1 は じ め に
1967年 に 東 南 ア ジ ア 諸 国 連 合(ASEAN:Association of South‑East Asian
Nations)
が,タイ,インドネシア,シンガポール,フィリピン,マレーシアの5カ国で始まり,半世紀が経過した。現在の
ASEAN
は10カ国で構成 されるが,1997年のアジア金融危機,2008年のリーマンショックを経て も, 高 い 経 済 成 長 力 を 示 し て い る。2015年 末 に はASEAN
経 済 共 同 体(AEC:ASEAN Economic Community)が創設され,財やサービス,投資等の 分野では,経済自由化・統合が加速している。ASEANの産業構造が高度 化すると,中間層
1)
が拡大し,人口約6億5, 000万人の市場が形成される。
1) 中間層は一般に世帯年間可処分所得が約5 , 000〜3万5 , 000米ドルであり,
富裕層は3万
5 , 000
ドル超とされている(経済産業省[2009
]『通商白書』)。ASEAN
では,経済発展とともに中間層が増加し,2012年のASEAN
主要629 商学論纂(中央大学)第
59
巻第3・4号( 2018
年3月)マレーシアにおける自動車産業政策と流通
──国民車メーカーの存在感を中心に──
石 川 和 男
目 次
1 は じ め に
2 マレーシアの概況
3 マレーシアの自動車産業
4 マレーシア自動車市場
5 お わ り に
ただ
ASEAN
内の経済的格差は大きい。日本の経済発展でいうと,マレー シアとベトナム間では約20年の差があり,しばらくは各国の経済的順位は 変化しないとされる。これまで
ASEAN
の自動車産業は,日系自動車メーカー(日系メーカー)が優位に競争を展開してきた。しかし,マレーシアは,タイやインドネシ アとは異なる自動車産業政策を採っているため,日系メーカーにとっては 若干異質な市場である。本稿では,マレーシアにおける自動車産業の生産 基盤構築・整備,国民車メーカー育成による市場の構図をマクロ的視点か ら考察したい。
2 マレーシアの概況
マレーシアは,
ASEAN
の一国であり,国としての歴史は60年を刻んで いる。マレー民族を中心に複数民族からなる国家であるが,このような構 成が,政治や経済のさまざまな面に影響を与えている。ASEAN
の多くの 国は,驚異的な経済成長から安定成長への移行期にあるが,各国で経済,社会,宗教には特徴がある。また輸出入品目も異なる。マレーシアでは,
早くにマレー系民族優遇政策を実施し,それが社会のさまざまな面に影響 している。ここでは,その政策を中心に経済面を概観する。
⑴ マレーシアの経済概要と政治
マレーシアの国土面積は,約33万
k
㎡であり,現在の人口は約3, 200万
人である。このうちブミプトラ(Bumiputera
:「土地の子」を意味)が68. 6%,
中華系23
. 4%,インド系7 . 0%が占める。人口全体では,30歳未満が53 . 9%
を占め,20歳代の層が厚い
2)
。イスラム教が国教であるが,各民族の信仰 カ国において3億人弱と発表されている(「日本経済新聞」2014 . 2 . 23
)。2) ASEAN
では,インドネシアが人口2億3, 252万人(人口増加率1 . 2%)で,
は自由である。
マレーシアは,1957年にイギリスから独立し,1963年にシンガポール,
サバ,サラワクを加え,マレーシア連邦が成立し,1965年にシンガポール が分離独立した。1971年には新経済政策(
NEP
:New Economic Policy
)を発 表し,マレー系および先住民族優遇策(ブミプトラ政策)を導入した。1981 年には,マハティール(Mahathir bin Mohamad
)が首相に就任し,日本や韓 国をモデルとするLook East Policy
を採用した。ナジブ現首相(Mohammad Najib bin Tun Haji Abdul Razak
)は,2010年3月に新経済モデル(NEM
:New
Economic. Model
)を策定し,2013年9月にブミプトラ支援の経済・社会的地域向上支援策を発表した。
マハティールの首相就任以降,中長期計画およびビジョンにより,
①工業開発の追求による経済水準上での先進国化,②工業化過程でのブ ミプトラ企業・企業家の育成,③経済開発とイスラム価値の融合,④国 際社会でのアイデンティティ確立,⑤独立過程で残されたマレー人国家
ヌグリ(
negeri
:「国家」を意味)要素の払拭と近代国家確立,などに取り組んできた(鳥居[2006]7‑8頁)。そして1991年には,2020年までにあらゆる 面で先進国入りを目指す「ビジョン2020」を発表した。
2016年 の マ レ ー シ ア の 経 済 成 長 率 は,4
. 2
% で あ っ た(Malaysian Investment Development Authority
)。景気は,原油価格,中国経済,外資進出 に影響され,米国の経済や政治なども影響する。産業別GDP
では,製造 業は復調傾向にあるが,農業は厳しい状況である。また国内の新車販売台20
歳未満が35 . 5
%,65
歳以上が6 . 1
%,タイは人口6 , 814
万人(人口増加率0 . 7
%),20歳未満の人口が29
. 4%,65歳以上7 . 7%,ベトナムが人口8 , 903万人
(人口増加率),
20
歳未満人口が35 . 2
%,65
歳以上が6 . 3
%であり,フィリピン が人口9, 362万人(人口増加率1 . 8%),20歳未満人口43 . 9%,65歳以上人口4 . 3
%であり,国によりその人口構成には差がある(Department of Statistics
Malaysia)。
数は,最近5年間はほぼ変化はない(
Malaysian Automotive Association
)。⑵ マレーシアの対外経済関係
マレーシアは独立以降,紆余曲折を経て,経済成長と工業化を進めた。
2015年の1人あたり国民総所得
(GNI
:Gross National Income
)は,1万570 米ドルであり(World Development Indicators
),ASEAN
ではシンガポールに 次ぐ水準となった。1970年代の工業化政策においては,輸入代替工業化か ら輸出志向型工業化へと転換した。アジア諸国では,1970年前後から外資 系製造業の直接投資を誘致し,製品加工・組立を行い,第三国へ輸出する 輸出志向型工業化を目指す国が増加した。マレーシアでは,1971年に自由 貿易区法を制定し,まずペナン州に設置,その後全国へと拡大した。労働 集約的工程を中心に外資を誘致し,電気・電子産業など外資系製造業が急 増した(井出[2016]240‑242頁)。こうしてマレーシアは,1970年代に工業 化への転換期を迎えた。マレーシアの輸出品目は,金額ベースでは上位3品目は電気機械,鉱物 性燃料,一般機械であり,輸出先はシンガポール,中国,アメリカ,日本 である。一方,輸入品目では上位3品目は電気機械,一般機械,鉱物性燃 料であり,輸入国では中国,シンガポール,日本である(
Global Trade
Atlas
)。マレーシアへの投資は,2016年末の投資残高でシンガポール20. 2
%,日本11
. 7%,オランダ8 . 3%,アメリカ8 . 2%,香港7 . 2%となっている
(
Bank Negara Malaysia
)。2016年は香港(140億RM
:リンギ;1≒27円)が最 多であった。また2016年の製造業投資認可額では,中国,オランダ,ドイ ツの順序であり,日本の構成比はわずかである(JETRO
[2017a
])。日本は 投資件数は多いが,1件あたりの投資額が少ないのが特徴である。日本の投資先としてのマレーシアは,「親日的」,「労働者・国民の英語 力」,「少ない自然災害」が評価される。一方,「部品産業の集積」「イスラ
ム諸国・市場へのゲートウェイ」「労働者の質」は評価されていない
(
JACTIM
・JETRO
マレーシア[2017])。他方,部品産業集積の魅力が少なく,この集積が自動車産業全体の力になるかが課題である
3)
。⑶ ブミプトラ政策の影響
マレーシアは,イギリスの植民地政策により,元来マレー半島で生活し ていたマレー系住民とその後移民した中華系住民,インド系住民を分割統 治し,職業や生活空間も棲み分けられた。人口の約7割を占めるマレー系 が政治,中華系が経済活動を主導した。そのため,経済的に貧しいマレー 系と豊かな中華系という社会構造となった。1969年の総選挙後,経済格差 による潜在的不満により,両者間で対立事件が起こり,大規模な民族間対 立となった(1969年5月13日事件)。1971年にラザク(
Abudul Razak Hussein
) 政権によるNEP
では,マレー系の経済力向上を志向し,国営企業や公社 資産の移転,財政・法・教育などの面で,支援・優遇措置を講じた(堀 井・萩原[1988],井出[2016]242頁)。これがブミプトラ政策である。その ため,ブミプトラ優遇策による積極的な工業化政策を展開した。これらが マレー系の所得向上を促し,1969年以降,大規模衝突は起こっていない。マレーシアには14州あるが,マレー系,その他ブミプトラ,中華系,イ ンド系住民の割合は異なっている。全体では2014年時点で,マレー系50
. 3
%,その他のブミプトラ11
. 8%,中華系21 . 8%,インド系6 . 5%,その他0 . 9
%であった。しかし,クランタン州ではマレー系が92
. 5%を占め,逆にサ
バ州は7
. 3%に過ぎない。ペナン州では中華系が41 . 2%を占め,マレー系と
3
) ASEANと一括りにするが,現地に立地する日系企業の課題は異なる。日 系企業のマレーシアにおける課題は,「従業員の賃金上昇」「品質管理の難し さ」である。他に「現地通貨の対ドル為替レートの変動」「従業員の質」「競 合相手の対応」が上位を占めている(JETRO[2017b])。
ほぼ同率である。クアラルンプールでもマレー系40
. 1%,中華系38 . 4%で
ある(
JETRO
[2017a
])。図表1は,住民の所得グループ別家計収入を示しているが,現在もブミプトラと中華系には経済的格差が見てとれる。
1980年代半ば以降,ブミプトラ政策による非マレー系資本や外資規制へ の緩和が始まった。出資比率や雇用現地化の緩和,税制優遇,工業のブミ プトラ化とは矛盾したが,民間資本,外資を誘致し,投資を活発化させよ うとした。他方,後述する国民自動車会社(
Proton
:Perusahaan Otomobil
Nasional
)設立により,マレー系にのみ許可した完成車輸入,自動車産業でのブミプトラの雇用促進,国民車販売・購入時の優遇措置,自動車部品 産業へのブミプトラ参入を促す特別基金による低利融資なども行われた
(榧守[1997]272‑273頁)。したがって,生産部門だけではなく,消費部門 に至るまでブミプトラ政策が実行された。
他方,ブミプトラ政策のマイナス面は,人種差別主義のため,マレー系 以外は不都合が多い。大学入学や公的企業への就職では,マレー系が優遇 され,他民族は留学する。そのため,優秀な人材流出が起きている。マレ ー系についてもブミプトラの恩恵を受けている者と受けていない者が存在 する(デロイトトーマツ[2013]68頁)。そのため,ブミプトラ優遇政策に対 しては,緩和要求があり,現首相もその方向を目指すが,ブミプトラ側の
図表1 マレーシア国民における所得分布
合計 ブミプトラ 中華 インド
所得
グループ
2009 2014 2009 2014 2009 2014 2009 2014
上位20
%中位
40
% 下位40
%9 , 987 3 , 631 1 , 440
14 , 305 5 , 662 2 , 537
8 , 976 3 , 272 1 , 300
12 , 630 5 , 190 2 , 367
12 , 152 4 , 560 1 , 897
17 , 981 7 , 049 3 , 127
9 , 774 3 , 569 1 , 547
14 , 604 5 , 646 2 , 672
(出所) Findings of The Household Income Survey
2014 (Department of Statistics
Malaysia)
反対もあり,状況に大きな変化はない。
⑷ マレーシアにおける雇用と外国資本規制 1) マレーシアにおける雇用
マレーシアでは,2012年に最低賃金令が公布され,翌年に施行された。
原則的に全業種対象であり,最低賃金の見直しが2年ごとに行われてい る。当初,マレー半島では月額900
RM
,時給4. 33 RM
であったが,現在は 月額1, 000 RM
,時給4. 81 RM
となった(Ministry of Hu- man Resources
)。2012 年には,最低定年法も公布され,2013年7月に施行され,定年が55歳から60歳へと延長された。
近 年 の マ レ ー シ ア の 失 業 率 は,3% 台 前 半 で 推 移 し(
Department of Statistics Malaysia [ 2017 ]
),労働需給が逼迫しているため,外国人労働者依 存もある。ただ国内での労働には雇用パスが必要である4)
。外国人労働者 はインドネシア,ネパール,バングラデシュの割合が高い。政府はマレー シア人の雇用確保や治安理由により,外国人労働者を削減するため,認可 審査を厳格化している。外国人労働者は,3年雇用が多く,解雇の際には 同一部門内で働いている外国人労働者がまず対象となる(JETRO
[2017]27‑28頁)
。他方,AEC
発足により,ASEAN
域内では専門性の高い技術を有する熟練労働者(エンジニア,医師,看護師,会計士,建築士など)に限定 し,人の移動が自由化された(下村[2016]64頁)。このように近年では,
労働者の動きについても大きな変化が見られるようになってきてる。
4
) ここでいう駐在員は,マレーシア国内で2年以上,月額5 , 000 RM
以上の 給与で就労契約を交わした者とされる。これらを満たさない製造現場の作業 員,農業,家事手伝いなどの労働者を外国から雇用する場合,就労許可(work permisson)が必要である(JETRO[2017
b])。
2) マレーシアにおける外国資本規制
現在のマレーシアの法人税は24%であり,2016年に10%引き下げられ た。資本金2
, 500万 RM
未満の企業は,50万RM
までの所得には19%であ る。個人所得税は,累進税率が0〜28%であり,26%は10万RM
以上の 課税所得者である。2016年度から60万RM
以上は26%,100万RM
以上は28%となり,富裕層には増税となった。物品税は酒類,タバコ,自動車,
トランプなどは品目で税率が異なる。新税制により,売上税とサービス税 は廃止された(
JETRO
[2017a
]28頁)。したがって減税というよりも課税対 象と税率変更ととらえられよう。マレーシアの製造業,流通・サービス業では,民間企業の外国資本出資 比率は,一部を除き100%外資が認められる。制限されるのは,所轄官庁 の免許や許認可が必要な場合である。ただ例外があり,一部自動車組立は 限定される。流通・サービス業でも,ハイパーマーケット,スーパースト アが70%,投資銀行,イスラム銀行などが70%,国内商業銀行への出資は
30%である。サービス業は最低30%のブミプトラ資本保有が条件である。
最低払込資本金は,製造免許取得会社では株主資本250万
RM
,流通・サ ービス取引では100万RM
である5)
。3 マレーシアの自動車産業
多くの国では,自動車産業の育成は,輸入代替工業化と把握し,重工業
5) 2009年4月にサービス業でのブミプトラ資本規制緩和により,社会福祉サ
ービス,経営コンサルタントなどサービス業27
業種のブミプトラ資本規制が 即時撤廃された。2011年10月にさらに17業種の規制緩和の段階的撤廃を発表 した。一方,完全参入禁止業種は,スーパーマーケット/ミニマーケット(販 売フロア面積が3, 000㎡未満),食料品店/一般販売店,新聞販売店,雑貨品
の販売店,薬局(伝統的なハーブや漢方薬を取り扱う薬局),ガソリンスタン ド,布地屋,レストラン(高級店ではない)である(JETRO[2017a]29頁)。
化の象徴である。そのために自動車産業開始時は,完成車輸入関税を引き 上げるのが一般的である(
Chowdhury [ 2013 ] p. 155)
。これまで開発途上国 での自動車産業には,先進国の自動車資本が関係してきたが(榧守[1997]271‑272頁)
,マレーシアの自動車産業もその例外ではない。一般的に大衆車価格が,1人あたり国民所得の2倍程度あるいは1人あ たり国民所得が3
, 000米ドル以上になると,モータリゼーション期を迎え
るとされる(西村・小林[2016]4頁)。現在,マレーシアの自動車保有は,1 , 000人あたり400台を超えている。マレーシアでは,1960年代に欧州系企
業が,完全現地組立(
CKD
:Complete Knock Down
)で自動車生産を開始し,1970年代に相次いで日系企業が参入し,国民車メーカー誕生直前まで国内
市場の7割以上を占めた。これらは地場企業と合弁し,輸入代替産業とし て保護関税で発展した。主要部品は輸入したが,一部部品は地場メーカー が外資との合弁や提携により,国内生産した(穴沢[2016]145‑146頁)。こ こでは,1980年代に大きな転換時期を迎えたマレーシア自動車産業につい て見ていく。⑴ 国民車プロジェクト 1)
Proton
の成立1980年,マレーシア重化学公社(
HICOM
:Heavy Industries of Malaysia
)は,Look East Policy
や日本の重工業による世界的地位の高まりに刺激され,設立された。その1つが
Proton
であった。国民車プロジェクトは,①自 動車関連技術・技能・ノウハウの習得,向上による自動車産業の合理的発 展および自動車関連産業の育成,発展,裾野拡大,②独自モデルの手頃 な価格での提供,③自動車産業へのブミプトラ参加,が目的であった。同社は,資本金1億5
, 000万 RM
のうちHICOM
が70%,三菱自工と三菱 商事が30%を出資した。背景には1, 000〜2 , 000 cc
の中型乗用車を1社に集中し,同社を中心に乗用車・商用車の組立メーカーを2〜3社に再編する 意図があった。同社は1985年に操業を開始し,1986年の国内シェアは74%
となり,第2国民車メーカー参入まで65%のシェアを保持していた。ただ
1992年の ASEAN
自由貿易地域(AFTA
:ASEAN Free Trade Area
)の成立が,自動車産業には転換点となった。また第2次工業マスタープラン(1996〜
2005年)
では貿易自由化に向け,自動車産業の競争力強化も掲げられた。それらは研究開発能力の強化,人材育成,海外進出などであった(穴沢
[2016]146‑147頁)。1997年には生産台数は約20万台となり,アジア経済危 機では一旦落ちたが,1999年以降は回復し,2002年には危機以前を上回る ようになった。
他方
Proton
は,1990年代後半に三菱自工依存から自主開発に舵を切った。背景には1996年に子会社化した
Lotus
の存在があった。同社は2004年 に三菱自工との提携を解消し,2005年までに三菱連合も株式を売却した。これは三菱からの部品価格やロイヤルティが高過ぎたためとされる(鈴木
[2007])。同社は三菱との提携解消後,
Volkswagen
との提携に乗り出した。それは相手先のエンジンや部品購買により,研究開発コストが削減でき,
相手側にも同社工場の生産車を東南アジア市場に輸出できるメリットがあ ったためである。しかし,株式取得を伴わなかったため,2006年には両社 の提携関係は終了した。その後,同社は,
Peugeot
やGM
,Ford
など新 しい提携先の模索を継続した(デロイトトーマツ[2013]70頁)。そして最近 になるまで,Proton
は提携相手を巡り迷走してきた。
Proton
の主要株主は,国有石油会社Petronas
や政府系持ち株会社など を経て,2012年にDRB-HICOM 6)
となった。2013年にProton
は5カ年計6) HICOM
を前身としてDRB-HICOM
が設立され,1996年に DRB
のHICOM
買収により,DRB-HICOMとなった。輸送機器だけでなく,サービス,都 市開発,インフラ事業を手がける複合企業である。2012年にはProton
グル画を発表し,生産台数50万台,輸出台数15万台などの数値目標も設定した
(
New Straits Times 2013 . 11 . 8)
。他方,三菱自工と協議を行う場面もあった。三菱自工には,開発支援やライセンス契約による資金確保,余剰生産能力 活用での三菱車生産の新規投資抑制,部品共有化によるコストメリットが 見込めた(デロイトトーマツ[2013]173‑174頁)。
再建のために
Proton
は,2014年9月に切り札としてコンパクトカーIris
を投入した。しかし販売は伸びず,月間販売台数は目標の6割に止ま っている。全体シェアは17%にまで低下し,2001年以降では最低となっ た。2015年6月にスズキとの間で主要部品の供給提携を発表した7)
(「日本 経済新聞」2015. 6 . 16)
。他方,親会社であるDRB
は,海外販路開拓を期待 し,インドネシアを標的としている。またDRB
は,2014年6月に Chrysler
との間でJeep
の輸入販売契約を結び,外国車輸入販売などを拡大してい る。販売代理契約を結ぶTata Motors
製自動車の取扱いも増やそうとして いる(「日経産業新聞」2015. 2 . 4)
。これらDRB
の行動は,Proton
の経営不 振から発するが,他のASEAN
と同様,日系メーカーがほぼ市場を占有し,Proton
が入り込める余地は少ない。不振を極めた
Proton
であったが,2017年6月に転機を迎えた。中国の 吉利汽車の親会社浙江吉利控股集団とDRB-HICOM
が,Proton
と子会社Lotus
の株式売買に合意した。これにより吉利は,Proton
の49. 9%の株式
ープの持株会社を買収し,Protonの経営にも乗り出した(穴沢[
2016
]157
頁)。7
)2016
年からは小型3列シート車Ertiga
を対象に開始する。KD方式でエン ジンや車体など車の主要部品を供給,2016年夏にクアラルンプール北西部のProton
工場で生産を開始するとした。スズキはこれまで小型車Swift
の部品をタイ工場から輸出し,現地企業に生産委託し,マレーシアで年間約4
, 000
台を販売していた。ただ地場メーカーやトヨタが強く,シェアは1%未満で あった(「日本経済新聞」2015. 6 . 16)。
を取得した(「日本経済新聞」2017
. 6 . 24)
。
Proton
の工場には,年間約35万台の生産能力があるが,販売台数は10万台以下である。吉利は,余剰設備の活用によって
Volvo
車や吉利のSUV
博越(
BOYUE
)の組立方針を示した。博越は,吉利がVolvo
車製造で培った技術を吉利ブランドに注入した排気量1
, 800〜2 , 000 cc
の乗用車である。こ の中国での販売価格は,最安モデルで10万元と日米欧ブランド車の約半額 である(「日本経済新聞」2017 . 6 . 24)
。こうしてProton
は,中国メーカーの傘 下に入ることで,新たな歩みを開始したが,やはり顧客に支持される製品 を製造し,安定的に顧客に提供するという根幹の部分はまだ明確ではない ようだ。2)
Perodua
の設立と成長「中長期工業マスタープラン1986〜1995」では,第2国民車プロジェク トが示唆された。1993年に
Perodua Manufacturing Sdn. Bhd.
が設立され,小型車中心に生産を開始した(西村・小林[2016]16頁)。同社の参入で
Proton
との寡占状態となった。その後も国民車メーカーが増え,1993年に商用車の
Inokom
,1994年にトラックのMTB
,2003年に乗用車のNAZA
図表 2 吉利のProton
出資の仕組みマレーシア政府
現金・設備計4.6億
RM
吉 利研究開発支援
Proton
自動車以外の資産を譲渡
DRB─HICOM
株式49.9%ロータス株51%も 1億ポンドで取得
ローン返済
株式50.1%を継続保有
銀 行 (出所) 「日本経済新聞」2017. 6. 24
が指定された(穴沢[2016]145‑165頁)。
Proton
は1, 300 cc
超の乗用車を生 産していたが,Perodua
はそれ以下のクラスを生産した。同社は発足時,地場の
UMW
,MBM
,PNB
が各々38%,20%,10%,ダイハツ20%,三 井物産7%も出資した。2001年にはPerodua 49%,ダイハツ41%,三井物
産10%の出資で製造子会社も設立した(穴沢[2016]156頁)。
Perodua
は,1994年の生産開始以降,1997年まで市場シェアが急速に拡 大し,アジア経済危機により,販売台数は減少したが,2003年まで20%台 後半で推移した。2004〜2005年にはASEAN
域内の関税撤廃により,シェ アは約25%に落ちたが,2006年以降はProton
を抜き,30%前後のシェア を維持し,Myvi
,Viva
などの人気モデルも有している(穴沢[2016]156頁,西村・小林[2016]17頁)。
また
Perodua
は,インドネシアへもDaihatsu Sirion
として輸出してい る。2014年発売の新型車Axia
は,政府が主導するエコカー政策であるエ ネルギー効率車(EEV
:Energy Efficient Vehicle
)適合車である。これは同社 がインドネシアで販売するDaihatsu Ayla
をベースとしてマレーシア向け に仕様を変更し,生産・販売を開始した(ダイハツプレスインフォメーショ ン 2014. 9 . 16)
。同社は競争力強化のため,生産,製品,R&D
・調達,顧客 満足の改革を2011年から開始した(New Star Times 2014 . 10 . 28)
。Axia
の受 注は好調であり,Myvi
に続く主力車として期待されている。Perodua
の 販売会社は約150社である(穴沢[2016]156‑157頁)。ただ各販売会社の各 店舗は,日系メーカーの店舗規模と比べると小さく,外観においても異な った面がある。そこは販売車を1〜2台程度展示し,顧客との商談の場所 に過ぎない店舗が大半である。日系メーカーの販売店ではサービス工場を 併置し,展示車の台数も多い。マレーシアでは,2015年の日系など外資系メーカーの販売比率は53
. 3%
であった。外資系メーカーは
Perodua
,Proton
に続き,近年までトヨタが第3位であった。販売台数は10
. 4万台,国内シェアは15 . 3%を占める。
それにホンダ,日産が続いている(西村・小林[2016]16‑17頁)。したがっ て国民車メーカーが上位にはなっているものの,日系メーカーの順位が高 いのは,他の
ASEAN
諸国と同様の現象も見られる。⑵ マレーシアにおける自動車産業の発展
ベトナムにおいて自動車メーカー設立の動きがあるものの,マレーシア は現時点では,
ASEAN
で唯一自国の自動車メーカーを有する国である。マレーシアの自動車産業には,いくつかの発展段階があるが,1926年に米 国
Ford
の子会社が設立され,1930年から組立を開始した(周[2004]113 頁)。ただ第二次世界大戦後の継続的発展として,時期区分をすると1950 年代以降を第1段階とするのが適当であろう。周[2004]は,1950年代半ばからのマレーシア自動車産業の発展を3段 階に区分している。第1段階(1957〜1967年)は,完成車輸入中心の時期 である。この時期は補修用部品製造,輸入車整備・修理が中心であり,
1965年には Cycle & Carriage Limited
(CCL
)(シンガポール)の100%出資子 会社が設立され,Mercedes-Benz
の組立が承継された。1967年にはCKD
用部品輸入は免税となり,日米欧6社が組立を開始した。同年,Borneo Motors
の 経 営 を 継 承 し た イ ギ リ ス 系Inchcape
の100% 子 会 社 と し て,Assembly Services Sdn. Bhd
も設立された(その後トヨタ系の組立企業になっ た)。そしてOriental Assemblers Sdn. Bhd
(UMW
:ホンダ系),Tan Chong Motor Assemblies Sdn. Bhd.
(日産系)の中華系3社,特にトヨタ系と日産 系はProton
創業まで独占的地位を有していた。第2段階(1967〜1980年代前半)は,多数の組立企業が乱立し,多くのモ デルが生産された。12社が日米欧60メーカー90車種,10万台弱を生産し た。他方,政府は1968年に投資奨励法により,自動車部品産業を国産化優
先業種に指定し,翌年から完成車輸入を禁止した。そして1976年にタイ ヤ,バッテリーなど29品目の国内調達を義務づける指定品目方式を採用し た。また1980年に
HICOM
を設立し,傘下に工業団地開発,製鉄,硬質レ ンガ,セメント,自動二輪車用エンジン製造,乗用車の組立生産・販売を 行う企業を配置した。そして1981年にはProton
プロジェクトが始動した(
Chowdhury [ 2013 ] pp. 156‑157)
。第3段階(1980年代後半〜1990年代後半)は,
Proton
プロジェクトにより,中心的な小型乗用車市場は,ブミプトラが支配するようになった。そこで 日本企業からの全面的協力を仰いだ(榧守[1997]274頁)。1993年は第2国 民車構想により,ダイハツと現地資本との合弁で
Perodua
が設立された。そして,軽自動車
Kancil
を製造し,国民車トラックの生産プロジェクト も開始した(周[2004]115頁)。周[2004]が示したのは,2000年頃までであり,2000年に国民車は8割 以上のシェアを誇ったが,2008年には約6割となり,2015年には4割半ば となった状況は含まれていない。他方,デロイトトーマツ[2013]は,
1980年以降を3区分している。したがって周[2004]の第3段階を3区分
したものといえる。ここでは第1期(1980年代〜Proton
創設期)は,1982年 に重工業化政策の1つとしてのProton
設立,創業期である。第2期(1990 年代〜2000年代半ば─国民車政策の確立と国民車保護時期)は,政府がさまざま な政策を打ち出し,関税では外資系メーカーが輸入するCKD
部品には40%の関税がかけられ,他方
Proton
は免除された。第3期(2000年代半ば〜現在──国民車メーカーの競争力強化時期)は,国民車政策により外資の自動 車産業参入を規制した。また
AFTA
交渉では,マレーシアには国民車メ ーカーが負担となった。貿易障壁が取り除かれ,価格優位性がなくなる と,一般メーカーとの競争による国民車の優位性喪失が指摘されたが,ブ ミプトラの雇用効果が大きいため,国民車メーカーは潰せない状況となり,海外のメーカーとの提携を模索しなければならなくなった。
これら2つの時期区分から見えてくるものは,政策によって生産状況が 大きく変化することである。国民車政策以前は,日系メーカーの存在感が 大きかったが,国民車により,その状況は一変した。しかし,国民車メー カーには,研究開発力などが備わっているわけでもなく,背後では日系メ ーカーを中心とした外資系メーカーの支援が必要であった。それは現在も 変化がないといえよう。
⑶ マレーシア自動車産業の特徴 1) 国民車メーカーのシェア
マレーシアでは,1980年以降の30余年で乗用車生産台数は,10万台弱か ら50万台を超えるようになった。商用車は乗用車に比べるとわずかであ り,ピークの2005年でも約14万台である。マレーシアの自動車生産は,乗 用車が圧倒的なシェアを有している点が,他の
ASEAN
諸国とは異なる。Proton
参入以前,日系メーカーは圧倒的シェアを有していたが,参入後,その構図は変化した。しかし,1994年の
Perodua
参入で再び変化した。Proton
は,2002年まで約50%のシェアを有していたが,2003年以降,急 速にシェアを落とし,2006年には30%を割り,2015年には17%になった。一方,
Perodua
は,1998年以降20%台後半の市場シェアを維持し,2006年 以降は30%前後で推移し,シェア1位となった。2003年以降,国民車メー カー以外ではトヨタ,ホンダなど日系メーカーのシェアが上昇している(穴沢[2016]148‑149頁)。日産も体勢を立て直し,マレーシア市場に再挑 戦している。
2) マレーシア自動車産業の特徴
マレーシアの自動車産業では,先に触れたように生産,販売ともに乗用 車が圧倒的に多い。近年は多目的車(
MPV
:Multi Purpose Vechile
)の販売が増加しているが,多くは国内生産ではなく,
ASEAN
域内からの輸入で ある。乗用車,商用車の輸出は少なく,乗用車はわずかに増加傾向にあ る。一方,自動車部品は輸出の7割以上を占めている。ASEAN
域内での 輸出は,タイ,インドネシアへ部品輸出があるが,これらは主に日系企業 による域内の分業体制を反映したものである(加茂[2006])。輸入では,2005年から2010年にかけて乗用車輸入が急増した。輸入総額の割合では,
乗用車が最多であり,2000年には6割を越えたが,その後は5割以下とな った。部品輸入は2000年から2005年にかけて急増したが,その後,増加率 は低下し,輸入に占める割合も2013年には36
. 6%となっている
(穴沢[2016]152‑153頁)
。このように乗用車,商用車,部品では,ピーク時がそれぞれ異なっている。これも政策により変化するマレーシアの自動車産業を表す 側面であろう。
マレーシアは,日本との貿易額が一番多く,乗用車,商用車,自動車部 品いずれもマレーシアの輸入超過である。特に乗用車の輸入額は大きく,
日本車が約4割を占めている。ここには経済連携協定(
EPA
:Economic
Partnership Agreement
)による貿易自由化の影響がある。2番目に貿易額が多いタイも,全品目でマレーシアの輸入超過状況にある。タイは,商用 車,部品の対マレーシア輸出額では日本を上回っている。タイは日系自動 車産業の集積が進み,
AFTA
により,タイの日系企業からマレーシアへの 輸出が多い。日本とタイの2国でマレーシアの自動車関連輸入額の約6割になる。
ASEAN
域内ではインドネシアがタイに続いており,マレーシアからインドネシアへは部品輸出が多く,第1の輸出相手国である。また韓 国と中国の貿易額が比較的多い。韓国とは,乗用車輸入の占める割合が高 く,中国とは部品輸入が多い(穴沢[2016]153‑154頁)。今後も貿易の各局 面におけるこのような傾向は,当分の間継続すると考えられる。
国民車政策やブミプトラ政策は,さまざまな面で成果を上げたが,マレ
ーシアの自動車産業の競争力低下にもつながった。外資系メーカーは,マ レーシアでの現地生産が排気量で規制され,海外部品メーカーは非ブミプ トラ企業として冷遇された。マレーシアは外資の投資が少なく,競争が活 性化せず,規制に守られた地場系メーカーは品質面で輸出競争力が伸張し ていない。しかし,マレーシアの自動車産業は,自由化により,国民車メ ーカーを中心に輸入車との競争に晒されている。これにより国民車の地位 が低下し,地場サプライヤーなどの沈下可能性も指摘されている。これま でブミプトラ企業が優先され,外資参入による競争原理が働かなかったた め,完成車・自動車部品は品質レベルが低いままである(デロイトトーマツ
[2013]75‑79頁)。政府は国民車メーカーへの支援を続け,輸出強化による 産業政策を模索している,これまでの政策が影響し,なかなか展望が開け ないままである。
4 マレーシア自動車市場
マレーシアの自動車市場は,他の
ASEAN
諸国と比較すると,早くから 成長した。また,現在の自動車普及率は他国を圧倒している。生産面で は,国民車メーカーを育成してきたことが,現在の市場にも大きな影響を 与えているが,流通面でも他国とは異なる特徴がある。また輸出入に関し ては,国民車メーカーを保護する立場から,国内市場政策についてもさま ざまな対応がされてきた。他方,自動車という耐久消費財の普及には,顧 客が購買しやすい制度的な枠組みが整備されなければならない。そこで販 売金融とそれを支える信用情報機関についても取り上げる。⑴ マレーシアの自動車市場
ASEAN
自動車市場は,設立時の5カ国と1990年代に加盟したミャンマー,ラオス,カンボジアでは,その規模も開放度も異なっている。また
1984年加盟のブルネイは,2015年の販売台数は約1 . 4万台に過ぎない
(下村[2016]65頁)。
ASEAN
市場でのシェアは日本車が小型車中心に約8割を占 めるが,高級車はDaimler
とBMW
が優位に立っている。マレーシアは,自動車普及率の高さが特徴的である。車両登録台数は
2010年に1 , 000万台を超えた
(FOURIN [ 2011 ]
)。これは国民車政策により入 手しやすくなったためであるが,1人あたりGDP
の水準では世界的に見 ても保有台数が多い。多くの国では,1人あたりGDP
がマレーシアの現 在の水準までは,GDP
と新車販売台数には強い相関関係があるとされる。しかし,1人あたり
GDP
が2万米ドル水準になると,その相関関係が急 激に低下することも確認されている。それは現在のマレーシアの経済水準 になると,モータリゼーションによる新車販売市場の拡大が一旦完了する 経験則のためである(デロイトトーマツ[2013]77‑78頁)。したがって,今 後,マレーシアでは同様の現象が見られる可能性が高い。他方,マレーシアの新車販売台数は,
ASEAN
では長く1位であったが,2003年にタイ,2008年にインドネシアに抜かれた。1990年代は,アジア通
貨危機までは経済成長に支えられ,年率平均15%で新車販売が拡大した。通貨危機で一時落ち込んだが,2002年には通貨危機以前の水準になり,
2005年には新車販売台数が50万台を超えた。リーマンショック後の2009年
でも新車販売台数は前年比2%減に止まった(デロイトトーマツ[2013]71‑72頁)
,最近は伸張率が緩やかになり,最近の数年は約65万台である。マレーシアでは,政府主導で自動車産業を育成し,国産ブランドが生ま れた。2015年にマレーシアでは,
Perodua 21 . 3万台, Proton 10 . 2万台が販
売された。マレーシア自動車協会(MAA
)は,2020年の自動車販売の市場 規模を71. 7万台と予測している。政府は国民車メーカーを保護してきたが,
2020年に向けて保護政策も徐々に廃止しようとしている
(下村[2016]66‑67頁)
。こうして21世紀になると,マレーシアの自動車産業は,国内だけではなく,海外に目を向ける必要性に迫られた。これは同時にグローバ ル競争に巻き込まれることを意味している。
⑵ 自動車流通の特徴 1) 国民車の販売
マレーシアでは,国民車の新車販売台数は2002年から横ばいとなり,こ の間の新車販売台数の増加は,日系を含めた外国車販売によるものであ る。日系メーカーのシェアは,1999年に15%であったが,2011年には33%
になった。これまでマレーシアでは外国車には高い関税あるいは物品税が かけられ,価格面では不利であった。
ASEAN
では外国車価格は,総じて 高く設定されるが,マレーシアも同様である。たとえば,日系メーカー車 は日本での販売価格の約1. 5倍にもなる。完成車
(CBU
:Complete Build Up
) 価格は高く,排気量によっては300%の関税もある。さらに政府は関税だ けでなく,新車買い換え時に国民車には補助金を支給し,国民車購入のイ ンセンティブを与えてきた(デロイトトーマツ[2013]72‑74頁)。他方,消費者の購買力が増し,外国車販売が伸張している。マレー系民 族は,特定ブランドへのこだわりが少なく,コストパフォーマンスを重視 するとされる。これまで国民車の低価格は国民の嗜好に合致していたが,
所得が増加しているため,特に日本車へ需要が移行している。小型車の選 好は手頃な価格のためであり,最安車種は約2
. 5万 RM
(約63万円)で購入 可能である(FOURIN [ 2011 ]
)。新車購入者は,自動車ローンを長期間組む こともできる。近年はローン金利も下落傾向にあり,低所得者層の自動車 購入も可能になった。一方,国民車政策は,富裕層の複数台所有も促進し てきた(デロイトトーマツ[2013]74‑75頁)。こうしてセカンドカー需要も 一部では期待されるようになった。2) 有力ディーラーの動向
タンチョンモーター(
Tan Chong Motor
)は,1950年代からマレーシアで 自動車流通を手がけ,日産車やRenault
車を販売してきた。また,年間生 産能力が計10万台の組立工場を国内に2カ所有している(「日本経済新聞」2017 . 3 . 17)
。同社は,1957年に日産・ダットサン車の販売業者として創業 し,1974年にはクアラルンプール証券取引所に上場した。1976年に日産,1977年には日産ディーゼルの CKD
生産を開始し,1994年には日産のバンタイプ車の輸出を手がけ,ルノーの日産提携後にはルノーの
CKD
生産も 開始した。マレーシア市場では,Proton
設立まで独占的地位を有してい たが,設立後はシェアが低下した。2013年のシェアは約7%あったが,日 産,UD
トラックス(旧日産ディーゼル)車の他,2012年12月からはスバル,2014年1月には三菱の SUV
車のCKD
生産を国内で開始した。同時にスバル車の
ASEAN
販売統括会社Motor Image
を保有し,ASEAN
での多国 籍自動車販売会社となっている(Tan Chong Motor [ 2014 ]
,西村・小林[2016]43‑44頁)
。このように同社は,販売会社からスタートし,自動車メーカーへと飛躍したが,このような企業に対しても国民車政策が大きな影響を与 え続けてきたことが,同社の行動から理解できる。
⑶ 国家自動車産業政策(NAP:National Automotive Policy)
1) 自動車関税の段階的引き下げ
マレーシアは,
ASEAN
域内の貿易自由化に対し,グローバル化対応の 姿勢を堅持している。自動車産業でも保護政策を見直し,2002年には自動 車部品の現地調達義務(国産化規制)の一部解除,2004年には30品目の現 地調達を義務づける「強制的削減プログラム」を廃止し,国産化規制の実 質的撤廃に踏み切った。2004年の日本とマレーシア間でのEPA
交渉を契 機として,自動車保護政策を緩和した。同年にはAFTA
の下,一時的に 保留していた自動車関税218品目を適用品目に移行して関税率を下げ,2005年から CEPT
(共通効果特恵関税)の自動車輸入関税を20%に下げた(機械振興協会[2008])。2006年には
NAP
を策定し,自動車産業の国際競争 力強化の姿勢を打ち出した(小野沢[2008]42頁)。2006年の日本とマレー シアのEPA
締結が,さらに自由化を促進した。日マEPA
により,自動車 関連の関税は段階的に下げ,2015年には全関税が撤廃された(穴沢[2016]146‑147頁)
。こうしてマレーシアでは,2000年代に自動車産業政策は保護から自由化へと舵を切ることになった。ただ,関税の引き下げを相殺する ため現地調達を増やすほど有利になる物品税も課した(小林・大森[2014]
45頁)
。これは輸入車よりも国産車を価格面で有利にするため,実質的な 関税として機能した。したがって完全自由化ではなく,関税と物品税の引 き下げは乗用車価格の引き下げとなり,2007年以降は,販売回復の契機と なった(小野沢[2008]46頁)。2) 国家自動車産業政策の展開
国民車の課題は,技術・品質面での競争力向上であるが,自由化を見据 えた競争力強化のため,段階的な外資参入への規制緩和を発表した。2010 年発効の
NAP
では,100%外資による排気量1, 800 cc
以上,価格15万RM
以上の自動車製造が新たに認められた。しかし,貿易実態から,政府が想 定する競争力強化は,国内市場が小さく,国民車メーカーとブミプトラ企 業の育成を継続し,地場企業はASEAN
域内の貿易自由化やグローバル化 から遅れたために難しい。他方,Perodua
は,完成車や部品輸出を拡大し,一部の地場部品メーカーも海外進出により,経済統合や貿易自由化に対応 し始めている(穴沢[2016]163‑164頁)。
2014年1月, マ レ ー シ ア 通 産 省 と マ レ ー シ ア 自 動 車 研 究 所(
MAI
:Malaysia Automotive Institute
)は,NAP
見直しを公表した。①2020年までに
自動車生産135万台(うち乗用車125万台),輸出用を25万台,100億RM
の自 動車部品輸出の達成,②ASEAN
での省エネルギー自動車(EEV
)の生産拠点化,③自動車販売価格の引き下げ(自動車産業の自由化や競争で,5年 間で段階的に自動車価格を20〜30%引き下げ),④
2020年末に自動車輸入時に
必要な完成車輸入許可証(AP
:Approved Permis
)を中古車輸入に関係する メーカーや輸入元を限定しない「オープンAP
」を2015年末に撤廃する方 針の維持を示した(りそな銀行[2014])。ただNAP 2014でも,ブミプトラ
保護と国民車支援が表明された。ブミプトラ企業に対し,技術,人的資 源,サプライチェーン開発のため,2014年から2020年に7, 500万 RM
の補 助を計画した。雇用は,2020年までに製造現場での外国人労働者の8割を ブミプトラに置き換える目標値が出された。ブミプトラ系の部品メーカー は二極化が進み,中小企業の底上げが急務であり,ブミプトラ政策の維持 と国際競争力強化の双方を同時に実現しようとしている(穴沢[2016]160‑161頁)
。近年の自動車産業の競争力強化では,新たに
EEV
や環境配慮,価格に 言及している。EEV
にはハイブリッド車,電気自動車だけでなく,ガソ リン,ディーゼル車など既存のエンジンの効率化も含まれる。これに関連して,
NAP Review
で導入されたハイブリッド車,電気自動車へのインセンティブ(物品税,関税免除)は2017年末まで延長された(穴沢[2016]159‑
160頁)
。こうして現在のマレーシアの自動車産業政策も自由化を徐々に推進していく方向である。自動車部品は,完成車よりも自由化が進み,部品 メーカーの対応も同様となるだろう。したがって部品メーカーも独自に海 外メーカーとの取引を志向していく必要がある。
⑷ 自動車販売金融
1) マレーシアでの販売金融
マレーシアでは,中間層の増加により,個人向け金融が急成長してい る。一方,中央銀行は,クレジットカードの保有規制強化や住宅ローンな
どの借入期間上限短縮など,家計債務膨張を抑制する方針を採っている
(大嶋[2014]46頁)。これにはある種,金融政策による消費者保護の側面が ある。
多くの銀行では,個品ローンは無利息の分割払いサービスをしている。
商品価格により,支払期間は異なる。個品ローン市場は,生活用品から自 動車,旅行などのサービス分野まで幅広い。市場では外資よりも地場事業 者の方が,多様なサービスを提供している。自動車ローンを手がける事業 者には,
Ambank Malaysia Berhad
,EON Bank Berhad Hong Leong Bank Berhad
,Malayan Banking Berhad
などがある。日系では,二輪車の個品 割賦販売を手がけるAEON Credit Service Malaysia Berhad
,イスラム金 融方式による自動車割賦販売を手がけるToyota Capital Malaysia Sdn. Bhd
がある。マレーシアでは外資系企業の金融部門参入には,最低51%の現地 資本導入の必要があり,完全外資企業の設立は認められていない(JETRO
[2011]79‑82頁)。このように金融部門での自由化は,他分野ほど進んでい ないことがわかる。
自動車の個品ローンは,富裕層の利用割合が高く,約9割が利用してい る。アッパーミドル層,ロワーミドル層も6〜7割が利用している。返済 期間は,24カ月以上が多く,ロワーミドル層は他の所得層よりも返済期間
が長い(
JETRO
[2011]95‑96頁)。個人金融分野では,イスラム金融の急速な発展がある(大嶋[2014]46‑47頁)。イスラム金融はイスラム法に則った 金融取引である。金利概念を用いず,取引相手等の当事者が教義に反する 事業(豚肉・アルコール・武器・ギャンブル等)に関わらないことが条件であ る。イスラム金融では,1983年に最初のイスラム銀行が設立された。イス ラム金融で個人向けに提供される商品には,定期預金,現金自動預払機サ ービス,インターネットバンキング,クレジットカード・サービスなどが あり,通常の商業銀行と大差なく,預金金利も同水準である。イスラム金