ヴ ァ ラ ン タ ン
︻翻訳︼カルロ・デル・ブラーヴォ
甲斐 教行 訳・註解
もし芸術が抒情的な観想であるならば︑人はただそれを提示し証言することしかできないだろう︒なぜなら︑霊感に基づく肝心の部分│
│現世の尺度を超越した︑天上界に起源をもつ本質││が︑理性的伝達をも︑また実証主義的批評をも拒絶するからである︒それどころか︑
その種の批評は疑いなく誤解を生む結果となるだろう︒なぜならそれは︑霊感の翼で天駆ける芸術家の心の中にしか存在しない芸術を︑た
だその地上的なあらわれによって判断しようとするからである︒そこで︑私のこの論考は︑批評をも理性的伝達をも度外視したうえで︑ア
ンニーバレ・カラッチのボローニャ時代の作品の本質がその観想性にあるという前提から出発する︒それは︑自然界や芸術界のさまざまな
形象に神秘の別世界を垣間見て︑めくるめくばかりの愛を寄せるという︑現世の尺度を度外視した︑このうえなく抒情的な境地に他ならな
い︒実際そのような別世界は︑ジャンル︑主題︑様式︑造形言語などの個々の具体物の中に見いだすことはできない ︵
1︶
︒
もしボローニャ時代のアンニーバレの作品がこのような特質をもっているとすれば︑ローマ時代の活動においていかに彼の天性が歪めら
れたかが理解されよう︒その時期彼が暗黙の裡にアリストテレス派の伝統がもつ芸術倫理を分かちあっていたことは︑彼の言葉の端々から
も理解される︒この派によれば︹芸術の︺本質は︑もはや視覚へと高められた﹁狂 フーロル気﹂ではなく︑長い修練によって得られた闊達な作業能
力によって内的イメージを具体的生産物へと変える過程にすぎない︒かくして︑︹美術作品の︺価値は地上的見地から評価されるべきものと
なる︵﹁諸君にはこれらが奇跡に見えるのか﹂︒アンニーバレは︑ガレリーア・ファルネーゼの﹁境 テルミニ界柱﹂︵図1︑2︶の称讃者たちにこう皮 肉を言っ ︵
2︶ た ︵一︶︶︒
ボローニャで過ごした彼の青年期に見られる観想的な特質は︑従兄
のルドヴィーコが彼にもっとも接近していた一五九〇年頃に︑この従兄その人によって変質を被ったように思われる︒図解的に強調され動
感に満ちた輪郭︑大きさの不統一︑色調のコントラスト︑といったルドヴィーコの常套手段がすでに︑︹メッセージを︺伝達し︹それによって
観者を︺説得するという意図︑すなわち愛情深く感動的な修辞法︹の存
在︺を︑われわれに明かしている︒それは︹アンニーバレの︺観想とも︹ア
ゴスティーノの︺対話ともこの画家を分かつ特質であった︒
だがカラッチ一族の青年期の芸術的特質を甦らせたのは︑一六一五
年頃の若きグェルチーノである︒彼はアンニーバレの成熟期や︑一六〇〇年代のボローニャ派第一世代に共通する﹁アリストテレス主
義﹂の後に登場した︒したがって︑彼が自分の手本をルドヴィーコからアンニーバレへとすばやく変更したことは︑私にとって︑観想的な
抒情性の再生として称讃する価値がある︒と同時にそれは︑同じ傾向をいっそう長く持続させたピエトロ・ダ・コルトーナの歩みと緊密に
関連づけるべきものだと思われる︒
若きグェルチーノが天与の才に恵まれていたという認識は︑
一六一七年にルドヴィーコが記した︑﹁自然の生んだ怪物︑驚嘆すべき奇跡﹂という言葉にすでにうかがわれる︒そこにはまた﹁彼は
勇 エロイカメンテましくふるま ︵
3︶ う ︵二︶﹂とも記されているが︑プラトニズムの文脈に照らせば︑これはつまり﹁愛の称揚﹂を意味する︒同様に︑グェルチーノ に特徴的なあの﹁染 マッキアみ﹂や素早い線︵図3︶も︑理性的には説明できない魅力をもたらす可能性という意味において︑プラトン的と言える︒
﹁狂 フリオージ乱した﹂という形容は︑地上の規則の忘却に由来するのであって︑決して手作業の速さのゆえではない︒それは形態面の﹁無 スプレッツァトゥーラ頓着さ﹂
を他者に誇示する態度とはまったく別物だが︑それが何であるかを理性的に示すことはできない種類のものである︒だから私は︑グェ
ルチーノの﹁染 マッキアみ﹂と素早い線の中に︑フィレンツォーロの言う﹁名 ノン・ソ・ケ状しがたきもの﹂︑︹ジョルダーノ・︺ブルーノの言う
﹁あ ウナ・チェルタ・スピリトゥアリタる種の霊性﹂が宿っていると信ずる︒それはちょうど︑理性的には美しいとは言いがたい人物︑物体︑場面が人の心をとらえるのに似
ている︒カンタリーニはグェルチーノの︽聖グリエルムス︾︵図4︶を評していみじくもこう言った︒﹁手も足も顔も妙ちきりんだが︑心
惹かれずにいられない ︵
4︶ ﹂︒
そしてピエトロ・ダ・コルトーナだが︑詩作品を原作と異なる意 図によって翻 パラフレーズ案するという当時の文化︹的慣習︺になぞらえるなら︑ヴィッラ・サッケッティの礼拝堂やパラッツォ・バルベリーニの天井 画︵図5︶は︑パラッツォ・ファルネーゼのカメリーノやガレリーアの天井画︑つまり成熟期アンニーバレが﹁計 システマティケ画的に制作した﹂諸作品
の翻 パラフレーズ案のように思われる︒それはアンニーバレ自身の若き日の観想的態度の再現とも言える﹁狂 フーロル気﹂︑つまり定義を超越した自由な様式に よってなされた翻 パラフレーズ案である︒そこではラファエッロやミケランジェロからの博識な形態借用さえも自由な直観に基づいており︑あらゆる計
画性の埒外にある︒
われわれはここで︑一七世紀初頭の十年間に活躍した芸術家たちの人 エティカ生観││作業︑報酬︑それに他者の美徳をどう考えるかなど││を 振りかえってみることにしたい︒すると︑互いに相違こそあれ︑浮世離れした理想家肌の抒情詩人という共通項に括られるのをつねとし︑
少なくとも﹁実 プラティチ利的﹂ではありえないとみなされてきた芸術家が︑︹実
際には逆に︺実利的な本質を有していたことをうかがわせる︑似かよっ
た伝承を並べたてることになった︒
その底流には︑美術作品の制作に関してレオナルドが抱いていたア
リストテレス的態度がある︒ヴァザーリが明言するところによれば︑サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエの修道院長はミラノ公に対し
て︑レオナルドがわずかしか仕事をせず︑ときには半日も﹁考えこんで﹂しまうと苦情を漏らしたという︒またレオナルドは公に対して﹁おお
いに芸術を論じ︑卓越した天才は︑実際に作業をしていないときの方がむしろ多く働いているのだと納得させた︒なぜなら芸術家は︑まず
頭の中で構想を追求し︑完全な理想形をこしらえた後︑知性によって構想した理想形を手で写して表現するからである ︵
5︶
﹂︒ところでバルディ
ヌッチによれば︑ドメニキーノは長い熟考の後で仕事に着手したという︒また自分の作ったある作品に関して︑﹁私は絶え間なく頭を働か
せてきた︒私は絵筆よりもむしろ頭によって描くのだ ︵
6︶ ﹂と答えたという︒またマルヴァジーアによれば︑グイド︹・レーニ︺は構想や緻密 な表現を頭の中で追求するため ︵
7︶ ︑早朝に寝室の窓を閉めきって迷惑な訪問客を追い払い︑静寂の中で時を過ごしたという︒実際︑あるとき 彼はある枢機卿に対し︑﹁巨 ヴィルトゥオーソ匠の才能に対し乱暴な真似は許されない ︵
8︶ ﹂と返答している︒またベルニーニも︑シャントルーが伝えるところに
よれば︑なすべき仕事があるときは︑それについて夜の間に思いをめぐらし︑翌朝目覚めたときに︑﹁想像の中で思いえがいたとおり﹂の
着想を得たという ︵
9︶ ︒そして後に続くのは手作業による制作である︒その手はベルニーニのそれのように﹁称讃すべき闊達さ ︵
10︶ ﹂に天来恵まれ ている場合もあれば︑マルヴァジーアの伝えるドメニキーノやレーニのように︑満足することなく壊してはやり直すというくりかえしや ︵
11︶
︑
莫大で並外れた労苦によって ︵
12︶ ︑ようやく扱いやすいものとなる場合があった︒
芸術の着想を神秘的なものとみる考え方からレーニが距離を置いたのは︑ファルネーゼ天井画を制作中のアンニーバレとまったく同じよ
うに︑自覚的︹な選択︺だった︒ジェノヴァ︹の委嘱主︺のために描かれた︽聖母被昇天︾についての画家自身の言葉を聞こう︒グイドは﹁す
べてが注賦徳︹神の恩寵によって魂に注がれる対神徳︺や特別な天分に帰されてしまうことに不平を漏らした﹂︒﹁彼は言った︒﹃何が生来の才
能だ︒何が注賦徳だ︒これらの天分は︑たゆみない努力と辛抱強い労苦によって獲得されるのだ ︵
13︶ ﹄﹂︒個 ソッジェッティヴィズモ人的功績や ︵三︶作 オペラティヴィタ業能力の論理を拠り所
とするからこそ︑これらの芸術家は芸術作品や自然物の美に対してこのような反応をするのである︒︹ドナート・︺ジャンノッティ︹一四九二
│一五七三年 文学者・政治家︺の﹃対話﹄に記されているように︑ミケランジェロは美徳に恋してその虜とならずにはいられなかった ︵
14︶ ︒だが
この美徳に寄せる愛というプラトニズム的な考え方から遠く隔たっていたグイドは︑弟子が自分と肩を並べることにはっきりと不快
感を表明し ︵
15︶ た ︵四︶︒またベルニーニはレーニのある絵を称讃︵﹁美 ベッロしい﹂﹁非 ベリッシモ常に美しい﹂﹁天 ディ・パラディーソ国的だ﹂︶した際に︑﹁見なければよかった﹂とい う言葉でそれを締めくくった ︵
16︶
︒同じ言葉を彼はヘレニズム期の︽踊るファウヌス ︵五︶︾をまえにしたときにもくりかえした︒そしてその際シャ ントルーが伝える次の言葉をつけくわえたという︒すなわち︑あの驚くべき彫像は﹁これと比べるなら自分は何も知らないと彼に悟らせた﹂
というわけである ︵
17︶ ︒同様に︑自然物の美をまえにしたときの個人の作業能力もまた︑プラトニズムの愛に対する態度とはまったく別の範疇 に属する︒アリストテレス的な規範にしたがって︑アルバーニがしばしば理想の自然を﹁入念に表現され︑彼の作品の中で偉大なか セーニョたちを 与えられた﹂姿だと述べ ︵
18︶ ︑またドメニキーノがさまざまな感情を表す典型的表現の探求へと向ったとすれば ︵
19︶ ︑グイドもまたモデルが示唆す るものを﹁修正し︑調節し︑もっとも完璧で偉大なかたちに還元する﹂術を知ってい ︵
20︶ た ︵六︶︒実際彼は︑顔料を挽く弟子の﹁背教の悪党面﹂をも とに﹁うら若い聖女﹂を描いた後︑﹁美 レ・ベッレ・イデエしい理想型はこの頭の中にあればよい︑そうすればどんなモデルでも役に立つ﹂と人づてにグェル
チーノに伝えてい ︵
21︶ る ︵七︶︒したがって彼は﹁モデルを務めるたくさんの美青年を目のまえでじっと凝視しながらも︑大理石のような︹冷静な︺ 態度を﹂つねに保つことができた ︵
22︶ ︒またベルニーニはフランスで︑生身の美しいモデルはめったにおらず ︵
23︶ ︑自然の中の欠陥を修正するため にはどうしても古代人︹の作品︺を研究する必要がある︑と何度も語った ︵
24︶ ︒つまり思うに︑ベルニーニは自分が引用したミケランジェロのあ
る発言の意味を曲解したのである︒実際︑︽ベルヴェデーレのトルソ︾︵図6︶を凝視した後︑ふとわれにかえって洩らした﹁これは自然以
上に熟達した男の作だ ︵
25︶ ﹂という言葉は︑プラトニストのミケランジェロであれば︑古代の作者の魂は自然がいまだかつてなしえなかったほ
どに絶対者の光に助力を与えるということを意味しただろう︒それは到底︑技術という地上的能力を讃美する言葉ではありえなかっただろ