こども府中はかせ 2
府中
ふちゅう
の町
まち
紹 介
しょうかい
北山町 武蔵台 栄町 新町 西原町 西府町 本宿町 日新町 四谷 住吉町 分梅町 美好町 東芝町 日鋼町 片町 本町 南町 晴見町 幸町 天神町 寿町 府中町 宮西町 宮町 八幡町 緑町 浅間町 若松町 多磨町 紅葉丘 朝日町 白糸台 押立町 小柳町 是政 清水が丘 日吉町 矢崎町 こ れ は 府中市ふ ち ゅ う しの 地図ち ず だね!いくつの町まちが あるのかな? では、一緒いっしょに調しらべて みようね。天 神 町 てんじんちょう - 3 ページ 美 好 町み よ し ち ょ う - 8 ページ 浅 間 町せんげんちょう - 12 ページ 四よ つ 谷や - 17 ページ 幸 町 さいわいちょう - 3 ページ 日 吉 町ひ よ し ち ょ う - 8 ページ 是こ れ ま さ政 - 12 ページ 日 新 町にっしんちょう - 17 ページ 寿 町 ことぶきちょう - 4 ページ 片か た ま ち町 - 9 ページ 押 立 町おしたてちょう - 13 ページ 北 山 町きたやまちょう - 17 ページ 清水し み ずが丘お か- 4 ページ 本ほ ん ま ち町 - 9 ページ 朝 日 町あ さ ひ ち ょ う - 13 ページ 西 原 町にしはらちょう - 18 ページ 宮 西 町 みやにしちょう - 5 ページ 武 蔵 台む さ し だ い - 10 ページ 多 磨 町た ま ち ょ う - 14 ページ 西 府 町に し ふ ち ょ う - 18 ページ 新し ん ま ち町 - 5 ページ 東 芝 町とうしばちょう - 10 ページ 紅 葉 丘も み じ が お か - 14 ページ 本 宿 町ほんしゅくちょう- 18 ページ 宮み や ま ち町 - 6 ページ 分 梅 町ぶ ば い ち ょ う - 10 ページ 小 柳 町こやなぎちょう - 15 ページ 府 中 町ふちゅうちょう - 19 ページ 晴 見 町は る み ち ょ う - 6 ページ 矢 崎 町や ざ き ち ょ う - 11 ページ 若 松 町わかまつちょう - 15 ページ 緑み ど り ち ょ う町 - 19 ページ 八 幡 町 はちまんちょう - 7 ページ 南み な み ち ょ う町 - 11 ページ 白 糸 台し ら い と だ い - 16 ページ 栄さ か え ち ょ う町 - 7 ページ 日 鋼 町にっこうちょう - 11 ページ 住 吉 町すみよしちょう - 16 ページ 町 まち ができた 順 番じゅんばんに なっているよ!
<府中市
ふ ち ゅ う し>・・・昭和
しょうわ29年4月1日生まれ
大化た い か元がん年(645年)の大化た い かの改新かいしんで、全国ぜんこくに60くらいの国くにが生うま れ、武蔵む さ しのくに国ができました。武蔵む さ しのくに国の国府こ く ふ(役所やくしょ)が置おかれ、政治せ い じ・ 経済 けいざい ・文化ぶ ん かの 中 心ちゅうしんという意味い みで「府中ふちゅう」とよばれるようになったと いわれています。鎌倉かまくら時代じ だ いの終おわりには合戦かっせん( 戦たたかい)の舞台ぶ た いになり 江戸え ど時代じ だ いは 旧きゅうこうしゅう甲 州街道かいどうに沿そって宿場しゅくばが作つくられ、にぎわいました。 府中市ふ ち ゅ う しは府中町ふちゅうまち、多磨村た ま む ら、西府村に し ふ む らがひとつになって誕たんじょう生 しました。 今 いま もけやき並木な み きや大おお國くに魂たま神社じんじゃなどの自然し ぜ んと歴史れ き しが残のこるふるさとのま ちとして、発展はってんを続つづけています。 広島県ひろしまけんにも「府中市ふ ち ゅ う し」という 都市と しがありますよ。<天神てんじんちょう町>・・・昭和しょうわ34年5月1日生まれ 幸 さいわい 町 ちょう とともに、いちばん初はじめに現在げんざいの 町 名ちょうめいに改かい正せいされました。 むかし、このあたりは窪くぼんだ土地と ちで、蛇へびがたくさんいたようです。 大蛇 だいじゃ が住すんでいたという伝説でんせつもあります。 < 幸 町さいわいちょう>・・・昭和しょうわ34年5月1日生まれ 天神 てんじん 町 ちょう の西側にしがわにある町まちです。馬場ば ば大門だいもんけやき並木な み きの北きたにあるので「 馬場先ば ば さ き」とよばれていた土地と ちがあります。三丁目ちょうめには、東 京とうきょう農工のうこう大学だいがく 農学部の う が く ぶがあります。 東 京 とうきょう 農工 のうこう 大学 だいがく
< 寿 町ことぶきちょう>・・・昭和しょうわ34年10月1日生まれ むかしからの地区ち くの名前な ま えの「馬場ば ば」とは、けやき並木な み きの左右さ ゆ うにあっ た競馬式こ ま く ら べ(馬うまを走はしらせる儀式ぎ し き)を 行おこなった場所ば し ょのことです。この並木な み き は徳川とくがわ家康いえやすが寄き付ふしたものだと伝つたえ られています。「 寿ことぶき」という 町 名ちょうめいは 縁起え ん ぎの良よいところからつけられまし た。 寿ことぶきちゅうおう中 央公園こうえんのひょうたん池いけに は大賀お お がハスがあります。 馬場 ば ば 大門 だいもん けやき並木な み き <清水し み ずが丘おか>・・・昭和しょうわ34年10月1日生まれ この地域ち い きは府中ふちゅう崖がい線せん(ハケ)というがけがあり、 水 量すいりょうの豊富ほ う ふな滝たきが 流 なが れていました。瀧たき神社じんじゃの湧わき水みずで例れい大祭前たいさいまえ の 神 職しんしょくや競馬式こ ま く ら べに使つかわれる馬うまを清きよめたとい われています。三丁目ちょうめの東郷寺と う ご う じには映画え い が『 羅生門 らしょうもん 』に 登 場とうじょうする 門もんのモデルになった 立派り っ ぱな山門さんもんがあります。春はるにはしだれ 桜ざくらが 美 うつく しいことでも有名ゆうめいです。 東郷寺と う ご う じ(山門さんもん)
<宮西みやにしちょう町>・・・昭和しょうわ35年5月1日生まれ 江戸え ど時代じ だ い、府中市ふ ち ゅ う しは街道かいどうのところどころに旅人たびびとが泊とまったり、馬うまや かごを乗のり継ついだりする宿場しゅくばとしてにぎわい、府中ふちゅうしゅく宿といわれまし た。むかし、宮西みやにしちょう町は府中ふちゅうしゅく宿のひとつで番場ば ん ばしゅく宿 といいました。町まち の 中 心ちゅうしんを東西とうざいに 旧きゅうこうしゅう甲 州街道かいどう、南北なんぼくに府中ふちゅう街道かいどう( 旧 鎌 倉きゅうかまくら街道かいどう)が走はし り、その交差点こ う さ て んには高札場こ う さ つ ば(むかしの役所やくしょが命令めいれいやお知しらせなどを札ふだ に書かいて立たてた場所ば し ょ)が残のこっています。 高札場こ う さ つ ば <新町しんまち>・・・昭和しょうわ35年5月1日生まれ 府中 ふちゅう 市し の 中 心ちゅうしんからまっすぐ北きたに行い ったところにあり、国分寺市こ く ぶ ん じ しと 小金井こ が ね い市しに接せっしています。町まちの西側にしがわには関かん東医療とういりょうしょうねんいん少 年 院があります。
<宮町みやまち>・・・昭和しょうわ35年10月1日生まれ 宮町 みやまち は、むかしから府中ふちゅうの 中 心ちゅうしんになっていたところです。三丁目ちょうめに ある大國おおくに魂たま神社じんじゃは、長ながい歴史れ き しのある神社じんじゃで「六所宮ろくしょぐう」・「六所ろくしょみょうじん明 神」 ともよばれ江戸え ど時代じ だ いに政治せ い じを 行おこなっていた徳川とくがわ幕府ば く ふから、神社じんじゃが責任せきにん をもって管理か ん りする土地と ちとされました。5月5日の「くらやみ 祭まつり」は たくさんの人ひとでにぎわいます。 大國 おおくに 魂 たま 神社 じんじゃ 大國 おおくに 魂 たま 神社 じんじゃ には「七不思議な な ふ し ぎ」 があるんだよ! 「こども府中はかせ1」を 読よんでみてね。 <晴見町はるみちょう>・・・昭和しょうわ35年10月1日生まれ 明治め い じの初はじめには家いえが少すくない地域ち い きでしたが、晴見町はるみちょう団地だ ん ち(現在げんざいの府中ふちゅうグ リーンハイツ)が建設けんせつされて人口じんこうが多おおい町まちになりました。昭和しょうわ10 年に府中ふちゅう刑務所け い む し ょができました。
< 八 幡 町はちまんちょう>・・・昭和しょうわ36年3月1日生まれ むかし、このあたりには八幡はちまんしゅく宿 という名前な ま えの村落そんらくがありました。 東 京 とうきょう 競馬場 けいばじょう の北側きたがわには武蔵む さ し国府こ く ふ八幡宮はちまんぐうがあり、このことから町まちの名な がつきました。今いまもうっそうとした 林はやしが神社じんじゃを取り囲んでと か こ 、おごそ かな雰囲気ふ ん い きを出だ しています。ここは江戸え ど 時代じ だ いを通してとお 大國おおくに魂たま神社じんじゃが 管理か ん りする土地と ちでした。 武蔵む さ し国府こ く ふ八幡宮はちまんぐう < 栄 町さかえちょう>・・・昭和しょうわ36年3月1日生まれ このあたりは、江戸え ど時代じ だ いに徳川とくがわ家康いえやすや秀ひで忠ただらの 将 軍しょうぐんが鷹たか狩がりをした 場所ば し ょだといわれています。三丁目ちょうめには、武蔵む さ し国分寺こ く ぶ ん じ 参道 さんどう 口跡 ぐちあと があります。武蔵む さ し国分こくぶん尼寺に じからこの参道さんどう 口 ぐち を通とおって国府こ く ふまで続つづく道みちの跡あとが見つかったみ こと から 注 目ちゅうもくされている史跡し せ きです。
<美好み よ しちょう町>・・・昭和しょうわ36年3月1日生まれ 奈良な ら時代じ だ いから平安へいあん時代じ だ いにかけての土器ど きが見みつかった高倉たかくら遺跡い せ きがあり ます。「高倉たかくら」という名前な ま えは、武蔵国むさしのくにの役所やくしょの大事だ い じな倉庫そ う こがあったこ とを意味い みするそうです。 <日吉町ひよしちょう>・・・昭和しょうわ36年7月1日生まれ この町まちは、立川たちかわだんきゅう段 丘(階段かいだんじょう状の地形ち け い)下したの川かわによって運はこばれてき た土砂ど し ゃが積つみ重かさなってできた低ひくい土地と ち にあります。一丁目ちょうめの 東 京とうきょう 競馬場 けいばじょう は昭和しょうわ8年に開設かいせつされました。日吉町ひよしちょうの由来ゆ ら いは、競馬場けいばじょうの北側きたがわ に面めんした丘おかの上うえにある日吉(ひえ・ひよし)神社じんじゃがもとになってい るようです。この競馬場けいばじょうを建たてるときに 縄 文じょうもん時代じ だ いちゅうき中期の完かん形けい土器ど き2 個こが掘ほり出だされ、現在げんざいは、郷土きょうどの森もり博物館はくぶつかんに保ほ存ぞんされています。
<片町かたまち>・・・昭和しょうわ36年7月1日生まれ 片町 かたまち は 旧きゅうこうしゅう甲 州街道かいどうの道筋みちすじの旧番場きゅうばんばしゅく宿 の中なかにありました。「片町かたまち」 という 名前な ま えは、 街道かいどうをはさんで 南みなみ側がわには 曹 洞 宗そうとうしゅうの 名高な だ かい 寺てらの 高安寺こ う あ ん じがあり、北側きたがわにのみ町並ま ち なみがあったところからきているよう です。また、この地域ち い きの片町かたまち遺跡い せ き(美好み よ しちょう町もふくむ)など奈良な ら時代じ だ い の遺跡い せ きからは土師器は じ き ・須恵器す え き などの土器ど きがたくさん出でています。 高安寺 こ う あ ん じ (山門さんもん) <本町ほんまち>・・・昭和しょうわ36年7月1日生まれ 本町 ほんまち は、府中ふちゅうしゅく宿の中なかでもいちばん古くふる 、国府こ く ふが栄えたさか ころから府中ふちゅう の 中 心ちゅうしんとして発展はってんしてきました。府中ふちゅう本町駅ほんまちえきの 東 側ひがしがわには江戸え ど時代じ だ い、 徳川 とくがわ 御殿ご て ん(徳川とくがわしょうぐん将 軍の御殿ご て ん)があり、将 軍しょうぐんが多摩た ま川がわで鮎あゆ 漁 りょう や鷹たか狩りが をするときに立たち寄よったといわれています。 また、 将 軍しょうぐんが食べるた ための瓜うりの田んぼた もありました。
<武蔵む さ し台だい>・・・昭和しょうわ36年11月1日生まれ 府中市ふ ち ゅ う しで唯一ゆいいつ、武蔵野む さ し の台地だ い ちの地域ち い きがある町まちです。武蔵む さ し台だい遺跡い せ きは、約やく3 万 まん 年前まえの旧石器きゅうせっき時代じ だ いの遺跡い せ きです。三丁目ちょうめには市内し な いで 最もっとも 高 たか い 標 高ひょうこう82メートルの場所ば し ょがあります。 なんと、
浅間山
せ ん げ ん や ま より 高 たか いんだよ! <東芝とうしばちょう町>・・・昭和しょうわ36年11月1日生まれ 東芝 とうしば 町 ちょう は、そのほとんどが東芝とうしば府中ふちゅう事業所じぎょうしょの敷地し き ちです。 東 京とうきょう芝浦しばうら 電気で ん き府中ふちゅうこうじょう工 場として昭和しょうわ15年に開設かいせつされ、日本に ほ ん製鋼所せいこうしょとともに 府中 ふちゅう の工業化こうぎょうかをはやくから進めてすす きました。 <分梅町ぶばいちょう>・・・昭和しょうわ37年5月1日生まれ 分梅町 ぶばいちょう は、『太平記た い へ い き』という有名ゆうめいな 物 語ものがたりに出でてくる分ぶ倍ばい河原が わ らの合戦かっせん( 戦 たたか い)の舞台ぶ た いになったところです。江戸え ど時代じ だ いより前まえまで「分梅ぶ ば い」は 「分ぶん倍ばい」とよばれていましたが、江戸え ど時代じ だ いには分梅ぶ ば いと書か かれるよう になりました。そのころの分梅ぶ ば いは、梅うめの木きが多おおくあったのかもしれ ません。一丁目ちょうめにある 光 明 院こうみょういんも、「梅花山ば い か ざ ん」という別べつの名前な ま えがあり ます。<矢崎や ざ きちょう町>・・・昭和しょうわ37年5月1日生まれ 矢崎や ざ きの名前な ま えは「谷たにの崎さき」の意味い みで、むかしは 旧 本 町きゅうほんまちにふくまれてい ました。本町ほんまちに徳川とくがわ御殿ご て んが建設けんせつされ、そこから金塚かねづか(是これ政まさ六丁目ちょうめあ たり)までの「お茶屋ち ゃ や街道かいどう」ができたことで、現在げんざいの町並ま ち なみが作つくら れました。二丁目ちょうめには三千さんぜん人にん塚づかがあります。五丁目ちょうめの 郷土 きょうど の森もり公園こうえん・ 修 景しゅうけい池いけでは夏なつにたくさんのハス の花はなを楽たのしむことができます。 < 南 町みなみちょう>・・・昭和しょうわ37年5月1日生まれ その名なのとおり府中市ふ ち ゅ う しの 南 側みなみがわにある町まちです。むかし、このあたりは 多摩た ま川がわが流ながれていました。三丁目 ちょうめの学校がっこうきゅうしょく給 食 センタ ーでは、市内し な いの 小 中 学 校しょうちゅうがっこうで食たべる 給 食きゅうしょくを作つくってい ます。六丁目ちょうめには郷土きょうどの森もり博物館はくぶつかんがあります。 < 日 鋼 町にっこうちょう>・・・昭和しょうわ37年5月1日生まれ 日 鋼 町 にっこうちょう は、もともとこの場所ば し ょに日本に ほ ん製鋼所せいこうしょという 鉄 鋼 業てっこうぎょうの会社かいしゃが あったのでこの名前な ま えがつけられました。今いまは府中ふちゅうインテリジェント パークや日鋼にっこう団地だ ん ちなどにその 姿すがたをかえました。
<浅間せんげんちょう町>・・・昭和しょうわ37年11月 1 日生まれ 浅間 せんげん 町 ちょう の由来ゆ ら いは、となりの 若 松 町わかまつちょうにある浅間山せんげんやまの浅間せんげん神社じんじゃからき ています。航空こうくう自衛隊じ え い た い府中ふちゅう基地き ち や府中市ふ ち ゅ う し美術館びじゅつかん、 生 涯しょうがいがくしゅう学 習センタ ーなどはむかしの米軍べいぐん基地き ちの敷地し き ちを利用り よ うして建たてられました。 浅間 せんげん 神社 じんじゃ <是これ政まさ>・・・昭和しょうわ37年11月1日生まれ 井田い だ摂津せ っ つのかみ守是これまさ政という人ひとが、野原の は らだったところを切きり開ひらいたので「 是 これ 政 まさ 」と名前な ま えがつきました。 東 京とうきょう競馬場けいばじょうの中なかにお墓はかがあります。む かし、多摩た ま川がわから掘ほった砂利じ ゃ りを運搬うんぱんするために作つくられた西武せ い ぶ多摩た ま川がわ 線 せん は、この地域ち い きの 重 要じゅうような交通こうつう機き関かんになっています。多摩た ま川がわきょうていじょう競 艇 場 は、砂利じ ゃ りを掘ほ ってできた穴あなを整備せ い びして建たてられ たものです。
< 押 立 町おしたてちょう>・・・昭和しょうわ38年5月1日生まれ 慶 長 けいちょう 元 がん 年(1596年)の大洪水だいこうずいで村むらが分わかれたために多摩た ま川がわの向む こう側がわ、現げん在ざいの稲城市い な ぎ しにも「押立おしたて」という地名ち め いがあります。分わかれ るという意味い みの「押おし切きり」が由来ゆ ら いである という説せつと、鎌倉かまくら時代じ だ いの本ほん『吾妻あ ず まかがみ鏡 』 に出で てくる人ひとの名前な ま えからという説せつがあ ります。江戸え ど時代じ だ いには、この村むらの川崎かわさき平へい 右衛門え も ん 定孝さだたかが世話役せ わ や くとなり、荒あれた田たを 良よ くし人ひとびとの暮く らしに役立や く だったこと で代官だいかんになりました。お墓はかが四丁目ちょうめの 龍光寺 りゅうこうじ にあります。 (郷土きょうどの森もり博物館はくぶつかん) 川崎 かわさき 平 へい 右え衛門も んおきなぞう翁 像 <朝日町あさひちょう>・・・昭和しょうわ38年11月1日生まれ 府中 ふちゅう 市しのいちばん 東 側ひがしがわの町まちです。昭和しょうわ39年に第だい18回かいオリンピッ クが 東 京とうきょうで開催かいさいされたとき、代々木よ よ ぎ に 競 技 場きょうぎじょうなどを作つくるためそこ にあったアメリカ軍ぐんの施設し せ つが三丁目ちょうめのあたりに移転い て んしてきました。 現在 げんざい は、 東 京とうきょう外国語が い こ く ご大学だいがくや警察けいさつ大学校だいがっこうなどがあります。
<多磨た まちょう町>・・・昭和しょうわ39年2月1日生まれ 多磨町た ま ち ょ うには、 大 正たいしょう12年に開設かいせつされた多磨た ま霊園れいえんがあります。日本に ほ ん初はつ の森しん林りん公園こうえん墓地ぼ ちで、園内えんないには北原きたはら白はくしゅう秋、与謝野よ さ の鉄てっ幹かん・晶子あ き こ夫妻ふ さ い、菊池き く ち 寛 かん 、江戸川え ど が わ乱歩ら ん ぽ、東郷とうごう平八郎へいはちろう、長谷川は せ が わ町子ま ち こなどの有名人ゆうめいじんが眠ねむってい ます。多おおくの木々き ぎに囲かこまれていて、近頃ちかごろは 桜さくらの名所めいしょとしても知しられ ています。また、都立と り つ武蔵野む さ し の公園こうえん は野川の が わや原はらっぱや 林はやしがあって、 豊 ゆた かな武蔵野む さ し のの自然し ぜ んが残のこってい ます。 多磨た ま霊園れいえんの 桜さくら <紅葉もみじが丘おか>・・・昭和しょうわ39年2月1日生まれ 紅葉 もみじが 丘 おか は、となりの多磨町た ま ち ょ うに多磨た ま霊園れいえんが開設かいせつされたため、比較的ひ か く て きあたら新 しい寺院じ い んや石材店せきざいてんなどが数かず多おおくあります。三丁目ちょうめにある西武せ い ぶ多摩た ま川がわ 線 せん 「多磨た ま」駅えきは、むかし多磨た ま霊園れいえんに一番いちばん近ちかい駅えきだったので「多磨た ま墓地ぼ ち 前駅 まええき 」という名前な ま えでした。その後ご、駅えきの周まわりのまちづくりが進すすみ、他ほか の建物たてものも増ふえたので今いまの名前な ま えに変かわりました。
< 小 柳 町こやなぎちょう>・・・昭和しょうわ39年5月1日生まれ 江戸え ど時代じ だ いには小田お だ分村ぶんむらがあったところで、『新編武蔵風土記稿し ん ぺ ん む さ し ふ ど き こ う』とい う 本ほんには 田畑た は たが 等分とうぶんに 民家み ん か十五 軒けんがあったと 書か かれています。 旧地名 きゅうちめい の「大字おおあざ小田分お だ ぶ ん」と「常久字つねひさあざやなぎはら柳 原」の文字も じをとって 小 柳 町こやなぎちょうと 名なづけられました。 < 若 松 町わかまつちょう>・・・昭和しょうわ39年9月1日生まれ 五丁目ちょうめの都立と り つ浅間山せんげんやま公園こうえんは、標 高ひょうこう80メートルのところにあります。 このあたりの地質ち し つは多摩た まきゅうりょう丘 陵 と同おなじ種類しゅるいのもので、古ふるい河川か せ んに削けず られて丘おかになりました。ふもとには太平洋たいへいよう戦争せんそうちゅう中に防空ぼうくう壕ごうが掘ほられ、 そこからカキがらの化石か せ きなどが出でました。また、ここには 縄 文じょうもん時代じ だ い の遺跡い せ きもあり、石器せ っ きなどが 採 集さいしゅうされています。 正 平しょうへい7年(135 2年)に 足利あしかが尊たか氏うじと 新田に っ た義よしおき興・ 義宗よしむねきょうだい兄 弟 たちが 戦たたかった 人見ひ と みがはら原 古戦場 こせんじょう 跡 あと があります。 せんげんやまこうえん
<白糸しらいと台だい>・・・昭和しょうわ39年9月1日生まれ むかし、このあたりでは「まゆ」をつむいでいました。糸いとは世田谷せ た が やの 砧 きぬた というところでさらした後あと、ここに戻もどして染そめ、八王子は ち お う じの織屋お り やが 織おった物ものを国府こ く ふに納おさめたといわれています。地名ち め いはそれにちなんだ ものです。また、五丁目ちょうめの本願寺ほ ん が ん じをはじめ古ふるい歴史れ き しを持もつ寺社じ し ゃがあ り、染屋そ め や不動ふ ど うの阿弥陀あ み だ 金こん銅どうぶつ仏は国くにの 重 要じゅうよう文化ぶ ん か財ざいに指定し て いされています。 < 住 吉 町すみよしちょう>・・・昭和しょうわ40年5月1日生まれ むかしの多摩た ま川がわは、今いまよりはるか北側きたがわのあたりを流ながれていました。 また、現在げんざいの多摩た ま川がわりゅういき流 域は浅あさ川かわだったので、この二つの川かわの 間あいだに あるところから「中河原な か が わ ら」という名ながついたといわれています。大おおき な川かわの近ちかくには、水みずの神様かみさまとして住吉すみよし神社じんじゃがまつられるということ でこの名なをとって 住 吉 町すみよしちょうに決定けっていされました。 た まがわ
<四谷よ つ や>・・・昭和しょうわ40年5月1日生まれ 江戸え ど時代じ だ いのころは四ツ谷村よ つ や む らとよばれていて、「 四ツ屋よ つ や 」と書かかれた文書ぶんしょもたくさん残のこっていま す。「四ツ屋よ つ や 」とは四軒けんの家いえが最初さいしょに移住いじゅうしてき たためで、それが四よつ谷村や む らの始はじまりだといわれて います。 <日にっしんちょう新 町>・・・昭和しょうわ40年11月 1 日生まれ 江戸え ど時代じ だ いには 本 宿 村ほんしゅくむらと四ツ谷村よ つ や む らにふくまれていて、水田すいでんや梨なしばたけ畑 な どが多くおお ありました。昭和しょうわ39年に日本にっぽん電気で ん き株式かぶしき会社がいしゃ(NEC)府中ふちゅう 事 業 場 じぎょうじょう が設置せ っ ちされました。一丁目ちょうめのハケ下した(土地と ちの高さたか が低くひく なっ ているところ)からは豊富ほ う ふな湧わき水みずが流れてなが います。 < 北 山 町きたやまちょう>・・・昭和しょうわ40年11月1日生まれ 四丁目ちょうめには、「白しら明坂み ざ か」(別名べつめい「見返み か えり坂ざか」)があります。元弘げんこう3年(1 333年)に新田に っ た義よし貞さだと 北 条ほうじょう泰家やすいえが 戦たたかったとき、義よし貞さだ軍ぐんが分ぶ倍ばい河原が わ ら に攻せ め込こもうとしたところ、ここで夜よが明あけてしまったため名なづけ られたといわれています。
< 西 原 町にしはらちょう>・・・昭和しょうわ41年5月1日生まれ 以前い ぜ んこのあたりには東西とうざいに通つうじる道みちがありませんでしたが、富士見ふ じ み 通 どお りができたことで、この町まちを設もうけることにな りました。四丁目ちょうめには、「大道北だいどうきた」というむかし の地名ち め いがつけられた公園こうえんがあります。 <西にし府ふちょう町>・・・昭和しょうわ41年5月1日生まれ むかしは 本 宿ほんしゅく、四ツ谷よ つ や 、中河原な か が わ らの3つの村むらがまとまって西府村に し ふ む らとよ ばれていました。府中ふちゅうの西にしにあるので この名前な ま えになったといわれています。 熊野く ま の神社じんじゃでは国内こくない最大さいだいの上円下方墳じょうえんかほうふんと いう古墳こ ふ んが発見はっけんされました。 武蔵府中 む さ し ふ ち ゅ う 熊野く ま の神社じんじゃ古墳こ ふ ん < 本 宿 町ほんしゅくちょう>・・・昭和しょうわ41年5月1日生まれ 「 本 宿ほんしゅく」は後ごほうじょう北 条氏しが建たてた宿場しゅくばであるといわれています。この あたりは立川たちかわだんきゅう段 丘の下したにあり、江戸え ど 時代じ だ いの初はじめには 本 宿 村ほんしゅくむらという 大 おお きな村落そんらくがありました。後のちに 旧きゅうこうしゅう甲 州街道かいどうが現在げんざいの地ちへ移うつったと きにその名なだけが残のこったようです。
< 府 中 町ふちゅうちょう>・・・昭和しょうわ47年5月3日生まれ 府中市ふ ち ゅ う しの 中 央ちゅうおうにある地域ち い きで、京王けいおう線せん府中駅ふちゅうえき北側きたがわから、けやき並なみ木き通どお りと小金井こ が ね い街道かいどうの 間あいだの場所ば し ょです。 中 央 ちゅうおう 図書館と し ょ か んは、ルミエール府中ふちゅうの 中 なか にあります。三 丁目ちょうめの 桶おけ久保く ぼ 公園 こうえん は明めい治じ 時代じ だ いの地名ち め いがつけられ ています。 ちゅうおう中 央 図書館と し ょ か ん(ルミエール府中ふちゅう) < 緑 町みどりちょう>・・・昭和しょうわ47年5月3日生まれ 府中市ふ ち ゅ う しの中なかで 府 中 町ふちゅうちょうとともに最後さ い ごに誕たんじょう生 しました。「万蔵まんぞう庵あん」、「 三本木さ ん ぼ ん ぎ」、「八幡はちまんしゅく宿」などむかしながらの地名ち め いが、現在げんざいは公園こうえんの名前な ま え として残のこっています。 甲 州こうしゅう街道かいどう沿ぞ いには、 東 京とうきょうオリンピック競歩きょうほ 折 返 おりかえし 記念き ね ん碑ひがあります。 きょうほおりかえしき ね んひ
「府中の町紹介」 こども府中はかせ No.2 2012 年 12 月発行 府中市立図書館 編集・発行 協力:府中観光協会・府中市郷土の森博物館 書名 しょめい (本の名前な ま え) 著者ちょしゃ(本を書かいた人ひと) 出版年しゅっぱんねん 本の背せラベル 郷土 きょうど 府中 府中市立中学校社会科 し ゃ か い か 副読 ふくどく 本ほん編集委員会へんしゅういいんかい/編集へんしゅう F21/キ 府中の歴史れ き しと私わたしたち 馬場ば ば治子は る こ 1987年 F21/バ 府中の風土誌ふ ど し 第だい7版はん 府中市 1981年 F21/フ いしぶみ草子ぞ う し 文化ぶ ん かスポーツ部ぶ文化ぶ ん か振興しんこう課か 2010年 F29/イ わたしたちの府中 府中市立小学校社会科 し ゃ か い か 副読 ふくどく 本ほん編集委員会へんしゅういいんかい/編集へんしゅう F29/ワ ふちゅうガイド 府中市政策総務部 せ い さ く そ う む ぶ 広報 こうほう 課か/ 編集 へんしゅう 2011年 F29/フ 武蔵む さ し府中叢書そうしょ 5 府中市の町名地番ちょうめいちばん ふるさと府中文化財ぶ ん か ざ いめぐり 府中市郷土 きょうど の森もり博物はくぶつ館かん/編へん 集 しゅう 2007年 F291.3/10/フ グラフ府中 第だい7号ごう 府中市企画調整部 き か く ち ょ う せ い ぶ 広報 こうほう 課か/ 編集 へんしゅう 1974年 F318.5/10/グ グラフ府中 第だい8号ごう 府中市企画調整部 き か く ち ょ う せ い ぶ 広報 こうほう 課か/ 編集 へんしゅう 1974年 F318.5/10/グ グラフ府中 第だい9号ごう 府中市企画調整部 き か く ち ょ う せ い ぶ 広報 こうほう 課か/ 編集 へんしゅう 1975年 F318.5/10/グ 府中市企画調整部き か く ち ょ う せ い ぶ/編集へんしゅう 1977年 F213/10/ム さがしている 本ほんが見みつから ないときは、図書館と し ょ か んの人ひとにき いてみましょう。