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会社順調な場合の株式価値の大いさ

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(1)

会社順調な場合の株式価値の大いさ

その他のタイトル Estimation of Stock Value of Prosperous Corporation

著者 今西 庄次郎

雑誌名 關西大學商學論集

巻 3

号 2

ページ 101‑116

発行年 1958‑06‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021804

(2)

場 合

会社順調な場合の株式価値の大いさ︵今西︶ 私は先に本誌を藉り︑会社増資と株式価値の大いさの決まり方を述ぺた︒株式の収益価値の大いさ論としては︑会社増資の場合に止めず︑新設会社の場合︑会社減資の場合︑会社赤字の場合等色々の場合に就いてそのきまり方を検討しなければならないが︑矢張り会社業態順調な場合のきまり方が前提となる︒蓋し会社の増資︑減資︑赤字などは会社業態の謂わば特異な事態であり︑株式収益価値のきまり方の一般的︑基礎的な事項が与えられるのはこの業態順調な湯合であるからである︒底が会社増資の場合より後れ今本誌に会社業態順調な湯合の価値大いさ論を書いたのは︑勿論︑右の研究の方法順序に従っていないものではなく︑単に研究成果の発表の都合によるものに過ぎない︒冒頭に念のため一言お断わりして置く次第である︒

株式の収益価値は実体資本の挙げた利益︑即ち純益の︑会社の企業実力に応じた適正な分配︑所謂適正配当を資 本化したものである︒今︑この本質によって決定される大いさを取上げる湯合︑実行上の問題と云わうか︑究明し

それとしては︑先ず︑実体資本の挙げた利益︑即ち純益の確定が姐上に上る︒純益の確定が姐上に上ると云った

一部の人は︑会社利益の把握の困難を指すものと考えるかも知れない︒確かに︑会社利益を正確に掴み得な なければならぬ諸種の事態を見出すのである︒

̀ ,  

会社順調な場合の株式価値の大いさ

西

(3)

末を現在とした今期会社利益は︑ す

る ︒

あろうとかの想像︑予測を一切混じえない大いさである︒ 収益価値決定の基礎となるその利益は︑何より︑ ものとしてよいとなっているのである︒

一 月

い状態にある事例は決して少くない︒例えば次々に改良せられる生産装置を使用しなければならない会社にありて は︑それら装置につき一般のもの以上に短い歳月に減価償却をなさねばならないが︑その償却のやり方如何により 利益は相当に動く︒販売上信用方法が多くとられる事業にありては債権額の或る部分に貸倒れ償却を見込まなけれ ばならず︑その額の如何によりて利益は可成りに動く︒更に会社の中にはわざと計理に策為を施し帳簿を整備しな いものもある︒併し乍らこれらの会計困難を合理的に処理し︑会社の資産負債内容︑損益状態を明瞭ならしめるこ とは︑既に周知であろう如く︑会計学や一部経営学の任務に属し︑それら学問の研究対象となっているところであ る︒要言すれば︑冦では︑そのような曖昧な計理状態から来る利益把握の困難は︑会計諸学の力を藉り克服し得る 吾人が会社純益の確定が姐上に上ると云ったのは︑単に利益と云うもその内容には種々あるからである︒而して

﹁現在の現実の利益﹂でなければならない︒然らばこの現在の現 実の利益とは如何であろうか︒それは︑現在の利益状態を飽く迄基礎とし︑将来よくなるであろうとか悪くなるで これを明瞭ならしめるため具体的に説明しよう︒我国に於ては一カ年決算の会社もあるが︑多くは六カ月毎の決

算とせられているので︑

いま後者の場合とする︒而してこの場合も種々あり得るが︑仮りに六月末と十二月末だと 一体︑事業会社の営業成績はニカ月ぐらいをみなければ判らないものであり︑

つまり事業会社の営業成績︑

延いて純益の推移は大体ニカ月ぐらいが一つの期間単位となって推移するところである︒斯くて上例の場合︑

一月分利益に前年の十二月初から一月末までの成績の二分の一を出しこれを五倍

会社順調な場合の株式価値の大いさ︵今西︶

(4)

会社順調な場合の株式価値の大いさ︵今西︶

当と関係のある現実の利益は︑ の収益力が基となって定まるということとなる︒ が出るかも知れない︒この種の説をなす人々は︑ の利益を合計したものが現実の利益となるわけである︒

一月末︑二月末︑三月末としてはそれでもよ 一︑二︑三月分利益に二││三月分利益の二分の一を三倍して加算したものが︑四月末

一︑二︑三︑四月分利益に三四月分利益の二分の一を二倍して加算したものが︑五月末現在では︑

一、二、三、四、五月分利益に四ー~五月分利益の二分の一を加えたものが、六月末現在では、

現在の現実利益は上の如くにして与えられるというのに対しては︑

い が

︑ 四

末 月

五月末︑六月末では租 M 過去の利益が加えられ︑真に現在の利益というより遠去かっているとの説

一の六倍したものが︑以下同様にして五月末現在としては四月初から五月末までの利益の二分の一を六倍したもの

が︑六月末現在としては五月初から六月末までの利益の二分の一を六倍したものが︑

月以前の実績即ち実際の利益を基として現在の現実の利益となすのが妥当であると主張する︒現在の現実の利益を

﹁現在﹂に重点を置いて追求すれば右のようになるでもあろう︒併しこれでは株式価値は会社実体資本の挙げた利

益が分配せられるによって成立つという性格を減じたものとなる︒

のであり︑その一定期間に集められる利益こそ彼の価値の源となるのである︒従って︑上例に於て六月末として配

一 ︑

二 ︑

三 ︑

四 ︑

一月末現在としては前年十二月初から一月末までの利益の二分の

一般的に云って現在よりニカ

つまりそういう利益分配から超越し︑単に会社

一体︑株式は会社の利益が集績せられ一定の時に分配せられるも

五︑六月までの利益合計でなければならず︑ただ一月末の如きは

真の現実的な利益は一月分のみで残り六月末までの分は未定であるので︑前年十二月ー│︱月の利益状態という一 現

在 で

は ︑

ものが︑三月末現在では︑ して加算したものが現実の利益となる︒二月末現在では︑

一月から六月まで 一月分と二月分利益にその二分の一を四倍して加算した

(5)

月末としては最も現実的な数字を基とし今後の業績の良化や悪化の予想を一切混じえない額を加算せるものとされ

一寸触れて置こうと思うのは︑株式価値に関する企業価値説に於ける利益把握である︒

既に株式価値の本質論で明らかにした如く︑企業価値説は株式の価値は会社の収益性即ち収益力が中心となって与

えられるという見解に立つものである︒収益力は会社が現在挙げている利益そのものでなく︑利益を斎す素質︑換

言すれば今後挙げ得ると確信される利益

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で あ

る ︒

法 と

し て

而してこの企業価値説に於ける株式

価値大いさの決定であるが︑勿論︑収益力を如何にして把握するかが鍵とならざるを得ない︒この収益力の把握方

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  A•Hayes) は、日好況時と不況時を含む過去或る年間の利益平均、口最近の三乃至

五ヵ年間の利益平均︑国前期収益或は今年の予想収益︑国過去の成績による傾向線の投影 A

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  を挙げ︑之等の何れを用いるかの選択は企業の事情に応ずべきであるとして

その応用に就いて述べている︒若し株式の価値がこのように︵国の今年の予想収益の場合は暫く別として︶過去の

成績を基とした今後の収益力によって決まるものならば︑株式の価値は

1

年間︑少くとも半期間は変動しないこと

となるが︑斯かることはあり得ることであろうか︒株式価値は︑数日や半力月では動かないとしても︑

を単位期間として変動するのが事物の理となさざるを得ない︒これは吾人の如く現在の現実の利益が基となるもの

として初めて納得のゆくところである︒既に株式価値本質論で論じた如く︑私としては株式価値は企業の収益力に

よって決まるという見解を支持しないのであるが︑今価値大いさ論に於て株式価値の最も源泉たる会社利益の把握

につき︑吾人のやり方と比較する意味で少し触れた次第である︒

ヘイ ズ

ここで︑横道に入るが︑

る の

だ ︒

会社順調な湯合の株式価値の大いさ︵今西︶

一 ︑ ニ カ 月

(6)

会社順調な湯合の株式価値の大いさ︵今西︶

会社が原料

拙稿﹁株式価値の特質﹂本誌第一巻第四号一ーニ

0

D.A•Hayes,

Ap pr ai sa l  a nd   Ma na ge me nt

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S e

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1

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9 5 6 .  

p .2 84

│2 器 .

さて︑吾々の湯合に戻るが︑現在の現実の利益の決定に当り︑決算期当初に於ては︑ニカ月以前の実績を基とし

今後の利益を定めるやり方に就き心得えて置かねばならないのは︑それは営業成績に季節的変動のない事業会社の

場合に通用することである︒換言すれば季節的変動のある事業会社の湯合はその変動による利益の調整を施さなけ

れば却って現実的な利益とならないのである︒例えば例年八月に増収があり利益が多くなる事業を営み︑六月末︑

十二月末決算制をとっている会社にありて︑七月末現在の現実利益は六ーーー七月の利益を基礎として決定するとし

て︑八月分は平常月よりの増益を加算しなければならないのだ︒逆に八月に特に減収があり利益が少くなる事業会

社の場合には減益分を控除するを要すること附言する迄もないと思う︒素よりこの特別調整は例年の実績を基礎と

既に感得せられたと思うが︑以上述べた所は会社の通常の営業利益であった︒併し会社の利益はそれだけでな

<尚ほかにもある︒臨時的利益と総称せられるものこれである︒之等も現在の現実の利益の中に入り得るが︑それ

をそのまま収益価値の基礎たる会社利益に入れることは問題となるのである︒蓋し確実性こそ株式価値の本領であ

る︒工場の一部を売却して得た処分益の如きは通常の営業活動から全く離れており︑此種のものは適正配当の対象

たるより除くのが正当である︵此種の利益は将来の変動に備える準備金などに繰入れるが適わしい︶︒

につき思惑をなしそれが当って収めた利益も臨時的な利益に属する︒多くの場合これは期末に計上されず︑製品販 るからだ︒然らば臨時的利益は如何に処置すべきであろうか︒

一 体 ︑

一口に臨時的利益と云っても種々のものがあ したものに限ること云う迄もない︒

(2)  (1) 

(7)

売によって実現され通常の営業利益と混じり︑営業利益の増加となって現れるところである︒尤もこの場合でも投

機的利益は把握されないではなく︵原料棚卸を正確にやるなどで︶︑ 従って臨時的な利益として適正分配の利益に

入れることにつき考慮出来ないのではない︒而してその取捨であるが︑営業活動とも関係があるので︑前の工場処

分利益の如く全部除外ということは少し厳重に過ぎ︑或る割合だけを除外するのが穣当とされる︒而して幾許を適

正分配の利益に入れ幾許を除外するか︑例えば三分の一を分配利益に入れ三分の二を変動準備金等に向けるかなど

の割合は︑その利益額にもより︑事業の性質にもよるが︑大体当該経済社会として一般的に定まっている所がある

筈で︑それに従うべきである︒

以上︑株式の収益価値の前提たる会社利益の性質︑範囲を明らかにした︒収益価値としては会社利益の︑会社の

企業実力に応じた適正な社外分配が取上げられるのであるが︑この社外分配の材料となる利益として上来の如くに

決定される額をそのまま用いることは単純過ぎると云わねばならない︒と云うのは︑会社利益に対しては何れの国

に於ても所得税が課せられ︑上来の利益は減少するからである︒尤も会社利益に対する所得税︑所謂法人税は会社

利益の額に応ずるのが普通であるがゆえ︑敢えて税引利益とせずとも︑企業実力による社外分配率を厳しくすれば

上記の計算利益のままでもよいという主張がなされないでもない︒併し︑株式の収益価値の前提たる利益として現

実味と正確さを持つのは︑何としても︑税金を控除した利益であり︑この意味に於て税引利益を取上げるべしとな

る の

で あ

る ︒

収益価値の最も前提たる会社利益が確定されたので︑愈 M それを基とし直接の基礎たる適正配当を得ることであ

るが︑勿論会社の企業実力に応じた分配ということを明瞭にしなければならないわけである︒

会社順調な場合の株式価値の大いさ︵今西︶

Jヽ

(8)

会社順調な湯合の株式価値の大いさ︵今西︶

会社の企業実力とは︑会社事業の収益安定度︑会社の技術や生産設備の優秀さ︑資本構成の良さ等がファククー

とされた綜合的なものであることは︑既に株式価値特質論で触れて置いた︒今︑これらファククーには夫々諸種の

段階︑階級があり︑その意味では千差万別である︒併し利益分配の基準としてはそう細かく種別する必要がなく︑

大体︑優秀︑可良︑普通︑下等︑劣悪の五階段ぐらいに種別してよいところである︒尚︑階段を種別する理論的な

限界というものはなく︑例えば資本構成のよさのファククーの場合︑他人資本に対し自己資本がどれ位多く︑固定

資本と流動資本のバランスがどれ位とれておれば優秀で︑又どれ位であれば可良であるかは理論的にはきまらず︑

当該社会に存する一般︑社会的な標準できめられることなっている︒それは兎も角︑会社の企業実力はそれらのフ

ァククーを個別的に用いるものでなく綜合して用いるものであり︑然も各ファククーが夫々五段段に種別せられる

とせば︑結局それら階級の平均となって現れることとならざるを得ない︒例えば A のファククーに於ては優秀であ

る が

B ︑ C のファククーでは普通であるという湯合は︑乎均されて企業実力としては可良という階段にランクされ

ることとなるわけである︒要言すれば会社の企業実力も大体優秀︑可良︑普通︑下等︑劣悪の五階段とすべきこと

となるのである︒

註一寸註釈して置くが︑ここに挙げた優秀︑可良︑普通︑下等︑劣悪という会社階級別は利益分配の基準たる面だけを取上

げたのであり︑その優秀な会社が直ちに所謂一流会社とは限らないのである︒世間では会社のよさ︑地位の階級別をなし︑一

流会社︑二流会社︑三流会社︑弱体会社︑ボロ会社等としているが︑之等は更に収益の大いさ︑会社スケールの大いさ︑歴史

の古さ等が加味された︑より総括的な種別である︒

右により会社企業実力の具体的な内容︑性格は知られたと思うが︑これを基準として会社利益の適正な分配を決

定するというも︑それ自ら分配率に関する具体的な数字を与え得るものでない︒その数字は当該経済社会によって

(9)

丙 会 社

乙 会 社

甲 会 社

五 四 〇 八 〇

0  0  0  0  0  0  0  0  0 

万 万 万 金 円 円 円

四 0 9

6

一 六

二五彩 三 0

︱ニ・五彩 一

八 彩

資 本 税引年利益率

丁 会 社 下 等

丙 会 社 普 通

乙 会 社 可 良

甲 会 社 優 秀

企業実力 税引半期利益

六 0

0 0

万 円

1 0 0 0

万 円

1 0 0 0 0 万 円

三 0

0 0

万 円

四 0

五 0

六 0

適正分配率

三 0

之等の会社が何れも額面株制をとっており︑その資本金を夫々次の如くとすれば

適正年配当率 適正分配利益 三 六 00

万 円

五 00

万 円

四 0

0 0

万 円

九 00

万 円

セント︑下等三

o ・

ハーセソト︑劣悪見送り︒ 一応これを具体的に応用してみれば 定まる︒例えば或る国では実力優秀な会社の適正配当は利益の七

o ・

^ーセント︑実力可良な会社は六

o ・

^ ー

セ ン

実力普通な会社は五 0 バーセント︑実力下等な会社は四〇︒^ーセントとなし︑他の国では優秀会社は六〇︒^ーセン

ト︑普通会社は四 0 ︒ハーセントとなすが如くである︒ただ︑之等の数字的なものが会社実力に応じて定められ︑大

体五階級別とされるところに会社実力の基準としての働きがあるわけである︒素より社会的に定められるからには

同一国でも時代によってその数字の変化するのは当然である︒現在︑我国としてその数字はどれ位となっているか

法人税引利益に対し大体次の如くであると云ってよい︒優秀六〇︒^ーセント︑可良五〇︒^ーセント︑普通四 0 ︒^1

会社順調な場合の株式価値の大いさ︵今西︶

(10)

会 社

順 調

な 湯

合 の

株 式

価 値

の 大

い さ

︵ 今

西 ︶

社 三

0 0 0 0

万円

会社の適正配当︑吾人の所謂配当力が現在の現実の利益と会社の企業実力を基準としてのみ決定し得るものであ

れば︑或る意味で事は簡単である︒併し適正配当の決定については更にそれを規定する力のあることを知らねばな

らないのだ︒今︑或る会社の半期純益三

0 0

0 万円︑その企業実力普通で適正利益分配率四

o ・

^ーセントとすれば︑

配当利益︱二 00 万円となる︒が︑その資本金が四

0 0

0 バーセントとなるが︑ 万円だとすれば適正配当率年六 0

このように高率なるに於て︑それは適正配当とはなり難いのである︒蓋し︑それをチェックする力が働くからであ

る︒然らばそこに働く力とは何であるか︑それは社会の高率配当抑制である︒

凡そ通常の資本主義社会に於ても公益的とみられる事業にありては︑夙に暴利が自制せられると共に︑それらを

営む会社の配当も一定率以上は法令により或は社会的圧力によって制止せられて来た︒併し資本主義社会が社会主

義的な基調を取入れるにつれてその情勢は一般の事業︑会社にまで延ばされるに至ったのである︒ただ一般事業に

対する抑制は法令を以て直接に働きかけるよりも専ら社会的な圧迫︑力となって働くのであった︒それに兎も角︑

高率配当の抑制は資本主義社会の社会主義化に応じその度合を強めたのであり︑その強化は︑必ず適用される事業

や会社の範囲の拡大という方向をとった︒従来公益事業とは特別金融事業や鉄道事業︑瓦斯事業の如きものに限ら

れていたのが︑普通金融事業︑主食に関する製造業等にまで拡大せられ︑又配当抑制の対象となる一般事業会社は

或る程度以上の資本を持つ会社に限られていたのが次第に小資本の会社にまで拡大せられたというふうである︒次

に強化の方向は制限率の厳格化に向けられた︒従来公益事業の会社配当の場合最高一五︒ハーセント位︑

会社配当の場合五〇︒^ーセント位であった国に於て︑前者︱二︒^ーセントから一 0

︒ ハ

ー セ

ン ト

︑ 後

者 四

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会 ニ 0

六彩

一 般

事 業

(11)

以上︑今日多くの国に於ては︑現実の株式配当に就き高率配当抑制という社会的圧力が加わりつつあるところで

ある︒勿論︑適正配当は現在その会社としてこれだけの配当を行うのが至当だという大いさであり︑会社が現実に

やる配当でない︒併し適正配当は会社の企業実力に相応した配当として︑現実に行われる配当の標準たるものであ

る︒会社は種々の経営政策から適正配当を無視した配当を行うとしても︑それは一時的に可能なるに止まり永続す

るものでなく︑結局は適正配当に還らざるを得ないのだ︒従って適正配当は決して観念的︑抽象的な存在でなく︑

現実配当と関係を有つものである︒この点は既に株式価値の特質論で述べられたところであるが︑適正配当が現実

配当と無関係たり得ないとすれば︑その大いさの決定が理実の世界と全く離れてなされてよいものでないことは当

然である︒要言すれば︑高率配当抑制は現実の配当に加えられつつある制限だとしても︑適正配当としてもそれを

取入れる︑つまりそれによって限度づけなければならないのである︒

荘で一寸触れて置くぺきは︑この高率配当抑制の情勢に対し一般会社としてもそれに順うばかりでなく︑中には

対応的な策をとるものも生ずるに至ったことである︒此の種の対応策として挙げられるのは︑適宜に増資をやるこ

と︑無額面株制 No

P a

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の案出である︒ただ︑適宜に増資をやることがどのように高率配当抑制

に対応するものとなるかは︑増資による株式価値の問題であり︑後章のその那︵﹁積立金分配の増資をする会社株

式 の

場 合

﹂ ︶

も あ

る が

に於て取上げるべきこととなる︒無額面株制の採用の方は増資と関係なく此処で要述してよいようで

アメリカの例などをみれば無額面制による高率配当抑制にも矢張り会社株式数を増加する所謂スビリッ

② 

ト・アップを行うのが普通であり︑従ってこれも会社増資に伴う価値変化の所で説くのが場所とし A 適わしい︒斯 トから三〇︒^ーセントとなったというふうである︒

会 社

順 調

な 場

合 の

株 式

価 値

の 大

い さ

︵ 今

西 ︶

1 0

 

(12)

会社順調な湯合の株式価値の大いさ︵今西︶

れを会社株式の総額について取上げて来た︒ くて︑荘では高率配当抑制の圧力に対し対応する手段がないでもないことを指摘するに止めて置く︒

栽としてほ既に先に発表した︒﹁会社増資と株式価値の大いさ︵二︶﹂本誌第二巻第四号七ーニニ頁

扱︑高率配当抑制の度合︑就中最高限であるが︑前に要言した如く︑当該社会主義化の程度に相応し︑従ってそ

の具体的な数字は各資本制国に就いて見出さなければならない︒処で︑今或る国で額面株制がとられ︑配当の最高

限度が一般事業会社株で年三〇︒^ーセントというとき︑適正配当の最高限としてはそれより少し多く︑例えば三五

パーセントぐらいまで余裕を認めてよい︒蓋し高率配当抑制の行われる国に於ても︑臨時或は紀念配当の名目で数

年乃至五年目位毎に相当の配当を余分に行うことが慣行となっており︑これは考慮さるべきであるからである︒

註臨時配当は最近我国で行われている所謂特別配当とは別である︒近時︑我国の会社は配当を︑恒常的な︑つまり出来るだ

け持続せんとするー|利益が少くなり配当が困難となっても積立金を崩すなどまでして行うー~普通配当と、今期通常と考え

る以上に利益が挙がったがため余分になし︑従って将来やめる可能性の多い特別配当とに分ち︑行わんとしている︒即ち特別

配当は今期配当の一部であり︑単に会社の都合で二分されたものに過ぎないわけである︒

これ迄述べたところは︑株式収益価値の公式の分子の方に該当する配当力即ち適正配当に就いてであったが︑そ

一株の計算としてはそれを総株式数で除さなければならないが︑勿論

全体に就いて述べて来た説明はそのまま部分たる一株当りに就いても当てはまる︒処で︑株式収益価値公式の分子

としては適正配当のほかに尚株式に対し与えられる利益があれば之を加えねばならないのだ︒限られた範囲の会社

であるが︑株主優待としてその株式に利益を分配する例がある︒この事は証券収益価値本質論で触れて置いたとこ

ろであるが︑此種利益を適正配当に加算することに就いては︑実は疑問を懐く人があるかも知れないのである︒そ

( l J  

(2) 

(13)

株だけ所有すべきものである︒株式である以上︑

株が真の︑換言せば利益分配の上からの持株単位となっているというわけである︒従って単位数以下の所有者は配 これらは如何に処理さるべきであるかであるが︑

( A

例 ︶

一株の所有でも妨げないわけであるが︑当該会社としては単位数

一 体 ︑

れは︑現実配当ならば表面的には内輪に止められてその代わりに株主優待を行うて補うということはあり得るが︑

適正配当は会社の適正可能な分配利益の全部たるものであり︑之に株主優待を加算するときはこの分だけダプルこ

ととなるという考に基く︒併し注意すべきは︑適正配当は会社の利益として計上された利益を基として決定される

ものであり︑然も会社利益としては若し株主優待を行わざればその分のものもそれに加わる筈だということであ

る︒つまり株主優待のある会社に就いては適正配当の決定対象とならなかった利益があり︑この分の分配を考える

ことは当然なのである︒従って株式収益価値の公式の分子として適正配当に加えて株主優待分を加えることは︑云

うが如くダプったことにはならないのである︒さて︑所謂優待利益の加算であるが︑今収益価値大いさ論としては

勿論︑その利益を如何に加算するか加える方法が中心問題となるところである︒

説明を容易にするため株式優待の例を挙げてゆこう︒

或る映画会社では株主優待として一定期日に於ける一

00

株以上の株主に︑その経営映画館普通招待券

︵ 入

湯 料

00 円︶を月に一枚の割で送附し︑五 00 株以上の株主には経営劇場一等席招待券︵入場料五 00

円 ︶

を月に一枚の割で送附し︑

一定単位を基準とするのが通常である︒斯かる場合

1 0 0 0

株以上の株主には右劇場招待券を月に二枚の割で送附する︒

株主優待として株式に与えられる利益はこの例にみる如く︑

その単位数株以下の所有者は利益を与えられず︑又その単位数株以上を持つも単位数株と同じ利益に止まる︒

会 社

順 調

な 場

合 の

株 式

価 値

の 大

い さ

︵ 今

西 ︶

一言にして云えば︑その種の会社株式は本来きちんとその単位数

(14)

会 社

謳 調

な 場

合 の

株 式

価 値

の 大

い さ

︵ 今

西 ︶

( C 例 ︶

当以外の分配利益を拗棄しているものに外ならない︒この事は単位数以上の株式所有に就いても同様である︒約言

えられているとみてよいのである︒この︒フリンシプルによれば上例の湯合一 00 株で一カ月一

00

円︑半年で六 0

1 0 0 0

株の場合も同様に六円となる︒即ち一

00

株でも五 00

株 で

も 一

0 0

0 株でも一株当

り利益は同額である︒何れにしても既述半期決算の適正配当額一株当りに之を加算したものが収益価値公式の分子

となるわけである︒

或る映画会社では株主優待として一定期日に於ける一︱

1 0

0 株の株主にその経営映画館の普通席招待券

︵ 入

場 料

00

円︶を月に一枚の割で送附し︑

月に一枚の割で送附する︒

此の例から特に取上げられる問題点は︑前の

A

例では単位株数三種類の何れの場合も一株当り半期六円であった

のに対し︑単位株数三

00

株の場合一株当り半期二円︑

ところである︒然らばこの点は如何に処理されるかであるが︑これはその会社の株式所有が三

00 株単位のものが

多 い

か 一

000

株単位のものが多いかが決め手である︒

株式の一般的な所有と看倣し︑

( B 例 ︶

一株当り︑単位数株に就いての利益を単位数で除しただけの利益が加

一株当り六円となる︒五

00

株の場合でも一カ月五 00 円で半年三

0 0

円 ︑ 0

1 0 0 0

株の場合三円というようにその利益が同一でない

つまり三

00

株の所有が多いときは三 00 株をこの会社の

一株当り半年二円を加えるべしとされるのだ︒何れにしてもこのように単位株数に よって一株当り利益の異る時は何れがより客観的︑普遍的であるかを調べ︑それにより決すべきものである︒

或る電鉄会社では一定期日に於ける一

000

株以上の株主に全線定期乗車券を交附する︒ 株当り矢張り六円︑ 0 円の利益が与えられるわけで︑ すれば︑その種会社の株式は配当のほかに︑

1 0 0 0

株の株主には経営劇湯一等席招待券︵入場料五

00 円︶を

(15)

具体的にしなければならないわけである︒ 中には利用回数の この例から特に取上げられる問題点は︑全線定期乗車券が与えられるというが︑株主によって︑乗車利用する区

間︑並びに乗車回数が異り︑ために加算利益一株当り幾許か直ちに決定し難いという点である︒然らばこの点に対

する処理は如何︒先ず乗車区間の点は︑当該株式の所有者が最も多く利用する区間というのが客観的︑普遍的であ

り︑それによって決すべきであり︑その区間の半力年定期乗車賃を単位株数で除したものが一株当りの半期加算利

益となる︒次に乗車回数の点は︵これと同様な事態は映画招待券の場合にもあり得るわけだ︶︑

少い人があるとしてもそれは勝手に不完全利用をしているとみるの外なく︑当該電鉄の所在地から遠方の地に住す

る人に至っては折角定期乗車券を貰っても一回も利用する機会がないわけであるが︑これらはその利用の出来ない

ことを覚悟して︵拗棄して︶所有しているとみるの外ないところである︒

改めて云う迄もなく︑株式の収益価値は株式に与えられる実体資本からの分配利益を資本化︑ つまり株式一般の

対価歩合を以て除したものである︒従って収益価値の大いさ論としてはこの資本化歩合即ち株式一般の対価歩合を

既に証券の本質論で触れたところであるが︑近代の大規模企業︑就中株式会社企業にありては資本と経営の分離

が行われ︑自己資本に対する対価は経営労務に対する対価と分離するに至った︵従来は自己資本に対する対価は利

澗という名目の下に経費︑即ち原料代︑労働に対する対価たる労賃︑他人資本に対する対価たる利子等を支払った

剰余として与えられた︒従ってこれは自己資本に対する対価と経営労務にする対価との混合したものであった︶と

共に︑他人資本に対する対価も企業の利益︑即ち原料代︑労賃等の経賃を支払うた残余から支払われる状態となる

に至った︒今日︑生産企業にありては他人資本の借入れは労働や原料の購入と異り必然的なものでなく︑借入れて

会 社

順 調

な 場

合 の

株 式

価 値

の 大

い さ

︵ 今

西 ︶

一四

(16)

会 社

順 調

な 湯

合 の

株 式

価 値

の 大

い さ

︵ 今

西 ︶

一五

活用し︑相当の利益を生むか否かを考えて利用するところであり︑殊に自己資本の代理として用いられんとしてい

る︒勿論︑他人資本は自己資本と異り返還せられねばならず︑他人資本対価は自己資本対価に優先して支払われる

という性質上の相違がある︒けれども既に双方が選択的な地位︑性格を持つとすれば︑それらの対価の間に一定の

一国の資金全体の需要供給関係によって定まる資本対価の体系の上で︑

郵便定期貯金や銀行定期預金等の長期預金︵当座預金︑普通預金の類は通貨的︑決済的預金で資本に入らない︶を

最も基底とし︑その上に公社債的資金︑更にその上に株式資金が位置し︑夫々の間に一定の対価の開きを持つとい

う状態である︒この対価の開きは仲々に堅く︑ 一定の度合を持続せんとする︒即ち公社債的資金対価が余りに上れ

ば定期預金的資金の或る部分が前者の層に移行すると共に株式資金もそれに転換せんとし︑又株式資金対価が余り

に上れば定期預金的資金並びに公社債資金の或る部分がその資金層に移り︑逆にその対価が余りに下ればその資金

は他の資金層に移らんとする︒勿論長期的にはその開きの大いさは幾分変化するが︑或る時期としては結局一定の

ノーマルな開きが存するところである︒而して今一国の資金対価が斯くの如き関聯体系にあるに於て︑株式の一般

対価歩合もそれを利用して把握することが出来る︒即ち︑定期預金的資金対価はその資金が最も基盤的であるだけ

にそれが高過ぎ低過ぎるということが少く︑ つまりその時期の基準たる性格を持つ︒然もこの対価は一般に公然と

なっており容易に指摘出来るところである︒従ってそれを取上げ︑それに︑それと株式資金対価とのノーマルな開

きを加えると︑元来表面的でない株式対価歩合が得られることとなるのである︒

この湯合︑問題として提起されるのは︑定期預金的資金対価と株式資金対価のノーマルな開きは如何にして決定

せられるかであるが︑これは︑多数株式の平均利廻をとり︑定期預金的資金対価との比較を長期的に行うて判定す 関聯を持つこと確かである︒その関聯は︑

(17)

経済論集第五巻第四号一ーー.一七頁

る︒大切なのは長期的にみることである︒元来株式平均利廻は正当な株式資金対価より外れている湯合が多い︒従 って一年間乃至二年間に亘り︑各月の両者の開きをみ︑その平均︑或は最大最小の開きを除くなどの方法をとるべ きであるのだ︒

世間一部には株式の一般対価歩合として株式の平均利廻をそのまま用いてよしとなす者がないでもない︒併しこ

れは誤りである︒上に述べた如く平均利廻は多くの場合正当な株式資金対価から外れているのである︒平均利廻が

そのようにアプノーマルとなるのは︑種々の原因もあろうが︑主としてはその材料たる株式価格が高過ぎ安過ぎて

いるからである︒株式価格が高過ぎたり安過ぎたりしていることは周知のところと思う︒実際問題として株式価値

が研究せられる最大の目的は株式価格の当否を判断せんとするにある︒この目的に立ってみた湯合︑株式価値を決

定する材料として平均利廻を用いることは全く不合理となる︒蓋し批判される対象を材料として批判するものを作

ること︵循環論法

V i c i

o u s

C i r c

l e )

となるからである︒

栽としてほ既に先に発表した︒ 尚︑一部の者は平均利廻を株式の一般対価歩合として用いる以上に︑単刀直入的と云うか平均利廻を以て株式価格の当否

を判断せんとする︒この方は後章に於て︑価値と価格の関係論を済ました後︑価値に代わって株価を判断するものという題目

l l  

の下に批判することとしている︒

「株式利廻と株価収益比率ー—株式価格の当否を判断するものとして」関西大学 会社順調な湯合の株式価値の大いさ︵今西︶

一六

参照

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