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1980 年代中国政府と現代新儒学研究 ―儒学再構築の政治的意図―

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1980 年代中国政府と現代新儒学研究

―儒学再構築の政治的意図―

文学研究会社会学専攻博士前期課程修了 周 灼 儀 Chow Cheuk Yee

はじめに

「現代新儒学」とは 第1節 「現代新儒学」と「現代新儒家」の一般的定義

第2節 「現代新儒学思潮」の歴史的発展と時代区分 第3節 「現代新儒家思潮研究」の成立と主要な研究対象

強化を目指しての正統性の再構築 1節 ポスト文化大革命期における中国共産党の正統性

2節 国民政府の「反共」道統論

3節 中華文化の継承者としての現代新儒家

まとめ

参考文献一覧

はじめに

改革開放以降、中国では儒教復興の動きが急速に広がってきた。ところで、アヘン戦争や日清戦 争で諸外国に敗北した中国社会は、1910 年代に起こった五四運動の頃から文化大革命にかけて、儒 教・孔子を徹底的に批判してきた。儒教に代表される旧道徳・旧文化が「人を食う」ものとされ、中 国社会の発展の「妨げ」とみなされ、中国封建社会の政治思想としての儒家思想が中国における近代 化が進まない原因であるとレッテル張りが行われた。文化大革命の一環である批林批孔運動が、これ までの中国社会における孔子批判のピークとなった。70 年近くの孔子・儒教批判を経て、鄧小平の

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指導体制のもと、78年に改革開放政策(中国国内体制の改革および対外開放政策)が開始された。

その時代の中で儒教は再び国家公認となった。その始まりは1986 年に開始された儒学研究プロジ ェクトである。1986年1029日から114日まで北京で開催された全国哲学社会科学「七五(第 75ヵ年計画)」決議会議のなかで、「現代新儒家思潮研究」が国家重点研究課題とされた。それ は旧道徳・旧文化の打破、儒教批判などを掲げる五四運動以来、中国の指導者たちが再び儒学に目を 向けるようになった象徴的な出来事であった。「現代新儒家思潮研究」の主要な研究対象のなかには、

牟宗三、徐復観など中華人民共和国建国を機に、台湾、香港を拠点に、1960 年代からの中国本土に おける文化大革命にも巻き込まれず、台湾、香港で中華文化宣揚の活動をしていた学者もいれば、梁 漱溟、熊十力、馬一浮、馮友蘭、賀麟など本土で文化大革命を経験した学者もいた。

以上のように、儒教研究は拡大していた。しかし、中国政府はなぜ1980年代1に儒学研究を開始し たのか、そしてそこにどのような政治的意図があったのか疑問に思われる。本論は 1980 年代の国内 外の情勢と関連付けながら現代新儒学思潮の歴史的発展を追究し、その政治的意味合いを明らかにし ようとするものである。

伝統文化の再考と再建

1980 年代儒学復興の要因をこれまで十分に研究されてきた。これまでの研究を整理して以下のよ うに分けられる。①欧米学界での評価が 80 年代の初頭中国に伝えられたこと、②鄧小平の「社会主 義精神文明」論のもとで始まったこと。③「儒教資本主義」が中国の経済的近代化の可能性を示唆し たこと。④「現代新儒家思潮研究」が儒学と現代化について討論の場を提供したこと。⑤民間主導の ネットワーク強化、⑥中国政府がマルクス主義を代替するイデオロギーを模索して中国共産党の統治 の正当性を強化しようとしたことなどが挙げられる。これまでの研究から、1980 年代中国における 儒学復興は現代中国の歴史的背景のもとで必然的に生み出された思想文化現象であることがわかる。

しかし、改革開放政策実施後、新啓蒙運動の中で、中国共産党はなぜ「現代新儒家思潮研究」を 打ち出したのか。中国共産党の視点から「現代新儒家」と彼らの思想・哲学を中心にして分析した研 究はまだ少ない。これに対して、本論では従来の思想面や政治哲学ではなく、「現代新儒家思潮研究」

の研究成果として出された論集、「現代新儒家思潮研究」の責任者である方克立の著作、政府の公式 文書に着目し、歴史的背景を参照しながら、中国政府が現代新儒家研究において展開した政治的意図 を中心に考察を行う。

1 本論文では新啓蒙運動と市場経済への移行期であったという2 つの意味の上から、「1980 年代」という語義を

改革開放政策実施の1978年から新啓蒙運動の終結を象徴する天安門事件の1989年までの期間を表すものと考え る。

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「現代新儒学」の概念

1節「現代新儒学」と「現代新儒家」の一般的定義

「現代新儒家」と「現代新儒学」の定義、対象、理論的特徴、歴史的評価などについて様々な議 論があったが、一般には 1910 年代以降、儒学を西洋哲学との関係のなかで現代的に解釈する学者・

思想家を「現代新儒家」とし、その学問・思想・哲学などを「現代新儒学」と総称する。

中国の『哲学大辞典』(1984 年)の中で、「新儒学(現代新儒学のことを意味する)」について 次のように書かれている。「新儒家思想とも称される。賀麟の用語。西洋哲学と『中国の孔孟程朱陸 王の哲学との結合』によって生まれた『民族精神の新哲学』である2」。1984 年時点ではまだ「現代 新儒学」という用語は中国の『哲学大辞典』には掲載されていなかった。宋明理学も「新儒学」と呼 ばれているが、それは 20 世紀の「新儒学」は基本的に程朱陸王の宋明理学を受け継いだものだと考 えられていたと言えよう。

1986 年に始まった中国国家プロジェクト「現代新儒家思潮研究」の責任者である方克立によれば、

現代新儒家思潮は 1920 年代初頭に始まり、それは反伝統的な特徴を持つ「五四」新文化運動への保 守的な反応である。その時代から見れば、現代新儒家は中国現代思想史における「現代」という定義、

すなわち「五四」運動の頃から中国は「現代」に入るという一般的な見方と一致しているため、「当 代新儒家3」より「現代新儒家」と呼称したほうが適切である4

そして19879月に安徽省宣州市で行われた第一回「現代新儒家思潮」学術討論会において、現 代新儒家が20世紀20年代に誕生し儒家の『道統』を継ぎ、宋明理学を抱きつつ、学説と西学とを融 合して儒家の近代化を図ろうとした学術思想の派流であるとする定義が示された。他にも、多くの内 外の文化的危機のもとで、積極的に西方に真理を求めると同時に中国伝統文化に立ち戻り、西方文化 と伝統文化とを結び付けて近代化を図ろうとした思想家であるとする定義などが提唱された5

杜維明研究者の中村俊也は、「儒学とは言っても、往昔のままの研究内容の継承ではなくして、

現在、世界の抱える全人類的課題に、儒学の立場で、どう積極的にかかわってゆくのか、という、将 来の展望をも含む、視野の広がりを有することが要請されている。このような方向を持ち儒学に関与 する人々を『新儒家』と言い、彼等の儒学を『現代新儒学』と呼んでいる。『新儒家』とは、元来、

中国における宋明理学に冠せられた名辞で、『Neo Confucian』というのが英訳名で、むしろ、欧米

2『哲学大辞典・中国哲学史卷』、上海辞书出版社、675頁。

3 方克立によれば、「当代」とは1949年中華人民共和国建国後から現在までの期間である。「当代新儒家」と呼 称する際、第一世代の新儒家を含むこともあるが、主に1950年代以降の香港・台湾の新儒家を際立たせる際に用 いる。

4 方克立『现代新儒学与中国现代化』长春出版社、2008年、12頁。

5 前掲、福島仁「現代新儒家思想研究の問題点―新理学研究序説」『国際交流研究:国際交流学部紀要』フェリ ス女学院大学、19993月、22頁。

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人の命名に成る呼称である。これに対しては、新しく、『当代新儒家(=現代新儒家)』を厳密には 区別して称し、『Contemporary New Confucian』と英語表記するのが、普通である6。」中村俊也は

「現代新儒学」を宋明理学の継承である「中体」と考えると同時に、西洋哲学を吸収した「西用」と 表したのである。

本論は一般的に「新儒家」と呼ばれてきた儒教研究の動向を中国政府が付けた名称である「現代 新儒家」と呼称する。そして「現代新儒家」を「現代新儒家思潮研究」の中で指定された第一世代の 梁漱溟、張君勱、熊十力、馮友蘭、賀麟、銭穆、方東美、第二世代の唐君毅、牟宗三、徐復観の 10 人と、そして1980年代中国大陸で活動していた第三世代の杜維明を研究対象とする。

2節「現代新儒学思潮」

現代新儒学思潮は中国現代史の発展と呼応するものと見ることができる。現代新儒家は保守主義 者と見られてきたが、中国現代史の表舞台には一度も立たなかった。一方、彼らは中国現代化を助け るものとして中道の道を歩み、全面的西洋化は支持しないが、伝統に固執することもなかった。しか し「現代新儒家思潮研究」の責任者である方克立は中華文化の復興は儒学や新儒学を主軸とすること はできず、必ず現代の先進的文化であるマルクス主義を主軸とすべきだという意見を持っている。一 体、現代新儒家は中国現代史においてどのような位置づけであったのか、その歴史的展開と一般的な 時代区分を以下のように紹介することによって明らかにしたい。

(1)歴史的展開

新儒家の系譜は五四運動に始まると一般的に考えられる。しかし、アヘン戦争が始まった 1840 年 に遡ることができると言われることもある。清朝は西洋文化から衝撃を受け、中華思想に基づく朝貢 貿易というそれまで維持してきた対外政策が通用しなくなった。これがのちに洋務運動、辛亥革命、

五四新文化運動等の一連の中国国内における改革運動を導き出した。洋務運動のなかで中国の進歩派 は富国強兵のため、「中体西用」論を立て、儒学など中国の伝統的学問を基礎として、西洋の文明、

とくに近代科学技術を導入しようとした。その後、日清戦争に敗れて康有為らが 1898 年に明治維新 を元にした立憲君主制を確立しようとし戊戌変法運動を推進した。戊戌の変法は百日で終わったが、

民国初期に行われた孔教運動は、戊戌変法運動の際中に康有為が創案した孔教構想が発端とされる7。 それはキリスト教への対抗として孔子を教主とし、孔子廟、孔教会を設けるなどとして展開された運 動であるが、孔教を国教化8する試みでもあった。結局孔教の国教化運動は復古運動とみなされて失

6 中村俊也『新儒家論―杜維明研究』亜紀書房、1996525日、3頁。

7 佐々充昭「東アジア近代における孔教運動の展開 : 康有為と朝鮮人儒学者との交流を中心に」『立命館文學』

626巻、 20123月、1497頁。

8 康有為は当時のデンマークとスペインの制度を模倣して「信教の自由」「孔教を国教とする」と掲げた。

(『哲学大辞典・中国哲学史卷』、上海辞书出版社、156頁。)

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敗に終わり、逆に「儒教」の中国での地位が下がった。

こういった政治運動の中で、これまで支配思想として利用されてきた「儒教」という中国伝統思 想は中国の現代化発展を妨げるものとして排撃されるようになった。その文化的背景として、1910 年五四運動は本来ヴェルサイユ条約の内容に対する不満から発生した反日・反帝国主義を掲げる大衆 運動だったが、結果的には儒教もまた批判対象となった。五四運動の進展とともに、「啓蒙運動」に よって、市場経済、民主主義制度、科学技術等の「現代文明」の価値が中国大陸で広く認識されるよ うになった。

こうして中国の知識人は、19世紀末から20世紀にかけて西洋近代文化と接触して、西洋文化に対 する中国伝統文化の独自性を考えようとしていた。このような雰囲気の中で、第一世代の新儒家が生 まれたのである。一般的に新儒家は梁漱溟に始まると考えられている。梁漱溟が 1921 年に発表した

『東西文化及其哲学』は現代新儒学の始まりだと一般的に考えられている。『東西文化及其哲学』は 中国文化、西洋文化、インド文化・哲学を比較し、西洋文化の「サイエンス」と「デモクラシー」を 検討したものである。彼は、儒家文化は内在的価値、とくに倫理的価値を有するだけではなく、世界 が向かうべき方向性であると示した9。文化大革命の真最中、1973 年の批林批孔運動において、孔子 擁護を主張したことによって批判を受けた10。このように梁漱溟は全面的西洋化の思潮の中で中国伝 統文化の価値を求めていた。

その後、『東西文化及其哲学』がきっかけとなり 1923年に張君勱と丁文江の間で「科学観と人生 観」論争が交わされた。科学主義を推進する丁文江、胡適らが、全面的西洋化の態度を取り儒教を徹 底して批判した。「科学万能」主義を取る丁文江の主張に対して、張君勱は科学は人生観の問題を解 決しきれないと主張した。張君勱は科学は社会に豊かな発展をもたらすことができるが物質文明は戦 争を促すと考えた。「新青年」は孔孟を重んるべきであり、宋明理学が精神文明であると主張した。

一方、日中戦争期において哲学者である馮友蘭は『新理学』(1939 年)『新事論』(1940 年)

『新事訓』(1940 年)『新原人』(1943 年)『新原道』(1945 年)、そして戦後に『新知言』

(1946年)を出版した。これら6冊の著作は「新理学」体系を構築し、儒家の「道統」を宣揚した。

19455月開催の中国国民党第六次全国代表大会で朱家驊と陳立夫の連名で蒋介石に推薦した98名 の「最優秀教授党員」の一人に選ばれた。後に清華大学の教授、中華民国の中央研究院初任院士を経 て、1949 年中華人民共和国成立後、マルクス主義へ転向し、中国大陸に残った。後にも数回にわた って「新理学」がマルクス主義と相反し、「反人民」的であると馮は過去の著作を批判した11

以上は第一世代の現代新儒家の代表的な出来事である。第二世代の代表的な出来事は 1958 年に第

9 梁漱溟『东西文化及其哲学』北京:商务印书馆、1999年(修訂版)、204頁。

10 前掲、土屋昌明『東アジア社会における儒教の変容』、244-262頁。

11 陈仕儒『儒学简史』贵州人民出版社、20124月、174-178頁。

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一世代の張君勱と共に、唐君毅、牟宗三、徐復観12が連名で発表した『中国文化のために世界の人士 へ奏する宣言』(『為中國文化敬告世界人士宣言13』)であり、一般的に「当代新儒家宣言」と呼ば れている。この宣言は西洋文化の衝撃に反応し、東側は西側に学ぶと同時に西側も東側に学ぶべきで あり、中国文化、とくに儒学の学術的方向性を位置づけた。

基本的に上記の現代新儒家 10名は「現代新儒家思潮研究」の初期段階における研究対象とされる

14。後に初期段階における「現代新儒家思潮研究」の研究対象ではなかった第三世代の余英時、劉述 先、成中英は本論文の研究対象ではないためここでは論及しない。しかし 1980 年代中国大陸に留学 し、講演などを行って中国大陸に大きな影響を与えた杜維明は、第三世代に属するが本論文の研究対 象とする。

杜維明は第二世代の唐君毅、牟宗三、徐復観の継承者である。杜維明の「創造的転化15」と「儒学 第三期発展の前景問題16」が中国大陸で注目されるようになった。杜維明は1978年秋に学術交流のた めに初めて中国大陸に戻り、80年に9か月にわたって北京師範大学の歴史系で留学し講演を行った。

1985 年春、フルブライト訪問学者として北京大学で半年間滞在し、その間哲学系で「儒家哲学」講 義を開設した。同じ時期に、中国国内の大学や研究機関でも訪問や講演を行った。それからシンポジ ウムや座談会、出版物やインタビューなどによって、「儒学第三期発展」について見解を明らかにし た。それによって「儒学復興」説は 1980 年代半ばの中国文化界の主要な話題の一つとなった。1980 年代以来、杜維明は中国大陸の学術界に影響を与えた。それは主に儒家思想の現代的意義と儒学第三 期発展の前景問題であった17

12第二世代の現代新儒家は香港・台湾を拠点とする「港台新儒家」と呼ぶ場合もある。他にも、1949年前後に海 外を拠点にし、香港の新亜書院と台湾の東海大学に集中していた新儒家を第二世代と分類する場合、銭穆、方東 美が第二世代に属する説もある。

13 最初は1958年元旦号の『民主評論』と『再生』に掲載された。副題が「我々が中国の学術研究と中国文化及び 世界文化の前途に対する共同認識」(『我們對中國學術研究及中國文化與世界文化前途之共同認識』)

14 方克立『现代新儒学与中国现代化』长春出版社、20081月、13頁。

15 原载:香港『中报月刊』第76-80期、19865-10月。

16 原载:香港『明报月刊』第21卷第1、2、3期、19861-3月。

17 杜维明著、岳华编『儒家传统的现代意义:杜维明新儒学论著辑要』中国广播电视出版社、19925月、2-3頁。

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第一世代から第三世代の現代新儒家の主な論点

時代区分 世代別 主な論点

1915-27「東西文化問題論争」

1923-24「科学と人生観論争」

日中戦争、中華人民共和国建国

第一世代

(梁漱溟、張君勱、

熊十力など)

・中国文化がなぜ科学と民主を生み出せな いのかという問題

・民族文化の復興は儒家文化の復興 など

1950年代-70年代の台湾・香港 第二世代

(唐君毅、牟宗三、

徐復観など)

・中国文化に科学知識系統や民主政治思想 が不足していることが、中国が現代化・

工業化を実現できない原因とみなす

・西側の知性と儒家の政道の双方を取り入 れる必要性

・1958年張君勱と『中国文化と世界―我々 が中国学術研究及び中国文化及び世界文 化の将来に対する共同認識』宣言を発表

など 1970 年代-90 年代の海外(主にア

メリカ)

第三世代

(余英時、杜維明、

劉述先、成中英、蔡 仁厚など)

・現代化とグローバリゼーションを反省 し、伝統と現代、人文と科学技術、東洋 と西洋、グローバリゼーションとローカ リゼーションなどの諸問題 など

郭齐勇『现当代新儒学思潮研究』(2017年)より筆者作成。

郭斉勇の『現当代新儒学思潮研究』をもとに、第一世代から第三世代の現代新儒家の論点を上記 の表のように整理した。そして上記の現代新儒家相関図を参照すれば、第一、二、三世代の関係が見

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られる。第一・第二、そして第三世代の間に思想・哲学の繋がりがある一方、各自の主張もある。第 一世代は主に中国文化はどのように西洋文化と接していくべきかの問題について討論し、第二世代は 第一世代の主張を受け継ぎ、西洋諸国に対し中国文化は中国の論理によって理解されなければならな いとし、第三世代はさらに中国大陸と西洋諸国の間で対話が促進しなければならないと主張した。

郭斉勇は次のように三世代の現代新儒家を概括して説明した。「彼ら三代の学者が東西文化の融 合に取り込み、東西文明の衝突と調和の中で、そして文明対話の過程の中で、(中国)文化の自覚を 最初に強調し、(中国)文化の主体性を建立した。このような学者の群れの現れは、時代の産物であ ろう18。」これは現代新儒家の出現が必然的であるという意見であった。つまり、中国が現代化を進 める過程の中で現代新儒家が重要な役割を果たし、現代化の推進に貢献したといっても過言ではない。

(2)時代区分

現代新儒家思潮の時代区分について以下のような代表的な分類がある。

1.劉述先

劉述先は現代新儒学思潮の時代区分を4期に分けた。第一世代に梁漱溟、張君勱、熊十力、馬一浮 である。この段階は現当代新儒学思潮の発展初期にあたる。第二世代に、馮友蘭、錢穆、方東美、賀 麟である。この段階は日中戦争期から 45 年の終戦までの間を指す。第三世代に、唐君毅、牟宗三、

徐復觀。彼らは1950年代—70年代まで台湾と香港を拠点として活躍していた。第四世代の成中英、劉 述先、杜維明、余英時は、1970年代—90年代までアメリカをはじめとする海外を拠点とし、改革開放 後中国本土に帰国した19

2.郭斉勇

郭斉勇は劉述先の分類に基づき、1949 年以降アメリカで活動する陳栄捷、台湾で活動する陳大斉、

謝幼偉、張其昀、胡秋原などの人物も現当代新儒学の代表人物に付け加えるべきだと主張した20。 3.方克立

方克立は『現代新儒家学案(上)』の序文で、杜維明の『創造的轉化―批判繼承儒家傳統的難題

(創造的転化―儒家伝統を継承する難題の批判)21』で現代新儒家の「3 世代」の分類に賛同した。方

克立は更に以下のようにその時代区分について詳しく述べた。「時間軸で区分すれば、『五四』から 中華人民共和国成立までの30年間は現代新儒学の発展史において第一段階である。50年代初頭から 70年代末まで、そして1978年唐君毅先生の逝去と後の数ヶ月間続いていた『悼唐風波(唐君毅を悼

18 前掲、郭齐勇『现当代新儒学思潮研究』、自序。

19 前掲、郭斉勇『現当代新儒学思潮、人物及び其の問題意識と学術貢献を総観して(综观现当代新儒学思潮、人

物及其问题意识与学术贡献)』、237-260頁。

20 前掲、郭斉勇『現当代新儒学思潮、人物及び其の問題意識と学術貢献を総観して(综观现当代新儒学思潮、人

物及其问题意识与学术贡献)』237-260頁。

21 杜維明『創造的轉化―批判繼承儒家傳統的難題』『中報月刊』19875-9號。

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む風波)』を現代新儒学の発展史における第二段階の終結を象徴する30年間である。80年代に始め られた第三段階は今になっても10年しか経過しておらず、まだ発展の過程にある22。」

本論では 1980 年代中国政府の視点を取るため、「現代新儒家思潮研究」の責任者である方克立の 現代新儒家思潮に対する時代区分を基調としている。

3節「現代新儒家思潮研究」国家プロジェクト

(1) 成立

19869月に中国共産党第12回中央委員会第6次全体会議で「中共中央社会主義精神文明建設に 関する指導方針の決議(中共中央関与社会主義精神文明建設指導方針的決議)」が決定され、研究に おける「百家争鳴」の方針が提示された。1986年1029日から114日まで北京において開催さ れた全国哲学社会科学第75ヵ年計画決議会議で「現代新儒家思潮研究」が国家重点研究課題とさ れた。現代新儒家研究が正式に中国共産党に認められたことを意味する。南開大学の方克立、中山大 学の李錦全を責任者とし、16の研究組織と47名の研究者が参加してグループを構成し新儒家研究が すすめられることとなった。1987年9月に安徽省・宣州で第一回「現代新儒家思潮」学術討論会が行 われ、中国本土における現代新儒家の定義、範囲、思想的特性、現代新儒家思潮が発生した原因、歴 史的発展の段階、歴史的位置と評価、これからの研究方向が議論された23。1990年1213日から15 日にかけて広州で「現代新儒学与当代中国学術討論会」が開催された。そこで現代新儒学思潮研究の 現状、現代新儒学と当代中国文化建設、現代新儒学の中国文化における地位について議論された24。 第85カ年計画においても新儒家思想研究は国家重点研究課題に決定された25。これは「現代新儒 家思潮研究」の一般的な経緯である。1987 年の第一回「現代新儒家思潮」学術討論会の開催によっ て「現代新儒家思潮研究」の方向性が決定され、その3年後に現代新儒学と現代中国の関係が検討さ れるようになったことが見られる。

しかし、「現代新儒家思潮研究」が開始される前に、現代新儒家思想について中国で討論される ことがあった。福島仁の研究では、現代中国思想研究について旧来の方向と異なる姿勢がはっきり現 れたのは1985年からであった。1985 年5月に、中国近現代哲学討論会26が広州で開催された。福島 仁はその討論会で議論された現代新儒家に関する内容を次のように明快な分析を行った。「特徴とし

22 方克立、李錦全主編『現代新儒家学案』中国社会科学出版社、1995年、3-4頁。

23 前掲、福島仁「現代新儒家思想研究の問題点―新理学研究序説」、22頁。李宗桂「“現代新儒家思潮研究”的 由来和宣州会議的争鳴」、『現代新儒学研究論集(一)』332-340頁。顧偉康「深入開展対現代新儒家的研究

―“現代新儒家思潮研究”学術討論会記要」、『上海社会科学』1987年第11期、79-80頁。

24中国社会科学院哲学研究所编『中国哲学年鉴1991』中国大百科全書出版社、1992年、275頁。

25中国社会科学院哲学研究所编『中国哲学年鉴1993』中国大百科全書出版社、1994年、287頁。

26 その前に中国論壇雑誌社主催の「当代新儒家与中国現代化」座談会が198281日に台北で開催された。

座談会では、李亦園、韋政通が司会で、余英時、劉述先、張灝、林毓生、金耀基などが発言し、現代新儒家の定 義、範囲、意義などが議論された。これが一般的に現代新儒学思潮研究の始まりだとみなされている。

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ては中西合流、地主ブルジョア階級の思想体系が中心であり、人生問題を主題とし、比較的高度な理 論水準をたもち、非理性主義的色合いが濃厚などがあげられ、『新孔学』『新理学』から『新心学』

へと歴史的に移り変わり、半植民地、反封建社会経済の基礎に従う上部構造だとしている。評価は低 いとしても内容に立ち入って検討が始まったことになる27。」その中で新儒家思想が現代ブルジョア 哲学研究の一項目として取り上げられたのである。

(2)主要な研究対象

「現代新儒家思潮研究」は初期段階では、梁漱溟、張君勱、熊十力、馮友蘭、賀麟、銭穆、方東美、

唐君毅、牟宗三、徐復観の十人を主な研究対象とした。当時第三世代の現代新儒家28はまだ活躍して おり、これから発展・変化していくため、初期段階においては研究範囲に含めない29。本論では、

1980 年代中国政府の視点から現代新儒学を考察するため、基本的に「現代新儒家思潮研究」の責任 者である方克立のこの見解に賛同するが、1980 年代において中国本土で講演などの活動をしていた 第三世代の杜維明を視野に入れ、本論の研究対象とする。

強化を目指しての正統性の再構築

1949 年以降、中華人民共和国政府と中華民国との間で国連の「中国代表権」が問題となり、実際 に中国人民共和国建国の1949年以後の20年間、台湾が国連で合法的地位を占めた。その間、台湾国 民党政府が「道統論」を打ち出し、台湾が中華文化の正当な継承者であることを主張し、国際社会に おける地位を保とうとした。1971年10月、国連総会で中華人民共和国の中国代表権が認められ、以 降「中国代表権」問題は消失した。1978 年以降中国共産党は文化大革命の失敗から、政治的正統性 を再び中国社会が認めるように、「道統」を受け継いだ「現代新儒家」の哲学・思想を研究し始めた のではないかと考えられる。本章ではポスト文化大革命期における中国共産党の正統性、そして国民 政府が反共政策として打ち出した「道統論」、中国政府の現代新儒家の「道統」に対する解釈を明ら かにする。

1節 ポスト文化大革命期における中国共産党の正統性

中華人民共和国成立の 1949年以降、中国共産党が統治の正統性を主張する根拠は社会主義イデオ ロギー、毛沢東思想にあった。1981 年に採択された「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」

27 前掲、福島仁「現代新儒家思想研究の問題点―新理学研究序説」、25-26頁。

28 例えば、杜維明、劉述先、余英時などが挙げられる。

29 前掲、方克立『现代新儒学与中国现代化』长春出版社、2008年、13頁。

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の中で文化大革命は全面否定された。その中で毛沢東は晩年に誤りを犯したが、「毛沢東思想」は毛 沢東の晩年の誤りを包括せず、正しい政治思想である30と評価されたのである。それは晩年の毛沢東 政治、とりわけ文化大革命を否定することにより新たな共産党一党支配の正統性を再構築するためで あったと考えられる31。しかし中国共産党の正統性を主張する根拠であった毛沢東思想が弱体化する 中で、中国共産党は正統性を保つために、何が必要なのか。

これまでの研究に見られるように、中華人民共和国建国後、中国共産党は革命によって支配の正 統性を維持してきたが、改革開放政策実施後は経済成長で支配の正統性を保っている。例えば、毛利 和子は中国共産党が以前に革命という課題によって正統性を保持してきたが、改革開放期以降は経済 発展によって権力の正当性32をあらためて確保せざるを得なくなった33。また、中国共産党は支配の 正当性を確保するために鄧小平理論を打ち出したと高原明生が述べている34

加藤によると、中国共産党は西側社会のような手続き=プロセスではなく、業績=結果をもって 正統性を担保している35というのである。すなわち、経済を成長させ、雇用を保障し、社会を安定さ せ、所得を向上させ、社会インフラを充実させるなどの業績をそれなりに担保できているからこそ、

中国人民は共産党が国家を統治している現状に甘んじているのだ。

加藤の「業績・結果型」の正統性で文化大革命後の中国を説明すれば、文化大革命後の中国共産 党の指導者は正統性を維持するために、業績を担保しなければならない。そこで再び実権を握った鄧 小平が打ち出したのは1978年の改革開放政策である。文化大革命終結から1980年代半ばまでの期間 において、改革開放政策は実施されていたにもかかわらず、中国共産党は「業績」を出せるのか確定 していないのである。そのため、中国共産党は改革開放政策が実施されてからも、統治の正統性を確 保する根拠を求め続けていたのではないかと考えられる。中国共産党はその根拠を現代新儒学の中に 求めようとし、1986 年に「現代新儒家思潮研究」プロジェクトを取り組みの一つとして打ち出した ことを第3節で述べられる。

30 八塚正晃「中国共産党の『歴史決議』をめぐる政治過程(一九七九-一九八一)」『法学政治学論究』第93 号、2012年夏季号、178頁。

31 佐々木智弘「序章 一党支配の正統性と『調和社会』の構築」『中国「調和社会」構築の現段階(現代中国分 析シリーズ5)』日本貿易振興経済アジア経済研究所、2011年、4頁。

32 「正当性」と「正統性」の概念について本論では言及しないが、一般的に中華人民共和国建国以降文化大革命 期までは中国共産党は革命によって支配の「正統性」を維持してきたが、改革開放期以後は経済成長によって支 配の「正当性」を確保しなければならないと「正統性」から「正当性」の確保への転換があったとの一般論があ る。

33 毛里和子『現代中国政治』名古屋大学出版会、2004年、245頁。

34 高原明生『比較の中の中国政治』早稲田大学出版部、42頁。

35 加藤嘉一『中国民主化研究』ダイヤモンド社、2015730日、70-71頁。

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2節 国民政府の「反共」道統論

アヘン戦争以来、中国はヨーロッパ列強のアジア進出、その後の日中戦争と諸外国による植民地 支配状態が続いた。しかし、1945年8月以降中国共産党と中国国民党が内戦を繰り広げ、1949年に 共産党が勝利し、中国本土で中華人民共和国を建国した。現在の共産党による歴史解釈では、共産党 が日本との戦争に勝利したことで植民地支配を終了させ、さらに国民党に勝利したことで、1949 年 10 月に中華人民共和国という統一国家が樹立された(中略)共産党の一党支配の正統性は、統一国 家の樹立と共産主義の理想を根拠としたものである36。ここから、中国共産党の正統性は「一つの中 国」に求められていることがわかる。つまり、共産党支配の中華人民共和国と国民党の台湾が不可分 の統一国家であることが理解できる。しかし、実際に中国人民共和国建国年の1949年以後の20年間、

台湾が国連で合法的地位を占めていた。1971年10月、国連総会で中華人民共和国の中国代表権が認 められるようになり、以降は「中国代表権」問題はなくなった。

とはいえ、蒋介石が率いる国民党政府は戒厳令下、大陸復帰をしようと一連の「反共」政策を打 ち出し、1966 年に「中華文化復興運動」を開始した。この期間に、台湾国民党政府は「道統論」を 打ち出し、自らが中華文化の正当な継承者であることを主張し、国際社会における地位を保とうとし た。言い換えれば、「中華文化復興運動」は中華人民共和国と「中国代表権」をめぐって生じた政治 運動である。そのため、台湾の「中華文化復興運動」を理解することは、中国共産党の正統性につい て解明するための一助になる。

中華文化復興運動委員会の前身である中華文化総会のホームページによれば、中国共産党が発動 した文化大革命の中華文化への破壊に対抗することを目的に、孫文生誕100 周年を記念する19661112 日に「中華文化復興運動37」が提唱された。この運動が「反共」政策の一つとして推進され てきたことが明記されている38。この運動の中で「学術整理39」が行われたが、その過程で携わった 牟宗三と徐復観が、のちに「現代新儒家思潮研究」の研究対象ともなった。ここから、台湾における

「中華文化復興運動」から中国本土における「現代新儒家思潮研究」への継承が見られる。後に中華 民国行政院が「中華復興運動委員会」を設立し、蒋介石が委員長を務め、現代新儒家の銭穆を含む 9 人が主席団となった40

中華文化復興推進委員会副委員長である陳立夫によれば、民国60年(1971年)第四次全体委員会 で会長の蒋介石は中華文化復興の具体的な方針について指示した。それは「守経知常 創新応変」で

36 前掲、佐々木智弘「序章 一党支配の正統性と『調和社会』の構築」『中国「調和社会」構築の現段階(現代 中国分析シリーズ5)』、3頁。

37 台湾文化部ホームページ http://nrch.culture.tw/twpedia.aspx?id=3968(2018618日閲覧)

38 台湾中華文化総会 https://www.gacc.org.tw/(2018615日閲覧)。

39一般大衆がわかるように文字が理解しやすくされ、大量の古典が整理され、大量に印刷・出版された。(陳鐵 健、黃鐵炫『蔣介石與中國文化』、中華書局、19924月、175頁)

40 李松林『蔣介石的台灣時代』風雲時代出版、1993年、230頁。

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ある。「守経知常」は既有の優良な伝統を発揚し、「創新応変」は外来の新しい知識を吸収すること を意味する。中華文化の復興は優良な「文化伝統」を新たな「文化知識」と融合させ、現代に適合し た新たな文化の果実を作り出すことである。これもまた中華文化復興を実行する際に堅持しなければ ならないものである。

そして陳立夫は中華文化復興運動が実施されて13年後(1979年)の成果について以下のように語 った。「第一に、文化復興は正確な路線に向かって、倫理、民主、科学は中華民族文化の礎石であり、

また三民主義思想の本質である。中華文化の復興は即ち切実なる三民主義の実践である。第二に、文 化復興は文化の勃興を促進し(中略)これらは国家建設によって作り上げられる繁栄の姿である。第 三に、文化復興は国際社会において台湾は中国の優良な伝統文化を保存する最も豊かな場所であると する文化的名声と地位を引き上げた。台湾に思いを募らせる国際的研究者が増大している。台湾を尊 敬し台湾を熱愛する観光客の数も増大し、国際的な研究者が台湾に対する感覚は変化している41。」

と陳立夫が述べた。それは中華文化復興運動の成果について陳立夫の主観的で検証し得ない発言にす ぎなかったが、その中から中華文化復興運動の目的を見出すことができる。つまり、1979 年時点で 陳立夫は中華文化復興運動を通して台湾の国際社会における地位の引き上げを期待しており、台湾が 中国伝統文化を保存する最も豊富な場所と自信をもって自称できると考えていたのである。

以上の中華文化復興運動の成立前後と方針から、1966 年に始まった中華文化復興運動は中国共産 党が発動した文化大革命の中華文化への破壊に対抗することを目的としたが、国民党政府は中華文化 復興運動の実践42を通して中国伝統文化の正統な継承者と自称することによって、台湾の国際社会に おける地位を保とうとしたことがわかる。

こうして台湾における1960年代の伝統文化復興の動向について中国側はいかに解釈したのか。

中国の代表的な出版社である中華書局で出版された『蒋介石と中国文化』の中で、著者の陳鉄健 と黄鉄炫は「中華文化復興運動」の始まりを次のように説明した。「中国大陸は当時『文化大革命』

の災難の中にあり、『破旧立新』のスローガンの下で、一部の優れた中国文化遺産が大きく破壊され、

中国文化知識界全体が屈辱・破壊を受けた(中略)その機に乗じて蒋介石は中国文化の復興の旗を掲 げ、中国文化の継承者と擁護者の形象を樹立することを目指していた43。」つまり、中国側は三民主 義の儒学化や中華文化復興運動を通して国民党政府が国民統制を強化することに成功し、中国伝統文 化の継承者と自称することでその支配の正統性を維持できることを認識していたのである。

41 中国文化大学中華百科全書http://ap6.pccu.edu.tw/encyclopedia/data.asp?id=230&nowpage=7 (201812 3日閲覧)

42 中華文化復興運動の内容として⑴教育改革、⑵学術整理、⑶文芸研究、⑷国民生活への支援、⑸中西文化の融 合。この5つの実践はすべて中華民族文化の体現であるとされた。

43 前掲、陳鉄健・黄鉄炫『蒋介石与中国文化』、122頁。

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3節 中華文化の継承者としての現代新儒家

2節ですでに述べたように、中国は1960、70年代において、中国大陸における伝統文化に政治 的原因で断層が生じたことについては否定していない。「中華文化復興運動」の中に掲げられた目標 として、中華伝統文化の倫理道徳精神をもとにし、民主と自由の精神を築き、近代科学の研究と発展 を行うことが挙げられる。これらの目標は、中国伝統文化にたち戻り、西洋文化と中国伝統文化とを 結び付けて中国の近代化を図ろうとした「現代新儒家」の思想・哲学の特徴と一致している。例えば、

1920年代から40年代にかけて「新心学」を唱導した現代新儒家の賀麟は、陸王の「心学」を西側の 新ヘーゲル主義と融合させ、主観的唯心論体系を構築した。彼は儒家思想を「中国の正統思想」と称 した44のである。そして「現代新儒学思潮研究」が始動される一年前の1985年の12 月、『哲学大辞 典』は上海辞書出版社によって出版された。中で梁漱溟が数十年にわたって形成した文化観と政治主 張をまとめて 1949 年に出版された『中国文化要義』について次の記述が載っている。「(梁は)政 治と経済の関係を避けて中西文化の共通点・相違点を比較し、『宗教問題こそ中西文化の分水嶺であ る』と考えた。西洋文化は『キリスト者を中心とする』。中国は非宗教的な孔周を中心とする。(梁 は)中国文化の柱は『孔子精神』『儒家思想』にある45。」

それでは「現代新儒学」を 1980 年代中国共産党はどのように理解したのか。『哲学大辞典』

(1984 年)では、新儒学(当時はまだ現代新儒学という用語がまだ使われていなかった)は西洋哲 学と『中国の孔孟程朱陸王の哲学との結合』によって生まれた『民族精神の新哲学』と定義づけられ た。さらに「新儒学」という用語が賀麟の正統思想論と結びつけられながら説明されている。「1941 年8月に発表された『儒家思想の新展開』の中で、賀麟は儒家思想を『中国の正統思想』と称した。

伝統から言えば、『尭舜禹湯文武成康周公孔子以来最古の思想である』。現代と今後の新たな発展か ら言えば、『最新の思想と言える』。『民族文化の復興において主要な潮流、根本的要素とは儒家思 想の復興である』。『儒家思想の新展開』の方法として、『西洋文化の精髄と長所を吸収・全面的に 理解する』ことが提示された。さらに『西洋の哲学で儒学の理学を発揮させる必要がある』『キリス ト教の精髄を吸収して儒家の礼教を充実させる』46。」つまり、以上の文脈で言うと、現代新儒家は 中国の正統思想と見なされる尭舜禹湯文武成康周公孔子の継承者であり、中華民族の正統性を受け継 いだ者である。

さらに『中国儒学辞典』では現代新儒学が儒家の「道統」を受け継ぐことを「己任(自分の任務)」

とし、文化を現代化することを目的として儒家の学説を「西学」と融合させようとする思想流派であ る47と定義づけられた。

44 同書、524頁。

45 前掲、『哲学大辞典・中国哲学史卷』、118-119頁。

46 前掲、『哲学大辞典・中国哲学史卷』、675頁。

47 前掲、『中国儒学辞典』、523頁。

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以上の2 つの中国辞書により、1980 年代中国は基本的に現代新儒家を「道統」の継承者であると 考えることがわかる。そして「現代新儒家思潮研究」の関係者は同じ見解を持っていたのか。

19879 月に安徽省宣州市で行われた第一回「現代新儒家思潮」学術討論会において現代新儒家 の定義が討論された。その中で西方文化と伝統文化とを結び付けて近代化を図ろうとした思想家とす る定義に外にも、現代新儒家は20世紀20年代にうまれ、儒家の『道統』を継ぎ、宋明理学を心に抱 きつつ、儒家の学説と西学とを融合し、近代化を図ろうとした学術思想の派流とする定義が示された

48。ここも現代新儒家が「道統」を継いだものであるとされた。

李梁は以下のように現代新儒家と道統の関係について整理している。李によれば、第一、第二世 代の「新儒家」がとくに強調している心性の学、つまり「生命の学問」の究極の目標は、新しい「学 統」(学問の伝統)「政統」(政治の伝統)を切り開くとともに、新しい「道統」(求道の伝統)を も切り開いていこうとすることにあった。さらに説明すると、「第一、第二世代の新儒家は主として

『為学』とともに『為道』という強い信仰又は悲願をもっていた。(中略)一方では、『為学』にお いて、西洋近代哲学の宇宙論或いは本体論の思惟様式や理論枠組みを参照しながら、宋明理学におけ る心性の学を一種の思弁哲学の高度(道徳的形而上学)に改造し止揚されようとし、もって独自の理 論又はディスクールの形成を通して近代西洋哲学に匹敵せんとするが、他方では、『為道』において、

異端邪説(全盤西洋化論と東欧のラディカル思想とその教学)を斥け、人心世道を正し(近代工業文 明がもたらした人類社会における道徳倫理の退廃と人心の荒廃を救い)、かつそのような現実社会を 理想的社会へと改造せんとしたのである49。」つまり、子夏のいう「学而優則仕(学びて優なれば則 ち仕う)」と同じ意味を持つ。それは学問の伝統を宋明理学の系統から受け継いだ第一、第二世代の 現代新儒家が学問にとどまることなく、実際に政治家や大学教授などとして現実社会に仕えたことで ある。

以上見てきたように、1980 年代中国政府が現代新儒学研究を開始した目的が中国共産党の統治の 正統性の強化にあった。ポスト文化大革命期における中国共産党の統治の正統性は文化大革命の失敗 から立て直さなければならなかった。そこに編み出されたのが鄧小平主導の改革開放政策であった。

経済成長を維持することによって中国共産党の支配の正統性が保たれたのである。しかし、中国共産 党は経済成長だけに依存することは考えられない。そこで中国共産党が思い浮かべたのは数千年にわ たって中国歴代王朝が中国の政治的イデオロギーとして用いてきた「儒家思想」である。一方、1960 年代から 70 年代の台湾国民政府が中華文化復興運動を反共政策として打ち出した。それは国民政府 こそ中国伝統文化の正統な継承者であるという主張であったが、実際に中華文化復興運動によって台

48 前掲、福島仁「現代新儒家思想研究の問題点―新理学研究序説」、22頁。

49 前掲、李梁「中国新儒学研究与学术思潮的变迁(中国における新儒学研究と学術思潮の変遷)」『中国の現代 化の行方』、115頁。

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湾の国際社会における地位と名声が引き上げられた。それが中国共産党に文化復興の可能性を示唆し た一出来事であった。そして中国の正統思想と見なされる尭舜禹湯文武成康周公孔子の継承者、即ち 儒家の「道統」を受け継ぐことを「自分の任務(己任)」とする現代新儒家が現代における中華民族 の正統性を受け継いだ者である。しかも彼らは伝統に固執せず、儒家思想の現代的解釈も提示してい る。このように中華文化復興運動の成功の示唆もあって、中華民族の正統性を主張しようとした中国 共産党は1980年代に現代新儒学に注目するようになった。

(17)

まとめ

本論は 1980 年代中国政府が現代新儒学研究を開始した原因を中国共産党の正統性の再構築にある としたものである。近年中国大陸における「儒学復興」の動向に見られるように、中国政府は儒学復 興を目指しているようだ。その政治的意図を明らかにするために、本論では改革開放政策開始の 1978 年まで遡る。五四運動の頃から、中国知識人は「封建制度」を中国現代化を妨げるものとして 非難してきた。その「封建制度」を支えるものが他でもない「儒家思想」であった。中国歴代王朝が

「儒家思想」を、政治的イデオロギーとして用いてきたのである。しかし 1978 年鄧小平政権下の中 国は、文化大革命による荒廃した社会を立て直すために経済・政治体制改革を打ち出した。その背景 の下で多岐にわたる思想・哲学の研究が許されるようになり、「現代新儒学研究」もその頃から開始 されたのである。孔子研究は1978年まで遡ることができるが、1986年全国哲学社会科学「第75 ヵ年計画」決議会議のなかで、「現代新儒家思潮研究」が国家重点研究課題とされ、儒学研究は再び 国家公認となった。

それは旧道徳・旧文化の打破、儒教批判などを掲げる五・四新文化運動以来、中国の指導者たち が再び儒学に目を向けるようになった象徴的な出来事であった。中国政府が現代新儒学を「再構築」

しようとしたのではないか。本論は 1986 年前後に中国政府がどのような政治的意図の下で儒学研究 を開始したのか、またなぜ「現代新儒学研究」を国家研究プロジェクトとしたのかについて論述した。

共産党の政治的意図が一党支配の正統性の再構築にあると論じた。中国共産党が文化大革命の失 敗から、政治的正統性を再び中国社会に認めてもらうために、「道統」を受け継いだ「現代新儒家」

の哲学・思想を研究し始めたのである。中国共産党が中華文化の正統な継承者であると主張すること によって統治の正統性を強化する試みであったと考える。それは 1960 年代蒋介石政権下の台湾国民 政府が国民政府こそ中華文化の正統な継承者で国際社会における地位を保とうとしたために打ち出し た中華文化復興運動の背後にある含意と同じである。これまでの研究では中国共産党の正統性は経済 成長にあるとされてきたが、経済成長だけに依存する正統性は十分でないと考えたであろう。また 1980 年代中国共産党は「台湾統一」を求めることもあり、国民に一党統制の正統性を再び認めても らうために、中華文化の「道統」を継承した現代新儒家の思想・哲学に求めた。中にも中国共産党こ そ中華民族精神の正当な継承者である含意が含まれている。したがって、1980 年代中国政府は現代 新儒学研究に取り組んだことは必然的であった。

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参照

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