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中国の「第三世界論」について

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中国の「第三世界論」について 25

中国の「第三世界論」について

有 賀 定 彦

 1974年4月,原料・開発問題を検討する第6回国連特別総会で,都小平中国代表はその 演説のなかで,中国の世界認識として,つぎのような「三つの世界論」を宣言した。

 1 「国際関関は,はげしく変化しており,世界全体は激動している。こうした状況は,中国の言い方 では,『天下大いに乱れる』ということである。この『乱れる』というのは,近代世界の各種の基本的矛 盾が日ましに激化していることの現われである。これは,くさりはてた反動勢力の瓦解と没落をはやめ,

   、      (1)

新しくっまれた人民の力の目ざめと強大化を促している。」

 2 「『天下大いに乱れる』という情勢のもとで,世界の各種の政治勢力には,長期にわたる力くらべ と闘争によって,急激な分化と再編成が起きている。多くのアジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国がつ ぎつぎに独立をかちとり,国際実務でますます大きな役割を果たしている。

 戦後の一時期に存在していた社会主義陣営は,社会帝国主義が現われたため,すでに存在しなくなった。

西側の帝国主義集団も,資本主i義の発展不均衡の法則によって,四分五裂におちいっている。国際関係の 変化からみれば,いまの世界には,事実上互いに連系をもちながら,互いに矛盾しあっている三つの方面,

三つの世界が存在している。アメリカとソ連が第一世界で,アジア・アフリカ・ラテンアメリカの発展途       (2)

上国とその他の地域の発展途上国が第三世界で,この両者の間にある発達国が第二世界である。」

 3 「アメリカ,ソ連の両超大国は,世界制覇をもくろんでいる。かれらはそれぞれ異なる方式で,ア ジア・アフリカ・ラテンアメリカの発展途上国をそれぞれの支配下におこうとし,同時に,かれらの力に 及ばない発達国をあなどろうとしている。

       (3)

 二つの超大国は,現代における最大の国際的搾取者,抑圧者であり,新しい世界戦争の策源地である。」

 4 「超大国と発展途上国の中間におかれている発達国の状況は複雑である。その一部の国はいまもな お第三世界諸国にたいして異なったさまざまな形態の植民地主義の関係を保っている。……同時に,これ

らすべての発達国は,多かれ少なかれ,この超大国またはあの超大国の支配,威かく,あなどりをうけて おり,そのうち一部の国ぐには,いわゆる『大家庭』の看板のもとに,実際には,超大国の従属国の地位 におかれている。これらの国ぐには,程度の差こそあれ,超大国への隷属化とその支配からぬけ出して,

      (4)

国家の独立と主権の保全を守りたい,という要求をもっている。」

 5 「広はんな発展途上国は,長期にわたって植民地主義帝国主義の抑圧と搾取をうけてきた。これ らの国ぐには,政治的に独立をかちとったが,しかし,なお植民地主義の残存勢力を一掃し,民族経済を 発展させ,民族の独立を守るという歴史的任務に直面している。……

 これらの発展途上国は,世界の歴史の車輪の前進を推進する革命的原動力であり,植民地主義帝国主       (5)

i義,とりわけ超大国に反対する主な力である。」

 6 「帝国主義と社会帝国主義が存在する限り,この世界にはけっして安寧はありえず,持久的な平和

(2)

などもありえず,かれらの間の戦争が起こるか,さもなければ人民が革命に立ちあがる。毛沢東主席がの べているように,新しい世界大戦の危険は依然として存在しており,各国人民はかならず備えがなければ       (6)

ならない。だが,当面の世界のおもな傾向は革命である。」

 7 「中国は社会主義国であり,また発展途上国でもある。中国は第三世界に属している。……

 われわれは,第三世界諸国と人民が団結を強め,また連合できるすべての勢力と連合し,長期にわたる        (7)

闘争を堅持しさえずれば,かならず新たな勝利をたえずかちとることができるものと信じている。」

 郭小平のこの「三つの世界論」は,そのじつ1974年2月,毛沢東と第三世界のある国の 指導劇の会談での毛発言にもとつく.毛沢東はこう語った。rわたしの見るところ,ア

メリカとソ連は第一世界である。中間派の日本,ヨーロッパ;カナダは,第二世界である。

われわれは第三世界であるd「第三世界は人口がひじょうに多い。アジアは,日本をのぞ いて,みな第三世界である。アフリカ全体は第三世界であり,ラテンアメリカも第三世界

    (9)

である」。

 1970年代の中国の対外路線を特徴づけるこの「三つの世界論」は,どのような論理の系 譜のうえに位置づけられうるのか。それは,マルクス・エンゲルスやレーニンの学説とど のようなつながりをもつのか。また,「第三世界論」の主張するように,「社会主義陣営」

は消減したのだろうか。いったい,第二世界と第三世界は連合して第一世界にあたれるの か。さらに,現代において「第三世界論」のもつ世界史的役割は,どのようなものか。こ

ういつた点について考えてみたい。

(注)

(1)

(2)

(3)

(4)

(5)

(6)

(7)

(8)

『北京急報』日本語版1974年第15号9ページ。以下本稿で引用した『北京回報』はすべて日本語版。

『前掲書』同号9ページ。

『前掲書』同号9ページ。

『前掲書』 同号9ページ。

『前掲書』同罪9ページ。

『前掲書』同項10ページ。

『前掲書』同号14ページ。

この第三世界のある国の指導者とは,ソ連衡『コムニスト』によれば,ザンビア大統領K・カウン  ダとのことである。国際関係研究所訳編『世界経済と国際関係』第45集6ページ。

(9) 『北京周報』1977年第45号11ページ。

 1946年8月,第二次世界大戦終了後まもなく,毛沢東は,アメリカの記者アンナ・ルイ

ズ・ストロングとの談話において,「アメリカが反ソ戦争をやるかどうかについて,あな

たはどう見ておられますか」という問いにたいする答えのなかで,つぎのように国際情勢

の分析をのべた。

(3)

 中国の「第三世界論」について      27  「アメリカとソ連のあいだはきわめてひろい地帯でへだてられており,そこにはヨーロッパ,アジア,

アフリカの三つの州の多くの資本主義国と植民地・半植民地国があります。アメリカの反動派は,これら の国ぐにを屈服させてからでなければ,ソ連への攻撃などできるものではありません。現在アメリカは,

太平洋で,イギリスが以前もっていた全勢力範囲よりもっと大きな地域を支配し,日本,国民党支配下の 中国,朝鮮の半分,南太平洋を支配しています。また,はやくから中南米を支配しています。さらに,全 大英帝国と全西ヨーロッパを支配しようと考えています。アメリカはいろいろな口実のもとに,多くの国 ぐにで大がかりな軍事配置をおこない,軍:事基地を設けています。……これらの軍事基地はソ連を目標に しています。しかし,いままっさきにアメリカの侵略をうけているのは,ソ連ではなく,軍:事基地の設け られているこれらの国ぐになのです。

 アメリカの反動派……は,実は,反ソのスローガンのもとで,アメリカの労働者と民主的な人びとに気 違いじみた攻撃をくわえ,またアメリカの対外拡張の対象となっているすべての国ぐにをアメリカの従属 物に変えようとしているのです。アメリカの人民と,アメリカの侵略の脅威をうけているすべての国ぐに の人民は,団結して,アメリカの反動派と各国におけるその手先の攻撃に反対すべきだと,わたしは考え ます。このたたかいが勝利したときにだけ,第三次世界大戦は避けることができるのであって,そうでな        (1)

ければ,さけることはできません。」

 毛沢東のこの世界認識は,アメリカが支援する蒋介石政権との国共内戦時代を背景にう ちたてられたものであったが,第二次世界大戦直後アメリカが全面的に世界を支配し,い わゆるアメリカ体制を構築していた1946年当時にあっては,それほど奇異な論理とはみえ なかった。だがそれにしても,地理的視点のみ全面にでて,階級的分析をかき,資本主義 の認識においても資本主義世界をただアメリカの支配体制としてとらえるのみで,国際的 な「反米統一戦線」をとなえる「理論的分析のない運動論」にすぎなかった。

 1949年,中国革命が成功し,「社会主義世界体制」が形成された。1950年目の後半は,

植民地制度の崩壊とともに,世界史における「社会主義の優位」が実現せんとする時代で あった。1955年のバンドン会議を契機とする後進地域の民族解放運動の高揚。スエズ国有 化事件(1956年),ガーナ独立(1957年),イラク革命とそれによるCENTOの空洞化,

ギニア独立とフランス連合かちの脱退(1958年),国連の決議によるレバノン,ヨルダン からの米英軍撤:退(1958年),キューバ革命(1959年),1960年にはさらにベルギー領コン

ゴをはじめブラック・アフリカの17力国の独立などが続いた。社会主義世界の生産力は発 展し,スプートニクに象徴される資本主義にたいする社会主義の軍事力の優越性をもたら し,後進国にたいする援助も積極化した。これにたいし,資本主義世界にあっては,不均 等発展の結果としてドル危機が生じ,それをめぐる諸矛盾が顕在化した。これらの諸条件 は,後進国が社会主義世界からの政治的・思想的・経済的支援によって非資本主義的発展 への途をとることの可能性を生みだした。キューバ革命がまずその実例をなした。だが,

この社会主義の優位性が実現せんとする時,社会主義世界に内在する諸矛盾が表面化した。

それはまず1960年代にはいって「中・ソ論争」として公然化した。

(4)

 1960年4月,『紅旗』編集部の「レーニン主義万歳」を口火に,公然化した中・ソ論争 は,ソ連による中国にたいするソ連人技術者の引揚げ,数百の協定や契約の破棄によって 中国の姿勢をさらに硬化せしめた。さらに,62年の中ソ国境紛争,中印国境紛争,キュー バ危機,こえて63年号部分核停問題という一連の諸問題は,中ソの対立を次第に激しくし ていった。63年,中国共産党による「国際共産主義運動の総路線についての提案」は,ソ 連共産党との全面的なイデオロギー闘争の開始となった。ひきつづいてこの年, 『人民日 報』編集部と『紅旗』編集部によるソ連共産党批判, 「スターリン問題について」 (第2 回論文),「ユーゴは社会主義国か」(第3回論文),「新植民地主義の弁護士」 (第4回論 文),「戦争と平和の問題での二つの路線」(第5回論文),「二つの根本的に対立している 平和共存政策」(第6回論文)が公開された。他方,資本主義は「南北問題」をとりあげ;

またアメリカのベトナム革命への介入は,次第にその度を増していった。このような状況 下にあって,1964年1月21日付『人民日報』社説は,「アメリカ帝国主義に反対する全世 界のすべての勢力は団結しよう!」という見出しの下に,つぎのような国際情勢の分析と 運動方針をうちだした。

 1 「アメリカ帝国主義は反ソ,反共の煙幕のもとに,……なによりもまずなんとかしてアメリカと社 会蟻諸国のあいだに存在する広大な中間地帯を奪取しようとたくらんできたP、

 2 「資本主義発展の不均等の法則の作用により,帝国主義陣営内部における力関係は変化し,西欧諸 国と日本などは元気を回復し,ふたたび実力をつけてきた。これらの国ぐにはかれらにたいするアメリカ        (3)

の政治的,軍事的制約をつきやぶり,独立発展の道を歩みはじめようとしている。」

 3 「アメリカ帝国主義が中間地帯を極力奪取しようとしていることは,ただこの地帯にあるすべての 人民と国家をいっせいにたちあがらせ,アメリカを攻撃させるのをうながすだけである。このきわめて広 大な中間地帯は二つの部分をふくんでいる。一つはアジア,アフリカとラテンアメリカのすでに独立した 国といま独立をめざしている国で,これは第一の中間地帯である。もう一つは西ヨーロッパ全体,オセアニ アとカナダなどの資本主義国で,これは第二の中間地帯である。第二の中間地帯にある国ぐには二重の性 格をもっている。これらの国ぐにの支配階級は一方で他人を搾取し,抑圧しているが,他方でまたアメリ カの支配,干渉,侮辱をうけている。それゆえ,かれらはなんとかしてアメリカの支配からぬけだそうと        (4)

はかっている。この面では,かれらは社会主義諸国や各国人民と共通点をもっているのである。」

 4 「要するに,アメリカ帝国主義とその手先をのぞいたすべての勢力は,みな団結することができる のである。各国人民はそれぞれ違った政治的信仰をもっており,各国はそれぞれ違った社会制度をもって いるとはいえ,こんにち,世界中でアメリカ帝国主義の侵略と脅威をうけていない国と人民はないのであ       (5)

る。これがつまりアメリカ帝国主義に反対する最も広範な統一戦線を結成する客観的基礎である。」

 5 「社会主義国は,中間地帯の反米闘争を極力支持し,アメリカ帝国主義に反対する統一戦線を積極 的に拡大して,アメリ締田租撮大殿に孤立させそれに樫をあ燥るべきであるρ」

 6 「すべての資本主義国と帝国主義国におけるプロレタリア政党の当面の重大な任務は,アメリカ帝

国主義反対の旗を高くかかげ,自国のすべての愛国勢力と反米勢力を自身のまわりに団結させ,アメリカ

帝国議とその手先に反対するたたか、、を断固としてすすめることである(70)」

(5)

 中国の「第三世界論」について      29  この中間地帯論の実践的帰結は世界の「反米帝統一戦線」のよびかけにある。だが,こ の論理それ自体に,つぎのような難点をもっていた。

 (1)この理論は,現代の世界史における資本主義と社会主義との二つの世界の矛盾の役 割を低くみている。そして,現代の資本主義世界における資本主義諸国間の動向を,不均 等発展法則にもとつく対立の激化という点でとらえる。それはレーニンの『帝国主義論』

の論理の教条的適用であり,また1952年の『スターリン論文』のそのままの適用である。

スターリンはいう。「外面的には,あたかも万事が『うまく』いっているかのようだ。す なわち,アメリカ合衆国は,西ヨーロッパ,日本,およびその他の資本主義諸国にあてが い扶持をあたえており,アメリカの手におちたドイツ(西),イギリス,フランス,イタ

リア,日本は,アメリカの命令をすなおに遂行している。しかし,この『うまくいってい る状態』が『いつまでも末ながく』保持されうるとか,これらの諸国がアメリカへの隷属 をたちきって自主的な発展の道にふみだそうとつとめないだろうとか,考えることは,た         、(8)

だしくないであろっd

 資本主義が資本主義であるかぎり,不均等発展の法則は,いつでも貫徹する。だが,そ の貫徹のあり方は,資本主義の段階によって異なる。資本主義の「レーニン段階」にあっ ては,不均等発展の法則にもとつく世界市場の再分割は,世界戦争をつうじてのみ実現さ        (9)

れた。だが,レーニン段階とは異なる資本主義の新しい段階をなす現代にあっては,社会 主義への移行をなんとしてもくいとめようとする「体制維持」が資本主義世界の共通の課 題となる。この課題に応えるため,世界市場の再分割は自由化と経済統合をつうじて実現 せんとしている。

 (2)20世紀初頭の帝国主義は,各帝国主義の排他的支配領域のたえざる対立と抗争の総 括としての世界体系であった。だが,現代の帝国主義は,社会主義の世界に対抗するため,

資本主義の支配地域を全体として体制的に維持せんとする世界体制である。それはまた,

第二次大戦後の資本主義の高度な生産力発展に対応せんとする各資本主義国の「体制維 持」の国際協力体制である。現代帝国主義による後進国支配の特徴は,「援助」を積軒に

「開発」をつうじて生産力の発展をはかり,資本主義発展への方向で,後進国がかかえて いる諸問題を解決してゆこうとする「反革命」にある。

 このことは,中間地帯論の主張とは逆に,後進国における民族解放運動は,すべてを アメリカ帝国主義一本にしぼってしまうことはできないということになる。

 (3) 「中間地帯」に属する国々は,それぞれ社会体制を異にしている。ところが,この 理論ではそれを無視して,帝国主義国も後進国も,いわば一つのグループに結びつけるこ とになる。だが炉つたい,アメリカにたいする帝国主義と後進国・植民地との利益の統一 などということがいえるのだろうか。そうではなく,相互に矛盾・対立はあっても,民族 解放運動にたいしては,アメリカとその他の帝国主義国との共同行動の側面が強くでてい

るのが,現在の特徴をなす。

(6)

 このように考えると,「中間地帯論」から現代世界を認識することには「無理」がある。

だが,この「無理」にこそ毛沢東ならびにその系譜の思考の特徴がある。それは,中国を 世界認識の中心にすえることである。つまり,そのときどきの中国の利益をなによりもま ず優先し,その利益を実現する戦略・戦術の視点から世界認識をなし,あたかもそれが全 世界の人々の共通の利益の実現への道であるかのように説くところに,自国の利益を,な によりも国際共産主義運動のなかで優先させるスターリン主義の発想の特徴がみられる騨 それは,スターリン主義の中国版であり,中国の利益を全世界に押しつける論理にほかな らない。そこには,なんらの客観的科学的論理はない。1946年,アンナ・ルイズ・ストロ ングとの談話では,それほど奇異な論理としてマルクス陣営のなかで受けとめられなかっ た毛沢東の論理も,1960年代にはいり,資本主義がレーニン段階と異なる新しい段階の軌 道を確立した時期にあって,その論理の「特異性」は明確な姿をとるにいたった。

(注)

(1) 『毛沢東選集』日本語版 外交出版社 北京 第4巻123〜125ページ。

(2) 『北京回報』1964年第4号7〜8ページ。

(3) 『前掲書』二号9ページ。

(4) 『前掲書』三号9〜10ページ。

(5) 『前掲書』二号11ページ。

(6) 『前掲書』同号11ページ。

(7) 『前掲書』二号11ページ。

(8)スターリン『ソ同盟における社会主義の経済的諸問題』飯田貫一訳 国民文庫版42ページ。

(9)現代をレーニン段階と異なる資本主義の新しい段階とする私見については,有賀定彦・都野尚典編  『世界経済の構造と展開』第11章の拙稿「資本主義と社会主義」を参照されたい。

(1① スターリン方式の発想については,『前掲書』第11章第2節を参照されたい。

1965年,当時中国共産党副主席林彪は,中国人民の抗日戦争勝利20周年を記念して,

「人民戦争の勝利万歳」というテーマで,つぎのような主張をのべた。

 「現在,アジア,アフリカ,ラテンアメリカの多くの国家と人民は,アメリカをかしらとする帝国主義 とその手先によって,きびしく侵略され,直れい化されている。そのため,政治,経済の基本的な情況に ついて旧中国と多くの共通点をもっている国が少なくない。それらの国ぐにの農民問題は,中国と同様,

きわめて大きな重要性をもっている。農民は帝国主義とその手先に反対する民族民主革命の主力である。

帝国主義はこれらの国ぐにを侵略するばあい,いつも,まず大都市と交通の要路を占領する。だが,かれ

らは広範な農村をどうしても完全におさえることができない。農村,ただ農村だけが革命家の自由自在に

活動できる広びうとした天地である。農村,ただ農村だけが,革命家が最後の勝利に向って進軍する革命

の基地である。だからこそ,農村の革命根処地を樹立し,農村によって都市を包囲するという毛沢東同志

(7)

 中国の「第三世界論」について      31 の理論が,これらの繊の眠のあい燃ますます大きな吸引力をもつようになっためである(勃

 このように林彪は,アジア,アフリカ,ラテンアメリカの後進地域と旧中国との共通性 を,帝国主義と農村との関係に見出し,「農村による都市の包囲」という毛沢東理論のこ れらの地域への適用の有効性を説く。だが彼は,これにとどまらず,さらにつぎのように 主張する。

 「世界的な視野からこの問題をみたばあい,北アメリカ,西ヨーロッパを『世界の都市』としたならば;

アジア,アフリカ,ラテンアメリカ信『世界の農村』ということになる。第二次世界大戦後,北アメリカ,

西ヨーロッパの資本主義諸国のプロレタリア革命運動は,さまざまな原因によって,一時ひきのばされて きたが,アジア,アフリカ,ラテンアメリカ人民の革命運動はすばらしい勢いで,発展してきた。こんに ちの世界革命も,ある意味では,やはり農村による都市の包囲という形勢にある。世界の革命事業全体は,

けっきょく,世界人口の圧倒的多数を占めるアジア,アブりカ,ラテンアメリカ人民の革命闘争によって 左右される。社会主義諸国は,当然,アジア,アフリカ,ラテンアメリカ人民の革命闘争への支持を自分 の国際蟻的弓務としなければならないQ

 すなわち,林彪は,北アメリカ,西ヨーロッパという「世界の都市」では,革命運動は 停滞し,アジア,アフリカ,ラテンアメリカという「世界の農村」での革命運動はすばら

しい勢いで発展しているとみる。つまり林彪は,「中間地帯論」でいう「第一の中間地帯」

を「世界の農村」としてとらえ,そこを世界革命の震源地とみる。そして,このような情 勢分析のうえに,こんにちの世界革命も「農村による都市の包囲」というテーゼが有効で       (3)

あるとし,これに毛沢東の「鉄砲より政権が生まれる」というテーゼがつけ加えられるこ とにより,中国革命の経験が,こんにちの世界革命の普遍的テデルとされる。これは,な にも林彪のみの主張ではない。1963年, 「平和共存」路線をとるソ連共産党中央委員会の 中国共産党中央委員会あての3月30日付書簡にたいする6月14日付中国共産党中央委員会 の返書「国際共産主義運動の総路線についての提案」のなかでも同じ主張がなされている。

「アジア,アフリカ,ラテンアメリカの広大な地域は,現代の世界のさまざまな矛盾の集 中した地域であり,帝国主義支配のもっとも弱い地域であり,いま帝国主義に直接の 打撃をあたえている世界革命のあらしがふきすさんでいるおもな地域である讐)と.つまり,

これらの地域こそ,こんにち,「帝国主義のくさりのもっともよわい一震Pであるという 論理である。ここから,「社会主義国とすべての資本主義国の労働者階級は……アジア,

アフリカ,ラテンアメリカなどの地域の人民の革命経験について研究し,かれらの革命的 な行動をだんことして支持し,かれらの解放事業を自分にたいするもっともだよりになる 支援とみなし泊国の労働者階級の直接の利益とみなさなければなりませ押という実践

的主張が生みだされる。

 中国とソ連との関係が悪化の一途をたどるにつれ,1946年の毛沢東の「談話」はこのよ

うに「理論」化されていった。おりから,アメリカのベトナム革命への介入は,いっ,そう強化

されつつあった。だが1965年,『人民日報』編集部・『紅旗』編集部は,「ソ連共産党新指導

(8)

部のいわゆる『共同行動』を反ばくする」という論文で,ソ連共産党指導部を「修正主義」

ときめつけたうえで・敵味方の関係を転倒させている者とは共同行動がとれな岬とし て,「反米国際統一戦線」からのソ連の除外を主張した。こえて1966年より,中国は「文 化大革命」を全土にわたってはげしく展開する。この「文化大革命」のなかで,「毛主席 はマルクス・レーニン主義を天才的にまったく新しい段階に高めた」,「毛主席は世界人民 の心の中の赤い太陽」,「毛沢東思想は世界人民の革命の燈台」という最大級の賛辞が毛沢 東によせられたが,毛沢東がマルクス・レーニン主義をどのように新しい段階に引き上げ たか,今日にいたるまで明らかでない。1968年の「チェコ事件」のあと,1970年,『人民 日報』・『紅旗』・『解放軍報』編集部は,「レーニン主義なのかそれとも社会帝国主義なの か?」でソ連を「社会帝国主義」と規定する。いまやソ連は,中国にとってまったくの

・敵、でしかなくなった(『)

 中・ソの対立・抗争が激化するなかで,1970年代にはいり,中国と米国との接近がはじ まった。1971年7月ニクソン米大統領の訪中発表,9月林彪失脚,72年2月ニクソン米大 統領の訪中・米中共同声明,9月田中首相訪中・日中共同声明があいついだ。これらの諸 事件は,それまでの中国の姿勢からして,180度の転換とうつった。このような「米中接 近」の時期は,それまで繁栄と成長を続けてきた資本主義世界に「危機」が訪れた時代で

もあった。1971年の金・ドルの交換停止は国際通貨の固定相場制から変動相場制への移行 をもたらし,72年から74年にかけての世界インフレーションは空前の規模のものとなって いた。70年代にはいってからの急速なインフレーションの進行は,1次産品の世界的規模 での投機をひきおこし,この一環として生まれたのが,中東戦争を背景とする73年秋以来 のOPECによる石油価格の大幅な引上げであり,引き続く食糧・資源問題であった。第 三世界は,資本主義世界に,そのアキレス腱をなす資源・エネルギー問題をつきつけるこ

とによって,自国の自立化,近代化への途を進めようとしている。1974年4月,原料・開 発問題を検討する第6回国連特別総会での都小平中国代表の「第三世界論」は,かかる状 況のなかで登場した。

 郭小平の「第三世界論」は,本稿の冒頭でのべたが,その論理を要約するとつぎのよう になる。

 1 現在,世界の各種の基本的矛盾が激化し,国際関係は激しく変化している。それは,

『天下大いに乱れる』という状況にある。

 2 このような情勢のもとにあって,世界の各種の政治勢力には,急激な分化と再編成 がおきている。社会主義陣営は消滅した。アメリカとソ連が第一世界をなし,アジア,ア フリカ,ラテンアメリカは第三世界をなす。この両者の間にある発達国が第二世界である。

 3 第一世界のアメリカとソ連は,現代における最大の国際的搾取者,抑圧者であり,

新しい世界戦争の策源地である。

 4 第二の世界の一部は,いまなお第三世界にたいして植民地主義の関係を保っている

(9)

 中国の「第三世界論」について       33 が,第一の世界から支配,威かく,あなどりをうけており,その支配から抜け出したいと いう要求をもっている。

 5 第三世界は,世界の歴史を前進させる革命的原動力であり,第一世界に反対する主

力である。

 6 第一世界が存在するかぎり,世界には戦争か革命かの道しかない。だが,当面の世 界のおもな傾向は革命である。

 7 中国は社会主義国であるとともに第三世界に属している。

 8 ζのような論理から,第三世界を主力とする「反米」・「反ソ」の国際的統一戦線を 結成することができる。

 この登捧小平の「第三世界論」は,1946年,アンナ・ルイズ・ストロングとの毛沢東談話 が,その後の世界情勢の歩みにつれて,1964年の「中間地帯論」になり,さらに1974年の

「第三世界論」へとひきつがれていった。それは「談話」と「中間地帯論」の「反米」から,

「第三世界論」での「反米」・「反ソ」の国際的統マ戦線の呼びかけとなった。「中間地帯論」

で論理の一つの主体をなした社会主義陣営は「第三世界論」にいたって消減した。だが,

中国を第三世界に位置づけ,「反米」・「反ソ」の国際的統一戦線を呼びかけるということは,

そのじつ中国自身の当面する利害関係にそって,世界を動かそうとする「民族主義」の現 われにほかならない。したがって,第三世界論の 「反米」・「反ソ」 は,その内容をまた変 えてゆく。

 1973年末かち74年忌かけての「石油危機」を引き金として,インフレーションがまさに 資本主義を混乱の増禍に陥れんとするとき,インフレーションの収束策は,資本主義の矛 盾を露呈した。74年・75年忌世界恐慌はこのようにしておこった。資本主義世界は,

戦後30年にしてはじめて深刻な「危機」に直面することになった。資本主義の内包的発展 のゆきづまりは,外延的発展を新たな視野のもとに必要とする。74年・75年の世界恐慌に 続く不況期にあって,中国は資本主義国にとって魅力ある新たな開拓市場と目されるにい たった。

 中国においても,1976年9月毛沢東が死去し,10月には江青ら「四人組」が失脚した。

77年6月『人民日報』が,農業,工業,国防,科学技術の「四つの近代化」を指示し,「文 化大革命」から引き続いた異常な「精神主義」「平等主義」から脱却して,「近代化」への 途を歩みはじめた。それにつれて,資本主義世界との経済交流を深めてゆくことになる。

1978年2月,北京で日中長期貿易取り決めが調印され,4月には,中国は米国より小麦60 万トンを買い付け,またECと貿易協定を調印し,8月,北京で日中平和友好条約が調印 された。このような中国と資本主義世界,とりわけアメリカとの関係の変化は,「反米」

が次第にうすれてゆく過程でもあった。すでに1965年以来,「修正主義」ときめつけられ たソ連は,アメリカ帝国主義と同列におかれていたが,1976年になって,新華社記者の論        (9)

評「ソ連社会帝国主義はもっとも危険な戦争の策源地である」が発表された。ユ977年8月中

(10)

国共産党第11回全国代表大会における政治報告で,華国鋒主席はつぎのようにいう。「ソ 米両国は新たな世界大戦の策源地であり,とりわけソ連社会帝国主義は,いっそう大きな 危険性をもっている。当面のソ米争奪の戦略態勢では,ソ連社会帝国主義が攻勢をとり,

アメリ楴働蟻が守勢にまわっている(1①、・反米、仮ソ、カいまや・反ソ、に力点がお かれるにいたった。このような「米中接近」は,中国と社会主義諸国との関係を悪化せ しめていった。

 かつて1966年,キューバ国内での中国の宣伝文書の大量配布中止の要求にたいして,中 国はキューバむけ米輸出の魚心をもって応えた。それは,ソ連を大国主義であり,思想上 の問題を国家関係にまで拡大したとして強く非難してきた中国が,キューバにたいしては 自らの論理で非難されるべき大国の行動であった。そして,同様の関係が中国と「中・ソ 論争」のはじめから中国の盟友であったアルバニアとの間でみられた。1978年7月,中国 は,「米中同盟」を批判し「第三世界論」に反対するアルバニアにたいし,経済援助を全 面的に打ち切り,経済・軍事専門家を引き上げた。アルバニア労働党・政府は中国共産党

・中国政府にあてた書簡でつぎのように中国を非難する。

 「中国共産党指導部は,……みずからを無謬の天才とみなし,大国,大喜,大国家の思想と論理にした がって判断し行動し,こうして他の者,とりわけ小さな党と国家にたいしては,指図し,自己の見解をお

しつける以外の術を知らないということを実証してきた(111

 「北京で中国指導部とアメリカ大統領ニクソンが会談し同盟を結んでいる最中に,アメリカは英雄的な ベトナムにたいして強盗的帝国主義をおしすすめ,原爆をのぞくあらゆる最新の戦争手段を投入して,兄 弟の英雄的ベトナム人民を殺りくしベトナムを廃虚と化そうとしていたのであった。中米会談とこうした 途方もない同盟は,細眠に不幸な結果を招く灘すべき行為であっ議

 「中国共産党指導部はアメリカ帝国主義と接近し,アメリカおよびその同盟国との交渉を開始した後,

革命戦略という見せかけで反マルクス主義,反革命の『三つの世界』論を提唱し,それをマルクス・レー       (1⑳

ニン主義共産主義運動と全世界人民の斗争の総路線としておしつけようと試みた。」

 「中国はソ連社会帝国主義を今日における唯一の危険であり脅威であると見なし,かれらから民族独立 を守るという口実のもとに,各国人民が民族的,経済的,社会的解放をめざす斗争を放棄し,アメリカ帝 国主義とかつての植民地領有国である他の西側資本主義諸国に降伏するよう要求している。中国は,ヨー ロッパのプロレタりアートを資本主義のくびきのもとにしばりつけ,また,他国の人民を抑圧し搾取する ために設立された機構である共同市場と統一ヨーロッパの強化をあおり立てている。『三つの世界』論は 超大国の軍備競争を扇動し,アメリカ帝国主義の戦争の道具であるNATOや他の軍事ブロックに頼り,

帝国蟻世界戦争を挑発している(141

 「『三つの世界』論にたいする中国指導部の貢献は『第三世界』が帝国主義と協調する必要を『論証』

したという点にあるにすぎない。かれらは,新たな発見はなにもおこなわなかった。中国指導部が『第三 世界』とアメリカ帝国主義および他の帝国主義諸国との同盟をつくり上げたのは,これらの帝国主義に 勘を請球めて中国を帝国議超大副。かえるためである(汎

 「中国指導部は『三つの世界』論を実行に移すことによって,アメリカ帝国主義やヨーロッパ独占資本

家,ファシストや人種主義者,国王や封建領主,もっとも凶悪な軍国主義者や戦争屋などの『悪魔』とさ

(11)

 中国の「第三世界論」について      35 え手を結ぶにいたった。ピノチェットやフランコ,かつてのナチス・ドイツ国防軍や日本帝国軍隊の将軍 たち,モブツのごとき紛れもない犯罪者や血に飢えた国王たち,アメリカのボス連中や,多国籍企業の巨頭       ⑯

連はみな,中国指導部の同盟者となったのである。」

 このようなアルバニア労働党・政府による「三つの世界論」批判は,ソ連の評価は別に して,アルバニアが中国の,ながいあいだの「盟友」であっただけに,核心をついている といえる。

 1975年,インドシナ三国の革命は成功し,76年に南北統一したベトナム社会主義共和国 が成立した。だがその後,ベトナムでの「華僑問題」をめぐって中国とベトナムとの対立 が激化し,1978年7月,中国はベトナムへのすべての経済・技術援助を打ち切り,技術者

を引き上げた。そして,1979年,郭小平副首席の訪米・訪日ののち,中国軍は国境を越えて ベトナムに本格的に侵攻する。いまや中国は,社会主義諸国との対立・抗争とうらはらに 資本主義世界との親交を求めている。このような中国の外交路線の指針をなす「第三世界 論」は,マルクス・エンゲルスやレーニンの学説とどんなかかわりがあるというのだろう

か。

(注)

(1) 『北京周報』1965年第36号19ページ。

②  『前掲書』同号19ページ。

(3) 『前掲書』同号18ページ。

(4) 『国際共産主義運動の総:路線についての提案』北京,外交出版社18〜19ページ。

(5) 『紅旗』編集部「ふたたびトリアッチ同志とわれわれの意見の相違について」 『政治資料』No 169,

 104ページ。

(6) 『国際共産主義運動の総路線についての提案』前掲書20ページ。

(7) 『北京回報』1965年第46号ユ5ページ。

(8) 『北京周報』1970年下17号5〜19ページ。

(9) 『北京特報』1976年第5号7〜12ページ。

(1① 『北京周報』1977年第35号40ページ。

(11)1978年7月29日付『中国共産党・中国政府にあてたアルバニア労働党・政府の書簡』日本・アルバ  ニア友好協会刊26ページ。

(12) 『前掲書簡』44ページ。

(13) 『前掲書簡』47ページ。

(14) 『前掲書簡』48〜49ページ。

㈲ 『前掲書簡』50ページ。

(16) 『前掲書簡』50ページ。

(12)

 『人民日報』編集部は,「三つの世界の区分についての毛主席の理論は,マルクス,・レ ーニン主義にたいする大きな貢献である」と題する論文を,1977年11月1日付で発表し た。この論文のなかで,「三つの世界論」が,マルクスやエンゲルス,またレーニンやス ターリンの学説の展開であることを論証しようとして,つぎのようにいう。「プロレタリ ア階級は,世界の階級闘争の客観的現実に応じて,世界の政治勢力の区分と,これにもと つく階級闘争の戦略,戦術を決めなければならない。マルクス,エンゲルス,レーニン,

スターリン,毛主席は世界の政治勢力をどのように区分したのか,ここでいくらかの歴史 的事実をふりかえってみるのも,三つの世界の区分についての理論を理解するうえで無益 ではないと思う(訥それでは,以下,その論拠をみてみることにしよう。

 エンゲルス「ポーランドについての演説」         .

 L民族は他民族を圧迫しつづけながら,同時に自由になることはできない。したがってドイツ人の圧 迫からポ_ランドを解放することが蹴しなければドイツの轍は成就されな、≦多)」

 マルクス「マルクスからジークフリート・マイアーおよびアウグスト・フォークトへの

書簡」

 「わたしが何年もアイルランド問題を調べてきて得た結論は,イギリスの支配階級にたいする決定的な 打撃(また,それは世界の労働運動にとって決定的)は,イングランドではなくて,アイルランドでしか        、    (3)

加えることは出来ないといっことである。」

 レーニン「自決にかんする討論の総括」

 「マルクスは,ツァーリズムの力と影響とにたいする一その無制限の権力と優勢な反動的影響とにたい する,といってもよい一ヨーロッパ民主主義派の闘争の利益という見地からポーランドの独立を支持し

 (4)

た。」

   エンゲルス「ロシア・ツァーリズムの対外政策」

 「西ヨーロッパの労働者党は,ロシアの革命党の勝利に二重の関心をいだいている。第一に,ロシアの ツァーり帝国は,ヨーロッパの反動の大本郭である……第二に,……同帝国は……ヨーロッパの覇権iを自 国に確保し,……ヨーロッパのプロレタリアートの勝利を不可能ならしめるであろう……この第二の理由 によ栖。_。。パの労評語は,。シアのツァ_リズムと死活の瀞をおこなう必要があ謂

  『人民日報』論文は,このようなマルクスとエンゲルスの主張から何を学びとるべきで あろうかと問い,つぎの二つをあげる。第一には,マルクスとエンゲルスのよっに,こん にち,すべての被抑圧諸国をひきつけ,全世界を震憾させている民族革命の激流を,国際 プロレタリア階級が勝利をかちとるための重要な前提,確実な保証と見なすべきである。

第二には,マルクスとエンゲルスのように国際労働運動の主要な敵を見つけだし,こんに

ちの世界の反動勢力の主要なトリデであるソ連社会帝国主義とアメリカ帝国主義にたいし

(13)

 中国の「第三世界論」について      37        (6)

       と。抑圧民族の労働者階級が,被抑圧民族の解放 断固とした闘争をすすめるべきである,

を自己の運命とみなすことは,その通りである。だが,だからといって,抑圧民族の労働 者階級は,自己の解放をすべて被抑圧民族の解放にかけよ,とはマルクスもエンゲルスも いっていない。また,19世紀のツァーリズムとこんにちのソ連を同一視して,マルクスや エンゲルスのツァーリズム批判をもって,こんにちのソ連批判の「原理」とすることは,

まったく歴史の冒漬としかいいようがない。こんにち,中国が「社会主義」であるのと同 様な論理でソ連も「社会主義」である。

 十月革命と第一次世界大戦終結ののち,1920年,レーニンは,共産主義インタナショナ ル第2回大会において,「国際情勢と共産主義インタナショナルの基本的任務についての 報告」をおこなった。この報告で,第一次大戦後の世界情勢にふれ,つぎのようにいう。

 「このようにして,帝国主義戦争後に生じた世界の情景の大体がえられる。抑圧されている植民地一ペ ルシャ,トルコ,中国のように生きながら分割されている国々,戦争にまけて植民地的状態に投げこまれ た国々の人口は12億5000万である。。2億5000万を越えない人口は,無事に古い状態にとどまった国々の 人口である。だが,これらの国はみな,アメリカにたいして経済的な従属状態に陥り,戦争中はずっとア メリカに軍:事的に従属していた。なぜなら,戦争は全世界をとらえ,どの国家をも実際上,中立にとどま ることをゆるさなかったからである。最後に,2億5000万を越えない人口は,もちろん,その上層だけ,

資本家だけが地球の分割で利益を占めた国に住んでいる。……世界のこの情景に注意していただきたい。

なぜなら,革命へ導いていく資本主義,帝国主義のすべての基本的な矛盾,同志議長が述べられた第2イ ンタナショナルとの非常に激しい闘争をもたらした労働運動内のすべての基本的な矛盾,一すべてこれ        (7)

らは,地球人ロの配分につながりをもっているからである。」

 レーニンのこの一文を,『人民日報』論文は,「世界の政治勢力を区分する問題について,

まるで今日の現実に焦点をあわせたかのようである堅)とし,つぎのようにいう。

 レーニンは,この報告のなかで,世界の諸国を,ひとつは抑圧をうけている植民地・半 植民地と敗戦国,もうひとつはもとどおりの状態にとどまった国,さらにもうひとつは世 界の分割で利益をえた戦勝国という三種類の国に区分した,と。そして『人民日報』論文 はここで,レーニンは,「戦争にまけて植民地的状態に投げこまれた国」として,「オース

トリア・ハンガリー帝国,ドイツ,ブルガリア,および戦争によっておなじく『植民地同 然の状態におちいった』ソビエト・ロシア」をさし,また「戦勝国」としては,「アメリ カ,日本,イギリスなど」をさしていると注釈を加え,レーニンは,「社会主義のロシア を被抑圧民族,被抑圧国と同三児にくみ入れている、という曾)このように,・人民報』

論文は,毛沢東の「第三世界論」の根拠をレーニンにももとめている。それでは,レーニ ンのこの一文は,毛沢東の「第三世界論」のよりどころとなりうるのだろうか。ここで,

この一文ののっている,レーニンの「国際情勢と共産主義インタナショナルの基本的任務

についての報告」で,レーニンの意図したところをみてみよう。レーニンは,つぎのよう

にいフ。

(14)

 1914年から18年におよぶ第一次世界大戦は,全世界を再分割するためにおこなわれた。

大戦の結果,すべての資本主義的矛盾は,はるかに激化した。「12億5000万をくだらない 人口が植民地的抑圧を蒙り,野獣のような資本主義の搾取を蒙っているということが,世 界の情景である」。ヴェルサイユ条約は,ドイツをも,いくつかの敗戦国家をも,経済的に 生存していくには物質的に不可能な条件,まったくの無権利と屈辱の条件のもとにおいた。

〈このような説明ののちに,レーニンはまえに引用した世界の諸国の三つの分類をのべ,

その一文のあとでつぎのように報告を続ける。〉

 植民地国,敗戦国が,従属状態に陥っているだけではない。「どの戦勝国の内部でも,

いっそう鋭い矛盾が発展し,すべての資本主義的矛盾が激しくなった」。これこそ,国際 連盟がつくりだした情勢である。この条約が1日存続すれば,その1日がボリシェビズム のための最上の煽動である。なぜなら,資本主義的「秩序」のもっとも力のある支持者た ちが,一つ一つの問題についてたがいに足をすくいあっているからである。資本主義の

「危機のこういう経済的根源こそ,共産主義インタナショナルが輝かしい成功をかちとり つつある基本的な原因である」。だが,資本主義にとって「絶対に活路のない情勢という

ものはない」。「日和見主義」こそ第ニインタナショナルから脱退しつつある非常にたくさ んの党の基本的な悪である。「私が,この大会に提案したテーゼでは,プロレタリアート の独裁の準備という任務をできるだけ具体的に正確に規定することを,なによりも論じて いるのである」。「日和見主義はわれわれの主要な敵である」。労働運動の上層の日和見主 義は,ブルジョア的な社会主義であり,労働運動活動家の日和見主義的傾向はブルジョア

ジー擁護者である。〈「同志諸君,問題のなお一つの側面に立ちいってみよう」とレーニ ンはなおも続ける。〉

 「先進の資本主義国の革命的プロレタリアートと,プロレタリアートがいないか,ある いはほとんどいない国の革命的大衆との,また東洋の植民地国の抑圧されている大衆との 結合一一この結合が本大会でやられている。この結合を強固なものにすることは,われわ れにかかっている,  われわれはこれをやりとげるだろう」。帝国主義戦争は従属民族 を世界史に引きいれた。全東洋に,全アジアに全植民地民族のあいだにソビエト運動の土 台がすえられている。〈そして,この報告は,つぎの結語でしめくくられる。〉われわれの 大業は,「世界プロレタリア革命の大業であり,世界ソビエト共和国を建設する大業であ

 (1①

る」。

 さきにあげたレーニンの「世界の諸国の三つの分類」を,このレーニンの「報告」全体

のなかでとらえたとき,そのどこに『人民日報』論文の主張するように,「世界の政治勢

力を区分する問題について,まるで今日の現実に焦点をあわせたかのようである」といえ

るのだろうか。このどこに第三世界と第二世界とが連合して,「反ソ」・「反米」の国際統

一戦線結成の原型がみられるのだろうか。レーニンは,植民地・半植民地の国々が,オー

ストリア・ハンガリー帝国,ドイツ,ブルガリア,および社会主義のソビエト・ロシアと,

(15)

 中国の「第三世界論」について      39 アメリカ,日本,イギリスなどに反対する国際統一戦線をつくれなどとは,1けっしていっ ていない。レーニンが説いているのは「先進の資本主義国の革命的プロレタリアートと,

プロレタリアートがいないか,あるいはほとんどいない国の革命的大衆との,また東洋の 植民地国の抑圧されている大衆との結合」であって,民族解放運動と資本主義との「結

合」などは,まったく問題にしていない。

 レーニンの主張するように,資本主義にとって「絶対に活路のない情勢というものはな い」。現代の世界において,資本主義に活路をあたえているものはだれか。中国こそ現代 の資本主義に活路をあたえているのではないか。

 『人民日報』論文は,「レーニンは,また,社会主義のロシアを被抑圧民族,被抑圧国 と同じ範疇にくみ入れている」というが,レーニンが社会主義のロシアを12億5000万のな かにいれ,「植民地同然の状態」といったのは,「植民地」に力点があるのではなく,第一 次世界大戦の結果としてのみじめな「経済状態」において「同然」だということであって,

被抑圧民族や被抑圧国と同じ範疇にくみ入れているのではない。

 このように『人民日報』論文が,「三つの世界論」のよりどころにしようとしたレーニ ンの一文は,まったく「根拠」とはなりえないものであって,自己の主張をレーニンによ って権威づけようとする創作にほかならない。

 『人民日報』論文は,さらにスターリンと「三つの世界論」とのかかわりにづいてのべ る。1941年,ナチス・ドイツのソ連侵入にたいして,スターリンは,ソ連とアメリカ,イ ギリスなどの諸国と反ファッショ陣営を結成してこれと戦った。この歴史的事実を現代に 教条的に適用して,「こんにちの世界に,新しい独伊同盟や英米ソ同盟というようなもの       (11)  、

はなく,ソ米両覇権主義国とこれに反対する世界人民の統一戦線が生まれている」といっ。

だが,中国が「覇権i主義」と無縁であるという証明をだれがなしうるだろうか。1979年,

国境を越えてベトナムに進攻したのは中国軍ではなかったか。インド(1962年),ソ連

(1962年以来)をはじめ隣接諸国のほとんどすべてにたいして国境問題をたえず提起 し,現代の世界史に「国境」紛争のいうどりをそえている主役は,社会主義中国ではない のか。それは,ブルジョア民族主義の領土要求とどこにちがいがあるのか。すでに考察し たように,アメリカをはじめ相手が誰れであろうと,自らの利益となるものなら,だれと でも結び,自らの意志に従わないものは,「敵」と規定する。これが中国の主張する「反 ソ」・「反米」の国際的統一戦線の実体である。「世界人民の統一戦線」というのは,形容 詞にすぎない。

 「第三世界論」でいう「社会主義陣営の消滅」ということも,このような中国の対外路

線がひきおこした中国の孤立化の逆表現であって,それは社会主義諸国との敵対関係を正

当化するための議論にすぎない。こんにち中国が,社会主義としてとりあつかっているの

は,朝鮮民主主義人民共和国,ルーマニアとユーゴスラビアの三国ではなかろうか。

(16)

(注)

(1) 『北京周報』1977年第45号12ページ。

(2)F.Engels, Rede琶ber Polen, K. Marx und F. Engels Werke, Bd.4, S.417

(3)Marx an Sigfrid Meyer und August Vogt 9。 April 1870, Werke 32, S.667

(4) 『レーニン全集』邦訳第22巻397ページ。

(5)F.Engels, Die auswartige Politik des russischen Z arentums, Werke 22, S.13

(6) 『北京周匝』1977年第45号13ページ。

(7)レーニン「共産主i義インタナショナル第2回大会」『レーニン全集』邦訳第31巻210ページ。

(8) 『北京周報』1977年忌45号14ページ。

(9) 『前掲書』同号14ページ。

(10) 『レーニン全集』第31巻207〜227ページ。文中〈……〉は,筆者の説明。

(11) 『北京周報』1977年第45号15ページ。

 以上の考察からつぎのようにいえよう。中国の「第三世界論」は,現代をレーニンの

『帝国主義論』の世界とみたうえで,中国中心の世界認識だ,ということである。すでに 述べた私見のくり返しもあるが,若干の点をあげて,このことを示そう。

 (1)資本主義諸国間の不均等発展法則のとらえ方。

 資本主義諸国間の不均等発展の法則による資本主義諸国の分裂・対立・抗争を,自国に 有利に利用しようという発想は,レーニン以来マルクス主義陣営に定着している。この発 想から,中国は「第二世界」と「第三世界」との「連合」というテーゼをひきだすが,現 代の資本主義世界における不均等発展法則の貫徹のあり方は,レーニン時代とはことなっ ている。

 資本主義のレーニン段階にあっては,不均等発展の法則にもとつく世界市場の再分割は,

世界戦争をつうじてのみ実現された。だが現代の特徴は,それを自由化と経済統合をつう じて実現せんとするところにある。これは,資本主義の体制維持のため,なんとしても資 本主義諸国間の戦争を避けようとすることの現われである。こんにち,分裂と対立・抗争

を強めているのは社会主義世界であって,それは,危機に遭遇しながら,なお「協調」に 努めている資本主義世界と対照的な姿である。

 (2) 「戦争か革命か」という問題のたて方。

 レーニンのr帝国主義論』は,帝国主義国相互間の世界戦争必然論であり,その結果と

しての社会主義革命論であった。だが,これまで第二次大戦後の世界史を血で彩った戦争

は,そのいずれも資本主義諸国間にはおこっていない。朝鮮戦争(1950−51年),インド

シナ戦争(1951−54年),アルジェリア戦争(1954−62年),ベトナム戦争(1960−75年),

(17)

 中国の「第三世界一」について      41 インド・パキスタン戦争(1965年),四次におよぶ中東戦争(1948年,1956年,1967年,

1973年),さらに中越戦争(1979年)。これらの戦争は,資本主義と社会主義,資本主義と 民族解放運動,後進国相互間あるいは社会主義国相互間のいずれかであって,資本主義と 資本主義とのあいだの戦争はみられない。だが中国は,ソ連とアメリカを世界市場の再分 割をはかる「帝国主義」と規定し,「第三次世界戦争」の必然性をとなえる。ところで,

「現代の帝国主義」とはなにか。

 レーニン段階の帝国主義は、特定の帝国主義国による独占的な植民地支配とそれにもと つく一方的な利潤追求であった。だが,現代帝国主義による後進国支配の特徴は,「援助」

を積粁に「開発」をつうじて生産力の発展をはかり,資本主義発展への方向で,後進国が かかえている諸問題を解決してゆこうとする「反革命」にある。しかも,帝国主義は世界

「体系」として,あるいは世界「体制」として存立する。20世紀初頭の帝国主義は,各帝 国主義の排他的支配領域のたえざる対立と抗争の総括としての世界体系であった。だが,

現代の帝国主義は,社会主義の世界に対抗するため,資本主義の支配地域を全体として体 制的に維持せんとする世界体制である。それは,中国流にいうならば,「第一世界」のアメ

リカと「第二世界」が連合して「第三世界」に対応しようとする,資本主義の国際協力体 制である。「第二世界」と「第三世界」が連合して「第一世界」にあたるという「第三世 界論」は,非現実的な主張にすぎない。

 (3) 「修正主義」と「社会帝国主義」。

 中国はソ連を「修正主義」であるとして「敵」と規定する。第四インターナショナルに おけるベルンシュタインやカウツキーと同列におくわけである。だが,なにをさして「修 正主義」というのか。「平和共存」政策でアメリカと「協調」することが修正主義である ならば,中国は修正主義であり,社会主義が「物質的刺戟の原則」を適用することが修正 主義であるならば,中国も修正主義である。「ユーゴスラビアは社会主義であること」を 認めるのが修正主義であるならば,中国は修正主義となる。「鉄砲から政権が生まれる」

ことを「プロレタリア革命の普遍的法則」と主張しないことが修正主義にほかならないと するならば,こんにちの中国はどうなるのか。華国鋒主席の1977年8月の「中国共産党第 11回全国代表大会における政治儲}1また1978年2月の・第5期全国人民代表大会第、

回会議における政府活動報蓄)ならびに1979年6月の・第5期下臥民代表大会第2回会

       (3)      、

      「鉄砲より政権が生まれる」といっ主張は姿を消 議における政府活動報告」にあっても,

している。「中・ソ論争」のプロセスから「修正主義」の規定をみるかぎり,中国による

「修正主義」の規定は,その時々の中国の主張にしたがわないものということになるが、

マルクス主義とはこんなものだろうか。

 1968年,ソ連軍のチェコスロバキア進攻の後,中国はソ連を社会帝国主義とよぶように

なったが,この論理からするならば,中国軍のベトナム進攻から,中国も社会帝国主義に

転化したということになる。

(18)

 (4)南北問題・新植民地主義

 中国は,現代における帝国主義の後進国支配に「新植民地主義」なる概念を使用する。

本稿の冒頭にあげた原料・開発問題を検討する第6回国連特別総会における郭小平演説で も,「帝国主義,とくに超大国は,新植民地主義という形式で,ひきつづき発展途上国に たいする撒と収奪をいちだんと強めている瞥)と、1う.だカ㍉・南北問題、を・撒と収

奪」の新たな形態としての「新植民地主義」という視点からとらえられるだろうか。

 第二次大戦後,かつての植民地や従属国は,つぎつぎに政治的独立を達成していった。

このような後進諸国が直面する問題は,ほとんどが民族的・民主主義的課題である。土地 改革をはじめとする社会構造・社会制度の近代化,外国資本の鉱山や農場でもつ権益の放 棄,工業化,自立的国民経済の建設,貿易の不等価交換の廃止,ひもつきでない援助など すべて民族的・民主主義的課題である。また,朝鮮やベトナムでの南北の統一にしてもそ うである。だが,このような民族的・民主主義的課題が,資本主義の方向ではなく社会主 義の方向でなければ解決しない,というところに現代の資本主義にとって民族解放運動の もつ深刻な意味あいがあった。1959年のキューバ革命がその典型をなした。後進国の資本 主義世界体制からの離脱の可能性が現実の課題となっている。他方,資本主義は,後進国       (5)

の諸要求に十分に応えられない。しかも資本の本性から,後進国における経済的支配と権 益とを維持・強化するためには,なんとしてでも後進国を依然として資本主義世界体制の鎖 の環にとどめておかねばならない。このような事情から,1960年代に入って登場したのが

「南北問題」であった。

 すでに(2)で説明したように,現代の帝国主義の特徴は,「開発による反革命」である。

それは,かつての帝国主義のような露骨な「搾取と収奪」の体系ではない。そこには,全 体としての資本主義世界体制の維持・発展という課題が存する。「南北問題」を「新植民 地主義」と単純化し,それをたんに帝国主義支配の形態変化としてのみとらえる中国の見 解は,後進国問題のもつ世界史的意味あいとしての南北問題の正しい認識を妨げるものと なろう。

 (5) 「中国は第三世界に属する」という見解。

 歴史的にみるならば,中国は第三世界の諸国と同じ運命をたどっており,経済的には現 在にいたるも第三世界と同様な状態にある。だが,革命後すでに30年もたっているこんに ちにあって,「中国は第三世界に属する」ということは,けっして誇るべき表現ではある まい。にもかかわらず,中国を第三世界に位置づけるのは,「社会主義陣営は消滅した」

とか「現代の世界の革命の震源地は第三世界である」という「論理」のもとで,その指導 的存在として,第三世界の諸国にたいする中国の覇権を確立することにねらいがあるとし か考えられない。これこそ,中華思想以外のなんであろうか。

 誤った世界認識でも,ある一定期間,大衆を動員することはできる。かつての日本帝国

主義がそうであり,ナチス・ドイツがそうであった。中国が毛沢東の発言を信仰し,「第

(19)

 中国の「第三世界論」について      43 三世界論」に固執するかぎり,歴史の動きの歯車を逆にまわす結果となろう。中国が社会 主義の道を歩み続けるなちば,何時の日か「第三世界論」は放棄せざるをえなくなるであ

ろう。

(注)

(1) 『北京周報』1977年第35号。

(2) 『前掲書』1978年第10号。

(3) 『前掲書』1979年第27号。

(4) 『前掲書』1974年第15号11ページ。

(5)この点については,有賀定彦「現代資本主義と新国際経済秩序」『世界経済評論』1979年3月号を参

 照されたい。

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(とくにすぐれた経世策) によって民衆や同盟国の心をしっかりつかんでい ることだと、マキァヴェッリは強調する (『君主論』第 3

2019 年 12 月に中国で見つかった 新しいコロナウイルスの感染が 日本だけでなく世界で広がってい