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反ナ チス抵抗運動 と ドイツ戦後教育史

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秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 60 pp.51‑64 2005

反ナ チス抵抗運動 と ドイツ戦後教育史

一 占領期研究のための論点整理 ‑

De rWi de r s t andwahr e ndde sNat i ona l s oz i al i s mu軍 unddi ede ut s c heBi l dungs ge s c hi c ht es e i t1 945

‑ EinigeForschungsaspektezurErziehunginderBesatzungszeit‑

TatsuoTsUsHIMA

Welchen EinfluB tibtederNationalsozialismusalszuvorpr畠gendeKraftmach 1945 in der westlichen Besatzungszoneim Bereich derErziehung aus,und welcheZusammenhangek6nnen aufgezeigtwerden? Diese Fragestellung istsehrwichtig,weildie Bewaltigung dernational sozialistischen"Vergangenheit"eineHauptaufgabederBildungseit1945warundblieb.

DieseFragewurdeurspriinglich bereitsYon oppositionellen Gruppierungen im Rahmen des btirgerlichenWiderstandesw畠hrendderNS‑Zeitgestellt.EinzentralesMotivderGruppenwardas Ziel,ein"geistigesErwachen"ftirdieZeitnacheinem UmsturzdesHitlerRegimesherbeizuftihren.In diesem SinnekannderzivileWiderstandalsstarkmenschenbildendcharakterisiertwerden,wobei einevom christlichenHumanismusgepragteethischeldeologleZurNeuerziehungderBev61kerungein zentralesAnliegenwar.IndervorliegendenArbeitm6chtederAutoram BeispieldesWiderstandes versuchen,bisherunbew畠ltigteProblemederErziehung in derNachkriegszeitaufzuzelgen und Erklarungsansえtzezuformulieren,Wobeivorallem BezugaufdiesogenannteWestzonegenommen wird.

Derlnhaltistwiefolgt;

Einleitung

I Zur Periodisierung der deutschen Nachkriegsgeschichte und die sogenannten

"Lizenzzeitschriften"

Ⅱ Kirche,ChristlicheErziehungunddieFamilie

l "Rechristianisierung"derNachkriegsgesellschaft‑Kontinuitatim ZeichenderIdeen desWiderstandesinderKriegszeit

2 "Umerziehung",ReligionsunterrichtunddieFamilie SchluBwort

キー ・ワー ド:ナチスの過去,精神的覚醒,承認雑誌,再 キ リス ト教化, キ リス ト教教育

は じ め に

ドイツ現代史 を象徴す るナチズム問題 と戦後教育 との かかわ りについて考えてみたい。 ナチス支配の 《過去≫

をいかに清算 し, いまなお存在す るナチズムへの 《思想 的親近性

≫(

‑ネオ ・ナチズム) にいか に対処す るかが,

戦後教育 に通底す る重要課題だか らである

だが この課題 は本来的 には, ナチス支配の現実 に生 き た同時代 の市民的な政治的抵抗 グループの運動 に由来 し ている。つまり, ヒトラ丁 ・レジームはたんにクーデター によってではな く,その体制 に弦惑 され畏怖 し支持者 と して取 り込 まれた ドイ ツ人民 の 《精神的覚醒geistiges

‑ 51‑

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Erwachen(.V.モル トケ)によって拒否 され克服 されね ばな らなか った。政治社会制度を改編す ること以上 に, その制度 を担 うべ き人間の精神的基礎 を培 う, よ り本質 的な営為 に彼 らの求め る ドイツ再生 の原点があったので ある。 その意味において,ー抵抗運動 とは周知の体制転覆 計画 《720日事件》 に収欽 され るのではな く,人間教 育にまつわる思想運動 としての性格を色濃 く帯 びている。

本来す ぐれて政治的な反 ナチス抵抗運動を教育問題 と て注 目す る理 由が ここにある。 この抵抗運動を手がか り に戦後教育史 を再考で きないであろうか。本稿 はさ しあ た り西側 占領地区に焦点 をあて,若干 の論点 について検 討 しよ うとす るものである

こうした問題設定 にあた っては,すでに再三提起 して きた ところだが1),戦後教育 の生成 のプ ロセスをナチス 期 と切断せず,抵抗運動 を媒介 させ ることで, ナチス期 とくに戦 中期 と占領期 とを統合的に解釈 しよ うとい う筆 者の意 図がある このよ うな視点 に立 っ ことで,《非 ナ チ化Entnazifizierung≫と 《再教育Umerziehung/Re education≫丁その後の 《再方向づけReorientation≫‑

および冷戦政策 に凝集 させて戦後教育 を解釈す る従来 の 枠組 みを離れ,新 たな地平か ら戦後教育生成の実体が照 らしだせ ると考え るか らである もとよ り,時期区分認 識 と して往 々 《時刻 零≫(StundeNull)と表 され る 194558日の位置,および戦後教育が米英仏 ソ連4 カ国の分割統治政策 に規定 されて東西両 ドイツ固有の道 へ と分岐 した事実 は,所与の前提である じっさい, 占 領期教育 の研究 も概ね こうした観点 に依拠 している。

だが い うまで もな く戦後教育 とは, 占領政策を受 けと めあるいはそれに反発す る ドイツ国内に固有の諸条件 と の関連 において, は じめて構築 されたはずである。 に も かかわ らず, 占領統治 とい う外的条件が強調 され るあま り, この内的諸条件 について反ナチス抵抗運動の影響 を 含めて,問いなおす作業 はきわめて不十分である

さ らに注意 してお きたいのは, ドイツ研究 にかんす る 一つのパ ラダイムとして 「ナチズムー抵抗運動一戦後教 育」 の構図を提示 しよ うとす るばあい,それは, ナチス 支配が国内抵抗 グループの活動 とは無縁 に‑ またその活 動 も連合国側 の評価 を得 ることな く一軍事的敗北 として 崩壊 した ことや,1950年代 までの 「復古的な」政治的社 会的 ミリュ一について指摘 される 《過去》 との決着の暖 昧 さと意識的な逃避 とい う事態2)を無視 しての ことで は ない。 そ うで はな く,すでに同時代 にあ ってナチス支配 の現実 に抵抗 しそれを克服 しようとした左右両翼に及ぶ,

しか もその一部が戦後 に生 き残 った ドイツ人 自身の思想 と行動 を手がか りに, ナチス期に伏流 し反 ナチズムの対 抗思想 にまで凝集 した ものと,戦後初期 ドイツに復元再 生 された もの との関連性 を内在的に解釈 しよ うとい うこ

とである。 これ こそが上 にいう,研究史 に不十分な内的 諸条件 に着 目す ることの意味なのである。

さきに多様 な社会的出自と政治思想的立場か らなる市 民 的抵抗 グループのナチズム観, およびその代表 的な

思想集団」と して 《クライザ ウ ・グループ》 の,宗教倫 理 と不 可分 の国家像 と 「キ リス ト教的西欧3)の伝統的 価値 に基礎 をお く戦後教育構想 を析 出 したの も4),如上 の認識 と理解 に もとづ いて ナチス期か ら戦後初期への

架橋」 の視点 を提示す る意図があ った。 これをさ らに 敷 術 す る な らば , 《再 キ リス ト教 化》 (Rechristia‑

nisierung)とい う戦後社会の新 たな動静や,一《再教育≫

計画 とその実施 をめ ぐる乳蝶を理解す るためには,抵抗 運動思想 の継承の有無 について も検討すべ きだ とい うこ

とである このばあい,筆者 は一般 に指摘 され る 「アパ シー」 支配 の 「崩壊社 会」, す なわ ち国家 が存在 せず

耐 えて生 き延 びること」(tiberleben)を現実の課題 と した初期 占領期5)につ いては, 同時にナチズムに対抗 し またその抑圧か ら解放,蘇生 した伝統的思想,あるいは ナチズム体験 に もとづ く思想運動が,多種多様 な政治的 文 化 的 宗 教 的 雑 誌 の 族 生 や キ リス ト教 世 界 観 政 党 (CDU/CSU)の結成 を典型例 と して,勢 いを得て, ボ ン基本法体制 に注 ぎ込 まれるまでの揺藍期である, と見 ている

ここで,あ らためて こうした問題設定 にかかわる研究 状況を代表的な刊行著作 を中心 に言及 しておきたい。西 ドイツ戟後教育史にかん して努頭挙げられるのは,フユー ,Ch.とフル ク,K.L.によ って編集 された教育史研究 シリーズ 『ドイツ教育史ハ ン ドブックー 6 1945年か ら現代 まで 第一部(1998年)である 本書 は,西側 占 領地区において再構築 される教育行政機構 ・学校制度を は じめ,家族 ・青少年政策,教会の役割,教育科学 の転 換 など,主題別 にかつ学際的にこれまでの戦後史研究の 成果 をその主要文献名 を挙 げて簡潔 に整理 している6) だがハ ン ドブックとしての性格上, 占領期の叙述 はごく 限 られ, いわんや国内抵抗運動の意義 については 《ドイ ツ教会闘争≫の存在 に若干言及するはかは欠落 している。

総 じて個別的研究の位置を僻轍す る文字通 りの手引書 と な りうる ものである 一方,本格的な占領期研究 は, ア メ リカ 占領政 策 を対 象 に ブ ンゲ ンシュ タープ,K.E.

(1970)7)によ って着手 されて以降,論集 『再教育 と復 輿‑ ドイツとオース トリアにおける占領軍の教育政策(1981 年)の編集実績 を もっ‑ イネマ ン,M.のグループによ っ て1990年代か ら東西 ドイツの占領下学制改革 を中心 に行 われ, その成果が蓄積 されて きた8)。 ここで は筆者 の課 題 意 識 と も少 なか らず重 な る, フエ ツスル,K.班.

『ドイツ人 の再教育‑1945‑1955年b)戦勝国統治下の青少年

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封馬 :反ナチス抵抗運動とドイツ戦後教育史 と学校』(1994)9)が特筆 されねばな らない。本書 はアメ

リカ軍政部関係原資料 を駆使 し同国 占領地区 とベ ル リン を中心 に,東西 ドイツの青少年の再教育政策の実態を国 内事情 を もふ まえて明 らかに した占領政策研究の到達点 と見てよい。 しか しヒュ ッスルの研究 において も,抵抗 運動 にかんす る論及 はいまだ きわめて不十分であって, そこでは戦後教育 との関連性が不明のままとなっている。

こうした占領期政策研究 に比べて圧倒的なのが, ワイ マル期か らナチス期 にいたる講壇教育学 の位置づ けにか んす る研究である。学界動向 として見 るか ぎり,1980 代以降 ナチズムと講壇教育学 (‑嘩神科学的教育学) と の関連性 が中心 問題 に浮上 し, と くにテ ノル ト,H.E.

の精神科学的教育学 の史的検証 には じま って,教育学 じ たいの歴史的総括が行われている。 それ はナチス期 に果 た した諸科学 の役割 を根底か ら見直そ うという学界横断 的な作業 の一環であ って,今 日まで大 いに活況を呈 して いる。付言すれば,近年 の 日本 における精神科学的教育 学派の対 ナチズム思想 の検討 なども, こうした ドイツの 動静 に即 した もの とな っている10)0

このよ うな学的潮流のなかで,筆者の課題意識 とも比 較的近 い ドゥデク,P.『 ̀̀過去 を振 り返 ることは避 け ら れない''‑ ドイツにお けるナチズムの教育学的総括‑ 』 (1995年)およびマテス,E.『ナチス期以後 の精神科学的 教育学派一政治的教育学的総括の試み‑』(1995年)ll)が上梓 されてい8.. とりわけマテスの研究 は, フ リッ トナ‑, リッ ト, ノール, シュプ ランガー, ヴェ‑ニガ一につい て,彼 らの1933年以後 と1945年以後の思想的変化の有無, および戦後 における彼 らの抵抗運動の評価 にも言及 した 教授資格取得論文である これ ら二著 は,その高 い研究 水準か ら見て も,筆者の着想 と問題意識 を補強す る重要 な先行研究 と目され る。 もっとも,反 ナチス抵抗運動か ら戦後教育史を再考 しよ うという発想 じたいは, いずれ に して も空 白のままである。著名な反 ナチス抵抗の教育 者 ライ ヒヴ ァイ ン研究 や,《白バ ラ》運動 の事例 と くに 最近 の シ ョル兄妹 の戦後民衆大学創設へ の影響 の研究12) を例外 と して, そ もそ も市民的抵抗者一般の思想 と行動

じたい,教育研究 においてはその意味がいまだ十分認知 されず, あるいはそれを追求す ることがせいぜい傍流 と して しか評価 されていないためであろ う13)。最初 に挙 げ た 『ドイツ教育史ハ ン ドブック』の叙述 はそうした評価 傾向を端的に示す ものであるそこには例えば人文社会 諸科学 のなかでの歴史叙述, とくにナチズムへの加担の 有 無 , 評 価 を め ぐる教 育学 研究 の 「安 易 な独善 的姿 」(A.ヘ ッセ)14)を批判す ることに端 を発す る 「ヘ ッ

セ=テノル ト論争」 に も窺え るよ うに,教育学 ・教育史 研究者 と隣接諸科学 とりわけ歴史学研究者 との間に横た わ る 「教育事象」をめ ぐる認識 と解釈の差異ない し溝 と

い う問題 もあるように思 う15)0

なお,■日本での研究成果について付言すれば, たとえ ば 「ズーク委員会」 を中心 に置 くアメ リカ占領教育政策 などの叙述 と,土持法‑ の貴重 な関係資料 の編纂 (マイ クロフィッシュ)16)を除 いて,宮 田光雄 『西 ドイツの精 神構造‑ ナチズムとデモクラシーの間』(1968年 岩波書店) がある。本書 は1950年代か ら60年代初頭 までの時期を対 象 に,西 ドイツにおける対 ナチズムの政治意識を多角的 に分析考察 しているが,初発の歴史教育,政治教育の態 様 に も厳密 な検討 を加えた先駆的な学際的研究 としてい まだに古典 の輝 きを失 っていない。 しいて言 うな らば, この先行研究 にさらに占領期を中心 に教育史的見地か ら 補 うべ き論点 を付加 しよ うというね らいが,筆者 にはあ

そ こで本稿 の主題 に立 ち入 るばあい, なすべ きことは 如上 の研究状況 に照 らして,反 ナチス抵抗運動か ら見た 戦後教育生成の問題群 について,その固有の意味づ けを 図 ることにあるだろう。 もっとも, それ らが多岐にわた ることか らすれば,本稿 は限定 された論点 について素描 す る段階 に留 まっていることを,あ らか じめ断わ ってお かねばな らない。副題 に 「論点整理」 と記すの もこのよ

うな意味か らである。

以下, さ しあた り二つの論点 について検討 しよ う。 そ の‑ は,戦後教育をめ ぐる時期区分問題 を,「承認雑誌 の族生 とい う状況のなかでいかに理解すべ きか というこ と。 その二 は,市民的抵抗運動 と連携 し占領下 ドイツの 唯一 の覇者 として 「再 キ リス ト教化」 を演出 した両宗派 大教会が,戦後教育の生成 にいかに関わ ったか とい うこ

この二点 についてである

Ⅰ 時期区分問題 と 「承認雑誌」

ドイツ戦後史の時期区分 にかんす る問いは, ワイマル 期の諸問題がナチス体制 の成立 にいかに関わ ったか,す なわちその連続性 いかんを問 う論議 ほどには,注 目され ていない。社会史研究の立 ち上が りを契機 に, この問い が教会史の分野 をは じめ として近年 あ らためて浮上す る よ うにな った とはいえ17),戦後史の位置づ けについては 終戦 ‑ 《時刻零≫の表現が示すよ うにナチス体制 と断絶 させて とらえ るのが一般的である。少 な くとも戦後教育 の解釈 においては, これまでそのように見倣 されて きた。

何 よ りも1945年 の終戦の時点 を 「再 出発」(Neubeginn) と して説 き起 こす教育史叙述 のスタイルがその証左であ そこで,立論の前提 として反 ナチス抵抗運動 を媒介 項 に 「架橋」の視点を提起 しよ うとす ると,あ らか じめ

‑ 53‑

(4)

この問いにたいす る基本認識を示す必要があるよ うに思 う。

まず最初 に確認 してお きたいことは,およそ歴史事象 は連続性 と非連続性 とを同時 に包含 してお り, 「持続」

は 「変化」 と, また 「変化」 は 「持続」 と分かちがた く 絡み合 ってい るとい う事実 である18)。 しか も所与 の前提 に対象領域 それぞれの特性がある。 これをナチス支配の 瓦解 とい う事象 にあてはめると,終戦時を もって外政, 国内体制 (統治機構),産業経済,社会構造, さ らに文 化的な慣習 ・思惟 などの諸事象を一元的 に区分 しあるい はナチス期 と断絶 させて とらえ られないということであ じっさい, この問題 に関わ って, ナチズム研究 に先 鞭をつ けた ミュンヘ ン現代史研究所の委嘱によるマルチ ン ・プロシャー トら代表的歴史家 たちの所論 『ドイツ現 代史 にかんす る時期区分論集(1990年)では,外政を例 外 として領域 ごとの多様 な形態,すなわち時期的な 「ず れ」や 「緩やかな段階性」 の存在 と 「継続」の実体が検 証 されている19)。人間形成活動 を包摂 した生活世界 は, この 「継続」 ない し 「緩やかな段階性」 の代表事例 と見 るこ、とがで きる20)0

ところで歴史事象 につ いて連続か否かを問 うさい,重 要 な視点 と してその事象が時間的経過のなかで, どの桂 度客体 と して対象化 され, さ らには総括 されているかが ある しか もその指標 は,精神史的に見 た意識 ・思惟 の 次元か ら,政治史的に見 た組織制度の次元 までを も包摂 している。教会史家 マルチ ン ・グ レシャー トが 「二十世 紀の ドイツ ・プロテスタンテ ィズムの歴史 における決定 的な区切 りは1945年 あるいは1918年ではな く,60年代で ある十 と指摘 し,その理 由を 「この時期 になって20世紀 の前半 に起 こったことが は じめて広汎な人 々に明白に理 解 されたか らである」 と強調す るの も,同様の意味 にお いてであろ う21)。 それ じたい日常的営為 である人間形成 の事象 は もとよ り,所与 の社会的政治的な枠組みのなか で組織的計画的に展開 され る学校教育,およびそれを方 向づ ける教育政策 は, まさにそ うした多様 な指標 を もっ て測 るべ き対象 なのである

た しかに戦後教育が,戦争 と破壊 にたいす る ドイツ人 の 「罪責」意識の徹底化 を占領 目的に謡 う 「ポッ.ダム協 定」 の 《非 ナチ化》,《非軍事化≫,《民主化》 の占領統治 政策の一環 として発足 したという側面だけを見るかぎり, 戦後教育 の発足をナチス教育 にたいす る非連続の相か ら

とらえて も自然である。《非 ナチ化≫ は, よ く指摘 され るように 「ヒ トラー ・レジームの解体」 とその積極的加 担者の排除にあ り,教育面で はナチス的教育組織 (ヒ ト

ラーユーゲ ン ト,ア ドルフ ・ヒ トラー学校,ナボラなど) の廃止やナチス教義 の教科書 の使用禁止 などがあ り,当 然 なが ら 《再教育》 とも連動 し,両者 はいわば表裏 の関

係 にある また,それ とともにここで留意 しなければな らないのは,西側軍政部 の 「承認」 あるいは 十奨励」 に よ って終戦直後以来661 (1947年段階)の政治的文化的 宗教 的雑 誌 が族生 して い る事 実 で あ る22)0 「承 認雑誌 (Lizenzzeitschrift)と称 され るこれ ら多種多様 な雑誌 は, その性格上 占領統治政策 との協調姿勢 をとると同時 に, ドイーツ人 による内発的な,新 たな 《政治文化》 の創 造 に寄与 しよ うとしたという側面か ら判断すれば, これ

また非連続の指標 と見徹す ことがで きよ う。

「雑誌 の時代」 (ZeitderZeitschriften)23)とも特徴 づ け られ る戦後初期 にあ って,米英 占領地区においてオ ピニオ ン ・リーダーの役割を担 った主 な雑誌 に,‑ルマ ン ・ノールを中心 にゲ ッチ ンゲ ン ・グループによって発 刊 された 『ザ ンムル ンク(DieSammlung)(1945年10月)

をは じめ, カール ・ヤスパ ース らの 『ヴァン ドゥル ンク (DieWandlung)(1945年11月),オイゲ ン ・コ‑ゴン, ヴァル ター ・デ ィルクスの 『フランクフル ター ・へフテ (FrankfurterHefte)(1946年4月),ベル トール ト・シュ パ ンゲ ンベルク, ヴォルフ ・ラウクーバ ッハの 『ドイツ 論集(DeutscheBeitr畠ge)(1946年12月),ハ ンス ・ペチュ ケ, ヨア ヒム ・モ ラスの 『メル クール(Merkur)』(1947 4月), さ らに1936年 か ら1938年 にか けて ライ ヒヴァ イ ン自身世界経済市場 における 「協調」 を提起 したナチ ス期 に稀 な 「自立的な雑誌」 として知 られ,強制収容所 か ら生還後編集者ル ドルフ ・ペ ッヘルが再刊 した 『ドイッ チ ェ ・ル ン トシャウ(DeutscheRundschau)(19464 月), クライザウの一員 として刑死 した修道士 アルフレー

ト・デルプ らの遺志 を継 いで1946年再刊 された ミュンヘ ンのイエズス会誌 『時代 の声(StimmenderZeit)』, 同 じくキ リス ト教労組系抵抗グループ 《ケル ン ・グループ≫

に与 した エバ ‑ハ ル ト ・ヴ ェル テ ィの 『新 秩 序(Die りeueOrdnung)』(1946年)が挙 げ らJれ る24)。 これ らの雑 誌 は編集者 自身の深刻 なナチズム体験,およびナチスの 犯罪への加担行為 と黙認 を招 いたのが ドイツ人の精神的 衰退 にあるとい う認識 に拠 りなが ら,新生 ドイツの 「 教倫理的 な定位」25)を編集方針 とし, また 「教育的な基 本姿勢」26)を強調 した点 で共通 してお り, いわば 《戦後 思想≫膝胎の舞台 とな っている

ちなみに,ヤスパ ースは占領諸国 とりわけアメ リカ軍 政 部 が ドイ ツ人 に た い して突 きつ けた 《集 団 の罪 ≫ (Kollektivschuld)一戦争 .・ホロコース トにたいす る ド イツ人全体の責任‑ 27)への反発 をめ ぐって,‑イデルベ ル ク大学復職後1945/46年の冬学期 に講壇か ら,不可避 的 な倫 理 的責 任 の 自覚 を訴 え た こ とで知 られ て い る (責罪論(ZurSとhuldfrage))。そのヤスパ ースは 『ヴァ ン ドゥル.ンク』甲創刊号序文で 「道徳的品位 と国民 とし ての一体 的な自覚」 を喪失 させたいま,我 々がみずか

(5)

封馬 :反ナチス抵抗運動 と ドイツ戦後教育史

ら変わること」で 「再 び精神的基盤 とな るものに向か っ て歩 む こと

神 に従順 であるとい う確かな信念」 に期 待 を表明 した し28),刑死 と背中合わせの強制収容所体験 を もつオイゲ ン ・コーゴ ンもカ トリック系雑誌 『フラン クフル ター ・へ フテ』創刊号 の冒頭,「思慮 ある読者」

に宛てて 「ドイツの再生」 と 「混迷状態」か らの再起 を 呼 びか け,「罪責問題」 (戦争の罪 ・集団の罪) とナチズ ムの政治 的一歴史的省察 を主要 なテーマに論陣を張 って いる29)0

さらに 『フランクフル ター ・へ フテ』 とともに西側 ド イツを代表す る総合的学術雑誌 『ザ ンムル ンク』のばあ い, ノール もやはりその創刊号序文 に 「わが国民の再建, その文化 なかんず く新 たな教育の再建 に貢献す ること」

を謡 って い る30)。 キ リス ト教世界観政党‑CDU結成 に

《フランクフル ト諸原則》 を もって応えた前者 と対照的 に,後者 には 「政治的禁欲」の姿勢か ら 「ナチズムを教 育学の特殊 な問題 として限定的に議論す る」 とい う基本 的軸足の違 い31)があ ったにせよ,そこには戦後を 「再生」

と 「再建」 に向か う時代 と位置づ け, ナチス期 と分別す る思考の共通性が見て とれ る それは現代史 にかんす る 最初の時期区分認識 として とらえ ることがで きる。

もっとも, このよ うに 『ザ ンムル ンク』 に結集 したフ リッ トナ‑, ヴェ‑ニガ‑など精神科学的教育学派の主 要 メ ンバ ーや シュプ ランガーなどの講延 に列す る教育学 者 の思考形式,および彼 らに共通 したナチス教育への研 究的, 自己批判的な省察 の欠如 ない し暖昧 さが,戦後教 育の展開 についてナチス期 と切断 しつつ ナチス教育を背 後 に押 しこめるという, その後の 「復古的」な解釈の素 因 とな ったのであろう じじつ,ペスタロッチ (とくに その 《居間の教育》 !) など古典的教育家 たちにたいす る 「カタル シス的な役割期待」を秘 めて18,19世紀の教 育学思想 の伝統 に回帰 しよ うとす る姿勢 は,すでにア ド ルノが 『フランクフルター ・へフテ』への寄稿 (1950年) 以来終始 そのナチズムか らの逃避 を さび しく批判 したよ

うに32),50年代 までの教育研究の特徴的傾向 とな ってい 33)0

さ らに付言すれば,1950年, アデナウアー体制 に対決 しつつ,戦後初期 ドイツの精神状況を特徴づ けたデ ィル クスの 「時代 の復古的性格」 (《復古 のテーゼ》) とい う 表現 も, こうした時期区分 の認識 に もとづいて,新 たな

再生」 への転換点 とな るべ き1945年が ナチス期以前, すなわちワイマル後期‑の単 なる 「回帰」 となったとす

る戦後批判の嘱矢 にはかな らない34)

ところで,上 に見たよ うなナチス支配 に決別せん とし た同時代 の人 びとの時期区分 とは次元 を異 に し, またそ うした時期区分 に先ん じた疑問を,筆者 はいだいている。

つ ま り,戦後教育 を解釈す るにあた って, とりわけ占領 期のそれを, ことさらに非連続の相 として強調す ること がはた して適切 なのか とい う疑問があるむ しろ 《非 ナ チ化≫《再教育》政策 を もってナチス期 と占領期 ドイツ との 「断絶」を認 めるには,何 よりも現実態 との帝離 と い う点で,すでに問題があるように思 う この点で筆者 はグレシャー トと類似の認識をいだいている。 ライヒヴァ イ ンの若 い友であ ったヘルムー ト・ベ ッカーが,荊述の

論集』誌上 《教育 と教育政策≫の時期区分 にあた って, 時代の 「主 たるテーマ」が 「改革」ではな く 「ナチズム

による精神的破壊 と戦争による物質的破壊の克服」にあっ た35)と回想 しているよ うに,人 びとはまった くナチズム を客体 と して意識 し対象化す る状況 にはなか ったのであ る。

ちなみに,194510月再建 された 「ドイツ福音派教会」

(EKD)評 議会 が ナチス支配 にたいす る責任 を宣 明 した

「シュ トゥッ トガル ト罪責宣言」 に,信徒 たちが とった 拒否的な反応をは じめ,《非ナチ化≫《再教育》政策 にた いす る広汎な国民 の反発や不信,その政策 じたいの実質 的な破綻, さらに1946年以降50年代初頭 までの世論調査 に一貫 したナチズムの弁護や郷愁, こうした事実 は, こ れまでの諸研究が指摘 しているところである36)。他面,

この ことは本来 ヒ トラー ・レジームが一掃 されたはずの 占領期 をつ うじて,抵抗運動 なかんず くクライザウ ・グ ループにいう自省 と購罪意識 に もとづ く 《精神的覚醒》

の 目標がいまだはど遠 く,政治意識の次元 においてよう や くに して課題性を帯 びるよ うにな ったことを表 してい

したが ってナチス支配 の 《過去≫ と対峠 しナチズムを 否定す ることは, いまだ初発の政治教育および歴史教育 における国民啓蒙の思想 レベルで期待 され るに留 まって いた。軍政府 に後押 しされた 「承認雑誌37)は, そ うし た政治的教養 と歴史認識へ ドイツ国民 をいざな う前衛の 役割 を演 じていたのである この文脈か らすれば 「承認 雑誌」 の存在 じたいが, は じめに指摘 した歴史事象 にお ける連続性 と非連続性 との 《交差》の象徴 として理解 さ れねばな らない。

こうした事態 について,あ らためて反 ナチスの政治的 抵抗運動 を介在 させて見 るな らば, ナチス期 とくに戦中 期 と戦後 占領期 との間 に相反す る二重の意味での連続性 が,すなわちナチズム精神の存続 とその克服の意志 とい う二重の意味での連続性が指摘で きるように思 う。 それ は端的には 《変化のなかの連続性》 と表現で きるのでは ないか。 もっとも, この ことは,初期 占領体制下 におい て抵抗運動思想がいかなる形で賦活 し作用 したかの検討 をまって,はじめて具体性を帯びることになるであろう

‑55‑

(6)

Ⅱ 教会 ・キ リス ト教教育 ・家庭

1 戦後社会の 《再 キ リス ト教化≫ 一 戦時下抵抗運 動 との連続性

教会闘争を闘いぬいた福音派教会(‑告白教会)とカ トリッ ク派教会が唯一均制化 されなかった機関 として, したが っ て ヒ トラー ・レジームに参加 しなか った機 関 と して の

「抵抗 の功績」 を もって38), 国内的 に も対外的 に も占領 下 ドイツの指導的地位 を保持 したことは, よ く指摘 され るところである戦争 とナチス崩壊 によ って生 じた政治 社会文化的な制度全般の一時的な空白と虚脱の状態にあっ て,教会 はその無傷 に残 った組織 をっ うじて以前 にま し て,青少年教育問題を包摂 した公的諸課題 に取 り組 む こ とにな ったのである だが,それを各国軍政部 の教会優 遇策

(

‑不介入の原則) によって,教会が戦後秩序 の再建 に影響力 を行使 しうる立場 に押 し上 げ られたためだけだ と見 るのは適切ではない。む しろ教会 自身がその ことを, 占領国を相手 にすすんで とり行 うべ き使命 と認識 してい た ことが重要 なので あ る 福音派教会 内 に少 なか らぬ

「ドイツ的キ リス ト者」 の確信的なナチス党員 を抱 えな が らも,バイエル γ州教会監督ハ ンス ・マイザ‑が早 く も終戦前 の1945122日,州管内牧師宛 の回状で 「 会の時代が去 ったので はな く,新 たに到来 したのだ」 と 記すの も39),そ うした強烈 な使命感 を表す ものであろう。

一方,みずか らを第三帝国にたいす る 「信仰闘争 ・世 界観闘争 の勝者」 と見倣 し,ナチズムにたいす る 「精神 的反対勢力の代表者」 と位置づ けるカ トリック教徒 ・教 40)に して、も , 同様 の認識 があ る とい うよ り,福音 派牧師に比べてナチス党員数の占める比率が ごく僅かな カ トリック派聖職者41)の指導者 たちにすれば, よ りい っ そ う彼 らの担 う役割の認識 と 「教会の時代」到来への期 待があ ったはずである

げんに,戦争末期 にすでに現われ,終戦以降に顕著 と なった信徒 の教会回帰の傾向が, そのよ うな期待 を高 め ていた。 ちなみに福音派 のばあい,ナチス期の官製教会 脱会運動 による脱会者 は130万人 とされ るが,人 びとが ナチズムの残 した精神的空 自と絶対的な窮乏化 の癒 しと 物的救援 を教会 に求めた ことと相侯 って,1945年 には西 側 占領区では約47千 名,翌年75千名の教会加入 者を数 え る42)。 つま り̲終戦後 の ドイツには,かつての公 然 た る反教会 ・反教権主義 に代わ って 「宗教 の春」 (K.

プレッシング)43)の ミリュ‑が充溢 していた。抑圧 された 根強い宗教的伝統が一挙 に廻 ったのである。19458月, ベル リン連合国管理理事会 の承認 (ポツダム協定第10

宗教的施設の尊重)の下, ヘ ッセ ン州 トライザでの福音 派教会指導者の会合 をっ うじて,教会政策 ははば平穏 の うちにワイマルの路線 に回帰 し‑ ドイ ツ福音派教会の成

立‑,「政治 に先立っ統合の勢力」 と して教会 の地位保 障は, ワイマル体制発足時の抗争 とは対照的に, もはや 政治問題 とはな らなか った44)。 ここに教会が国政 の分野 に進出 し,旧中央党 に代わ る新 たなキ リス ト教世界観政 党 との連帯 とい う 「政治的本質 を もつ立場」 を も引 き受 ける出発点がある45)

両大教会が唱導す る戟後社会の 《再キ リス ト教化≫ は, このよ うな状況のなかで生 じた新 たな動静 なのである。

しか も西側 占領国, なかで もアメ リカにおいては,1945

年 を境 に対ナチス勝利 に裏づ け られた 「キ リス ト教的西 欧」 の価値の強化 ・信仰覚醒 の運動が高揚 し, エキュメ ニズム (〒超教派の教会再統一運動) を介 して ドイ ツのそ れを支援 していた とい う事情がある46)。 かか る事情 をふ まえ, ドイツ福音派教会評議会議長 テオフィール ・ゲル ムの もと,ハ ンス ・マイザ‑,オ ッ トー ・ディベ リウス, マルチ ン ・ニーメラーなど教会代表者 たちによ って開催 された トライザの会合では, 「教会 の公共的生活 にたい す る責任」をテーマに,俗人 を 「世俗主義」か ら護 り, 国家 と社会 において 「キ リス ト教的な生活秩序」 を実現 すべ きことが謡われている47)。 これに続 いて同年1018

日,各国エキュメニズム代表団を前 に した シュ トゥッ ト ガル ト会議の挨拶で も, ドイツ福音派教会の代表 ゲルム (彼は一貫 してエキュメニズムの推進者であった)は,「購罪 し罪責 を認める用意」 について語 りなが ら, あ らためて

「ヨーロ ッパ世界 の再 キ リス ト教化 のための偉大 な時 は 過 ぎ去 ってはいないのではないか?」と問い,教会の負

うべ き 「国民の新 たな教育」への協力を訴える48)0

同様 に1945823日,戦後初の ドイツ ・カ トリック 派司教会議 (フルダ開催)の合同教書 は宣告す る

純粋 な現世主義の時代 は崩壊 し, あとに残 ったのは巨大 な廃 虚である。 こうした廃虚 を取 り除 き悔 い改め,我 々の神 の信仰 に立 ち戻 ろ う」49)o また194716日, ヒルデ スハイム司教 マ ッヘ ンスの四旬節司教教書 もこう説 いて いる

「世俗化 の恐ろ しい祝福 を我 々は体験 した。 こう

したどん底の不幸がなぜ起 こったかを見通す全ての人 び ととともに,国民 に厚 い信仰心 を根づかせ る手だてを探 そ うで はな.いか」50)。 ここで は,宗教改革時 に淵源 を も つ長期 にわた る世俗化 の終着点 をナチズムによ る破局

(脱 キ リス ト教化の悪魔的な暴力」51))であると見倣 し, キ リス ト教信仰への回帰 と教会活動 の復権が宣言 されて いる

こうした両宗派教会が共有す る主張 は, 巨視的 に見れ ,19世紀中葉産業化 のなかでの 《反世俗主義闘争≫ た とえば福音派牧 師 ヴィッヘル ンの 「国内伝道」(Innere Mission)やカ トリック派 のケテラー司教 の 「キ リス ト教

による労働者救済」 の教説,および一連の教皇回勅をつ うじて,連綿 と続 く反社会主義 の宗教倫理的な トポスで

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