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一「自己の弱さ」の自覚を手がかりとして一小林  相*・田代 尚弘榊

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茨城大学教育学部紀要(教育科学)39号(1990)255−269       255

「道徳の時間」の構成への一考察 一「自己の弱さ」の自覚を手がかりとして一

小林  相*・田代 尚弘榊

(1989年9月9日受理)

Zur Verbesserung des Unterrichts von der moraliscLen Erziehung

Tasuku KoBAYAsHI und Takahiro TAsHIRo

(Received September 9,1989)

1 研究の視点

1980年代になって,学校教育の荒廃が問題とされ,それとともに国民の学校教育への関心が,高 まってきた。このような情勢の中で,教育改革が企画され,教育改革のための様々な提言がなされ たことは,周知のとおりである。特に臨時教育審議会の答申の中の初等中等教育の改革では, 「学 校教育においては,児童・生徒の人格を尊重し,個性重視の原則に立ち,ひろい心,自由・自律と 公共の精神など豊かな人間性を養うことを重視する」され,その第一節に「徳育の充実」が掲げら

れた。

更に,この臨時教育審議会の答申を受けて,教育課程審議会から「幼稚園,小学校,中学校及び 高等学校の教育課程の改善について」という答申が出され,その前文には, 「教育基本法及び学校 教育法に定める教育の目的と目標に沿い,幼児・児童・生徒の人間としての調和のとれた人格形成 を目指し,次代を担う心身ともに健全な国民の育成を期するという観点に立って審議を進めた」と ある。これら二つの答申から,今後の学校教育に対し「人格の完成」を目指した道徳教育の一層の 充実が期待されていることが明確である。

ところで,「人格の完成」を目指した道徳教育とは,具体的にいかなる指導を行えばよいのであ ろうか。臨時教育審議会答申の「徳育の充実」の項には, 「初等教育においては,基本的な生活習 慣のしつけ,自己抑制力,日常の社会規範を守る態度などの育成を重視する。また,中等教育にお いては,自己探究,人間としての『生き方』の教育を重視する」とある。また,教育課程審議会答 申でも道徳の項で,小学校では,「小学校段階の児童は,自主性や社会性の伸長が著しく,他律的 な道徳を主とする段階から自律的な道徳へ発達する時期である。このような児童の発達的特質に応 じた効果的な指導が行われるようにする観点から,人間としての望ましい自己形成と自他の人間関 係の育成を図る」とされ,しつけなどの基本的な生活習慣,日常の社会規範を守る態度,公徳心を

*日立市立河原子中学校.

纏茨城大学教育学部教育学研究室.

(2)

守り公共のために尽くそうとする態度などに留意して重点化を図るとされている。この二つの答申 の道徳教育の考え方には,二つの視点が共通である。その一つは,社会規範としての道徳の要求で あり,他方は,人間のよりよい生き方,ないしその探究を考える道徳の要請である。確かに,両方 の視点ともに重要な事柄であるが,「人格の完成」という視点に立てば,後者の人間のよりよい生 き方,ないしその探究にこそ道徳教育の目指すべき力点があると考えてよいであろう。

ちなみに,よりよい生き方ないしその探究を目指すには,まず自己自身を知ることから始めなけ ればならない。なぜならば,人間は,崇高な側面だけでなく弱く醜い側面ももっている。誰しもこ の二面をもっていることで,人格のその本質において平等なのである。したがって教師も児童生徒

も共に一人の人間として,崇高な面と弱い,醜い面の二つをもつ自己に気づかなければならず,こ うした理解に立ってこそ道徳教育も行われるべきであろう。すなわち,基本的に自分のもつ弱さ,

醜さ,未熟さなどを自覚しなければならないのである。こうした自己理解に立ってこそ他者のもつ 弱さ,醜さ,未熟さを認めることができるようになるといえよう。

本論の目的は,こうした視点から自己をみつめ自己を知ることの意味と価値を児童生徒に気づか せる道徳教育のあり方を論考することである。

2 「自己の弱さをみつめる時間」としての道徳の時間

(1>道徳的価値と人間の弱さ

道徳の時間の指導は,人間としての生き方についての自覚を深め,よりよい生き方を探究するた めの資質となる道徳的実践力(道徳的心情,道徳的判断力,道徳的実践意欲及び態度)を形成する ことを,少なくとも一つの目標にしているといってよい。つまり,それは,児童生徒が,道徳的価 値を現在及び将来の種々の生活場面や状況下でも認識し,それを主体的に自覚し,実践化できるよ

うにすることである。

ところで,道徳的価値とは,何を意味するのか。それは,人間各人が理想的な人間を目標として 描くとき,あるいはどのような人間になるのがよいのかを求めるときの手掛かりとなるものである。

換言すれば,それは,人格(理想と自由意志によって自然界や人問社会の事象の本質を探究し,正        1)

s正,善悪の区別,正及び善に従った行動,美醜を区別する精神的存在としての人間性)の完成に 至る指針とも言えるが,道徳の「指導書」に取り上げられている道徳的項目と道徳的価値とには,

いかなる関連があるのだろうか。指導書で取り上げられている項目は,人格の形成に必要と思われ る種々の徳目である。この多様な徳目を認識し理解を深めることが,道徳的価値の自覚を深め,人 間各人が生きて行く中で生じる様々な問題を解決する一助となるのであり,また,それが先述の如 く児童生徒が目指すべき人間像やよりよい生き方の手掛かりとなり,道徳的価値の実現が児童生徒 の自己実現に結びつくことになるのである。このような指導を通して道徳的価値が児童生徒にとっ て極めて重要なものであるということが,認識される。このように考えてみれば,「道徳の時間」

において,教師は,道徳的価値が現在及び将来の種々の生活場面で役立つように,児童生徒を指導

しなければならないのである。

(3)

小林・田代:「道徳の時間」の構成への一考察       257

児童生徒の生活行動を見ていると,彼らは,他者との力関係で物事を判断し,行動する傾向が強 い。強い者には従順に従い,弱い者には高圧的な態度をとる。畏敬の念,人間愛に根ざす思いやり の心などは,忘れ去られている。このような状態にある児童生徒に道徳的価値が重要なものである ということを認識させるのは,極めて困難なことであるが,この課題を解決していくには,児童生 徒に自己をみつめる目を養うしか方法はない。自己をみつめ,自己を知ることにより,道徳的心情 が豊かになり,正しい判断力も形成されてくるのである。自己の内面をみつめ,そして人間性につ いて理解を深めることで,児童生徒は自分のもつ弱さや醜さを克服し,他者に対しての人間愛に根 ざした深い理解といたわりの心とを,培うことができるようになるのである。つまり,自己の内面 にある人間として弱さ,醜さに気づかせる方法が,道徳的価値の重要性を認識させる一つの手がか

りとなるのである。

(2) 自分の内面にある弱さ,醜さを気づかせる場合の留意点

児童生徒の言動を見ていると,一見無軌道で,教師には理解し難いことがある。しかし,その一 見無軌道とも思える言動の中に,人間としてよりよく生きたいという願いがあるということを,教 師は,見過ごしてはならない。人間としてよりよく生きるということは,道徳的価値を主体的に自 覚し,自分自身の内なる道徳的原理(「良心」とも言い換えることができる)に従って判断し行動 できるということである。したがって児童生徒の内なる道徳的原理(良心)が豊かになるよう援助 することが,教師の果たさなければならない役割の一つになる。そしてこの課題を解決する一つの 方策が,自己をみつめ,自己の内部にある人問としての弱さ,醜さ,未熟さを自覚させることなの である。では,自己の弱さや醜さに目を向けさせる,またそれらに気づかせることは,児童生徒の 自己形成にとって,すべてプラス面に働くのであろうか。マイナスの要素となることはないのであ ろうか。

① 自分の弱さ,醜さを気づかせることのプラス面を挙げれば,次のようになろう。

ア 自己の内面を見つめていくことにより,自分自身を知り,望ましい自己の形成を図るこ とができる。

イ 道徳的価値を自己との関わりで,とらえることができる。

ウ 自己の弱さや醜さを知ることにより,他者の痛み,苦しみが理解し易くなる。

工 道徳的価値を,現実の問題としてとらえることができる。

オ ありのままの人間を見ることにより,人間性についての理解が深まる。

力 道徳の時間をきれいごとで終わらせず,自分自身について真剣に考えるようになる。

キ 資料の中の人物の行為や気持ちを単に批判的,同情的にとらえるのではなく,自分を資 料の中の人物に重ね合わせ,自分の問題として主体的に考えることができる。

ク 教師自身が,弱さ,醜さを教育的配慮のもとにさらけ出すので,児童生徒は,教師にも 弱さ,醜さがあるとわかり,教師を身近な存在として感じることができる。

② 自分自身の弱さ,醜さを気づかせることのマイナス面は,次のようなものであろう。

ア 自己の弱さ,醜さに気づくことにより,自分はだめな人間だ,努力しても無駄だという 気持ちを児童生徒に起こさせてしまい,無力感に落としこんでしまう恐れがある。

イ 他者の弱さ,醜さを知ることにより,揚げ足を取ったり,ひやかしたりする姿勢を強め

てしまう恐れがある。

(4)

ウ 誰もが弱さ,醜さをもっていることを知ることで,自分の弱さ,醜さを当然だと思い込 み,できない自分,やらない自分を正当化してしまう恐れがある。

工 誰も弱さ,醜さをもっているということで安心してしまい,よりよく生きようとする向 上心が培われない恐れがある。

オ 他者も自分と同じ弱く醜い面をもっているということを知ることで,安易な同情心を培 ってしまい,それが思いやりの心だと思い込んでしまう恐れがある。

力 教師にも弱い面,醜い面があるとして,教師に対する信頼感を薄れさせる恐れがある。

自分の人間としての弱い面,醜い面に気づかせ,それに目を向けさせさえすれば道徳的心情を豊 かにし,他者の痛みのわかる児童生徒を育成できると安易に考えるなら,上記のようなマイナス面 を育ててしまう恐れがある。指導に際しては,人間のもつ弱さや醜さをみつめることが,よりよい 生き方を探究する上でなぜ大切であるのかを,児童生徒に理解させ,意識づけておかなければなら ない。そしてまた,教師や児童生徒が自己のもつ人間的な弱さや醜さをさらけ出しても,児童生徒 がそのことを素直に受け止めることのできる教師と児童生徒並びに児童生徒相互の相互理解,信頼 関係を築いておかなければならないだろう。その上で,教師は,自己の弱さや醜さを気づかせるこ とのプラス面とマイナス面とを十分に考慮して,プラス面が有効に働くように,指導に当たらなけ ればならないのである。

(3) 自己をみつめることからの道徳的実践力の育成

周知の如く,道徳教育の最終的な目標は,児童生徒自身の「人格の完成」である。そして「人格 の完成」を目指して,児童生徒自身の潜在的な道徳的実践力を彼らに認識させ,それに基づいて道 徳的実践ができるようにすることである。この目標の達成のために,道徳の時間の指導では,各教 科及び特別活動における道徳教育と密接な関連を図りながら人間としての生き方についての自覚を 深めることが重要となる。ところで,道徳的実践力とは,児童生徒各人が道徳的諸価値を主体的に 把握し,将来出会うであろう様々な場面,状況において,道徳的諸価値を適切に選択し,道徳的行 為を可能とする内面的資質と考えられるが,この点については次のような見解がある。実践力とは

「分析すれば,道徳的な判断力・心情・態度(習慣を含む)・実践意欲などとなろうが,こういう 分析では解決できない要因のようなものがいくつもあるように思えてならない。実践に踏み切る

(踏み切らせる)ということは,意欲の極限状態に達したときかも知れないが,なおそこに機会と いうものが作用するとすれば,実践の徹底を図るという学習指導要領を真剣に考えると,実践力プ       2)

宴Xアルファというものがなければならない」。こうした実践力の規定のなかで,特に,このプラ スアルファが何であるかを考えてみるなら,それは,「強靭な意志力」と理解することもできるだ ろうし,更に「強靭な意志力」を培うものとして「個人の自覚」が重要であるとも理解できよう。

更に重要なものとして,「感動」があげられよう。「感動」した心が「個人の自覚」を呼びさます のではないかと考えられる。この「感動」・「個人の自覚」が,今,何をすべきか,どのような行 為を選択すべきかを正しく判断し,「強靭な意志力」)となって,実践に踏み切らせると考えること ができる。 「感動」する心は,豊かな心情があってはじめてあらわれるのである。自己をみつめる

目を養い,自己を知ることによって,「感動」・「個人の自覚」が,形成されるのである。

今回の教育課程の改善の中で,道徳教育の基本方針は,次のようなものである。 「学校において

道徳教育を進めるに際しては,豊かな体験を通して児童生徒の内面に根ざした道徳性を育てるよう

(5)

小林・田代:「道徳の時間」の構成への一考察      259

に配慮し,それが,日常生活における道徳的実践に生かされるよう指導の充実を図る」として,児 童生徒の経験を重視しているのである。つまり,種々の経験の影響が,実践のためのプラスアルフ アの要素として考えられているのである。このことは,従来からの「なすことによって学ぶ」とい うデューイ的な経験を重視することで道徳的実践の徹底を図ろうという考え方と言えよう。経験と は,物事に対して自分が実際に取り組んでみる活動によって形成される。また,児童生徒がそこか ら何を得るかは,あらかじめ特定できずに行われる活動でもある。経験学習と言うと,すぐ自然と の触れ合いということが想起されるが,すぐれた文学作品や芸術作品との出会いも児童生徒にとっ ては,貴重な経験である。教室から出なければ経験を与えることができないと考えてしまうのは,

早計であろう。そこで経験には,どのような内容があるかを分類してみておく必要があろう。一つ の分類例として,次のような分類ができよう。

「原経験」 (生き残るための経験)・「社会的経験」・「自然的経験」・「勤労生産的経験」・

「文化的経験」の5つである3)しかし,これら5つの経験は,相互に関連しあっている。教師は,

経験を与える場合,以上のような経験があることを心に留めておかなければならない。どのような 経験を与える場合においても重要なことは,経験を通して「学ぶ力」をつけることである。「学ぶ 力」とは,経験を通して,それまで気づいていなかった新しい知識を外から取り入れることのでき る力であり,また,その新しい知識と今までの知識との間に不均衡が生じた場合に,それを関係づ けたり,総合したりして,更に広い概念や理論を発達させることのできる力を意味する3)

では次に,具体的に指導過程について考えていこう。

3 人間の弱さを中心価値とした道徳の時間の指導過程

(1)資料と児童生徒の実態との関係

道徳の時間において資料の役割は,ある道徳的価値(その時間の指導のねらい)を,児童生徒が 主体的に自覚できるようにする媒体であると言える。

資料の役割について,ここで整理してみると次のようになろう。

ア 児童生徒の経験は,様々であるので,道徳的価値を追求するための共通の場をつくり,学習 意欲を盛り上げる。

イ 知的理解や深い感動を与える。

ウ 資料の中の人物に自分を投影し,自分の気持ちや考えを素直に表現し易くする。

工 豊かな心情,正しい判断力を培う。

オ 内面的な自覚を深めることにより,今までの自分が抱いていた道徳的価値観より更に高い価 値のあることに気づき,主体的な生活態度を育成することができる。

以上のように,資料の役割には,共通のかつ最小限の役割が考えられるが,道徳の時聞のねらい

は,こうした資料のもつ役割を生かして,一定の道徳的価値を児童生徒が,主体的に自覚できるよ

うにすることである。だが以上のような資料の役割も,児童生徒の実態を考慮して資料を選定しな

いと,十分その役割を果たさない。そうして資料を十分に活用するためには,まず児童生徒の実態

(6)

把握が前提とならねばならないが,児童生徒の実態把握については,二つの側面,つまり,指導の 必要性と指導の可能性9という側面から考えなければならない。

指導の必要性からの実態把握とは,児童生徒の道徳性について優れている面と劣っている面を教 師が洞察し,どの項目を重点目標として指導すべきかを明確にするためのものである。他方,指導 の可能性からの実態把握とは,指導しようとする内容を,児童生徒にどのような角度から,いかに 指導すれば彼らが,その内容を主体的に自覚できるかを探るためのものである。児童生徒の実態把 握を考える視点としては,家庭環境,交友関係,読書傾向(TV視聴の傾向も含む),社会環境,

道徳性のテスト,一般的な発達段階の理論等が参考になる。こうした実態把握の視点は,今までは

指導の必要性を探る場合に多く用いられてきた。今後は,指導の必要性だけでなく可能性を探る場      ■

合にも用いられる必要があり,こうした視点から授業が構想され,資料が選定されていくのでなけ ればならない。しかし,道徳の時間においては,学級が指導上の一つの単位であるので,個々の児 童生徒の実態把握はある程度可能であっても,学級全体の実態把握となるとかなり困難であること も事実である。このことは,道徳性の発達段階について優れた研究成果を残しているコールバーグ が,次のように述べていることからもわかるであろう。「それぞれの子どもは,それぞれの型の道 徳判断を一歩ずつ進んで行く。もちろん,子ども達が進んで行く速度はさまざまであり得るし,ま たいずれかの段階で止まることもあり得る∫〉と。つまり,発達段階には,一定の段階の過程はある が,それぞれの段階を進む速度は,個々人で違うということである。学級内に40人の児童生徒がい れば,40通りの発達の段階があるのである。すなわち,道徳以前(アノミー)の段階の者もいれば,

他律の段階,自律の段階の者もいて,学級の全員が,同一の段階にいるとは限らないということな のである。このことからある学年の発達段階としての特徴について言われている諸説をそのまま鵜 呑みにしてしまい,固定観念で児童生徒を見てしまうことは,絶対に避けなければならない。あく

までも教師は,学年の発達段階の特徴を一般的なとらえ方として参考にするにとどめるべきである。

そして教師は,指導書で取り上げられた項目ごとに児童生徒を観察し,どの項目が劣っているか,

そしてそれを向上させるには,どのような資料を使って,その資料のどこに焦点を当てて指導すれ ば児童生徒の道徳性を変容させ,指導のねらいが達成されるかを考えて,道徳の時間を構成してい かなければならない。

以上の資料の役割と児童生徒の実態把握の方法とから,次に教師が両者の関連で常に考慮してお かなければならないことについて考えてみる。一つには,教師は,資料の内容の道徳的価値を明確 につかみ,児童生徒にその価値をどのように問いかけ,いかに彼らが自分の問題として考えるよう にするかを考慮しなければならない。資料の選定に当たっては,資料の文章の難易度が,該当学年 より一学年くらい下のものを選ぶようにすべきである。何故なら,誰もがその資料の内容を理解で きなければならないからである。そして児童生徒が,資料の内容の道徳的価値を自らの現実の生活 に即して考えやすいように,発問を工夫することも大切である。

ここで発問についての留意点を若干まとめておこう。

ア 自分の発問が,「道徳的心情を問う発問」・「道徳的判断力を問う発問」・「道徳的実践意 欲・態度を育てる発問」のいずれなのかを教師は,しっかり押さえておかなければならない。

イ 児童生徒が,何をきかれたのか,どのように答えればよいのかが,はっきりわかる発問でな

ければならない。

(7)

小林・田代:「道徳の時間」の構成への一考察      261

ウ 発問後,児童生徒が自分でその問いについてまとめる時間をとる。

工 児童生徒の思考の流れが途切れないように,発問の構成を考える。

以上のような点が少くとも重要であろう。次に資料の役割と児童生徒の実態把握の関連で考慮し ておかなければならないことは,児童生徒の生活の状態と資料とが,かけ離れ過ぎないように教師 は,資料を選定しなければならないということである。資料の内容が,きれいごと過ぎたり,児童 生徒が興味・関心を示さないものであったり,ねらいとする道徳的価値が露に出てしまっているも のでは,児童生徒は,資料の内容を自分のこととして考えられず,心を揺り動かされない。人間の 弱さや苦悩が滲み出ている資料に出会ってこそ,様々な問題を抱えて生きている児童生徒は,学習 への興味・関心も高まり,深い感動も覚えるであろう。第三に,教師は,児童生徒にねらいとする 道徳的価値を身につけさせる必要性の根拠をしっかり把握し,そのために資料をどのような視点か

ら活用したらよいかを,常に考慮することである。

(2)人間の弱さを中心価値とした資料の分析

資料は,道徳の時間において,指導の「ねらい」に関する多様な価値観を児童生徒から引き出す と共に,「ねらい」とする価値を,児童生徒が主体的に自覚できるようにする媒体である。従って,

資料自体の分析や研究は,授業を行う上で極めて重要となる。

資料の分析や研究について論じる前に,まず,よい資料の条件を押さえておく必要があろう。一 般的には,次のような条件が考えらている。

ア ねらいを達成するにふさわしい資料 イ 道徳的価値が適切に表されている資料 ウ きれいごとに終わらない資料

工 心の糧となる資料

オ 興味や発達段階に応じた資料 カ かたよりのない資料

キ 時間内で取り扱える資料 ク 児童生徒が親近感をもつ資料 ケ 児童生徒が受け入れやすい資料8)

資料を選定する場合は,これらの条件に照らして行えばよいであろうが,本論では,人間のもつ

「弱さ」を気づかせることによって,自己の道徳性を向上させる道徳の時間のあり方を考察してき たので,この観点から資料を選定していくと,上記のウ,エ,ク,ケの観点が重要となる。特に,

ウの「きれいごとに終わらない資料」という条件は,不可欠である。何故ならば,人間の弱さや醜 さ,苦悩が滲み出ている資料こそ,児童生徒に深い感動をもたらすからである。あまりに超人的な 生き方や偉人のよさだけが誇張されているような,きれいごとで終わっている資料では,児童生徒 の心を揺り動かすことはできない。次に,資料にどんな価値が含まれているか,そしてそれらの価 値がねらいとする価値にどのように関わっているのかを分析・研究することが重要である。確かに 資料には,「ねらい」とする道徳的価値ばかりでなく,多くの価値が含まれている。そのためそれ らの価値が,人間の持つ弱さ・醜さの面と結びついた価値であるのか,それとも人間のもつ気高さ の面に結びついた価値であるのかということを考えて,価値の焦点づけが行われなければならない。

何故ならば,弱さや醜さに着目するか,気高さに着目するかによって,指導過程の構想は,大きく

(8)

変わってくるからである。つまり,弱さや醜さに着目した場合は,資料の中に表された弱さや醜さ を自分ももっているという視点で,指導過程が構想される。それに対して気高さに着目した場合は,

人間には,このようなすばらしい側面があり,自分の生活を振り返ってこれまでこの気高さが足り なかったのではないかという視点から指導過程を構想するようになる。従って資料の分析・研究で 大切なことは,資料に含まれる価値を一つ一つ丹念に焦点づける作業を通して,資料の中心価値が,

人間のもつ弱さ・醜さに結びついたものなのか,それとも人間のもつ気高さに結びついたものなの かを把握することである。

資料の分析・研究の第三点は,その資料の活用を考えることである。資料の活用の類型は, 「共 感資料としての活用」「批判資料としての活用」「範例資料としての活用」「感動資料としての活       9}

p」四つのが代表的である。弱さを気づかせる視点からの活用を考えると,「共感資料としての活 用」が,最適であると考える。自分のもつ弱さを気づかせるには,資料の中の人物の気持ち,行為 の弱さを自分に重ね合わせ,共感的にとらえさせることがよいと考えられるからである。 

ところで,人間のもつ弱さに視点を当てた道徳の時間を構成する場合,資料の分析・研究の手順 は,どのようにしたらよいか。その手順を具体的にしたのが,以下に示す「資料の分析と発問構成 の表」である。この表の作成は,一般的に次のような手順で行われる。

①資料名,指導の「ねらい」を書く。

②資料の内容,指導の「ねらい」に関わる児童生徒の内面的な部分と表面的な部分の実態を,

先述の指導の必要性と指導の可能性の二つの側面から押さえる。

③資料の選択の理由,資料のよさを資料に表されている弱さに視点を当てて書く。

④資料の筋の流れをつかみ,弱さの出ている場面に留意して,いくつかの場面に分ける。

⑤資料に児童生徒が理解困難である場面や表現があれば説明できるようにしておく。

⑥資料の主人公や主人公を取り囲む人々の気持ち,行為を弱さという観点から取り出して行く。

⑦資料に含まれる道徳的価値を,場面や行為,気持ちに合わせて拾い出し,弱さと結びついた 中心価値と関連価値の相互の関係を押さえる。

⑧④〜⑦を見ながら,考えられる発問と予想される反応を書く。

⑨⑧で考えた発問を指導の「ねらい」に照らして吟味し,弱さを気づかせ,児童生徒の道徳性 を高める指導過程を考えて,中心発問と基本発問を構成する。

⑩価値の一般化,終末の指導法を考える。

上記の①〜⑩の手順を踏んで次のような「資料の分析と発問構成」の表が作られる。

資料名 ①   資料の出所 ①   資料の分析と発問構成の手順

ねらいとする指導内容 場面(人物の行為・行動 中心人物の心の動き 含まれる価値 発 問 予想される反応 価値の一般化

指導内容から見た児童生徒の実態

④⑤⑥ ⑧ ⑨

資 料 の よ さ 終   末

具体的な指導のねらい ⑩

(9)

小林・田代:「道徳の時間」の構成への一考察      263

(3)指導過程の構成

指導過程とは,周知の如く主題のねらいとする道徳的価値について,児童生徒に主体的な自覚を 深めさせるための指導の手順を示すものである。基本的には,「導入」⇒「展開」⇒「終末」の三 段階から構成され,それぞれの段階の役割は,次の通りである。

「導入」 ○ねらいとする道徳的価値への方向づけ

「展開」 ○価値の追求・把握

○価値の主体的自覚

      10)「終末」 ○価値の整理・まとめ

これは,あくまでも基本型であり,この型にとらわれ過ぎると道徳の時間は,固定化,形式化して しまう恐れがある。児童生徒の実態や教師の持ち味が生かせるような工夫が,常に必要である。教 師は,指導に当たって,一つの主題の指導を通して,児童生徒に何を考えさせ,どのような変容を ねらうのかを明確にしておくことが大切である。では,人間の弱さに視点を当てた道徳の時間では,

彼らに何を考えさせ,どのような変容が期待されるのだろうか。それは,資料の中に描かれている 主人公などの心の中にある弱さを,自分と対比して考えさせ,自分のもつ弱さに気づかせることで ある。児童生徒が,それまで気づいていなかった自分の弱さに気づくようになると,自分と同じよ

うな弱い面を友達ももっていることに気づき,他人へのいたわりの心が培われることを期待したい。

つまり,自分自身の内面に向ける目が養われること,自分を深くみつめることのできる目で他人や 社会をとらえられるようになることを,ねらいとするのである。

では,このような変容を期待して行う道徳の時間の指導過程は,どうあったらよいだろうか。

「導入」・「展開」・「終末」それぞれの段階の役割を考えて表にすると,次のようになる。

段 階 内      容

○問題意識の共通化を図る。

・資料との関係深い生活面での出来事を手掛かりとして授業にはいる。

導 入 ・資料を直接に利用し,主人公などの行為や心の動きについて話し合うという指示 を考える。その際,ねらいとする「人間の弱さ」について考えるように指示する。

・資料を読んで,どんなことが話し合いたいか発表させ話し合いの筋道を決める。

○「人間の弱さ」という面からの価値を追求し把握する。

・資料の中で人間の弱さの出ている場面を児童生徒に認識させ,自分のこれまでの 生活経験と対比させる。

※その際問題提起に止め,無理に経験の発表はさせなくともよいと考える。

展開 ・資料の中の主人公などの言動に自分を重ねて(同じように弱さをもっている自分)

前段 共感的に主人公などの言動について考えたこと,感じたことを,自分の言葉で述べ させることにより,自分自身の価値観を明確にする。

※このとき批判的に主人公などの言動をとらえる児童生徒があることを忘れては ならない。

・友達の発言から,友達の価値観を理解させる。

展開 ○弱さを克服し,より高い価値観を追求する。

後段 ・様々な意見を類型化し(それまでの話し合いから,教師が予想した類型化を提示

(10)

段 階 内      容

展開 することも可能であろう),対立点を明確にして討論することにより,児童生徒の価 後段 値観を揺さぶり,弱さを中心とした価値観を克服し,より高い価値観を追求させる

○自己の弱さに気づき,それを克服した,より高い価値の主体的自覚を図る。

終 末 ・今までの自分を振り返る。

E教師の説話,補助資料等を聞く。

・実践意欲を高める。

導入の段階は,学習意欲を高め,問題意識の共通化を図ることを目的とするので,ねらいに沿っ て最も効果があると考えられる指導法を用いればよいであろう。すなわち,具体的な生活を手掛か

りに授業にはいるとか,直接中心資料からはいるとか,補助資料を用いるとかの工夫をすることで

ある。

展開前段では,まず中心資料の中で,主人公など登場人物のもつ弱さに焦点を当てる。また,登 場人物の弱い面をとらえさせる発問を考えるとき,児童生徒が,登場人物の弱さを他人事のように 考えてしまわないよう工夫する必要がある。すなわち,登場人物の行為の底にある心の動き,葛藤

を問うように発問を考えるべきである。そして主人公など登場人物のもっている弱さは,児童生徒 自身がもっている弱さであることに気づかせる必要がある。その上で話し合いを進めて行けば,児 童生徒は他人事としてではなく,自分自身のもっている価値観を中心資料の人物の言動に託して話 すようになり,深まりのある(登場人物のもつ弱さは,自分自身の弱さでもあることを真剣に考え た)授業が展開されると思われる。

展開後段は,主人公などの言動に託して語られた児童生徒の弱さを中心とした価値観を,類型化 し討論する段階である。類型化だけでは,種々の価値観の羅列に終わってしまう恐れがあるので,

類型化された弱さについての価値観を討論し,児童生徒の現時点での価値観を揺さぶることが大切 である。討論を通して今の自分のもつ価値観が揺さぶられる中で,児童生徒は,さらに高い価値の あることを知り,より高い価値観が形成されるようになるのである。また類型化に時間がかかると 思われる場合には,それまでの話し合いから教師が類型化して提示してもよいと思われる。

終末は,展開後段で練り上げられた高い価値観に基づいて,自分のもつ弱さを克服しようとする 意欲を持たせる段階である。そのためには,今までの自分を静かに振り返ることが大切である。そ して,児童生徒の実践意欲が盛り上がるように,教師の説話や補助資料等を用いることが重要であ る。ここで留意しなければならないことは,次のことである。道徳の時間は,道徳的実践力の育成 を目的としているのであるから,実践を強いる決意を述べさせることは,避けなければならないと いうことである。以上のように,人間の弱さに焦点を当てた道徳の時間の指導過程を構成してみた。

しかし,先述の如く,この指導過程にこだわって固定的,形式的な道徳の時間にならないようにし

なければならない。この指導過程もあくまでも一つの型であることを心に留めておきたい。次に具

体的な資料を基に,資料の分析と道徳の時間の展開を考えて行くことにする。

(11)

小林・田代:「道徳の時間」の構成への一考察      265

資料名 チームワーク     資料の出所 中学道徳3 (教育出版)   資料の分析と発問簿成の手順

ねらいとする指導内容 場面(人物の行為・行動) 中心人物の心の動き 含まれる価値 発     問 予想される反応 価値の一般化

2−2は,    の こし、 ム   みぞのやさ

を深め,感謝と思いやりの心をも 陸上部のマネー ・これまでの生活の中で, ・部活動で,下級生にレ しいところにつ

つ」である。 塔п[

、 

くやしい・みじめ 悔しい思いをしたことと ギュラーになられてしま いて出されたも

様々な価値観をもつ人々が集ま 選手になれない クラブをやめてしまお

1−(2)

か,惨めに思ったことは ったとき。 のを,今までの

り,集団がつくられる。他者の理

やり抜く強い意志

ないか。

・テストで友達より悪い 自分のもってい

解や他者への思いやりなしに,ま 連合陸上競技大会

4−(1)

点を取ったとき。 た思いやりにつ

た自己の向上を図ることなしに集 選手になった友達を心 役割と責任の自覚 ・自分が選手になれなか いての価値観と 団は向上しない。これらの価値を 入場行進・開会式 から祝福してあげようと

2−〔3)

・心から友達を祝福でき ったので素直に祝福でき 照らし合わせて 関連させながら,学級という集団 思いながらも,何かふっ 信頼できる友達 ないのは,私の中に友達

ない。

考えてみて新し の中で生活している生徒に,思い きれない気持ち に対して,どんな思いが ・友達に劣等感を持って い価値観に気づ

やりの心をもって集団生活を向上 競技開始

3−(1)

あるからか。

いる。 かせる。

させようとする姿勢を育成する。 声をふりしぽり声援 恥ずかしさやみじめさ 畏敬の念

・一

カ懸命がんばってい 指導内容から見た児童生徒の実態 競技に夢中になる を意識するひまもない

4−(6)

、校心

・何が私に,恥ずかしさ 竄ンじめさを意識するひ

る選手の姿に感動したか

轣B

仲間内では,友達の失敗を許せ リレー予選 まもないほど競技に夢中 ・勝ってもらいたい一心

ても,仲間以外の者に対しては, 久美子一バトンを落 仕方がない一「残念だ

2−〔2)

にさせ,声をふりしぼっ で夢中になって応援した。

非を責めるという傾向が強い。他

とす

1 ったわね」 思いやりの心 て声援させたのか。 ・自分に影響がなければ,

者の立場を理解できる豊かな心や

とひとこと

2−(5)

責める気持ちは起こらな

集団生活の意義の理解が必要であ 応援の生徒に非難や 言おう 他者の理解 いが,自分に影響があれ

る。

不満の声が起こる 久美子を責めるもう一

4−(1>

・久美子がバトンを落と ば責める気持ちも出てく 自分の中に相手を許す自分と責 人の私 集団の意義 したことに対し,仕方が ると思う。

める自分があることを気づかせる ないことだと思う気持ち ・誰でも両方の気持ちは

ことにより,思いやりの心や集団 カ活を考えさせることができる。

昼食

@久美子一唇をかみし 4−(D

と,落としたことを責め 驪C持ちとが私の中にあ

持っていると思う。・久美子のことは気にし

終    末

め,泣いて 役割と責任の自覚 るが,相反する気持ちは ていない 自分のことし

資料のよさ     いる

?ヘの人一なぐさめ

誰も持っているのだろう ゥ。

・自分の力を出し切って 謦」っているよ。

か考えられず,

F達を責めてし

この資料は,みどりの言葉から

・みんなが力を出し切る まった教師の経

主人公が他者の失敗を責める心を みどり(リレーの 久美子を責めた私を恥

2−〔2)

・みどりは「……余分に ことが大切なんだ。 験を話す。

恥じ,思いやりの心の大切さを知 メンバー) じる。 「情けないとさえ 思いやりの心 点をかせいできたわよ」 ・久美子に安易な同情は るという内容である。 走り幅跳びで優勝 思う

2−(5)

といっているが,久美子 せずに,誰もが久美子の 他者の失敗を責める心は,誰に 「……気にするこ みどりのやさしい心に 他者の理解 にどんなことを言いたか ぶんまで頑張っているこ でもある心であるので,生徒達は, とないわよ。…… 感動

4−(1)

ったのか。 とを知らせようとしてい

自分自身の問題として主人公の心 …… ]分に点をか 集団生活の向上

の動きを捕らえることができると せいできたわよ」 ズポーツとは何か ・リレーのことなんか忘

思われる。慰めようとは思ってい 人としての思いやり ・みどりのやさしさに感 れて自分の役割を頑張っ ても,責めてしまう心が出てきて や真心を自分の中に守 動したといっているが, てやっているごとを知ら しまう弱さに焦点を当てて,思い り育てて行くことを忘 みどりのやさしいところ せ,もうリレーのことな

やりの心について考えさせていき れない はどんなところだろう。 んか気にしていないこと

たい。

を知らせようとしている

具体的な指導のねらい 顧問の先生の口癖

・集団の和を強めるため ノは,相手を思いやる心 主人公の久美子に対する心の動 「スポーツには,選 先生の言っていたこと

2−(5)

が必要だ。

きが生徒達自身の心であることを 手で活躍することや勝 が,いくらかわかってき 他に学ぶ心 ・先生の言葉がわかりか ・集団の和がチームを強 知らせ,思いやりの心の大切さを つこと以前にもっと大

た 1−(5)

けてきたと言っているが,

くする。

理解させることにより,真の思い 切なものがある。それ 自己の向上を図る それはどんなことか,考 ・人間として,思いやり やりの心(単なる同情心ではない} が何であるかさがして

2−(2)

えてみよう。 の心,いたわりの心を忘

を  。

みなさい 思いやりの心 れてはなら尤い

4 自己をみつめる道徳の時間の展開例

「チームワーク」(教育出版 中学道徳3)という資料を用いて,展開例を作成してみた。この 資料は,主人公が,友達の失敗を慰めてやりたいと思いながらも,その友達を責めるもう一人の私 がいることに気づくというものである。このように,この資料は,きれいごとに終始したものでは なく,主人公の苦悩がよく現れている。また,このような心は,児童生徒誰にでもあり,児童生徒 が身近な問題として取り組めるものである。またこの資料は,解説書では,「集団の意識や目標を 理解すること」「集団生活の向上のために自分の役割を自覚する」という内容項目4−(1)をねらい としているが,我々は,資料の分析から,「真の思いやりの心とはどういうものであるのか」を考 えさせる2−(2)をねらいとして,授業を構成することにした。

第3学年 組道徳指導案

1 主題名    思いやりの心 2−(2)

2 主題設定の理由

(1)ねらいとする指導内容

内容項目2−(2)は,「人間愛の精神を深め,感謝と思いやりの心をもつ」ことがねらいであ

(12)

る。学級という一つの集団は,様々な価値観をもつ生徒の集まりである。このような状況の中 で学級のまとまりを強めていくためには,自分と他人の関わりを深く考えることのできる生徒 を育成することが重要になってくる。そのためには,自分の中に,強さや気高さがあると同時 に,弱さや醜さもあることを知ることである。そして更に,人間には,一面において弱さや醜 さをもつことを素直に認め,その克服に努めることが,他人に対して思いやりの心をもって温 かく接することができるようになるということを,理解させることである。ここでは,誰にも 他者を責めてしまう心のあることに気づかせ,真の思いやりとはどういうことなのかを考えさ せ,思いやりの心を培うことをねらいとする。

(2)指導内容にかかわる生徒の実態

「思いやりの心」という道徳的価値について,学級内の生徒の様子を見ていると,安易な同 情を思いやりであると思っていたり,友達の非について友達だから許すという傾向が強く見ら れる。また,自分の利害に関わることとなると,他者を非難するという傾向も強い。このよう なことから,真の「思いやりの心」とはどういうものなのかということを指導する必要がある。

資料の中の主人公の心の動きに焦点を当てて話し合うことで,生徒自身にも友達を安易に非 難してしまった経験があることを思い起こさせ,自分自身の問題としてとらえさせることがで きる。そこから安易に他者を非難してしまう自分を克服させ,責の「思いやりの心」を培うこ とができると思われる。

(3)資料について (資料名「チームワーク」 出典「中学道徳3」教育出版)

主人公「わたし」は,陸上部のマネージャーである。選手になった友達を祝福できない気持ち をもっている。連合陸上競技会でそれまでのわだかまりを忘れて夢中になって応援するが,リ レーで久美子がバトンの受け渡しをミスしてしまう。その時,久美子を慰めようとする心と責 める心とが私の中にあることに気づく。しかし,みどりの久美子へ話しかけた言葉から,自分 が久美子を責めていたことを恥ずかしく感じ,思いやりの心の大切さを知るという内容である。

ここでは「わたし」のもつ弱さに焦点を当てて話し合い,生徒自身にも「わたし」と同じ心があ ることに気づかせたい。そしてみどりが久美子へ話しかけた言葉の内容を考えさせることによ り,責の思いやりとは,安易な同情心ではなく,相手の立場をよく理解した上で,温かく接す ることだということを理解させることにより,本時のねらいに迫ることができると考えられる。

3 本時のねらい

主人公の心の動きは,生徒自身の心の中にもあることを気づかせ,思いやりの心の大切さを理 解させるとともに,真の思いやりの心を培う。

4 指導過程

主な活動と発問 予想される生徒の反応 指導上の留意点

1 思いやりの心について ・集計結果の提示に

のアンケートの集計を提示 とどめ,本時の学習

する。 への問題意識の共通

化を図る。

2 資料を読み,主人公の

気持ちについて話し合う。

(13)

小林・田代:「道徳の時間」の構成への一考察      267

主な活動と発問 予想される生徒の反応 指導上の留意点

○心から友達を祝福できな ・自分が選手になれなかった悔しさや惨め ・友達を素直に祝福 いのは,私の中に友達に対 さが心の中にあり,素直に祝福できないの できなかったことが

してどんな思いがあるから だと思う。 あるかどうかのアン

だろうか。 ・自分が友達より運動能力が劣っていると ケートの結果を提示

して,自分を卑下してしまっているからだ して,誰にも主人公

と思う。 のような気持ちがあ

ることに気づかせる。

○久美子がバトンを落とし ・自分に直接関わってくるようなことにな ・「わたし」の気持 たことに対して,仕方のな ると,許さなければならないとわかってい ちを共感的にとらえ いことだと思う気持ちと, ても責めてしまうことがある。 させ,自分の中にも 落としたことを責める気持 ・誰にでも両方の気持ちはあると思う。 同じような心がある ちとが「わたし」の中にあ ・このような経験がないので,あるともな ことを知らせる。

るが,この相反する気持ち いともどちらともいえない。

は,誰でももっているのだ

ろうか。

○みどりが久美子へ話した ・久美子に安易な同情はせずに,誰もが久 ・生徒の考えを類型 ことを聞いて,みどりのや 美子の分まで頑張っていることを知らせよ 化し,事前のアンケ さしさに「わたし」は,感 うとしているところ。 一ト結果と対比しな 動したといっているが,ど ・リレーのことなんか忘れて自分の役割を がら,真の「思いや んなところがみどりのやさ 頑張っていることを知らせ,もうリレーの りの心」について話

しさなのだろうか。 ことなんか気にしていないことを知らせよ し合わせる。

うとしているところ。

3 今までの自分振り返る。 ・教師の経験を聞か

せ,教師にも弱さが あることを知らせ,

実践意欲を高める。

5 関連・発展

道徳…2−(2)友情の尊さ;2−(5)他者理解;4−(1)集団生活の向上 特別活動;学級活動(2)一ア望ましい人間関係の確立

以上,自己の弱さをみつめることで,他人への思いやりを育てる道徳授業を考えてきたが,この授 業が前提としなければならないのは,学級における教師と生徒との信頼関係である。教師は,自分 のもつ人生観,人間観,世界観を土台にして,児童生徒各人の抱える諸問題を,彼らとともに考え,

そして解決していく姿勢をもつことが大切である。その時,教師は,児童生徒各人の人格を尊重し,

彼らを包み込むような温かい眼指しをもって,彼らに接しなければならない。そうすることによっ て道徳の時間を真に成立させる前提としての教師と児童生徒,児童生徒相互の信頼関係が築かれる のである。

人間の生き方に関わる問題を話し合うときに,教師が人間としての弱さ,醜さ,気高さを素直に

(14)

訴えかけなければ,児童生徒の内面を理解する糸口がつかめないばかりか,児童生徒各人も自分の 気持ち,考え方を素直に表現しようとはしない。なぜなら,児童生徒と教師の間に,共通の心の通 い合いがないからである。しかし,ここで注意しなければならないことは,教師が自分をさらけ出 す際に不必要な自分の欠点までもさらけ出す必要はないということである。不用意に自分のあるが ままをさらけ出すと,逆に児童生徒が、教師に不信感を募らせるという恐れもある。自分をさらけ 出すということは、時に応じて教師にも児童生徒と同じようにできなかった自分があることを示し,

そのことが,人間の生き方に関わっている道徳的価値に照らしてみて,どのような意味をもってい るのかを,考えさせることである。単に,教師が自分自身を目的もなくさらけ出しただけで終わっ てしまうならば,それは無意味なものである。

教師と児童生徒の信頼関係を築き上げるためには,教師は,児童生徒の表面に現れた言動だけで 彼らを判断してはならない。教師は,すべての児童生徒が一人の人間として道徳的価値を主体的に 自覚し,良心に従って判断し行動できるようになりたいと願っているのだという理解の基に,児童 生徒の内面を見ようと努力しなければならない。児童生徒は,教師が自分をどう見ているかに,極 めて敏感である。ある一つのマイナスの現象だけをとらえて自分を見ていると感じ取れば,その児 童生徒は,教師に対して素直になろうとせず,心を閉ざし,教師から離れるだけであろう。教師は,

児童生徒のマイナスの現象から,彼らの心の苦しい叫びに気づく感性を身に付けたいものである。

次に,道徳の時間を成立させるためのもう一つの条件である,児童生徒相互の信頼関係の確立も また重要である。教師がどのように優れた指導技術を駆使しようとも,児童生徒相互の間に信頼関 係が成立していなければ,彼らは,教師やクラスの各人の前で,自分の考えたこと,感じたこと,

気持ちなどを素直に発表することはできない。そこで児童生徒相互の信頼関係を作り上げるために 教師のなすべきことは,その一つとして学級の温かい雰囲気をつくることであると考える。

児童生徒の学校での生活の中心は,自分の所属する学級である。このことを考えると,学級経営 の成否が,道徳教育(全教育活動とも言える)の成否につながるといっても過言ではないだろう。

学級経営を考える際,担任としての教師は,児童生徒の発達段階が,心身ともに個人差が大きいと

いうことを,常に念頭においておかねばならない。心身ともに個人差の大きい多様な児童生徒によ

って組織されているのが,学級なのである。したがって,学級は,様々な特色をもっている。この

複雑で多様な特色をもつ学級を,児童生徒各人が,素直に自分の考えや気持ちなどを出し合えるよ

うな雰囲気の学級にしていくために,教師は,常に児童生徒の立場に立って彼にのものの見方,考

え方を理解しようとし,彼らの個性を生かす学級経営に心掛けなければならない。「児童生徒を生

かす」ということは,教師が,児童生徒各人についてできるだけ多面的に理解しようと努め,学級

内でその児童生徒のもっている能力を十分に発揮できる機会を創り出すということである。この教

師の教育的働きかけこそが,重要なのである。この教師の働きかけによって児童生徒は,自分自身

がそれまで気づいていなかった自分自身の良さや友達の良さに気づくことになる。このようにして

児童生徒相互が,互いの人格を認め合える人間関係をつくり,学級の中での児童生徒の信頼関係が

培われ,温かみのある学級の雰囲気がつくられていくのである。こうした学級の中でこそ,前述の

道徳の授業が意味をもってくるのである。

(15)

小林・田代:「道徳の時間」の構成への一考察      269

1)田中耕太郎『教育基本法の理論』 (有斐閣,1971),pp.72−73.

2)勝部真長・池尾健一『中学校実践力を育てる道徳授業』 (東京書籍,1985),pp.78.

3)間瀬正次『戦後日本道徳教育実践史』 (明治図書,1984),p.129.

4)瀬戸 真『新道徳実践講座2道徳的体験と行為』 (教育開発研究所,1986),pp.21−28.

5)同書,P.41.

6)金井 肇『道徳授業の要点』 (明治図書,1987),p.67.

7)永井重史『道徳性の発達と教育 コールバーグ理論の展開』 (新曜社,1987),p.33.

8)金井 肇『道徳授業の多様な展開』 (明治図書,1988),pp.28−29.

9)青木孝頼『道徳でこころを育てる先生』 (図書文化,1988),pp.105−117.

10)瀬戸 真『新道徳実践講座1自己をみつめる』 (教育開発研究所,1986),pp.81−82.

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