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宮 川 剛

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一 ▼

. 2

<MotS‑clbs>の作品解釈上の価値

‑Val@ryとBaudelaireの場合一

宮 川 剛

言語学者Pien℃Guim''(1によって,数年前からl川腿になっているStmiStique Lm呂胞tiquc("1)の中で,とくにStntistiqucduV()c,,bulai"に関しては,一昨年秋 のフランス語学会で,その概要を述べておいたが,(雌2)その際とくに,mots"1"

(注3)が作品解釈上において,かなりの恵親をもつのではないか,ということを暗 示しておいた。ところが,その時はまだ手にしていなかったGuimIMIの次の労作,

VersincationctLinguistiquedoPaulVnlfry(1954)statistique が,言語学的な意味から価値あるばかりでなく,淵法研究pmftrique研究からさら に,作品内容の解釈にまで拡充せられているのを知り,私の予想があたったことを,

うれしく思った。とくにその中で,mols‑th@mes,m()Is‑cl曲が作品解釈上の鎚とされ ていることは,少なからぬ興味であった。

というのは,それが導きだす結論が,極めて Ⅲ的であって,従来の研究方法を机 底からくつがえすものだと,考えたからではない。それが従来の方法による解釈から,

それ程かけ離れたものにはならないだらうことは,はじめから予測されたが,少くと も科学的な裏付けという意味から,一つの進歩と恩はれたし,またわれわれ外国に居 住する外国文学研究者にとっては,資料の貧醐さをかこつ必要がない,という便があ

るからである6

だが,Cuimudに従ってこの方法を文学解釈に適要しようとする前に,考えてみな

◎ければならないことがある。それはこの方法の合班性,科学性の限界と,解釈そのも

のの限界である。というのはStatigliqucがstatistiqucとして止る限り,それは資料 でしかなく,そのままでは何らの給油とならない。といってここから何らかの結塗を 導きだそうとすれば,畜料はやはり,判打の避択にゆだねられなければならず,その 際,主観的判断,恋意的選択がなされなければならない,ということである。

.G1'irymOOflがstatistiqucの成果のみに満足せず,ともかくもつき進んだ解釈にまで進 んだことは,彼が単なる言語統計学巷にとどまらず,すぐれた文学批僻家であること を示したものである。しかし秘はこの(;uimu(1の解釈において,やはりその資料の 処理方法,その解釈の仕方に上述のような蛭間をいだいた。これは純粋に科学的な彊 料のみをもとにしてでき上った解釈ではなく,むしろ従来の解釈を合那化し,満足さ せる程度のものではあるまいか。やはり作品そのものの味晄によってえられた判者の 印象が,その解釈に色濃くでていると忠はれたからである.

(2)

1.

ここで程はその方法を別の作品乃至作家に遠"】して,これを新しく見直そうとする つもりはない。ただGuim'MIの方法の限界と,その効果を吟味し,将来の批判にそ なへるため,FlcursdUmalをその一例として,その適用方法(乃至その限界)を 考えてみたいと思う。

− 1 −

GRDimMはStatisliquedUVOCabul皿睡duSymbolismeにおいて,6人の詩人の motsTI偽を抽出し比較しているが,そのmols‑cl鱈の平均麦がここにある。(注4)

528 割 0 19000

Apiir Valfry

Claudcl

■ ■ ■ ■

BaQIfMI1irc Rimlmmn MaⅡnrmf

705釦訂型

I

この糞は各詩人の作品のmnts‑cl曲のV皿dcBcke表におけるRangを平均した ものである。この変でみるとpXnOtS‑cl亀に最も頻度の低い言葉を用いているのは Vnlfryである。頻度(FItquen"以下F、と略す)の低い言葉がmots‑cl@Sになっ ているということは,とりも直さず,その作品のmOig‑c峰が股もoriginalit@を示す ことを意味する。彼がまつ先にValfryについて,その作品解釈を示・したのは,こん なところに理由があるのかも知れない。このことはGuiraudの方法を他の作品に適 用する場合,まづ注愈しておかなければならない。というのは,作者,作品によって mots‑clfsの恵味するもの,その性絡が,かなり異るかも知れないからである。

ここで先づ,GuimudのValfry解釈の概要をのべるが,その際GUimnnilの資料と なったmots‑clfs表は次のようなものである("5)

考第岬識麺祇迦恥?5000

2030

603.2

2a公一

釦釦弱釦妬妬兜副恥0錘鋤恥恥︾袖α恥恥鋤一rら

Imart.I(RangdeV.B R o s c 2 4 1 , 0 1 0 S c c x c t 2 0 6 8 6 S O m b " 2 0 6 9 5 C o r p s l 9 ̲ . 2 2 6 C i c ! 1 9 4 2 5 D o u x l 9 3 5 0 M e r l 7 . 5 6 7 0 S o l c i l l 7 4 4 0 M o r t l 7 3 1 6 C o c u r l 6 3 4 5

一一

I

I

= 一

(3)

一 一 ケ

200

ここからGUirjnn'flは次の如く結論した。(注6)

<OmbreとPurとはmotsTI亀のdeuxprcmiersmOtsであり,この二錨は全体 を通じて,極めて規則的なちらばりをもっている。この二語はそれ故,Portamsde deCOrPOCti(IuedeP・Valfryとみなしうる。>

,ここでlleUXPxcmiersmOtsとしてOmb唾とPurが選ばれているが,この二錨は 第二表によっても明らかな如く,必ずしも最上位ではない。夫々第三,第五R皿gを

占めている。何故上位から順にとらなかったかは,明らかにせられていないが,恐ら くGU;m'w41は語のもつ内実を考慮に入れたのであろう。或いはまた,上位五語AZur, SongB,Pur,Chair,OmbrcのF・がそれぞれ,Val@ryにおいて,24,28,70,32"

67,であり(註8)ただF.だけをもとに考へれば,Pur,Ombrcが一きはめだつた めであろうか。恐らく二つの理由からであろうと忠はれる。しかしF.のみからみる と,hmeも67であり,pur,ombreと並んで使用度数の多いことに注激すべきであ る。また,VEndeBeke表にないOnde,d@licc,nympheというような語も,もし R血I唱を与えられたとすれば,恐らく重要なmots"llfsに加えられるにも拘らず,そ れを無視している。これらの語はいづれも極めてValdry的な言葉でありながら,

Val6ryのUIjvemを示ず言葉として不適当とみなしたのであろうか。

ところでこの二つの言葉を中心に,Guiraudは篤く程整然としたVal@ryの世界 をきづきあげる。

<S@mantiqueな見地からみると,このPur,0n山rCの二語は,Vmldry世界の両極 をなす。即ち,6trcとnon‑ctm,durdeとtcmps,absenscとPr@scnge,ordrcと dfsordrc,clart5とmystbrc,esscnsesとsuljStance,これこそは偶然との戦いにおい て,絶対を渇望する魂の演ずる悲劇の合唱であり,Val6ry文学のcifsdemotacl"で あって,Purにはcicl,or,jOur,:solcn,lumiCre,がjombreにはamourbsccrct, songc,silCnceが従う。またさらにこの二語は,他面において,非常に広範な意義をも ち,Sul)stanCCと同時にFsHEnsf9を,Cor"と同時にl'Amcを,""tと同時に Sc1,sを,lanatureと同時にl'hommc,l'lmimfと│司時にI'imminlfに摘要される

nnwniValumtなもので, nsの凡ゆる箇換が可能であるol'jime,lecorps,11orjleCicl, l'amour,Dicu,lamort,l'onde,l'cau,lcsyeux,lam'it,lejour.lebras,lachair, lesilence,これらのmois‑cl",mots‑th@mcは順次にPur,とsomljxe(ombx℃に関係する語)

(注9)の二謡によってqualifierされうるのである。しかもこの二語は,Indo'‑

European以米,Ia血語を通じてフランス緒に至るまで,極めて一般的な,と同時 に韮本的な譜であって,Phon@tiqucな見地からみても<u>と<i>という,mlus aigueな母音と<o''>というplusgmVeな母音をValfryが最も好んだことは,思 いだすまでもない。さらに,音の象徴性を僻ずるとすれば<u>はplusclairな音で‐

あるに対し,<o''>はsomhmな背であることもDPが抽象的であり2!これに対し OmlbT℃に現れるbが具体的な音であることも注意さるべきである。>と

まことに首尾一職一分のすきもない程みごとな世界が解かれている。たしかに Valfryの世界はこのように整合的な,水昌宮のような世界であり,作品そのものか

i'f.iJ 1fl

I i

(4)

1

ら受ける印象も,このCuiIwnnndlの解釈に異をさしはさむ余地がないように思はれ る。だがこのことは反面,Guimudの解釈の科学性を否認することにもなりかねな い。というのは,Guimudの解釈が,実はその資料をもとにつくりあげたというよ り,かへつて作品そのものから櫨覚されたような整然さだからである。Pur'ombr巴を 両極としたこの解釈も,よく考えてみると,必ずしも第二菱のmots‑clfs及び,その 数値をそのまま利用しているというものではない。そこにはかなり独断的な選択と,

判断が含まれている。たとえばここでは,mOIs‑cMsの第一位にあるAzurは何ら説 明されていない。さきにのべたonde,d61i",nympllcもなんらかのoriginalitさを示 すものとして解釈せられてもよい。また0mlDI℃,l)urの系列に羅列せられた言葉は,

はたしてGuiraudのさうままに,その系列内に止っているであろうか。たとえば10 IJmgがsombmとpurの二脳によってqunlificrされうるとは,どのような意味であ ろうか。

このような疑問はもはやこのmots=cl蝿災のみから考えるべきではないのかも知れ ぬ。語の内実は,つきつめて巻えようとすれば,その‑儲無を含むver8をfnumcr℃r することにより,考え直さるべきだろうか。もしそうだとすれば,このmots‑cl4sは 単独には意味をもち得ないのか。従来の・曾葉の引川が,余りにも盗憩的すぎたという ことは確かであるが,やはりこのmotg‑clQfgの内爽を好える場合,その内実を吟味,

批判することなしには合理的な解釈を下すことはできそうもない。Cuirnnn[Iの解釈が,

なお多くの独断をふくみながら,やはり独創的な,しかも,多くの点で首徹しうるも のをもっているとすれば,それは,資料の科学性を超えた所においてなを,Guimud がすぐれた洞察力をもっていたためであろう。

ただ私はCuimudが,ここまでその解釈を進めながら,Statistiqucの資料を除い て,一切の論理づけを行わなかったことを,遺憾に思う。SmtiRticicnとして,その 立場を踏みはずそうとしなかったことはうなづけるが,文学解釈における批判の根拠 が一義的であることは,合理的にみえながらかえって不十分ではないだろうか。後段 その点mMelnircに関して若干考えてみたい。

さらにこのGu肱mudの解釈は,他の狩人の作品との比較において不十分な点があ ることを,知らなければならない。mntg記】喝がまだ少数の詩人においてのみしか抽 出せられていない,ということはDnnOt凰韮l偽のもつ・愈捜をいまだ明確なものにして いない,たとえばここにMzDIInrmfのmmg戸cl蝿がある。この表とValfryの表と

を比較してみるといい。

第三表Mots¥l'isdGMnIInrm6 M B . R 、 A . V 、 C ・ A m , r l / / / 1 /

Bniger 2 / / / / /

O r 3 / 1 6 / 7 /

Pur 4 / / / 2 /

(5)

198

R&vc Rose Nu Vicrgc Fuir Blanc Froid LaVrc Aile Triste Or Cicl Soleil OmbI℃

Chevf9''x ]''(li"

56789mn浬超哩晦妬晦超汐卯 ///////////・4/7/////////////6//// ///////////9⑲8// /////8/////岨︑//////////////班昭5//

I

1

11

一 一

この表(ililO)はMallarm6のmo瞳壬l"について他のSyml)olisme作家のm0ts‑

c峰との亜なりをしらべるために作ったものである。M,B,R,A,V,C,は夫

"Mallarmd,Baudelairc,Rimbeau,Apollmmire,Val"y,Claudclを示す。斜線は夫々 の詩人のmots‑clfsにその譜が存在しないことを(注11)数字は存在する場合の

YWmrt‑R1fd,litによるRfm苫を表す。

この茨でMJ,llamlifが20語中12に及ぶ全く独特なmols毛峰を有すること,もし Valfryのみとの砿なりを除けば,さらに4謡墹加することが,教えられる。このよ うなoriginalit@は6人の詩人中で股も著しく,それがMallarm6の一つの特徴をな しているのだが,ここではそれにふれない。恐らく<HIfrOdiade>を,<Brise≦mmine

>を,そしてまた<APr@s=m!dide踊皿e>を愛する誰者はこのmots"1蝿がValdry と同じようにMallarmさの世界を余りによく特徴づけていることに鷲くだろう。と同 時にまた,その両者のmots$l"の波なりの多いことから,Mallarmf,V鼬腿ryという 二人の狩人の系識あるいはその組近性についても,極めて有力な黄料を提供してく れることに気づく筈である。

ところで,さきのGuiraudのValfryの解釈にさらに口をはさみたい4実がみられ る。それは,valfryの場合におけるpurと。mbrcがこのM副118BI・m6においても

、雄一cl6sとして存在することである。puTはとくに,この詩人にあっては孟要な clfではないだろうか。

Guiraudはこの点に就いてふれていないわけではない。別のところでValgryと MEIIAnnさの類似に関し,次のように述べている。(3E12)

<この師弟の間には同じようなpudurdfli"te,ungontdelardScrve,及びdcla

(6)

1

golitudc,"rminnarci88i8mc,さらにまた恥mtisc(1'absoluとdClapurCtfという同 一性桁がある。だが<JCu''c恥戒Iue>のVolul)lcuscl"dmsscと<H6mdiadc>

のl''irotismogl"fの│N」催対照的なものがあるだらうか。>と

これは極めて崎,爪的なj.梁だが,MIIに印象的ないい方でしかない。ここで必要な のはその解lリjと刷鰔[である。船の服なりについて細い数字を地べた後Guirmldlは次 の如くつづける。

<()ncstrrnI'IDifIDarlcnOml'm'lcmotscommun月ndcuxu皿ivcrsdulangag"en rfnlilf(lifnt.C'cstquclccicIcMaUcrm.<;'1'cstI)ascc!uidcValfry;azurn'a PasCl'""1ui‑Cil''g;gllifi"tiunsyml)01iqucqu'ill)mRR(lcllCZcClUi一凧;くombrc>

ct<I)ur>c()nstituc',tl)arC4)ntrcchLzIcsMonduneoIJI)ositiondyI'am;quCqu'onC rUtrm,vcPasCl'czlCPIY:'''iCr>

A"rは両狩人において肢上位のmots‑cl"でありながらCuiram'qlは一方のもつ象 徴的な怠袈は他方の謝人にあってが在せず,またI)urとKjmbrじは、蛾Ⅱarmもにあって はVnlfryにおけるような《ly]mmi(IMeな対立を示していない,というがその蕊明は ない。恐らくこれは(;uimll,lがmots¥1砲を柚lliしなくても,いや抽出する以前か らもった解戟であろうcたしかにそのことは,作品の味統によってもそれを含むvごI巴 の吟味によってもなされうる。つまりmolg‑clO亀の抽出を行わなければ,問題になら ないであろう魚については,mots‑cl亀を抽出してもその結果は余り意味をもたな いのであろうか。いやそれが迩味をもつ場合もあることはいうまでもない。不幸にし てわれわれはMallarmfIEついてGI1irmndlの解釈を‑l・分知ることができない。この 表からいかなるMullurmf漁を腱鮒するかは,まだその片鱗だけしか知らないのであ るから,つき進んでそれを吟味することはできないが,少くともGnnirn'niIがかくい うとき,(;uiraudがmols‑c雌をみつめながら,作品そのものをよく味い,それから 受ける印象から作品自体の内容について,深く思いをこらしていたことはうかがえ る。とすれば,Guirau(1はやはりmots‑c蝿に関巡して作品を解釈する場合mqDIs‑clfs 以外の判断の根拠についても,もっと明らかにする方がよいと思われる。それは古典 的なル釈のままであるかも知れないし,瀦fそれを催砿することになるかも知れな い。Mots<l曲は判̲荷の(DIDscasiOnを,ir正すると共に,,世想外の報実によってその解 釈の帆拠を与えてくれるという愈味におていてこそ,恵溌がある。これはだから従来 の研ツ法の全耐 淀ではない,従米の研究法を実謎的に典付けてくれる場合が多く なれば,それだけ感味があるという松のものかも知れない。

− 2 −

ところでmotgH91'亀を】伽I(lclm恥について吟味してみよう。RRI'6lelJnircについて は,既にあまたの研究荷たちの研究成果が示されているしPFleursdumalに至って は,その一冊一締のII1,142xさえ作られているが,(;IlirauKIはSIatiStiIIueな研究から Val'Fryにおけるような1V}快な岬慨をり.えていない。これは恐らく鐘Fleurg《伽mal>

の、(心=cl"",MIIllarm!,'II'ul"・のそれに比べて全く趣を異にした複雑さをもつ

〜 =

三 一

(7)

︽︾ 1%

せいもあるであろう。たとえばこれを(;uimll(1がVIlldryにおいて作りあげたUniv℃

のような方向へ蝉びかうとすれば,兜全に失敗に伽)するだろうことは,そのmots=cles を一寸みただけだ紬ilトせられる符である。このことはこの両狩人がr鋳」乃至『言葉

』というものに対してもっていた,かなりへだたった考え方によるのである。勝代, 風潮の柑測は勿論だがnml1lclaircの僻がSyml)olismcのPrimitifな要糸をそなえて いるとはいえ,所!N1ハ血llarm'i,VIllifryの種P(>fsic>とは,その魂も,形式も全く異 っていたことはたしかである。後将においては定審せられたくpo@sic>そのものが 唯一の存在であるに対し,肋将にあっては,『詩」の荷い手であるnz,0,(1elaiIBその 人の魂が)R祝されなければならない。ここでBaudclaircの<人間的不幸のないころ に美はない>(,蝉3)という災学をもちだすまでもないであろう。

ところで<Flcur'idur皿l>のmota‑cl偽はMullarm'i,Val'fryのそれと何処が異 るのか。ここで<Flcumdumal>のm('ts‑cl蝿について洋しく吟味するつもりは ないが,その本獄的に異る蝋をガえてみたいと思う。

手始めに<FlcuIs(1uMal>のmots韮脈s̲災をかかげよう。

−−−少〆

繍 四 墨 FrfIucu",E"rlR&luitRangdeV.B A I l g c 4 5 5 1 2 , 4 2 0 G x J u r l 4 7 3 6 3 4 5 ( X J m m c 3 4 9 3 5 1 1 1 通 皿 嘘 4 9 3 3 9 3 5 O c i l l 6 4 3 1 1 2 0 C i c l , 8 6 3 0 4 2 5 Sei'n 3 4 3 0 2 9 2 0 0 P a r f u m 3 6 2 9 1 , 8 1 0 P l c i 皿 7 2 2 5 1 4 0 N o i r 7 0 ・ 2 4 4 0 0 S o l c i l 6 3 2 4 4 4 0 A m c 7 4 2 1 3 3 0 A 皿 O u r m 2 1 3 3 1 D o u x 5 0 2 0 3 5 0 D u u l c u r 3 5 2 0 8 6 0 N u i t 6 4 1 7 1 3 7 S a n g 3 8 1 6 5 7 0 F l c u r 3 7 1 6 6 2 0

【 j r O I l ) l l q l 3 7 1 6 3 8 5 B " u 8 7 1 6 2 7

C o r P g 4 6 1 6 2 2 6

C/m4//蝿////皿6/////////一V/鋤///妬加///昭9/妬//////M一A/////9////釦/4//M/皿/蝿/一M/////︐////Ⅳ//////////|R/////4///躯//狸//皿/2/心/

I

h

− − 4

(8)

195

たしかに,この.災をみてVlll';ryにおけるが如き椴と,その系列の船をみつけること はできない。まづ気のつくことは,Val@ry,Mal''rm'3と比較してBaudclaireには驚 く程潴i同が多いということである。このことはvalfryがその世界を示す形容刺に満 ちていたことと,いい対照をなす。Plcmの如きは形群ふりでありながら,}ノ嬢が不砿

定であり,motsgrammati"nxに近い。Commcに至っては,全く文法制である。ま た,Guimudもその愈義を脇めて作っているがPn!OIS‑《:11SSdCpoeSiC("14)という ものがあるとすれば肌このII皿《1claimの、oい=cl"には,かなりそれが含まれてい そうである。従って他のl1f人の、,》囎一cl"との眠りもV1116ryに比し逓に多い。6人 の時人中,純枠にB皿《lclnircのみの紺は,AU1gc,1I"l"OCilParfum,Plcm, Doulcur,Sang,Profon(Iの8〃}しかない。しかもこのLI」からとくにm・ts=cl"dc Podsicと思われる鱗II"ulf,0cil,などを除くと,その数は史に少くなる。結吋9'

<FlcursduMal>のcl"dcm()LNf‑cl"はAI略⑮,Pnrfum,DOUlcur,あたりに雌約 せられるかも知れない。

それなら,他の脇はすべて何の愈味ももたないであろうか。必ずしもそうとはいえ ない。私は全然別の旭点からみればC1)cur,B"utQ;,Scin,Amcといった古葉も,

Baudclaire作品ル釈において一つの鯉を.与えるように忠うし,更にCnmmcの如き motsgrammalicauxにも慰味をみとめたい。以下,その各々の一つについて少しく拝

しく考えてみよう。

Ange;この綴が第一に位することはAzurどl柵が異るかも知れない。確にAzur と同じくこのIWiが本米低いFriftlllcllccの』#であることは,この謡をmots<1ぬの上 位に位させる理由であろうが,火嬢の数字をみればわかるように,その使li峻は商 い。どんな意味をもってこのIWiが川いられているかDInOtS‑C腱の内容を示す一例と

して,ここに全狩行を羅列してみよう。(挑15)

SPl6POuriant,souSlat''tcllcilWisilDlcd'UUmlgc, 6‑20nd"angcscharmallIs,"・"undouxsouri8 6‑8DclacmiX,ll,c(lcsJmgllalltd(lCsmauwniscsallg"

21−7DC動tm1Ou《lcDicu,qu'imImrtc?A蝿couSi睡恥.

29‑10VousmlmangcclmalDassiUll!

39‑4Statucauxycux(lcjais,(llul''dnngcnllfr')ntd'airai''!

42‑2Sucl皿r5l)iritucllcalcparrumd"ang"

42‑4Jcsuisl'"'gcgar(licn,laMugcctlaM"l⑪』lc!

43‑2Qu'ullAngctntssn,,nlltusa川筋Iloutcflin';n'll"

44‑・1Angel)lc加dcgaitdcommifig"‑vou91'Img()issc?

1 同 上

2AngcFlcindcl》〔)nt(;, IlMiss ‑ uHln伽inc?

2 同 上

3AngcIDlCill'lCS&IIII(;,,9(,,,,,ai"".,,()IISI(V1

(9)

一 一

3 4 4 5 5 6 45−7 46−1 48−7 51‑1‑6 63−1 84−2 T12 14 V 5 ‑ 2 F 2 ‑ 9 8−1 m 3 − 1 M 1 ‑ 4 2−3 6−2−1 P.C1‑6

5−13 缶 1 P , A 缶 1 5 4剣 10‑1

4 18−11

194

同上

A'hgcIDlcinllcljcaulO$,c'1Mmsczv)lrid?

l'1.t

Angcl,lcin<lobonl'cur',lcjoiCcl(lClumi8m 同上

Maig(1ctoijCn'i'111'1()I℃nngcquclc9pri&m RIuvmmlgccllccimnlllil,v(pll℃肌⑪lccriaⅨlc Danglal)micnl鴫《D叩icullxmgcscrfvcillc ChcrpoigonprfpmflmrILsamgcgl4i(Iucur Etquitoutcgl,cnmmecnunnngc Commclcsangcgill'ocilfnuv℃.

UnAngcimlmldcntvoyagcur.

I)ansuntmusdulDInron(IIntrom"cdcl'ange C()mmclicuximgLs(Iuctorturc

DolllScIfjouisgllill'CSsaim(1ennauraisang"

CommcUnangcfnivrf(1'Uns()lcilradicujK

O,toi,lcplusgmnnlctlcPIugbmud"Angcg

EtlDltlgtanlunAngc.cntmuvmntl"porlcs C'CstUnAngcqUiticnt(lansSCSdoigtsmagn(;tique (Xymmcunmlgccnlclquifoucitc(1=solcil9.

S'nPImcaicllt,Plus"1mquclcgAngeSdUmiel Jerri"onncdlcpc''rq"n(ltume(lis<mon.angc>

IFIml甲麹unpuisgJIntsgc'i(DmlcmitpourmUDi, Al'nngcill'idolcimmortcl

同上

(;agncntlcgouirm摩【1"Angcs

UnangcfUriCUXfOnII(luciClcommcUna!glc (QlrjcsUisiOnl)onm,gCCnlcn(I‑t,'?)JclcTCUX Etl'angc.cllitiantl'MIroi:!(Iu'ilainic

UI1AngcgonnclcVictoirc

│列した狩行に含まれるA叩cについてて一つ一つ吟

ここに羅列した狩行に含まれるAngcについてて一つ一つ吟味してみれば,この Angcが時に応じて可成り拠った概念を示していることが明らかになる。<守謹の天 使>であるかと思えば恋人へのIIfぴかけであったりj'EFI懇の女性>を指すかと思え ば<懇しき天使>にもなる,しかしこれらを厳密に分顛することは不可能であろう。ま た111較別の総ll・が繰返しを災しえない一・例にもなるが,一つの詩の中に,実に11回に わたってこの瀞莱が現れるケーメが兄られる。しかもこのAn】礫は同一の<理想の女 性>を指していると必えられる。しかしこの脚のAngoをF.1と計算しても,Angc の場合その蹴川はかなりはげしく,mots‑clifsの廿位を占めることにはかわりない。

β

(10)

193

しかもこの柵は他の詩人においては全くみられない"iである。(座はここでRomm‑

ti(Iucの詩人についてその】nois‑6kisが光l戊せられていないことを,残念に思う。し かしこの鵠がそれらの詩人において,それ隆jit婆な";となっているとは思えない。)

してみるとこれはRJn'nflclairc独"な;"であらう。】恥I(icll,imが<逆立ちせるカトリ ック数徒>として奈落の底から『神」を求めると共に,女性一敗を地じて{ 母」を慕 ったことは,既に古典的な解釈として定説となっている。ここでその定脱を考慮に入 れながらBaunflfglznircがそのDicuと皿§唾の合体した妾としてAngcに呼びかけた のだ,と解釈することはできないであろうか。勿;令それはIIJIQndlclaircにおいても迩 鐡せられなかったことかもしれない。無意鐡の間にDicuと皿§ が混じり合ったの

・である。そしてそれが彼の自然の叫びとなったのである。先に吟嘘したように,この Angcがく罪障多き><fCmmedelj&tc>を指すような場合があっても,それは叉正 とならない。何故なら,そのようなAngcは,その対立となるもう一つのA皿恩eなし には考えることができないからだ。E皿ferが天国を,D"M)皿が神を略承するよう に,彼がどんなAngcを描かうと'またどんなAngcに呼びかけようと,それは神 翻なAngeが意識の底にあったからである。「地獄の庇」『孤独の奈然」から天への 叫びがくFleursdumal>一巻であったとすれば,このA11gcがIDrcm;crmO1‑cMsに なったことも理解されるような気がする。Mnllmm,ZがNymphcを拙き,この詩人 がAngcに呼びかけたのは,いい対照であり,この両,W人の「勝』の性絡をよく表

わしている。

ところで,一編の中に11庇も呼びかけられたAIIgcが,またこのような解釈を支 持してくれる。Angcplcindcgaitf,plcindcl)"ut6fplclllII()lbolltfとよびかけられ たのは確versibint@の中のMmeSabaticr或いは<剛忠の女性>であるoCrfpct の解釈に従えば,この詩はカトリック数義のPostuhtを転用したもので,この.Ange の'l'にAgnusDeiを感得した詩人が,その轡びによって鮮揃を,その1)onl6によっ て怨浪を,またそのS:1ntfによって己の熱病を,さらにその1'cmu嘘によって,己の 老衰を償うものと信じたのである。つまり恥udehli"は,ここでAngeintcrccggcur

としてのAngeを頭においているのである。このAI1gcはr催しい母性的な愛慨』

とr神」の瞬念の合体に外ならない。( 6)

ただこのようなAngeをFIcursdumnlの弧)n‑clOEとみる好え方は,私、の知る限り なかった。『神」「母」の定説は勿為否定せられるわけのものではないが,この二語 がこの『詩壊」において実藤は余り商いFを示していない,ということは面白い現象 である。そのいづれもが,このAn"の中に包捜せられてあらわれているとすれば,

このAngcほどB"'"elain℃的な‑鳶葉はない。これはVnlfryの枇界とは異ってpr 不幸な人間」としての詩人が仰視した天上の星という澱味では−やはり一つの極をな

すかも知れない。

次に,全然別の観点から考感せらるべきmOts‑clfg.Cocur,Bcaul6の頻用はどう考 えたらよいでめらうか。これらは余りにも特徴的でない。にも拘らず,Bau(Iclaim は実に騨々これらの鵬を用いたのである。たとえば157細の勝において,Bmldelai"

奇 一

(11)

]92

̲ 夕

は実に147座もCocurの文字を附いている。『B"lldelaimはCocurの詩人であった

」といっても,それは『 喪を求めた勝人」だったというのと同じく,{I'Iの恵味もな い。cocur,bcautfは何れも凡ゆる詩人にとって』IL本的な慨念である。いや「灘以前

」といえるかもしれない。たといこの綴を用いない狩人がいても,その狩人が「心の 詩人.,「美を求める詩人」でなかったなどとは,かりそめにもいい錐い・いやむし ろ,少しでも言葉の選択,描辞に意を川いる詩人だったら,むしろこれらの語を明ら さまに詩の中に用いはしないかも知れない。Symlbolismeの詩人にあっては,これら の語の生の使用は,むしろその象徴性を冒すことになりかねない。

RMMMRi歴の描辞乃至喬葉の用い方が,極めてBanalだったことを指摘する学新 も多い。事実そのことは脚韻などの場合,厳然たる事支として示されている。tfnCbre とf皿もbr"の押錨がFIcux石dumnlの中に10回以上もあるということは,そうい う説を裏付けるものである。このcoeur,btxlut4の乱川もまた,その説にいい根拠を 与えるかも知れない。このようなことはVal6ryやMnlIarm得においては,決してみ られないからである。しかしこのことはBaudelaireが現代詩における高度な芸術理 念が生れる肋芽段階,草分けであったという歴史的な珈実によって,多少割引いても

らわなければならない。

それよりもこの、l櫟を,もう一つのR"ldclairc的性格に緒ぴつけて考えることは できないだろうか。つまりBm,delaireの詳しくCOn"ntrativeな面である。

このCon"ntrmiveな性格は次のように他の詩人との比較によっても,知られる。

田一

P r o s c 平 均 O . 1 9 0 V n l ' i r y O . 1 9 5

B a u d c l a i r c " 0 、 2 0 9 M a l l a r 皿 0 . 1 8 7

APollinnireO.200Riml)"uO.141

この表の数字は各狩人のmots‑cl偽名20が作品全休において占める割合を影で示し たものであるが,この表によって珊"<iclaimが少数の加lots"1@Sを最も災中的に用 いたことが剛解せられる笹である。これはRimlxxmといい対照をなす。R;mIwwE' は極めてdispcmiveな詩人であり,同じ言葉の使ハ]をさけて,驚く程盤濡な言葉を 駆使したのである。Mallarm@,Rimbea,l,Verlaincをそれぞれ,理知,感覚,心傭の 詩人とみなす一般的な考えに従えば,感覚といわれるRimbeauが最も《lispcrsiFcに 語を駆使したことは,ありそうなことである。それに対しMallarm6が最も輔巧な,

一寸の無駄もない胃葉を用いたことは,既にそのmots‑cl';gにも現われていた。

B皿(1elaircが焦点的に一つの中心をもち,その周辺から眼をはなし得なかったのと,

いい対照をなす。

たとえばここに時人の二棟の極端な,態度,性向乃至手法があるとする。凡ゆる現 象,あらゆる面を通じて,従って様々な形式と衣裳のもとに,ある一つの物,乃至は ilt界を表現しようとする態度と,もう一つはたえず同じ言葉にすがってそれを繰返 し,その繰返しの強度によって,或るものを喚起しようとする態度があるとすれば,

このcoeur,bcau唖といった語の繰返しを敢てしたさBa''deluirCは,後者しかしらな

(12)

191

い狩人だったといえないだろうか。157細の時に147度もc urを用いなければなら なかったということは,11iにh,,'lalとしてj1.付けてしまえるものではなく,その言 築がIMIIMllに弧するという群成の線を超えても,なお且そうせざるを綿なかった,

「・叫び」『 内心のノIi」ともル釈してよいように思う。雛返しはもはや手段から,やむ にやまれぬほどばしりとなり,jctd'cauとなる。Mallamnf,Valfryにおける渋が,精 神の,FI!知の厳密なる"r通であるに反し,Baudclaircの詩は,苦痛があたえた叫びだ

ったのである。

ところで,その線返しの叫びの最上位に位する‑ 芽葉がcocurであったことは単な る『心の碑人』というのではなく,<大部府に住む一つの魂の裸像>'<monco固唾 miscnnu>のCO rがもつ意味でのr心』の詩人には相応しい。Rmldlelairc以前 の,Rommlti(Iuc時人たちが川馴をうたい,その感傷をうたったのに比べれば,

Rmlllc加睡は倣底的に都会の時人であった。巴里をよそにしては,決して自然をうた

はなかった。その郁府にうごめく一切が,彼の自然だった。しかもその都府をうたい ながら,やはりRommltiquc狩人がその自然の中に自我を<自我の心>をうたった ように,Bauqlclaircはその郁府にうごめく一切の中に,心を,それもRomamiquc 狩人よりももつと,藷赤裸の心>をうたったのである。

Cocurという副蕊を何ら区別してハ]いない限り,恐らくRomantique詩人における この愈蕊の鋤IIもまた,かなり商いと思われる。ここでもそのmots‑cl鱈が抽出せら れていないことを辿惑に思うが,もしRomanltidIuc詩人との共通縦がBau(1elaircに おいてもみ11lされるとすれば,このcocurの共通性であり,この時は共通のmot‑clf となるかも知れない。

ところがその硲をくわしく,その細部の場合において吟味して考えればわかること だが,RI)1m皿tiqucの狩人のcocurとBalldclai応のそれとの間には,やはりその内 火において,かなりの開きがある。日木蒋でいうなら,ROmantiqueの詩人のcocur はく傷心> のco rであるに対し,Baudclaimのそれは,もつと純粋な,あらわ な,4mCに近いものになっている。amcが同じようにBaullelKniI℃のmois"1偽の 一つになっているのは,この両将にはっきりした区別をつけ難い場合があるからであ ろう。アj雌,jimOとα〕curとを交替しても,その内実に少しも変化を与えないjと 思われる簡所がFlcurgdunmlにはかなりある。このことはRom皿個que詩人には あてはまらない。またSymIDolismCの時人においても,│可じである。Valfryにおい てDamCはBauKlclaimにおけると同じ昭錘に碇要な】nols"1蝿となってはいるが,

その窓味は異る。VIIMryにおけるAmcは,も平人間的な匂いをもたない。それは万 象の柵に似ている。これは「時.1の輔随ともいうべきものが,ROmntiqueから Bau(Iclaim,VI116ryに蕊るまでC・CUr.‑>CocUr‑Ame(人間の)‑Ame(存在の

)と変っていったことと期を一にするであろう。

股後にもう一つ,Commeというような,それ自体では内実を何ら右しない語の頻

(13)

一 一

190

川について何と解すべきか一言しよう。

平凡ないい方をすれば,このmmmeの乱川は詩人の癖である。だから描辞の I)"'llなことを術燗しうるとすれば,これもまたイjカな根拠を与えること,(Wur, B"utqf,の場合と断である。

II"tparfumfraig""""d"cl'airgd℃nfnnts、

Doux"噸"蛇lcglmuboits,vertsco""Jel"Pmi面"(②立琶pondence) ほとんどのmmmcがこれと同じ用いかたをされており,<Flcmsdumal>一 患においてその使リMは文に349度に及んでいる。それが多少とも変化ある皿ll匂郭面c pamljolc,m(Bmphor,Compamisonを郡びくためにせよ,文体上の癖として,表現方法 のprimitifなことを示すものと好えられても止むを禅ない。

だがそのような文体形式の平凡,陳腐さにも拘らず,Baudclaimの比職乃至mm‑

Immisonに関しては,そのoriginalit@が強調されてきた。たとえば上に挙げたVC"

は,多くのRmMiclaiI℃研究求たちに引剛せられる一行である。

結局Bau(IcInimにおいてGDmm@を翁ずる場合,その内容を考慮に入れなけれ ば,何の意味もないのである。それ自体内実のないmotgmmmaticalにおいて,そ れは当然であるかも知れない。Raudclai配の比嘘が,いわば時限の異った対象の見 vliな。mlOgicとして,Symbolismeの先がけをなすということは度々云われてき た。

Etlcvcrsrongcmmpmucommcunmmo㎡s (Remord…tumc) (ZIDruitmysifricuxsonnccommcun"I)art(Chansond'Automne) Jcsuisl)cllcnmortcIs!com'xEunrCvcdcPicrrc

Etcmcictmuctα"域"elamati@m("BcautC)

ほんの一例をあげたに過ぎないが,このように外界の対象を,抽象的な概念によっ て,典はその逆に顛推する場合は枚毅にいとまがない。内心の惟界を外界の事物によ って喚起するという手法は,Symlbolismcの定蒋とは別なものであ為としても,これ は少くとも,Bml(lciaimの迩撒的独創のilt界であり,先に引剛したCOn℃spondance・

においてみられるように,典次元の世界の交描という,夢幻的な野冊気をかもしだし ている。

勿紺この349座に及ぶCommcをfnumfmrしてその各を分類してみれば,中に は全く1)nnnlな比職も沢IIIみられる。

IImc(lisanl,tcgyc,,x,claircommdlccristal(Sonnetdlaulomnc) TIDn"ildouxcomnclal'me (ChansondTapr恥一midi) というような比耽は,むしろ拙劣な比峨であるかもしれない。だが,Baudelaircの

<どんな碑にも,必ずすぐれた一行がある>ということは鞭実である。Rmndieln;エEの ルキがいわば<ヨ誠混合>であるとすれば,Silltistiqucだけで他と比較し判断すること は,危険であるかも知れない。ただこのco1nmcの頻用といった,いわば拙劣きわま りないイル辞のかげに,BautMllimの独側IIの世界があるということは,.f皿もbmと i61161)rcといった韻の捌川にも拘らず,その詩行に独得な音楽性を与えたことと同じ

『 韻 J L

(14)

189

く,みのがしてはならない。

以上RnnnildpIJniI℃のmO1熱‐cl,魚について,その腱k位にある皇椚を問題にしてみた が,それはこの三紙が,この狩人のm10Is‑cl鶴の皇つの賊形を,j、すものと思われたか

らである。

第一の形列はAngeを頭にParfum,1)oulcur,SImg,NoirといったBfluqlelai唾の 独特な語句が続く,私はこれにさらに,Tolupt6,cx"",difmon,immondc,IDIafa㎡と いった語を加えてもよいと思う。これらの識は,motgKy1fgとして,それ縄上位(20 位以内)にはいらないとしても鐘Flc''mdun'nl>にとっては,極めてmractfristiquc

である。

第二の系列はCocurを先頭にRcnut6,Cicl,Scin,Amo,Amour,Flcur,Corp9,とい った言葉が含まれる。これらの1!舟は何れもr僻」一般において,雑木的な綴乃至概念 を表すものであり,そのiW掴体は何らBnudchirc的な特質を示しはしない。だがそ の内実を考えることによって,Baudclnircのllt界を特徴づけるに役立つものであり,

その限りでは,mots‑clfsとして抽出することに愈後がある。たとえば,BI'udclairc におけるCorpgとVal6ryのそれ,あるいは,BIUu(1clnircにおける,AmeとValfryの それ,あるいは,BaudeIIlimのFlcurとRiml)"uのそれの比鮫など。

第三の系列は,C・mmc,Si,(またI)lcin,をもそれに加えうるであろう)のよう なmotggrammalicauxであり,これはBmldclaimの椛辞法,文体の問題としてはili 純な意義しかないけれども,その内実においてBml(1clai睡の美学をさぐることができ

るとすれば,上の二系列とは全く拠った意味で役立てる必要がある。

このようにDInOtS‑cl砲もその性梢を‑l・分吟味した上で作品解釈の盗料とすれば,

決して無意味なものではない。それは,耐期的な研究資料とはならないとしても,

従来の研究法を補足する ぼ味においては,かなりfj.IWな涜料である。だがその際 mMs‑cl亀の性格がV紐随ryとB"dchircにおけるように,必ずしも同一でないこ

と,だからその性絡をよく吟味してかからねばならないことが納僻せられた答であ る 。 ( 1 9 5 7 . 1 1 . 3 )

1

Picrr℃G,'6wnRO41はSImigtiqucに閲して,既Iこ次の三将作と,別;こSymbolisme の時人6人}こついて,そのIndexを作成している,この'1,油は,その蒋作に負

うていると共に,その批判を「'約とした。

I"(Mmctamsintistique(luVocmbuluilcl953(以下Cと略す)

"ngngectVersifj>ationd'aPx@sl'Ocuvxお《1cl'.Vnlfryl954(略号V) Bibliogmphiedclnsmtistiquclinguistimue.

なを近く出灰せられる次の杵作がまたれる。

、 今

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