︵大乗。菩薩思想の形成言仏︵ 包摂はその主な例といえよう。 前六’五世紀にインドに興起した仏教はクル・パンチャラを中心とした正統毒ハラモン教に対して↑東方の辺境 マガダを基盤とした新興の思想家たる沙門︵畔四日p国史、四目四国p︶の一派として形成された。 農村社会を基盤としたバラモン教が、農耕儀礼に関係して呪術的な傾向を内包したのに対して、発生期において、 強力な権力を握った王族や、交易に従事した都市の資産者の階層に支持された仏教は、呪術性を否定し、倫理的特 性が顕著であった。しかし、仏教は当時の通商路に沿ってインドの各地方に伝播する一方、農村社会に浸透するに 当って、伝統的な基層文化、殊に呪術をも是認するようになった。初期大乗経典に指摘される山教法の普遍化 ︵大乗。菩薩思想の形成、仏の慈悲の拡大に伴う救済の平等化︶、②ヒンドゥー教神格の習合、③呪法・陀羅尼の
法華経統一思想形成の基盤
この特性は一見矛盾するように思われる海相侯三’一宗教の普一温化と各民族・地一域への同化を促進したものの如 ]諸神習合と宗教統一︲砿緬と羅嗣111
塚本啓︲祥
−4−法華経統一思想形成の基盤 キリスト教やイ↓︿ラム教は、伝播した民族や地域に特有で共通な文化・慣習の典型を構築した︾しかしなから、 その一神教的な価値観は、歴止的にはややもすれば二者択一を迫り、排他性を強要し、異宗教間の抗争と社会にお ける差別を現出しがちであった。これに対して、仏教はアジアの諸地域に伝播したが、積極的に民族や地域の固有 の宗教・文化・慣習を吸収し同化した。その結果、それぞれの時代・地域において種々の変容を示している。 仏教が日本に伝来した時、日本固有の諸神信仰と宗教儀礼が存在していた。しかし、仏教は仏陀観︵普遍的な法 身思想と、衆生救済のために垂通する応身思想︶を基盤として、仏教の万神殿︵塁茶羅︶中に土着の諸神を包摂し た。かようにして﹁神仏習合﹂が日本社会に定着した。日本の家庭に神棚と仏壇が同居し、神事と仏事を使い分け る現代日本社会の慣習に対して、一神教の立場からは宗教の純粋性がない雑信仰としての批判がある。しかし、明 治以降の国家神道の独立と、神仏分離の政策が、極端な国粋主義への偏向となったことを顧みる時、仏教の統一思 想が、各民族や国家の社会に平和︵宗教・文化の融合︶をもたらした意義は大きい。 本論は、日本における神仏習合の源流となった大乗仏教、特に﹃法華経﹄の統一思想の形成と展開、並びにその モティーフを与えたガンダーラにおける宗教・文化統一の社会的背景について究明することを目的とする。 方法を形成せしめた。 くである¥交易を媒八 ﹃法華経﹂方便品には、一乗︵仏乗︶の開顕を説き、三乗︵菩薩乗・縁覚乗・声聞乗︶の教えを方便とする一⋮開 三顕一﹂﹁開権顕実﹂︵開会︶の思想が中心となっている。これらの要語は、天台智頴の﹁法華玄義冠中に用いら
どんかいえ
二法華経の一瞥開会﹂思想 交易を媒介とした諸文化の交流と諸宗教の一融合侭.社会における安定した併存を維持するための論理と −5−かり と述べて、これまでに仏陀によって説かれた三乗の教法は、仏陀の方便︵権︶の説であることを明らかにする。で は仏陀がここに説こうとする真実の教法とは何であろうか。これについて、 このようにして、実にシャーリプトラ︵舎利弗︶よ、如来の唯一の仕事、唯一のなさべき事、大きな仕事、大 きななすべき事であるそれを、如来はなされるのである。それはなぜかというと、シャーリプトラょ、私こそ は如来の知見に導くもの︵国喜尉四国l甘口口ml目臥口唇四l困日自習画冨︶であり、私こそは如来の知見を示すもの ︵の四目忌融口冨︶であり、私こそは如来の知見に入らせるもの︵四ぐ四国国富︶であり、私こそは如来の知見を悟 らせるもの︵胃9号○烏農巴であり、私こそは如来の知見の道に入らせるもの︵日脚魁ぐ四国門冨︶であるから。 私は、シャーリプトうよ、唯一の乗物︵の冨冒の菌冒口角ョ一乗︶について衆生に法を説ノ、。それは仏陀の乗物 ︵g&厨l乱﹃届仏乗︶であって、シャーリプトうよ、︹その他に︺第二、あるいは、第三の乗物が存在するの ではない︵ロ四百日。旨呂習乞昌圃身箇箇日乱日ご四目く画く四画四日3日aご胃①︶・シャーリプトうよ、すべて の十方世界において、これが法の実相︵号自己四国法性︶であるの姪冠 と宣説している。これは、﹁妙法蓮華経﹄において、開示悟入として表現される文節に対比される。すなわち、 れるが、ここでは﹃法華経﹄方便品の中心思想を表示する語として借用する。さて、焚文に、 これこそは私の最高の巧みな方便︵g母⑪冨鼠巴冒︶であり、それによって世間に多くの法を私は説こう。 あれこれに執着する人びとを解脱させ、私は三つの乗物︵↑﹃目﹃習国日三乗︶を説き示そ蓮︵三︶ ﹃|妙法蓮華経﹄に峰 仏が方便力をも一↓て︾示すに三乗教をも︵︽てし、衆生の処処に著する.これを談いて出ずることを得せしめん 、ノ ︹ヘ○一 ためないQ −6−
一幸﹄は. の箇所で、 華﹄は﹁二若しくは三﹂と基数をとっている。そこで、漢訳の解釈に種々の問題が生じることになるが、覚文の他 とする点では一致しているが、その他の乗について、菟文が﹁第二・第三﹂と序数で表現するのに対して、﹃妙法 とあって、党文と対比するに、表現に相違が認められる。すなわち、仏陀が説かんとする真実の教法を一乗Ⅱ仏乗 舎利弗よ、云何なるをか諸の仏・世尊は唯、一大事の因縁をもっての故にのみ出現したもうと名づくるや。諸 の仏。世尊は、衆生をして仏の知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したも う。衆生に仏の知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏の知見を悟らしめんと欲する が故に、世に出現したもう。衆生をして、仏の知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎 利弗よ、これを諸仏は、唯、一大事の因縁をもっての故にのみ、世に出現したもうとなすなり。⋮⋮舎利弗ょ、 如来は但、一仏乗をもっての故にのみ、衆生のために法を説きたもう。余乗の若しくは二、若しくは三あるこ へ戸ら となし久 ︹過去・未来・現在の︺十方世界のどこにおいても第二の乗物が設定されること︵宮口言§gはない﹂まし て第三の乗物についてはいうまでもない。 しかしながら、実に、シャーリプトうよ、如来・応供・等正覚者たちは、劫濁︵厨宮口︲百出旨︶のなかに出現す る。あるいは衆生の汚濁、あるいは煩悩の汚濁、あるいは見解の汚濁、あるいは寿命の汚濁のなかに出現する。 シャーリプトうよ、多くの衆生がかような劫の混乱と汚濁を有し、負欲で、善根が少ないとき、シャーリプト うよ、そのとき如来・応供・等正覚者たちは、かの唯一の仏陀の乗物を三乗に分別して説く今豊①ぐ巴冨目 盲目gl乱冒四目計ロー旨pm−昌旦勝9m己Hsmm具︼︶・その場合、シャーリ。フトうよ、声聞念働く、臣︶にせよ、阿 −7−
舎利弗よ、かくの如き健皆篇一仏乗の一切種智を得せしめんかための故なり。舎利弗ょ十方世界の中に健 なお二乗すらなし、何に況んや、三あらんや。舎利弗よ、諸仏は五濁の悪世に出でたもう。謂う所は、劫濁と 煩悩濁と衆生濁と見濁と命濁との、かくの如きなり。舎利弗ょ、劫の濁乱の時には、衆生は垢重く、樫貧・嫉 妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏は方便力をもって、一仏乗において分別して三と説きたもう。 舎利弗よ、若しわが弟子のうち、自ら阿羅漢、辞支仏なりと謂う者にして、諸の仏・如来は、但、菩薩のみを 教化したもう事を聞かず、知らずんば、これ仏の弟子にも非ず、阿羅漢にも非ず、辞支仏にも非ざるな咋哩 と述べており、一乗が仏乗を表わすことは明白であるが、第二・第三の乗が声聞︵阿羅漢︶と独覚のいずれに比定 されるのか、また、分別された三乗のそれぞれが何を指示するのかは、右の文脈からは必らずしも明確でない︵﹁妙 法華﹄の表現は、前引の文と同様の傾向を示している︶。これに対して、同経の警愉品の薙文には、 如来・応供・等正覚者たちは⋮⋮巧みな方便の知をはたらかせて⋮・・・三つの乗物を示される。すなわち、声聞 のための乗物︵腎身四百l圃国四声間乗︶と、独覚のための乗物︵官煙葺①富盲目gl乱口口独覚乗︶と、菩薩のた へ§ めの乗物e&言$耳くいl冒冒ゆとである瓜 と説き、対応の﹁妙法華﹄には、 ﹃妙法華﹄に峰 羅漢︵閏冨己にせよ、独覚︵冒四ご①冨冒呂冨︶にせよ、仏陀の乗物に導こうとする如来のこのはたらきを、聞 きもせず、理解もせず、悟りもしないものは、シャーリプトうよ、かれ等は如来の声聞でないと知るべきであ り、阿羅漢でもなく、独覚でもないと知るべきであ電 舎利弗よ、彼の長者は、また身・手に力有りと雛も、しかもこれを用いず。但、感勲の方便をもって勉めて −8−
︵奪蕗耐淵熊︶ 以上の考察から、方便品にお、いては、真実の教法と方便の教法とを対比させ真実の教法は一乗、すなわち仏 乗であるとし、余乗︵第一・第二の乗︶または三乗の分別を方便の教法とする。また、書愉品においては、分別さ れた三乗とは、声聞・独覚︵辞支仏︶・菩薩︵仏︶であるとみている。莞文の菩薩乗は、﹃妙法華﹄では仏乗とな っているが、菩薩は仏陀に至る過程であるから仏道︵菩薩道︶と仏果の関係を示しているといえよ瑳麺 としてL と述べている。 要するに、﹃法華経﹄以前︵特に﹁般若経﹄︶で峰自利・利他の菩薩乗を声聞・独覚の二乗と対立的に把握し ていた。しかし、大乗の教えは、すべての人びとの救済にあるのであるから、二乗を単に成仏できないとして否定 ' ' ’ 料 ''1 淵{ として、ために三乗たる声聞と辞支仏と仏との乗を説きて、この言を作すな粒 無所畏有りと雌も、しかもこれを用いずして、但、智慧・方便のみをもって、三界の火宅より衆生を抜済せん 諸子の火宅の難を済い、しかして後、各に珍宝の大車を与えしが如く、如来も、亦、また、かくの如し。力・ g含尉自首画︲怠画画︵暇鼎刈︶V官邑冨︲菌目︵群糊︶ 冒凹ご①冨冒&gl圃邑四︵欝列剤︶
降習農四l鼠口凹︵珊謡淵︶
毒剰
覇刈零、鄭郷剃 珊謡淵 V⋮窯剤 | 料 | 刑 −9−することは、大乗本来の立場に反することであった“この矛盾に一つの解決を与えたのか﹃法華経﹄の一乗思相単一 ある。三乗のなかで、声聞乗は伝統的な上座教団、すなわち僧院を中心とした出家者の教団をいい、独覚乗︵縁覚 乗︶は、この僧院主義を否定して原始的な遊行生活を維持する修行者のグループに当ると考えられる。これに対し て、菩薩乗は新興の大乗仏教である。以上の三乗は、いわば当時の仏教教団を代表する三つの流派といえよう。方 便、すなわち世俗の立場からみれば、三乗の教法が実際に存在し、それぞれの立場から悟りを求めて実践されてい た。しかし真実、すなわち仏の悟りの立場からみれば、存在するのは一仏乗のみである。三乗の実践道は否定され るのではなくて、等正覚に至る実践道の体系のなかに組み込まれることによって、それぞれの存在価値を認められ ている。開三顕一とは三乗を一仏乗に包括するのであって、ここに﹁統一の論理﹂の形成が認められる。 前六世紀、西北インドのガンダーラ峰アカイメネス王朝のダレイオス一世に隷属して以来、およそ二世紀にわ たって・ヘルシアの支配下にあった。アレクサンドロス大王がインドに遠征した時︵前二三六︶、スワート渓谷には、 ディオニュソスの後商と称するギリシア人が定住していた。アレクサンドロスは、インダス川以西の土地を支配下 においたが、各地にギリシア人の都市アレクサンドレイァ︵唾奇智&R︽Rどの〆四目風印︶を建設した。マゥルャ王朝 の崩壊︵前二世紀︶後、西北インドにギリシア人が再び侵入して、彼らの王国を樹立し、一段とギリシア文化を浸透 せしめた。しかし、彼らはインド文化との融合を図っている。 前一世紀、そのインド・ギリシア王国が滅亡した後、その地方にはヒンドゥ・クシュ山脈を越えて侵入したサヵ ︵留冨め昌吾旨目︶・パフラヴァ弓呂医ぐゆも閏吾田口︶族の侯国や、クシャーナ︵︻吊習巴族の王朝が栄えた。遊牧 三宗救・文化統一の歴史的事例 −10−
法職器統一思想形成の基盤 西北インドのガンダーラは東西文化交流の要衝に位置しただその中心的都市はタクシラであ︵た︵挿図1︶黍一現 存の都市遺蹟シルカップ︵挿図2︶はタクシラ第二都市であって、前二世紀にインド・ギリシア人によって建設さ れた。この都市遺蹟のF街区︵挿図3︶に、双頭鷲をモティーフとした浮彫をもつストウー。℃︵仏塔︶がある︵・ 図5.6︶・これは。ハフラヴァのアゼース一世︵前一世紀︶によって建立されたものと推定されている。 タクシラの第二都市遺跡シルカップの昌司街区には、およそ一二・二メートル四方の遺構がある。その西壁は主 要街路に接し、中央に入口がある。西壁を背にして四室があり、洞堂︵OBごm’四富︶の管理者が居住したものと推 定されている。構内にはストゥー・︿︵の冨冨塔︶の基壇のみが現存し、南北六・二五メートル、東西八・一七メー トルで、その西側に階段が付設されている。基壇の中核は荒石からなり、方形のカンジュルの化粧面をもつ。基壇 の脚部の周囲には、フィレット︵平縁︶によって区分されたトルス︵半円形繰形︶とスコティァ︵深くえぐった繰 形︶とから構成された繰形が巡っている。その上には、帯状装飾と歯状装飾の軒蛇腹をもつ腕木を載せた付柱の列 ギリシア人は西北インドに植民しておよそ一千年間萱その地方に居住しつづけて言ギリシア文化の影響を与えな がら、インド文化を吸収した。 形︶と、 がある。 多大の影響を受けた。 民であ︽言た彼らは桑 塔の上部は完全に崩壊しているが、破片となでて発見された建物の構成部分からその上部構造のデザイシを再 諏皿双頭鷲塔に見られる宗教・文化の統一 インドの宗教・文化を受容し、他方、東西文化交流の要路に位置したためヘレニズム文化の −11−
構成できる@基嬉一の中央に唾 茸習農︶を冠している。鼓い れていたと推定される。基﹄ 覆鉢上の欄楯と盤蓋︵挿図4 基壇のそれと対照的である。 初期仏塔の典型的構造であるサーンチー第一塔︵挿図8曲︶は、前二世紀にハンマー打ちした薄い石板によって、 アショーカの煉瓦の塔を包んだものである。上部を平らにした覆鉢︵営曾︶の上に、方形の欄楯︵ぐ①日圃︶を置き、そ の内部の平頭9日目園︶の中心に建てられた柱軸︵旨讐︶の上に、三つの盤蓋︵。g芽野農︶を冠している。覆鉢の 周囲には囲綻のための基壇︵日且言︶を設けて欄楯をめぐらし、南側に手すりのある二箇の階段︵の§自画︶が取り付け られている。原型の二倍に増広されたこの塔は、直径麓認ョ高さ︵盤蓋を含んで︶思念目ある。覆鉢の表面は漆喰 をぬり、基壇の周囲には囲緯のために石で舗装した第二の廻廊︵胃且農、旨陣lg吾四︶をめぐらし、その外周を石の 欄楯によって囲んでいる。欄楯は支柱︵の3日喜巴を三本の貫石︵目g︶で連結し、門の端は支柱の軸受けの中にほぞ 継ぎにされている。さらに欄楯の上部には笠石︵屋の昌忠︶を冠している。基礎面の欄楯は、四分円に区分され、四方 に設けられたL字型の欄楯の突出部によって入口を形成している。 クシャーナ時代以降、塔建築の構造には変化が認められた。まず初期の例にみられる比較的低い基壇は筒状に延 長され、覆鉢は基壇の中に沈む傾向を示した︵ギリャックの塔︶・また、基壇はしばしば、仏像を安置するための 突き出された盤篭を含んだ。後期には、特にガンダーラでは、基壇︵基部︶は減少するテラスの中に建造され、テ ラスの外見は荘厳された。盤蓋は数を増して、全体として円堆形をなした︵ナーガパッティナム、クルキハル、ジ 基壇の中央には覆鉢を載せた高い鼓状部がありその上に欄楯︵冨局日時巴と三つの傘をもつ盤蓋︵g︺画︲ している。鼓状部と覆鉢の両者はストゥッコで仕上げられて、・ヘイントを塗った浮彫りの装飾で飾ら 定される。基壇の縁の周囲と、多分階段の側面には、高さ一・一メートルの欄楯をめぐらしていた。 と盤蓋︵挿図4︶は、現在タクシラ博物館に保管されている。これらが純インド的様式であることは、 −12−
ヤウリアン出土の小塔︶・平頭は逆ピラミッド階段状に変形した。歩廊ははじめは基嬉一のための基礎として導入さ れ、円または方形であったが、時の経過とともに変化を示し、四面のそれぞれに一つまたは多数の突出部を付加し た︵ラトナギリ塔︶・さらにそれは高くなり︵ラウリャー・ナンダンガリー塔︶、ガンダーラでは柱壁によって分 離された壁篭中の彫刻によって、荘厳された︵ローリャン・タンガイ出土の小塔︶・ ︵巴 以上の如く、最初期の覆鉢状の塔は基礎・基壇・盤蓋に改良を加えられて、丈の高い装飾的な塔へと変形した○ さて、シルカップの双頭鷲塔は、サーンチー型の仏塔︹円形基壇、碗形覆鉢︺からクシャーナ王朝期のタフト・ イ!バーヒーの仏冷︹方形基壇円錐形覆鉢︺︵挿図リ理︶への過渡期の形態を示している. 塔の側面と背面の装飾は、正面より少ない。両側面には五つの付柱の列があり、その一つは円形の柱身とコリン ト式の柱頭をも↑妙︵挿図喝︶・残りの付柱は平らな繰形から構成された四角の柱身と柱頭をもつ。例外として西隅 の柱頭はコリント様式である。正面ではすべての付柱はコリント式であり、二つは丸い柱身、残余は平らな柱身 である。この付柱の間の空間は、三つの異なった様式の壁篭によって際立たせている。階段にもっとも近い壁諾の
令廻︶せりもち
二つは、ギリシア建築の切妻壁に似ている︵挿図皿︶・中央の壁寵は、所謂ベンガル屋根に似た尖頭迫持のアーチ ︵o昌冒型︶を載せているクシナガラの洞堂︵挿図肥︶やナーシク支提窟の正面︵挿図Uにその例を指摘できる。 両隅の壁篭は初期インドの塔門︵8日目︶の形態をとっているサーンチーの仏塔では、ほぼ同じ前一世紀頃に、入口 なげし に薄浮彫りをほどこした塔門が建造された︵挿図9︶・門は曲線上の三本の台輪︵長軸︶と、それを支える二本の 角柱からなり、最上の台輪には法輪・夜叉・三宝が置かれている。これに対して、この塔門浮彫りは二本の長軸を もつ。中央と外側の壁篭の頂には烏がとまっており、その一つは双頭鷲である。繰形・付柱・他の装飾を含むカン ジュル石の全表面は、本来は繊細なストゥッコの薄い膜で仕上げられていたが、時を経ていくつかの粗い膜が付加 −13−された。そのあるものは赤・深紅・黄の。ヘイントの痕跡を示している。 この塔に見出される双頭鷲のモティーフは、移住者群の長い連続に、他の連結環を供給するものとして注目され ︵岨 る。それは、初めは西アジア︵母闇昌冨冒︶におけるヒッタイトの彫刻︵前一三世紀挿図Ⅳ︶と、初期の。ハビロニァ の彫刻に現われ、後にはスパルタ出土の幾何学時代の初期の象牙にも見出される。後になって、それは特にスキュ ティア人に関係したようである。この塔のモティーフは、サカ︵殴冨︶人によってタクシラに導入された、ものと椎 定される一律 要するに、この塔の設計者は、ギリシア人、。︿フラヴァ人、サヵ人、インド人からなるタクシラの住民を:仏教 僧伽に統合することを意図したものと推定され、ガンダーラにおける東西文化と宗教の融合を策ったものと考えら れる一﹄ サカ・パフラヴァ族がインドに侵入した時、彼らはゾロァスター︵拝火教︶の信仰をもっていた。それは、彼ら がゾロアスター教の発祥の地セイスターンに居住していたことによるとみられる。タクシラのジャンディァール寺 院︵挿図どはアゼース一世によって建立されたと推定されている。 アゼスの後継者零コンドファレス︵の○且○喜閏①段glgm.。︶は、西部パンジャーブおよびシンド地方を支配した,もの ︵U とみなされている。新約外典の﹁トマス行伝﹄によれば、かれはインドにはじめて福音を伝えたという伝説の十二 使徒中の聖トマスの教化をうけて回心したという。この害の最古の原文が後三世紀の前半とみられるところから、 伝えられる内容が事実かどうかは確実でないが、インド壬。且ごg厨司はコンドファレスに比定されている。フィロ ︵唖 ストラトス弓言旨恩田8m︶によれば、、コンドファレスの治世にテュァナのアポロニオス︵シ己巳さ昌○の︶が西北からタ −14−
さて、これに先だって前二世紀以来、すでにガンダーラの支配者たちによって、この地方の宗教・文化を統一する 政策が執られていたことを指摘できる。その証跡は、彼らによって発行された貨幣に鋳刻された王の称号、宗教的 シンボル、並びにギリシア、半ギリシア、。ヘルシア、インドの神格の名前と彫像に認められる。主な例を挙げよう。 たと推定する縁︾ と王宮があったことを伝えている。マーシ¥鯉、かれが逗留した寺院はマズダ神を肥るジャンディァールであっ クシラを訪れ、城壁外の寺院に逗留し、その都市の構造がギリシアの都市に類似していたこと、城内に太陽の寺院 1インド・ギリシア王 パンタレオン︵詞“.菌一の。.堂剛二○○︲一八五︶の方形青銅電︵挿図蛸︶ ︹表︺踊るラクシュミー︵吉祥天女︶像、耳から長い.ヘソダントを付け、ズボンを伴った東洋の衣装を着て、 ︹表︺踊るラクシ﹃一ミ、 手に花を持っている。 ︹裏︺たてかみのな ギリシア語の銘 両理旨の砲閏昌g扇ぐ四m四 ブラーフミー文字インド語の銘 J へ雪︽ソタレーヴァ王の︹貨幣︺﹀ ︺たてがみのない獅子の像 ︹上︺画虐辱罵駒喝︹下︺園亀亀醒堅固一○雪国一○﹄|雌多閉建①g勺凹昌巴8昌吊 2貨幣における︾ぞンテオンの形成 右 −15−
︿インダス地方出身の支配者の︹貨笛﹀ とあって、かれらはガンダーラの文字カローシュティーを用いたばかりでなく、ヤムナーやガンガー流域の文字ブ ラーフミーをも用いている。これは、かれらがその勢力範囲を東パンジャーブまで拡大したこと、また新しい領土 で用いるために、タクシラの造幣局から貨幣を発行したことを意味する。アガトクレスの貨幣の裏面に一記される銘 ︽︽闇︵且口の四日①︾において、閉合両は雷昌屋︵鷺酸且言インダス川またはその流域︶に吉︵生まれ︶を付したもので、 ﹁インダス地方の出身﹂を意味し、囲日のは明白でないが、恐らくサンスクリット語の、乱目旨︹l言語基︺︵支配者︶ に︲一語基の帰国.の晒昌の格語尾︵龍部・︲①己を付したプラークリット形であろう。﹁インダス地方出身の支配者﹂で あることを宣言すると共に、土着の宗教に帰依する人びとに訴える彫刻を鋳造している。。︿ンタレオンの貨幣には ヒンドゥー教のラクシュミー︵吉祥天女︶が表現され、アガトクレスの貨幣の欄楯に囲まれた菩提樹︵挿図別︶は、 ︿㈲一ハンタレーヴァ王の︹貨維巴﹀ アガトクレス︵ど閏ゴ○。|①の華前一八○’一八五︶の方形青銅電へ挿図釦︶ ︹表︺霊廟のアーチからなる仏塔 カローシュティー文字インド語の銘 ︹裏︺欄楯に囲まれた菩提樹 カローシ﹃三ノ点−文字インド語の銘 国目巨巨]四のゆ門口① ︿アヵトゥクレーャの︹貨幣︺﹀ 衿戸口津昌丙吋里四mm −16−
扶華経統一思想形成の基盤 雷ハールフト塔の欄楯︵挿図魂︶やサーンチー塔の塔門の浮彫に見られる如く、仏陀の成道のシンボルである。また ピラミッドの中に造りつけられたチャイトャ︵⑦巴ご画霊廟︶はインドの宗教において神聖な場所、聖堂を意味し、 ストゥーパ︵切目冨翠堵婆︶は仏舎利を納めた塔であって、仏教信仰のシンボルである。そしてタクシラの第二都市 シルカップは、アガトクレスによって建設されたものと推定されている。 ﹁3 メナンドロス︵三①.ma﹃oの寺前一五五’二一○︶の方形青銅録ぺ挿図”︶ シルカッブは、アガ メナンドロス︵ご ︹表︺法輪の紋様 メナンドロスの円形銀翰 ︹表︺兜を冠したメ ギリシア語の銘 ︹裏︺しゆるの紋様 ︵上︶配堅哨昌﹄固め国﹂員抑亀○弓 ︵下︶言国這ン宮、○弓Ⅱ胃の陸8msoBO屋巨の国い且8宮 カローシ﹃一ティー文字インド語の銘 冨昌四国旨闇曾倒旦凹圃協巨のご口自習四 ︿保護者メナドラ大王の︹貨幣︺﹀ ︿保護者メナンドロス王の︹貨幣︺﹀ 配堅喝昌﹄向い陶画心冨噌○吋員喝ン区ン国、。、1ケ閉陸①38芯3の巨呂四国号○国 ギリシア語の銘 兜を冠したメナ︾/ドロ﹃︿の肖像 −17−
︿正義を守る大王メナドラの︹貨幣︺﹀ と銘刻している如く、かれはインド人にとって﹁保護者﹂︵目司誉、耳目四国は胃.茸騨︻の.フラークリット形︶であり、 ﹁正義を守る者﹂魯冒。ハ︾己︺国目一sは静・号胃目房四のプラークリット形︶であることを亘一冒している。﹁ミリンダ 王の問﹄尽曽員§昌冒﹃那先比丘経﹄︶に記される如く、王は仏教の長老ナーガセーナと仏教の教義に関して問答 し、その結果、仏教に帰依したという。貨幣に鋳刻された法輪の紋様︵挿図鯉︶は仏陀の教法のシンボルであり、 かれの信仰︵挿図鯛︶の証跡と言えよう.ブルタと葱よれば、かれが残した時インドの諸都市は争ってその 遺骨の分与を受け、それぞれ塔︵廷員鼠胃︶を建立したという。 (2 サカ・パフラヴァ マウエス︵三gのり ︹表︺ゼウスの立像、 ギリシア語の銘 ︹裏︺馬上の王の像 ︵上︶ご呂閏聖陽一 ︵下︶三の国且33 上︶ごいす閏皇路四○言回白鳥閉口 カローシュテ布文字インド語の銘 睡心喝辱届ぬ喝画聖岨等旨いミニ烏圏撃さ再言烏雪○亀“Ⅱず閉竺①3ケ閉陸のg]日凋巴○巨三四口○一] ︿正義を守るメナンドロス壬の︹貨幣︺﹀ 前一○○’七五︶の円形銀乾︵挿鼎︶ ヒマチオンを着装し、右手を伸ばし、左手に長い筋を持っている。 −18−
法華経統一思想形成の基盤 に見られる如く雪一:王 丙彦の昏画営四守言]討四丙冨、百四﹃ アゼス|世︵シN朗一 ︹表︺馬上の王の像 ギリシア語の銘 配堅哨呂営固め図、壁囲冨壁画ゐご員画︻醒堂○門韓国○,1ヶ四m陸の9ヶ閉陸8口目凋巴○巨少函○口 ︿偉大なる王中王アゼスの︹貨幣︺﹀ ︹裏︺ゼウスの立像、光を放出し、右手を伸ばし、左手に長い筋を持っている。 カローシュティー文字インド語の銘 巨昌閏、意思国旨国荷の四日四百四冒闇シ琶閉四 ︿偉大なる大王・王中王アャの︹貨幣︺﹀
*裏画に、ポセイド雷︿,ラ麹壬を頂く都聴二蕊鋳刻するものがある。
︹裏︺二ヶの立像レー︲スを結びで恥 カローシュティー文字インド語一 両四旨日3首8日四声四国の四三○閉凹 ︿偉大なる王中王マウエスの︹貨幣︺﹀ 二ケの立像、レースを結びつけた花輪としゅろを持つ。 〃ローシュティー文字インド語の銘 ︿偉大なる王中千三ァの︹貨幣ご 小る如く、﹁王中王﹂Sgへ奇身冒qへ謀eF3茜日日一四V爵.3両目画一四︶は、アヵイメネス王朝の王の称号 目言冒喜呂匂呉言圃目白のギリシア語訳ならびにインド語訳であり、。ヘルシァの影響を指摘できる。 ︿|世︵珍脚のの一︾前七三I︶の円形銀蟻 馬上の王の像、槍を持ち下段に構えている。 −19−アゼス一世の円形合金齢 アゼス一世の円形合金影 ︹表︺象 アゼス| 昂遼哨冒画ゐ喝酌堅喝匡閏ゐミミ吋昌醒竪○、﹄国○弓Ⅱ9,号3ケ四国﹄8国日出巴○宮津国○口 ︿偉大なる王中王アゼスの︹貨幣︺﹀ ︹裏︺パッラスの立像、防具を着け、右手を伸ばし、左手に槍と楯、背後に星がある﹂ カローシュティー文字インド語の銘 ︹表︺馬上の壬の像、象使の突棒を持ち↓︽背後で鞍の上に弓がある。 ︹裏︺都市の像、尖塔状をなす。キトンと.へプラムを着装し、右手を伸ばし、左に豊鏡の角。 ︹表︺馬・上の王の像、象使の突棒︵?︶を持つ暑転靴した銘 カローシュティー文字インド語の銘 巨農閏且儲四日凹壷凹冨の四口胃印日時閉四国旨日日茜の凹少ぐ四のゆ く大王・偉大なる正義を守る王中王アャの︹貨幣︺﹀ ︹裏︺隆肉のある雄牛 ギリシア語の銘 ヵ?⋮参一三/蕊・⋮文字インド語の銘︵前に同じ︶ ギリシア語の銘︵前に同じ︶ |世の円形青銅亀 −20−
旨○局画く四局日四l宮居局煙の四醒めb画く四コ目四mmの茸四蔚四ゆめ四両目四計四mい くインドラヴァルマの子にして、勝利の太守アスパヴァルマの︹貨幣︺﹀ を挙げることができる。ギリシア語の銘はマウエスと同じであるが、インド語の銘には、ギリシア王の称号である 皆q︽詩斤鳥菖父大王︶のプラークリット語形目四冨且四︵爵・日凹圃且巴、。ヘルシァ王の称号の。フラークリット語形 目冒国旨奇四両s国両G廓国司威風荷︶を用いる他に、メナンドロス王が用いたギリシア語の称号忌詞Rへ月︵正義を 守る︶のプラークリット語形号国[昌冨︵静・含閏目時巴が採用されている。インドラヴァルマの子アスパヴァル マと共に発行した貨幣のインド語の銘において、lぐ閏日口︵瀞.Iぐ自白四国︶は太守︵厨自国息︶の名前に用いられ る傾向があったが、ギリシア語・﹃B3さ八︵太守︶がの曾昌の鴨と音写されている。また、貨幣の紋様には、ゼウス、 ポセィドソ、。︿シラス、二ヶのようなギリシア神の像から、・ヘルシアの都市、獅子、インドの象、雄牛に及んでい る。ここにも文化・宗教の融合を指摘しうる。 ゴンドファレス︵のo§:扇飢訓三○︲一○︶の円形銀輪 ︹表︺馬上の王の像 ︿偉大なる王中壬ゴ ︹裏︺ゼウス神の立像 ギリシア語の銘︹○Ⅱ駒“くⅡ﹃︺ 配理へ置閏畠局陣堅の置画Sミミ画固全﹄○くさく﹄Ce国串さ﹃Ⅱずゆ巴后目ずぃ巴﹄8国日出巴○目ロョ○○亘昂8宮 ︿偉大なる王中壬ゴンドフェレスの︹貨幣︺﹀ カローシ霊三/菊!︲文字インド語の銘 −21−
日四面凹吋里四1局ど自言里四茸自印H四1号ぐ画く周回gmIopgp己匿四Rmmm ︿大王・王中王・保護者・諸神に帰依せるグドゥパラの︹貨幣︺﹀ と銘刻されている。インド語の銘において茸四国国はサンスクリット語の計3吋︵Ⅱ目河言︶酉のぐ習国目はサンスク リット語の烏菌︲ぐ国薗のプラークリット語形である。後者については、サンスクリット語の号&︲言団耳︵神によ って保護された︶に比定する説もあ電これはギリシア語の鼠§割。匂のインド語訳とみなすことに基づく. Zクシ寺lナ王朝 クジューラ・カドフィセース員ロヨ尽嗣四号宮、①の良貨言三m①呂丘就郁︶がインド・ギリシア王へルマィオス田の白目○m︾ 術七五︲服五︶と共同で力︲ブル地方を統治した時に発行した円形銅建、 ギリシア語の銘︹弓一ⅡP、、Ⅱ]⋮︺ m堅い誇亀駒玲喝喝自器単自助喝﹃駒望阜容量﹃﹃Ⅱ合四巴后qの、口西田日巴○口 ︿保護者へルマイオス王の︹貨幣︺﹀ ︹裏︺ヘラクレスの立像、右手に梶棒を、左手に獅子の皮を持っている。 カローシュティー文字インド語の銘 犀巨旨旨丙四mmの四患匡印四口四lくゅぐ巨函口の四・彦門四日四守宮Q四mm ︿クシャーナの支配者・法住者クジュラカサの︹貨幣︺﹀ とある。カローシュティー文字で記される怠くロ鴇は、スキュティァ語に由来すると考えられ、 前七五’五五︶と共同でカーブル ︹表︺ヘルマイオス王の肖像 |王子青支配者書 −22−
法華経統一思想形成の基盤 頭首﹂を意味する。号国自習言目はサンスクリット語の号閏員同鴛言菌の.フラークリット語形で葦一法住者﹂すなわ ち、法に住する者法に献身する者法の実践者を意味する.また、かれの円形青銅錘、“§旨⋮↓自画の銘 がある。これは、サンスクリット語の、自忌1号閏目留守言冨の。フラークリット語形で﹁真理の法に住する者﹂を意味 する。いずれも仏教の要語であるが、かれがどの程度仏教の影響を受けたかは不明である。 カローシュティー文字インド語の銘 巨昌閏四冒笛国旨s3旨闘の閏ぐ巴○m四l届く閏四闇日四宮等四国閥く]目色l悶自弓言段闇茸農閏四[の巴 令、 ︿大王・王中王・全世界の支配者・シヴァ神信奉者・保護者ヴィマ・カドフィシャの︹貨幣︺﹀ と銘刻されるように、日、富国一四︵大王︶はギリシア王の称号、国一、日日茜︵王中王︶は・ヘルシァ王の称号を用いており、 の閏ぐ巴○粗l扇ぐ四国はサンスクリット語の閏ぐ巴○富雪貰い︵八m閏ぐ巴○冨十剖野閏煙︶の.フラークリット語形で、﹁全世界の ■、 支配者﹂を意味する。日四宮雪関口は、サンスクリット語日習の雪閏、の.フラークリット語形で、ヒンドゥー教の最高 ヴイマ.カドフィセース︵く一ョ働六@号三のの噸間膏珍︶の円形金韓︵挿鼎︶ ︹表︺王の坐像、胃と小環を冠し、交脚して雲上に坐し、右手に梶棒があり、頭は三叉槍に載せている。 ︹表︺王の坐像︾胃と小環を垂 ギリシア語の銘︹のⅡ図︺ ︹裏︺シヴァ神の立像毒二 後には隆肉のある雄牛。 閣食雪営団閏do︹雫啓言○民淫﹄負冨︹曙声uⅡ古い巴苛ロの○○⑥日○尻四○も宮$、 ︿オエーマ・カドフィセース王の︹貨幣︺﹀ ︺シヴァ神の立像、右手に三叉槍を持ち、左の腕の上に掛布があり背に掛けている。頭から炎が上がり、背 −23−
神︵目凹冨土のぐ閏四︶たるシヴァ︵堅く巴神の信奉者を意味する。もし日農詠ぐ閏四と読めば大地︵目四罰︶の支配者Rぐゆ︲ 国︶すなわち、王を意味することになるが、すでに﹁全世界の支配者﹂の称号を用い、シヴァ神像を彫刻するのである から、﹁シヴァ神の信奉者﹂と解する方が適当であろう。茸印鳥目は、サンスクリット語茸留︻の.フラークリット語 形であり、ギリシア語のqS3b︵保護者︶のインド語訳である。かようにして、かれの称号には、古代.ヘルシア王、 インド・ギリシア王、インド王の称号を帯びている。 ギリシア文字 漫堅c員壁ン己量C齢淫三画画弐胃癖べこ﹄ンsⅡ出昏幽○口四口○mご倒○尻四国○呂厩肉○昏倒ロ○ ︿クシャーナの王中王カニシュカの︹貨幣︺﹀ がある。山昏qへ詩片昏qへ謀S更はアヵイメネス王朝の王の称号尉冨圃冒計言冒固︺、圃冒寸言乱品目︵王中王︶のギリ シア語訳であり、②望習ご習○浮図は現代・ヘルシァ語望習習望習︵王中王︶に対応する。ヘルシア語より派生し ギリシア語の銘含Ⅱ崎乱ごI号︶ 陣﹄○国国、○陣汽冨一国eご寵ミ配ご員胃Ⅱさ閉陸①吊冨の陸8国〆画pmg辰○巨 ︿王中王カニシュカの︹貨幣︺﹀
カニシ月の金津
︹表︺王の立像 カニシ﹃一力︵馬 ︹表︺王の立像 ⑲ ︵否コー異里迦脈色迦︶の金貨㈹ ・−24−法華経統一思想形成の基盤 次に、.一異面には種々の神格の像 ①ギリシアと半ギリシアの神格 ︵包 韓墓︷。。︵画凹旨の一戸吊吏︵月︶︵挿 金︶ 。︽烏夢亀命巴習巴男性の月︵ 翁︶ ン区ン堅堅︵zm冒巴巴扮を持つ↑ に比定される。 た語である一
②ベ準ご/の神格
な︶ 窟さく堅︵z四国m︶ 霜︶ 一置三︽瞳。︵z四口いの匿習︶ 命︶ 聖①8︵醇吾呂○︶火神、金槌と鉄を持つ。。ヘルシア語のど凹呂に対応する堅亀ご屡菩3︶と読んでイラーンの火 神ど閏のに比定する説もあるが、像の形態はギリシアの金属の神、点昏QS司尺倉昌・国呂冨の切目の︶から写され 命︶ 烏さ︵瞳Q弓︵胃○○四go︶花輪を持つ男性神格。4を4劃に修正すべきであるとみる説と、・ヘルシァ語一目団召︵旨の胃①︶ との類似を指摘する説がある。 穂︶ ミさ︵三m○︶月神、筋・花輪・象使いの突棒を持つ・三四○は古代・ヘルシァ語の月神に対する名称。 神シ国耐に比定すス たとみられている。 裏面には種々の神格の像と銘が鋳刻されている。その主なものを示せば次の如くである。SⅡ陣、Ⅱ吾︶ ︽阜史へR︶︵挿図ど太陽神、王権の象徴たる坊を持つ。 男性の月の神格、筋を持つ。 ︶務を持つ女性神格。目色日詳のまたは皆目の﹃の母神。月と狩猟の女神遼、﹃農へハローマ神豆自画 粉を持つ女性神格。額の上に新月がある。馨習︵、⑯、の.馨習︶は王を意味する。辱’罵骨 ︵貝.﹂属巴ではz囚尉は母を意味する。 −25−③インドの神格
︵色 厨︶ 員弓亀さ︵三58︶ 径遭○慰○︵シao客呂○︶︵︵挿図洲︶女性神格一豊鏡の角を持つ率︾像の型はギリシアの富の女神置きに近い︾サ ンスクリット語の閏目鼻3国︵雄牛の配偶者︶に対比できよう。僅習。法、。︵シao唇3︶と読んでサンスクリ ット語のシa3四四︵ご唱口1段ぐ画の配偶神︶に対比する説もある。また、・ヘルシァの富の女神監言の辰冒局○ の娘︶に比定することもなされている。 ︽四 ○電○︵○爾冒︶︵挿図瓢︶四善のシヴァ神の立像。雄牛を使う。サンスクリット語のご雨目に対比される。○国己 ︵○胃○︶と読んで、サンスクリット語のご喝いⅡ陸ぐゆに比定する説もある。 命︶ ○唾、。︵○肝冒︶四菅のシヴァ神の立像。サンスクリット語の弓3、囚届くの3︵Ⅱ堅菌︶に対比される。 鯨︶ mESaO呂○︶︵挿図里仏陀の立像、説法相。サンスクリット語の冒目富に対比される。 ︵雨︾ E、○m。、︹匿訣舎監︵○号○国○口醗冨目巴仏陀の立像、説法相。サンスクリット語の醒号画冨画自尽冨断匂1 匹目匡昌︵無二の仏陀釈迦牟尼︶に対比されている。また、○良堅唇さg冒○︵留冨日脚己○胃且○︶︵挿図遡 ミさ亀三s︵○1樹国○︶戦の神、槍と剣を持つ“・ヘルシァの戦の神厨号国目、国豊国ョに比定される¥ 念︶ s串関︶︵勺冨qo︶火神、錫・剣を持つ。・ヘルシァ語の註ご箇司︵火・光︶の神格化。 雲圏衿一三目。︶一鑑砺榊倉葛錨諦榊蕪崖率梅毒訂﹄峠釧︾ァ・ローマの言ヰ︺国ぃ神よりもイラーンの太陽神言冒画に ⑫ p堂。︵○且○︶︵挿図”︶風神。古代。ヘルシァ語の乱a︵風神︶。ヘルシァ語の乱︹ざ︵サンスクリット語の薗田︶ 翁︶ ミ巨、。︵三画3︶ に比定される” 命︶ −26−法華経統一思想形成の基盤 篤・獣ご四目昌曹&富釈迦牟尼仏陀︶と修正する説もある。 これによって、ギリシア、・ヘルシア、インドの諸神が習合された例として注目される。 カニシュカ以後、フヴィシュカ田自ぐ尉冨︶、、ヴァースデーヴァョ画切目①ぐ巴の貨幣にも同様の傾向が見出される。 フヴィシ月︵エ昌“六“︶の貨睡は、 ギリシア文字の銘 弔返Q量ンs、堅○負黒語酎弓舜ご諺今ンGIの百四○口四国○m面倒○○○①呂匿︻○堅田ロ○ ︿クシャーナの王中壬フヴィシュヵの︹貨幣︺﹀ と銘刻し、裏面の神像には、カニシュカ貨幣と類似するものの他に、 ①ギリシアと半ギリシアの神格 配逗氏置○︵函卿四宮3︾︽吊皆昌諒剣.︲良計︶ ︾鳶昌ミ国○ミ︵罰。日、詞旨日華両○日四︶ ② ︹表︺王の立像 ︹壁殆醒︻胃︶︵の四局凹己○一四啓豆罫ロハ︶ e閏ミ︵○門○貝○号興定烏.吻蔵. I 言と這○画聖員︶今二四口四OgmO軸顧目三四国qく○壷9国四盲目勉国︶ c僅写弓ン国堅︵○画目自巨也出騨鼠.くゆロ四号@ ●ヘルシァの神格 一岳昌息司法神︶ −27−
③インドの神格
尽堂Qミ。︵三画菌のg○一m廓三四園の①国四大将軍、.章駄天の称︶一︵挿図鋼︶ ○園昌只命冨昌g旨.際98章駄天︶ 嵩冒畠×展○日閏9号湾︻臣日脚四鳩摩羅天︶ 国圏頁x四国淵g蔦.く泳騨圃毘舎怯、氏一宿︶ ミ肖寵ごdmへ唇哩○︵巨騨旬四四○m○口号︶︵挿図弱︶ ︵八巨①計日冨画且号P篤.巨巴可の冨国且曳地弥勤仏︶.︵鰹
等の像と銘を鋳刻している。また、ヴァースデーヴァ︵く肝且のく印︶の貨幣 かように多くの民族と文化が併存するガンダーラにおいては、住民の智慧としては、現実の社会を直視し、それ を出発点として理想の世界をこの世に実現することが要請された。そこに異なった民族・言語・宗教・文化・慣習 の併存を前提とした統一の論理が形成されたのは当然の帰結といえよう。﹁法華経﹄の統一の論理もこのような歴 ギリシア文字の銘 野望○ンミさお壁。﹄霞国C﹄堕○宍ご画題ンsⅡあぎ四○口回国○のご脚○m闇○局○尿○号倒国○ ︿クシャーナの王中王ヴァースデーヴァの︹貨幣︺﹀ と銘刻し、裏面にはカニシュカやフヴィシュカと類似の神像ならびに銘を鋳刻している。 ︹表︺王の立像 四法華経にみられる宗教統一の諸例 −28−法華経統一思想形成の基盤 と説いている三一・ 解決されている。 位経典を仏身と糸なす法身観 ﹁小乗浬梁経﹄によれば、ブッダは滅後の教団の依り所として、 アーナンダ︵阿難︶よ、げに誰であろうとも、今においても、また私が死んだ後においても、自らを洲とし、 自らを依り所として、他を依り所とせず、法を洲とし、法を依り所とし、他を依り所とせずして修行しようと 欲するものは、アーナンダよ、かれ等は私の比丘中で最局処にあるである漣 と述べて、﹁自ら﹂と﹁法﹂とを示している。この法の普遍化と僧伽における法の権威は、﹁浬巽経﹄の後の部分 に説く無教主の宣言と表裏の関係にある。ブッダはクシナーラーにおけるスパッタに対する最後の説法ののちに、 いo 極的な対応を示している。﹃法華経﹄方便品以下の章は、殆どがこの目的のために成立したといっても過言ではな るに止まらず、当時西北インドに存在し、また形成されつつあった思想や信仰をその理念の下に統一することに積 史的・社会的・文化史的状況を背景として形成されたものと考えられる。﹁開会﹂の思想は、三乗を一乗に統一す アーナンダに対して一言 汝等は一師のことばは終った︾吾等の師はなし﹂と考えるかもしれないが、かように見るべきではない蓬私に よって説かれ、教えられた法︵号四日目画︶と律︵ぐ旨畠鯉︶とが、私の亡きあとには汝等の師であ電 いている。かようにして、仏教教団における滅後の無教主の状態は、法をその教主の地位におくことによって l仏身観の統一 −29−
滅後の仏教徒にとって、仏陀の人格を現実の存在に即して理解する限り、仏身を完全な人格として表現せざるを えなかった。しかし、現実の存在を離れて、仏陀の普遍性を表現するためには、﹃浬薬経﹄の依法不依人︵法に依 って人︹Ⅱ仏︺に依らず︶の思想を展開させる必要があった。﹃長部経典・起世因本経﹄に、 ﹁我等は世尊の真正なる子である。彼の子より生じ、法より生じ、法によって造られ、法の後継者である﹂と。 しかし、それは何の故であるか。なぜならば、これ等は如来にふさわしい名であって、法身ag日日四圃箇︶と も、薙身︵胃餌冒幽︲自画︶とも、法体︵含四目目︲g目幽︶とも、蛇体︵胃四目煙Ig目画︶とも言うからであ躯 と述欝へる如く、バラモンが莞から生ずると同様に、釈子沙門が法から生ずることを説いて、法を楚と同等に位置づ け、釈子沙門と寺ハラモンの類比関係を導いている。これは仏陀によって説かれた普遍的な教えである法によって釈 子沙門は育成され、またかれ等によって法が伝承せられるのであって、それは法身または法体とも名づけられるこ とを示している﹄ また.﹃ミリンダ王の問﹄に峰 大王よ、その如く法を見るものは世尊を見るのである。大王よ、法は世尊が説示されるものであるか髄 大王よ、その如く世尊は無余浬梁界において般浬薬し、減せられた。あるいはここに、あるいはそこに実在す、 と世尊を示すことはできない・大王よ、しかし法身ag目白魚l圃冒︶によって世尊を示すことができる。大王よ、 法は世尊によって説示されたからであ電 として、無余浬桑に入った仏陀の実在を示すことはできないが、仏陀によって説示された法身によって、その普遍 的存在を示しうるのであるから、法を見るものは仏陀を見ることに当ると論じている。原始経典では、ブッダの人 間的存在を﹁色身﹂︵日冒l圃冒︶によって、﹁法の集栗﹂︵号閏ョ四︲函冒︶たる経典を﹁法身﹂によって理解したこ −30−
法華経統一思想形成の基盤 集緊である一一 とを指摘できる。サンスクリットの百百は﹁集合、身体﹂の意味がある。身体は元素の集合であり、経典は法の さて、﹁法華経﹄には、経典をもって仏身とみなす原初的な法身観が各所に見出される。例えば書法師品に ①この法門︵号閏白色l息ご画息︶から僅かに一偶でも受持し、読話し、解説し、摂受し、書写し、書写して一記憶し、 時々︹それを︺観察するであろう人びと、またこの経典︵官の冨冨︶において如来に対する尊敬の心を起こし趣 ②またこの経典に、花・香木・香水・華宴・香油・香粉・衣服・傘蓋・旗・幡瞳・音楽・合掌・礼拝によって恭 敬し、尊重し、崇拝し、供養し、讃歎し、奉持するものは、なおさらであ懇 ③この法門を書写して経巻として肩にかつぐ者は、如来を肩にかつぐのであ鞄 ④また、薬王よ、如何なる土地であれ、この法門が語られ、示され、書写され、書写されて経巻とせられて、読 調されたり、詠歎されたりする土地では、薬王よ、高く誓える大きな宝石づくりの如来の支提︵国吾僧四国︲ 3群怠︶が建立されるべきであるが、そこには如来の舎利が安置される必要はない。何故かというに、そこに ︵ひ は如来の全身︵の冨瞥四国四目菌吾尉四国13国目白︶が安置されているからである。 と述べているが、①は経典を如来と同等に尊敬すべきことを、②は経典に同様の供養を捧ぐべきことを勧奨する。 ③は﹃法華経﹂を書写した経巻は、如来と同じであることを強調し、①と②と同様に、﹃浬渠経﹄の法をもって仏 とみなす初期の法身観と一致する。これに対して、④は﹃法華経﹄を経巻として書写して読調する土地に支提を建 立すべきことを勧奨しているが、その中には、如来の舎利を安置すべきでなく、如来の全身、すなわち経巻に表現 された法身が安置されていることを示している。 −31−
一方、ブッダの時代に、サクャを中心とした地方に、過去仏の信仰が存在したようである。すなわち、過去に幾人 人かのブッダが順次この世に現われて人びとを救済したが、近い将来に再びブッダが出現するとする信仰である。 後世これは六仏または二十四仏に整えられたが、これにゴータマ・ブッダ︵釈迦牟尼仏︶を加えて、過去の七仏ま 、 たは二十五仏という︵ジャイナにも類似の伝説がある︶・七仏とは、 1酔婆八︵吻迂・劃冒等冒、g菌冒めい旨︶ しき
2P棄伝廓陛喜冒、§陸喜旨︶
ぴしやぶ 3毘舎浮G廓昌きゆ冨昌くみぐ呂冒、、§く①の呂冒︶ 皇くるそん 4倶留孫a茸︻3百8富且P憩尽︻四百問且厨︶ くなどんむに 5拘那含牟尼︵爵.︻mpm厨白昼巳︾、目尻○目粗目四国巴 かしよう 6迦葉G蔵堀部冨息︺、目尻凹めの§四︶ 7釈迦牟尼︵蔦・断ご四目巨昌、§蟹ご四目巨己︶ であって、この中で側1mの四仏は、賢劫︵現在の住劫︶の四仏と名づけている。アショーヵ王のニガーリー・サ ーガル法勅によれば、コーナーガマナ仏の塔を修築して供養をなしたことを伝えている。 3 一千四仏は燃燈仏eごg丙:︶をはじめとする諸仏で、燃燈仏による授記は、多くの経典に現わ蝿また造型美 術のモテ・弓−﹃/となった濡一 低久遠本仏と過去仏 また、未来にも救世者の出現を希求する弥勤︵篤.三巴茸の旨、劃計三の茸の胃︶の信仰も現われた。サンスクリット語 の巨巴茸の胃は目茸凹︵友︶に由来するとみられるが、これは古代のイラーンやインドの神で、その信仰はギリシア −32−からエジプトまで流行したことがある。弥勤は五十六億七千万年後に救世者として現われると信じられたが、現在 はトゥシタ︵兜率︶天に住していると言われ、直ちにトゥシタ天に登るか、死後そこに往生するか、あるいは地上 に久しく留まって弥勤仏の下生を願うか、の信仰であった。 これに対して、﹃法華経﹄如来寿量品では、 神・人間・アラスがともに住む世間は、﹁世尊釈迦牟尼如来は、釈迦族の家から出家して、ガャーという大都 城において、菩提道場に坐して無上等正覚をさとった﹂と考えている。しかし、そのように見るべきでない。 そうではなくて、実に善男子よ、私が無上等正覚をさとって以来、百千倶砥那由他劫が過ぎたのであ鞄 として、久遠実成の本仏を開顕する。すなわち、ここでは仏陀の成道に対する吾々の歴史的観念を否定する。世間 の人びとは、釈迦牟尼仏は釈迦族の宮殿より出家して、ガャー市の郊外、菩提樹下に坐して最高の悟りを得たと思 っている。しかし真実はそうではなくて、無限に近い過去に成仏しているのであると宣言している。しかも、 その間に、私は燃燈如来をはじめとして、如来。応供・等正覚者を説いた。また、これ等の如来・応供・等正 覚者の滅後のために、巧みな方便によって法を説く決意を固めたのであ鞄 そのように久しい以前に正覚の境地に到達した如来は、無量の寿命の長さをもち、常に存在するのだ。如来は ⑯ 減度することなく、教え導くために滅度を示現するのである︵団ご胃l目浮言い閏号且号○・冒風冒詳︾習届l冒四I Hp四国口のずい計宮四四四計四壱mm・国の庁ご]計四ご\色で四国ロ営門ぐ制計四m含ゆず壷四四m計、昼も四国p旨く回国餌口︺画QpR砂煙胃四註ぐゆ筒口①肖四lく壁、四計.、︶O と述べて、過去に説いた燃燈仏をはじめとする諸仏の滅度は方便の説であって、実には常住不滅の法身であること と述べて尋過去﹄ を明示している。 この世に存在するものたちが、心正しく、おだやかに、愛欲を離れたものとなったと姿Qかくして私は声聞衆 圭一提催、 −33−
を集め、ここ霊鷲山に私は姿を現わ翰︵六︶ として、衆生救済を意図する仏陀の慈悲によって、応身︵昌局日習ml圃冒︶として示現する仏身を強調している。こ れは神の恩寵によって、人々の救済のために、権化としてこの世に垂通するヒンドゥー教のアヴァターラ︵豊四融困 権化、神の地上への降下︶思想の統一である。 かようにして﹃法華経﹄の仏身観は、歴史的実在としての釈迦牟尼仏を通して、不滅の仏陀を見ている。従来の 仏身観を統一することが試みられていると言えよう。 山阿弥陀信仰の統一 ﹃法華経﹄では、浄土信仰の中心をなす阿弥陀仏と極楽世界について、三か所で言及されている。化城愉品では、 数えきれないほど遠い過去世に大通智勝︵富農響言ヨ巴圃目9号目︶があり、その仏には十六人の王子があって、 出家して沙弥となり、法華経を説いて仏となり、現在は他方の世界に住していると説く中で、 ﹃法華経﹄の後期の編入になる後分︵薬王菩薩本事品l普賢菩薩品提婆達多品の七品︶において峰経典流通 の性格が顕著に見受けられ、二世紀中葉から三世紀前半にかけてのガソダーラにおける宗教事情を反映している。 また、これ等の諸品の﹃法華経﹄への挿入が、本経の統合の論理に由来することはいうまでもない。阿弥陀︵浄土︶ 信仰、観音信仰、陀羅尼呪︵ヒンドゥー土着の信仰︶、普賢信仰、提婆達多の宗教、ナーガ︵竜神︶信仰の導入は その主なものである。 2諸信仰の統一 −34−
法華経統一恕鬼形成の基稚 さらに、観世音菩薩普門品︵観音経︶の偶頒は、漢訳では無尽意菩薩が述べたことになっているが、覚本では世 尊説示の偶︵一’一九︶につづいて、無尽意︵シ層畠口冒凹巳菩薩の偶︵二○’三三︶が説かれている。漢訳には一 ’二六偶相当部分を含んでいるが、二七’三三偶を欠いているところから、これは後期の挿入と考えられる。この 中で二八’三二偶に阿弥陀仏が言及されている。 世自在王PC百町四且巴を導師とする法蔵S宮べ白黒四国︶比丘は、世間の供養をうけ、多くの百劫の間修行し て、垢を離れた無上の菩提を得た。︵二八︶ ︸・丙農園目煙︵一目・号の忠︲己国冒高昌四︶と名づくる如来・応供・等正覚者がい電 比丘たちよ、西の方角には無量寿︵皆昌薗冒め︶と名づくる如来・応供・等正覚者と一度一切世間苦悩︵留︻鼠︲ と述べている。次に、薬王菩薩本事品では、薬壬菩薩の往時の苦行を挙げて行者を勧奨するに当って、仏は星宿王 華神通︵z黒め9局国旨忠巳冒囲目39言凹︶菩薩に語る中で、 星宿王華神通よ、菩薩乗によって発趣した善男子または善女人にして、この薬王本事品を受持し、読誰し、聴 聞する者は、多くの︹功徳︺を生ずるであろう。また、星宿王華神通ょ、もし女性にしてこの法門を聞いて摂 受し、受持するならば、その人にとって、これのみが最後の女性としての生存となるであろう。星宿王華ょ、 およそ女性にして、後の五十︵?五百︶年に、この薬王本事品を聞いて通達するであろう人は、死後に極楽世 界︵昏昏習胃昌○富農卿屋︶に生まれるであろう。そこではかの世尊無量寿︵少目3百の︶如来・応供・等正覚者 が、菩薩衆に囲まれ、住し止まり、時を過ごしている。彼︵変成男子︶はその蓮華蔵︵蓮華の胎内︶の師子座に 坐して生まれるである鞄 と述べてしる㈹ さらに、観皿 −35−
因みに浄土経典の中で:﹃無量寿経﹄Fミ鴇、ぎぎpご§ご旨言︶では置醒日詳留冨︵無量光︶が主として登場し↑ ど昌圃百m︵無量寿︶は付随的に記される。これに対して漢訳では、本来は無量光と訳すべきを、経名に合わせて無 量寿と改変している。ところが﹃阿弥陀経﹄S冒負鳥、曽雲g§目目冒︶および漢訳は、共にP目融冒、が主として 登場し、津目39mが付随的に述べられている。浄土経典以外の覚本では、﹁法華経﹂のように醒目団百mを主とす かようにして阿弥陀仏は﹃法華経﹄に三回現われる倭この中で化城愉品と薬王菩薩本事品には篇阿弥陀仏の二名 ︵無量寿・無量光︶中の﹁無量寿﹂が現われ、普門品には﹁無量光﹂が登場する。しかし、右の阿弥陀仏讃碩の中 で、古層に属する覚文写本、すなわち西城本、ギルギット本、ならびにネパール本の一部に無量寿を記し、後期の ネパール系写本︵ケルンの校一訂本はこれを採用︶にのみ無量光が指摘できるのは、本来﹃法華経﹄では無量寿との 交渉があったことを推定できる。 ヴィシ﹃一ヌ鼎 と讃歎している。 二歳一畦二 ︹観世音菩薩は扇をもって︺無量光︵シ目融g巴導師を左右から煽ぎながら立ちつづけた。︹そして︺如幻 三昧によって一切の国土に赴いて、勝者たち︵諸仏︶を供養した。︵二九︶ 西の方角に安楽の源泉である極楽世界︵皆冨習自己○冨号副巨︶があり、そこには現在、衆生を調御する無量光 という導師が住している。︵三○︶ そこには女性が生まれることなく、また姪欲法も全くない。彼等勝者の子たちは化生して、垢なく、蓮華蔵 ︵蓮華の胎内︶に坐っている。︵三一︶ * そしてかの無量光導師も、垢を離れて美しい蓮華蔵の師子座に坐って、シャーラ王︵闘伝13首シャーラ村の王 ⑳ ヴィシュヌ神︶のように輝いている。︵三二︶ −36−
法華経統一思想形成の基盤 る経典々﹃華厳経﹄入法界品のように醇目融冒のを主とする経典毒﹃悲華経﹄のようにシ日詳馨冨と捧目薗冒のの 、 両方を用いる経典が挙げられる。藤田宏達博士は、初期の大乗教徒の間にあっては、もともとシ目詳習巨吻を主とす るグループとン目↓習冨を主とするグループとが、独立に存在していた事実を反映している、との視点から、阿弥 陀仏を主題とする浄土経典は、この二つのグループをまさしく調和・統合しようとする動機を含んで編纂されたで あろう、との見解を提示している。 要するに、浄土経典における無量寿と無量光との同一視が浄土信仰の主流となり、﹁法華経﹄普門品に対するヒ ンドゥー教の影響が顕著になった時、第三二偶の﹁シャーラ壬の如く輝く﹂という表現から、無量光がヒンドゥー 教の最高神︵三神︶中のヴィシュヌに比定され、それがヴェーダにおいては太陽神を意味したことから、無量寿を 無量光に修正することがネパール系写本の一部でなされたものと推定される。 低観音信仰の統一 現世の危難を救済して人びとに利益を与える観音菩薩の信仰は、インドに発生し、中央アジアから中国を経て日 本にも伝来し、深く民衆の間侭を下している.その名睡時代によって種々に呼称されているが、それは塑園の 実体に関する理解の変容をも反映しているとみられている。 ﹁法華経﹄普門品の冒頭で、無尽意菩薩は世尊に対して﹁如何なる理由で︿自在に観察する﹀︵諺ぐ巴○画扇ぎ閏四︶菩 薩は観自在と呼ばれるのですか﹂と問うのに対して、世尊は観自在・観世音と名づける所以を説明している。すな わち一 善男子よ、この世において幾百・千・﹃ニーテ鳶・ナ﹃一夕の衆生か苦を受けているが、恥一し彼らか観自在菩薩大 −37−
士の名を聞くならば、彼らはすべての苦穂から解放されるであろう。また、.善男子よ、観自在菩薩大士の名を 持つ衆生は、巨大な火溌の中に落ちても、彼らはすべて、観自在菩薩大士の威光によって、その巨大な火穂よ り救出されるであろう。また、善男子よ、衆生が河に流されても、観自在菩薩大士︵の名︶を呼べば、それら の河はすべて、彼らに浅瀬をもたらすであろう。また、善男子よ、幾百・千・コーティ・ナュタの衆生が、金 ・金塊・宝珠・真珠・金剛石・瑠璃・螺貝。水晶・珊瑚・琉舶・礁璃・赤真珠などを求めて船に乗りこみ、大 海を航行する時、暴風によってラークシャシー︵羅利女︶の島に漂着したとしても、その中の一人だけでも観 自在菩薩大士︵の名︶を呼ぶならば、彼らはすべてそのラークシャシーの島から救出されるであろう。実に、 善男子よ、この理由によって﹁自在に観察する﹂菩薩大士は、観自在と名づけられるのである。l﹃妙法華﹄ 善男子よ、若し無量百千万億の衆生ありて、諸の苦悩を受けんに、この観世音菩薩を聞きて一心に名を称えば、 まいが 観世音菩薩は、即時にその音声を観じて皆、解脱るることを得せしめん。若しこの観世音菩薩の名を持つもの たと 有らぱ、設い大火に入るとも、火も焼くこと能わず、この菩薩の威神力に由るが故なり。若し大水のために漂 わされんに、その名号を称えば、即ち浅き処を得ん。若し百千万億の衆生ありて、金・銀・瑠璃・仰碓・砺猫 たとい
ふねただよ
・珊瑚・琉舶・真珠等の宝を求めんがために大海に入らんに、仮使、黒風その船肪を吹きて、羅利鬼の国に瓢 まい わし堕しめんに、その中に若し乃至一人ありて、観世音菩薩の名を称えば、この諸の人等は皆、羅利の難を解が︵邸︶
脱るることを得ん。この因縁を以って観世音と名づくるなり。 とあって、焚本では﹁観自在菩薩の名を聞くならば﹂﹁観世在菩薩︵の名︶を呼べば﹂あらゆる苦悩より救済され ることを述べている。これに対して﹃妙法華﹄では、﹁この観世音菩薩を聞いて一心に名を称えば﹂﹁この観世音 菩薩の名を持つもの有らば﹂﹁その名号を称えば﹂とあって、称名の実践形態は同様であるが、﹁観世音菩薩は即 −38−法華経統一思想形成の基盤 時にその音声を観じて﹂人びとを一切の苦悩より救済することを宣言している。 普門品の長行︵散文︶では、観音の名号を聞き持ち称える者、偏頗では、観音を億念する者︵﹃妙法華﹄では ﹁観音の力を念ずる者﹂︶に、その威神力によって尽大な功徳が得れることを具体的に挙げている。例えば、 ﹃妙法華﹂の偏頗に、 たとい こころ 仮使、害う意を興して大いなる火坑に推し落さんも彼の観音の力を念ぜぱ火坑は変じて牝 或いは巨海に漂流して竜。魚・諸の鬼の難あらんに:⋮・波浪も没すること能わざらん。 とどま 或いは須弥の峯に在りて人のために推し堕されんに⋮⋮日の如くにして虚空に住らん。 お 或いは悪人に逐われて金剛山より堕落せんに.⋮:一毛をも損すること能わざらん。 つ︾勾竿ぐ あ ことごとただ 或いは怨賊の謹桑て各刀を執りて害を加うるに値わんに⋮⋮威く即ちに慈の心を起こさん。 いのち せ にわか おれ 或いは王難の苦に遭い刑せらるるに臨みて寿終らんと欲んに⋮⋮刀は尋に段段に壊なん。 或いは柳鎖に因え禁められ手足に枢械を被むらんに.⋮:榊無し雛”るることを得ん。 くびかせくさりとらとど てかせあしかせこう のろい そこな せ 呪誼と諸の毒薬に身を害われんと欲られん者は⋮⋮還って本の人に著ぎなん。 らせつ そとなわ 或いは悪しき羅剃・諸の鬼等に遇わんに。:⋮時に悉く敢えて害ざらん。 ときばつめ とはてし 若し悪獣に囲遥まれて利き牙爪の怖るべきにあらんに⋮⋮疾く辺無き方に走らん。 とかげへびまむしさそり かえ 呪・蛇及び腹・幅の気毒の煙火の燃ゆるごとくならんに⋮⋮声に尋いで自ら廻り去らん。 くもいかずちないなずまひらめあられ そそ ただち 雲りて雷鼓り製雷き雷を降らし、大雨を膨がんに⋮⋮応時に消散することを得ん。 とかげへびまむしさそり かえ 班・蛇及び腹。蝿の気毒の煙火の燃ゆるごとくならんに⋮.:声に尋いで自ら廻り去らん。
雲りて雷鼓り型電ぎ電を降らし、大雨を躍がんに:⋮応時に消散することを得惚
くもいかずちないなずまひらめあられ ただち な 火坑は変じて池と成らん。 −39−1 ()
9毘沙門天身
8天大将軍身
7大自在天身
6自在天身
5帝釈身
4莞王身
3声聞身
2僻支仏身
1 6 1 5 1 4 1 3 1 2 正 妙法華1仏身
比 婆 宰 丘 羅 官 身 門 身 身 小王身 長者身 居士身 比丘尼身 ⑭ ⑬ ⑪ ⑩ ⑨ ⑥ ⑤ ④ ③ ② ① ⑮胃留日閏届⋮目も四焚本
“Jご卓I 口巨ロロ百四1吋ロ己凹 盲目厨自尊PI昌冨︵菩薩身︶ 己吋凹幹冠の丙ゆず戸。。︸]四l門口も凹 外時四ぐゆ丙画I寓目も煙 、呂画毒園冒四lHpで四 昨凹炭吋凹1局巨石四 11、 胃のぐゆHmlR口も四 三弓四百のかぐ四門四1門届己色 8首固く閏目どゆl昌冒︵転輪聖王身︶ く巴酔いぐぃごml時自己四 の呂習胃干昌冨︵将軍身︶ −40−法華経統一思想形成の基盤 323130292827262524認22212019181?