カナダの上院︵一︶
憲法と第二院
富 井 幸 雄
一 はじめに1参議院とカナダ上院
ニ カナダ上院の憲法上のデザイン
ー カナダ上院の起源ー立法評議会
2 ケベック会議
3 制憲者の意図
三 カナダの二院制と連邦制
四 カナダ上院の構成と議員の任命制
1 上院の憲法枠組み
2 政権との摩擦
3 上院の正当性−任命制の功罪
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七ー二︶ 三五
4 上院議員の選出−州の代表?
5 上院の議事運営と議長の役割
6小括
︵以上本号︶五 カナダ上院の役割
1 上院は立法⁝機関の独立した一部である
2 国政調査研究⁝機能
3 新たな役割
4 小括
六 カナダ下院との相違
1 上院議員のユニークな選出方法
2 財務法案における下院の先議権
3 憲法改正の発議
4 小括
七 カナダ上院の改革をめぐる議論
1 焦点 ︑
2 憲法改正と上院改革ーシャーロットタウン合意
3 憲法改正によらない上院改革論ースミスの主張
4 検討 三六
八 むすびにかえて1第二院問題とカナダの示唆
付録
一 はじめに1参議院とカナダ上院
第二院とは何なのか︒アメリカはさておき︑二院制︵ぴ︷6①b﹈O﹃①匡o力出P︶をとっている国で上院︵第二院︶の存在に苦 ユ 悶していない国はないのではなかろうか︒わが国での第二院たる参議院は︑現実に憲政の運用では︑これまでのとこ
ろ︑国民により近いとされる衆議院のカーボン・コピーと評されるのに甘んじている︒
連邦制をとらないにもかかわらず︑国民の公選によって構成される第二院H参議院を設置した意義は︑衆議院と抑
制均衡の関係にたたせて︑議会審議の慎重を期すことにある︒アメリカのような連邦制をとっていないから︑二重代
表︵合巴 苫買Φ・・⑦巳昌8︶をとる必要性は日本にはない︒しかし︑日本側は制憲時︑二院制の採用にこだわった︒ ﹁不当な多数圧制に対する抑制と︑行き過ぎたる一時的偏奇に対する抑止的任務を果たす﹂企図があったのである︒
衆議院だけの審議では︑そこに代表が真に貫徹されているか︑審議は慎重になされているかの懸念が前提にあり︑こ ぎ れを補完するために参議院が必要とされる︒数の政治である衆議院を牽制する意義もある︒衆議院が政党や数に物を ハ いわせる院であるのに対して参議院を﹁良識の府﹂とさせ︑議論を深めるのである︒そこでいう﹁良識﹂とは︑さし
ずめ︑衆議院での審議を支配する原理ともいうべき︑多数派工作や党議拘束といった民主主義の露骨な原則にではな
く︑公共心に基づいた理性的議論の深化という共和主義的視点を重視するということであろう︒立法が多数決民主主
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七⊥一︶ 三七
三八
義のみでなされることへのささやかな不信も背後にあることは否定できない︒ただ︑参議院は衆議院と同じ人口比例 ︵5︶で代表させていることと矛盾しないかの疑問は出てくる︒ ︵6︶ 参議院にはこうした憲法の意図を生かしきれていないとの批判がつきまとう︒衆議院を抑制する機能はみられない
とまで非難される︒衆議院のカーボン・コピーとさせないためには︑参議院で立法案の矯正や審議が自由になされる ︵7︶制度運営が必要なのだ︒現状では党議拘束がかかり︑それが発揮できないうらみがある︒
参議院改革は︑憲法の意図した機能を前提としてその発揮のために選出方法はどうあるべきかの議論を内包してい ︵8︶る︒一方で︑参議院が抵抗の府となるのは好ましいことではないことも多く語られる︒衆議院が純然たる代表機関で
あるから︑そうでない参議院が拒否の機能を果たすのは民主主義に反するということであろう︒しかし︑参議院も公 ︵9︶選によっているし︑選挙方法も現行では衆議院の選挙と大差なく︑また人口比例の要素を否定してはいないので︑衆
議院が参議院より民主主義的であるというのは︑解散がある︑任期が短いという相違点に︑国民の意見をより実直に
反映させやすいという意義を見出すものでしかないともいえよう︒日本国憲法︵四三条一項︶は参議院議員は公選に
よるとしていることに留意したい︒
本稿は︑わが国と同じ議院内閣制をとるカナダの上院を取り上げて︑第二院︵上院︶問題がその国の憲法との関係
でどのよう考えられるのかを検討する︒議院内閣制︑さらにイギリス型のそれという点では︑カナダとわが国は同じ
であるけれども︑カナダは連邦制と議院内閣制の中での上院であり︑比較憲法の関心を呼ぶ︒カナダの上院は︑イギ ︵10︶リス議会の伝統をそのまま引き継いだ︒一八六七年憲法は︑カナダを連邦制国家とするとともに︑ウエストミンス ︵11︶ター型の責任政府の原理を連邦制と符合させる試みを行う最初の国家としたのである︒カナダの憲法はアメリカ型の
連邦制を採用した︒そのとき上院もアメリカのような州代表という機能を見出されなかったのか︒一九八二年憲法は
憲法保障にかんしてアメリカ型の司法審査制をとり︑議会対裁判所という構図をとる︒カナダの立憲主義はイギリス ︵12︶の伝統の中にアメリカ型が侵食していった憲法史を持つ︒上院の意味についてもそれがみられなかったのか︒興味は
︵13︶
尽きない︒カナダはイギリス型の立憲君主制を採った︒一方でアメリカの連邦制原理を採用し︑上院議員も︑その選出には州
を単位としたのであり︑連邦制型の第二院とみることもできる︒こうした混合型にあってカナダ上院はどのように展
開されていったのかを見ることは興味深い︵簡単な歴史については付録参照︶︒カナダ憲法研究は︑イギリス法を継
受しつつも︑政治的には南の隣国アメリカから大きな影響を受けながら立憲主義を発展させてきたことに関心が注が
︵14︶
れよう︒本稿はこうした比較憲法に興味を示しつつも︑カナダの上院がどのように評価されてきているのかを考察し︑現代立憲主義における第二院の意義を考え︑日本国憲法における参議院の意味を考えるよすがとしたい︒
第二院はいかなる機能を果たすべきか︒それを見据えた上で︑そのメンバーをどのように選ぶか︒これが第二院問
題の要諦といってもよい︒もとよりこの議論にはさまざまなアプローチが可能であろう︒ただ︑第二院が憲法で立法
府の一部とされていることから︑憲法学的考察が基本でなければなるまい︒具体的には︑憲法は第二院にどのような
役割を与えているか︑さらにどのような構成や議員の選出方法を規定しているかを把握する︒無論︑憲法は改正を拒
むものではない︒憲法が意図した第二院が無用である︑あるいは別の権限や選出方法が不可欠であると考えるなら︑
第二院の改革論として憲法改正を視野に入れた議論も必要となる︒
本稿は︑カナダ上院の構成や選出方法︑権限について︑カナダ上院が憲法ではどのように位置づけられているかを︑
制憲者の意思と憲法の条文の構造を中心に検討する︒ウエストミンスター型の議院内閣制をとる一方︑連邦制をとり︑
上院は州や地域の利益を中央政治に反映させる意図を持ったため︑アメリカの上院に近い︒ただし︑選出方法はイギ
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七ー二︶ 三九
四〇
リスと同じ任命制である︒カナダ憲法は︑財務法案の先議権を除いて下院と同じ権限を上院に認めている︒現実には
上院は控えめな立法府として立ち振る舞ってきた︒ただ︑時として政権‖下院に拒否的態度をとることはあった︒こ
れは憲法上どのように評価されるのか︒
カナダ上院の改革は︑立憲主義確立当初︵一八六七年︶から叫ばれている︒カナダ上院は改革すべきであるとの意 ︵15︶見の一致はみられるものの︑どのように改革すべきかは定まらず︑今日まで主要な改革はなされずじまいである︒カ
ナダ上院は﹁いらいらするパズル﹂であり︑廃止論も含めて憲法制定以来多くの批判や改革案が出されたけれども︑ ︵16︶一八六七年憲法制定以後︑実質的な変更はなされていないo改革論は憲法との関係でどう評価されるのであろうか︒
カナダ議会制についてカナダの上院ほど多く書かれた対象はないが︑同時に書き手である学者やジャーナリストの ︵17︶多くが既存の上院のイメージに満足しているために︑最も研究されていない機関とされるのも上院である︒一九九二 ︵18︶年のシャーロットタウン合意の決裂から︑上院の改革は喫緊の政治的利益のある憲法論であることをやめてしまった︒
多文化主義やケベック問題といったカナダ特有の政治問題が上院改革の議論にも影響しているのをみるのである︒ ︵19︶ わが国の参議院の意義をめぐって諸外国の第二院が研究される中︑カナダの上院にも言及されることがある︒カナ
ダ上院を研究するのは参議院をどうするかの視点と切り離すことはできない︒筆者もこの点は了解するものの︑むし
ろ︑憲法は第二院をどのように位置づけるか︑その類型を探る意味でカナダの上院を検討する意義を見出す︒まずは
カナダ憲法の様相に習熟したい︒はたして︑第二院と憲法の関係についてのこの考察から参議院と憲法をめぐる議論
にどのような示唆をひきだせるであろうか︒
一一
@カナダ上院の憲法上のデザイン
ー カナダ上院の起源ー立法評議会
︵20︶ 北米英国領カナダは一八三二年までには代表政体を有するにいたっていた︒それは領内において︑立法権︑課税権︑
調達の承認権を有した︒執行権︵o×o合96︶は︑代表によつてではなく︑本国イギリス政府が任命する総督が有した︒
彼はイギリス政府植民地部にのみ責任を負ったため︑責任政府︵﹃oのづ8・・巨oぬo<o日日6旨⇔ではなかった︒その後︑
一入三七年の議会と総督の間の衝突を契機に︑一八三九年︑全北米英国領の総督となったダーラム卿︵9己O已昏§︶
が提案し︑一八四八年のノヴァスコシアの総選挙での試行を経て︑議院内閣制︵o書芦卑自窟法①日⑦昌冨頃晦o<︒日日9⇔
が成立した︒
宗主国イギリスは︑ケベック植民地をセントローレンス川上流域のアッパー・カナダ︵dUO零○芦注①︶と下流域
のロワー・カナダ︵↑o司巽ひ§註①︶に分割し︑各植民地に議会設置をはじめイギリスの統治体制を明確にするため ぶ に︑一七九一年︑立憲条令︵昌O︹︸O⇒oり口巨口O口①一ぎ古﹈−O﹄已目6﹈﹁﹃Φ﹂︶を発布した︒そこでは植民地議会に二つの院を設
けることが当然とされていた︒すなわち二条は︑アッパー・カナダとロワー・カナダには︑別に定める方法で設置さ
れる立法評議会と立法議会を置くとし︑三条は立法評議会は各植民地の総督︑副総督あるいは政府を総理する行政官 ︵22︶が任命する議員で構成されるとし︑アッパー・カナダは七名以上︑ロワー・カナダは一五名以上とした︒
ロワー・カナダでは︑イギリス国王の息がかかった立法評議会に対して立法議会をはじめ不満が増大し︑一八三七 ・
年︑パピノーの反乱が勃発した︒首謀者パピノー︵ 9巳ω⊥80菩勺p︒U芦$已︶がアメリカ合衆国に逃亡して反乱は終結
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七ー二︶ 四一
四二
したが︑このとき急進派議員が多数を占める立法議会が採択した﹁九二か条決議︵昌︒Z芦o早苔o国︒︒・o一已江8・・\冨・︒
○⊆陪苫嵐ロ撃臼o已N⑦問∩ωo巨﹇ざ旨・・︑国oぴ゜N古﹂︒︒ω卜︶﹂には︑国王に立法府のすべての部局を選任できる法外な権限が委ね ︵23︶られているなど︵九条︶︑立法評議会への不満があげつらわれている︒
一八四〇年︑合邦法︵昌o>臼o︹d巳o⇒o⌒d署窪き巳ぎ司氏O芦巴P﹂︒︒吟O︶により︑アヅパー・カナダ︵オンタリオ
州に相当︶とロワー・カナダ︵ケベック州に相当︶が合同してカナダ州︵連合カナダ︶となった︒もつともアッ ︵24︶パー・カナダとロワー・カナダの区分は残され︑同数の代表の立法議会議員が規定された︵一二条︶︒そのカナダ州
議会には立法評議会と立法議会がおかれ︑立法機関たる﹁カナダ立法評議会及び立法議会﹂とされた︵三条︶︒上院
に当たる立法評議会には︑この議会の会期前に女王が適切と考える二〇名以内の者を召喚する権限が国王に与えられ
る︵四条︶︒それぞれが終身の勅撰議員で構成される上院と民選の下院を有していたのを引き継いで︑下院の第一党
が内閣を組織する責任内閣制がしかれる︒上院は任命制であるので︑内閣は自分の政治に賛同する者を何人も上院に
送り込んで︑思うように政権を維持させることができる仕組みであった︒一八四一年︑合邦後最初の上院議員として︑
保守党内閣は二五人申一八人を与党から選出させた︒一八四八年に自由党内閣に替わったとき一二名の新議員を選出 ︵25︶したが︑保守党主体の上院が反対し︑民選論も噴出して紛糾した︒しらけて上院議員が欠席するようになったので︑
一入五六年に四八の選挙区に分けて民選とし︑一区一人で任期八年とした︒
2 ケベック会議
英領北米法︵じ白ユ江ωゴZoB﹃98ぎ叶現在は一八六七年憲法とされる︶制定前は︑北米の英国領はすべて二院制
︵26︶をとっていた︒上院のモデルとされたのはこうした連合前の立法評議会︑とりわけ一八四〇年にアッパー・カナダと
ロワー・カナダが連合したカナダ州のそれである︒正式には︑一八六四年のシャーロットタウンとケベックの会議で
英領北米植民地の連合︵OO口け△⑳﹁①口O昌︶を提案したときに提示された︒シャーロットタウン会議では︑立法評議会 ︵27︶ ︵28︶は長い議論を費やしたテーマであった︒もっとも︑その選出方法や構成の基礎はすでに決められていた︒シャーロッ
トタウン会議がインフォーマルながら連合の枠組みを実質的に形付けた︒引き続き開催されたケベック会議はフォー
マルであり︑シャーロットタウンの議論を正式にまとめあげる場となった︒ ︵29︶ ケベック会議でも上院︵dUb6﹁﹈︻O已oりO︶創設に議論が費やされた︒最初に紛糾したのは上院にかんしてであった︒
一〇月=二日木曜日︑マクドナルド︵︸o冒︸呂①昆呂巴ユ︶は︑英領北米の三つの区︑すなわち西カナダ︑東カナダ︑
大西洋四州は︑平等にそれぞれ二四人の上院議員で代表されるべきだと提案した︒これには沿海州︵者豊江日oω︶か
テ ィ リ デ ィ ッ キ ら即座に反撃が加えられた︒ニュー・ブランズウィックの冨8剖阜ば匡o町やノヴァスコシアの図UO°OざWoぺは︑西カナ
ダと東カナダはそれぞれ二四人でよいが︑大西洋四州は三二人であると提案した︒コ見したところこのマイナーな
問題が連結された大論争になった︒上院は死活問題である︒それは連邦原理全体の源泉●嵩災⇔遺︶と考えられた
からである﹂︒ニューファンドランドが会議に入ってきたことで︑簡潔なシャーロットタウンの枠組みが妨げられた︒
東カナダは︑二つの区がせっかく同じになっているのを西カナダがへたにごちゃごちゃにさせてしまうのではないか
と懸念した︒すべてのグループは︑シャーロットタウンを少しでも変更することに神経質になっていた︒疲れと天候
のためか︑ケベック会議開催から一週間足らずの一〇月一七日月曜日︑マクドナルドが︑シャーロットタウンの当初 タ ッ パ のアレンジメントを単純に維持し︑ニューファンドランドには四人の上院議員を割り当てるとする弓唇b隅の動議を
受け入れることで︑暗礁から脱出した︒
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七ー二︶ 四三
四四
もっともそのほかの上院についての問題である議員の資格︑とりわけその選出方法は州の執行府によるか連邦政府
によるか︑選択がどのようになされるかが︑議論された︒ケベック会議での上院にかんする議題は︑一〇月一九日に
最終的に処理された︒直接選挙も含めてさまざまな選出方法が考慮された︒プリンス・エドワード・アイランドの立
法評議会議員の選出は一八六二年から選挙であったし︑カナダ州は一八五七年からであった︒民選に切り替えてから
ケベック会議の時点で八年が経過していた︒しかし︑第二院を選挙で選出するということにはさほど情熱的ではな
かった︒ケベック会議ではしらけた議論になっていたようである︒選挙による立法評議会を支持したマクドナルドは︑
﹁選挙システムは期待したほどカナダでは十分に成功しなかった﹂と述べている︒別の建国の父ラングヴァン閣下
(ω
マ出069﹃冨ロぬo≦ロ︶は︑﹁ロワー・カナダではこのシステムにはわれわれはあきてしまった﹂と言っている︒一八六四年一〇月に採択されたケベック会議決議での上院にかんする条項は以下のごとくである︒
⊥ハ条連合州に一般立法議会︵○窪⑦邑9ぬ邑き誘自霊﹃冨日o巳S﹃夢oウ江氏母⑦ユ勺﹃o己目o⑦︒・︶を置く︒それは立法
評議会︵冨笹︒・巨ぞoOo巨o自︶と庶民院︵国o臣⑦亀Oo目日8・・︶で構成される︒
七条 立法評議会を形成するために︑連合された諸州は三つの区から構成させるものとする︒︵1︶アッパー・カ
ナダ︵2︶ロワー・カナダ︵3︶ノヴァスコシア︑ニュー・ブランズウィック︑プリンス・エドワード・アイラ
ンド︒各区は立法評議会に平等に代表をもつ︒
八条 アッパー・カナダは立法評議会に二四人の議員で代表させ︑ロワー・カナダも二四人︑三つの沿海州も二四
人とし︑その内訳はノヴァスコシアが一〇人︑ニュー・ブランズウィックが一〇人︑プリンス・エドワード・
アイランドが四人である︒
九条 ニューファンドランド植民地は︑連合州に加盟するに際し︑立法評議会に四人の議員を代表させる権利が与
えられる︒
一〇条 北西領︑ブリティッシュ・コロンビアとヴァンクーバーは︑連合州議会が衡平であると判断し︑国王の裁
可を受託した限りでの文言と条件に基づいて︑連合に加入することが認められ︑ブリティッシュ・コロンビア
とヴァンクーバーの場合は︑それらの州の議会に同意された限りで︑認められる︒
一一条 立法評議会の議員は︑連合政府の国璽により国王によって任命され︑終身制とされる︒立法評議会議員は
なんぴとでも連続する二会期中︑州の評議会に出席できないとき︑その議席は空席となる︒
一二条立法評議会の議員は︑出生あるいは帰化による英国臣民で︑満三〇歳以上でなければならず︑常に四〇〇
〇ドル以上の価値のある不動産を︑地役権に加えて所有していなければならない︒負債も加えてその価値のあ
るものでなければならない︒ニューファンドランドあるいはプリンス・エドワード・アイランドの場合︑財産
は物権︑債権のどちらでもよい︒
二二条立法評議会の資格について問題が生じた時は︑それは立法評議会で決定されるものとする︒
一四条 立法評議会の最初の選挙は︑プリンス・エドワード・アイランドを除いて︑相当なメンバーによって資格
があると判断され奉職する意思がある限り︑各州の立法評議員からなされるものとする︒かかるメンバーは︑
彼らが関連する地方政府の指名を受け連合州政府執行府の勧告に基づいて国王によって任命される︒こうした
指名では適正な関心が各州で反対党の立法評議会メンバーの主張に払われなければならないのであって︑すべ
ての政党が可能な限り同等に代表されるようになる︒
一五条 立法評議会議長は︑議会が別に規定しない限り︑立法府のメンバーから国王が任命するものとし︑希望す
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る限り地位を維持し︑表決が同数の時︑キャスティングボートの権利のみ与えられる︒
一六条 連合州政府立法府の立法評議会にロワー・カナダを代表する二四名の立法評議会議員は︑カナダ統合法典
第一章別表一に規定された二四の選挙区の一つを代表するものであり︑各評議員は︑代表するように任じられ
た選挙区でその資格要件を満たし︑もしくは住んでいなければならない︒
これが一八六七年憲法︑つまりカナダ憲法の上院に関する大本の規定になっている︒ ︵30︶ カナダ議会について憲法は多くを語っていない︒カナダの立法権は︑女王︑上院︑下院からなる連邦議会に属する
とするのみである︵一八六七年憲法一七条︶︒これでよいのかというと︑実は憲法前文でカナダはイギリス憲法と同
一の立憲主義原理を有すると明言しているのであり︑議会制についてもイギリスのそれを受容した︒カナダ議会は︑
もともとは国王の立法権の行使を協賛するものであったが︑責任政府の確立とイギリス憲法原理の導入で︑討論に基
づく合議制の立法府として確立されるとともに︑執行権を行使する人々は議会で人民を代表する者の信任に基づかな
ければならないとの責任政府に根ざす機関となった︒
憲法上︑立法機関は国王を含む連邦議会とされ︑規定上は内閣は立法過程にかかわらない︒イギリスがそうである
ように︑一九世紀には議会は﹁黄金の時代︵ひqo匡oロ①σqΦ︶﹂を謳歌し︑国政上最重要の⁝機関とされた︒政党制の発達
に伴い︑政党の党議拘束がはたらき︑議会第一党が内閣を形成する責任政府の原理では︑内閣の意思を議会が覆すこ
とは事実上できなくなってしまった︒議会は内閣11与党の立法を単に批准する⁝機関となった︒しかし︑議会とりわけ
下院は︑選挙の結果によって内閣を変えることができるのであり︑責任政府の論理は︑現代議会の主目的である︑内 ︵31︶閣の行動を公民に説明できるものとさせる議会の役割を生み出した︒
3 制憲者の意図
上院を憲法で設けたのは︑まずはイギリス憲法を継承するとの憲法的決定に基づくといえよう︒近代憲法思想にい ︵32︶う﹁完全なる憲法は︑民衆的議会の権力に対する何らかの製肘を含まねばならぬ﹂との多聞にもれず︑イギリスの立
法部を三つに分ける考えを取り入れた︒貴族主義といえないまでも︑民衆代表府の横暴を抑制する意図はあった︒
制憲者はまた︑アメリカの連邦制を︑南北戦争のトラウマを含めて精通していた︒一八六七年憲法制定にはアメリ ︵33︶カの立憲主義原理が影響したことは否定できない︒しかし︑彼らにはイギリス議会主義の伝統がいやというほど染み
付いていた︒制憲にあたってはイギリス本国議会の承認を得なければならなかった︒上院に立法の審議の慎重を期す
ことと︑州や地域の利益を代表させる機能を持たせようとした︒そして︑独立性︑長期的視点︑継続性︑職能人生経 ︵34︶験︑地域の平等の五つの特性を上院に付与した︒
憲法は上院を下院と異なる立法機関と位置づけた︒下院は人民の熱情を直接受け止める民主的でダイナミックな立
法府で︑人民のものである︒上院は単に下院の可決した法案を技術的に矯正する以上の立法機関とした︒制憲者でも
ある初代首相マクドナルドは︑上院は﹁立法におけるまっとうな第二の考え︵・・oひ氏・・080臼汗o¢ぴq芭﹂を提供すべき
であり︑﹁下院の命令を登録するための単なる院﹂になってはならないと目論んだ︒下院の従属物ではなく︑立法過 ︵35︶程で独立した補完的︑統制的な影響をもつ上院を見たのである︒ ︵36︶ イギリスの伝統を受け継いで︑カナダの立法府は下院︑上院とさらに国王の三つの主体からなるとされた︒制憲者
カ タ は︑この立法府は三つのブランチからなることを受け継いだのであり︑ニューファンドランドのロζd°↓°O§巽によれ
ば︑イギリスの伝統以外の原理は無用で︑立法府は︑国王の大臣から構成される﹁王制部門﹂︵日o 昌6巨o︶︑貴族的
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院︵①﹃一〇力吟OO﹃呂OげO已◎力Φ︶たる上院︑民主的院たる下院の三つの憲法上独立したブランチからなり︑それぞれで抑制と
︵37︶均衡が保たれる︒上院も他の二つと対等の立法機関であり︑民主的専制︵ユo日oo§江o巳窃Oo古冨日︶とまでいわれる下
院の迅速かつ党派的な立法に抗して︑公益を確定し保護することを狙ったとされる︒﹁ウエストミンスターのシステ ︵38︶ムが自由と討論を保障する政治的な反対意見や立場を保護することになろう﹂との信仰があったのである︒
上院を人民代表たる下院︵民主主義︶とも国王たる内閣︵君主制︶とも分離し独立させることは︑制憲者の関心で
あった︒﹁制憲者は︑適切な抑制と均衡がなければ︑そして警戒的な上院がなければ︑下院での多数の支持を自慢す ︵39︶るエリートはみな政治的反対意見を無視するあまりにも露骨な傾向があることを知っていた﹂︒下院と内閣の潜在的 ︵40︶な高圧性向︵巨oq9①区o合③︒・°・︶を統制する役割を上院に託したのである︒
憲法の規定では上院の権限は財務法案の先議以外下院と同じとされたが︑制憲者は下院から発せられる法案を矯正 ︵41︶するなど︑危険な衝撃を抑制する役割に限定して︑上院をマイナーな立法府とみた︒しかし︑マクドナルドは上院は
不可欠な憲法上の機関だとみた︒﹁上院は適切だと思ったときに下院の立法に反対したり︑修正したり︑延長させた
りする権利を行使しないなら︑何の役にも立たないであろう︒下院の指令を登録する単なる院がなんであろうと︑上
院は何の価値もないことになろう︒上院は︑自らの考えで自由に行動する独立した院でなければならない︒というの
も上院は︑規制機関として︑人民の機関によって発意された立法を冷静に考量し︑この組織からくるかもしれない性
急なあるいは悪く考えられた立法を防ぐことでのみ︑価値のあるものとなる︒しかし︑上院は決して︑熟慮され理解 ︐︵42︶された人民の意思に対して自らを対峙するものと設定することはない﹂︒
カナダ上院はカナダ特有の二院制の役割というよりも︑よき統治と下院・政権の抑制といった︑立憲主義における
二院制の意義を認識して取り入れた面が少なくない︒もっともそれは︑イギリスよりもむしろアメリカの上院に親和
︵43︶性を持つようにみえる︒ −
三 カナダの二院制と連邦制
カナダはイギリス議会制を核とするイギリス憲法を無造作に受け入れ︑当然のように二院制に帰結した︒もつとも︑
下院はイギリスと同じ出o已︒︒⑦oSO9目昌8︒︒としているのに対し︑上院はωo昌彗⑦とし︑イギリスの=o已゜・⑦昆9己゜・とはし
なかった︒カナダの制憲者がアメリカを意識したことはまぎれもない︒それはカナダがアメリヵと同じ連邦制をとつ ︵44︶たことと関係しているのを示唆している︒連邦制と二院制は相関関係にある︒
アメリカでは二院制はもともと︑立法権を分割するというプラグマティズムから当然とされた︒トクヴィルは︑州
の上院が司法的及び行政的機関でもあることを指摘し︑﹁立法権を分割して︑政治的集会の運動を緩和し︑法律の修
正のための上告裁判所をつくることが︑アメリカ連邦での両院の現実の構造から生ずる唯一の利益である︒アメリカ
人が時の流れと経験によって知るようになったことは︑これらの利益に要約される立法権の分割こそが第一義的に必
要なものであるということである︒⁝立法活動を数団体に分配する必要は︑証明された真理として考えられ﹂るとす
︵45︶ る︒
トクヴィルによれば︑アメリカ合衆国憲法での議会は︑各州であらかじめ決められていた案が用いられて二院制が
︵46︶
とられた︒そこには二つの相対立する利益があった︒一つは州権主義で︑州の独立を前提とし︑それに共通する若干の問題を討議する場として議会を想定するものである︒もうひとつは︑旧植民地のすべての人民を一つに結合させ︑
範囲は限定されるも代表政府の議会を形成することであった︒後者では多数の人民を代表する者から法律は作られる
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七⊥一︶ 四九
五〇
べきとの考えになるが︑小さな州が犠牲になってしまう︒こうしたことから︑妥協として中間的方法が採用された︒
上院の形成では諸州の独立性の原則が勝利を占めたものの︑下院の構成では国民主権の理論が勝ったとされる︒多数
決主義は入念なものではなく︑州の権利との妥協は衝突を内蔵していた︒南北戦争へこスカレートしていったし︑議
会は奴隷制など妥協をさぐることで麻痺させられたのであった︒トクヴィルが議会の構成において区別した多数決主 ︵47︶義と州の権利の妥協は安定的ではなかったけれども︑アメリカ議会自体は生き残り︑豊かになっていったのである︒
カナダの制憲者11連合の父︵ヴ陪プ⑦﹃oりOS∩︶O邑①創①﹃①江O昌︶は︑アメリカの経験から連合には二院制が不可欠であるこ ︵48︶とを学んでいた︒これが︑カナダが上院︵白りo昌賠⑦︶と下院︵=o已ω0900日日oロω︶を持つ第一の理由とされる︒連邦
制での国民は・国家と州の二つに対して忠誠を有する・この二元性が民主主義と平等の原理とでのジレンマに陥麺・
国家レヴェルの代表は個人の平等に基づくべきか︑それとも州の平等に基づくべきか︒アメリカはこれを二院制で解
決した︒下院を人口比例とし︑上院を人ロにかかわらずすべての州で同じ二名とした︒アメリカ議会は二つの声の連
合︵§ざ昌︶で構成させるとしたのである︒
カナダの建国者はこれを観察していた︒下院は人口比例ですべてのカナダ人からの代表とし︑上院は地域の平等の
原理に基づき︑四つの主要な地域で同等の議席を代表させるとしたのである︒もっともこれで上院に代表原理が働い ︵50︶ているかは別問題といえる︒マイヤーズらによれば︑次の二点が指摘される︒第一に︑責任政府︵苫ω08ぼ窪①
晦o<Φ日日①昌⇔の原理は下院に内閣形成権を必然的に与えるのであり︑上院はどうでもよい︵宮旨庁⑦邑︶役割しか与
えられない︒第二に︑州の同等の代表といっても︑今みたように州によって上院議席の数は大きく異なっている︒オ
ンタリオとケベックの二大州で七〇%の議席を占めており︑残りの八州は国政での統制の契機をもっていないように
みえる︒このことは地域によっては大きな不満をもたらしている︒とりわけ四つの州の西部地域にはそうである︒そ
うした八州は︑州や地域の政府にあって︑オタワに対抗する︵日自巨ぬ躍践5﹇O口§⇔とし︑連邦政府を批判するこ
とで民衆の歓心を呼ぶこととなる︒﹁地域の利害は連邦政府の中で処理されるのではなく︑そのかわりに︑連邦ー州
の権限分割に集約される︒このことがカナダにあって連邦主義を主たる戦場とさせる効果を持つ﹂︒連邦政府の任命
制とした憲法の制度から地域の利益を反映させる制度としては無駄で︑むしろ立法審査により重要な機能を期待した
とし︑州首相︵買o<芦6芭買o巨⑦房︶が国家政治の人物となる一方︑連邦政府は連邦議会での地域からの入力を欠い ︵51︶て︑カナダの主要な地域から孤立することが多くなってしまった︒
こうした点はアメリカの議会と異なる︒アメリカ上院は下院︵出8︒︒ooS間⑦買oωΦ巳①晋o︒︒︶より強い権限を持つ︒大
統領制なので︑行政権に対しては下院と同様︑信任を与えるものではない︒また︑州はすべて同数︵二名︶の上院議
員を選出するので︑州間の不平等感は聞かれない︒小さい州でもワシントンで十分保護されるのを確保する︒マイ
ヤーズらは︑カナダの場合︑﹁二院制は不可能だとすることによって連邦と州の争いを促進させ制度化するのが︑わ ︵52︶れわれの責任政府のシステムなのだ﹂と諦観ともとれる分析をしている︒
カナダはイギリスと異なり︑連邦制を原理とする成文の憲法による立憲主義を採択した︒ここで連邦制︵甘ユO﹃①ばo力出口︶
とは︑政治権力が二つの政府︑すなわち連邦と州のそれぞれに分割され︑憲法が定めた一定の管轄権を有することで︑
連合の多様な構成を認め︑州の自治と︑多様な構成体が有するそれぞれの社会目的に最も適した政府を構成するため ︵53︶の民主的参加を促し︑同時に文化や言語などでの少数者が目的を追求するのも容易にする︒憲法自ら少数者を保護す
るのみならず︑連邦議会そのものへの代表を保障する憲法規定が用意されている︒
カナダ上院はアメリカを意識して州や地域の代表機関とさせた︒連邦制というカナダ立憲主義が上院を必要とした
とみることはできるだろう︒カナダの連邦制はカナダ市民の二元代表制の認識を前提とし︑その最適な形態を連邦議
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七ー二︶ 五一
五二
会の両院制に求めた︒そこでは人民は︑下院で国家の市民として︑上院で州の市民としての二つの資格︵8冨o苛︶ ︵54︶− で代表されている︒
連邦制は州の利益を尊重する原理であるから︑上院に州や地域の利害を代表させる意図は否定できない︒しかし︑
カナダ憲法は︑上院議員は各州の枠で選出されるとしても定数に大きな隔たりを認め︑アメリカのように人口や面積
. といった州の規模にかかわらず州すべてを二名とする選出方法はとっていない︒州は平等に扱われていないのだ︒さ
らに州の利益代表といっても州で選挙するとか州議会が選出するとか︑州内での民主的方法で選出されるのではなく︑
あくまで州の定数を踏まえて中央政府が任命するとしている︒上院議員は州民や州政府︑さらに世論から独立してい
るのであり︑州や地域の利害を代表させるという形はみられない︒連邦制と上院は無関係のように思える︒ ︵55︶ カナダの連邦制は管轄にかんするもので︑代表にかんするのではないことに留意する必要はあろう︒一八六七年憲 \
法九一条と九二条はそれぞれ連邦と州の立法管轄権の範囲を規定している︒それぞれについて他の政府主体の介入を
許さないとする原理である︒この連邦制原理から州の選挙民の代表とか代表の平等性とかが導き出されるのではない︒
上院によって保護されようとする利益は州といった地域的に限定されたものとはみられず︑制憲者は少数者や少数集 ︵56︶ 団といった︑地域にかかわらない利益の有権者を主としたともいえる︒
かといって地域をまったく無視した代表だとは︑憲法が州という単位を設定していることからあてはまらない︒制
憲者は﹁代表﹂という語で︑選出母体となる地域の人民はその上院と共通のアイデンティティを有するとしているの
であるが︑†院議員と同じように︑上院議員が人民によって命令委任︵日き巳巴o口︶されるというのではないことを ︵57︶意図したのであろう︒上院議員は州及び/もしくは地域の利益を代表する︵需買霧6算①︷ざ口昆買o<ぎ巳巴き口\自
苫ぽqざ白①=巨氏霧︷の︶︒州の代表であるのは否定できないが︑むしろ主眼は国民代表の選挙で汲み上げられない少数者の
利益であり︑地域や少数民の利益を︑代表させるというより中央政府の立法過程に反映させるという意義が強調され
︵58⁚︶
る︒であるなら︑たとえば州という単位で掬えないアボリジニの利益を立法過程でどう反映させるかも考えられなければならない︒さらに︑地域や州の利益を上院は連邦の立法過程に反映させているかの吟味が必要であろう︒改革の あ 視点もまずはこの作業が先行しよう︒
このようにみてくると︑カナダの第二院は連邦制と無関係ではないが︑むしろ人口比例代表の下院で反映できない
カナダ国民の利益を掬うことにストレスが置かれるとみれる︒それでは︑上院は何を代表するのか︑代表される利益 ︵60︶は何かが論じられなければならない︒地域や少数民の利益が真っ先に考えられよう︒そもそも上院が代表するとは何
か︑代表とはどのような意味なのかが重要である︒憲法はこの点をどのように考えているのか︑みてみることにす
る︒
四 カナダ上院の構成と議員の任命制1 上院の憲法枠組み
一八六七年憲法は二一条から三六条でカナダ上院の構成について規定している︒
下院が人口比例の公選による議員で組織されるのに対して︑上院議員は総督によって任命される︒憲法では総督が
女王の名においてカナダ国璽の付された文書で上院に召喚される︵ω已日日oo︒エ︶とする︵二四条︶︒現職上院議員の
辞任や死亡その他によって議席に空席が生じたとき︑総督はこれをうめるために適切な人を上院議員として召喚する
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七ー二︶ 五三
五四
︵61︶︵三二条︶︒総督とあるが︑内閣が実質的に決定する︒上院議員は任命されると︑七五歳の定年まで終身制である︵二
九条︶︒もともと終身制であったが︑一九六五年の憲法で二項が加わり︑以後任命された上院議員は七五歳定年と
なった︒下院の選挙で政権が替わっても︑前の政権が任命した上院議員による構成は変わらず︑下院の選挙が上院の
政治勢力の構成に変化をもたらさないこととなる︒上院は︑一八六七年憲法五三条が歳出を伴う法案や租税法案は下
院に先議権があるとすること以外は︑憲法上下院と同じ権限を持っている︒
条文から一見して二点︑疑問が出る︒一つは首相の任命がどのようなものなのか︒カナダの責任政府の考えは民主
主義を発展させ︑選挙で選ばれない官吏には寛容でなくなってきた︒上院議員が首相によって任命されるということ
は︑上院議員の任命が首相の政党に貢献した者への論功行賞になっていることである︒もうひとつは︑たしかに上院
は下院と同程度の権限を有しており︑それを独立して行使することはできるが︑下院の可決した法案に反対しない憲
法慣習が二〇世紀半ばまでに確立したことである︒上院は︑政権与党が多数を占めていなくとも下院の法案を覆すご ︵62︶とはなく︑仮に反論しても大勢に影響しない程度の修正にとどめることが一応認められる︒
もっとも憲法は︑上院と下院のこうした政治的アンバランスを懸念して︑上院が政府のやり方を邪魔しないように
するために︑首相︵憲法の文言では総督︶は四人から八人までの上院議員を増員させて任命することができるとして
︵63︶いる︵二六条︶︒これには二つの条件が付されている︒一つは定数割り当ての原則︑つまり四区に二四人ずつ平等に
割り当てられた後でなければできない︵二七条︒一九一五年改正︶︒もうひとつは︑いかなる場合でも=三人を超
えてはならないと︑定数の上限規制がかかっていることである︵二八条︒一九九九年改正︶︒
︵64︶ ︵65︶
二六条の援用は︑今述べた憲法慣習の例外と位置づけられる︒一九八四年に保守党が政権をとる以前の一六年間は自由党が政権をとっていたから︑上院はこてこての自由党員で占められていた︒保守党が主流の下院で保守的な米加
自由貿易協定を可決したが︑上院は賛成するのを拒んだ︒その上︑下院に解散まで強行させ︑選挙民に自由党の主張
を訴えた︒じきに敗戦するも︑保守党が下院に付加価値税︵○ω弓︶法案を提出し可決させても︑自由党の上院は否決 ︵66︶すると脅した︒首相マルルー二ーは二六条により八人の上院議員を任命し︑暗礁にのりあげた状態を打破した︒
二六条の援用には制約はないのか︒執行府の政治的配慮に基づくものであってもよいのか︒ブリティッシュ・コロ
ンビア︵b︒b°︶州総督が二六条に基づく任命について裁判所に諮問したケースで︑二六条の王制による任命に制約は
ないのかが問題とされた︒二三条は資格要件を規定しており︑これを踏まえなければならない︒これには︑財産要件 ︵67︶を設けており︑このことは平等を定めたカナダ憲章一五条に反しないか︒これらが照会された︒一九九〇年九月二六
日︑一八六七年憲法二六条によりカナダ枢密院は総督に対してイギリス女王に八人の上院議員を任命するように勧告
した︒これを受けてエリザベスニ世は二七日︑四つの区域から平等に有資格の八名を任命するように勅許︵冨﹇けo誘
勺巴oロ⇔を出した︒マルルーニーは︑懸案の三法案︵Om肖︑失業保険法改正︑所得税法改正︶はこの八名の追加なく
しては可決しないと考えていた︒じdO°州法務長官は︑イギリス女王はもはやカナダの立憲政治に一切の権限を持たな
いのであるから︑二六条は無効︵芦8Φ﹃昌守Φ︶だと主張した︒オンタリオ州法務長官は︑二六条が今なお有効とする
には︑両院の対立に収拾がつかないとか︑通常の手続ではかかる危機に対処できないなど︑何らかの緊急事態や危機
がなければならないとした︒カナダ法務長官は︑二六条は一九八二年憲法五三条によりカナダ憲法の一部として有効
で︑文字通り女王が総督の勧告を待って二六条の権限を行使するとする︒女王はイギリス枢密院の助言に基づいて行
動することになっている︒しかし︑カナダにかんすることはカナダの内閣の助言に従うとなっているから︑その限り
では二六条は無効とされたと主張した︒
ed°O°州控訴裁判所は︑カナダ法務長官の考えを採り︑女王は追加任命については二六条の文言から明らかなように
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七⊥一︶ 五五
五六
︵68︶独立した裁量を認められ︑唯一の制約として総督からの勧告を受けなければならないとした︒法律問題として二六条
を発動するには︑女王はロンドンの枢密院の助言に基づいて行動しなければならない制約がある︒二六条は明らかに
上院議員の増加にかんする手続を規定しており︑法解釈の問題としてそれ以上の制約を課すものとはみられないとし
︵69︶
た︒なお憲章との関係については政治的領域の問題であるとして︑回答を控えた︒ ロ ス また︑二六条によりニュー・ブランズウィック州に上院議員廿目窃司゜國8ωが追加されたために︑同州の上院議員 ︵70︶が=名となったことが問題とされた︒一九一五年に改正された一八六七年憲法五一A条によれば︑州はいかなる場合でもその州の上院議員より多い数の下院議員が割り当てられる権利を有するとしている︒同州の下院議員が一〇名 ウェ アであったため︑この上院議員任命は違憲無効であるとの宣言を求めて同州の新民主党党首≦①ぱ女史が提訴した︒彼女
は二六条の要件として五一A条が満たされなければならないと論じ︑合憲とするために被控訴人法務長官から下院に
同州から一一番目の議席が割り当てられるべきだとの主張も出た︒控訴中に同州の現職上院議員の家o冨註Od°
ハソトフィ ルド
出①日o庄が死亡したため︑同州の上院議員が一〇名となり︑この訴えはムートとなったとして却下された︒二六条と五一条の関係や法務長官の主張も実体判断はされなかった︒
連邦政府による上院議員の任命は全く政治的なものであってよいのか︒カナダの憲法は︑上院について定数や定年
といった一見細かな事項について規定しているのが目に付く︒規模の大きいイギリスの第二院と異なり︑憲法で定数
を設けているのは︑政権の政治的勢いで上院が大きくなるのを制限するためと解釈しうる︒オーストラリア憲法
︵爵OOO§O昌≦O①一汗O︷Pω叶﹃①一︷①ひO口ω江言亘O口︶二四条のように︵一九七五年の憲法改正で上院議員は公選制となって ︵71︶いる︵各州州民の直接選挙によって選ばれる︒七条︶︶︑下院は上院の二倍の定数を有するとして上院と下院の規模に
ついて憲法的制約を設けている︒カナダ憲法には下院との関係で定数を規定するものはない︒しかし︑カナダ上院の
︵72︶定数を憲法で定めているのは軽視できない︒一方で政権による裁量的定数増加を認めている︵一八六七年憲法二六条︶︒
この濫用を制約する憲法原理は明らかでない︒
︵73︶2 政権との摩擦
上院議員の任命は内閣によるのであるから政権の自由になるのは避けられない︒理念はともかく政治的党派性を免
れることはない︒現に政権が上院議員を任命するのは︑政権政党に属する者である︒一方で上院議員は七五歳まで在
職しうるから︑下院の総選挙で政権が替わっても︑旧政権が上院で多数を占めることが起こりうる︒それでも上院の
伝統として政府にはさからわないと紳士的に振舞うか︑あるいは政府に対抗するかの選択を迫られる︒後者の場合︑
上院は民主的基盤がないから議会制民主主義との整合性の問題が生じる︒
実際には上院は前者の態度で臨み︑議会制民主主義に騒乱をもたらすことなく︑概ねスマートに振舞ってきた︒第
二次大戦前のマッケンジー・キング首相の時代から長期の自由党政権であったことも影響しているだろう︒一九五七
年︑一九三五年以来続いた自由党政権を負かして進歩保守党︵印o讐窃・・守oOo昌・・⑦冥葺く③の︶のディーフェンベイカー
が政権をとった時︑上院は前の政権からの自由党員がほとんどであった︒上院はあえて首相に対峙することはせず︑
四年間は平和な共存が続いた︒一九六一年︑政府の金融政策に批判的であったカナダ銀行総裁コイン︵﹈§Oo力国゜ひOさ⑦︶
を首相が更迭したとき︑総裁はこれを拒否した︒そこで議会はカナダ銀行総裁のポストが空席であるとの法案を提出︑
下院は政権与党が支配しているので︑コインを議会の公聴会で聴聞することはないとした︒しかし︑上院はこれが個
人の権利と評価にかんする問題であるとして上院の銀行通商委員会で聴聞し︑コインが辞任するとの約束の上で法案
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七ー二︶ 五七
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を否決した︒この事件は︑適正手続や個人の権利に関わり上院の意義にかんするものではないともいえるが︑政府が
下院には決して許さない何物かを上院がこの抜きん出た公職者︵銀行総裁︶に与えたともいえよう︒
ディーフェンベイカー政権では関税法案をめぐって政府に裁量を与えすぎるとの理由で︑一九六一年に上院が法案
を拒否した事例がある︒もっとも︑八四年まで公けの注目をあびるような政権への障害を上院がもたらしたことはな
かった︒この間︑一九六五年に上院議員について終身制から七五歳の定年制にする憲法改正がなされたし︑後に見る ︵74︶ように上院の調査研究能力が評価を上げ始めたころでもある︒トルドー首相︵自由党︶は︑下院が提起した問題を調
査研究する上院の委員会が強く反対したときは法案を引っ込めたこともいくつかあった︒
この傾向は次のマルルー二ー︵ed﹁︷き忌巳δロ︒邑では違った︒一九八四年九月四日の総選挙までは︑上院議員は七
三名が自由党︑二五人が保守党︑四人が無所属︵芦臼obΦ昆①ロ⇔であった︒この総選挙では自由党への強い拒否が示
され︑進歩保守党のマルルー二ーが二一一議席を獲得︑政権をとり︑自由党は四〇議席にまで減少した︒政権・下院
と上院の逆転現象が生じたのである︒下院の反対党リーダー︑ターナー︵﹂oぎ昌日9は上院の自由党のマクイー
シャン︵≧一①口呂①6国①OゴOP︶を反対の指導者にした︒マルルーニーは政治的に強力なバックを得ていたから︑上院は
政治的に動機付けられた立法に反対する試行以外の何物でもないと高をくくっていた︒
最初の衝突は一九八五年一月に起きた︒上院は︑一九八五年度予算成立前に下院が命じた財政支出法案を使途不明
であり白地手形だとして議決を遅らせた︒メディアも上院のこの態度を批判したが︑改めて八五年度予算のなかで提
案され︑同年二月二七日に結局は認められた︒憲法上は上院の考えが正しいとされるが︑政府は議会の承認を得ない
でやむなく借金をせざるをえないはめとなった︒下院で白地手形だとの批判の議論が展開されなかったことで︑上院
は政治的動機が萎えてしまった︒マルルー二ーはこの上院への対決姿勢を露にしてきた︒翌日︑上院の権限を制限す
る立法の用意があると公言したが︑上院にかんする憲法改正は州レヴェルですでに進行していた︒すなわち︑財政支
出にかんする法案に対して上院の拒否権を削除する提案である︒背景には上院が政治的に人民の声を受けたのではな
いとの認識がみえる︒マニトバ州は上院廃止論に立ち︑ケベック州は一九八二年憲法を批准していないので︑反対し
た︒この改正案はここでは流れた︒
入六年一一月︑薬品特許法︵O日ぬ勺巴6巨ぎ⇔でも上院が政府下院に反発した︒薬品の特許権の有効期間を一〇
年にするかが争点となったが︑自由党支配の上院は憲法上の権限を今こそ行使すべきだと鼻息を荒くした一方︑保守
党は下院の声が一義的明確であるときはそれに譲歩すべきだとした︒結局妥協がなされたが︑同年は著作権法案や二
つの移民法案についても同じような対立があった︒八八年の自由貿易をめぐる駆け引きは特筆すべきであろう︒マル
ルー二ーと下院は自由貿易法案を通そうとしたが︑上院は総選挙のあとで法案を考えるべきだと拒否した︒マルルー
ニーは︑上院は立法を通さないことで下院の根本的権利をハイジャックしていると非難した︒自由党のリーダー︑
ターナー上院議員は︑﹁私が争点だ︵H①巳P血口O一のo力已O︶﹂と反論し︑選挙で上院のこうした態度が是認されるかを問うべ
きだとした︒総選挙は自由貿易が争点となり︑結局︑一二月に法律が成立した︒ホワイト︵﹃臼巴一孝詳①︶はこの事 ︵75︶象で上院の役割を次のように述べている︒﹁マルルーニーの新しい進歩保守党政府は︑政権についたとき︑上院にい
まだある自由党の多数による恥辱に︑いくらかの正義はあるものの︑不平をたれていた︒⁝一方で︑上院が︑一九八
八年に米加自由貿易協定にかんする総選挙をせきたてる一翼をになったとき︑改革されていない上院が選挙で選ばれ
・ていない自由党の多数が現にまっとうなの第二の考えの組織体として最高次の責任をもって行動しているとなお信じ
ているカナダ人がいるのである﹂︒
一九九〇年はさらに争論の年であった︒トルドー任命の上院議員とマルルー二ー任命の上院議員がいかに思想的に
カナダの上院︵一︶ ︵都法四十七−二︶ 五九
六〇
異なっているかを見せつけることとなった︒失業保険法や妊娠中絶法で下院に拒否的態度を見せたが︑極め付きは一
般消費税である物品サービス税︵○ω弓︶についてであった︒このときマルルー二ーが一八六七年憲法二六条を発動し
たのは先にみたとおりである︒マルルーニーが上院の自由党議員を﹁立法のテロリズム︵一〇ぴq芭豊くo甘苔o﹃ば日︶﹂と
非難するまで︑上院には手を焼いた︒この時期には︑上院は独立性とたてつくことの正当性のはざまで揺れ動いた︒ ︵76︶ メディアの報道はなく一般公衆からはぼやけてしまったが︑より面白い院であったといえる︒﹁まっとうな第二の考
− ︵77︶
え﹂の院としての役割を果たしたが︑党派的色彩の強いものだったともいえる︒マルルーニー後の自由党クレチエン首相のときでも︑保守党が多数の時も自由党が多数の時も︑上院は積極的な役
割を果たし︑政府案を拒否したり否決したりしたこともあった︒一九九六年︑失業保険法や新運送法が上院で流産と
なっている︒ただし︑自由党は大きな政府論をとることはなく保守党に近いものとなっていたので︑対立は深刻とは ︵78︶ ならなかった︒立法をよくしようとの上院の努力は︑成長しつつある正当性欠如論の認容により︑かき消されていった︒
マルルーニー政権下での上院の積極主義︵①6︷一く一◎力巳P︶は︑上院が政権や下院のイエスマンにすぎないとの伝統的認 ︵79︶ 識を変え︑立法過程で果敢に反対の立場を表明し︑生き生きとして存在価値を十二分に示した︒と同時にその背景に
明確に横たわるのは政党の規律とか党派性であり︑これが原理の府としての上院の存在意義に対する批判や︑党派機
関である下院は公選による正当性があるのに上院が党派性を帯びるのは正当性がないなどの改革論への契機になった ︵80︶ のである︒とりわけ︑上院の理想的改革論﹁三つの国︵⇒﹂b一〇.国︑︶﹂︵上院をo冨o古芝①︵公選︶︑⑦睦︒︒叶写⑦︵効率的︶︑
oρ已巴︵平等︶の⁝機関とする︶の論者は︑一九八四年来の上院の︵積極的な行動の︶現実を警戒する︒上院は州の利
益を代表するとされうるのであって政党のではない︒公選されたならもはや党派性は払拭できないから︑上院を州代 ︵81︶ 表の機関とする理念と矛盾することになるのに留意したい︒