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音楽科教育の意義とその目的についての一考察

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音楽科教育の意義とその目的についての一考察

田  庄  平

は じ め に

 わが国の学校教育の場に,音楽が教科として位置づけられてより,百年余りの歴史を築 いて来た今日,その音楽科教育の発展は実に目覚ましいものがある。特に戦後の科学的,

学問的な研究は,今や世界的な音楽教育研究の分野からも検:討が加えられ,また,教育現 場における実践的研究の裏づけをも伴ないながら,科学的体系化と理論的組織化とによっ て,「音楽科教育学」の樹立を試みようとしている。この様な音楽科教育の研究は,音楽 が,学校教育の場において,「人間教育」の一端を担う教科として,人間成長及び人間生活 に如何に役立つものであるかを追求することであり,また,この様な音楽科教育を如何な る方法で,如何に実践するかなどを研究することである。尚この様な学問的研究及び実践 的研究は,今後の音楽科教育を更に発展させる原動力になると共に,音楽科教育が人間成長 及び人聞生活に無くてはならないものであるということを証明する貴重な研究であろう。

 さて,今日の,わが国の学校教育の場における音楽科教育の現状は,過密ダイヤによる 教育の荒波の中で,他の教科と同様に,学習者の立場を無視した詰め込み教育や,無情な 積み残し教育をせざるを得ない状態に追い込まれている。この様な時にこそ,われわれ は,今一度, 「音楽と人間の問題」や, 「音楽教育と人間教育の関係」について,根本的 な立場から問い直してみる必要があるのではないかと思ったのである。

 そこで,未だ不充分な研究ではあるが,音楽教育と人間教育の立場から,「音楽科教育 の意義とその目的」を考察することによって,学校教育の場における「人間教育」の一端 を担う教科として,真の音楽科教育が如何にあるべきかを問い正してみることにした。

 論を進めるに先だって,「音楽教育」と「音楽科教育」と言う言葉についての共通理解 を持っておく必要がある。それは,「音楽教育」と一概に言っても,「教育の場」には,

「家庭教育」「学校教育」「社会教育」その他色々な教育の場があり,それぞれの場によ って,音楽教育と言うものの範疇が異なっていると考えられる。そこで,この小論では,

「学校教育の場における教科としての音楽教育」という,狭義な範囲の音楽教育を指し て,「音楽科教育」と言う言葉を使い,ただ単に,「音楽教育」と言う言葉を使った場合 には,「学校教育以外の場における音楽教育」,あるいは,「学校教育をも含めた全ての 教育の場における音楽教育を総括した意味での,広義な範囲の音楽教育」を指していると 理解されたい。

1 道具主義の音楽教育

 明治5年の学制頒布によって,わが国の近代的な学校教育の場に位置づけられた音楽科 教育(当時は唱歌教育と言っていた。)は,「徳性を涌養する」ことを目的に,徳育の手 段として出発したのであった。それは,明治14年に,文部省音楽取調掛の編集による,

「小学唱歌集」初編の緒言で,当時,音楽取調掛長であった伊沢修i二(1851〜1917)が,

「徳育・智育・体育の小学校教育の中でも,徳育が最も大切であり,唱歌は,その性情に

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よって,人心を正し,風化を助け,もって徳性を酒養する教科である。」エ)と述べている ことからも察することができる。また,当時の倫理観の強かった社会世相の中では,この 様な考え方(徳性を渦養する教科)は,学校教育に音楽を位置づける最も有効なロ実とな ったのである。更に,唱歌は,唱歌教育となって,その効用が重視されることになり,完全 に徳性を伝達する手段となってしまったのであった。即ち,唱歌は,音楽としての価値よ り,歌詞の内容による効用の方が重視され,旋律の音楽性・芸術性は軽視されていた。こ れは,前述の小学唱歌集に納あられている曲,中でも「春のやよい」「五常の歌」「五倫 の歌」などを見ればよく判る。この様な,音楽以外の目的のために,音楽を手段として利 用する音楽教育のことを,道具主義(lnstrumentalism)の音楽教育といい,美田節子 は,「音楽以外の目的のために音楽を利用する教育であり,音楽経験に伴って生じる随伴       

的効果,または,副産物ともいうべきものを目的とする教育のことである。」と定義づけ ると共に,「昔から,音楽教育本来の効果とこの随伴的効用とが,よく混同されるだけで なく,それが真の音楽教育であるかのごとき錯覚が生じたのである。このような音楽の利 用価値は,様々な方面へ転用され得るが,その主なものとして,徳性の瀕養と情操陶冶,リ クリエーションと余暇活動の手段,知的発達と健康増進のため,その他儀式や軍隊のため などに音楽を利用することはみな,道具主義と云えよう。」2)と述べている。即ち,音楽 を,音楽以外の目的のために利用したり,活用したりすることは,確に道具主義ではある が,利用すること自体は少しも悪い事ではなく,それを拒否する理由は何も無い。しか

し,それが本当の音楽科教育の目的かと言うと,決してそうでは無い。この様な音楽の利 用による随伴的効用,あるいは副産物とも言うべきものを目的とすることが,音楽教育本 来の目的とすり替えられた場合に間違いが起るのである。

 この様なわが国の唱歌教育時代における道具主義は,明治維新の開国と共に輸入された 当時のアメリカにおける音楽教育思潮の影響ではなかったかと考えられることから,当時 のアメリカ音楽教育思潮とわが国の音楽科教育観との関係について,概観してみようと思

う。

 皿 1800年代のアメリカの音楽教育思潮と明治以後のわが国の音楽科教育への影響  わが国の音楽科教育(唱歌教育)創成と,その後の発展に偉大な功績のあった伊沢修二 は,明治8年(1875)に,師範学科取調べのためにアメリカへ渡った。最初彼は,マサチ ュセッツ大学に留学し,のち帰一ヴァート大学を卒業,明治11年(1878)に帰国したので あるが,その留学中にボストンにおいて,L・W・メーソン(1828〜1896)に,音楽教育 についての教えを授けたのであった。

 その当時アメリカの音楽教育界は,第ユ期公立学校音楽教育の準備期間とも言うべき時 期を経て,第2期公立学校音楽教育の設立期の後半に入っていた。ちょうど,ペスタロッ チの感覚教育論の影響を受けたローウェル・群団ソン(Lowell Mason l792〜1872)(こ れはし・W・メーソンとは異なる人物。)がボストン音楽院を設立し,(1838)ペスタロ

ッチの感覚教育論を音楽教育に生かし,音楽と公立学校教育との関係樹立に活躍してい た。彼の音楽教育観は,(1)音楽教育は生活の社会的諸相を発展させる諸活動や学習を含む ものである。(2)音楽教育は学生の健康の増進,勤勉な仕事への習慣形成に資するものであ る。(3)音楽教育は健全な理想の形成,よりよい市民性の育成,家庭生活の改善等に役立っ ものである。3)と言う理論で,道具主義的側面が明確に現われていて,当時の音楽教育の

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音楽科教育の意義とその目的についての一考察(古田)

考え方が如実に表われていると言えよう。しかし,当時のボストン音楽院は,音楽教育者 養成の中心になっていて,以降のアメリカの音楽教育を推進させる担い手たちを数多く育 成していたのであった。小学校における音楽教育を改革し,初等音楽教育界の第1入者と 仰がれていたし・W・メーソンもこのボストン市に1865年より移り住んで,音楽教育活動 をしていたのであった。

 この様な情勢下のボストン市において,L・W・メーソンに音楽教育を学んだ伊沢修二 の音楽教育観の中には,当時のボストン市において,ペスタロッチの感覚教育論の流れを 汲み,道具主義の音楽教育観を持ったローウェル・メーソンの影響も当然あったと考えら れ,前出の「小学唱歌集」初編の緒言で述べられている伊沢修二の,「徳性を遍養する」

たあの手段としての唱歌教育観(道具主義の音楽教育観)は,当時のボストン市の音楽教 育観の輸入であり,アメリカの音楽教育思潮の影響と見ることができよう。

 一方,「徳性を涌養する」ための手段としての唱歌教育観は,当時の教育制度上にも現 われた。即ち,明治14年の「小学校教則綱領」・明治24年の「小学校教則大綱」・明治33 年の「小学校令施行規則」にそれぞれ「唱歌は徳性を涌養することを目的とした教科であ る。」ということが公示され,当時の徳育としての修身教育と相まって,道徳的歌詞など を尊重する唱歌教育は,完全に徳育の手段と言う道具主義の音楽教育になっていた。

 ところが,大正の末期にこの道具主義の唱歌教育は,一時,本来の音楽科教育の姿に立 ち返えろうと言う動きが,音楽教育界の一部に現われたことがあったが4),社会の急激な 変動に押し流されてしまって,再び「徳性を湧養する」目的にもどり,遂に昭和ユ6年の

「国民学校令」により,「皇国民の錬成を目的とする軍国主義・国家主義の教育」に荷担 せざるを得なくなってしまった。ここで「唱歌」は「芸能科(音楽)」と名を変え,「国 民的情操を醇化する教科である。」と言う目的に変わり,軍事的教科に変容すると共に,

憂うべき軍国主義の音楽教育(軍歌教育)が行なわれたのであった。これは,国家的変動 によって歪められた止むを得ない事態であったとは言え,わが国の音楽科教育が本来の音 楽教育の姿に立ち返る時期を,より一層遅れさせてしまったことになるのである。

皿 1900年代のアメリカの音楽教育思潮と戦後のわが国の音楽科教育への影響

 1900年代のアメリカの音楽教育界は,第3期公立学校音楽教育成長の後半期に入ってい た。1970年全米音楽教育者会議の設立で始まった第3期は,プラグマティズム(実用主 義)の哲学を教育の理論として提示した,1・デューイ(1859〜1952)によって生み出さ れた新しい教育運動が,アメリカの教育界に波及し始めた頃であった。このプラグマティ ズムは,行動を思考の上位におき,観念の意味と真理性を行動上の帰結,成果として理解 する立場に立つという哲学理論で,それが教育の場に適用される場合には,当然知識の体 系の注入というよりも,むしろ子どもに内在する生命的衝動を誘い出して,いかに思考す べきか,いかに学習すべきかを指導する方向をたどる。これは「子どもたちの自主的な経 験の再構成の過程が教育なのだ」とする,J・デューイの命題に到着する。この教育理論 を打ち立てたJ・デューイは,当時アメリカの教育界に実質的な影響を与えていたヘルバ ルト派の教授理論,すなわちペスタロッチの直観教授の理念をその教授の段階に則して精 密に練り上げたと言われているく明瞭・連合・系統・方法〉という認識の四段階を教授の 一段階とした形式的教授的段階理論をその生硬な形式主義のゆえに,教師中心であり,し

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たがって既成の知識の単なる習得を主体とするゆえに伝統的な権威主義を帯びるという局 面について批判し,新しい進歩主義教育運動を始めた。この進歩主義教育運動は,ユ920年 以降急速にその影響をアメリカの教育界に拡めていったのであるが,デューイ自身によっ て,その内部的矛盾を批判され,1955年に解体してしまった。しかし,児童中心的生活主 義をとったこの教育運動は,自由主義社会の教育に大きな影響を与えることになった。5)

この進歩主義教育運動のあと,このJ・デューイの教育理念を踏襲しながら,音楽教育の 体系を心理学的な見地から樹立させた』・L・マーセル(1893〜1963)の音楽教育理論が アメリカの音楽教育界に誕生したのである。彼は先ず1931年に「音楽教育心理学」6)をM

・グレーン女史との共著によって出版し,音楽教育の新しい方向を示している。この中で 彼は,「音楽教育の目的の理解は,創造性豊かな教師が要求する基本的な要素である。」

と述べ,「音楽の教育的価値は,(1>音楽教育は,経験の発展的再建である。(2)音楽教育 は,訓育としての価値を持つ。③音楽教育は,より充実した生活に関して企画性を持つ。

(4)音楽教育は,創造的な民主主義の育成に貢献する。」という四点をあげ,音楽の教育的 価値について述べている。続いて1934年に「音楽教育と人間形成」7)という書を出版し,

「なぜ,学校で音楽を教えなければならないのか。」という問いを巻頭にかかげ,「音楽教 育家の任務は,音楽の人間的価値を把握し,それを有効に人に伝えることである。」とそ の使命について述べると共に,「音楽教育は,けっきょく,音楽的能力の漸進的な開発で ある。」と結論づけている。ここで彼は,デューイの流れを汲む社会的教育哲学の面から 裏づけて,音楽と人間の関係を説き,音楽による入間の価値の高揚を強調した。また更・

に,1948年にはゲシュタルト心理学の立場から音楽をどらえ,あわせて発達学習心理学の 原理を適用して音楽教育を考察した「音楽的成長のための教育」8)を出版し,ここで彼 は,「音楽的成長とは,音楽という芸術の本質と表現の両面によりょく反応できるように なることであり,それがまた,私たちが音楽的になる過程である。」と述べると共に,「音

楽的成長とは,(1)音楽的意識の発達。(2)音楽的自主性の発達。(3)音楽の識別ヵの発達。(4)

音楽的洞察力の発達。㈲音楽技術の発達。」であると結論づけている。

 この様なアメリカの新しい音楽教育理論やその思潮は,戦後のわが国の音楽教育の発展 に多大の影響を与えることになった。昭和20年(1945)の終戦によって,日本は直ちに米 軍を主とする連合軍の占領下に入った。マッカーサーを連合軍最高司令官とする占領軍総 司令部は,早速,日本の教育制度に対する管理政策を打ち出し,教育の基本的政策を示し た。それは,極端な軍国主義・国家主義的な教員の追放,神道による教育を排除及び,修 身・日本歴史・地理教育の停止などの命令であった。これによって,日本の軍国主義・国 家主義は完全に崩壊し,軍事的教科は消滅してしまった。翌昭和21年(1946)には,第1 次米国教育使節団が来日し,教育改革の骨子が示されると共に,「教育刷新委員会」が結 成され,新しい教育の理念とか,教育基本法に関すること及び,教育制度についての審議 がなされることになった。また占領軍総司令部のC・1・E(民間情報教育局)からは,

「コース・オブ・スタディー」 (学習指導要領)の作成が命ぜられ,当時のアメリカにお ける教育書物及び,教育思想などが,教育使節団によって,多く持ち込まれ,わが国の教 育界に多大の影響を及ぼすことになったのである。特にJ・マ一曲ルの心理学的・哲学的

・教育学的な見地からの研究による音楽教育理論は,わが国の学校教育の法典とも言われ

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199 音楽科教育の意義とその目的についての一考察(古田)

るべき学習指導要領の音楽科編の作成及びその改訂にあたって,多大の影響を与えると共 に,今日のわが国における音楽科教育理論の中核をなしているものであると言えよう。

 そこで次に,学習指導要領の音楽科教育の面に現われたアメリカの音楽教育の影響を,

音楽科教育の目標を心中に,その意義と目的の変遷について概観してみることにする。

IV 学習指導要領(音楽科)の目標の変遷

 昭和22年に作成された学習指導要領(試案)は,小学校と中学校のものが一冊にまとめ られていて,先づ最初に音楽教育のねらいについて述べられている。

 「音楽教育は情操教育である,という原則は今も昔も少しも変っていない。しかし,そ の意味のとり方は従来必ずしも正しい方向にあったとはいえない。音楽教育が情操教育で あるという意味は,音楽美の理解・感得によって高い美的情操と,豊かな人間性とを養う ことである。従来の考え方のうちには,音楽教育を情操教育の手段として取り扱う傾きが はなはだ強かった。しかし,音楽は本来芸術であるから,目的であって,手駒となり得る ものではない。芸術を手段とする考え方は,芸術の本質を解しないものである。(中略)

以上のような点から,今後の音楽教育は,あくまでも純正な音楽教育であるべきで,児童 がよい音楽を十分に表現し,かつ理解するようになることを目標とし,これがそのまま正 しい情操教育であるということを,しっかり考えておかなければならない。(後略)」9)

 この新しい音楽教育の論旨は,過去の「徳性を洒養する唱歌教育」や「皇国民錬成の一 助として,国民的情操を醇化する国民学校時代の芸能科音楽教育」の考え方を根本的に反 省したものであって,音楽教育は芸術教育であるということから,音楽教育そのものが情 操教育であって,音楽教育を情操教育の手段とした考え方をしてはならないと強く戒めて いるものである。これは,過去の道具主義の音楽教育を批判したものでもあり,同時に今 後の音楽科教育の目的と方向を明確に示したものであると言えよう。この音楽科教育の理 論は,当時文部省の教科書局図書監修官であり,この第1次試案の作成にあたった諸井三 郎の音楽教育観であった様に思われる。この音楽科教育観は,芸術教育としての音楽科教 育の本質的な理念であり,「音楽科教育の原理」とも言えるものではなかろうか。

 昭和26年度改訂の学習指導要領(小)第2次試案10)では,「序論」が設けられ,音楽 の本質論と,音楽と人間社会との関係について明らかにしょうとしている。これはJ・マ ーセルの音楽教育の哲学的理論(人間生活と音楽の価値関係について述べた「音楽教育と 人間形成」11))の影響が感じられる。次に「音楽教育の特質」という項が設けられ,音楽 教育独自の目的として,「音楽の表現技術」「音楽についての理論的知識」「音楽鑑賞」

「音楽の創造力の養成」の4点をあげ,「それらについての正しく系統的な学習指導が行 なわれなければならない」と述べられているが,これらの点を強調しすぎると,技術偏重

・知識偏重の音楽教育に陥る危険性がある。(これはすでに現実において,技術偏重・知 識偏重に陥っているのであるが)続いて「今後の音楽教育」という項では,「(前略)民 主主義理念を基本とする現代の音楽教育においては,音楽教育の体験を通して,音楽美の 理解・感得と・豊かな美的情操育成による人間完成が要求される。また児童自身の欲求に 基いた自主性に富む音楽的自発活動と,音楽を通してこの自己表現とが尊重される。(後 略)」とあり,児童の自主性と自発性を強調している点は,アメリカの進歩主義教育の影 響の現われと見ることもできよう。第1章の音楽教育の目標には,「音楽経験を通じて,

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深い美的情操と豊かな人間性とを養い,円満な人格の発達をはかり,好ましい社会人とし ての教養を高める。」という一般目標に続いて,豆に,幼稚園の音楽教育の目標が「すべ ての幼児に,いろいろな音楽経験を与える。」と示されたことは,非常にユニークな考え であると思われる。即ち音楽教育の早期教育をねらったものと考えられる。皿において は,「小学校の音楽教育の目標」と題して,「音楽の余暇への活用とか,家庭生活や地域 社会での生活に活用」されることが強調されている点,道具主義の音楽科教育が伺がわれ る。次の第∬章では「児童の音楽的発達」という章を設け,(1)なぜ児童の発達段階を 知らなければならないか。(1)音楽と児童の生活との関係。(皿)児童の音楽的発達。

などの項目が設けられ,発達心理学的な見地から理論が体系化されていて,非常にユニー クな試みであり,尚且つ大変重要な章であると考えられる。これらの理論もまた,J・マ ーセルの心理学的研究の姿勢の影響が強く感じられるものである。尚この改訂では,小学 校用と中学校用が分離されたのも一つの特長であろう。

 昭和26年度改訂指導要領(中・高)第2次試案12)での音楽教育観の特長は,教育課程 の改訂により,中学1年から高校3年までを,第7学年から第12学年という一貫した課程 と考えたことである。内容的には先づ,第1章音楽教育の目標・第1節教育課程における 音楽科の地位, (1)社会的公民的資質の向上と音楽。 (∬)職業的能力の発達と音楽。

(皿)個人的能力の発達と音楽。 (IV)道徳教育ならびに国際理解と音楽。この4項目を あげ,音楽の効用について説いているが,中でも(W)における「音楽は,個人の健全な 発達に寄与するが,それらは,ただちに道徳的態度の形成にも役だつものである。」と 説くと共に,「音楽教育も,道徳的態度の育成の目的の達成に参与することが大切であ る。」と述べられているので,これは一見「徳育教育への荷担」とも考えられるが,直ぐ その後で,「ただし音楽は,直接,徳目の理解や実践をねらうものではなく,音楽独自の 目標を達成することによって,おのずから,道徳的態度の育成にも役だつことを忘れては ならない。そうしないと,音楽教育本来の使命が失われるおそれがある。」と注告してい ることは,道具主義の音楽教育に対する配慮であるが,実践の場ではなかなかむつかしい ことであろうと考える。また第賎女生徒の発達と音楽の項では,音楽教育における適切な 目標の決定,有効な学習指導の計画及び,効果的な教材の選択にあたっては,生徒の身体 の成長,知的,社会的,情緒的発達をよく知ることが大切であるとしている点,青年心理 学・発達心理学の見地から音楽教育を研究する必要性を強調していることは,音楽教育研 究の今後の課題でもあり,注目に値するが,ここにもJ・マーセルの研究姿勢がはっきり

と現われていると見てよいだろう。

 昭和33年度改訂学習指導要領(小)の目標では,「音楽経験を豊かにし,音楽的感覚の 発達を図るとともに美的情操を養う。」とあり,音楽科教育では最も基盤となる音楽的感 覚を鋭敏にし,かつ美的情操を養っていくのである。鑑賞や表現を豊富に経験し,音楽的 感覚を洗練し,美的情操を養っていくことは,とりもなおさず,豊かな人間性を養ってい くことでもある。それによって,音楽科は人間形成の面を受け持つ教科であると結論づけ

       り       や   り

ているが,ここで初めて人間形成の教科であることが強調された。

 昭和33年度改訂学習指導要領(中)の目標では「音楽の表現や鑑賞を通して美的感覚を 洗練し,情操を高め,豊かな人間性を養う。」とあり,目標を一本化した。即ち,昭和26 年度改訂の目標の構成では,中学校の音楽科教育は,音楽教育の一般目標を達成するため

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に行なうものであるという考え方であり,中学校での音楽教育が別にある音楽教育の目標 を達成するための一段階であるという二元的な解釈がなり立つ。(中略)しかし,音楽教 育そのものに型通りかの目標があるものではないので一本化した。」13)と説明されてい

る。

 昭和43年度改訂指導要領(小)の目標は,「総括目標」及び,総括目標を達成するため の「具体的目標」更に,細分化された「学年目標」へと3段階になり,音楽科の総括的目 標,即ち音楽科教育の目標は,「音楽性をつちかい,情操を心あるとともに豊かな創造性 を養う。」となって,音楽性と情操と創造性が強調されるとともに,具体目標・学年目標 において「基礎」教育の重要性が叫ばれることになり,「音楽科教育の目的は,音楽の基 礎学習である。」かの如き錯覚に陥った音楽教師がふえ,技術偏重,知識偏重の方向に走 り,「詰め込み教育」をやらざるを得なくなり,楽しかるべき音楽科教育も,「音が苦」

の教育になり下り,子ども達から嫌らわれる教科になった。他の教科も同様で複雑・高度 になり過ぎたたあ,目下教育審議会において,「ゆとりのある学校教育」を取りもどすべ く,抜本的な教育改革が急がれている。これは中学校・高等学校においても同様のことが 言われている。

 さてこの様な教育の危機にこそ,われわれ音楽教育に携わる者は,「真の音楽教育の意 義と目的」について今一度明確に把握し直す必要があるのではなかろうか。

V 音楽的成長の力と人間的成長の力

 音楽が人間生活に大きな影響を及ぼしてきたのは,音楽の社会的関連性によるものであ ると考えられる。即ち,音楽には演奏と鑑賞という二面性があって,それはいろいろな社 会的様式を生み出すとともに,社会的状態の中で行なわれるからである。この社会的関連 性には,グループ活動に適用される要素があり,その要素によって,グループ活動の意味 と効果が強調される。この様な点から,学校における音楽科教育の必要が主張されるので ある。「音楽教育と人間形成」の著者J・マ習癖ルは,その著書の巻頭において,「なぜ 学校で音楽を教えなければならないのか。」という疑問をわれわれに投げかけ,この問題 を解き明かすことによって,「音楽は,教育に積極的に寄与するものとして,音楽教育反 対論を押えて,カリキュラムに正当な位置を占あることができる。」と述べている。それ は即ち,「音楽は,人間生活に役立ってこそ教育に取り入れる価値があるのであって,私 たちが,より幸福に,より完全に生きるために役立つものでなければ,教育的価値や意味 があるとは考えられない。」 と論じ,彼は,学校教育の場に「人間教育」の一端を担う一 教科として,音楽科教育を位置づけることの意義とその価値について述べている。また彼 は,「なぜ,学科は,教えたり,学んだりしなければならないのだろうか。」という疑問 を投げかけ,それに対して,「ものを学ぶのは,生きるという大きな仕事を,立派に成就 するためなのです。」と答えているが,この答えは素晴らしい答えで拙者も大いに賛成で

       

あるが,しかし,これを尚説明して「簡単にいえば私たちがより豊かに生き,より善良な,

より暖かい心の人間になるたあ。」14)(傍点筆者)と述べている点にや、疑問を感じる のである。これは, 「ものを学ぶのはより善良なより暖かい心の人間になるため」とい う所に,マーセルの道具主義的側面を感じると共に,その後で言っている「それを学ぶ 人たちが一老いも若きも一よりよい生き方ができるようになった時,はじあて,それ

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を学んだ価値があったといえるのです。」と言っていることとや\矛盾を感じるのであ る。即ち,言いかえると「人間が人間を教育する(人間教育)というその目的は,より善

      コ        

良な,より暖かい心の人間を作ることである」という,目的的教育感であって,教育を人 間教化の手段とする道具主義的一面が感じられ,これこそ,J・デューイのプラグマティ ズムの流れを汲む,J・マーセルの教育観の奥深くにひそむ道具主義の一面を垣間見た思 いがするのである。

 ここでやや独断的教育感を述べることを許されるならば,「〈教育する〉という行為 は,ものを教えたり,学んだりする行為(教育)により,ものを教えようとする者が,も のを学ぼうとする者に,〈生き(ようとす)る力を与えたり,与えられたりする〉という 行為である。」と言える。これは,「〈音楽科教育をする〉という行為は,音楽を教えた

り,学んだりする行為のことで,音楽を教える者が,音楽を学ぶ者にく生き(ようとす)

る力を与えたり,与えられたりする〉という行為である。」と言いかえることもできよ

う。

 そこで音楽科教育もまた,他の教科の教育と同様に,学校教育の場において,人間教育 の一端を担う教科としての価値を認あられるためには,音楽を教える者が,音楽を学ぶ者 に,音楽の教科でしか成し得ないく生き(ようとす)る力〉を与えたり,与えられたりす る教科でなければならないと考える。

 この様に,音楽科教育でしか成し得ないく生き(ようとす)る力〉を「音楽的成長の力」

と言い,この力と他の教科から得たそれぞれの成長のカとが,学習者の体内において,有

      り       り    

機的に統合され得た力を「人間的成長の力」と言うことができる。この「人間的成長の 力」を得ることによって,人間は,より幸福に,より豊かに,より完全に生き(ようと す)ることができるのである。それ故,音楽科教育において,音楽を学習することによっ て,その学習者がこの「音楽的成長の力」を得るとともに,更に豊かにく生き(ようと す)る力〉「人間的成長の力」を得ようとするとき,そこに音楽科教育の人間教育とし ての価値があると言うことができると同時に,音楽科教育を学校教育の場に,人間教育の 一端を担う教科として,位置づける意義が認あられることになるのである。

 それでは,音楽的成長の力とは如何なるものであるか,具体的に述べてみることにしよ う。この音楽的成長の力を学習者に与えることが音楽科教育の真の目的である。

 ① 音楽に対する欲求力の発達

 音楽の学習者に先ず,音楽を学習する意欲を起させる必要がある。そのためには,学習 者が音楽を好きになること,あるいは教師が学習者に働きかけて,好きにさせることであ る。音楽に対する興味を触発させるには,多種多様の音楽を先ず聴かせることである。そ うすることによって,その音楽の演奏者の情動的触発作用により,学習者の音楽に対する 情動的反応力が触発され,快感が起り,自発的欲求力が誘発されることにより,音楽に対 する自発的・挑戦的欲求(意欲)力が発達する。この様な聴感覚的触発作用は,人間の感 覚的発達の幼児期が最:適と考えられる。

 ②音楽的識別力の発達

 音楽を聴いたり,演奏したり,作ったりするζとにより,音楽は楽しいものであるとい う意識を持たせ,自発的欲求力を伴いながら,無限の広がりを持つ音楽の変化と魅力に意 識するところまで発達させることである。それには,音楽の数多い種類(声楽・器楽など

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203 音楽科教育の意義とその目的についての一考察(古田)

生活の中のあらゆる音楽)について気づかせることである。しかしこれらは表面的に気づ かせるだけではなく,その音楽から得られる連想や暗示及びその音楽の持つムードや表情 の意味に気づくところまで発達させることが大切である。これは,幼年期から少年期が最 適であろうと考えられる。

 ③音楽的質の判断力の発達

 音楽の嗜好からより発展して,音楽の内面にあるその音楽の持つ情緒及び,音楽的印象 に対する音楽上反応力及び把握力の発達。更に発達して,その音楽の演奏の内容をも含め ての,音楽的質の判断力,識別力,即ち音楽的質の価値判断ができるようになることであ る。それは,演奏・音楽理論・音楽史など音楽のあらゆる学習領域を通して促進されると 共に,内面的な美的価値の判断力と相まって,やがて本質的な芸術的価値判断力へと発達

して行くのである。

 ④音楽的理解力の発達

 これは音楽の旋律形・リズム形・和音の変化(和声)など,音楽の要素から,音楽の構 成及びその構造・形態などについての理解力の発達であって,決して表面的理解事項とし て暗記するたぐいのものではない。この理解力は,音楽の表現と理論の両面から把握され る力であって,音楽美の内面に迫る力でなくてはならない。この力が発達することによっ て,本当の意味での二二力が身につくことになる。即ち楽譜の内面にひそむ音楽美を読み とる力である。しかし音楽的技術の力を含むところの「音楽性」 (音楽的能力)とは少し 異なるものである。

 ⑤ 音楽的技術の発達

 音楽的技術とは,本質的には精神的な作用が主になるものであって,音楽の内面的な表 出作用に役立つ技術のことで,機械的な巧みさ,表面的な浅い技術のことではなく,その 音楽が要求する,表現手段としての技術のことであって,例えば,歌を歌う時に,その音 楽をより豊かに,感情的に,内面的に表出しようとするために必要な発声練習により得た 美しい声のことであって,単に人間の美しい声を聞かせるたあの発声訓練としての技術的 発達のことではない。

 以上5つの音楽的成長の力の発達は,それぞれが別個に発達を促されるものではなく て,相互に有機的に作用し合いながら発達すべきものである。また,どれが不充分でも,

どれかが特に優れて発達しても,それはバランスの悪い,不満足な発達になる。それ故バ ランスの良い豊かな発達が理想的な音楽的成長の力といえるのである。

 さて,音楽科教育の究極的な目的は,バランスのとれた音楽的成長の力が得られること であり,それがただその時点で止まることなく,他の教科の教育によって得られたそれぞ れの成長の力と有機的に統合され,豊かな人間的成長の力に発達し,より幸福に,より豊 かに,より完全に生きることができるようになることである。

あ  と  が  き

 以上論じた点は,音楽科教育の思潮を概観することにより,音楽科教育の意義と目的が 何であるかをつきとめ,音楽教育の本質に迫まろうと試みたのであったが,やはり音楽は 論じるものではなく,歌うべきものであることを改めて知らされた思いがした。音楽教育 もまた,歌ってこそ知らされるものであろうし,歌ってこそ教育することのできるもので

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あると改めて確信した。

音楽は,人間の心の表出である。音楽教育もその人間の心のふれ合いの場であると信ず る。音楽的感動こそ人間の生命力であり,成長のカであると信じ,われわれは,長く険し い音楽教育の道を歩み続けねばなるまい。

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注及び参考文献

 「洋楽事始」音楽取調成績申報書p.161伊沢修二・山住正巳校注 平凡社

 「音楽的成長から人問的成長へ」美田節子 音楽教育学第5号p.68(1975)日本音楽教育学会誌  「音楽教育にとって心理学とは何か」千成俊夫,音楽教育研究Na83, p.76(1973,)音楽之友社  「わが国における音楽教育の歴史的変遷」古田庄平・長崎大学教育学部人文科学研究報告 第24号 1975

 注3)に同じ

 「音楽教育心理学」1931J.マーセル, M.グレーン女史共著 供田武喜津訳 音楽之友社  「音楽教育と人間形成」J.マーセル著美田節子訳 音楽之友社

 「音楽的成長のための教育」J.マーセル著美田節子訳 音楽之友社

 「戦後の音楽教育行政(小学校)」真篠将,音楽教育研究Na 24 p.109.(1968)音楽之友社  「小学校学習指導;要領」音楽科編(試案)昭和26年(1951)改訂版文部省

 注7)に同じ

 「中・高学校学習指導要領」音楽科編(試案)昭和26年(1951)改訂版文部省

 「音楽教育研究」昭和34年,ユ号p.19(学習指導要:領改訂の要点と特性)花村大

 注7)に同じ

参照

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