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橡紀要「マイナデスの乱舞」Vers2.PDF

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マイナデスの乱舞 − エルゼ・ラスカー=シューラーの詩「秘儀」をめぐって−       山口庸子 目次 I  はじめに II  ユーゲントシュティール III  身体文化運動 1 ヘレラウ 2  「新しい共同体」とフィドゥス VI  「秘儀」の分析 1  身体イメージとしてのマイナデス 2  「秘儀」の韻律 3  芸術の世界 4  ユートピアとその破綻 I はじめに  ガブリエレ・ブラントシュテッターが、その著『舞踊のレクチュール アヴァンギャル ドにおける身体イメージと空間像』で明らかにしたように、舞踊という芸術は、世紀転換 期から1930 年代のヨーロッパにおける様々な芸術や運動の結節点であった1。本論では、 20 世紀最大の女性詩人の一人と言えるエルゼ・ラスカー=シューラー(Else Lasker-Schüler 1869-1945)の作品の詳細な分析を通して、舞踊と文学の関わりを考えてみたい。 対象となるのは、詩集『冥府の河(Styx)』に収められた作品「秘儀(Orgie)」である。 「秘儀」を選ぶのは、この作品がユーゲントシュティール、モダンダンス、身体文化運動、  エルゼ・ラスカー=シューラーのテクストに関しては、コーゼル版の全集 Lasker-Schüler, Else: Gesammelte Werke in drei Bänden. München 1959-1962. (以下GW)を用い、巻数(ローマ数字)と頁数(アラビア数字)を、本文中の括弧内に 示した。なお、引用文中の強調は、すべて原文のまま。 1 Brandstetter, Gabriele: Tanz-Lektüren. Körperbilder und Raumfiguren der Avangarde. Frankfurt am Main, 1995. またこの時期のドイツ文学と舞踊の全体 的な関わりに関しては、拙論『文学における「舞踊的なもの」−世紀転換期から1930 年代のドイツ文学−」名古屋大学言語文化論集第XVII 巻 第 2 号 1996 年 65-79 頁参 照。

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生の哲学など、世紀転換期の様々な潮流を色濃く反映して、同時代的な位置を確認できる からというだけではない。そのような様式を越えて、この詩がラスカー=シューラーの生 の実質の表現となっており、それが舞踊と文学という問題と不可分に結びつくからである。      Orgie Der Abend küsste geheimnisvoll   Die knospenden Oleander. Wir spielten und bauten Tempel Apoll Und taumelten sehnsuchtsübervoll 5     Ineinander. Und der Nachthimmel goss seinen schwarzen Duft In die schwellenden Wellen der brütenden Luft,    Und Jahrhunderte sanken    Und reckten sich 10   Und reihten sich wieder golden empor Zu sternenverschmiedeten Ranken. Wir spielten mit dem glücklichsten Glück, Mit den Früchten des Paradiesmai, Und im wilden Gold Deines wirren Haars 15  Sang meine tiefe Sehnsucht     Geschrei, Wie ein schwarzer Urwaldvogel. Und junge Himmel fielen herab, Unsehnbare, wildsüsse Dufte; Wir rissen uns die Hüllen ab 20    Und schrieen! Berauscht vom Most der Lüfte. Ich knüpfte mich an Dein Leben an, Bis dass es ganz in ihm zerrann, Und immer wieder Gestalt nahm 25  Und immer wieder zerrann. Und unsere Liebe jauchzte Gesang, Zwei wilde Symphonieen! (GWI S.28)

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(「秘儀」 夕暮れは 莟のふくらみはじめた夾竹桃に/密やかに口づけした。/私た ちは戯れながら アポロンの神殿を建て/憧憬に溢れ 互いの中に/目くるめき歩み 入った。/夜空は その黒い香気を/抱卵する大気の 波立つうねりの中に流し込んだ、 /数百年が沈み/身をひろ展げ/また連なり 金色に高く/星の鎖の蔓が伸びる。/私たち は このうえない幸福と戯れた、/楽園という五月の果実と、/あなたのもつれた髪の 猛々しい黄金のなかで/私の深い憧れは歌った/叫びを、/密林の黒鳥のように。/若 い空たちが堕ちた/熱望しえぬほどの 荒々しく甘い香りが。/被いを剥ぎ捨て 私た ちは/絶叫した!/大気の甘い果汁に酔って。/私は あなたの生にこの身を結び合わ せた、/その中で 跡形もなく溶け去るまで、/くりかえし かたち貌 となり、/くりかえ し 溶け去るまで。/私たちの愛は 歓喜の歌声をあげた、/二つの激情のシンフォニ ーを!) II ユーゲントシュティール  1901 年 12 月半ば(但し発行年は 1902 年付け)、ベルリンのアクセル・ユンカー書店 から、ラスカー=シューラーの第一詩集『冥府の河』が刊行された。ラスカー=シューラ ー32 才の時である。エルバーフェルトのユダヤ系の銀行家の娘に生まれたラスカー=シュ ーラーは、開業医ベルトルト・ラスカーの妻となってベルリンにやって来た。しかし1898 年から99 年頃、放浪の詩人ペーター・ヒレ2と出会ってから、彼女はこの恵まれた環境か ら脱落し始める。1899 年 8 月 24 日、ラスカー=シューラーは、父親のわからない子供パ ウルを生む。ベルトルト・ラスカーと最終的に離婚するのは1903 年 4 月 11 日のことであ り、その年の11 月 30 日には、9 才年下のユダヤ系音楽家ゲオルク・レヴィンと再婚して いる。表現主義の雑誌『シュトルム』の主宰者として有名なヘルヴァルト・ヴァルデンは、 このレヴィンにラスカー=シューラーが与えた名である。  詩集『冥府の河』は、文学形式の上ではユーゲントシュティールに分類される3。ユーゲ ントシュティールは、それまでの自然主義的に対抗し、装飾的な曲線に囲まれた、ナルシ スティックな空間を作り上げた。ヨスト・ヘルマントは、現実的なものに対する線的な装 飾の優位をユーゲントシュティールの特徴として挙げ、「この頃の『真面目な』抒情詩さ え、舞踊的ないしは線状的なリズムに捕われていた。そのことによって飛んだり跳ねたり 2 ペーター・ヒレ(Peter Hille 1854-1904)に関しては、神品芳夫「放浪の詩人ペータ ー・ヒレ」 『ユリイカ』 1981 年 1 月号 青土社 166-173 頁を参照。 3 Jost, Dominik: Literarischer Jugendstil. Zweite Auflage. Stuttgart 1980, S.75.

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といった動きのモチーフの渦潮に引き込まれ、その渦潮はと言えば、思想的なものをすっ かり水浸しにしてしまったのである。」4と、辛辣な評価を下している。 舞踊の身振りと装飾音的なリズムの結合は、たとえばオットー・ユリウス・ビーアバウ ムの詩「陽気な夫」に見て取ることができる5。とは言え、舞踊やダンサーというモチーフ は、必ずしもオノマトペ的な言葉の戯れのみを意味していたのではない。たとえ自閉的な 空間においてであったにせよ、「新しい人間」・「新しい生」を構築しようとしたユーゲ ントシュティールに、舞踊のもつ混沌と再生のイメージが合致したのである。そこには生 の哲学、とりわけニーチェの『悲劇の誕生』や『ツァラトゥストラはこう語った』の精神 がこだましている。『ツァラトゥストラ』第二部「舞い歌(Tanzlied)」の章では、弟子 たちとともに泉を求めて歩くツァラトゥストラが、草地の上で踊っている乙女たちに出会 う。また、次に引用するクリスティアン・モルゲンシュテルンの詩「永遠の春の使者」で も、若い女たちの輪舞が、溢れるような生のイメージ として用いられている。        見よ 腕は白く、胸ふくらみ 口は深紅、眼は閃めく 美しく昂ぶる、あの乙女たちの輪舞を 破れる籠の中から こぼれ出る果物のように 青春の常緑の門より 湧き−奔り−溢れ出る――はしり あれこそ 封印しえぬ生のあかし6。       1 ロイ・フラー  舞踊はユーゲントシュティールの一意匠ではなく、その本質的な一部をなしていた。 1892 年以降パリを中心に活動し、ヨーロッパ中に模倣者を生んだロイ・フラーの舞踊の 特徴は、ダンサー自身よりも大きな蛇のようにうねる絹の衣装であった(図1)。その衣 4 Hermand, Jost (Hrsg.): Lyrik des Jugendstils. Eine Anthologie. Stuttgart 1964, S.68. 55 Bierbaum, Otto Julius: “Der lustige Ehemann”. In: ebd. S.5. この第 1 連は、以下のようである。”Ringelringelrosenkranz,/ Ich tanz mit meiner Frau,/ Wir tanzen um den Rosenbusch,/ Klingklanggloribusch,/ Ich dreh mich wie ein Pfau.” 6 Morgenstern, Christian: “Ewige Frühlingsbotschaft.” In: Hermand, Jost (Hrsg.): Lyrik des Jugendstils, S15.

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装に各方向から様々な色彩の照明を当て、空間に浮かび上がる布と光の動きによって、花 や蝶や蛇をモチーフとする多くの作品が産み出された。またイサドラ・ダンカンが舞踊的 な動きやリズムの手本とした「波と、風と、成長するものの動きと、鳥の飛翔と、雲の流 れ」7にも、曲線的な運動の重視は見て取れる。 ジークリート・バウシンガーは、ラスカー=シューラーの『冥府の河』と、ビーアバウ ムやリヒャルト・デーメルらのユーゲントシュティールの作品との間に、テーマや語法の 親近性を認め8、具体的な特徴として春、舞踊、薔薇、水、赤などのモチーフや、揺れる、 炎上する、枝分かれする、蛇行する、燃える、絡むといった動きを表わす動詞の多さを挙 げている9。ニーチェの『ツァラトゥストラ』の中では、これらの動詞は舞踊的な文体を形 作る重要な要素であった10。ここで論じる「秘儀」(本来は、乱舞を伴うデイオニュソスオルギア の密儀を指す)にしても、波、蔓、髪といった曲線的イメージは、一読してすぐ目につく 特徴である。また戯れる、目くるめく、膨らむ、沈む、連なるといった動きを表わす動詞 が多数使われていることも注目されてよいだろう。舞踊のモチーフは、詩集においては『冥 府の河』と第二詩集『聖別の日』に多く、『冥府の河』では、「秘儀(Orgie)」「シュ ラムの乙女(Sulamith)」「青春(Jugend)」など、明白なものだけで 63 篇中 6 篇に及 ぶ。 III  身体文化運動 1  ヘレラウ 世 紀 転 換 期 か ら 1930 年 代 に か け て 流 行 し た ド イ ツ の 「 身 体 文 化 運 動 (Körperkulturbewegung)」には、田園都市運動、ワンダーフォーゲル運動、裸体文化 運動、服装改革運動、リトミック運動、体操運動など、様々な傾向があった。都市を脱出 し、自然との調和を求めたこれらの運動の中で、カルト的な儀式や、集団での舞踊は、帰 属意識を高め、一体感を味わうための重要なイベントとなっていた11 7 イサドラ・ダンカン「未来の舞踊」 『芸術と回想』シェルドン・チェーニー編・小倉 重夫訳編所収 冨山房 1977 年 41 頁。 8 Bauschinger, Sigrid: Bauschinger, Sigrid: Else Lasker-Schüler: Ihr Werk und ihre Zeit. Heidelberg 1980, S.73. 9 Ebd., S.72-73. 10 山口 同論文 72 頁。 11 Janz, Rolf-Peter: Die Fastination der Jugend durch Rituale und sakrale Symbole. Mit Anmerkungen Fidus, Hesse, Hofmannsthal und George. In: Thomas

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ラスカー=シューラーと、身体文化運動の関わりは、二つの時期に分けられる。ごく初 期の短いが非常に影響力を受けた時期(放浪時代の始まりの 1899 年頃から処女詩集『冥 府の河』を出版した1902 年頃)と、運動の思想的な側面には批判的になったものの、病 弱だった息子パウルのためもあって関わりを持ち続けたそれ以後の時期である12。またモ ダンダンスをはじめ、カバレット、レビュー、ジャズダンス、サーカスなどの身体芸術へ の関心は、生涯にわたって持ち続けたようである。 先に第二の時期について述べれば、1912 年から 13 年にかけて、パウルはパウル・ゲヘ ープが開いたミュンヘンの「オーデンヴァルトシューレ(Odenwaldschule)」の生徒で あった13。1914 年から 16 年にかけては、ドレスデン近郊のヘレラウにある、エミール・ ジャック=ダルクローズのリトミック研究所に通っている。ヘレラウは、表現舞踊 (Ausdruckstanz)の創始者ルドルフ・フォン・ラバンやメアリー・ヴィグマンも学んだ 身体文化運動の拠点であるばかりでなく、ロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフ、ポー ル・クローデル、アドルフ・アッピア、ホーフマンスタールなどが訪れた、当時の前衛芸 術の中心地の一つでもあった。日本からも、作曲家の山田耕筰や、演出家の小山内薫が訪 れ、また舞踊家の伊藤道郎は、ここで学んでいる14。ラスカー=シューラーは、このヘレ ラウを「小さなスケッチ」というエッセイの中に書き残している。 都市住民の暮らす村、それがヘレラウである。上の最も高い頂きに、ギリシア風の 少女や教師たちの住む若いアテネがある。彼らはダルクローズのもとでダンスとリズム を勉強している。ダンスを学ぶ学生と、可愛いアメリカの女学生たちばかりである。み なギリシア風の衣装を着て、額には飾り布を巻いている。このアテネの丘からは、花々 Koebner/ Janz, Rolf-Peter/ Trommler, Frank (Hrsg.) “Mit uns zieht die neue Zeit.” Der Mythos Jugend. Frankfurt am Main 1985, S. 310-337. 12 ラスカー=シューラーと身体文化運動の関連に関しては Bandhauer, Andrea: Die Motivik des Tanzes und der Bewegung in Else Lasker-Schülers Werk. Ein komparatistischer Beitrag zur Tanz- und Bewegungsmotivik in der Literatur. Innsbruck 1985 (Diss), S.156-161. 13 Bauschinger: ebd., S.141. ラスカー=シューラーの散文集『まぼろし 随想とその 他の物語』(1913)の中には、「オーデンヴァルトシューレ」と題する短いエッセイが収 められている。Lasker-Schüler, Else: GWII, S.1219-1221. 14 ヘレン・コールドウェル 中川鋭之助訳 『伊藤道郎 人と芸術』 早川書房 1985 年 164-184 頁。

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と果樹の間に散らばる、昔ながらの村々が見渡せる15  またラバンが舞踊学校を開いていたスイスのアスコナのモンテ・ヴェリタ周辺にも、ラ スカー=シューラーは第一次大戦以降、幾度となく滞在している。このアスコナには、イ サドラ・ダンカンの孫弟子であり、ラスカー=シューラーが親交を結んでいたユダヤ系の 舞踊家シャルロッテ・バラが、舞踊劇場を建てていた16 2  「新しい共同体」とフィドゥス  だが、ラスカー=シューラーにとって、モダンダンスや身体文化運動的なものが重要な 意味を持ったのは、1899 年から 1902 年頃のことであった。当時のラスカー=シューラー の人間関係の中心は、ハインリヒ・ハルト、ユリウス・ハルト兄弟がベルリンで設立した 「新しい共同体(Neue Gemeinschaft)」であった。ここには、エーリッヒ・ミューザ ムや、グスタフ・ランダウアー、一時的にではあるがルドルフ・シュタイナーや、マルテ ィン・ブーバーといった人々も加わっていた。これは、同時代に流行した生活共同体の一 種で、個人と社会の間の矛盾を克服するユートピアを目指していた。 我々の共同体は、認識と生活の共同体であり、真の一元論的な世界観、多様性と、変 転、若返り、万物の不断の新生と発展という価値観の下に集っている。この価値観の中 心をなすのが、世界と自我の同一という認識、世界自我という観念である。(...) この新しい価値観は、すべての対立を越えて、個々人の思考と感情と生活の明るい調和 を導く。そして共同体に対しては、最高の文化生活の実現を可能にする17  世界と自我の統一や、思考・感情・生活の調和など、この「新しい共同体」の思想には、 モダンダンスや身体文化運動と似通った点が多く見られる。また共同体が企画した、道教 15 Lasker-Schüler, Else: Kleine Skizze. In: Kupper, Margarete: Wiederentdeckte Texte Else Lasker-Schülers II. In: Literaturwissenschaftliches Jahrbuch. Im Auftrag der Görres-Geselschaft. Hrsg. von Hermann Kunisch. Neue Folge, Bd. 6, 1965, Berlin, S.229. 16 Klüsener, Erika: Else Lasker-Schüler. Reinbeck bei Hamburg 1994, S.104. および、Janz: ebd., S.318 も参照。 17 Heinrich und Julius Hart: Unsere Gemeinschaft. In: Die Berliner Moderne 1885-1914. Stuttgart 1993, S.634.

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の祭(Tao-Fest)、新しいディオニュソス祭(Neue Dionysien)、夏至祭(Sonnwendtag) などの様々な催しにも、身体文化運動との共通性が認められる18 中でもラスカー=シューラーと、身体文化運動および舞踊との密接な関係を暗示するの が、やはり「新しい共同体」に属していたフィドゥス(Fidus)の存在である。フィドゥ スは、本名をフーゴ・ホップナー(Hugo Höppner 1868-1948)と言い、ユーゲントシ ュティールの代表的な挿し絵画家の一人であるが、彼はまた世 紀転換期ドイツにおける裸体文化運動の創始者の一人でもあっ た19 ラスカー=シューラーは、フィドゥスを「マイスター」と呼 び、『冥府の河』の扉絵(図 2)を、彼に頼んでいる20。ジー クリート・バウシンガーは、詩集中の詩「青春」が、フィドゥ スがこの絵を描くきっかけになったのではないかと推測してい る21。「青春」第一連の4 行から 6 行目までは以下のようであ る。 わが心は 若々しい朝のくれない紅 とたわむれ 白熱する太陽の 一群の火花の中で踊る      図2 『冥府の河』の扉絵 すべての花 夏の欲望と。(GWI S.55)  だが、当時のフィドゥスの活動から考えれば、この絵はフィドゥス自身の思想から採ら れた題材のように思われる。たとえば、1901 年に開設されたクーアフュルステンダムの 日光浴場兼スポーツ施設のためのポスターには、太陽の光を浴びる裸の男性が描かれてい る。また、1902 年に発刊された 2 冊の画集の題名は、それぞれ『自然の子ら(Naturkinder)』、 『ダンス(Tänze)』というものであった22。従って、むしろラスカー=シューラーの作 品の方が、フィドゥスの影響を受けた可能性がある。太陽の光、荒々しい自然、衣服を捨 18 Ebd: S.81. 19 フィドゥスに関しては、Janos Frecot/ Johann Friedrich Geist/ Diethart Kerbs:

Fidus 1868-1948. Zur ästhetischen Praxis bürgerlicher Fluchtbewegungen. München 1972, Janz: ebd. および、上山安敏『世紀末ドイツの若者』 講談社 1994 年 123-128 頁参照。

20 Lasker-Schüler: Briefe I. S.12, Brief an Richard Dehmel 19.2.1903 21Bauschinger: ebd., S.71.

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てた、性の匂いのしない身体など、扉絵には、後に身体文化運動のシンボル的な存在とな った有名な「光の崇拝(Lichtgebet)」(図版 3)との共通性も感じられる。 ラスカー=シューラーは、ユダヤ人女性としての二重の 疎外に苦しみつつ、性的な充足をも含めた、奔放な生を歌 い上げた。当時の社会規範を突き破ったその詩集の内容と、 フィドゥスの扉絵との間には、微妙な齟齬が感じられる。 それは、エロスや死、異教的なものや女性的なものなどの 他者性を包摂するものとして肉体を感覚するあり方と、そ れらを逆に削ぎ落とそうとする身体文化運動的な視線と の間に存在する齟齬である。のちに多くがナチスに吸収さ れていく身体文化運動にとって、老人や障害者、病人は排 除すべき対象であり、健全な人間とそうでない者の分別は 重大な関心事であった23。世紀転換期以降の身体感覚の変 容の過程では、以上のような二 図 3 フィドゥス「光の崇拝」(1913) つの方向はしばしば絡まり合いながら共存していた。し かし両者の間の亀裂は、やがて修復不能なまでに広がっていく。ダンサー出身の映画監督 レニ・リーフェンシュタールが、ナチス統治下のベルリン・オリンピックを映像化した『美 の勝利』、『民族の祭典』は、後者の流れが最終的に行き着いた地点を表わしている。 IV  「秘儀」の分析 1 身体イメージ24としてのマイナデス 舞踊が直接描写されている訳ではないこの作品を取り上げるのは、題名の”Orgie”に注目 するからである。”Orgie”とは、本来「ディオニュソスの密儀」を意味する語である。春先 23 Reuter, Thomas: “Wir sind nackt und nennen und Du!” Von Lichtfreunden und Sonnenmenschen. In: Bucher, W./ Pohl, K. (Hrsg.) Schock und Schöpfung. Jugendästhetik im 20. Jahrhundert. Darmstadt/ Neuwied 1986, S.409. 24 ブラントシュテッターの用語である「身体イメージ(Körperbilder)」は、芸術史家ア ビィ・ワールブルクの「情念の定型的表現(Pathosformel)」の理論を下敷きとした「舞 踊と文学の分析を媒介するための、読みの公式(Leseformeln)」であり、「世紀転換期の 舞踊の根底に、いわば深層構造として存在しており、演劇および文学の比較可能な現象と の照合の中で明白となるような、イメージの雛型、パターン....」 (Brandstetter: ebd., S.26) を意味する。

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に行われるディオニュソスの祭りのとき、マイナデスと呼ばれる女性の信者たちは、乱 飲・乱舞を伴う集団の激しい興奮状態に陥る。その中で信者たちは死して甦る生命の神と 合体し、神の力に与るという確信を得たという25 ガブリエレ・ブラントシュテッターは、世紀転換期における重要な身体イメージの一つ としてマイナデスのイメージを分析している26。ギリシアの壷絵などに見られるマイナデ スは、頭を背後に投げ、上半身を反らしている。髪を激しく振り乱し、口は開き、目は恍 惚として、身につけたキトンは透けて波うち、肉体の動きが露になっている。舞踊芸術の 分野では、この身体イメージは、純潔さや均整を重視するバレリーナの身体に対するアン チテーゼとして理解され、モダンダンスの様々な舞踊家によって模倣された。(図 4)な かでもイサドラ・ダンカンは、自らの舞踊をマイ ナデスの舞踊になぞらえ、幾度も作品に取り上げ ただけではなく、社会規範を無視して己の欲求に 従う彼女の生き方そのものが、マイナス的なもの を体現していた。ブラントシュテッターは述べて いる。「舞踊において、個という特性によって動. 的 . な表象と化した、この身体イメージは、イサド ラ・ダンカンの登場とともに、モデルネに特有   図 4 グレーテ・ヴィーゼンタール「ドナウの のしるしとして現れた。27」       ワルツ」(1908) この詩「秘儀」においても、以上のようなマイナデスの身体イメージが、明らかに取り 入れられている。陶酔的な姿勢、振り乱された髪、あらわな肉体、神との合体などに、そ れは窺われる。しかも、ここではニーチェやモルゲンシュテルンの場合のように、踊る女 性の集団が、別の語り手によって外側から描写されるのではない。「あなた」と呼ばれる 恋人の存在は重要だが、この踊りの中心は一人の女性であり、その踊り手自身が語っても いるのである。モダンダンスの多くの舞踊家たちと同様、女性である詩人にとって、表現 とは、個を持たぬ客体としての存在から、個としての主体性を獲得することに他ならなか った28。語り手の視点という点では少し異なるが、同時代の女性詩人フランチスカ・シュ 25 『宗教学辞典』小口偉一・堀一郎監修 東京大学出版会 1973 年 60 頁。 26 Brandstetter: ebd., S.182-206. 27 Ebd., S.196. 28 ブラントシュテッターは、哲学・心理学・文学の分野で「個(das Individuum)」と いう概念が非常に疑わしいものとなった20 世紀初頭において、舞踊芸術の分野では、「個 人的なもの(das Individuelle)」が「新しいもの」、このメディアの可能性の確かさと 解放のしるしとして発見された、と指摘している。Brandstetter: Tanz-Lektüren. S.60.

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テッケリンの詩「ある少女に寄す」も、マイナデスの身体イメージを用いている。踊りの 中での主体性の獲得、世界との合一など、その語彙やイメージは、ラスカー=シューラー のそれに非常に近い。 おお、すべての歓びが去ってから なんという 長い時間が過ぎたことか! おまえが踊るときにだけ、 おまえの蒼白を 真夜中の太陽の輝きが 照らし出すときに、 おまえの魂を、おまえの肉体を 数百年が 脈うち流れる。 おまえの笑いの蔭には マイナデスの叫びが潜んでいる。 振り乱されたおまえの金髪に、 耀いゆれる 血29  すでに述べたように、ラスカー・シューラーは、医者の妻という安定した地位を捨てて ボヘミアン生活に入っている。女性詩人としての人生にせよ、夫以外の男性との交渉にせ よ、当時の社会常識からすれば明らかな逸脱である。だがそれは、ラスカー・シューラー にとっては、マイナデスが祝ぎ歌うような世界の再生、春の訪れを意味していた。同じ『冥 府の河』の中の詩「復讐(Vergeltung)」においては、舞踊は明らかに再生の象徴として 用いられている。「あなたの暗い憤怒は 私を苦しめ、/死は 私の魂に夜のとばり幕 を下ろし / 青春を むさぼり喰らった。/そのとき あの瞬間がやって来たのだ、/遊び戯れ、歓喜す るあの瞬間が /そして踊りながら 私を連れ戻した /生との境界まで。」(GWI S.67) 2  「秘儀」の韻律 「秘儀」は28 行 1 連の自由律詩で、伝統的な韻律法による明白な韻律は決定できない。 しかしよく見れば、この詩が動きのある複雑なリズムによって構成されていることに気が 29 Stoecklin, Franciska: “An ein Mädchen”. In: Brinker-Gabler, Gisela: ebd., S. 313.

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つく。文字・韻律・語彙・形象といった言語記号の様々な側面において「動き」を表現す るその構造は、ニーチェの「舞踊的な文体」に極めて近い30 「秘儀」では、異なるリズムが積み重ねられ、ポリリトミックな構造になっている。そ の中でもっとも大きなリズムをつくるのが、詩中の6 つの文である。これらを連をつくら ずに切れ目なく配置し、また1 文を 5、6 行に分割して詩の行末と意味の切れ目を意図的 にずらせることで、言葉の連続的な動きが産み出されている。6 文の行数は、それぞれ 2・ 3・6・6・5・7 であって、最初小さく始まった「波」が、一定の大きさに達したあとで繰 り返されている。そして、第1 文以外の文の最終行には、必ず転置・同格・アンジャンブ マンなどの操作が行われている。たとえば、第2 文では、最後の”Ineinander”だけが、ア ンジャンブマンによって孤立しており、第3 文の、”empor”と、”Zu sternenverschmiedeten Ranken”の間には、倒置によるツェズールがある。つまり、いったん終了して谷底に達し た文意が、再び頭をもたげるところで終わっていて、このような同型的な文が連続してい るのである。 詩のもっと基本的なリズムを作っているのは、第3 文までの前半が「強・弱・弱」のダ クテュルス、後半が「弱・強」のヤンブスである。たとえば、この詩の第3 文のリズム(6-11 行目)を伝統的な韻律法に従って表記してみると、以下のようになる。 ∪∪−∪∪−∪∪−∪−  ∪∪−∪∪−∪∪−∪∪−   ∪−−∪∪−∪   ∪−∪∪  ∪−∪∪−∪−∪∪−  ∪−∪∪−∪∪−∪ −∪∪というダクテュルスのリズムが、絶えず微妙に変化しながらも、基本的なリズム を形作っているのがわかる。8 行目から 11 行目は、アウフタクトの数がずれており、それ は行の冒頭をずらすことで、視覚的にも表現されている。大地の祭り、夜への移行、天か ら注がれる黒い香気など、時間的にも空間的にも下降のイメージから始まった詩は、10・ 11 行目の金色に伸びる蔓のイメージによって上昇に転じる。それにともなって詩のリズム も変化し、第4 文からは、「弱・強」を繰り返すヤンブスが、支配的となる。 30 バウシンガーは、「ツァラトゥストラのトーン」が、ラスカー=シューラーのこの時期 の作品を支配していると指摘している。Bauschinger: ebd., S.66. また、ニーチェの 舞踊的な文体に関しては、拙論73 頁参照。

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さきに「波」という喩えを用いたが、この詩では、様々なくり返しが自在に使われ、行 頭 で の”Und” の 反 復 は 、 11 回 に も 及 ぶ 。 詩 の 冒 頭 、”geheimnisvoll     Apoll   -sehnsuchtsübervoll”と”Oleander -Ineinander”という脚韻が、ディオニュソス祭の地の 底から溢れ出るようなリズムを形作る。題名の”Orgie”とも呼応する、暗い”o”の母音の連 鎖が、この印象を一層強めている。イメージが下降から上昇に転じる第4 文あたりから、 母音には”ü”が増え始め、第 6 文では、明るい”i”の音が多くなる。この最後の部分では、 脚韻は”an - zerann - nahm - zerann - Gesang”と同じ韻でまとめられ、”Und”、”immer wieder”、”zerann”が繰り返されて、生命の波の満ち干が表現されている。だが最も効果 的なのは、やはり21 行目の”schrieen”と最終行の”Symphonieen”の押韻であろう。ここに は、題名の”Orgie”、13 行目の”Paradiesmai”、16 行目の”Geschrei”の音も響いている。 詩人の「叫び」と「シンフォニー」の間の押韻は、詩・音楽・舞踊が渾然一体となった「秘 儀」の世界を、よく示している。 3 芸術の世界  異なるリズムを積み重ねることで、踊るような全体の動きを作り出すという詩の構造は、 言葉の意味やイメージの点からも認められる。すでに述べたように、この詩には、めくる めく、戯れる、沈む、伸びるなど、動きを表す動詞が極めて多い。特に「莟がふくらむ」、 「波立つ」、「抱卵する」は、現在分詞で用いられ、動きがより強調されている。使われ ているイメージも、波、髪、蔓などの曲線的な動きを喚起するものである。香り、蔓、果 実、「甘い果汁に酔う」など、ぶどうやぶどう酒のイメージもちりばめられており、「デ ィオニュソスの密儀」の陶酔的な雰囲気が醸し出されている。また、夕暮れや夾竹桃の赤、 夜や鳥の黒、星や髪の金、五月の緑などの色彩の豊かさも、詩に生き生きとした印象を与 えている。優れた画家でもあったラスカー=シューラーの、その方面での評価はまだ始ま ったばかりだが、その絵に見られる鮮やかな色彩感覚は、詩の中にも生かされていると言 えよう。 「秘儀」の中では、”Orgie”とはまず「私」と「あなた」の間で交わされる性愛の歓喜を 意味している。目くるめく侵入、波動、天界への上昇、叫びなど、この詩に見られるのは、 ほとんど露骨といってよいエロスの表現である。「このうえない幸福」、「楽園という五 月」といった表現も、まず性の陶酔に結びついている。性的な抑圧の強かった当時におい て、女性詩人による率直な自己表現が、社会に与えた衝撃は想像に難くない。  3 行目に置かれた「アポロンの神殿」という語によって、エロスの世界は別の文脈に開 かれる。「ディオニュソスの密儀」を題名に据えながら、その陶酔の場を「アポロンの神 殿」と命名するにあたっては、明らかにニーチェを踏まえた詩人の意図が感じられる。ニ

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ーチェに従えば、ディオニュソス的原理はそれだけで芸術を生み出すのではなく、アポロ ン的な個体化の原理を経て、はじめて真生の芸術となる31。つまり、ラスカー=シューラ ーがマイナデスとなって身を捧げようという神は、ディオニュソス的な陶酔とともに、芸 術の神としてのアポロン的な要素も含んでいる。従って、この詩は、詩人としての宣言と も読めるのである。動く肉体こそ魂の言語であるとするモダンダンスの舞踊家たちの主張 と呼応するように、詩人の言葉もまた「語(Wort)」や「言語(Sprache)」ではなく、 「叫び(Geschrei)」や「歌(Gesang)」といった身体的な発語によって表現されてい る。 4 ユートピアとその破綻 『冥府の河』全体の特徴でもあるが、「秘儀」を特徴づけるのは、私と私ならざるもの との間の高揚した一体感である。衣服を剥ぎ捨てるという行為−これ自体が裸体文化運動 を思い起こさせる−が象徴するように、私と恋人、私と世界の間に、隔たりは感じられな い。浮き沈みする時間が金色の蔓を伸ばし、それが星の鎖となるという第二連のイメージ は、動物・植物・鉱物のみならず、時間と空間もまた一つに溶け合っていることを示して いる。いかにもユーゲントシュティール的な世界であると言えるが、舞踊との関係に眼を 向けるなら、この作品世界は、モダンダンスが告知した空間と正確に一致している。『冥 府の河』出版からほぼ1 年後の 1903 年、イサドラ・ダンカンは「未来の踊り手」という 題でベルリンで講演している。 おお、何とすばらしい場が彼女を待っていることか!この未来の踊り手が近くにあり、 近づきつつあることがあなたにはわからないのか!彼女は、女性の可能な力と美につい て、そして大地の自然や未来の子供たちと、彼女らの肉体との関係について、新しい知 識を女性に与える努力をすることであろう。文明を忘却した幾世紀から、再び浮かび出 た肉体、原始的な裸体ではなく、新しい裸体から浮かび出た肉体、もはや精神性や知性 と争うのではなく、輝かしい調和をもってそれらと結合する、そうした肉体を踊るであ ろう32  この講演の内容と、「秘儀」の作品世界との一致は驚くほどである。精神と肉体、人間 31 Nietzsche, Friedrich: Geburt der Tragödie aus dem Geiste der Musik. Stuttgart 1991, S.22. 32 イサドラ・ダンカン『イサドラ・ダンカン 芸術と回想』40-41 頁。

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と自然、すべてが一つの生きたコスモスをなし、この高揚した一瞬のうちに「数百年」が 凝縮される。そして、それを産み出す踊り手は、女性なのである。  「身体イメージとしてのマイナス」の項で述べたように、モダンダンスの中で「個」の 確立は重要なテーマであったが、そこで獲得された主体には、近代初期のような確かさは あらかじめ失われていた。それは、生成と同時に解体の圧力に晒される、極めて危ういも のとして存在したのである。イサドラ・ダンカンや、ルース・セント・デニスの舞踊が主 体の構築に力点を置くとすれば、逆にロイ・フラーの舞踊は、主体の解体を演出したと言 える。ブラントシュテッターは、述べている。「モダンダンスの文化的なレベルでの解放 的効果がもたらす、『新しい人間』としての主体の構築は、個の概念とその自己演出にそ れまで有用であると認められていた諸要素の分解という、同時代における解体の理論と実 践の流れと軌を一にしていた33。」「秘儀」の最後にある「くりかえし 貌となり、/く りかえし 溶け去るまで」という個所は、自己の構築と解体の絶え間ない運動の、鮮明な 表現である。 「秘儀」に描かれた自己の溶解は、周囲との「輝かしい調和」によってもたらされたも のである。しかし、この幸福な一体感は長くは続かず、『冥府の河』の内部においてさえ、 その後半部にはすでに影が差しはじめている。というのも、世界との融合は、現実を遮断 した、自閉的なユートピアにおいてのみ成り立つものだったからである。「変身」をその 特質とする舞踊においては、等価的なシニフィアンとシニフィエが緩やかに結びつき、そ れが見るものの現実感を破り、別世界の虚のイメージを作り出す34。舞踊によって現実は 変容し、日常世界とは別の聖性を帯びた空間が出現する。そこには、たとえば、ベルリン の急激な膨張がもたらす諸問題も、入り込む余地がない。ラスカー=シューラーが属した 「新しい共同体」にせよ、ヘレラウやアスコナなどの田園都市にせよ、同時代の多くの生 活共同体が目指したのは、そのような空間であった。ラスカー=シューラーは、放浪時代 に取材した散文『ペーター・ヒレの書(Das Peter Hille-Buch)』(1906)において、 現実からユートピアへの逃避を描写している。  私は都市から逃れ、疲れ果てて、ある岩の前に跪いた。生命の一滴のあいだ休息した が、それは千年よりも深みがあった。岩の頂上から、一つの声が放たれて、呼んだ。「な ぜ、おまえは、おまえ自身を惜しむのか。」私は眼を開け、花ひらいた。私を選び出し た幸福が、私を抱擁した。(GWII S.9) 33 Brandstetter: Tanz-Lektüren. S.46. 34 拙論 70 頁。

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 20 世紀の初頭、舞踊というメディアには、自己の限りない実現と、周囲との限りない調 和の両方が託されていた。その両立は、まさしく近代が見た夢であったが、しかし結局は 矛盾したものである。ユートピアを夢見て集まったボヘミアンたちの間には、実はつまら ぬいざこざが絶えなかった35。ついには、雑誌の表紙の挿し絵をめぐって、ラスカー=シ ューラーが画家のアンナ・コステノーブルに平手打ちを食わせるという事件まで起こる有 り様だった。1902 年頃、ラスカー=シューラーは、「新しい共同体」から袂を分かつこ とになる。ユートピアの破綻に伴って、舞踊は、ラスカー=シューラーの作品世界におけ る特権的な地位を徐々に失っていく。それはむしろ、世界からの疎外や、現実への盲目を 表現するようになるのだが、この点については、稿を改めて論じたい。 35 Bauschinger: a.a.O., S61, Klüssner/ Pfäfflin: Ebd., S.39-40.

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