箱根宮城野地区に伝わる俚諺・俗信・俚謡について
勝 俣
隆
On the Folk Sayings, Beliefs, and Songs
of the Miyagino District in Hakone
Takashi KATSUMATA
神奈川県足柄下郡箱根町宮城野には︑種々の偲謡・偲諺・俗信
が残されている︒先に︑その主な浬謡について紹介と考察を行っ
たので︑今回は宮城野の僅諺・俗信を中心に調査報告を行い︑若 エ 干の便謡を含めて︑解説と考察を加えてみたい︒
僅諺等の採集は︑平成元年八月から平成二年八月にかけて︑宮
城野に居住する七十歳以上の方々に直接面談して聴取する形で
行った︒聴取した方は︑青木トメヨ︵九一歳︶︑勝俣タメ︵九一
歳︶︑山本フク︵八五歳︶︑勝俣ヤマ︵八三歳︑筆者の父方の伯
母︶︑勝俣紋次郎︵七三歳︑筆者の父︶の諸氏である︵年齢はいず
れも平成二年八月現在︶︒青木氏以外は︑皆宮城野生まれの宮城野 育ちである︒性別は女性四人︑男性一人である︒宮城野は筆者の
出身地でもあるので︑方言等の聴取上の支障は一切なかった︒な
お︑若干の便諺等については︑筆者自身の記憶にあるものも含め
て考察した︒ 一︑鳥に関する偲諺・俗信︵鳥の鳴声を含む︒︶
①カラス︵烏︶
a︑ムヒツムデンノ
カラスデサエモ
ォヤノトマリシ
エダヨリモ
ミエダサ.ガッテ
ヤドヲトル 無筆無点の鳥でさえも親の止まりし枝よりも三枝下がって
宿を取る︒
︻解説と考察︼
伯母から採集︒伯母が母親︵勝俣ピサ︒筆者の父方の祖母︶か
ら聞いたものだと言う︒これは︑子供が親の悪口を言った時に︑
烏でさえ親を尊敬しているのだから︑まして人間であるお前たち
が︑親を馬鹿にするものではないという戒めとして使われた言葉
長崎大学教育学部人文科学研究報告 第四三号 一〜一六︵一九九一︶
勝 俣隆
だそうだ︒音数律が︑七七七五七五と整った形をしており︑何か
.語り物等に出典があるのかも知れないが︑調査の範囲では知り得 ヨ なかった︒
︻語釈︼
○ムヒツムデンノ 無筆無点の漢字が宛てられよう︒﹃日葡辞書﹄ る には︑次のようにある︒
冨鼠津 ムヒッ︵無筆︶ 字を書くすべを知らないこと︒ま
た︑字を書くすべを知らない人︒
ζ旨α蕗 ムテンナ︵無点な︶ 文字をよく理解する便りと
なる点︑あるいは︑記号のない︵書物︑または︑文書︶︒
丸面①昌5①oO8=oく畝レω¢﹁ロ ︵無点なことを言ふ︑または︑
する︶ わけのわからないことを言う︑または︑する︒
右のムテンとは結局︑漢文の訓点がないことを言い︑その結
果︑わけのわからないという意味になったことがわかる︒それ
故︑無筆無点とは︑﹁文字も知らず︑わけもわからぬ﹂状態を指
すことになろう︒
○カラスデサエモ サエモは︑烏を既めた言い方である︒鳥をつ
まらないものと見なした表現であろう︒枕草子の冒頭部の一節︑
﹁からすのねどころへ行くとて︑みつよつ︑ふたつみつなど︑
とびいそぐさへあはれなり︒﹂が想起されるところであろう︒
○オヤノトマリシ︑エダヨリモ 親鳥が止まった枝よりもという
文字通りの意味だが︑過去の助動詞﹁シ﹂に︑表現の古さが感
じられる︒
○ミエダサガッテヤドヲトル これ鳳︑﹁三歩下がって師の影を踏
まず︒﹂と同様の言い方であろう︒子鳥の親烏への礼を表わす表 現と言えよう︒ ︑
︻通釈︼
文字も書けず︑道理もわからぬ烏でさえも︑︵子烏は︶親鳥が止
まった枝よりも三枝下の枝に止まって︑そこを塒としている︒︵そ
のように︑鳥でさえも親への礼儀を心得ているのだから︑まして
人間として物事の道理がわかっているはずのお前たちが︑親の悪
口を言ったりすれば罰が当たるぞ︒︶
b︑カラスハミサキ 鳥は御前
︻解説と考察︼
山本フク氏から採集︒氏に拠れば︑烏が人事の前触れであるこ
とを言ったものと言う︒つまり︑烏は︑火事や人の死などを予知
する能力があるとされたので︑その前触れとしてミサキと言った
のだと言うことである︒実際︑﹃日本俗信辞典﹄を見ると︑鳥には
予知能力があるとされたので︑烏の鳴き声で吉凶を占うという例 ら が多数載っている︒しかし︑これと全く同じ表現の浬言は見当た
らない︒
︻語釈︼○ミサキ ミサキには︑①貴人等の先導︑②神の使者としての動
物︑③変死者の霊魂などの意味があるようだが︑ここでは②の 意味に近い使われ方ではないかと思う︒柳田国男は︑﹁みさき神
考﹂の中で︑野狐や眼に見えぬ風のようなものをトホリミサキ
と言ったり︑山の鳥や虫をミサキと呼ぶこともあると指摘した
上で︑その実例として︑三光鳥︑駆歩のミサキガラス︑茨城・ 福島のオミサキを挙げている︒この﹁オミサキ﹂については︑
同じく柳田国男が﹃歳時習俗語彙﹄の中で次のように述べてい
る︒ 下野河内郡では正月十一日中未明に︑家の後の畠に三つ
の畝を立てて︑三箇所に白紙を敷いて米を供へ︑少し離れ
て大きな声で︑烏来い鳥来いと喚び︑その三つの米の何れ
を先づ啄むかを見て︑其年播くべき稲種の早中晩をト定す
る︵民族二巻二号︶︒是とよく似た風習は東北に多いが︑石
城郡などのは米ではなく麦で︑烏を喚ぶのにもオミサキ・
オミサキといふ者がある︒
これは︑早稲・中手・晩稲のどの稲種が良いかを烏に選ばせ
るカラスヨビの行事であって︑ミサキだけでも敬意が含まれて
いるのに︑さらにオをつけてオミサキと言っているところに︑
山の神︵あるいは田の神︶の使者としての鳥を畏敬する気持ち が窺われる︒いずれにしても︑当該の﹁カラスハミサキ﹂も︑
鳥は山の神の使いであるというのが本義で︑神の使者故︑予知
能力があると転義したのかも知れない︒
︻通釈︼
鳥は人事の前触れである︒︵鳥は山の神の使いで︑未来がわかる
能力がある︒︶
c︑ヨガラスガナクトカジニナル 夜烏が鳴くと火事になる︒
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏より採集︒これは︑﹃日本俗信辞典﹄に
拠れば︑会津︵福島︶︑因幡︵鳥取︶︑広島︑津軽︵青森︶︑千葉︑
長野などに同様の浬諺があることが知られ︑全国的なものである︒ 烏は︑記紀神話の八腿鳥が︑太陽神天照大御神の遣いであり︑太陽神そのものの象徴と考えられたように︑太陽と非常に関係深い鳥である︒中国でも︑日中に三足の烏がいるとされ︑ギリシア 神話でも︑鳥は太陽神アポロンの使者である︒一方︑﹁日﹂と﹁火﹂は︑上代特殊仮名遣いが異なるので︑別の語源と思われるが︑それにもかかわらず︑両者は︑その光と熱︑色などの類似性によって︑関連あるものと考えられて来た長い歴史がある︒それ故︑﹁日﹂の象徴である鳥は︑同時に︑﹁火﹂の象徴でもあったわけで︑火事の原因とされたのではないか︒夜鳥であるのは︑夜に火事が多いという事実の反映であろう︒︻語釈︼︻通釈︼は特に問題がないので省略する︒︵以下︑同様な場合は︑特に断わらずに省略する︒︶d︑ヒトガシヌトキハ︑ヨワヨワシクカラスガナク︒ 人が死ぬ時は弱々しく鳥が鳴く︒
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏より採集︒﹁カラスが鳴くと人が死ぬ︒﹂
という地域は全国に広がっている︒﹃日本俗信辞典﹄に拠れば︑次
のように分類される︒
①単に鳥が鳴いただけでもとする場合︑②鳥の鳴き方︵鳴き声︶
が悪い場合︑③鳥の鳴く時刻が悪い場合︑④鳥の鳴く場所が悪い
場合︑⑤鳥の鳴く姿勢が悪い場合︑の五つである︒当該の俗信は
②に属するが︑②はさらに次のように分類される︒
⑦鳴く回数が異常な場合︵通常は平声鳴きするものとされるの
で︑一声鳴︑三声音を凶とするが︑地域によっては︑二声鳴
きもよくないとする︒また︑四と死を絡ませて︑四声二声︵死
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勝 俣隆
に︶や四声磁石︑あるいは四羽の鳥の鳴き声を凶とする︒︶
⑦鳴き声の強弱によるもの︵やかましく騒ぐ場合︑静かに鳴く
時︑弱々しく鳴く時︑悲しそうに鳴く時︑淋しそうに鳴く時
など︒︶
㊥鳴き声の長短によるもの︵長く引いてなく︑ゆっくり鳴くな
ど︒︶
㊥通常と変わった鳴声︵カアエー︹福井︺︑アクゥアフウ︹群
馬︺︑カワイカワイ︹兵庫・広島︺︑オアー︹三重︺など︒︶
宮城野の場合は︑④の場合で︑﹁弱々しく鳴く﹂のを死者の記し
とするのは︑長野・秋田などに見られる︒とにかく︑烏と死を結
びつけたのは︑鳥の黒い姿と︑不気味な声が︑死を連想させたか
らであろう︒
e︑カラスガイエノチカクデナクト︑ヨセヘイッテナケトオイハ
ラフ 鳥が家の近くで鳴くと︑﹁よせへ行って鳴け﹂と追い払う
︻解説と考察︼
青木トメヨ氏︑山本フク氏より採集︒これは︑﹁ヨセヘイッテナ
ケ﹂の代わりに︑﹁ソッチヘイッテナイテクレ﹂とも言うとのこと
り である︒いずれも︑家の近くで鳥が鳴くことを不吉と考えて追い
払う言葉である︒﹁ソッチヘイッテナイテクレ﹂には︑鳥にお願い
している趣きがあり︑いくら嫌な鳥でも︑ミサキという神の使い
的側面があるので︑無下に追い払えずに︑依頼する形になってい
るのかも知れない︒﹃日本俗信辞典﹄に拠れば︑鳥が家の近くで鳴
くのを不吉として嫌うのは︑群馬︑愛媛︑熊本︑香川などを初め として多数見られる︒但し︑烏の鳴き声が悪い時など︑呪文を唱えたり︑唾を吐いたりする例はあるが︑手で追い払う例は見当たらない︒
②ホトトギス︵時鳥︶
a︑ホツチャンカケ言詮オトウトコイシヤ
ホッチャンかけたか弟恋しや
︻解説と考察︼
伯母より採集︒時鳥の鳴き声の聞きなしであり︑次のような民
話を伴っている︒
二人の兄弟がいて︑エサを食べたかどうかで喧嘩をした︒
兄が弟を疑って︑弟のお腹を割いて調べたら︑エサはなかっ
た︒弟は無実が証明されたが死んでしまった︒兄は弟の死を
悲しんで︑血を吐くまで鳴く︵泣く︶ようになった︒
これは︑小鳥前生謳の中で︑﹁時鳥と兄弟﹂の話としてよく知ら
れているものである︒﹃日本昔話大成﹄第一巻﹃動物昔話﹄の中に
は︑鹿児島から青森まで︑この類型の話が多数載っているが︑全 く同じものは見られない︒食物︵主に芋︶をめぐって︑兄が弟を
疑う形は全国に見られるが︑芋のよい所︵おいしい所︶と悪い所
︵まずい所︶を対比したものが多いのに︑食べたか食べないかを
争うのは珍しい︒鳴き声の聞きなしとしては︑岐阜県益田郡の
﹁ほっちかけたが︑弟恋し﹂︑同飛騨郡﹁ほっちょかけたか﹂︑新
潟県中蒲原郡︑北魚沼郡︑栃尾市の﹁弟恋しや︑本尊かけたか﹂ ね などが近い︒この﹁本尊かけたか﹂という形は︑﹃犬筑波集﹄︵享
録末年から天文初年︑一五三〇年前後︶に︑
ふったんに本尊かけたかほととぎす
として見られる古いものである︒当該の﹁ホッチャン﹂は﹁ホン
ゾン﹂の変化した形であろうか︒しかし︑﹁ホンゾン︵本尊︶﹂で
は︑この話の内容とは合わない︒新潟県の新発田市には︑﹁弟恋し
包丁立てたか﹂︵﹃日本昔話大成﹄︶の聞きなしが見られ︑ホッチョ
ンを包丁の意と採れば︑腹を割くこととの関わりは出て来よう︒
なお︑父は︑この鳴き声の聞きなしを﹁ホッチョンかけたか弟恋
しや﹂の形で覚えていたという︒異伝であろう︒
b︑ホッチョンカケ註脚トウトコイシオトウトコイシ
ホッチョンかけた弟恋し弟恋し
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏より採集︒aとよく似ているが︑付随
の民話は︑次に載せるように大分異なる︒
とら
兄弟がいて︑弟が猟師に鉄砲で撃たれて︑捕われて︑薬にされた︒それを悲しんで兄が鳴く︒ホッチョンカケタとは︑
時鳥が仲間を呼ぶ時の声だと言う︒
﹃日本昔話大成﹄には︑﹁時鳥と兄弟﹂の話が︑上述の如く多数
見られるが︑右の話に似たものは見出せない︒宮城野の特異なも
のであろう︒時鳥が薬になることは︑次に述べる︒
c︑ホトトギスノウチタテヲシボルトシンノクスリ 時鳥の撃ちたてを絞ると心の薬
︻解説と考察︼ 勝俣タメ氏︑山本フク氏より採集︒これは︑時鳥を鉄砲の玉で撃ってすぐに︑その血を絞って飲むと心臓の薬となるということだそうである︒調べた範囲では︑時鳥の血を飲むと言った療法は他書に見られなかった︒時鳥は︑﹁鳴いて血を吐く﹂とよく言われるので︑これも薬としての時鳥を考えた時︑印象として最も強烈な血が選ばれたのであろうか︒血は心臓と関係深いから︑﹁心の薬﹂というのはよく理解できる︒d︑ホトトギスヲクロヤキニスルト︑シンノゾウ︑ハイ︑ノウ︑ サンゴノヒダチ︑チノミチニョイ 時鳥を黒焼にすると︑心の臓︑肺︑脳︑産後の肥立ち︑血の 道に良い︒
︻解説と考察︼
勝俣タメ・山本フク氏より採集︒両氏に拠ると︑時鳥の胴を土
瓶に焼いて︑味噌を付けて︑黒焼きにして食べるのだと言う︒こ
の黒焼は︑生臭いが︑とても高価で貴重なもので︑昔︑箸の先が
耳掻きになっているものがあったが︑その耳掻き一杯︑黒焼きの
粉を飲むだけで非常に効き目があったという︒気付け薬としても
効能があり︑よく効いた証拠としては︑死んだ人も黒焼きの粉を
飲むと生き返るほどで︑これは漢方医の岡島先生︵故人︶が︑実
際に知っていた話だと言う︒勝俣タメ氏自身︑黒焼の粉を飲んで︑
百日咳が治ったそうだ︒
時鳥の黒焼きが種々の病気に効くことは︑﹃日本俗信辞典﹄に明
示されている︒結核・肺炎・風邪その他の万病︵埼玉・佐賀︶︑チ
フス︵神奈川︶︑百日咳︵山梨︶︑疽の虫︵新潟・岡山︶︑肺病︵埼
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玉・神奈川・岐阜︶︑乳腫れ・頭痛・神経痛︵熊本︶︑疵︵岩手︶︑
血の道︵神奈川県津久井郡・長崎︶等である︒宮城野と共通して
いるのは︑肺病︵結核・肺炎︶︑百日咳・血の並等であって︑心臓
に効くというのが︑他に見られぬ独自のものである︒心臓につい
ては︑時鳥と血の関係から︑他にあっても良いと思うが︑今のと
ころ見つからない︒肺・脳・産後の肥立ち・血の道導は︑すべて
血と関係あるから︑納得できるものである︒特に﹁鳴いて血を吐
く時鳥﹂という表現からすれば︑血を吐くことが肺病を連想させ お るから︑特に肺との関係は深いのだと思われる︒死んで活き返る
という点については︑﹁ホトトギスの黒焼きは溺死者の鼻の中へ吹
き込むと救うことができる︵愛知︶﹂︵﹃日本俗信辞典﹄︶とあり︑
小山田与清の﹃松屋筆記﹄︵文化末年︹一八一八︺〜弘化二年半
八四五︺︶にも︑﹁水死人廿四時ノ間ハ杜鵤ノ黒焼ヲロ中二吹込ミ
又ハ後門へ吹入レルト忽チ蘇活スル﹂とある︒古くからの言い伝
えなのであろう︒
e︑ホトトギスノハネハショウチュウヅケニシキズグスリニスル
時鳥の羽は焼酒付けにし傷薬にする
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏より採集︒民間療法であるが︑﹃日本俗
信辞典﹄を見ても︑同種のものは載っていない︒時鳥は︑前項に
示したように︑血に関する病気によく効くと考えられたようだ
から︑傷に塗れば止血効果があると考えたのであろう︒
f︑ホトトギズハノドカラチガデルポドナク 時鳥は喉から血が出る.程鳴く
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏より採集︒これについては︑﹁血を吐く
ような悲痛な声で鳴き﹂︵﹃日本俗信辞典﹄︶︑﹁鋭く激しく︑血を吐
くように鳴き続ける﹂︵山口蓋置氏﹃ちんちん千鳥の鳴く声は1日 ぬ 本人が聞いた鳥の声1﹄︶︑ ﹁昔から﹃血を吐く叫び﹄とか﹃絹を
さく叫び﹄とか表現されており︑その鋭い鳴き方をさしたものと サ
思われる﹂︵中坪礼治氏解説﹃NHK日本の野鳥−森の四季1﹄︶
等の如く︑時鳥の鋭い鳴き方が︑血を吐くことを連想させたとい
う見方がある︒一方︑﹁時鳥と兄弟﹂の民話に見られるように︑時
鳥の口の色から来たという見方も可能である︒例えば︑奈良県添
上郡の﹁時鳥と兄弟﹂の話では︑次のようになっている︒
︵前略︶それで時鳥は今も︑おととかわいや︑ほしろんかけ
たかと︑毎日八千八声ずつ鳴くのである︒そうしてもし人が
その途中で口まねをすると︑たとえ八千七声までいっていて
も︑またはじめから八千八声鳴き返さねばならない︒時鳥が
木に止まっているときに見ると︑口が赤いのもこの鳴き過ぎ
のため︑血を吐いているのだという︒︵﹃日本昔話大成﹄︶
時鳥が︑弟︵または︑兄︑姉︑妹︶を殺した罰として︑八千八
声︵千声︑昼に老声夜に千声︑叡智︑八万八声︑八千︑四万八声
とも︶一日に鳴かねばならぬとする伝承は︑全国に広がっている
(『坙{昔話大成﹄等︶︒これは勿論︑時鳥が初夏に飛来した時︑
頻りに鳴くことが︑そうした考えを生み出した一因であろう︒し
かし︑風間辰夫氏﹃新潟・鳥のことわざと方言﹄では︑次の如く め 説かれる︒
ホトトギスの口内は榿赤色なので︑口をあけますと血のよ
うに見えます︒俗にいわれている泣いて血をはくほととぎ
すの文句もここから出たものでしょう︒
時鳥の声がいくら鋭くとも︑それがすぐ血と結びうくと考える
には無理があろう︒先の添上郡の﹁時鳥と兄弟﹂の民話で︑﹁口が
赤いのもこの鳴き過ぎのため︑血を吐いているのだ﹂とする見方
から考えても︑口が赤いところがら︑血を吐くという考えが生ま
れたとする風間氏の説に賛成したいと思う︒
9︑ホトトギスハメスヲヨブトキ︑キョキョキョトナク︒
時鳥は雌を呼ぶ時︑キョキョキョと鳴く︒
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏から採集︒時鳥の鳴き声のうち︑雄が
雌を呼ぶ時の特定の声の説明である︒このキョキョキョという鳴
き声は︑﹃日本方言大辞典﹄や﹃日本昔話大成﹄には見られぬが︑
﹃ちんちん千鳥のなく声は﹄では﹁オッキョ︑キョキョキョキョ﹂
を︑﹃徳島県野鳥図鑑﹄では︑﹁キョッキョキョキョキョキョ﹂を レ それぞれ挙げている︒
筆者が︑時鳥の声を聞いた限りにおいて︑この﹁キョキョキョ﹂
という鳴き声は︑短かく鋭くて︑これが所謂﹁絹を裂く叫び﹂に
当たるのではないかと思う︒ただこれは︑﹁ホッチャンかけたか弟
恋しや﹂流の鳴き方がうまくできない時や︑一種の警戒音として
の鳴き方であると感じられた︒雌を呼ぶ時の声であるとするもの
は︑調査の範囲では他に見当たらなかった︒但し︑時鳥の雌の声 あ については︑﹃岡山の鳥﹄では︑﹁雌はピチピチピピピとなく︒﹂︑ ﹃大山の野鳥﹄では︑﹁雌はピピピ⁝⁝とテンポが早い鳴き声であ
ゆ る︒﹂として︑雄の鳴き声と区割しているので︑少なくとも︑﹁キョ
キョキョ﹂が︑時鳥の雄の鳴き声であることは確かなようだ︒本
例は︑俗信と言えない面があるが︑﹁絹を裂く叫び﹂の実態を示
し︑人と時鳥の交流の深さを示す例として掲げた︒
二︑虫に関する僅諺
①ハチ︵蜂︶
a︑ハチノスハヒクイトコロニツクルトオオアラシ︑耳茸イトコ
ロニツクルトカゼガフク .
蜂の巣は低い所に作ると大嵐︑高い所に作ると風が吹く
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏より採集︒動物による天気予報は全国
に多数分布しているが︑これもその一つである︒蜂が巣をかける
場所の高低によるものも多く︑﹃日本俗信辞典﹄には︑次の如くあ
る︒ ①ハチが低いところに巣をつくる年は︑大風がある︵岩手から
沖縄までの三十二県︒但し︑神奈川の例はない︒︶
②同じく︑台風が多い︵群馬・新潟・静岡・京都・徳島︶
③同じく︑風雨が多い︵香川県大川郡︶
④高い場所に巣づくりする年は︑大風の心配がない︵岩手から
沖縄までの十八県︒但し︑神奈川の例はない︒︶
⑤同じく︑台風が来ない︵群馬・千葉・愛媛︶
箱根宮城野地区に伝わる僅諺・俗信・僅謡について
勝 俣隆
右のうち︑代表的な①と④の両者を旦ハ塾しているのは十五県で︑
対句の形になっているのは︑①の半数に過ぎないことになる︒ま
た︑宮城野の偲諺では﹁大嵐﹂とあるのが︑他の﹁大風﹂と︑同じく︑﹁風が吹く﹂が︑他の﹁大風の心配がない﹂と︑全く同じか
どうかやや疑問の残るところである︒しかし︑基本的には︑風が
よく当たる高い所に蜂の巣があれば︑暴風がないことを予知して
高く作ったのだと考え︑風があたらない低い所に巣があれば︑暴
風が来ることを予知して低く作ったのだと考えたのだろう︒いず
れにせよ︑﹃日本俗信辞典﹄では︑﹁ハチの巣に特別の呪力を認め
る信仰﹂であり︑﹁天候予知にたくみ﹂なものと考えたためである
としている︒同感である︒
b︑ハチガヒクイトコロニスヲツクルトタイフウガオオク︑タカ
イトコロニスヲツクルトタイフウガスクナイ
蜂が低い所に巣を作ると台風が多く︑高い所に巣を作ると台
風が少ない
︻解説と考察︼
父より採集︒aと似ているが︑台風の多少の説明である点が異
なっている︒台風については︑aの②⑤に示したような例が見ら
れるが︑⑤では﹁台風が来ない﹂となっているのに対し︑こちら
では︑﹁台風が少ない﹂とする点が異なる︒しかし︑基本的には︑
蜂に台風の予知能力があるとしている点は共通する︒
②クモ︵蜘蛛︶ クモガスヲヒククカケルトアメ︑タカクカケルトテンキニナ ル 蜘蛛が巣を低く懸けると雨︑高く懸けると天気になる
︻解説と考察︼
伯母より採集︒蜘蛛の巣の位置による天気予報である︒﹃日本俗
信辞典﹄では︑﹁巣を大きくかけたり︑低くかけた時には雨︵熊
本︶﹂︑﹁巣を低く張る時は雨︵石川県珠洲郡︶﹂などの類例が見ら
れる︒木などの下の方に巣を張れば雨にぬれなくて済むという意
味であろう︒蜘蛛に天気予知の能力があるとしたもので︑全国的
に見られるようだ︒実際︑伯母が︑朝の通り雨によって蜘蛛の巣
に水滴がたくさんついて︑巣の位置が確かめられるのを見て︑そ
の日の天気予報を行ったのに遭遇したことがある︒﹃日本俗信辞
典﹄に拠れば︑ある程度の科学的根拠もあるようだ︒
③トンボ︵蜻蛉︶
オショロサンヲオボンノアイダハトッテハナラナイ
お精霊さんをお盆の間は捕ってはならない︒
︻解説と考察︼
筆者自身の記憶するもの︒オショロサンとは︑所謂ショウリョ
ウトンボ︵精霊蜻蛉︶の神奈川県西部方言であり︑祖先の霊が蜻
蛉になって︑現われるという考えである︒これは︑この蜻蛉の出
現時期が︑祖先の霊の祭祀を行うお盆︵八月十三日〜十六日︶と
重なることに起因する一種の禁戒である︒子供にとって︑蜻蛉は
捕獲の好対象であるが︑お盆の時期に群をなして︑この榿色の中
9
型の蜻蛉が飛んでいても︑捕ることはできないのである︒柳田村
れ 男は︑﹁みさき神考﹂の中で︑次のように述べている︒空より近よって来る鳥虫のたぐひに︑精霊の依託を想像す
る伝承がわが国には特に多い︒秋のか﹀りに飛びまはるもの
にショウリョウヤンマ︑又は蟷螂をホトケノウマなどといふ
呼び名は多いのみならず︑この季節には子供たちも捕獲を戒
められてるる︒烏の前生謳といふ昔話の︑よその民族とは比
べものにならぬ程発達してみるのも︑彼らが人間以上に幽界
の事情に通じてみるといふ推測がもとだったかもしれない︒
ともかくも常は顧みられぬ山の鳥虫までが︑ミサキとして一
般に重要視せられてるるのである︒
右の説明で︑﹁秋のか﹀りに飛びまはる﹂とあるのは︑ショウリョ
ウの説明としては少し不十分な感じがする︒ショウリョウが精霊
であり︑祖先の霊がこの世に帰ってくることを意味することから
すれぽ︑やはり︑﹁お盆﹂の時期に限定されるのが︑正しい伝承で
はなかろうか︒また︑柳田国男の考えでは︑この蜻蛉は︑﹁人間以
上に幽界の事情に通じてみる﹂もので︑あくまで﹁︵祖先霊の︶ミ
サキ︵先駆︶﹂であるとしているようだが︑如何だろうか︒筆者自
身が母や周囲の人々から言われたのは︑オショロサン自体が︑精
霊の早りの姿であるから捕ってはならないという意味であったと
思う︒オショロサンと﹁オ﹂や﹁サン﹂の敬語表現が使われてい
るのも︑ミサキであるよりも︑精霊そのものを本来示すのではな
いかと思う︒そうでないと︑捕ってはならないという禁忌の意味
が軽いものになってしまうだろう︒但し︑蟷螂をホトケノウマと
言うのは︑お盆にキュウリやナスで︑牛馬さんを作り︑精霊の乗
り物とするように︑蟷螂をホトケ︵精霊︶の乗り物とその地域では考えたのだろうから︑柳田国男の考え通りで良いと思う︒三︑その他の動物・食物などに関する僅諺・俗信
①キツネ︵狐︶
a︑キツネガイルトコロヲトオルトゾクゾクスル
狐が居る所を通るとゾクゾクする
︻解説と考察︼
勝俣タメ・山本フク氏より採集︒勝俣タメ氏に拠ると︑宮城野
の某家の樫の所に狐がいて︑木賀︵宮城野と宮の下の間の地名︒
共同浴場があった︶から帰って来て︑樫の下を通るとゾク.ゾクと
寒けを感じたという︒﹃日本俗信辞典﹄では︑﹁キツネにつかれた
︵化かされた︶時は︑ムズッコ︵襟元︶がぞくぞくする﹂という
のが神奈川県のものとしてあるくらいで︑他には︑﹁キツネの鳴く
時は寒うなる﹂︵佐賀県小城郡︶が見られるのみである︒但し︑こ
の佐賀県の例は︑寒くなって冬が来るという季節的な意味合いで
言っているのかも知れないので︑吟味が必要である︒いずれにせ
よ︑狐が人を化かす不思議な霊力を持っていると考えることに由
来するものであろうが︑右の例は︑全国的な広がりは見られぬよ
うである︒
b︑キツネノチョウチン
狐の提灯
箱根宮城野地区に伝わる便諺・俗信・偲謡について
勝 俣隆 10
︻解説と考察︼
勝俣タメ・山本フク氏より採集︒これは宮城野だけでなく︑神
奈川県西部地方には広く言われているものである︒筆者自身も︑
山北︵神奈川県足柄上郡山北町︶出身の亡母︵勝俣とり子︶から
よく聞かざれた︒母から聞いた話は︑家の向かいの密柑山に︑白
い提灯が点々と並び︑それが急に消えたと思うと︑大分離れたと
ころに︑同じような白い提灯が点々と並ぶというもので︑母自身
が見たものであるということだった︒勝俣タメ氏の話では︑提灯
が︼つ付くとずっと並んで付き︑パッと消えてしまうもので︑大
曲︵宮城野の字︶で実際に見たことがあるという︒山本フク氏は︑
見たことはないが︑ぼやけていて後光のささない豆電球のような
ものだと聞いたことがあり︑色は︑はっきり知らないと言うこと
だった︒筆者自身も︑家の裏山で︑同じような現象を見たことが
ある︒色は白で︑音が全く聞こえなかったと思う︒﹃日本俗信辞典﹄
に拠れば︑この現象のことを︑全国的には︑狐の嫁入り︑狐火︑
狐の御前迎︵ごぜむか︶え等と言うのが一般的であるらしい︒但
し︑狐の嫁入りと言っても︑それを狐の嫁入り行列の提灯と見立
てているようだから︑本質的な差はないと考えられよう︒
C︑キツネノヨメイリ
狐の嫁入り
︻解説と考察︼
筆者自身幼少から聞き慣れているものである︒﹃日本俗信辞典﹄
では︑キツネの嫁入りを五種に分けている︒①照降り雨︑②夜間
の発光現象︑狐火のこと︑③虹の異名︑④霰が降ること︑⑤釜の 底の煤に火がついたり消えたりする現象︒このうち︑宮城野のものは①に当たり︑日が射しているのに︑急に雨が降って来て︑またすぐに止んだりして︑いかにも狐に化かされているような天気のことを言う︒﹁お天気雨﹂という言い方も広く行われている︒全
国的なものであるが︑bの﹁狐の提灯﹂との関係もあるので記し
ておく︒d︑ヨルヤマミチナドデキツネニバカサレソウニナッタラ︑タバコノヒヲツケレバヨイ夜山道などで狐に化かされそうになったら︑煙草の火を付ければ良い︒︻解説と考察︼
父より採集︒父に拠れば︑獣は一般に火をこわがるし︑煙草は
特に臭いも強いからだろうと言う︒化かされる前の予防のために
も︑化かされたと思った時に狐の呪縛から逃れるためにも︑煙草
に火をつけるらしい︒﹃日本俗信辞典﹄には︑キツネに化かされた
ら︑﹁煙草をのむ︵千葉・山梨・岡山・香川︶﹂︑﹁じっとしていて
煙草をのむ︵奈良︶﹂︑﹁座って煙草をのめ︵愛知︶﹂とあり︑﹁化か
されそうになったら煙草を吸うと恐れて逃げる︵山口︶﹂︑﹁夜山道
を通る時は煙草をくゆらせて行けば︑キツネは出ない︵富山・愛
知・長野︶﹂と︑予防的に述べている例と両様ある︒かなり全国的
な信仰の一つであろう︒
②ソバ︵蕎麦︶
11
a︑ソバハシチジュウゴニチデミズッコナトレル
蕎麦は七十五日で見ずつこな取れる
︻解説と考察︼
父より採集︒蕎麦は手間のかからない作物で︑種子を播いてお
けば何も面倒を見なくてもどんどん成長し︑七十五日たてば収穫
が出来ることを言うそうである︒これによく似たものが︑﹃日本俗
信辞典﹄に一例載っている︒﹁秋ソバは土用のうちに播け︑播いて
から七十五日たったら︑見ずに刈れ﹂︵群馬県吾妻郡︶と言うもの
である︒僅諺としては︑宮城野の方の形が整っていよう︒七十五
日という点では︑同じく﹃日本俗信辞典﹄に︑次のような例があ
る︒﹁ソバは七十五日で鎌を持って行け︵岩手︶﹂︑﹁ソバは七十五
日したら口にはいる︵対馬︶﹂︒﹁人の噂も七十五日﹂という有名な
諺があるように︑ニケ月半が︑物事の一区切りと考えられたので
あろう︒
b︑ジゾウダイコンニカンノンソバ
地蔵大根に観音蕎麦
︻解説と考察︼
勝俣タメ・山本フク氏より採集︒地蔵とは小田原市板橋のお地
蔵さんのことで︑縁日が八月二十三日︑一方︑観音とは︑小田原
市飯泉のお観音さんのことで︑縁日は八月十七日︒両者とも古く
から有名で︑近郷近在はもとより広範な信仰圏を持っている︒こ
の平皿では︑大根はお地蔵さんの縁日の八月二十三日頃︑︐蕎麦は
お観音さんの縁日の八月十七日頃種を播けばシュンに収穫できる
ということを示しているそうである︒農事暦として使われたので あろう︒﹃日本俗信辞典﹄に拠れば︑神奈川県津久井郡に︑﹁薬師大根に観音ソバ﹂という説く類似した僅諺が見られる︒これは︑同書に拠れば︑﹁土用が明けてから十二日目にダイコンを播き︑二十二日目にソバを播くとよいという︒十二日は薬師︑二十二日は観音の縁日だから︒﹂と言うことである︒宮城野の便諺と若干意味合いが異なるようだ︒それぞれの地域によって︑信仰対象や農業
への実際の利用で︑微妙な違いがあったのだろう︒以前は︑宮城
野でも︑焼畑で︑年三回︵夏蕎麦︑秋蕎麦︑冬蕎麦︶蕎麦を作っ
ていたそうだから︑この便諺が︑蕎麦作りに実際に使われたであ
ろうことは確かだろう︒
③ダイコン︵大根︶
ダイコノホシバハサンゼンサンゴノクスリ
大根の干葉は産前産後の薬
︻解説と考察︼
山本フク氏より採集︒ダイコ︵大根のこと︶の葉を干したのを
釜で煎じて飲むか︑風呂に入れて︑そのお湯につかると︑産前産
後の薬として良いという意味だそうである︒﹃日本俗信辞典﹄で
は︑痔・神経痛・冷え症・産後の養生︵福島・石川・福井・岡
山︶︑婦人病︵山口・大分・沖縄︶には︑ダイコンの干葉の腰湯が
良いという例が見られる︒宮城野の場合︑飲用にもする点が異な
るが︑同じ発想に基づくものであろう︒この点に関して︑山本フ
ク氏は︑次のような話をされた︒明治・大正頃︑四五軒の家が交
代で風呂をたく︑もらい湯の制度があり︑夕方︑﹁今晩提灯﹂とい
箱根宮城野地区に伝わる僅諺・俗信・僅謡について
勝 俣隆 12
う提灯をもって︑当番の人がくぐり戸を潜ってやって来て︑﹁今晩
は︑薬沸いたからおいで﹂と誘いに訪れると︑子供心にもとても
嬉しく︑家中みんないそいそと出かけたそうである︒薬湯は︑こ
の大根の干葉の外に︑蓬や密柑など色々あり︑五月には菖蒲湯︑
夏はおんばく︵おおばこ 大葉子︶・ドクダミなどの風呂があった
と言う︒消毒の意味が強かったそうだ︒風呂を出てもすぐに帰ら
ずに︑囲炉裏の端で濡れた手拭を持って︑手拭が乾くまで夜更け
まで話し合い︑遅くなると泊まっていったこともあったという︒
また︑百人一首をしたり︑餅を食べたりして楽しく過ごし︑近所
の社交の場になっていたそうだ︒一つの裡諺の背後に潜む︑人々
の生活の重みが感じられよう︒
④ドヨウモチ︵土用餅︶
ドヨウモチハハラバタニナル
土用餅は腸になる
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏より採集︒土用の丑の日には︑どこで
も餅を掲いて食べたが︑これがとても体に良く︑栄養になるとい
う意味だと言う︒父に拠れば︑昔は何かと言えばよく餅を尊き︑
主なものでも︑正月餅︵年末︶︑寒餅︵二月の初め︶︑節句餅︵三
月と五月︶︑土用餅︵七月︶があったという︒今は︑土用の丑の日
には鰻を食べるのが一般化しているが︑昔は鰻に限らず︑夏バテ
を防ぐために︑栄養があるものなら何でも摂るべきだと考えられ︑
特に餅は手軽な栄養食として推奨されたのであろう︒ 五︑その他の古諺・偲謡①アメ︵雨︶
a︑ハコネノジンジャノチョウズニイッテミズヲコボストアメガ
フル 箱根の神社の手洗水に行って水をこぼすと雨が降る︻解説と考察︼
勝俣タメ・山本フク氏より採集︒日照りの時に︑雨乞いのため
に箱根神社︵神奈川県足柄下郡箱根心元箱根︶の手洗水まで行っ
て︑水を地面にこぼすと︑雨が降ったと言う︒箱根神社は︑祭神 う し は き まを箱根の山を宇斯波伎坐す大神とするが︑中興の開山である万巻
上人が︑芦の湖の主である九頭龍神を湖水の中に祈疇で呪縛して
鉄鎖で繋いだと言う伝承を持つように︑﹁権現さんの御手洗の池﹂
としての芦の湖と︑そこに住む九頭龍神とも関係深い神社であ
れ る︒龍が水神としての性格を持つのは周知の通りで︑芦の湖の水
と相異って︑右の如き言い伝えが生まれたのであろう︒なお︑雨
乞いや雨止めは︑農業が主体の時代には︑非常に重要なものであ
り︑宮城野の宝珠院でも︑﹁南無阿弥陀仏﹂を唱えながら大きな珠
数を大勢で回しながら︑大粒の珠数が来た時に頭に戴く︑所謂百
万遍念仏が行われ︑雨乞い等をしたという︒
b︑ドロダンゴヲツクルトアメガフル
泥団子を作ると雨が降る
13
︻解説と考察︼
筆者自身の記憶に拠る︒小さい頃︑庭で泥いじりをし︑泥と水
を混ぜて泥団子を作っていると︑母から︑﹁泥団子を作ると雨が降
るから止めなさい︒﹂と言われたものだ︒これは︑泥に水を加えて
団子を作るという行為が︑地面に雨が降って︑泥の挙りができた
りするという現象と類似しているために︑連想作用で言われたも
のであろう︒神話的発想とよく似ている点が注目される︒
②ナナクサノウタ︵七草の歌︶
ナナクサナズナ︑トウドノトリト︑ニホンノトリガ︑ワタラ
ヌサキニ︑オタナノシタデ︑アワセテバッタバタ
七草齊︑唐土の鶏と︑日本の鶏が︑渡らぬ先に︑お棚の下で︑ 合せてバッタバタ
︻解説と考察︼
父より採集︒これは︑正月七日の七草の時に︑七草粥を作るが︑
その粥に入れる七草を刻む時に歌う唄である︒筆者も幼少の頃︑
父が︑年神様の神棚の下に姐を持ち出して︑この唄を歌い乍ら︑
杓文字で七草を叩いて刻んだのを見た記憶がある︒昔は︑全国ど
一こでもしたものであろうが︑最近は︑ほとんど廃れてしまって︑稀にしか見ることができないようである︒この歌の通釈をしたも
のは管見では見出し得なかったので︑次に示す︒線型は︑七七七
七七九で整った形をしている︒
︻通釈︼
七草に入れる善は︑︵鶏の好物だから︶︑中国の鶏や︑日本の鶏 が︑︵この醤を食べに︶やって来ないうちに︑︵年神様の︶神棚の下で︑︵残りの六種の若草と︶一緒に合わせて︑バッタバタと︵杓文字で刻んでしまい︑七草粥を作ってしまおう︒︶
③カツノキデカキノキヲタタクトナエゴト
を叩く唱え言︶ ︵かつの木で柿の木
甲ナルカナラナイカ︑ナラヌトイウト︑ライネンブッタギル
ゾ
生るか生らないか︑生らぬと言うと︑来年ぶった切るぞ
乙 ナルカラカンニンシロ
生るから勘忍しろ
︻解説と考察︼
伯母より採集︒小正月︵一月十五日︶に︑かつの木の周りを削
いで︑真中を割って︑中に小豆ダンゴを入れて︑柿の木を叩く時
の唱え言だと言う︒このかつの木とは︑﹃物妬称呼﹄に﹁庭木 ぬ
るでのき⁝⁝陸奥及越前相模にて︑かつの木と云﹂とあるもので︑
全国的には﹁ぬるで﹂というが︑相模の一部である箱根宮城野で
は﹁かつの木﹂と呼ぶ︑漆科の落葉小喬木であるつ甲が︑そのか
つの木で柿の木を叩き︑乙が︑柿の木の代わりに謝まるという形
で︑屋敷中の柿の木を叩き回わり︑豊作を祈願した行事において
唱えられる一種の呪言で︑甲乙の掛け合いという形式が面白い︒
乙が柿の木の気持ちを代弁するのは︑いかにも日本的である︒一
月二日は初山なので山に出かけ︑持参のお餅を半分山の神へ供え︑
その後︑このかつの木を山から採って来て︑十五日まで神棚に上
箱根宮城野地区に伝わる狸諺・俗信・埋謡について
勝 俣隆 14
げておくのだそうである︒そして︑小正月当日に右の行事が行わ
れるわけだが︑このかつの木は︑古く﹁粥の木﹂とも言い︑小正
月の粥を煮る時に掻き回わす棒として使われ︑この棒で子のない
女性の腰を叩くと妊娠するという俗説があったことがよく知られ
ている︒例えば︑枕草子で︑
十五日︑節供まみりすゑ︑かゆの木ひきかくして︑家の御
達︑女房などのうかかぶを︑うたれじと用意して︑つねにう
しろを心づかひしたる︑けしきもいとをかしきに︑いかにし
たるにかあらむ︑うちあてたるは︑いみじう興ありてうちわ
らひたるはいとはえばえし︒︵三巻本︑三段︶
とあるのがそれである︒また︑﹃狭衣物語﹄には︑ を
果ての十五日は︑若き人々群れ居つ﹀︑おかしげなる粥杖
ひきかくしつ﹀︑かたみにうかゴひ︑打たれじと用意したる
を みずまひ︑思はくどもも︑各々おかしう見るを︑ と︑﹁粥杖﹂となっているが同様の表現が見られる︒千年も昔から存在した行事が︑果樹をせめるという形で全国に残り︑宮城野の
場合は︑果樹として一般的な柿の木に対して行われたのであろう︒
③ジュウゴヤノウタ︵十五夜の歌︶
バアヤ︑ジュウゴヤクンネエカ︒クンネエトトンビデツッツ
クゾ︒ 婆や︑十五夜くんねえか︒くんねえととんびで突っつくそ︒
︻解説と考察︼
勝俣タメ氏︑山本フク氏から前半部分を聞き︑後に︑父から完
全な形を採集した︒これは︑十五夜の時歌われた歌謡である︒十五夜には︑大きな団子を十五個作って盛りつけ︑薄も十五本活けて︑他に栗や枝豆なども盛って月見をするが︑本来︑その団子を盗む時の歌だと言う︒勝俣タメ氏︑山本フク氏に拠れば︑とんびとは︑長い棒の先に釘を付けたもので︑大人が雑談しているうちに︑男女に限らず子供が︑そのとんびで団子をさして盗んだと言うことだ︒団子を盗まれると縁起が良いと言い︑わざわざ盗み易くするように︑団子の中に館を入れたりもしたそうだ︒父に拠れば︑実際に団子を盗む風習が行われたのは大正頃までで︑父の子供時代の昭和初期では︑この歌を唄いながら︑子供たちが集団で︑栗や枝豆などを一軒一軒もらい歩いたと言う︒行く先々では︑子供たちのために予め与えるものを用意してあり︑歌の内容に反して︑平和なやり取りであったようだ︒︻語釈︼○バアヤ 老婆への呼び掛けである︒家事を取り仕切る主婦権が︑
嫁でなく姑にあったことを示していよう︒・
○ジュウゴヤ 団子を初めとした十五夜の供物を指して十五夜と
言っているのであろう︒
○クンネーカ ﹁くれないか﹂の神奈川県西部方言である︒
○クンネート ﹁くれないと﹂の神奈川県西部方言である︒
○トンビ 父の話では︑竹竿の先に釘をつけたものだという︒恐
らく︑その形が︑鳶︵とんび︶の階を連想させたところがらの
命名であろう︒
︻通釈︼ ︑
婆や︑十五夜︵の供え物を︶くれないか︒もし︑くれないと︑
15
トンビで︵体を︶突っつくそ︒︵嫌なら早くくれろ︒︶
結
び
以上︑宮城野の透写・俗信・便謡の紹介・解説を行った︒勿論︑
これがすべてでなく︑紙幅の関係で掲載できなかったものもある︒
またの機会に考察を行いたいと思う︒
注︵1︶ 拙稿﹁箱根宮城野地区に伝わる便謡について﹂︵﹃長崎大学教育学部門
文科学研究報告第四二号﹄︑平成三年三月︶を参照されたし︒
︵2︶ 青木氏は︑静岡県駿東郡小山町出身で宮城野に嫁入りされたので︑青
円盆から採集したものは厳密な意味で宮城野のものでないかも知れない
が︑約七十年宮城野に居住されているので参考にさせて頂いた︒
︵3︶ 祖母は︑神奈川県小田原市久野から嫁入りしており︑宮城野には六十
年以上居住した︒久野は︑宮城野と箱根外輪山の明星ケ岳を挟んで向か
い合っており︑両地は婚姻等で関係が深かった︒既に故人であるので︑
祖母がいつどこでこの知識を得たのかは定かでない︒
︵4︶ 引用は︑土井忠生他選訳﹃邦訳日葡辞書﹄︵岩波書店︶昭和五十五年五
月刊に拠る︒
︵5︶ 鈴木二三氏著︑角川書店︑昭和五十七年十一月︒
︵6︶ 日本国語大辞典︵小学館︶等の語義分類に拠る︒
︵7︶ 定本柳田国男集第三十巻︵筑摩書房︑昭和三十九年八月︶所収︒ おつ みおつ おみおつ みさき︵8︶ 御付けが︑御御付けとなり︑さらに御御御付けとなったように︑御前 お みさき という言葉に敬意を感じなくなり︑御御前としたのかも知れない︒ ︵9︶ ﹃准南子﹄精神訓に﹁日中影藤烏﹂︑﹃五経通義﹄に﹁日中有三足烏﹂等 とあり︑馬王堆で見つかった幡の画像のように太陽の中の鳥を描いたも のは多い︒ギリシア神話は︑呉茂一氏﹃ギリシア神話﹄等に拠る︒
︵10︶ ﹁ヨセへ﹂は﹁ヨソへ﹂︵他所へ︶の神奈川県西部・静岡県東部の方言
である︒セとソの関係は︑遠く万葉集の東歌・防人歌で︑工列乙類とオ
列乙類が混同されている時から続いているものである︒万葉集の用例で
む ロ む む は︑﹁おめ一おも︵面︶︹巻二十︑四三四三︺﹂︑﹁わぎめこ一わぎもこ︵吾
む ロ 妹子︶︹巻二十︑四三四五︶﹂︑﹁いひしけとばせ一いひしことばぞ︵言ひ
し言葉ぞ︶︹巻二十︑四三四六︺﹂などが挙げられる︒
︵11︶ 関敬吾氏︑角川書店︑昭和五十四年五月
︵12︶ ﹃日本俗信辞典﹄︵注5︶や︑﹃日本方言大辞典﹄︵小学館︑平成元年三
月︶に拠る︒
︵13︶ 徳富二親の小説﹃不如帰﹄の女主人公浪子が肺病である由縁である︒
︵14︶ 大修館書店︑平成元年四月
︵15︶ 日本放送協会︑昭和五十一年
︵16︶ 野島出版︑昭和五十五年六月
︵17︶ 日本野鳥の会徳島県支部︑徳島新聞社︑昭和六十年八月
︵18︶杉鮫太郎氏︑岡山文庫9︑日本文教出版︑昭和五十六年三月中第八版︶
︵19︶米子野鳥保護の会会長長尾俊郎氏︑山陰放送︑昭和五十一年十二月
︵20︶ 注︵7︶に同じ︒
︵21︶ ﹃箱根神社大系﹄︑箱根神社社務所編︑名著出版︑昭和五十五年の複刻
版に拠る︒
︵22︶ 以上︑﹃枕草子﹄と﹃狭衣物語﹄の引用は︑岩波書店の日本古典文学大
系本に拠る︒
箱根宮城野地区に伝わる僅諺・俗信・僅謡について
勝 俣隆 16
︵付記本稿執筆に当たり︑浬諺・俗信・浬謡を初めとして︑風
習や生活の実態について︑種々の御教示を賜わりました各位に
対しまして︑厚く御礼を申し上げます︒︶
︵平成三年二月二八日受理︶