bababababababababab 本復刻版は会報「むせん」第2号(原 本)をスキャナーで読み取り、テキス ト化して再構成しました。 テキスト化の時、誤変換が発生する ため校正は慎重に行いましたが、校正 漏れがあるかも知れません。その場合 はあしからずご了承ください。 また、なるべく原本に忠実を心がけ ましたが、ソフトウェアの関係で一部 異なっている場合もあります。併せて ご了承ください。
目次
会報第2号の発刊に寄せて 1 現役を代表して 1 位相転換・選択・消去通信 2 支部からの報告 4 47年度事業報告. . . 4 48年支部総会の状況について . . . 5 東京無線支部会員の現状 . . . 5 創立5周年を迎えて. . . 9 48年度会費の滞納について. . . 9 慶弔 10 地区だより 11 東京・埼玉地区ブロック会について . . . 11 47年度神奈川地区懇談会実施模様について . . . 11 埼玉地区最近の一般情勢 . . . 11 千葉地区だより47.10.1以降 . . . 12 追憶 13 酒井さんの憶い出 . . . 13 故日高文武氏の想い出 . . . 14 会員の声 15 旧友会運営に一言 . . . 15 私は . . . 15 近況報告. . . 16 私の近況. . . 16 第二の人生 . . . 17 近況 . . . 17 有り難いことだ . . . 18 この頃の私 . . . 18 年金ホームの実情と体験 . . . 18一生懸命に . . . 21 社宅から自宅へ . . . 21 横浜との関係 . . . 22 連想五題. . . 22 ふるさとのつどい . . . 23 支部からのお願い 24 昭和48年度退職者一覧 25 支部会員連絡名簿案 26 会員名簿訂正表 28 年金ホームについて 32 あとがき 32
会報第
2
号の発行によせて
三浦伊登美
秋もすでに紅葉のたよりを聞くこのごろで すが、皆さまがたには如何お過ごしでしょう か。おたがいに、健康にはとくに注意しあっ ていつまでも元気でありますよう心がけたい ものと思います。 さて昨年の会報第1号“創刊号”に対して、 皆さまから寄せられたご批判や激励に支えら れて、本年も引続き、会報第2号を皆さまが たにお届けできることになりました。 会報発行の予算は、去る6 月開催の支部 の総会においてご承認いただきましたが、会 報を発行するということはなかなか大変な仕 事であり、また支部の運営を仰せつかってい る役員一同もそれぞれ本務の仕事をもってい るということもあって、果して皆さまがたの ご期待に添うような会報をつくることができ るかどうか、いささか不安であったのですが 役員会でいろいろ相談の結果、会報の発行は 支部のもっとも重要な事業のひとつであるこ とにかんがみ、関係者一同協力してこれを実 行することに決定し、そして創刊号のときと 同様、副支部長が編集長に、また常任幹事全 員が編集委員になり、さらに全幹事がこれに 協力するという体勢で作業をすすめ、その結 果、比較的短時日のうちにこれを完成するこ とができた次第であります。 こんどの会報の頁数は予算の関係から、創 刊号にくらべて、相当制限されましたが、編 集委員の努力によって、その内容は思いのほ か整っていると関係者一同自負している次第 でありますが、今後、この会報をさらに良い ものに育てあげ、そして第3号、第4号と引 き続いて発行するよう努力したいと考えてお りますので、会員の皆さまがたには、この会 報をぜひともお読みになって、そのご批判な りご意見なりをどしどしお寄せくださいます ようお願いする次第であります。 (東京無線支部長)現役を代表して
東京無線通信部狩野 正夫
旧友会無線支部は、結成以来ここに五周年 を迎えられ、ご発展の一途をたどると共に、 その活動も益々盛んになられていることにつ いて心からお慶びを申し上げます。又、会員 の皆様や、支部の役員の方々が、益々お元気 で、少しも体力や気力の衰えの感ぜられない のみか、各方面でご活躍されていることを伺 その意味で旧友会の活動や、先輩の皆様のご 活躍は、誠に心強く、私達に明るい希望を与 えてくれるものの一つになっています。先輩 の皆様には、今後とも一層のご活躍とご発展 をお祈り申し上げる次第でございます。 さて皆様もよくご存知のように、私共の電 信電話公社も、先輩各位のご努力が着実に規模、いずれを見ても、まぎれもなく巨大企 業であり、トップ企業ですが、中味としての 我々社員はトップ企業にふさわしいもので あろうか、公社に働ける誇りと共に、常に反 省し心を新たにして業務に当らなければと、 思っております。 先日、或る先輩から、他社から比較して、 公社職員の態度について、非常なお賞めの言 葉をいただきましたが、一般に私共の職場で は明るく自由な雰囲気で、自由的によく仕事 はするが、顧客志向や、地域に対する関心は 薄いと言われています。このような私達の気 付きにくい欠点等については各方面で活躍さ れている経験豊かな先輩の皆様からの、横断 的観察からの率直なご批判や、ご指導が是非 とも必要であると考える次第です。かつての 現役時代と変らぬご指導をお願いして、ご挨 拶といたします。 (東京無線通信部次長)
位相転換・選択・消去・通信
大槻由之助
旧友会無線支部の会誌になにか感想を書け との命令であり、しかも吾々老青年をお互い に激励するような明るいものがよいとの注文 でありますが、最近の新聞種は全く暗いもの ばかりが多くて、世間の調子が狂ったのか、 自分が少々おかしくなったのか疑いたくなり ます。曰く 1. エネルギー資源の限界が近いとか、生 存の限界とか、しまいには終末論と か、人類の滅亡とか、 2. 公害で空気や水が汚染されて、薬や食 料品や魚が健康を害するとか、 3. 全学連は反帝だ中核だと内ゲバの殺し 合いがあり、赤軍は海外まで暴力を輸 出しており、 4. ハイジャックなどと云うものがTVで 現場から生で放送され、鬼気せまる状 況を見せる、 5. 新聞の三面記事は毎日のように暴力、 殺人、詐欺、横領、泥棒、強盗、汚職、 捨て子、赤ん坊の生み捨て、火事や、 焼死、交通事故は日常茶飯事となり、 露の戦死者よりも多くなり、今年も8 月ではやばやと1万人を突破し、今年 中で1万5千人になる予想と云う、 6. 火山の爆発はひんぴんとあり大地震も 近いといいます。 要するに新聞記事は、これでも篤かないか、 これでも恐ろしくないかと毎日大ニュースを 更新し、ついに日本沈没というSF小説が盛 んに読まれることとなっています。今日この 頃ではまさに明るい感想を書くことは、木に よって魚を求むるにひとしいと思います。 そこで幹事の注文によってこれを明るい記 事にするにはどうするか。発想の大転換とい うか、180度の転換が一つの方法であります。 1. いやな記事はすべてSF小説を読むつ もりで読む。著者の小松左京氏も日本 が沈没するとは決して思っていない事 を確信する。 2. 新聞やTVニュースは総て絵そらご とだと定義する。情報公害だときめつ ける。TV局には多くの情報が集り、その中から人 の驚くような記事を選んでセンセーショナ ルに編集する。10大ニュースを更新するよ うな記事をウの目タカの目で集める。捨て子 の記事が一つ出ると新聞記者は類似の記事を 追い廻す。2∼3行で報道すればよいものを キャンペーンと称して拡大して記事にする、 これが記者カタ気である。 浅間山や桜島の爆発をTVでリアルに写 し出す。被害を受けた人には申訳ないが、東 京におれば灰も降ってこない事件に驚け驚け と脅迫している。こんなものは数百粁もさき の出来事で自分が石ころにつまずいた程の影 響もないはずだ。通信に従事して30年も40 年も努力して来た旧友会のみなさんに、通信 は絵そらごとだ、SFだ、情報公害だと今更 ら後悔しなさいというのではない。通信技術 の発達が悪いのではない、内容の問題である と考える。エヂソンが蓄音機を発明したとき 「それは何に使えますか」という質問があっ て「教育に使えます」といっている。放送が 開始されたとき設立趣旨書には教育が目的 であるといっている。ところが今日レコード といえば歌謡曲であり、TVといえばメロド ラマかクイズかスポーツのような娯楽番組 が多い。教育にも大いに役立っていると考え るが、一般の受けとり方はそうではない。新 聞やニュースは異状状態のみが集められて いる、記者はSF小説の筋を興味深く追い廻 しているということだ。そこで発想の大転換 をやってみる。試みに一週間新聞とTVを 見るのをやめてみるのも一方法である。その 間ユーモア小説か歴史小説かその人の好みに よって現実ばなれの方向に注意をむける。極 めて静かだ。 老人の特権として雑事を忘れることも早 い、忘れるという特技が長年の修練によって 会得されている人は老人ぼけとか健忘症とい う。しかしよく考えてもらいたい毎日毎日新 聞を読んでTVニュースを熱心に見ている人 でも、何年前の何月何日に桜島の恐しい爆発 をTVで見たといっても、今日はっきりと思 い出せる人は少ない。電気紙芝居の怪獣ほど も気にならない。これは老人の現実逃避、感 受性麻痺あるいは記憶喪失か、そうではない 一億総健忘症である。3年前の10大ニュー スを今日指摘出来る人は、そう多くはあるま い。新聞やTVニュースの選択権が編集デ スクにあるように、こちらには読む読まない の自由があり、チャンネルを回す選択権があ り、忘却という忘れ去る特技がある。これで 総ては明るく転換し、安心この上もありませ ん。駄弁を並べた割に180度転換だけでは 電気工学のように明暗は逆転せず、やむなく パルス通信のゲートを応用して情報受信の オン・オフをメンタル符号でコントロールす る選択受信を提案し、その上にパルス消去法 (忘却)を提案しました。これらの複合通信 方式は既に皆さんが盛んに応用されて、大い に明るい日常を楽しんでおられることゝ拝察 いたしております。 (日電イランマイクロ建設本部)
[
支部からの報告
]
47
年度事業報告
昭和47年度は当会発足満4周年を迎え、 会の運営・活動の強化等が考えられ、会員の 御期待に添う様下記に示す主たる業事が取り 行なわれました。1.
事業計画と収支予算案
47年6月17日(土)第5回47年度総会 が逓信協会で開催された。46年度庶務会計 報告が行なわれ引続き47年度事業計画及び 収支予算案の説明が行なわれ満場一致で承認 された。2.
役員の改選
第2期役員の改選が取り行なわれました。 満4年副会長を勤められた大矢治郎作氏が本 総会で辞任され、新たに常任幹事の小島徳寧 氏が副会長に指名され満場一致で承認されま した。次に支部組職拡大に対処する為新たに 神奈川地区常任幹事として杉本久雄氏、千葉 地区に竹内重雄氏、東京地区に引続き和田藤 秋氏と倉井正治の計4氏が支部長より常任 幹事の指名が行なわれ本総会で披露されまし た。なお千葉地区の前田栄吉氏、茨城地区の 木村武雄氏両役員が辞任されました。従って 役員の補充組織拡大に対処して東京は大場清 次氏神奈川は種谷正人氏と佐原芳雄氏、千葉 は野本清氏と栗原雄一氏計5名の方々が支部 長指名となりました。3.
御祝
古稀のお祝いが下記4名の会員に贈呈され ました。 八丈島役員(東京) 金川道之助氏 支部相談役(東京)の田中 光亀氏 千葉会員の川島 秀松氏 千葉会員の田久保耕作氏4.
役員会議
年4回全役員が集合 年度実行計画の推進 打合せ等協議した。常任幹事会は必要の都度 打合せ協議を開催し年度計画を推進された。5.
弔慰
下記の方々は不幸にして亡くなられまし た。心からお悔み申し上げます。岡正尊氏夫 人(47.8.10)、川島秀松氏(47.10.12)、中澤弘 一郎氏夫人(47.9.5)、酒井昇氏(47.10.26)。 御葬儀には、それぞれ地区役員、会員、現役 の方々、会長又は副会長が参列致しました。6.
支部会報の発刊
待望の支部会報(創刊号)が発刊されまし た。(47年11月発刊)会報の発刊について は御承知の通り無線分野の歴代長を始めとし て相談役の方々、会員皆様、役員の方々の御 投稿を得て、無線支部誕生から現在までの出 来事が記録され、会員の死亡その他一切の情 報を含みその年代の姿がしるされている。此の創刊号が10年20年と経ちますと誠 に貴いOBの記録となる事でしょう。又退 職後、とかく疎遠になり勝ちでOB間の連絡 は少なくなるでしょう。此の点平凡な親睦団 体と決め付ける前に会報の内容を反省して見 ると皆様も頷ける事と思います。会員の現状 把握は大変大切な仕事です。お互に何か心の 支えとして会を育てて行きたいと思います。
7.
恩年金情報とその活動
恩年金については本部安部専務理事の御努 力で強力に推進しております。特に総理府原 案の詳報、国会通過の現状については、48年 9月の本部会報第 9号に詳しく説明されて おりますから、すみずみまで目を通して下さ い。又支部事務局だよりの中に我々の生活に 大切な恩年金に関する税の減免についてその 他と共に記載されておりますから注視して下 さい。以上 (小島記)48
年支部総会の状況について
上記総会が6月2日(土)逓信協会にお いて開催されました。新入会員7名を含み会 員数181名中総会参加者86名顧問として山 根無線通信部長をお迎えし現職参与の機関長 20余名相談役歴代無線部長、次長の方々、来 賓として本部の安部専務理事、お客様として 搬送支部役員の渡辺要氏の御来場を賜り総員 108名の方々が参集されました。細かい内容 は48年度本部会報第9号に詳しくのせてあ りますので割愛させて戴きます。又9号には 全関東11支部の総会内容が記載されており ます。本部安部専務理事より会報の内容を事 細くすみずみまでお読み願いたいとの事です から会員の皆様も会の動勢把握の面からも是 非内容の把握をお願い致します。 (小島記)東京無線支部会員の現状
地区名 会員数 地区名 会員数 47.10.1 48.1.1 47.10.1 48.1.1 東京 60 63 山梨 1 1 神奈川 42 54 福島 1 1 千葉 43 44 福岡 1 1 埼玉 22 24 茨城 1 1 計 171 189創立
5
周年を迎えて
東京無線支部が誕生してから早いもので 今年はもう5周年を迎えた。この間会員 も毎年10数名ずつ増え続け創立当時117 名であったが今は180 名を超えた。財産 面でも初年度の30万円から今年は9月末 で収入の部60万円と倍増するに至りまし た。こうして逐年、会は発展強化していく 姿はまことに力強い限りです。この成長の 影には東京無線通信部の部長をはじめ幹部 の方々あげての絶大なご支援の賜であるこ とを忘れてはならない。全会員一丸となっ てますます立派に成長させてそのご支援に お報いしなければならないと痛感している 次第です。48
年度会費の滞納について
今年度の会費未納は現在52 名となって います。お忘れの会員は至急事務局へ年額 1,500円をお払込み下さい。 (倉井)慶弔
(以下敬称略)叙位・叙勲
死亡者叙勲 47.10.26 酒井 昇 正7位勲6等瑞宝章電気通信協会賞
地区 氏名 受賞回・年月 神奈川 大矢治郎作 第6回 40.5 千葉 菊谷 秀雄 第8回 40.5 神奈川 勝田 秀雄 第15回 47.5 以上の方々は永年電信電話事業に多大の貢 献をなし功績顕著の故に受賞。 同協会が毎年全国電気通信事業に功績の高 い15名程度の方々を表彰されている。電気通信産業功労者
地区 氏名 受賞回・年月 埼玉 岡 省吾 第4回 46.11 この賞は上記電気通信協会が昭和45年新 たに制定されることとなったもので通信事業 に永年従事技能優秀操行善良で電気通信産業 の発展に寄与された方々が通例30名程度表 彰されている。名誉会員
地区 氏名 生年月日 退職年 東京 持丸寿一郎 30. 8.21 昭27 千葉 飯田熊次郎 30.11.15 昭29 以上48年度に名誉会員となられた方々と 住谷、大矢両先輩を加え4名となりました。古稀贈呈者
地区 氏名 生年月日 年度別 埼玉 片岡 定一 34. 2. 1 46年 千葉 早原 明男 35. 2.17 48年 埼玉 近藤喜三郎 36. 2.21 48年 東京 久保田栄次郎 36. 2.25 48年 神奈川 勝田 秀雄 36. 5.19 48年 片岡さん1号に洩れましたお詫びして追加 します。病気見舞
地区 氏名 見舞月日 病名 神奈川 仲 節二 48.7 自動車事故 千葉 白井武一郎 〃7 心臓病 〃 田久保耕作 〃6 肝 炎 東京 川原千代子 〃9 心臓病 千葉 立田 正四 〃9 十二指腸 〃 田久保耕作 〃10 胆石物故者
地区 氏名 死亡年月 年令 神奈川 酒井 昇 47.10 56 東京 日高 文武 48. 6 60 神奈川 奥田 直工 48.10 64 千葉 立田 正四 48.10 60 みんなこれからというのに逝かれた方々ば かり、謹しんでご冥福をお祈りします。 (倉井)[
地区だより
]
東京・埼玉地区ブロック会について
東京地区は前回と同様に埼玉地区と合同で 10月5日(金)に飯田橋会館でブロック会を 開催いたしました。会員25名参集し賑やか に旧交を温め合いました。また、無線通信部 からも宮代総合工事長、掘井第一工事課長の 双方が雨の中にも拘わらず御参加下さり多額 の御寄付までいただいて一同感謝しておりま す。金川道之助氏には遠路御参加下さった上 に御寄付まで頂き世話人として大変有難く存 じております。 会の内容としては、支部長より年金の関 係、小菅氏より共済健康保険について概略の 御説明があり懇談に移りました。尚、連絡な く欠席された方がありましたが、準備いたし ました関係上今後はよろしく御願いしたいも のです。 (和田 藤秋)47
年度神奈川地区懇談会実施模様について
ことしの春、3月11日の日曜日、正午 芦 名口バス停(長井ゆき)に参集、大楠無線送 受信所山上局舎で実施し、支部長始め会員約 18名参集した。長尾所長の厚意により懇談 に入る前に一同局舎内を見学、機器設備につ いて伊山次長の懇切な説明に一同誠に感服し た。この日晴天で誠に暖かく局舎屋上からの 三浦半島一円の展望もよろしく、きょうの集 いに一段と花を添えた形態に見えた。初めバ ス停からくるま便乗の件については案内状に 多少の不備もあったせいか前副支部の大矢氏 にはバス停から山上局舎まで歩くなど老人パ ワーを遺憾なく発揮され、又深田氏(大楠初 代所長)も病気療養中の体を杖を手に参集さ れたことは本報告の特筆に価する。我々の集 いのために休日を廃して所長、次長出勤され 諸準備の手配等なお当日勤務の所員の方々に も多大の御手数を煩わせたことを役員一同少 なからず恐縮している。懇談は所長、支部長 の挨拶から始まり終始和気あいあいのなごや かムードで午后3時閉会した。 (杉)埼玉地区最近の一般情勢
当地区も新会員を迎えて会員数も漸く24 名となりました。今年は幸に一人の病人も出 ず物故者もなく平穏無事の一年になりそう 底ケーブルの多重化により遂に廃止され小室 の短波通信も極端に縮小された由 岩槻も新 時代の波に押しながされて消えて終った そ鉄塔も本年漸く撤去されたが局舎敷跡は岩槻 市が獲得すべく市議会に払下特別委員会まで 設置してあらゆる手段を講じて払下運動に奔 走したが最後には電電公社の要求(代替地提 供)が実現出来ず、又市当局にもいろいろの 悪事件が発生して遂に断念した。 廃局以来数年に渉りくすぶり続けた不愉快 な問題も解決した。公社では職員福祉の一端 として職員宿舎を建設すべく計画中と聞く。 公社関係者としてまことに結構のことで喜び に堪えません。 地区物故者の墓参り 私達地区幹事は秋分の日に会員を代表して 多年に至り通信事業に貢献され、退職後は本 会発展につくされ又後進の指導に当られた柳 内栄蔵さん又裏方として夫君の活躍に内助の 功を立てられた岡正尊さん及び片岡定一さん の奥様三方の菩提寺を訪れお花を供え香をた きご冥福を祈りました。 (田中)
千葉地区だより
47.10.1
以降
47.10.13 川島秀松さん告別式 10.17 花島仁吉さん早野外科退院 11. 3 菊谷秀雄さん勲5等瑞宝章 48. 1.13 第3回千葉地区ブロック懇談 会(臼井)出席者会員34名、 現役11名。臼井無線送信所開 局50周年記念祝賀会と共催。 48. 4. 1 鷲田志郎さん夫妻、和歌山県 白浜町協栄白浜年金ホームに 永住移転。 48. 6.23 田久保耕作さん病気見舞。 肝炎で5月26日習志野クリ ニック入院、5月30日退院。 48. 6.27 東京地区の日高文武さん急逝。 連絡措置。 48. 7. 1 住谷嘉太郎さん千葉市仁戸名町 千葉厚生年金ホームに入居。 48. 8.22 平木保さん(千葉電話局副課長 ・元検見川船橋勤務)告別式。 48. 9.29 立田正四さん病気見舞(野本) 幽門部出血、8月15日五反田 入院、9月25日手術。 48. 9.30 支部会員連絡名簿(千葉地区会員 42名)立案。 48.9.5 田久保耕作さん病気見舞。 胆石で7月19日千葉大入院、 9月14日手術、10月4日退院。 自宅療養中。 48.10.12 神奈川地区の奥田直工さん病死、 連絡措置。 48.10.28 立田正四さん逝去。胃癌・膵臓 癌、60才。告別式48.11.2日。船橋無線跡地のその後
旧無線鉄塔群は解体され、46.12.24すべて 姿を消した。大正2年10月帝国海軍の無線 基地として起工されて以来実に58年。その 跡地利用として税務大学の校舎、公務員住宅 の建設、更に「県立行田公園」の総合プラン により国・県・市三者負担の工費5億円で、 緑と水をたたえた大公園(無線跡地記念塔を シンボルに散策道・サイクリングコース・池 など諸施設配置)を計画、昭和51年には完 成し広く市民に開放される由。 (竹内)[
追憶
]
酒井さんの憶い出
小島 徳寧 酒井君と私とは色々苦楽を共にしているの で何か故人の憶い出を思い立ち筆を執りまし た。皆さんも御存知の様に酒井君は実に努力 家で我慢強く几帳面で、すじを通すと言う人 柄でした。彼れの生立ちを知る程に頷ける。 彼は昭和5年5月1日長野県伊那郡宮田村 の郵便局に通信事務員として奉職し、同10 年4月まで郵便局に勤務、同11年2月東京 逓信局工務課東京電信区工事傭として採用 された。同年15年6月まで勤務しておりま す。その間、夜間に勉学し逓信官吏練習所に 入所、同17年4月技術科を卒業、直に無線 専修課程を径ております。当時の酒井君とし ては青春の血をたぎらして栄冠を闘取ったそ の姿が、ありありと偲べます。 その後丸の内工務出張所に勤務、同17年 11月東京中央電気通信工事局勤務、初代所 長は古田さん、無線課長は有竹さんでした。 同19年4月戦雲急を告げ防衛通信施設局東 部施設部が誕生、茲で酒井君と共に勤務し た。課長は有竹さん、係長は今は亡き石井傅 さんです。その後僕が係長となり、当時酒井 君は工作隊無線小隊の小隊長さんで軍の通信 関係を一手に引受けていた。その頃資材が無 く無線機が製作出来ない事態になり、止むな く東京都内・横浜市内の各家庭商社の保有す る電蓄・拡声機等の供出、回収を行なった時 です。酒井君は小隊長で張切っていた。巻脚 半、地下足袋、戦闘帽をかぶり活躍された。 その頃夏の暑い日に、うすぎたない手ぬぐい 張って行った。彼は大の汗かきで顔にしたた る汗を手ぬぐいで、ふきふき懸命に資材集め を行なった頃が偲ばれる。戦後、21年5月 本社資材局に、27年4月、施設・保全・建 設の三部局が誕生、酒井君は資材局より、僕 は工務局無線課より、芝浦の建設部に赴任し た。茲で再度伝送無線課で共に勤務した。当 時の課長補佐が長南さん、僕は無線主査で逓 信畑の人は無線では二人切り他の人々は工事 会社の方々が逓信入りした頃のお話しです。 本当に二人で苦労致しました。その後29年 7月臨時極超短波部へ、31年6月関通施設部 無線課へ、32年9月甲府統野中の所長、36 年1月大手の所長、38年大阪統無中の次長、 その後京都の報話局長を径て43年3月日本 通信サービス発足と共に入社しております。 その頃一生の念願であった、マイホームを戸 塚区平戸町に建てられました。早速見に来て 呉れと言うので御伺いすると、実に立派な建 物が出来上り、色々苦労話を伺いました。今 は戸塚区平戸町ですが、大正8年横浜市に併 合されましたが、元は相模の国鎌倉郡戸塚町 字平戸が正式呼称です。僕の田舎に住むなん て、何かの縁だね、僕の所は吉田元町で東海 道53次の宿場跡なんだと、土地柄を話して あげました。45年高血圧が悪化して五反田 に入院、その間看病の疲れが元で奥様が発病 亡くなられました。今も思い出すのですが、 47年9月のお彼岸の日に和田さんと連立っ て御見舞に上りました。酒井君も大変回復さ喜びが溢れておりました。これが本当の夫婦 の愛なんだと一人心にしまっておきました。 久し振りに歩いたんで足が痛くて困るよね… 元気な所を拝見してお別れ致しました。その 後旬日ならずして再発入院、9月26日に亡 くなられました。今に思えばお彼岸に淑子の 墓参りが出来た事を非常に喜んで居た事と、 この御墓参りが最後の御夫婦の語らいの様に 思えてなりません。御見舞に上ったのが最後 の御別れとなりました。御夫婦の御冥福を祈 ります。 (東京無線支部副支部長)
故日高文武氏の想い出
相曽 新一 去る6月27日早朝 心不全のため急逝さ れた故人の御冥福を心からお祈りし、50年 間親交を受けた身のせめてもの供養として故 人の思い出をたぐり、有し日の面影をしのび たい。思えば故人と任官試験を一緒に受けた のが縁の始まりで以来どうしたことかお互の 身に大きな異変の起きた時は必ず同一職場に 勤務中と言う巡り合わせでありました。すな わち大東亜戦争末期私に召集令状が来た時、 次は故人の愛妻が亡くなった時、そして今度 はご本人が急逝された時等全く不思議な縁と 言う他ないと思いたい。ために故人の思い出 は数々ありますが、今凡てをご紹介すること は叶わぬこと故にほんの一コマだけをご紹介 する。故人はご承知のとおり、もの静かな言 動と独特の社交術によって常に明るいムード をかもし出す好々爺であった半面時には実に 強情な一面の持主でもあったと思われる。こ の強情さがまた私を現在あらしめたとも思え る一端をご披露し故人に深い感謝を捧げたい と思う。時は戦戦争末期、私に二度目の軍隊 生活を強いる召集令状が来た時のことです。 夜る令状を受け明朝8時入営と言うので.早 朝出局し宿明者に会いそのまゝ入営の覚悟で あったのに当日の宿明者が故人であり「生死 も分らぬ召集だから」局長の出局を待ってお 別れした後入営した方がよいと実に強引な説 得を受け、そうかなと意を決し局長の出局を 待ってあいさつした結果激励の辞と共に渡さ れた一通の封書が召集免除願いであったため 入営しても即刻召集免除で解放されたわけで すが、若し故人の説得がなく、そのまま入営 していたら果して生死や如何にと思うと、故 人こそ命の恩人と言っても過言ではないよう な感強く常に感謝していただけに、今度の急 逝は大きなショックであったのです。あゝ私 に故人を病魔から守る力があったならとくや まれる事切なるものがありますが、力なき身 の悲しさ今はひたすら故人の霊よ安らかにと 祈るのみです。[
会員の声
]
旧友会運営に一言
河村 倉六 今回第2回無線支部会報発刊に当り、小生 に寄稿するようとの知らせに本当に当惑して おります。生来筆不性でなんといたし方あり ません。去る5 月の総会で私が発言した質 疑の内容等を書けとの事ですが、私は自分な りの考えで旧友会のありかたを少々述べてみ たいと思います。会則の第3 条に本会は会 員相互の親睦をはかるとともに会員の生活の 安定福祉の増進をはかる云々とありますが、 私は年一回程度のブロック会議では会則の目 的を達成出来ないと思います。私はブロック 会議には一度だけしか出席しておりませんが 生活安定・福祉の増進についてはなんの話合 もせず ただ何んとなく会合して酒食を共に すると云うような会合だと思われます。これ では何の意味もないのではないかと私は疑問 をもちます。少なくともブロック会議は各地 のものが集約されて支部機関の事業計画とな るのだと思います。そこで私は提案します。 ブロック会議は費用、会場などの点で問題も あると思いますが、なんとかこれを克服して 少なくとも年2回程度は開催したいと思い ます。一回はあまり肩のこらない本当の親睦 会とし、一回は私達老人の生活福祉の安定増 進について充分な時間をかけて話合いをし結 論を上部機関に反映すると云うようなブロッ ク会議の運営方法でないと旧友会の本当の実 のある発展はないと思います。ただ毎年会員 がふえると云う事は、毎年退職者があるので 自然増員と云うことです。支部総会に出席し てみましても年度経過報告はどこの地区でブ ロック会議が行なわれたとの事だけで、どう 云う事が討議されてどう云う結論がでたと云 うような報告はなく誠に淋しいものです。ま た本年度事業計画の討議もなく、すべて上部 機関におまかせと云うような結果だと思いま す。とは云うものの役員の皆様方の時間的な 制約費用等その他種々の障害はあるとは充分 承知はしておりますが、折角立派な組織があ るのですから会員一同協力して、会の発展が 即ち第3条の目的達成になると思います。は なはだ拙文ですが私の旧友会無線支部に対す る率直な感じを申し述べました。皆様の御参 考になれば幸甚です。「私は」
福本 七郎 昭和29年秋、臼井無線送信所退職まで、私 は電電公社様に並々ならぬお世話になりまし でしょう。公社を離れてからの生活はほんと に苦労そのものでした。す。旧友会東京無線支部が発足第1年から、 お世話になり非常に嬉しく有りがたく、旧友 の激励のお言葉、特に健康については身にし みて拝ちょうしています。私は(酒、タバコ みでした)毎月の10日間ゲンノショウコ、ハ ブソウの煎じをガブガブのみます。両方共自 作しています。リュウゼツラン(白ブチ)を 毎月2日煎じみます。これは医者に見離され た神経痛にほんとによくききます。自作して いますから御分けします。少々のお酒の肴に はコンフリー・クコを食べています。只今、 電気通信共済会の広谷様から仕事を戴いて、 元気で元気で朝早くから出かけています。
近況報告
岡本 信幸 稲の葉先の水玉が朝日を受けて七色の光を 放っています。この季節を称して白露の候と いう気候の挨拶言葉がうまれたのでしょう。 「暑さ寒さも彼岸ぎり」と言い古されていま すが、あの殺人的な暑さでクーラーの製作が 間に合わぬとメーカー筋で嬉しい悲鳴をあげ たのもつい先頃であったことを思い浮かべる とき、秋分の日のこの快適な気候への移り変 わりが、まるで夢のようです。 無線支部の皆様には御機嫌いかがお過しで しょうか。支部総会と千葉地区懇親会には、 殆んど参加させてもらって、おめもじの機会 を得ておりますが、日頃は御無沙汰のみにて 申しわけなく存じております。 支部役員の皆様にはキメ細かいご配慮をい ただき、旧友会の本来の意義に向かって指導 を賜り有難く御礼申しあげます。 また、無線通信部の事務局におかれまして は、無線便り、ビーム、など御恵贈ください まして感謝にたえません。ありし日を思い浮 かべながら、後進の皆様の御発展と事業の進 張を、これ等読み物を通じて、懐かしみそし て祝福しております。 早いもので、私が公社を辞めてすでに五年 が経過しました。無線屋が電話屋に職変して 11年、外野にあって、電話工事認定会社の一 員として努力しております。9月から、元大 楠所長の橋本章三様を私共の会社にお迎えで きたことをよろこんでおります。私の近況
岡 正尊 昭和41年に国際電電を退職して、逓信総 合博物館にお世話になって丸々7年、本年8 月にここでも停年を迎え退職いたしました。 身体の方が御蔭様でどうやら健康なので、こ の程度の健康が保持できる間は隠居はまだ退 屈しそうです。推せんして下さる人の言葉に甘えて再び国 際電電に逆戻りいたし、現在では国際電電の 料金センターに勤務しております。今までは ニッパーやペンチを握っていたのが、今度は 出勤から帰りまでソロバンにしがみつく職場 なので、今のところ始めから終りまで間違い だらけで、その後を課長に尻ぬぐいをやって もらっている始末です。今までは悪い技術屋 気質で事務などは誰にでもできるわいと思っ ていましたが、技術屋と事務屋は事業という 車の両輪であることを、今更ながらつくづく と見せつけられています。皆々様のご健康を 心から祈ってやみません。
第二の人生
伊奈 豊蔵 会員の声を出せと云われても小唄か民謡の 声位。会報其の他の御世話を下さる幹事の皆 様に感謝するばかりです。小生は第2 の人 生として小唄 三味線と碁に打込んでいます。 朝起きるとすぐ2階のわが小唄教室に入り、 三味線を出して唄いながらけいこを初め、又 習った三味線の譜をテープから譜に書く。一 つの唄を譜に取れるまでは三回位教えられな いととれない。勿論教わる時は譜なしです。 テープから譜が大体とれる様になれば一人前 です。あと5年位したら人にも教えられるで しょう。70になったら老人会に入り、大い に老人が老人をなぐさめたいと思います。午 后は碁会所にゆき今ではへぼ先生として経営 の一端をになって いくらか小遣をかせいで います。昔(くこ)なるものを宣伝して皆さ んの健康に役立たせて戴きましたが、目下は アルカリ水なるものを作る機械を買込んで、 活性カルシュームイオン水を作り、私と家内 とがこれを毎日500cc程のみながら実験中で す。私の高血圧と家内の胃痛、肩こり、アレ ルギー性がなおれば又大いに皆さんに宣伝し て うんと長生きしてもらいたいものです。近況
片岡 定一 旧友会の会合に御無沙汰ばかりして申し訳 ありません。東京へは、すっかり出不精にな りまして、国際の同友会や、公社の春秋会な どにも、いつも失礼している次第です。健康 状態は、これと云った持病もありません。2 年位前から毎朝自己流の体操を5分間続けて おります。散歩も時々1時間ぐらいしており ます。大好きな釣魚は、当地元荒川もただ見 ればキレイな流れですが、何だか汚れている ような気がして、釣った魚を喰う気がなく、 年に2∼3回気晴らしに出かける程度になり ました。有り難いことだ
竹内 重雄 朝、目が覚める。呼吸も脈拍も体温も正常 だ。排尿・便通これも調子よい。 洗顔がすむと頭もはっきりしてくる。御先 祖様に拝礼。子どもや孫達は夫々通勤通学。 新聞・テレビに目をくばりながら朝食をと る。有り難いことだ。 家業(酒小売)・家事のいそがしい時は、い くらか手伝うが、大抵は新聞の切抜き、スク ラップブックの整理、読書というと体裁はよ いが雑書の乱読、たまにはノートをとる真似 もする。郵便が配達されゝば見て返信の要あ るものはなるべく早く片付ける。 テレビは相撲とキックボクシング、他のス ポーツも嫌いではない。あきれば昼寝、夕食 後には入浴。 再び趣味の時間。全く有り難いことだ。就 床後は、今日一日の三省。明日の予定などを 考える。 もちろんわが家は至らぬものばかりの集団 (現在8人家族)だから、一日の間に家中で 言い争ったり、愚痴ったりすることもいろい ろあるが、まあまあこうして1日1日をど うにか暮らしておられる我が身、それも予定 よりも14年も生きのびている自分の境遇は (金も名誉も智慧もないけど)、なんとまあ有 り難いことだ。 これもみんな皆様方のお蔭。 人間の生命のはかなさ、もろさを日常いや というほど見聞きするからこそ、生きること の喜びをかみしめ、今日1日だけをたゆみな く生きる。その積み重ねはいかほどであろう とも。 何度も繰り返してしつこいようだが、本当 に有り難いことだ。この頃の私
鈴木 貞治 時下秋冷の候、皆々様 益々御健康の事と推 察申し上げます。常に旧友会東京無線支部の 幹事の方々には何かと御指導を頂き、誠に感 謝にたえません。小生もお蔭をもちまして健 康に恵まれ、現在就職はして居りませんが、 地区の役職等を引受けておりますので、毎日 忙しい月日を楽しく送っておりますので、他 事乍ら御休心下さい。今後共宜しく御指導の 程を御願い申し上げます。先ずは近況迄。年金ホームの実情と体験
鷲田 志郎活をしたものですが、現今急激な社会変動と 近代産業化が、老人に大きな困難を作り出し 老人をとりまく生活環境は余りにも厳しい状 況なのです。公害・インフレによる物価高は 日を追って益々生活の不安を助長し、折角長 生きしてきた老人の健康にも影響しはじめて きました。全国の50才以上を対象にした調 査によると、不安を訴えているものが42%と なっています。一昨年来、老人の余生を楽し く不安のない生活、最良の環境の「ホーム」 を各種資料で調査し続けた結果、協栄生命保 険KK経営の白浜年金ホームへ入居出来ま した。医食住付きの此のホームは、日本列島 最南端に位し、奇岩に青々とした海原、深緑 の熱帯樹木に囲まれた景勝地に、Y字型5階 建鉄筋コンクリートマンションが小高い丘の 上に立ち、一次入居者男女共20名が何の不 安もなく余生を楽しく暮しています。特に健 康管理は万全で医療器具の充実、診療室、更 に看護婦2名が常駐、週に4回 田辺市の紀南 病院内科医師が往診、投薬は凡て無料です。 各廊下は老人の歩行の安全を考えカーペット 敷き、一方テレビカメラが所々に設備、モニ ターで監視してます。温泉風呂も毎日入浴、 リョウヤチ其の他に効くそうです。此の附近 は海や渓流が多く関西方面から魚釣りにき ます。私もズブの素人ですが釣道具一式購入 して最近では鮎を数匹釣り、また海ではスズ キ・アジ等の大物が釣り上げられます。雨天 の場合は朝から囲碁に興じ本当に長生きして よかったと毎日感謝してます。各室内は全部 和室で水洗トイレ・流し台・暖房用スチーム が設備され、電気器具で各自好みの炊事が出 来ます。 ・自費 (1)電気料10.0KWは無料、超過分のみ 自費。 (2)衣料類 (3)雑費(新聞、クリーニングその他の 代金) ・共用 (1)温泉風呂 (2)洗面室(各階に洗濯機設備あり) (3)娯楽室 (4)読書室 (5)食堂室 尚入居希望者は、医師の診断書を添え、血 圧、血沈他体内のレントゲン検査を受け、入居 時は健康体であることが規定されています。 詳細については 東京都神田駅近くの協栄生命本社(03) -270-8511(代)担当係・後藤さん にお問い合せ下さい。 いくらかでも参考になればと書きました 私の報告はこれで終ります。
所感
M生 先日、旧友会埼玉・東京地区合同の集まり 仕事や趣味に第二の人生をエンジョイされて敬老の日の前後には老人福祉について、マ スコミも大きく取りあげますが、その後の動 きはあまり活発ではないようです。老人医療 年金等の間題については、我々元気な者が考 えてゆきたい、またやらなければならないと 思います。
雑感
野川 忠一 後進に道をゆずると云うと負けおしみでも 聞こえがいいが、実は自分の無能力に行き詰 り36年間の公社生活を去り、早や6ヵ月過 ぎました。「老兵は語らず」は既に古語で老 兵も語らないと生活が苦るしい今日の世相、 時代も変りました。 私は公社での生活は大半を短波で過ごして 来たので短波への愛着は人一倍持っていると 自負している次第ですが、風聞によれば短波 再編が諸般の状勢からとは云い足踏みしてい るとのことで慨嘆しております。私は26年 と45年に二度銚子無線でお世話になりまし たが20年間のギャップを感じられませんで した。この冬眠状態では短波の永続は有り得 ないと考えて情熱を燃やしたいものです。短 波だからといって公益性の売りもののみで 存続は約束されません。短波自身時代に活き る努力を重ねる必要があります。業務面の集 約、施設の整備改善、運用の改善省力化、そ れこそ旧来の慣習から脱皮する必要がありま す。現在の短波業務を衛星通信や海洋中継通 信に代替する時代も遠くないと思います。そ のような動きが見えてから短波の存続を考え ては手遅れです。最近の風聞は短波の将来の 為めに誠に惜しむべきことだと思います。公 社を去った今日東南アジアでの短波の再盛を 夢見つゝ独想しております。元気です
氏家清一郎 元気で頑張っております。企業人
佐藤 好二 皆様、お変りない事と思います。今年の1 月、永年住み慣れた電電公社を後に、新しい 第二の人生の道を歩き始めた時は流石に公社 への絶え難い郷愁に駆られたものでした。道 で、不図、見かける電通色の自動車を見かけ 全国を駆け廻った思い出に浸りました。 早いもので、あれから8ヵ月余が何時の間 にか流れ、目下、無我夢中で、交通信号工事に 取り組んでおります。公社時代と異なり、立 場が逆転したのが、どうも、しっくり行かずら企業人らしい応対が出来る様になったと、 思える様になりました。企業の厳しさは、失 張り、想像以上ですが、底流にはPHPにも 見られる人間性があり、又、“考える”とい う事の発想の特異さには、時々、驚かされ、 新しい土地に踏み入った事を痛感させられて おります。“衆知を活かして経営責任に徹し よう”これが、企業人の忘れてならない訓と なっております。 呉々も御自愛の程を。
一生懸命に
五代儀タマ 御無沙汰いたして居ります。先日は旧友会 のお便りありがとうございました。退職しま してからも早5年になりますが、おかげ様で 元気で病院専門の酸素配管をして居ります会 社の寮で働いて居ります。家から歩いて15 分以上かかりますし、朝早く夜8時すぎるこ ともございますが、一生懸命働きたいと思っ て居ります。いよいよ寒さも近づき私達老 人には大変ですが、皆様にもお身体に気をつ け、お元気でおすごし下さいますよう、お祈 りいたします。社宅から自宅へ
前田 栄吉 暑い夏が過ぎて涼しい秋が、そして間もな く冬が来る。過ぎて仕舞うと早いもの退職 後5ヵ年の月日が過ぎた。長い間社宅生活を 転々として暮していたのが退職で住むところ がないので仕方なく自宅を建設せざるを得な くなった。いざ建てるとなると設計から建築 迄に色々の苦労があって出来上る迄一ヵ年か ゝった。それから後が又大変である。垣根、 物置、車庫等の附帯工事を次々とやらねばな らず庭の飛石、植樹、下水の手入れ等やるこ とがたくさんあって一通り出来たと思うとも う修繕しなくてはならぬところが出て来る。 ペンキの塗り替えだ畳の裏返しだという具合 である。年度予算で時期が来れば定期的に修 理して貰える社宅とはまるでちがっている。 社宅生活30余年その有り難さをしみじみと 感じている次第である。横浜との関係
大場 清次 東京に生れ、東京に育った筈が何時の間に か横浜に根が生えた。 終戦と同時に横浜で、GHQの対米無線通 信に従事した。このGHQは一ヵ月程で、内 幸町のNHKに移ったので私も一緒に東京へ 戻った。 それから丁度、拾年目、昭和30年に横浜 ハーバー(現在の横浜統無中)へ赴任し、53 年まで勤務した。 それからまた10年目、昭和43年長者町 電話局勤務となり、三たび横浜に来た。この 間、私の仕事は無線から電話関係へと大きく 変わった。仕事も不馴れの上、人間関係も全 く新しくなった。それでも私は何の不自由も なく、まことに愉快な毎日を過ごすことが出 来た。周囲が親切で、未熟な私を困らせまい とする細かい配慮が其処此処に滲み出ていた からである。 その後、私は通信建設業界に入り、引続き 横浜で電電公社の工事に携わることになった が、土木、線路の建設は、私としては、これ 又、全く新しい仕事であった。 「公社は温室だ」と思い込んでいたのに、突 然事情のわからない業界へ飛込んだのだから 何かにつけ不安でならなかった。しかし、こ こでも公社の方々のご援助や業界、会社内部 の温かい指導、協力に支えられて、楽しく仕 事をすすめている。そろそろ4年目に入ろう としているが、成績も上がらない代わり、大 きな失敗も起こしてはいない。 こんなわけで、私のこれまでの生活は常に 職場環境に恵まれていたようだ。いつも周囲 の親切に甘えることが出来た大変運の良い男 だと感謝している。ただ現在の仕事が無線か ら離れているので、ちょっと淋しいが旧友会 のお蔭様で先輩の皆様に度々お目にかかれる ことは、ほんとうに嬉しい。本会の発展を心 から祈る所以である。 本日は.無線通信部の第24回電信電話記念 日のお祝に参加させて頂き、嬉しさ懐しさの あまり遠慮なく充分頂戴してしまった。これ も少々甘え過ぎたようで反省はしているが、 この癖は何時までも直らないかも知れない。 48.10.23記連想五題
広谷 正人 1. 那須のグリーン・ロッジについて 旧友会東京無線支部の皆様には思い 出多いことと存じますが、那須、八幡 温泉の隣接地に超短波回線東北ルート の那須無線中継所が存りました。 施設があり、出入に際しては公社職 員でも、ガードマンの許可を必要とし た期間もありました。当時の関係者の 方々は被占領国民として、大変、ご苦 労なさったことと思います。須高原の山上に初めて電灯がついたと 聞き及んでいます。 時代は移りかわり、マイクロ回線の 発展とともに由緒ある同中継所の建物 は撤去されることになりました。跡地 には(財)電気通信共済会でレク施設 を設けることとなり、10月中旬に完 成し、「那須グリーン・ロッジ」が誕生 しました。 これについて、私の提案したいこと を述べますと、こゝは、前記無線中継 所ゆかりの地であり、且つ、那須高原 の文化の発祥地であることを後世に伝 える記念碑を建立したらよいと思いま す。また、当支部会員のメンバーがこ の地で会合し、往時を偲びながら清談 を交わす機会を計画されることを望む 次第です。 2. 恩給・年金の改定について 記録的な長期国会も終り、待望の恩 給、年金改正も漸く実現されるものと 思われます。それにつけても旧友会の 諸先輩や関係方面の諸先生方の日夜を 分かたない不断のご尽力の賜ものと存 じます。最近の物価変動は激しいイン フレの傾向にあり、年金受給者の1人 として、49年度以降の改定について も期待をかけています。今後とも何分 よろしくお願い申しあげます。 3. 電電記念日に参集して 本年も東京無線通信部長のご招待 を頂きましたが、所要のため定刻に遅 れて申訳けなく存じています。式典後 のパーティーに参加させて頂きました が、お集まりの旧友会員の各位の相変 らぬご壮健の姿に接し大変嬉しく、楽 しい集いであったと肝銘して居りま す。無線通信部ならびに旧友会の皆様 に厚くお礼を申しあげます。 4. 神奈川地区の皆様へ 私の住んでいる戸塚電電団地に自治 会の青少年会館が出来ました。2∼ 30 名までの集会に手頃の広さです。ご利 用希望の方はご紹介致しますからご連 絡ください。 5. 追悼 去る6月27日に日高文武さんがお 亡くなりになって間もない10月12日 に奥田直工さんの訃報に接しました。 お二人ともあまり突然のことで信じら れない程でした。両氏とも小生とは職 場を共にし、想い出の多い方でまこと に感慨無量に存じます。ご冥福を心か ら祈る次第でございます。 ((財)電気通信共済会本部施設部技術課)
ふるさとのつどい
岡 省吾 毎年1回体育の日に郷里に行き吾妻渓谷の 滝の流れを眺めながら同族相集って、田舎の 分吾妻山の中腹白布の高湯と言う温泉郷に達 する吾妻スカイラインの登り口でもある。うわけ。芋汁の出来るまで山ブドウやあけび (野木瓜)採りに出かける者もいる。あけび は谷間の深い渓谷で中々むずかしい。もう山 の寒さは防寒具を必要とする。爽やかな空気 は全くおいしい山頂の霧がどんどん上って行 く 見てゝ気持がよい。夜は一同旅館の大広 間で宴会、歌や踊りやらで一夜をあかす。翌 朝はゆっくりして夫々帰宅である。チリヂリ になると集まる機会もないので体育の日に集 まろうと言うことにしたのだ。旧友会の皆さ んも夫々仕事があって集まる等と言うのはと ても可能なことでないと思うが昔の仲間が年 一回位何等かの形でリクリエーションをやる ことも面白く記憶に残るであろう。NTTの 記念日に無線通信部から招待を受け旧友に 会うのが本当に楽しみだ。実行しにくいこと ではあるが会合する機会がほしいと思う。最 近地区別に連絡者をきめて密になったが旧 友の動静についてのあらわれでうれしい。こ の間の無線通信部からのNTT記念式典の招 待状を戴いた時のことである。招待者一覧表 の中に勤務先の欄に電話番号があったが い つ調査して記入されたものか疑がわしい記入 であった。連絡の不充分のためであろう、変 わって間もないならやむを得ないと思うが2 年も3年も昔のまゝではどうしたものかと 考えさせられた。無線通信部が旧友会員の動 静を知ることはむずかしいのだから旧友会 の方から連絡する仕組みにしなければならな いと思う。これには時間と労力がかゝるご苦 労な仕事であるかもしれない。暑い夏も過ぎ て凌ぎやすい気候が来たと思っているうちに もうすぐ寒い冬がやって来るのだ、そしてま た一つ年を重ねる。いやだと言ってもどうに もならないことなのである。皆さんの健康を 祈る。