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アメリカ的「知」の覇権下における フランスの国際政治学

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《論  説》

アメリカ的「知」の覇権下における フランスの国際政治学

岡  垣  知  子 1は じ め に

第一次世界大戦後、社会科学の一分野として誕生した国際政治学は、当初か ら二つの相いれない学問的特徴を内包していた。一つは、他の学問分野の知見 を多分に取り入れた学際的性格を持っていることである。もう一つは、その学 際的な性格にもかかわらず、他の社会科学分野から明確に区別され、自立した 学問として統合されるべきであるという認識が常に存在してきたことである。

イギリスのウェールズ大学における学問誕生から約100年が経過しようとして いる国際政治学は、世界各国固有の学問風土の中で、この両者のバランスの上 に発展してきた。学際性(Interdisciplinarity)と学問的自立性のバランスの在 り方には、各国独特の研究文化が反映されている。

本論の目的は、フランスにおける国際政治学研究の特徴を浮かび上がらせ、

その独特のアプローチを規定する伝統や社会科学研究の土壌を検討することで ある。フランスの国際政治学に注目する理由はいくつかある。まず第一に、フラ ンスの国際政治学は、世界の学会を牽引してきたアメリカ(outre-Atlantic)や イギリス(outre-Manche)のアプローチから一線を画してきた。国際政治学に おける「アングロ帝国主義」、とりわけアメリカの学問的「覇権」にどう向き合 うかは、どの国にとっても大きな課題であるが、フランスの国際政治学は、他の 欧米諸国と比べても、アメリカ中心主義に無関心であり、内向的傾向が強い。1)

1) Marie-Claude Smouts, “Entretiens: Les realtions internationales en France-Regard

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アメリカの国際政治学を意識的に避けている印象すら受ける。そして、米英の 知的覇権に強い対抗意識を持ちながら、同時に、フランス独自の業績をなかな か世界に発信することができないジレンマに直面している。

第二に、フランスが、哲学や文化人類学、社会学などの多くの社会科学の分 野において、世界的注目を浴びるような斬新な研究アプローチや理論的革命を 学界にもたらしてきたにもかかわらず、国際政治学においては、理論や方法論 についての関心が薄いことである。そもそも国際政治学を自立した学問分野と して認識する意識自体が低い。このギャップの原因は何なのか?この問題を考 えるにあたっては、国際政治学に限らず、政治学という分野全般が、フランス の社会科学の中でどのように位置づけられているのかを探る必要がある。

第三に、主流の英語圏の国際政治学に属さないフランスの国際政治学の学問 的土壌を研究することが、日本の国際政治学を相対的に評価するきっかけとな ることである。実際、フランスと日本の学問的風土や研究制度・環境には興味 深い比較が可能である。例えば、日本の国際政治学についてしばしばいわれて きたのは、アメリカの理論をはじめとする国外の国際政治学理論の輸入に頼る 傾向が強いことであった。アメリカの知的覇権に対する日本のこの受動的な姿 勢は、同じくアメリカの知的覇権世界の周辺に属すフランスの意識的な内向性 とはかなり異なっている。いかなる要因がこういった差異をもたらしているの であろうか?

1990年代以降、国際政治学界では、世界の異なる地域や国々で、国際政治学 の研究・教育のあり方についてのメタ理論(Philosophy of Social Science;

meta-theory)が活発になった。2)他の国々や地域と比較して際立った特徴を持

sur une discipline - ,” La Revue internationale et stratégique, Vol. 47, (automne, 2002)を参照。

2) J. Friedrichs and F. Kratochwil, “On Acting and Knowing: How Pragmatism Can Advance International Relations Research and Methodology,” International Organization, Vol. 63, No. 4, (2009), 701-731; Ole Waever, “The Rise and Fall of the Inter-Paradign Debate” in S. Smith, K. Booth and M Zalewski, eds., International Theory : Positivism and Beyond, (Cambridge University Press, 1996), 149-185; Ole

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つフランスの国際政治学のあり方について考察することは、国際政治学という 一つの社会科学の「知」の世界地図を通して我々の立ち位置を確認する作業で もある。同時に、一国の独特の学問的アプローチの背後にどのような歴史的・

制度的制約が存在しているのかを探る作業は、社会科学の一分野として国際政 治学が持つ特性や意義を大局的に再考察することにもつながるであろう。

2.フランスの国際政治学の特徴

国際関係論は、もともと外交史と国際法という、国際社会の現実を映し出す 研究領域として存在してきたが、第一次大戦後、アルフレッド・ジマーンが国 際関係論を学問的プロジェクトして進めることを提案したことをきっかけに、

初めて一つの学問分野として認識されるようになった。3)この提案は、世界初 の普遍的国際機関として創設された国際連盟についての研究と密接に結び付い ていた。しかしながら、悲惨な世界大戦を二度と繰り返してはならないという、

第一次世界大戦後の人々の強い希求が支配的な中、国際政治学は、特にその戦 争の舞台となったヨーロッパ大陸の国々においては、「学問分野」としてより も「現実」としての重みが大きすぎた。国際政治を現実から離れた研究対象と して認識しにくいことは、国際政治学という学問分野が多かれ少なかれ、今日 に至っても引きずっている障害である。

ある学問分野が一つのディシプリンへと発展する過程においては、その分野 独特の概念や分析枠組みで対象をとらえる作業が必要になる。現実の外交活動 を抽象し、統合された一つの社会科学として国際政治学をどう発展させていく のか?その大きな課題に対して、第二次大戦後、二つの試みがなされた。一つ 目は自然科学からの影響を強く受けた行動科学主義である。行動科学において Waever, “The Sociology of a Not So International Discipline: American and European Developments in International Relations,” International Organization, Vol.

52, No. 4, (1998), 689-27.

3) Alfred Zimmern, ed., L’Enseignement universitaire des relations internationales,

( Institut International de Coopération Intelectuelle, Société des Nations, 1939).

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は、知識への道は、観察できるデータを集めてデータの規則性から仮説を立て、

検証をすることによるとされる。1950年代から1960年代にかけて、それまでの 歴史、法、哲学などの伝統的研究方法に代わり、厳密で体系的・科学的な概念 と推論を用いた分析を行う動きが現れ、観察できないア・プリオリの仮定に頼 らない帰納的方法、とりわけ統計的手法を用いた変数の計量化や仮説の検証、

因果モデルの構築が顕著に行われるようになった。サイバネティクス、ホメオ スタシス、システム、フィードバックといった生物学や化学、物理学から取り 入れられた用語や概念が国際政治学に輸入され、それらによって国際社会事象 がモデル化され、数値化されると同時に、人間の本性、パワー、国益、勢力均 衡といった、客観的に定義できない鍵概念による理論構築が鋭く批判されるよ うになったのである。行動科学の影響を受けた国際政治学を代表するものとし ては、モートン・カプランやカール・ドイッチュらの功績がある。4)行動科学 主義はアメリカの国際政治学の一部でいまだに根強く残っている伝統でもある。

二つ目の試みは、行動科学主義を「帰納主義的錯覚」と批判したケネス・ウォ ルツによる「分析のレベル」という視点の導入であった。1959年に出版された

『人間・国家・戦争』5)において、ウォルツは、「国際システム」という、国際 政治学研究に携わる者のみが特権的に持つ新しい認識空間を提示した。戦争の 原因についての政治哲学を、第1イメージ(人間のレベル)、第2イメージ(国 家のレベル)、第3イメージ(国際システムのレベル)に分類し、それぞれのイ メージに属す政治哲学者の思想が国際政治分析に持つ有用性をウォルツが論じ たことによって、戦争の原因についての体系的分析の視点が提供された。同時 に、人間や国家の属性から独立した「国際システム」という高度に抽象化され た領域が国際政治学者のアイデンティティーとして認識され、これを基に社会 4) 例えば、Morton Kaplan, Systems and Process in International Relations, (John Wiley,

1957); Karl Deutsch, Nationalism and Social Communication : An Inquiry into the Foundations of Nationality, (MIT Press, 1966).

5) Kenneth N. Waltz, Man, the State, and War: A Theoretical Analysis, (Columbia University Press, 1959). 『人間、国家、戦争』(ケネス・ウォルツ著、渡邉昭夫・岡 垣知子共訳、勁草書房、2013).

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科学に貢献する可能性が開けたのである。6)その議論をさらに洗練させた彼の

『国際政治の理論』(1979)7)によって、国際政治学は明確に社会「科学」と認 識されるようになった。

国際政治学を自立した一つのディシプリンに統合しようとするこういった流 れに反し、フランスでは、国際政治(les relations internationales)は、あく までも「現実」にとどまり、学問分野として認識されることがほとんどなかっ た。第二次世界大戦後、圧倒的なパワーで世界の舞台に登場し、数々の学問分 野において知のヘゲモニーを構築したアメリカで、国際政治学を独立した社会 科学分野として捉え、普遍理論を構築しようとする傾向が強かったのに対し、

フランスでは、むしろ国際政治学と隣接する複数の学問分野を合成する

(synthesize)傾向が見られた。つまり、国際政治学にこそ独特で、他から区 別される学問的エッセンスを深く追求する代わりに、他の社会科学分野の成果 に頼りながら、それを取り込んでいく傾向が支配的だったのである。このこと は、フランスにおいて、政治学が複数で語られる(les sciences politiques)こ とにもよく表れている。科学指向の強いアメリカの国際政治学において、社会 科学の王者として君臨する経済学へのあこがれが必然的に強く、そこから大き な影響を受けることになったのに対して、フランスの国際政治学は、歴史学や 哲学の影響を強く受けながら、学際性を強調していくことになった。また、伝 統的に「百科全書主義 (encyclopédisme)」の影響が強く、教育システム全体 の傾向として一般教養(culture générale)を重んじる文化の中で、国際政治 学は、そういった一般教養を総合できる科目として認識された。8)そして学際

6) 行動科学主義、分析のレベルという二つの試みについては、Henrik Breitenbauch, International Relations in France : Writing between discipline and state, (Routledge, 2013), 165-166.

7) Kenneth N. Waltz, Theory of International Politics, (Mcgrow-Hill, 1979).『国際政治 の理論』(ケネス・ウォルツ著、河野勝・岡垣知子共訳、勁草書房、2011).

8) Jörg Friedrichs, European Approaches to International Relations Theory : A House with Many Mansions, (Routledge, 2004). 31; Breitenbauch, International Relations in France, 9.

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的であるがゆえに、他の社会科学のディシプリンがそれぞれ、国際政治学をサ ブ・フィールドとしてとらえる傾向が強く残ったのである。

独立した政治学の分野として国際政治学をとらえる意識の弱さは日本にも共 通している。しかし、独立した社会科学の一分野として国際政治学が確立しに くい理由は、フランスと日本では異なっている。日本においては、国際政治学 者の多くが歴史の一時期における、ある国もしくは地域の事象や事件を詳しく 研究している。時間的・空間的に限定されたテーマについて詳細な知識を蓄積 することが専門家の仕事として考えられる傾向があるからである。学際性は、

そもそも特化された分野あってこそのものであり、特定の分野で学問的訓練を 受けたうえでこそ語ることができるはずであるが、日本の場合は、社会学、人 類学、経済学といったディシプリンを意識しないまま、特定の地域や歴史事象 が研究対象とされ、その総体が日本の国際政治学全体の「学際性」を形成して いる。つまり、テーマの細分化が学際性と混同されているきらいがあるのであ る。この点が、まず分野を認識し、その合成、統合、もしくは並立によって学 際性を体現しているフランスとは異なっている。また、日本では学際的である ことが一種の価値としてとらえられているが、フランスにおける国際政治学の 学際性は規範ではなく、むしろ現実である。

「覇権」的地位にある米英の国際政治学の受け入れ方も、フランスと日本で は異なっている。フランスの国際政治学者たちは、一般的に、他国の国際政治 学の動向に関心を示さず、独自の学問的流れを築いていこうとする傾向が強い。

これに対して日本の国際政治学者は、忠実かつ積極的に米英の国際政治学を受 け入れる一方、独自の理論を構築し発信していくことにはあまり関心をもって こなかった。方法論としては定性的研究がほとんどであり、理論面では、アメ リカの既成の理論枠組みを全面的に受け入れつつ、地域研究や歴史に基づいた 実証研究を行うのが一般的である。また、自国の国際政治学研究の在り方につ いての批判的検討が頻繁に行われると同時に、国際共同研究が比較的活発に行 われているのも特徴である。特にアメリカやイギリスで学ぶ研究者の数は多い。

この点、フランスの研究者たちは他地域の研究者と交流する姿勢があまり見ら れない。

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ヨーロッパ諸国でもっとも世界の国際政治学への貢献度が高いのは、おそら くスカンジナビア諸国であろう。独特の統計手法を用いた平和研究やアメリカ の合理主義と一線を画すアプローチによって、スウェーデンやノルウェー、デ ンマークの学者らが独自の学派を形成している。9)北欧の国際政治学は米英の 国際政治学者との対話にも積極的に交わり、研究者間の交流も活発である。こ れに対してフランスの国際政治学に特徴的なのは、国際交流の少なさ、中でも アメリカ主導の学会を遠ざける傾向、自国の国際政治学の在り方についての悲 観的見方、現実を抽象化して一つの学問分野を打ち立てる可能性に対する懐疑、

外交史と国際法の強い影響からくる経験的・叙述的アプローチ、方法論につい ての議論の欠如、である。10)このような特徴を持つフランスの今日の国際政治 学はいつからどのように発展してきたのか?以下、フランスの国際政治学発展 の歴史を概観する。

3.フランスにおける国際政治学史

1 学問分野としての政治学の誕生

フランスにおける政治学という学問分野の成立は、1872年にパリ政治学院の 前身である自由政治科学学院(École libre des sciences politiques)がエミール・

ブトミ(Émile Boutmy)によって設立されたことにさかのぼる。それまでの 政治学は大学の法学部の科目の一環に組み込まれ、公法学習の一部として教え られていた。11)19世紀末には、政治学関連の専門誌がいくつか発刊されるよう になったが、これらは、公法中心か歴史的・経験的叙述に終始したもの、もし くは Questions diplomatiques et coloniales(1897-)のように、時事的な問題を扱う

9) 特にOle Weaver, Ø. Østerud, Iver Neumann G. Sørensen, らが代表的である。

10) Friedrichs, European Approaches, 65-88; Breitenbauch, International Relations in France, 64-73.

11) Breitenbauch, International Relations in France, 52.

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ものが中心であった。12)

1945年に自由政治科学学院が国有化され、再編成されて、「パリ政治学研究 所(Institut d’études politiques de Paris)」と名前が変わり、ENA(École nationale d’administration)の受け入れ校になってからも、政治学は、法学の 補足科目として考えられ、経済学や法学、社会学、歴史学等と同等の重きを置 かれて教えられるにすぎなかった。13)フランスには独特の教員資格制度がある が、政治学の教員資格ができたのは、1972年である。14)それまで政治学の教員 は法律や歴史その他の教員資格(agrégation)で教えていた。政治学が多くの 学問の寄せ集め(pluridisciplinarité)と考えられていたことは、政治学研究機 関が官僚養成学校としての機能を果たしたフランス国家の性格をよく表してい るといえよう。また、政治学研究の最高府になるはずの機関が、アメリカの政 治学大学院のようにアカデミックな研究を行う場所ではなく、公務員養成校と して位置づけられてきたことは、今日のフランスの国際政治学の在り方に大き く影響してきた。19世紀後半に設立された自由政治科学学院が、戦後、官僚養 成校にとってかわられたことによって、フランスにおいて国際政治学を担うの は、必ずしも国際政治の専門家でない歴史学者、哲学者、法学者、ジャーナリ ストとなったのである。15)

12) 例えば、Annales de l’école libre des sciences politiques (1886-), Revue d’histoire diplomatique (1887-), Revue politique et parlementaire (1894-), Revue du droit public et del la science politique en France et a l’étrangèr (1894-), Revue générale de droit international public (1894-)など。

13) Breitenbauch, International Relations in France, 54.

14) Breitenbauch, International Relations in France, 57.

15) 代表的な国際政治学関連の研究所としては、国立政治学財団(Fondation nationale des sciences politiques)の中に1956年に設立されたCERI(Centre d’etudes et des resherches internationales)とIFRI(Institut français des relations internationales)、

IRIS(Institut de relations internationales et stratégiques)が挙げられよう。1945 年に自由政治科学学院が国有化ののち、AFSP(Association française de science politique )が1949年に設立されたが、その中で国際関係論に特化したサブグループ

(Section d’études internationales)ができたのは1996年になってからであった。

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2 第二次大戦後~1950年代にかけて

フランスにおいて国際関係論(Les relations internationales)という学問分 野が初めて認識されるようになったのは1930年代であったが、第二次世界大戦 後に至っても、フランスの国際政治学はしばらくの間、伝統的な外交史と国際 法を中心とするものにとどまり、方法論的・理論的発展は見られなかった。米 英の国際政治学においては、1939年のE・H・カーの『危機の20年』の出版以 来、少なくとも1950年代までは、リアリズム優位の時期が続いたが、戦後のフ ランスでは、国際政治学が独立した学問分野として成り立つか否かについてす ら、長く模索されていたのである。16)理論化への関心の低さを示す例として、

例えば、デュロセルは、国際政治の研究対象は、繰り返し起こる現象ではなく、

特定の時期の特定の事件であると述べている。17)この時期のフランスの学者た ちは、国際法と外交史の伝統の強さに裏付けられた、一過性の事件を深く研究 することによって、フランスの国際政治学が米英のものに対抗できると考えて いたようである。レイモン・アロン(1904-1983)も1950年代の論考の中で、

フランスの学界では国際関係を科学的に考察することに対して懐疑の念が強い ことに触れている。18)しかし、外交史や国際法を中心とするフランスの国際政 治学に理論や方法論を指向する内容がほとんど存在しなかった一方で、地政学、

戦略論、文化人類学、社会学、政治経済学といった隣接の学問分野には、国際 関係理論に示唆する内容が秘められていた。

Breitenbauch, International Relations in France, 56.

16) 例えば、1952年にジャック・ヴェルナンは国際関係は社会学と同じように扱われる べきであると述べている。J. Vernant, “Ver une sociologie des relations internationales,”

Politique étrangère, Vol. 17, No. 4, (décembre, 1952), 229 -232.

17) J.-B. Duroselle, “L’étude des relations internationales. Objet, méthodes, perspectives,” Revue française de science politique, Vol. 2 , No. 4, 1952, 676-701 ; idem, “L’Élaboration de la Politiques Etrangère Française,” Revue française de science politique,Vol.6, No.3, (juillet-septembre, 1956), 508-524. も参照。

18) Raymond Aron, “En quête d’une philosophie de la politique étrangère” Revue française de science politique, Vol. 3 , No. 1, 1953, 69-91.

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この時期のフランスで注目すべき業績のひとつは、1956年のグロセによる「国 際関係論はアメリカ特有の学問か?」と題される論文である。この論文におい て、グロセはフランスの国際政治学において最初ともいえるメタ理論を展開し た。19)国際政治学のアメリカ的色彩の強さを世に問うたスタンレー・ホフマン の有名な1977年の論文「アメリカの社会科学:国際関係論」20)も、ホフマンの 師匠であったグロセが提起した問題から影響を受けていたことがうかがえる。

3 レイモン・アロン――1960年代――

1960年代に入っても、フランスの国際政治学では、叙述的・経験的アプロー チに終始する傾向が続いていたが、次第に社会学として国際関係論を扱う動き が生まれた。この時期に外交史の専門であり、アナール学派(École des Annales)の影響を受けた、ピエール・ルヌヴァンとジャン=バプティスト・デュ ロセルが、1964年出版の国際関係史の共著において、歴史を動かす「根源的な 力(forces profondes)」の概念を用いたことは、画期的であった。21)「根源的な 力」とは、地政学的な条件や人口動態、経済・金融上の利害、国民感情、集団 のメンタリティー等を指している。ルヌヴァンとデュロセルは、これら「根源 的な力」が国際政治場裡における各国の行動を規定すると謳ったのである。22)

フランスの国際政治学者の中で最も大きな貢献をしたと今日でも評されるの は、歴史社会学者であり哲学者でもあるレイモン・アロンである。アロンはす でに1930年代から、フランスにおける国際政治学の在り方や社会科学一般につ

19) Alfred Grosser, “L’étude des relations internationals: spécialité Américaine?”

Revue française de science politique, Vol. 6, No. 3, 1956. 631-651.

20) Stanley Hoffmann, “An American Social Science : IR”, Daedalus, Vol. 106, No. 3, 1977, 41-60.

21) Pierre Renouvin & J-B Duroselle, Introduction à l’histoire relations internationales,

(Armand Colin, 1964).

22) しかし、デュロセルはこのテーマを長くは追求せず、1980年代初めには個別の歴 史的事件の研究こそが国際政治学の研究対象であって、繰り返す現象を研究するこ とではないと明確に述べている。Friedrich, European Approaches, 35.

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いての論考を著していた23)が、とりわけ、1962年に出版され、国際関係論を歴 史社会学として認識する姿勢を明確に打ち出した彼の『国家間の平和と戦争 Paix et guerre entre les nations24)によって、フランスの国際政治学は世界の注目 を浴びることとなった。25)

アロンにとって国際政治とは、ギリシアの都市国家から今日までを含む歴史 上の政治単位(アクター)間の関係からなるものであり、現状維持と現状改革 のバランスの上に生じる結果である。物質的資源と人的資源によって規定され る自律的な政治単位の主要目的は、安全と生存である。アロンは、理論、社会 学、歴史、規範(実践)の4つの側面から国際政治を分析した。理論の側面に おいてアロンが扱っているのは、外交や戦略についての仮説、対外政策の手段 と目標、勢力均衡概念、多極・二極国際システム、同質的(homogeneous)・

異質的(heterogeneous)国際システム等のテーマである。社会学の側面では、

国際政治行動の決定要因、地理・空間的関係、人口、資源、国家と政治体制、

文明、集団における人間性等を扱い、歴史の側面においては、核抑止や国家間 の敵対関係についての理論と社会学を1945年以降の国際システムに関連付けて 統合しようとしている。そして規範論においては、分析枠組みを現代史に応用 して国際政治の処方箋を引き出している。

国際政治学を理論と事件の「仲介役」として位置づけていたアロンは、国際 政治に繰り返し起こるパターンを見出す研究と、そういったパターンの論理で は説明しえない個別の事件そのものを扱う研究の両方を行うべきであると考え 23) 例えば、Raymond Aron, Les sciences sociales en France,(P.Hartmann, 1937); idem,

“En quête d’une philosophie de la politique étrangère” 1953; idem, “Qu’est-ce qu’une théorie des relations internationales ?” Revue française de science politique vol. 17, No. 5(octobre, 1967), 837-861; idem, “Political Science in France,” Contemporary Political Science : A Survey of Methods, Research and Training,(UNESCO, 1950).

24) Raymond Aron, Paix et guerre entre les nations(Calmann-Lévy, 1962, 2004, 8th ed.)

25) 1970年のAPSRで、アロンは世界で6番目に重要な国際政治学者として認知され、

アロンの本は3番目に重要な国際政治学の本とされている。American Political Science Review, Vol. 64.

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ていた。アロンの国際政治思想は、ナイーブなモラリズムを否定し、安全保障 問題に焦点を当て、分析の単位として国家を中心においている点、26)また行動 科学主義を否定し、「慎重さ」を美徳と考えている点において、伝統的リアリ ズムに属している。一方、歴史哲学に基づいて国際政治を考察し、客観的国益 の存在を否定している点で、アロンは他のリアリストらと異なっている。特に モーゲンソーやニーバーらアメリカのリアリストと一線を画しているのは、戦 争の原因を人間の本能や攻撃性にみていない点である。アロンは、人間の本性 の一側面としての攻撃性を否定しておらず、紛争を完全になくすことは不可能 と考えてはいるが、そのことが戦争という形態につながる必然性はない、と述 べている。また、アロンは、パワーを目的そのものとしてはとらえず、政治単 位が平和や名誉といった目標を達成するため、もしくは国際システムの将来に 影響を与えるための手段として考えていた。さらに、国家間の関係は根本的に 対立的であるが、国際政治においては、力関係のみならず、思想や感情、地理 的要因、同盟、政治指導者の目的なども、国家行動に影響すると論じた。つま り、アロンにとって、国家間関係は純粋に野蛮なものではなく、規範や原則も 存在しうるものなのである。同時に、国際秩序は力によって維持されるという 現実を否認する者は、理想主義的幻想にとらわれているとアロンは批判した。

政治指導者の資質についての議論に彼のリアリズムについての考え方が凝縮 されている。

政治家の偉大さは時代のサインを読み取り、世界の歴史がその時点でどの ように動いているかに気づく能力で決まる。慎ましさほど政治家に似合う ものはない。政治家は達成可能な目標のみを追求し、目的を明確に着実に 捉えるべきである。27)

政治指導者の最重要責任が人民の安全にあるとしたアロンは、政治指導者の 26) アロンは、自分自身のことを、国家中心主義のリアリストと呼んでいる。

27) Aron, Paix et guerre, ch.19.

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道徳が市民の道徳とは異なり、行動の結果を考えずに自分の心に従うことは非 道徳的であると指摘している。また、アメリカのリアリストについて、理論と 規範を混同し、国際政治の永続的な特徴と歴史的特徴の厳密な区別をしなかっ たために、自らが批判の対象とした理想主義と同じイデオロギーになってし まった、と批判しながらも、ジョージ・ケナンのリアリズムについては高く評 価し、28)理想主義によって鼓舞されたドイツの歴史家トライチュケの思想との 間に類似性を見出して以下のように述べている。

理想主義的な外交はしばしば熱狂主義に陥り、国家を善と悪、平和愛好国 と好戦国に分ける。理想主義者はパワーポリティクスと袂を分かったと信 じており、パワーポリティクスの罪を強調しすぎる。しかし、すべての悪が 一方的に犯されることはまれであり、もう一方の側に欠陥がないこともまれ である。・・・こういった状況の下でもっともよい行動は慎重さである。慎 重であるとは、特定の状況において具体的なデータに基づいて行動するこ とであり、ある規範に受動的に従属して行動することではない。29)

アロンは、平和を、政治的単位同士の暴力的対立が止められていること、紛 争を、敵対の弁証法であり抑止、説得、転覆を含むものと定義し、3つのタイ プの平和(勢力均衡、覇権、帝国)を提示した。また、多極システムと二極シ ステムの区別30)のほか、同質的国際システムと異質的国際システムの区別につ いて論じたこともよく知られている。1648年のウエストファリア条約からフラ ンス革命までの国際政治に典型的な同質的国際システムにおいては、政治指導 者たちが、同じ政策目標に従うため、システム内で対立が起こってもシステム そのものは存続する。一方、異質的国際システムにおいては、異なる原則に基 28) アロンは、トライチュケが人間と国家の偉業に見合ったパワーポリティクスを論 じたのに対し、ケナンはより大きな悪を避けるためのものとしてパワーポリティク スを解釈したと論じている。

29) Aron, Paix et guerre, ch.19.

30) Aron, Paix et guerre, ch.5.

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づいて国家が組織され、それぞれの国家は対立する価値に訴える。アロンは、

1945年以降の国際システムがこれに当てはまると述べ、同質的国際システムで なくては国際法と秩序に基づく国際社会は達成できないと論じている。31)

4 アロン以後

マルセル・メルル(Marcel Merle)も、アロンと同じく、単なる国家間の 外交関係だけではなく、国際社会全体を把握しようと試みた学者である。メル ルは、行動科学の影響を受けて、システム理論を導入し、国家以外にも、考え られうるすべてのアクター、および多様な国際的イシューを扱おうとした。32)

しかし、メルルは、国際社会の全体像に意識を向けていたものの、多くのフラ ンスの国際政治学者と同じく、国際政治に繰り返し起こるパターンを見出した り、国際政治学を体系化することには関心を持っていなかった。メルルは国際 政治を多様で異質な要素が錯綜するトランズナショナルなものとして描いた が、それらの錯綜の中に見出すべき何らかのルールや規則性が存在するとは考 えなかったのである。33)そのため、彼の国際政治学は、アメリカの研究者の観 点から見れば、包括的だが、説明力に欠けたものとなっている。

その他、アロン以後のフランスの国際政治学の大きな流れに影響を与えたも のがあるとすれば、1970年代の南北問題であろう。フランスがかつての植民地 宗主国であったこともあり、左派の国際政治学者が、政治経済学の立場から、

第三世界の開発問題、先進国と後進国の経済格差問題等を研究する時期がしば らく続いた。そのため、この時期のフランスの国際政治学には、”Tiers- mondism,” “néo-impérialism,” “développement inégal,” “développement du sous-développement”といった用語が多く登場した。しかし、この流行は、世 界の国際政治学界の流れに準じて、時の経過とともにすたれていった。「第3 31) Aron, Paix et guerre, ch.4.

32) Marcel Merle, Sociologie des relations internationales, (Dalloz, 1974, 1988.)

33) Marcel Merle,“Sur la problématique de l’étude des relations internationales en France,” Revue française de science politique , Vol. 33, No. 3, (juin, 1983.)

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世界」そのものがひとくくりにできないくらい多様になったこと、冷戦終結と ソ連の崩壊が示したマルクス主義の失敗がその主な原因である。

南北問題の興隆とほぼ同時期に花開いた構造主義、およびそこから派生した ポスト構造主義、ポストモダニズム等のフランス哲学が多くの影響を世界に与 えたことは遍く知られている。今日の世界の国際政治学者も、フーコー、リオ タール、ボードリヤール、デリダといったフランスの哲学者に啓発され、新し い理論を生み出してきた。しかし、不思議なことにフランスの国際政治学者は 自国の哲学者の影響をあまり受けていない。近年注目されるフランスの国際政 治学者を挙げるとすれば、国際政治学と、比較政治学、歴史社会学を統合する 試みに挑んだバディー、およびバディーとともにグローバリゼーションがもた らす西洋普遍主義や文化、言葉、エスニック・アイデンティティーの強まり、

それがもたらす領土国家の弱体化を論じたスムッツらがいる。34)基本的にはア ロンの国際社会学の枠組みの下に属すバディーやスムッツは、ハンティントン の『文明の衝突』や領土国家の終焉について議論を展開してきた。しかし、彼 らの議論は、1960~1970年代にリアリズムに対抗して生まれた相互依存論や近 年のグローバリゼーション論とさほど違いが感じられない。フランスの国際政 治学が、依然として独立変数を多く取り込み、結果的に一般理論を避けようと する傾向があるのを彼らの国際政治学の中にも再確認できる。 

4.学問的土壌の規定要因

フランスにおいて国際政治学が独立した学問分野として認識される傾向が少 なく、理論化・体系化が進まない理由は何であろうか?まず第一に、歴史を通 して培われた外交関係や国際法研究の蓄積が多いことである。ウエストファリ ア以降、300年にわたって、国際政治の中心であったフランスでは、日々の対 34) Bertrand Badie et Marie-Claude Smouts, Le Retournement du monde, Sociologie

de la scène internaitonale,(Pressses de SciencesPo. 1992); Dario Battistella, “Les relations internationales en France,” Théories des relations internationales,

(SciencesPo, 2012), ch.18. 689-721.

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応に追われる現実としての国際政治の重みが大きかったため、国際政治学を独 立した社会科学の分野として構築する動機づけが少なかった。同じ理由で、方 法論への関心も発達しなかった。特に、産業革命以降、ヨーロッパが世界の中 心となり、帝国主義の時代に植民地宗主国であったフランスは、国際政治の中 心的なプレーヤーとなり、さらに、19世紀から20世紀前半にかけては、二つの 世界大戦を含む激動の歴史の舞台となった。とりわけフランスが隣国ドイツの 脅威を直に受ける立場にあったことは、国際関係についての抽象的な考察を阻 んだ要因であるといえるだろう。35)逆に国土が戦場とならなかったアメリカや、

ヨーロッパ大陸から地理的に離れていたイギリスでは、国際政治の現実から一 歩離れて事態を客観視する余裕があった。そしてさらに、今日では、ヨーロッ パ地域統合のダイナミズムが、国際政治を一層実践的・具体的な方向に向ける 圧力をかけている。長期的な視野で国際政治の動向をとらえたり、その要因を 考察する研究を行う余裕が生まれにくいのは、めまぐるしい日々の国際政治の 現実のためである。

第二の理由としては、社会学や文化人類学等、他の社会科学における蓄積が あまりに大きいことが挙げられよう。例えば、レヴィ=ストロースの文化人類 学、ラカンの心理学、アルチュセールのマルクス主義研究等に代表される構造 主義や、フーコーのポスト構造主義、モースの贈与論、デュルケイムの社会学 など、多くの社会科学分野で、フランスは優れた業績を残してきた。そういっ た偉大な貢献ができる分野と比べると、国際政治はどうみても政策実践の領域 と映るのであろう。また、一般人のレベルでも国際関係に関する知的な交流が 様々なインテリ雑誌で行われていることによって、36)アカデミアにいる人間と 一般人の差が小さいことも、フランスの特色である。これらの理由で、国際関 係はフランス人にとって大学院で学究的に研究する対象として考えられにくい 35) Pierre Favre,“La Constitution d’une science du politique, le déplacement de ses

objets”, and “l’irruption de l’histoire réelle,” Revue française de science politique, Vol.

33, No.2, (avril, 1983).

36) 例えば、サルトルが始めた Les temps modernes、アロンの Commentaireや, Le Débat, Éspritなどの一般教養雑誌(grands revues généralists)が存在する。

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傾向があるのである。

第三の要因は、制度的なものである。第二次世界大戦後のアメリカの知的覇 権の安定が、潤沢な資金力をはじめとして、制度的に支えられてきたことは無 視できない。フランスにおける研究助成のレベルは低く、シアンスポ等、補助 金に恵まれている大学を除いては、大学の設備はつつましい。とりわけ政治学 研究の場合はそうである。学者の研究環境や設備はアメリカや日本と比べて格 段に劣っており、それに対する不満も大きい。37)また、フランスの大学で国際 関係を専門的に学ぶのが、一般的に大学 4 年目からというカリキュラムも影響 している。就職の観点から行くと、フランスの政治学の中で最も有利なのは、

国内政治すなわちフランス政治の専門であり、国際関係論の専門は相対的に不 利である。そのため、学部時代に国際政治学を勉強した学生も、大学院レベル、

博士課程レベルになればなるほど、国内政治を勉強する傾向が強くなる。38)

アメリカの知的覇権を生み出した要因は、まず、戦中・戦後のヨーロッパ移 民の貢献が大きかったことである。アーノルド・ウォルファーズ、ジョン・ハー ツ、ハンス・モーゲンソーらは、二度の大戦という悲惨な経験の舞台となった ヨーロッパ出身の強いアイデンティティーを持ちながら、その現場から離れて 事態を静観できる立場にあった。39)これらの学者の強烈な問題意識と、客観的・

長期的な考察を可能にする、大西洋を隔てた環境の下で、アメリカの国際政治

37) 例えば、フランスの大学の多くにおいて、大学教授が研究室を持たず、図書館や 自宅で研究活動を行っていることはごく一般的である。

38) Breitenbauch, International Relations in France, 60. また、研究機関はパリに集中 し、1990年から1995年に書かれた75の博士論文のうち、半分はパリからであり、4分 の1以上がパリ第一大学とパリ政治学院からである。こういった側面も国全体として の国際政治学の活性化を阻んでいる。フランスの政治学の背景にある制度を概観し たものとして、Pierre Favre,“La Sience Politique en France”(Report presented at the Congres de l’Association française de science politique, Aix-en-Provence, April, 1996) http://www.afsp.msh-paris.fr/observatoire/etudes/favre1996.pdf 39) ナチスの迫害を逃れてアメリカに渡った学者は、必ずしもリアリストばかりでは

ない。カール・ドイッチュやエルンスト・ハースら、リベラルなアプローチをとる 学者も存在する。

 

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学は世界をリードする体裁と内容を携えて確立したのである。また、戦後世界 のGNPの半分の規模をもつ経済力に支えられた研究資金に恵まれたことは、

アメリカの知の覇権に貢献した大きな要因であった。これらの歴史的・制度的 要因に支えられ、国際語としての英語の普及も手伝って、アメリカの国際政治 学は再生産され続けた。そして世界中からアメリカの社会科学を学ぶ研究者が 集まることによって再生産のメカニズムはとどまることがなかったのである。

スタンレー・ホフマンが国際政治学を「アメリカの社会科学」と呼んだ1977年 の論文から40年が経とうとしている今でも、アメリカは依然として世界の国際 政治学ひいては社会科学の諸分野を牽引している。

5.展   望

J・フリードリッヒは、アメリカの知的覇権に対抗するフランスの国際政治 学のあり方を「独立独歩戦略」とよんでいる。40)独特の知の伝統やセンスを持 ちながらも、フランスの国際政治学は実践的なものにとどまり、他分野で行わ れたような抽象化や体系化を行う傾向が見られない。フランスにおいて、国際 政治学は他の学問分野のサブ・フィールドとしてとらえられがちなため、国際 政治学を専門とすることがあまり評価されないのが現実である。

しかし、フランスの国際政治学には二つの大きな強みがある。一つは、数十 年に一度の割ではあるが、既存の枠組みを大きく覆すような思想や理論の転換 を起こす知的伝統を持つ国であることである。今日の国際政治学は、実のとこ ろ、フランスという国が長い知的伝統の中で生み出してきた多くの社会科学の 分野における貢献に負っている。例えば、レヴィ=ストロースやデュルケイム の功績は、国際政治学を自立した政治学の一分野として打ち立てたウォルツが しばしば引用するところである。ウォルツのシステム理論の源は、1970年代に 一世を風靡したフランスの構造主義にある。今日の国際政治学者がフーコーら 40) Friedrichs, European Approaches.また、フリードリヒはフランスの国際政治学研

究・教育のあり方を失敗と評している。

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をはじめとするポスト構造主義を分析の道具として用いるのもごく一般的であ る。

二つ目は、ヨーロッパならではの「知」の連携の可能性である。北欧やドイ ツ、イギリスなど、独自の国際政治学の伝統を持ち、アメリカの知的覇権に対 抗する意識を持っている国々とともに、ヨーロッパ独自の国際政治学を生み出 すと同時に、アメリカ中心の世界の「知」の世界地図を洗い直して世界に提示 できる可能性をフランスは持っている。国際政治学へのフランスの貢献として これまで最も言及されてきたのは、アナール学派の歴史学、アロンの国際歴史 社会学、そして「ポスト」理論であった。1980年代終わりに台頭したコンスト ラクティヴィズムや1990年代以降活発になったポストモダニズムが、アメリカ 的 な 合 理 主 義 に 疑 問 を 投 げ か け、 近 年 の「ヨ ー ロ ッ パ 理 論 へ の 転 向 Europeanization」を促す中で、フランスの国際政治学も大きな方向転換を図 れる可能性を秘めている。European Journal of International Relations や Review of International Studies などのヨーロッパの専門誌は、すでに世界の国際政治学の ディスコースに大きく貢献している主要な雑誌である。

最後に、フランスにおける国際政治学研究の在り方に照らし合わせて日本の 学界の状況を振り返ってみよう。日本の国際政治学研究の在り方を大きく規定 してきたものは二つある。まず第一に明治以来の輸入学問の伝統である。欧米 諸国に追いつき、いち早く近代化を遂げて国際社会の仲間入りを果たすために、

日本は、様々な学問や知識を欧米から学び、それを実践に移してきた。41)初期 の日本の大学で行われた教育が、私立大学を中心とした法学および国立大学を 中心とした工学であったことは、後発国に典型的な実践指向を反映している。

第二の要因は、第二次世界大戦後のイデオロギー的ともいえる平和主義である。

日本の国際政治学研究が社会科学として自立することを阻んできたのは、今日 でも根強く残っている、大学教育におけるこの実践指向と価値・規範指向であ るといえる。日本の国際政治学は、この二つの呪縛を解くべく大きな転換を迫

41) Tomoko Okagaki, The Logic of Conformity: Japan’s Entry into International Society, (University of Toronto Press, 2013).

 

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られている。

知識人として、我々は日々の研究と教育の中で陥りがちな思考の惰性から抜 け出すために、メタ理論に時折足を踏み入れる必要がある。当たり前として受 け入れられている学問分野のディスコースを相対的にみると、どのような風景 が見えてくるであろうか?我々はとかく、ありとあらゆる社会科学分野におい て最先端の研究がなされているアメリカと比較しがちであるが、実はアメリカ の社会科学こそ例外的であり、ヨーロッパや日本における国際政治学の在り方 には、むしろ世界の他の国々と共有できる部分が多い。我々の立ち位置を歴史 的・空間的広がりの中で相対化し、学問分野の前提を洗いなおす作業は、知の 領域に携わる人間に義務付けられている定期的な自己照察の行為なのである。

参照

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