• 検索結果がありません。

幼児の造形活動とその発達 −積み上げ理論として の「おでん構造」−

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "幼児の造形活動とその発達 −積み上げ理論として の「おでん構造」−"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

奈良教育大学学術リポジトリNEAR

幼児の造形活動とその発達 −積み上げ理論として の「おでん構造」−

著者 比留間 良介

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

31

1

ページ 57‑73

発行年 1982‑11‑25

その他のタイトル A Young Child's Formative Activities −A new 'Oden' Method through the old 'Piling‑up' Theory−

URL http://hdl.handle.net/10105/2335

(2)

幼児の造形活動とその発達

‑積み上げ理論としての「おでん構造」‑

比 留 間 良 介 (奈良教育大学美術科教育教室)

(昭和57年4月30日受理)

はじめに

本稿は幼児の造形活動における「積み上げ理論」を検討し、その構造化を試みたものである。

「幼児の造形活動」と筆者の出合いは、14年前に潮り、1968年、学校法人まきば学園、まきば幼 稚園(東京都板橋区徳丸町)に絵画製作講師として赴任してからのことである。当時は夢中で初 歩的実践に明け暮れていたが、振り返って見ればそれが、盛り上りつつあった"幼児教育ブー ム"の中での貴重な体験であったのだろう。

60年代といえば、世界的に幼児教育の振興策が次々と出てきた時代である。教育爆発時代と言 われた、教育の大衆化、特に知育を中心とした教育システムの整備に伴う早教育の啓蒙化などに 関連し、先進諸国は幼児教育を重視した具体的な改革案を次々に打出した。アメリカの「ヘッド スタート計画」、イギリスの「プラウデン報告」、西独の「ブレーメンプラン」、フランスの「ラ ンジュヴァン改革案」、ソヴィェトの「就学前教育プログラム」などがそれである(1)

。わが国で

も71年「中教審答申」が出されてその中で幼児教育の制度、内容、方法の全般にわたる再検討の 方針が立てられ、先導的試行による実証的研究によって改革の方向が探られた。

一方、60年代から進行して来た高度成長政策による歪みは、子どもを取り巻く生活環境、文化 構造を変化させ、空間的には遊び場をなくし、受験体制に見られる教育構造の固定化は時間的に ち"ゆとり"を喪失させ、集団で遊ぶよりも、家の中でTVと対面している子ども達を生み出し て来た。特に「TV映像による疑似物での認識の日常化」はリアルな感覚を喪失させ、認識の根 底に触れる問題として「遊びの喪失」とともに今日の教育を考える上での不可欠の問題の一つと して重要視されて来ている(2)

教育の中での造形活動の位置は、「教育の統合の象徴である」(H.リード)の言にあるように、

単独で存在しているのでなく、直接、素材と対決したり、手仕事を重視し、表現活動を通じて子 どもの全面発達を促す統合的機能を担い、深くかかわっているが、今日、見直しが問われている 幼児教育の中で特にその重要性を増している(3)

幼児の造形活動に於ても発達習熟に沿った指導手順の体系化が必要であるが、具体的な展開と しては「遊び」の形をとることが多い。幼児は遊びの中で様々な発見や出合いを体験し、自らの ものとするが、これら遊びも周到に演出されていてこそ幼児は豊かに着実に成長する。主体とし ての幼児の生活を活性化させる中で、造形学習のあり方を「おでん構造」として構造化し、従来 の積み上げ理論の、ともすると陥りがちな硬直性を改善し、検討、論究するものである。

57

(3)

58

比留間艮介 I 幼児造形教育の間鹿

戦後の幼児造形教育の問題を年代ごとに概観するが、民間教育研究団体の勤行をもたどる中で 考えてみたい。なぜならば、戦後美術教育史上、民間美術教育研究団体の活動は特筆に価し、そ の主張と実践は、文部省指導要儀の影響を上廻って美術教育の中心を占めて来たし、戦後の幼児 造形教育の方向づけをも左右したとされている(4)民間美術教育研究団体における民間性の概念、

諸団体の全体把握、分類については、花篤実の分析、(5)久山まさ子の研究(6)があるが、本稿では 年代ごとの概観にとどめるものとする。

(1)40年代

戦後まず注目すべき活動は、すでに1938年、久保貞次郎(1909‑)、北川民次(1894‑)によ って開始されていた創造美育協会(以下創美と略す)の活動である。「創美は、戦前から戦時下 にかけての実利主義的技術主義的美術教育に対して、児童各自の発達段階や個性に応じた自由な 表現活動を奨励し、それによって、児童の創造性を滴養するという創造主義を押し進めて来た。

創造主義運動が展開した背景には、終戦後の教育改革により、中央からの拘束が緩和され、民間 教育運動全体が活発になったこと、他方図画工作教育には昭和29年まで教科書がなく、この為、

拠り所を求める寛場からの渇望があったこと、そして戦後新たに盛り上った児童中心主義教育が あった。」(7)創美の正式の創立は1952年であるが、久保、北川らの40年代の活動は、全国各地で 児童画展を公開審査で開いたり、講演会、又その後の創美の運動に影響を与えた、ホーマー・レ インやチゼック、ノ、トウィックらの書籍を紹介するなどの啓蒙的活動であった(8)

(2)50年代

1951年夏、イギリスのブリストルで開かれたユネスコ美術教育ゼミナールから帰国した室靖の 呼びかけもきっかけとなり、1952年、創美は正式に発足するが、この当時からすでに「生活綴り 方的考え方」からの批判も起っており、活発な意見が交された(9)

50年代も前半の創美中心の時代から、54年創美第4回全国セミナー(信州・湯田中)を境とし、

55年、新しい画の会、造形教育センターの登場あたりを一つの分岐点として、分けて考えるのが 妥当だろうと思う。

(1)創造主義の問題

抑圧解放と児童中心主義を根底にしている創美の創造主義の実践は、戦前、戦中を通じて圧迫 されていた表環要求を解放したことに意義があるが、指導性を否定し、子どもの自然発生的な成 長にまかせる傾向があった。戦後の"上からの教育改革''が次々と進められる中で、真に前進的 で民主的な美術教育をみんなで考えなければならなかった時に、「教える体系はいらない、子ど ものあるがままの創造力をのばすことを教師は助けよ」という創美の主張は、教科論や授業論を 求める側から批判された。(創美論争)。久山まさ子は、この期の幼児造形教育に関連して、「創 造主義批判は、‑教科目としての美術教育を明確に位置づけるペく、教科体系論、授業論、方法 論の確立へと向う。この現象と並行して、創美運動を支える中心は、小学校教諭から幼児教育関 係者へと移行した。〔当時〕創造主義は、幼児の造形教育に於て、より広い支持を受けた。幼稚 園、保育所における教育内容が、幼児の自発的かつ統合的な活動を中心に置いてきたことに依る のであろう」(10)と創造主義が幼児の造形教育に喰い込み易かった状況について述べている。又久

(4)

山は、関西保育界を拠点として創美で活躍した官武辰夫(1892‑1960)をとりあげ、「その実践 に見る造形発達段階の重視、遊びの中に位置づけた造形活動、造形活動の精神分析的解釈、材料 体験の多様性等は、創造主義のワクを越えて、戦後の幼児期造形教育の基本的特色として広く定 着していったと言えよう。それらに批判、検討の余地があるとはいえ、官武の実践に先駆的啓蒙 的役割を認めることが出来る。」(ll)と評価を加えている。これらは後述する「認識」や「遊び」に 関連する今日的視点からも注目してよいものであろう。

(2)生活画の運動

50年代の生活画運動を主に推進したのは、まず新しい絵の会であるが、51年頃からすでに数人 の小集団で"新しい画の会"として行った実験アトリエ活動がその始りである1955年ごろから の日本の政治的、社会的現実の変化と、生活綴り方や生活版画の運動の影響の中で、①生活環実 をふまえて、子どもたちの創造エネルギーをくみ上げてゆくこと。②科学的な明日‑の見通しの 上に立って、子どもたちの価値観を方向づけてゆくこと、の2つの基本課題の上に立って、美術 教育の内容と方法を教育科学として組織づけてゆくための研究と実践を展開していった。

「創美に見る創造主義の児童画運動が、子どもの中にある創造性とか、ニイル式の抑圧論に寄 りかかって、子どもを自然発生的な成長にまかせ、厳しい現実を克服する為に必要な成長の方向 を打出せなかった」と指摘し、子どもの生活現実を基底として、そこから問題を発見し、新しい 方向を開拓していった。̀I2M13)当時の"描くべき生活寛実"を深く豊かに持った子どもたちは、

リアルに生活を掘り起こす指導を得て、生き生きとその生活経験を生活画に表現していったので ある。54年に井手則雄、55年に箕田源二郎と相ついで入会した。いわゆる創造主義による日本の 児童画運動の混乱と低滞期に、彼等の勇敢で精力的な理論活動の展開は貴重であったし、福島県 の本官小で鈴木五郎が実践した生活表現と現実認識の学習は、戦後の生活画運動の中でも、きわ めて質の高いものであった57年、鈴木五郎は上京し入会、都会に於ける生活画表象にも取り 組んでゆくのである。

新しい絵の会の方法は「現実を正しく見てとる」ことの基礎として「認識の教育」を強く進め、

これを教科論、授業論‑とその後展開した。又これに関連して、幼児造形教育での動きでは、52 年、多田信作を代表とする芸術教育研究所が発足している。そして第二期保育問題研究会(保問 研)絵画部会の「伝えあいの保育」活動も忘れてはならないだろう(15)

(3)デザイン教育の導入

50年代後半の特徴として創美とは対立するもう一つの研究団体として造形教育センターの存在 がある。戦前からの構成教育の流れをくみ、55年、勝見勝、高橋正人、小田利雄、川村浩章、藤 沢典明、林健造、熊本高工、武井勝雄、松原郁二、山口正城、橋本徹郎、長谷喜久‑、中村亨ら によって創立された(16)

。創美の児童画運動や、新しい絵の会の生活画運動が、主として絵画儀城

から進められたのに対して、「美術」の領域概念を、人間が空間に構成した秩序ある形象全般を さす「造形」へと拡げた。会の性格としては、デザイン、構成、色、形、視覚言語といった造形 要素を中心として、広く造形教育一般に.ふれてゆく方向を特色とした。「啓蒙時代」という発足 当初の活動は、「造形教育の現代的意義」「造形学習の定義」など基礎理論活動に重点を置いた。

又工作教育についてもアプロ‑チし「近代産業技術と工作教育」等の視点での研究・討議が行わ れたのが当時の資料に見える。「造形学習は頭で考えているだけでは、どうにもならない。われ われ自身も頚と心と手を使って、材料に取り組んでみることが大切である」との実践的研究態度 から、"デザイン感覚と構成練習"のゼミナールが、精力的に行われた(17)

。バウハウスに一つの

(5)

60

比留間艮介

源流をもつ構成教育の伝統が、戦後の近代化の中での産業構造の変化や、芸術、文化状況を反映 して、造形教育センターへと引き継がれたのである。この会は、会員の数も多く、指導要額の作 成などに大きな影響を与えた(18)幼児の造形教育の視点からいえば、素材との出合い、対決など、

今日の「造形遊び」につながる問題を、すでにこの期の造形感覚訓練の重視に見ることが出来る。

(4)発達研究の萌芽

58年の指導要領改訂問題の危機感の中で、1959年4月、日教組仝国教研集会(大阪)での呼び かけがもとになって、積極的な現場教研教師群が、既製団体のワクを越えて研究の交流と積み重 ねを求めて、美術教育を進める会を結成した。発起人として、大勝恵一郎、浜本昌宏、佐藤晃、

上昭二、外が名を連ねた。近代合理化の波の中でもたらされた人間疎外や民族性の問題などを厳 しく考えてゆく現実認識が、会出発の根底にある。出発当初は東京という一地方にまとまる小集 団であったこの会の存在を今なぜここに記すかというと、混乱した50年代〜60年代に発達理論に 学んで、全面発達の中での子どもの美術教育をすゝめて来た内容と今日に及ぶ展開に見るべきも のがあるからである。会の出発当初の柱を①教科のもつ思想性を充分深めること、②造形表現そ のものの質を高める問題を抜きに出来ない、としている。続いて5つの課題として①幼小中高の つながりの中で、子どもの成長と表視活動の積み上げを考える。子どもの認識の発達や表現力の 高まりの問題を系統的、科学的に追求する。学年や、年令にふさわしい教材や指導の観点を求め る。②全面発達‑の課題、③科学時代にふさわしい美術教育、④作者の精神との係わりとともに 造形的構築性を重視する。子どもの願いや感動を表現と結合することを大切にする。⑤伝統、民 族美術、と今日的課題を上げている(19)

。その後の展開は後述するとして、ここでは出発とその存

在を明らかにしておく.尚、発達研究は、創美の一部、新しい絵の会、造形教育センターでも当 然、行われていた訳であるが、障害児教育からの実践や、乳幼児の発達研究が一貫して追求され、

他ではほとんど研究されていない青年期にまで及んでいる点、後述する「発達図」作成までに集 約している点を重視した。(図‑4参照)

(3)60年代 (1)教科論の確立

50年代が、造形主義と創造主義批判を通じて生活経験を重視する生活の感動を中心にした表現 の時代と特徴づけるならば、60年代は、教科体系論、授業論、方法論をめぐって、60年代初頭ま でに出そろった民間研究団体が、その理論と実践を競って展開した時代といえる。

全国組織になった翌年の60年8月、新しい絵の会は、第1回全国研究集会を開いた。基本テー マ「確かな認識と豊かなイメージを育てる為の美術教育をどう進めたらよいか」をかかげ、61年 からは、一貫して「新しい教科論を確立しよう」と研究・実践を深めている。会の提案、指導の 三領域論、①経験を描く②観察して描く③想像して措く、の中で特に②は創造主義の影響下にあ った当時の幼児造形教育界では特に強い反発や疑問を受け、問題化したが、その後20余年を経た 翼在、幼児の観察画は寛場の実践の中に一応の定着化を見て来ている.幼児なりの認識や活動の 積み上げが、発達習熟にそって必要である事は、後の「積み上げ論」のところでくわしく述べて ゆきたい。

一方造形教育センターは、60年代に入り、第5回夏の研究会で次のような課題をとり上げてい るA.造形教育におけるデザインの性格を明らかにするoB.造形教育のミニマム・エッセン シャルズを明らかにする。C.造形教育の学年の系統性を明らかにする。61年には、「デザイン

(6)

教育の異体的諸問題」の中で「子どものデザイン」をとり上げ、62年の発表には、「発達段階と 基礎造形」が見られ、造形教育的視点からの教科論を展開した。造形能力や、指導体系の問題が 中心に追求されたのである(20)

。センターはこの期を先の「啓蒙時代」と対比して、「実証の時代」

と言っている(21)

(2)環境と認識の変化

60年代は高度成長政策による産業構造、文化構造が、戦後のそれから大きく変化してゆく時代 とされる。工業化、都市化が進む中、生活環境から、生き生きした自然は後退し、空間としての

「遊び場」は失われ、教育システム研究の導入により、知育偏重はかえって進み、受験体制はさ らに強固なものとなっていった。集団で遊ぶよりも家の中でTVと対面している子ともの問題は、

TVの高密度の普及によって、もはや、都市だけの問題でなく、生態と認識の根底に触れる問題 として登場していることは、すでに本稿のはじめでも指摘している。この歪み現象は、そのまま 70年代‑と速度を早めて進行してゆくのである。

(3)指導の中での問題

幼児の造形教育の世界にも、従来の自由な、自然成長的な方法に代って、新しい指導性をもっ た、系統化や認識の教育が展開され、又、デザイン指向としての、適応表現の導入が試行された。

教科論や授業論をめぐる論議は保育の場にもおりていたわけで、試行錯誤される実践の中には従 来の幼児では、できないとされていた表現の出現に対する驚きと展開にともなう論議が出た。① 題材設定による「画一化」②作品結果主義③技術注入主義,又デザイン教育方面では④生活に根 を降さないと、単なる感覚訓練に陥る⑤消費的であり生産的でない(22)などである。保育形態で 言えば、特に①に開通して「一斉保育」の問題が把摘された(23)

。実践の中には「やり過ぎ」や指

導力量の不充分な場合もあったものと思われるが、ここで少し論議してみる。(丑の題材設定によ る画一化、の問題では、まず何が「画一化」なのかを問い直す必要があるのだろうO従来「画一 化」が指摘される債域は観察画であるが、そこで見られるものが、果して、臨画教育(24)に見られ た、お手本を無感動で引き移したような画一化なのか、それとも一見、子ども達の作品の出来上 りが「似てくる」ことを指しての「画一化」のように見えることなのかの質的違いを明らかにす べきだろう。実物を観察する活動では、視覚のみならず五感のすべてを働かせて、発見を通じて 認識の充実、発展がなされる。題材設定するのは、カリキュラムの系統の中に位置づけるからで あり、これら認識の積み上げによる力を駆使しての主体的表現展開も当然組み込まれるものであ る。ともすると絵の教育が̀̀個性的表象''へのあこがれを先入観として持ちすぎ、児童中心主義 を充分精算できずに、一つ‑つの実践を分離して取り扱う中から「画一化」の批判の傾向が出て くる。②については、全国研究会等での各実践の比較・競合がある中で、"力強さ"や"労作ぶ り"あるいは"派手さ目について指導が走る傾向は翼在もあるものと思われるO研究協議の中心 にはやはり子どもの丸ごとの生活把握がすえられるべきである。③の技術注入主義については① の画一化問題と併せて出てくるものだが、発達習熟、指導系統を踏んでの適切な力の蓄えは必要 である。これには、「いっ」、「どこで」、「何を」、「どの位」という、子どもの実態とカリキュラ ムをにらんだ注意深い教師の側の配慮が望まれる。④⑤では、確かに子どもの生活に密着した

「適応」の中での感覚教育が必要であるが、先にも述べたように、生活そのものの変化、物との 出合いや対決の機会が減少する状況を見れば、認識のもう一つのBasicな視点として重要である。

物質、現象界に接近することで、一人一人の幼児が何を感じ取ってゆくかを正確には数量化する ことは出来ず、物理・数学の世界のように細かい積み上げの計算が成り立つわけでもない。物と

(7)

62

比留間艮介

の各個人なりの個性的感取、認識プロセスがそこにはあり、ブラックボックスとしての+αの存 在を過小評価することは許されない。感覚訓練の多くが、すぐに答えの出る性格ではなく、「長 い視点」をもつものであり、その多様にある可能性をこそ検討してゆくことが重要である。

先の保育形態での「一斉保育」の問題では、「自由保育」と対比され、さらには対立する保育 としてよく論議される。二つの保育方法の是非を論ずることよりも、この二つの方法の特質を生 かし、一日の保育の中に組み込もうとしているのが環代の保育といえようO特に現実的には、‑

保育者の担当園児数が40人ということでは、自由保育は困難であるということもある。世界的な 幼児教育の閑心の中にあって、最も問題になっているのは「遊び」と「学習」の統一であり、才 能開発であるが、自由保育がこうした観点から再検討をせまられている(25)

。何か系統立った指導

を考えれば、当然、題材が設定される場面はあるわけで、一斉の形態を全面的に否定すると逆に、

保育を「遊び」に流してしまう問題性も出てくるのである。

(4)70年代

「70年代にクローズアップされるのは人間の問題である。従来の生活性、科学性にかわって教 育の主体性ということで、今一度すべてを見直して、子どもの原点に帰っていこうとする姿勢で ある。幼児とは何か、表現とは何か、そうした下からの視点で、戦後30年の造形教育を洗い直そ うという傾向である。70年代を整理期、転換期と受けとめるは妥当だと思うが、他面から見れば 混乱期である。その中から、今一度遊びなり、生活に焦点をあてようという動きと、造形教育を 芸術教育だけでとらえるのでなく、総合的な教育としてとらえようとする動きが目立つ(26)

60年代の(2)で認識と環境の問題を指摘したが、70年代は更に進行した状況の中に日本の幼児は 置かれて来た。各研究団体の動きで、特に70年代末期のテーマには「生きる力」が強調されるに 至った。新しい絵の会では「10年近くの教科論の追求で、ある程度子供はうまく描ける様になっ たが、何か胸の底から謡い上げるものが段々なくなって来ているのではないか」(27)と議論された り、「50年代〜60年代をふりかえって生活画を現在(70年代末)と比較して研究している」「テー マは多様化しているが、子どもの精神というか、気持が希薄で生活がピンボケの感じでしか表わ れていない」(28)と述べている。造形教育センターでは「1979年あたりから、子どもの表わす道す じみたいなものを明らかにしたい」(29)と暗に発達研究を導入して、子どもをとらえ直そうとして いる。

美術教育を進める会では、創立以来一貫して研究して来た発達研究を「造形表現活動の発達の 遺すじと発達の節」という発達図にまとめたが、78年改訂(図‑4)してその水準をさらにひき上 げた。「人間の問題」や「生きる力」が問われている今日、全面発達の課題の中に美術教育の課 題を位置づけて来た、すゝめる会の理論と実践は示唆に豊むものである。「子どもたちのすこや かな成長、発達を歪ませるような、社会的、文化的状況を変えてゆくこととあわせて、豊かな人 間形成とその発達に必要な諸活動を日常の保育実践の中で保障してゆくことこそが、私達にとっ て緊急かつ重要な課題といえましよう。その為には発達の科学に依拠し、実践をよりあわせて子 どもの発達のそれぞれの段階にふさわしい活動(軸となる主導的活動)と課題を造形活動の面か らも明らかにしてゆくことこそが大切」(30)としている。

(5)80年代

80年代の幼児造形教育の問題は、基本的には70年代末の課題をそのまま受け継いでいるといっ

(8)

てよいだろう。 「今一度、子どもの「遊び」なり「生活」に焦点をあてよう。」(31)というものであ り、造形教育のみではもう語れなくなって来ている。教育全体(幼児教育や社会教育等のすべて の槙の拡がりと、生涯教育等の縦の拡がり)の流れの中でとらえねばならない(32)し、文化運動、

社会運動を抜きでは、根本的な解決は望めなくなっている。

Ⅱ 見直しの為に

(1)遊びを豊かに (1)幼児の遊びの意義

現代の幼児教育で最も関心が高いのは「遊び」と「学習」の統一の問題である。(33)学習を中心 とする立場は知育偏重の傾向を生み、子どもの自由な自発的経験を重視する立場は、遊びの中に すべてを解消してしまう傾向があるとされたのは、先の60年代(3)指導の車での問題でも述べたと おりである。

近藤薫樹は、その著書(34)の中で図‑1を示し、

図‑1‑①として、子どもの本能、意欲,からだ の発達の旺盛な活動が大きく土台としてある中に、

図‑1‑②の具体物と充分ふれあった諸活動、生 活経験があり、その豊かな体験の上にこそ図‑

1‑③の言語活動があるべき、とするA型のピラ ミッドを望ましい幼児像として提出している。知 育偏重による頭デッカチ、身体虚弱、 「テレビッ

子」は図‑1のB型・逆三角形にあたる。これは、 近藤薫樹(集団保育とこころの発達) 図‑1

運動感覚の生理的成熟、運動感覚による表現操作

の段階、そしてイメージをもち、ことばを駆使する知的リアリズム期‑と発達する、新美俊昌ら の研究(35)と対応する。又、藤武は、幼児期における経験の組織化という視点からJ・デューイに よる遊びとイメージの問題をとりあげ、 「遊びの活動とその発達から幼児教育を論究しようとす れば『経験から学ぶ』ことの基本原理、換言すれば、直接経験による学習の構造が解明される必 要がある。」C363と論じている。この問題を徹底して掘り下げたのは、 J.デューイ(J. Dewey)で あるが、深く論究するのは今後の課題としたい。

マカレンコ(MaKapeHKo, A.C.)は、 『遊びの中には、いい遊びとわるい遊びがあり、いい遊 びは労働に似ている』(37)と言い表わしている。これは、遊びのすべてを賛美し美化し結果として 放任する考え方とは異なり、労働‑と発展する要素をもった遊びが展開される様、目的意識的な 働きかけをするのが、大人の役割である、とする立場でもある。以上のことから教育、保育活動

として意義のある遊びは、次のような要素を含んでいるといえよう。 ①受動的な娯楽ではなく、

身体の諸機能を活動させる遊び、 ②扱い方により多様に展開させうる素材を用いた遊び、 ③機械 じかけでなく操作や努力や工夫の余地のある遊び, ④仲間関係を育て協力や役割分担の力をも育 てる遊び、 ⑤道具を用いたり物を作り出す過程を含んだ遊び、 ⑥役割やルールを作りかえ発展さ せる遊び、などである。」(38)

(2)造形あそぴ

「遊び」の中で造形遊びの占める役割は大きい。造形遊びの実践(39X40)を検討してみても、上述

(9)

*!

比留間艮介

した「価値ある遊び」の要素①〜⑤をはぼ全面にわたって含むものである。幼児のまわりにある 自然や環境、物質(素材)に直接かかわって、出合い、対決することの中から、多くの貴重な学 習をする.(図‑2参照l(41)ものとの対決が、映像認識の日常化している幼児にどれだけフレッ シュな出合いであるかは、未知な物と出合った時の驚きと不安そして、つきない興味を思えば, 今日的意義がよくわかる。(図‑3参照蝣>)(42)

J。

"

m I Zf eJ

>S

V .

1 2Z

>Z

*P

*' J

>S

+

< fi i; ii iO 4e fc

*

b ij ts :^ oo oo co oo oo oo r

^¥ w

!i

i if

>I L>

5 f i

L J4 , 5r

*! g Pi ss

k hi

fc

* r , ^ Vl

^/

C

C [m 55 J;

^I jg gs vv A K r&

cJ wt

^b ht fy ij o^ s^ ss co ss u

^p

%

^' I' ij i (a

qJ 5f ef ei o<

no

^;

<

>

>>

a;

s S&

vu

1 );

^ s:

^

>0 00 00 00 c 1i

t

= jI .' ,: :;

花篤実・岡一夫(幼児教育法 絵画製作・

造形理論編)

図‑2

rあそぴ」の原理に基づく造形表現の過程

r図画工作l羽旨叫の確論と実曙」

大阪児邑芙捕研究会場(明三占図書) 図‑3

(3)遊びの復権のために

TVを中心とした映像文化の問題をとりあげ て来ているが、「第3の波」といわれる、高密 度情報化の時代に於て、一方的にこのテレビを 抹殺するわけにもいかない。従っていかに人間 的に共存してゆくかが問われてくるだろう。

「テレビを子どもの味方にする運動」もはじめ られている(43)

。遊び場確保の地域運動、子ども

会の組織など社会教育への開運も重要である。

又、環境を奪われているのは実は幼児のみでは なく、我々大人でもあり、自然回帰をするプロ グラムを日常の中で大切にすることが必要なのである。

(10)

(2)教えられること、教えられないこと

見直しの視点として大切なのは、やはり指導をめぐってのことであろう。井手則雄は、その著 書(44)の中で、従来の美術教育が、教えられることと、教えられないことを混同し、本来教えるこ とが出来ない、感動、個性、創造といった内容を、授業の手立てや目標にしようとした「芸術至 上主義的な美術教師のセンチメンタルで半可通な児童観」を指摘した。彼は、「ものの見方と表 現法を順序立てて身につけることによってこそ、本来教えることの出来ない一一創造的で、個性 的で、感動的な、子ども達一人一人の表現を保障するのだ」と述べている。そして「教えること ができる」とする観点を「表現行為の中で感覚が受容してから、知覚し認識へと定着させうるも のだけを授業で教えて伝達していくのである」とした。絵の上での"ことば"を教えることによ って、子どもの思いを語らせ、子どもは精一杯に"語る"ことの中から、表現に自信をもち、よ り高度な創造へと挑んでゆくのである。

(1)教えられること

①「ものの見方」。自然や事物を正しくみるための手順。形や空間や明暗や色彩の読み取り方な どの「造形要素」の学習であるO画面という限られたスペースの意味の理解、視点を定めてもの を見る、中心をきめて目測するやり方やそれら表現上の約束事、重なりと奥行き、色や空間の読 み取り、とその表環の基礎的な学習、比例や調和、ムーブマンなどを見出す学習などである(45)

実践例としては、東京幼児絵の全の教材例(46)東京保問研絵画部会「伝えあいの絵画教育」(47) 多田信作「絵の教育」カリキュラム(48)などがある。

造形要素の学習で注意すべき事は、その目標がストレートに作業となり、一斉に練習する、と いう形ではなく,その造形要素を内包する題材を幼児の身近なところから見出すことが大切であ る。造形要素まる出しの授業は「味もそっ気もない」のであり、かさかさとした実践になりやす い。造形要素を考慮した適切な題材を"感動的"に表現する中に、おのずと配慮された(sugar‑

coating)目標が貫いているのである。

②表現形式の理解と子供の発達段階で修得しうる表現形式の指導。これは、鑑賞と表現学習を 絡みあわせて、先人の表現形式を伝承する力を養うことで、教えることの出来る分野では一番骨 の折れる仕事とされる。幼児の場合は「児童画の発達段階」への理解が前提となってゆく。

③表現活動に必要な材料、用具の正しい使い方、表現技術の基礎的な修得。

(2)教えられないこと

感動、個性、創造性に関すること。これらの基本的には、教えることの出来ないものと規定す るのは妥当であるが、芸術性の高い作品の鑑賞を授業化したり、基本的な感動体験を典型例の学 習を通じて、感動する資質に育てる事は出来る。大きく演出してゆく中で精一杯の条件づくりは 大切である。

(3)幼児にとって見て描く事の意味

いわゆる知的リアリズム期を迎えた幼児・児童は、知っていること、認識している事を、話し ことば同様、絵によって話そうとする。獲得した概念を駆使して絵の上での「おしゃべり」をす るわけだが、概念が固定化する時期がある。いわゆる図式期(49)のパターンであり「概念画」とし て問題にされることが多い。しかし、このパターンは悪いものでなく、しっかりと話を聞いてや ることこそ大切である。ぬたくり等を導入した「概念くだき」の処方があるが、これは、気分転 換にはなり得ても、基本的に、認識論で述べる概念を少しも壊しはしないのである。写真ABは 同一児が時間中に、Aを先に描き、Bはその裏に自主的に教師の目を盗んで描いてしまったもの

(11)

比留間艮介

写真 A AIB BJ

でA'B'は各々の部分拡大をしたものである(50)

。モチーフは、実はアヒルで、Aではまず胴体の

ボリュームを感じた事がわかるO又お尻の羽根の観察に集中しているようだ。足もAlでは水か きの存在は発見しているが、足のウロコ状は雑に見ている。AAJ、BBlを見ると観察作業がいか に発見に満ちているかがわかる。このような発見の蓄積が新たな概念を形成してゆくのである。

(3)発達研究に学ぶ

発達段階を学んで美術教育に生かす上で留意しておく2つの点は、第1に、類型化そのものが 目的ではなくて究極的には、一人の幼児の理解を目的としている。第2に、発達段階や発達図式 を固定的に見ないということである。ここでは「50年代‑(4)」でふれた、美術教育を進める会の 発達図、図4<51)に学んで問題を検討する。

新見俊昌はその著書(前出)の中で発達についての基本的視点を2つ、大前提として打出して いる。①障害の有無を越えて、すべての人は基本的には、同じ遺すじを通って発達する。②発達 のプロセスは、連続的な過程ではなくヾ質的転化の過程である。の2点である。

美術教育を進める会による、この発達研究が新鮮な感じがするのは、Ⅴ.ローウェンフェルド ら従来の発達段階研究では感じられない発達の動因や、あり方としての動態が説明されているか らである。そこには「なぜ、そうなるのか」の問いがあり、常に日本の現実の幼児、学童に照ら して今日的に研究されている点も評価できよう。78年に、この発達図が、密度の高い集団討議を 経て、改訂されている点も今日の民間教育研究団体の中で、出色の活動である。

さて、この「発達のプロセスが連続的でなく、質的転化の過程である」ことが、この理論の‑

(12)

¥?サ吉岬(1.年h(1iき持し丁、';fiすvy叶〔菅。'、I.v'、

(美術教育をすすめる会 新見俊昌)

番魅力的なところで、かつ、後学の筆者にはわかりにくいところでもある。筆者がこの図に初め て止/^った時、すぐに思いついたのは中学生時代の理科の時間に出て来た「水」の温度変化表で あった。 (熱量の蓄積が氷を水に、水を水蒸気にと、質的に転換させる)。まず基本的には、量的 蓄積が質的転換をもたらすのである‑‑という弁証法は、ほぼ理解できるO

その質的転換の節に、 0‑1歳、 3歳、 9歳、 15歳、と変化をおこす、子供の側からすれば「壁」

の存在を指摘するのである。この壁を越えさせるには、前段階における量的蓄積をたっおりやり 切らせることだ、としている。又、それぞれの時期にふさわしい「主導的活動」 (軸となる活動) を提案している。ゆっくり、たっぷり時間をかけて、内側の充実を待つ、ということにも見える。

発達図の理解に不充分さがあるかも知れないが、総論において納得しても、何か魔法にかかった ようになってしまう。検討課題として筆者が任意に打出してみることにする。

①量的蓄積期の「高原状態」の解明をもう少していねいにやるべきではないか、という点。そこ では各々「桟に太らす」課題があるとするが、中味の構造化、特に筆者が考える、その期にはそ の期なりの各種の系統学習の課題が結合するのだと明言すべきではなかろうか。

確かに発達を無視した系統課題の連続はいけないが、認識プロセスにしても、子供の側からし てみれば、物との出合い、経験の蓄積は連続的なものである。

②軸となる「主導的活動」は、従属する活動との構造的関係ぬきでは、主導として位置づかない。

関係把握が具体的な姿として存在せずに、主導のつもりが、単独という事にならないかo 筆者は 主導的活動と付随する活動を相対性の中でとらえ、主導を重点と解釈した。相対的重点というの

は、鎖の輪のどとく互いが構造的に連なっているところから、生れてくる概念であると思う。

③生活を根本から撮り起す中で、美術の課題も発生させてゆく「丸ごと主義」(sa;のダイナミック な教育のあり方は、今日の荒廃しつつある学校、そして児童文化の中で、真に人間的な結合をつ

(13)

68

比留間艮介

くり上げる、生活指導面をも含む強調は貴重であるし、今後のあり方の一方向を示唆するがその 中で積み上げられるべき、造形能力学習の適時性が失われることはないのか。 ‑‑等である。外 野席からのつぶやきで一知半解なところから出ている面が多分にあろうが、第18回進める会高知 大会に一般参加をさせてもらった筆者の印象と今日の問題意識から私見を述べた。

Ⅲ 頼み上げ理論としての"おでん構造"

I・Ⅱと問題をさぐり論議してきたが、その中心は、今日的状況を反映させる中で、柔軟で、

かつしっかりした造形教育の積み上げ論をさぐることであった。積み上げ理論とは、造形活動に おける学習の積み重ねをさし、特に50年代後半からの教科論、授業論を求めて、いかにして指導 体系を確立してゆくかの活動は、この積み上げのあり方を求めてのことであった。積み上げ理論 は、大きく言えば、経験の組織化であり、指導の系統を明らかにするものである。

1.遊びの中での発見やものとの対決・経験の積み上げ。

2.観察学習の中での認識の積み上げ。

3.技術習得の系統学習の積み上げ。

4.表現体験そのものの積み上げ。

5.保育・授業そのものが次々と積み上る、などである。

積み上がり現象を拾ってゆくと限りがない位である。これらのプロセスを整理し構造化して考 察することが、どうしても必要になる。

筆者は、図‑5に見る「積み上りの前後における関係」に着目した。そこでは、従来ある、課 題を「だんど」のように見たてる「だんど構造」理論を発展させ、 「おでん構造」とした。図‑

6に見るように、前提となる先行する学習経験を「基礎的経験、学習活動」とし、 △形にまとめ、

学習の中でつちかわれた「力」を駆使した、人間的状態として能動的に積み上る状態こそが、創 造的であるとした「展開的学習活動、経験」を、それに続く学習と位置づけ○形とした。

‑ラ

ダンゴ構造    から    おでん構造‑

図‑5

∠ゝ

‑‑I‑‑‥一展開的活動・学習

一一   一基礎的体験・学習

図‑6

この△一〇を貫く方向こそが、望ましい指導の系統であると考えたのである。 △一〇へと貫く 姿がくりかえされるのが、あたかも「田楽刺し」になった「おでん」のようであり、この基礎‑

展開の構造のあり様を筆者は「おでん構造」と名づけたのである。

次に、観察画学習を△に位置づけた「おでん構造」の実践例をあげてみる。写真C. D< は、

(14)

筆者が14年前にまきば幼稚園で実践したものであり、 5歳児の作品である。 Cは「よこむきの顔」

をテーマにクラスの友達を4人1細になって、それぞれの横顔を交代で描いたものである。横顔 独特の形の変化が、三角にとらえられた眼や、片方にとがった鼻にあらわれている。又、髪の毛 にかくれているが耳の形をしっかりとらえている。口のあたりの黒いのは、巻き毛の形で前の方 へ髪の毛が廻っているのをしっかり見たものである。 Dは「お話の絵」で「てんぐの太鼓」とい うものである。太鼓をたたくと鼻が伸びて、雲の上まで上ってゆく話である。しまいには、ねこ ろんでしまい、天までひっぼられてゆくものだが、画面構成として心理的に横顔を構想しやすい し必要とするテーマである。この「お話の絵」という楽しい状況の中で展開的授業として○が位 置し、 「横向きの顔」が△として事前に準備、導入された例である。

※この実践の反省は、 △一〇の構造が、やや短絡的であり、各々の絵を「表現として豊かにする」

為には、更に別の手立てが、いくつも必要であるということ。こうした硬直しがちな実践の問題 は、例えば、 Cの友達を描く‑‑ということを一つとっても、たんねんな導入と、子どもの生活 の中でのドラマを把握、演出できなくては、ならなかった。ということ。 Dの「てんぐの太鼓」

のお話には、充分、子ども達が、乗っていない浅い感動で描き出している点などである。これら 系統を意識した題材をいかに深く子どもの胸の中にとどけるか、又、子どもの思いや、日常の中 でこそ、これら「おでん構造」の典型例をさがし出す眼こそが大切なのである。

※この「おでん構造」を弾力的に見直してゆく第一歩として、串の通ったまゝの状態でも△一〇 叉は、 〇一△の時期を兄はからう、というタイミングの視点。

※ 「主導的活動」との結合でいえば、 △一〇とつながるリズムの強弱が、しっかり把握されるべ きである。強調される方を大きく描いて確認する。 (アクセント)

※展開学習のみでやっていたといえる創美の学習は「ダンゴ構造」以前のばらばらの状態を指し ている。

(15)

70

比留間艮介

※技術教育の世界は、作業分析の考え方がすでにあり(Trade and Job Analysis)(55)拡散創造を 指向しない場合は△ばかりの積み上げで「こんにゃく構造」となる。部分的な機能としては造形 の世界に今後、大いに取り入れるべきである。例としては、小学校の版画教育における「彫刻力 の使い方」(56)などがある。

Ⅳ 「丸ごと主義」と「おでん構造」の結合

つみ上げ理論における「おでん構造」の眼目は、基礎的学習が、展開的学習活動の中で伸やか に実践され、各個人に応じた定着と活用がなされるのがねらいである。集中した基礎的学習から 解き放された時に、本当にその子のもつ「実力」として定着する。このプロセスの軽視は、いつ でも先生の顔色を見ながら作品をつくる子どもをつくってしまうだろう。

造形教育の授業・カリキュラムを設定してゆく時に、この「おでん構造」は基木的観点として すえられるべきだろう。 「基礎的体験、学習」から「展開的学習活動」を志向して、課題を設定 してゆくのは骨のおれることである。なぜならば、 Ⅱでも検討したように、千どもの発達段階に おける主要な課題を位置づけなくてはならないからである。一本のプログラムをデザインするこ とは易しい。しかしこれが、子どもの生活、発達段階に適合するかどうか、そして、その具体的 な姿としての題材になった時に、子どもの興味、関心をひくものであるかどうか、は、常に新し い問題である。生活の掘り起しから、かからなくてはならない実状もあるだろう。特に幼児の世 界は、遊びの形態を主としているので、多様な可能性をもつ形も求められる。

図‑7は、本稿の課題、幼児の造形活動における「積み上げ理論」としての「おでん構造」の まとめとして提示するものである。遊びを失ったり、認識のBaseがくずされている今日的状況

[ ]

∩ ∪

m

n = 二 郎

O HH

(16)

の中で、より多くの物とのILH合いや対決を演出し、幼児が主体的にかかわっている、積極的状態 で系統課題が入ってゆくことを示したものである。又,より可能性を含んだ設定を志向したもの である。本来、「おでん」に、幼児の場合、特に硬い轟はいらなかったのである。問題は、山合い のタイミングであり、その質が問われよう。環境や、幼児の生活との密着化を考える中で、 「お でん構造」は、温められ活性化した「鍋の中」で、浮遊し、幼児との山合いを待つのである。

結びにかえて

造形教育を構造的に見てゆく試みは、これまでも教科論、鶴城論確立の中で行われて来た。造 形教育を構成している要素を解明し、心理学や、諸外国の理論研究との対比から明らかにしよう という大きな視点を持つものから、実際の授業の局面におけるプロセスを研究した小さなものま でがある。特に幼児の領域においては、年齢別、学年別の造形課題を具体的な実践例として提出 し、指導の系統を打出そうとしているものが多いが、カリキュラム構造にかかわって論述してい る例は少ない。本稿で取りしげた「積みしげ理論としてのおでん構造」は、大きさで述べれば中 位であるカリキュラム構造へのアプローチを扱ったものである。多くの先覚の理念的追求の中に すでに系統学習論や遊びについての研究があるが、筆者のした仕事は図式に表わしてみたという 事である。 「おでん構造」に代表される図式化は、本学の保育内容の研究・絵画製作、図工教材 研究の講義に於て「いかにして、わかりやすく話をするか」を心掛ける中で、教室の板書として 登場してきたものを基礎としている。又、木研究を通じて筆者自身の初期の実践にあった硬直性 を検討し、幼児を活性化した接:活の中で「丸ごと」とらえ、その中に密着して指導の系統を位置 づけてゆく内容の発展を見た。多様な側面を持つ幼児の造形活動を図式に収めようとすること自 体に多少の無理はあるかと思う。しかしながら、基本的にどの様なあり方をしているのかを解明 する為に造形学習の構造化、図式化への試みを敢えて行ってみたものである。

注 川 は

花篤実・岡一夫「幼児教育法 絵画製作・造形く理論編)」三晃書房、 1979、 p. 39

子どもの文化研究所編「子どもの発達とテレビ」 ‑一子どもの人格形成とテレビのかかわり一一 童心社、

1979

(3)基本的には、文字、文章表現を持たない幼児にとって、造形表現の持つ重要度は大きいo (4)久山まき了・、 「幼児の造形教育」関西教育学会紀要、第0'j、 1981、 p. 127

(5)花篤実、 「美術教育研究組織における戦後美術教育の性格」大阪教育大学紀要、第19巻、第Ⅴ部門、 1970 (6)久山まさ子、前掲論文

(7)久11はさ子、同L論文、p. 127

(8) 1本美術教育連合編「日本美術教育総鑑、戟後編」 (art education annual 1945‑1965)日本文教出版株式会 社、 p. 318、第11章、美術教育運動

(9)同上吉、 p.318

(10)久山まさ子、前掲論文、 p. 128 (ll)久山まさ子、同上論文、 p. 130 (12)日本美術教育連合編、前掲吾、 p. 325

(13)井手HiJ雄「幼年期の美術教育」誠文堂新光社、 1969

(14)井手則雄・鈴木五郎「美術教育入門、理論編」百合出版、 1980

(IS)乾孝「日本の保育の流れと伝えあい保育」、 『幼児の美と遺徳の教育』日ソ保育シンポジウム実行委編、新読

(17)

72

比留間艮介 吉社、 1977、 pp. 7‑15

(16)造形教育センタ一編「一 一答 造形教育の方法」明治図書、 1970、 169 (17) H本美術教育連合編、前掲書‥、 p. 321

(18)井手則雄・鈴木五郎、前掲書、 p. 17 (19)日本美術教育連合編、前掲書、 p. 329 (20)日本美術教育連合編、前掲吉、 p. 323

位1)造形教育センター編、前掲書、 p. 177造形教育センターの歴史 C2)日本美術教育連合編、前掲書、 p. 327

(23)花篤実・岡一夫、前掲書、 39

(24)中村亨編「日本美術教育の変遷」 ‑‑教科書・文献による体系I‑ 日本文教出版、 1979 (25)山内昭道「新版幼児教育の基本用語」自由保育の意味、小学館、 1974、 p. 124

(26)花篤実・岡一夫、前掲書、 p. 39

(27) 「教育美術」 1980、 7月号、 p. 16、民間教育運動の展望Ⅱ

㈱ 同上書、p.17 eg)同上書、 14

(a)新見俊呂「幼児の美術教育」大阪保育運動センター、 1981、 p. 1 61)花篤実・岡一夫、前掲書、 39

¢カ 花篤実・岡一夫、前掲吾、p.39 63)山内昭道、前掲吾

04)近藤董樹「集団保育とこころち発達」新日本出版社、 1969 8.9 新見俊昌、前掲吾、並、美術教育を進める会の研究

榊 藤武「幼児期における経験の組織化の課題」 『現代幼児教育の諸問題』川島書店、 1981、 p. 2 (37> マカレンコ「愛と規律の家庭教育」 (南訳)三一書房、 1940

88)小出真美「現代教育学の基礎知識」 (1)、有斐閣、 1976、 p. 104 89)芸術教育研究所「新しい幼児の造形あそび12ケ月」架明書房、 1963 (40 古市憲一「造形あそぴ」開障壁、 1979

(41)花篤実・岡一夫、前掲書、 p. 108

(49 大阪児童美術研究全編「図画工作科指導の理論と実際」明治図書 m 子どもの文化研究所編、前掲書、 p. 158

(44)井手則雄「認識と創造」造形社、 1978、 p. 2 (49 井手則雄、同上書、 p. 3

(46)井手則雄「幼年期の美術教育」誠文堂新光社、 1969、 p. 167 (43 東京保育問題研究会絵画部会編、前掲書

(48)多田信作「絵の教育」繋明書房、 1971

V.ローウェンフェルド「美術による人間形成」顛明書房、 1963、 p. 181、様式化の段階 (50 東京学芸大学附属竹早小学校1年女児作品

61)新見俊昌、前掲書、p.3より引用

6分'81美術教育を進める会第18回高知大会、並、機関誌「子どもと美術」 No. 28

63 美術教育を進める会では、最近の課題として、子どもの歪んだ生活状況を直視する中で、生活全体を土台か ら掘り起し、たて甫そうとする「丸ごと主義」を中心に据えている。更に詳しくは、 「子どもと美術」 No.

26 1981 5 pp.44‑51

(54)まきば幼稚園(東京都板橋区徳丸町)園児作品 69 日本ヴォーグ社「作業分析による編み方テキスト」 1965

6時 藤田喜久編「子どもの発達と美術の授業」部落問題研究所、 1982、 p. 122、井形侯望の実践

(18)

A Young Child's Formative Activities

‑A new ̀Oden Method through the old ̀Piling‑up'Theory‑

Ryosuke Hiruma

Department of Education through Art, Nara University of Education, Nara, Japan (Received April 30, 1982)

A careful and systematic study is necessary to help a young child to learn how to make forms and draw pictures, and this is often done through plays and games. A child meets with a lot of discoveries and new experiences while playing, and making them his own he grows up. In this paper, I look into a child's brisk life, and discuss and suggst ̀Oden'

I

boiling‑up theory as an improvement of the old, sti斤̀Piling‑up method, for the development of his formative activities.

参照

関連したドキュメント

ともわからず,この世のものともあの世のものとも鼠り知れないwitchesの出

tiSOneと共にcOrtisODeを検出したことは,恰も 血漿中に少なくともこの場合COTtisOIleの即行

これは基礎論的研究に端を発しつつ、計算機科学寄りの論理学の中で発展してきたもので ある。広義の構成主義者は、哲学思想や基礎論的な立場に縛られず、それどころかいわゆ

 

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

本論文での分析は、叙述関係の Subject であれば、 Predicate に対して分配される ことが可能というものである。そして o

層の積年の思いがここに表出しているようにも思われる︒日本の東アジア大国コンサート構想は︑

としても極少数である︒そしてこのような区分は困難で相対的かつ不明確な区分となりがちである︒したがってその