石橋湛山の秩序観と家族のアナロジー : 小日本主 義からの離脱
著者 及川, 英二郎
雑誌名 東京学芸大学紀要. 人文社会科学系. II
巻 57
ページ 155‑169
発行年 2006‑01
その他の言語のタイ トル
Ishibashi Tanzan s view of social order and the analogy with family
URL http://hdl.handle.net/2309/1160
はじめに
一九三一年一〇月︑石橋湛山は﹃東洋経済新報﹄誌上に﹁非合法傾向愈よ深
刻化せんとす﹂と題する社説を載せ︑深まる社会不安について次のように警告
している︒︵以下︑東洋経済新報社刊﹃石橋湛山全集﹄からの引用は基本的に
巻数と頁数のみで指定した︒︶
﹁世の中で何が最も憂うべきかと云うて︑国民が政治に信任を失えるに勝っ
て憂うべき事は恐らくない︒一家の主人が放埒にして家族の幸福は思わず︑
勝手の所業を恣にすれば︑家族の心も亦荒みて︑妻は妻︑児は児で勝手の
所業に出で︑はては奉公人までが主家の財を胡麻化すに至り︑其家の遂に
亡びざれば已まざるが如く︑国に於けるも亦同様だ︒﹂︵⑧三五︱三六︶
議場暴動や争議の残虐化︑クーデター未遂︑そしてそれに対する為政者の無為
無策︒この社説は︑そうした一連の事態に警鐘を鳴らしたものであるが︑それ
を石橋が︑家族の解体になぞらえて説明している点にここでは注目したい︒
この時期︑石橋の危機感が︑尋常ならざる様相で高揚していたことは︑上記
の社説のほか︑﹁国を挙げて非合法化せんとす﹂︵一九三一年二月一四日︶﹁近
来の世相ただ事ならず﹂︵一九三一年四月一八日︶といった社説の表題を見て も看取されよう︒﹁今の我国は︑有史以来稀に見る危機に立てることを断言す
る﹂︵⑧三六︶︒これは︑この時期の石橋のいつわらざる実感だったにちがいな
い︒
こうした危機感の背景には︑いうまでもなく昭和恐慌と満洲事変という︑内
外を席巻する激動があった︒そして︑その過程で石橋の主張は︑金本位制度を
前提にした新平価解禁論から︑管理通貨制度への移行と不可分な金輸出再禁止
論へと転換する︒それは石橋にとって︑戦後のケインズ主義的な財政政策へと
踏み出す重要な一歩であったと同時に︑年来の主張である﹁小日本主義﹂を放
棄 1し︑軍事費の効用をも主張するな 2ど︑従来のスタンスを後退させていく過程
でもあった︒石橋にとって︑この一九三〇年代初頭の危機が︑大きな画期とし
て刻印されたであろうことは想像に難くない︒
重要なことは︑そうした決定的な場面にあって︑自らの所論を正当化するに
際し︑石橋が家族のアナロジーを用いているという事実である︒それはたしか
に︑読者を説得するための方便にすぎなかっただろう︒しかし︑同時にそれは︑
このいわば外すことのできない場面にあって︑決して不用意に用いられた方便
ではなかったはずである︒そのことの意味を︑軽視すべきではない︒
﹃ジェンダーと歴史学﹄の著者ジョーン・W・スコットは︑同書で﹁社会関
係の構成要素﹂としてのジェンダー概念に加え︑﹁社会関係を正当化し構築す 石橋湛山の秩序観と家族のアナロジー
︱︱小日本主義からの離脱*︱︱
及川英二郎
︵人文科学講座・歴史︶
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る﹂ジェンダー概念を︑﹁相互に関係があるが︑⁚⁚明瞭に区別されなければ
ならない﹂命題として強調している︒前者が︑性差にもとづく権力関係の諸相
を示すのに対し︑後者は性差と関係するとは限らない権力関係が︑性差のアナ
ロジーを使っていかに構築されているかを示すものにほかならない︒この場合︑
ジェンダー概念は︑﹁権力関係を表す第一義的な方法﹂であり︑﹁人間の相互関
係の複雑なつながりを理解する手だて﹂として機能す 3る︒
本稿は︑スコットのこの後者の提言に学びつつ︑小日本主義を軸にした石橋
の秩序観において︑家族のアナロジーがいかに機能していたのかに着目するも
のである︒
ただし︑石橋の場合︑家族のアナロジーは︑男女の性差を明示する形で用い
られていたわけではない︒だが︑このことは決して︑石橋において男女が同等
に観念されていたことを示すものでもない︒後述するように︑石橋が脱植民地
化する中国を﹁駄々っ子﹂と見なし︑不平等条約撤廃のタイミングと手続きに
苦言を呈したさい︑中国を
!
子供"
あつかいすることの不当性と同時に︑問われるべきはその秩序観における女性アナロジーの不在であろう︒脱植民地化の
当否という文脈では︑親と子の関係としてしか説明されない世界像に︑女性ア
ナロジーがどう作用し得るのか︒後述するように︑不可視化された女性の存在
は︑石橋の小日本主義における植民地の位相と無関係ではない︒本稿は︑そう
した家族のアナロジーに支えられた秩序観が︑十五年戦争期に入って動揺し︑
石橋がかかるアナロジーもろとも小日本主義を離脱する過程をスケッチするも
のである︒
ところで︑石橋に関する研究は戦後︑長幸男による新平価解禁論の再評価に
発し︑京大人文研の共同研究で本格化した︒その後︑松尾尊を中心に︑内政
と外交をつなぐ内在的な理解が深められ︑一九八〇年代以降は︑外交論を中心
とした増田弘の研究や︑経済論を加味した姜克実の研究など︑松尾を補完する
研究が蓄積された︒姜の研究は︑こうした再評価の流れをバランスよく完成さ
せた到達点といえるだろう︒また︑これらの過程で切り口も多様化し︑戦後の
石橋についても近年︑本格的な分析が行われるようになっ 4た︒
しかし︑そのなかで︑長や松尾がもっていた当初の緊張感が薄れていったこ
とも事実である︒別稿でふれたよう 5に︑一九六〇年代末から七〇年代にかけて︑ 石橋の再評価が着手されたころの関心は︑近代化論と講座派マルクス主義史学
との狭間にあって︑戦後民主主義の歴史的な前提をどこに求めるかといった点
にあった︒しかし︑その後︑そうした再評価が主流化し︑大正デモクラシー研
究において通説的な地位をしめると︑マルクス主義史学の後退とも相まって︑
石橋を手放しで賞賛する傾向が強まったことも否定できない︒そのため︑結論
こそ良心的ではあれ︑叙述構成そのものは歴史修正主義者のそれと近接する事
例も見られるようになった︒近年︑石橋の
!
看板"
が歴史修正主義者によって横領される背景には︑一九二〇年代の議論を評価するにあたって︑それを無批
判に今日の状況に適用しようとする無防備な姿勢があることも︑看過すべきで
はないだろ 6う︒
そうしたなかで現在︑リベラリズムそのもののもつ問題性や︑小日本主義の
非現実性を指摘する研究︑あるいは石橋の民衆観からその所論の不安定性を析
出する研究など︑批判的視点をもちこむ作業が着手されつつあ 7る︒石橋研究は
今や︑再批判の段階に入ったといってよいだろう︒その背景には︑
!
前近代的な近代日本
"
という︑いわゆる!
世界史の基本法則"
に則った時代認識の後退があることはいうまでもない︒前近代的な社会にあって︑近代合理主義的な思
考の持ち主は︑それだけで評価に値した︒今日も根強い
!
湛山人気"
の背景には︑依然としてそうした時代認識の残滓を見ることができるであろうし︑逆に
近年︑石橋に対する再批判が可能になるのは︑そうした時代認識から相対的に
自由になったことと無関係ではない︒
むろんそうした再批判は︑大正デモクラットの限界を︑所詮ブルジョア民主
主義者だったとあげつらう︑旧来型の批判に逆戻りすべきものではな 8い︒石橋
を︑近代社会のもつ多面的な権力関係のなかで批判すること︒そのことが今日︑
当事者の神話化と偶像化を排し︑﹁自由主義﹂の詐称を拒否する有効な方策と
なるであろう︒かかる観点から本稿は︑石橋の所論の変化を追うことで︑近代
社会の抑圧性と不可分な家族観と︑それに支えられた小日本主義の無効性を明
らかにするものであ 9る︒それは︑従来のように︑石橋の変わらぬ
!
本質"
をどこかに設定してその当否を論ずるものではなく︑所論の変化そのもののなかに
当事者のリアリティを見出そうとする作業にほかならない︒