棚卸資産原価配分の成立
その他のタイトル Evolution of Inventory Accounting
著者 清水 宗一
雑誌名 關西大學商學論集
巻 11
号 4
ページ 365‑383
発行年 1966‑11‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/00021513
365
棚卸資産原価配分の成立
棚卸資産原価の配分は資産原価の配分の重要な一局面である︒現在の棚卸資産の会計処理は︑固定資産の減価償
却とともに︑流入する原価の流れを︑現在の期間と次期以後の期間とに配分する発達した技術の近代的特徴を備え
ている︒ところで︑棚卸資産原価を期間的に配分する思考︑ひいては制度がいつ︑どこでどんな要因によって成立
したかということは︑必ずしも十分に解明されていないのではないかと思われる︒いちおう想像できることは︑期
間損益計算が会計制度として成立するまでは︑棚卸資産原価の配分という思考が芽をふく土壌が無かったろうとい
うことである︒けれども︑期間損益計算が会計制度として成立したのちでも︑棚卸資産原価の配分という思考は︑
容易には会計家の意識にのぽってこなかったろうと推測される︒換言すれば︑後日資産原価の配分として正式に表
現された考え方を事実上表示した行為に会計家を導くようになるには︑なんらかの刺激的要因が現われてくること
が必要であったろう︒また︑そういう刺激的要因の及ぼす効果を弱める別の要因が現われるときには︑配分思考が
そこで︑この小稿では︑アメリカの主要な会計学者の研究を手がかりとして︑棚卸資産原価配分の成立の過程を
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶ 容易には成立しなかったろう︒
ま
し
が
き 清
水
一 七 宗
366
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶
考察してみようと思う︒以下︑まず︑棚卸資産会計における配分思考の認識の過程を概略考察し︑そののち︑棚卸
資産会計における配分思考の認識を停滞させた評価思考のアメリカヘの普及の過程を簡単に跡づけ︑最後に︑アメ
リカにおける配分方法の成立の事情を少し考察する道をとりたいと思う︒
棚 卸 資 産 原 価 配 分 の 認 識
近代会計における棚卸資産原価の配分の思考がどのようにして認識されて生成したかは興味のある研究題目であ
るが︑これを究めるためにリトルトン︑ジムマアマンの所論を探ることは︑その︱つのしかたである︒
棚卸資産勘定は︑正しく使用されたならば︑投下された原価を現在の期間と将来の期間へと分割ずる︱つの方法
を与える︒投下原価の割当てを行なうためには︑計算された金額を勘定および財務諸表に書き入れることが必要と
なる︒しかし︑初期の時代の会計では︑この手続はしばしば勘定記録の上に現われなかった︒当時の商品はしばし
ば冒険取引によって海外から輸入されたものであるため︑初期の商人の考えた主要な問題は︑ある冒険事業がけっ
( 1 )
きょく利益をもたらすだろうかどうかであった︒
それゆえ︑冒険事業は収益および費用の期間配分を行なう必要がなかった︒各冒険事業は個別的な事業であり︑
利益のみならず全手取金が事業終結のさいに共同の冒険事業家の間に分配された︒かような分配を行なう行為は︑
( 2 )
海外貿易が投下資本の継続を必要とする持続的企業ではないという考えを示していた︒
特定の商品に対する勘定に仕入価格が借記され︑また︑販売価格が貸記された︒そして︑その勘定口座はその貯
蔵商品が販売され尽くすまで通常締め切られたり整理されたりしなかった︒たとえ商品を売り尽くすのに一年以上
もかかったとしてもそうである︒
一八
367
企業活動の継続化に伴い︑二つの財務表︑すなわち︑
一 九
︱つは現在を語り︑他は将来を語る財務表を作成しうるよ こういう実践の.やり方は︑元帳の商品勘定を見ることによっていつでも販売の成果に注目できるという考え方︑
商品が売れ残っている間は︑どうしても冒険事業の利益を知ることができないという考え方を示したように思われ
る︒冒険事業の売れ残り部分について特別な中間的情報の必要が認められないところでは︑この元帳記録以上のも
のは何も必要とされなかった︒もっとも︑組合員の交替は︑中間的情報の必要を認めさせた︒なぜなら︑交替前お
( 1 )
よび交替後の別の人々が冒険事業に対する持分を分け合うのがつねであったからである︒
このようにして︑口別勘定ごとに︑取引完了のつど売買損益が計算され︑口別商品勘定が定期的に締め切られる
( 3 )
ことなく︑また︑期末棚卸制度︑期末貸借対照表制度が存しないということがこの時期の特質であったといわれる︒
だが︑十七世紀に︑資本および事業の継続性が事業の有用な特徴となるだろうという考えが現われたとき︑ある
特定の期間の利益の定期的計算が︑配当決定のための基礎となった︒たとえば︑個別の航海ごとに配当を計算する
一六
六
0
年までにはすでに東インド会社では実行不可能と見られていたので︑利益計算は完了した冒険事( 4 )
業の既知の結果に代わって︑定期的な見積りの問題となり︑会計計算の期間性が成立したといわれる︒つまり︑冒
険事業に代わって継続企業が成立する時期に︑期間損益計算の端緒がつくられ︑それに関連して︑口別商品勘定に
代わる一般商品勘定が成立したのである︒かような一般商品勘定の成立は︑企業資本と資本主資本との区別︑商業
( 5 )
資本と私的資本との区別が認識されはじめたことにも︑ある程度まで原因があるように思われる︒こうして︑継続
的な有用性をもつ資産に関する︑また︑関連する費用と収益との対応に関する注意深い会計が重要な問題となった︒
当期の努力および成果を測定しようとする要求︑継続事業に利用でぎる諸資産を記述しようとする要求が︑不定期
( 2 )
な会計報告から定期的な会計報告へのかような重点の変化に合理的な動機を与えたのであった︒
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶
こと
は︑
368
どちらの計算も︑原価資料を現在の期間か将来の期間かのどちらかに分離することを表示しようとして︑元帳勘 定に取り入れられた管理計算を示している︒第一の方法は︑最重要な要素である当期間の成果の正確な計算に重点
( 6 )
をおくものであるから︑論理的であるといわれる︒
しかし︑原価資料を現在の期間か将来の期間かのどちらかに分離するという思考は︑近代原価計算が発展するず っと後に至るまで意識されなかった︒なにか他のアプローチが実行可能であるという認識がないまま︑手元在庫品 を計算して価額づける慣行が用いられていたわけである︒ところが︑産業革命の結果発生した工場制度ならびにこ れに基づく大量生産の発展は事態を変化させた︒つまり︑工場制度を母体とする原価会計において原価割当問題が
きほど注意が集中されたことは︑ ひじょうに発展したのである︒作り出された収益とその収益をもたらす費用とを正確に結びつけることに︑
( 7 )
いまだかって無かったといわれる︒
ところで︑配分思考の認識に刺激を与えた︱つの重要な要因は︑株式会社企業形態の発展であった︒ されねばならないだろう︒
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶
うに︑実体的要素と名目的要素とを含む混合勘定を定期的に整理するべきであるという考え方が付随して発展した︒
この考え方およびそれに基づく実践は︑組合事業の清算のための時おりの棚卸計算より以上に︑実体勘定と名目勘 定との分離および統合が認識されていたことを表わすものであった︒しかし︑両方の場合における会計実践は同じ 固有の事実を表現するものであった︒
すなわち︑どちらの場合にも︑次の二つの計算のうちの一っを勘定整理の行なわれうる以前に行なわなければな らなかったろう︒第一の方法では︑売上商品原価が︑残高勘定に計上される残りの投下原価とともに計算されねば ならないだろう︒第二の方法では︑売れ残り商品が︑売上商品原価として考えられる残りの投下原価とともに評価
︱
1
0
このと
369
新しい株式会社企業形態が備えていた種々の特質は︑企業継続性の概念やそれに伴う期間損益計算という特性を
発生させたのではないとしても︑それを促進したのである︒株式会社は有限責任であるから︑その出資資本額を維
持する法律上の義務があった︒それゆえに︑安全に配当しうべき利益の正確な算定がひじょうに重要な問題になっ
た︒正確な利益計算を必要としたことは︑ひいては資産と費用とを区別することの重要性をさらに強化したのであ
った︒株式会社組織による企業形態は︑株式会社時代と呼ばれるようになった二十世紀以前に長くゆるやかに発展
してきていた︒株式会社の財務管理はたぶん不可避的にひじょうに高度な技術的活動となり︑会計は投資決定のさ
いの必要な要素である収益力に関する主要な通達手段となった︒こうして︑管理能率を示すものとしての収益力資
料が重要視されたことが︑いっそう正確な期間的配分技術の発展を刺激したのである︒周囲の経済状況および株式
会社に関係する人々の個人的要求が︑関連企業のある会計期間における収益と費用との適切な対応に関するある考
(8) えを発生させることになったわけである︒
とはいえ︑今世紀に入ってもなお配分思考は︑人々によって明確に意識されてはいなかったのではあるまいか︒
リトルトン︑ジムマアマンによれば︑棚卸資産評価の問題は︑財政状態報告書で使用するための棚卸資産価額の決
定に初期においてまた引き続いて重点をおいたことに少なくとも少しは起因するものである︒仮に他の棚卸資産計
算方式が習慣的であったとしたら︑︑売上商品原価はほとんど自動的に投下原価額によって表示されたであろう︒そ
ういう次第なら︑将来の期間に繰り越される商品の価値の見てわかる減少について︑受取勘定の回収における見込
損失に与えられるのと同じ種類の整理が慣習的に継承され得たであろう︒また︑そういう次第なら︑原価以下に価
額づけることによって棚卸資産価額を減じる便宜的方法は︑おそらく避けられたであろうし︑また︑それとともに︑
( 9 )
原価か時価か低い方を用いることによって売上商品原価額を不合理に秘密にふくらますことも避けられたであろう
棚卸資産原価配分の成立︵浦水︶
370
しかし︑やがて︑評価を否定し︑配分思考を認識させる決定的な時期が到来した︒
かけての棚卸資産の価格下落ならびに一九二九年から一九三二年に至る間の物価の暴落は︑物価の振動をきわだっ
て強く反映する低価主義棚卸法のもつ実際上の役だちについて疑念を生ぜしめるに至った︒さらに︑ときあたかも
会計上の重点は貸借対照表から損益計算書へと移行しつつあった︒一九三二年には︑すでに︑所得の測定こそが第
( 1 0 )
一に必要なことであって︑繰り越された棚卸資産は残留原価であるとする考え方が発展しつつあった︒こうして︑
AIAの証券取引所共同特別委員会の証券取引所にあてた一九三二年九月二二日付書簡の中で︑﹁一定の支出のうち︑
当該年度の営業活動に賦課されるべき部分と︑次期以後に繰り越されるべき部分とを決定するなんらかの方法が発
( 11 )
見されなければならない﹂とする原価配分理論が正式に表明されたのである︒
注山
L i t t l e t o n a nd Zi mm er ma n, Ac co un ti ng Th eo ry : C on t i nu i t y a nd Ch an ge ,
19 62 , p. 14 9.
図
I b i d . ,
p. 1 46 .
③山下勝治稿「複式簿記の成立と損益計算制度」(「会計」第五七巻•第六号、(昭二五、六)一0l―ニページ)
AL it tl et on , "
S oc i a li z e d Accounts,"
A. R . , De c. 1 93 3, p .
27 0.
固商品売買損益計算が︑口別計算の形態を脱して一般商品勘定の形態を採り入れたと考えられるものは︑一六
0
五年
のジ
モ ン・ステヴンの著書に求めることができると言われているが︵山下勝治著﹃損益計算論﹄昭二五︑泉文堂刊
1 0一
ペー
ジ︶
︑ このことは︑彼においては︑企業資本すなわち商業資本と資本主の私的資本との区別が認識されていたことによると思われ
る
( O .
t en Ha ve ,
"
Si mo n S t ev i n o f l l r u g e s , "
S t u di e s i n t h e H i s to r o y f Accounting,
e d . b y L i t t l e t o n a nd Ya ma y, 1 95 6, p. 2 42
.)︒ るに十分である︒
棚卸
資産
原価
配分
の成
立︵
水清
︶
一九
二0年から一九ニー年に 卸資産会計を支配し︑実践の中に根をおろしていたことを示唆するに足るとともに︑配分思考の認識不足を暗示す というのである︒かれらのこの所説は︑逆に考えて︑貸借対照表に表示されるべき棚卸資産の評価がいつまでも棚
371
棚卸 資産 原価 配分 の成 立︵ 清水
︶
⑥L it tl et on n a d Z im me rm an , o p . c i t . , p .
15 0.
mL it tl et on ,^ 'S
?c ia li ze d A c co u n ts ,
"
A.
R . ,
De c.
1
93 3, p .
27 1.
ところで原価計算の発展は︑配分の客体となる棚卸資産原価の構成についての考え方をも変化させたようである︒この間の事情をペイトンはおよそ次のように述べている︒すなわち︑
最近の数十年間の原価計算の発展に伴い︑原価を広く解釈する傾向が目だってきた︒われわれは︑成果に経済的に必要であ
り︑活動が継続するならば当然発生するどの原価要素も原価合計額の集合における有力かつ有意義な要素であり︑それゆえ︑
どんな特定のときの棚卸資産原価の測定においても当然考慮されてよいということを認識しはじめつつある︒この発展はも
ちろん製造業の分野で著しくなってきているが︑それは商業の分野でも進行してきた︒商人が一般に︑引取運賃と定期的棚
卸や売上原価との関係を全く認識しないで︑引取運賃を即時の営業費とみなした時代は過ぎ︑今日では運賃を取得品原価合
計額に含めるのが︑大きな店の標準的慣行である
( Pa t o n,
"
Th e C os t A pp ro ac h t o I n v gt o r ie s , "
J .
o f A . , O c t.
19 41 ,
p p.
300│301.)と
o .
⑧
L i t t l e t o n a nd Zi mm er ma n, op . c i t . , p .
14 7; L i t t l e t o n , A cc ou nt in g E v ol u t io n . T
o 1
90 0, 1 93 3, p .
36 6. : l . n
写‑一郎呼
Hi
︹涵
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水助訳︺﹃リトルトン会計発達史﹄︵昭二七︑同文館刊︶四九六ページ︒
⑨L it tl et on n a d Z im me rm an , o p . c i t . , p .
15 1.
皿
A. I . A . , Ch an gi ng Co nc ep ts f o Bu si ng s I nc om e,
19 52 ,
p .
40 .
渡辺 進・ 上村 久雄 共訳
﹃企 業所 得の 研究
﹄︵ 昭一
︱︱
‑︑ 中
央経済社刊︶七0
ペー ジ︒
皿
I b i d . , p .
35 .
前掲訳書︑六ニページ︒
棚卸評価思考の普及
前項でわれわれは︑棚卸資産会計における配分思考の認識の過程を概略考察したが︑
妨げる評価思考が伝統的に存在していたことを見のがすことができない︒以下︑
の過程を少し考察してみようと思う︒
そういう配分思考の認識を この評価思考のアメリカヘの普及 十
五 世 紀 お よ び 十 六 世 紀 に お い て は
︑ 仕 入 商 品 は 特 定 の 商 品 勘 定 に 取 引 契 約 価 格 で 記 録 さ れ た
︒ と き ど き 輸 入 税
372
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶
が付加されたし︑ときどき︑物々交換取引で受け入れられた商品は︑所有者が後にその冒険事業についての損益を
計算できるように︑彼によって彼の地方の通貨で価額づけされた︒
一組の複式簿記記録を開始するさいに︑商人が仕入価額についての信頼できる覚え書送状を
全く持たないときには︑彼は棚卸品を評価するよりしかたがなかった︒それはパチオリが一四九四年に︑商人は開
( 1 )
始記入のさい﹁低くよりもむしろ高く価額づけをする﹂と述べたときに描写したような状況であった︒パチオリは
商人に﹁彼がこの世に有するものすべて︑動産もしくは不動産の﹂財産目録を作成することを勧告したのである︒
( 2 )
仕入送状が全く無いという状況は︑原価で棚卸資産を価額づけるやり方をもたらす誘因となるはずがなかった︒そ
の後︑一五八六年に︑ビエトラが収穫物を時価以下で価額づけることを説き︑また︑それから約百年後に︑イギリ
スのモンティーヂが家畜の棚卸に関連して売れ残り家畜を売価より低く︑あるいは開始記入価額より低く価額づけ
( 3 )
ることを説いた︒これらの事例にみられる考え方は︑価格政策に関する勧告と︑客観的に決定された期間利益に対
する会計計算を行なうための指示とを区別することができなかったことを意味している︒しかも︑これらの事例で
は︑実際価格が無いという状況が︑便宜的な方法で価額づけすることを考えつかせたのであって︑かような状況は
( 5 )
十七世紀のフランスでは︑法律上の問題が棚卸を行なうことの誘因となった︒一六七三年三月の商事法令は︑商
人に二年ごとに﹁すべての動産不動産および債権債務の表﹂として︑財産目録の作成を要求した︒その目的は︑商
( 6 )
人が将来失敗した場合に︑それ以前の営業状態を銀察する資料に供するにあった︒ゆえに︑この法律は詐欺を防止
する一手段として意図されたのである︒この法律のおもな編集者であるザバァレーは︑
と題する一書を著わし︑ 一六七五年に﹁完全商人﹂
( 5 )
そこで棚卸目的のための商品の取扱いについて若干の意見を述べた︒その六版︵一七ーニ 近代的な棚卸の誘因とはならなかった︒ 別の状況において︑
ニ四
373
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶
二五
年︶で彼は商品が損傷したり流行遅れになったりするときにはいつも︑または︑商品をもっと低い価格で買うこと
ができるときにはいつも︑棚卸品の価額を引き下げるぺきであることを勧告した︒彼は︑商品の販売される次年度
に利益が実現しうるようにこの減額を行なうのが当然であると考えたにちがいない︒この考えは本質的に︑﹁正常の
利益﹂が将来販売により実現するようなしかたで棚卸資産の価額づけを行なうべきだとする近代的提案の背後にあ
る理論と類似している︒
十七世紀の後半に︑日時価の下落は直ちに棚卸資産価額の損失を発生させる︑口売れ残り商品に関するかような
損失は当然売上商品原価の一部である︑との考えが存在していたことを推測できるだろう︒人はまた貸借対照表が
( 7 )
損益計算書にまさっているとすでに考えられていたことも推測できるだろう︒
一六七三年の商事法令は一八
0
七年のナポレオン法典の一部の基礎となり︑破産の場合の記録の基本的な使用については︑同じ考え方が受け継がれた︒このように︑フランスにおける棚卸に影響する法律規定は︑破産者
・
( 5 )
によって債権者がこうむる詐欺に関係があったわけである︒
フランス会計文献︵たとえばザバァレー︶に現われたある初期の思想は︑今日なお一般に認められている棚卸資
産価額づけ実践である﹁原価時価比較低価法﹂の棚卸方式を直接指示するものではないとしても︑それを前もって
示していたようと思われる︒たぶんドイツにおける少し後になってからのやり方︑および︑それから連想されそう
(7) な考えが︑それらの思想を近代の使用へ導くのに役だったのだろう︒
さて︑ドイツのやり方は︑貸借対照表における棚卸資産価額づけに関する規則を制定しようとする立法的提案の
(7) 形をとった︒まず︑一八五七年の法律の当初の草案は﹁原価か時価か低い方で価額づける﹂との語旬を含んでいた
o ,
おそらく立法者は一六七五年のザバァレーの考えや一八
0
七年のナポレオン法典の例にならっただけだったろう︒さて
︑
374
財産目録に関する十七世紀の思想︵たとえば︑ フランスやドイツでは︑リトルトンによれば︑原価か時価かという規則は詐欺の機会を狭めようと
する立法者の希望と結びついた︒このような状況は︑一般的な会計の原則を発達させるためのおもな状況ではなく︑
( 9 )
一般的な原則に対する例外を構成するにすぎない原則を産み出すことができるだけである︒
けれども︑おそらく︑この大陸的見解は他の国々に影響を及ぽし︑低価法の規則がこの源泉から意識的に採用さ
れたかどうかは別として︑この規則は広く認められていった︒十九世紀の中ごろのイギリスでこの規則が受け入れ
られたのは︑おそらくこの規則の使用が物価の継続的低落可能性という悲観的見解に基づいた保守主義的行動を表
( 1 0 )
わしたからであろう︒すなわち︑先天的な保守主義と物価下落の長い時代とが低価法の原則をイギリスで伝統的な
( 1 1 )
ものにし︑十九世紀の末にはこの原則は十分に確立されたのである︒そして︑この原則は一九一七年にイギリスの
内国歳入局に対して報告書を提出した会計専門家の委員会によって一般的評価原則として支持された︒これがアメ
リカの内国歳入局によって採用され︑いろいろな教科書︑雑誌その他の出版物において盲目的であるとしても強く
( 12 )
支持されてきたのであり︑多くの職業会計士がそれを承認している︒ せ
いぜ
い︑
しか
し︑
その語句はあまりに特異的かつ制限的であるとして退けられ︑結局︑﹁棚卸表および貸借対照表が作成され
る日に︑︹その品目に︺当然帰すべき価値﹂という語句が一八六一年の法律に取り入れられた︒ところが︑株式会社
発起人は︑見込み売価で棚卸資産を貸借対照表に表示することを許すものとその語句を解釈し︑投資家に詐欺行為
を行なうのにこれを利用した︒これが︑一八七
0
年から一八七三年にかけての株式会社設立と株式投機の波の原因となってきたと考えられた︒そこで︑一八八四年の法律では︑原価か時価か低い方という考え方が書き入れられる
(8) 一八九七年の商法もそれを受け継いだのである︒
この
よう
に︑
に至
り︑ 棚
卸資産原価配分の成立︵清水︶
一六七五年および一七︱二年のザバァレーのような︶は貸借対照
二六
375
二七
表によって実体勘定に重きをおく初期の傾向を表わすだろう︒貸借対照表に重点をおく同様な傾向は十九世紀の中
アメリカにおいては︑融資銀行が当然に流動資産の保守主義的表示を奨励したために︑信用目的の貸借対照表監
(10) 査の発展と低価法とが結合したのである︒すなわち︑低価法は︑ペイトン︑リトルトンの述べるところでは︑次の
ようにしてアメリカで発展したという︒近代会計実務は︑ーー︐他の要因中とりわけーJ.商業信用上の目的のために
貸借対照表を準備しようという要求の影響を受けて発展した︒そしてこの関連において︑運転資本の現状に重点を
おく傾向が生まれてきた︒短期的な債権者として債務者の支払能力に関心を持っているものにとっては︑流動資産
の流動負債に対する関係が︑判断に対して満足しうる基礎を供するものだと考えられてきた︒この状態にあっては︑
一般公共会計士が﹁流動比率﹂にごまかしが無いようにと特別な努力を試みたとしても驚くにあたらない︒会計士
は︑流動負債が漏れていないように︑また︑文句のつけようのない流動資産のみが含まれているようにと注意した︒
そのうえ︑債務者が負債は過小評価し︑資産を過大評価しがちなものと仮定した︒それゆえ︑これと釣合いをとる
ように︑信用を認める方の観点としては︑負債を最大限に資産を最小限に示すことを歓迎してきた︒このような債
権者的観点に応ずるため︑流動資産︑とくに棚卸資産について保守的な表示すなわち過小表示を行なうべきである
( 1 3 )
という原則が発展したのである︒
こうして︑低価法の流行は︑初期の時代には財政状態の一覧表に会計家が心を奪われたために︑また︑その後は
(1 4)
かような報告書に対する銀行のあまり賢くない態度のために引き起こされてきたのである︒また︑低価法が多年財
( 1 5 )
務省により所得税目的のための正当な棚卸資産評価基準として承認されてきたことも︱つの重要な要因であったろ
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶ いても支配的であったのである︒ ごろのドイツに現われ︑そして︑十年後にイギリスに現われた︒
一九
三
0
年代に至るまでこの見解はアメリカにお376
棚卸 資産 原価 配分 の成 立︵ 清水
︶
(16)
しかし︑低価法に批判がなかったわけではない︒いまは︑そのような批判の内容に立ち入るいとまがないが︑フ ィニー︑ミラーが低価法の批判に関連して︑アプローチを︑ある期間に支出された商品原価合計のうち︑当期収益
(17)
に賦課されるべき部分と︑将来の期間に割り当てられるべき部分とを決定するアプローチに変えなければならない う ︒
貸借対照表に表示されるべき棚卸資産価 と述べた所説は︑とくにわれわれの興味を引くものである︒というのは︑
額の決定が重視され︑種々の要因のために低価法が流行したことが︑棚卸資産会計における配分思考の発達を阻害 したというこの項でのわれわれの結論が︑この所説によってもまたその裏づけを得るからである︒
注田
L i t t l e t o n an d Zi mm er ma n, o p . c i t . , p .
15 1.
図
L i t t l e t o n ,
"
A Genealo
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Co st oM r ar ke t"
,"
. A R . , J un e
19 41 ,
p .
16 3.
③
I b i d . , p p.
163
16 4.
④
L i t t l e t o n , S t r u c t u r e o f Acco un ti ng Th e o ry ,
1
95 3, p .
66 .
+^芦(血ち郎Bi﹃
IJ トル トン ム会 町理 込躙 の婢 唸垣
﹄︵ 昭一
1 0 ︱
︑吉 金汗 経済
新報社刊︶九七ページ︒固
L i t t l e t o n ,
"
A Ge ne al og y
for••Cost
o r Ma rk et
"
,"
. A R . , J un e
19 41 ,
p p.
164
16 5.
なお︑ザバァレーまでの低価法については、中村万次稿「原価時価低価法の確立過程」(「会計」第七二巻•第一号、昭三二、七)参照。
⑥
L i t t l e t o n , Ac co un ti ng v o E l ut i o n T o 1
90 0, p .
13 6. f . i i 垣
竺訳 拿自
︑ニ
︱六 ペー ジ︒ 71 Li tt le to n a nd Zi mm er ma n, o p . c i t . , p .
15 3.
矧
L . J .
We甘
3"
Ba la nc e S he e t V a l ua t i on
i n
Ge rm an Law ,"
J. o f A . , S e p t .
19 29 ,
p p.
195
19 9; L i t t l e t o n ,
"
A G en e︑
巴o
gy f o r
"
Co st o r . Ma rk et
"
,"
. A
R . ,
J un e19 41 , p .
16 6;
L i
t t l e t o n an d Zi mm er ma n, o p . c i t . , p .
15 4.
⑲
L i t t l e t o n , o p . c i t . , p .
16 6.
皿
L i t t l e t o n an d Zi mm er ma n, o p . c i t . , p .
15 4.
皿
Ma y,
" C e nc e p ts o f B u s i n e s s In co me an d T h ei r Im p l em e n ta t i on ,
"
Q .
J . o f E . , F e b . 1 95 4, p .
16 .
四
P a t o n ,
" V a lu a t io n of Inv gt or ig ,"
J. o f
A . ,
De c. 1 92 2, p p
444445. .
ニ八
377
棚卸
資産
原価
配分
の成
立︵
清水
︶
次に︑棚卸資産原価の配分方法の成立に眼を転じよう︒
四
二九
一九二二年にペイトンの語るところでも︑系統的な 悶
Pa to n an d L i t t l e t o n A, n I n t r o d u c t i o n To Co r p or a t e A cc ou nt in g S t a n d a r d s , 1 94 0, p p
126 .
12 7.
会計
基準
序説
﹄︵
昭一
︱︱
︱︱
‑︑
森山
書店
刊︶
ニ︱
0ペ
ージ
︒
閥
P a t o n , E s s g t i a l s o f Ac c o un t i ng , 1 93 9, p .
48 6; P a t o n , E s s g t i a l s o f A c co u n ti n g , r e v . e d .
19 49 , p .
50 4.
凹
P a t o n , Ad va nc ed Ac c o un t i ng , 1 94 1, p .
15 3.
閥たとえば︑ペイトンは一貫して低価法を批判してきた︒
聞
Fi nn ey an d M i l l e r , Pr in ci pl go f A c co u n ti n g ‑I n t er m e di a t e,
4th e d . ,
19 54 ,
p .
38 6・
であ
るが
︑
配 分 方 法 の 成 立
配分方法としての先入先出法︑平均法︑後入先出法などがどのようにしていつ生成したかは興味のある研究項目
これを究めることも困難である︒ガーナーの述ぺるところでは︑前世紀の終わりには︑材料払出し原価
決定方法として︑日普通の原価︑口原価に運送費その他の費用を加算した金額︑国平均原価︑および国時価が認め
( 1 )
られていたということで︑ほぽその時代にいわゆる先入先出法もまた考察され始めたといわれる︒また︑リトルト
ン︑ジムマアマンの記すところによれば︑棚卸資産が製造工程へ物理的に移動することについて関心が現われて︑
購入品から売上原価への貨幣を跡づけるようになったときに︑払出し材料を価額づける普通の方法として先入先出
( 2 )
法が目だった理論づけもなしに発展していたという︒
ところで︑先入先出法が目だった理論づけもされないで︑広く一般に採用された︱つの要因は︑ 中島省吾訳﹃会社
この方法が財務
省によって早くから認可されたことであったように思われる︒
加重平均法でさえ課税目的のための一般的方法としては以前否認されたととがあり︑後に︑たばこ会社にこの方法
378
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶
を使用する許可を与える規則ができ︑最近の税法規定六十二の一五八三条のいっそう寛大な条件によってこの方法
( 3 )
がいっそう広い認可を与えられる見込みであるといわれたからである︒
なんといっても︑払出し材料を価額づける普通の方法は︑最も古い物品が先に生産に投入され︑比較的最近の購 入品が将来の使用のために残されるものとする考え方を示した︒この方法では︑比較的古い仕入価格が製品原価に 帰属し︑それゆえ︑棚卸製品を通じて売上原価に帰属した︒また︑貸借対照表では残っている原材料が最近の仕入
価格で評価された︒
一方︑ある天然資源開発産業において逆の実践が行なわれた︒貸借対照表に計上される棚卸資 産は比較的古い仕入価格で表示された︒そして︑売上原価は比較的最近の仕入価格を表示した︒これらの二つの方 法は先入先出法および後入先出法と呼ばれるようになった︒後入先出法は基準棚卸法の有用な一変形として考えら れた︒なぜなら︑基準棚卸法でも︑最近の仕入価格が売上原価に組み入れられ︑
( 4 )
して損益計算書に組み入れられたからである︒
それでは︑基準棚卸法はどのようにしてアメリカで成立したのであろうか︒基準棚卸法は︑メイによると︑複会
( 5 )
計制の思考様式からの自然の発展であった︒複会計制は十九世紀の第三の四半世紀を通じてイギリスの鉄道や公益
企業に適用されたのであるが︑この会計制度の︱つの長所は︑ それゆえ︑最近の売上収益に関連
それが貨幣単位の価値の変動時に収益と費用とをほ ぽ同じ物価水準の上に持ち込む傾向があるということである︒基準棚卸法が会計に取り入れようと努めたのはこの 特徴であった︒つまり︑複会計制がアメリカの初期の会計に影響を及ぽし︑複会計制の特徴を備える基準棚卸法が
( 6 )
アメリカに移入されたのだろう︒
こうして︑基準棚卸法はある程度まで財務会計で長く使用されていたようで︑ある会社の一役員が︑基準的原材 料の最低限度のすなわち基礎的な在庫量の評価に用いられるべき正しい原価は︑二十年またはそれ以上の期間にわ
1 0
379
とい
う︒
たる価格の概算平均を採ることによって決定される正常原価であるということを主張したし︑また︑他の場合には︑
戦争期間直前の二︑三年間の平均価格が棚卸資産の基準的数量に適用されるべき原価であると主張されたといわれ
( 7 )
る︒しかし︑第一次世界大戦中に︑基準棚卸法は内国歳入局によって税法上否認され︑そこで︑多くの点で基準棚
卸法に類似する後入先出法が成立した︒後入先出法は複会計制と基準棚卸法とをイギリスで生んだ思想の流派に属
( 6 )
するといわれるゆえんである︒
ところで︑かような税法上の否認によって基準棚卸法が実務上採用されなくなったわけではない︒ペイトンの記
すところによると︑物価が急激に下落しつつあった一九三
0
年から一九三二年の時期を通じて︑多くの会社が︑その正常棚卸量の価額を極端に保守的な基礎の上に保持しようと努めて︑多年にわたり用いてきた基礎価格以下に時
( 8 )
価が下落するという事態に直面したという︒こういう事実からも基準棚卸法の採用状況がうかがわれる︒
こうした基準棚卸法と後入先出法との密接な関連は︑一九三六年の
A I
の棚卸資産委員会の報告書からある程A
度うかがい知ることができる︒同報告書の報ずるところでは︑アメリカ石油協会の理事会が同協会の会員に勧告し
た後入先出原理の主要目的は︑販売価格とかような販売価格の直接原因となっている原材料価格との実質的な相互
関係を︑財務諸表における利益算定のさいに生ぜしめることにある︒この目的を達成するさいの実践的効果の点で
( 9 )
は︑後入先出原理は︑棚卸資産評価方法としての基礎有高法または基準棚卸法に匹敵すると考えることができる︑
しかしながら︑後入先出法の実務への浸透は急速ではなかったようである︒所得税法上︑後入先出法の承認を確
保しようとして長い運動が行なわれ︑その運動を通じて︑表示される純利益における期間的な変動を減少させるこ
の手続の傾向について相当な賛否両論があったといわれる︒そして︑
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶ この論議においては︑少なくとも初期の段階
380
棚卸資産原価配分の成立︵清水︶
では︑後入先出法の概念と一般物価水準の持続的変動によって引き起こされる問題との関係にはほとんど注意が払
われなかっ幻どいわれる︒
一九三九年に議会は後入先出法の使用を認可した︒後入先出法を採用する権利は︑会社が他のどの会計 報告においても後入先出法以外のどんな方法も使用しないことを条件に︑同年の歳入法で認められた︒
の歳入法の第ニ︱九条に従って︑
つま
り︑
こ この方法の使用は︑信用目的のためにまた株主・組合員その他の出資者もしくは 受益者への報告のために用いられる財務諸表において同じ方法を納税者が採用することを条件としてのものであっ
( 11 )
た︒こうして︑税法が後入先出法の実務への浸透に影響する一原因となった︒なぜなら︑
げそしてある限度においてのみ損失の繰延べを許してきた所得税制度の下では︑後入先出法による利益の平均化が
(12) 納税者に有利であるからである︒
だが︑後入先出法は適用が困難であったのであり︑最初はごく少数の納税者によって使用されたようである︒後 入先出法の税法上の認可があってから後の十年間に︑規定の単純化が行なわれ︑また︑後入先出法の適用可能性を 拡張する裁判所の判決があり︑さらに︑物価の漸騰があり︑こういう諸要因が後入先出法の採用を拡大していった
(13)
といわれる︒このような後入先出法の採用の拡大とともに︑後入先出法の変型としてのドル価値法が成立した︒
九四
七年
に︑
ハッズラー・ブラザース会社事件で︑税務裁判所は後入先出法が百貨店に適用することのできるもの であり︑また︑納税者の棚卸資産の性質のゆえに︑納税者が後入先出法を選択採用することを否認できないという
判決を下した︒また︑
一九四八年のエドガー•A・バッセ事件では、上の判決が拡張され補強された。これらの事 件は︑指数の有用性と実践可能性が認識された点に意義があり︑
こういう判決が動機となって︑少なくとも一九四 七年以来課税目的のために後入先出法の変型であるドル価値法に関連して物価指数の使用が行なわれてきたといわ.
しか
し︑
一年という計算を祭り上