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佛教大學大學院研究紀要 16号(19880314) 001榎本福寿「『古事記』の所伝のなりたちと漢籍 : 仁徳天皇条の所伝をめぐって、その(二)」

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﹃古事記﹄の所伝のなりたちと漢籍

ー!仁徳天皇条の所伝をめぐって、その。||

寿

は じ め に ﹃古事記﹄の下巻のはじめに位置する仁徳天皇条の所伝をとりあげ、そのなりたちについて検討をくわ えたささやかな試みである。なりたちとは、ここに、広義、所伝の構成を意味する。仁徳天皇条の所伝をはじめと して、これ以降、あたかも下巻を特徴づけるかのように、この構成のうちに、漢籍にまなんだ知識のあらわれが著 しい。わけでも仁徳天皇条の各所伝は、その構成に漢籍の知識がおおきく参与するかたちでなりたっている。その 注 1 それぞれについて、漢籍を逐一つきあわせながら検証をこころみる。同じこころみの別稿につづく、これは第二稿 小 稿 は 、 で あ る 。

石の日売の嫉妬をめぐる所伝のなりたち

別稿にとりあげたのは、仁徳天皇条の回目頭の所伝、すなわち天皇が課佼の免除をとおして人民の貧窮を救済する ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍

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俳 数 大 皐 大 皐 院 研 究 紀 要 第 十 六 時 肌 という所伝である。この所伝は、最後を、仁徳天皇の時代を﹁聖帝世﹂というように儒教の理想的な世としてたた えてしめくくる。所伝の筋だてもまた、儒教の考えをもとになりたつが、さらには、その記述にも、漢文としての 整いをめざす志向が著しい。 閏目頭の所伝には、こうしてそのなりたちの根幹に漢籍の知識がふかく参与しているが、さて、これにただちにつ づくのが、大后、石の日売の嫉妬をめぐる所伝である。それは、次のような書きだしではじまる。 注 2 其大后石之日責命、甚多一一嫉妬↓故、天皇所 γ 使之妾者、不 v 得 v 臨ニ宮中↓言立者、足母阿賀迦週嫉妬。︵下

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ウ ﹀ いきなり石の日売の嫉妬をことさら強調する。それが大后の人となりであるといえばそれまでだが、なおやはり、 唐突の感は否めない。しかも、右の一節につづく黒日売をめぐるくだりは、たしかに、﹁畏ニ其大后之嫉こというよ うに、大后の嫉妬を畏れる黒日売の、その本国への逃避行を契機として展開するけれども、﹁嫉妬﹂ないし﹁嫉﹂ という語のあらわれは、右に挙げた例がその全てである。すなわち、所伝のはじめのくだりにそれらは偏在してい るにすぎない。あとは、たとえば﹁大后聞ニ是之御歌一大念﹂︵黒日売の登場するくだり﹀﹁大后大恨怒﹂ ハ 八 回 若 郎 女の登場するくだり﹀などのように、大后は、実際に登場する場面において、むしろ念怒をあらわにする。この念 怒は、もとより嫉妬がかたちをかえたあらわれであろうが、そうしたあらわれ自体、特徴であると同時に、 い ち じ るしい偏りでもある。この偏りについては、後に言及する。 さて、この所伝は、大后が天皇をめぐっておのれに対立する女性やさらには天皇自身に対して念怒をあらわにす るというように、冒頭にその異常なまでの嫉妬を強調するとおりの展開をみせる。けれども、その展開のなかで、 大后は、かならずしもつねに主人公の立場にたつわけではない。確かに、黒日売は大后の嫉妬を畏れて本国に逃げ かえるし、この折、天皇は黒日売の船出を見おくつて彼女を愛惜する歌をよむが、この歌をきいて、大后は大いに

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念り、黒日売を船からおろして徒歩でゆかせる。黒日売への恋慕のやみがたい天皇は、黒日売にあいに吉備へわざ わざ出むくことになるが、このばあいでも、大后を欺く口実を設けるといったように、ことほどさように大后の存 在が大きいことは、これは否むべくもない。けれども、そうして展開するそれぞれのくだりにしても、大后の登場 には、天皇の好色がその発端ないし契機となっている。いわば、天皇の好色がまずあって、これが大后の登場を導 きだしているというのが実態である。げんに、吉備への道行きからかの地での黒日売とのおうせ、さらには彼女と の別離にいたるまで、これら一連の展開において、天皇こそその主役である。ここにまじえる歌にしても、三首が 天皇の黒日売への恋慕をよんだもの、 のこるこ首が黒日売の返歌である。黒日売に対する執劫なまでの天皇の恋慕 を主題とするかの観さえ呈する。ここに、大后の存在は、背後にはるか遠のいてしまっている。 黒日売をめぐるくだりは、天皇の帰京にさいして、黒日売がこれについて皮肉たっぷりによんだ歌をもって幕を とじる。しかし、天皇の恋はそれでやむどころか、相手をかえて、なお一層激しいかたちでつづく。すなわち、八 田若郎女に対する恋がそれで、 白 v 此後時、大后篤 v 将 一 一 豊 楽 一 而 、 於 v 採 一 一 御 綱 柏 一 、 幸 一 一 行 木 国 一 之 問 、 天 皇 婚 ニ 八 田 若 郎 女 ↓ ︿ 下

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ウ ﹀ 大后の不在中の﹁婚﹂という、書きぶりはさりげないけれども、不在に乗じての、たぶんに密通さえほうふつとさ ﹁書一夜戯遊﹂という、これはまたこれで、中国のいにしえの暴君の架討を思わせる惑溺 せるうえに、その実態は、 ぶりであった。この天皇の惑溺を聞き知った大后は、 ﹁大恨怒﹂り、御綱柏をすべて海になげ棄てて山代へと逃避 す る 。 所伝は、こののち、逃避した大后と天皇との仲をとりなそうと懸命に努力する臣下の活躍へと移るが、右の限り についていえば、細かい点はともかく、筋立ての基本は、黒日売との恋をものがたるくだりとほぼ重なりあう。両 ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍

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併教大皐大皐院研究紀要第十六競 四 者の共通点を、便宜、表にまとめて次にしめす。

i

l

t

H

i

天 皇|皇

察后!后

I

(

=

)

よ|察 后|后

后|后

i

日 黒日売と八回若郎女とのその出自の違いに応じて、 ﹁喚上﹂と﹁婚﹂というように、その扱いは明らかに異なる。 日開以下の展開がそのそれぞれの扱いの延長上にあること、たとえば、黒日売を徒歩で追い帰すのは彼女が地方豪族 の女でしかないからで、一方、八田芳郎女のばあいでは、天皇にたいする抑制しがたい感情はそれとして、また別 に、彼女が皇族ハ天皇の異母妹﹀であり、そのために、これはむしろ彼女にたいするはばかりゃ遠慮があって身を 引くにいたったものというように捉えうる。たがいに対比してみたときに、そこに見出しうる双方の違いは、たし かに小さくはないけれども、それも、人やことの次第などの違いにともなう、その対応ないし対処の異なりでしか ない。付 i M W の限りでいえば、継起的に展開する筋立てが、いわば天皇の好色を基軸に重なりあい、したがってそ こにあらわす内容もまた、各項それぞれに、たがいにほぼ共通する。

天皇の好色

双方のくだりに共通する天皇像は、 いわば一介の好色男でしかない。里山日売のばあいでは、大后の嫉妬を畏れ、 本国へ逃げ帰ろうとして船出した彼女を、天皇は、 はるかに望みみて、さながら愛惜の念おくあたわざるといった みれんがましい歌をよむ。さらに﹁欺ニ大后こき、ひそかに彼女をその郷里にたずねるといったいれこみようである。

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﹁婚﹂というかたちをとるけれども、大后の不在中、恐らくその機に乗じてであろう、さ 注 3 きに言及したとおり密通さえそこにほうふつとさせる。あまつさえ、その﹁婚﹂について、仕了でさえ﹁天皇者、 八回若郎女に対しても、 比日婚一一八回若郎女一而書一夜戯遊﹂とそしる。もっとも、この仕丁の出身をわざわざ吉備国児嶋郡とことわることか ら推して、右につづく﹁若大后不 v 聞 ニ 看 此 事 一 乎 、 静遊幸行﹂という仕了の物いいは、 あるいは同じ吉備国出身の 黒日売を追い帰した大后に対する皮肉をふくんでいるかもしれない。かりにそうであったにしても、こと天皇に 対しては、仕丁は、ことさらそしる立場にはない。したがって、彼が天皇の八回若郎女との﹁婚﹂について評した ﹁書一夜戯遊﹂ということばは、ほぼ額面どおりうけとることができるはずである。 黒日売に対する恋にしても、また八田若郎女との﹁婚﹂はなおさらのこと、天皇のそれらへのいれこみょうは、 ほとんど常軌を逸している。とりわけ、仕丁の﹁書一夜戯遊﹂ということばにそくしていえば、たとえばかの夏の祭 玉の女色への耽溺に類する。劉向の﹃古列女伝﹄︿巻之七﹀には、それについて次のように伝える。 築 段 棄 一 一 麓 義 一 淫 一 一 子 婦 人 ↓ 求 一 一 美 女 一 積 一 一 之 於 後 宮 刊 収 下 侶 優 ・ 保 儒 ・ 狩 徒 、 能 魚 ニ 奇 偉 戯 一 者 上 。 緊 一 一 之 子 芳 一 造 一 一 燭 漫 之 柴 ↓ 日 夜 興 一 一 末 喜 及 宮 女 一 飲 酒 、 無 v 有 ニ 休 時 ↓ 祭王の淫楽は、もちろん、夏の滅亡を招く異常なもので、右にとどまらないが、それはさておき、淫楽をものがた るには、一つの類型がある。すなわち、﹁日夜輿ニ末喜及宮女一飲酒、無 v 有ニ休時乙というように淫楽が終日に及ぶ というのがそれである。同じ﹃古列女伝﹄では、ほかに肢の討王について﹁好 γ 酒淫柴、不 v 離 一 一 姐 己 一 ﹂ と い い 、 酒 池肉林の豪遊その他を述べたあとに﹁潟一一長夜之飲一組己好 ν 之﹂と伝える。幽王についてもこれまた同様で、﹁飲 ︵ 沈 ﹀ 酒況油、信優在 v 前、以 γ夜縫 v 量貫一﹂とある。こうした類型は、円古列女伝﹄の記述をとりいれて成る書紀・武烈天皇 条︵八年三月︶の、その天皇の淫楽をものがたる箇所に﹁日夜、常輿一一宮人一沈一一泊子酒乙というようにあらわれる。 ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍 五

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傍 敬 大 事 大 皐 院 研 究 紀 要 第 十 六 時 抗 ーム晶 /'¥ 仁徳天皇の、八回若郎女あいての﹁重夜戯遊﹂が具体的にどのような内容であるのか、詳細は不明というほかな いが、少くとも、それが右の類型を踏まえた表現であることは疑いを容れない。その点、そこに飲酒を想定するこ とも不自然ではない。けれども、飲酒あるいは歌舞音曲などにも一切言及しない。類型によりながらも、天皇の乱 行を、もっぱら女色にそくして、 いいかえれば、所伝の、これ以前の黒日売への異常なまでの恋慕をうけて、その 延長上にあらわしたものが、八回若郎女との﹁書一夜戯遊﹂にほかならない。 所伝は、かくて、仁徳天皇の好色に主題を狭く限定している。集約などの例のように、その暴君の一面として淫 乱にふける、武烈天皇もその列につらなる、そうしたひろく為政者としての不適格を強調する類とは、あきらかに 注 4 異なる。とはいえ、その﹁書一夜戯遊﹂が漢籍の類型||芸文類棄の分類では﹁淫﹂ーーによる表現である以上、も とより、儒教の考えにもとづいて、好色をいわば批判的にみなす立場にこの所伝もたつはずである。実際、 ﹁ 童 夜 戯遊﹂をめぐって仕了が﹁若大后不v聞一一着此事一乎、静遊幸行﹂という口吻は、大后が﹁此事﹂﹁書一夜戯 遊﹂を知らないことの意外なおもいをそれとして素直に告げたものであるが、ここに、好色にたいする暗黙の批難 すなわち を伏在させていることは明らかであろう。

大后の嫉妬

さて、天皇の好色に批判的な立場にたっ一方、大后についても、その天皇の好色にたいする対応を肯定する側に 立つてはいない点、これはまたこれで注目に値する。この点をなお敷得していえば、大后のえがきかたには、たぶ んに誇張とかたよりがある。

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一連の所伝の冒頭に﹁甚多一一嫉妬乙といい、それをさらに具体的にあらわした﹁故、天皇所 v 使之妾者、不 v 得 v 臨二宮中↓一言立者、足母阿賀迦適嫉妬﹂というのがまず第一。そのなかの﹁言立﹂は、天皇の使う妾は宮中に足を 舟 Z F D ふみいれることもできないという前文をうけて、その妾の話し声がするというほどの意をあらわすであろう。宮中 はここでは後宮に等しく、後宮に妾の話し声がするだけで、大后は、もう足をばたばたさせて嫉妬をあらわにする ということである。これが、大后の人となり・性格を規定したところの、所伝のうえでは、 いわば総序にあたる。 すさまじいまでの大后の嫉妬は、以下には、所伝の具体的な展開のなかで、その場面に応じたかたちをとってあ らわれる。まず黒日売にかんするくだりでは、彼女が大后の嫉妬を畏れて故郷に帰るさい、天皇はその黒日売を愛 ︵ 船 か ら ︶ 惜する歌をうたうが、大后は、その歌をきいて﹁大念、遣一一人於大浦一追下而自v歩追去﹂とある。嫉妬が念怒にか たちをかえて、里山日売に対する理不尽なまでのしうちに出る。嫉妬をめぐる誇張とかたよりの、これは第二である。 第三は、八回若郎女にかんするくだりで、天皇の八田若郎女との﹁書一夜戯遊﹂を聞き知って﹁大恨怒、載一一其御船一 之御綱柏者、悉投一一棄於海ことあるのがそれである。第二と同様、嫉妬は会怒にかたちをかえてあらわれるが、こ のばあい、相手に対するしうちではなく、自暴自棄の衝動的なふるまいにおよぶ点に特徴がある。 こうして所伝の冒頭にいう﹁甚多一一嫉妬こは、 つねに念怒にかたちをかえてあらわれるといったかたよりをみせ る。なおまた、その冒頭の嫉妬を具体的に敷街したなかに、天皇の使う妾の声がするだけで、体でその嫉妬をあら わにするといった、後宮から天皇の寵愛をうける女性をすべて排除しようとする大后の、まさに異常なまでの姿を えがくが、以下の所伝の展開でも、それをそのままひきついで、天皇の寵愛をうける女性は、これをどこまでも許 さないすさまじいまでの念怒をあらわす。そこに、あきらかに誇張がある。大后について、その嫉妬に限って、そ れをたぶんに誇張してえがくこのえがきかたは、天皇についての、その好色を強調するえがき方に通じる。いいか ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍 七

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俳教大皐大皐院研究紀要第十六競 八 えれば、天皇の好色と大后の嫉妬とがあいたぐう二つの柱となって、これを基軸に所伝が展開するということにほ ミ ﹁ 品 、 つ 工 、 。

fp

T

し ところで、天皇の好色については、それを強調する表現が漢籍に散見する類型にあてはまるほか、それに対する 批判的な見方も、儒教の考えにもとづく。 一方の嫉妬もまた、好色とないあわせの関係にあるというそのそもそも のありかたと、さらには、後宮をみずからもっばらにしようとする者の、その強い意志の発現という所伝における そのあらわれとのふたつながら、漢籍のなかに類例がある。もっとも、前者は、 の性質によるであろう。たとえば、﹃顔氏家訓﹄では、次のように指摘する。 一般的にも男と女にそれぞれ固有 凡 庸 之 性 、 後 夫 多 寵 ニ 前 夫 之 孤 一 後 妻 必 虐 一 一 前 妻 之 子 ↓ 非 下 唯 婦 人 懐 一 一 嫉 妬 之 情 一 丈 夫 有 中 沈 惑 之 僻 ヘ 亦 事 勢 使 一 一 之 然 一 也 。 ︵ 巻 上 ﹁ 後 姿 第 四 ﹂ ︶ この傍線を付したところにいう男と女のありかたを実際に地でゆくものとして、歴史には、漢の成帝と趨姉妹との 例が名高い。﹃漢書﹄︵巻十︶の成帝紀の﹁賛﹂では、帝の人となりやその政治を称えたあとに﹁然湛二子酒色一越 氏観 v 内﹂という。この趨姉妹については﹁外戚停﹂︵第六十七下︶に詳しいが、彼女らの嫉妬深さを、そこに﹁越 氏姉弟騎妬﹂という。 所伝もそのかたちをとるけれども、内容のうえでは、 男の好色と女の嫉妬とは、それぞれ男女の性質にねざすだけに、かくないあわせのかたちでしばしばあらわれる。 注 6 ﹃妬記﹄が伝えるいくつかの話に基本的な点で共通する。ま ずは話の冒頭の部分、 付妬記日、王丞相曹夫人、性甚忌。禁ニ制丞相一不 v v 一 一 侍 御 ↓ 時 有 ニ 折 少 一 必 加 ニ 詰 責 ↓ ︵ ﹃ 芸 文 類 取 水 ﹄ 巻 三 十 五 ﹁ 妬 ﹂ ﹀

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。又日、泰元中、有 v 人姓 v 萄。婦庚氏、大妬忌。ー凡無 v 髪人、不 v v 入 v 門。迭 v 書之人、若以 v 手 近 一 一 萄 手 一 無 v 不二痛打↓客若共 v 林 坐 、 亦 賓 主 倶 敗 。 ︵ 同 右 ﹀ 右の二例ともに、夫人の嫉妬深さを強調したうえで、ひきつ寺ついてその嫉妬をめぐる具体的な内容をあらわす。夫 が他の女性を近づけようとするのを断じて許さないというのが、その内容である。 ﹃ 妬 記 ﹄ 所 載 の 話 の な か に は 、 ほかにもこの型をふむ例がある。 ﹃古事記﹄の所伝が、その冒頭において大后の嫉妬深さを強調し、そのうえで、 これを敷街するかたちで、わずかでも妾の戸がするだけで、もうからだ全体で嫉妬をあらわにするというように説 き お よ ぶ の は 、 ﹃妬記﹄には、夫人の嫉妬深さを、その攻撃的 な面にそくしてものがたる話をいくつか伝える。これまた一つの類型とみることができる。たとえば、右掲

O

の 引 ﹃妬記﹄にみられる類型にあてはまる。なおまた、 用したなかに﹁無 v 不一一痛打一﹂﹁賓主倶敗﹂とあるほか、ここには、夫人が嫉妬のあまり攻撃的に出たために、かえ って二度までもさんざんに杖でうちすえられるが、それでも﹁亦無一一改悔こといった、いくぶん笑話がかった話を 伝える。一方、右掲の付においては、引用したあとに﹁王公不 γ 能ニ久堪↓乃密管ニ別館↓衆妾羅列、男女成 γ 行﹂と 続き、この子供が王公の所生であると知ったというところで、夫人の攻撃的な行為を次のように伝える。 ︵ 間 前 ︶ まよ巧 4 怒りにかられて、衆をひきつれ攻撃に出るという点は、同じ﹃妬記﹄所載の次の例でも同様である。 付曹氏驚書、不 γ 能 一 一 自 忍 ↓ 乃 命 駕 v 車 、 終 二 黄 門 及 埠 二 十 人 一 持 一 一 食 万 ↓ 欲 一 一 白 出 尋 討 ↓ 同 妬 記 日 、 桓 大 司 馬 以 一 一 李 勢 女 一 策 γ妾。桓妻南郡主︵郡主兇妬、不一一副知 v 、 後 知 ︶ 、 抜 γ 万 率 一 一 数 十 稗 一 往 一 一 李 所 一 因欲 v 研 v 之 。 ︿ ﹃ 芸 文 類 家 ﹄ 巻 十 八 ﹁ 美 婦 人 ﹂ ﹀ 嫉妬が攻撃的なかたちをとる例は、ほかにたとえば﹁︿貌志﹀又日、実紹婦劉氏、甚妬。紹死未 v 演、寵妾五人、劉量 殺 v之、又鼓一一其形ご︵﹃芸文類緊﹄巻三十五﹁妬﹂︶などという凄惨なものまである。嫉妬が念怒や憎悪などにかた ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍 九

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併数大皐大皐院研究紀要第十六競

ちをかえ、相手の女性に対する攻撃的な行為となってあらわれやすいことを、これらの例はあきらかに示唆するで あ ろ う 。 ﹃古事記﹄の所伝では、大后は、黒日売を愛惜する天皇の歌をきいて、﹁大念、遺二人於大浦一追下而自 v 歩 追 去 ﹂ という容赦ないしうちを加える。念怒に発したその攻撃的な行動は、右に取りあげたいくつかの例に通じ、その一 め と 例としてゅうに並びうる。一方、八回若郎女をめぐるくだりでは、天皇が彼女を寸婚﹂り﹁童夜戯遊﹂すると聞く や、大后は、﹁大恨怒、載一一其御船−之御綱柏者、悉投一一棄於海こという怒りにまかせた衝動的なふるまいに及び、 はては、天皇のいる宮中をさけてそのまま山代へはしる。攻撃というかたちをとらないけれども、天皇からの離反 という、この意志的な、それこそ思いきった行動は、かたちをかえれば攻撃に容易に転じるはずである。これはま たこれで、さきの例に準じて捉えることができる。 ﹃妬記﹄が伝える話のなかから、そのいくつかに共通する項目をとり出して、それらを類型化してみる と、基本的に、﹃古事記﹄の所伝の嫉妬をものがたる部分は、ほぼその類型にあてはまる。所伝の官頭にしても、 いきなり嫉妬深さを強調するその書きだしは、やはり類型にあてはまる。これら類型との一致を偶然の結果とみる か く て 、 余地はない。漢籍にまなんだ知識、 ﹃妬記﹄はその具体的な例であるが、それをふまえてなりたっているというの が、恐らくその実態であったろう。

黒日売と神仙

注 8 ところで、天皇の淫楽はもとより、大后の嫉妬にしても、令ではそれを﹁七出﹂の一つにあげるとおり、儒教の

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社会では、どのみち容認されるはずがない。あまつさえ、天皇の淫楽を強調する一方、これとあいたぐう大后の嫉 妬の、念怒となってあらわれるそのすさまじさをえがくのであるから、 ﹃妬記﹄所収の話のなかにもそうあるよう に、悲劇的な結末をそのうちに伏在させているとみなければならない。それがやがて顕在化するきざしをみせたと ひとまず幕をとじる。この一連の展 ころで、臣下の懸命な活躍があり、破局を回避し、 か つ ま た 和 解 を 暗 示 し て 、 関には、あきらかに作為がある。ここに作為とは、漢籍の知識をもとに、あるいは参与させて所伝をなりたたせる こと、いわば所伝への応用をいう。前述のとおり、天皇の淫楽と大后の嫉妬には、確実にその作為がはたらいてい 時 ヨ 向 日 るとみなしうるが、さらには、この所伝の柱の一っともいうべき臣下の活躍にもそれは及んでい V G 。 さて、この一連の展開のなかにあって、作為をはたらかせていることのそれとあきらかな例を、次にもう一っと りあげてみる。文芸的な性格がなかなかに色濃いが、 乃 自 ニ 其 嶋 一 停 市 幸 一 一 行 吉 備 園 ↓ 爾 黒 日 買 、 令 v 大 一 一 坐 其 園 之 山 方 地 一 一 間 献 一 一 大 御 飯 刊 於 v 是 震 v 一 一 大 御 謹 一 六 一 採 一 一 其 地 之恋菜一時、天皇、到ニ坐其嬢子之採 v 悲 慮 一 歌 日 、 あ を な き ぴ ひ と 山がたに蒔ける悲も吉備人と共にし採めば楽しくもあるか︵下

3

ウ ﹀ これは、大后の嫉妬を畏れて本国に逃げかえった黒日売と、そのあとを追ってわざわざ彼女のもとをおとずれた天 皇とのおうせのくだりである。このおうせの場では、黒日売を﹁嬢子﹂といいかえる。このいいかえは、唐突では あるけれども、もちろん異例ではない。同じように、実名がありながら﹁嬢子﹂といいかえる女性は、﹁伊須気余 理 比 売 ﹂ ﹁ 三 野 国 造 の 祖 大 根 玉 の 女 、 兄 比 売 、 弟 比 売 ﹂ ︵ 其 容 姿 麗 美 ︶ ﹁ 宮 主 矢 河 枝 比 売 ﹂ ︵ 麗 美 嬢 子 ︶ ﹁ 髪 長 比 売 ﹂ ︵ 其 顔 麗 美 ︶ ﹁ 伊 豆 志 衰 登 売 ﹂ ﹁ 詞 良 比 売 ﹂ ﹁ 菟 田 首 等 の 女 、 大 魚 ﹂ ︵ 将 v 婚之美人﹀などで、いずれも求婚の相手であ っ て 、 そ の 大 半 に 、 カッコ内に示すとおり、美麗をいう表現がともなう。これ以外の例でも、たとえば女装した倭 ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍

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併数大皐大皐院研究紀要第十六競 建命をみて熊曽建が﹁見一一感其嬢子こというように一自惚れしたというほか、応神天皇条に伝える天日矛伝承のな かでは、玉が﹁化二美一麓嬢子一﹂とあり、また雄略天皇が吉野川の浜で出あって結婚した童女を﹁嬢子﹂といいかえ るが、この女性を﹁其形姿美麗﹂という。 ﹁嬢子﹂のこの使いかたは、なにも﹃古事記﹄に限らない。﹃寓葉集﹄では﹁娘子﹂を使うが、これは﹁嬢子﹂に 等しく、実際に同一女性をその二つの語であらわすうえに、さらにこれを﹁美人﹂という、﹃古事記﹄の先掲﹁大 魚﹂にかよう例がある。すなわち、二二八番の題詞︵引用は、塙書一房刊﹃寓葉集﹄本文篇による。以下も同じ﹀に、 和銅四年歳次ニ辛亥一河遠宮人、姫嶋松原見ニ嬢子屍一、悲嘆作歌二首 右のようにいう﹁嬢子屍﹂を、四三四番の題詞および左注で、 ︵題詞︶和銅四年辛亥、河港宮人、見ニ姫嶋松原美人屍一哀働作歌四首 ︵ 四 首 略 V ︵左注﹀右案、年紀井所慮及娘子屍作歌人名、巴見 v 上也。但歌辞相違、是非難 v 別 。 図 以 累 ニ 載 於 弦 次 一 鷲 。 右のように﹁美人屍﹂﹁娘子屍﹂という。﹁嬢子﹂﹁娘子﹂﹁美人﹂は、かくてたがいに互用しうる関係にある。 ﹃蔦葉集﹄にも通じる﹁嬢子﹂の使いかたは、この語を使う黒日売のくだりを、いわば美しい女性をめぐる恋の ものがたりとして設定していたとみるうえに、少くともその一つの拠りどころとなるであろう。内容また、そうし た恋のものがたりとしての仮構性を示唆する。具体的に、黒日売をその郷里にたずねた天皇を迎え、これに﹁大御 飯﹂をたてまつるのは、黒日売自身である。これは、矢河枝比売をみそめた応神天皇が求婚のため彼女の家をおと ずれたさい、父の丸迩の比布礼能意富美が比売に﹁大御酒蓋﹂をたてまつらせたという側、、あるいは垂仁天皇条に 伝える本牟知和気王の所伝で、王が出雲をおとずれたさい、出雲国造の祖の岐比佐都美が﹁大御食﹂をたてまつら

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せたという例などの、 いわば服属象徴的な儀礼行為とは、その性格をまったく異にする。なにせ、黒日売という嬢 子は、天皇にたてまつる﹁大御食﹂の、その﹁大御謹一六﹂の材料の怒をみずから採むのである。みずからを恋してわ ざわざやってきた天皇をもてなす、それこそやさしい女性の思いやりが、そこにはある。 さて、そのくだりの山場は、悲を採む嬢子のもとに天皇がいたる場面である。その舞台を、ことに﹁山方地﹂と する。地方豪族の女とはいえ、嬢子である女性が、 ﹁山方地﹂に、若菜ならぬ悲を、それもひとりで採むというこ と、その上、さらに天皇がこの女性のもとにいたるというこの設定は、尋常ではない。ここにはなにかあるはずで あるが、いま考えうるのは、この設定が﹃寓葉集﹄に伝える竹取翁の所伝に通じるということである。三七九一番 の詞書きとして伝えるその所伝は、次のようにはじまる。 昔 有 一 一 老 翁 ↓ 号 日 ニ 竹 取 翁 一 也 。 此 翁 、 季 春 之 月 、 登 v 丘 遠 望 、 忽 値 一 一 美 v 美 之 九 箇 女 子 一 也 。 子 v 時 、 娘 子 等 呼 一 一 老 翁 一 喧 日 、 百矯無 v 惇 花容無 v

止 。

このあと娘子と老翁とのやりとりがあって歌につづくが、詞書きの全体をとおして﹃遊仙窟﹄の影響が著し味ま ず は 、 右 の は じ め の 部 分 は 、 ﹁ 従 来 透 一 一 四 謹 一 忽 逢 一 一 雨 箇 神 仙 一 居 上 冬 天 出 v 柳 、 頬 中 田 干 地 生 v 蓮﹂をかり、娘子の美 容の描写は、﹁華容網棚、天上無 v 惇、玉瞳透進、人間少 v 匹 ︸ ︵ 千 矯 百 婦 、 造 次 無 一 一 可 v比方こによる。このほか娘 子と老翁とのやりとりのなかにも、それと指摘しうる借用がある。そのなかの一つに、 非 慮 之 外 、 偶 逢 一 一 神 仙 一 迷 惑 之 心 、 無 一 一 敢 所 一 v 禁 。 右の、これは﹁忽遇二神仙一不 v 一 一 迷 範 乙 あ る い は ﹁ 見 v面、精神更迷惑﹂にもとづく例であるが、ここに示唆す るとおり、この竹取翁の所伝を、すくなくとも詞書きの限りは、 ﹃遊仙窟﹄にならい、神仙との出会いをめぐる所 伝としてしたてあげていることは明らかであろう。 ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍

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併教大皐大串院研究紀要第十六競 四 ﹃遊仙窟﹄は、作者張文成が、みずからの体験記といったかたちで、神仙と出会い、 一晩を共にしたのち別れる までの一部始終を詳細にものがたる。この﹃遊仙窟﹄を、右の竹取翁の所伝と同じ程度に、もしくはそれ以上に利 用 し た 詞 書 き に ﹁ 遊 一 一 於 松 浦 河 一 序 ﹂ ︵ ﹃ 寓 葉 集 ﹄ 籾 番 ︶ が あ る 。 こ れ は 、 次 の よ う な 書 き だ し で 始 ま る 。 余 以 暫 往 ニ 松 浦 勝 一 治 謡 、 聯 臨 一 一 玉 嶋 之 浬 一 遊 覧 、 忽 値 ニ 釣 v 魚女子等一也。花容無 v 隻、光儀無 v 匹 。 開 ニ 柳 葉 於 眉 中 一 都 民 ニ 桃 花 於 頬 上 ↓ 意 気 淡 v雲、風流絶 v世。僕問目、誰郷誰家児等、若疑神仙者乎。 右の最後に﹁若疑神仙者乎﹂というとおり、これも、全体の構成上、やはり神仙との出会いをめぐる所伝といった かたちをとる。しかもなお、これは、別離まで含む。竹取翁の所伝にしても、右の﹁遊ニ於松浦河一序﹂にしても、 詞書きという制約があるとはいえ、神仙世界のそのありかたは、むしろ神仙味に乏しく、素朴というほかない。神 仙と目する女性にして、たかだか﹁実 v 美 之 九 箇 女 子 ﹂ ﹁ 釣 v 魚 女 子 等 ﹂ といった有様である。けれども、これが実 態 で あ る 。 ﹃古事記﹄の所伝にしてもやはり禁じえないが、さきに指摘したように、舞台を人ざとは なれたとおぼしき﹁山方地﹂に設定し、天皇がここに怒をつむ嬢子のもとにいたり、二人のつかの間の感興をもの がたるという、この筋だては、二つの詞書きに並び、それらを介して﹃遊仙窟﹄に通じるほか、またあるいは、曹 素 朴 に す ぎ る 憾 み は 、 植 が 、 みずからの体験として神仙の女性との出会い・別離の顛末をものがたる||﹃遊仙窟﹄と基本的な筋だてを 等しくする||﹁洛神賦﹂︵﹃文選﹄第十九巻﹀にもつながるであろう。﹁洛神賦﹂では、神仙の女性との出会いを ﹁踏二麗人子巌之畔こと伝えるが、この女性は、神仙にふさわしく﹁壌ニ結腕於神論一今、采二滞瀬之玄芝ことい 注 日 うように玄芝を採る。濯をつむ嬢子という設定は、これに類縁をもっ。 神仙の所伝とのつながりは、おのずから天皇と黒日売との別離にまでおよぶ。さてそのくだりであるが、

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天 皇 上 幸 之 時 、 黒 日 責 献 ニ 御 歌 一 回 、 そ を 僚がに酢一時吹き上げて雲離れ退き居りとも我忘れめや 右のように黒日売が献った歌を﹁御歌﹂という点をめぐって、かかる﹁御﹂の使用を不審とし、宜長の街学説をい まもおおかた踏襲する。もっとも、 注 ロ 側の伝承によるため﹂という見方もあるが、この見方は、そのうちになおいっそう困難な問題をかかえている。 一方に﹁黒田売に﹃御歌﹄と敬語をつけているのは、この歌が士口備の海部直の ﹁御歌﹂という以上、そしてここに本文の異同がない限りは、これをそのまま受けとるのが筋である。﹁御歌﹂とは、 つまり、天皇の御製歌にほかならない。歌の内容のうえでも、たとえば宣長が﹁倭方と云るは、天皇の京へ還り坐 スこころをもこめたるべし、︸︵さて此ノ句の意、天皇還リ上リ幸して今より京と吉備ノ国とに、遠放りて居りと もと云るなり﹂︵﹃古事記停﹄三十五﹀と説くとおり、﹁退き居る﹂主体は、西風が吹きあげて、雲が離れるように 遠く天のかなたにへだたってしまう者、すなわち天皇で、その天皇が、天をへだてて遠く離れていても、残した黒 日売を忘れないという惜別の情をうたった歌とみることができる。げんに、この﹁御歌﹂を、黒日売は献じたにす ぎない。黒日売の作歌は、﹁御歌﹂につづく次の歌である。 又 歌 目 、 倭方に往くは誰が夫こもりづの下よ延へつつ往くは誰が夫 ﹁御歌﹂をうけて、あきらかにそれに照応する内容である。﹁こもりづの下よ延へつつ﹂は、﹁御歌﹂に離れ去るみ ずからの形象としてよむ天上の雲に対して、地中ふかくひそかに流れる水を対置したもの、﹁御歌﹂の、風のため ﹁雲離れ﹂を余儀なくさせられるというこれはいわば天皇の弁疏を、 ﹁こもりづ﹂の人目をしのぶ帰還として、つ まりは、大后を欺いてやってきたがために、帰途でもそれとしられることを恐れはばかる怯儒としてやゆしたもの ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍 一 五

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傍 教 大 準 大 皐 院 研 究 紀 要 第 十 六 時 肌 一 六 こ ま ミ 工 、 つ 工 、 。 、t t u t 刀

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し ﹁御歌﹂をかく天皇の御製歌とみれば、これにさきだっ﹁山がたに﹂の歌との内容のうえでの類縁、すなわち、 恋にうつつをぬかす男の楽天からうたった彼此の連続性や、これときわだって異質な黒日売の作歌との対応などの、 歌相互の関係がおのずから明らかとなるであろう Q なおまた、この﹁御歌﹂は、黒日売との別れにさいしての歌で ﹃遊仙窟﹄において、作者が神仙の女性、十娘との別れにさいし あるはずで、その点もふくめ、内容のうえでも、 注 目 て詠じたものとして伝える次の詩に通じる。 下 官 、 詠 日 、 人 去 悠 悠 隔 一 一 雨 天 一 未 v 審 、 透 、 透 度 一 一 幾 年 一 縦 使 身 遊 一 一 寓 里 外 一 終 蹄 意 在 一 一 十 娘 謹 一 この詩にいう別離の天をへだてるはるけさは、 ﹁御歌﹂の雲離れて倭と吉備とにへだたるそのはるけさに通じ、ま たそうしてへだたっていても、その別れた女性をどこまでも心にかけるという、ほぼ同じ内容をあらわす。 る な ら ば 、 黒日売との別離も、こうして神仙との別離をほうふつとさせる。この展開にそくして﹁黒日寅献ニ御歌こを捉え ほかに若干その例があって、これはこれで問題があるにせよ、このぼあい、別れにさいし ﹁ 献 歌 ﹂ は 、 て歌を献るということであるから、神仙の女性が別れゆく男になにものか記念の品を与えるという、神仙の所伝に しばしばみられるかたちにあてはまる。 ﹃列仙惇﹄︵巻上﹁江妃二女﹂︶所収の鄭交甫の所伝では、それを次のよう に伝える。ここには、便宜、﹃文選﹄の李善注が引くその所伝をしめす。 神 仙 俸 目 、 切 仙 一 出 、 遊 一 一 於 江 演 一 逢 ニ 鄭 交 甫 4 交甫不 v 知 一 一 何 人 一 也 。 目 而 挑 v 之。女途解 γ 侃輿 γ 之 。 交 甫 行 敷 歩 、 空 v 懐無 v 侃。女亦不 v 見 。 ︵ ﹃ 文 選 ﹄ ﹁ 洛 神 賦 ﹂ ﹁ 感 一 一 交 甫 之 奔 v 言 ﹂ の 注 ︶

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こ の ﹁ 交 甫 侃 ﹂ は 、 ﹃懐風藻﹄所載の左大史荊助仁の詩にも﹁誰知交甫臓、留 v 客令 v v 爵﹂︵五言・詠美人﹀とみ み み ﹁洛神賦﹂では、河洛の女神が別れにさいして献った品を﹁明 える。また、右の鄭交甫の所伝をふまえる﹃文選﹄ 稽﹂とする。その一節を次にしめす。 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 l ︿ 神 の 居 処 ︶ ︿ 女 神 ﹀ 悼 一 一 良 禽 之 永 絶 一 今 、 東 一 二 逝 而 異 v 郷 、 無 一 一 徴 情 以 効 v 今 、 獄 一 一 江 南 之 明 璃 ↓ 難 v 潜 一 一 慮 於 太 陰 一 長 寄 一 一 心 於 君 王 ↓ この直後に、神女は、﹁忽不 v 一 一 其 所 γ 舎 、 鄭 交 甫 の 所伝と基本的にほぼ同じかたちをとるが、これら神仙が別れにさいして記念の口聞を与えるという筋立ては、 慎 一 脚 宵 而 蔽 v 光﹂というように忽然とその姿を消してしまう。 ﹃ 丹 後 国風土記﹄︵逸文﹀が伝える浦島子伝にも通じる。浦島子伝では、神女が授ける品は﹁玉匝﹂である。 右のように神仙の所伝のいくつかあげた例に、くだんの黒日売との別れのくだりは、あきらかにつらなる。それ は、彼女との永訣を暗示すべくたくんだ趣向であったろう。﹁御歌﹂にしても、額面どおり天皇の御製歌とみれば、 それをそのままみずからの惜別の情をこめた記念として献るという、そうしたいわばおもてむきの意とは別に、歌 を作った当の天皇にその歌をそのまま返してしまうという、内実は、天皇に対する痛烈な皮肉の意をあらわしたも のとみることができる。この皮肉をそれとしてかたちにあらわして詠んだ歌が、 ﹁御歌﹂につづく﹁こもりづの下 よ延へつつ往くは誰が夫﹂という歌である。黒日売の心情については、恐らくは意図的に、これまでずっと伏せた ままで所伝は展開してきたが、この最後のくだりで、結局は大后のもとに戻ってしまう天皇の、その大后の目をお それでひそかに帰るさまを、それこそたっぷり皮肉る歌を通して明らかにする。大后の嫉妬ゆえに里帰りを余儀な くさせられたが、そのおり、天皇は、ただ手をこまねく傍観者であった。いままたおうせもつかの間、大后をはば かつてであろう、天皇は、人目をしのんでそのもとに帰ろうとする。黒日売の歌は、その皮肉にもかかわらず、 し、 ﹃ 古 事 記 ﹄ の 所 伝 の な り た ち と 漢 籍 七

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偶数大皐大皐院研究紀要第十六競 八 かにも抑制がきいている。 ーよー /

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まとめ 天皇の好色と大后の嫉妬とがないあわさり、所伝は、これを軸に展開する。好色も、また嫉妬にしても、そのえ がきかたにはたぶんに誇張があり、各くだりのそのあらわれは、漢籍に散見する所伝の類型にあてはまる。そこに は、また、それら好色・嫉妬を批判的にみなす儒教の考えが著しい。一方、黒日売をめぐるくだりは、所伝の一連 の展開のはじめに位置するが、この文芸的な性格の色濃い箇条には、その構成や内容にわたる神仙の所伝との類縁 をみることができる。 こ こ に 結 論 を い え ば 、 いずれも、漢籍の知識をもとに、ないしそれをふまえてなりたっているというのがそのあ らましである。同じなりたちを、すでに別稿において、この仁徳天皇条の冒頭に位置する所伝の、課伎の免除によ って人タを救済するというそのありかたを通してみたが、かれからこれへと流れる所伝のそのなりたちにおいて、 二 つ は 、 ひ っ き ょ う 、 一つであったということにほかならない。 このことは、漢籍の知識が所伝の成りたちに深くかかわること、これが仁徳天皇条の一連の所伝の基調であった ことを示唆するであろう。その基調は、げんに、黒日売につづいて天皇が恋の相手とする l 所伝では、大后の不在 に乗じて結婚すると伝える

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八田若郎女をめぐるくだりやそれ以降にも、それとしてあきらかなあらわれをみせる。 その逐一の検討や、それらを通して﹃古事記﹄のなりたちを考えるためには、もはや稿をあらためなければならな い。小稿は、それへの橋渡しの意味をあわせもつ。

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︹ 注 ︺ 1 ﹁ ﹃ 古 事 記 ﹄ の な り た ち と 漢 籍 l l i 仁徳天皇条の所伝を めぐって、その付||﹂﹃傍教大皐研究紀要﹄通巻七十 一 一 口 ぢ 2 本文は、検索の便宜にしたがい、高木市之助・富山民 蔵編﹃古事記総索引﹄本文篇による。丁数も、それによ っ て 表 示 す る 。 3 ﹁婚﹂とは、たとえばこの八田若郎女のあとに登場す る 女 鳥 王 の ば あ い に ﹁ 天 皇 以 一 一 其 弟 速 総 別 王 一 潟 v 市 乞 一 一 庶妹女鳥王一﹂とあるように、本来、仲人をたてる。唐 律 ハ ﹃ 唐 律 疏 議 ﹄ 巻 第 十 三 コ 戸 婚 ﹂ ﹀ の 疏 議 で は 、 こ れ に ついて﹁疏議日、震 v婚之法、必有 v v 。 ﹂ と 明 記 す る 。 これは、ふるくさかのぼっても同様で、﹁媒﹂を欠くば あい、たとえば﹃毛詩﹄召南﹁野有死麗﹂の詩序に﹁無 v ︵ 婚 礼 薩 ﹂ と い い 、 こ の 鄭 注 に ﹁ 無 札 者 、 魚 下 不 v 由 一 一 媒 灼 一 馬 幣 の 贈 物 ︶ 不 γ 至 、 劫 脅 以 成 長 昏 。 謂 一 一 対 之 世 乙 と 説 く 。 4 ﹃塞文類緊﹄巻三十五﹁淫﹂所収のなかには、たとえ ば﹁列子日、鄭公孫穆好 v 、 後 庭 教 十 、 皆 揮 一 一 稚 歯 一

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於 ニ 後 庭 一 以 γ 足 γ夜、三月一出。﹂という極端な例まで あ る 。 う ぐ ひ す ︵ 一 一 日 さ き 立 ち 5 ﹃高葉集﹄には﹁春去ればまづ鳴く鳥の震の事先立之 し ︸ 君 を し 待 た む ﹂ ︵ 忌 ω 印 番 ﹀ と い う 歌 が あ る 。 6 ﹃ 妬 記 ﹄ が い か な る 書 物 で あ っ た の か 詳 ら か で は な い 。 ﹃古事記﹄の所伝のなりたちと漢籍 ﹃ 陪 書 ﹄ 巻 三 十 三 ﹁ 経 籍 志 ﹂ ︵ 史 部 ︶ に は ﹁ 妬 記 二 巻 、 虞 通 之 撰 ﹂ と あ り 、 ﹃ 奮 唐 書 ﹄ ﹁ 経 籍 士 山 ﹂ に は 所 見 な く 、 ﹃ 唐 書 ﹄ ﹁ 塞 文 志 ﹂ に ﹁ 妬 記 二 巻 ﹂ と み え る 。 7 ﹃ 世 読 新 吉 田 ﹄ ﹁ 賢 媛 第 十 九 ﹂ に も 、 こ の 話 を 伝 え る が 、 辞句その他に少しく違いがある。劉孝標の注には﹃妬記﹄ の所伝を伝える。それも﹃塞文類緊﹄と若干字句を違え る 。 8 儒教の支配的な社会にあっては、嫉妬は許されない。 令 ︵ ﹁ 戸 令 第 九 ﹂ ︶ で は 、 妻 を 離 別 す る 要 件 と し て ﹁ 七 出 ﹂ を定めるが、そのうちの一つに﹁六、妬忌﹂をあげる︵唐 令、日本令ともに同じ。﹃唐令拾遺﹄、岩波日本思想大系 ﹃ 律 令 ﹄ ﹀ 。 律 ︵ ﹃ 唐 律 疏 議 ﹄ 巻 第 十 四 コ 戸 婚 ﹂ ﹀ に は 、 ﹁ 七 出﹂によらずに棄妻したばあいの罰則規定がある。なお ﹃ 高 葉 集 ﹄ の 詞 書 き に も ﹁ 七 出 例 云 ﹂ ︵ 色 。 。 番 ︶ と あ る 。 9 ﹃ 春 秋 左 氏 博 ﹄ ﹃ 史 記 ﹄ ﹃ 准 南 子 ﹄ ﹁ 戦 園 策 ﹄ な ど に 伝 える申包有あるいは努冒勃蘇をめぐる所伝であるが、こ れ に つ い て は 稿 を 改 め て 論 じ る 。 日 ﹁ 竹 取 翁 ﹂ の 詞 書 き や 次 に あ げ る ﹁ 遊 一 一 於 松 浦 河 一 序 ﹂ な どが﹃遊仙窟﹄を利用していることについては、すでに 小 島 憲 之 先 生 ﹃ 上 代 日 本 文 皐 と 中 園 文 皐 ﹄ 中 ︵ ﹁ 第 七 章 ・ 遊 仙 窟 の 投 げ た 影 ﹂ ︶ に 指 摘 が あ る 。 日ここに玄芝と悲との違いは、本質的なものではない。 ﹃高葉集﹄の詞書きのように、素朴なかたちが神仙の所 九

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傍教大皐大皐院研究紀要第十六競 伝を受容したなかでの一つの傾向であったが、なお悲と の類縁という点では、たとえば﹁天台二女﹂の所伝にお いては、神仙の女性との出会いの一つの契機として、 劉 長 ・ 玩 肇 、 入 ニ 天 台 一 採 v 、 遠 不 v v返。︸︵欲 v v 山 、 以 v杯取 v 、 見 ニ 蕪 菩 葉 流 下 ↓ 甚 鮮 耕 。 復 有 一 二 杯 流 下 一 有 ニ 胡 麻 飯 一 鷲 。 乃 相 謂 日 、 此 近 v 会 。 、 途 渡 v 山 、 出 一 二 大 渓 ↓ 渓 遁 有 ニ 二 女 子 ↓ 色 甚 美 。 ︵ ﹃ 太 平 康 記 ﹄ 巻 第六十一。この所伝の付記に﹁出ニ紳仙記刊明紗本作 v 出 ニ 捜 紳 記 一 ﹂ と あ る 。 ︶ 二

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右のように上流からながれ下る蕪菩の発見を伝える。 ロ西宮一民氏校注、新潮日本古典集成﹃古事記﹄の当該 条の頭注 日 小 島 憲 之 先 生 ﹃ 上 代 日 本 文 皐 と 中 園 文 皐 ﹄ 上 に は 、 ﹁ 記 ・ 紀ともに語句表現の上で直接に遊仙窟の影響を受けたか 否かは頗る疑はしく、むしろ古事記と遊仙窟との関係は 否 定 的 と み る べ き で あ る 。 ﹂ ︵ 別 頁 ︶ と あ る 。 ハ 文 学 部 助 教 授 ︶

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