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-③『 The History of the Standard Oil Company 』の解剖②-

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(1)

『人文コミュニケーション学科論集』

20, pp. 41-60. © 2016

茨城大学人文学部(人文学部紀要)

-③『 The History of the Standard Oil Company 』の解剖②-

  古賀 純一郎

要旨

 本論文は、人文学部紀要第

19

号(

2015

9

月)に続くターベルの金字塔「

The History of the Standard Oil Company

」の解剖の続編である。前回の論文が対象とした第

1

章から第

5

までの要約と解説に続き、今回は、第

6

章から第

9

章までを扱う。

 「

Strengthening the foundation(

基礎の強化

)

」がタイトルの第

6

章は、スタンダード石油の 総帥のロックフェラーがありとあらゆる非情な手法を駆使し、ライバル企業を次々と傘下に 収めて市場独占を実現していく過程を、実例と豊富なデータを基に、臨場感あふれるタッチ で紹介している。ツールとなったのが輸送網の独占とリベート、悪質極まる前代未聞のドロー バック。血も涙もない冷酷で詐欺的な商法として未亡人の工場の買収も取り上げた。

 第

7

章は、「

The Crisis of 1878

1878

年の危機)」は、輸送網を支配したうえに石油採掘業 者からの原油を買い叩くための導入した制度をめぐる攻防とロックフェラーのビジネスモデ ルである南部開発会社など。「

The Compromise of 1880

1880

年の妥協)」の第

8

章では、市 場独占をほぼ実現したロックフェラーが訴追され、築き上げた帝国が崩壊の瀬戸際へ追い込 まれたシーンを描いている。このためリベートなどの不公正な諸慣行の取りやめることを材 料に、石油採掘業者をなだめすかし、訴追の取り下げを実現させるまでの過程を扱っている。

 第

9

章は、「

The fight for the seaboard pipeline

(東海岸へのパイプラインの闘い)」で、輸送 網をロックフェラーに牛耳られ、身動きの取れなくなった独立系業者が、活路を見出すため に着手したパイプライン計画をめぐる争いを紹介している。最終的に独立系は敗北。ロック フェラーがパイプラインも支配することで独占はさらに強化される。いずれも、巨大トラス ト帝国を構築するまでの犯罪的な経営手法を完璧なまでに暴いている。

キーワード:ドローバック、州際通商法、即時出荷、パイプライン、共謀罪、市場独占

1

章、

Muckraker

は死語なのか

 本論文が連載する米ジャーナリスト、アイダ・ターベルは、今から

100

年前の米国のジャー ナリズム界で、マックレイカー(

muckraker

)と呼ばれた。名付け親が当時の大統領セオド

(2)

ア・ルーズベルトであることは、既に紹介した。家畜の汚物を漁る

muckrake

という表現を 使ったのは、社会正義を貫徹するため権力機構の不正を独自の調査で白日の下にさらす新し いジャーナリズムを積極的に評価する気持ちがなかったことが伺える。

 毒舌系の比較的著名な芸能人が、自分たちのスキャンダルを熱心かつ詳細に報道する国内 の芸能リポーターたちを「排出物にたかる銀蠅」とかつて表現し、話題になったことがあっ た。ルーズベルトにもこうした思いがあったのではないかと推察される。

 調査報道は、

1970

年代に米ワシントン・ポスト紙の記者らが当時の大統領の政治スキャ ンダルを約

2

年の地道な報道により暴露し、大統領のポストから引きずり下ろしたウォーター ゲート事件で一躍脚光を浴びた。綿密な調査をベースとするその取材手法が

Investigative

reporting

と称された。これは、当時、調査的報道、現在では、調査報道とよばれている。

では、

muckraker

あるいは

muckraking

は、古色蒼然とした死語となった言葉なのか。

 米ボルチモア・サン紙で編集局長などを務め、現在、米ペンシルベニア州立大学(

PSU

で教鞭をとるトニー・バービエリ教授に

2015

9

月、筆者は面談し、質問する機会があった。

この

muckraking

という言葉について教授は、業界では、最近ほとんど使われない用語であ

ると解説してくれた。

 だが、筆者は、

2015

1

月、『

International New York Times

』に同

16

日付け紙面の見出しで、

muckraking

という言葉に出くわした。衝撃的でもあった。

 それは、著名なメキシコのジャーナリストが

88

歳で大往生を遂げたことを伝える死亡記 事で、見出しは「

Julio Scherer Garcia, Muckraking Mexican editor, dies at 88

」である。死 語と思い込んでいた「

Muckraking

」という表現が使われていた。死んだはずが、どっこい 生き残っていたのである。それも米国でも高級紙と言われる

NYT

紙が使っていた。これに は心底から驚いた。

 記事の中身は、以下である。メキシコの主要紙の編集局長などを務めたドイツ系移民のフ リオ・シュレル・ガルシアは、当時、オルダス・エチェベリア・シルバレス大統領などと対 立、メキシコ政府の政治的な腐敗を暴露するため調査報道を専門とする週刊誌『プロセソ』

1976

年に創刊、この中で、政治家や官僚の不正、腐敗を積極的に暴露。政界・政府の浄 化に貢献した。

 矛先は、政権と癒着していたメディア界にもおよび、『プロセソ』は、政権党の言いなり になっていたそれまでのメキシコのジャーナリズム界に画期をもたらした。

2000

年に実現 した

71

年ぶりの政権交代もそうした報道の成果といえる。背景には、ガルシアが力を注い だジャーナリスト教育と切っても切れ離せない。この評伝を読むと、確かに、取り上げるべ き重要人物の死亡記事である。

NYT

紙が記録の新聞と言われるゆえんでもある。

 いずれにせよ、

Muckraking

という表現が使われたこと、しかも、それが米高級紙のニュー ヨーク・タイムズ紙だったから筆者は度胆を抜かれたのである。

 さ て、前 回 の 紀 要 か ら ス タ ー ト し た タ ー ベ ル の『

The History of the Standard Oil

(3)

Company

』の解説に戻ろう。

 前回の続編となるため今回は、第

6

章から第

9

章までの要約を掲載する。章を追うごとに、

市場制覇のためにロックフェラーが仕掛けた、ライバルを叩きのめし市場からの退去を迫る、

血も涙もない残酷な手法が次々と紹介される。

 バランスの取れた倫理観を持ち合わせていれば、思いつかないような奇策を次々と生みだ し、それがことごとく成功する。ターベルの辛辣な批判は、各章で展開され、緻密な分析力 に冴えさえも感じられる。前回の論文の第

5

章に続く、要約の紹介ということで、章立ての タイトルは、第

2

章ではなく、第

6

章からということで、ご理解いただきたい。

6

章、

Strengthening the foundations

(基礎の強化)

 章の前半は、目指す市場支配のためロックフェラーが、原油および石油製品の輸送網を完 全掌握するまでの過程である。ヘンリー・フォードが流れ作業による大量生産システムを確 立させ、輸送手段に車が登場する以前だから、嵩も大きく重量のある石油の輸送手段は鉄道 やパイプラインに限られていた。家畜の輸送では、限界がある。

 輸送網を握れば、ライバルの業者の販売に影響力を行使できる。同時に、工場を動かすた めに必要な原料の入手のコントロールを通じてライバル業者の生産、そして販売を制限でき る。双方を通じてロックフェラーは、石油製品の価格と収益の安定を確保できると考えたの である。その確保に全力を挙げた。

 最終的には、鉄道を傘下と同然に置くことに成功、輸送網を自由に操ることによりライバ ル勢の動きを妨害し、追い詰めた。四面楚歌に立たされたライバル勢は次々とロックフェラー の軍門に下った。こうして市場独占を拡大させた。

 注目点といえば、工場買収でひどい仕打ちを受けた石油精製業を引き継いだ未亡人を筆頭 とする哀れな被害者らの姿である。ターベルの記事で初めて広く知られるようになった。

 視点を変えれば、無慈悲で残忍なロックフェラーの人物像が形成される序章の始まりであ る。未亡人は、後の調査で、バッカス夫人と名前が特定された。もっとも、ターベルが描い た未亡人に対する酷い仕打ちは、その後、出版されたロン・チャウナウ著『タイタン』など で、「ターベルの間違い」、「通常の商取引で、ロックフェラーに落ち度はない」などの記事 が登場している。筆者は、白黒を付けられないと考えている。

ⅰ.鉄道のリベート

 冒頭のレジュメをみてみよう。①最初の州際通商法案②スタンダード石油一味の努力で法 案は握り潰し③独立系の業者は、パイプラインの建設を計画することで生き残りを模索④最 初の東海岸へのパイプライン計画⑤スタンダード石油および鉄道の反対や経営の失敗で計画

(4)

はとん挫⑥エンパイア輸送会社の発展と石油精製ビジネス⑦スタンダード石油、エリー鉄道、

セントラル鉄道と、エンパイア輸送会社と後見人、ペンシルベニア鉄道との戦い⑧ペンシル ベニア鉄道は、苦くて高くついた戦いの末に最終的に断念⑨エンパイア鉄道は、スタンダー ド石油へ売却⑩石油地帯のすべてのパイプライン・システムは今やロックフェラーの手に⑪

4

鉄道会社間の新しい鉄道のプール⑫ロックフェラーは、他人の輸送に対するドローバック 制をスタート⑬ライバル社吸収の作業を迅速に続行-。

 冒頭は、ロックフェラー創設のスタンダード石油の隠れ蓑、中央協会が言及されている。

州際通商法案は、州をまたがって輸送する鉄道料金に秩序を持たせるための規制法案。

 この時代の大量運送は、鉄道に頼っていた。大陸間横断鉄道に代表される全米に拡がる鉄 道網を敷設する際に、鉄道は、土地の提供や補助など様々な特典を連邦政府や州政府から受 けて巨大化していた。ところが、公共機関の名とは裏腹に、鉄道会社は秘密裏に、大口利用 者へ巨額のリベートを提供し、事実上の運賃差別をしていた。公共機関ではあるまじき、不 透明な部分が多すぎた。初期資本主義の勃興した時代は、政府が弱体で、監視制度はもちろ ん、規制らしきものがほとんどなく、事実上の無法地帯であったことなどが指摘できよう。

 このうま味をたっぷり吸ったのがロックフェラーであった。差別された業者らは、各地で その理不尽さに憤っていた。過当競争の鉄道の弱みを知り尽くしたロックフェラーは、強者 に対して弱い鉄道を揺さぶり、巨額のリベートを秘密裏に受け取っていた。これをテコに、

競争で優位に立ち、弱小業者を締め上げ、独占を押し進めていったのである。

 リベートがなければ、フェアーな競争が行われ、比類のない野望を実現できたかどうかは 疑わしいというのがターベルの論理であった。

 ロックフェラーがトップに就いた石油精製業者をメンバーとする中央協会について、会員 たちの疑心暗鬼は募っていた。その目的やスタンダード石油との関連さえも不明だった。協 会との鉄道

3

社との関係について秘密協定はもちろん、巨額なリベートについてメンバーは、

一切知らされていなかったのである。

 スタンダード石油に対する議会の調査は、

1872

年当時も続いていた。鉄道料金などに歯 止めを掛ける州際通商法を創設する機運が盛り上がっていた。目に余る傍若無人な行動に規 制が掛かるかに見えた。独立系業者もそれを大いに期待していたのである。

 鉄道問題を協議する連邦議会の上院のウィンダム委員会は、

1874

年に報告書をまとめて いた。委員会は、その中で、「すべての運賃やドローバックなどは、その地点で公表される べきであり、適切な告知なしには課されない」と情報の公開を求めていた。それが実現した のは、かなり経過してのことだった。

 委員会は、さらに、報告書の中で、「信頼を保持し、効果的な鉄道間の競争を確保する唯 一の方法は、国あるいは州による所有などによってである」と、問題の本質を既に指摘して いた。だが、熟知しているのにもかかわらず州政府は、動くことはなかった。

 ロックフェラーは、部下らに対し証言に応じてはならないと指令し、法案成立の阻止のた

(5)

めに徹底的に抗戦。それが奏功し、棚上げとなった。

 鉄道の運賃規制に石油精製業者の関心は、ゼロというわけではなかった。だが、むしろリ ベートの絡む鉄道を利用せずに輸送可能なパイプランの建設へ関心が向いていた。

 それは、原油の採れる石油地帯から石油精製業の盛んなクリーブランドまでの原油輸送で スタンダード石油陣営を差別的に厚遇する鉄道の「ラッター書簡」の扱いが既に始まってい たこともあった。パイプラインでの輸送ができれば、鉄道の差別運賃などは無縁となる。そ の分、構想への期待は膨らんだ。

ⅱ.パイプライン騒動

 構想の第

1

弾がコロンビア導菅パイプラインであった。ペンシルベニア州のバトラー地域 で採掘された油をピッツバーグへパイプランで輸送し、それをボルチモアへ延長させる計画 である。ロックフェラー陣営の参加はもちろん拒んだ。

 これに正面から立ち塞がったのが鉄道である。ロックフェラーの意向を背景に、妨害行動 に出たのである。実現すれば、輸送は安価なパイプラインでの輸送がメインとなり、結果と して鉄道が不要となり、甚大な影響を受ける可能性が大きかったからである。地元自治体の 敷設の許可は得られたが、ペンシルベニア鉄道は、線路の横断を認めず、行く手を阻んだ。

武装要員を出動させ、パイプラインを破壊した。

 この結果、当初の構想は実現せず、計画はタイタスビルの

3

人の業者に引き継がれた。苦 境打開のため、いったん石油タンクに貯め、それを馬車で運び、再度パイプラインへ流すと いう面倒な方式を取った。これでは、効率性はもちろん採算性が極度に落ちるのは否めない。

最終的には、州議会は法案を否決し、計画の望みは絶たれた。万事休すである。

 山を超えてボルチモアまで輸送するという当時では、度胆を抜くような構想も登場した。

実現すれば、鉄道がリベートを提供するスタンダード石油陣営との決別である。危機感を抱 くロックフェラー陣営は、地元マスコミを巻き込んで徹底的に妨害した。

 ロックフェラーの意向に沿って農家向けの地元新聞は、油がパイプから漏れて土地を汚染 し、飲料水のほか、家畜や提供する乳製品に影響が出るとして強硬に反対した。そうこうす るうちに、構想を進めるペンシルベニア輸送会社の経営にも矛先が及んだ。粉飾決算の噂が 出たのである。実際に、調査が入ると、乱脈経営が明らかとなり、急転直下、計画はとん挫 した。ターベルは、これもロックフェラーの陰謀とみていた。

 ロックフェラーに反旗を掲げる鉄道も現れた。当時全米で最高の利益をあげていたペンシ ルベニア鉄道の傘下のエンパイア鉄道である。ターベルは、両者の間で発生した血を血で洗 う冷酷な戦いを詳細に描写している。

 ポッツ大佐が社長の

1865

年創設のエンパイア鉄道は、ターベルによると、

800

㌔のパイプ ラインや

1000

の石油輸送の貨車、配送所を保有するなど「全米で最も完璧に展開した石油 の輸送会社」であった。

(6)

 一帯の石油精油会社がスタンダード石油の軍門に次々と下る姿を見て大佐は、「最終的に は、自分の会社を利用する精油所が無くなるのではないか」との危機感を抱いていた。

 大佐は、「石油事業には、生産、輸送、販売部門があり、これらの部門のひとつでも絶対 的に支配する団体が現れれば、他の分野も実際、明らかに公平に支配できる事業を得たこと になる」と語っていた。

 このため、輸送業とは別の石油精製への進出を

1876

年春に決意した。ロックフェラーは この策動に気づき、「エンパイアは輸送会社だったはず」、「フェアーではない」と激高。

 “全面戦争” へ突入した。市場制覇に向けた天王山と見たロックフェラーは、全精力を挙 げて、

2

社連合を叩きのめす殲滅作戦に出る。ターベルは、激突の様子を、大佐の議会証言 を引用し、再現している。

 ライバルのエリー鉄道とセントラル鉄道の支援を受けたロックフェラーは、「手を引かな い限り容赦しない」と系列のペンシルベニア鉄道への石油の輸送委託を突然打ち切った。

 ロックフェラー支援のため

2

鉄道は、顧客へのリベートを増やし、実質的な運賃引き下げ を断行した。対抗上、ペンシルベニア鉄道もリベートの増額を余儀なくされ、甚大な損害を 被る。

 価格競争も仕掛けた。エンパイア陣営が油を販売すると、スタンダード石油は、それ以下 の値段を提示し、販売を妨害した。エンパイア社が、原油を購入したと聞くと、スタンダー ド石油は、それ以上の高値を付けて横取りし、徹底的に干す戦術に出た。料金競争は激化す る一方。フィラデルフィアへ運ばれる原油の量は、

3

分の

1

まで激減した。

 来る日も来る日もこうした戦いは続いた。徹底抗戦のためスタンダード石油は、“戦時予算”

を組んでいたのである。垂れ流す赤字に耐えきれずペンシルベニア鉄道は、夏になるとつい に和解を選択した。この瞬間、ロックフェラーは、ペンシルベニア鉄道をも傘下同然に置く ことに成功したのである。

 スタンダード石油は、精油所とパイプラインの包括買収を提案、交渉の末に、

340

万ドル で合意した。エンパイア社のパイプラインおよび輸送のための車両を手中に収めた結果、ロッ クフェラーは、すべての鉄道会社に対し支配的な立場に立つことになったばかりか、最大の 石油輸送会社に躍り出ることになったのである。

 これは、当時の大量輸送の要である鉄道を意のままに操る地位にのし上がったことを意味 した。これにより、地域の輸送網の完全な支配体制の構築に成功、独立系の業者でさえもロッ クフェラーの同意なしには

1

バレルさえ輸送できなくなったのである。

 ターベルは、同時に、輸送網を制覇した

10

月中旬の

4

か月後のドローバック制度のスター トも暴いた。これが帝国の、さらなる巨額の利益を保障する契機となるのである。

 輸送網の支配体制が構築された結果、独立系の業者にとってゆゆしい事態が訪れた。原油 を確保できないという懸念が浮上した。

 ターベルは、そこでハント未亡人などの石油精製業を手掛ける経営者を登場させた。その

(7)

気はなかったものの、圧力に押されて、それまで計上していた利益の半分程度で工場を貸し 付け、スタンダード石油へ経営を任せざるを得なかったケースなどを紹介している。

ⅲ.バッカス夫人

 完璧な包囲網を敷き、四面楚歌に追い込む冷酷な手法で市場拡大を進めるロックフェラー の路線の一つとして、この論文の冒頭に述べたようにバッカス夫人経営の潤滑油工場を買収 したケースを挙げている。夫から引き継いだ未亡人の会社を二束三文で買い叩き、傘下入り を実現させた。

 バッカス夫人のケースは、ロックフェラーのお膝元クリーブランドであった

1878

年の事 案である。ターベルの著書「

The History of the Standard Oil Company

」では、「

Mrs. B___

B

夫人)」と名前は伏せられている。だが、その後の調査で実名が特定された。ここでは、バッ カス夫人の名を使うことにする。

 ターベルは、夫人の宣誓供述書を引用して、取引の経緯を説明している。

1860

年から石 油ビジネスをスタートした夫は、

1874

年に死亡。夫人は、

3

人の子供を抱えて精油所を経営、

年収

2

5000

ドルを得ていた。

78

11

月にスタンダード石油と交渉、夫人は

20

万ドルを請求 したが、支払われたのは、

7

9000

ドルだったというのである。

 夫人は「ロックフェラーは、目に涙を浮かべて、この取引では夫人の側に立つと確約して くれた」、「悪いようには扱われることはないとも言ってくれた」、「だが、スタンダード石油 の社長の氏の約束は何ら果たされていない」などと証言していた。この章では、ロックフェ ラーの夫人宛ての手紙が掲載されており、その不誠実さをなじっている。

 主張に対し、ロックフェラーは、事例を挙げて反論している。だが、ターベルは、夫人の 会社の

3~4

万ドルに上る年間収入に対し、支払われたのは、約

2

倍の

7

9000

ドル。不当に安 かったとの判断を示している。いずれにせよ、市場制覇に向けた相変わらずの詐欺的商法が ここでも発揮されたと言わんばかりの描写である。

7

章、

The Crisis of 1878

1878

年の危機)

ⅰ.採掘業者との再度の戦い

 石油地帯の採掘業者との攻防が、

6

年前に続き、この章で、またしても展開される。盾突 いたエンパイア鉄道を完璧に成敗し、これによってすべての巨大鉄道会社を意のままに操る 権力者に上り詰めたロックフェラー。了解なしには、一滴たりとも油を輸送できなくなった 絶大なパワーをテコにさらなる進撃を開始した。

 石油精製業者と鉄道を支配下に収め、販売網を牛耳ることに成功したのは確か。だが、原 料を提供する石油採掘業者は意のままにならない。足元にかしずかせ、自由に操るためにロッ

(8)

クフェラーは、どのような残酷かつ理不尽で、倫理にもとる鞭を振ったのか。石油地帯の採 掘業者の殲滅作戦に出た

1878

年前後の動きを扱っている。

 採掘業者からすれば、虫けらのように蹴散らされて奈落の底へ転落する過酷で惨めなス トーリーである。ターベルはこれを「

The Crisis of 1878

1878

年の危機)」と形容した。

 精製部門を掌握し値段をコントロールすることはできても、製品製造のためには原料の原 油を入手しなければビジネスにならない。この原油の値段が思うにまかせない。高い収益を 目指すのであれば、原油の値段を思う存分に買い叩き、最高の収益をあげる体制を整備する 必要がある。もっともそれが長期的に続くはずはなかった。

 それを痛感したのか、それまでアップストリーム(川上)部門への深入りを避けていたロッ クフェラーは、その後は、この部門への進出を加速させることになる。

 章の前半は、ロックフェラーの支配を嫌う採掘業者とのパイプラインの敷設をめぐる戦い であり、後半は、そのビジネスモデルの原型、南部開発会社の詳細な分析である。

 冒頭の小見出しをみてみよう①石油の興隆②輸出の封鎖③生産者らは、利益の分け前を 得られず④石油生産者組合を密かに組織、提案された独立系パイプラインの支持を約束⑤ワ シントン(連邦政府)で別の州際通商法案が否決⑥即時出荷⑦独立系業者は、貨車の入手で 苦境に⑧暴動の前兆⑨州知事へ嘆願⑩ユナイティド・パイプライン、ペンシルベニア鉄道な どに対する訴訟⑪他の州で突然調査が始まる⑫ヘップバーン委員会とオハイオ州の調査⑬ス タンダード石油が南部開発の延長であるという証拠⑭生産者は、結局、スタンダード石油の 提訴を決断⑮ロックフェラーと

8

人の仲間が共同謀議-。

 ターベルは、章の冒頭で、「

1878

年が明ける頃までには、ロックフェラーは、石油精製分 野で、いかなる深刻なトラブルも恐れる必要は、もはやなくなっていた」と市場独占をほぼ 完遂したとの現状認識を示している。

 ペンシルベニア鉄道系のエンパイア社の策動を完璧に封じ込めたことで、同鉄道をあわせ て石油地帯の鉄道が石油精製に進出する可能性は完ぺきに消え失せていた。

 では、輸送手段を牛耳られた独立系業者はどう対応したのか。巨額の資金を要するパイプ ライン計画の実現も難しく、スタンダード系以外の精製業者は、「廃業か、ロックフェラー の傘下入りかを判断するのは時間の問題だった」との認識をターベルは示している。

 ただし、石油採掘業者は別だった。それが目の前のたんこぶとして残っていた。

1876

夏、在庫不足で原油価格が高騰した。それまではバレル当たり

1

ドル台だったのが

3

ドル台へ。

製品価格も値上がりした。あまりの高騰に輸出業者は、取引に慎重姿勢を示した。

 高値維持のためにスタンダード石油は、設備を休止するとの噂も流れ、マスコミは、高騰 について、“石油の陰謀” などと書き立てた。これに対し、ロックフェラーは、石油の高値は、

一般大衆の支持に値するとの主張を展開した。合法的な手法による価格の完璧な支配を目指 していたから当然であろう。

 ロックフェラーは、新聞記者に対し「輸出業者は、値段を受け入れるべきだ」と言い放っ

(9)

た。輸出業者は、最終的には、折れ、提示される価格で購入を余儀なくされた。

 業者たちは、反ロックフェラーで結集した。だが、第

6

章で紹介したように、ロックフェ ラーに反旗を翻したペンシルベニア鉄道連合が敗北した事実の独立業者に与える影響は、大 きかった。立ち上がっても勝ち目はほとんどないのである。しかも、独立系が大きく依存し ていた頼みの綱のエンパイア社のパイプラインは、スタンダード社へ売却されてしまった。

自分たちの採掘した原油の販売はどうなるのか。騙され続けた冷酷な詐欺師に再び翻弄され るのか。石油地帯のショックは大きく、それは、

1872

年の石油戦争の再来であった。

 業者たちは、鳩首協議を重ねた。かつてのように生産者組合が組織された。

77

11

月に

1

回会合、石油議会が招集され、

172

人の代議員が出席した。最低で

2000

人の石油生産者 が顔を出し

4

日間開催され、情報は外に漏れることはなかった。

12

月に第

2

回の秘密会が開 かれた。

 この結果、スタンダード系鉄道には依存しない形での東海岸への輸送手段を全力で確保す る決議をした。ロックフェラー系企業に頼ることなどは論外であった。

 浮上したのは、パイプライン構想である。うち

1

社は、エリー湖畔のバッファローまでの 石油パイプラインの建設を計画した。そこまで運べば、あとは、

5

大湖を使って東部海岸ま で輸送できる。アパラチア山脈を越えてボルチモアまで輸送する案もあった。

 作業が始まると、ロックフェラーは、当然のごとく妨害工作に出た。通過する農村地帯で は、パイプから油が漏れ、周辺の農地を汚染するほか、家畜の生育などにも影響を及ぼし、

とんでもないことになるとの噂を流した。さらに土地を買収し、敷設を邪魔した。

 パイプラインに活路を見出す独立系業者を救うための州法が準備された。下院では可決さ れたが、上院では阻まれた。ロックフェラーが札束で、政治家を動かしたのである。救済の ため自由パイプライン法の創設などで連邦政府も動いたが最終的には実現しなかった。

ⅱ.即時出荷

 

1877

12

月、採掘業者にとって厄介な慣行が飛び出した。「即時出荷」である。スタンダー ド系のパイプライン業者が、貯蔵用のタンク不足を理由に貯蔵のための輸送を拒否する戦術 に出た。これによって生産者は、採掘した原油を値段にかかわらず、その場で即刻売却を迫 られた。買い叩かれるのは明らかである。業者にとってこれ以上の悪夢はない。

 購入側は、スタンダード系のユナイティド・パイプライン社だったから手加減は一切期待 できない。

100

人以上の採掘業者が、同社前に列を作り、数時間待たされた挙句に購入を要 請する交渉となった。返事は、多くは即決ではなく、

1

週間前後要した。連中は、「即時出荷」

を材料に、難癖をつけて、買い叩き続けたのである。

 「即時出荷」は、もともとは、ペンシルベニア州ブラッドフォード地区での過剰生産に対 応するために取られた措置でもあった。赤字を避けるには、油井の閉鎖や採掘の中止しかな い。業者は、それは拒んだのである。原油価格は当然急激に値下がりした。

(10)

 追い打ちを掛けるように、ロックフェラーは

1878

年春、さらなる策略を打ち出した。鉄 道で輸送し、活路を模索する業者に対して、「貸し出す貨車がない」として配備を拒む作戦 に出たのである。貯蔵タンクは無理、貨車もない。パイプラインももちろん駄目だ。ロック フェラーからすれば、採掘業者を叩くための焦土作戦である。

 だが、これは意外な方向へ発展する。独立系業者がペンシルベニア州都のハリスバーグに 出向き抗議の声を上げた。「ユナイティド・パイプライン社が公共機関としての義務を果た していない」、「鉄道は、リベートや貨物の配車の差別を止めるべき」。州知事に対して立法 などの是正措置を早急に実施するよう求めたのである。

 訴えを受けた州知事は、激怒し、現場へ出向くなどして調査を開始、必要があれば、立法 措置を講じる意向を表明した。タイタスビルでの公聴会では、「空きがあるにも拘わらず鉄 道が業者に対して貨車の配車を拒否した」などの声が寄せられた。その結果、公共サービス としての輸送義務を明らかに逸脱していると独立系業者の訴えは認められた。

 だが、この事案を担当した州の内務長官は、処理の過程で、こともあろうに、「業者の請 求は実証されておらず、何か行動を起こさなければならないほどではない」との結論を出し たのである。

 石油地帯の業者は激怒し、縛り首になった “ゴマすり” 長官の巨大な人形が目抜き通りに 一日中つるされた。当然のように人形に罵声が向けられた。ポケットには、ロックフェラー 振り出しペンシルベニア鉄道が裏書きした

2

万ドルの小切手がつるされていた。業者たちは、

長官が報告書に署名した値段と主張した。

 翌年の

1879

年は当初から、鉄道に対する訴追が提起され、議会で調査がスタート。呼び 出しに従わず、出席しない企業家や証言を拒否する企業家もいたが次第にそれもなくなった。

3

月には、スタンダード石油のヘンリー・

H

・ロジャーズ、ジョン・

D

・アーチボルトな どが呼び出され、鉄道との関係が聴取された。最も注目されたのは、

A

J

・カサートで、「ペ ンシルベニア鉄道は、スタンダード石油の手先だ」との発言があった。

 石油関連以外でも訴訟が提起された。ニューヨーク市の商工会議所が州議会に対しニュー ヨークの鉄道に対する議会の調査を要請、同

79

年から調査は始まった。ヘップバーン委員 会の挙げた実績は華々しく、スタンダード石油のフラグラー、アーチボルトなどの名だたる 幹部が証言した、これには、石油採掘業者も登場した。

 セントラル鉄道のバンダービルトやエリー鉄道の幹部も呼び出され、スタンダード石油と の関連について尋問を受けた。ターベルは、この証言について「石油史の関連で、最も有益 な証言であった」と評価している。

 ペンシルベニア州やオハイオ州でも調査が進行、

1879

4

月までに、数多くの証言が集め られ、「スタンダード石油は、単に、南部開発会社の復活に過ぎない」との結論にたどり着き、

その結果、連邦議会の委員会からは、「南部開発は共謀」との判断が示された。

 生産者らは、裁判所で、スタンダード石油の幹部の罪の判断や刑務所送りができると信じ

(11)

ていた。

 ターベルは、著書の中で、「南部開発は秘密組織だった」と記述している。その証拠とし て、複数の子会社を取り上げて、その売り上げを明らかにしていなかったことを指摘してい る。秘密主義に徹していたロックフェラーは、石油精製会社の買収後も決してそれを明らか にせず、常にそれまでの会社名で操業させていた。独立系の業者を欺くためでもあり、バッ カス夫人のケースもそうであった。社員に対し、関係会社との関連について秘密厳守を要求 していたのである。

 議会証言でも同様で、スタンダード石油の幹部らは、会社が罪に問われることがないよう にと配慮し、証言することはほとんどなかった。

 もっとも、スタンダード石油系会社の目的が世界の全石油精製ビジネスの掌握であること だけは分かった。そしてその手段は、輸送に特に重きを置く南部開発会社と同じだった。

ⅲ.ドローバックとは

 ターベルは、後半で、冷酷極まる倫理観無き悪質なロックフェラー商法の象徴ドローバッ クを詳細に分析している。

 ドローバックとは、この場合、競争相手の輸送した分の荷物の運賃の支払いを受けた鉄道 が、そのうちのいくらかをロックフェラーに対し支払う割増分を指している。ライバル社は、

そのようなカネが自分の支払った運賃から出ていることなど一切知らない。当然秘密裏に送 金される。

 鉄道は、ロックフェラーが支払った運賃の一部を既にリベートとして還付していた。ライ バルの輸送分についての一定額を鉄道は支払うのだから、これは、独立系業者を含めた石油 関係の全輸送量の運賃の一定割合を手数料としてロックフェラーに支払っていたことになる。

石油関連の輸送はかなりの割合を占めていたから、当時、巨大大企業であった鉄道会社の利 益の一定割合、それもかなりの高い割合をロックフェラーが受け取っていたのである。

 いわば、石油精製業を経営する傍ら、巨大鉄道の経営に関与していたことになる。利益追 求に血道を上げるロックフェラーならではの空前絶後のとんでもない手数料の発明であった。

 ロックフェラーは、南部開発を通じ、

1877

年にリベートに加えてドローバックの契約を 基幹鉄道と結んだ。大口ユーザーとしての特権と考えていたようだ。これにより、他の業者 が石油地帯からニューヨークまでの石油の輸送でバレル当たり

1.06

ドルを、他の場所からの 輸送では、それに応じてドローバックを受け取った。このリベート制度は、当時、違法、不 正とは考えられていたが、異例ではなかった。

 ターベルは、セントラル鉄道、エリー鉄道などの複数の鉄道が、輸送した原油の量に応 じてバレル当たり

20

セント以上のドローバックをスタンダード石油へ支払っていた詳細を、

淡々と綴っている。

 特筆すべきは、独立系業者

H

C

・オーレンの名前を挙げて、オーレンの約

3

万バレルの

(12)

輸送について、セントラル鉄道がバレルあたり

20

セントのドローバックをスタンダード石 油に支払っていたことをターベルは突き止めている。オーレンはもちろんリベートさえも受 け取っていない。他人の輸送品から金品をせしめるという新手の商法は、石油地帯の怒りを たぎらせた。

 こうした事実を考慮してターベルは、スタンダード石油および南部開発について以下のよ うにまとめている。①スタンダード石油は、南部開発と同様、秘密組織②いずれも同じグルー プによって構成される③目的は、石油精製の利益の完全な支配④結束力を、石油輸送からの リベート確保と他社の輸送からのドローバックの確保に活用⑤鉄道に運賃引き下げを強要し、

すべての競争相手を追い出すための契約を用意⑥生産者への利益配分を許さず、精製油の値 段の引き上げを目指した-。

 

1879

4

月、ペンシルベニア州クラリオン郡の大陪審は、ジョン・

D

・ロックフェラー、

弟のウィリアム・ロックフェラー、ヘンリー・

M

・フラグラーなどスタンダード石油の

8

の役員を起訴した。原油や石油精製の売買ビジネスでの独占とそのための妨害、利益の確保 などのため共同謀議、鉄道会社から説明のつかないリベートや手数料を詐取、不正な手段や 手法で原油や精製油の市場価格を支配した-などがその内容である。

 ターベルは、「“石油ビジネスの美徳” は、明らかに危機に突入しつつあった」と結んでい る。

8

章、

The Compromise of 1880

1880

年の妥協)

 ロックフェラー陣営に提起された行政側からの訴追に関連した攻防がこの章の中心テーマ である。冷酷かつ倫理観無き、あまりの無軌道ぶりにペンシルベニア州政府は、強い姿勢で 臨んだ。これに対し、ロックフェラー陣営は、賄賂攻勢で何とか凌ごうとする。築き上げた 無敵の帝国が行政の介入によって制約を課せれることになったら元も子もない。幹部らは一 斉に火消しに当たった。

 では、行政が硬骨漢ばかりで帝国に厳しく対応したのか。そうではなかった。作家マーク・

トウェインが、その著書『

Gilded Age

(金ぴか時代)』で著したように当時は金権腐敗の時代。

ロックフェラーの札束攻勢にズッポリ浸かっていたのである。ふがいない行政の対応。石油 生産者の怒りは、頂点に達する。

 例によって、小見出しを簡単に訳してみよう。①生産者によるロックフェラーとその仲間 に対する訴追は、スタンダード石油によって自身の防衛のために利用される②輸送会社に対 する訴追は先延ばしに③ロックフェラーとその仲間に対する共謀の裁判は後回しに④生産者 に対する慣行を止めるとスタンダード石油とペンシルベニア州が合意した見返りにすべての 訴追を撤回⑤歩み寄りで第

2

次石油生産者組合は解散⑥生産者らは、自分たちの指導者を支

(13)

持しないとして批判⑦スタンダード石油は、生産者に対して不快な注文を再度強要⑧石油地 帯でさらなる反乱⑨組織的な反対を鎮めたロックフェラーは、これに続き個人の不満を鎮め る-。

ⅰ.訴訟

 前章で触れたように、

1879

年春、ペンシルベニア州クラリオン郡の大陪審でロックフェ ラーとその部下たちに対する共謀に関する訴訟が提起された。この件についてターベルは、

章の冒頭で、ロックフェラーは、「疑いもなく、悪意以外の何物でもないと思ったことだろう」

と言及している。

 鉄道のリベート問題を調査していたヘップバーン委員会は、「独占を構築するために非道 な鉄道会社の慣行で意図的な優遇を受けていた」と指摘していた。①論争の中で、委員会の 支援を拒んだばかりか鉄道を説得し、違法な、好意的恩恵を受ける唯一の受容者となってい た②それ以上に、これまでなかったような不公正な慣行を確立し、強要していた③自分の輸 送品について驚くべき価値のリベートを確保していたばかりか、他の業者が運んだ石油の輸 送分についてまで手数料を支払うよう鉄道を説得した④業界の発展に反する行為を企てた罪

(責任)がある-などとして部下の

8

人とともに共謀の疑いで起訴されていた。③に言及され ている他者の輸送分に対する手数料の支払い要求とは、ドローバックのことである。

 現地のオイルマンが関係する証拠については既に調べられていた。共謀に関するペンシル ベニア鉄道、ユナイティド・パイプラインに対する証言もあった。

 裁判がスタートすると、これを遅らせようとする工作が始まった。それが奏功しユナイティ ド・パイプライン、レイクショア鉄道、南ミシガン鉄道など

4

つのケースの証言が終わるま で裁判の手続きが中止されることになった。並行して複数の裁判があれば、同時に裁判は進 めないという都合の良いルールが当時、あったようだ。

 中止は、反ロックフェラーの生産者組合にとって大きな打撃となった。時間が経過すると 州政府は、スタンダード系の企業の共謀の立証について逃げ腰になっていた。

 生産者組合は、ホイト州知事に対し、知事選前に、鉄道などの公共交通機関のあり方につ いての考えを、質問状で正していた。これに対して、「政策は、正しく公平であるべきで、

公正、平等、差別のない公共機関としての奉仕の義務を鉄道などに求める」、「行動が要請さ れれば、必要かつ適切な行動を認める」と回答していた。

 だが、知事は、ロックフェラーやフラグラーなど起訴状の

7

人の身柄引き渡しを何度も躊 躇した。これを促すために生産者組合会長は、書簡などを送付したが、効果はなかった。

 こうした工作の中で、ロックフェラーは、生産者との和解の方向に動き始めた。

 「一緒に議論しよう」これがいつもの掛け声だった。威圧するというよりも説得、闘うと いうよりも静かに意見交換した。訴追が始まって以降、和解を求めていたのである。

 こうしたロックフェラーが独立業者に妥協を迫る局面はそれまでもあった。その時も、独

(14)

立系業者は、「契約は守られたことがない」、「アヘンのようなもの」と警戒し、慎重姿勢を 示した。これまで何度となく煮え湯を飲まされてきた業者にとって当然であろう。

 ニューヨークで石油生産業者、精製業者、スタンダード石油との間で話し合いが行われた。

ロックフェラーからすれば、目的は、すべての不平不満を解決し、差し迫った訴訟の撤回を 確実にすることである。

 開催の知らせは、石油地帯へ直ちに伝わり、生産者組合の当局者は、この関連を即座に否 定した。スタンダード石油は、平静を装っていた。実は、裏で、個別の組合員に接触してい たのである。

 そうこうするうちに、歩み寄るべきとの声が、オイルシティーでは特に、強くなっていた。

その理由は、共謀関連の訴追は、ロックフェラーとの和解の努力を無にするものとの判断が あった。これに対して生産者側は、相変わらず強硬で、ロックフェラーは、秋ごろになると、

生産者組合の顧問に対して和解を提案した。

 組合側の委員長のキャンベルは、この提案の受入れに好意的だった。この結果、

79

10

月末に予定されていたロックフェラー関係の共謀に関する裁判は

12

月に延期された。直ち に何か提案するのか、と思いきやロックフェラーは、何ら対応せず、約

1

か月半お預けのま まだった。

ⅱ.歩み寄り

 両者の面談が実現したのがニューヨークで、

11

月末だった。この時、組合側は、引き延 ばし工作を批判し、もはや提案を受け入れることはできないとし裁判の続行を言明した。

 これに対しスタンダード石油は、州の最高裁で扱うべきだと請願し、またしても引き延ば し工作に出た。組合は、これでは、正義は確保されないと反発、秘密組織が暗躍しているの ではないかと、裁判官らを非難した。

 スタンダード石油の共謀した案件は、結局、再度翌年の初めまで引き延ばされた。そうし た中で、ユナイティド・パイプライン社が、悪名高い即時出荷について突然、同

12

月、地 区での廃止を宣言した。

 これを受けてニューヨークの五番街のホテルで両者の法律顧問による会合が

80

1

月に開 かれ、この結果、共謀に関する裁判は、またしても延期となった。両者の会合は、その後も 続き、生産者組合は、ついに

1880

2

月タイタスビルで

Grand council

(総会)を開催するま でに至る。最大級の会合である。

 この中で、会長のキャンベルは、この約

2

年に渡り取り組んだスタンダード石油絡みの訴 訟から手を引く代わりに、スタンダード石油とペンシルベニア鉄道の当局者が、生産者の不 満を持つある種の慣行を止めるとの契約に署名したと説明した。

 キャンベルが公表した契約書には、ロックフェラーや約

16

人の関係者が約束し、その名 前や会社の方針が書類に添付されていた。

(15)

 それは以下である。①今後、鉄道による石油の輸送でのリベート、ドローバック、秘密運 賃の制度の完全な廃止に反対するものではない②運賃の秘密決定への反対を撤回する-それ は、鉄道会社が、今後、いかなるリベート、ドローバックも受領しないと約束する③ユナイ ティド・パイプライン社が経営で目指していた方針をすべて中止する-荷主によって差別を せず、運賃も合理的など、顧客間で何が起きようとも差別があるべきではない-など。

 ロックフェラーは、同時に、この契約書の作成に関連して、訴訟費用の穴埋めとして石油 生産者組合に

4

万ドルを支払いすることで合意した。石油地帯のオイルマンらは結局、ロッ クフェラーの持久戦術に寄り切られ、手切金を渡されたわけである。

 ターベルは、この評価について、章の中で、「

4

万ドルと秘密のリベートと精力的に進めて きたパイプラインの設置を止めることでロックフェラーは何を得ることになったのか。共謀 の裁判を受けなくて済むことになったのである」と記している。

 訴追取り下げに関連して、ペンシルベニア鉄道と契約が交わされた。内容は、①全荷主に 対して石油に課す全輸送運賃を公表する②石油荷主に対する貨車の割り当て配送についてい かなる差別もされるべきでない③大量輸送の荷主に適用されたリベートは合理的であるべき だった-など。

 このリポートが読まれた総会では、屈辱と恨みが蔓延していた。精力的な

2

年間の闘いの 末に獲得したのは、「リベートは悪、妥協してはならない」というような交渉の際には誰も が主張している、良く知られた基本原則だった。

 中身は、不満ではあった。だが、オイルマンたちが訴追のためにキャンベル会長を積極的 に支援したというわけでもなく、取り下げに対する反対はなかった。会長の誠意や精力的な 活動が、高く評価され、リポートは承認された。リベート制度への非難も忘れなかった。総 会は、裁判所、州政府などを批判して閉会した。この結果、生産者組合とロックフェラーの 闘いは終焉を迎えたのである。

 石油地帯の人々は、この知らせを、怒りを持って重苦しく迎えた。オイルマンらは、州政 府の木端役人や汚職体質の企業のせいでこうなったと苦々しく語った。だが、ターベルは、

「全員が本文を尽くせば、妥協などなかったであろう」と批判している。

 

78

11

月の組合の第一回会議では、

200

人近くの代表が出席していたのに対し最後の

80

2

月はわずか

40

人程度だった。真剣度や結束力はこの程度のものだったのである。

 章のタイトル「

1880

年の妥協」は、共謀行為に対する訴追という対抗策で崖っ縁まで追 い詰められたものの、狡猾で小賢しいロックフェラーの引き延ばし工作の前に、オイルマン らの資金力が尽きてあえなく瓦解、その結果、妥協・和解を迫られたという意味でつけられ た見出しと考えられる。

 団結力と資金力に弱い独立系業者の脆弱性を知り尽くしたロックフェラーの悪知恵に独立 系の採掘業者は、手も足も出なかったというわけである。背景には、州政府の無責任体質、

札束攻勢で政治家や役人と手玉に取る悪辣なスタンダード石油の商法も見逃せないのである。

(16)

9

章、

The fight for the seaboard pipe-line

(東海岸へのパイプラインでの戦い)

 上下

2

冊の「

The History of the Standard Oil Company

」は、この章から(下)に収納され

ている。

Seaboard

を「東海岸への」と訳したのは、ペンシルベニア州の石油地帯で採掘、あ

るいは精製された原油をニューヨークなど東海岸の大消費地へ運搬するパイプラインを意味 したからである。

 原油や精製油は、これまで鉄道によって東海岸へ輸送されていた。だが、ロックフェラー によって鉄道が牛耳られた今、対抗して戦いを進める独立業者にとっては、自らの手で輸送 手段を確立するほかは生きるすべはなかったのである。それがなければ、即時出荷などの名 目で存分に買い叩かれる。それは阻止しなければならない。

 そうした独立業者の奮闘を、独占を死守するロックフェラーが妨害工作で阻止する姿を描 くのが今回の章の中身である。

 小見出しを訳してみよう。①独立系業者が推進した東海岸へのパイプライン計画②パイプ ラインのタイドウォーター社設立③山を越えて初めてポンプで石油を輸送④独立系石油精製 業者は、鉄道からの自由を約束してくれるためタイドウォーター社との連携を準備⑤スタン ダード石油は新しい問題に直面⑥長距離の石油輸送としての鉄道の終焉⑦全米運送会社が創 設⑧タイドウォーター社との戦いが始まる⑨信用の棄損計画と買収⑩ロックフェラーがタイ ドウォーター社の

3

分の

1

の株を買収⑪スタンダード社とタイドウォーター社が同盟⑫全米 輸送会社が今やすべてのパイプラインを支配⑬石油輸送のビジネスを分割するためペンシル ベニア鉄道と合意-。

ⅰ.タイドウォーター社と妨害工作

 

1878

11

月資本金

62

5000

ドルでタイドウォーター・パイプ社が設立された。この会社 によって大消費地の東海岸へ油を運ぶ生産者によるパイプランは、猛烈な勢いで建設された。

口径

6

インチのパイプをリクスフォードからウィリアムスポート間の

109

マイル(約

174

キロ)

に敷設。そこからレディング鉄道によってニューヨークとフィラデルフィアへ輸送される。

これまで石油の輸送を扱っていなかった同鉄道にとって、この契約ができることは嬉しい話 であった。

 最初の仕事は、パイプラインを敷く路線の権利の獲得であった。秘密で迅速にやらなけれ ばならない。独占への挑戦とみたスタンダード石油は妨害工作に着手した。当時、パイプラ インを自由に敷設する法律はなかった。

 敷設されるとさっそく稼働した。だが、それまでパイプラインで、

30

マイル(

48

キロ)

以上輸送されたことはなかった。今回は、その

3

倍以上の

109

マイルである。さらに標高

2600

フィート(約

792

メートル)の山を越える難関の突破という初の挑戦もある。

 関係者がかたずをのんで見守る中、

5

月に操業を開始した。流れる速さは、人が歩く程度。

(17)

漏れがないかどうかを見張るパトロール役も配置した。動き出すと、新しいビジネスの時代 のスタートを告げるようでもあった。大消費地ニューヨークまでの敷設も時間の問題である。

 だが、これは、ロックフェラー帝国の切り崩しを目指すタイドウォーター社と独占体制を 死守するスタンダード石油の全面対決のゴングが鳴る瞬間でもあった。各種の試算では、パ イプラインによる輸送が圧倒的に有利であった。石油の鉄道輸送時代の終焉を暗示していた。

 電光石火、ロックフェラーは、まさにナポレオンのような決断を下した。ブラッドフォー ドからニュージャージー州ベイヨンヌ市までパイプの敷設の権利を確保した。さらには、ス タンダード石油の本拠のフィラデルフィア、クリーブランド、ピッツバーグなどへも拡大し た。完成すれば、原油の輸送で鉄道に頼る必要はなくなる。

 独立系の業者は、タイドウォーターに依存した。この結果、独立系からの精製油の供給が 急拡大した。供給過剰は、精製油の値段の下落を意味する。ロックフェラーには看取できな かった。どう対応したのか。

 妨害工作の筆頭が、タイドウォーター社の運ぶ原油を利用する石油精製所をゼロにするこ とであった。即刻、取り組んだ。精製会社を買収あるいは、リースの形で取得した。これは ほとんどが成功した。

 タイドウォーター社の運営は順調で、規模拡大のため

200

万ドルの資金調達を決断し、金 融機関に要請した。調査の結果、社債購入で合意した。それが外部に漏れたのか、直後に、

大株主が金融機関を訪れてタイドウォーター社の「経営が危機的」、「協力は危険」との情報 を耳打ちした。最終的には、社債は発行されたが、良好とは言えない財務内容が知れ渡り、

資金調達が成功したとは必ずしもいえなかった。

 この結果、信用は失墜、その後は、経営不振が続いた。執拗なスタンダード石油の妨害に タイドウォーター社は、根負けし、スタンダード社の軍門に下ったのである。

 

83

10

月、契約に署名し、東方への運ぶ輸送量について、タイドウォーター社は、

11.5

%、スタンダード社は残りを担当することになった。この結果、精製油の生産は制限さ れ、価格の安定につながった。石油地帯では、「タイドウォーターは、ロックフェラー陣営 に寝返った」と批判された。

 オイルビジネスの利益は再び確保され、ロックフェラーは、東海岸へ向かうパイプライン を軸に帝国の再構築に着手する。ビジネスのうちの鉄道に依存する部門を見直さなければな らない。パイプラインがオイルビジネスでの重要な要素となった時点で、スタンダード石油 は、採掘された原油の貯蔵や輸送する拠点まですべてのシステムを既に所有していた。それ は、系列のユナイテッド・パイプラインの名義で保有されており、その規模は、範囲や提供 するサービスの幅の面からも、とてつもなく大きかった。

 両社が同盟した結果、

1883

年末でペンシルベニア州では、月に

150

万バレルを収集、数千 の石油地帯の井戸を結ぶパイプの距離は、実に

3000

マイル(

4800

キロ)まで拡大していた のである。

(18)

 パイプラン創設で輸送コストは激減した。ターベルは、著書の中で、ユナイテッド・パイ プラインの収集コストは、バレル当たり

20

セントと試算している。

ⅱ.

90

%の独占が完成

 

1884

4

月、このビジネスを統括するためにナショナル・トランジット社を設立する。こ れによって、世界の石油精製業を傘下に収めると意気込んでいたロックフェラーは、採掘油 のすべてを収集し、貯蔵し、輸送する準備が整ったと宣言した。

 新段階に入って鉄道との関係も変わった。競争相手に変わったのである。パイプラインの 使用料は、ニューヨークまでが同

45

セント、フィラデルフィアが同

40

セント。実際のコス トは、

10

セント以下とみられた。

 いずれにせよ、ロックフェラーは、パイプラインの支配にも成功した。これによって値崩 れにつながる競争要因を排除した。このため協定が新たに結ばれ、ロックフェラーのナショ ナル・トランジットがペンシルベニア鉄道に対し、東海岸への輸送する量の

26

%に相当す る料金を支払うことになった。これまで受け取る側だったロックフェラーは、今度は、リベー トを出す側に回ったのである。

 ペンシルベニア鉄道の協力によって、トラスト、スタンダード石油の輸送部門は、効率性 や市場独占の力の面で、これまでなかったようなほぼ完ぺきな装置へと変貌を遂げた。

 独立系のパイプライン業者が生まれる余地は金輪際なくなった。独立系の石油精製業者も 同様である。スダンダード石油は、これによって製品市場の

90

%を支配した。

 精製業者からの注文があれば、配送はした。だが、その料金は、スタンダード系の

4

倍以 上であった。独立系業者は市場では、厄介者であり、駆逐されなければならないものとなっ たのである。

 次回は、第

10

章以降の解剖となる。筆者は、

2015

9

月に、石油の聖地であるドレイクの 井戸やピットホール、ターベルの育ったタイタスビル、ミドビルなど米ペンシルベニア州の いわゆるオイルクリークを訪問する機会があった。この報告を交えてリポートする。

(続)

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著『

My Autobiography

(Frederick A. Stokes Company, 1914)

Steve Weinberg

著『

Taking on the Trust

(W.N. Norton, 2008)

Willa Cather

著『

The Autobiography of S.S. McClure

(University of Nebraska Press, 1997)

(終)

参照

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