珍
海
巳
講
の
藝
術
小
野
玄
妙
一、
書
聖
准
し
て
め
珍
海
大
徳
京
都
数
王
護
國
寺
の
経
藏
に
十
歎
黙
の
貴
重
な
古
粉
本
佛
像
曼
茶
羅
を
珍
襲
す
る
中
に
一
紙
の
聖
天
像
が
あ
つ
て
題
詞
に
珍
海
已
講
筆
天
下
第
一
絡
師
三 輪 宗 學 生 三 寳 院 勝 響 地罐 観 正 本 律 等 多 書 人 也 此 人 筆 像 醍 醐 鋤 修 寺 費 藏 被 納 之 と 記 し て あ る。 蓋 し 佛 教 教 學 史 上、 臼 本 三 論 學 中 興 の 組 師 と し て の 珍 獅 已 講 の 業 績 ば 絵 り に 偉 大 で あ る。 法 相 の 眞 ハ興、 天 台 の 源 信 と 併 せ て 三 論 の 珍 海 ば、 斯 學 を 代 表 す る 海 内 無 讐 の 碩 匠 で あ つ て、 彼 海 已 講 の 述 作 に か る 倶 舎 論 明 眼 鋤、 三 論 玄 疏 文 義 要、 名 敏 鋤 等 の 諸 名 著 ば、 世 に 現 行 し て 今 猶 ほ 千 古 不 磨 の 光 を 投 げ て ゐ る。 か る 佛 駿 學 の 大 家 な る 海 巳 講 が 同 時 に 當 時 天 下 第 一 の 佛 書 の 維 師 で あ つ た と い ふ に 至 つ て ば、 吾 々 の 常 識 と し て 一 寸 想 像 に 浄 ん で 家 な い。 さ れ ば 私 等 に し て も 珍 海 巳 講 が 佛 書 の 名 手 で あ つ た と 云 ふ 説 を 全 然 知 ら な か つ な 課 で は な い が、 其 の 學 者 と し て の 名 聲 が 高 き に 過 ぐ る な 珍 海 已 講 の 藝 術 一珍 海 巳 講 の 藝 術 二 め に、 萬 一 を 考 慮 し て 孚 は 疑 を 存 じ 時 に は 同 名 異 人 で め る ま い か と さ へ 思 ひ 過 し た 事 も あ つ た。 然 る に 最 近 古 粉 本 の 捜 査 研 究 に 當 り、 計 ら す 叡 海 已 講 の 糟 書 若 干 柔 接 す る 機 會 を 得、 冷 叢 に 始 め て 海 已 講 が 三 論 の 學 に 天、 } 第 一 た り し の み な ら す. 同 時 に 又 絡 筆 を 執 つ て 天 下 第 一 の 佛 書 師 で あ つ た こ と を 會 得 す る に 至 つ た の で、 已 下 之 に 就 い て 少 t く 肖 発 の 思 ひ 付 い た 事 ど も を 記 し て 見 や う と 思 ふ。 尤 も 此 の 海 巳 講 の 此 の 方 面 の 事 蹟 に つ い て は、 既 に 明 治 三 一十 七 年 中、 先 輩 平 子 鋸 嶺 氏 が ﹃ 珍 海 已 講 ﹄
と
題
し
て
﹃
國
華
﹄
誌
上
に
頗
る
詳
細
な
論
文
を
嚢
し
て
居
ら
れ
る。
其
の
論
文
琴
備
氏
義
佛
教
藝
術
の
研
究
﹄
中 に 牧 め ら れ て あ る が 四 七 三 頁 か ら 五 四 四 頁 に わ た る 七 十 飴 頁 の 大 作 で あ つ て、 該 羅 博 綜 内 外 あ ら ゆ る 文 籍 を 渉 猟 し、 氏 一 流 の 燃 犀 な る 眼 識 を 以 て 詳 細 に 論 議 し て ゐ る。 海 已 講 に 甥 す る 在 來 の 誤 傳 を 粉 齎 し、 海 已 講 の 父 親 世 系、 出 生 享 年 及 破 年 等 を 明 に し、 海 已 講 の 藝 術 的 作 品 に ま で 言 及 せ ら れ て ゐ る が や そ の 微 に 入 り 細 を 極 め た 叙 述 は 吾 々 後 學 を 指 導 し 啓 楼 す る こ と 甚 大 で あ る。 併 か し 乍 ら 氏 の 此 の 論 作 あ つ て 以 來、 早 く も 約 三 十 年 の 歳 月 を 經 遇 し て ゐ る。 從 つ て 當 時 氏 の 目 に 鯛 れ る 機 會 の な か つ た 幾 多 の 重 要 史 料 が そ の 後 に な つ て 發 見 さ れ て 居 円う、 そ れ が 爲 め に 折 角 の 氏 の 力 作 も 今 日 に な つ て 見 る と、 大 に 補 説 を 要 す る と こ ろ も あ わ、 又 新 し く 出 た 資 料 に 照 し て 氏 の 説 を 根 底 か ら 匡 さ な く て は な ら ぬ と こ ろ も あ る 。 平 子 氏 は 私 の 平 素 尤 も 畏 敬 す る 先 輩 で あ る。 今 此 の 小 稿 に 於 て、 平 子 氏 の 苦 心 研 究 の 結 果 に 成 る 其の 正 確 な 記 事 は、 す べ て 之 を 氏 の 論 稿 に 譲 つ て 再 述 す る こ と を 避 け、 只 管 材 料 不 足 に 因 を な し た 氏 の 論 述 の 不 備 な る と こ ろ を 補 説 し、 一 面 に 叉 氏 の 観 察 の 適 中 し な か つ た 部 分 だ け を 是 正 す る こ と に し た。 そ れ ゆ へ 此 の 小 稿 だ け を 見 れ ば 恰 も 氏 の 論 文 に 封 す る 反 駁 の や う に 見 え る こ と に な る か も 知 円れ ぬ が、 私 の 本 小 稿 起 草 の 目 的 は、 決 し て そ の や う な 不 遜 の 氣 分 で 執 筆 し た の で は な い。 氏 の 有 盆 な 大 論 文 あ つ て こ そ、 私 の 此 の 小 研 究 は 出 來 た の で あ る。 希 く は 本 稿 を 讃 ま る 方 は、 そ れ に 先 つ て 必 す 平 子 氏 の 論 文 を 閲 讃 あ ら ん こ と を 切 望 す る。 二、 珍 海 已 講 の 生 年 並 に 事 蹟 珍 海 已 講 は 繕 師 從 五 位 上 内 匠 頭 基 光 の 子 で あ る こ と、 其 の 寂 年 が 仁 平 二 年 十 一 月 二 十 二 日 で あ る こ と は、 既 に 平 子 氏 に よ つ て 讃 定 さ れ て ゐ る。 前 者 は 奪 卑 分 脈 に よ り 後 者 は 醍 醐 寺 交 書 と 本 朝 世 紀 の 文 と を 讃 篠 と し て の 立 説 で あ つ て、 此 の 二 黙 は 最 早 確 説 と し て 何 入 も 兎 や 角 い ふ 必 要 は な い。 但 し 氏 の 努 力 を 以 て し て 反 復 考 藪 殆 ど 正 確 な 推 案 に 達 せ ら れ 乍 ら 途 に 史 料 不 足 の た め に 最 円後 の 断 定 を 下 す こ と が 出 來 す 氏 も 定 め て 残 念 で あ つ た ら う ど 思 は る、 こ と は、 已 講 の 生 年 と そ の 維 摩 會 の 講 師 を 勤 仕 さ れ た 年 次 の 不 明 で あ つ た こ と で あ る。 と こ ろ が 今 日 で は、 已 講 が 維 摩 會 の 竪 義 並 に 講 師 を 勤 仕 し た 年 月 も 明 瞭 に 解 か り、 そ の 講 師 を 勤 め た 年 の 年 齢 か ら 逆 算 し て そ の 生 年 も 確 實 に 知 ら れ て ゐ る。 即 ち 三 會 定 一 記 (此 の 書 は 佛 厳 全 書 中 の 興 輻 寺 叢 書 第 一 の 中 に 牧 載 さ る。 不 子 氏 波 後 五 年 大 正 四 年 の 出 版 で あ 珍 海 已 講 の 藝 術 三
珍 海 已 講 の 藝 循 四 る ) に 勅 使 左 中 辮 資 信 五 十 一
康
治
元
年
戊 壬講
師
珍
海
三 論 宗 東 大 寺竪
義
永 縄 評 箆 冊 四 箆 珠 廿 七 畳 盛東
敏 蜀 彦 恵 四 。 廿 八 日。 改 元 今 年 椹 少 僧 都 豊 晴 蒙 他 寺 探 題 宣、 越 延 畳 僧 都 よ よ、 專 寺 別 當 畳 轡 (已 下 略 ) と あ り、 之 に 由 る に 海 大 徳 は 年 五 十 一、 康 治 元 年 に 維 摩 會 の 講 師 を 勤 仕 し た 事 實 が 明 か で あ る。 康 治 元 年 (A.D. ) に 年 五 十 一 歳 と す れ ば 海 已 講 の 生 年 は 寛 治 六 年 (A.D.1092)である。 是 れ 平 子 氏 の 推 案 ⋮⋮海公の享 年 い ま だ 明 自 な ら か、 さ れ ど そ の 波 年 の 仁 平 二 年 に あ る そ の 冩 影 の 高 齢 な る、 は た そ の 師 た る 三 寳 院 定 海 東 南 院 畳 樹 の 歴 年、 も し く は 莫 逆 割 席 の 遇 あ り し と 傳 へ ら る 大 傳 法 院 畳 鍵 の 生 存 時、 こ れ ら 幸 に 明 瞭 な る も の あ れ ば、 よ り て 以 て 考 藪 を 重 ぬ る に、 公 の 享 年 は 六 十 五 歳 乃 至 六 十 歳 に し て 寛 治 二 年 (も し 六 十 五 歳 と す れ ば ) よ り 同 七 年 (も し 六 十 歳 と す れ ば ) 間 頃 の 出 生 た る 可 き を 思 は ざ る 能 は す、 乃 吾 人 の 推 定 す る 所 に ょ れ ば 基 光 が 三 十 六 歳 も し く は 四 十 一 の 子 な り と 云 へ る、 氏 の 洞 察 力 の 正 確 な る に 喫 驚 せ ざ る を 得 な い。 爾 ほ 海 巳 講 は 維 摩 會 講 師 の 勤 仕 に 先 つ こ と 二 十 入 年、 永 久 三 年(A.D.1115)年二十四 を 以 て 維 摩 會 の 竪 義 の 席 に 墾 列 し て ゐ る こ と が 同 じ く 三 會 定 一 記 の 中 に 明 記 し て あ る。 勅 使 辮 實 光 成 九同
三
年
寛 信 重 服 替 澄 尋 僻 替講
師
湛
秀
興 輻 寺 法 相 宗竪
義
惑 曉 冊 一 有 暉 冊 一 東 金 堂 供 養 叙 法 橋東
静 順 珍 海と あ る は 帥 ち そ の 謹 で あ る。 已 講 の 生 年 が 寛 治 六 年 で あ る こ と を 決 定 す べ き 屈 強 の 讃 慷 は、 豊 に 此 の 三 會 定 一 記 ば か り で な い。 な ほ 他 に も あ る。 帥 ち 已 講 の 自 著 入 識 義 章 研 習 抄 巻 上 の 奥 に、 保 安 元 年 十 二 月 二 十 九 日 捌 削 畢 去 年 爲 御 堂 竪 義 所 抄 云 々 以 此 善 根 力 往 生 安 養 奉 観 彌 陀 慧 眼 開 明 達 見 佛 性 夷 珍 海 年 二 十 九 と あ る の が そ れ で あ る。 保 安 元 年(A.D.1120)の二 十 九 歳 は 寛 治 六 年 の 出 生 を 語 り、 同 時 に 三 會 定 一 記 の 説 を 確 謹 す る も の で あ る。 巳 上 珍 海 已 講 の 生 年 並 に 已 講 一 代 の 晴 の 事 蹟 で あ る 維 摩 會 の 竪 義 並 に 講 師 勤 仕 の 年 次 の 制 明 と と も に そ の 享 壽 の 六 十 一 歳 で あ つ た こ と も 確 定 し た 課 で あ る。 平 子 氏 の 尊 卑 分 賑 を 基 礎 に し て 已 講 の 父 租 兄 弟 等 に 關 す る 孜 謹 は 可 な り 綿 密 に 渉 つ て ゐ る。 其 の 中 緯 師 從 五 位 上 内 匠 頭 絡 師 三 輪 宗 東 大 巳 講 ⋮⋮頼成 -基 光 越 前 守
珍
海
山 阿行
海
の 世 系 の 取 り 扱 に 於 て、 珍 海 の 弟 た る 山 門 の 僧 た り し 行 海 に 樹 し、 分 賑 の 注 記 を 否 定 し て、 之 を 東 密 家 定 海 大 僧 正 の 附 法 行 海 僧 都 に 擬 せ ら れ た る は 氏 と し て は 千 慮 の 一 失 で あ る。 行 海 僧 都 は 定 海 大 僧 正 珍 海 已 講 の 藝 術 五珍 海 己 講 の 藝 術 六 の 附 法 重 ね て 寛 信 法 務 に つ い て 受 法 し て ゐ る が、 大 藏 卿 行 宗 の 息 で あ つ て 基 光 の 子 で な い こ と は、 血 脈 類 聚 記 巻 第 四 の 中 に 明 記 し て あ る。 是 れ 全 く 同 名 異 人 で あ つ て、 此 の 件 に 關 す る 平 子 氏 の 穿 難 は 結 局 徒 勢 に 囑 し た こ と に な る。 海 巳 講 が 三 論 宗 の 碩 匠 と し て そ の 本 宗 の た め に 端 さ れ た 行 歴 に つ い て は、 平 子 氏 が 既 に 取 り 扱 は れ た 倶 舎 論 明 眼 抄、 因 明 四 種 相 違 私 記、 菩 提 心 集、 三 論 玄 疏 文 義 要、 名 駿 鋤、 決 定 往 生 集 等 の 他 に、 今 援 引 し た 入 識 義 章 研 習 抄 を 始 め、 大 乗 正 観 略 私 記、 N 乗 義 私 記、 大 乗 玄 問 答 等 の 諸 名 著 が あ り、 軌 れ も 其 の 抄 記 述 作 の 年 代 が 解 か つ て ゐ る。 帥 ち 前 引 入 識 義 鋤 研 習 抄 全 三 巻 の 中 の 中 巻 奥 書 に は 元 永 二 年 月 日 爲 記 持 録 之 保 元 二 年 正 月 十 五 日 捌 削 畢 珍 海 と あ り、 記 中 保 元 と あ る は 上 巻 の 識 語 と 墾 照 し 元 字 は 安 字 の 誤 冩 叉 は 誤 植 な る を 知 る。 此 書 蓋 し 元 永 年 中 の 抄 録、 保 安 元 年 二 年 の 捌 削 に か、 る。 叉 大 乗 正 観 略 私 記 と い ふ 三 論 一 宗 の 大 綱 を 認 め た 一 巻 の 著 が あ る 奥 に、 長 承 三 年 (A.D.1134)正月十五 日 沙 門 珍 海 私 記 と あ る。 又 大 乗 玄 論 の 一 乗 義 を 繹 し た 一 乗 義 私 記 一 巻 あ り、 そ の 奥 書 に 已 上 一 乗 義 私 記 畢
保 延 年 六 月 二 十 二 日 酉 時 也 云 々 と あ つ て、 保 延 六 年 (A.D.1340)の抄 録 で あ る。 此 の 他 に 大 乗 玄 問 答 十 二 巻 の 薯 作 が あ る、 巻 末 の 識 語 は 無 い け れ ど、 巻 第 三 の 文 の 中 に 久 安 五 年 十 二 月 二 十 九 日 以 下 入 條 依 三 巻 章 問 答 の 記 文 が あ る よ り し て、 凡 そ 此 の 久 安 五 年(A.D.1149) 前 後 の 述 作 な る こ と が 解 か る。 因 明 四 相 違 抄 と 名 教 抄 に は 已 講 自 身 抄 録 の 年 紀 を 記 し た 記 文 を 歓 い て ゐ る。 海 巳 講 の 述 作 に か、 る 上 記 の 諸 著 作 の 中、 そ の 尤 も 早 き も の は 元 永 二 年 の 入 識 義 章 研 習 抄 で あ つ て
巳
講
二
十
入
歳
の
時
の
抄
記
で
あ
を。
そ
の
尤
も
後
の
も
の
は
久
安
葦
の
大
乗
玄
問
答
で
あ
つ
て
海
已
講
五
十
入
歳
頗 る 晩 年 の 製 作 で あ り、 そ の 鯨 の 諸 著 は 軌 れ も そ の 中 間 に 執 筆 由 れ て ゐ る。 特 に 大 治 か ら 保 延 へ か け て 明 眼 抄 や 文 義 要 等 の 大 著 を 述 作 し て ゐ る が、 三 會 の 講 師 勤 仕 前 の 巳 講 と し て、 尤 も 一 宗 の 攻 藪 詮 顯 に 努 力 し て ゐ ら れ た の で あ ら う。 所 謂 東 大 寺 三 論 宗 の 代 表 と し て 其 の 師 畳 樹 僧 都 の 學 燈 を 踵 ぎ 寛 信、 重 舞、 慧 珍 等 の 同 學 と と も に 名 聲 一 世 を 風 靡 し て ゐ た の で あ る。 か く て 海 已 講 一 代 の 公 生 涯 は 三 論 學 に 於 け る 絶 世 の 互 匠 を 以 て 終 始 し て ゐ た の で あ る。 此 の 三 論 の 泰 斗 で あ る 已 講 が、 同 時 に 又 佛 檜 師 と し て 丹 青 の 妙 技 を 極 め、 満 天 下 の 盛 審 を 博 し た と い ふ に つ き て は、 そ の 取 り 合 せ が 如 何 に も 鍵 で あ 珍 海 巳 講 の 藝 術 七珍 海 巳 講 の 藝 術 八 る 。 往 生 十 因 の 作 者 永 観 律 師 と 菩 提 心 集 の 著 者 珍 海 巳 講 と は、 多 く の 列 租 古 徳 の 中 で 私 と し て 最 も 遣 縦 を 欣 慕 し て 止 ま ぬ 一 入 で あ る。 以 前 か ら 平 子 氏 の 論 文 に 接 し、 海 巳 講 に 書 技 の あ つ た こ と を 聞 か ぬ で は な か つ た が、 そ れ が 果 し て 眞 實 で あ る か ど う か に つ い て は、 い つ も 孚 信 雫 疑 の 心 地 で、 そ れ を 正 直 に 肯 定 す る 氣 分 に な れ す、 時 に は 三 論 の 珍 海 と 書 僧 の 珍 海 と は 或 は 同 名 異 人 で は あ る ま い か な ど、 推 想 を 回 ら し た こ と も あ つ た。 併 し 事 實 は 途 に 奪 ふ こ と は 幽 來 な い。 正 確 な 交 獄 が 出 で、 新 に 遣 品 の 歎 々 に 接 し て は 此 の 方 面 に 於 け る 海 已 講 の 業 績 に つ き て 亦 一 黙 疑 惑 を 挾 む べ き 鯨 地 さ へ 無 く な つ て し ま つ た。 さ る に し て も 學 徳 千 載 に 讐 び な き 海 已 講 の 其 の 鯨 技 と し て、 後 世 に 記 念 す べ く そ れ は 亦 飴 り に 艶 で あ り 且 つ 華 で あ る。 三、 珍 海 已 講 の 作 豊 の 種 々 前 記 の 如 く 佛 教 激 學 上 に 於 け る 海 巳 講 の 偉 大 さ を 見 て は、 誰 し も 丹 青 の 達 人 で あ つ た と は 想 像 さ へ も 浄 ば ぬ の で あ る。 併 し 事 實 上 佛 絡 師 と し て 金 岡 や 圓 心 と 角 逐 し、 鳥 朋 僧 正 な ど 讐 壁 吻 な し て ゐ た。 し か も そ の 絡 た る や 全 然 素 人 た る 所 謂 縞 流 能 書 家 の 域 を 脱 し て 專 門 の 給 師 に 擬 す べ く 其 の 堂 奥 に 入 つ て ゐ た ら し い。 そ れ に は 相 當 の 縁 由 も あ つ た の で あ ら う。 海 已 講 の 幼 少 時 代 の 生 活 が 如 何 な る も の で あ つ た か、 如 何 な る 動 機 で 何 歳 の 時 に 出 家 し た か、 そ の
出 家 以 前 の 行 歴 の 如 き は、 今 こ、 に 何 等 史 實 の 徴 す べ き も の は な い。 去 り 乍 ら そ の 家 系 か ら い つ て 累 世 檜 を 業 と し て ゐ た ら し く、 其 の 父 春 日 基 光 の 如 き も 當 代 知 名 の 絡 師 と し て 癒 徳 三 年 高 野 山 灌 頂 院 の 創 建 に 當 り、 入 租 の 影 像 と 併 せ て 大 御 室 性 親 王 の 影 を 書 い て ゐ る。 そ の 基 光 の 子 と し て 生 れ た 此 の 海 已 講 が、 幼 少 の 時 代 か ら そ の 道 に 封 し て 或 る 程 の 素 養 を 持 つ と い ふ こ と は 當 然 有 り 得 べ き こ と で あ つ て 、 し か も そ の 絡 に 封 す る 修 練 は 或 る 程 度 ま で は 本 格 的 の も の で あ つ た と 考 へ て も 差 支 あ る ま い。 た と へ そ れ が 出 家 後 に 於 て 絡 筆 を 執 る 機 會 が 砂 な く な つ た と し て も、 年 家 の 素 養 と 天 分 の 才 能 と は、 斯 の 溢 に 於 て も 亦 自 か ら 一 方 の 雄 を 成 し、 世 の 鑑 仰 を 恣 に し た の で あ ら う。 平 子 氏 は、 此 の 海 已 講 の 藝 術 を 世 に 紹 介 す る た め に 隨 分 の 努 力 を 彿 は れ て ゐ る の で あ る。 高 山 寺 醤 藏 の 玄 謹 本 帝 繹 天 像、 並 に 吉 鮮 天 像 の 粉 本 を 紹 介 し、 島 田 乾 三 郎 氏 所 藏 の 仁 王 儀 軌 中 に 記 せ る 海 已 講 の 仁 王 曼 茶 羅 圖 蟄 の 事 實 の 放 謹 な ど 微 に 入 り 細 に 亙 つ て 説 述 を 試 み ら れ た の で あ る。 併 か し 何 に し て も 氏 が 此 の 論 文 を 執 筆 さ れ た 當 時 は 墾 考 資 料 が 砂 な か つ た。 そ れ が 爲 め に 折 角 の 氏 の 努 力 も 徒 勢 に 露 し て 却 つ て 途 方 も な い 謎 説 に 入 つ て し ま つ た 黙 も 砂 な く な い。 否 玄 謹 本 の 帝 繹 吉 鮮 二 天 像 の 紹 介 を 別 に し て、 そ の 仁 王 曼 茶 羅 書 作 の 事 實 の 説 な ど は、 平 生 の 氏 に も 似 合 し か ら ぬ 錯 説 に 陥 つ て ゐ る。 之 は 氏 の 鑑 識 の 不 足 で は な く て、 實 に 参 考 資 料 飲 乏 の 致 す と こ ろ と し な く て は な ら ぬ。 私 は 最 近 此 の 海 已 講 の 筆 に な る 粉 本 圖 像 を 撒 黙 接 取 す る こ と が 出 來 た。 勿 論 そ の 多 く は 轄 冩 又 は 臨 珍 海 已 講 の 藝 術 九
珍 海 已 講 の 藝 術 一 〇 模 の も の で あ る が、 併 し そ れ 等 は 悉 く 平 子 氏 の 見 ら れ な か つ た も の で あ り、 且 つ 附 帯 の 文 獄 も 比 較 的 確 か で あ つ て、 之 に 由 つ て 所 謂 叢 聖 と し て の 海 已 講 の 孚 面 を 如 實 に 語 り 得 る ば か び で な く、 兼 ね て 平 子 氏 を し て 思 は ぬ 失 策 を 敢 て せ し め た 謬 説 を 匡 す こ と も 出 來 る。 左 に 聯 か 之 に 就 い て 記 述 し て 見 や う。 第 一 に は 京 都 敢 王 護 國 寺 藏 婁 身 徽 喜 天 の 粉 本 で あ る。 極 め て 小 品 で あ つ て 長 テ 一 尺 五 六 寸 横 一 尺 ば か り の 一 紙 片 の 眞 中 に 書 か れ た 僅 に 五 寸 ほ ど の 小 像 で あ る。 前 に 出 し た ﹁ 珍 海 已 講 筆 天 下 第 一 絡 師 ﹂ 云 々 の 記 文 は 勿 論 別 八 の 筆 で あ る が 維 そ の も の は 恐 ら く 珍 海 巳 講 そ の 人 の 眞 筆 で あ ら う と 思 ふ。 但 し 之 を 海 已 講 の 眞 筆 と 定 む る に つ い て は 猶 ほ 研 究 の 鯨 地 が あ る か も 知 れ ぬ が、 何 し ろ 京 都 の 名 刹 に は 藤 原 時 代 の も の は ザ ラ に あ る。 殊 に 東 寺 一 山 に は 此 の 時 代 の 粉 本 に て 筆 冩 の 年 代 の 明 記 あ る も の 二 三 に し て 止 ま ぬ。 か、 る 古 聖 激 の 推 積 の 中 に は 市 井 の 贋 物 な ど は 一 黙 も な い の で あ る か ら、 此 の 檜 に し て も 初 め か ら 眞 物 と 信 じ て 十 中 入 九 迄 は 差 支 な い。 私 も 各 本 山 の 寳 藏 に あ る 藤 原 鎌 倉 爾 時 代 の 多 類 の 粉 本 を 笄 見 さ せ て 戴 い た の で、 鑑 賞 そ の も の に つ い て は 專 門 外 で あ る が、 年 號 の あ る 確 實 な 古 粉 本 そ の も の と 比 較 し て 今 圖 が 紛 れ も な い 藤 原 時 代 の も の で あ る こ と は 首 肯 し 得 る の で あ る。 一 言 に し て い へ ば 藤 原 時 代 の 古 粉 本 は 全 騰 に 細 い 饗 化 の な い 線 を 使 つ て 書 い て あ る が、 そ れ で ゐ て 温 顔、 怒 面、 諸 種 の
表
情、
そ
れ
く
自
由
自
在
に
力
強
く
描
出
さ
れ
て
あ
る。
東
寺
槻
智
円院
珍
藏
の
長
寛
二
年
傳
領
の
九
曜
等
圖
像、
長
寛 元 年 冩 金 剛 童 子 圖 像、 仁 和 寺 珍 藏 の 仁 安 三 年 冩 藥 師 十 二 神 將、 石 山 寺 珍 藏 の 仁 安 二 年 冩 不 動 御 面 等 成 そ の 例 で あ る。 今 圖 亦 全 く そ れ と 調 子 を 同 じ く す る も の で あ る が、 之 を 鎌 倉 時 代 の 初 期 の 筆 冩 に 成 る 御 室 本 の 別 奪 雑 記、 勧 修 寺 本 の 畳 灘 鋤 に 出 す と こ ろ の 同 じ 墜 身 獣 喜 天 の 像 に 比 べ て、 著 し く そ の 風 爾 を 異 に す る を 見 る で あ ら う。 鍵 身 敷 喜 天 の 粉 本 圖 像 は、 十 巻 鋤 を 始 め、 今 云 ふ 別 尊 雑 記、 豊 暉 鋤、 阿 婆 縛 抄 等 あ ら ゆ る 抄 物 に 登 載 さ れ、 そ の 作 例 に 乏 し く な い が、 今 圖 の 如 く 抱 き あ つ た 男 天 女 天 が 顔 を 拉 べ て 前 を 観 つ め て ゐ る の は 他 に は 無 い。 そ れ に 眼 の 瞼 の 邊 り な ど に 淡 墨 を 以 て 隈 取 り を 施 こ し て あ る。 是 れ 全 く 濁 自 の 意 匠 で あ り、 そ し て 絶 全 禮 と し て も 一 般 抄 物 の 粉 本 と 違 つ て 間 に 合 せ 書 き の も の で な い。 そ れ に 色 付 を 指 定 し た 紺 青、 緑 青、 赤 等 の 記 の 文 字 も そ の 當 時 の も の と 察 す べ く、 李 子 氏 の 紹 介 さ れ た 玄 謹 本 の 帝 繹 天 像 の 文 字 と 頗 る 相 似 て ゐ る や う に も 見 え る。 之 が 珍 海 の 筆 で あ る と の 最 後 の 断 案 は 更 に 異 日 識 者 の 讃 定 を 待 つ 必 要 が あ る か も し れ ぬ が、 大 膿 と し て 今 の や う に 説 明 し て お い て も 善 い と 思 ふ。 第 二 に は 同 じ く 激 王 護 國 寺 の 珍 藏 に か、 る 五 方 曼 茶 羅 の 中 の 南 方 の 一 幅 で あ る。 平 子 氏 は 五 方 曼 茶 羅 と 仁 王 經 曼 茶 羅 と を 同 一 と 誤 認 し て 説 を 立 て ら れ た、 め に、 之 に 關 し た 海 已 講 の 事 蹟 に 封 す る 説 明 は 全 部 間 違 つ て し ま つ て ゐ る。 五 方 曼 茶 羅 と い ふ の は 仁 王 儀 軌 に よ り 五 菩 薩、 五 念 怒、 五 方 天 等 を 各 方 各 別 に 書 い た も の (将 に 五 珍 海 巳 講 の 藝 術 一 一
珍 海 己 講 の 藝 術 一 二 葱 怒 に つ き て は 新 古 爾 様 を 出 し て ゐ る )、 根 本 は 大 師 の 御 筆 と し て、 も と 五 幅 か ら 成 つ て ゐ る。 現 に 醍 醐 寺 に 珍 襲 す る 國 寳 粉 本 五 方 諸 曾 圖 が そ れ で あ つ て 東 寺 本 と 同 じ も の で あ る。 豊 暉 鉛 の 仁 王 經 法 の 巻 に は 具 に 右 五 方 曼 茶 羅 を 掲 出 し、 そ の 下 に 次 の 如 く 記 し て あ る。 右 五 方 曼 茶 羅 者。 大 師 御 筆 也、 件 正 本。 金 峰 山 路 山 田 寺 在。 徳 大 寺 法 印 取 之 被 持 云 々 其 後 佛 師 某 傳 之。 後 奉 渡 三 井 畳 肪 僧 正 房。 ︹朱 書 ︺惑 什 云 正 本 蝿 猫 僧 正 被 特 以 件 本 一二 寳 院 僧 正 冩 止。 奉 安 置 經 藏 了。 但 南 方 闘。 玄 海 儒 都 以 珍 海 被 加 圖。 ロ 云。 五 菩 薩 五 葱 怒。 ︹朱 書 ︺恵 什 云 盆 怒 依 新 古 圖 佳 五 大 力 非 普 通 形 像。 受 大 師 青 龍 口 傳 令 圖 御 歎。 有 甚 深 義 云 々。 師 云。 五 佛 五 菩 薩 五 大 明 王 五 方 天 等。 皆 守 護 五 方 給 也。 彷 爲 鎭 護 國 家。 大 師 倉 圖 此 曼 茶 羅 御。 平 子 氏 の 引 用 せ ら れ た 島 田 氏 藏 仁 王 經 儀 軌 の 説 も 大 膿 今 の 記 事 と 同 じ で あ る が、 唯 々 註 記 に ﹁ 大 僧 正 定 海 以 珍 海 已 講 合 圖 之 云 々。 或 云 大 僧 都 元 海 以 砧 源 已 講 禽 圖 之 云 々 ﹂ と あ る は、 今 説 と 一 致 し な い。 と こ ろ で 此 の 五 方 曼 茶 羅 の 模 本 が 現 在 完 全 に 獲 つ て ゐ る も の と し て、 今 も 云 ふ 逼 り 醍 醐 の 國 寳 粉 本 圖 像 の ほ か に、 更 に 東 寺 の 經 藏 に 一 本 あ る。 今 是 れ 等 の 二 本 を 樹 槍 す る に、 そ の 醍 醐 の も の は 五 方 の 中、 東、 西、 北、 中 の 四 幅 は 大 師 御 筆 様 の 交 宇 で 各 方 の 方 位、 奪 名 等 が 記 入 さ れ て あ り、 し か も そ の 文 字 は 凡 て 隻 鉤 填 墨 で あ る が、 南 方 の 一 幅 に 限 り 全 然 そ の 文 字 を 闘 い て ゐ る。 之 は 四 幅 は 御 筆 本 な る が 故 に 御 筆 の 文 字 が あ り、 他 の 一 幅 は 補 圖 な る が 故 に そ れ を 歓 く の で あ る と い ふ 誰 擦 の 一 に も な る。
之
に
つ
き
東
寺
本
は、
畳
繹
阿
閣
梨
の
持
本
と
し
て、
更
に
明
確
に
そ
の
粉
本
の
來
由
並
に
南
方
が
海
已
講
の
補
冩
な
る
こ
と
を
明
記
し
て
ゐ
る。
郎
ち
東
寺
の
本
は
東、
西、
北、
中
の
四
本
は
治
承
五
年、
南
方
の
一
本
は
模
冩
の
年
月
日
を
明
記
し
な
い
が
壽
永
二
年
に
至
り
醍
醐
に
詣
つ
て
色
付
の
文
字
を
記
し
た
も
の
で
あ
る
こ
と
が
各
紙
記
録
し
て
あ
る。
其
の
文
は、
東
方
第
一
治
承
五
年
卯
月
廿
臼
於
東
山
草
奄
以
肥
後
寛
舜
模
之
漁
冩
本
記
云、
以
御
筆
正
本
帥
上
座
定
智
模
之、
第
三
傳
也
或
人
云
正
本
元
有
醍
醐
寺
云
々
定
海
法
務
時
畳
猷
僧
正
乞
取
畢、
彷
其
門
跡
傳
云
々
爲
興
隆
冩
留
之
豊
縄
本
西
方
第
三
治
承
五
年
五
月
廿
入
日
於
東
山
草
奄
以
肥
後
公
寛
舜
模
之
豊
灘
之
本
北
方
第
四
治
承
五
歳
五
月
廿
九
日
於
東
山
草
奄
以
肥
後
公
寛
舜
模
之
定
智
眞
筆
書
絹
云
々
畳
灘
之
本
中
央
金
剛
波
羅
蜜
治
巌
五
年
五
月
廿
三
日
於
東
山
草
奄
以
肥
後
公
寛
舜
模
之
畳
繹
之
本
南
方
珍
海
筆
珍 海 己 講 の 藝 術 一 三珍 海 巳 講 の 藝 術 一 四 壽 永 二 年 九 月 廿 四 日 以 三 寳 院 御 本 五 方 諸 尊 色 付 冩 了 畳 灘 轄 法 輪 私 御 新 冩 之 之 に 由 る と、 五 方 の 中、 前 の 四 方 四 本 は、 畳 輝 阿 閣 梨 が 治 承 五 年、 東 山 の 草 奄 に 於 て、 肥 後 公 寛 舜 を 以 て 御 筆 第 三 傳 定 智 眞 筆 本 に つ き て 模 冩 し た も の、 後 の 南 方 一 本 は 珍 海 筆、 そ の 模 冩 の 年 時 を 記 し て ゐ な い が、 壽 永 二年 九 月 廿 四 日、 三 寳 院 の 御 本 を 以 て 各 五 方 諸 算 の 色 付 を 冩 し た こ と を 述 べ て あ る。 此 の 五 方 曼 茶 羅 の 根 本 の 像 は 弘 法 大 師 の 御 筆 で あ る と い ふ こ と は、 東 寺 眞 言 道 場 創 立 に 際 し て の 大 師 の 意 圖、 特 に 講 堂 諸 奪 は 仁 王 經 法 の 鵜 磨 曼 茶 羅 で あ る こ と、 此 の 五 方 曼 茶 羅 は そ れ 等 諸 尊 と 關 係 を 有 す べ き こ と、 隻 鉤 填 墨 の 諸 奪 の 歴 名 は 恐 ら く 大 師 の 御 筆 な る べ き こ と 等 よ り 推 案 し て、 所 謂 大 師 の 御 筆 と し て 奪 崇 措 か ざ る と こ ろ の も の で あ つ た に 相 違 な い。 そ の 眞 本 か 或 は 第 二 の 轄 冩 本 か い 轄 々 し て 鳥 初 僧 正 の 所 有 に 館 し た に つ い て、 醍 醐 の 定 海 僧 正 が 更 に そ の 本 に つ き て 新 模 本 を 作 つ た、 模 本 の 筆 冩 は 帥 上 座 定 智 で あ つ た。 但 し そ の 時 日既 に 南 方 の 一 本 が 閾 如 し て 無 か つ た の で 海 巳 講 を し て 新 に 之 を 圖 豊 せ し め 五 方 一 具 の も の に し て 醍 醐 の 寳 藏 に 奉 安 し た と い ふ の で あ る。 畳 暉 の 模 せ し め た 定 智 の 眞 筆 は 絹 本 で あ つ た と し て 見 れ ば、 珍 海 已 講 の 圖 書 も 同 じ く 絹 本 で あ つ た と 推 定 し て よ か ら ケ。 且 つ 壽 永 二 年 に 愚 藷 冊阿 闇 梨 が 醍 醐 の 三 寳 院 に 赴 い て 五 方 諸 曾 の 色 付 を 書 き 入 れ て 來 た と い ふ に よ れ ば そ の 原 本 の 着 色 で あ つ た こ と も 疑 無 い 事 實 で あ ら う。 醍 醐 の 粉 本 に は 色 付 の 記 入 は 無 い が 東 寺 の に は そ れ が あ る。 醍 醐 本 は 破 損 既 に 甚 だ し く 可 な り 傷 れ
て し ま つ た と こ ろ も あ る が、 東 寺 本 は 例 へ 冩 本 は 新 し い に し て も 一 線 一 書 も 此 三 の 破 損 な し に 完 全 し て ゐ る は 嬉 し い。 御 筆 五 方 曼 茶 羅、 是 れ 高 雄 の 爾 界 曼 茶 羅 等 と 併 せ て 密 教 根 本 の 眞 容 で あ る。 帥 上 塵 定 智 公 又 當 代 の 名 手 (定 智 公 の 不 動 明 王 像 は 醍 醐 本 國 寳 不 動 明 王 像 中 に あ り )、 此 の 定 智 公 の 模 本 と 一 規 に、 そ の 五 方 中 の 南 方 曼 茶 羅 を 新 に 圖 檜 す る こ と の 至 難、 そ れ は 固 よ り 言 僻 を 弄 す る ま で も な い こ と で あ る。 如 何 に 海 已 講 の 書 技 の 勝 れ て ゐ た か は、 此 の 葱 で 充 分 に 立 謹 す る こ と が 出 來 る。 此 の 黙 に 於 て 現 存 の 五 方 憂 茶 羅 中 の 南 方 の 一 本 は、 設 今 海 巳 講 の 眞 筆 そ の も の で は 無 い に し て も、 海 巳 講 の 藝 術 を 語 る も の と し て は、 彼 の 玄 謹 本 帝 繹 天 像 と 同 等 已 上 の 讃 本 で あ る。 第 三 に は 仁 王 經 曼 茶 羅 で あ る が、 是 れ は 畳 暉 阿 闊 梨 の 臨 模 本 が、 畳 灘 紗 の 中 に 掲 出 さ れ て ゐ る。 見 取 り 圖 で あ つ て 模 本 そ の も の で な い た め に 曼 茶 羅 と し て の 規 模 だ け は 察 す る こ と は 出 來 る が、 海 已 講 そ の 人 の 筆 様 を 知 る 課 に は ゆ か ぬ。 仁 王 經 曼 茶 羅 と し て は、 以 前 は 小 野 曼 茶 羅 寺 上 綱 仁 海 が 佛 師 如 照 に 絶 し め た 増 釜 の 曼 茶 羅 を 依 用 す る を 例 と し て ゐ た。 定 海 信 正 に 至 っ て、 海 巳 講 に 命 じ て 始 め て 息 災 の 曼 茶 羅 に 圖 し 改 め し め、 以 後 醍 醐 に 於 て は 此 新 圖 の 曼 茶 羅 を 用 ゆ る こ と に し た と い ふ。 畳 灘 鋤 に 次 の 如 く 記 し て あ る。 般 若 抄 云。 仁 王 經 法 有 曼 茶 羅。 昔 公 家 被 修 彼 法 之 畦。 租 師 曼 茶 羅 寺 上 綱 爲 阿 閣 梨 申 藷 佛 師 如 照。 令 圖 絡 給 本 也。 門 跡 相 承。 以 件 珍 海 已 講 の 藝 衛 一 五
珍 海 己 講 の 藝 術 一 六 曼 茶 羅 爲 本 尊 行 此 法 。 師 資 相 承。 息 災 修 之 或 人 云。 小 器 正 曼 茶 羅 櫓 釜 也。 醍 醐 大 儒 正 海 定改 息 災 曼 茶 羅 被 圖 豊 云 々 右 圖 三 實 院 本 出冩 之 。 敷 曼 茶 羅 文 少 々 蓮 之 御 口 傳 云 。 小 野 曾 正 曼 茶 羅 普 通 八 天 不 霞。 五 方 天 等 之 外 火 水 風 三 天 被 加。 世 間 災 難 無 過 此 三 。 仍 三 天 囲 加 給 鰍 尤 も 此 の 文 中 に は、 醍 醐 大 僑 正 定 海 が 改 め て 息 災 の 曼 茶 羅 に 圖 糟 せ ら れ た こ と は 記 し て あ る が、 そ の 書 者 の 海 巳 講 で あ る こ と は 明 記 し て ゐ な い。 但 し 畳 繹 鋤 所 出 の 圖 本 が そ れ で あ る こ と は ﹁ 右 圖 三 寳 院 本 冩 之 ﹂ と あ る こ と に よ つ て 明 確 で あ る。 そ の 筆 者 の 海 己 講 で あ る こ と に つ い て は、 成 賢 檜 正 の 遍 口 抄 に 次 の 如 き 記 事 を 翫 し て ゐ る。 寛 喜 三 年 九 月 廿 日、 於 一遍 智 院 硝轟 佛 之 次。 息 災 櫓 盆 両 曼 茶 羅 被 レ奉 レ 懸 レ 之、 舞 見 之 次 近 召 寄 被 レ仰 云。 於 一帽此 法 一智 一曼 茶 羅 一事 尤 可 レ 然。 両 近 來 無 一其 儀 扁能 キ 次 テ 也。 根 本 仁 海 曾 正 圖 出 レ 之。 櫓 盆 曼 茶 羅 是 也 。 佛 師 如 照 圃 出 レ 之 。 件 曼 茶 羅 二 利 菩 薩 三 摩 耶 鉤 令 レ 圖 。 循 豊 印 阿 閣 梨 難 レ 之 云 。 鉤 劔 字 不 レ 辮 鰍 十云 云 島 圖 様 凡 不 一心 得 殉 頗 必 定 謬 鰍 。 而 前 大 僧 正 定 海 以 一 越 前 巳 講 一令 蓬 息 災 圖 昌 直 之 一 件 巳 講 彼 紙 形 ヲ 持 テ 寛 信 法 務 許 行 向 云 。 醍 醐 大 働 隅正 コ ソ 仁 王 經 曼 茶 羅 令 レ圖 偉 外 へ 不 申 ケ レ ハ 。 ツ全 審 也 。 彼 ヲ 舞 見 セ ハ ヤ ト 法 務 被 申 ケ レ ハ。 此 二 候 下 テ 紙 形 取 出 令 二 拝 見 司 其 後 麟 ニ 醍 醐 之 住 房 一夢 想 當 寺 公 人 等 來 醍 醐 ア サ マ ニ 成 者 也 レ テ 破 却 巳 講 ヲ 深 砂 河 二 立 下 見 打 驚。 以 後 所 勢 付 無 レ 程 逝 去 云 々 偏 済 瀧 構 現 之 御 計 御 治 罰 之 由 蒔 人 々 云 ケ リ。 件 曼 茶 羅 圖 檜 以 後 以 二彼 息 災 曼 茶 羅 一爲 ニ 本 律 一也。 四 大 明 毒 形 讐 四 大 明 王 不 似。 是 則 合 髄 之 儀 也 云私 問 仁 籍 藩 釜 令 レ 圖 候 哉。 答 云。 肇 分 明 而 曼 茶 羅 ヲ 増 釜 ー面。 法 ヲ 息 災 二 仁 海 等 勤 識 行 之 二 調 々 渤 修 寺 ナ ト ニ ハ 息 災 曼 茶 羅 頗 傍 難 欺 。 檜 盆 曼 茶 羅 ニ テ 法 ヲ 息 災 二 修 シ タ レ ハ コ ソ 念 ナ ヲ 下 申 ト ソ 聞 ト 被 仰 文 中、 越 前 已 講 を し て 息 災 に 圖 直 さ し む と あ る の が そ れ で あ る。
而 し て 海 已 講 が 此 の 仁 王 經 曼 茶 羅 を 書 い た 年 次 に つ い て は、 遍 ロ 抄 の 記 事 の 如 く 右 曼 茶 羅 圖 冩 の 皆 を 勘 修 寺 寛 信 法 務 に 漏 し た、 め に 清 瀧 権 現 の 紳 署 を 蒙 り 幾 も な く 所 勢 に 由 つ て 示 寂 し た と 云 ふ こ と に な つ て ゐ る の で あ る が、 そ れ は 果 し て 事 實 で あ ら う か。 も し そ う で あ る と す れ ば 極 め て 海 巳 講 の 晩 年 の こ と に な る の で あ る が、 私 と し て は そ れ は 唯 々 一 片 の 口 碑 に と い め て 寧 ろ 長 承 二 年 定 海 法 印 が 太 上 天 皇 の た め に 仁 王 經 法 を 修 し た 時 の 事 に 見 徹 し て は ど う か と 思 ふ。 畳 暉 抄 に 載 す る 左 記 巻 歎 の 文 御 修 法 所 奉 供 大 壇 供 二 十 一 箇 度 護 摩 供 二 十 一 箇 度 十 二 夫 供 一 七 箇 度 聖 天 供 二 七 箇 度 諸 紳 供 三 箇 度 奉 讃 仁 王 般 若 經 七 百 五 十 部 奉 念 佛 眼 藁 言 五 百 遽 大 日 翼 言 二 千 五 百 返 仁 王 般 若 陀 羅 尼 二 萬 五 千 返 珍 海 巳 講 の 藝 術 一 七
珍 海 巳 講 の 藝 術 一 入 不 動 明 王 眞 言 二 千 五 百 返 降 三 世 明 王 眞 言 二 千 五 百 返 軍 茶 利 明 王 眞 言 二 千 五 百 返 大 威 徳 明 王 貢 言 二 千 五 百 返 金 剛 藥 叉 眞 言 二 千 五 百 返 一 字 金 輪 眞 言 二 千 五 百 返 右 奉 冩 太 上 天 皇 玉 髄 安 穏 檜 長 寳 壽 恒 受 快 樂 始 肉 今 月 十 七 日 迄 テ 今 日 月 一 七 箇 夜 之 問 率 二 十 口 俘 侶 蕨 搾致 精 誠 奉 修 如 件 長 承 二 年 五 月 廿 四 日 阿 閣 梨 法 印 大 和 術 位 定 海 は、 自 か ら そ の 史 實 を 物 語 る も の で あ る ま い か。 増 盆 の 曼 茶 羅 と 云 ひ、 息 災 の 曼 茶 羅 と い つ て も、 曾 数 等 に 大 し た 異 同 が あ る の で は 無 い。 一 言 に し て 云 へ ば、 増 盆 の 曼 茶 羅 は 東 を 上 に し て 諸 尊 を 配 位 し 息 災 の 曼 茶 羅 は 北 を 上 に し て 諸 尊 を 配 位 し て あ る。 そ の 鯨 幾 許 か の 相 違 は あ る が、 平 子 氏 が 誤 解 し て ゐ た や う な そ ん な に 非 常 な 相 違 が あ る の で は な い。 そ の 増 釜 の 曼 茶 羅 は 手 近 い と こ ろ 十 巻 抄 に 出 て ゐ る の が そ れ で あ る。 平 子 氏 の 墨 げ ら れ た ﹁ 仁 王 經 儀 軌 ﹂ 記 載 の 承 安 の 新 曼 茶 羅 は、 之 と は 全 く 無 關 係 の も の で あ る。 第 四 に は、 玄 謹 本 と し て 近 世 ま で 栂 尾 に 現 存 し た 醍 醐 三 寳 院 本 の 十 二 天 で あ る。 平 子 氏 の 見 ら れ た
帝
繹
天
像
は
そ
の
中
の
一
枚
で
あ
る。
此
の
像
の
原
本
今
は
散
逸
し
て
し
ま
つ
た
が、
天
保
十
年
に
模
冩
し
た
も
の
中
伊
舎
那
天
火
天
羅
刹
天
水
天
風
天
梵
天
日
天
月
天
の
入
葉
は
現
に
高
山
寺
に
珍
藏
し
て
ゐ
る。
そ
の
伊
舎
天
像
の
紙
端
に
書
第
二
十
四
番
十
二
天
之
内
珍
海
已
講
甕
三
寳
院
經
藏
本
天
保
十
年
妃
十
一
月
冩
了
新
冩
の
模
本
で
あ
る
が、
彼
の
帝
繹
天
像
と
一
具
に
海
巳
講
の
露
筆
の
面
目
を
知
る
こ
と
が
出
來
る。
第
五
に
は
東
大
寺
の
法
華
堂
根
本
曼
茶
羅
の
こ
と
で
あ
る
が、
平
子
氏
は
川
崎
千
虎
氏
の
手
記
中
か
ら
左
の
裏
書
を
珍 海 已 講 の 藝 術 一 九珍 海 巳 講 の 藝 術 二 〇
扱
書
し
て
ゐ
る。
法
華
堂
根
本
曼
茶
羅
右
曼
茶
羅
者、
露
出
之
饗
相、
天
竺
之
眞
本
也。
而
繹
迦
座
以
下
皆
悉
破
壌
畢。
或
肖
然
損
失、
或
人
以
切
取。
多
逡
星
霜、
不
知
年
紀。
愛
久
安
四
年
三
月、
已
講
大
法
師
珍
海
殊
倉
修
補。
是
稟
家
風
尤
巧
書
圏
之
故
也。
爲
飴
來
葉、
粗
記
仔
細
而
巳
別
當
法
務
椹
大
僧
都
寛
信
此
の
曼
茶
羅
は
明
治
十
九
年
に
既
に
外
人
の
手
に
渡
つ
て
海
外
に
搬
出
さ
れ、
夙
に
ボ
ス
ト
ン
博
物
館
の
藏
有
に
蹄
し
て
ゐ
る。
嘗
て
中
川
忠
順
氏
か
ら
其
の
實
物
の
話、
裏
書
の
事
な
ど
も
聞
い
た
こ
と
が
あ
り、
冩
眞
は
姉
崎
博
士
の
著
書
の
中
に
登
載
せ
ら
れ
て
居
り、
今
で
は
世
界
的
逸
品
の
一
と
し
て
弘
く
世
に
知
ら
れ
て
ゐ
る
が、
平
子
氏
の
時
分
に
は
ま
だ
そ
の
所
在
を
知
ら
れ
な
か
つ
た
の
で
あ
る。
而
し
て
此
の
曼
茶
羅
の
裏
書
に
﹁
已
講
大
法
師
珍
海
殊
令
修
補
是
稟
家
風、
尤
巧
書
圖
之
故
也
﹂
の
字
句
は、
海
已
講
の
書
技
は
本
來
紬
師
春
日
基
光
の
子
と
し
て
家
風
を
稟
け
た
も
の
で
あ
つ
て、
決
し
て
一
片
の
素
入
絶
で
な
く、
技
巧
も
當
代
一
流
砂
名
手
と
し
て
專
門
糟
師
の
上
位
に
居
し
て
ゐ
た
も
の
で
あ
る
こ
と
を
謹
説
す
る
も
の
で
あ
る。
巳
上
記
す
る
と
こ
ろ
に
由
つ
て、
海
巳
講
の
孚
面、
所
謂
書
聖
と
し
て
海
已
講
の
眞
面
目
は
大
部
分
明
瞭
に
な
つ
た
筈
で
あ
る。
猶
ほ
今
後
も
引
き
績
き
心
懸
け
て
ゐ
た
ら、
此
上
と
も
多
少
に
拘
は
ら
す、
海
已
講
關
係
の
遺
晶
に
接
し
得 る こ と も あ ら う か と 思 ふ。 今 茲 で は 唯 々 平 子 氏 の 論 稿 の 一 部 を 補 記 訂 正 す る に 止 め て 畳 く。 (昭 和 入、 七、 一 ○ 記 ) 珍 海 巳 講 の 藝 術 二 一