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反 ナチス抵抗運動 と教育史研究の課題

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秋 田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 56pp.43‑49 2001

反 ナチス抵抗運動 と教育史研究の課題

封 馬 達 雄

ZurErforschungderBildungsgeschichtedberden WiderstandgegendenNationalsozialismus

TatsuoTsusHIMA

は じめに

本稿 は研究 の厳密な位置づけか らすれば, 「覚書」 と しての意味を もつ ものである。筆者が これまでの所論(1) でその性格や紙幅の制約上,言及 しえないでいた論点 に ついて述べよ うとす るものだか らである これにはつ ぎ のような意図がある

その‑ は, くナチズムと教育) という研究領域 にかか わ って新 たに浮上 した論点を整理するということである

「ドイツ教会闘争」を中心 に した反 ナチスの抵抗運動 は 戦後 ドイツの歴史学研究が一貫 して とりくんで きた固有 のテーマである またハ ンス ・ショル, イ ンゲ ・ショル 兄妹の悲劇的活動 にまつわる 「白バ ラ」運動 は,戦後 ド イツの政治教育 ・歴史教育の好個の題材 となってきた。

近年, いわゆる民衆 の (日常史)研究が盛んになるなか 抵抗運動の対象領域 も拡大 している。 日常生活 というい わば ミクロ的現象の解明をっ うじてナチス統治の現実態, つまり民衆の複雑多様な適応行動か ら反ナチス的行動 ま で も発掘 され るか らである もとよりそこには教育的 日 常 の世界 もとりこまざるをえない。だが1980年代以降本 格化 したナチズムにかかわる教育研究では, いまだ抵抗 運動 じたいを視野 に包摂 した成果 はいぜん としてきわめ て限定 されている しか し (日常史)を承 けた ドイツ史 研究の 「学校 ・家庭」分野への積極的な乗 り入れという 状況 において は,抵抗運動 はもはや無視 Lがたい境界領 域 とな ってお り, これを教育研究ない し教育史研究の観 点か らも,整理すべ きである

その二 は, このこととかかわ って,抵抗運動の思想 と 活動 を媒介 させて, ドイツ戦後教育史をより具体的に究 明す る必要があるということである これまで, 占領下 には じまる公教育の再構築をふ くめ,戦後教育の展開過 程 には解明され るべ き問題領域が数多 く残 されている。

た しかにこれには,戦後教育 にかんす る検討が概説的記

述をのぞけば,いまだ絶対的に少 ないとい う事実が要因 としてはた らいている じっさい,本格的な戦後研究 は 1990年以降,‑ノーファー大学のM.‑イネマ ン教授 グ ループによる,英米仏 ソ四カ国の占領体制下の高等教育 制度 にかんする一連の研究(2)を もってようや く開始 され たといって も過言ではない。

だがそれだけではない。何 よりもナチス体制 ・ナチズ ム教育の崩壊 という事実を もって,戦後史 との 「断絶」

杏,つまり194558日を 「解放」ない し 「新 しい出 」(3)として強調するあまり, 思想的底流 にお ける 「連 続」 という事象に冷静 に着眼す る視点が とくに教育研究 に欠如 してきたことにも,その原因がある。 これを教育 学思想 という側面か らみれば, E.ク リー クやA.ポイ ムラーなどの周縁的人物を もってナチズム教育 とその特 徴を説明す ることで,ナチス体制の12年間を封印 しっづ けたということになるであろう。その背景 には,W. リッ トナ‑,Th.リッ ト,H.ノール, とりわけ E.シュ プランガーに代表 される伝統的な (精神科学派) につ ら なる教育学者が主流を占めた戦後 ドイツ教育学の世界に おいて,彼 ら自身の対 ナチズム姿勢を も問 うこの検討作 業が,一種苦痛をともな う問題領域 となっていた ことも あろう(4)0

だが時代区分 としての1945年を 「断絶」 と 「連続」両 面か らとらえて, はじめて ドイツ戦後教育の展開過程 も 説明で きるはずである。

ナチス体制を切 り裂いて浮上す る抵抗運動の思想 と活 動を明 らかにす ることは, この 「連続」の視点 ともむす びついている。 従来 の歴史叙述 には往 々 (非 ナチ化) (再教育)政策にはじまる戦後教育 の路線を直裁 にワイ マル改革期教育への回帰 にとどめ るとい ったあ る種 の

歯がゆさ」がつ きまとって きた。だが, 抵抗運動 を媒 介す ることによって, 占領期以降 ドイツ公教育の思想的 底流 は奈辺 にあったのか とい う基本的な問いに立 ち向か

うこともで きる。 とくに90年代 マール プル ク大学 のW.

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秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 第56

クラフキ ィ教授 の もとで, よ うや く抵抗問題を包摂す る ナチズム教育 を検討す る必要性が強調 され るようにな っ た ことについて も, こうした文脈のなかで とらえるべ き であろう。

したが って,反 ナチスの抵抗運動を教育史の領域 とし て位置づ け, その研究上 の意味を問い,今後の課題を抽 出す ることは, きわめて重要である このよ うな考えに よ りなが ら,以下,抵抗運動 はこれまで 「教育」の問題 領域 として どのよ うに位置づ け られ, またその研究状況 はどうな っているのか, さ らにいかに教育史研究の論点 とすべ きなのか, これ らについて言及 しよう

抵抗運動 と教育史の叙述

1)「ドイツ抵抗記念館」の整備拡充 と抵抗運 動研 究の ひろが リ

ベル リン市, テ ィア ・ガルテ ンそば官庁街 のベ ン ドラ ー街区の一角 に,現在 の 「ドイツ抵抗記念館」(Gedenk‑

st畠tteDeutscherWiderstand)につ らな る記念 の礎石 が置かれたのは,1952720日である。それはヒトラー 暗殺未遂事件 として知 られ る「720日事件」 の首謀者

たちの遺族 の発議 によるものであ った。1955年同月 日に はベ ン ドラー街区 は首謀者 の一人 シュタウフェンベルク 大佐の名を冠 して シュタウフェンベルク通 りと改められ, 以後彼の執務室 をふ くむ建物 じたいがベル リン市当局の 後援 と抵抗運動 の生 き残 りの人 びとの運動 によ り,反 ナ チズム抵抗運動 の記念館および見学者向けの学習施設 と して整備 されてい く。1968720日,建物二階の三室 をあてて,「720日事件」 の関係資料 を中心 に常設展 示がお こなわれ るよ うにな ったことを皮切 りに,1980 には建物内部 と首謀者 たちが処刑 された中庭が 「栄誉庭」

として改装 され, またその拡充計画 も連邦政府 によって 積極的に後押 しされてい く。1983年,のちに連邦共和国 大統領 となるベル リン市長 リヒャル ト・フォン ・ヴァイ ツェ ッカーの依頼 によ り,当時パ ッサ ウ大学歴史学教授 (現 ベル リン自由大学歴史学教授) ベー ター ・シュ タイ ンバ ッハ とシュ トゥッ トガル トの造形 デザイ ン教授‑ ン ス ・ベーター ・ホ ッホの もとで, ドイツの抵抗運動すべ てを網羅 した包括的な記録資料の収集 とその常設展示の 作業がすすめ られた。1986720日には新展示の一部 公開,1989719日に, よ うや くテーマ別26分野,反 ナチズムの抵抗運動 にかかわ った人 びと個 々人, グルー プ,組織 などの動機,行動, 目的 にかんす る5,000点以 上 の画像 と資料が公開展示 され,今 日にいた っている(5)0

こうした 「ドイツ抵抗記念館」 の整備充実が, ナチズ ムの暴虐 を象徴す る強制収容所, たとえばそのモデル施 設 となる ミュ ンヘ ン郊外 「グ ッ‑ ウ強制収容所」 の博物

館 としての保存 (この種の施設 は国内各地 に点在す る), および 「抵抗記念 の日」 (‑720日) の創設 とともに, それ じたい政治的意図をふ くんでいることは明 らかであ つ まり中央 ヨーロッパに位置す る ドイツ (旧西 ドイ ツ) にとって (過去》 を清算 し近隣諸国 との新 たな信頼 関係 を築 こうとす るとき,国家的 レベルで麿罪 とナチズ ム否定 の姿勢 を明示す る必要があ った。同時 にまたナチ ス・ドイツとは異 なる 「もうひとつの ドイ ツ」 の例証 と して抵抗運動を位置づけ ドイツ国民への政治教育 の場 た らしめ るね らい もあった。その意味ではヴァイツェッカー 元大統領の,かの有名 な198558日の連邦議会 にお ける終戦40周年記念演説 (いわゆる 「荒れ野 の40」(6)) は, そ うした意図にもとづ く政治教育 の典型例 とみ るこ ともで きる

この点で,終戦直後 〈非 ナチ化》政策を徹底 させた と はいえ,共産主義‑KPDのみが反 ナチズム抵抗 の正 当 性 をにない, その建国 じたいを もナチズムの克服 の帰結 とす る (したが ってまた独裁制 とい う 〈過去》 との対時 を怠 って きた)旧東 ドイツの立場 とは,対照をな して き た とい ってよい。

ところで上述 のような 「抵抗記念館」 の展示領域 の拡 大 は,抵抗運動 にかかわ る歴史学研究の動静 と軌 を一 に している。抵抗運動研究を紹介整理するには,その文献 ・ 資料があまりに膨大であ って, とうてい個人の手でな し うるところではない 。 ちなみに1995年 の 『ナチズム研究 文献 目録(7)は1945年か ら1994年末 までの独 ・英 ・仏語 のナチズム研究文献20,298点 を収録 しているが, 抵抗運 動関連 の文献 は2,959点 とな って い る くわえて最近6 年間のあいだに も多 くの研究成果が蓄積 されているので ある。

ただ し, ドイツ人の抵抗運動 にかんす る最初 の学的, 包括的な研究書 としては, ほぼ一致 してハ ンス ・ロー ト

フェルスの 『ヒ トラーにたいす る ドイ ツ人 の反対‑ひと

つの評価‑』 (HansRothfels:DiedeutscheOpposition gegenHitler‑EineWtirdigung,Krefeld1949.原 本

はシカ ゴ大学での講演 にもとづ く英語版)(8)が挙 げ られ るだろ う改訂,増補を重ね今 日もひろ く読 まれている 本書が叙述 の対象 としているのは,教会闘争,国防軍 の クーデ ター計画, ゲルデ ラー ・グループ, クライザ ウ ・ グループ, それに社会主義的労働運動指導者 たちの思想 と行動である た しかにこれ らが抵抗運動 を構成 した主 たる領域 ・グループではあることに異論 はな いよ うに思

う 。

だが,1968年 の学生運動を経 たいわゆる 68年世代》

の研究者 たちの もとで,都市,地方 ・地域 における日常 生活 レベルでのナチス支配 の実態 を究 明 しよ うとい う

(日常史)研究が大 きな潮流 となるなかで, 「抵抗」 概

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封馬 :反ナチス抵抗運動 と教育史研究の課題

念 に も広が りがみ られ るよ うにな った。 これを端的にあ らわすのはデ トレフ ・ポイケル トの,反 ナチス活動 の段 階的な四類型化である.すなわ ち (1)「ノ ンコ ンフォー ミズム」 (個 々の きま りを侵 すが全体 を問題 に しな い

非協力)(2)拒否」 (当局 の指示 に反 し, た とえば ヒ トラー ・ユーゲ ン トへ の加入 を拒否 す る)(3)「抗議」

(体制 を一般的には拒否 しつつ,個 々の措置 に明確 に反 対す る‑ た とえば 「安楽死作戦」 に反対す る教会のキ ャ

ンペー ン)(4)政治的抵抗」 (体制全体 を拒否 し, さ ら に体制 の転覆 を準備す る)(9)0

こうした学界の動向を承 けて抵抗運動 の枠組み と領域 が拡大 され,「抵抗記念館」 のテーマ別26分野 も構成 さ れている。 た とえば,女性 の反対行動を も含 めた 「自由 主義 ・保守主義 の立場か らの抵抗」,勤労青少年 グループ を対象 に した 「青少年 の抗議」 (「ェ‑デルヴァイス海賊 団」 など), その実体が不明であ った 「‑ルナックとシュ ルツェ‑ポイゼ ン組織」 (赤 い楽団), ソ連軍 の捕虜士 官 たちの 「国民委員会 (自由 ドイツ)」,「ユダヤ人の抵 抗」,共産主義者 ・社会民主主義者 た ちによ る 「労 働者 の抵抗」 などである。

こうした構成 は網羅的,包括的な 「抵抗」を理解す る うえでは もとよ り必要ではあるが,狭義の 「抵抗」概念 た とえば上記 の(3)(4)における反 ナチス行動 の理念 的方 向性 がやや もすれば背後 にかすむ とい う性格を もあわせ

もっている(10)0

現在 「抵抗記念館」 の学術責任者 シュタイ ンバ ッ‑ と 同館長 ヨ‑ ネス ・トゥッヘル博士 を中心 に,抵抗運動 に かんす る研究書や資料集 をは じめ,同館独 自の出版活動 も活発 にお こなわれている(ll)。 なお両氏 によってベル リ ンの壁崩壊 にいた る旧東独国内の 「民主化闘争」 に焦点 づ けた 「抵抗」研究が新 たに上梓 された ことは(12),統一 10年 を経 た旧東独への評価をあ らわす とい う意味で も興 味深 い。

わが国のばあい,比較的長 い研究 の歴史を もつ教会闘 争関係の著作 ・訳書 をのぞ くと,東京大学社会科学研究 所編 『ファシズム期の国家 と社会』 (東大 出版会 1980 年)以降,包括的に政治的抵抗運動 を紹介 した単著 とし て中井 昌夫 『ヒ トラー時代の抵抗運動』 (毎 日選書1982 年),山下公子 『ヒ トラー暗殺計画 と抵抗運動』 (講談社 選書1997年)が挙 げ られ る。 とくに後者 は上述の研究動 静 をふ まえ研究蓄積 をか さねた論著 となっている

では以上 のよ うな抵抗運動研究が教育研究 とくに教育 史 の叙述 にどのよ うな影響 をあたえ, またそれが位置づ

け られているかをみよ う。

2)教育史のなかの抵抗運動

「ナチズムと教育」 のテーマが旧西 ドイツにおいて,

‑ ンス ・ヨッへ ン ・ガム(13)な どご く少数 の研究者 たち の域 を こえて,教育研究 として本格的にとりくまれ るよ うにな ったのは1980年代以降である。 「ドイ ツ教育史学 」(HistorischeKommissionderDeutschenGesel1 schaftforErziehungswissenschaft)によ る 『第三帝 国 の教 育 と訓 練(M.Heinemann‑Hrsg∴ Erziehung und Schulung im Dritten Reich,2 Bde.Stuttgart 1980)の刊行 には じま り, 『教育学雑誌』 (Zeitschrift forPadagogik)や 『ノイ エ ・ザ ム ル ン ク(Neue Sammlung),教育学展望』(P畠dgogischeRundschau) など著名な学術誌 に, ナチズム教育関係 の論文が掲載 さ れは じめ, さらにナチズム教育 の 「特集」が組 まれ るよ うにな っている それは1986年春 の 「ドイツ教育学会」

‑イデルベルク大会で も研究討議 のテーマとされている。

ただ し, こうしたナチズム教育への着 目には, たとえば ウル リッヒ・ヘルマ ンやユルゲ ン ・エル カ‑ ス らの研 (14)が示すように,「改革教育」 の延長線上 で の問題 関 心っま り多様 な教育改造思想 の束か らなる 「改革教育」

の帰趨如何 とい う問題関心がみて とれ る デ ィータ一 ・ ランゲヴィ‑シェ (テ ゥー ビンゲ ン大学) とハ イ ンツ ・ エルマー ・テノール ト (フランクフル ト大学) の共同編 集 によ る 『ドイ ツ教育史 ‑ ン ドブ ック一第5 1918 1945』 (DieterLangewiesche/HeinzElmarTenorth

Hrsg.:HandbuchderdeutschenBildungsgeschichte, Bd.V 1918‑1945.Mtinchen1989)に は, 分 野 ごとの 研究概説 と詳細 な文献一覧が付 されているか ら, ここで はその具体的,個別的な内容を再述することは避 けよう。

ただ旧来の教育学思想 ・学校教育 ・教育政策 の領域だけ でな く,「家族」「青年」「メデ ィア」 の領域 で の研究概 説が加わ り, また ヒ トラー ・ユーゲ ン トと連動 した 「 会教育」問題が ポイケル トによって執筆担当 されている

ことに, 《日常史》研究のイ ンパ ク トがみ られ る

しか し, この 『ハ ン ドブック』 ではいまだ抵抗運動 を それ自体 として取 りあげるにはいた っていない。わずか に抵抗者 としてのア ドルフ ・ライ ヒヴァイ ンの名が二度 ごく紹介的に記 され るにとどまっている。

一方,上記のテーマの扱 いを同時期の旧東 ドイツのい わば官定 の教育史書 と目され るカール ・‑ イ ンツ ・ギュ ンタ‑を責任編集者 とす る 『教育史 (14版)』 (Kar1 HeinzGtintheru.a.lHrsg::GeschichtederErziehung, 1987)についてみ ると,初版 (1956年 ) 以来, 一貫 し て ヴィル‑ルム ・ピーク (旧東 ドイツ初代大統領) をは じめとす るKPD指導下 の反 ファシズム勢力 の闘争, と くにKPD党員テオ ドール ・ノイバ ウア‑, 同教 師 マル チ ン ・シュヴァンテス, それに 「社会民主主義者ライ ヒヴァイ ンらの反 ナチス闘争が,建国理念の正 当化 の見 地か ら叙述 されている またギュンタ‑はか編纂の 『

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秋 田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 56

青 史 資 料 (第8版)』 (QuellenzurGeschichteder Erzieung,1978)のばあい, ピークをは じめKPD党員 教師の 「言説」や 「国民委員会 〈自由 ドイツ」の 「 ファシズムの教育宣言」が収録 されている したが って 抵抗運動 を教育史 の叙述 にふ くめ,それに一定の地歩を あたえたのは旧東 ドイツにおいてであ った。

90年代以降,統一 ドイツにおいてよ うや く教育史の一 領域 として抵抗運動が加え られ るようにな った。 たとえ ば 「文化史資料集」 の第22巻 として刊行 された 『国家 と 社 会 のなか の学 校‑ 19‑20世紀の ドイツ学校史資料‑ 』

(B.Michael/H.H.Schepp:Die Schulein Staatund Gesellschaft.Dokumente zur deutschen Schu1 geschichteim 19.und 20.Jahrhundert,G6ttingen 1993)は,「6 ナチス体制下の国家 ・社会 ・学校」

の 「3 抵抗運動 の文書」 として 1944720 の蜂起」 と 「クライザ ウ ・グループの計画」 を, ナチズ ムにたいす る 「良心 の蜂起」 として収録 している。管見 によれば,本書 は通史的見地か らの資料編纂 としては最 初 の ものである こうした近年 の研究動 向を,「1945 か ら現代 まで」 を対象にしたクリス トフ ・フエール,カー ル ・ルー トヴィッヒ ・フル ク共同編集 『ドイツ教育史‑

ン ドブック一第6』 (ChristophF也hr/CarlLudwig Furck‑Hrsg.:Handbuch der deutschen Bildungs geschichte,Bd.VI,1945biszurGegenwart,Mdnchen 1998)についてみ ると,第一分冊 「ドイ ツ連邦共和 国 篇」 によ うや く 「第三帝国 における教会 と抵抗運動」 の 項 目が1ペー ジ余 り割かれ,「教会闘争」 の存在 が解説 されている。 しか しそれ と戦後学校教育 との連関 はいま だ触れ られていない。

む しろ ヒ トラー ・ユ ーゲ ン トに焦点 をあて, それ に

反抗」 (広義 において 「抵抗)す る青少年 の問題 と く に 「エーデルヴァイス海賊団」や 「スウィング」 など, 前述 の 日常史 の研究を承 けた, ナチズム教育の実態 にか んす る研究成果がわが国で もみ られ ることが,注 目され よ う た とえば竹中輝雄 『ェーデル ヴァイス海賊団‑ ナ チズム下 の反抗少年 グループ』 (勤草書房 1998)(15), 原 田一美 『ナチ独裁下 の子 どもたち‑ ヒ トラー ・ユーゲ ン ト体制』 (講談社選書 1999年) などである。 しか し, これ らの著作 はナチズム教育 の実態究明 とい う叙述の性 格上,抵抗運動 の 「理念的方向性」 までを見据えた もの

とはな っていない。

したが って,戦後教育 に架橋す る 《ナチズム ・抵抗運 動 ・教育》 とい うテーマは,現代教育史の領域では, い まだ研究蓄積 の乏 しい周縁的な領域である以下 に述べ るよ うに, む しろこのテーマは基本的に個人研究, とり わけ 「ライ ヒヴァイ ン研究」 とい う枠内にとどまってい るといってよいであろ う

抵抗運動のなかのライ ヒヴァインと 「クライザウ ・ グループ」 について

1) ライ ヒヴ ァイ ン研究の意味

反 ナチスの政治的抵抗者 としてア ドル フ ・ライ ヒヴァ イ ン(1898‑1944)は,抵抗運動研究の ごく初期 の時点 か ら周知の存在であ り,抵抗記念館」 の展 示 で も特筆 すべ き対象 とな っている彼が1933年 ナチスによ りハ レ 教育大学教授 の地位を追 われ,7年間ベル リン近傍 の街 村 テ ィーフェンゼーの学校教師 として活動 した校舎の外 壁 には,彼の事績を顕彰す るプ レー トが据え られ,近 く を交叉す る道路 に も 「ライ ヒヴァイ ン通 り」 とい う名称 が冠 されている またテ ィーフェンゼーでの彼の実践記 録 『創 作す る生徒 たち (Schaffendes Schulvolk)』

(1937年) は, いまなお教育系大学生 が接 すべ き歴史 的 文献 として位置づけ られている。

だが1970年代 までは,その全体的な活動 と思想 はジェー ムズ ・ヘ ンダーソンの 『ライ ヒヴァイ ン伝』 (JamesL.

Henderson:AdolfReichwein.Einepolitisch‑padag0‑

gischeBiographie,Stuttgart1958)によ って知 る は かな く, ほとん ど未解明のままであ った. フーバーとク レブスを中心 に研究者14名 による共同研究 『ア ドル フ ・ ライ ヒヴァイ ン18981944』(W.Huber/A.KrebsHrsg. :AdolfReichwein1898‑1944,Paderborn1981)は, その全体像 にせまる最初 の本格的な研究成果である 然の ことなが ら,従来 日本では無名の存在であ ったが,

世界新教育運動選書 シ リーズ」 の一巻 としてライヒヴァ イ ン, クラッ ト/長尾十三二W.ウィルへルム訳 『自 己形成の教育』 (明治図書1989年)が刊行 され, よ うや

くその存在が紹介 され るよ うにな った。

その後, マールプルク大学 に博士論文 として提 出され たアムル ンクの大著 『ア ドル フ ・ライ ヒヴァイ ン 1898 1944‑ 政治的教 育 家 ・民 俗学 者 ・反 ナ チ ス抵 抗 者 の生 涯‑』

(Ulrich Amlung:AdolfReichwein 1898‑1944.Ein Lebensbild des politischen Padagogen, Volks kundlersundWiderstandsk畠mpfers,2Bde.Frank‑

furta.M.1991)が上梓 され, ときあたか も 《歴史 家論 争》の時期 にあ った こともあ り,大 きな反響を呼んだ(16)

そ うしたなか教育学界で も彼の思想 と行動 に関心がよせ られ,現在 まで少 なか らぬ論文 ・著作 が出 されて い る

それは一つにはライ ヒヴ ァイ ンの未亡人 ローゼマ リーや 長男 ロー ラン トを中心 に した, ライ ヒヴァイ ンにかんす る回想録や書簡 ・資料集 であ り, もう⊥つ はワイマル期 の教育運動 ・改革者 としての活動, テ ィーフェンゼ‑農 村学校の教育実践, さらにクライザ ウ ・グループでの反 ナチスの政治的抵抗者 と しての思想 と活動 に焦点づ ける 研究か らなる(17)

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封馬 :反ナチス抵抗運動と教育史研究の課題

筆者 の これ まで の論考(18)お よび ア ムル ンクの著 作 に かんす る訳業 は, こうした研究動向 と軌 を一 に してお こ なわれて きた ものである

以上 のよ うな ライ ヒヴ ァイ ン研究 を抵抗運動 とのかか わ りで意味づけるとすれば,彼の思想 と行動 とくにティー フェ ンゼ‑農村学校 をナチス体制 のなかで 「教育の孤島」

た らしめた実践 とその思想 (教育的抵抗)が, ナチズ ム教育 に吸収 されえない 「改革教育」理念 の,戦後教育 に継承すべ き遺産 とな っていること,多様 な思想潮流か らな る政治的抵抗運動 を貫徹す る固有 の 「人間形成論」

いわば 「抵抗 の教育学」 を表現 してい るとい うことであ る。 そ こには, テオ ドア ・ア ドル ノが 『アウシュヴィッ ツ以後 の教育 (ErziehungmachAuschwitz)』(1966年) において提起 した 「アウシュヴィッツを二度 と くり返 し て ほな らない とい う教育 の至上命題「自律への教育」

要求 にたいす る明確 な応答がある。 また ここに抵抗運動 研究 に占め るライ ヒヴ ァイ ンの独 自の存在意義 がある。

この ことはさ らに,彼が主要 メ ンバ ーともな った クラ イザ ウ ・グループをいかに とらえ るか とい う問題 に も連 動 している

2)「クライザ ウ ・グループ」 の教育計画 について 法律家 のモル トケ, ヨル ク両者 を中心 に主要 メ ンバー 20名か らな るクライザ ウ ・グループが抵抗運動研究 にお いて終始注 目を集 めて きた ことは,上記 の ロー トフェル スの叙述 に も明 らかである じっさい, グループ ・メ ン バ ーが終戦直後 か らそ の存在 と活動 の内容 を秘 匿資料 (「クライザ ウ文書)をふ くめて公表 し(19), またモル ト ケの獄 中書簡 『最後 の書簡』(HelmuthJamesGrafYon Moltke1907‑1945.LetzteBriefeausdem Gefangnis Tegel,Berlin1951)が抵抗運動 の 「良心」 を如実 に示 す文書 と して人 口に胎灸 し, クライザ ウの存在 を クロー ズア ップさせた こと, さ らにベー タース, ガプ レンツ, シュテル ツ ァー, ルカシェク, ゲルステ ンマイア‑など の生 き残 りメ ンバ ーが戦後 ドイツの学界や政界で幅広 く 活躍 した こと(20), こうした経緯 もあ って クライザ ウは, 政治的抵抗 グループの代表的存在 とな っている じっさ い,「抵抗記念館」 の第15展示室 「ク ライザ ウ ・グル ー プ」 とそれ につ らな る展示室 は,資料的整備がすすんだ こともあ り, その全体像 を知 るうえで もっとも充実 した 内容 とな っている

ところで, クライザ ウについて単 な る活動紹介 の域 を こえた,画期 的な研究成果 と衆 目一致す る著作に,ヘル ・ ファン ・ロー ンの 『反 ナチス抵抗 の新 秩序‑ ドイツ抵抗 運動 のなかの クライザウ ・グループ』 (Gervan Room:

Neuordnungim Widerstand‑ DerKreisauerKreis innerhalb der deutschen Widerstandsbewegung,

M也nchen1967)があ る. 本書 は グル ー プの 「思想 的 源泉「メ ンバ ー構成」 (ここで はまだガ プ レンツは除外 されている)「他 の グループとの連携 をふ くむ活動「グ ループと諸外国 との コンタク ト「グル ー プの構想」 そ れ に大部 の 「資料集か らな り,本書 の刊行 によ って, クライザ ウ研究が大 き く前進す る契機 ともな った。 ここ で ロー ン以後 の個 々の研究 を紹介論評 す ることは避 け, と くに資料 について挙 げよ う。 それ は,1966年 ガプ レン ツの秘匿文書か らライ ヒヴ ァイ ン起草 の討議資料 『教育 の思想』 およびモル トケの 『補遺』 などが発見 された こ (21),1971年 メ ンバーの一員イエズス会修道士 口タール ・ ケ一二 ヒがナチス追及 をのがれ秘匿 していた彼 の遺品か らクライザ ウの 「討議文書」 が発見 され, それが1987 にプライ シュタイ ンの厳密 な校訂 に もとづ く 『クライザ ウ ・グ ル ー プ 文 書 (R.Bleistein‑Hrsg.‑:Dossier‑

KreisauerKreis.Dokumente ausden Widerstand gegendenNationalsozialismus,Frankfurta.M.1987) と して公刊 された ことである この資料集 は, グループ 1942年か ら43年 にか けてモル トケの所領地 シュ レー ジ エ ンの クライザ ウ (グループ名 の由来) で開催 した3 の全体会議 の討議資料 をふ くむ貴重 な文書 となっている

ライ ヒヴァイ ン研究 において明 らかにされているクライ ザ ウでの活動資料やその他 のメ ンバ ーにかんす る資料 が 刊行 されていることと相 まって,今後 さらにクライザウ ・

グループ研究 の拡大 と深化が期待で きる

そ こで, クライザ ウにかんす る研究 の意味 について述 べ ることに しよ う ライ ヒヴァイ ンが グループの戦後教 育計画を主導 した とい うライ ヒヴ ァイ ン研究 の一環 と し ての意義 は, ここで はさてお く まず この グループが着 目され るのは, 左右両 翼 の政 治 的抵抗 運動 グル ー プの

大連合」 をめざ した 「市民的な」 抵抗 グル ー プの代 表 的存在であ り,明確 にナチズムへの 「対案」 を提示 した ことにある。 そ こでの思考 の系統性 と密度 は他 の抵抗 グ ループに類例がない。「対案」 は ドイ ツ再 生 にむ けた, 新国家体制,新経済秩序,外交政策,国際経済秩序,戟 争犯罪 の処罰等 々の包括的な構想 であるが, その前提 に は ドイツ国民 の 「精神的刷新」 (モル トケの い う 「精神 の覚醒」)があ り,必然的 に 「人間形 成」 の テ ーマへ の 取 り組みがある そ こにはナチス体制下 での学校 と家庭 の崩壊, よ り根本的 には大衆化社会 における 「人間存在」

への危機意識 と,「キ リス ト教的 ・ヨー ロ ッパ 的文 化伝 統」への回帰 ・キ リス ト教理念 の復興 とい う基本的な課 題意識が貫流 している。

この 「世俗化」 にたいす る問いなお しは, ナチスの苛 烈 な宗教弾圧政策 と政治的抵抗運動 のなかか ら浮上 した。

「キ リス ト教 の復権」 は単 に教会闘争 の テー マで あ った ので はない。19世紀近代 の潮流 の延長上 にと らえ られた

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(6)

秋田大学教育文化学部研究紀要 教育科学部門 第56

政教 分離 は, 市民 的 レベル にお いて, しか も新 たな視点 を もって吟味 され た とい うことで あ る従来,教育研究 にお いて この論点 はま った く検討 の枠外 にあ った とい っ て も過言 で はな い。

戦 後 ドイ ツの公教育体制 にお け るキ リス ト教 の位置 づ けいかん も,以上 の よ うな文脈 か らとらえ る必要がある。

そ こで, 以下 に抵抗運動 と戦 後教育 との 「架橋」 につ い て述 べ る

抵 抗運 動 と戦後教育 の 「架橋につ いて

ドイ ツ近現代史 のなかで (宗教 と教育) が主要 な問題 領域 の一 つで あ りつづ けた ことは, あえて指摘 す るまで もな い。 だが上述 の よ うに, それが根底 か ら問 いなお さ れ たの は, いわゆ る 「政 治 的宗教」 と して精神生 活 をふ くむ人 間 の全生活領域 を手 中 に しよ うとす るナチズムと, 社 会意識 を規定 して いたキ リス ト教 との相克 とい う事態 にお いてで あ る。公共 的生活, なかんず く青 少年 の学 校 教 育 の あ りよ うに始 ま った国家 によ るキ リス ト教 の強圧 的 な排 除 が, 人 間生活 のなか の宗教 的信仰 の危機 として, 問題 の重大 さを浮 き出 させ たので あ る。 それ は,新 旧両 宗 派教会 の不 断 の抵抗 と,戦 時下,民衆 へ の精力 的 な福 音宣 教 ・牧会 に よ る教会 の役割 の増大 とい う事実 によ っ て, よ り鮮 明 な もの とな った。

ナ チ スの宗教排 除政策 は ドイ ツ社会 の根 強 いキ リス ト 教 的伝統 の もとで貫徹 で きなか ったばか りか, む しろ教 育 の 「世 俗化」 その ものへ の疑 問 を招 いたので あ る れ は市民 的 な政治 的抵抗者 にほぼ共通 して い る彼 らが ナチ ス支配 か らの国民 の脱却 ‑ 「覚醒」 とい う運動 目標 杏, キ リス ト教 的観点 か ら構築 したの もそのためである

ク ライザ ウ ・グル ー プの生 き残 りメ ンバ ーが終戦 直後, こぞ って キ リス ト教 民 主 同盟 (CDU)の結 成 に参 画 し たの は, その具体 的 な行動 表現 で あ る。

かつ て,教育史家 フ リー ドリヒ ・バ ウルゼ ンは フラ ン スの 「政 教分離 法(1905年) に触発 され て, 翌 年 『ド イ ツ教 育 制 度 発 達 史』 (DasdeutscheBildungswesen inseinergeschichtlichenEntwicklung,Berlin1906) を著 し,教育制度 の 「世俗イ山 を,宗教教育 ・学校形態 ・ 学 校 監督 の 「脱教会化」 の観点 か ら叙述 し, この趨勢 を 不可 避 と しなが らも, フ ラ ンス と対照 的 な,学校 の宗教 的基礎 の存続 を予想 して い る。 この予想 は,以後 ワイマ ル期 改革 にお いて妥 当 しただ けで な く,戦後西 ドイ ツに お いて も (基本 法)体制 の なかで現実 の もの とな った。

この現 代史 に特異 な, 国家 のキ リス ト教的基礎 の宣明, キ リス ト教教育 の復権 とい う ドイ ツ戦後史 の出発 に は, ナチ ズムの洗礼 を通 じて再認識 され た宗教 的価値 の保全 と 「キ リス ト教 的伝統」 の通底 とい う事実 が あ る。反 ナ

チ ス抵抗運動 は こう した歴史過程 を究 明 しよ うとす るさ いの重要 な媒介 項 と して の役 割 を に な って い る ま た (宗教 ・教育 ・学校) とい うテーマ も, こ う した媒介項 によ って新 たな意 味づ けが可 能 で あ る し, またそ うす る 必要 が あ ると思 う。

別言 す るな らば, それ は公立学校 の宗教教 育 と学 校 自 体 の宗教 的基礎 の後退現 象 に端 的 に表現 され る 「世俗化」

の過 程 を,多元 的社会 にお け る教育 改革 の 「自明」 の方 向性 と して表層 の レベルで理解 して きた ことにたい して, 再考 を促 す もので あ る。

また この よ うに と らえ るな らば, ドイツ戦後教育史 は, いぜん (過去) を清算 しえ ないで い るわれわ れ 自身 の現 代史 をめ ぐる歴史教育 と政治教育 に と って好 個 の題材 を 提供 す るだ けでな く,歴史認識 その ものの構 築 に も新 た な手 がか りを与 え るはず で あ る

く注)

(1)拙稿 「反ナチ抵抗者の教育実践 と戦後改革構想‑ ライ ヒ ヴァインとクライザウ ・グループ(日本教育学会 『教育学 研究』第63巻第1 19963月 所収) 同 「反ナチ抵抗運動 とキリス ト教的教育の復権(教育史学会紀要 『日本の教育史 学』第40199710月所収) 同 「反ナチス抵抗運動 とキ リス

ト教教育の復権‑ 「クライザウ計画」を中心に(未刊) (2)Manfred Heinemann(Hrsg.):HochschuloNizielle und Wibderaujbau dos Hochschulwesens in Westdeutschland 19451952.TeilI,2,3.Hildesheim19901991.Ders.:Vom Studium generalezurHochschulrefom . Die"Oberaudorfer Gesprache'alsFonm gewerkschaftlicherHochschulPolitik 19501968,Berlin1996.Ders.:S滋ddeutscheHochschulkon‑

fellemen19451948,Berlin1997.Ders.:Hochschuloffiziere undWiedbTlauJbaudesHochschulwesensinDeutschhZnd‑Die sowjetischeBesatzungszone,Berlin1997.その他.

(3)この点にかん しては, とくにユルゲ ン ・コッカ 「連続 と 非連続 一日本 と比較 した ドイツ史における1945年 の断絶」

(『レグァイアサ ン』臨時増刊号,木鐸社 1990年, 21頁以下参 照)0

(4)最近刊行されたE.マテスの教授資格取得論文は, この問 題 に正面 か ら取 り組 ん だ注 目す べ き労 作 で あ る。Eva Matthes:GeisteswissenschaftlichePddagoBiknachderNS‑Zest

‑ Politischeund♪ddagogischeVerarbeitungsversuche,Bad Heilbrunn1998.

(5)ドイツ抵抗記念館発行の資料集 ̀̀1Einftirung''によるO 同様の記述 として山下公子 『ヒ トラー暗殺計画 と抵抗運動』

(講談社1997年)254‑255頁。

(6)邦訳書 として永井清彦 『荒れ野の40(岩波書店 1986

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参照

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