『日本霊異記』の敬語の補助動詞
田 島 優
はじめに 『 日 本 霊 異 記 』 は、 薬 師 寺 の 僧 景 戒 に よ っ て 平 安 初 期 に 書 か れ た 最 古 の 仏 教 説 話 集 で あ る。 次 に 掲 げ る よ う に 漢 文 の
スタイルを採っている。
昔吾与兄行交易、吾得銀四十斤許、時兄妬忌、殺吾取銀、自爾以還多年歳、往来人畜皆踏我頭、大徳垂慈、令見離
苦故、不忘汝恩、今宵報耳。 (上巻第十二縁の一部)
こ の 部 分 を、 例 え ば 中 田 祝 夫 校 注 に よ る『 新 編 日 本 古 典 文 学 全 集 日 本 霊 異 記 』 ( 小 学 館 一 九 九 五 年 以 下、 新 全 集と略す )
(注1)では次のように訓み下している 。
(注2)昔、 吾
われ兄と行きて 交
あきなひ易 しき。吾銀を四十 斤
ごんばかり許 得たり。時に兄 妬
ウラミミ 忌
にくみ、吾を殺して銀を取りき。 爾
それより 以
このかた還 、 多
あまたの 年
とし歳 に、往来する人・ 畜
けもの、皆我が 頭
かしらを踏みき。大徳 慈
あはれびを垂れ たまひ 、 見
けにに苦を離れしめ たまふ が故に、 汝
なむぢの恩を忘 れず、 今
こよひ宵 に報ずらくのみ。
こ こ に は、 原 文 に 記 さ れ て い な い 大 徳 へ の 敬 語 表 現( 文 中 の 波 線 部 分 ) が 付 加 さ れ て い る。 同 様 に、 小 泉 道 校 注 に よ
る『新潮日本古典集成 日本霊異記』 (新潮社 一九八四年 以下、集成と略す)においても、 「大徳、慈しびを垂れ た 日本文学ノート 第四十八号
まひ 、 見
げにに 苦
くるしびを離れしめ たまふ がゆゑに」のように、尊敬の補助動詞「たまふ」を補って訓み下している。ただし、出 雲 路 修 校 注 の『 新 日 本 古 典 文 学 大 系 日 本 霊 異 記 』 ( 岩 波 書 店 一 九 九 六 年 以 下、 新 大 系 と 略 す ) で は「 大 徳 慈
うつくしびを 垂
たれ、 見
いま苦
くるしびを 離 れ し む。 」 と 敬 語 表 現 を 用 い て い な い が、 こ の 本 で も 例 え ば 上 巻 第 十 七 縁 の「 朝 廷 聞 之 召 問 事 状、 天 皇 忽
矜、 令 申 所 楽 」 に 対 し て は、 「 朝 廷 聞 き た ま ひ て 、 召 し て 事 の 状 を 聞 き た ま ふ 。 天 皇 忽 に 矜 み た ま ひ 、 楽 ふ 所 を 申 さ し
め た ま ふ 。 」 の よ う に 敬 語 表 現 を 用 い て い る。 出 雲 路 氏 の 考 え で は、 敬 意 を 払 う 対 象 を か な り 高 貴 な 人 に 限 定 し て い る
ようである。
『 日 本 霊 異 記 』 の 話 を 享 受 し て、 そ れ を 収 載 す る に あ た り 話 を 装 飾 し 膨 ら ま せ た『 今 昔 物 語 集 』 で は、 次 の よ う に そ
れぞれ敬意表現が本文中に組み込まれている。
我
レ昔
シ、 兄
ト共
ニ商
ナヒセム為
ニ、 所 々 行
テ、 銀 四 十 斤
ヲ商
ヒ得
タリキ。 其
レヲ持
テ兄
ト共
ニ奈 良 坂
ヲ通
シ時、 兄 銀
ヲ欲
カリテ其
レヲ取
ラ ムカ為
ニ、我
ヲ煞
テキ。然
テ、兄
ノ、家
ニ返
テ、弟
ハ盗人
ノ為
ニ被 煞
タル由
ヲ母
ニ語
ル。其
ノ後、年月
ヲ経
テ我髑髏其
ノ所
ニ有
テ、往還
ノ
人
ニ被 踏
ツルニ、 汝
カ師
ノ大 徳 其
レヲ見 給
テ、 哀
ノ心
ヲ至
シテ、 汝
ヲ以
テ木
ノ上
ニ取
リ置
セテ、 苦
ヲ令 離
メ給
ヘリ。 其
ノ故
ニ亦 汝
カ恩
ヲモ不忘
ス。而
ルニ今夜我
カ為
ニ此
レニ食
ヲ儲
タリ。其
レヲ令食
ムカ為
ニ将来
レル也。 (十九巻第三十一話)
其
ノ後、 公
ケ、 此
レヲ聞 食
シテ、 事
ノ有 様
ヲ被 召 問
ルニ、 有
シ事
ヲ不 落
ズ具
ニ申
ス。 此
レヲ公
ケ聞
シ食
テ、 哀
ビ貴
ビ給
テ、 申
サム所
ヲ恩
シ給
ハムト為
ルニ(十六巻第二話)
このように日本語においては敬語表現は欠かせられないものであるが、漢文というスタイルの場合には敬語を文中に
表 し て は い け な い よ う で あ る。 た だ し、 『 日 本 霊 異 記 』 に お い て 敬 語 表 現 が 皆 無 か と い う と そ う で も な い。 例 え ば、 下
巻第十三縁のように尊敬の補助動詞と謙譲の補助動詞が使用されている場合もある。
吾先日願 奉 写法花大乗、而未写断。我命全 給 、我必 奉 果 (下巻第十三縁)
吾、先の日法花大乗を写し 奉らむ と願ひて、 未
いまだ写し 断
をはらず。我が命を全くし 給はば 、我、必ず 果
はたし 奉らむ こ の 文 章 に は、 謙 譲 の 補 助 動 詞「 奉 」 と 尊 敬 の 補 助 動 詞「 給 」 と が 使 用 さ れ て い る が、 「 奉 」 と「 給 」 と で は 動 詞 に
対 し て 置 か れ る 位 置 が 異 な っ て い る。 謙 譲 の 補 助 動 詞「 奉 」 の 場 合 は、 「 奉 」 が 動 詞「 写 」 ・ 「 果 」 よ り も 先 に 置 か れ て
『日本霊異記』の敬語の補助動詞
お り、 返 読 す る 形 に な っ て い る。 一 方、 尊 敬 の 補 助 動 詞「 給 」 は 動 詞「 全 」 の 後 に 書 か れ て い る。 ま た 目 的 語 で あ る
「 我 命 」 が 動 詞「 全 」 よ り も 先 行 し て お り、 日 本 語 的 語 順 に な っ て い る。 前 稿「 敬 語 の 補 助 動 詞 が 要 請 し た 書 記 に お け
る日本語的語順」 ( 『日本文学ノート』
45 号 二○一○年)で指摘したように、上代に作成された漢文的な文章において
敬 語 の 補 助 動 詞 が 使 用 さ れ る と、 そ こ だ け が 日 本 語 的 な 語 順 に な り や す い が、 『 日 本 霊 異 記 』 に お い て も そ の よ う な 傾
向が窺われるようである。
本 稿 で は、 『 日 本 霊 異 記 』 に お い て 敬 語 の 補 助 動 詞 が 使 用 さ れ て い る の は ど の よ う な 場 合 な の か。 ま た、 使 用 さ れ て
いる場合の動詞との位置関係、並びに動詞と目的語との語順について明らかにしようと思う。
一 尊敬の補助動詞の用例 『 日 本 霊 異 記 』 本 文 に 使 用 さ れ て い る 敬 語 表 現 は、 そ の 訓 み 下 し 文 に 見 ら れ る も の と 比 較 す る と、 ご く 少 数 で あ る。
特に、尊敬の補助動詞は偶然あるいは不注意で出現したとも言えそうである。 『日本霊異記』を享受している『三宝絵』
や『今昔物語集』と合わせて見ていくと、尊敬表現を用いないように工夫して記述しているようにも思われる。
尊 敬 の 補 助 動 詞 に な り う る 漢 字 を 確 認 す る と
(注3)、 「 給 」 が 8 例、 「 貺 」 が 8 例、 「 賜 」 が
21 例 使 用 さ れ て い る。 こ れ ら の
用例の中には本動詞である例も多く含まれている。
「 給 」 8 例 の 中 に は、 「 供 給 」 ( 会 話 文 ) や「 給 与 」 ( 地 の 文 ) と い っ た 熟 語 や、 与 え る の 意 の 本 動 詞 4 例( 地 の 文 3
例・会話文1例)があり、補助動詞と考えられるのは次の2例である。
① 我命全給、我必奉果 〈会話文〉 (我が命を全くし給はば) (下巻第十三縁)
② 我之黒見
曾比麻多
尓宿給
ヘ人成
マテ〈歌〉 (我が黒みそひ股に寝給へ) (下巻第三十八縁)
①は先に挙げた例であり、目的語の「我命」が動詞「全」よりも先に置かれており、日本語的語順になっている。②
は漢文ではなく宣命書きになっており日本語的語順である。そして①は会話文、②は歌での使用である。 日本文学ノート 第四十八号
「 貺 」は現代では目にしない字であるが、 『類聚名義抄』には「タマフ、アタフ、メクム、タマ物、オクル」の和訓が
記 載 さ れ て い る。 こ の「 貺 」 は 8 例 あ る が、 本 動 詞 が 4 例( 会 話 文 3 例・ 心 内 文 1 例 ) 、 そ し て 4 例 が 補 助 動 詞 と 考 え
られる。
① 一衣者贈我中男 貺 也 〈会話文〉 (一つの衣は、我が中の男に贈り 貺
たまはむ) (中巻第三縁)
② 一衣者贈我弟男 貺 也 〈会話文〉 (一つの衣は、我が弟の男に贈り 貺 はむ) (中巻第三縁)
③ 願免罪 貺 〈会話文〉 (願はくは罪を 免
ゆるし 貺
たまへ) (中巻第三縁)
④ 免我擯返 貺 〈会話文〉 (我を 免
ゆるし 擯
おひ返し 貺
たまふ) (下巻第三十六縁)
①②③の3例は同じ話の中に出現する。①と②は、直接目的語(客語)が主題として文頭に置かれ、間接目的語(補
語 ) で あ る「 我 中 男 」 「 我 弟 男 」 を 動 詞「 贈 」 と 敬 語 の 補 助 動 詞「 貺 」 と が 挟 む 形 に な っ て い る。 ③ も「 罪 」 と い う 目
的 語 を 動 詞「 免 」 と 敬 語 補 助 動 詞「 貺 」 が 挟 ん で い る。 ④ は「 擯 返 」 の 目 的 語 で あ る べ き「 我 」 が 先 行 す る 動 詞「 免 」
と同じであることから省略されている。いずれの例も会話文での使用である。
「 賜 」
21 例 の 中 で 補 助 動 詞 と い え る の は、 次 の ① ② の 2 例 で あ る。 そ の 他 に 文 字 面 か ら は 尊 敬 の 補 助 動 詞 の よ う に 見
えるが、その内容から考えていくと、尊敬の補助動詞とするには疑問に思われる例が3例ある。そして残りの
16 例(会
話文
11 例、地の文3例、心内文2例)は本動詞である。
① 流聞大安寺丈六仏衆生所願急能施賜 〈噂〉 ( 流
いふ聞 ならく、 「大安寺の丈六の仏は、衆生の願ふ所、 急
すみやかに 能
よく 施
せし 賜ふ) (中巻第二十八縁)
② 願罪脱賜 〈会話文〉 (願はくは罪を 脱
ゆるし賜へ) (下巻第六縁)
①と②ともに、目的語が動詞よりも先に置かれており、日本語的語順になっている。①は噂であり、②は会話文であ
る。
次の3例は、尊敬の補助動詞とするには疑問に思われたものである。それらが尊敬の補助動詞なのか、あるいは尊敬
あるいは謙譲の本動詞なのか、一例ずつ意味的に考えていく。なおいずれも地の文での使用である。
『日本霊異記』の敬語の補助動詞
③ 更為夫妻、合家財物皆既施与。五位曰賜 〈地の文〉 (五位を 曰
まうし 賜
たまははりぬ) (上巻第三十一縁)
新全集は「 賜
たまはりぬ」と訓んでおり、そして「また朝廷に奏上して五位の位を授けていただいた」と訳していることか
ら、 謙 譲 の 本 動 詞 と 解 し て い る。 文 の 構 造 で は、 目 的 語 が 先 に 来 て、 前 の 動 詞( 曰 ) が 行 わ れ た 結 果 と し て 後 の 動 詞
(賜)の状態になっており、 「曰」と「賜」との間に時間的な差がある。語順は目的語が動詞より先に来る日本語的語順
に な っ て い る。 こ の 場 合 の「 賜 」 は い た だ く と い う 意 味 の 動 詞 で あ る と 考 え ら れ る。 『 今 昔 物 語 集 』 に も こ の 話 が 収 載
さ れ て い る が、 「 遂
ニ免
シテ夫 妻
ト成
シツ。 後
ニハ家
ヲ譲
リ、 財 物
ヲ皆 東 人
ニ与
フ」( 十 六 巻 第 十 四 話 ) と あ り、 こ こ で 問 題 と な っ
ている箇所は話に取り入れられていない。集成も新大系も「賜はる」と訓み下しており、ここの「賜」は尊敬の補助動
詞ではなく新全集の訳に見られるように謙譲の本動詞と見てよいであろう。
④ 随主家庭衣得之、乃去天賜焉 〈地の文〉 (主の家の庭に 随
ゆきて衣を得しめ、 乃
すなわち天に去り賜ひき)
(上巻第三十四縁)
新全集では「去り賜ひき」と尊敬の補助動詞としているが、訳では「鹿はそのまま天上はるかに去って行った」とし て い て、 敬 意 を 施 し て い な い。 『 今 昔 物 語 集 』 で は「 彼
ノ絹
ノ主
ノ家
ノ庭
ニ吹
キ落
シツ。 絹
ノ主、 此
レヲ見
テ、 喜
テ、 取
テ思
ハク、 此
レ
、 他
ニ非
ズ、 妙 見 菩 薩
ノ助
ケニ依
テ」 ( 十 七 巻 第 四 十 八 話 ) と あ り、 こ こ で は 鹿 が 出 現 せ ず、 衣 が 持 ち 主 に 戻 っ た の は 猛 き
風の仕業としている。集成も新全集と同じく「すなわち天に去りたまふ」と尊敬の補助動詞として訓んでいる。ただし
新大系では本文を「堕主家庭、衣主得之、乃云天賜焉」と変更している。 「随」を「堕」に改め、 「衣」の次に「主」を
補い、 「去」を「云」に改めている。なお集成も「随」の「堕」への変更は行っている。そして新大系は、 「主の家の庭
に 堕
おつ。衣の主得て、すなはち 云
いはく「天の賜ふなり」といふ」と訓み下して、尊敬の本動詞として扱っている。新全
集が訳において敬意を示していないように鹿に対し尊敬語を用いるのは不審であるが、その鹿を妙見菩薩の使いと解す
れば敬意を施すことも可能となる。旧大系(岩波日本古典文学大系)では鹿を妙見菩薩の化身と見て「補助動詞」と注
している。
⑤ 是 仏 賜 銭 故 我 不 蔵 返 賜 女 人 〈 地 の 文 〉 ( 「 是
こは 仏 の 賜 へ る 銭 な り。 故
そゑに 我 蔵
をさめ じ 」 と い ひ て、 女 人 に 返 し 日本文学ノート 第四十八号
賜
たまはりぬ) (中巻第二十八縁)
新 全 集 は「 返 し 賜
たまはり ぬ 」 と 訓 ん で い る。 「 賜
たまはる 」 は、 ま だ こ の 時 代 は 謙 譲 の 本 動 詞 の 用 法 し か な い 。
(注4)こ の 新 全 集 で は
訳 に お い て「 女 に 返 し 与 え た 」 と し て い て、 謙 譲 の 意 に な っ て い な い。 ま た 敬 意 も 示 さ れ て い な い。 『 今 昔 物 語 集 』 で
も「 「 此
レ、 仏
ノ給
ヘル也
ケリ。 此
レヲ蔵
ニ不 可 納
ズ」
ト云
テ、 女 人
ニ返
シ与
フ。 」 ( 十 二 巻 第 十 五 話 ) と あ り、 敬 意 表 現 は 用 い ら れ
ていない。集成は新全集と同じく「女人に返し賜はりぬ」と訓み下しているが、訳は施されていない。新大系では「返
り て 女 人 に 賜 ふ 」 と、 「 返 」 を「 寺 に 納 め ず に 逆 に 」 ( 注 の 項 ) と、 「 逆 に 」 の 意 と 解 し、 「 賜 」 を 尊 敬 の 本 動 詞 と し て
扱っている。この「賜」は文章的には尊敬の補助動詞と扱うべきであろう。ただし地の文での使用であり、また主語が
「 僧 」 で あ る 点 が 気 に 掛 か る 点 で あ る。 第 三 節 で 扱 う 藁 谷 隆 純 氏 の 論 考 に お い て も、 こ の 例 に つ い て 詳 細 に 論 じ ら れ て
いる。
どのように扱ったらよいのか疑問に思われた③④⑤の3例について、尊敬の補助動詞の可能性を探ってみた。③は明
ら か に 謙 譲 の 本 動 詞 で あ っ た。 ④ は、 主 語 の「 鹿 」 を 妙 見 菩 薩 の 化 身 と 見 れ ば、 尊 敬 の 補 助 動 詞 の 可 能 性 も 出 て く る。
⑤も尊敬の補助動詞と扱うべきであろうが、この例も④と同じく地の文での使用であり、また主語が「僧」である点が
問題となる。
③は、本動詞であるが目的語が先に来るという日本語的語順の例であった。そのような例は他にも見られる 妻即往、居国上之前、乞言、 「衣賜」 〈会話文〉 (妻 即
すなはち行きて、国の上の前に居て、乞ひて言はく、
「衣賜はむ」といふ) (中巻第二十七縁)
国上衣襴、捕粉条然、乞言「衣賜」 〈会話文〉 (国の上の衣の 襴
スソを、 条
ツダツダ然 に 捕
とり 粉
くだき、乞ひて言はく、
「衣賜はむ」と言ふ) (中巻第二十七縁)
ま た 目 的 語 が 二 つ あ る 場 合、 中 国 語 の 構 文 風 に 言 え ば「 客 語 」 と「 補 語 」 、 英 語 の 構 文 風 に 言 え ば「 直 接 目 的 語 」 と
「間接目的語」になるが、一方の目的語が先に来る例も見られる。
毎六時願云、 「如天女容好女賜我」 〈会話文〉 (六時毎に願ひて云ひしく、 「天女の如き容好き女を我に賜へ」とい
『日本霊異記』の敬語の補助動詞
ひき) (中巻第十三縁)
この例では、 「如天女容好女」という長い「客語」 ( 「直接目的語」 )が動詞の前に置かれている。次の2例は、 「補語」
( 「間接目的語」 )が動詞の前に置かれているものである。
願我賜財 〈会話文〉 (願はくは我に 財
たからを賜へ) (中巻第十四縁)
願我賜眼 〈会話文〉 (願はくは我に眼を賜へ) (下巻第十一縁)
以上3例は会話文において見られた現象であった。ただし、会話文でも漢文の規則通りに目的語が動詞の後に置かれ
ている例もある。
我飢 賜飯 〈会話文〉 (我飢ゑたり 飯
いひを賜へ) (中巻第四十二縁)
惜乳不賜子乳〈会話文〉 ( 乳
ちを 惜
をしみて、子に乳を 賜
たまらざりき) (下巻第十六縁)
後者の例は、打消の「不」があることが影響しているのかもしれない。以上見てきたように、会話文の場合、すべて
が日本語的語順になるとは言えないが、これまでの用例からは日本語的語順になりやすい傾向があるといえよう。
二 謙譲の補助動詞 謙譲の補助動詞は『日本霊異記』では「奉」で記されている。謙譲の本動詞の場合は「奉」以外に「進」もその任に
あたっている。 「進」による謙譲表現は8例あるが、いずれも本動詞である。一方「奉」は
85 例あるが、その内「奉為」
4 例、 「 奉 仕 」 1 例、 「 奉 行 」 1 例 の 熟 語 を 除 い て、 本 動 詞 が
16 例、 補 助 動 詞 は
63 例 あ る。 本 動 詞 の 場 合、 「 進 」 が「 た てまつる」の表記であり、 「奉」は「うけたまはる」での例が多く「たてまつる」は2例だけである 。 (注5)謙譲を表す「奉」
の場合は、尊敬の表現と異なり、地の文や表題での使用も多い。
「 は じ め に 」 で 記 し た が、 尊 敬 の 補 助 動 詞 の「 給 」 や「 賜 」 が 動 詞 よ り も 後 置 さ れ て い る の に 対 し て、 謙 譲 の 補 助 動
詞「奉」の場合は動詞に前置される返読用法になっている。補助動詞の例が
63 例あり多いように感じられるが、 「奉写」 日本文学ノート 第四十八号
の 例 が
23 例 あ り、 そ の 多 く が「 奉 写 法 華 経 」 で あ る。 他 に「 奉 請 」 が 7 例、 「 奉 詔 」 が 6 例、 「 奉 読 」 が 5 例、 「 奉 勅 」
が4例といったように、同じ動詞と結びついているものが多い。ただし、次の1例は動詞の後に「奉」が置かれている
ように見える。
賂奉多幣帛 〈会話文〉 ( 多
あまたの 幣
みてぐら帛 を 賂
まひなひし 奉
まつらむ) (中巻第十二縁)
新全集は、 「賂奉」を「まひなひしまつらむ」といったように、 「賂」をハ行四段動詞「まひなふ」ではなく「まひな
ひ し 」 と サ 変 動 詞 と し て い る。 す な わ ち「 奉 」 を 補 助 動 詞 で は な く、 「 賂 」 と「 奉 」 の 二 つ の 動 詞、 す な わ ち 複 合 動 詞
と し て 扱 っ て い る よ う で あ る。 集 成 に お い て も「 あ ま た の 幣
みてくら帛 を 賂
まひなひし た て ま つ ら む 」 と サ 変 動 詞 に し て い る。 た だ し、
新 大 系 は「 多 く の 帛
はくのきを 賂
まひなひ奉
たてまつら む 」 と 訓 み、 補 助 動 詞 と し て 扱 っ て い る。 「 賂 」 自 体 に 人 に 物 を 贈 る と い う 意 味 が あ る の
で、本動詞でなく補助動詞の可能性も考えられる。しかし、他の動詞における「奉」の字の位置関係から判断すればこ
の例の場合は本動詞とみるべきであろう。
本 動 詞 の 用 例 で あ る が、 目 的 語 と 動 詞 の 位 置 関 係 が 日 本 語 的 語 順 の よ う に 見 え る も の が あ る。 た だ し、 こ の 場 合 は
「面」を目的語ではなく副詞として扱うべきだと考えられる。
何罕面奉 〈会話文〉 (何ぞ 面
まのあたり奉
うけたまはること 罕
まれらなりし) (中巻第七縁)
こ の 箇 所 に つ い て、 新 全 集 は「 ど う し て 久 し く お 目 に か か れ な か っ た の で し ょ う 」 と、 や や 意 訳 的 で あ る。 集 成 は、
底 本 の「 奉 」 を 来 迎 本「 挙 」 で 改 め る と し て、 「 な に ぞ 面
おもて挙
おこす こ と 罕
かたき 」 と 訓 み、 「 顔 を あ げ て 私 を 見 ら れ な い の で す
か 」 と 訳 し て い る。 す な わ ち「 面 」 を 目 的 語 と し て 扱 っ て い る が、 「 奉 」 で は な く「 挙 」 の 目 的 語 と す る。 そ の よ う に
解釈すれば日本語的語順になっていることになる。新大系は「何すれぞ 面
まのあたり奉
つかへまつること 罕
まれなる」と訓み、 「なぜなのでしょ
う か。 お 目 に か か る こ と が な か っ た の は 」 と 訳 す。 そ し て、 次 の よ う な 注 を 施 し て い る。 「 原 文「 面 奉 」 は、 下 位 の 者
が 上 位 の 者 に 対 面 し て 応 接 す る 意。 「 会 ふ 」 の 謙 譲 語 の よ う に 用 い ら れ る。 「 面
二奉 弥 勒
一」 ( 元 興 寺 伽 藍 縁 起 ) 」 。 こ れ を
参考にすれば、 「面奉」という熟語であったようである。
謙譲の補助動詞の用例の中で、目的語が動詞よりも先に来る日本語的語順になっている例は、次の2例である。
『日本霊異記』の敬語の補助動詞
汝鳴雷奉請之耶 〈会話文〉 ( 汝
なんぢ、 鳴
なるかみ雷 を 請
うけ 奉
まつらむや) (上巻第一縁)
雷神奉請 〈会話文〉 ( 雷
なるかみ神 を請け 奉
まつれり) (上巻第一縁)
ともに上巻第一縁という古い話に見られるものであり、会話文である。
三 先行研究 『日本霊異記』に使用されている敬語に触れている論文として、次の二点が目にとまった。
松下貞三「 『日本霊異記』における漢文和化の問題」 ( 『論集日本文学・日本語 1 上代』 角川書店 一九七八年)
藁谷隆純「 『日本霊異記』の「タマフ」 「タマハル」 」 ( 『文学研究(日本文学研究会) 』
55 号 一九八二年)
前 者 の 松 下 論 文 は、 『 日 本 霊 異 記 』 の 文 章 を 漢 文 と し て 見 た 場 合 の 破 格 に つ い て 論 じ た も の で あ る。 敬 語 関 係 の 部 分
に 絞 っ て 見 て い く と、 第 二 節 で「 奉 」 に つ い て 扱 っ て い る。 「 奉 」 の 字 の 全
85 例 全 部 が 敬 語 的 用 法 で あ っ て、 そ の う ち 64 例が敬譲の補助動詞であるという 。 そして、この敬譲の補助動詞は中国にはない用法であることから、すなわち漢文 (注6)
からはみ出した破格の用法といえる。こうした破格を明らかにするのが松下論文の目的である。謙譲の補助動詞の用法
は『 日 本 霊 異 記 』 以 前 か ら 存 在 し て お り、 そ れ を こ の『 日 本 霊 異 記 』 が 継 承 し て い る こ と か ら、 『 日 本 霊 異 記 』 は 記 録
体 で あ る と す る。 ま た 尊 敬 関 係 に つ い て も 扱 っ て い る。 「 賜 」
21 例、 「 給 」 8 例、 「 貺 」 4 例 の 計
33 例 の う ち、 「 与 え る 」
の意(尊敬の本動詞)は
25 例、尊敬の補助動詞は7 例 である。尊敬の補助動詞の用法は、謙譲の補助動詞「奉」と同じ (注7)
く本国にないものであり、漢文においては破格の用例であるという。
さ ら に、 上 巻 第 一 縁 の「 奉 請 」 の 箇 所 を 例 と し て 破 格 に つ い て 説 明 し て い る。 そ こ で は、 「 請 」 と い う 動 詞 が 目 的 語
の 下 に 来 て い る こ と や、 「 奉 」 の 敬 語 の 補 助 動 詞 が 使 用 さ れ て い る こ と が 破 格 で あ る と 述 べ て い る。 そ し て「 奉 」 の 語
序 に つ い て 触 れ て い る。 補 助 動 詞 の 場 合 も、 『 日 本 霊 異 記 』 に お い て は 動 詞 の 場 合 と 同 様 に 上 に 返 っ て い る。 松 下 氏 の
考えでは、補助動詞の用法は、意味上は動詞に附属するものだから、そのまま動詞の下につけておく方が漢文の措字の 日本文学ノート 第四十八号
趣旨に合う。それにもかかわらず、上に返っていることから破格のようになっているとする。ただし
64 例中1例のみ動 詞の下に来てい る (注8)と述べている。
この松下論文における敬語に関わる部分をまとめると、次のようになる。尊敬と謙譲の補助動詞の用法は日本的なも
のである。そして、謙譲の補助動詞である「奉」が動詞の上に置かれて返読のスタイルをとるのはおかしい。また、上
巻第一縁の「奉請」を破格の例として挙げ、そこでは目的語が動詞の上に来ていて日本語的語順になっていることを示
している。
後 者 の 藁 谷 論 文 は、 表 題 に あ る よ う に、 『 日 本 霊 異 記 』 に お け る「 賜 」 「 貺 」 「 下 」 の 字 を「 タ マ フ 」 と 読 む の か「 タ
マハル」と読むのかについて論じている。
先に扱った「賜」の⑤の「返賜女人」について、この論考では詳細に扱っている。この例について、大系(岩波日本 古典大系、旧大系のこと)や全集(小学館日本古典全集、旧全集のこと)は「女人に返し 賜
たまはりぬ」と訓み、そして全
集 が「 女 に 返 し 与 え た。 」 と 訳 し て い る こ と を 問 題 に し て い る。 『 日 本 霊 異 記 』 の 時 代 に お い て は、 「 タ マ ハ ル 」 は 謙 譲
の本動詞の用法しかなく、尊敬の補助動詞になるのは中世以降であることから、全集が「 (返し) 賜
たまはり(ぬ) 」と訓じて
「 ( 返 し ) 与 え( た。 ) 」 と 訳 し た の は お か し い と す る。 ま た「 い た だ く 」 意 の 謙 譲 語 と す る な ら、 「 衆 僧 が 女 人 に( 銭 四
貫 を ) 返 し て い た だ く 」 で は 意 を な さ な い か ら、 「 い た だ く 」 意 で は な い こ と を 示 し て い る。 こ の 箇 所 に つ い て、 全 書
( 朝 日 古 典 全 書 ) や 角 川 文 庫 は「 女 人 に 返 し 賜 は ら む 」 ま で を 衆 僧 の 会 話 部 と し て い る。 こ の 場 合、 女 人 が 衆 僧 か ら 銭
をいただくのであって、 「衆僧が女人からいただく」のではないから首肯でき難いと述べている。
そこで、藁谷氏は尊敬の用法として「賜ふ(たまふ) 」と訓めば解決がつくのではないかと提案している。すなわち、
「衆僧は女人に銭を返し なさる 」と尊敬の補助動詞にとるか、 「返し お与えになる 。 」と「与える」の敬語動詞にとるか。
いずれにしても「賜」は衆僧への敬語と考える。ただし、地の文における衆僧に対する敬語使用は重すぎるかもしれな
い が、 僧 と は 尊 い 仏 に 仕 え る 尊 い 存 在 で あ る し、 そ う い う こ と が 皆 無 と は 言 え な い。 こ の 箇 所 の 直 前 に あ る「 仏 賜 銭 」
( 仏 の 賜 へ る 銭 ) の「 賜 」 は ま さ に「 お 与 え に な る 」 意 の 仏 の 尊 敬 語 で あ る。 そ こ で は、 そ の 銭 を 仏 の 使 い で あ る 衆 僧
『日本霊異記』の敬語の補助動詞
が再び女人に返すのであるから、その仏への敬意にひかれて、仏の代行者とも言える衆僧に対しても敬語「賜ふ」が使
用されたのであろうと解釈している。
この用例以外の例についても詳細に検討した結果、 「タマハル」と訓むべきものは「賜」の③の「五位曰賜」 (五位を
〔 白
まを〕 し て 賜 は る。 ) の 一 例 だ け で あ り、 こ の 例 は、 「 ( 御 手 代 東 人 が 朝 廷 に 申 し て 五 位 を ) い た だ く 」 意 で、 「 も ら う 」
の 謙 譲 語 で あ る。 こ の 例 以 外 の「 賜 」 「 貺 」 「 給 」 「 下 」 の 例 は、 い ず れ も「 タ マ フ 」 と 訓 じ る べ き こ と を 文 の 内 容 か ら
明らかにしている。そして、それらの用例の中で藁谷氏が尊敬の補助動詞とするものは、それぞれ次のようなものであ
る。
「賜」では次の2例が挙がっている。
「乃去天賜焉」 (乃ち天に去り賜ひき。 ) ( 「賜」④)
「願罪脱賜」 (願はくは罪を脱し賜へ。 ) ( 「賜」②)
藁 谷 氏 が 補 助 動 詞 か 本 動 詞 か 決 め が た い と す る の は、 先 に 扱 っ た「 返 賜 女 人 」 ( 女 人 に 返 し 賜 ひ ぬ ) ( 「 賜 」 ⑤ ) で あ
る。 氏 の 本 動 詞 か 補 助 動 詞 か の 弁 別 基 準 は「 与 え る 」 の 意 が 当 て は ま る か ど う か で あ る。 そ の た め、 筆 者( 田 島 ) が
補 助 動 詞 と し て 扱 っ た ① の「 流 聞 大 安 寺 丈 六 仏 衆 生 所 願 急 能 施 賜 」 ( 大 安 寺 の 丈 六 の 仏、 衆 生 の 願 ふ 所 を、 急 に 能 く 施
し 賜 ふ と 流 へ 聞 き。 ) に つ い て は 本 動 詞 と し て 扱 っ て い る。 「 施 」 自 体 に も「 与 え る 」 意 が あ る た め に、 「 与 え る 」 意 が
「施」単独によるものであるか、 「施」 「賜」ともに「与える」意を表しているかの判断が困難であるからであろう。
「 貺 」 で は 次 の 4 例 が 補 助 動 詞 と し て 扱 わ れ て い る。 た だ し 最 初 の 2 例 に つ い て は、 藁 谷 氏 は「 補 助 動 詞 的 だ が、 本
動詞と解せないこともない」とする。この2例については、動詞と「 貺 」との間に目的語を挟んでいる形になることか
ら、 「本動詞とも解せないこともない」とするのであろう。
「一衣者贈我中男 貺 也」 (一つの衣は、我が中の男に贈り 貺 へ) ( 「 貺 」①)
「一衣者贈我弟男 貺 也」 (一つの衣は、我が弟の男に贈り 貺 へ) ( 「 貺 」②)
「願免罪 貺 」 (願はくは罪を免し 貺 へ) ( 「 貺 」③) 日本文学ノート 第四十八号
「免我擯返 貺 」 (我を免し擯ひ返し 貺 ふ) ( 「 貺 」④)
「給」では次の2例を補助動詞としている。
「我命全給 我必奉果」 (我が命を全くし給はば、我必ず果たし奉らむ) ( 「給」①)
「我之黒見
曽比麻多
尒宿給
ヘ」(我が黒みそひ股に宿給へ) ( 「給」②)
①の場合は、先に見たように、 「全」の扱いが難しい。そのため藁谷氏は「補助動詞の用法らしく思われる」とする。
②は宣命書きになっているので補助動詞であることは明らかである。
「 貺 」と「給」の補助動詞に関しては、藁谷氏と筆者(田島)の考えとが一致している。
藁 谷 論 文 か ら は、 次 の よ う な こ と が 窺 わ れ る。 「 賜 」 や「 貺 」 、 「 給 」 は 尊 敬 の 本 動 詞 と し て も 補 助 動 詞 と し て も 使 用
さ れ て い る。 そ の 中 で 謙 譲 の 本 動 詞 と 使 用 さ れ て い る の は 一 例( 「 賜 」 ③ ) し か な い。 地 の 文 で 尊 敬 の 表 現 を 使 用 で き
るのは仏や天皇など高位の人に限られるが、 「賜」の④における「鹿」や、 「賜」の⑤の「衆僧」に対して使用できるの
は、 「鹿」が妙見菩薩の化身であり、また「衆僧」が仏の代行者であると見ることによる。
「賜」の④と⑤を除いて、尊敬の補助動詞の用例は、会話文あるいは噂や歌での使用である。 「賜」の④について、新
大 系 が「 す な わ ち 天 の 賜 ふ な り 」 と 訓 み を 変 え 本 動 詞 に し て い る こ と や、 「 賜 」 の ⑤ に つ い て も 新 大 系 が「 返 り て 女 人
に賜ふ」と本動詞にしているのも、地の文での敬語の補助動詞の使用を認めがたいという意識によるものではないだろ
うか。また、この「賜」の⑤について、全書や角川文庫本がこの箇所まで会話文としているのも同じような理由による
の だ ろ う か。 こ の 話 を 受 容 し て い る『 今 昔 物 語 集 』 で は、 「 賜 」 ④ に つ い て は、 鹿 に 対 し て 尊 敬 表 現 を 使 用 す る の は お
かしいと思ったのか内容が変更されている。また⑤については僧に対して「敬意」を施していないことからすると、敬
意 を 施 す 必 要 の な い 場 面 と 判 断 し た の か も し れ な い。 こ の 2 例 の 尊 敬 表 現 に つ い て は『 今 昔 物 語 集 』 の 編 者 も 不 審 に
思ったのであろう。
『日本霊異記』の敬語の補助動詞
まとめ 『 日 本 霊 異 記 』 に お け る 敬 語 表 現 に つ い て 考 察 し て き た。 こ の 作 品 に お け る 敬 語 使 用 は 文 脈 に 合 わ せ て 規 則 正 し く 行
われているのではない。特に尊敬表現は数も少なく、つい尊敬表現を文章に書き記してしまったような感がする。極端
な言い方をすれば、漢文というスタイルに合わせて、本来ならば推敲の段階で尊敬表現を削除するところを見逃してし
まったといえるのかもしれない。
数 は 少 な い が、 『 日 本 霊 異 記 』 に お い て 使 用 さ れ て い る 敬 語 表 現 の 特 徴 を 見 て い く と、 尊 敬 表 現 に お い て は、 尊 敬 の
補助動詞は特に会話文での使用が特徴的といえよう。このことは、日本語の会話においては尊敬表現が重要であったこ
とを示している。補助動詞に限らず本動詞の場合においても、尊敬表現を使用すると、動詞が目的語よりも上に置かれ
る日本語的な語順が現れやすいようである 。
(注9)一方、謙譲表現は尊敬表現に比較すると用例数が多い。それは、中国語においても「奉」を用いることが影響してい
るともいえよう。そして謙譲の補助動詞は地の文で使用されることも多い。構文的な面では、目的語が上に来る日本語
的な語順となっているのは、上巻第一縁という古い話に出現する2例だけである。
尊敬の補助動詞の使用は少なく、一方謙譲の補助動詞の使用は多い。そして尊敬の場合には、その補助動詞が動詞の
下に置かれるのに対して、謙譲の補助動詞は動詞の上に置かれ返読する形をとっている。このようなことから、人々の
意識の中に、尊敬の補助動詞と謙譲の補助動詞とではその扱いに異なりがあったことが窺われる。
注
1 こ の 箇 所 の 訓 み 下 し に つ い て は、 新 全 集 と 同 じ 校 注 者( 中 田 祝 夫 ) に よ る『 日 本 古 典 文 学 全 集 日 本 霊 異 記 』 ( 一 九 七 五 年
小学館)との異同はない。 日本文学ノート 第四十八号
2 『日本霊異記』の読み下し文を掲げる場合はこの新全集による。
3 『 日 本 霊 異 記 』 の 索 引 で あ る 春 日 和 男・ 原 栄 一 編『 説 話 の 語 文 ─ 日 本 霊 異 記 漢 字 索 引 ─ 』 ( 桜 楓 社 一 九 七 五 年 ) と 藤 井 俊 博 編『日本霊異記漢字索引』 (笠間書院 一九九九年)を利用した。
4 湯 澤 幸 吉 郎『 室 町 時 代 の 言 語 研 究 』 ( 一 九 二 九 年 大 岡 山 書 店、 一 九 八 一 年 風 間 書 房 )
112
頁 や、 『 日 本 国 語 大 辞 典 第 二 版 』
の用例参照。
5 他 に 新 全 集 と 集 成 と が「 つ か ま つ る 」 と 訓 ん で い る 例 が 1 例( 下 巻 第 三 十 縁 ) あ る。 こ の 箇 所 を 新 大 系 は「 た て ま つ る 」 と
する。
6 私の調査とは用例数が異なる。松下論文からはどの用例が補助動詞であるのか判断できない。
7 どの用例かわからない。
8 この例は先に扱った「賂奉」の用例のことであろう。
9 漢 文 的 な 文 章 に お け る 日 本 語 的 語 順 と 敬 語 や 会 話 文 と の 関 わ り に つ い て は、 既 に 池 上 禎 造 先 生 が「 真 名 本 の 背 後 」 ( 『 国 語 国 文 』 第 十 七 巻 四 号 一 九 四 八 年、 後 に『 漢 語 研 究 の 構 想 』 岩 波 書 店 一 九 八 四 年 所 収 ) に お い て、 次 の よ う に さ り げ な く 述
べている。
漢 字 を 用 い た 文 献 は 多 く、 破 格 と い わ れ る も の も 中 古 の 公 家 日 記 か ら あ ら わ れ は す る が、 そ れ は 敬 語 と か 対 話 を 写 す 時 な
どに多く、少なくとも語序を勝手にしようと意図は無かったようである。
なお、引用は『漢語研究の構想』による。
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