Author(s) 棚原, 健次
Citation 沖大論叢 = OKIDAI RONSO, 10(1): 161-216
Issue Date 1970-09-28
URL http://hdl.handle.net/20.500.12001/11029
Rights 沖縄大学
不安、倒 腕
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母親に対 Lては 教育の仕方が悪い、子供っぽい、馬鹿にさおでい るみたい、真面目な話しはしない。15才。 2年生I学期に那覇の某中学校へ転校、転校の理由 '
母親の近くで生活すると母みたいな入聞になっIてしまいそうで、一緒に 生活できない。自分の生活には趣味があり、小説を読み、楽しい生活がで きる。普天聞では洗濯物もあり、何かと不自由であった。那覇の祖父のど ころではなんでもやってくれた。那覇では祖父の家とは別に一人間借り した。那覇で友人も多くなった。母はよく食料品を持参してくれたb
16才。東京の某中学へ3年1学期に転校、転校の理由。 自分の自由な 生活。趣味が生かされる。図書館も利用できる。また文通の友もあり、沖縄 よりもためになる生活と思った。間借先一一実母の知人Mさん方に世話に なる。母親とは下宿代以外にお小遣い壱万円の送金を約束したが、母親の 送金は五千円であった。高等学誌受験間際になっても五千円の送金しかな かった。その頃学期末テストもどうでもよいと思った。おばさん(下宿 先)から前借りして、勉強はせずに映画をみたり、遊んでばかりいた・一学 期末テストはなにくわぬ顔で受験した。
母親には受験前だから、お金を弐万円ほど送るよう頼んだ。もし送金し ない場合は、自殺するぞという手紙を出した噌母の返事はお金とは関係の ない、また自殺とは関係のない手紙同かり三度もよこした。ニ度目の手紙 までは開封して読んだが、三度目は開封もせずにそのまま置いてあった。、
恐らく担任の先生からは、受験の心配等ないような手紙を母親に出して いたのかも知れない。担任の先生は受験前に心配して、 「勉強はしている か」ときかれた。すでに担任の先生は、四つの高等学校に願書を提出しで あるので、先生には悪いと思った。先生が決めた学校で、自分の決めた学 校ではなかった。自分は都立の高校に受験希望であった。母がそういう調 子だから、受験希望校も云わなかった。また受験、しないと決めていたの
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で、先生にも相談していなかったが、担任の先生は願書を提出してあっ た。
卒業の準備や高校受験間際、クラスの写真撮影やピクニツクにも友達と はっき合わないようにした。それは自分が自殺した後、友達に悪い思い 出を残さないようにした。母は最初の高校受験前日に上京していたが、僕 は受験票を下宿先の自分のテーブlレの上に置いたまま、高校受験をせずに ぶらぶら出歩いた。母は数日関東京に滞在、昼は本人の下宿先で帰りを 待ち、夜は旅館で宿泊していた。昼は母が下宿先で待っているので、あ ちこち出歩き、夜は隣家の車庫で寒い夜をぶるぶる震えながら明かした。
また下宿先の窓を這い上って部屋に入ったこともある。朝は早く起きて外 を俳個、母親の目を避けた。丁度受験の終了した翌日、下宿先に帰ってみ たら、母が待っていた。そこでまた母親と喧嘩になり、下宿先を飛び出し て、しばらく母と会わないようにした。その後母は下宿先のおばさんにお 金を預けて沖縄へ帰ったらしい。丁度その頃受験しょうかしまいかとあや ふやな気持があったので、最後の某高校に受験することにした。当日受験 場へ行ったところ、もう試験がはじまっていた。受験にも遅刻、いやな気 持で、なにか心がむしゃくしゃしていたので、面接は受けずに帰った。そ れからその日立川まで行って、立川から氷川の山奥に入って、絶対に死ぬ つもりで行った。その日は雪も積っていた。自殺に行く途中、どうせ死ぬ のだからと、渋谷のレストランで弐千円程度の食事をとり、それから自殺 に必要な睡眠薬ー瓶と包丁一個を買った。睡眠薬を飲んで身投げするか、
あるいは刃物で首筋を切って死ぬか、いずれにしてもその準備をして持つ ていた。
氷川の山奥へ行く途中、証拠品を残さないように、ポタン、パッジ、お 金壱千円余り、途中の小川に投げ捨てた。山奥へ行く途中、人生がおしい ような、もったいないような感じがして、もう一度やり直してみたいと思 ったので、下宿先へ帰るつもりで山を下りた。電車賃もないので氷川の交
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不安の研究
番所でお金を貸してくれと頼んだところ、自殺の理由は云なわかったが、
住所、氏名、電話番号を知られてしまい、直ぐ電話で下宿先のおばさんに 連絡され、自殺企図の理由を知ったらしい。下宿先のおばさんも呼び出さ れ、また自殺の理由をきかれた後、下宿先へ帰えるように言われたが、お ばさんは一晩そこで泊めるよう頼んでいた。おばさんは自分の家に連れて 帰えるのを拒否しているようであった。それで一晩警察署に泊った。
翌日担任の先生と国語担任の先生が見舞いに来られた。警察署では精神 的診断が必要であろうと云っていた。そこで先生方に付添われて児童相談 所を訪ねたが、生憎専門の先生が不在なので、精神病院へ連れて行かれ た。精神病院で、先生が「お前はまだ自殺したいか」と関われたので、、担 任の先生方もいらっしゃるし、男の意地もあって、 「また自殺します」と 答えたら、そのまま在院することになった。その後卒業証書は担佳の先生 が病院へ持参してくれた。
病院には翌年の一月まで約一年近く入院させられた。病院に居るのがい やで、どうしたら逃げられるか、毎日脱走計画をした。一度は脱走してお ばさん(下宿先)のところへ逃げ帰ったら、またおばさんに連れ戻された。
病院では毎日食事前に意識がぼうっとして眠りたくなるような薬ばかり飲 まされた。その薬を飲むとテレビや文字も見えなくなる。毎日がいやであ った。薬の時聞になると飲んだふりをして吐きすてることがよくあった。
なんでもないのに精神病院へ入れられた。精神病院へ入れられて、人から 低く評価されるのがいやであった。今なら犯罪を犯したのだから、正々堂 々と刑務所へ入れるが、その当時はなんでもないのに精神病院へ入れられ たり、少年院へ入れられた。刑務所ならよいが、精神病院へ行くのはいや である。
自殺についての主訴
僕は自殺について純粋に考えていた。非常に感情的になっていた。人生
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をずるく生きることが出来なかうた。自分ではおかレいと恩わない。自分 では純粋だと思う。当時は単純であった。あの時はあ礼マしか日人生は知ーら なかった。自分の行動は感情汚しかなかった。
勿論友人との競争必もあヮた。また友達之一緒の学校へ入学したいと思 った。自分の希望績は都立の高校であうたが、先生には成績,が悪いと叱ら れたこともある。母からの送金は五千円しかないので、敢ゑて友達との交 際ち避けて孤独広なろうとした。学校怠休む日もあり、勉強する気にもな れなかった。自分の希望する学校に行けないことは絶望感と落胆だけであ」
った。勉強しようにもできず、また母親の送金も少なかった。自分には学 校内行ける龍力はあるのに、金もなく残念で《 やしかった。
日が経ーつにつれて頭は i雲うっとして憂うつ状態の毎日が続き、自殺しか 考えられなかうたσ 覚悟したら真草ぐ行く性格なので、 自殺の怖わさと いっても、自分でもよくわからなかった。たY苦しいことだけだった。ーそ の当時は高校に進学するだけが生き甲斐であった。高校に進学できなけれ ば、自殺すTる以外はないと思った。自分の能力がなければ進学もあきらめ
るが、.自分
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まそうではなかった。毎日が無力さと虚無状態であった。警察官に高校入学の受験日時をきかれでも間違った日時を答えてしまう 状態であった。4 ぽうっとして頭の底が抜けている感じ。抜け殻みたい。自 分の・言1つでいることが普通と違つでいるみたい。言っていることが他人と 違ぅ
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いるみたい。頭がへんになっているみたい。頭がぼうっとして心が むbゃぐしゃして、それが心の底にあるみ!たいでくやしかった。17‑18才。昭和幼年3月中旬某精神病院入院、昭和41年1月 中 旬 退 院、昭和41年2月沖縄へ帰省。母とも相談して、もう一度勉強して高校へ 再受験するために上京した。 昭和41年3月、東京上野のカーテンの卸問 屋に住み込みで働いた。はじめは卸問屋の主人にも信用されてよく働いた が、ー勉強して進学したいという意志もあったので、間借りして勉強したい
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冴噴の研究
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とl思pった。ある目冗談半分に職場をやめたいと嘗坦たら、お〈奥さ、んが
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や めたけりゃやめなさい」と云ったので「やめます」と言ったらJ生意気な 口をきいたと云って口論になり、やめてしまrった。退職しでも給与はくれ なかった。給与額は後日Mおばさん(中学時代の下宿先〉が貰つでで保管し ていたらしい.カーテン屋をやめて金もないので、 Mさんのととろh 行き、横浜めE子 おばさん〈実母の知人、某学校勤務〉のところへ行:くから電車賃を貸して もらうよう依頼した。ととろがMさんは横浜のK子さんに、当人が横浜へ 行きたい旨を電話したらしく、横浜のK子さんは、横浜に来ないよう、も とのカーテシ屋で働くことをす』め、 Mさんにも電寧賃ぽ貸さないように とのことらしかった。仕方なくMさんのところで電車賃を貸6してくれるま で三日間ねばった。昼間はMさんのところへ行き、夜は母校の某中学校の 教室に忍び込んで寝た。一度は管理人に:みっかり、事情を話すと同情して 砂糖水を御馳走してくれた。三日間も母校に泊った。食事もとらずにふら ふらしていたが、近くにあった自転車に乗って、横浜町K子 さ ん・の勤務先 に行ったが、休日で合えなかった。住居は知らないので訪ねて行くことが 出来なかった@
そこで東京の児童相談所へ行くつもりで、自転車に乗って東京へ行く途 中、警察官に呼びとめられ尋問された。丁震靴、衣服、 ー自転車も泥にまみ れて、頭髪もむしゃくしゃしていたので不審に?患い、 乱職 務・尋問したと思 う。そして昭和41年6月28日に自転車窃盗で逮捕された。おばさんの
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王子 さんも呼び出されて叱られ、泣いていた。 K子さんは到受人を拒否レてい た。その後裁判をニ回受け、鑑別所...""おくられた。更に医療少年院におくられ、約一年半後医療少年院(昭和42年11月〕を退院して、昭和42年四月 に沖縄へ帰省した。
沖縄へ帰省してみると母達はアメリカーへの渡航準備をしていた。一緒に アメリカへ控航するために Chris師 'nSc.加01め特別クラスJこ入学して、
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昭和42年12月 昭和43年6月まで英語の勉強をした。 6月以降、 Christain Schoolは夏季休暇に入るので、本人は日本内地でアIレパイトをしながら アメリカへの渡航を待つことにした。しかし9月を過ぎても母親からはな んの連絡もなかった。その後母親の連絡は渡航の変更と延期の通知だけで あった。その間本人は10月まで理髪庖や荷役運搬をしながらアメリカへの 渡航のパスポートを待ったが、それでも母親からの連絡がないので、沖縄 へ帰省してアメリカへの渡航手続を確めることにした。しかし沖縄へ帰省 するパスポートは自分の荷物と一緒に横浜のK子おばさんの家に預けてあ った。そこへ自分のパスポートを取りに行ったが、みつからず、またK子 おばさんも知らないという。
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おそらく母親の依頼で、本人を沖縄へ帰へ さずに東京に留めておくために、 K子さんが沖縄行きのパスポートを取り 上げて保管したのであろうと思い込んでいる。」本人は仕方なく自分の保護司に頼んで、沖縄行きのパスポートを作成さ せ、 10月に沖縄へ帰省した。那覇に着港すると直ぐ領事館へ行き、アメリ カへの渡航手続きがなされているかどうかを確めてみたが、自分のものだ け手続きがなされていなかった。そのことを母に話したら、母は変な顔を
していた。
19‑20才。母はもともと好きではなかった。第ーに約束を守らない。精 神病院退院後、高校に進学させると云いながら、それも出来ない。今度の アメリカへの渡航についても母にだまされた。そのことについて喧嘩にな ったが、結局一緒にアメリカヘ行くことにした。しばらくして義父と母の パスポートは出たが、本人はパスポートが出るまで待つことにした。しば らくして義父と母はアメリカへ渡航した。本人はパスポートが出るまで某 ホテノレで泊ることにした。最初は一週間ぐらいと,思ってホテルに泊った が、その後一ヶ月以上待たなければならないということであった。それで ホテルに宿泊すると生活費が高くつくので、昭和44年1月にコザ市の某方
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不安の研究
に間借りした。昭和43年12月に那覇の某自動車練習所で寧の運転練習、以 前から運転の仕方は知っていたので、約20日間練習して運転免許証をもら った。その間よく琉米文化会館へ図書閲覧に行った。昭和44年3月殺人事 件で逮捕されるまでコザ市の某方で間借生活をした。
Z 犯行一週間前の行動
コザ市字上地の間借先へ移転してからは、不規則な毎日で、時計も見な いので日時もはっきりしなかった。殆ど家に閉じこもることが多く、食事 は食堂へ行って食べたり、自炊したりした。生活費は殆ど食事に当てた。
生活費は祖父のところへ毎月百ドル貰いに行った。生活費をくれるのは当 前と思う。アメリカへ行くのを阻止したのは祖父とお母さんである。兎角 生活費には困らなかった。お金はなにもすることがないから食べることに ついやした。
毎日が寝たり起きたりの生活で、日時もわからなかったが、琉米センダ ーへ行って
L i f eS c i e n c e
を読んだり、いろいろ勉強した。家ではラジオ〈アメリカンスクール、
KSBK
の電話R e q u e s t
等〉を 聞いたり、睡眠学習機をラジオにつなぎ合せて聞いたりした。その他、音 楽レコードも聞いたが、残りの時聞はもてあました。その他エロ雑誌を読んだり、女の裸体写真を天井にはりつけて眺めた り、様々の裸体写真をベニヤ板にはりつけて、それを天井からつるして眺 めたりした。別になにもすることがないから、女性の裸体写真を手で触れ てみたりした。オナニーは一週間続くときもあり、一日置きもあった。し かしエロ雑誌、女性の裸体写真、オナニーにも大して興味はなかった。ま た実際に女性に関係しようとも恩わなかった。以前にも実際女性と関係し たことはなかった。機会はあったが、別に関係してみようとも恩わなかっ た。むしろそういうことは自分自身避けた。
ただ裸体写真等をみると、動物のそれとどう違うかよく空想した。特に
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人聞の内部構造、特に女性のそれを実際にみたいもという・興奮は抑制出来な かった。実際手で触れてみたかった。
身体の解剖については中学校時代から興味があった。動物では魚、.鶏、
蛙等については、学校の実験でもよく解剖したし、また友人の家でもよく やった。特に解剖には興味があった。機会さえあればいつも解剖実験をし た。蛙は生きたまま思う存分解剖した。どういう具合いに心臓も動いてい るのか、内部構造を見るのはすごく興味があった。
最初は何か事件を起してみたかった。大体一週間前(犯行一週間前〉に 殺人を決心したと記憶している。
毎日不規則な生活をしてイライラしているから、いろいろのことを考え ていると悪いことをやってみようと思った。悪いことをしてみようと思っ たのは、新聞とか週刊誌をみて、それを読んだときから悪いことをした くなった。自分の過去の不公平な苦しみ(精神病院、少年院在院〉を考え ると悪いことをしてみたかった。少年院退院後、人を殺してでも生きぬき たいと思っていた。
悪いことをやったら、何かいいことになると思った。社会に悪いことを させられたから、社会に悪いことをしてみたいと思った。それから悪いこ とをすることによって、何か人間という動物を勉強するような考えが出 た。それから悪いことが、どんな形の残酷さでも、もしそれがばれなかっ たら、人間というものがどうわかるかと。
一番感ずるのは、勉強するような感じ。何か一つ学ぶ感じ。
それから外国へ行っても、自分の過去のことを、そういうこと(殺人〉
をやったことによって心が慰さめられるから……
1[:慰さめられるとは」
今まで損ばかりした人生を
友人遣はみな大学へ行っているのに、僕一人は20才になってもぶらぶら
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不安の研究
してなにもわからない生活を送っているから。このような損した人生を、
そういう残酷な悪いことで、気がすみ、慰さめられる感じ……それから意 味のわからない強制された生活ばかりさせられているから、それに反按を 感じた。
普通の人は、自分の思う通り選んだ進路であるから、強制された生活で も我慢するであろうが、自分の場合、そうでないから不公平である。
それから人聞という動物はどんな動物か、つまり人間とはどういう存在 であるかといえば、社会の人間のいろいろの栄えかた、亡びかた、それは 正しいとか悪いとかに関係なく、その環境の条件によって変る。つまり自 分のいいようにすれば得をする。僕は生命もすべて物質の化学的変化によ って動いていると信じている。だから悪いことをしても決して損ではな 1t、。
僕は日本のある一部分の人々が憎いから、それがどうであろうと、どう なろうと、僕には関係ない。
〈日本の一部分の憎い人々とは、精神病院、少年院へ入院させられて、
精神的に不公平な思いをしたこと〉
それでも自分は新しい社会へ住みたい。そして人生の再スタートをしたい と思ったけれども、過去の損したこと、そのままほっておくことは気が務 まなかった。またくやしいと思った。だからある悪いことをしたら、気持 が慰められるだろうと思った。
犯罪を犯して、もしぼれなかったならば、他の人々よりも、何か変った 精神観を持つだろうと思った。人聞の過去の歴史において、感意的な神と か、罰とか、迷信とか、これをみな証明することが出来るからである。
それからこの世の中で、生物の化学変化や構造を絶体的に証明されてい るか、ある一部の人聞は証明されていると信じている。この事件〈殺人〉
を犯すことによって一人の人間の生きているという化学変化が止められた と人々は感じている。それは小さい時に考えさせられた迷信がみな解決で
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きるからである。小さい時に教えられた迷信を自分で実際実験的に解決で きる。
それからもうそんなこと(迷信〉は殺人を犯さなくとも、もうとっくに わかっているものだけれども、どうせそれも過去の復響のついでの気持で ためしてみることにした。
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社会に対する復讐という殺人によって、迷信、お化け、罰等を実際に 証明したい〉小さい時よく迷信とかお化けの話しをきかされ夢でよくうなされた。そん な教育のされかただから、今考えるとつらい思いだった。小学校の時には そういうつらい思いがあった。そのような迷信にいじめられた。もし迷信 を信じ込んで一生を暮したら、人間というものをよく知らずに、不幸な人 生を味わってしまう。だから小さい時はどうしても迷信を解決したかっ た。小さい時はこの迷信が怖わかった。正しいことも迷信に曲げられてい るからである。
本当に、いま子供時代の迷信の怖わさをよく知っているけれども、殺人 したらずっと心に焼き付けられるかどうか、殺人したいついでだから、悪 いことをしたいついでだから、その迷信をもう一度証明してみたかった.
しかしそのことはそう大きくは考えていなかった。それより大きく考えて いたことは、自分はいままで正しいことばかりやってきたから、悪いこと をされて(精神病院、少年院へ入れられたこと〉損をした。まだ本当に悪 いことをしていないので、本当に悪いことをしてみたかった。本格的な悪 いことをしてみたかった。それにむしゃくしゃしてイライラした生活をし ていると、そういうことを考えた。
殺人計画をする前にいろいろのことを考えたが、なに一つ相応しいもの はなかった。結局殺人だけであった。一人の人聞を殺すことはたやすかっ た。一番効果的だと思った。 また騒ぎも大きくなるだろうと予想してい
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た。人々が騒ぐのも計算のうちに入れていた。
それに三億円強盗事件を新聞や雑誌で見たとき、それがきっかけになっ た。それはやる気を起させた。この三億円事件は、以前に僕が入所してい た少年院の近くで起った事件で、自分には非常に興味があった。またそこ の地理も詳しく知っている。 この事件が理想的なやりかただと思ってい る。
毎日ぶらぶらしてイライラした気持があって殺人計画をした。自分はな んのために生きているのかわからない。それで殺人を計画した。あの三億 円強盗事件の犯人を、僕は尊敬している。あのスリル、そういうものが社 会にあってもいいという気持があった。そういう人間(三億円強盗事件の 犯人〉でも闘って生きているのだから、ある見方では人間的に正しいとい える。
多分社会の人達も三億円強盗事件を悪どいと思わないだろう。悪どい人 と思うよりもすごい奴だと思う人が何人かいるであろう。
三億円強盗事件の犯人のやった行動は正しい。損をしているのは圏全体 で、三億円というのは個人にとってはショックだけれども、人は欲望をも ち、本能的に動いているからときにはその償いを受けるのがよい。三億円 強盗事件みたいに、大衆を騒がせてみたいために殺人計画をした。そして ばれないように計画した。
ついでに人間の内部構造も調べてみたかった。それから女性の体もみた かった。迷信とか人間の感情について知りたかった。人を殺して自分の感 情をどう判断するか、感情の判断を勉強したい感じ。普通には殺人は出来 ないから、こういう機会に探偵映画にみられるような、また平気な気持で いられるようにしてみたかった。 普通の人は事件を犯すと、表情(顔つ き、目っき、手がふるえる等〉にあらわすが、僕は関係のないような表情 をしてみたかった。捜査する人達の動きと社会の感情を知りたい。
殺人は過去の惜しみ、つまり社会に対する復響である。自分がアメリカ
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へ行って、自分の過去を思うときがあったら、そういう殺人事件で自分を 慰めることをつくっておきたかった。この社会は競争の社会である。殺人 を犯すことは自分では正しい。社会から見れば悪いかも知れない。僕はな んでもないのに精神病院へ入れられたり、少年院へ入れられたりした被害 者である。殺人しなければ気が済されない。殺人のついでに得をしたかっ
た。実際に女性の陰部に触れ体験できる。手術用具があれば実際解剖した かった。いろいろ得をする。アメリカへ行っても、日本内地へ居ても、そ のような事件は起さなかったであろう。沖縄には条件がそろっていた。第 一にアメリカへの渡航手続きもずっとずれている。手続きのおそいのもそ の理由の一つである。
最初殺人を我慢しようと思ったがどうにもならなかった。その気持(殺 意〉を仰えて、何か外のこと、スポーツとか、精神的に刺激になること で、免角なんでもよいから、それで解消しようと思ったが、それはあまり 日時が長くなるので駄目であった。抑えようと,思ったが出来なかった。ハ ワイ渡航の日を待つ時聞がながかった。
もしアメリカへ行って勉強もできなければ、兵隊に志願してベトナムへ 行き、殺人したほうがよいとも考えたりしたが、毎日がぶらぶらした目的 のない生活であったので殺人計画をした。殺人を犯すならば後悔しないよ うに考えた。その計画中の考えやそれを実行に移すことに怖いという感情 はなく、ただ成功を考えた。過去に沢山のいろいろの苦しみを我慢して耐 えてきたので、殺人するのは訳ないと思っていた。またそうなっていた。
人のことはどうでもよいと思った。自分が生きれるかが問題であった。人 を殺さないと一生自分の気持がおさまらないような気がして、この殺人計 画から逃れることが出来なかった。
最初薬品による殺人を考えて琉米親善センターで百科事典、生物辞典、
化学辞典とかそれに関するものを読んだ。事件の約一週間前から薬品関係
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の図書を読んだ。それから爆発物、ピストノレによる殺人も考えてみたが、
それは直ぐあきらめた。次に考えたのが青酸カリとシンナーであったが、
それもあまり効果がなく便利ではないと思った。それで最後に決めたのが ハンマーであった。ハンマーに決めたのは、僕が小さい時、家の中にスズ メがニ羽、雌と雄が飛び込んできたので、窓ガラスを閉めて逃げまわるー 羽のスズメを棒で一発頭を打つとーペんに死んでしまった。頭から血を出 して床に落ちた。死んだスズメをもうー羽のスズメが眺めていた。丁度本 事件の被害者とよく似ている状況であった。この実験が本事件にハンマー
を使用する動機にもなった。
薬品による殺人をあきらめて、ハンマーによる殺人を決定。コザの金物 底で手頃のハンマーを購入した。ハンマーには布を巻きつけ、麻縄で縛り
つけかえり血を浴びないように工夫した。ドライプの初日からスーツケー ス、シーツ、洋服生地三枚、タオル、ヒモ、紙袋等殺人に必要な用具を準 備所持していた。殺人計画の一週間はそのことばかり考えた。
2月21日 貸自動車三菱ミニカを48時間 (2月21日‑ 2月22日の二日間契 約〉借用、コザ、那覇、糸満、小禄方面をドライブ。
2月23日‑ 2月24日
48時間契約で貸自動車を借用、ドライブの経験が少ないので、はじめは 運転が上手になるまで練習し、最後の金がなくなりかけるころに狙うよ
うにした。
2月25日‑ 2月26日
貸自動車を借用、犯行の機会を狙ってドライブを継続、中南部をドライ ブ中車の故障ニ因。
2月27日
実際に殺人を実行しはじめた。夕方、小禄で襲うつもりで小学校5、 6 年の女の子を狙ったが、可愛想な気がしてやめた。 1メートル先まで彼
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女に近づいたが、その女の子はカトリック教会から出て来たので出来な かった。またそこには教会があったのでやめた。 やろうと思えば出来 た。自分も教会に通ったことがあるという。 それから午後7時か8時 頃、中学生か高校生らしいGパンを着けた一人の女の子が道を通ってい たので近づいたが、ちらつと見たところ友人の妹に似て身なりがよいの で、可愛想な気持がしたのでやめた。殺人をするなら薄ぎたない幸福そ うでないものをやろうと思った。その日は那覇方面をドライブして帰っ た。
2月28日
午後3時30分頃から午後 4時30分頃、
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城村0 0
部落から同村字0 0
原に通ずる道路上で下校中の某
K
子(当12年)000
小学校5年生を発 見、乗用車から下車して徒歩にて接近、人影のないのを見計らって、所 持していたハンマーで頭部を殴打、倒れた同女を草むらに引摺り込み、なお哨くので2、3回殴打した。ポコツトやってから、可愛想、だという 気持で動揺した。可愛想だという気持、ただそれだけ。可愛想だという 気持は抑えようと思えば抑えることも出来たが、被害者の年令を考える と可愛想だった。殺人の前にも可愛想だと思ったが、しかしながら、ど うしてもやるべき宿命であり、信念であった。一度決めたら実行する。
宿命というか信念というか気持の表現はしにくいが、そういう気持であ った。殺人後は疲労もしていたのでいやいや性のいたずらした。その後 死体をスーツケースに詰め、乗用車に乗せて、コザ市
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の間借先に運 んだ。そこで三回ほど Sexを試みたが、そう興奮はなかった。 いろい ろいたずらもしてみた。一晩死体と夜を明かした。3月1日
従兄弟の小型乗用車スバル360を午後 3時までの約束で借用、死体を名 護方面へ運搬する予定であったが、乗用車の借用時間も少ないので、
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村多幸山入口附近の米軍基地の山野に穴を掘って死体を埋めた。‑ 182ー