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村野藤吾の和風建築における特異性について-「写し」の手法を通して- [ PDF

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Academic year: 2021

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(1)村野藤吾の和風建築における特異性について −「写し」の手法を通して−. 中村 稔. 1章 . 序. 2章 . 作品分析. 1-1. 研究の背景と目的. 2-1. 表千家「残月亭」写しの作品.  村野藤吾 (1891-1984) は、1929 年に独立し自身の.  残月亭写しに関して村野は様々なバリエーションを. 事務所を開設して以来、生涯建築家として現役で在り. 試みている。その中でも彼が特に思い入れの強かった. 続け、数多くの名建築を世に残している。彼は一般に、 かたちは、踏込み式の板床で地板の隅から床柱が内側 商業建築や公共建築の分野での手腕が高く評価されて. へと移動し、その内部に本歌と同じ蹴込みをつけた洞. いる。しかし和風建築においても彼の活躍は目を見張. 床をつけたものといえよう 3)( 写真 2)。. るべきものがある。.  この村野独自の残月写しの構えは、残月床の最も重.  これまでに行われてきた村野の和風建築に対する批. 要な意味である「上段」の要素を取り去っている。こ. 評は、村野の作品全般の印象・個々の作品から抽出さ. れが本歌と決定的に異なり、村野が最も大胆にくずし. れる彼の作風に関するものであり、これらの指摘はあ. た点である。表千家「残月亭」の 2 畳敷きの枡床 ( 一. くまでも評論にとどまっている。村野の和風建築の細. 般に「残月床」という ) は、丸太框の下に幅木を入れ. 部手法やこだわりについての綿密な分析・研究から、 通常の床の蹴込みより高くし、床内部は張付け壁とし 彼の作品を検証する試みは前例がない。. 上段に座る人が外の景色を眺めるための中敷居窓が ( 形.  和風建築に限らず、彼の作品全般の特徴として、あ. 式的に ) 開けられている ( 写真 1)。村野はまずその蹴. る作品を参考にし自作のデザインソースとしたものが. 込みを省略し、座敷のレベルに沈降させ地板を敷いた。. 1). 多いことは周知の事実である 。つまり村野に関して. 本歌の「上段」を意識しないことで、中敷居窓のあっ. は、その「写し」の対象 ( 本歌 ) と比較する上で作品 を考察することが、彼の造形手法・理念の一端を理解 する上で有効な手段の一つであるといえる。  そこで本研究では、村野の和風建築を考察する上で、 彼の作品における「写し」の手法に焦点を絞り、その 写しの対象となった古典の作品(本歌)との比較を行 いつつ、そこから見える村野の和風建築における特質 を明らかにすることを目的とする。村野が和風建築に おける古典作品をどのように捉え、どの部分に主眼を 置いて写しを行っていたのかを彼の作品から読み取り、 写真 1. 表千家「残月亭」. そこから彼の造形手法に対する見解を導きたい。 1-2. 研究対象とその方法  村野藤吾が建築家として独立し (1929 年 )、亡くな る (1984 年 ) までに村野によって構想され、設計され た和風建築すべてを対象とする。その中で、座敷内の 構成・意匠において明らかに古典の著名な作品を写し ていると判断できる作品 2) を挙げ、それらに関する図 面・写真を用い、本歌と比較しながら村野の写しの特 徴を分析する。ここではその本歌として、表千家「残 月亭」, 成巽閣「群青の間」, 有楽苑「如庵」, 掬月亭「初 筵観」の 4 作品をとりあげる。. 写真 2. 村野邸「広間」. 25-1.

(2) た部分には新たに洞床をつくり、「床の中に床」という 座敷において異例の風景をつくり出している。この蹴 込みの部分に残月亭の名残を継承している点も独自の 創意工夫であろう。そして本歌では構造的役割も果た していた床柱を、村野はその制約から解放し床地板の 内側に移動させている。これは自邸において初めて行っ た操作であるが、この床柱の移動は彼の好みのプロポー ションを得るための手法であった 4)。 2-2. 成巽閣「群青の間」写しの作品  成巽閣「群青の間」の形態的な二大要素として「龕. 写真 3. 成巽閣「群青の間」. 破床」と「平坦な格天井」の組み合わせが挙げられる。  「群青の間」に見られるような龕破床は、村野の作品 においては 4 畳半の小座敷から本歌よりもはるかに大 きい大広間まで、その空間の規模を選ばずに用いられ ている。また 1952 年加藤氏邸から 1959 年指月亭まで の作品は、龕破床のみパーツとして用いたものが続く が、1961 年今橋なだ万以降は龕破床とフラットな格天 井をセットで採用する作品が多くなっている。そして 8 畳以上の広間では必ず両者を用いていることが分か. 写真 4. 松寿荘「大広間」. る ( 表 1)。. 直に写すことはなく、彼独自のプロポーションと意匠.  村野の作品では洞の位置を、本歌のように床間口に. を折り重ねることで作品をつくりあげていたのである。. 対してシンメトリーに配置するのではなく、床柱側に. 2-3. 有楽苑「如庵」写しの作品. 寄せる傾向にある。また図面に洞の必要寸法が書かれ.  如庵の最大の特徴は、約 4 畳半の方形の囲いの中に. 5). ていないものが多く 、本歌である「群青の間」も含. 床を含めたすべての要素をおさめている点である。そ. めて一つとして同じ洞をつくっていないことから、現. の秩序の中で生まれた特徴的要素が「鱗板」, 「有楽囲い」. 場で洞のプロポーションとその割付けにこだわり試行. であった。. 錯誤し、非常に慎重に決定していたことがうかがえる.  村野邸「茶室」は、彼にとって初めて如庵写しを試. 6). みた作品であった。その茶室で特徴的な点としては、4.  格天井に関しても、龕破床と同様に村野は正確に写. 畳半の方形の中に本歌と同じ茶道口・中柱・床の位置. した作品が一つとしてない。村野は龕破床と同じくこ. 関係を維持しつつ、床の機能を壁面に預け空間を広く. の本歌特有の格天井を単純に「形式」として捉え、そ. した構成である。壁床としたために客座が 1 畳分広く. の型から出ようと工夫していたのである。. なり、ここでは鱗板の必要もないため用いていない。.  村野は成巽閣「群青の間」を写すとき、特にその特. また有楽囲いの意匠も、透かしを生かし本歌よりも開. 徴的要素である龕破床と格天井を必ずセットで用いる. 放感のある独自の構えをつくり出している。. わけではなく、その組み合わせ自体にはこだわりがな.  その 40 年後、1982 年の秀明「琴の間」において村. かった。むしろそれぞれの特徴的要素を部分として捉. 野は再度如庵写しを試みている。そして以降の 2 作品、. え、その意匠,ディテールを突き詰めることに力を入. 1985 年恵庵「花の間」と有楽庵「5 畳茶室」はいずれ. れていた。またそれらを用いたとしても本歌通りに素. もこの作品と共通する特徴が見られる。. 。. 表 1. 成巽閣「群青の間」写しの作品 名称. 兼六園成巽閣 「群青の間」. 竣工年 用途 部屋広さ. 1863年 座敷 9畳. 床形式 部屋天井 洞幅 高さ(尺). 踏込式板床 折上格天井 5.7 6.0. 床間口 高さ(尺). 6.0 8.0. 床柱側袖壁幅(尺) 壁側袖壁幅(尺). 0.29 0.29. 加藤氏邸 「8帖」 1952年 座敷. 読売会館 茶室. 村野邸(増築) 「婦人室」. 指月亭 「夫人室」. 今橋なだ万 「大広間」. 千代田生命 本社ビル茶室. 松寿荘 「大広間」. 秀明 「琴の間」. 秀明 「舞の間次の間」. 1957年 茶室. 1959年 個室 4畳半. 1961年 広間. 8畳 踏込式板床. 1958年 個室 4畳半. 1966年 茶室 12畳. 1970年 料亭 6畳. 1976年 料亭 6畳. 1980年 迎賓館 18畳. 1982年 茶室 5畳. 1982年 茶室 8畳+中板. 蹴込式板床. 蹴込式板床 網代天井. 蹴込式板床 竿縁天井 4.1 5.67. 蹴込式框付畳床 格天井. 蹴込式框付畳床 格天井. 蹴込式板床 模様紙張天井. 踏込式板床 さらし竹張光天井 4.1 5.23. 踏込式板床 折上格天井 8.08 6.8. 蹴込式板床 網代光+掛込天井 4.0 5.23. 蹴込式板床 格天井 5.43 6.08. 竿縁天井 5.5 5.7 7.3 7.3 1.08 1.08. 5.26. 7.2. 帝国ホテルなだ万 なだ万山茶花荘 「座敷6畳」 「紫の間」. 7.53. 0.53 0.43. 5.81. 0.33 3.1. 11.78. 7.68. 0.62 3.1. 5.95. 6.74. 0.42 1.53. 7.06 7.60 0.7 0.93. ※図面,写真などの資料不足による不明部分は空白にしている。. 25-2.

(3)  まず、平面は図 3 のように本歌に 1 畳半分のスペー スを床前に差し込み床奥行きを深くした、ほぼ 5 畳の 広さ ( 秀明「琴の間」は中板付き ) である。床を含め ると 6 畳の方形の空間である。村野は自邸でも試みた ように、この晩年の 3 作品においても本歌の要素の位 置関係を維持しつつ平面を拡大しているのである。し かしここでは、奥行きのある床を設け本歌と同じく鱗 板を用いている。如庵の特徴的構成要素を用いつつ空 間を拡大したことにより、本歌における鱗板の機能的 側面と空間の緊張感は薄れているといえる。  また天井構成においても本歌と大きな違いが見られ. 写真 5. 有楽苑「如庵」床正面. る。村野は床前 2 畳を光天井とし、点前座と風炉先半畳, 客踏込み畳の上部に矩折りに化粧屋根裏天井をまわし ている。有楽囲いは本歌と異なり上部を透かしている のでここで天井の連続性は途切れず、中柱はこの天井 構成において構造的に重要な結節点となる位置に立っ ている。  「4 畳半の方形の秩序の中にいかに構成要素をまとめ るか。」ということをテーマにつくられたのが、如庵 の茶室空間であった。村野はそのぎりぎりの空間の中 で生まれた本歌の機能的・特徴的モチーフを、ためら いもなく約 1,5 倍にも拡大した空間の中で用いている。. 写真 6. 恵庵「花の間」床正面. 通常 6 畳の広さで茶室をつくるとすれば、それは鱗板 も有楽囲いも用いずにおさめられる広さである。それ でも村野は如庵を写す際に、まず空間を拡大すること に執着し、本歌の空間における緊張感を踏襲せず、そ れぞれの要素に改良を加え独自の空間に昇華させてい たのである。 2-4. 掬月亭「初筵観」写しの作品  掬月亭は、回遊式庭園内におけるあそびの中心をな す建物として営まれたものであり、周囲に廻らされた 障子を開け放ち、その庭園の四周すべての観を楽しむ. 写真 7. 有楽苑「如庵」有楽囲い. 写真 8. 恵庵「花の間」有楽囲い. ために設けられた空間である。その中に特異な意匠の 床をもった「一の間」があり、付け書院のように座敷 に付加された出床の三面にまわされた井桁菱格子の建 具は「背後の風景を透かす」装置として活かされ、そ れ自体が空間のメインとなる。天井は障子から洩れる 光を室内に拡散させる総和紙張り仕上げである。  この作品を本歌とした村野の「桐の間」では、まず. 図 1. 有楽苑「如庵」平面図. 図 2. 恵庵「花の間」平面図. 床を座敷の正面に配置している。その右半分は室内に 接しているため、本歌のように外の風景を望めるもの. 図 3. 村野晩年作品の「如庵」写しにおける平面拡大. ではない。村野はさらにその床内部中央に入れ子状に 床を設けている。本歌で最も特徴的で、それ自体空間 の主役となっていた井桁菱格子の建具は、風景を透か 25-3. 床 鱗板. +. =.

(4) 本歌の特徴的要素のかたちそのままを受け入れず、そ れに対して常に批評の目をもち自分の作品にのぞんで いる。この手法から、村野は本歌の全体構成よりも部 分 ( 本歌のそれぞれの特徴的要素 ) に偏重していたと もとれる。そして自作において、その空間に合わせた 本歌の部分の意匠やプロポーションに試行錯誤してい たのである。 4章 . 結  以上の考察をふまえて、村野の「写し」の手法とし ていえることは、「本歌となる作品のかたち(形式)は 写真 9. 掬月亭「初筵観」. 引用するが、それぞれの本来の意味(コンセプト)・用 いられ方・プロポーションには固執せず、その特徴的 要素を自身の意匠に昇華する。」ということである。  村野が古典の作品の写しを行うとき、本歌における 特徴的要素の意味やその空間での用いられ方に捕われ ず、そのプロポーションや造形に対して批評の目を向 けていた。そしてその批評を通して自分の中に空間の イメージをもち、それをかたちにする作業に村野は執 拗になり、試行錯誤しながら本歌の特徴的要素を彼独 自の造形に昇華させ、時にその造形に新たな意味をも. 写真 10. なだ万山茶花荘「桐の間」. たせた。その点では、村野が写しの際に本歌の全体構. すための装置というよりは、その中央に置かれた床の. 成やその意味よりも全体における部分の意匠やプロ. 背景となりそれを包み、内部空間を演出するための装. ポーションに重きを置いていたこと、またできあがっ. 置になっているといえる。そして障子から洩れる自然. た作品には本歌におけるコンセプトが失われていたこ. 光を室内に拡散させていた和紙天井は、内部に照明を. とが理解できる。その本歌の捉え方こそ、村野の「写し」. 組み込まれた光天井に置き換えられている ( 写真 10)。. における最大の特徴であったのだ。.  つまり本歌において特徴的要素である井桁菱格子の 建具、総和紙張り天井が「外」を意識して用いられた 手法であったのに対し、「桐の間」で村野が行ったこと は、座敷の内側に包むための意匠としてそれらの本歌 の手法を大胆に転化しているのである。 3章 . 考察  「群青の間」写し以外の作品に関しては、その本歌意 匠の本来の意味を剥ぎ取ってしまっている。この 3 つ に関しては、村野は本歌の最も重要な意味 , その空間 のコンセプトともいえる部分を踏襲せずに大胆に写し を行っているのである。そして、それぞれ「残月床内 の洞床」,「有楽囲い中柱の構造的役割」,「菱格子建具・ 和紙張り天井による内装の演出」という新たな要素・ 意味を付加し、本歌とは全く異なる空間に仕上げてい る。  また村野は、残月床の床柱の位置 , 龕破床と格天井 , 有楽囲いなど、写しの対象となった作品の部分的な意 匠やプロポーションに執拗にこだわっている。村野は. 注釈 1) 参考文献 [11],[17] などが出版されるほど著名なことである。 2) 参考文献 [11],[17] などの諸先学により写しの本歌が明らかになっている作品、また村  野自身が写しを認めている作品を指す。 3) 村野のこの残月床の形式は参考文献 [10] にある初期の計画案に頻繁に見られること,  自邸において実現していること,また参考文献 [9],p.777 による自身の発言などから村  野本人の思い入れが強いと判断できる。 4) 参考文献 [12],p.169 参照 5) 村野の作品図面には、龕破床の洞幅,高さの寸法が明記されていないものが多い。また、  その曲率に関しては図面上に一切記述がない。 6) 洞のプロポーションに関しては「松寿荘の語るもの」 (『新建築』1982.3.)において、 現場において非常に慎重に決定しているとの旨を村野自身が語っている。 参考文献 [1] 堀口捨己『利休の茶室』1949.1. 岩波書店 [2] 北尾春道『数寄屋詳細図請』1953.10. 彰国社 [3] 香川県経済労働部観光課『特別名勝 栗林公園掬月亭建物並びに庭園修理工事報告書』   1965.3. 真陽社 [4] 名古屋鉄道株式会社『国宝如庵・旧正伝院書院移築修理工事報告書』1972.3. 真陽社 [5] 村野藤吾『村野藤吾和風建築集』1978.5. 新建築社 [6] 村野藤吾『 別冊新建築 日本現代建築家シリーズ 9 村野藤吾』1984.10 新建築社 [7] 恒成一訓 , 伊藤ていじ , 横山正『数寄屋 建築と庭園』1985.11.毎日新聞社 [8] 和風建築社『村野藤吾和風建築作品詳細図集・2 −ホテルの和風建築−』1986.12. 建   築資料研究社 [9] 村野藤吾『村野藤吾著作集』1991.7. 同朋舎出版 [10] 村野・森建築事務所『村野藤吾建築図面集Ⅶ 数寄とモダニズム』1992.2. 同朋舎出版 [11] 和風建築社『村野藤吾の造形意匠:1.伝統のかたち』1994.5. 京都書院 [12] 和風建築社『和風建築秀粋−村野藤吾の住宅建築撰集』 京都書院 1994.12. [13] 村野・森建築事務所『村野藤吾選集 数寄屋Ⅰ』1995.3. 同朋舎出版 [14] 村野・森建築事務所『村野藤吾選集 住宅・茶室』1995.4. 同朋舎出版 [15] 村野・森建築事務所『村野藤吾選集 数寄屋Ⅱ』1995.8. 同朋舎出版 [16] 村野・森建築事務所『村野藤吾選集 補遺』1995.10. 同朋舎出版 [17] 和風建築社『村野藤吾のデザイン・エッセンス1伝統の昇華 本歌取りの手法』      2000.5. 建築資料研究社. 25-4.

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参照

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