九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
本文から見た『新訳華厳経音義私記』の撰述と背景
賈, 智
中山大学中国語言文学系(珠海) : 准教授
https://doi.org/10.15017/4782113
出版情報:語文研究. 130/131, pp.454-441, 2021-06-02. 九州大学国語国文学会 バージョン:
権利関係:
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本文から見た『新訳華厳経音義私記』の撰述と背景
賈 智
1.序論
『新訳華厳経音義私記』(奈良朝末期書写、以下「私記」と略す)は、日本僧 侶の手により編纂された仏典音義の最も古い写本である。
『私記』には、
【蚊蟻】上可。下音疑、川安利乃古。(私記、第66巻)
のような、和音・和訓などの日本語の注記がわずかながらが存するため、日本 語史学上、古くから注目されてきた。しかし、日本語の注記はあくまで補記の ようなものに過ぎず、大部分の注記は、漢字・漢語の発音や意味を解説してい るものである。その体裁・様式はもちろん、注記内容も中国側の辞書・音義と 酷似しているので、現存する中国資料と対照する価値が十分ある。
先行研究から知られるように、『私記』は、唐の慧苑が撰述した『新訳華厳経 音義』(以下「慧苑音義」と略す)を主材料として、日本僧侶作の『新華厳経音 義』(以下「大治本新音義」と略す)を参照しつつ、編まれたものである。両者 によらない注記は、玄応の『一切経音義』、顧野王の『玉篇』、字様類小学書な どから引かれたものがほとんどである。
さて、『私記』を研究しようとする場合には、出典と関わる調査が重要である が、その前に本書の成立やその過程を検討しておくことが必須である。この問 題について、古くは岡田(1939)の優れた論考があり、その後、小林(1978)
の精緻を極めた考察も行われている。小林(1978)では、
ともあれ、新譯花嚴經音義私記が、奈良時代の天平勝寶頃かそれより半世 紀の間に、華嚴經學の東大寺、又はその系統の寺院で撰述されたと見ること は無理ではないであろう。(資料1)
のように、「本書は、天平勝寶年間に東大寺乃至それと関わる寺院で撰述された ものである」という仮説を述べている。ところが、それはいずれも書誌学にも とづくものであり、残念なことに音義本文の分析を通して該当仮説を検証する 報告が欠けているのが現状である。
本稿では『私記』本文に対して調査を行うとともに、本書が誕生する時代的
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な背景およびその編纂過程について検討を展開していく。その目標を達成する ために、まず、『私記』の標字の配列・注文の内容・和訓の型式を分析すること によって、その撰者が二段階に分けて音義を施したことを解明する。また、書 誌学・仏教史に関する古代資料と先行研究とを踏まえて検討を行い、『私記』本 書と華厳教学との関係を指摘する。なお、『私記』の巻72~巻80は異なる撰述理 念により成り立ったと思われるため、本稿の研究対象は、『私記』の経序音義~
巻71に限定する。
2.問題提起
音義は経文の説明を助けるために編まれたものである。その撰者は経文に出 る語句を抽出し、その上で、参考とした資料を以て注記を施していることが、
撰述方法の原則である。そこで、手始めに経文の掲出する仕方から『私記』の 撰述方法を検討してゆこう。
華厳経経文の出現順に従い番号を付し、標字の配列順について調べてみる。
たとえば、
十迴向品第五之九01 端量02 誕生03 迴向人尊功德位04 人尊者云05 邇遐06 遊行07 微笑08(私記、第31巻)
のように、『私記』においては経文の順序に従って、標字が立項されているもの がある。
しかし、『私記』には第31巻のようなものが少なく、出現順と一致しない場合 がほとんどである。そのうち、
不思議法品第卅三之下01 於一切方一切網一切旋一切種一切世界中而作佛 事02 示誕03 人王都邑04 毗舍闍王05 倮06 不鼓07 住不〻説劫08 信樂不回誠敬10 一時倶下11 不令其下12 則不能雨13 假使14 驚攝15 舍利09(私記、第47巻)
のような、標字の順序が少々乱れているものが多くあり、
離世間品第卅八之七01 劬勞13 曲身低影14 五度爲繁密15 爲牆18 壍 19 却敵20 轂輞16 儔匹21 免濟02 欣慰03 圖書印璽04 璽05 弧06 矢劍載07 劍08 戟09 博弈10 親戚11 能忍劬勞12 盈洽17 乘巾22 宴默23 皎鏡24 種德25 菡萏花26 娯樂27 漿28(私記、第59巻)
のような、標字が任意の順番に並べてられているものもある。
『私記』第59巻のようなものを『私記』撰者の整理が届かなかったと考えてま ず過誤はあるまい。仮に慧苑音義を規範にして『私記』を見るならば、このよ
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うな例が存することにより、『私記』と中国資料との対照価値が下がってしまう のは否めなかろう。しかし、日本辞書史の視点にもとづき考えれば、『私記』を 積極的に評価することも可能である。それは、池田(1986)が述べたように、
『私記』は「当時の学僧の経典学習の実態がそのまま残された資料」であり、第 59巻のような例を綿密に調査することによって私記乃至上代仏典音義の成立過 程を窺い知ることができるからである。
本稿は池田(1986)の示唆を受け、以下には、『私記』の第59巻を例にして、
標字の配列・注文の内容・和訓の型式について調査を行い、書誌学・仏教史に 関する古代資料と先行研究とを以て検討を行い、『私記』の成立過程を明らかに していく。
3.『私記』の本文 3. 1. 標字の配列
『私記』第59巻の標字の配列は第二章で示した通りである。
標字の配列が乱れているが、表1に示すように、その撰者が二回に分けて華 厳経の語句を抽出していることが確認できる。
例えば、華厳経経文(巻59)に出現する「劬勞」の場合は、
示能忍劬勞勤修道故(新経、第59巻)
のように、経文本文に一箇所しか出現しないにもかかわらず、前半に、
【劬勞】即同巻下具注。(私記、第59巻)
とあって、後半に、
【能忍劬勞】劬、具虞反。『毛詩傳』曰:「劬勞、云病苦也。」勤劬勞倦猶 病苦也。(私記、第59巻)
とあり、『私記』が二回もそれを掲出して注記を施している。このように、『私 記』撰者が「劬勞」を二回経文から取り出したことを指摘することができ、こ の点は注意すべきである。
ここで、「離世間品第卅八之七」から「儔匹」までの9項目を「前半」と呼 び、「免濟」から「漿」までの19項目を「後半」と呼んで、論を進める。
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3. 2. 注文の内容
第59巻について調査を行い、その結果は表2のようになる。
まず、前半の注文には、
【五度爲繁密】舊經云:「五卷度爲枝條」也。(私記、第59巻、前半)
のような、新訳華厳経と旧訳華厳経とを対比しているものがあり、
【壍】美序。(私記、第59巻、前半)
のような、和訓注を付しているものがあって、その注文の長さは短くて簡略で あるという点が指摘できる。
次に、後半の注文を見ると、
【能忍劬勞】劬、具虞反。『毛詩傳』曰:「劬勞、云病苦也。」勤劬勞倦猶 病苦也。(私記、第59巻、後半)
のようなものが拾え、経文の対比と関わる語句が全く見出せないのである。そ れを先行資料に照らすと、
【能忍劬勞】劬、具虞反。『毛詩傳』曰:「劬勞、病苦也。」勤劬勞倦猶病 表1 『私記』巻59における標字の配列について
前半
標字 私記の配列 経文の順番 離世間品第卅八之七 1 1
劬勞 2 13
曲身低影 3 14
五度爲繁密 4 15
爲牆 5 18
壍 6 19
却敵 7 20
轂輞(備考1) 8 16
儔匹 9 21
備考1:『私記』は経文の「戒轂三昧輞」に出る「轂」「輞」を「轂輞」にして掲出している。
後半
標字 私記の配列 経文の順番
免濟 10 2
欣慰 11 3
圖書印璽 12 4
璽 13 5
弧 14 6
矢劍載 15 7
劍 16 8
戟 17 9
博弈 18 10
親戚 19 11
能忍劬勞 20 12
盈洽 21 17
乘巾 22 22
宴默 23 23
皎鏡 24 24
種德 25 25
菡萏花 26 26
娛樂 27 27
漿 28 28
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苦也。(慧苑、第59巻)
のように、慧苑音義に注文があって、『私記』がそれにもとづくことは明白であ る。なおかつ、
【爲牆】〻、可岐。(私記、第59巻、前半)
のように、前半に出る注文と比較した場合、それの長さは明らかに長いのであ る。
以上をまとめると、前半は、
○新訳華厳経と旧訳華厳経とを対比して注文を付している
○短い注文を記している という特徴を有し、後半は、
○主に慧苑音義などの先行資料を引いて経文を解説している
○より詳細な注文を施している
という特徴が指摘でき、両者の撰述方法が違っている。
表2 『私記』巻59における注文の出典について 前半
標字 注文の出典
離世間品第卅八之七 経文の対比
劬勞 独自注記
曲身低影 和訓注
五度爲繁密 経文の対比
爲牆 和訓注
壍 和訓注
却敵 和訓注
轂輞 和訓注
儔匹 不明
備考2:『私記』に出る「矢劍載」は、正しくは「矢劍戟」と作るべきか。
後半
標字 注文の出典
免濟 慧苑音義
欣慰 慧苑音義
圖書印璽 慧苑音義
璽 無注
弧 独自注記
矢劍載(備考2) 慧苑音義
劍 和訓注
戟 慧苑音義
博弈 慧苑音義
親戚 慧苑音義
能忍劬勞 慧苑音義
盈洽 慧苑音義
乘巾 慧苑音義 大治本新音義
宴默 慧苑音義
皎鏡 慧苑音義
種德 慧苑音義
菡萏花 慧苑音義
娛樂 慧苑音義
漿 和訓注
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3. 3. 和訓の型式
三保(1973)によれば、『私記』に存する和訓の提示型式に三様があるとい う。
具体的に言えば、
【齅】…倭云加久。(私記、第33巻)
のように、和訓の前に「倭言(云)」を付すもの(a類)と、
【式】音色、川則也。…(私記、経序)
のように、和訓の頭に「訓」を冠するもの(b類)と、
【示己】〻、於乃我。(私記、第7巻)
のように、何も提示を行わないもの(c類)、という三型である。
三保(1973)に従って、『私記』第59巻に出る和訓注は、その提示型式のう ち、どの類に属すのかについて調査を行った。次に、それを挙げて述べる。
【曲身低影】上、可〻末利。低、可多夫久。(私記、第59巻、前半、c類)
【爲牆】〻、可岐。(私記、第59巻、前半、c類)
【壍】美序。(私記、第59巻、前半、c類)
【却敵】矢倉也。(私記、第59巻、前半、c類)
【轂輞】上、己之岐。下、矢也。(私記、第59巻、前半、c類)
【劍】音、川大刀也。(私記、第59巻、後半、b類)
【漿】音將、川古美豆。(私記、第59巻、後半、b類)
右に示すように、前半に出る和訓注はすべて三保説のc類に属し、後半にあ る和訓注はいずれも三保説のb類に属すことが確認できる。
三保(1973)では、和訓の提示型式について、「a型及びc型和訓は、出典の 存在が推測せられるもの、b型和訓は、撰述者の自ら付したもの、と考える」
「出典については、a型和訓は音義書(狭義)、c型和訓は注釈書(狭義)・訓注 本の類が想定せられる」のように述べている。仮にそうだとすれば、『私記』撰 者が二段階に分けて語句を抽出した後、異なる撰述方法を以て和訓注を施した と考えられる。
4.『私記』の成立背景
なぜ『私記』が二段階に分けて語句を掲出し、また異なる撰述方法を以て注 文を施したのであろうか。私見では、『私記』の成立背景を踏まえて検討を行う ことが問題解決の重要な鍵を握っていると思っている。
この節の説明は少し複雑になるので、ひとまず諸先学の研究成果に頼って『私
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記』と東大寺との関係を説明しておく。
まず、『私記』には、巻上の表紙見返しに添えた紙に、序文ともいうべき「永 延識語」が記されており、そのうちに「馬道手箱」がある。小林(1978)では、
これについて、
この「馬道」について、人名とする説と場所・地名(奈良興福寺傍)と する説とがあるが、三保忠夫氏は、藤田平太郎氏藏玉篇巻十八之後分奥書・
聖語藏本唐寫阿毗達磨雑集論巻十四の表紙(東大寺方印もあり)などに、
「馬道」とあり、又、東大寺藏華嚴略疏刊定記巻十三の巻末端裏に「安宿廣 成」(東大寺寫經所經師)「石作馬道」の署名があることにも言及し、人名 説を採っている。
今般調査した、聖語藏本妙法蓮華經優婆提舍一巻(奈良時代寫、平安初 期訓點加點)にも表紙見返に「馬道」とある。この經巻は、その傳來と、
訓點(假名字體ルに「○」を用いる)とから東大寺のものと見られる。(資 料2)
のように、述べている。
また、『私記』の巻上・巻下の尾題の後ろに、それぞれ「信」の古朱方印が押 されている。小林(1978)では、これについて、
因みに、現存最古の訓點資料である華嚴經刊定記卷五(大東急記念文庫 藏)は卷末識語に、「延曆二年(七八三)十一月廿三日於東大寺與新羅正本 自挍勘畢」云々とあり、又、華嚴文義要決(紙背、東大寺諷誦文稿)は、
延喜十四年東大寺圓超撰の華嚴宗章疏幷因明錄に名が見えるもので、東大 寺との關係が考えられる。尙、この要決の卷末には「信」字の古朱方印が 捺されているが、同印は華嚴要義問答二卷(延曆十八年寫、延曆寺藏)に も、亦、小川家藏新譯花嚴經音義私記にも捺されてあって、山田孝雄博士 は、東大寺所藏華嚴關係の古書に存するものとされている。(資料3)
のように、説明している。
右の二点を根拠として、小林(1978)は、
ともあれ、新譯華嚴經音義私記が、奈良時代の天平勝寶頃がそれより半 世紀の間に、華嚴經學の東大寺、又はその系統の寺院で撰述されたと見る ことは無理ではないであろう。(資料4)
のように、『私記』と東大寺との密接な関係を指摘している。
上記は書誌学にもとづくものであり、以下は日本仏教史と関わる資料を引用 しつつ、論を進めよう。
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八〇447
新訳華厳経は、東大寺華厳宗の所依とする大乗仏教の経典である。新訳華厳 経を書写する行為がいつ始まったのか今のところわからない。だが、続日本紀・
第9巻には、
敬写華嚴經八十卷(続日本紀、第9巻)
とあるから、三保(1974)で指摘されたとおり、その書写は養老6年(722年)
元正天皇が詔をなさった時を下らぬであろう。
また、東大寺要録には、
能天平十二年庚辰十月八日、金鐘山寺奉爲聖朝、請審祥師初講花嚴經。
(中略)慈訓僧都、鏡忍僧都、圓証大德、請爲複師。請 十
六德爲聽衆、三
年講六十卷經。講師命終、則三複師請講師、各盡廿卷經了。次嚴智大德爲 講師、標瓊律師、性泰大德、爲複師、亦講六十經了。次智璟大德爲講師、澄叡大德、春福大德、爲複師講六十經并䟽廿卷了。奉始經之日、天朝幸行 盧舎那佛前、奉證彼講。自此以後、古經及䟽、新經及䟽、講 演
繁多不可
數量。(資料5)と残り、天平12年(740年)に、東大寺(金鐘山寺)において華厳経の講義が行 われ、その講義は完結するまでに三年間もかかったようである。また、「古經及 䟽新經及䟽」といった記述から推せば、当時、旧訳華厳経の講義が行われる際 に、新訳華厳経の講義も同時に行われたと考えられる。この点について、石田
(1930)でも、
先づ最初奈良朝時代に於ける華嚴宗は如何なる基礎に立つて居たか、云 ひ換へれば奈良の華嚴學は如何なる經籍を資として建立されて居たかを考 へて見たい。旣によく御存じの如く、凡そ華嚴學は大方廣佛華嚴經を正依 の經典として組織されたものであるが、然し華嚴經には舊譯旣ち東晋の佛 陀跋陀羅譯六十卷本と新譯旣ち唐の實叉難陀譯八十卷本と二通がある。當 時の華嚴學は其のいづれに依つて居たか。古來の傳説に依ると我が國最初 の華嚴研究旣ち審祥大德の天平八年金鐘道場の開講には、六十華嚴によつ てなされ、毎年二十卷宛すませて三年で滿講したと、其の後天平勝寳六年 鑑眞和尙により八十華嚴の傳へられて以來、新譯華嚴を合せ研究する樣に なつたと。然し乍ら今正倉院古文書によると、新譯華嚴も鑑眞和尙の將來 以前旣に天平十一年に書寫されてゐる事實がある。この事は、審祥大德の 初講は或は六十華嚴のみに依つたかもしれないが、其の滿講も翌年以後天 平の盛期を通してずつと新舊合せ研究された事實が想像されるのである。
(資料6)
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八一446
のように、根拠をあげて、旧訳・新訳華厳経の講義が同時に行なわれていたこ とを指摘している。
一方、『私記』第59巻の前半にも、
【五度爲繁密】舊經云:「五卷度爲枝條」也。(私記、第59巻)
のように、新訳華厳経と旧訳華厳経とを対比しているものも見られる。ここか ら推して、『私記』第59巻の前半は華厳経の講義を行った際に、書き終わったも のである可能性が高かろう。
次に、慧苑音義などの資料がいつ中国から日本に伝来したのかについては、
今のところ定説がない。『大日本古文書』を見ると、天平11年(739年)7月、
高屋連赤麻呂写経請本注文には、
新譯花嚴音義二卷(還送未写)(資料7)
と見える。また、天平19年(747年)6月の写経所解には、
○一切經音議ママ廿五卷 ○一切經音義廿四卷(沙門釋玄應撰)
○新譯花嚴音議ママ二卷
已上五十一巻音議ママ(並小乗)(資料8)
と残り、天平勝宝5年(753年)あたりの未写経律論集目録には、
一切經音義二十五卷 七百六十八紙 新釋ママ花嚴音義二卷 卌九紙 (資料9)
と残る。右は「新譯花嚴音義」などの文字が見られるから、いずれも日本では 慧苑音義と関わる記録であると考えられる。三保(1974)では、それらを根拠 にして、慧苑音義の流布は、天平勝宝年間のあたりであると推定している。
ところが、現存する史料を調べるとしても、慧苑音義を指南として講義を行っ た記録が見出せないのである。仮に、当初、慧苑音義を以て講義を行っていな いのであれば、
【弧】經爲弧。【矢劒載】弧、戸孤反。矢、箭耳反。【劍】音、川大刀也。
【戟】居逆反。弧、木弓也。弧、孤也。謂往多而來寡也。矢、箭也。戟有三 枝、〻皆兩刃、或中有小子、名雄戟。…(私記、第59巻)
のような『私記』第59巻の後半に出る項目は、華厳経の講義が終わった後、そ の作者が中国辞書を引いた上、付したものと考えてよかろう。
5.結論
本稿は、主に『私記』本文について、第59巻を例にして、
○標字の配列
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八二445
○注文の内容
○和訓の型式
の三つに分けて考察してきた。また、書誌学・仏教史と関わる古代資料と先行 研究とを以て分析を行い、『私記』の成立背景や過程について検討を行った。そ の調査結果をあらためてまとめると、以下のようになる。
○『私記』撰者が二段階に分けて語句を抽出し、異なる撰述方法を以て音 義を施した。
○前半の音義作業は、華厳経の講義で実行した可能性が高い。作業は新訳 華厳経と旧訳華厳経との違いを区別することや、訓注本を以て和訓注(c 類)を施すことなどに重点に置いた。
○当該する華厳経の講義が終わった後、『私記』の作者が中国辞書を参照し た上、後半の音義作業を実施したと思われる。また、そのうち、和訓注
(b類)が稀に見られるが、それは恐らく『私記』の撰者が独自に施した のものではないかと考えている。
なお、右の調査はいずれも小林(1978)・三保(1973)にもとづくものであ り、その結果は両氏の仮説とよく一致している。よって、ある意味では、本稿 は直接的に実例を分析することを通して、先学を検証した実証研究であると言 えよう。
結論は以上となるが、多少の補足が必要である。仮に本稿で取り上げた第59 巻のような例が『私記』の古態を保っているものであるならば、
十迴向品第五之九01 端量02 誕生03 迴向人尊功德位04 人尊者云05 邇遐06 遊行07 微笑08(私記、第31巻)
のような例は、むしろ『私記』撰者が新訳華厳経の音義を作ることを前提にし て、編纂基準をそれにおき、そもそも乱れていた標字を整理したと考えること もできる。ところが、材料となる華厳経経文が膨大なものであり、そこから該 当する語句を探し出すことが容易ではないのである。そのため、第31巻のよう な標字が少なければそれをうまく配列することができるかもしれないが、
不思議法品第卅三之下01 於一切方一切網一切旋一切種一切世界中而作佛 事02 示誕03 人王都邑04 毗舍闍王05 倮06 不鼓07 住不〻説劫08 信樂不回誠敬10 一時倶下11 不令其下12 則不能雨13 假使14 驚攝15 舍利09(私記、第47巻)
のように、標字が多ければ至難の作業となろう。したがって、『私記』において は、第47巻のような順序が少々乱れているものがよく見られる。それを『私記』
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八三444
の不統一・未整理な状態にあると理解するより、むしろその撰者が『私記』本 文をきちんと整理しなかったと考えたほうが自然ではないかと思っている。要 するに、『私記』が本文を整理する場合、相当に意図的な行為であり、その基準 についてもう少し深く探る必要があるが、今はすべて別の機会に譲ることとし て、本稿を終わる。
参考文献
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池田証寿(1986)「新譯華嚴經音義私記の性格」『国語国文研究』75号
池田証寿(1987)「新訳華厳経音義私記成立の意義 : 慧苑音義を引用する方法の検討を中心 に」、『訓点語と訓点資料』77輯
池田証寿(1988)「新訳華厳経音義私記について―先行音義との関係―」、『論輯 辞書・
音義』、汲古書院
石田茂作(1930)「寫經より見たる奈良朝佛教の研究」、『東洋文庫論叢第11』、東洋文庫 石塚晴通(1978)「新譯華嚴經音義私記索引」『新譯華嚴經音義私記 古辭書音義集成 第
1巻』、汲古書院
井野口孝(1974)「新訳華厳経音義私記の訓詁―原本系『玉篇』の利用―」、『文学史研 究』15号
井野口孝(1985)「『新訳華厳経音義私記』所引『玉篇』佚文(資料)」、『国文学』24号・25 号
岡田希雄(1939)「新譯華嚴經音義私記解説」『新譯華嚴經音義私記』、京都貴重図書影本刊 行会
岡田希雄(1962)「新譯華嚴經音義私記倭訓攷」、『國語國文』11巻3号
賈智(2011)「字体からみた『新訳華厳経音義私記』の撰述手法」、『語文研究』112号 賈智(2012)「『新訳華厳経音義私記』所引の字様について(1)― 用例の採集と考察
―」、『訓点語と訓点資料』128輯
賈智(2012)「『新訳華厳経音義私記』所引の字様について(2)― 用例の考察と分析
―」、『訓点語と訓点資料』129輯
賈智(2013)「『新訳華厳経音義私記』と『新華厳経音義』の「後紙」との関係について」、
『訓点語と訓点資料』130輯
小林芳規(1978)「新譯華嚴經音義私記解説」『新譯華嚴經音義私記 古辭書音義集成 第 1巻』、汲古書院
三保忠夫(1973)「新訳華厳経音義私記の和訓の類別」『国語学会昭和48年春季大会要旨』
三保忠夫(1974)「大治本新華厳経音義の撰述と背景」『南都仏教研究会』33号 梁曉虹(2015)『日本古寫本單經音義與漢字研究』、中華書局
梁曉虹(2018)『日本漢字資料研究―日本佛經音義』、中国社会科学出版社 テキスト
『新訳華厳経音義私記』…築島裕主編『新譯華嚴經音義私記 古辭書音義集成 第1巻』(汲 古書院、1978)所載の影印による。
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『新訳華厳経音義』…『大正新脩大正藏經』による。あわせて中華電子佛典協會(CBETA)
編テキストデータベースも利用した。
『新華厳経音義』…築島裕主編『一切經音義(上) 古辭書音義集成 第7巻』(汲古書院、
1980)および国際仏教学大学院大学学術フロンティア実行委員会編集「金剛寺藏 玄應 撰 一切經音義」『日本古寫經善本叢刊 第一輯 玄應撰 一切經音義 二十五巻』(国際仏教 学大学院大学、2006)所載の影印による。
『旧訳華厳経』…『大正新脩大正藏經』による。あわせて中華電子佛典協會(CBETA)編 テキストデータベースも利用した。
『新訳華厳経』…『大正新脩大正藏經』による。あわせて中華電子佛典協會(CBETA)編 テキストデータベースも利用した。
[附記]本稿は、高山倫明先生の御指導のもとに、第116回訓点語学会研究発表会(2017年 5月21日、京都大学)において発表した内容に加筆・修正を加えたものである。席上 その他で、池田証寿先生、石塚晴通先生、大槻信先生、小助川貞次先生、月本雅幸 先生、宮澤俊雅先生(五十音順)に貴重な御意見を頂戴し、記して感謝申し上げる。
本研究は中華人民共和國教育部人文社會科學青年基金項目「日本古文獻漢音註釋 輯錄與研究」(項目編號:20YJCZH054)、中華人民共和國廣東省哲學社會科學規劃項 目「日本漢字音資料集成與整理研究」(項目編號:GD18CZW04)の助成を受けたも のである。
(か ち・中山大学中国語言文学系(珠海)准教授)
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八五442
The Origin and Process of compiling the Sound and Meaning of Early Japanese Buddhist Scriptures from
the Perspective of Layout
——Take Ogawaʼs Notes of Sound and Meaning of Retranslated Avatamsaka Sutra as an Example
Jia Zhi
Abstract: The book of sound and meaning is a kind of traditional study on linguis- tic documents with phonetic annotation for Buddhist scriptures,its objects are mostly Buddhist classics
(internal classics)and Confucian classics
(external clas-sics). The sound and meaning of Buddhist scriptures first appeared in the Wei and Jin Dynasties, flourished in the Sui, Tang and Five Dynasties, and spread to Japan very early. In the Nara period of Japan
(710-794),in order to interpret Buddhist scriptures, Japanese monks imitated the sound and meaning of traditional Buddhist scriptures in China and compiled many Japanese Buddhist scriptures. Among them, Ogawaʼs Notes of Sound and Meaning of Retranslated Avatamsaka Sutra was written at the late Nara era in Japan, which is the oldest existing sound and meaning of Bud- dhist Scripture in Japan.When interpreting the words, phrases, and sentences in the Retranslation of Avatamsaka Sutra, the Japanese monk cited Notes of Sound and Meaning of Retranslated Avatamsaka Sutra
(written by Hui Yuan)and the New Notes of Sound and Meaning of the Avatamsaka Sutra Scripture
(written by theJapanese monk), Yiqiejing Yinyi
(written by Xuan Ying),Yu Pian(written by Guye Wang), Zi Yang books and other materials. In these books, there are not only the early handwritten versions of handed down words books, but also the precious ver- sions that have been lost for a long time, which have high value of literature colla- tion.This article analyzes the layout of Ogawaʼs Notes of Sound and Meaning of Re- translated Avatamsaka Sutra
,and found that part of this book may have been completed during expound Buddhist sutras . It seems to be different from the writ- ing process of Chinese traditional sound and meaning of Buddhist scriptures. The above findings can provide necessary empirical evidence for the research on the ori- gin and process of the sound and meaning of early Japanese Buddhist scriptures, and it is also helpful to understand Japanese monksʼ learning attitude and excerpting habits of Chinese classics.
Key words: The sound and meaning of Japanese Buddhist scriptures;Nara Buddhism; Avatamsaka school;Ogawaʼs Notes of Sound and Meaning of Retranslated Avatamsaka Sutra
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八六441
从体例角度看日本早期佛典音义的编纂缘起及其过程
——以小川本《新译华严经音义私记》为例
贾 智
摘要 :音义是注音释义的传统小学著作,对象多为佛教经典(内典)、儒教经典
(外典)。佛典音义初见于魏晋,兴盛于隋唐五代,很早便东传日本。日本奈良时 代(710-794)日僧为了解读佛教经典,模仿中国传统佛典音义编纂了多部日本佛 典音义。其中,小川本《新译华严经音义私记》成书于日本奈良时代末期,系日 本现存最古老的佛典音义。日僧在解读武周新译八十卷《华严经》中的单字、词 组、语句时,援引了《新译华严经音义》(慧苑撰)、《新华严经音义》(日僧撰)、
《一切经音义》(玄应撰)、《玉篇》(顾野王撰)、字样书等多种材料。其中,既有 传世字书的早期写本,也有早已散佚的稀见珍本,具有较高的文献校勘价值。本 文通过分析小川本《新译华严经音义私记》的体例特点(词条排列、释文内容、
和训类别),发现该书中的一部分内容可能是在讲经过程中完成的,这一点与中国 传统佛典音义的成书过程似有不同。上述发现可以为考证日本早期佛典音义的编 纂缘起及其过程提供必要的实证依据,对于了解日僧对中国典籍所持的学习态度 以及摘抄习惯也有一定帮助。
关键词 :日本佛典音义 ;奈良佛教 ;华严教学 ;小川本《新译华严经音义私记》