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︱ ルソー ﹃ エミール ﹄ のストア 主義 を 巡 る 一視座︱︵ 三
1︶ 馬 場 朗
第五節﹃エミール﹄第四篇後半以後の﹁男性の趣味・女性の趣味﹂の交錯における﹁些細なことで自己を知る術﹂
これ迄の検討で確認した様に︑ルソーの反ストア主義はストア主義の単純な否定ではなく︑むしろストア主義を自らの内部に引き受けた上でのそれからの意図的な離反と考えるべきだろう︒換言すれば︑彼の反ストア主義はストア主義の﹁自律的な強い主体﹂が内在的に生み出したある種逆説的なものでもある︒﹃エミール﹄の目標は︑社会の﹁臆見︵
op inio n
︶﹂に徒らに左右されぬ自律・自己充足的な﹁社会状態に生きる自然人﹂︵IV , 483
︶を育成することで あり︑その意味でストア的主体との連続性は当然浮上する︒しかし︑既に先節で指摘した様に︑ストアの理想とする主知的賢人とは逆に︑﹁死に対する嫌悪﹂という﹁原初的単純さ﹂︵IV , 467
︶を決してルソーは蔑ろにしなかった︒かかる﹁原初的単純さ﹂の尊重こそ︑ルソー的倫理における﹁自己愛﹂︑そしてこれと不可分な﹁憐れみ﹂概念の反ストア的性格の骨格を形成するのである︒この点で︑アウグスティヌス的な過剰なまでの宗教的自己否定に対して遺作﹃孤独な散歩者の夢想﹄で表明される違和感は示唆的である︒﹁私は神の意志によるならばたとえ地獄に落ちても慰められたかもしれぬ聖アウグスティヌスのようにはなれない︒実のところ﹇神が認めたかの様なお歴々︵
les m es sei -
eur s
︶による迫害の完璧なまでの陰謀への﹈私の諦念とは︑﹇アウグスティヌス﹈より私心がないわけではない源︑純粋さで劣ることがなく︑私が崇める完全な存在﹇神﹈により相応しいそれ﹇源﹈の帰結である﹂︵I, 1010
︶︒ルソー的な神の秩序︵もしくは神の与えた﹁運命﹂︶の肯定は︑単なる盲目的で隷属的な受動性としての﹁人の弱さ﹂に基づくものではない︒先節最後に指摘した︑ルソー﹁憐れみ﹂論とその倫理のアウグスティヌス主義)2
(からの最終的離反
の理由の一つはここにある︒しかし︑同時に興味深いのは︑﹁﹇アウグスティヌス﹈より私心がないわけではない源︵
un e s our ce m oin s désin tér es sée
︶﹂︑﹁劣ることなく純粋で︑私が崇める完全な存在により相応しい﹇源﹈︵no n m oin s pur e et p lus dig ne à m on g ré de l Êtr e p arfa it q ue j ado re
︶﹂という表現である︒研究者マイヤーの言う様に)3 (この﹁源﹂がルソー倫理論の基軸﹁自己愛﹂だからであり︑先節で指摘した様にこの﹁自己愛﹂こそストア派でも︵更にこの文脈で直接に言及されるアウグスティヌスでさえ︶一定の重要性を演じるからである︒成る程この文脈では現世の不幸の忍従をルソーに可能にする︵来世の幸福による︶神的保証︵﹁彼は私が苦しむことを望むが︑私が無実であるのを知っている︒﹂︵
I, 1010
︶︶が前提とされるが︑﹁自己の幸福﹂を渇望する﹁自己愛﹂という生の現実性の肯定︵﹁より私心がないわけではない︵m oin s désin tér es sé
︶﹂︶が示される︒つまり︑ストア派も︵そしてアウグスティヌスも︶﹁自己愛﹂を蔑ろにはしないものの︑︵たとえ来世の幸福への期待に基づくにせよ︶ルソーにとっての過酷な運命を生き延びる﹁源﹂として﹁自己愛﹂を更に徹底化させる方向性である︒まさに﹃エミール﹄の実質的核心部たる第四・五篇において︑それまでの三篇以上にアウグスティヌス主義のみならずストア主義にも還元されぬ︑﹁自己愛﹂の前提とする現実性を決して蔑ろにせぬその倫理論の独自な立場を鮮明にして行く︒第四篇で思春期に入ったエミール︑第四篇後半でその名が言及され第五篇で登場する将来の伴侶ソフィーが織りなす世界が前提とされるからである︒そこでは︑﹁愛の身体的・精神的なもの﹂の交錯が実質的な中心話題となる限りで︑ストア派が軽蔑を隠さぬ﹁女性的なもの﹂が肯定的契機として必然的に前景化せざる得ない
)4
(︒この﹁愛﹂の﹁身体的なもの﹂と﹁精神的なもの﹂の交錯世界においてこそ︑﹃エミール﹄の美学的言説︑即ち﹁美的なもの﹂と不可分な﹁趣味論﹂が展開されることになる︒後に改めて強調することになるが︑ルソーの生きた時代にあって﹁良き趣味﹂とはまさに男女の恋愛を軸に構築される﹁社交﹂において︑異性を魅惑し円滑な交際を可能に
するものに他ならなかった︒思春期に入り︑﹁憐れみ﹂・﹁友愛﹂・﹁敬意﹂・﹁︵神的︶秩序の愛﹂を巡る教育を段階的に施された後︑第四篇後半以後に本格化する社交教育の根幹として﹁趣味﹂教育を授けられるのはそのためである︒と
は言え︑ストア派が決して重視することはなかったであろう﹁異性との交際﹂を最終目標とするこのルソー趣味論は︑単純に反ストア的美学論として呈示されるのではない︒むしろストア的な主知主義とも親近性をもつ美学的立場
を共有・継承しつつも︑そこからの不可避的な離脱として示されるという二層性に留意すべきである︒ルソーの生きた一八世紀西洋は近代美学の成立期でもあった︒成る程︑学問分野としての確立は独のバウムガルテ
ン等の純粋に理論的な著作活動を中心とする動向が従来から注目されてきた︒しかし︑ルソーが主に活躍したフランスは︑特に芸術論・芸術批評の高まりの中でむしろ近代美学の確立と発展を実質的に牽引した
)5
(︒確かにルソー自身
は︑﹃学芸論﹄以来一貫して同時代の学問や術のみならず芸術をも批判していた︒しかしながら︑この同時代の芸術批判にも関わらず︑ルソーが当時の芸術を巡る実践・批評・理論に齎した貢献は正しく巨大であった︒そんな彼が︑通常の美学・芸術史の中で近代美学に対して行った貢献として度々言及されるのは︑自伝小説の試みに代表される天才概念と不可分な近代的な独創的作者の言説であろう︒しかしながら︑本論がこれまでに検証した﹃エミール﹄にお
けるストア主義・反ストア主義の文脈で着目したいのは︑それではない︒先に述べた様に︑﹃エミール﹄第四篇後半と第五篇前半で示される﹁趣味論﹂である
)6
(︒この﹁趣味論﹂こそ︑芸術創造者︵この時代の英語圏では﹁独創的天才
︵
orig in al g eni us
︶﹂とも言おう︶に纏わるものほど目立たぬにせよ︑しかしそれに劣らぬ重要性を持つと本論が考える美学的言説である︒ルソーは︑同時代の美学を前提としつつもそれから離反する新たな美学の可能性を示す︒その一八世紀フランスの美学的言説は基本的に前世紀に確立した古典主義の発展的継承のうちにある︵後述する様に︑この発展的継承のうち
に古典主義からの離反も含まれる︶︒この古典主義的な芸術論・美学において本論が踏まえておくべき論点は二つある︒芸術表現の自律性の強調を次第に強めて行く論点︑そして美的・芸術表現における自然・人為の緊張関係をめぐ
る論点︑これら互いに不可分な二つである︒まずは︑上記二論点を巡る古典主義的な美学の基本的立場を明示した上で︑ルソーがそれをどの様に引き継いだかを見てみよう︒第一の芸術表現の自律性で重要なのは︑人為的に構築される表現世界の部分相互そして部分と全体相互の首尾一貫した内的整合性である︒これはフランスでは一七世紀前半ル・シッド論争でのアリストテレス的詩学の古典主義的規範化によって強く浸透した立場である
)7 (︒この第一の立場は︑作品を一種の見事な構築物︑例えば絵画論の文脈では﹁仕掛け・機械︵
m ac hin e
)8(︶﹂として捉える自律主義的作品観を促進することにもなろう︒無論︑一八世紀後半までの西洋芸術論が﹁模倣﹂に基づく限りで︑芸術表現外部にある﹁模倣モデル﹂たる﹁自然﹂︵外的・物質的な﹁自然﹂もしくは理想化された一種のイデア的な﹁自然﹂︶との関わりが浮上する︒古典主義において︑芸術という﹁人為﹂の﹁自然﹂との関係に関わる第二の論点が︑第一の論点と不可分な形で常に強調されるのは︑まさにこのためである︒さてここで︑本節が注意を促すべきは︑これら二論点において常に﹁関係﹂の把捉が芸術表現の理解・鑑賞を強
く規定することである︒そして︑かかる﹁関係﹂︵作品内部の全体と諸部分間のそれと作品とモデル間のそれ︶を感得する能力が﹁比較﹂であるのは自明であり︑鑑賞者はまさにこの冷静な﹁比較﹂の力を要請されるのである︒実は
ルソーの美学的言説でもこの﹁比較﹂は無視できぬ役割を担わされる︒この意味で象徴的なのは﹃エミール﹄第四篇﹁憐れみ﹂論を巡って先節で確認した三論点の第一のもの︑つまり﹁憐れみ﹂の発動における﹁反省﹂もしくは︵その実質をなす︶﹁比較﹂の重要性である︒既に先節で指摘した様に︑その﹃エミール﹄の議論は︑ほぼ同時期の︵ものと考えられる︶﹃言語起源論﹄第九章冒頭︵
V, 395–396
︶と末尾︵V, 405–407
︶に共にそれぞれ近い部分に密接に関係する︒そしてまさに﹃言語起源論﹄自体︑明示的な形で音楽的言語に纏わる美学的言説を呈示するのは言う迄もない︒事実︑ルソー音楽美学においても﹁比較﹂は枢要な役割を担う︒まず︑﹃言語起源論﹄第一六章が強調する様に︑ルソーが美的言語の理想とする音楽的言語は︑その表現力の根拠を複数の音もしくは音響の間の﹁関係﹂の力動性に求める︒﹁更に色彩はどれも絶対的で独立しているが︑音はどれも我々にとって相対的︵
relat if
︶で比較︵com pa rais on
︶によってしか互いには区別されない﹂︵V, 420
︶︒ルソーの音楽的言語論でこのように重要な役割が容易に確認できる﹁比較﹂が︑古典主義的詩学を受け継ぐ限りでの一八世紀フランス芸術論の美的鑑賞の理想と繋がる可能性は無論強い︒実際︑ルソー音楽的言語論の形成と不可分な彼のフランス・オペラ批判は︑まさに古典主義的鑑賞の理想︑即ち作品構成の一貫した全体性を︑部分相互そして諸部分と全体
との﹁比較﹂によって把握するという観点から展開される側面を確かにもつ︒ルソーは︑フランス・オペラの﹁礎﹂たる﹁驚異﹂及びこれと不可分な﹁バレェ﹂によるスペクタクル性
)9
(が一貫した作品構成を阻害するとして批判するか
らである︵﹃音楽辞典﹄項目﹁バレェ﹂︵
V, 649–650
︶; 項目﹁
オペラ﹂︵
V, 959–96 1
)10(︶等︶︒それは︑古代のアリストテレスが﹁視覚的演出︵ὄψι ς
︶﹂を﹁筋立て︵μῦ θο ς
︶﹂重視の観点から警戒し)11 (︑一七世紀のシャプランが︵前者に忠実に︶﹁驚異︵
le m er vei lleux
︶﹂を︵﹁視覚的演出﹂ではなくむしろ︶まさに﹁筋立て︵fa ble
︶﹂の内的構成に帰した)12
(のと同じ方向性を確かに共有してもいる︒無論︑以上は古典主義的美学の第一の論点に関わることだが︑その第二の論
点についてもルソーは特に﹃エミール﹄第四篇後半の﹁趣味論﹂においてそれを発展的に受け継ぐ︒まず指摘すべきこととして︑﹃エミール﹄第四篇の言う﹁良き趣味﹂もまた︑﹁比較﹂を前提とする︒実際︑﹃エミール﹄の著者は︑﹁良 き趣味﹂の形成のために正に多くの﹁比較﹂が成される大都市パリでの社交体験が重要であるとさえ指摘する︵
IV , 674
︶︒とは言え︑忘れてならないが︑古典主義美学において﹁模倣﹂もしくは﹁芸術表現﹂の自律世界を言わば現実世界や社会倫理的理想に繋ぎとめる役割を担ったのが︑﹁自然﹂概念である)13
(︒この﹁自然﹂の規範性こそ︑﹃エミール﹄趣味論が改めてそれも古典主義以上に強調するものに他ならない︒﹁私は可能な限り自然の近くに留まって︑自然か
ら受け取った感官を喜ばせるようにしたいし︑﹇中略﹈模倣対象を選ぶ際には︑常にこれ﹇=自然﹈をモデルとしよう﹂︵
IV , 678
︶︒つまり︑﹃エミール﹄趣味論の﹁自然﹂は︑﹃不平等論﹄の﹁自然状態﹂に象徴される強固な﹁規範性﹂を獲得することで︑﹁良き趣味﹂に不可欠な﹁比較﹂それ自体を深く貫く真の道標であることが徹底して意識されるのである︒かくして︑﹁比較﹂という契機を介して︑﹃エミール﹄及びこれとほぼ同時期の著作群において古典主義的美学の基本たる二論点が発展的に継承されたことが確認できた︒しかしより重要なのは︑ルソーが以上の﹃エミール﹄を中心とする著作群でむしろこれら二論点を受け継ぎつつ
も︑それらが本来属する古典主義的な芸術論・美学から意図的に離脱し始める可能性である︒それはまた︑この古典主義にある種の親近性を持つストア主義からの離脱をも含意するが︑この点で着目すべきは﹃エミール﹄趣味論での﹁比較﹂が﹁自然﹂概念と持つべき更なる緊張関係である︒既に第三節の終わり近くで確認した様に︑ルソーは﹁比較﹂の孕む実存的位相︑比較行為主体と比較対象たる他者との﹁比較﹂に着目することで︑ストア派より遥かに意識的に﹁情念﹂の孕む社会的否定性を批判し得た︒古典主義が︵ストア派同様に︶殆ど焦点化できなかった︵芸術作品内部の諸部分そして全体との比較︑模倣像と現像たる自然の比較に次ぐ︶言わば第三の﹁比較﹂を鮮明に問題化した
﹃不平等論﹄︵
III, 169–170
︶の方向性︵そこでは既に歌と踊りによる﹁祝祭﹂という﹁芸術﹂的なものが話題となる点に注意したい︶は︑まずその数年後の﹃ダランベールへの手紙﹄の演劇批判で再浮上する︵﹁山の民の女達は︑最初は見るために︑次には見られるために﹇劇場に﹈出かけ︑自分を着飾ることを望むでしょう︒自分が際立つように着飾るのを望むのです︒﹂︵V, 58
︶︶︒﹃エミール﹄第四篇後半と第五篇前半の趣味論そして同時期の﹃言語起源論﹄第九章の音楽性に富む美的言語の起源論は正にこの流れを受け継ぐが︑それ故にこそ﹃エミール﹄趣味論での﹁自然﹂の規範的位置が︵古典主義的芸術論・美学よりも︶一層前景化すべきものとなったとも言えよう︒即ち︑﹁比較する﹂と同時に﹁比較される﹂鑑賞主体が︑﹁利己愛﹂に落ち込む危険度がまさに﹁自己愛﹂という﹁自然﹂からの隔たりによって測定できるということである︒だからこそ︑この意味でルソーはまさに﹁比較﹂に巻き込まれる﹁比較す
る﹂鑑賞主体自身の力動性を極めて意識的に議論の俎上に載せた︵本論の紙幅ではもはや扱いえない極めてルソー的主題たる作者という主体にも同様なことが言えよう︶訳だが︑それはある意味でストア主義的な鑑賞主体をも問題化
する可能性を持つ︒というのも︑ストア主義との潜在的繋がりが指摘される十七世紀デカルト情念論︑これの﹁悲劇・虚構の快﹂を巡る見解は
)14 (︑正に彼の同時期に確立されつつあった芸術享受の基本方向を指し示す︒最晩年の著作﹃情念論﹄及びこれと関係の深いエリザベト宛書簡でデカルトは︑悲劇等の虚構世界で様々な情念が示されながらもこれらに流されない︵﹁概して︑どんな本性に属する情念にせよ︑それら﹇の情念﹈を支配し続ける︵
elle en de - m eur e m aîtr es se
︶限りで︑魂は自分のうちにこれら情念がかきたてられるのを感じて快を覚えるのです)15 (︒﹂︶精神が自身の強さを自覚する時に﹁快﹂を覚えると指摘する︒ほぼ七〇年後のデュボス︵﹃詩と絵画についての批判的考察︵
Les r éfl exi ons cr itiq ues s ur l a p oés ie e t s ur l a p ein tur e
︶﹄︵一七一九年︶︶もまた︑芸術鑑賞者として﹁虚構の錯覚﹂に自らを見失う未熟な﹁若者﹂ではなく︑言わば﹁大人﹂としての﹁強い鑑賞者﹂を求める)16
(︒一八世紀芸術論に多大な
影響を与えたこのデュボス芸術論の目指す理想の鑑賞者としての﹁公衆︵
le pu blic
︶﹂は﹁感情=感覚︵sen tim en t
︶﹂のみならず﹁比較の趣味︵go ût de co m pa ra iso n
)17(︶﹂をも実は前提とする︒つまり︑作品の諸部分と全体の﹁比較﹂︑つ まり作品を構造的に把捉できる︑常に﹁詩と絵画によって魂のうちに生じさせられる表面的情動を常に我らの魂が支配し続ける︵no tre â m e dem eur e t ou jour s l a m aîtr es se de ces ém otio ns s up er ficie lle s
)18(︶﹂限りでの成熟した芸術愛好家たる﹁公衆﹂である︒既にカッシーラーは︑ストア主義とデカルト思想との関連に触れた上で︑更にそのデカルトの人間観とコルネイユ悲劇の登場人物との連続性に言及していた
)19
(︒デカルトやデュボス等の示唆する古典主義的鑑賞の理想は︑ストア派の﹁非情念﹂からは確かに距離を置きつつも︑主知的・自律的主体の自己肯定と不可分な点で︑ストア主義の示唆する一つの可能性の発展的展開でもあった︒とすれば︑ルソーによる﹁比較﹂する鑑賞主体の問題化
は︑実はストア主義そして古典主義美学が如何なる疑念も向けることのなかった︑﹁自律的主体﹂つまり﹁強い主体﹂の﹁問題化﹂でもありえたのである︒即ち︑デュボスやバトゥーらの古典主義における﹁自然﹂は︑﹁人為性﹂の不可欠な契機であるにせよ︑それは﹁技・人為﹂の世界を根底から批判・変革するものではなかった︒これに対して︑﹃エミール﹄趣味論の﹁自然﹂は︑﹁良き趣味﹂の形成への大都市パリの﹁比較﹂の世界を一方で肯定しつつも︑最終的に従来の古典主義の権威化された諸芸術とその享受の位相そのものを問題化・根底批判しえたのである︒無論︑それはあくまでも﹁良き趣味﹂に基づく芸術享受の否定的側面を炙りだしたに過ぎない︑とも言えよう︒で
は︑逆に言えば︑﹃エミール﹄第四篇後半から第五篇前半に及ぶ趣味論においてルソーは︑古典主義に替わる如何なる芸術享受の理想を提示しえるのか︒繰り返すが︑もはや﹁比較﹂自体の拒絶は美学的問題圏においても決して意図
されない︒むしろ︑﹁比較﹂の齎す危険性を意識した上で︑この﹁比較﹂を︵先節で確認した﹁憐れみ﹂の場合の様に倫理的のみならず︶美的に活用することが求められる︒既に繰り返し指摘した﹃エミール﹄と﹃言語起源論﹄の不
可分な関係は︑正にここでその重要性を改めて露わにする︒それは﹃エミール﹄における﹃言語起源論﹄への言及箇所の文脈自体が何よりも示唆するものに他ならない︒﹃エミール﹄第四篇は趣味論を本格展開するに際して以下の様 に述べていた︒﹁更に精神的なこと︵
ch os es m ora les
︶に関する趣味の法則と身体・物理的なこと︵ch os es p hysiq ues
︶における趣味の法則を区別する必要がある︒身体・物理的なことでは趣味を全く説明できないと思われる︒しかし︑模倣に関係のあることでは︑何事でも精神的なもの︵du m or al
︶が入ってくることに注意する必要がある﹂︵IV , 671–672
︶︒既に﹃不平等論﹄での﹁愛﹂の﹁身体的なもの﹂と﹁精神的なもの﹂の区別︵III, 143
︶を受け継ぐ︵IV , 796–797
︶だけでなく︑﹃エミール﹄はこれら二つの﹁愛﹂が交錯する文脈で﹁趣味﹂についても同様の区別の必要を求める︒そして︑特に﹁趣味﹂の﹁精神的なもの﹂が﹁模倣﹂に深く関わることを強調するのだが︑まさにそこにつけた原註で﹃言語起源論﹄︵但しプレイアド版本文はルソーのより以前の草稿に基づき﹃言語起源論﹄でなく︑その前ヴァージョンの﹃旋律の原理について﹄としている︶が言及される︒﹁これは﹃言語起源論﹄で証明されている︒
この論文は私の著作集に収められるだろう﹂︵
IV , 672; 1618
︶︒先ほどのルソー美学における﹁比較﹂の重要性について﹃言語起源論﹄第九・一六章の該当箇所︵V, 395–396; 405–406; 419–422
︶について言及したが︑事実︑その音楽的言語論はこの﹁模倣﹂と﹁精神的なもの﹂を結びつける︒﹁音楽的模倣を論じる﹂という副題をもつその著作において︑正に﹁模倣﹂は音楽的言語の﹁精神的効果︵eff ets m ora ux
︶﹂︵V, 412
︶によって﹁身体・物理的効果︵eff ets ph ysiq ues
︶﹂︵V, 413
︶に固執する︵ラモーのフランス音楽に代表される︶和声的音楽に優越するとされるのである︒以上を踏まえる時︑﹃言語起源論﹄第九・一六章の﹁比較﹂もしくは﹁関係﹂とは︑単なる主知的な対象認識にも︑更には否定的な﹁利己愛﹂を不可分に生み出す社会的臆見にも︑完全に還元できるものではない︒それらが︑異性たる他者との﹁愛﹂の﹁身体・精神的なもの﹂の微妙な複合を幸福な﹁美的な生﹂へと導くために活用される可能性を持つということである︒ここで︑﹃エミール﹄第四篇が提示する﹁良き趣味﹂が前提とする三条件︵
IV , 672
︶を見てみよう︒第一は多数の人との﹁付き合い︵so ciét é
︶﹂による多様な﹁比較︵com pa rais on
︶﹂の経験︑第二はこの﹁付き合い﹂が仕事よりも﹁遊び︵am usem en ts
︶と暇︵oisi vet é
︶﹂に基づくこと︑第三は﹁不平等︵in éga lité
︶﹂が少なく一部の階層の﹁虚栄︵va ni té
︶﹂や﹁臆見︵op inio n
︶﹂ではなく﹁愉楽︵vo lup té
︶﹂が支配的なこと︑である︒まず以上のうちの第一点は︑本節が既に言及した﹁比較﹂の重要性を強調する部分を予め予告する︒﹃不平等論﹄であれ程﹁不平等の最初の一歩﹂として提示された﹁比較﹂と不可分な﹁祝祭﹂が︑﹃ダランベールへの手紙﹄を嚆矢として﹃エミール﹄や﹃言語起源論﹄そして﹃新エロイーズ﹄で度々肯定的に言及されるのはそのためである︒これに対して︑第二・第三点は共に
その﹁比較﹂の齎す否定的弊害︵第二点では﹁不平等﹂︑第三点では﹁虚栄﹂と﹁臆見﹂︶を意識した上で提示される︒即ち︑これら二点は﹁良き趣味﹂の行使されるのが社会的差別化とは無縁であるべき﹁遊びと暇﹂の﹁愉楽﹂︵逆
に言えば社会的差別化に結びつきやすい﹁遊びと暇﹂の﹁愉楽﹂が存在することもルソーも十分に承知していた筈だろう︶を重視するのである︒その上で︑﹃エミール﹄趣味論では︑﹁良き趣味﹂と不可分な﹁比較﹂は︑大都市の社交世界の中での虚しい自己卓越化・社会的差別化の誇示を避け︑むしろ﹁趣味﹂の主体における精神・身体的﹁自然︵
nat ure
︶﹂の自覚的選択へと向けられる︒パリの﹁仮面の世界﹂の﹁生﹂︵IV , 525
︶と﹁比較﹂される︑地方の田園世界の﹁民衆﹂に近く﹁自足﹂的で﹁幸福な生﹂が﹁良き趣味﹂の理想の選択対象として浮上するのはそのためである︵IV , 686–688; 740–741
︶︒つまり︑ルソー的﹁良き趣味﹂がその﹁比較﹂によって求めるのは︑古典主義そして社交世界が特権的対象とする演劇や絵画などの所謂﹁芸術﹂ではもはやない︒むしろ﹁良き趣味﹂を行使する主体自身の身近な﹁日常﹂に根差す﹁美的なもの﹂なのである︒それはまた︑他者への自己卓越の誇示と不可分な﹁利己愛﹂に陥る﹁比較﹂ではなく︑自らの﹁本性・自然﹂を見出すべき﹁比較﹂の﹁趣味﹂である限りで︑﹁自己愛﹂とより協和しうる﹁些細なことで自己を知る術﹂に他ならない︒﹃ダランベールへ
の手紙﹄で初めて言及したこの言葉を念頭に置きつつ︑ルソーは以下の様に言う︒
﹁私は他の場所で︑趣味とは些細なことで自己を知る術︵
lar t de s e co nn aîtr e en p et ites c hos es
︶に過ぎぬと述べたが︑これは非常に真実だ︒けれども︑人生の喜びは些細なことが集まり織り成されたものだから︑その様な配慮は決してどうでも良いことではない︒この配慮によって我々は︑自分達にとって手の届くところにある善なるものどもで︑それもそれら善なるものどもが我々にとって持ちうる限りの完全な真実性において︑人生を満たす のを学ぶ﹂︵IV , 677
︶︒成る程︑これは一見すると﹁臆見﹂に惑わされず﹁非情念﹂の自律的境地を唱えるストア主義の理想と言えるかもしれない︒つまり︑ストア主義の賢者の理想が︑︵ストア派と異なり自然な﹁快楽﹂や﹁情念﹂を認めるという差異
を伴いつつも︶趣味論の領域においてルソーの自律的な﹁自然人﹂の理念に結びつきつつ発展的に昇華されただけの印象を与える︒しかしながら︑ルソーの﹁些細なもので自己を知る術﹂には古典主義だけでなくそれと関係の深いス
トア主義が特に明確に意識し得なかった論点を前提とする︒本節の最初に指摘した︑﹃エミール﹄趣味論の展開される︵それも﹃エミール﹄第四・五篇全体の中心文脈でもある︶﹁愛﹂の﹁身体的・精神的なもの﹂︑そしてこれと不可分な﹁女性的なもの﹂である︒ストア的な自足的な﹁強い人間﹂の倫理を一面では共有しつつも︑ルソーはその主知主義の持つ非現実性には否定的であった︒彼の親しんだセネカではないが︑同じくストア派のエピクテトゥスの逸話
を批判的に紹介するのはこの意味においてである︵この賢人の先見的知識の齎す弊害の指摘もまたかかる主知主義批判に包含されよう︶︒﹁エピクテトゥスは︑彼の足の骨を自分の主人が折るのを予見するからといって何を得ると言う のか︒﹇中略﹈自らの苦しみに加えて︑予見の苦しみが彼にはあるのだ﹂︵
IV , 510
︶︒彼らストア派にとって表層的には軟弱で女々しいとしか映らぬ感性的現実の次元︑しかし単なる主知的認識によっては決して十全に把握・統御でき ぬ次元こそ︑﹃エミール﹄趣味論の前提とするものなのである︒ここで︑今しがた見たばかりの﹁良き趣味﹂の三条件の最後のものに改めて着目しよう︒そこでは﹁虚栄﹂や﹁臆見﹂と不可分な﹁不平等﹂の否定が言及されるが︑﹁些細なもので自己を知る術﹂の向かうべき方向が︑単なる﹁自律的主体﹂の確立に終わらないことが含意されるからである︒そもそも︑﹃エミール﹄趣味論の基づく﹁自然﹂は︑﹁強い人間﹂達や一部の階級にではなく︑存在一般の幸福な感性的所与として︑身近な﹁生活﹂に根ざす﹁美的な生﹂の共同的源泉としても立ち現れる︒だから︑その人間存在一般の﹁自然﹂に基づく限りで︑﹁些細なことにおいて自己を知る術﹂が目指すのは︑まずは他者との美的享受の﹁愉楽﹂もしくは﹁喜び︵pla isir s
︶﹂・﹁楽しみ︵amu se- m en ts
︶﹂の共有に他ならない︒﹁排他的な喜びは喜びを殺す︒本当の楽しみは民衆と分け合うそれだ﹂︵IV , 690
︶︒とは言え︑第五篇で完結する﹃エミール﹄全体の中で︑それも特に思春期以後を扱う後半部の第四・五篇において︑﹁良き趣味﹂によるこの﹁美的享受﹂の﹁共有﹂は明快な一つの中心をもつのを忘れるべきではない︒ルソーは言う︒﹁良い趣味も悪い趣味もいずれも︑特に︵男女︶両性の間のやりとり︵
co mm er ce
︶の中で初めて形をなすのだ﹂︵IV , 673
︶︒それは︑繰り返し指摘したことだが︑男女両性の﹁愛の身体的・精神的なもの﹂の交錯において具現される交流である︒ここで重要なのは︑第二と第三の条件で共に強調される﹁遊びと暇﹂や﹁愉楽﹂を孕む﹁些細なこと﹂の位相は︑﹃エミール﹄趣味論では﹁男性の趣味﹂と対比的に提示される﹁女性の趣味﹂により強く適用される可能性である︒ルソーは︑﹁趣味﹂を︑﹁精神的なこと︵
ch os es m ora les
︶﹂それも特により﹁知性的なこと︵en ten dem en t
︶﹂に相応しい﹁男性の趣味︵go ût des h omm es
︶﹂とより﹁身体・物体的なこと︵ch os es p hysiq ues
︶﹂や﹁感官の判断︵jug em en t des sen s
︶﹂に相応しい﹁女性の趣味︵go ût des femm es
︶﹂に二分した︵IV , 673
︶︒特に注目したいのは︑﹁女性の趣味﹂が向かうのが︑﹁精神的善︵bien s m ora ux
︶ではなくただ官能の喜び︵sen su ali té
︶や︑偏見︵préj ug és
︶や臆見︵
op inio n
︶を除いた現実的な愉楽︵vo lup té
︶に属すること﹂︵IV , 677
︶に近接する日常的な﹁些細なもの︵pet ites c hos es
︶﹂だということである︒この点で︑一見すると﹃エミール﹄趣味論の中心を成す如き﹁男性の趣味﹂がその英雄主義的側面故に︑ルソー趣味論の基本的方向を見え難くする危険があるのに警戒すべきだろう︒むしろ︑﹃エミール﹄の﹁男性の趣味﹂は︑よ
り日常の美的生活の術としての﹁女性の趣味﹂によって補完される必要がある︒何故なら︑この著作後半部の主軸は︑﹁信仰告白﹂で頂点を迎える弁神論に基づく道徳論以上に︑思春期以後のエミールがその未来の伴侶ソフィーと
の間で共に構築すべき﹁愛の身体・精神的なもの﹂の術の習得に他ならぬからである︒それ故にこそ第五篇では︑男性の﹁天才︵
génie
︶﹂と﹁推論﹂︵﹁男性は推論する︵lh omm e ra iso nn e
︶﹂︶は︑女性の﹁才気︵espr it
︶﹂と精妙な﹁観察﹂︵﹁女性は観察する︵la f emm e o bs er ve
︶﹂︶なしには︑﹁自分と他のものについての人間の到達しうる最も確実な認識︵la p lus s ûr e co nn ais san ce
︶﹂を形成できないと指摘されるのである︵IV , 737
︶︒よって︑先に述べた様な﹁些細なもので自己を知る術﹂による﹁楽しみ﹂を他者と共有する場が︑両性の交感する﹁愛の身体・精神的なもの﹂の展開される場であるのは当然であろう︒事実︑﹃言語起源論﹄第九章終わりの﹁両性の最初の出会い﹂としての﹁最初
の祝祭﹂の記述︵
V, 405–406
︶を想起させる形で︑﹃エミール﹄の著者が示すのは︑﹁田舎らしい祝宴﹂それも男女の﹁都会のそれよりも天から祝福される婚礼﹂︵IV , 688
︶に他ならない︒しかし︑それだけではない︒﹃エミール﹄第五篇前半はソフィーの体現する﹁女性の趣味﹂を詳細に論じるが︑恰も﹁趣味﹂とは正にむしろ﹁女性的なもの﹂であるかの様にさえ言われる︒ルソーの発言を聞こう︒﹁趣味によって精神は知らぬ間にあらゆる種類の美の観念に目覚 め︑やがてそれに関連する精神的観念︵
no tio ns m ora les
︶に目覚める︒これは多分︑嗜み︵dé cen ce
︶と律儀さ︵ho nn êt et é
︶に対する感情が女の子では男の子よりも早くから感じられる様になる理由の一つだ﹂︵IV , 718
︶︒更に︑この﹁嗜みと律儀さ﹂に加えて︑﹁女性﹂の﹁話しぶり﹂についても以下の様にも言われる︒﹁男性は知っていることを言うが︑女性は人を喜ばせることを言う︒男性は話をするのに知識︵
co nn ais san ce
︶を必要とし︑女性は趣味︵go ût
︶を必要とする﹂︵IV , 718
︶︒興味深いのは︑女性による﹁話しぶり︵lang age
︶﹂に必然的に伴う︵発する言葉の字義通りの意味ではなく︶その﹁抑揚︵accen t
︶﹂やこれと不可分な﹁行動言語︵lang age d ac tio n
︶﹂的な諸契機︵﹁目﹂・﹁顔色﹂・﹁息遣い﹂・﹁華奢な抵抗﹂等︵IV , 734
︶の﹁身振り﹂︶である︒﹁女性がそれに与える抑揚はいつも同じではないし︑この抑揚は偽ることはない︒﹂︵IV , 734
︶= pa ro le = am ou r
る︒﹁これ﹇話言葉︵︶﹈には殆ど満足できずに︑それ﹇愛︵︶﹈はこれを蔑ろにし︑自分の思いを伝di sco ur s c ha rm an t IV , 735
︵︶ではないか﹂︵︶︒実は︑これらこそ﹃言語起源論﹄で論じられる言語の美的理想に重な ガラテアの林檎と下手な逃げ方は何と魅力的な語り ; ﹁ えるより表現力に富む方法を持つ︒自分の恋人の影をあれほどの喜びを持ってなぞる﹇恋する女性の﹈それ﹇=方法﹈は︑何と多くを彼に語っていたことか︒﹇恋人の影をなぞる彼女の﹈その棒の動き︵ce m ov em en t de b aguet te
︶を描くのにどんな音を使えば良いと言うのか﹂︵
V, 376
︶︒﹁﹇原初言語の﹈音は非常に変化に富むだったろうし︑様々な抑揚︵la di ver sité des accen ts
︶が同じ声を多様化したであろう﹂︵V, 383
︶︒いや︑同じく﹁身体的・精神的﹂なものを引き継ぎつつも︑﹃エミール﹄の﹁女性の趣味﹂を巡る言説は︑﹃言語起源論﹄が十全に展開できなかった方向性をもつ︒﹃言語起源論﹄は︑例えばその第一章前半で積極的に取り上げた︵先ほどの若い女性の恋人の﹁その棒の動
き﹂︵
V, 376
︶も含めて︶行動言語への分析・評価を結局徹底しえなかった︒特に行動言語の視覚性の根拠を︑﹁精神的なもの﹂の優位に基づく音楽的言語論に拘泥する余り︑音楽的言語の基づく﹁精神的原因︵cau ses m ora les
︶﹂では なく﹁身体的原因︵cau ses p hysiq ues
︶﹂に帰したのである︒結果として︑﹁身振り言語﹂は︑最終的に以下の極端な二元論によってむしろあまりにも﹁身体・本能﹂的に捉えられさえする︒﹁我々が身体的欲求しか持たなかったなら︑我々は一言も発することなく︑ただ身振り言語だけ︵la s eu le l an gue d u g es te
︶で完全に理解し合うことができたろう﹂︵V, 378
︶︒無論︑この著作が視覚的な行動言語及びこれと不可分な﹁身体的なもの﹂を第一章後半以後も議論の枠外に全く排除したというのは不正確だろう︒しかし︑﹃エミール﹄が遥かに柔軟な議論展開を行なう点に注目したい︒その第四・第五篇は︑その第一篇から第三篇迄の﹁身体的なもの﹂の重要性を捨てることなく︑強力に前景化し始める﹁精神的なもの﹂の﹁身体的なもの﹂とのこの複雑な交錯を常に前提とする︒第四篇からの思春期以後のエミールの教育にとって﹁愛の精神的なもの﹂とは何よりも﹁性︵愛︶﹂に同じく結びつく﹁愛の身体的なもの﹂と簡単に分離できぬからである︒この文脈を考える時︑﹃言語起源論﹄第一章で取り上げられた視覚的な行動言語︵V, 377
︶と重複する文面が︑第四篇﹁助人司祭の信仰告白﹂のすぐ後に置かれる︵IV , 647–648
︶のに着目したい︒確かに︑﹃言語起源論﹄第一章のそれとほぼ重なると言っても︑﹁恋愛﹂が持つとされる﹁自分の思いを伝えるより表現力に富む方法﹂︵
V, 376
︶はそこでは示されない︒むしろ︑その言わば男性的な﹁行動言語﹂たる視覚記号からやや隔 たった箇所で﹁女性の趣味﹂が言及され︵IV , 673
︶︑かつその後の第五篇前半においてこの﹁女性の趣味﹂がより積極的に呈示される意義を強調したい︒特に第五篇前半の﹁女性の趣味﹂と不可分に屡々言及される女性の様々な﹁行動言語﹂こそ︑﹃言語起源論﹄第一章の﹁恋人の影をあれほどの喜びでなぞっていた﹂︵古代ギリシアの陶工ブタデスの︶娘による﹁この棒の動き﹂︵V, 376
︶に繋がりつつそれを発展させたものに他ならぬからである︒ここで見落とせないのは︑﹃エミール﹄第四篇で﹁身体・物体的なこと︵
ch os es p hysiq ues
︶﹂に主に向けられるとされた﹁女性の趣味﹂︵IV , 673
︶が展開される次元である︒即ち︑その発言にもかかわらず﹁女性の趣味﹂が﹁愛の身体的なもの﹂以上に﹁愛の精神的なもの﹂に深く関係するのは︑余りにも否定し難い事実である︒﹃不平等論﹄の﹁愛の身体的なもの﹂の本能的で即時的な両性の結びつきこそ︑﹁女性の趣味﹂が専ら遠ざけることだからである︒確かに︑そこに﹃エミール﹄の﹁愛の身体的・精神的なもの﹂の二分法の論理的破綻を指摘するのはそれ程困難ではないだろう︒しかしむしろ本論は︑厳密な二分法や英雄的な﹁男性の趣味﹂の優位への無闇な拘泥を敢えて避けたこと
の内に︑ルソー美学の柔軟性と可能性を認めたい︒ルソーの美学的思索は︑決して﹁男性の趣味﹂に固執するのではなく︑その不可欠の支えとして﹁女性の趣味﹂を前提とするのである︒だからこそ先に触れた様に︑生徒エミールは﹁良き趣味﹂による﹁享楽﹂を︑何よりも他者それも﹁愛の身体・精神的なもの﹂の担い手たる異性と共有することを求められるのだ︵
IV , 673
︶︒確かに︑現代の我々の観点からは︑その議論の内に許容し難いルソーの男性中心主義もしくは強固なジェンダー固定論を見るのは容易だし︑厳しく批判すべきでもある︒事実︑﹁女性性﹂はたとえ評価されるにせよある意味であくまでも﹁些細なもの﹂への趣味という領域に限定される︒また︑男性的趣味への女性の言わばトランス・ジェンダー的参与
)20 (は予め排除されるのであり︑この排他的態度は第五篇前半でも一貫する︵例えば当時の﹁男性的な女性﹂の典型としての﹁男装をしていた=自分を男にしていた︵
elle sét ait fa ite ho mm e
︶﹂とされ るランクロ嬢への批判的言及︵IV , 736
︶を参照のこと︶︒とは言え︑﹃ダランベールへの手紙﹄で﹁天才﹂性の欠如ゆえに激しく揶揄された女性︵V, 94
︶の﹁才気︵espr it
︶﹂とこれと不可分な︵同じく否定的に捉えられた︶﹁些細なもので自らを知る術﹂としての﹁趣味﹂︵
V, 109
︶を︑﹃エミール﹄が逆に積極的に論じた意義は否定できまい︒それはまた︑ストア主義の自律した自足的生の理想︵それはまた﹁憐れみ﹂に流されぬ﹁強い主体﹂を前提とする︶に必ずしも還元し得ぬ﹃エミール﹄独自の倫理論に深く繋がる︒これこそ﹃エミール﹄趣味論に独自な﹁愛の身体・精神的なもの﹂を中心とする倫理に他ならなかったのである︒改めていうならば︑人間的﹁自然﹂たる﹁自己愛﹂と不可分 な我々の﹁手の届くところの︵
à n otr e p ort ée
︶﹂日常の﹁愉楽︵vo lup té
︶﹂の内に他者と特に異性との感性的交歓を現出させる﹁些細なものに自己を見出す術﹂の美的倫理なのである︒以上の検討を踏まえ本節を終えるにあたり︑ルソー趣味論を︑改めて同時代の美学的言説の中で位置付け直してみよう︒本節前半では古典主義的美学とストア派との潜在的親近性を指摘したが︑実はルソーの同時代の一八世紀の美学的言説もかかる古典主義的美学から次第に逸脱する側面を示し始めていた︒この点で極めて象徴的なのは︑本節前半で触れた世紀前半を代表する芸術論たるデュボスの﹃詩と絵画についての批判的考察﹄である︵一七一九年初版だがその後度々︵増補も含め︶再版される︶︒デュボスがル・シッド論争以来の一七世紀古典主義を受け継いだことを既に我々は確認した︒しかしながら︑デュボスのその芸術論でさえ︑ルソー同様︑古典主義的伝統にはもはや還元で
きぬ新たな時代の思想が同時に立ち現れている︒ロンバールらによって夙に指摘されてきたイギリスのジョン・ロックに由来するその経験論的側面
)21 (のことだけではない︒むしろその側面をも包含するフランス一八世紀の時代的な思想動向︑哲学史家デュプランが明らかにした﹁不安︵
in quiét ude
︶﹂を軸とするそれである)22
(︒デュボスの著作冒頭の発言を聞こう︒﹁心も身体と同じく固有の欲求を持つのであって︑人間の最大の欲求の一つは精神を没頭した状態に置
くことである︒心の無為にすぐに続いて生じる倦怠は人間にとって余りにも辛い苦痛なので︑どんなにきつい仕事を屡々企ててでも︑それに苛まれる辛さから免れようとするのである
)23 (﹂︒無論︑﹁倦怠︵
enn ui
︶﹂というこの概念もまたデュボスと親交のあった経験論思想家ロックに由来するのはある意味で事実だろう︒しかし︑デュプランが強調するのは︑ルソーを含め一八世紀の多くの思想家に多大な影響を与えたマルブランシュ哲学との関連である
)24
(︒デュボスは
直接にマルブランシュを知っていたことが確認されているが
)25
(︑後者がストア派思想とも親近性のあるデカルト哲学を直接継承しながらも︑アウグスティヌス主義と不可分な﹁人間の弱さ﹂を肯定したことを見逃すべきではない︒それ
が︵アルキエの明快な紹介によると︶反デカルト的なマルブランシュの﹁自由﹂概念に結実するからである︒即ち︑﹁人間の自立の賛美と高邁の精神において完成した
)26
(﹂デカルト的﹁自由﹂とは異なるマルブランシュ的﹁自由﹂とは︑神による刻印たる﹁善一般への欲望﹂の消極的現出に他ならない︒だからこそ︑それは現実世界の個別的善・快楽に人が不可避的に覚える﹁不安﹂に貫かれる﹁自由﹂なのである︒﹁神が我々に絶えず伝える︑善一般へと向かう刻印
が︑何であれ有限な対象の内に我々が長らくとどまることを禁じていることに︑この自由は由来している︒それ故︑魂は︑個別的な善を享受するとき︑﹁更に遠くまで行こうとする運動をなおも持っている﹂のであり︑自分のうちに
この可能性を感じているのである︒かくして自由は︑我々の不安の感覚のうちに現われ出る
)27
(﹂︒そしてこの﹁不安
)28
(﹂が︑アウグスティヌス主義にもはや還元できぬマルブランシュ独自の﹁禁欲的快楽主義﹂に基づくことにも注意した
い︵﹁不安﹂によってその動性を確保される﹁善一般への欲望﹂は来世が﹁我々に準備している比類なく強烈な快楽﹂を前提とし︑かつ現世の個別的快さえ神を原因とする限りで決して否定されない
)29
(︶︒アルキエは︑マルブランシュの
この﹁不安﹂概念が﹁彼の時代に続く世紀の分析﹂を︑換言すれば﹁不安を神への欲求に結びつけることはせず︑そこに退屈﹇=倦怠︵
enn ui
︶﹈に対する反作用しか見ないであろう分析も含めて︑後続する世紀の分析を告げている)30
(﹂
と指摘する︒事実︑デュプランによれば︑デュボスの﹁倦怠﹂もまた隣国ロックの﹁不安﹂以上に同国人マルブランシュの﹁不安﹂概念に基づくということになる
)31
(︒重要なのは︑デュボス芸術論の前提たる﹁倦怠﹂が︑マルブラン
シュ的﹁不安﹂概念とのありうべき連関という観点からは︑人間存在の必然たる受動性つまり﹁弱さ﹂と不可分なのを露呈することである︒そして芸術︵正確には詩と絵画︶の起源とは︑デュボスにとってまさに人間存在の根本感情
たる﹁不安﹂としての﹁倦怠﹂を︑一時的ながらも芸術鑑賞への︵古典主義的に制御されてはいるにせよある種の︶﹁没頭﹂によって打ち消すことにある︒デュボスは﹁倦怠﹂を忘れるための辛い単純な労働以外に二つの方法を指摘 する︒その上で︑一部の特殊な思索能力を持つ人間にのみ許された孤独な﹁思索・瞑想する︵
réflé chir ; m édi ter
︶﹂という方法)32 (ではなく︑もう一つの方法にデュボスは着目する︒これが︑大多数の人間にとって容易な﹁感じる︵
sen - tir
︶﹂こと︑より正確には﹁外部対象によって印象に精神︵âm e
︶が没頭する︵se li vre r
まう様な情念を対象が我々に引き起こすのに対して︑詩と絵画がそんな対象から作り出す模倣を見て我々が感じる快 的利害が関与せぬ形での純粋な﹁没頭﹂を可能にする特権的体験なのである︒﹁現実であれば我々の負担となってし
im pres sio n s up er ficie lle
て︑﹁詩文﹂や﹁絵画﹂の﹁模倣﹂の齎す鑑賞体験こそ︑その﹁表層的印象︵︶﹂によって直接 )34( ︶﹂という方法である︒そし 33は︑純粋な快なのである︒その対象自体であれば引き起こすだろう深刻な情動を随伴するような不都合が︑これ﹇=詩と絵画の模倣による快﹈に続くことなどないのである
)35
(﹂︒デュボスのこの芸術論が︑バトゥーのそれ︵﹃唯一の原理
に還元される諸芸術﹄︵一七四六年︶︶と同様︑その後の一八世紀フランス美学にとって決定的影響を与えたのは良く知られている︒ルソーもまたデュボスの議論を知悉しておりその名前に直接言及さえするが︵﹃ダランベールへの手紙﹄︵
V, 23
︶︶︑ある意味で趣味論を中心とするルソー﹃エミール﹄の美学的言説との連続性を見出すことさえ不可能ではない︒デュボスは︑自らの芸術論の前提とする人間の受動的根本感情たる﹁不安﹂が︑少数の﹁強い人間﹂達の﹁瞑想﹂への没頭よりむしろ︑大多数の人々の情念に訴える詩や絵画の齎す快を含めた﹁気晴らし﹂への没頭によって打ち消されることに着目した︒そのデュボスの指摘に﹁賭事﹂を巡る単なるパスカル的態度だけを読み取るのは的外れだろう︒この芸術という﹁気晴し﹂による﹁︵利害︶関心︵in tér êt
︶の方向転換﹂の内に佐々木が言う様に社会的共生への志向を読み取るのは可能だからである)36
(︒また︑それがデュボスの﹁公衆﹂の﹁感情﹂による古典主義の新
たな基礎づけの一つの前提をなすだろうからでもある︒事実︑ルソーもまた﹁趣味﹂の理想の担い手を︑デュボスもまた遠ざけた専門家や識者達にではなく︑身分にとらわれぬ素朴な人間達に見出した︵周知の様にエミールは﹁名門 の出﹂でも構わぬ﹁裕福な﹂家に生まれた﹁みなしご﹂︵
IV , 267
︶だが︑階級に左右されず﹁自然﹂の要請する﹁人間の生活﹂を送ること︵IV , 252
︶を教育の第一の目標とされる︶︒デュボスそしてルソーも︑﹁詩文﹂や﹁絵画﹂等が一部の特権階級の専有物であることを止め大衆化していくことで誕生した近代的﹁芸術﹂生成期の体現者なのである︒即ち︑ストア派主義とのある種の親近性が否定できない古典主義やその﹁強い主体﹂ではもはや説明のつかぬ新たな美学の動向を共有する︒ルソーの美学・趣味論に︑デュボスと同じある種の古典主義の伝統が存在するのを想起するならば︑尚更この脱ストア・脱古典主義的側面の共有は注目すべきだろう︒とはいえだからこそ一層︑ルソーの﹁趣味﹂論がデュボスのそれとは大きく異なることは改めて強調したい︒第一に︑ブルデューの研究が示す様に
)37
(︑﹁良き趣味﹂は実は非特権層であった筈の新興階層の﹁卓越化﹂︑つまりルソーが﹃不平等論﹄で徹底批判した社会的不平等を新たにひきおこす︒実際︑一般の人々とその﹁感情﹂を音楽批評において︵十数年前に︶先立って重視したルセールの場合︵﹃イタリア音楽とフランス音楽に比較﹄︵一七〇四〜一七〇六年
)38 (︶︶と同様︑デュボスも﹁比較の趣味︵
go ût de co m pa ra iso n
︶﹂を介して﹁公衆︵le p ub lic
︶﹂を﹁俗衆︵le b as p ub lic
︶﹂と区別するのに躊躇しない)39
(︒これに対して︑ルソーはデュボスがその芸術論で主に取り上げた﹁演劇﹂や﹁絵画﹂をそれぞれ極めて否定的にまたは冷淡にしか︵前者については﹃ダランベールへの手紙﹄で︑後者に対しては﹃言語起源論﹄と﹃エミール﹄で︶取り上げない︒その主要な理由の一つは︑本節で既に指摘した様に︑ルソーが﹁良き趣味﹂の三つの前提条件の一つが﹁不平等﹂に基づかないと明示したことにある︒ルソーは﹁演劇﹂や﹁絵画﹂の鑑賞︵後者の場合は更に所有︶に深く社会的﹁卓越化﹂が働くことを強く警戒したのである︒とはいえ︑この第一の差異は︑第二のより根本的なそれによっ
て裏打ちされたものである︒その第二の差異とは︑﹃エミール﹄の著者だけでなく︑エミール︵そしてソフィ︶もまたその教育の意図的設定を介して﹁人の弱さ﹂への自覚を身体・精神的に﹁自己愛﹂のうちに体感するが故に︑﹁些細なものに自己を見出す術﹂を軸とする素朴な社交の重要性︵この﹁術﹂は第四篇の﹁趣味﹂論に置かれる限りで必ず異性を中心とする他者との社交への繋がりを前提とされる︶を認識することである︒そして︑デュボス芸術論に対
するこれら二つの相違こそ︑まさにルソーの趣味論こそ同時代的な脱ストア・脱古典主義的な方向をより自覚的に結実させたことを示唆するものに他ならないのである︒
結語﹃エミール﹄から﹃孤独な散歩者の夢想﹄へ冒頭に引用されるセネカの発言が﹃エミール﹄において持ちうる意義に改めて立ち戻ってみよう︒﹃エミール﹄は︑社会状態の︵悪しき﹁情念﹂も含めた︶﹁病﹂を︑セネカ同様に﹁治癒可能﹂であると確信した上
でその独自な教育論を展開する︒セネカの属する古代ストア派は︑この﹁悪﹂の典型としての﹁情念﹂を生み出す﹁知性﹂の﹁誤った判断﹂としての﹁臆見﹂を正すことがその﹁治癒可能性﹂の積極的起点と考えた︒﹃エミール﹄の著者もまた︑エミールの教師を介して生徒エミールに社会状態の﹁臆見﹂の弊害を体感させ︑かつこれら﹁臆見﹂に批判・客観的に対処するのを学ばせる︒そうすることで︑エミールは自らの身体・精神的生成の本来の基底たる﹁自然﹂を見失わぬ︑自律的な﹁社会状態に生きる自然人﹂︵
IV , 483
︶となることを目指す︒この点で︑確かに﹃エミール﹄教育・倫理論はストア主義と深く重なる︒しかしながら︑﹃エミール﹄はストア主義から乖離しこれを超え出て行く契機を同時にもつ︒本論は︑ルソーがストア派によって特に理想の賢人の理想から﹁誤った判断﹂の帰結であるが故に排除された﹁情念﹂を巡ってむしろストア主義と対立するという論点の更なる検証を行った︒まず着目したのは︑﹃エミール﹄の著者が﹁自己愛﹂へのその統合を介することで﹁憐れみ﹂という情念に与えた深い射程であった︒キリスト教の特にアウグスティヌス主義に一旦近接しつつも︑ルソー的﹁憐れみ﹂は人間の﹁弱さ﹂に感応する情念
として︵この﹁弱さ﹂は﹁憐れみ﹂を抱く主体にとっても自覚されるべきであった︶感性的現実自体に根ざす自然な共同性という﹁他律性﹂の肯定的基盤を独自に示す︒これは﹃エミール﹄の全体構成が︑エミールを﹁自律﹂的な﹁自然人﹂でありつつも特に思春期以後はソフィーという異性との﹁愛の精神的なもの﹂の成就へと導くものであったが故の必然でもある︒そもそも︑﹃エミール﹄がストア的倫理では決して前景化されぬ次元を本格的・意図的に取
り扱った論考であるのは余りにも自明であろう︒そこでは﹁子供﹂そして﹁女性﹂の教育だけでなくそれらの存在の代替不能な決定的重要性が指摘され︑かつ従来からこの著作の核心部とされてきた第四篇でさえ﹁愛の身体的なも
の﹂と不可分に交錯する﹁愛の精神的なもの﹂の顕在化をその隠れた始動因とするのであった︒そして特に﹁女性性﹂そして﹁愛の身体的・精神的なもの﹂の交錯する場こそ︑﹃エミール﹄の美学的思索の中核をなすその﹁趣味﹂論が何よりも前提とするものに他ならなかった︒とは言え本論が最終的に注目したのは︑このストア主義的自律性に恰も対立する他律性が︑﹃エミール﹄趣味論の美学論的議論においてもまた共存していることである︒事実︑エミールがソフィーとの﹁良き趣味﹂に基づく幸福な生を実現するに際しても︑確かに﹃エミール﹄の著者はそこに﹁徳︵
ver tu
︶﹂のために能動的に﹁戦う﹂ストア的﹁強い主体﹂の必要性を改めて強調する︵﹁勇気がなければ幸福はないし︑戦いなしには徳はない︒徳という言葉は力からきている﹂︵IV , 817
︶︶︒とはいえ︑ルソーはその﹁徳﹂の行使が決してストア派の言う人間の﹁弱さ﹂の典型た る﹁情念﹂の単純な排除ではなく︑むしろ﹁情念を支配するには情念を持ってする他はない﹂︵IV , 654
︶ことに拘り続ける︒﹁自然そのものから自然を規制する適切な道具を引き出さねばならない﹂︵IV , 654
︶からである︒﹁情念﹂という﹁弱さ﹂を克服する鍵はまさに︑その﹁弱さ﹂としての﹁情念﹂自体にあるのを心身ともに自覚すること︑それが﹁自然﹂たる﹁自己愛﹂が真に﹁強い主体﹂に要請することに他ならない︒かくして︑﹃エミール﹄の著者はその冒頭で引用したセネカの﹁自然自身が我々を助けてくれる︵
ips a n os n atura j uva t
︶﹂︵IV , 239
︶という言葉を独自な形で昇華したと言うべきだろう︒主知主義に傾くストアの理性的な﹁自然﹂よりむしろ︑感性的現実たる﹁情念﹂とい う﹁弱さ﹂と不可分な人間の︵﹁自己愛﹂を中核とする︶﹁自然=本性﹂に﹁悪︵=病︶における治癒︵le r em ède da ns le m al
)40(︶﹂の基盤を見出したのである︒かくして︑﹁徳﹂を具現しうるルソーの﹁強い主体﹂とは︑同時にまた自らの﹁弱さ﹂を自覚することで厳しい境遇にある他者への﹁憐れみ﹂に動かされる主体でもある︒﹁良き趣味﹂たる﹁些細なことで自己を知る術﹂によって見出される﹁美的なもの﹂の齎す﹁他者と分かち合うべき楽しみ﹂もまた︑﹁人間愛﹂の基底たる﹁憐れみ﹂に揺さぶられるこの﹁強さ﹂と﹁弱さ﹂の二重性に﹁自己愛﹂を介して自覚的なルソー的主体が希求するものである︒それ故にこそ︑﹃エミール﹄第四篇趣味論は︑﹁良き趣味﹂による田舎の﹁付き合い﹂を巡るその段落最後で︑辛い農耕仕事を終え帰途につく農夫とルソーの交歓を﹁心の底の情︵
en tra illes
︶﹂の感応の齎す素朴だが深い﹁快﹂の記述で結 ぶのである︒﹁私もまた心の底の情に少しばかり動かされる自分を感じ︵m e s en tir ém ou vo ir un p eu les en tra illes
︶︑﹁私はまだ人なのだ﹂とそっと呟き嬉しい気持ちになるのである﹂︵IV , 688
︶︒さて︑﹃エミール﹄公刊の一〇数年後にルソーは﹃孤独な散歩者の夢想﹄︵以下﹃夢想﹄と略記︶を絶筆として残し世を去る︒﹃告白﹄︑﹃ルソー︑ジャン=ジャックを裁く対話﹄そしてこの﹃夢想﹄の自伝三部作自体︑晩年のルソーが全力で取り組んだ試みであり文学史のみならず美学・芸術史的にも極めて興味深い問題圏を構成する︒彼のこの試
みは古典主義美学・芸術論ではもはや説明できない射程を孕むからである
)41
(︒とは言え︑本論がこの﹃夢想﹄に着目したいのは︑あくまでも﹃エミール﹄とは違う形でルソーがストア主義を乗り越える立場︑そしてこれとの関連で更に︵ストア主義とも無縁とは考えられぬ古典主義とも対立する︶新たな美学の可能性を示し始めるからである︒その﹃夢想﹄冒頭から前提されるのは︑最晩年のルソーが﹃エミール﹄等の著作の禁書処分を契機とする迫害そし
て﹃告白﹄朗読とその部分的出版によるスキャンダルで孤絶を深めた状況である︵﹁こうして私は地上で一人きりになった﹂︵
I, 995
︶︶︒興味深いことに︑言わば社交世界や他者との繋がりを喪失した︵或いはルソーによれば﹁喪失させられた﹂︶この状況は︑ヒュリウングの指摘する通り︑自己充足したストア主義へのルソー的同意を表明するのには最適な筈であった
)42 (︒実際︑有名な﹁第五の散歩﹂や﹁第七の散歩﹂の度々言及されるあの充足体験は︑﹃エミール﹄趣味論の﹁些細な物事﹂による印象と同様に﹁周囲の物事の齎す浅いが甘美な印象﹂︵
I, 1063
︶に向けられるものの︑それは特に﹁第五の散歩﹂で﹁神の様に自分自身に満足する﹂︵I, 1047
︶体験を語るではないか︒しかしながら︑むしろそれは部分的で表層的な一致に過ぎないとも言える︒ルソーの記述を冷静に読めば了解できる様に︑この甘美な言わば感性的つまり美的体験を享受する主体は︑必ずしもセネカらストア主義の理想の賢者たる主知的な﹁強い主体﹂の観点のみでは説明がつかない︒﹁第五の散歩﹂で甘美に想起されるのは︑﹃夢想﹄起草に一〇年以上遡るサン・ピエール島での逗留体験だが︑それでさえルソーは湖畔の波音に導かれて自己の﹁存在﹂感情に夢想する姿を以下の様に記述する︒﹁その水の寄せる波と返す波︑持続し間をおいて高まり︑緩むことなく私の耳と目に印象を与えるその水の音は︑﹇中略﹈苦労して考えることをせずとも︑自分の存在を快く私に感じさせるのだった﹂︵
I, 1045
︶︒事実︑﹃夢想﹄の著者は︑﹁比較﹂に基づく筈の﹁思惟﹂と﹁反省﹂という知性の行使自体を︑自分が老境に至る以前から﹁常に辛く魅力ない営み﹂としか感じられないが故に︑﹁夢想﹂における﹁想像力﹂と﹁感覚﹂の自由な享楽を求める︒﹁私は時折非常に深くものを考えてきた︒しかし楽しんで考えたのは稀でしかなく︑殆ど常に私の意に反してか強制されてのことだ︒私は夢想することで疲れが取れ楽しくなるが︑思索すると私は疲れ切ってしまうし悲しい気持ちに なる︒思考は私には常に辛く魅力ない営みだった﹂︵
I, 1061–1062
︶︒しかし︑より重要なのは︑その享楽が﹁知性﹂の自覚的な働き以上に強い﹁意志﹂さえ欠いた﹁受動性﹂つまり﹁弱さ﹂に裏打ちされることである︒この意味で決定的なのは︑﹁第二の散歩﹂のメニルモンタンでの臨死体験であろう︒デンマーク犬に不意に突き飛ばされ大怪我を負い気絶した後の覚醒時に︑ルソーが覚えた体験である︒﹁夜の闇がますます進んでいた︒夜空と星が幾つか︑少しばかりの木の葉の緑が目に映った︒この最初の感覚は甘美な瞬間だった︒そんなことを介してしかまだ私は自分を感じていなかった︒私はこの瞬間に生へと生まれついたのであり︑目に映った全てのものを私の軽やかな存在がみたし
て行く様に思えた﹂︵
I, 1005
︶︒それは︑︵﹃告白﹄で既に語られた﹁思索的瞑想﹂︵I, 636–654
︶とは別の相貌を呈する︶サン・ピエール島での﹁夢想﹂体験を︑老境のルソーに﹁第五の散歩﹂で改めて想起させるための決定的体験でもあった︒成る程︑この記述が︑モンテーニュ﹃エセー﹄の一つの章と深く関わる事実は既に指摘されている
)43
(︒しかし︑研究者達がこれまで指摘していない一つの重要な論点がある︒フランスのストア主義復興を促したとされるモン
テーニュが︑自らの臨死体験を極めてストア的﹁非情念﹂の理想の枠組みで語っていること︵即ち﹁死への訓練﹂︶を﹁第二の散歩﹂の著者が強く意識した可能性である︒すなわち︑﹁第二の散歩﹂で記述される覚醒する際に覚えた正に﹁受動﹂的に享受したしかし甘美な﹁愉楽﹂の感性体験とは︑モンテーニュのそれとの表層的な一致にも関わらず非ストア的なものなのである︵﹁私は恍惚とさせる安らぎを自らの存在全体で感じた︒﹂︵
I, 1005
︶︶︒本格的検討は他日を期したいが︑名誉の為に自死さえ敢えて選び取るセネカのストア的﹁強い人間﹂はここにおいてももはや殆ど希薄である︒同じく﹁死﹂の可能性を前にしつつも︑自己と世界の同時的で不可分な感覚的現前を﹁美的体験﹂という﹁存在への贈与﹂としての﹁生﹂を語る新たな主体が告示されつつある︒﹃エミール﹄の著者は︑最晩年の別の著作における一見してストア的な自足した孤独な自己と世界の存在の一体的な運命論的享受でさえ︑ストア主義とは異
なる可能性を同時に示し得たのであった︒`
註
︵
を部分的にしろ生じさせそうな註の記述︵第二部の註︵ 献の情報と参照の際の省略記号は︑前二部のそれを受け継ぐ︒また︑この第三部の最初のこの註を借りて︑第二部での誤解
1
︶本論は︑紙幅の都合上︑三部に分けて掲載される︵前二部は既に掲載済みである︶︒尚︑本第三部の本文中および註の参照文7
︶︵八〇頁︶︶について補記したい︒それは︑本論者が︑グロティウスの語る﹁自然な社交性﹂としての﹁親近性﹂概念がセネカには確認できないとした指摘についてであり︑この指摘自体については何ら修正の必要を感じない︒但し︑勿論︑グロティウスが言う様に︑そしてバルベラックがグロティウスの指摘︵古代教父クリュソストモスの紹介に依る︶をその註で補強している様に︑他のストア派に﹁自然な社交性﹂としての﹁親近性﹂概念が存在すること︑これを本論者が否定するものではない︵但しバルベラックはその上でアリストテレスを更なる典拠としてあげていたことを本論は指摘した︶︒例えば︑バルベラックの言う様に︵
G ro tiu s, Le d roit d e l a g uer re e t d e l a p aix , trad . p ar B arb ey rac, ou vr.ci t ., p . 5
︵n.4
︶︶副詞形︵οἰκ είω ς
︶ではあるが︑マルクス・アウレリウス帝の発言を参照のこと︵﹃自省録﹄第九篇︑第一章︑第一節︶︒︵︵ 要なのはルソーがアウグスティヌスのうちに読み取ったものであるし︑それに対する彼の根底的な違和感である︒
Exp lica tio n d es M axi m es d es S ain ts , a rt.II, «V ra i» I, 1779 no te 1 p our l a p ag e 1012
定﹂︵︶である︵︵︶︶︒但し︑本論にとって重 グスティヌスのものだとしている立場はおそらくフェヌロンがアウグスティヌスを参照者の一人として述べる﹁不可能な想2
︶プレイアド版﹃夢想﹄の編者レーモンによると︑実はルソーのこのアウグスティヌスの参照は不正確であり︑ルソーがアウ︵
H. M eier , O n t he H ap pin ess o f t he P hilo sop hic L ife: R efl ect ions o n t he R ou sse au s R êver ies, U ni v. o f C hic ag o P r., 2016, p . 67. 3
︶︵
S. K ofm an, Le r esp ect d es f em m es , P aris, Ga lilé e, 1982.
分析については︑カントのそれも含む以下を参照のこと︒ 否定性もまた決して忘れることなく︶強調しておくべきだろう︒﹃エミール﹄を含めたルソー思想のフェミニズム観点からの4
︶ルソーの﹃エミール﹄は︑﹁女性蔑視︵ミゾジニー︶﹂の言説が度々指摘される著作だけに︑この点は︵ルソーのその言説の︵