ゲル マ ン社 会 の土地所 有権思 想
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︿研究ノート﹀
ゲルマン社会の土地所有権
1 ﹁ 法 と 慣 習 ﹂
一︑
二︑
三︑
四︑
五︑
に 関 す る 一 素 描 i
松岡
はじめに
ゲルマン社会と共同体
物権の変動とゲヴェーレの法理
民族移動と土地分配
フランク帝国とレーエン制
一︑はじめに 誠
本稿は︑若干の法史学的な観点を踏まえながら︑古代のゲル
マンの社会状況との関連で︑簡潔に土地所有権のゲルマン的形
態を考察することによって﹁法と慣習﹂に関する今後の準備的
な検討として用意されたものである︒したがって︑本稿は︑必
ずしも年代別に書かれていないし︑また︑ゲルマン的な所有権
概念を理解する上でのより典型的な数項目について概観してい
るにすぎない︒さらに︑﹁法と慣習﹂についても︑今後どのよ
うな研究へと向かうのかという点については本稿では充分に明 確化されていない︒けれどもこのような問題意識を有しなが
ら︑いずれもう少し鮮明な問題点の探求をめざすことを他目に
期したいので︑本稿は﹁法と慣習﹂に関するとりあえずの一素
描というノートの段階にすぎないのである︒
二︑ゲルマン社会と共同体
民族移動前のゲルマン社会は︑血縁関係を中心として構成さ
れた氏族共同体の社会であって︑主として農業を営み︑慣習と
民族信仰とによって秩序を保っていた︒したがって︑古代ゲル
マン社会では︑一種の原始共産制が各々の氏族や部族の問でな
されており︑またこのような社会では︑土地が社会の基礎とな
るので︑土地所有の形態は最も重要な問題とされていた︒その
ため土地所有権の変動には︑厳格な形式が要求されると同時
に︑土地の事実支配︑すなわち﹁ゲヴェーレ﹂の法理が要件と
されていた︒こうして︑土地所有の形態に関する純粋なゲルマ
ン的要素が︑民族移動前のゲルマン社会に典型的にあらわれて
いたのであった︒
しかし︑四世紀以来の民族移動を契機として︑ゲルマン民族
は︑より発達したローマ文化やキリスト教に遭遇することによ
って︑とりわけローマ領内に侵入したゲルマン諸部族は︑次第
にローマ化されるようになった︒そして︑このローマ化の原因
となったのは︑征服者となったゲルマン人の土地分配の方法や
政策であって︑こうして︑占有や所有権に関する概念もローマ
法的な形態の影響を受けて一方で大きく変容することになっ
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た︒けれども︑他方でゲルマン固有法のいくつかの基本的な諸
観念は決して崩れず︑むしろローマ法と融合しながらも︑逆に
ローマ法をゲルマン化して︑いわゆる﹁ローマ卑俗法﹂(﹃α学一のoげoω<三σq跨おo窪)の出現をもたらせるにいたるのである︒
またローマ領外や中部ヨーロッ︒ハのゲルマン人では︑依然とゲ
ルマン固有の部族慣習法が守られており︑そのような中から︑
フランク帝国が出現したのであった︒そしてフランク帝国で
は︑国制の維持のために古代ゲルマン以来の従士制が強化さ
れ︑またとくにレーエン制が確立され︑こうして国家と封建制
との結びつきが持たれるにいたるのである︒しかしフランク帝
国では︑依然とゲルマン的要素が強かったので︑帝国の統一法
までは完全に実現されなかったのであった︒
ところで︑ゲルマン的な要素が︑あらゆる面で最も顕著な時
期は︑紀元前一世紀から五〜六世紀のゲルマン諸国家建設期ま
での︑いわゆる古代ゲルマン(σq興ヨ睾凶ωo冨d旨o律)の頃で
あろう︒そして︑この古代ゲルマンの時代にあらわれる種々の
ゲルマン的な特色は︑その後の中世から近世初期にかけても︑
一方のローマ的形態と交錯したり︑あるいはそれから変容を受
けたりするのであるが︑そのような推移の中で所有権概念のゲ
ルマン的形態が典型的にあらわれるのは︑古代ゲルマンの時代
ではとりわけ土地所有権の形態なのである︒
( 1 )
﹁ゲルマン民族は共同体に編成されて歴史の舞台に登揚した﹂といわれるように︑ゲルマン社会の共同体的傾向は古代ゲルマ
ン以来の特徴であった︒古代ゲルマンにあっては︑ジッペ
( 2 )
(ω一署①)を中心とした︑ゲノツセンシャフト的︑あるいはヘルシャフト的な共同体を構成しており︑土地の所有もジッペを通
しておこなわれていた︒紀元一世紀頃のゲルマン社会は二十余
個の小部族国が散在し︑それらの部族国内は︑郡(=§ロ興?
ωo冨津ωげ①鼠時)︑村(OO臥)︑世帯(自窪ω)とヒェラルヒッシ
( 3 )
ユな構成をなしていた︒行政上の区画である郡とは異って︑村は血縁共同体的な各々の世帯と地縁的に結ばれていた︒こうし
た村はさらに連合して︑村落共同体(uo焦鴨ヨ①貯ωo冨津)やマ
ルク団体(竃①蒔σeΦ8ωωΦ昌ω99︒εという経済的団体を作成し︑
このような組織によって︑共用地(︾一一ヨ①口伍O)の運営や労働の
( 4 )
指導を計画的になしていた︒また︑血縁関係を基本として成立する共同体は︑土地を物的
な基礎とした︒したがって︑土地所有権は︑家長たるムント
(家権力)にも属さず︑共同体の構成員に﹁総手﹂(αq︒ω鋤巨冨民)
的に所属するのである︒ムントの効力も構成員の財産拘束権
(<︒ほきσq︒口あ6冨霰器︒ぽ什)より上位ではなかった︒ただし︑
耕地や共同地と異って︑宅地(}肖Ohω什母什け①)に関しては個別的所
有権(ω8阜興σΦ舞N)が認められる場合があった︒けれども︑
﹁土ハ同の利益は各個の利益に先行する﹂という原則を通して︑
( 5 )
古代ゲルマン社会の土地総有制が保たれていたのであった︒よって︑古代ゲルマンの土地法律関係にあっては︑村の各世
帯がまず宅地の個別所有権を有し︑次に畑の個別利用権を持
ち︑さらにマルクあるいは共用地(入会地)の共同的利用権を
( 6 )
も有していた︒そして︑血縁関係を基礎として︑各構成員間のゲル マ ン社 会 の土地所 有権 思想
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平等と平和の思想を原理とした総手的結合生活としての共同体
的性格は︑その後のゲルマン社会の進展にあっても常に原型を
( 7 )
なすのである︒それゆえ古代ゲルマン社会の耕地共同制(国o嵐ぴqΦ旨Φぎωo冨陣)こそ︑典型的なゲルマンの形態である︒
三︑物権の変動とゲヴエーレの法理
ゲルマン社会では︑直接的な物権契約こそ物権の取得方法で
あった︒そして︑とくに︑土地所有権の変動には移転の公示を
必要とした︒これは古代ゲルマン以来の土地総有の概念によっ
( 8 )
て︑﹁国民公知の面前において獲得﹂すべきだとされたからである︒古代ゲルマンでは︑宅地に関して譲渡性が認められるよ
うになり始め︑それの移転行為には厳格な儀式を必要とした︒
この儀式は可聞(げα吾母)と可見(ω凶︒寓げ母)から成り︑とり
わけ象徴行為(望ヨσ︒一一ω6げo国睾巳巷αq)を重視した︒この場
合の象徴物(超ヨげ畠ωo﹃臼O①αq9ω紆昌創)とは土地そのものの
記号でもあって︑目的物内の土砂あるいは石塊の一片とか︑あ
るいは樹木の小枝等の授受を通して︑土地そのものの移転を意
( 9 )
味したのであった︒以上のような儀式を通して︑﹁土地移転の( 10 )
合意﹂が成立し︑売買代金がその時に支払われた︒ここにゲルマン特有の形式尊重と現実的ゲヴェーレ(一〇一σ一一〇ずO(ΨO♂くO﹃①)
が顕著にあらわれる︒さらに物権の移転の効果を生じさせるた
めに土地の現実的引渡(円①鋤一〇H昌ぐ・Φω什一什賃居鋤)をも要求した︒そ
れは︑ゲルマン社会にあっては事実上の占有から離れた所有権
を考えられず︑したがって︑物権移転の合意と占有の移転とは 同時同所であり︑また同じ一個の行為と考えられたからであ
る︒すなわち︑﹁所有権を与えんと欲する者は︑占有をも与え
ざるべからず﹂(類①脱国凶ΦqΦコ葺ヨ凶び⑦答轟αqΦ口a戸口び興什感αqけ
(11)ωΦω陣言)なのである︒
ところで︑物権変動の要件であるゲヴェーレの法理は︑あく
(12)まで﹁物支配の保護を︑物支配の事実と不可分にのみ認める﹂
という基本原理に立脚している︒したがって︑物権変動の儀式
後の売買契約は所有権そのものの移転なので︑二重売買は無効
となるのであった︒ゲルマン法では第一の買主こそ売買契約の
(13)優位(勺居一〇同一叶似け自Oω困(餌d︻hOO昌什﹃9ρO什ω)が与えられるのである︒
また︑現占有者のゲヴェーレの蝦疵による場合に︑旧所持者の
返還請求権の根拠となるゲヴェーレが依然と存続すると認めら
(14)れると︑観念的ゲヴェーレ(一ユO①一一〇(甲O<¶①圏Φ)が発生する︒そし
て︑動産よりも不動産に︑より多くこの観念的ゲヴェーレが発
達した︒ということは︑土地支配の社会的性質や明白性による
ということであるが︑しかし︑ゲヴェーレ自体の観念的形態と
しての独立化した権利までは︑ゲルマン法からは発展しなかっ
(15)た︒したがって︑ゲヴェーレの内容に関して︑物の事実的支配
が︑不動産については動産よりも厳格に要求されなかった︒そ
こで︑不動産について︑観念的ゲヴェーレとか正当ゲヴェーレ
(同OOげけO(ΨOぐく⑦HΦ)が生じたということは︑すなわち︑ゲルマ
ン社会における土地が︑経済と支配権力の基礎であったためで
もあり︑古代ゲルマンから中世の封建社会にかけて︑ゲルマン
経済の中心が農業経済であったからである︒