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ソシオロジカ

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ISSN 0385-9754

ソシオロジカ           Vol. 41, No. 1・2

創 価 大 学 社 会 学 会

(通巻62号)

馬場茂樹教授・大梶俊夫教授退任記念論集

まえがき……… 中野 毅〈 1 〉 退職のご挨拶

─私の創価大学での 1 年と 8 年の思い出─ ………… 馬場茂樹〈 3 〉 馬場茂樹先生略歴・業績一覧……… 〈 7 〉 馬場茂樹先生の思い出……… 和田光一〈11〉

退職のご挨拶

─自身の社会学研究を振り返って─ ……… 大梶俊夫〈15〉

大梶俊夫先生略歴・業績一覧……… 〈21〉

大梶先生のこと……… 小林和夫 〈25〉

《論文》

近所付き合いにおける主体としての自己

─住民同士の「支え合い」をめぐる問題─ ………… 岩川幸治〈29〉

相互行為としての近所付き合い

─個人化社会における個人尊重と人とのつながり─ 岩川幸治〈49〉

イスラームにおける弱者救済の福祉制度……… 岩木秀樹〈65〉

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まえがき

 このたび『ソシオロジカ』第 41 巻第 1,2合併号を刊行いたします。本誌 は創価大学社会学会発足以来 40 年間にわたって、会員の研究成果を掲載し、

本学における広義の社会学の研究と教育に寄与してまいりました。本年度も、

多忙な業務のなかで、多くの会員が寄稿してくださり、読み応えのある内容 になりました。寄稿者の皆様に感謝申し上げます。

 今号は、馬場茂樹先生と大梶俊夫先生のご退職記念号となりました。両先 生のご退職は時の流れとはいえ、極めて寂しいことであります。それぞれの 先生のご挨拶とご業績は本文に収録されていますので、若干、個人的なお別 れの言葉を記させていただきます。

 馬場先生とは、私が社会学科(当時)のコーディネーターをしていた 1996 年 3 月に社会福祉関連科目の前任者に紹介されて非常勤講師をお願い するためにお会いしたのが最初でした。この頃から故・山崎純一さんと社会 福祉を社会学科の柱の一つにしたいなと話していましたが、やがて社会福祉 士の資格をとれる本格的な専修にすることになり、和田光一先生のご尽力も あって馬場先生が 2009 年 4 月から本学の専任教授として来てくださること になりました。このお二人が中核となって文学部社会福祉専修は出発し、初 の挑戦となった 2013 年度社会福祉士資格試験では私学関係で全国一位の合 格者を出すことができました。遠距離の通勤のため教員宿舎での連泊はご不 便も多かったことと推察しますが、時間をかけた丁寧なご指導、優しい人柄 があってこその成果であったと、改めて心から感謝申し上げる次第です。

 大梶先生のことは、この場ではいつも通り「大梶さん」と呼ばせていただ

きます。大梶さんとは、じつは彼が大学院生だった頃から存じ上げていまし

た。創価大学一期生として学部も終え、さらに大学院にまで進学して将来は

研究者になりたいという数少ない人材の一人でしたので、個人的にも大変期

待をしておりました。大梶さんが大学院進学から教員への道を歩み始めた時

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SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

期は日本社会も母体も大きな激動期でした。その過程で私も色々な分野に出 没していましたが、その度に大梶さんはその側にいたのです。最近では、昨 年の日本宗教学会第 74 回学術大会を本学で開催した際にも、実行委員の一 人として積極的に参画していただき、そのおかげで無事大会を終えることが 出来ました。

 その意味で、大梶さんはかけがえのない、後事を託せる信頼できる友人で す。しかし、その彼が年上の私より先に大学を去るとは何たることでしょう か。日本の労働環境は危機的状況です。それを打開する方策がいまこそ必要 です。また創価大学もどのような大学を目指すのか、まさに問われている段 階です。できれば、これまでの研究の集大成と大学の発展に尽力して欲しい と願っていたのは私一人ではないと思います。もちろん退職した後も研究は できますし、発表も自由になるでしょうから、私はこれからも期待しています。

 本誌で小林さんが記されたように、大梶さんはバランス感覚と軽妙さを併 せもった方でした。彼の別れの挨拶の末尾に、いま流行のテレビドラマ「逃 げ恥」をさらりと書いていました。そのことわざがハンガリーのものであ るとは知りませんでしたが、英文では Discretion is the better part of valor.

ということで、それを日本語訳では「君子危うきに近寄らず」となるようで す。これらを知って、まことに大梶さんらしいなと、改めて思いました。

 私も君子にはなりたいのですが(笑)、いつも危ないことばかりをやって きました。大梶さんには、残りの人生を少しは危ない橋を渡りつつ、遊楽し て欲しいと心から祈っています。

 馬場先生、大梶さん、長いこと誠にご苦労様でした。また有り難うござい ました。

 2017 年 3 月

創価大学社会学会長 中野 毅

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3

退職のご挨拶

―私の創価大学での 1 年と 8 年の思い出―

馬場 茂樹

A Note of Farewell : My Memory of the First Year and the Last Eight Years at Soka University

BABA Shigeki      

 

 私が創価大学を初めて訪ねたのは、1996 年 3 月のことでした。当時、創 価大学で非常勤講師をしていた友人の長谷川彰氏が、四国・愛媛の大学に移 るので私に替わりにとの事で中野毅先生を紹介されました。中野先生との話 し合いで、前任者が担当していた教科目(社会福祉概論、社会学、社会学演習)

を受け持つことになりました。4 月の入学式にも出席し、飲み会にも誘われ、

参加しました。その飲み会の席で故山崎純一先生を紹介されました。私と年 齢が近かったこともあり、意気投合しました。いろいろ語り合う中で、山崎 先生は福祉に関心のある学生が多いので、将来創価大学に福祉の資格が取れ る課程を作りたいと話していらっしゃいました。深夜まで飲み、山崎先生の 奥様の運転する車であきる野市のアパートまで送っていただきました。これ が山崎先生との最初の出会いでした。

 4 月から講義が始まり、80 人程度が着席できる教室に 100 人を超える学生 がいて、なかには立って講義を受けている学生の姿に驚くとともに、山崎先 生が語っていた事が実現できるのではないかと感じました。

 また、私はそれまで女子短大でしか教えた経験しかなかったので、多数の

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4 SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

男子大生に一種の脅威を感じました。

 私も残念ながら 1 年で長谷川氏と同じ愛媛の大学に移ることになり、後を 和田光一先生にお願いして創価大学を去ることになりました。しかし、創価 大学で教えた 1 年間が後に意外な所で繋がるのです。

 創価大学で教えて 6 年後、所用で松山から羽田への全日空の機内で CA さ んから声を掛けられました。CA さんの名前は田村智子さんといい、創価大 学で教えた演習の受講生でした。3 年後にも同じ松山からの便で再び会いま した。その時にはチーフパーサーになっていました。創価大学での 1 年間の 出会いでしたが、良く顔と名前を覚えていてくれたと嬉しさがありました。

 また、今年 5 月に現在関わりがある社会福祉法人の監査業務をしていまし たら、新設保育園の園長が『主人が先生に宜しくと申してました』と告げら れました。何の事かと思ったら御主人が創価大で 1 年間教えた学生だったと 聞き 20 年前の記憶が蘇り、人の縁にしの不思議を感じました。

 私は 2009 年 4 月から再び創価大学に来ることになりました。前年につく ば国際大学で同僚でした和田先生が創価大学に移っており、創価大学に社会 福祉専修課程を作るとの話があり、13 年振りに今度は専任としてお誘いに 応じました。

 当時はまだ社会福祉専修が開設されていませんでしたから、家族社会学、

社会病理学、社会学、児童福祉論などの教科目を担当しました。

 そしていよいよ社会福祉専修を開設するという段になり、専修の定員を何 名にするのかの議論の中で、専修教員 3 名では(森先生、和田先生、私)では、

1 学年 20 名までしか取れない事がわかり、定員 20 名が決定しました。社会 福祉専修の開設は故山崎先生の永年の願いでもありました。山崎先生に感謝 いたします。

 社会福祉専修の学生は 1 年後期に選抜し、2 年生から社会福祉国家試験科 目を履習する型になりました。他大学の社会福祉学科の学生とは異なり、1 年遅れの 2 年生からのスタートであり、1 人の教員が複数科目を担当しなけ ればならず、毎日講義で顔を会わす学生が多数でした。専修の学生にとって は迷惑な事だったと思います。

 私も社会福祉士の教科目と教育学部生の児童福祉論を合わせると最大週

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退職のご挨拶 5

12 コマ担当するという非常にハードワークでした。

 専修の 1 期生が 2015 年 1 月に国家試験を受ける時が来ました。当初の合 格者の予想では 50%程度でしたが、学生の頑張りが合格率 83%という驚愕 の数字を出し、私大トップという二重の喜びをもたらしてくれました。専修 2 期生も合格率 71.4%(現役)と 2 年連続で私大トップとなる快挙を達成し ました。2017 年 1 月に受験する 3 期生には是非先輩に続いてトップを取っ てもらいたいと願っています。

 最後になりますが、私の教員生活 38 年間のうち、創価大学での 8 年間は 最も充実していました。過去にも教鞭を行った大学でも社会福祉士の国家試 験合格者は多数いましたが、創価大学生のすばらしさは学生が勤勉で熱意が あり、意欲的な質問や相談などたくさん受けました。国家試験受験前には、

連日 21 時の閉門時間まで一心不乱に合格をめざし取り組む姿勢を見て感激 しました。

 創価大学の 8 年間はこのように素晴らしい体験と思い出を与えてくれまし た。

 ここに改めて学生諸君に感謝したいと思います。また、文学部に受け入れ て下さいました皆様に感謝の意を表す次第です。8 年間本当にありがとうご ざいました。

 創価大学の今後の発展と社会福祉専修の飛躍を祈っています。

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馬場茂樹先生略歴・業績一覧

A Brief Record of Professor Baba ’ s Achievements

1948 年 5 月 1 日北海道で生まれる。

学歴

1968 年 3 月 北海道立美唄東高等学校卒業 1970 年 4 月 東洋大学社会学部入学 1974 年 3 月 同大学社会学部卒業

1974 年 4 月 東洋大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻修士課程入学 1976 年 6 月 同大学修士課程修了(社会学修士)

職歴

1974 年 4 月 社会福祉法人芙蓉会特別養護老人ホーム「上総園」ケースワーカー  1977 年10月 「上総園」主任ケースワーカー

1980 年 3 月 「上総園」退職

1980 年 4 月 秋草学園短期大学幼児教育学科講師  1989 年 4 月 秋草学園短期大学助教授昇任 1997 年 3 月 秋草学園短期大学退職

1997 年 4 月 聖カタリナ女子大学社会福祉学部教授  2000 年 3 月 聖カタリナ女子大学退職

2000 年 4 月 つくば国際大学産業社会学部社会福祉学科教授  2009 年 3 月 つくば国際大学退職

2009 年 4 月 創価大学文学部教授 

 なお、非常勤講師として、群馬社会福祉専門学校(1989 年~ 1996 年)、群馬社会福祉短期大学(1996 年~ 1997 年)、創価大学(1996 年~ 1997 年)、日本赤十字松山看護学校(1998 年~ 2000 年)、愛媛大学 医学部看護学科(1998 年~ 2000 年)、愛媛県立医療短期大学(1998 年~ 2000 年)、つくば国際大学(2009 年~ 2018 年)で教鞭をとる

学会および社会における活動等 所属学会

1974 年 日本社会福祉学会会員 1976 年 日本社会学会会員 1976 年 日本若年社会科学会員 1985 年 日本社会病理学会会員 1994 年 日本家族社会学会会員 1997 年 日本保健医療社会学会会員

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8 SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

1979 年 4 月~ 1980 年 3 月 千葉県老人福祉施設協議会従事者部会副会長 1987 年 7 月~ 1989 年 6 月 東京都東大和市保育問題協議会委員 1992 年 7 月~ 1998 年 7 月 社会福祉法人「八王子やまゆり福祉会」理事 1994 年 4 月~ 1997 年 3 月 埼玉県所沢市婦人問題協議会委員

1997 年 11月 愛媛県庁今治地方局主催「明るく楽しい長寿社会作り」基調講演 1998 年 2 月 愛媛県庁八幡浜地方局主催「明るく楽しい長寿社会作り」基調講演 1998 年 9 月 厚生省精神保健福祉士養成講座「社会福祉原論」担当

2001 年 4 月~ 2010年 4月 社会福祉法人芳香会特別養護老人ホーム「青嵐荘」苦情解決委員会第三者委員 2007 年 4 月~ 2009年 3月 茨城県土浦市地域福祉計画策定委員会委員長

2010 年~  社会福祉法人芳香会理事 2013 年~  社会福祉法人桑の実会監事

業績目録

【編集・共編著】

『社会福祉士国家試験ワークブック(専門科目)』 2010 年~ 2017 年(毎年刊行)ミネルヴァ書房

『社会福祉士国家試験ワークブック(共通科目)』 2010 年~ 2017 年(毎年刊行)ミネルヴ書房

『社会福祉士国家試験対策一問一答』 2005 年(和田光一他との共編著)ミネルヴァ書房

『現代社会福祉のすすめ』 2006 年(和田光一との共編著)学文社

『現代児童福祉のすすめ』 2008 年(和田光一との共編著)学文社

『社会福祉士合格一問一答』 2010 年(和田光一との共編著)ミネルヴァ書房

『現代高齢者福祉のすすめ』 2011 年(和田光一との共編著)学文社

『現代社会福祉のすすめ』(増補版) 2012 年(和田光一との共編著)学文社

【分担執筆】

「職員養成」新版『児童福祉』1981 年 高文堂出版社

「社会福祉制度とソーシャル実践の分野」『ソーシャルワークを考える』1981 年 川島書房

「保育」「保育業務と保育教育の役割」文部省科学研究費一般学術図書『日本における保育者集団と保育 学生の職業意識構造に関する実証的研究』1986 年 萌文書林

「老人福祉」『現代の社会福祉』1989 年 家政教育社

「児童福祉施設」新版『児童福祉』1991 年 蒼丘書林

「社会福祉士及び介護福祉士法」『児童福祉施設に働く専門職員』「老人の保健」精選『社会福祉法規の解 説』1992 年 建帛社

「実習生の派遣 ―保母実習生から見た母子像」『お母さん来てよかったね ―母子寮における生活処遇の 手引き』1992 年 全国社会福祉協議会児童福祉部

「社会福祉の歴史」『初めて学ぶ現代社会福祉』2002 年 学文社

「今後の社会福祉と臨床の位置づけ」『臨床に必要な社会福祉』2006 年 弘文堂

「社会保障制度」『社会保障制度・介護福祉の制度と実践』2008 年 建帛社

「現代社会における福祉制度と福祉政策」『現代社会と福祉』1版 2009 年、2 版 2013 年、3 版 2015 年  弘文堂

「福祉サービス提供組織の役割」『福祉サービスの組織と経営』1 版 2009 年、2 版 2013 年、3 版 2017 年 弘文堂

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馬場茂樹先生略歴・業績一覧 9

【論文】

「新潟県における老人自殺」(共著)1975 年 東洋大学社会学部紀要 11・12 合併号

『家族制度と老人扶養の歴史に関する一考察』(単著)1976 年 東洋大学大学院修士論文

「昭和 58 年度新潟県東頸城郡における老人自殺の研究」(共著)1985 年 東洋大学社会学部第 22-2 号

「テクノストレスと VDT 障害に関する症候論的研究一試論」(共著)1990 年 日本赤十字看護大学紀要 No. 4

「老人自殺の調査研究 ―昭和 58 年・61 年度の新潟県東頸城郡における自殺老人と家族員の関係」(共著)

1990 年 東洋大学社会福祉学部紀要第 27 - 2 号

『母子寮と母子家庭の生活実態調査研究』(単著)1991 年 秋草学園短期大学紀要第 8 号

「高齢者虐待の看護・介護職の認識に関する研究 ―家庭介護に伴う虐待に焦点を当てて―」(共著)1998 年 明治生命厚生事業団第 4 回健康文化研究助成論文集

「婦人保護施設の実態と直接処置職員の処置意識」(共著)1999 年 聖カタリナ女子学院研究紀要第 11 号

【研究報告書】

『老人自殺の調査研究 ―昭和 58 年度新潟県東頸城郡における自殺老人と家族員の調査』(共著)1985 年 東洋大学社会学研究所

『日本の社会問題の福祉的対応 ―老人自殺の調査研究』(共著)1991 年 東洋大学社会学研究所 豊島区役所委託研究『豊島区老人福祉サービス実態調査』(共著)1976 年 東京都豊島区役所 渋谷区社協委託研究『渋谷区老人福祉実態調査』(共著)1980 年 東京都渋谷区社会福祉協議会

『婦人保護事業の今日的機能に関する調査研究』(共著)1998 年 聖徳大学女性問題研究会

【学会等発表】

「施設老人の主体性と施設職員の援助について」(共同)1974 年 第 22 回日本社会福祉学会

「過疎地域における老人自殺と主体性の問題 ―家族生活の状況―」(単独) 1975 年 第 23 回日本社会 福祉学会

「新潟県における老人自殺の実態」(共同)1976 年 第 49 回日本社会学会

「大都市における老人居住とソーシャル・ネットワーク」(共同)1976 年 第 49 回日本社会学会

「大都市における老人福祉サービスの現状と課題 ―行政施策の比較―」(単独)1976 年 第 24 回社会福 祉学会

「老人自殺の研究 ―新潟県東頸城郡実態調査から―」(単独)1976 年 第 18 回日本老年社会科学会

「老人処遇の目標の立て方と職員の分野別支援の関与について」(単独)1977 年 第 13 回老人福祉施設 協議会関東研究ブロック総会

「老人自殺の統計及び事例研究 ―自殺老人の生活史分析―」(共同)1978 年 第 51 回日本社会学会

「日本における保育学生の教育観に関する研究」(共同)1982 年 第 30 回日本社会福祉学会

「日本における保育者の専門的職業観に関する研究」(共同)1983 年 第 31 回日本社会福祉学会

「母子寮在寮母子と母子世帯についての生活実態」(共同)1992 年 東京都母子寮指導員研修会

「家族危機モデルとテクノストレスに関する研究」(共同)1994 年 第 4 回日本社会家族学会

「高齢者虐待に関する一般市民の認識」(共同)1997 年 第 23 回日本保健医療社会学会

「婦人保護施設の支援援助・処遇実態と専門職員の意識」(共同)1997 年 第 45 回日本社会福祉学会

「婦人保護施設・一時保護所における児童・家族福祉的機能をめぐって ―母子ケースに対する一時保護 の現状と課題」(共同)1998 年第 46 回日本社会福祉学会

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馬場茂樹先生の思い出

和田 光一

My Memory of Professor Baba WADA Kouichi

    

 いろいろと教えを賜り、何かとご縁を深めてきた人が定年を迎え、大学を 去って行くのは寂しい限りです。この数年、そんな思いがいっそう募ってき たように感じられるのは、私自身もそういう年齢になってきたからでもあろ うと思いますが、それ以上に長いおつきあいをさせて頂きました、馬場茂樹 先生が大学を退かれることは、社会福祉専修にとっては大変な痛手であり損 失であります。社会福祉とりわけケースワーク理論と実践を兼ね備えて先駆 的に社会福祉を発展させてきました。

 社会福祉は、時代によって、慈善、博愛、救貧、社会事業と呼ばれ、対象 や理念を変化させてきました。この分野を確立させるため、社会福祉援助活 動における手法は、体系的でエビデンスのあるものが求められ社会福祉の援 助技術も発展を遂げてきました。社会福祉の援助技術における近年の国際的 な定義と日本における定義についての確認などを研究テーマとして分析して います。国際的には歴史を含め、リッチモンド、バイステックの理論を示し ており、社会福祉援助技術の援助者の果たす役割、専門職としての業務内容、

倫理綱領などについても分析をし、ソーシャルワーカーとしての業務のあり 方を述べています。

 また、日本の自殺問題にも詳しく、先進国の中でも自殺率の高い日本です

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SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

が、なぜ、このような状況になっているのかを分析しています。社会のイメー ジでは、いまだに自殺は個人の問題であり、自由な意志や選択の結果だと考 えられていますが、実際はそうでなく、様々な要因が複雑に関係して心理的 に追い込まれた末の死であることが明らかにしています。様々な要因を生み 出す社会が変われば、自殺を減らすことができる。そのことを踏まえて、そ の背景や原因についても調査をして分析をしています。

 また、社会福祉の歴史に造詣が深く、著書も多数あります。

 私と馬場先生との出会いは古く、私が東京都の研究所にいる時代でした。

先輩であり同僚であった長谷川彰先生らと勉強会を開いたなかに馬場先生が いました。その研究会が科学研究補助金を申請して認められたことでつなが りが深くなったようです。母子保護施設の調査をし、社会福祉学会に発表を 共同で行ったことを思い出します。その時は、短期大学の教員をしておられ、

第一印象として、博識で温和な性格に見受けられました。地方での学会など でご一緒させていただくときが儘ありました。博識で美食家の馬場先生は、

その地域の名物をよく知っており、その名物料理を食させていただきました。

研究室が A 棟にあった時代は、ゼミが終了すると会食と言って鍋料理を振る 舞っていたのが懐かしく感じます。私もいくら丼をいただいたりしていました。

 馬場先生は、埼玉の短期大学から、前述した長谷川彰先生のたっての頼み で愛媛県西条市にある聖カタリナ女子大学に奉職したのでした。奉職する前 の 1 年間、創価大学で非常勤講師をなさっていたのを私が引き継いだわけです。

 その後、馬場先生は、つくば国際大学に移ることになり、千葉の自宅から 通勤するようになり、聖カタリナ女子大学時代の教え子である奥様と結婚さ れています。現在でも大変仲が良く、旅行などを趣味としておりお二人で出 かけていることが多いようです。

 東京都の研究所をやめることになり、馬場先生に相談したら、大学に空き があると言うことで誘ってもらい、4 年間在籍をさせて頂きました。馬場先 生が学科主任で、何かと助けて頂いたのを覚えております。

 私の方は、創価大学の非常勤を続けていましたが、社会学科の故山崎純一

先生から、専任で来て頂けないかとの話があり、将来社会福祉のコースを作

りたいとの希望でした。

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馬場茂樹先生の思い出 3

 社会福祉コース(社会福祉士受験資格)を作るためには、援助実習を教授 できる教員が必要とのことで、馬場先生に招聘の話をさせて頂き、創価大学 に来ていただくことになりました。設置については、文部科学省と社会福祉 士関係の厚生労働省の認可が必要となり、認定を受けた教員が指導すること になっています。馬場先生は適材で、ケースワークを中心とした授業をして いただくことになり、少人数の教員での認可のためたくさんのコマ数を持っ ていただくことになりました。文学部で 1 番コマ数をお持ちになっていたよ うですが、愚痴も言わずに学生に国家資格を取得させるためにと頑張ってい たのを思い出します。

 そのほかにも対策講座を開いていただきました。一期生が 4 年次になると、

夏休みには、4 週間の施設実習があり、実習指導のため実習先訪問を毎週行 わなければならず夏休みがほとんどなくなり、暑い中を訪問していただきま した。頭が下がる思いでした。

 また、千葉からの通勤は大変とのこともあって、教職員寮に週 2 日宿泊し、

教材の整理など遅くまで研究室にいたようです。

 その甲斐あって、第一期生は、社会福祉士国家資格合格、私立大学 1 位、

全体で 4 位と見事合格しました。教科の内容や、実習先開拓など、大変ハー ドな業務もこなしていただきました。二期生も私大 1 位と創価大学に社会福 祉専修ありと全国の福祉系大学に認知されています。これもひとえに、馬場 先生の指導の賜と存じます。

 いつでも学生の側に立ち、学生を激励しながら奮闘していただきました。

社会福祉専修を立ち上げる際には、適切なアドバイスをいただき、認可に対 しては多大なご尽力をしていただきました。

 最後になってしまいましたが、長年にわたり、教育、研究、社会福祉専修 などすべてに対して、情熱をもってコミットし続け、とりわけ、社会福祉専 修立ち上げの際には、大変な貢献をしていただいた馬場茂樹先生に対して、

感謝の言葉を贈りたいと存じます。「長い間、ご苦労様でした。そして、あ りがとうございました。」

 体調が心配ですが、最愛の奥様とゆったりと過ごしていただければと存じ

ます。

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退職のご挨拶

―自身の社会学研究を振り返って―

大梶 俊夫

A Note of Farewell : Looking Back on my Sociological Research

OKA JI Toshio     

 

 1971 年に開設したての創価大学に一期生として入学して以来、学生とし て 12 年、教員として 34 年を緑豊かな創大のキャンパスで過ごさせていただ きました。シンプルながら幸福な人生を歩むことができ、出会い支えてくれ た多くの方々に心から感謝します。

 大学の 46 年間を思い返すと思い出は数限りなくありますが、ここでは私 自身の社会学研究における問題関心を振り返ってみたいと思います。

 学部生の時には「社会主義研究会」というサークルに所属し、もっぱらマ ルクス研究の日々でした。宇野派だ、大塚派だと喧々諤々の議論に明け暮れ、

ゼミもマルクス主義社会学に関する著書もあった樺俊雄先生を選びました。

樺先生には大学院でも他大学での非常勤講師を紹介していただくなど大変お

世話になりました。卒業論文は「マルクス物象化論の一研究」というもので

した。大学院時代の前半は、マルクス主義と社会学の行為理論との理論的接

合といった問題関心をもち、J. P. サルトルの哲学のなかにその可能性を探っ

たりしましたが、その後は階級理論の分野に関心を移しました。N. プーラ

ンツァスの理論からテイラーリズムの影響を意識するようになった頃、ちょ

うど「労働社会学研究会」の存在を知り、参加するようになりました。「労

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6 SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

働社会学研究会」はその後、1988 年に「日本労働社会学会」になり、今に 至ります。労働社会学研究会および同学会は研究活動も活発に行っていたの で、そこに参加し議論に加わることで多くのことを学ぶことができました。

また研究大会が工場見学とセットで組まれていたので、炭鉱、造船所や自動 車・電機などの工場といった多くの労働現場を見学することができ、この経 験は後に労働社会学の授業を担当するようになったときに活かされました。

 文学部の助手として採用された後は、中野三郎先生の「社会調査実習」の お手伝いで奥多摩や西伊豆での調査実習に一緒に行かせてもらい、学生たち と聞き取り調査を行うとともに、その調査結果を観光開発・環境保全・地域 社会をキーワードにしたシリーズとしてまとめました。観光と環境の両立を テーマにした調査研究には先駆的な意義があったのではないかと自負してい ます。また実際に調査をすることで、多様な社会的現実をどう整理してどう 把握するかという経験も積むこともできました。

 1989 年の夏に、西村洋子先生の呼びかけでハンガリーの高齢者問題の研 究プロジェクトに参加させていただき、3 週間ほどブダペストに滞在しまし た。この時期はハンガリー経由で東ドイツ市民が西側に脱出するという事件 が起きていた時で、まもなくベルリンの壁が崩壊し、社会主義諸国の市場経 済への移行という歴史的変革が起こりました。歴史的な変革が起こっている 社会とはどのようなものなのかを実際に経験したいと考えて、ハンガリーの 社会学者の伝手もできたので、1991 年 4 月から 1 年間ハンガリーで在外研 究をさせていただきました。覚束ないハンガリー語で苦労しましたが、サポー トしてくれる研究者にも恵まれ、ガス器具工場での調査研究をすることがで きました。そのなかで 2 週間だけでしたが、実際にプレス工として労働しな がら、出来高賃で働くハンガリー人労働者の意識と行動を調査するという参 与観察も行いました。授業では労働社会学を担当していますが、私が工場で 労働したのはこのガス器具工場の経験だけです。ハンガリーではこれ以外に も各地の化学企業を対象に労働組合などから聞き取り調査などを行いました が、調査結果をタイムリーにまとめることができなかったことは今でも残念 に思っています。

 1990 年代は、日本の雇用システムが大きく変化していく時期でもありま

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退職のご挨拶 7

した。95 年には日経連が「新時代の『日本的経営』」を発表し、その後の非 正規雇用増大への道を開きつつありましたし、富士通をはじめとして成果主 義賃金の導入も図られていました。変化する日本的雇用システムをどう把握 するかが当時の問題意識でしたが、私は「企業社会論」という枠組で問題を 捉えようとしました。現在から考えれば、いわゆる「メンバーシップ型」の 雇用システムであることの別の表現だったともいえますが、当時はそこまで 明確な認識はありませんでした。ただ企業内に包摂されてしまう労働の在り 方や労働者の意識を捉えようとする視点だったと思います。

 1996 ~ 97 年度には科学研究費補助金を「企業社会の競争構造と労働組合 の対応 ――電機産業を事例として――」というテーマでいただくことがで き、電機連合傘下のいくつかの組合を通じて調査を試みましたが、日本国内 での調査はハンガリーでの調査以上に難しく、思うような成果を挙げること はできませんでした。

 研究テーマを追究する以外に、授業を担当するなかで社会学に学んだこと も多々ありました。「社会問題」の授業では専門外でしたが、自殺・犯罪・

いじめ・貧困・格差など幅広く社会問題を論じるなかで、労働だけに留まら ない視点を獲得することができたように思います。特にドメスティック・バ イオレンスや児童虐待、家庭内暴力は「ドメスティック問題」として統一的 に把握することを試みました。家族という社会集団は、財やサービスが金銭 を媒介して交換されるそれ以外の社会とは異なった成り立ち・原理をもって おり、この質の違う二つの社会の接合部分の軋轢や歪みが問題として現出 していると考え、それを「ドメスティック問題」として捉えようとしました。

社会を構成しているものには、家族、国家などコミュニティ性をもった社会 集団と、市場的原理によって結びついている社会集団との二種類があります。

この二種類の社会をどちらか一方に還元することなく、全体を把握すること が社会学の役割でもあり、課題であるとも思います。

 現在、最も関心を持っている問題は「市場」です。過労死やブラック企業 を生み出す根本的な原因は日本社会に労働市場が機能していないことにある のではないかと考えています。日本ではリベラルな立場に立つ人ほど、市場

(原理・機能)に対して批判的ですが、西欧で近代社会が形成されたのは政

(20)

8 SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

治的な民主制とともに、経済において市場機能が拡大し、それによって封建 的な人格的従属から解放されたことが大きかったといえます。市場は独立し た個人の自由な取引を可能にするシステムだからです。これはマルクスも認 めていたことです。日本の労働市場の現状は市場と呼べるでしょうか。「長 期雇用」「新卒一括採用」の名の下に、職業選択の機会が大きく制限され、

実質的に企業に従属しなければならない仕組になっています。「長期雇用」

は、一度大企業に就職したら、再度、大企業に転職できる可能性が著しく低 いことの結果でしかありません。大企業が「新卒一括採用」にこだわるのは、

中途採用を拡大しそれが普及していけば、自社の貴重な人材を転職で失うリ スクが高まることにつながり、そうなれば賃金や労働時間等の労働条件で大 幅な譲歩が必要になるからです。「新卒一括採用」を維持していれば、残業 でも転勤でも、企業の都合のいい働かせ方を保っていける訳です。そこには、

自分の労働力を自分の選択した相手に自由に売ることができるという意味で の市場は存在していません。日本の大企業の雇用システムには労働市場は新 卒の時に 1 回限りしか存在していないといえます。

 こうした企業外部の労働市場ではなく、企業内部で人事異動を通じてキャ リア形成したり昇進・昇給したりする仕組を「内部労働市場」と呼んでいま すが、日本のそれを「内部労働市場」と呼ぶのは間違っていると思います。

欧米での職務や地位の変更は本人の同意に基づいて行われますから、自由な 意思による売買取引という意味で市場といえますが、日本の場合は人事異動 の発令は個人の意思とは関わりなく行われるのが一般的です。これは市場と 呼べるものではありません。これも市場というなら、社会主義の統制経済も 市場経済といえることになってしまいます。つまり外でも内でも日本の大企 業の労働社会には市場といえるものがほとんど機能していないのが現状です。

日本の労働社会の多くの問題は市場機能の欠如にこそあるのではないかとい うのが現在の主要な問題関心です。

 市場が「神の見えざる手」の機能として豊かさにつながるのは、市場の参

加者が常に自分の判断で思慮深くリスクを取りながら最適を目指して行動す

ることの結果です。それが市場メカニズムです。この市場メカニズムのなか

で個人も経営者も企業も鍛えられることによって結果として豊かさにつな

(21)

退職のご挨拶 9

がっていくのです。「新卒一括採用」によって外部労働市場における市場メ カニズムを遮断し、内部においても命令によって人事異動が行われ、個人の 自由な意思を無視してしまうことは、「神の見えざる手」を切断してしまっ ていることになります。それは個人にとっても企業にとっても不幸なことで す。日本社会の再生のためには市場を市場として機能させることが最重要な 課題ではないかと私には思われます。

 最後に、ハンガリーのことわざを紹介して終わりにします。

 Szégyen a futás, de hasznos.

 ハンガリアン・イングリッシュ辞典では対応する英語のことわざとして、

Discretion is the better part of valor を挙げています。退職という私自身の 個人的な選択の説明としても、また日本社会の労働状況を考える上でも適切 な言葉ではないかと思います。この言葉は最近、テレビドラマの題名にも使 われていて、そこではこのように訳されています。「逃げるは恥だが、役に 立つ」。

 長い間、大変お世話になりました。ありがとうございました。

 

(22)
(23)

大梶俊夫先生略歴・業績一覧

A Brief Record of Professor Okaji ’ s Achievements

1951 年4月 25 日東京都で生まれる。

学歴

1970 年 3 月 東京都立新宿高等学校卒業 1971 年 4 月 創価大学文学部社会学科入学 1975 年 3 月 同大学文学部卒業

1975 年 4 月 創価大学大学院文学研究科社会学専攻博士前期課程入学 1977 年 3 月 同大学院博士前期課程修了 

1978 年 4 月 同大学院博士後期課程入学 1983 年 3 月 同大学院博士後期課程修了

職歴

1983 年 4 月 創価大学文学部助手 1985 年 4 月 創価大学文学部講師 1987 年 4 月 創価大学文学部助教授

1988 年 4 月 創価大学文学部学部長補佐(1990 年 3 月まで)

1991 年 4月 在外研究 ハンガリー科学アカデミー社会学研究所客員研究員(1992 年 3 月まで)

1994 年 4 月 創価大学教務部副部長(1998 年 3 月まで)

1997 年 4 月 創価大学文学部教授

1998 年 4 月 創価大学別科長(2002 年 3 月まで)

2002 年 4 月 創価大学文学部社会学科コーディネーター(2006 年 3 月まで)

2004 年 4 月 創価大学大学院文学研究科担当 2010 年 4 月 創価大学文学部長(2014 年 3 月まで)

学会および社会における活動等

1992 年11月 日本労働社会学会幹事(1996 年 10 月まで)

1995 年10月 日仏社会学会理事(1999 年 9 月まで)

2002 年11月 日本労働社会学会幹事(2006 年 10 月まで)

業績目録

【共著・共編著】

『社会学のプロフィール』(共著)八千代出版,1995 年.(担当部分)第4章「テイラーリズムと日本的 労働システム ―産業組織と労働」( pp. 67 ~ 83 ) 第5章「構造化された不平等 ―階級と階層」 

(pp. 85 ~ 105)

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SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

『人間と地域社会 ―21 世紀への課題』(共編著)学文社,1997 年.(担当部分)第8章「地域社会と家族 の就業構造 ―東京都八王子市と埼玉県大里村の比較―」(pp. 208 ~ 232)

『現代の社会学 21 世紀へ』(共編著)北樹出版,2004 年.(担当部分)第8章 「社会的事実としての分 業 ―『社会分業論』における分業と連帯―」(pp. 105 ~ 115)

【報告書】

『企業社会の競争構造と労働組合の対応 ―電機産業を事例として―』(単著)(科学研究費補助金 基盤研 究 (C) 研究成果報告書,1998 年.pp. 1 ~ 56)

【論文】

「サルトル行為理論の意義と課題 ―『弁証法的理性批判』の行為論的再構成―」(『ソシオロジカ』第1 巻第2号,1977 年3月.pp. 95 ~ 119)

「階級理論と社会構造 ―ダーレンドルフの所説をめぐって―」

   (『創価大学大学院紀要』第 1 集,1979 年 11 月.pp. 259 ~ 273)

「労働者階級の概念と生産的労働」(『創価大学大学院紀要』第2集,1980 年 11 月.pp. 209 ~ 226)

「階級構造化と階級非構造化 ―プーランツァス「孤立化作用」を中心に―」(『ソシオロジカ』第8巻第2号,

1984 年3月.pp. 49 ~ 66)

「労働過程における階級非構造化 ―テイラー・システムと大衆の論理―」(『ソシオロジカ』第9巻第1号,

1984 年 12 月.pp. 53 ~ 70)

「労働過程における規格化と競争化 ―テイラー・システムへの一視角―」(『創価大学創立 15 周年記念論 文集』,1985 年 11 月.pp. 498 ~ 506)

「フーコー権力論の検討」(『言語文化研究』第5号,1985 年 12 月.pp. 85 ~ 103)

「奥多摩町における観光開発 …2」(共著)(『ソシオロジカ』第 10 巻第2号,1986 年3月.pp. 71 ~ 95)

「奥多摩町における観光開発 …4 ―小河内地区の場合」(共著)

  (『ソシオロジカ』第 12 巻第1号,1987 年 12 月.pp. 1 ~ 21)

「現代都市家族の就業構造 ―階層、家族構成、ファミリー・ステージを視点として―」(『ソシオロジカ』

第 12 巻第2号,1988 年3月.pp. 1 ~ 15)

「観光開発と地域社会 ―西伊豆松崎町・岩地地区の事例―」(共著)(『ソシオロジカ』第 13 巻第1号,

1988 年 12 月.pp. 1 ~ 33)

「社会の中の創大生 ―卒業生の仕事意識調査から―」(『創価大学創立 20 周年記念論文集』,1990 年 11 月.

pp. 651 ~ 660)

「観光開発と地域社会 … 3 ―西伊豆松崎町・松崎地区の事例―」(共著)(『ソシオロジカ』第 15 巻第1 号,1990 年 12 月.pp. 1 ~ 31) 

「ハンガリー企業の労務管理と労働過程 ―ガス暖房器具会社の事例―」(『ソシオロジカ』第 17 巻第1号,

1992 年 12 月.pp. 49 ~ 67)

「ハンガリー企業の労務慣行と労働者意識 ―パターナリズムを視点として―」(『日本労働社会学年報』

第4号,1993 年 10 月.pp. 3 ~ 28)

「移行期におけるハンガリーの第二経済 ―その現実と労使関係への影響―」(『ソシオロジカ』第 18 巻第 1号,1993 年 12 月.pp. 23 ~ 43)

“Problems in Old People’s Labor Life and Employment in Japan” in THE AGING IN HUNGARY AND JAPAN, Hungarian Central Statistical Office, Budapest, 1995, pp. 57-67.

「企業社会化と日本的労働システム」(『創価大学創立 25 周年記念論文集』,1995 年 11 月.pp. 334 ~ 342)

「年俸制と日本的雇用慣行の変容」(『ソシオロジカ』第 21 巻第1号,1996 年 12 月.pp. 1 ~ 17)

(25)

大梶俊夫先生略歴・業績一覧 3

「成果主義賃金制度の導入と労働組合の対応 ―電機連合の事例を中心として―」(『ソシオロジカ』第 29 巻 1・2 号,2005 年3月.pp. 109 ~ 130)

「成果主義賃金制度の導入と企業コミュニティの変容 ―家族手当の動向を中心に―」 (『ソシオロジカ』

第 31 巻 1・2 号,2007 年3月.pp. 31 ~ 52)

(26)
(27)

5

大梶先生のこと

小林 和夫

My Impression of Professor Okaji

KOBAYASHI Kazuo     

 

 1期生の大梶俊夫先生が 2017 年 3 月をもって創価大学を退職される。か つて、文学部社会学科の学生として先生の授業を受けた 16 期生の私として は、やはり時の流れの速さを実感せざるをえない。私は大学卒業後、民間企 業に就職してから研究者をこころざし、ご縁あって創価大学の教員となった。

大梶先生には、学生として、そして、後輩教員として異なった立場で接する 機会をいただいたことになる。僭越ではあるが、ここでは、学生と教員とい う 2 つの立場で大梶先生のことを記してみたい。

 私が入学した当時、社会学科は第二外国語の履修によってクラスが 2 つに 分かれていた。1 クラスがドイツ語とフランス語、2 クラスが中国語だった。

私は中国語を履修したので 2 クラスで、そのクラス担当教員が大梶先生だっ た。入学後すぐのガイダンスで大梶先生にはじめてお会いしたときの印象は

「穏やかな話し方をする先生だな」というものだった。

 最初に取った大梶先生の授業は英語の外書講読だった。今では考えられな

いが、社会学科では外書講読が必修科目になっていた。入学してはじめての

授業がこの外書講読で、私は大梶先生にいきなり当てられて、どぎまぎして

何とか答えたことを覚えている。私は当時ジェンダー論(当時はフェミニ

(28)

6 SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

ズム論とよばれていた)に関心があったので、3 年次にはほかの先生のゼミ に所属したが、大梶先生のゼミにもよく顔をだしていた。いまでも付き合い のある親友の野﨑君、野口君、鎌田君が大梶先生のゼミに入ったからである。

大梶先生は、正規のゼミ生ではないにもかかわらず、私のことも気さくに受 け入れてくださった。調子に乗って夏のゼミ合宿にも参加した。先生のゼミ が面白かったからである。

 先生は、ゼミでは社会学のことだけでなく、ご自身の学生時代のことや大 学の話もしてくださった。先生のエッジが効きながらも抑制のとれたお話は、

社会学専攻の私にはとても刺激的だった。私はいまでもエッジが効きすぎて よく周囲に迷惑をかけるが、先生にはそのようなことがない。いつも泰然自 若としておられる。今にして思えば、当時のお話の内容は結構尖っていたは ずだが、なぜか、それを耳にしても嫌な感じがまったく残らなかった。

 時を隔てて、私は創価大学の後輩教員として先生と接することになった。

しかし、先生としばらくぶりでお会いしたときも、先生は、私の大学入学時 の「穏やか」な先生のままであった。先生には、学生対応のことや学部のこ とで何回も相談に乗っていただいたが、いつも的確なアドバイスをいただい た。後輩教員として先生と一緒にお仕事をしたなかで、もっとも心に残って いることは、文学部のメジャー制導入のときの先生のお姿である。先生は学 部長を務められていて毎日ご多忙だった。何かの折に、私が冗談で「学生時 代は先生が学部長になられるとは思いませんでした」と失礼なことを申し上 げたことがあった。先生は「私は変わらないのに、周囲が変わったんですよ」

と笑って返された。

 文学部は 2.5 学部分の専門領域があり、それだけ教員数も多い。学生も多

様である。改組の会議では、教員間でさまざまな意見が飛び交った。そんな

なか、先生は学部長として、いつも「穏やかに」議事を進行させた。反対意

見や、突飛と思われる意見もすべて聞かれたうえで、議論に参加した教員間

の同意を上手にとりつけ「穏やか」に議事を進めておられた。先生が導入に

ご尽力になられたメジャー制は、文学部生の大きな支持を得ている。学生か

らの要請もあり、再来年のカリキュラム改編では、メジャー制をメジャー・

(29)

大梶先生のこと 7

マイナー制にバージョンアップする予定となっている。

 さて、ここまでとりとめのないことを書き連ねてきた。最後に、先生の一 貫して変わらない「穏やかさ」とは、何だったのかを私なりに考えてみたい。

 人間は多様である。ルーマンがいうように、そもそも人間相互のコミュニ ケーションが成り立つこと自体が難しい。であるならば、コミュニケーショ ンに臨む態度はおのずと決まってくるはずである。それは、小さな差異をこ とさらに問題にするのではなく、微細なことでも共通点があれば、その「奇 跡」を喜び、楽しむことのできる「寛容性」と「感受性」を基礎とするマイ ンドセットであろう。それは社会学的バランス感覚とも言い換えられる。

 学生時代にはわからなかったが、ゼミでうかがったエッジが効いていなが らも抑制がとれていたお話に、嫌みがまったく感じられなかったのは、そこ に先生の絶妙な社会学的バランス感覚が働いていたからに違いない。後輩教 員として久しぶりにお会いしたときも、また、メジャー制導入の際の意見が 飛び交う会議でも、先生が示された変わらぬ「穏やかさ」とは、社会学的バ ランス感覚の発露ともいうべきものだったと拝察する。

 社会学を学んできても「穏やかさ」のない私にとって、先生は目標とする 大先輩である。大学で先生とお会いする機会がなくなってしまうのは残念だ が、いつか私も社会学的バランス感覚を年齢相応には身につけて、先生に再 びお目にかかれることを小さな声でお誓いしたい。

 大梶先生、長い間、おつかれさまでした。

 ありがとうございました。

(30)
(31)

9

〈自由投稿論文〉

近所付き合いにおける主体としての自己

― 住民同士の「支え合い」をめぐる問題 ―

岩川 幸治

Self as the Subject of Associating as Neighbors:

The Issue of “Mutual Support” between the Local Residents IWAKAWA Koji

要 約

 近年,社会の変化や家族の変容によって,地域での「支え合い」が期待さ れている。なかでも「これからの地域福祉のあり方に関する研究会」による

「新たな支え合い」では,すべての住民が支える側となり,住民が主体となっ て活躍することで,近所付き合いによる「助け合い」が提案される。

 しかし,近所付き合いに対する意識をみると,理想は近所付き合いをしな がら助け合う姿が望ましいが,近所付き合いは希薄化していくだろうと予想 されている。これは,近所付き合いに対する意識を異にする住民がつながっ ていく難しさが現れているといえる。そこで,近所付き合いをボランティア とすることで,自己実現をしたいとう住民の要望に応えるとともに,住民誰 もが主体となって近所の住民を支えることを可能とする。

 このように住民が主体になることに注目は集まるが,客体としての自分は

影を潜めてしまう。また住民と一言でいっても,その内実は多様である。そ

こで住民カテゴリーを検討することによって,主体としての「わたし」も多

(32)

30 SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

様であることが前景化される。さらに住民カテゴリーを更新し続けることで,

多様である主体を意識し,「主体―客体」という関係性の構築へと結びつく。

キーワード 近所付き合い,新たな支え合い,主体としての自己,住民カテ ゴリーの検討と更新

1.はじめに

 なぜ,地域における支え合いが必要なのか。「これからの地域福祉のあり 方に関する研究会」がまとめた報告書『地域における「新たな支え合い」を 求めて―住民と行政の協働による新しい福祉』(以下,報告書と記す)の地 域福祉の意義と役割の項目では,その背景を次のように説明している(全国 社会福祉協議会 2008)。

 かつて多様な生活課題に対しては,家族や地縁に基づく地域共同体による 助け合いで対処してきたが,工業化や都市化などの社会の変化や,核家族化 などの家族の変容のなかで,これらの助け合いの機能が,市場から購入する サービスや行政が提供する公的な福祉サービスへと外部化されていった。電 球の交換やゴミ出しを頼める人がいない,一人暮らしがさびしい,悪徳商法 の被害,孤立死の問題,災害時の避難をめぐる問題など,多様化する生活課 題に対応するには,公的な福祉サービスだけでは難しい。したがって,自立 した個人が主体的に関わり支え合う,地域における「新たな支え合い」 (共助)

の領域の拡大,強化することが求められている。

 このような地域における「新たな支え合い」を確立するために,地域で求 められる支え合いの姿として,以下の三点が示されている。

 

・支援を必要とする人を「○○ができない人」としてとらえる,これまでの 福祉の考え方を転換する。

・地域で求められるのは,支援を必要とする人自らの内にある生きる力が 引き出されるような,エンパワメントとしての支援。

・地域における福祉活動では,ある人が常に支援する側になるのではなく,

(33)

近所付き合いにおける主体としての自己 3

支援者と被支援者が入れ替わることもある。

 

 支援が必要とされる人の潜在的な力に注目し,その力が引き出され自らの 役割を獲得しながら活躍することによって,地域で支え合う体制を整えてい くことが目指される。ここでいわれている「支援を必要とする人」とは,例 えば生活が困窮している人,障害のある人,ひとり親家庭,介護が必要な高 齢者など,なんらかの制度の対象となるような人たちである。このように支 援が必要とされる人が単に支援を受けるだけではなく,ストレングスに目を 向け,その人らしさを最大限に発揮できるようにすることで,その人の尊厳 を支えていくことに結びついていく。それができれば,支援を必要とする人 が自立した個人として主体的に生きることができ,地域での「支え合い」が 可能になるということだろう。

 では,自立した個人が主体的に関わり「支え合う」には,どのようにした らいいだろうか。報告書では,地域での生活課題をいくつかのレベルに整理 し,地域の生活課題をネットワークで受けとめるという論点が,次のように 示される。

 地域での生活は,親族や友人,近隣など様々な人々や多様な社会サービス との関係で成り立っており,地域福祉の目標は,様々な関係者がネットワー クを形成し,地域で互いに助け合えるような状態にあることだ。地域の生活 課題に対処する関係者は多様であるが,近隣の関係,地縁団体と機能的団体 との関係,行政や事業者・専門家との関係に整理することができる。なかでも,

隣近所のように地域における最も身近な関係である近隣の関係は,支援が必 要な人の見守りをしたり,話し相手になったり,ちょっとした手助けをした りしていることが多い。また,このような日常的な関係が,生活課題の発見 やいざというときの手助けにつながる基本であり重要な役割をもっている。

 このように,隣近所のような近隣の関係は,地域における「新たな支え合

い」の中核をなす位置づけにあるものとして,その重要性が指摘される。本

稿では,地域における「新たな支え合い」の基本となる隣近所の関係,つま

り近所付き合いに注目して,そのなかで主体となって「支え合う」関係をつ

くるというとはどのようなことなのか,その中身とどのようにそれを実現し

(34)

3 SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

ていこうとしているのかを考察していくことを目的とする。第二章では,近 所付き合いに関する意識について確認をする。第三章で近所付き合いという 関係性において住民がどのように主体となるのか考察をし,第四章で住民カ テゴリーに含まれる意味に注目しながら,さらに考察を進めていく。

2.近所付き合いに対する意識

 近所付き合いは身近な支え合いではあるが,実際に近所付き合いに対して,

私たちはどのような意識をもっているのだろうか。内閣府が実施している「国 民生活選好度調査」や「社会意識に関する世論調査」などでは,近所付き合 いに関する意識や現状が調査され分析されている。また,厚生労働白書など の白書は,様々な調査結果を踏まえて,人とのつながりをテーマにして刊行 されている。そこでは,少子高齢化などによる社会情勢の変化によって,こ れからの社会を生きていくためには,地域がその可能性を秘めており,これ からの地域が果たす役割に期待を寄せている。本章では,これらの調査や白 書に注目をし,近所付き合いがどのように分析され,今後の方向性が見出さ れているのかについて検討したい。

 平成 15 年度の国民生活選好度調査では, 「安心できる社会と人のつながり」

をテーマとして,①地域の人のつながりと活動,②仕事と人のつながり,③ 治安と地域の人のつながり,④老後と地域の人のつながりに関する国民の意 識について,調査している。なかでも,①地域の人のつながりと活動に関す る意識について,どのような分析がされているのかをみていく。

 周囲の近所付き合いの状況についての質問には,全体でみると「変わらな い」と回答した人の割合が 57.2%と最も多く,以前とあまり変化を感じてい ない人が多い。年代別では,15 ~ 19 歳までの若い年代層が 62.8%と最も高く,

20 ~ 29 歳が 50.8%と最も低い。一方で「近所付き合いが疎遠になってきて いる」と感じている人は,全体では 27.4%,年代別みると 70 ~ 79 歳が最も 低く 16.5%,20 ~ 29 歳が最も高く 40.8%となっている

(1)

 今後の近所付き合いをどの程度したいかという質問に対しては,「付き合

いはするがそれほど親しくなくてよい」と回答した人が全体で 48.8%と最も

(35)

近所付き合いにおける主体としての自己 33

高く,次いで「わりと親しく付き合いたい」が 39.8%となっている。年代別 にみると,20 ~ 40 代は, 「付き合いはするがそれほど親しくなくてよい」と「ほ とんどもしくは全く付き合いたくない」と回答した人が 60%前後と最も高 く,あまり積極的に近所付き合いを望んでいない。ところが,年代があがる と,「とても親しく付き合いたい」と「わりと親しく付き合いたい」と回答 した人が多くなり,60 代では 51.2%,70 代では 63.5%と高く,近所付き合 いをあまり望まない人を上回っている。

 以上の結果から,年齢によって,実際の近所付き合いや近所付き合いに対 する意識に違いが見られることがわかる。

 平成 18 年版厚生労働白書では,「持続可能な社会保障制度と支え合いの循 環~「地域」への参加と「働き方」の見直し~」をテーマに,白書刊行の目 的を次のように説明している。人口減少という新たな分岐点を迎えた社会の 中で,これまでの社会保障制度の改革や雇用政策の流れを確認し,国民の望 む安心な社会の基盤となるセーフティネットとして整備するとともに,国民 ができる限り家族とともに地域で支え合って暮らすことが可能となる社会を つくっていくという方向性を検証する。その上で,特に家族と関わりの深い 地域,職場(働き方)に着目して,新たな「支え合いの場」の在り方の可能 性について考察するとしている。

 では,近所付き合いについてどのような分析がなされているだろうか。近 所付き合いの程度については,次の通り分析している

(2)

。町村と大都市及び 自営業者と雇用者の別に見ると,1975(昭和 50)年から 2004(平成 16)年 までの間に,近所付き合いはいずれも低下しており,特に 1997(平成 9)年 から 2004(平成 16)年にかけての減少幅が大きく,この期間に大きく近所 付き合いが失われた

(3)

。町村と都市部では町村が,自営業者と雇用者では自 営業者が,それぞれ近所付き合いが高い。

 地域社会に関する意識の変化については,「何か社会のために役立ちたい」

と社会貢献に対する意欲をもつ者が増えており,特に 40 ~ 69 歳については,

60%を超える者が社会貢献に意欲を示している

(4)

。職場や地域社会で中核的

な役割を担っており忙しい毎日を送っている世代が,高い意欲をもっている

ことは非常に注目されると指摘している。若い世代については,白書では言

(36)

34 SOCIOLOGICA Vol. 41, No. 1·2 (通巻 62 号)

及されていないが,20 ~ 39 歳についても,50 ~ 55%が社会貢献をしたい と思っており,全体的に社会貢献に対する意欲を半数以上の人がもっている ことがわかる。

 地域活動への参加状況については,大都市圏住民の地域活動への参加状況 から分析している

(5)

。白書では,約半数が何らかの地域活動に参加しており,

なかでも町内会・自治会に参加する割合が 4 割と最も高く,人口密度が低い 地域の方が地域活動に積極的に参加している状況にあるとしている。地域活 動に参加するきっかけとして,生活に充実感や満足感を得ることを動機とし ている者が多く,人々が身近な地域の中で自らの位置づけを見つけ,積極的 に諸活動の担い手となっていくのではないか,ということに期待を寄せてい る。一方で地域活動に参加しないのは,「活動時間がとれない」「活動内容が よくわからない」という理由が挙げられている。地域活動に参加するために 求められることとして,「会員にならなくても,活動メンバーとして参加で きるようにする」「活動の曜日や時間を参加しやすいように設定する」「イン ターネット上での参加など,多様な参加方法を用意する」などの内容が多く,

緩やかな形態での参加を可能とすることで地域活動への「敷居」が低くなる と考えられるとしている。

 では,今後の近所付き合いに対する予想と理想はどうであろうか。15 年 後の近所付き合いに対する将来の予想について

(6)

,「近所付き合いが希薄に なる」(85.7%)社会を予測する割合が高い。一方で,将来の理想として, 「近 所付き合いが盛んになる」(84.5%)社会を期待する割合が高く,これは年 齢や居住地域にかかわらず高くなっており,将来の理想において「家族によ る支え合いに頼る」割合よりも更に高い点に着目すべきであると指摘してい る。

 近所付き合いがないわけではないが,ある程度の付き合いに変化しており,

これからの近所付き合いは希薄なっていくと予想している。一方で,社会貢

献をしたいという意欲をもつ者や,地域活動への敷居を低くすることで地域

の活動に参加を希望する傾向もある。家族だけに頼るというよりも,近所付

き合いによって問題や課題を解決したりする「助け合う」社会を求めている

といえるだろう。しかし,近所付き合いが希薄になってしまう予想と,近所

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