコールタウンの町の人々のこの卑劣な態度をどう解すべ きであるのか。アシュレイ事件に真面目な関心を寄せた人々の,これも逸すべからざる疑

問の一つであった。

1907年スプリングフィールド(Springfield)の州検察局は,新しい証拠が発見され,ジ ョン・アシュレイの無実が完全に立証された,と発表した。そしてこの頃から次第に世に 認められつつあったロージャーとリリーに加えて,コンスタンスもやがて世界的名士に育 ちゆく運命にあったことは既に述べた通りである。罪なくして罰せられ,異境に果てなけ ればならなかったジョン・アシユレイの遺児たちの,この輝かしい栄光。それはさながら 古典ギリシャ悲劇の主人公たちの辿った運命ではなかったか。アシュレイ家と,そしてラ ンシング家とを突然襲ったこの破局と,その後の両家の運命の展開との間に,なんらかの 鑿りを見出すことが出来ないであろうか。あの屈辱と,不正と,苦悩と,窮乏と,そして村 八分とは,あれは姿を変えた神の祝福ではなかったか。1910年頃を境にして,アシュレイ 家の運命の上に異常な関心と真面目な好奇心を向け始めた世人たちは,かってのくアシュ

み ず か

レイ事件>の記録を盛んに掘り返し,自らに投げかけたこれらの問いに真剣に答えようと 試みたのであった。本書はいわばその報告書である,と考えることが許されるであろう。

§IⅡ

「創造の第二週』が単なるく推理小説>(mysterynovel)とは異なるものであるこ

とは上述で既に明らかであると思うが,実はこの作品の性格は作者自身がく序章>

(6)

38 日 南 田 一 男

(CPrologue')の中で明確に規定している所でもあった。たかだか20ぺ砦ジ程度の<序章>

に目を通すだけで,読者はジョン・アシュレイの冤罪を知ることが出来るのに,その後さ らに,ジョン・アシュレイ脱走後の足取りについて述べる第二章<イリノイからチリー

"、>(GIllinoistoChilel902‑1905')を除くとすれば,<楡の家>に住みついてからの アシュレイ夫妻のコールタウンでの生活を鼓した第一章<楡の家>(4"TheElm3'1885

‑1905'),ロージャー及びリリーのシカゴでの苦闘と再会の模様を描いた第三章<シカ ゴ>(@Chicagol902‑1905'),アシュレイ夫妻の結婚の経緯と両者の血筋について語る 所のある第四章<ニュー・ジャージイ州ホボウケン>((Hoboken,NewJerseyl883'), ブレケンリッジ・ランシング夫妻の人となりと経歴について触れている第五章<セント・

キッツ荘>(@"St・Kitt3'1880‑1905')と,あわせて280ページにも及ぶ,推理の本筋と はかかわりのない文章を読んでゆかなければならない。勿論そのいずれの章にも,殺人事 件にからむ一切の謎を解明している終章部への伏線が,そこここに張られていて,読者の

か ら

推理癖を辛くも満たしている,と言えないことはないのであるが。しかもその40ページに も満たない終章くイリノイ州コールタウン:1905年のクリスマスの日>($Coaltown, Illinois,Christmas,1905')でさえ単に謎解きだけで満足するものでないことは,特殊な キリスト教信仰を奉ずるインディアン部落の長老サムエル・オハラ(SamuelO'Hara)が ロージャーに語るくアラス織りの寓話>からも,容易に推察出来る筈である。従って『創 造の第二週』を以て推理小説と看倣し,その観点からこの終章部の盛り上がりの不足をロ即 っているイディス・オリヴァー(EdithOliver)女史の不満を*3,私たちは取るに足らぬ ものとして無視することも出来ようし,又

Whydoweneedtoknowallabouttheearlylivesoftheconvictandthe murderedman,yearsbeforetheymet?Whydoweneedthedetailsofthe journalist‑son,sloveaffairs?Theseandsimilarepisodes,presumablymeantas fleshonthenovel'sbones,arefoam‑rubberpadding.*4

と言って,手酷しい非難を寄せたスタンレイ・カウフマン(StanleyKauffmann)の言 葉も,作者の意図に対する無理解さを示すものとして聞き流すことも一応は可能であるだ

ろう。

さて『創造の第二週』が,その序章から各部を経て終章にいたるまでの構成において,

『サン・ルイス・レイの橋』("TheBridgeofSanLuisRey")に極めて類似している ことは,カウフマンの指摘をまつまでもなく明らかなことであると思う。この批評家は

* 3

* 4

Thebook'sshapeisamirror‑imageofT"eB""9eqfSα〃L"sRey.In SeeEdithOliver,T加勵9〃〃D"y(T舵Nef"Yりγ舵γ,May27,1967),p.146.

StanleyKauffmann,T肋γ"/o"W""(T"Ne"Rep@伽施,April8,1967),p.45.

(7)

『創造の第二週』考 39

bothnovelsthecentralfactisaphysicalcatastrophe。Theearlierbookunravels thedesignthatledcertainlivestothecatastrophe;thenewbookunravelsthe designcausedbythecatastrophe.*5

あ か し

と述べて,両作の冒頭の一節を並べ出し,その近縁性の証としている。もし彼に従ってワ イルダーのこれら二つの作品の中の類似点を探ろうとするならば,私たちは更に次の事実 をあげることが出来るであろう。『サン・ルイス・レイの橋』の終章はく恐らくは或る意 図が>(@Perhapsanlntention')と題されていて,5名の旅人の不慮の死の中に粉う方 なく神の摂理を読みとることが出来るとする作者の結論がいわばオブラートにくるまれた 形で読者に提供されているわけであるが,このようにキリスト者としての自己の信念を他 人に露骨に押しつけることは避け,信仰を失った現代人の感受性を考慮して,そこに多少 の懐疑の余地を残しておくというヒューマニスト的風貌ないしは姿勢を,『創造の第二週』

においては,人生の神秘とその神秘を貫いて働いている神の意図を確信するオハラの神秘 主 義 − こ れ は 取 り も 直 さ ず ワ イ ル ダ ー 自 身 の も の で な け れ ば な ら な い が − と 共 に , 人 生の象徴たるアラス織りの織り模様に対する人様々な解釈を並べ置くことを忘れない作者 の配慮の中に,窺うことが出来るであろう。マナンティアレスのウィカシャム夫人は『サ ン・ルイス・レイの橋』のマリア・デル・ピラー尼院長の再来であることは疑いないし,

そういえば,彼女の命をうけて,ジョン・アシュレイをテイブロネスに送り届けた老僕エ ステバン(Esteban)が,マリア尼院長に養われた双子の孤児の一人の名であることも興 味深い。

しかし「創造の第二週』は「サン・ルイス・レイの橋』とのみ類似しているのではな い。もし近縁関係を探ろうとするならば,ワイルダーの全作品がその対象になり得る,と 主張することも可能である。全篇を4部に分かち,各部がそれぞれその前の部よりより遠 い過去に湖る事象を記録しながら,それらがすべて終章部のシーザー暗殺の日に焦点を合 わせている『三月十五日』("TheldesofMarch")の技法の成功がなかったならば,『創 造の第二週』の構成法は存在し得なかったように思われる。何故なら,1902年,5月4日 のイリノイ州南部の町コールタウンを話の発端の地にして,舞台がシカゴ,ニュー・ジャ ージイ州のホポウケン,西インド諸島,チリーヘと拡がってゆくと同時に,時間も過去か ら未来へと豊かな広がりをみせつつ,終章の1905年のクリスマスの日のコールタウンの町 に再び一切の視点が凝集されていく,という構成は,『サン・ルイス・レイの橋』よりも,

より多く『三月十五日』に近似している,と言うことが出来るであろうから*6.ウィカシャ

っ ら

ム夫人の晩餐の席に列なった人々の間にかわされたく新しいアテナ>(NewAthens)建

* 5

* 6

jb".,p、26.

『わが町』("OurTown'')や『危機一髪』(.@TheSkinofOurTeeth''などにおけるく時>

(time)の自在な扱い方も勿捕考慮されてよいであろう。

(8)

日 南 田 一 男

40

設の夢が『三月十五日」におけるジュリアス・シーザー(JuliusCaesar)とクレオパトラ (Cleopatra)との間に屡々とりかわされたであろうく偉大なローマ>(GreatRome)建

か か

設の夢と関わりのあることは言うまでもないであろうし,又それが更に『ローマの秘密結 社』("TheCabala")の終章の亡霊ヴェルギリウス(Virgil)の予言とも鑿りを持って いることは,拙槁『c6TheldesofMarch"論』で明らかにされている通りである*7。

「ローマの秘密結社』の登場人物は皆作者によってキリスト教世界の異神たるギリシャ の神々に擬せられている。ヴァイニ枢機卿(CardinalVaini)はユピテル(Jupiter),グ ライア女史(MissGrier)はデメテール(Demeter),マルカントニオ(Marcantonio)は 牧神パン(Pan),アリックス(AIix)とブレア(Blair)はそれぞれヴィーナス(Venus)

とアドーニス(Adonis),そしてこの小説の語り手サムエレ(Samuele)自身をマーキュ リィ(Mercury)に見たてることが出来るわけであるが*8,それとまったく同じ発想を,

ジョン・アシュレイとロカス・ヴェルデス銅山の所長マケンジー博士(Dr.MacKenzie) との次の会話の中に認め得る筈である。

。GWhattypeareyo"?"askedDr.MacKenzieabruptly.

"What,sir?"

G6Whichofthegodsdoyoutakeafter?"Ashleyhadnoopinion.・cOh, you'reoneofthem,Tolland・Youcan'tgetawayfromthat.''

"Whichareyou,Doctor?"

"Oh,that'seasy・I'mHephaestus,theblacksmith・Allweminersaredig‑

gersandblacksmiths.Alwaysgettinginsidemountains,preferablyvolcanoes.

Nowwhichareyou?Eh?Healing,poetry,prophecy?

c。No!''

AreyouAres,thewarrior?Iguessnot・AreyouHermes!businessman,

O

banker,lawyer,liar,cheat,newspaperman,godofeloquence,guideandcompan‑

iontothedying?No,you'renotmerⅣenough."*9

フォート・バリーのミッション・スクールに学び,やがては尼になりたいと念願してい た フ ェ リ シ テ ・ ラ ン シ ン グ の 中 に 『 ア ル ケ ス テ イ ス 物 語 』 の 女 主 人 公 ア ル ケ ス テ ィ ス (Alcestis)の面影を認めることは可能であろうし,コールタウンの町のあるカンガヒー ラ溪谷(KangaheelaValleV)の自然を説明する医師ギリーズ(Dr.Gillies)の役割は,

『金沢大学教養部論集・人文科学篇3」,p.73参照。

Gf.RexBurbank,T伽γ"/o"W"〃γ(TwaynePublishers,Inc.,NewYork,1961),p.35.

ThorntonWilder,T""'〃〃Dqy(Harper&Row,Publishers,NewYork,1967),p

l 6 5 .

789 ***

(9)

r創造の第二週』考 41

『わが町』(・.OurTown")においてグローヴァーズ・コーナーズ(Grover'sCorners) の自然的環境を観衆に向って解説する大学教授のそれと同じものであることに,私たちは 気付くことでもあろう*'0.

ひ も と く ら

『創造の第二週』を繕く時,誰しもが第一に不審に思うことは,父親の死の前日姿を晦 ま し た ま ま そ の 後 全 く 消 息 を 絶 っ て し ま っ た ジ ョ ー ジ に 対 し て , 警 察 も そ し て 町 の 人 々 も,なんら注意を払っていないことであろう。こうした推理上の見え透いた欠陥の上に話 の 筋 が 展 開 し て い る 所 に こ の 作 品 の 重 大 な 弱 点 が あ る , と 私 は 思 う の で あ る が , そ れ は そ れとして,作者によれば,<アシュレイ事件>のあった20世紀初頭のアメリカの社会は,

家庭においては父権制から母権制へと移行する過渡期にあったのである。父権時代の名残 りの権威だけを保持しながら,真の家長としての資質を欠いていたブレケンリッジ・ラン シングの子供の養育法は,娘にはいたずらに甘く,息子にはひたすらに厳しく,ということ でしかなかった。ジョージを一人前の男に仕立てあげようとした彼は,子供の精神と肉体 の発達の度合を全く無視して,次々に水泳・野球・馬術・射撃を教え込み,ジョージが彼 の期待に応え得ない時は人前もはばからずに彼を椰楡するのであったが,このようにして 幼少から挫折感のみを味わってきたジョージが後に町の持て余し者に成長したとしても何 の不思議もない筈である。彼の非行は父親への,そして父親によって代表される一切の権 威への反抗であり,復譽であった。<セント・キッツ荘>を訪れることの多かったドウブ コフ女史は,子供の人格を無視して顧みないブレックのこの遣り方を目撃して憤然として 席を立ち,彼との絶交を言い渡したことがあった。以後彼女はブレックの不在が確実な時 以外はくセント・キッツ荘>を訪問することをしなくなったのであるが,ランシング家の 子供たち,とりわけてジョージには,この時たまのドウブコフの訪問が何よりの楽しみで あった。彼女の父は亡命ロシア貴族で,帝政ロシアの顛覆を図り,逐われてアメリカに渡 り,彼女独りを造して他界したのであった。ロシアの未来を信ずる心を彼女もまた父親よ り受け継いで持っていた。彼女の唯一の念願は再び故国ロシアの土を踏むことであり,や がてはそこに出現するであろう新しいロシアの建設に女ながらも一臂の力を貸すことにあ ったのである。不義不正のはびこる専制政治の打倒を叫ぶドウブコフの話に,いくたびか ジョージは息をのみ,顔をひきつらせ,蒼白になりながら,耳傾けたことであったろう。こ

ア イ ド ル

のジョージの激情は,彼の偶像だった母親ユーステイシアの血管に流れていたクリオール (Creole)の血の仕業でもあったであろうが,このドウブコフの話が後のジョージの父親 殺しの大罪の遠因の一つであったことは否定し難い所である。ジョージはドウブコフより ロシア語を学び,ロシアに渡って自由の天地に遊ぶことをいつしか願うようになってい た。母親ユーステイシアとドウブコフ女史の他に,ジョージが心を寄せた人がもう一人い

器10 風土と人との間に密接な関連があるという思想,そこからして,人を語る時にその人の育っ

た自然をあわせ説くという方法は,ワイルダーがガートルード.スタイン(GertrudeStein)

女史から学んだものであった。G/:RexBurbank,qP.c".,p.83.

(10)

42 日 南 田 一 男

た。ジョン・アシュレイで,ジョージの優しく繊細な反面に深い理解を示し,少年の傷つ き易い心を温く包んでくれたからであった。扁桃腺の手術でフォート・バリーに行き,手

うな

術の前夜悪夢に魔されて母親をてこずらしていたジョージを慰めながら,ちょうど精神分

もつ

析医が精神病者の心の糸の縫れ一つ一つ解きほぐしてゆくように,少年の心を解放し一夜 の休息を与えてやったのはジョン・アシュレイであった。彼はたまたま仕事でこの地を訪

お や こ

れ,ランシング母子と同じ旅宿に泊り合わせていたわけで,これが後にユーステイシアと の仲を疑われる一因となるのである。1902年2月,ブレックは妻ユーステイシアに躯の不 調を告げた。食べ物がもたれ,胸やけがして胃がひきつるように痛む,というのである から,胃潰瘍ないしは胃癌の徴候を既に示していたと考えてよいであろう。ギリーズ先生 の診断で,夫の病気の容易ならざることを知ったユーステイシアは,夫を入院させようと するけれども,ブレックはどうしても家を離れることを承知しない。妻に甘え,片時も妻 の傍より離れまいとするこの彼の心情が,無意識のうちに彼の心のうちに働いていた死の 予感から生まれたものでなかったと誰が保証出来よう。それにしても,献身的に彼を看護 するユーステイシアへの彼の態度は,彼女への依存度が強くなるにつれて日増しにとげと げしいものになっていった。理由もなく澗癩を起こし声を荒げたり,時としてユーステイ シア目がけて物を投げつけるブレックの姿が,ジョージの目にどのように映じたかは察す

あ な ど し い た

るに難くないであろう。父親に侮られ,虐げられてのみ大きくなった彼に,病める父の心

ア イ ド ル

理への同情は求め得べくもなかった。母ユーステイシアは少年ジョージの神聖な偶像であ

ア イ ド ル け が

った。今その偶像が理不尽な父の振舞いによって傷つき,潰されようとしている。病室の

ま わ わ

周りを用もなくうろつきながら,時折洩れてくる父の怒声と物の破れる音に,顔ひきつら す弟の姿に,言い難い不安を覚えたフェリシテは,母とも相談して彼をしばらくくセント・

キッツ荘>より解放してやろうとするのであった。重苦しく息詰まるような家庭の雰囲気 の外に出してやり,息子をその精神的危機から救出しようとユーステイシアが決意したそ の日の晩,不幸にもジョージは,妻とジョン・アシュレイとの仲を疑い,嫉妬の余りアシュ レイを殺してやるから,明日(日曜日)の午後,彼をライフルの競射に誘ってこいとユー ステイシアに毒づいている父の声を耳にしてしまったのである。言うまでもなくブレケン

お そ

リッジ・ランシンダ殺しの犯人は彼の息子ジョージであった。幼時から父に射撃を教わっ ていた彼は自分でもライフル銃を持っていた。二人の婦人の耳に銃声が一発しか聞こえな かったのは,敬愛するジョン・アシュレイの射撃時の癖を熟知していたジョージが,ア シュレイが撃鉄を引く瞬間を見計らい,同時に発砲したからであった。かくしてジョージ は,日夜父に苦しめられていた−と彼が想像していた−母ユーステイシアと,彼にと って精神的には実の父親以上の存在であったジョン・アシュレイを救おうとして,父親殺 しの大罪を犯したのである。犯行後彼は貨物車の車体の下に掴まってひそかにコールタウ

お と

ンを離れたが,セント・ルイス(St・Louis)市の駅構内で車体から振り落され,一時一切

(11)

晴創造の第二週』考 43

の記憶を喪失して蹴狂院にあったが,ふとしたきっかけで再び過去の記憶をおぼろげなが ら取り戻し,サン・フランシスコ(SanFrancisco)に出ることが出来たのは,事件があっ て恐らくは歳余の日時が経過していた頃のことであったろう*11o彼が擬狂院で空白の時を 送りつつあった時は,ジョン・アシュレイがニュー・オーリンズから南米のチリーヘと,

必死の逃走を試みている時でもあった。私たちはこのジョージを『危機一髪』("TheSkin

た め ら い

ofOurTeeth")のヘンリイ(Henry)と同一視することになんの檮跨も感じないである

の ろ

う。ジョージもヘンリイも共に呪われたカイン(Cain)の未窟だったのである。

うつ

ジョージの目にはどのように映っていたにしろ,死の直前のブレケンリッジが精神の大 転回点にさしかかりつつあったことは,誰よりもよくユーステイシアが知っていた。妻に

た だ

向けて吐く毒ある彼の言葉は,実は彼自身の心に深く突き刺さり,そこを赤く煽らせてい

さ い な と げ

たのではなかったか。われとわが心を苛めるために,一層練ある言葉を妻に向って投げつ けていたのではなかったか。夫の燗癩を柔らかく受けとめながら,ユーステイシアは,生 れ故郷の西インド諸島に伝わる

Thedevilspitshardestjustbeforehehastogo.*'2

という古諺を思い出しているのであった。果せるかな1902年5月4日,日曜日の朝は,ブ レケンリッジ新生の夜明けであった。前夜ジョン・アシュレイとの仲を疑い,妻にさんざ ん毒づいた彼も,この朝ユーステイシアの限りない愛に気付いて,夢から醒めた人のよう に己の罪深さを悟り,妻に心からなる感謝を捧げるのであった。教会詣での仕度を済ませ ていた二人の娘を病室に呼び,午後のピクニックの成功を祈った後で,教会に行ったら自

か わ

分に代って1ドル献金してきて欲しいと頼むのであった。「はい」と素直に返事する娘た ちに,

G・You'regoodgirls.Papa'sproudofyou.''*'3

と言うブレケンリッジの顔は,久しぶりに,この初夏の日の朝の如くに,晴れ晴れと輝い ていたことであったろう。ジョージはこの最後の日の父の晴れやかな顔を見ることもな く,父の和解の言葉を耳にすることもなく,その直前に姿を消していたのであった。ペル ー第一の名橋とその運命を共にした5人の犠牲者たちは,皆変災の直前に精神の回生を経 験していたことは,私たちも知っている*'4。更にまた私たちは,暗殺の日の直前のジュリ

ジョージから事件後最初の消息を受けとったのはフェリシテであったが,彼女の許に届いた その手紙の消し印は,<1904年1月,サンフランシスコにて>となっている。

Z流gぷり〃〃Dqy,p、360.

泌湿.,p、376.

この点については拙稿rThorntonWilder論一「愛」の問題を中心として』(『英語青年』,

1964年2月号)を参照されたい。

*ユ1

234111 ***

(12)

44 白 南 田 一 男

アス・シーザー(JuliusCaesar)が,まるで死を予感する人の如くに,激しく生への意 欲を燃焼させていたことを思い出すことも出来る*'5.新生の朝のブレケンリッジは妻に 向って

"Oh,Stacey,Iwanttogetwell!Iwanttogetwell!''*'6

と叫ばずにはいられなかったか,これらの場面はいずれも同工異曲であって,ワイルダー 愛用の手法と評し得るであろう。

§IV

このように『創造の第二週』が,その登場人物や手法において,ワイルダーのそれ以前 の殆んどすべての作品と共通する多くのものを持っている,ということは私たちに何を物 語っているのだろうか。それは単なる偶然であろうか。同一人物の作である以上,極めて

か か わ

自然な現象でしかないのだろうか。それとも,それはワイルダー文学の本質と係りのある

と い テ ー マ

ものなのだろうか。これらの問に答えるために,私はいよいよ『創造の第二週』の主題に ついて考察を進めてゆかなければならなくなるわけであるが,その手初めとして,まずジ

ョン・アシュレイとその4人の子供たちを取りあげてみたい。

作者はその<序章>の中で,主人公アシュレイ親子に共通する性質として,次の7点を 挙げている*'7.

1)競争心の欠如。従って他人を嫉視羨望したり,報復の念を懐くことこともなし、こ と。

2)自意識の過剰から照れたりはにかむということ知らないこと。従って他人の意向や 思惑を少しも顧慮せず,大胆に所信を発表しまた実行し得ること。

3)虚栄心がないこと。

4)ユーモアを全く解しないこと。

5)利己的な所が少しも見当らないこと。

6)<抽象的>(Cabstract')と評し得るような趣きが,その行動や思考の中にうかが えること。

7)素撲純真で,しかも教訓主義的な所があり,<地方の小都市的>(small‑town) 雰囲気の持主であること◎

私たちは,今上に列挙されているものを読みながら,それらがすべて『わが行く先は天国』

(・.Heaven'sMyDestination")の主人公ジョージ・ブラッシュ(GeorgeBrush)の中

*15

*16

*17

小論『C6TheldesofMarch''論』(『金沢大学教養部論集・人文科学篇3」,1965年)参照。

Z物g厩9""Dqy,p、375.

ゐ〃.,p、9.

(13)

『創造の第二週』考 45

に具備されていることに気付かずにはいられないであろう。事実アシュレイ親子は現代の ドン・キホーテたるブラッシュの分身であった。そしてブラッシュがくアメリカの家庭>

(Americanhome)の建設にその持てるエネルギーのすべてを注入したように,アシュ レイ親子も,それが何であれ,彼らの現前の仕事に全力を傾けることが出来たのであった

*'8°彼らにあっては,自己の課題遂行の前には,他の一切の考慮は姿を消してしまう。ロ ージヤーのシカゴ行きには二つの目的があった。第一は金を儲けて母に送金すること。第 二は生涯を賭けて悔いない仕事を見出すことであった。別れを前にして妹のソファイア に,<お母さんに送金するためなら,人の金を盗むことだって僕は平気だ。>*19と語るロ ージャーであった。事実彼はホテルで働いていた時,泊り客の金を盗んだことがあった。

しかしながら,彼が新聞記者になるまでに様々な職業を遍歴したのは,ただ稼ぎの多い職 種を求めたためからでは毛頭ない。生涯の仕事が何であるか,彼自身にも判然とはしてい なかったけれども,今の仕事が自分の目指すものでないことを悟るやいなや,彼は決然と して職場を替えていった。たとえ新しい職業が彼により少い報酬しか齋さない場合でも。

彼が病院の雑役夫になったことはその一例と言えるであろう。このように様々な職業に 就き,様々な人と交わり,様々な経験を積み重ねながら,ロージャーは,動物のように鋭 い嗅覚を働かせて,自己の天職たるべきものへと次第に近づいて行ったのである。ロージ ャー・アシュレイのこの世での足迩を後から辿った人は,そこに綿密な計画と沈着冷静な 行動とを見出したであろうが,私たちはこのロージャーの原型として,南米チリ−を目指 して逃走を図ったジョン・アシュレイを持っている筈である。アシュレイ親子にこのよう に豊かな精神と肉体のエネルギーを供給したその源泉は,彼らに生得の猛烈なく生きんと する意志>(willtosurvive)であった,と私は思う。そしてこの意志を最もよく代表す るものがソファィアだったのである。ロージヤーなき後のく楡の家>をその双肩に支え て,この家を崩壊より救ったものが14歳になったばかり彼女だったことは,既に述べた。

盗みをさえあえて怖れない,とロージャーをして言わしめたものが,世の尋常の倫理さえ その前には力のない,生きんとする意志,滅びることを拒否する意志であったことを,

この少女は本能的に』悟っていた。兄の言葉にすぐ頷き返した彼女の顔には,些かの'懐

た め ら い

疑,些かの檮跨の色も淀んではいなかった筈である。法廷で死刑の宣告を受けた時も,ジ ョリエットの刑場に運ばれる汽車の中にあっても,ジョン・アシュレイが死の恐怖より全 く自由であったのも,この生きんとする意志のお蔭であった。ジョン・アシュレイが死を

せ い

怖れなかったのは,彼が豪胆であったからではない。動物のように生に絶望することを知 らぬ彼の生きんとする意志が,彼に死を想い,死を恐怖することを許さなかっただけの話 である。生きんとする意志は生きてある限りは生きることのみを思い,そして死は死の瞬 ,el8SeeT"eaP〃んDqy,p.209:TheAshleysgaveallofthemselvestowhatevertask

wassetbeforethem,

*19沁惣.,p.43,

(14)

46 日 南 田 一 男

間まで死ではないからであった。

せ い

しかしながら,アシュレイ親子を支配していたこの生への意志が決して閉鎖的な利己主

っ な

義に繋がるものでなかったことを,私たちは看過してはなるまい。彼らの心は常に外の社 会に開かれていた。彼らは周囲の人々の不幸を少しでも軽減し,幸福を少しでも増進する ことに懸命で,自分の利益に対しては驚く程に冷淡であった。ジョン・アシュレイはプレ

ま ち

ツクの精神的堕落を食い止めようとして,彼を街の発明家まがいの機械いじりに誘った。

そして事実上彼独りの考案であった種々の発明に対して,特許権を取ろうともせず,それ らの考案にブレックの名を自分の名と共に冠せしめたものは,彼のうちのこの精神であっ た。マナンティアレスでウィカシャム夫人が経営する病院や孤児院での彼の献身的な奉仕 も,ロカス・ヴェルデスに働くインディアンたちの部落に赴き,貧しい人々の福祉と健 康に心を砕いたのも,また一種独特な信仰に生きていたく契約教会>(theCovenant Church)のインディアンたちに,崩れ落ちた幕舎の再建のためにと,150ドルの金を与 えたのも,皆同じ精神の発露であったヅと言わなければならない。ハーコーマーの丘 (Herkomer'sKnob)に住むこのインディアンたちは,これを徳として,再建成った教会

こ れ し る

の入口の壁にく1896年4月12日。ジョン・アシュレイ之を建つ>と記したのである。貧し

た く わ

いこのインディアンたちは,額に汗して蓄えた僅かな金を少しずつアシュレイに返そうと する。しかしジョンはその金をすべて彼らの子弟のために費消した。ポーキイをスプリン グフィールドに送り,靴直しの業を覚えさせたのはこの金であった。そしてポーキイはロ ージャーとその姉妹たちの最も忠実な友となった。自らの死を賭けて国法を犯し,死刑囚 ジョン・アシュレイの救出をはかった6名が,このインディアン部落の者であったことは 言うまでもないであろう。ジャーナリストとしてのロージヤーの成功が,また,社会改善 への彼の強い関心によるものであったことは偶然ではない。シカゴを世界で最も偉大な,

最も開化した,最も人道的な,最も美しい都市にしようと図る委員会を代表して,ロージ ャーを訪れた弁護士エイブラハム・ビトナー(AbrahamBittner)は,自分たちの運動 に対するロージヤーの貢献を謝したあとで,彼に『イザヤ書』第40章第3節のくなんぢら

ゑ ち お お じ

野にてヱホバの途をそなへ沙漠にわれらの神の大路をなほくせよ>の語を記した自分の

お お じ

時計を見せている。ロージャーもまたぐ沙漠にあって神の大路を直ぐする>者の一人で

い さ

あることを示す一挿話といえよう。母ビアタの吟いつけで学校を退げられく楡の家>の 外に出ることを禁じられながらも,再び学友と交わることを切望していたコニー,後年社 会運動家として国際的にその名をはせたコニーこそ,アシュレイ家の人々の中に脈々と流 れていたこの社会的関心を象徴する存在であった。

ソファイアに生きんとする意志を,コンスタンスに社会性を象徴させることが出来るな らば,アシュレイ親子の中に見出されるもう一つの特徴一・未来を信ずる心,<希望>

(hope)を象徴するものはリリーであった。<楡の家>にあった彼女は無言のうちにも,

或る輝かしい未来が自分の前途に横たわっていることを信じて疑わなかった,と作者も書

(15)

『創造の第二週』考 47

いている*20oそして常に夢みているようなこのリリーの中にも,父より受け継いだ強力な エネルギーが徐々にではあるが蓄えられつつあったのである。ジョン・アシュレイは,7 年待てば妻子に再会する機会もめぐってくるかもしれない,というホッジス夫人の言葉を 篤く信じていた。そしてその7年目を心より待ちつつ南米沖の海に沈んでいったのであっ た。希望を知る人の心は常に前に,未来に向って開かれている。丁度,社会的関心の強い 人の心が常に外に,周囲に向って開かれているように。ソファイアにくお母さんに送金す るためなら,人の金を盗むことさえ僕は怖れないだろう>と語ったあの別れの時,ロージ ャーはまた次のようにも言っているのだ。

GGNow,Sophie,rememberthis:What'shappenedaboutPapaisn'timpor‑

tant.What'simportantiswhatstartsnow."*21

こ だ わ あ し

父を想う心が彼に薄かったわけでは勿論ない。既往に拘らずしっかり現実に脚を踏み据え ながら,常により良き明日に向って前進に努めることこそ,父の精神に生きるものである

ことを彼が知っていたからに違いない。

<生きんとする意志>を象徴するソファイア,<社会性>を象徴するコンスタンス,

<明日への希望>を象徴するリリー,この3人の娘の精神の対極に立つものが彼女らの 母ビアタであった。ビアタのこの世での最大のそして唯一の関心は彼女の愛する夫ジョ

よ る こ

ンであった。その夫を奪われた彼女は一切の生きる悦びを喪失し,<楡の家>の門扉を固

とざ

く鎖してしまった。彼女の躯がく楡の家>の外に一歩も出なかったように,彼女の心は 常に内に,過去に向けられている。ビアタに,夫を除いて,真に友と呼びうるものが一 人もいなかった,とリリーが語っていることは興味深い事実である*22.人間において,生 きるということは他と共に生きることでなければならない。他への関心の欠如はとりも直

せ い せ い

さず生への関心の不在に繋がり,生への関心の喪失は救いへの拒絶に通ずるものではない だろうか。人は人を神の如くに愛し,崇めてはならない。ジョン。アシュレイを神の如く

せ い

に崇め愛したビアタは*23,己の神を見失って忽ちに生への一切の意欲を失ってしまっ た。ビアタによって象徴されるもの−それはく死>(death)である。後年擬狂院の

に お

人となったソファイアがラベンダーの匂いをひどく嫌ったという一事*24は極めて象徴的 である,と私は思う。昔彼女の母は,よくこの花を集めて虫除けの匂い袋を作っていた。

0123 |程程超程

SeeT"e"9〃〃Dqy,p,52.

沁城.,pp、42‑43.

沁加.,p、272.

シカゴで再会した弟ロージャーに向って,リリーは母について次の如く言っている。G(Mama worshippedPapa…、Mamacaredforonlyonepersonintheworld,Shea4OredPapa,''

(〃。.,p、272.)

jMI.,p,407,

*24

(16)

48 日 南 田 一 男

< 生 き ん と す る 意 志 > は く 死 > の 象 徴 に つ な が る も の を 避 け ざ る を 得 な か っ た の で あ る。たとえその匂いがなつかしい母の匂いであったにしても。私たちはこのビアタの中に 自由に『危機一髪』のアントローバス夫人(Mrs.Antrobus)の投影を見ることが出来る か も し れ な い 。

§ V

し る し

ドウブコフ女史はジョン・アシユレイとその子供たちの中に早くからあるく印>(sign) を感じとっていた*25.彼女がアシュレイ事件に異常な関心を寄せた真因もそこにあった筈

し る し

である。同様に神のく印>をアシュレイ家の中に認めていた者に,もう一人,ポーキイ の祖父で契約教会の長老サムエル・オハラがいた。彼がジョン・アシュレ,イの中に,主た る神の使者,大いなる神の意志,を見出していたことは疑いない。彼はくエッサイの家>

(theHouseofJesse)の話*26を語り聞かせた後で,ロージャーに向ってこう言っている。

"Youcomefromsuchahouse・Youaremarked・Themarkisonyour forehead.''*27

ワイルダーは第四章くニュー・ジャージイ州ホポウケン>の末尾に,アシュレイー族を く彼等が(極めてアメリカ人らしい)アメリカ人であることは明白である>と評した筆名 をアティカス(Atticus)と名乗る男の話を持ち出しているが*28,このことは,作者の意 図がアシュレイー族を等号によってアメリカ人と結びつける所にある,言葉を換えるなら ば,アシュレイ親子こそワイルダーの理想のアメリカ人である,ということを私たちに教

*25qf.T加厩,"肋D",p、71andp、85.猶この話は『アルケステイス物語』の中で,アルケス

し る し

テイスこそ神の大いなる意志のく印>(Zeichen)であるといったケリアンデル(Cheriander) の言葉を想い起こさせるであろう。

ちな

*26因みに『旧約聖書』には,<エツサイの家>について次の如く出ている。

か ぶ み

「エツサイの株より一つの芽いで,その根より一つの枝はえて実をむすばん。その上にヱホバの霊 とどまらん。これ智慧聡明の霊,謀略才能の霊,知識の霊ヱホバをおそるるの霊なり。かれはヱホバ

お そ た の し ゑ さ ば き さ だ め

を畏るるを歓楽とし,また目みるところによりて審判をなさず,耳きくところによりて断定をなさず,

い や さ だ め

正義をもて貧しき者をさばき,公平をもて国のうちの卑しき者のために断定をなし,その口の杖をも

く ち び る い ぶ ぎ あ し き ひ と

て国をうち,その口唇の気息をもて悪人をころすべし。正義はその腰の帯となり忠信はその身のおび

こ ひ つ じ こ や ぎ こ う し を じ し こ え け だ も の を

とならん。おほかみは小羊とともにやどり,豹は小山羊とともにふし犢牡獅肥たる家畜ともに居りて

ち ひ き わ ら べ め う し と も し し

小き童子にみちびかれ,牝牛と熊とはくひものを同にし,熊の子と牛の子とともにふし獅はうしのご

ち の 熟 ご ち こ か

とく藁をくらひ,乳児は毒蛇のほうにたはふれ,乳ばなれの児は手をまむしの穴にいれん。斯くてわ

き よ き や ま い づ こ そ こ な や ぶ

が聖山の何処にても害ふことなく傷ることなからん,それ水の海をおほへるごとくヱホバをしるの知

は た < に ぴ と

識地にみつくければなり。その日エッサイの根たちてもろもろの民の旅となり,もろもろの邦人はこ

ま つ ろ

れに服ひきたり栄光はそのとどまる所にあらん。」(『イザヤ書』,11:1−11)

*27j6".,p.429.

*28勉惣.,pp.305‑306.

(17)

『創造の第二週』考 49

えるものではないだろうか。もしこの推測が正しければ,<エッサイの家>はとりも直さ ず,アメリカであり,アメリカの文明であること,従ってアメリカ人の,過去よりもむし ろ未来に目を注ぎ,未来を信じ,その未来に向って−数々の失敗を重ねながらも挫折を 知らぬ希望を胸に−力強く進みゆく,その溢れるようなエネルギーこそ人類の明るい未 来を費すものである,というのが『創造の第二週』一篇の趣意でなければならない,と結 論することが出来るであろう。アシュレイー族をさしてくエッサイの家>と称んだサム

メ シ ア

エ ル ・ オ ハ ラ が , す ぐ そ の 後 で , 救 世 主 を 生 み 出 す と い う い と 高 き 運 命 を 担 う 国 は ア メ リ カではあるまいか,と言っていることは,上の私の推論を裏書きしてくれるであろう*29.

本書の題名は,20世紀の夜明けを迎えようとしていた1899年12月31日,大晦日の晩,医 師ギリーズがコールタウンの酒場で行った次の演説から取られたものである。

G@Natureneversleeps・Theprocessoflifeneverstandsstill.Thecreation hasnotcometoanend・TheBiblesaysthatGodcreatedmanonthesixth dayandrested,buteachofthosedayswasmanymillionsofyearslong.That dayofrestmusthavebeenashortone.Manisnotanendbutabeginning.

Weareatthebeginningofthesecondweek.WearechildrenofMeeig""

〔 地 y ・ " * 3 0

ギ リ ー ズ の 上 の 言 葉 が , そ の 酒 場 に 集 っ た 人 々 の う ち , 特 に ロ ー ジ ャ ー , ジ ョ ー ジ の 二 少年を意識して語られたものであることを私たちは忘れてはなるまい。この二少年の双肩 に,おしなべてアメリカの若い力に,人類の未来がかかっていることをギリーズは力説し て い る の で あ る 。

ウィカシャム夫人のホテル・フオンダで,新しいくアテネ>建設の夢物語が話題にの ぼった晩餐は,ジョン・アシュレイにとって寛いだこの世におけるく最後の晩餐>だっ たといえよう。そしてこの理想都市建設の夢が,『三月十五日』のジュリアス・シーザー の偉大なローマ建設の夢と鑿りのあるものであり,ひいてはそれが『ローマの秘密結社』

の末尾のヴェルギリウスの予言とも結びつくものであることは先に述べた通りである。消 え去りゆくヴェルギリウスの亡霊を見送る青年サムエルの足元では,彼を再び新世界アメ リカに連れ戻すべき船の機関が既に始動を開始していたのであるが,この機関の高鳴りこ そ,このアメリカ人の心臓の力強い鼓動であり,人類の明日を開く命運を担ったアメリカ そのものの鼓動でもあった,と言えるであろう。

*29""。,p、431:GcCanitbethat‑thiscountryissingledoutforsohighadestiny…?,,

*30池〃.,p、16.イタリックは筆者。

(18)

日 南 田 一 男 50

Theshimmeringghostfadedbeforethestars,andtheenginesbeneathme (i、e・Samuele)poundedeagerlytowardsthenewworldandthelastandgreatest

ofallcities.*31

これまで私たちは,『創造の第二週』がワイルダーの人類の未来を開くアメリカへの信

テ ー マ

仰を主題とするものであることを見てきたoそして今40年余にわたるワイルダーの作家生

テ ー マ

活の所産を大観する時,この作家の文学の主題としてただ一つのものだけがそこに大きく

テ ー マ

淀びがあって見えることに気付くことであろう。そしてそれは彼の最近作の主題と全く同 一のものでなければならない。『タイムズ文芸附録』(T"TM@es〃ノe''""S""/e"fe") の 評 者 は , 「 創 造 の 第 二 週 』 に つ い て

...theultimateconcern(i、e・ofT"eE"〃〃D"y)tooeasilyre‑echoes GeorgeAntrobus's・Gmostimportantthingofall:thedesiretobeginagain,to startbuilding."*32

と述べているが,「創造の第二週』は挫折感ないしは絶望を全く知ることないアメリカ的 楽天主義の象徴ミスタ一人類(Mr.Antrobus)*33を主人公とするこの『危機一髪』との み そ の 主 題 を 同 じ く し て い る の で は な い 。 何 故 な ら , ジ ョ ン ・ ア シ ュ レ イ に よ っ て 代 表 さ れる精神が,『ローマの秘密結社』のサムエル,「サン°ルイス・レイの橋』のマリア・

デル・ピラー尼院長,「アンドロスの女』("TheWomanofAndros")のパンフィラス (PamPhilus),『わが行く先は天国』のジョージ・ブラッシュ,『わが町』のエミリイ (Emily),『危機一髪』のこのアントローバス,「三月十五日』のジュリアス・シーザ ー,そして『アルケスティス物語』のアルケステイスと,ワイルダーの殆んどすべての作 品 の 主 人 公 の 中 に − 濃 淡 の 差 は あ っ て も 一 体 現 さ れ て い る こ と を 私 た ち は 知 る か ら で ある。

従来人はしばしばワイルダーをアメリカ文学の伝統の外にある存在とみなし勝ちであっ た。後に挙げている若き日のグランヴィル。ヒックス(GranvilleHicks)などもその一例 といえるであろう。しかしながら,ド・クレヴキュア(J・HectorSt・JohndeCrevecoeur)

と い

の古典的な問以来,<アメリカ人とは何ぞや>という問はアメリカ文学の大きなテーマの 一つになっている,とウォルター・アレン(WalterAllen)は説き*341佐伯彰一氏がその 近著『文学的アメリカ』の中で述べておられることもまたそのことに他ならないのである

T〃Ca伽ノα,p、187.

T"eTj"@es〃/gj'"yS"妙ノeWe"#(Mayll,1967),p,393.

SeeDonaldHaberman,T"PノaysqfZ、肋γ"#OlzWi""(WesleyanU・P.,1967),p.27.

WalterAllen,Tγα〃io"""[JD''"",(PhoenixHouse,London,1964),pp.xvii‑xviii,

司上ワ﹈no4 noの○non︒ ****

(19)

r創造の第二週』考 51

が*35,もしこれら文学史家の言に従ってアメリカ人のく自己同定>(self‑identifica‑

tion)の試みへの偏執狂的執着と,そしてその背後にひそむ自国アメリカ文明の未来に対 する楽天的信仰を,アメリカ文学という大河を形成する主流と考え得るならば,私たちは ワイルダーもまたこのアメリカ文学の主流の中の一つの小さな流れであることを悟るであ ろう。私はワイルダーをアメリカ文学界の孤児の地位から安全に解放し得ると信ずる者で ある。

§VI

私は『創造の第二週」が読者に訴えようとしているもの,換言すれば,ワイルダーの思 想を追い求めるのに急であり過ぎたようである。文学作品はその中に生きた人間が描きこ

なま

められていなければならない。思想を生のままに提供する哲学吉とは異るものであること は言うまでもないのであるが,この自明の大前提からベンジャミン.デモット(Benjamin DeMott)は「創造の第二週』に対して懐く不満を次のによう言い表わしている。

Thecharactersof"TheEighthDay",likethoseinmanyofhisearlier books,doubtlessseemedinconceptioninterestingandsignificantaswellas familiar.Yetinthecreation,theactuality,theyarewanting・Thenovelist cannotfindhiswaythroughthestocknesstotheparticularity.Hecannot inhabititandlightitandbodyitforthashumannessunderstoodfromwithin.*36

そしてかかる不満がひとりデモットのものばかりでなかったことは,本書に対して寄せら れ た 諸 家 の 批 評 に 目 を 通 し さ え す れ ば 明 ら か に な る 筈 で あ る 。 「 タ イ ム ズ 文 芸 附 録 』 の 評者は,「創造の第二週』をく小説>(novel)とはジャンルを異にするくロマンス>

(romance)である,と性格規定をした後で,次のような批判を下している。

Anovel,statedHawthorninhisprefacetoT"eHo"se"ノ"eSez)g"Gα"eS, G。ispresumedtoaimataveryminutefidelity,"butromance,whilekeepingto c6thetruthofthehumanheart‑hasfairlyarighttopresentthattruthunder circumstances…ofthewriter'sownchoosingorcreation.

AsanAmerican"romance,"T"eEj9〃〃D"istoobloated:asanovelit lacksthestuffofdrama,aconfrontationofcharacters....Towriteromanceat thislength,withsocool,soOlympianaglancewas,fromthestart,acontra‑

dictioninterms aconfusionofgenres.*37

*35佐伯彰一:『文学的アメリカ』(中公新書,1967).猶この問題については,Steinbeck, A"@g"允αα"zIA"zgγ〃α"s(TheVikingPress,1966)も有益な参考書になり得るであろう。

*36SeeT舵Ⅳez"Yoγ々ZV"zesBoo"Rezノjgz"(Aprill967),p.52。

*37T"eT"esL"""yS"pJe"zg"#(May11,1967),p、393.

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日 南 田 一 男 52

周到にしてしかも犀利な批判であり,充分に説得力を持った評言であると思う。小説にし る戯曲にしろ,それを表現する文学的技法に常に強い関心を持ち,度々目己の作品におい て実験を試みてきた作者が,『危機一髪』及び『三月十五日』の実験を踏まえて,この一

作で更にまた新しい躍進を心がけたのかもしれないが,この度の実験が必ずしも『三月十 五日』におけるような成功を収めていないことを,なんびとも承認しないわけにはいかな

い で あ ろ う 。

それにしても,ワイルダーの新作にもっとも手酷しい鉄槌を下しているのがスタンレ イ・カウフマンであることは,井上謙治氏も指摘しておられる通りであるが*38,私は次 に引くこのカウフマンの言葉を老作家がいか巌る感慨を以て読んだであろうか,と想像を

た く ま し く せ ず に は お ら れ な い 。

AlthoughtheWilderviewsarerecognizable,thisnewbookalmostseemsto havebeenwrittenbyanotherman,animitatorinferiortothefeeblestWilder wehavepreviouslyseen・Thewriting‑byamandistinguishedinhisyouth f o r s t y l e ‑ i s w i t h o u t g r a c e , t h o u g h h e s t r a i n s f o r i t c o n s t a n t l y ; t h e c h a r a c t e r s a r e s t a g y , h o l l o w , u n r e a l i z e d , t h o u g h t h e y a r e l a d e n w i t h c h a r a c t e r i s t i c s ; t h e p l o t , f u l l o f a r t h r i t i c t w i s t s , i s a t t e n u a t e d a n d u n d r a m a t i c a l t h o u g h t h e a u t h o r h i m s e l f s e e m s g e n e r a l l y b r e a t h l e s s w i t h e x c i t e m e n t ; t h e t h e m e , a s a p p r e h e n d e d here,issophomoric,althoughWilderhasdealtwithitbeforewithatleast

someimmediateeffect.*39

かって30余年前,ワイルダーが『アンドロスの女』を著わした年,当時文壇の左翼にあっ て論陣を張り勢威を誇っていた評論家マイクル・ゴールド(MichaelGold)が<お上品 なキリストの預言者ワイルダー>("Wilder:ProphetoftheGenteelChrist")なる一 文を草して,発表したのが,上のカウフマンの書評を載せた同じ『ニュー・リパブリッ ク』(@NewRepublic')誌であった。『サン・ルイス・レイの橋』で獲ちとられた赫々た る作家の名声も,このために俄かに失墜し,一時は−少なくとも専門文芸批評家たちか らは−忘れられた存在になったことを私たちは知っている。『創造の第二週』に対して 誰よりも熱烈な讃辞を送ったグランヴイル・ヒックスもまた,この当時−それは1935年 であったが−の自著『アメリカ文学の伝統』("TheGreatTradition")*40の中では,

ワイルダーをアメリカ社会の現実に相捗ることのない作家,現在の人生に積極的な価値を

『英語研究』(1967年11月号),p.32参照。

TheNe"R"MC(April8,1967),p.26.

GranvilleHicks,T"Gr"#Tγα〃"oz:A"I"fe幼γg加"o"q/A"zgγ允α""#gγαγes"@cg

#舵C畑ノW"(RevisedEdition,BibloandTannen,NewYork,1967),

890334 ***

参照

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