アサザの生育環境・花型・逸出状況と遺伝的多様性に関する追試
藤井 伸二
1・上杉 龍士
2・山室 真澄
31人間環境大学・2農研機構中央農業総合研究センター・3東京大学大学院新領域創成科学研究科
Habitats, floral morphs and escape of Nymphoides peltata and re-examination of its genetic diversity in Japan
Shinji Fujii1, Ryuji Uesugi2 and Masumi Yamamuro3
1University of Human Environments, 2NARO Agricultural Research Center, 3Graduate School of Frontier Sciences, The University of Tokyo
要旨:アサザの生育環境、開花に関する形質、逸出に関する情報について、現地調査、栽培観察、標本調査、聞き 取り調査、文献調査を行った。また、遺伝的多様性についてマイクロサテライト多型を用いた再検討を行った。遺 伝的多型については、波形ピークの読み取りが困難な遺伝子座が多くて十分な成果を得ることができなかったが、 猪苗代湖と琵琶湖において多型が検出された。また、非開花個体群は広範囲に散在して分布し、遺伝的な多型を有 することが明らかになった。生育環境の情報について整理した結果、琵琶湖においてはおもに周辺の内湖や接続水 路および河川から記録されていることが明らかになった。逸出については、その疑いのある個体群が各地に存在す ることが明らかになった。 キーワード:非開花個体群、琵琶湖、マイクロサテライト多型
Abstract: Habitats, flowering characters and information of escape from cultivation were studied by investigating the populations in the field, observing plants under cultivation, examining herbarium specimens, hearing investigation and literature survey. Genetic diversity of Nymphoides peltata was re-examined by SSR polymorphism. Though the analysis of genetic diversity was not successful because some loci were difficult to identify, genetic polymorphism was found within the population of Lake Inawashiro and Lake Biwa, respectively. Non-flowering populations were found to grow scattered in Japan and have genetic polymorphism. The most populations of N. peltata in Lake Biwa were recorded from the attached small ponds and connected drains or rivers. Escaping populations were revealed to scatter various places.
Keywords: Lake Biwa, non-flowering population, SSR polymorphism
1〒 444-3505 愛知県岡崎市本宿町上三本松 6-2 人間環境大学
University of Human Environments, 6-2 Kami-sanbonmatsu, Okazaki City 444-3505, Japan e-mail: [email protected] 2013 年 11 月 6 日受付、2015 年 3 月 23 日受理
はじめに
ミツガシワ科のアサザ Nymphoides peltata (S.G.Gmel.) Kuntzeは、本州・四国・九州に広汎に分布する浮葉性 の多年生水生植物である。異形花柱性を示すが、ときに 等花柱花型の株も存在する(丸井 ・ 鷲谷 1993)。伊豆沼、 猪苗代湖、霞ヶ浦、鳥屋野潟、諏訪湖、佐賀平野のクリ ークなどでは現在も大規模な個体群がみられるが、この 半世紀の間に各地のため池や農業水路から姿を消し、現 在では準絶滅危惧種(NT)にリストされている(「第 4 次レッドリスト 植物 I (維管束植物)」(環境省)、http:// www.env.go.jp/press/press.php?serial=15619、2013 年 8 月 20日確認)。 アサザは自然の湖沼や河川および半自然の水路やため 池などさまざまな水域に生育する (角野 1994)。農耕地 に依存するサンショウモ Salvinia natans (L.) All. では減
調査報告
少に伴う生育環境シフトが指摘されているが(藤井 2002)、アサザの過去の生育環境についての実態は十分 に把握されていない。また、近年は移入や逸出起源と思 われるアサザが各地で見いだされていることから、それ らの由来を明らかにするためにも過去の情報を整理する 必要がある。生育環境、開花、移入・逸出に関する情報 について整理・集約することは、アサザの遺伝的な構造 を解釈する上でも、さらにはアサザの保全を行うために も有益であろう。 本種の遺伝的多様性については、上杉ほか(2009)が マイクロサテライトの 10 遺伝子座を用いて全国的な調 査を行い、合計 61 遺伝子型(うち 7 遺伝子型は系統保 存されたもの)を同定している。遺伝的構造については、 調査した 64 の野外局所個体群のうち 10 局所個体群では 複数の遺伝子型が混生し、残りの 54 局所個体群はそれ ぞれ単一遺伝子型のみであったこと、さらに霞ヶ浦のメ タ個体群(合計 20 の局所個体群)はまとまった分岐群 を形成するが他水系のものは地理的構造を示さなかった ことが示されている(上杉ほか 2009)。 上杉ほか(2009)の研究では、霞ヶ浦と佐賀平野の局 所個体群について多数の試料を解析しているが、それ以 外の局所個体群については試料数が少ない。それゆえ、 全国的な遺伝的多様性の実態を十分に把握しているわけ ではない。また、移入・逸出起源と思われるアサザの由 来を明らかにするために、自生と考えられるアサザ局所 個体群の遺伝的な実態を明らかにする必要がある。 本研究では、アサザの過去の生育環境についての情報、 開花および花型の情報、移入・逸出等の情報についての 整理を行い、アサザの保全対策への基礎資料とすること を目指した。また、上杉ほか(2009)と同様の遺伝的解 析手法を用いて、局所個体群の構造について精度の高い 情報を付加することを目指した。
材料と方法
花型、生育環境、逸出に関してできるだけ網羅的な情 報収集を行うために、現地調査、標本調査、文献調査、 聞き取り調査を行った。さく葉標本の調査は、大阪市立 自然史博物館、京都大学総合博物館、首都大学東京牧野 標本館、国立科学博物館、福島大学理工学部、茨城県立 自然博物館において行った。 花型については、野外での DNA 試料採取時に記録し た。また、一部の生株を持ち帰って栽培し、翌春以降に 開花した花型の観察を行った。さらに、現地の観察情報 について聞き取り調査を行うとともに、栽培維持系統に 関する観察情報も収集した。逸出の疑いのあるアサザ局 所個体群については、文献記録の収集と聞き取り調査を 行った。 DNA 解析のための試料は、上杉ほか(2009)の解析 したもののうちから 28 局所個体群(系統保存株を含む) について再サンプリングするとともに、あらたに 29 局 所個体群(系統保存株およびさく葉標本を含む)と市販 品 8 系統を加えた合計 65 の局所個体群 ・ 系統から採取 した。野外での試料採取にあたっては、それぞれの局所 個体群の全体に分散するように 1 ∼ 15 点の葉を採取し た。採取した試料は合計 176 点であった。なお、標本か らの試料採取にあたっては、申請書類の提出後にハーバ リウムキュレーターの許可を得たうえで行った。 遺伝子座の分析は、Uesugi et al.(2005)の 8 プライマ ー(同一プライマーで 2 遺伝子座を検出するマーカーが 2つある)を用いて 10 遺伝子座について行った。DNA の 抽 出 は、DNeasy Plant Mini Kit(QIAGEN, Hilden, Germany)を用いた。プライマーは、ポストラベル法 (Kikuta and Hayashi 2002)による蛍光標識反応を R6G-ddCTPで行うことができるように、Fw プライマーの 5’ 側に「GTT」の配列を、Rv プライマーの 5’ 側に「C」 の配列を付加した。PCR 増幅は、BIOTAQ(Bioline, London, UK)を用い て行い、反応液は 5 µL で、その組成は 10 × NH4 Buffer 0.5 µ L、dNTP (2.5 mM) 0.4 µ L、MgCl2(50 mM)0.3 µL、各プライマー(50 µM)0.04 µL × 2、蒸留水 1.712 µL、BIOTAQ(5U/µL)0.008 µL お よ び テ ン プ レ ー ト DNA溶液 2 µL である。また、PCR 反応は次の温度条件 で行った:94℃ 3 分の後、94℃ 30 秒・55℃ 30 秒・72℃ 45秒を 40 サイクル繰り返し、72℃ 10 分間の後 4℃に冷 却した。増幅試料についてポストラベル法による蛍光標 識を行い、サイズマーカー(GeneScan Size Standard 500 Liz, Applied Biosystems, Foster City, CA)と混合して DNA シークエンサー(ABI 3730xl, Applied Biosystems, Foster City, CA)で電気泳動を行った。これらの一連の分析は、 かずさ DNA 研究所に委託した。 アサザの日本集団の遺伝的多型性については、一遺伝 子座当たりの対立遺伝子数(NA)、ヘテロ接合度(H) および近交係数(F)を算出した。また、集団内のクロ ーンの識別率を評価するために、解析に用いた信頼性の 高い 4 遺伝子座(結果と考察の「遺伝子型」で詳述)に ついて PI(Probability of identity)を、ソフトウェア GenAlEx6.5(Peakall and Smouse 2012)を用いて算出した。
遺伝的構造の解析は、4 遺伝子座について、ソフトウ ェア populations 1.2.32(Langella 1999)を用いて、すべ ての遺伝子型の組み合わせについて共有対立遺伝子距離 (DAS)(Jin and Chakraborty 1993)を算出した。さらに、
前述の 4 遺伝子座の遺伝子型データに基づいて、ベイズ 推定によるクラスタ解析を行った。解析には、ソフトウ ェア Structure2.3(Pritchard et al. 2000)の標準設定を用 い た。 ベ イ ズ 推 定 は、 マ ル コ フ 連 鎖 モ ン テ カ ル ロ (MCMC)法を用い、最初の 10000 回のサンプリングを 初期値に依存する期間(burn-in period)として捨てた後、 10000回のサンプリングにてパラメータの事後分布を推 定した。ソフトウェア Structure Harvester 0.6.9.3(Evanno et al. 2005)を用いて、各 K 値(1 ∼ 10 クラスタ)につ いて 50 回の解析を行って尤度の標準偏差を計算し、最 適な K 値を推定した。
結果と考察
遺伝子型 マイクロサテライトの各遺伝子座における遺伝的多様 性についての統計値を表 1 に示した。遺伝子座によって 分析試料数 N が異なるのは、古い標本試料において PCR増幅に失敗したことが主な理由である。また、一 部の生葉由来の試料において特定の遺伝子座で PCR 増 幅産物が検出されなかったことから、ヌル対立遺伝子も 低頻度で存在するものと考えられる。10 遺伝子座すべ てにおいて多型が検出され、対立遺伝子数は 2 ∼ 14、 遺伝的多様度(ヘテロ接合度の期待値)は 0.415 ∼ 0.801であった(表 1)。また、近交係数 F は 10 遺伝子 座のうち 7 遺伝子座で有意な正の値をとった(表 1)。 得られた波形には、10 遺伝子座のうちの 6 遺伝子座 について次のような問題が見られた。すなわち、1)増 幅効率が悪い:NP274、NP382、2)ハリネズミ状のピ ークパターンを呈する:NP152、NP207、3)ゴースト ピークの安定性がなくてピークの合理的な判定が困難: NP274-2、4)ピークパターンが連続して正しいピーク の読み取りが困難:NP730(遺伝子座の名称については 上杉ほか(2009)の表 2 を参照)。このため、これら 6 遺伝子座を除いた残りの 4 遺伝子座(NP306、NP382-2、 NP641、NP694)を解析に用いた。 ゴーストピークが多くて安定性の低い要因として、今 回の PCR 増幅では上杉ほか(2009)とは異なる温度条 件とポストラベリング法を導入したことが考えられる。 また、同一プライマーで 2 遺伝子座を増幅する場合では、 断片の長い遺伝子座の増幅効率が悪い。波形検出に関す るこれらの課題がマーカーそのものの特性なのか、ある いはプロトコルに起因するのかは、外注委託による分析 であるために詳細は不明である。いずれにせよ、今回の 全遺伝子座の結果を用いて正確な遺伝子型の判定と厳密 なクローン識別を行うのは困難であると考えられた。 解析に用いた 4 遺伝子座について PI 値(Probability Identity)を算出したところ、その総積は 2.25 × 10-3であ った。この値は、志賀ほか(2013)がナガレコウホネ Nuphar × fluminalisで得た 1.8 × 10-10に比べて大きいが、 局所集団間の遺伝子型の識別は可能であると考えられ る。一方で、サンプル数 5 以上の局所集団について、集 団内の PI 値を算出したところ、その総積は 0.053 から 0.375と大きな値を取った(表 2)。したがって、用いた 4遺伝子座による局所集団内におけるクローン識別は不 完全であり、異なるクローンを同じ遺伝子型として認識 した可能性がある。 表 3 は、霞ヶ浦、琵琶湖、佐賀平野の 3 地域(=地域 表 1.本研究で解析したアサザのマイクロサテライト多型についての遺伝子座ごとの統計値。 遺伝子座 N NA H F Np152 173 12 0.708 0.062 Np207 160 12 0.685 0.553** Np274 167 12 0.710 0.587** Np306* 175 7 0.682 0.187** Np382 147 14 0.693 0.529** Np641* 172 6 0.415 0.076 Np694* 169 8 0.687 0.655** Np730 169 14 0.801 0.424** Np274-2 175 3 0.584 0.374** Np382-2* 175 2 0.494 0.006 NA:対立遺伝子数。H:遺伝的多様度(ヘテロ接合度の期待値)。F:近交係数。 *解析に用いた 4 遺伝子座。 **近交係数が有意に正(P < 0.05)。表 2.アサザのマイクロサテライト遺伝子型を用いた、ベイズ法による各クラスタ(K=2)への帰属確率と 5 試料以上の局所個体群 の PI 値。90%以上の帰属確率を太字で示した。 産地(局所個体群、栽培維持株) 展葉面積 サンプル数 帰属確率 PI値の総積 1 2 1 秋田県 秋田市男潟 [S] ca. 50** 1 0.016 0.984 -2 宮城県 伊豆沼(水路) 500-1000 8 0.010 0.990 0.375 猪苗代湖 3 福島県 猪苗代湖白鳥浜 >10000 11 0.013 0.987 0.141 4 猪苗代湖鬼沼 * 500-1000 2 0.014 0.986 -5 猪苗代湖西岸(保)* <30** 1 0.993 0.007 -6 松川町(ため池,逸?)* ca.50 2 0.008 0.992 -霞ヶ浦 7 茨城県 霞ヶ浦 AFHJ(保) - 4 0.010 0.990 -8 同上 BC(保) - 2 0.008 0.992 -9 同上 K(保) - 1 0.008 0.992 -10 同上 L(保) - 1 0.014 0.986 -11 同上 M(保) - 1 0.007 0.993 -12 同上 N(保) - 1 0.015 0.985 -13 同上 O(保) - 1 0.009 0.991 -14 同上 P(保) - 1 0.009 0.991 -15 茨城県 美浦村霞ヶ浦(湖岸)* ca.1000 1 0.009 0.991 -16 美浦村霞ヶ浦(水路)* <30 2 0.009 0.991 -17 かすみがうら市霞ヶ浦(湖岸)* ca.800 2 0.008 0.992 -18 千葉県 手賀沼(保)* - 1 0.010 0.990 -19 我孫子市(ため池,逸?)* ca.1000 1 0.993 0.007 -20 新潟県 新潟市鳥屋野潟 [S] ca.1000?** 1 0.989 0.011 -21 長岡市(水路,逸)* ca.10** 1 0.025 0.975 -22 同上 [S] 1 0.023 0.977 -23 長野県 木崎湖 50-100 4 0.985 0.015 -24 諏訪湖 >10000 8 0.984 0.016 0.141 筏川 25 愛知県 弥富市筏川 * 500-1000 3 0.987 0.013 0.053 26 同上 6 0.990 0.010 27 同上 4 0.985 0.015 28 同上 [S] 1 0.990 0.010 29 愛知県 海部郡八開村 [S]* - 1 0.986 0.014 -30 三重県 南勢町 [S]* - 1 0.981 0.019 -31 多気町(ため池,逸)* 50-100 1 0.994 0.006 -琵琶湖 32 滋賀県 高島市安曇川河口 * ca.100** 1 0.991 0.009 -33 同上 [S] 1 0.987 0.013 -34 東近江市(水路) 500-1000*** 10 0.992 0.008 0.117 35 同上 5 0.991 0.009 36 同上 [S] 1 0.991 0.009 37 滋賀県 金勝村(ため池)[S]* - 1 0.992 0.008 -38 京都府 八幡市(逸)* 100-500 6 0.989 0.011 0.141 39 大阪府 茨木市大正川(逸)* 100-500 6 0.989 0.011 0.141 40 吹田市万博記念公園(栽)* < 10 2 0.992 0.008 -41 大阪市天王寺公園(栽)* 100-500** 1 0.020 0.980 -42 兵庫県 明石郡林崎村 [S]* - 1 0.985 0.015 -43 稲美町(ため池) 100-500 4 0.991 0.009 -44 姫路市(栽)* < 10** 1 0.993 0.007 -45 和歌山県 和歌山市(水路) <30 5 0.989 0.011 0.141 46 徳島県 阿波市(ため池) ca. 50 5 0.990 0.010 0.141 47 鳥取県 鳥取市(栽)* <30 1 0.022 0.978 -48 岡山県 浅口市 >1000 2 0.985 0.015 -49 倉敷市 <30 6 0.986 0.014 0.141 50 島根県 出雲市(水路) 100-500 7 0.987 0.013 0.141 佐賀平野 51 佐賀県 佐賀市嘉瀬町(水路) 100-500 5 0.971 0.029 0.098 52 同上 9 0.947 0.053 53 神埼市中地江川 100-500 3 0.922 0.078 -54 佐賀市鍋島町(水路) 30-50 1 0.994 0.006 -55 宮崎県 延岡市(保)* - 1 0.994 0.006 -販売株 56 M社 * - 1 0.014 0.986 -57 S社 * - 1 0.014 0.986 -58 I社 1* - 1 0.021 0.979 -59 I社 3* - 1 0.994 0.006 -60 H社 * - 1 0.994 0.006 -61 A社 * - 1 0.994 0.006 -62 T社 * - 1 0.992 0.008 -[S]:標本試料、(保):系統保存株、(栽):栽培品、(逸):逸出またはその可能性が高い局所個体群。 霞ヶ浦の A ∼ P は国土交通省が保存管理している系統名称。 *今回の調査で新たに解析した局所集団または系統。 **標本採集時のおおよその展葉面積。 ***個体群の広がりは 500 ∼ 1000 m2であるが,展葉面積はその 3 ∼ 4 割程度。
メタ個体群)について、認識された遺伝子型および対立 遺伝子の数を集計したものである。解析した集団数や遺 伝子数に違いがあるので正確な評価は困難だが、先行研 究と比較すると今回の 4 遺伝子座の解析によってある程 度の精度で遺伝子型の検出がなされたと考えられる。こ れら 3 地域のそれぞれに固有な対立遺伝子は、霞ヶ浦が 4個(28.6%)、佐賀平野が 3 個(27.3%)、琵琶湖から は固有な対立遺伝子は見つからなかった。一方、販売系 統に固有な対立遺伝子は 2 個(16.7%)であった。上杉 ほか(2009)では遺伝子型の解析を行っているが、対立 遺伝子の解析を行っていないので遺伝的多様性の評価が 十分ではない。アサザの遺伝的多様性の保全を考えるた めには、地域メタ個体群レベルでの対立遺伝子の比較が 必要である。 遺伝的な類縁関係 4 遺伝子座のデータに基づいてクラスタ解析を行った 結果、ΔK 値は K = 2 で最大値 51.75 をとり、最適なク ラスタ数は 2 であると推定された。各クラスタへの帰属 確率を表 2 に示す。移入・逸出と思われる局所個体群(「逸 出」の項で詳述)を除くと、クラスタ 1 は福島県猪苗代 湖(西岸)、新潟県鳥屋野潟、長野県、愛知県、三重県、 滋賀県、兵庫県、和歌山県、徳島県、岡山県、島根県、 佐賀県、宮崎県に出現し、猪苗代湖(西岸)の局所個体 群を除くと新潟県・長野県以西の地域にまとまった。ク ラスタ 2 は秋田県、宮城県、福島県猪苗代湖(白鳥浜と 鬼沼)、茨城県霞ヶ浦、千葉県に出現し、東北地方と関 東地方北東部の地域にまとまった。このような地理的構 造は、上杉ほか(2009)の図 2 で示された樹状図のパタ ーンとほぼ同様であった。 猪苗代湖(西岸)の局所個体群(本研究での新規解析 個体群、表 2:5)はクラスタ 1 に、白鳥浜と鬼沼の各 局所個体群(表 2:3 および 4)はクラスタ 2 にそれぞ れ所属し、猪苗代湖には遺伝的に大きく異なる局所個体 群が存在することが判明した。 なお、4 遺伝子座による樹状図構築も試みたが、ブー トストラップ値が低く、信頼できる遺伝的類縁関係を明 らかにすることはできなかった。解像度の低さは、波形 検出よりもマーカーそのものの問題やアサザ自身の持つ 遺伝的構造に起因する可能性が高く、各分岐群の関係を 明らかにするには新たなマーカー開発が必要であろう。 同一産地での多型 今回得られた波形データは遺伝子座の判読が困難なも のが含まれるため、それらすべてのデータを用いて遺伝 子型の認識をすることは不適当であった。また、4 遺伝 子座による集団内の PI 値が低く(表 2)、クローン識別 の精度は低い。一方、同一産地の試料群ではピークパタ ーンが比較的安定している遺伝子座が存在し、そのよう な遺伝子座(東近江市の NP730)を追加して波形タイプ の比較を行った。 その結果、同一産地内において明瞭に異なる波形タイ プが見いだされたのは、愛知県弥富市筏川(付表:25 ∼ 28、NP306)、滋賀県高島市の安曇川河口(付表:32 ∼ 33、NP306、NP382-2)、滋賀県東近江市の農業水路(付 表:34 ∼ 36、NP694 & NP382-2、図 1:NP730)の 3 産 地で、いずれも各産地内にそれぞれ 2 つの波形タイプが 認められた。他の産地については、得られた試料がすべ て同一の波形タイプを示したかまたはゴーストピーク等 の問題で十分な判断ができなかった。 安曇川河口の試料については、短花柱花(S)の系統 保存株 1 試料(表 2:32)と長花柱花(L)の標本抽出 1試料(表 2:33)が互いに異なる波形タイプを示した。 東近江市の試料についても 2 つの波形タイプが認められ た。東近江市では長花柱花と短花柱花の混生がみられた が、試料採取時には 1 株しか開花していなかったために、 花型と波形タイプの対応を確認することはできなかっ た。同様に 2 タイプの波形の存在が確認された弥富市筏 川では、5 回にわたる現地調査にもかかわらず非開花で あったために花型との照合はできなかった。今回の解析 表 3.3 地域のメタ個体群における遺伝子型と対立遺伝子の比較。 10遺伝子座(上杉ほか 2009) 4遺伝子座(今回の調査) 解析試料 (試料数) 遺伝子型数 対立遺伝子数 解析試料 : 表 3 の対照番号(試料数) 遺伝子型数 対立遺伝子数 霞ヶ浦 17維持株(53)局所個体群(134)、3 栽培 18 34 栽培維持株: 7∼14(12)、3局所個体群: 15∼17(5) 12 14 琵琶湖 1局所個体群(3) 1 12 1 局所個体群: 34&35(15)、栽 培維持株: 32(1)、標本: 33&36 (2) 4 8 佐賀 4局所個体群(69) 6 27 4 局所個体群: 51∼54(18) 4 11
図 1.東近江市産 6 試料の遺伝子座 NP730 の波形データ例(縦軸は蛍光強度、横軸は DNA の断片サイズ bp を示す)。a:試料 No.18、b:試料 No.22、c:試料 No.26、d:試料 No.19、e:試料 No.24、f:試料 No.28。グレーの着色部分は機械的に認識 されたピークの位置。これらの例では、143 bp 以下のピークはゴーストと判断し(四角囲み部)、144 bp(a-c)と 146 bp(d-f) にそれぞれピークを持つ 2 つの波形タイプを認めた。なお、この図を見る限りでは NP730 を遺伝子座として認識できそう であったが、琵琶湖以外の試料においてヌル対立遺伝子の割合が高かったのでクラスタ解析からは除外した。
において、安曇川河口のデータからは花型の違いに準じ た遺伝的差異の存在が示唆された。東近江市と筏川につ いては今後の確認が必要である。一方で、表 2 の 45 と 46は同一遺伝子型であったが(付表参照)、45 は短花柱 花で 46 は等花柱花であることから 4 遺伝子座によるク ローン識別は不十分と考えられる。 上杉ほか(2009)によれば全国 64 の野外局所個体群 のなかで複数の遺伝子型が混生していたのは 10 局所個 体群であったが、先述のように筏川(新規解析)、安曇 川河口(新規解析)、東近江市(追試)の 3 産地で異な る波形タイプの混在が新たに判明した。 追試を行った東近江市において 2 タイプの混生が明ら かになった原因としては、上杉ほか(2009)が 3 試料を 解析しているのに対して、今回の解析では 15 試料を解 析に供したことが理由であろう。志賀ほか(2013)はコ ウホネ類の遺伝子型決定で 0.5 m 間隔でのサンプリング を行っていることを鑑みると、数十メートル以上の広が りを有する個体群について数点の試料の解析では過小評 価につながるおそれがある。上杉ほか(2009)の解析で は展葉面積 30 m2以上の 43 局所個体群のうち 26 個体群 は試料数が 5 以下のため、遺伝子型の検出が制限されて いた可能性が高い。 花型 アサザ局所個体群の花型について包括的にまとめた上 杉ほか(2009)は、霞ヶ浦麻生の 1 局所個体群を除く他 のすべての局所個体群では一つの花型しか認められず、 水系をメタ個体群としてとらえた場合でも長花柱花型と 短花柱花型を含むのは霞ヶ浦・常陸利根川水系、北上川 水系および荒川水系のみであると報告した。なお、西廣 ほか(2001)の霞ヶ浦における調査によれば、1996 年 に 5 局所個体群で複数の花型が認められたが、2000 年 には 1 局所個体群に減少したことが報告されている。今 回の花型調査において、長花柱花型と短花柱花型の両者 が共存する産地として、琵琶湖の高島市安曇川河口(遷 移によって現在は消滅)と東近江市の農業水路の 2 ヶ所 が追加された(表 4、個体群の詳細については表 6 を参 照)。また、稀な頻度で遺伝的交流を行う可能性のある メタ個体群としてとらえた場合には、佐賀平野のクリー ク地帯を加えることができた(表 4)。試料数が少ない ことで遺伝子型の検出が制限されていたように、花型に ついても観察事例を増やす努力によって混生集団が新た に発見される可能性がある。 野外での観察、栽培による観察、地元研究者への聞き 取りなどの結果、長野県諏訪湖、愛知県弥富市、兵庫県 南あわじ市、岡山県倉敷市 ・ 浅口市、島根県出雲市、佐 賀市の一部の個体群が非開花(または稀な開花)と思わ れる系統であった(表 4)。また、諏訪湖のアサザにつ いては 1994 年に一斉開花したことが報告されているが (「水辺の仲間たちI 11 環境変化のバロメーター」(長野 日 報 )、http://www.nagano-np.co.jp/kikaku/mizukikou/ mizu03/dai11.html、2013 年 8 月 21 日 確 認 )、2012 ∼ 2014年に行った合計 6 回の現地調査において開花がみ られないことから通常は開花しない集団と考えられる。 上杉ほか(2009)は、岡山県浅口市の 2 局所個体群(非 開花)、木崎湖(等花柱花)、諏訪湖(非開花)の一部の 合計 4 局所個体群について遺伝的に同一の遺伝子型であ ることを示している。一方で、島根県出雲市および岡山 県倉敷市の局所個体群は、それらとは異なる遺伝子型を 持っていた(上杉ほか 2009)。さらに、先の「同一産地 での多型」で述べたように、弥富市筏川の非開花(また は稀な開花)の局所個体群内には 2 つの波形タイプが存 在していた。今回解析した 4 遺伝子座のデータからは、 筏川の一つの遺伝子型は木崎湖、諏訪湖、倉敷市、浅口 市、出雲市の非開花個体群と同一であったが、筏川のも う一つの遺伝子型は兵庫県、和歌山県、徳島県、逸出起 源と推測される大阪府および京都府の開花個体群と同一 であった。以上のことから、非開花(または稀な開花) 系統には複数の遺伝的に異なるものが含まれていること は間違いない。これらの非開花(または稀な開花)個体 群は、通常はクローン繁殖によって維持されていると推 測される。上杉ほか(2009)は遺伝子型の多様性の高い 局所個体群では有性生殖による更新が最近まで行われて きたと考察しているが、遺伝的に異なる非開花(または 稀な開花)系統がどのように起源して維持されているの かは興味深い問題であり、その解明には新たな遺伝マー カーの開発が必要だろう。 逸出 アサザは観賞用として広く販売流通していることか ら、栽培品からの逸出またはその疑いが強いと考えられ る個体群について表にまとめた(表 5)。アサザは条件 が整えば旺盛なクローン繁殖を行うので、各地で逸出と 思われる例が報告されている。例えば、1999 年の兵庫 県小野市加古川右岸ワンドでの発見例(H.Marui 3318: TNS所蔵標本)、大阪府枚方市淀川における 2008 年の 散発的発見例(志賀・武林 2008)、2010 年の新潟県長岡 市草生水の融雪水路での発見例(S.Fujii 14443:KYO、
表 4.自生個体群と思われるアサザの花型と古い標本記録(上杉ほか(2009)に今回の結果を追加)。 産地 花型1 古い標本記録(水域が広域にわたる場合や採集場所が近接地の場合は、 その地名を表示した)/非開花に関する情報 青森県小川原湖 H 秋田県三頭沼 非開花? 浅内沼 非開花? 八郎潟 不明 2014年 7 月 13 日の調査では非開花。 男潟 非開花? 2010年 10 月 3 日、2014 年 7 月 13 日の調査では非開花。 秋田市(水路) 不明 1928年 秋田市千秋公園 H.Muramatsu s.n.(TI)。 やぶれ沼 不明 長沼 H 2014年 7 月 14 日の調査で開花を確認。 大浦沼 不明 宮城県伊豆沼 L 1890年 登米郡石越町 T.Makino s.n. (MAK)。1937 年 栗原郡(詳細産地
不明)M.Honda 2(TI)。1971 年 内沼 C.Kimura and T.Kyogoku s.n.(TI)。
内沼 S
福島県猪苗代湖 H 1898年 会津若松 U.Faurie 2489(KYO)。1959 年 猪苗代湖 H.Sase 16834
(FKSE)。個体群の詳細については小林(2008)を参照。 茨城県霞ヶ浦 LS混生(1 局所個体群)、L(5 局所個 体群)、S(6 局所個体群)、不明(5 局 所個体群) 1916年 潮来町 T.Makino s.n.(MAK)。1857-1921 年(採集年不明のため、 採集者の生存年を表記)土浦 S.Matsuda s.n.(KYO)。 千葉県印旛沼 S 1954年 T.Haginiwa s.n.(TNS)。 我孫子市 S 埼玉県中川 S 東京都水元公園 L 1939年 T.Makino s.n.(MAK)。 新潟県鳥屋野潟 S 長野県長野市(ため池) S 諏訪湖 非開花 2012∼ 2014 年の計 6 回の現地調査で非開花。1994 年に一斉開花が記録 されている(「水辺の仲間たちI 11 環境変化のバロメーター」(長野日報) http://www.nagano-np.co.jp/kikaku/mizukikou/mizu03/dai11.html、2013 年 8 月 21 日確認)。なお、1994 年は記録的な小雨であった。 木崎湖 H 1934年 S.Miki s.n.(OSA)。 石川県河北潟(水路・河川) S(6 局所個体群)、不明(1 局所個体群) 1910 年 金沢市戸水町 K.Hamasaka s.n.(MAK)。 愛知県弥富市筏川 非開花 1902年 蟹江町 K.Umemura s.n. (MAK)/ 5 回の現地調査と 2 年間の栽 培観察で非開花。 滋賀県琵琶湖(河口、水路) LS混生(2 局所個体群2) 1901年 膳所 C.Takemura s.n.(MAK)。 和歌山県和歌山市(水路) S 兵庫県稲美町(ため池) S 1981年 Y.Kadono 1325(KYO)。 南あわじ市(ため池) 非開花 5年以上の栽培観察で非開花。 岡山県倉敷市柳井原貯水池 非開花 1978年 柳井原貯水池 Y.Kadono 591(KYO)/狩山俊吾氏によれば、「現 存の岡山県個体群は開花が観察されない。過去に開花が観察されていた 個体群は絶滅した」とのこと。 浅口市里見川 非開花 浅口市(水路) 非開花 島根県出雲市(水路) 非開花 1989年 学頭屋川 S.Hamajima s.n.(OSA))/國井秀伸氏によれば、「出 雲市の自生アサザ群落では開花が観察されたことがない」とのこと。 徳島県阿波市(ため池) H 香川県高松市(ため池) H 産地は異なるが、1923 年に国分寺町で採集された標本(S.Miki s.n. (OSA))がある。 福岡県遠賀川 S 佐賀県佐賀市中地江川 L 佐賀平野には H、L、S のすべての花型が観察されるが、開花が観察さ れない局所個体群も存在する。上赤博文氏によれば、「嘉瀬川ではこれ までの継続観察では一度も開花が観察されていない。ただし、開花を見 たとの伝聞情報もある」とのこと。 鍋島(水路) S 新籠用水路 H 萩野用水路 非開花? 嘉瀬川 非開花 長崎県島原市(堀) S 大分県宇佐市(ため池) 非開花? 臼杵市(ため池) 不明 1S:短花柱花、H:等花柱花、L:長花柱花。非開花:経年観察(栽培観察を含む)または複数回の現地調査において開花が観察されなかった個体群(た だし、諏訪湖のように稀に開花するものが含まれる)。非開花?:開花期に調査を行ったが開花の観察されなかった個体群。 22局所個体群のうち安曇川河口は遷移によって消滅(表 6 を参照)。
MAK、OSA 所蔵標本)、2011 年の三重県多気町栃ヶ池 での発見例(三重県教育委員会、私信)、2012 年の兵庫 県神戸市西区の小河川での発見例(高野 2013)などは、 過去の記録や生育の状況から考えて自生の可能性は非常 に低い。また、奈良県では 2 ヶ所の現存生育地すべてが 植栽起源であることが判明している(奈良県レッドデー タブック策定委員会 2008、T.Shiga 3747:OSA 所蔵標本)。 さらに、佐賀県佐賀市のクリーク地帯では過去に生育し ていなかった場所にアサザの分布が新たに拡大してお り、人為的散布の可能性が高いと考えられている(上赤、 私信)。今回の研究では、こうした逸出個体群について の遺伝的解析も試みたが、波形ピークの読み取りが困難 なために遺伝子型によるクローンの特定と逸出起源の検 討はできなかった。 逸出起源が疑われる大阪府茨木市大正川と京都府八幡 市(表 5)については、正確な読み取りが可能であった 4遺伝子座の波形はすべて同一タイプであったが、判読 した遺伝子座数が少ないので同一クローンかどうかは不 明である。また、逸出母集団の候補と疑われる万博公園 日本庭園の個体群については、現在は栽培されていない ために試料を得ることができなかった。なお、万博公園 自然文化園で現在栽培されているアサザは、上記 3 局所 集団とは異なる遺伝子型であった。 生育環境 琵琶湖の過去の生育記録について標本および文献調査 を行った結果、合計 12 産地の記録を見いだした(表 6)。 野洲市吉川の標本についてはその生育環境が不明である が、西浅井町岩熊(佐々木 1995)と琵琶湖(S.Miki s.n. June 24, 1923:OSA 所蔵標本)の 2 産地のみが湖岸に生 育したと考えられ、それ以外の 9 産地は琵琶湖に隣接し た内湖(表 6 の脚注参照)、河川、水路などであった。 つまり、琵琶湖岸に生育していたと考えられるのは 2 例 であった。なお、岩熊の産地は、開口部の幅約 500 m、 湾口から湾奥まで約 1 km の細長い入り江地形である塩 津湾の最奥部に位置する。 強い波浪は根茎の流失や植物体の部分的破壊などの直 接的な影響と堆積作用の鈍化などの間接的な影響を通し て、とりわけ浮葉植物の生育を阻害することが知られて い る(Pearsall 1920;Hutchinson 1975;Keddy 2000; Lacoul and Freedman 2006)。事実、例えば霞ヶ浦のアサ ザ植栽事業では消波構造物を設置することが基本となっ 表 5.逸出または人為的移入が推測されるアサザ局所個体群。 産地 花型1 備考 文献など 北海道幕別町(河跡湖) H アサザは北海道ブルーリストに外来種として掲載されてい る。幕別町の標本は 1997 年に採集された(K.Takita 7225 (TNS))。旭川市付近で 1934 年に採集された標本(H.Iwamoto 1596(OSA),T.Sasaki 105827(TNS))があるので、自生系 統が絶滅したと考えるべきかもしれない。なお、北海道では ミズアオイやオオアブノメなどの水田雑草が農耕の拡大とと もに侵入していることを付記しておく。 「北海道ブルーリスト 2010」(北海道環境生活 部環境局自然環境課特 定生物グループ)、http:// bluelist.ies.hro.or.jp、2013 年 8 月 19 日確認 三重県多気町(栃ヶ池) L 同地は天然記念物指定地で、アサザは指定時及びその後の調 査において記録されていない。2011 年に初めて出現したこと から、人為的な移植と思われる。アサザの生育場所には過去 の調査で確認されていなかったコウホネの生育がみられ、ア サザと同時に意図的に移植されたと考えられる。 藤井(2010) 大阪府茨木市(大正川) S 1991年に繁茂が確認された。松本(1995)は自生と考えてい るが、過去に大正川での生育記録がないことや上流の万博公 園日本庭園にアサザが植栽されていたことから、そこからの 逸出が疑われる。 松本(1995) 京都府八幡市(大谷川およ び周辺水路) S 2004庫だった巨椋池ではアサザの標本記録があるが、干拓によっ年に市街地の水路での繁茂が発見された。水生植物の宝 て消滅している。村田(2004)は自生か逸出は不明としつつも、 これまでの半世紀にわたる京都府下での調査においてアサザ が発見されなかったことを記している。 村田(2004) 広島県八幡高原(池) S 八幡高原は古くから牧場開発が行われた場所で、さまざまな 牧草導入とそれに付随した移入種がみられる。アサザは低地 の水域に生育する植物であり、標高 800 m 近い場所に自生す るとは考えにくく、移入の可能性が高い. 白川勝信氏私信 1S:短花柱花、H:等花柱花、L:長花柱花。
ている(西廣 2010)。琵琶湖は広大な開水域を有するた めに風の吹走距離が長く、冬季の季節風によって生じる 強い波浪攪乱が東岸のヨシ帯形成の制限要因であること が 指 摘 さ れ て い る( 立 花 1984)。 そ れ ゆ え、 ヨ シ Phragmites australis (Cav.) Trin. ex Steud.と同様に琵琶湖 でのアサザの生育が波浪によって阻害され、内湖や接続 水路あるいは湾奥部などがもっぱらの生育場所になって いた可能性が高い。なお、島根県の宍道湖からはアサザ は記録されておらず、湖とは堤防を隔てた農業水路(学 頭屋川、表 2 の局所個体群 50)に生育するのも同様の 理由かもしれない。一方、諏訪湖や猪苗代湖では、湖岸 に大規模なアサザ個体群が発達する(上杉ほか 2009; 小林 2008;黒沢ほか 2012)。これらの湖沼では冬季の結 氷によって開水域が消失し、強い波浪が起こりにくい。 そのことが大規模個体群の成立を許容している可能性が あり、今後の検討課題である。 生育環境に関する検討を霞ヶ浦でも試みたが、いずれ の標本ラベルも生育環境の記述が不十分であった(表 7)。1958 年に記録された行方市麻生の産地は、同所の 漁港脇に現存する局所個体群と同一のものである可能性 がある。他の 4 産地については、小美玉市を除く 3 産地 がすべて入り江や湾の最奥部に位置しており、これらの 場所は地形的に波浪の弱い環境と考えられる。1990 年 代以降の生育環境について西廣ほか(2001)のデータを 集計したところ、調査年によっての変動はあるが局所個 体群の総数にたいしておよそ 3 ∼ 4 割の個体群が水路状 部に存在していた(表 8)。さらに、1994 ∼ 1996 年のデ ータについては西浦の 10 局所個体群中の 5 個体群が西 岸の湾部(冬季の風上側)に位置しており、霞ヶ浦にお いてもアサザの生育にとって広大な開水域全体が必ずし も好適でないことが示唆される。 なお、霞ヶ浦は 1960 年代に常陸川水門の運用が開始 され、汽水湖から淡水湖に変化した。今回の調査によっ て、かつての汽水湖時代にもアサザが生育していたこと が標本記録から確認された。西浦∼潮来の 1970 年以前 の標本記録は 5 地点だが(表 7)、1994 ∼ 1996 年の調査 ではこの地域から約 15 局所個体群が記録されている(西 廣ほか 2001)。標本記録と個体群調査のデータを比較す 表 6.琵琶湖とその隣接水域から記録されたアサザの産地。 産地(生育環境) 情報源(文献/標本) 備考 西浅井町岩熊(生育環境不明、 湖岸?) 佐々木(1995) 1985-1987い。1994 年以降の調査で再確認できないことから、年の調査結果だが、標本は残されていな 消滅したと思われる。調査地点の図から塩津湾最 奥部の湖岸に生育していたと考えられる。 高島市安曇川町 安曇川河口 藤井(1995)、藤井(2004),若狭ほか(2005)/ S.Fujii 3569、3805、3968(OSA) 1993年に発見。改修工事後の裸地に群落を拡大し たが、遷移の進行にともなうヤナギ林の成立によっ て 1999 年に消滅。現在は短花柱花株のみが栽培維 持されている。 新旭町針江 菅沼内湖 藤井(1994)、藤井(1995) 1992年に発見、1994 年に消滅、原因は不明。標本 は残されておらず、観察および写真による記録。 大津市近江舞子 舞子沼 S.Miki s.n. Sept. 14, 1927(OSA)、S.Miki s.n.
Nov. 13, 1932(OSA)
メモに「小松かや」との記載。「かや」とは内湖 * のこと。
堅田 堅田内湖 北村(1968)/ S.Kitamura s.n. Aug. 1928
(KYO) ラベルに「堅田かや」との記載。「かや」とは内湖 *のこと。
堅田 溝 S.Miki s.n. Nov. 10, 1932(OSA)
膳所粟津 畷ノ沼 C.Takemura s.n. July 15, 1901(MAK) 京阪電鉄粟津駅周辺にあった沼沢地(現在は干拓
されて消失)のことと思われる。 石山寺(生育環境不明、瀬田
川と思われる) C.Hashimoto 9445 May 29, 1942(OSA) ラベルに「石山寺辺町」とあるが、のこととと思われる。地名から判断すると、瀬田「石山寺田辺町」 川に生育していたと思われる。
野洲市吉川(生育環境不明) C.Hashimoto s.n. Aug. 29, 1925(KYO) 野洲川河口付近または琵琶湖岸と思われる。野洲
川河口域は鳥し状三角州による複雑な湖岸線を形 成している。 東近江市栗見出在家 農業水路 藤井(1995)、若狭ほか(2005)/ S.Fujii 3909、3982(OSA) 1994年代に発見された。琵琶湖における唯一の現 存個体群。
彦根市 彦根城 G.Koidzumi s.n, June 7, 1921(KYO) 堀に生育していたものと考えられる。
琵琶湖(生育環境不明、湖岸
と思われる) S.Miki s.n. Jun. 24, 1923(OSA) 産地は不明だが、ラベルに「琵琶湖」との表記があるので湖岸に生育していたと思われる。 * 琵琶湖本湖に接する浅い沼沢地状の水域のこと。水深はせいぜい 2 m 程度。近江八幡市の西の湖、大津市の舞子沼や堅田内湖、彦
根市の曽根沼、高島市浜分沼などが代表例。
ることはできないが、アサザが汽水湖時代に比べて増加 した可能性も考えられる。 アサザの保全には、その生活史特性の全容解明が急務 である。大規模自然湖沼の少ない西日本ではため池や農 業水路が主要な生育環境であると考えられるが(上杉ほ か(2009)の表 1「湖沼・河川名」の項を参照)、頻繁 な攪乱の起こる不安定な農耕地環境において永続的な局 所個体群を形成していたかどうかは不明である。琵琶湖 や霞ヶ浦のような安定な自然湖沼と農耕地のような不安 定な半自然水域とでは、アサザの個体群維持パターンは 異なるものであるかもしれない。霞ヶ浦におけるアサザ の生活史特性については、交配様式(丸井・鷲谷 1993; Takagawa et al. 2006)、個体群の変遷(西廣ほか 2001)、 近交弱勢(Takagawa et al. 2006)、種子定着様式(西廣ほ か 2001;Takagawa et al. 2005)、遺伝的多様性(Uesugi et al. 2007;上杉ほか 2009)などの詳細が明らかにされて いる。こうした生物学的な諸特性が農耕地のような人為 的攪乱環境にどのように対応して個体群を維持している かを明らかにすることが、日本国内におけるアサザのよ り効果的な保全につながると考えられる。また、ここで は検討しなかったが、環境庁(2000)が指摘している、 アサザの全国的な減少要因とされる湖沼開発と水質汚濁 (富栄養化だけでなく、水路やため池の改修および除草 剤使用など)のインパクトを、定量データに基づいて評 価することも重要であろう。
謝 辞
本研究を進めるにあたり、標本閲覧、文献閲覧、試料 採取、情報の提供について以下の方々と機関のご協力を 頂きました(アルファベット順、敬称略)。海老原 淳、 藤井利衣子、藤井俊夫、長谷川匡弘、上赤博文、加藤英 寿、狩山俊吾、木下 覺、國井秀伸、黒沢高秀、永益英 敏、成迫平五郎、西廣 淳、志賀 隆、白川勝信、首藤 光太郎、鈴木盛智、竹中真理子、鵜沢美穂子。福島大学 理工学部(FKSE)、茨城県自然博物館、国立科学博物館 植物研究部(TNS)京都大学総合博物館(KYO)、三重 県教育委員会、日本万国博覧会記念機構、大阪市立自然 史博物館(OSA)、首都大学東京牧野標本館(MAK)。 また、兼子伸吾氏には解析について有益な助言を頂きま した。記して感謝します。本研究は「(財)福武学術文 化振興財団第 27 回(平成 23 年度)歴史学・地理学助成 表 7.霞ヶ浦(西浦)とその隣接水域から記録された 1970 年以前1のアサザの産地。 産地(生育環境) 証拠標本 備考 小美玉市玉里付近(旧玉川村) 霞ケ浦附近(生育環境の記述 なし)Y.Tsurumachi s.n. Aug. 25, 1934(OSA) 「附近」という表現から、霞ヶ浦そのものではない
可能性がある。 土浦市土浦(生育環境の記述
なし) S.Matsuda s.n. no date(KYO) 採集者の松田定久氏は 1921 年没のため、それ以前の採集と考えられる。
稲敷市(旧十余島村)(生育環
境の記述なし) Y.Narita s.n. Aug. 26, 1924(TI) 潮来市潮来(生育環境の記述 なし) T.Makino s.n. 1916(MAK) 行方市麻生(生育環境の記述 なし) M.Suzuki 973-975 June 19, 1958物館2) (茨城県自然博 現在は遠浅の砂浜湖岸に大規模群落が成立してい る。以前にそのような群落はなかったとの聞き取 り情報があり、大規模群落が継続的に存続してい たわけではない。 1 1960年代に霞ヶ浦の淡水化が始まったことと 1990 年代からアサザの植栽事業が行われているため、1970 年以前の標本情報を集 計した。 2 ここで示した標本の他に、1970-1971 年に採集された潮来町、桜川村古渡、北浦(鹿島町大船津、大洋村札、神宮橋東)の標本が 所蔵されている。 表 8.西廣ほか(2001)の調査による霞ヶ浦周辺におけるアサザの生育地点数。 環境 地域 調査年 1994-96 1999 2000 広大な開水面 西浦(upper from Sakaijima*)
10 6 4 北浦(upper from Kawamukae) 8 4 4 潮来(Fukushima, Tsukisu & Ipponmatsu) 3 1 1 水路状部 (Mishima, Nasanden ∼ Ikisu) 13 5 5 *アルファベット表記の地名の位置については西廣(2001)の Table 1 および Fig.1 を参照。
金」、科学研究費補助金基盤 B「沈水植物復活阻害要因 の解明と復活後の持続的生態サービス利用に関する研 究」(課題番号 24310053)および科学研究費補助金基盤 B「水生植物アサザを用いた科学的リファレンス像の構 築に関する研究」(課題番号 26281051)の助成を受けて 行いました。
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産地(局所個体群,栽培維持株) 遺伝子型 NP306 NP641 NP694 NP382-2 1 秋田県 秋田市男潟 [S] 180 196 226 238 168 168 133 133 2 宮城県 伊豆沼(水路) 180 180 226 238 168 168 133 133 3 福島県 猪苗代湖白鳥浜 180 196 226 238 168 168 133 133 4 猪苗代湖鬼沼 180 196 226 238 168 168 133 133 5 猪苗代湖西岸(保) 178 178 226 226 156 156 133 133 6 松川町(ため池,逸?) 180 180 226 238 168 168 133 133 7 茨城県 霞ヶ浦 AFHJ(保) 180 205 224 226 154 168 131 131 8 同上 BC(保) 180 180 224 238 159 176 131 131 9 同上 K(保) 180 180 224 226 154 168 131 133 10 同上 L(保) 180 180 226 238 159 176 131 133 11 同上 M(保) 180 180 224 238 154 176 133 133 12 同上 N(保) 180 180 226 236 159 176 131 133 13 同上 O(保) 180 180 226 238 176 176 131 133 14 同上 P(保) 180 196 238 238 154 176 133 133 15 茨城県 美浦村霞ヶ浦(湖岸) 180 180 224 226 176 176 131 133 16 美浦村霞ヶ浦(水路) 180 180 224 238 159 168 131 133 17 かすみがうら市霞ヶ浦(湖岸) 180 180 224 238 159 168 131 131 新治郡玉川村 [S] 178 178 224 224 - - 131 131 18 千葉県 手賀沼(保) 180 180 226 238 176 176 133 133 19 我孫子市(ため池,逸) 178 178 226 226 156 156 133 133 新潟県 新潟市北山 [S] 178 178 - - - - 133 133 20 新潟市鳥屋野潟 [S] 178 196 226 226 159 159 133 133 21 長岡市(水路,逸) 180 180 226 238 159 159 131 131 22 同上 [S] 180 180 226 238 159 159 131 131 23 長野県 木崎湖 178 196 226 226 159 159 131 133 24 諏訪湖 178 196 226 226 159 159 131 133 25 愛知県 弥富市筏川 178 196 226 226 156 159 131 133 26 同上 176 178 226 226 159 159 131 133 27 同上 178 196 226 226 159 159 131 133 28 同上 [S] 176 178 226 226 159 159 131 133 29 愛知県 海部郡八開村 [S] 178 196 226 226 159 159 131 131 三重県 四日市市 [S] 178 178 - - - - 131 131 30 南勢町 [S] 178 196 226 226 159 159 131 131 31 多気町(ため池,逸) 178 178 226 226 156 159 133 133 32 滋賀県 高島市安曇川河口 176 196 226 226 156 156 131 133 33 同上 [S] 196 196 226 226 156 156 131 131 滋賀郡小松(内湖)[S] 178 178 226 226 - - - -34 東近江市(水路) 178 178 226 226 156 159 131 133 35 同上 178 178 226 226 156 162 131 131 36 同上 [S] 178 178 226 226 156 159 131 133 37 滋賀県 金勝村(ため池)[S] 178 198 226 226 156 162 133 133 京都府 巨椋池 [S] - - - - 156 156 131 131 38 八幡市(逸) 176 178 226 226 159 159 131 133 39 大阪府 茨木市大正川(逸) 176 178 226 226 159 159 131 133 40 吹田市万博記念公園(栽) 178 178 226 226 156 159 133 133 41 大阪市天王寺公園(栽) 180 180 226 238 159 159 131 131 同上 [S] 178 180 - - - - 133 133 兵庫県 尼崎市(水路)[S] 178 178 226 226 - - 131 131 42 明石郡林崎村 [S] 198 198 226 226 159 162 133 133 43 兵庫県 稲美町(ため池) 176 178 226 226 159 159 131 133 44 姫路市(栽) 178 178 226 226 156 156 133 133 45 和歌山県 和歌山市(水路) 176 178 226 226 159 159 131 133 46 徳島県 阿波市(ため池) 176 178 226 226 159 159 131 133 47 鳥取県 鳥取市(栽) 180 180 226 238 159 159 131 131 48 岡山県 浅口市 178 196 226 226 159 159 131 133 49 倉敷市 178 196 226 226 159 159 131 133 付表.マイクロサテライト 4 遺伝子座の遺伝子型。数字は PCR によって得られたマイクロサテライト領域を含む DNA 断片長である。
産地(局所個体群,栽培維持株) 遺伝子型 NP306 NP641 NP694 NP382-2 50 島根県 出雲市(水路) 178 196 226 226 159 159 131 133 51 佐賀県 佐賀市嘉瀬町(水路) 178 178 218 226 160 160 133 133 52 同上 178 178 218 224 160 160 131 131 53 神埼市中地江川 176 178 224 226 164 164 133 133 54 佐賀市鍋島町(水路) 178 178 226 226 156 156 133 133 55 宮崎県 延岡市(保) 178 178 226 226 156 156 133 133 56 M社(販) 180 196 226 238 168 168 133 133 57 S社(販) 180 196 226 238 168 168 133 133 58 I社 1(販) 180 180 226 238 159 159 131 131 I社 2(販) 172 172 226 230 - - 133 133 59 I社 3(販) 178 178 226 226 156 156 133 133 60 H社(販) 178 178 226 226 156 156 133 133 61 A社(販) 178 178 226 226 156 156 133 133 62 T社(販) 178 178 226 226 156 159 133 133 [S]:標本資料、(保):系統保存株、(栽):栽培品、(逸):逸出またはその可能性が高い局所個体群、(販):販売株。 霞ヶ浦の A ∼ P は国交省が保存管理している系統名称。 左端の番号は表 3 に対応。無番号のデータはクラスタ解析に用いていない。 付表.続き