東北地方の進出工場の定着に関する研究
著者
日野 正輝
東北地方の進出工場の定着に関する研究
A Study on embeddedness of branch plants in Tbhoku Region,
Japan 文部省科学研究費助成金(基盤研究(C) (2)) 研究成果報告書 (課題番号10680075) 平成12年3月 (2000年3月) 研究代表者 日 野 正 輝 Masateru HINO (東北大学大学院理学研究科・教授)
はしがき 本報告書は, 1998 ・99年度において交付された文部省科学研究費補助金(基 盤研究(C) (2)) 「東北地方の進出工場の定着に関する研究」 (課題番号 10680075),代表日野正輝に基づく研究活動の報告である。 本研究は,産業の空洞化が危倶された1990年代の東北地方の工業の動向と 進出工場の実態について調査したものである。東北地方は安価な労働力と工場 用地を求めて進出した労働集約型の工場を多く抱えていたために,当地方の工 業生産活動は発展途上国での生産に代替されやすいと見る向きがあった。事実, 1993 ・ 94年には生産機能の海外移転を含めた進出工場の縮小・再編と下請け 工場の閉鎖などが新聞記事となった。 しかし,実際に大企業の進出工場においてリストラが行われた地域を訪れる と,中小の進出工場および地元企業が生産を縮小しながらも存続していた。そ の姿は景気の変動や安価な労働力を求めて簡単に移動する工場ではなかった。 また,地域経済の特定工場-の依存性は重厚長大型の企業城下町のように高く はなかった.そのようなことから,東北地方の工業は一般に認識されているほ ど脆弱なものでないように思われ,その点を確認する必要性を感じた。
ミ;三三竺≡二三…≡丁三三≡三幸≡':-誓二三子≡≡…≡≡: -I: -I:
生産体系の末端機能の立地,あるいは大企業のなかにあっては企画・開発・設 計・試作機能を持たない量産部門の進出と地元で組織した下請け工場群の存在 などから周辺的性格を強調する意見である。いま一つは,そうした周辺的性格 を認めつつも発展的側面を指摘する意見である。ただし,後者の発展的側面は 特定の事例・地域に基づて指摘されたものであって,それがどの程度の広がり をもって展開しているのか,またその態様および経緯についての事実確認など は十分でなかった。したがって,東北地方の工業化について,特質の変化を含 めた全体的傾向と個別地域の実態調査から得られる多様な現象形態を関連づけ て把握・理解することが求められているように思われた。1研究組織 研究代表者 日野正輝 東北大学大学院理学研究科教授 2 研究経費 平成10年度 900千円 平成11年度 500千円 3 本研究費を使用した研究発表 (論文) 日野正輝(1998) :東北経済の成長を牽引した工業の停滞.統計,第49巻第 11号, 7-12貢. (口頭発表) 日野正輝(1998) : 1990年代の工業従業者の減少にみる東北地方の工業化の特 質.東北地理学会1998年度秋季学術大会. 日野正輝(1999) : 1990年代前半期の東北地方における人口変動と産業配置. 経済地理学会・関東支部例会.
目 次 Ⅰ 研究目的 ⅠⅠ東北地方における1990年代の工業従業者の減少 1東北地方の工業化の推移 2 東北地方の工業の特性 3 1990年代の工業従業者の減少 4 北上市の地域間人口移動 ⅠⅠⅠ宮城県角田盆地における進出工場の定着 1角田盆地の概観 2 工場誘致による工業化 3 第一次オイルショック後の工業化の停滞 4 1980年代の工業の二次的集積 5 1990年代の経済不況下における動き 6 進出工場の定着と多層の雇用形態 ⅠⅤ 結び 4 5 5 7 10 16 19 19 21 23 26 26 28 35
Ⅰ 研究目的 東北地方の工業化の現段階をどのように評価するかについては,まだ共通し た認識が得られていない。 東北地方は1960年代後半以降全国的傾向となった工業の地方分散化のなか で,主に京浜地域から労働集約型の電気機械器具工業および衣服工業などが進 出することにより,工業集積を順調に高めてきた。工業従業者数に限っていえ ば,東北地方は1960年代当時中国・九州地方に比べて大きく劣っていたが, 1996年現在すでに両地方を上回るまでになっている。 しかし,東北地方の工業化を推進した進出工場の多くは,大企業の工場であ っても,製品企画・開発・設計・試作などの機能をもたない量産型工場である とともに,進出先地で農家主婦層までも労働力として活用した下請け工場を組 織する工場であった(末吉, 1995, 1999;友滞, 1997, 1999;松橋, 1988)。 そのため,東北地方の工業従業者が大きく増加し,対全国比率を高めたが, -人当たり付加価値額の相対的水準は一向に改善されなかった。後述するように, 東北地方の工業は1990年代末に至っても全国で最も生産性の低い地域に留ま っている。また,工業の業種構成においては,労働集約型である電気機械器具 工業および衣服工業の比率が高い特徴を持つ。 こうした性格を持つ東北地方の工業化に関して,自立的発展力を欠いた「発 展なき成長」 (安東, 1986),あるいは製品の開発力および生産技術の蓄積をも たらさない工業化ということから「工場地帯があっても、工業地帯がない」 (板 倉, 1988 )と指摘された。また,進出工場の地域労働力の利用実態(島田, 1971;友滞, 1994;沼野, 1978;宮川・中村, 1968)、親企業と下請け企業と の生産関係および賃金格差の実態などが報告されてきた(板倉・金安・高野, 1990 ;末吉, 1989, 1991, 1994, 1999)0 このように東北地方の工業は現在なお、生産機能の水準および労働市場の点 において後進性あるいは周辺性を有している。しかし,工業統計などから把握 される全般的傾向とは別に,進出工場のなかには多額の設備投資により最新の 生産設備と開発機能を備えた拠点工場が存在していること(山口, 1982),ま た,進出工場が進出当初は単なる量産型工場であっても次第に機能を高め,企 業の生産機能の海外展開に当たっては母工場としての役割を果たすまでになっ たケ-スもある(Yamamoto, 1992).さらに,岩手県北上周辺地域のように 「基盤産業分野」において独自の技術と開発力を備えた異業種の中小工場の集
積により,加工センターとしての性格を備えるまでになった地域もある(小田, 1998;関・加藤, 1994;松橋・佐々木, 1998)。そのほかに東北地方の地元企 業のなかにも海外展開を図る企業が育っている(東北通商産業局・機械情報産 業課, 1995)。 上記した発展的側面が後進的性格を変えるまでに至っていないからと言って, その動向を過少評価することはできない。今後の東北地方の工業化を考えた場 令,これまでの工業化の結果である現在の特質よりも,新しい傾向に注目する 必要があるからである。 本研究は,生産機能の海外展開が大きく進行した1990年代の東北地方の工 業の動向を人口および産業統計から分析するとともに,宮城県角田盆地の工業 化を事例にして進出工場の定着の様相を検討する.以下,第ⅠⅠ章において,ま ず東北地方の工業化の推移と特質について確認した上で,1990年代の工業従業 者の減少の実態について検討する。次いで,第ⅠⅠⅠ章において宮城県角田盆地 での進出工場の定着の過程を紹介する。最後に検討結果を要約するとともに, 東北地方の工業化に対する認識について言及したい(第ⅠⅤ章)。 ⅠⅠ東北地方における1990年代の工業従業者の減少 1東北地方の工業化の推移 第1図は, 1960年以降の東北6県の工業従業者の推移を表したものである。 東北地方においても,高度経済成長期の工業従業者の伸びが著しかったことが 見てとれる.しかし,東北地方の伸びが全国に比べて高かったわけではない。 1960年代前半は,東北地方の伸びは全国のなかで依然として低かった。東北地 方の工業化が全国の伸びを大きく上回ってくるのは1970年代後半以降のこと である。 第1次オイルショック以降,全国の工業従業者が減少に転じ,その傾向が70 年代を通じて変わらなかったが,東北地方の工業従業者は一時的減少を経験し たものの,すぐに増加に転じ,さらに, 1980年代に入ると,全国の工業従業者 が微増に留まったにもかかわらず,大幅な伸びを示した。その結果,東北地方 の工業従業者の対全国比率は1970年5.1%, 80年6.6%, 1991年8.1%-と上 昇した。 こうした東北地方の工業従業者の増加を牽引したのが1960年代後半から活 発化した電気機械器具工業と衣服工業の工場進出であった。 1970年における東 北地方の工業構成においては,食品工業と木材工業がなお上位2業種であって,
それぞれの全工業従業者に占める比率は20%と12%であった(第1表)。しか し, 1980年には,電気機械器具工業が食品工業に代わって最大の工業となり, 全体の21%を占めるまでなった。また,衣服・その他の繊維製品工業の従業者 も全体の8%を占めるまで増大した。その後も両業種の比率が増大を続け, 1991 第1表 東北地方の主要工業の構成比率 業種 ノfウhハr 8ル 1970年 涛iD 1970年 涛iD 食料品 R 15% R 11% 衣服.その他繊維製品 R 12% 釘R 6% 木材.木製品 "R 3% 迭R 2% 金属製品 釘R 5% 途R 8% 電気機械器具 RR 27% "R 17% 他の機械器具 湯R 13% R 22% (工業統計表より作成) 日0万人) 9 8 7 6 5 4 3 2 1 (百万人) 1960 -65 '70 -75 '80 `85 '00 `05 兼1回 東北地方の工業化 ( r工業鏡Jl喪Jより作丸4人以上の工場セガ*)
年現在電気機械器具工業と衣服・その他の繊維製品工業の構成比はそれぞれ 30%と11%となった。しかも, 1991年の両業種の従業者の本社所在地別構成 を見ると(事業所統計調査報告),京浜地域(東京都・神奈川県)本社の比率が それぞれ25%と20%となっている。これらの数値に加えて,これら従業者が 勤務する工場は現地に多くの下請工場を組織していることを考え合わせると, 東北地方の工業化は京浜地域からの進出工場の集積に負うところが大であった ことが理解できる。 しかし,東北地方の工業従業者はバブル経済が破綻した1991年を境にして, それまで拡大を続けていた電気機械器具工業と衣服・その他の繊維製品工業が 一転して大幅な減少に転じ,その結果全工業従業者数も全国傾向と同程度に減 少することになった。 1991-96年工業従業者の減少の業種別内訳をみると,電 気機械器具工業と衣服・その他の繊維製品工業における従業者の減少が全体の 54%と31%を占める。すなわち,東北地方の工業従業者の大半が上記2業種 おける減少であった。 2 東北地方の工業の特性 東北地方の工業化の特質として,先述した通り生産性の低さが議論されてき た.つまり,工業従業者は大きく増加したが,東北地方の生産性は全国なかで 最低の水準にあって,その相対的位置にほとんど変化がない.この生産性の低 さに関連して, ①工業従業者に占める低賃金の女子従業者の比率が高いこと, ②中高年の管理・技術者が少ないこと, ③資本装備水準が低いことが直接的要 因として指摘されている(東北通商産業局, 1993).以下,これらの点を統計 から確認しておきたい. 1)生産性および給与水準の低さ 第2表と第3表は東北地方の-人当たり付加価値額および給与額を九州およ び関東地方と比較したものである。東北地方の付加価値額は1991年の数値で 比較すると,全国の62%の水準に留まる。九州地方,関東地方の対全国比はそ れぞれ80%と109%であることからも,東北地方の生産性の低さを理解できる。 しかも,この水準が東北地方が全国のなかで最も順調に工業従業者を増加させ た1980年代を通じて大きくかわることがなかった。したがって,一人当たり 給与額の水準もほぼ同様の傾向を示す。ただし,工業従業者が減少した1990 年代に入って,一人当たり付加価値額の水準が若干ながら上昇している.この 現象については後述する.
2)女子従業者比率の高さ 第4表は東北地方と全国における工業従業者の年齢別女子比率を表したもの である。全国の場合,女子比率がいずれの年齢階層においても35%程度に留ま 第2表 東北地方の工業の生産性 地方 僖韜 従業者1人当たり 付加価値頼(万円) 8ル X 東北地方 塔 43264% 1985 鉄 cc"R 1991 田 c"R 1996 都田crR 九州地方 塔 59688% 1985 都 sコR 199ー 塔 R 1996 涛涛コニ 関東地方 塔 727107% 1985 塔鼎 3 1991 # # 坦 1996 #cs rR 汰)従業者4人以上の工場に関する統計。 (r工業統計表」より作成) 第3表 東北地方の工業従業者の給与水準 地方 僖韜 従業者1人当たり 年間給与額(万円) 8ル X 東北地方 塔 18071% 1985 #2縱 R 1991 ャs"R 1996 3r縱RR 九州地方 塔 22287% 1985 s コR 1991 #塔"R 1996 ゴッR 関東地方 塔 274107% 1985 C3 3 1991 鼎3s 坦 1996 鼎 3 注)従業者4人以上の工場に関する統計。 ( 「工業統計表」より作成)
第4表 製造業従業者の年齢別女子比率 東北地方(1995年) 年齢階層 偖リシh W *ル ツ 女子比率 傚x リシh ,ノ 8 リシb NIzb 15-29才 緜S3C R 湯R 30-59才 田s テイsS R bR 60才以上 田2緜3 3坦 R 全階層 涛Cb ウ3 C3 鼎3 全国(1995年) 年齢階層 偖リシh B ツ 女子比率 傚x リシh ,ノ 8 リシb NIzb 15-29才 r ##3bR 唐R 30-59才 湯 R SS3bR RR 60才以上 テ#32繝sc3RR R 全階層 2經Sb S33bR bR (r国勢調査報告」より作成) り,工業は依然として男子雇用型の産業としての特徴を示す。しかし,東北地 方では,全年齢階層における女子比率が48%に達する。さらに, 30-59才層 においては,全国の女子比率が36%であるのに対して,東北地方の同比率が 51%であって,女子従業者が男子従業者を上回る。このように東北地方では, 中高年女子の工業労働力の存在が大きい。 3)管理的職業および専門的・技術的職業従事者の比率の低さ 第5表は東北,関東,全国の製造業従業者の職業構成を比較したものである。 本社が集積する関東では,管理・事務部門従事者が全体の23%を占め,生産に 直接携わる「技能工・生産工程作業従事者」が59%に留まる。それに対して, 東北地方の場合は,直接部門の比率が79%と高く,製造現場としての性格が強 い。 4)資本装備率の低位性 第6表は工業統計表にある有形固定資産額を用いて,東北地方の工場の資本
装備率の水準を全国との比較で見たものであるoここに言う固定資産額とは土 也,建築物,機械設備,運搬機器などの帳簿評価額である。 -人当たり有形固 定資産額が大きいほど,資本装備率が高いと見てよい。東北地方の上記資産額 の絶対 第5表1995年製造業就業者の職業構成 職業 ノfケ&饑ケ, 8ノ&饑カノ 8ル 専門的.技術的職業 S担bR 管理.事務 2S#2S 坦 販売.サービス取 S担bR 技能工.生産工程 従事者 その他 都担S担c3 2%1%1% (r国勢調査報告」より作成) 第6表 東北地方の工場の資本投資の水準 地方 僖韜 従業者1人当たり 有形固定資産額 (万円) 8ル X 東北地方 塔 3sCc3 198646064% 199166270% 199685376弔 関東地方 塔 Sツ bR 1986754105% 1991998106% 19961218108% 注)従美音30人以上の工場に関する統計。 (r工業統計表」より作成) 値は1980年代以降大きく増加しているが,対全国水準は80年代を通じて60% 台にあって上昇していない.ただし, 90年代に入って,生産性の場合と同様に 上記の対全国水準が上昇している. 3 1990年代の工業従業者の減少 1) 工業従業者の減少の空間的パターン
事業所統計調査報告によると, 1991-96年の東北6県製造業従業者の減少数 は91, 862人を数え,減少率は9%に達する・第2図は1991-96年間におけ る東北地方の市町村別製造業従業者の変化を表わしたものである・製造業従業 者が減少した100市町村が東北地方全域にわたって分布する。市町村の規模階 第 2 図 1991-96 年にお け る製造業従業者の変化 (事業所統計調査報告より作成)
級別の減少率を算出すると,人口50万人以上(仙台ト12%, 20-50万人(都 市数8) -9%, 10-20万人(6) -9%, 5-10万人(16)一6・%・ 3-5万人(34) _8.%, 3万人未満(335ト11%である。このように人口規模による減少率に大 きな差はない。 こうした全面的とも言い得るような従業者の減少傾向のなかにあって,増加 を示す市町村が存在する。このなかには製造業従業者が数百人規模のところで, 従業者が数十人増加したことによって増加率が高く現れた町村が含まれているo しかし,すでに工業集積がかなり進んだ地域で,依然として相対的に高い増加 率を示す地域が認められる。一つは,岩手県北上市周辺である。北上市周辺は 北東北において工業集積が最も活発な地域である。しかも,当地域の工業化は 大企業の拠点工場に加えて,異業種の中小企業の進出を特徴としている。その ほかに10%以上の増加率を示す宮城県黒川郡も注目される。当地域は仙台北部 中核工業団地の所在地であり,テクノポリス地域に指定され,多業種の工場立 地が見られる. 一方,従業者数が-10%以上の減少を示す市町村についてみると,主要都市か ら相対的に遠距離に位置する山間地域の町村が多く含まれている。例えば,宿 島県南会津および青森県南西部から秋田県北部に至る一帯の町村である。また, 地域の工業化を牽引した大企業の拠点工場が1990年代に入って大規模なリス トラを実施した地域の市町村である。例えば,宮城県の県北地域および福島県 浜通り北部地域などである。 2) 工業従業者の減少の大きかった業種 次に,東北地方全体の工業従業者の減少を業種別にみると(第7表)・減少数 の54%が電気機械器具工業, 31%が衣服・その他繊維製品工業における減少で あった.したがって,地域の工業構成において,上記2業種の占める比率が高 い地域で,工業従業者の減少率が大きかったとみてよい。 第7表1991-96年における工業従業者の 業種別変化 集種 偖リシh ,ノ リヒ 全従業者の変化に (人) x.弍 u騷e 全業種 蔦 2紊 R -100% 電気機械番兵l 蔦Sb #2 -54% 繊維的係 蔦3"經C -31% 綿密機械器具' 蔦づ B -9% 食料品 テ 4% 輸送用織械券具 緜#R 2% ( r工業統計表」より作成)
3) 女子従業者の著しい減少
先に,東北地方の工業の特性として中高年女子従業者の比率の高さを指摘し た。特に,郡部において,その傾向が強い(第3図)。
第3図1991年製造業従業者の女子比率 (事業所統計調査報告より作成)
このように東北地方の工業化は中高年女子労働力に依存するところが大きか ったが, 1990年代の工業従業者の減少はこの部分に集中した。国勢調査報告に は,男女別・年齢別産業就業者の統計が得られる。そこで,当該資料を利用し て, 1991-95年における東北地方の製造業就業者の変化を男女別・年齢別に分 けて集計した(第8表)。それによると,上記期間における製造就業者の全滅. 第8表1990・95年製造業就業者の年齢コーホートによる男女別・ 年齢別変化 性別 涛YD颯驃隍クク 劔計 20-24才 Rモ#俐イ 30-44才 鼎RモS俐イ 60才以上 男 S# 1301 蔦sピb -13847 蔦333C" -18546 189.9 途 _42.5 宝sB縒 -179.8 宝 41.2 絣 _9.2 宝 b -39.0 宝# 縒 女 #c#" -12921 蔦 R -41136 蔦#CSs -67019 33.8 宝 撞2 _16.4 宝c 紕 -36.7 蔦 26.4 蔦 R -12.9 蔦Cゅ -28.7 蔦sゅ2 計 鉄sイ -11620 宝 ャ -54921 蔦Ss -85565 67.6 蔦 2綯 -22.1 蔦cB -67.7 宝 (国勢調査報告により作成) 少数の男女別構成比は男子22%に対して,女子78%であって,圧倒的に女子 就業者の減少が大きかった。年齢階級別変化をみると, 20・24才では,男女と もに60才以上の退職年齢層の減少数に相応した新規就業者が認められる。し たがって,女子就業者の減少が製造業従業者の減少の大半を占めると言っても, 若年女子に限ると, 1990年代においても新規採用が継続してあったと理解でき る。それに対して, 45-59才の中高年女子就業者は41千人余りの減少を出した。 この数は1990年の当該コーホートの女子製造業就業者の27%に相当する。つ まり,当該年齢層の女子就業者の約1/4がこの期間に減少したことになる。全 製造業就業者の減少数との関係で言えば,当該年齢層の女子就業者の減少は全 体の48%を占める。このように1990年代の東北地方の工業従業者の減少の半 数が中高年女子従業者の減少であった。 この統計結果と整合する調査結果が大山(1999)によって報告されている。 先に工業従業者の減少の大きかった地域の一つとして宮城県県北地域を挙げた が,大山は当地域に位置する栗原郡における1991年以降の電気機械器具工場 の動向を実態調査した。栗原郡の工業化は,南隣の古川市を中心都市とする大
崎地域で1960年代半ば以降に大手企業の生産子会社および分工場がが進出し, その関連工場が1970年代に入って周辺に展開することによって進行し呼野・ 1992)。当地域には液晶用板ガラス加工において急成長を遂げた地元企業およ び域外資本の分工場が複数立地するが,電気機械器具工業に限って言えば,他 地域に立地する大手企業の生産子会社および分工場の下請け工場が多い。その ため,製造業従業者における女子比率が1991年現在55% (全製造業従業者 ll,549人中,女子従業者6,301人)と相対的に高かった。大山(1999)がアン ケート調査により得た19工場の従業者数は1991-98年に18%も減少したが, 減少数のほとんどが女子正社員の減少であった。 女子従業者の大幅な減少と対照的な動きは, 1995年現在年齢20-29才層の 男子就業者数の増加である。増加数は小さいが,全製造業就業者が大幅な減少 した時期だけに,少数ながら増加したことは注目される。この現象は, 90年代 の東北の工業従業者の縮小は単に不況による雇用調整の側面だけでなく,工業 の質的な変化を伴った動きであったことを示唆している。つまり,従来東北地 方の工業を特徴づけてきた中高年女子労働力に依存した労働集約型の工場が大 幅に縮小するものの,若年男子労働力を必要とする部門は不況下にあっても縮 小していないのである。 4)職種別製造業就業者の変化 東北地方の製造業就業者の職業構成は直接部門比率の高さに特徴づけられる ことはすでに確認した。とくに,女子就業者の場合には,とくにそうである。 したがって,上記した女子就業者の大幅な減少は直接部門従事者の大幅な減少 を意味する。この点を国勢調査報告の統計から確認すると(第9表), 1990・95 年における製造業就業者の減少は実に93%が直接部門に相当する技能工・生産 工程従事者の減少であった。その大部分は女子就業者であった。 一方,男子の専門的・技術的職業従事者は同時期3%余り増加した。また, 管理・事務職従事者は減少したものの,減少数・減少率ともに小さかった。こ の点に先述した20-29才男子就業者の増加を考え合わせると,若年の専門的技 術職に対する需要は不況下にあっても増大傾向にあったと理解できる。この傾 向は,先に紹介した大山(1999)の調査結果においても確認されている。これ は何を反映した動きかと言うことになるが,少なくとも中高年女子労働力を利 用した工場が減少・縮小する一方で,若年男子の技術職の増員を図る工場が存 在していると言うことであり,従来東北地方の工業を特徴づけてきた低生産性 を改善する動きであると評価できる。
取れ・先に東北地方の工業の特性として生産性および給与水準の低さを紹介した 第9表1990-95年における製造業就業者の職種別 変化 職 佗i.リ r 専門的.技術的地 管理.事務 販売.サービス職 技能工.生産工程従事者 その他 緜 S" cS3S 3.9%3.4%0.5% -3β58-2.005-1.558 -5.3%-3.0%-2.3% -495-693198 「0.7%-1.O先o.3% -62.288-4,899⊥57.389 -93.1%-7.3%-85.7% -3.205-2.988-212 -4.8%-4.5%-0.3% 汁 蔦cb纉3 モゅ3# モSゅc -100.0%-12.4%-87.6% 注)下段の比率は全従業者の液少に対する寄与率を示す。 ( r国勢桐査報告」より作成) なかで, 1990年代に入ってむしろ生産性が上昇していると指摘したo上述した 90年代の従業者の減少から,この時期の生産性の上昇については,実質的な上 昇よりも,従来生産性を低く抑えてきた中高年女子労働力を利用した工場・そ の多くが下請工場であるが,その部門が大幅に縮小した結果であると理解でき る。つまり,若年男子の専門的・技術的職業従事者の増加など実質的な工業の 高度化を示唆する動きも認められるが,量的には女子従業者の減少の影響が大 きかったと見てよい。 4 北上市の地域間人口移動 90年代の東北地方の工業は,女子従業者の大幅な減少によって特徴づけられ るが,東北地方の主要な工業集積地となった北上市は・地域間人口移動におい て, 90年代以降東京圏,とくに神奈川県との間で転入超過を続けている1)oこ の現象は北上周辺に集積する工場に地元の労働力だけでなく・大都市圏からも 労働力を吸引する機能を備えた工場が多くなっていることを示唆しており・注 目される。 そこで,以下,岩手県および北上市の90年代の他府県間人口移動のデータ
を冴千に紹介する。 第10表 北上市における東京圏からの転入超過人口 年次 冉ク 8 x圷 舒(訷ハr 東京圏 亶ク 侈r 東京圏 亶ク 侈r 東京圏 亶ク 侈r 1990 蔦c -73 蔦 r -299 宝S3Cb -1985 1991 蔦# -39 蔦 r -299 蔦3Cコ -1722 1992 蔦#" _110 蔦S r _378 蔦 c _1684 1993 # 29 宝S _383 鼎 -1660 1994 Sr 52 都 -110 s -864 1995 cR -52 田2 _71 塔32 _835 1996 涛 _42 " _243 釘 -937 1997 S 12 宝 c2 -187 蔦 湯 -850 1998 R _24 蔦3 -297 蔦 -845 (岩手県人口移動報告年報より作成) 注)東京圏とは埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県の4都県を指す。 第10表は, 1990年代における北上市と東京圏および宮城県との間の転入人 口と転出人口の差を表しものである。比較の意味で,盛岡市および岩手県全体 の同様の数値を表記した。北上市の東京圏および宮城県との人口移動収支は良 好であったことがわかる。 1992年までは,北上市は東京圏と宮城県(主に仙台 との人口移動と推察される)に対して転出超過であったが,その超過数は僅か であり, 1992年の宮城県-の転出超過数を除けば,盛岡市に比べて相対的に少 なかった。 1993年以降になると,北上市の東京圏との人口移動は大幅な転入超過となる。 しかも, 1993-95年の転入超過数は盛岡の場合を大きく上回る。この転入超過 の大部分は神奈川県からの転入超過数である点が特徴である。 1993-98年の6 年次の神奈川県からの転入超過数を列記すると, 1993年171人, 1994年257, 1995年165人, 1996年74人, 1997年120人, 1998年55人である。盛岡市 および岩手県では1997年になると,再び東京圏-の転出超過に転ずるが,北 上市の場合は神奈川県からの転入超過によって,東京圏全体に対しても転入超 過を続けている。 北上市の産業構造は製造業従業者数が全体の31% (1995年)を占めるほど に工業に特化していること,および転入超過の多くが東京都ではなく神奈川県 からの転入人口によることから,第10表に示した1990年代の東京圏から北上 市-の転入超過は工業集積によってもたらされた現象と見てよい。それではど
のような労働力が東京圏から北上市に移動したかと言うことになるが,専門的 技術者および直接部門の従事者にあっては技術を持った熟練労働者と推察され る。その理由は,単純な生産工程作業従事者であるならば,生産現場が北上市 に移転したとしても,東京圏で別の就業先を見つけることが可能であるからで ある。また,経営者サイドとしても,単純作業従事者であれば北上市周辺で賃 金水準の低い労働力を確保することが可能であり,東京圏から転勤者を募るこ とはないと推察されるからである。 一方,転入者のなかにUターン者も含まれていると考えられるが,その数は それほど多くないとみてよい。岩手県では企業誘致の一環として高度技能者お よび特殊技術者の確保を意図して積極的にUターン者の受け入れに努めてき たが,県全体で公共職業安定所および県のUターンセンターを経由したUタ ーン者数は県全体で年間千人余りである。北上市に限るとその数は数十人とな る。したがって,上記した神奈川県から北上市-の転入者に占めるUターン者 の比率もそれほど高くないと推察される。むしろ,転勤によるⅠターン者が多 数を占めると考えられる。この点を裏付ける統計は得られないが,国勢調査報 告にある社会経済分類(21区分)別15歳以上就業者数の1990-95年の変化を みると,北上市の場合,技能者および技術者の増加数・増加率は1834人・11% と815人・45%である。盛岡市の値はそれぞれ2241人・ 10%と757人・7% である。両都市の比較から,北上市では技術者の増加が顕著であったと指摘で きる。そして,先の神奈川県からの転入超過数が技術者の増加に関係している と推察される。つまり,北上市の工業は京浜地域から技術者および高度技能者 を吸引するレベルの工場の集積に変わってきていると言うことである0 ⅠⅠⅠ宮城県角田盆地における進出工場の定着化 1角田盆地の概観 角田盆地は,阿武隈山地北端に開けた構造盆地である。盆地南方は宮城県と 福島県の県境をなす標高400-700メートルの山地である。盆地東縁と西縁に 連なる山地は標高300メートル以下と低い。阿武隈川が盆地内を南北に貫流す る。行政地域は盆地の中・北部を占める角田市と南部の丸森町に分かれている (第1図). 1995年現在の両市町の人口と面積は,角田市35千人, 147km2, 丸森町19千人, 273km2である。 角田市役所を基点にして,近隣の主要都市との位置関係を紹介すると,仙台 は北方約33km,白石は西方14km,福島は南西36km,相馬は南東23km
北 第4図 角田盆地の位置 にある。このように角田盆地は仙台に近接した位置にあるが,交通条件は隣接 町村に比べると良くない。高速交通路のみならず国道4号, 6号および東北本 線などからも外れている。当地域に第三セクターの経営による「阿武隈急行鉄 道」が走っているが,その前身は国鉄時代に赤字ローカル線として廃止対象路 線とされた旧丸森線であった(甲賀, 1989;秋田, 1992)0 1日の運行本数(東 北本線との接続駅である槻木行き)は1997年現在21本と少ない。そのため, 当地域の仙台-の通勤者比率は1990年現在5%であって,東北本線および常 市
磐線沿線の隣接町村に比べて低い2'。なお,東北新幹線の最寄り駅および東北 自動車道のインターチェンジはいずれも白石市にある。 当地域の産業構成は1960年代前半期までは全就業者の7割前後が農業従事 者であった。そして,工業といえば,わずかに地場の石材工業と食品工業が見 られる程度で,製造業就業者の比率は5%の域を出なかった(第11表)。その 第11表 角田盆地の産業別就業者構成 ( 『国勢醍醐により作成) '70 t80 '90 第5図 角田盆地の人口推移 (国勢調査報告より作成)
ため,当地域においても多くの地方農山村と同様に1950年代以降若年層の流 出が続き,人口は1955年の65,451人から1970年の53,197人に減少した(第 5図)。その間, 1962年には角田市は隣接の4市町3)とともに国の地域開発政 策である「低開発地域工業開発促進法」の開発地域に指定された。この指定を 契機にして角田市は積極的に工業誘致を進めることになった。一方,丸森町も 1964年に工場誘致条例を制定した。さらに,同時期に当地域の宿願であった国 鉄丸森線の建設が着工され,工業誘致活動に弾みを付けた。 1960年代後半になると,後述する通り京浜地域から大小の工場が進出し,当 地域は急速に工業化した。その結果, 1970年代には人口は減少から増加に転じ た(第5図)0 1985年以降は再び人口は僅かながら減少に転じた。その間,農 家の兼業化も急速に進み,第二種兼業農家比率は1965年26%から1975年67% -と急増した。 1995年現在の盆地全体の産業別就業者構成は第一次産業15%,第二次産業 44%,第三次産業40%である。第一次産業と第二次産業の比率が全国値(6% と31%)を大きく上回る。とくに,第二次産業のなかでも,製造業就業者の比 率が31%と相対的に高い(全国値21%)。しかも,製造業就業者における女子 比率が角田盆地では46%と高いのが特徴である。ちなみに,全国の同比率が 36%である。 2 工場誘致による工業化 1960年代に入ると,宮城県および地元市町ともに国の地域格差是正を目的と した地域開発政策を活用した工場誘致に積極に取り組み始めた4'。その効果が 1960年代半ばに現れ始め,角田盆地でも1964年に4工場の進出決定をみた。 しかし,上記4工場のうち3工場は繊維関係の工場であって, 2工場は途中で 立地を取り消し,また1工場は進出後短期間のうちに閉鎖された。結局,電化 製品の配電線を加工する東京本社の分工場のみが残った。このように工場誘致 の当初は小規模で経営の不安定な工場の進出が主であった。 しかし, 1967年以降になると状況が一変した。 1967・ 1968年に8工場の進 出が決定した。しかも,そこには京浜地域に本社を置く上場企業4社(D社、 A社、 E社、 L社)の工場が含まれていた。 4工場の製造品目は電子部品(チ レビ用チューナー),自動車用気化器,火災感知器,アパレル(紳士ニット・婦 人・子供セーター)であった。 4工場の進出にはいずれも県が仲介役を果たし た。 電子部品メーカーD社は1967年12月に学校統合で廃校となった北根中学校
第6回 角田盆地の主要工場
建物を利用して操業を始めた後, 1969年に国鉄丸森線角田駅の西側の水田に新 工場を建設して移転した5) (第6図)。移転後の中学校用地に火災報知器メーカ ーE社が進出した.気化器メーカーA社(Al)は工場適地6)に指定された角 田市の中島団地に立地した。アパレルメーカーL社は角田市の桜中学校の跡地 に立地した。 上記4工場のなかでも,電子部品メーカーD社7)と気化器メーカーA社8) の工場は進出後直ちに生産規模を拡大し, 1970年には千人規模の大規模工場と なった。それに伴って,角田地域の工業従業者は1966年1,302人から1971 年4,360人-と急増した。さらに,上記2社の工場の立地はその後の関連およ び下請け企業の育成および進出を促した。 D社は,角田市-の進出の翌年(1968年)に丸森町に仮工場(学校跡地の利 用)を開設して換業を開始した。進出当時の協力工場の育成に関しては不明で あるが,現在D社の協力工場であるDS l社とDS 2社はそれぞれ1968年と 1969年を開業年とする。両社の経営者の前職は農業経営者と農協職員であった。 工場経営を始めた契機は縁者の勧めであったと言う。両社とも, D社から機械 設備を無償貸与されて部品および製品の一部の加工組立を行う工場である。 一方, A社の場合は, 1971年に気化器の外体をなすダイカストのケバを取る 工場(子会社AKl)を角田市東部の金津中学校跡地を利用して設立した。続 いて, 1973年にA社と米国の気化器メーカーの合弁企業N社が角田市北部の丘 陵地に立地した。上記合弁契約はその後解消されたが, N社は現在も従業員200 人規模を有する工場として存続している。また,同年に, A社は親企業に当た る自動車メーカーW社と共同で低公害エンジン用の気化器製造を目的にしたA G l社を,同社工場が立地する中島工業団地に設立した。 3 第一次オイルショック後の工業化の停滞 全国の工業従業者は1973年の第一次オイルショックを境にして減少に転じ た(第7図)。角田地域でも,工業従業者が1974年から75年にかけて747人 (従業者4人以上の工場従業者)減少した。それは60年代後半の工業従業者 の急増をもたらしたD社およびA社がこの時期に雇用調整を実施したためであ る。 D社は1974年12月に全従業員の4割に相当する2,250人の希望退職者を募 った9)。このとき角田工場の従業者数は, 1,248人から946人-と大きく減少 した(第12表)。しかし,角田工場の従業者の減少率は24%であり, D社全体 のなかでは,減少率は小さかった。当社の事業所のなかで操業時期が早かった
(首万人)
第7図 角田盆地の工業従業者の推移
第12表 D社およびA社の従業者の推移 年次 1973年 1975年 l㈱年 1986* 1993* 1㈱年 .. .. _. ,TH '・.■▲ 一一一一イ・= ・.丁_ , / 二-ニー■一■■l I T D社 ∼..S_里ーJj里望 6,323 (100) 1,335 (100) 1,121 (l00) 4,251 (67) 946(71) 546(49) 4,590(73) 912(68) 278 (25) 6,263 (99) I,056 (79) 399 (36) 6,832 (LOB) 981 (73) 99 ( 9) 5,OW(79) 592(44) 102(9)
-lt一一1-..I =_-▲一「.ー= ㌻-.I,_ I.■Y- -- ー†'一ー-一日 H.LLTiii-P -I
A社 全 社 角田工場l' I,986 (l00) 1,088 (1叫) 893 (loo) 1,327 (67) 928 (85) 397 (44) 1.263 (64) 929 (85) 334 (37) I,649 (83) I,233 (113) 351 (39) 2,142 (108) 1,616 (149) 428 (48) 2,131 (107) l,Col (147) 437 (49) 1 )角田工藤と丸森工場の従業者を合せた甑 (D社およびA社の槻券報告総監』により作成) 横浜工場にあっては,従業者の減少率が42% (946人から546人-の減少)に 及んだ。当社全体および角田工場の従業者数は70年代を通して再び大きく増 加することがなかったが,1976年に角田工場でカセットメカニズムの生産を開 始し,翌年の77年には角田工場を含めた地方拠点工場ごとに事業部制が敷か れた。 一方, A社の場合も10),従業者数が1974年1,998人から1975年1,327人 へと大きく減少した(第12表)。当時,当社の工場は川崎の本社工場と角田工 場であったが,生産の中心がすでに川崎工場から角田工場に移りつつあったた めに,角田工場の従業者の減少は相対的に少なかった。 1974-75年における 両工場の従業者の減少数(減少率)は,角田工場308人(25%),川崎工場360 人(48%)であった。なお,当社の場合も, 1970年代を通して減量経営が続 いた。 D社およびA社の角田工場の大幅な従業者の減少にもかかわらず,角田盆地 の工業従業者の動きは,全国の動きと対照するとき,減少の開始年次が1年遅 く,また,回復時期が1976年と早かったことが注目される(第7図)。この点 については,角田盆地ではオイルショック直前に進出決定した企業が4社あっ て,しかも,そのなかに従業者規模の大きいAG l社およびN社が含まれてい たことが影響したと推察される。つまり,それらの企業の操業開始がD社およ びA社の従業者の減少を補う働きをした。
4 1980年代の工業の二次的集積 1980年代に入ると,角田盆地の工業従業者数は,一時的停滞を挟みながらも 全体的には順調に増加する(第7図)。とりわけ「バブル経済」の1980年代後 半期の増加が著しかった。その結果, 1980年5,200人であった工業従業者は 1989年には7,400人に達した。しかも,この時期の工業従業者の増加は大部分 輸送用機械器具製造業と電気機械器具製造業における従業者の増加によるもの であった。 オイルショック以降減量経営を続けてきたA社は,1980年代に入るとようや く生産規模の拡大に転じて,角田工場の従業者を増員させるとともに, 1982 年に混合気を噴射するインジェクターを製造する丸森工場(A2)を設立したo また,同時期に,角田工場の製造工程の一部を担う子会社2社(AK2, AK3) を設立した。さらに, A社の親企業であるW社が, 1982年に電装品の製造を目 的としてAG l社および大手通信機メーカーとの共同出資によるAG2社を, AG l社の隣地に設立した。こうした大規模な設備投資のほかに,京浜地域か らの下請け企業および関連企業の進出がみられた。その結果,角田市に限って も, 1980-90年にかけて,輸送用機械器具製造業従業者数は1,674人から2,424 人に増加した。ただし,当地域の輸送用機械器具製造業には他社系列(C社) および独立した部品工場(B工場)も立地している。 一方,電気機械器具製造業においても,輸送用機械器具製造業と同程度の従 業者の増加があった11'。これにはD社の従業者の回復が一因となっているが, 有価証券報告書に掲載されている角田事業部の従業者の増加数は100人程度で あった。また, 80年代にみられた電気機械器具製造業の進出工場は小規模な3 工場のみであって,輸送用機械器具製造業のような大規模工場の立地による従 業者の大幅な増員はなかった。したがって,電気機械器具製造業の従業者の増 加については, D社の下請け企業をはじめとする既存の中′ト工場において従業 員の増加があったと推察される。例えば,先に紹介したD社の協力企業である DS l社およびDS 2社はそれぞれ1985年と1988年に新工場を建設した0 5 1990年代の経済不況下における動き 1) 主要工場の縮小と停滞 角田の工業従業者数は1992年8,500人に達した後, 1993年に大幅に減少し, その後も減少を続けている(第7図)。しかも,従業者の大幅な減少は電気機 械器具製造業と輸送用機械器具製造業においてともに起こった12'o
電気機械器具製造業の従業者の減少はD社の雇用調整によるところが大きか った。 D社は先述したように第一次オイルショック時にも大規模な雇用調整を 実施したが,そのときは角田工場の人員削減は相対的に少なく,また,その後 の組織改革で,角田工場は事業部に昇格するなど,むしろ生産拠点としての機 能を高めた。しかし, 1993年に実施された雇用調整は早期退職優遇制の実施と 希望退職者の募集を内容とし,企業グループ全体で応募者が2,491人に及ぶ大 規模なものとなった。 角田事業部では,まず当時百名余りの従業者を擁していた丸森工場が閉鎖さ れ,続いて大幅な組織改革により,角田事業部が廃止された。そして,角田工 場は宮城県古川市に立地するD社の別会社である東北D社に新しく再編された 事業部に所属することとなった。その結果,角田工場の従業員数は再編以前の 1993年991人(丸森工場の従業者を含む)から再編後の1994年698人-と 大きく減少し,その後も減少を続け, 1996年には590人となった。この従業 者の減少には,生産工程従事者のみならず,事業部の廃止に伴い,設計,生産 計画,総務,経理,物流などの管理・技術部門の職員の減少が含まれていた。 しかも,角田工場の主要製造品目は従来のビデオ用シリンダーユニットおよ びカセットメカニズムからタクトスイッチに変わった.タクトスイッチの生産 設備は福島県浪江工場から移設した。それに伴って浪江工場は閉鎖された。タ クトスイッチの生産は作業機械による1日24時間の自動生産を特徴とする。 そのため,生産品目の変更により,下請け企業-の発注量は大幅に減少し,先 に紹介したD社角田工場の協力企業DS l社およびDS 2社ともに人員削減を 実施せざるをえなかった。 さらに, 1993年の組織機構および製造品目の再編は生産機能の海外展開と一 体となって実施されたものであった13)。角田工場で生産していたシリンダーユ ニットおよびカセットメカニズムの生産の拠点は海外-移転した。その意味で は, D社角田工場の再編は,東北地方の「産業空洞化」として一般にイメージ される姿に最も合致した現象といえる。 一方,輸送用機械器具製造業の場合,工業統計表に基づく角田市の当該業種 の従業者は1992年2,734人から1995年2,293人-と減少している・しかし, アンケート調査から得た主要工場の従業者はそれほど大きく減少していない。 A社とAG l社においては確かに同時期にそれぞれ百人規模の従業者の減少が 確認できるが,他工場の従業者はほとんど減少していない。しかも, A社角田 工場の従業者の減少には, 1990年に角田駅の隣接地に開設された研究開発セン ター-の転籍が含まれている。ただ, A社の従業者数のなかでもパートタイマ
-は角田工場・丸森工場を合せると大幅に減少している。このことからすると, 工業統計表に現れた当該産業における大幅な従業者の減少は主としてパートタ イマーの減少を内容とするものであったと考えられる。なお, A社の場合も, 1980年代には親会社の生産拠点の海外展開に対応して,タイおよびアメリカ合 衆国に進出した14'。こうした海外投資によって国内での設備投資が控えられた0 2)新たな誘致工場の出現 以上のように, 1960年代末以降,角田盆地の工業化を牽引してきたD社およ びA社において, 1990年代に入って従業者の大幅な縮小と停滞が見られたが・ 一方で,他業種の工場進出があったoそのなかで特筆されるのが,プラスチッ ク製収納用品および園芸用晶を主要製品とするM社の進出である15'o M社はも ともと大阪の企業であったが, 1972年に角田に隣接する大河原町に工場を新設 し,さらにオイルショック時に経営危機に陥った際に,東大阪市の本社工場を 閉鎖して,本拠を大河原に移転させた。製造品目は当初育苗箱および定置網用 のブイであったが, 80年代に収納用品および園芸用晶の生産とホームセンタ を通じた販売で急成長を遂げた企業である。当社は生産規模拡大の必要から・ 1991年に角田盆地の北端の丘陵地に工場と管理・商品開発センターからなる事 業所を建設した。 1996年現在のM社角田事業所の従業者は772人であったo 上記のM社のほかにも9社の工場が進出した。それらの工場はいずれも従業 員数100人以下の小規模工場である。業種は住宅関連2社・繊維関係2社・電 気機械器具1社,水道異形管1社,食品製造1社, AK3社の分工場・非鉄金 属加工1社と多様である。住宅関連の2工場は角田市東燐の亘理町に立地する プレハブ住宅メーカーU社の東北工場-の部品供給を目的とした進出であったo 電気機械器具工場は,福島市に立地する大手電機メーカーの子会社で通信機器 を製造する工場に部品を納入する川崎本社の部品メーカーの工場であるo繊維 の1社の工場長は元L社員である。このように角田盆地の工業集積は1990年 代に入って多様化してきた。 6進出工場の定着と多層な雇用形態 1) A社の定着 角田地域に誘致された工場は48工場を確認できるが・操業後閉鎖された工 場は僅か5工場であった(第13表)。しかも,存続工場の半数が1960年代末 から1970年代に進出した工場である。したがって,それらの工場は進出後す
でに20-30年が経ったことになる。そのなかにA社のように本社機能のかな
りな部分を角田地域に移転させた企業がある。
第13表 角田盆地における時期別誘致工場数
+I.LtrT.-■■・■■ヽ■・-●t■-q・■1'■一・ ■■■●IJI-1.ヽh-. - III ・rl -■ I rl. '''■■rー - ▼-J 1-I
丸相済札宮城県『工業立地のあら まu (1982)により作曲 A社の角田工場は,先述したようにオイルショック後川崎本社工場に代って 主力工場となった。さらに,本社が1986年に川崎工場から東京都新宿区に移 転するに際して,本社機能の一部が角田工場に移転した. 1995年現在の役員の 勤務先地をみると(第14表),監査役を含めた役員18名のうち, 9名が角田 工場勤務である。しかも,角田工場勤務の役員には,生産技術,資材など製造 第14表 ## 監査役 角田工賂 川崎工湯 海 外 1 1 1 1 2 2 3 4 2 1 (ダイヤモンド社(1996)鵬より作曲 に直接係わる部門に加えて,営業部長が含まれていた。さらに,当社は親企業 の海外生産に対応して, 1980年代にアメリカ合衆国およびタイに生産工場を建 設したが,丸森工場と角田工場がそれら工場の母工場としての役割を果たした。 また, A社は1992年に角田駅の隣接地に研究開発センターを開設した。こう
した管理および開発部門の設置により, A社の角田地域における全従業者に占 める間接部門(管理・営業・事務・研究・開発など)の比率が34%と高い16' (第15表)0 第15表 誘致工場の部門別従業者(1996年) 管理・営 業・事務 研究・ 開発
控
443 129 1, 129 139 188 508 248 264 176 12 0 73 8 7 68 22 62 506 32 0 59 23 0 1 04 24 11 55 58 28 1 56 128 126 518 注) Aの従業者は角田工藤・丸森工場・開発センター の従葉音を合せた数である。 (アンケート嗣査により作曲 管理機能および開発部門が配置される背後に当地域における生産組織の形成 がある。 A社の外注先企業は1996年現在53社である。その地域分布は角田地 域9社,宮城県17社,東北地方8社,京浜地域13社,その他の地域6社であ る(第16表)。このようにA社の関連工場はすでに宮城県に多く集まっている。 これは,京浜地域から関連メーカーが進出したことと,地元に関連メーカーが 育った結果である。主要外注先20社に限って言えば, 13社はA社が角田地域 に進出する以前から取引きがあった企業である。現在, 1社を除き,角田周辺 に工場(10社)または営業所(2社)を配置している。他方,残りの7社はA 社が進出後取引関係を結んだ東北地方の企業である。そのうち1社は山形県に 立地するが,他の6社は角田周辺に立地する。第16表 主要工場の外注先 外注先地 9 17 8 13 6 6 14 12 4 9 1 3 3 3 5 6 2 0 4 6 7 8 11 22 41 2 0 1 0 2 0 0 0 1 0 注)アンケート術査の質問に対して, 10以上の外注先を回答した工執こついてのみ 表配した. (アンケート桐査により作成) さらに, A社の外注先がさらに生産工程の一部を外注(2次下請け)に出し ている。したがって,宮城県に立地するA社の生産活動に関係した企業は,二 次下請け企業まで含めると,一次下請け企業の数を大きく上回る.それだけ, A社の生産活動は角田周辺に立地する数多くの企業との間に直接・間接の関連 を持っている。 A社と同様の傾向はAG l社およびAG 2社の生産組織についても指摘でき る。 AGl社の場合は,角田工場が本社工場であることから,間接部門の人員 が全体の39%を占める(第15表)。外注先は85社を数える。その地域的分布 は,角田地域6社,宮城県14社,東北地方12社,京浜地域22社,その他の 地域41社である。 A社の場合に比べると,京浜地域-の外注の割合が高いが17), 東北地方全体の外注先は32社を数え,京浜地域を大きく上回る。 一方, AG2社の場合は,本社は仙台市に置かれているが,角田工場が実質 的に本社工場として機能している関係で,間接部門の人員が多い。電子部品の 製造のため研究・開発関係の人員が全体の38%を占める。外注先は16社であ る。その地域的分布は角田地域4社,宮城県7社,東北地方3社,京浜2社で ある。 なお,上記3社は1997年4月に合併した。本社はA社の東京本社に置いた が,役員29名のうち17名が角田盆地に配置された18)。すなわち,新A社にお
いても角田盆地が活動拠点であることに変わりがない。 2)他社の定着の動き 本社機能の角田盆地-の配置は,上記した3社のほかにM社およびN社にお いても認められる。 M社は仙台に本社ビルを構えているが,本社ビルでは本社 機能に必要なオフィススペースが確保できないことから,本社に財務部・マー ヶテイング部の一部および社長室を置くだけで,他の人事部・総務部・財務部・ システム部・マーケテイング部・研究開発本部などは角田事業所に配置されてい る。全国の工場長・営業所長を集めて開かれる月例の営業会議も角田事業所で 開催されている。そのため, M社の場合も間接部門の人員が全従業員の33%を 占める(第15表)。外注先は27社を数えるが,主に仙台から福島県にかけて 分布し,京浜地域の外注先は1社だけである(第16表)0 N社は先述した通り当初A社との合弁で角田に立地した外資系の気化器メー カーである。角田事業所が本社工場である。そのため,間接部門の比率が36% と相対的に高い(第15表)。外注先は9社あるが,いずれも角田周辺に分布す る(第16表)0 火災報知器メーカーE社の角田工場は技術開発部門を持たない量産工場であ る。その点では, E工場は従来紹介されてきた進出工場のイメージに合致する 工場である。しかし,当工場は1991年に生産規模の拡大を目的としてかつて の中学校跡地から角田市街地北端の国道349号沿いに45,600m2の用地を得て 移転した。さらに,同工場用地には, 1995年に大規模な総合防災実験場が建設 された。また,下請け企業が1989年に東京都から進出するなど,生産機能を 高めている。 上記した企業に対して,先述したD社角田工場の1993年の動きは,資本の 部分的な撤退と工場の機能の低下を内容とするoしかも,それは生産機能の海 外展開と一体になった動きであっただけに,東北地方からの工場の撤退の印象 を与えろ。しかし, D社角田工場は宮城県古川市に立地するD社の別会社に設 けられた新事業部が管轄する工場に編入されたわけであって,角田事業部の機 能が東京本社に吸収されたわけではない。また,上記古川工場はD社の主力工 場であり, 2事業部が配置されている。そのほかに・ D社は中央研究所を仙台 に配置している。したがって, D社は依然として東北地方に生産・開発の拠点 を置く企業として位置づけられる。なお,先に紹介したD社の協力企業である 地元企業2社は, D社からの受注が大幅に減少して,人員を削減するなど苦し い経営を続けているが,角田地域にはD社系列とは別の電気機械器具の部品工
場が存在し,そこから孫請けの形で仕事を得るなどして経営の存続を図ってい る。また, 1社は下請け工場からの脱皮を目指して自社製晶の開発にも取り組 んでいる。 3)賃金水準の多元性 次に角田盆地の賃金水準について検討する.角田盆地の工業従業者1人当た り年間給与額は1995年現在391万円である(『平成七年工業統計表』に基づく)0 それは全国の同給与額の約90%に当たる。なお,東北地方全体の給与水準は全 国の約76%である19)。しかし,従業者の賃金水準は,企業間および企業内で の雇用形態,職種,性別,年齢,勤続年数などにより大きく異なる。したがっ て,地域の賃金水準の評価に当たっては,従業者全体の平均賃金による比較と 同時に,貸金水準に影響する要因群に基づいて従業者をタイプ分けした上で, 賃金水準の高低を識別する必要がある。 第17表はアンケート調査により得られた正社員の平均年齢の標準月給額と 臨時従業員およびパートタイマーの日給・時給額を表したものである。ただし, 職種は特定されていない。同表から,企業間および企業内の男女間に大きなバ ラツキがあるが,そこに一定の傾向を読み取ることができる。 当地域における最高の賃金水準にあると考えられる上場企業D社, A社, E 社, L社の正社員の給与額をみると, E社を除く3社の女子社員の平均年齢に おける標準月給額は20万円前後でほぼ横並びの状態にある。これは, 3社の 女子社員の平均年齢が近似し,しかも職種が現業部門で共通していためと考え られる。ちなみに,各社の有価証券報告書に掲載された平均月給額はD社204 千円(34才、 1996年), A社184千(36才、 1996年), L社215千円(34才、 1995年)である。したがって,上記の標準月給額は大手メーカーの現業部門に おける女子従業者の賃金水準を示すと同時に,正社員の給与には実質的な地域 差はほとんどないとみてよい。 一方,男子従業者の標準月給額は上場企業間に大きな差がみられる。 A杜の 平均年齢38才の標準月給額が約30万円であるのに対して, E社, L社の40 才前後の同月給額が約40万円となっている。両者の給与額に10万円の開きが あり,その差は年齢差だけから説明できない。したがって,前者が現業部門従 事者の給与を,後者が管理職の給与をそれぞれ表していると理解するのが適当 である。事実, A社の有価証券報告書によれば,現業部門と非現業部門の男子
第17表 調査工場の給与水準 I% 妃号 ィ 8 蹴 女子正社員 X 9 粨6 ク6x5 2 平均輔1標準月給 兌リシ D驃 引 ネ雕イ Al AGl 迭經3 冷 33#c 經SH冷 36198,153円 31212,5仰円 凩X鳬NI│sケ&ゥ?ィクウrテ3C bテSS(励ィ7 ク6x鳧クウイ ss X冷 }X鳧 輯ク s Cゅ 励「 cs 冷 6 ク6x鳧クウウc 冷 6 ク6x鳧クウウcs 冷 D S ネxィ冷 37210.000R E L 鼎 C "テ 冷 3 テS X冷 55222,790円 AK2 S#S テ " 43180,0∝I円 ASl 鼎S#crテ S 41166,007円 a rテsベ冷 35164,099R C ## テ#C 冷 34182,680円 DS3 s#s テ 冷 33160,000円 ES s3# テ dUメ 120,000円 (アンケート調査 の平均月給額が315千円(35才)と380千円(38才)とあるoしたがって・ A社の場合も,非現業部門の賃金水準はE社, L社の水準に近いとみてよいo D社の場合は,平均年齢38才の男子標準月給額が35万円であるo上記の金 額は有価証券報告書に記載された全従業者,すなわち現業部門と非現業部門を 合せた平均給与額に相当する。管理・事務部門の給与額でみれば・ D社の水準 は恐らくE社, L社のレベルにあるとみてよい。 上記4社に加えて, A社と同グループ会社であるAGl社およびAG2社の 正社員の賃金水準も同レベルにあるとみてよいoしたがって・ 6社の正社員は 男女合せて2,986人になるが,その層は少なくとも全国の工業従業者のなかで は賃金水準が相対的に高い部類に属するとみてよいo因みに・上記の社員数は 角田盆地の1995年全工場従業者(従業者4人以上の工場)の40%に当たる。 以上が上場企業の正社員の給与であるが, A社の角田工場と丸森工場には1 年契約で雇用される有期社員が男子72人,女子212人存在するo有期社員の 給与は日給・月給制(欠勤減額制)で支払われる。日給額が男子7,348円・女 子6,552円である。これを月給に直すと(勤務日数22日に、勤勉手当として
1日分を加算して求めた額),男子17万円、女子15万円となる。 E社の場合 も,女子従業員は日給・月給制で雇用された従業員であって,月給額は約15 万円である。女子の正社員と有期社員の月給を比較すると,後者は前者の75% 程度の水準となる。 角田盆地では,下請け企業の常雇従業員の給与が上記の有期社員の給与水準 に対応している。下請け企業の常雇従業員の賃金形態は,管理職(月給制)を 除いて,日給・月給制となっている。下請け企業の場合も,男子社員の給与額 は年齢および職種によって異なるため,企業間でバラツキが大きいが、女子の 月給額は12-18万円の範囲にある。 上記の日給・月給制による雇用のほかに,時間給で雇用されたパートタイマ ーが存在する。パートタイマーの大半が女子である。しかも,その多くが平均 年齢から判断して主婦と推察される。そこに農家主婦の存在を見て取ることが できる。 時間給は650-990円20)と幅があるが,女子の時給は700円前後とみてよい。 そこで,時間給700円を基準にして,パートタイマーの月収を全国のパートタ イマー(製造業)の平均労働時間を用いて計算すると21),約9万円となる。こ の賃金は,先述した上場企業女子正社員の平均月給額の45%である。しかも, 角田盆地では,パートタイマー従業者の数はアンケート調査から判明しただけ でも全工業従業者の12%に当たる890人に達する。ここに,角田盆地の工業 化が上場企業の拠点工場を核にして進展してきたにもかかわらず,給与水準が 全国水準に達しない理由を読み取ることができる。 ⅠⅤ 結び 東北地方の工業化が日本工業の中枢である京浜地域(竹内, 1996)からの工 場進出によって主に牽引されながらも,その評価においては,冒頭で紹介した ように周辺的性格が強調されてきた.一方で,技術集積を伴った発展的側面が 紹介されてきた。本稿の目的は,東北地方における1990年代の工業化の動向 を検討することで,現段階の東北地方の工業化について実態に則した認識を得 ることにあった。 1990年代は東北地方でも工業従業者がかつてない規模で減少し,産業の空洞 化を実感させた。とくに,中高年女子従業者の大幅な減少は低付加価値製品生 産のアジアNIES-の移転と符合する現象であった。しかし,工業従業者の年 齢別・男女別変化において確認したように,従業者が大幅に減少したなかにあ
っても,若年労働力は定年退職者を補充する形で採用されていたoまた,職業 別従業者の変化においては,女子の直接部門が大幅に減少する一方で・専門的・ 技術的従業者が増加した。したがって, 1990年代における東北地方の工業の動 向は,東北地方の工業を特徴づけてきた低生産性部門の縮小と生産性を高める 動きからなると理解できる。 この点に関連して,北上市の地域間人口移動が注目された。北上市は90年 代に京浜地域から人口が転入超過する地域となったoまた・同時期,北上市で は技術者および技能者の増加が顕著であったことから,京浜地域から技術者を 吸引するだけの機能を備えた工場が増加したと推察された〇二のことは換言す れば,東北地方が労働費の比較優位を海外との競争関係において失ったからと いって,工業の立地場所としての東北地方の評価が下がったわけではなく・依 然として京浜地域の工業の有力な移動先地になっていることを意味するo さらに,角田盆地の事例から,進出工場が,東北地方の工業集積が全体的に 高まるなかで,東北地方内の企業・工場との取引数を増やす傾向にあることが 確かめられた。これは京浜地域から多様な企業が東北に進出してきたことと・ 地元に技術力をもった中小企業が育った結果であるoしたがって・東北地方の 工業化については,従来京浜地域-の依存度が高くて域内連関が不足している とされてきたが,この点も改善されてきているとみてよい。さらに・ D社の事 例のように,進出工場には生産機能に加えて管理機能および開発機能までも備 えるケースが現れてきている. 一方,東北地方の工業を特徴づけてきた低賃金についても,それは主として 日給あるいは時間給で雇用された下請け企業の女子従業者およびパートタイマ ー従業者に当てはまることであって,進出工場の正社員については,他地域に 比べて賃金水準が低いわけではない。とくに,大企業の分工場では,正社員の 給与水準は企業全体の賃金体系に基づく。それにもかかわらず,従来東北地方
_I-I 〒≡三≡三三二三三ニラ三三寺ギ三雲-=;: -_I-竺三三三三
業者の大幅な減少は,低賃金労働力を活用した生産部門の縮小であって,今後 も上記した傾向が続くならば,東北地方の賃金水準は改善されて行くとみてよ い。注 1)北上周辺の工業化に関する研究には,小田(1991, 1998),須山(1991), 関・加藤(1994),友揮(1994),松橋・佐々木(1998)などがある。 2)東北本線沿線の大河原町(仙台からの距離約27km)と常磐線沿線の山元 町(約34km)の仙台-の通勤者比率はそれぞれ15%と19%である。 3)白石市,柴田町,大河原町,村田町。 4)宮城県は1953年に工場誘致条例を制定したが(1972年廃止),工場誘致に 本格的に取り組み出したのは仙台湾沿岸が新産業都市に指定された1964年前 後からであったという(当時,県の工業誘致を担当してM氏からの聞き取りに よる)。 5)この時期の工場進出の状況については,当時角田市役所で工場誘致の仕事 を担当していた旧職員からの聞き取りによる。 6) 1959年施行の「工場立地調査等に関する法律」の適用を受けた団地。上記 法律の目的は,工場適地調査と調査結果の情報提供を通じて工場の適地移動を 図ることにあった(通商産業省工業立地指導室(1961))0 7) D社は, 1948年に東京都大田区にてラジオのロータリスイッチを製造する 町工場から出発して,その後のラジオ・テレビブームに乗って急成長を遂げた 電子部晶の総合メーカーである。当社の生産配置は, 1964年までは本社工場と 横浜工場であったが,その後は1製品1専門工場体制を目標にして新潟を含め た東北地方に生産拠点を積極的に展開した。東京オリンピックが開催されてテ レビが爆発的普及期を迎えた1964年に,まず宮城県古川市に子会社東北D社 を設立して3工場を立ち上げた。 3年後の1967年末に仙南D社が角田に設立 された.仙南D社は翌年D社に統合されて,テレビ用チューナー製造の角田事 業部に編成された(東洋経済新報社編(1995)およびD社発行の略史による)0 8) A社は, 1956年に気化器メーカーS社を退社した数人の技術者によって川 崎市に設立された企業である。設立の翌年に開発した二輪車用気化器が後に親 企業となる自動車メーカーW社およびT社の二輪車に採用され、さらに963年 には四輪車用気化器を開発してW社に納入した。 1964年に東京証券取引所二 部に上場を果たすが,その際にW社の資本参加を見る。その後も順調に業容を 拡大し,気化器生産の規模拡大の必要から角田に進出した(東洋経済新報社編 (1995), A社の会社案内および聞き取り調査による)。 9) D社の動向については, D社発行の略史と有価証券報告書による。 10) A社の動向については, A社の有価証券報告書と聞き取りによる。 ll)角田市の電気機械器具製造業従業者は1980年1, 103人から1990年1,896