「高倉院御筆御八講初座表白」の特徴 : 「高倉天 皇奉為前建春門院被修法華八講御願文」との比較に 於いて
著者 滝沢 優子
雑誌名 同志社国文学
号 76
ページ 1‑10
発行年 2012‑03‑20
権利 同志社大学国文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013304
「 高 倉 院 御 筆 御 八 講 初 座 表 白 ﹂ の 特 徴
﹁ ︱
高 倉 天 皇 奉 為 前 建 春 門 院 被 修 法 華 八 講 御 願 文
﹂ と の 比 較 に 於 い て ︱
滝 沢 優 子
一︑
﹃拾 珠抄
﹄の 巻一 の第 一に 収め られ てい るの が﹁ 高倉 院御 筆御 八 講﹂ の表 白で ある
︒初 座表 白の 作者 は︑ 当時 権僧 正で あっ た公 顕で ある
︒さ て︑ この 表白 は安 元三 年七 月︑ 高倉 院が 前年 逝去 した 生母 建春 門院 の為 に催 した 法華 御八 講に 際し 作成 され たも ので ある
︒猶
︑ 亡き 建春 門院 の供 養の 為に 高倉 院は 法華 経全 一部 八巻
︑及 び般 若心 経︑ 阿弥 陀経 を手 づか ら書 写し てい る︒ この
﹁高 倉院 御筆 御八 講﹂ と﹃ 拾珠 抄﹄ 中に 称さ れる 今上 の御 願に よる 盛儀 にか かる もの とし て︑ 藤原 永範 作﹁ 高倉 天皇 奉為 前建 春門 院被 修法 華八 講御 願文
﹂が 挙げ られ る︒ この 願文 は本 来﹃ 願文 集﹄ なる 書物 に収 めら れて いた らし いが
︑現 在﹃ 願文 集﹄ は散 逸し
︑ま とま った 形で 見る こと は出 来な い︒ しか し︑
﹃本 朝文 集﹄
︵国 史大 系編 集会 編﹃ 国史 大系
﹄所
収︶ によ って
︑呪 願文 とと もに その 内容 を知 るこ とが でき る︒ また
︑
﹃本 朝文 集﹄ には 建春 門院 の四 十九 日の 法要 時の 願文 も﹁ 後白 河天 皇為 建春 門院 中陰 忌修 法会 願文
﹂︵ 藤原 成光 作︶ とし て収 めら れて おり
︑﹁ 高倉 院御 筆御 八講 表白
﹂読 解の 参考 とす るこ とが 出来 る︒ 本論 はこ れら 願文 を参 照す るこ とに より
︑表 白文 の表 現の 特徴 を考 察す るも ので ある
︒猶
︑異 本と して 東大 寺蔵
﹁高 倉院 御八 講初 座啓 白等
﹂と
︑﹃ 天台 宗全 書﹄
︵刊 本︶ も︑ 参照 の対 象と し︑ 本文 中で は︑
﹁東 大寺 本﹂
﹁天 台全 書﹂ と略 する もの とす る︒ また
︑願 文に つい て は︑ 一句 ごと に通 し番 号を 付し
︑参 看の 一助 とし た︒ 表白 につ いて は︑
﹁実 相院 本﹂ の丁 数と 行数 を適 宜付 すも のと する
︒ま た︑ 字体 は︑ 基本 的に 現行 通用 の字 体に 適宜 改め
︑返 り点 は省 略し てい る︒
「表 白﹂ は音 声に よっ て享 受さ れ︑
﹁願 文﹂ は目 で読 むこ とを 前提 とし て書 かれ ると いう 指摘 もあ るが
︑﹁ 高倉 院御 筆御 八講
﹂の 儀式
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
一
の進 行を
﹃玉 葉﹄ によ って 確認 する 限り
︑願 文も 読み 上げ られ てお り︑ 表現 の違 いを 享受 の方 法だ けに 求め るこ とは 難し い︒ また
︑
﹁表 白﹂ は学 僧の
︑﹁ 願文
﹂は 儒者 の手 にな ると いう 作者 の立 場の 違 いは ある けれ ども
︑﹃ 本朝 文粋
﹄に は前 中書 王作 の﹁ 表白
﹂が あり
︑ 必ず しも 明確 な住 み分 けが なさ れて いた わけ では ない
︒ 近年
︑山 本真 吾氏 が﹁ 表白 は︑ 法会 の始 めに 僧侶 がそ の趣 旨を 会 衆に 告げ る言 説を 言い
︑願 文は 同じ く仏 教法 会の 場に あっ て︑ 主催 者︵ 発願 者・ 施主
︶自 身の 願意 を言 い表 す文 章で ある①
﹂と
︑明 確に 分け られ た通 り︑
﹁高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ と﹁ 高倉 天皇 奉為 前建 春門 院被 修法 華八 講御 願文
﹂と を比 較し た時
︑ま ず最 も大 きな 違い は第 一人 称の 違い であ る︒
﹁願 文﹂ は藤 原永 範の 作で はあ るが
︑ 御筆 御八 講の 発願 者で あり
︑施 主で ある 今上
︵高 倉天 皇︶ が第 一人 称で ある
︒一 方﹁ 表白
﹂の 方は
︑そ の作 者が 作者 自身 の立 場か ら述 べる ため
︑今 上を
﹁我 君﹂ と呼 んで いる のが 確認 でき る︒ この 違い は当 然︑ 高倉 天皇 の行 為を 述べ る表 現に も波 及し
︑願 文で は﹁
︶55 課眇 身︒
︶奉 書写 紺紙 金泥 妙法 蓮華 経一 部八 巻﹂ は︑ 表白 では 56
﹁振
宸筆
/奉 書写 金字 妙法 花妙 典一 乗之 真文
﹂︵ オ 行 目~ 行11 目︶ に︑ 願文 の﹁
︶抑 伏窺 旧記
︒
︶倩 廻冲 襟﹂ に相 当す る内 容 73
74 を表 白で は﹁ 凝白 業於 叡慮
/抽 丹誠 於玉 体﹂
︵ オ 行目
~ 行目
︶ と表 現す るな ど︑ 施主 の高 倉天 皇も 敬意 の対 象と され てい る︒
﹁実
相院 本﹂ にあ って は︑
﹁宸 筆﹂ の上 を一 文字 分空 白に する 諱字 が行 われ
︑か つ︑ 漢文 の文 脈か ら外 れて 所々
︑﹁ 御︵ おは しま す︶
﹂﹁ 奉﹂
﹁思 食﹂
﹁給
﹂な どの 細字 の書 き込 みが ある こと が確 認で きた
︒こ れ らこ そ︑ 山本 信吉 氏が
﹁お もね る文 体②
﹂と 評さ れて いる もの の実 例 であ ろう
︒猶
︑﹁ 実相 院本
﹂と
﹁東 大寺 本﹂ との 間に
︑合 致し ない 例が 少な くな い︒ ここ から 推察 でき るこ とは
︑流 派に よる 読み 方の 違い の他
︑実 際の 儀式 の中 では
︑書 かれ たも の以 上に 敬語 が声 に出 され てい た可 能性 であ る︒ 導師 は︑ 説草 を読 み上 げる 際は
︑場 の空 気︑ 聴衆 の反 応の 変化 を肌 で感 じな がら
︑敬 語を 補っ てい たの かも しれ ない
︒ 二︑ 第二 に願 文と 比較 して 特徴 的な のは
︑表 白に は日 時へ の言 及が あ るこ とで ある
︒﹁ 高倉 院御 筆御 八講
﹂は
︑結 願を 建春 門院 の逝 去し た七 月八 日の 正日 に合 わせ て開 催さ れて いる が︑ 七月 五日 の初 座の 表白 には
﹁一 周忌 之光 陰将 満﹂
︵ ウ 行目
︶︑ 七月 七日 の六 座に は
﹁明 日是 一周 忌満
﹂︑ 七月 八日 の結 座表 白に は﹁ 今日 者聖 霊遷 化正 日 也﹂ と︑ 法会 の進 行の 日時 を言 い表 して いる
︒表 白の
﹁場 への 密着 性③
﹂を 裏付 ける もの であ る︒ 猶︑ 公顕 の初 座表 白に はこ の他 に﹁ 軸何 宝/ 龍女 一顆 之玉 加七
/
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
二
紐何 珍/ 梵天 三銖 之衣 割八
﹂︵ オ
行目
~ 行目
︶﹁ 七覚 八正 者西 12 13 方内 証也
﹂︵ ウ 行目
︶と
︑建 春門 院の 正日 を章 句に 織り 込む 技 10 法も 見ら れる
︒そ の日 その 時そ の場 に集 う人 々は
︑当 時性 を捉 えた 表現 に殊 更の 興趣 を覚 えた こと であ ろう
︒更 に言 えば
︑初 座表 白の 導入 部に ある
﹁増 行涙 巫女 台之 雨﹂
︵ オ 行目
︶は
︑定 形表 現で 11 ある と同 時に
︑当 日の 天候 に触 れた 表現 でも あろ う︒
﹃玉 葉﹄ によ れば
︑御 筆御 八講 の行 われ た七 月五 日か ら八 日ま で の四 日間 の天 候は 全て 雨で ある
︒澄 憲に よる 結座 表白 の﹁ 今日 者聖 霊遷 化正 日也
/空 陰愁 気覚
/雨 降別 涙覚
﹂に あっ ては
︑当 日の 天候 を言 うも のに 他な るま い︒ 現実 の雨 音を 聞く 聴衆 に︑ 丁度 一年 前の 別れ の悲 涙を 思い 起こ させ るの であ る︒ 想像 を逞 しく すれ ば︑ もし この 期間 が晴 れて いれ ば別 の表 現が なさ れて いた ので はな いか
︒日 時や 天候 とい った
﹁場 への 密着
﹂が 表現 を左 右し
︑音 声に 発せ られ てよ うや く完 成を 見る が故 に︑ 表白 を書 き記 した もの は﹁ 説草
﹂な ので あろ う︒ さて
︑こ のよ うな
﹁場 への 密着
﹂は
︑そ の齋 会が どこ で行 われ た か︑ にも 言及 する
︒事 前に 用意 され る願 文と 比較 する と︑ 特徴 的と 言え るだ ろう
︒当 該﹁ 願文
﹂中 で︑ 場に 触れ てい るの は︑
﹁
︶設 86 大会 於中 禁﹂ とあ る箇 所の みで ある
︒会 場の 急な 変更 にも 対応 する ため
︑対 句表 現の 外に 措か れ︑ 意匠 を凝 らし た美 文の 中に は組 み込
まれ てい ない
︒も っと も︑ 公顕 の手 にな る﹁ 初座 表白
﹂も
︑終 盤
﹁擺 聖霊 御平 日入 内御 所為 道場
︒展 開講 演説 謝徳 之斎 莚﹂
︵ オ 行 10 12 目~
行目
︶と
︑閑 院を 建春 門院 が入 内し た御 所と して
︑簡 単に 触 13 れて いる に留 まる ので ある が︒ この こと は︑ 政治 的背 景も あり
︑御 八講 の道 場が 直前 まで 決ま らな かっ た為 と考 えら れる
︒こ の点 につ いて は︑ 後稿 に譲 るこ とと する
︒今 は﹁ 場﹂ への 言及 の例 とし て︑ 同じ く﹃ 拾珠 抄﹄ に収 めら れて いる 弁暁 の﹁ 六座 表白
﹂︑ 澄憲 の
﹁結 座表 白﹂ にお ける
︑﹁ 場﹂
︵こ こで は閑 院が それ に当 たる
︶の 称 賛の 章句 を挙 げて おく
︒
﹁延 喜聖 主︒ 延長 三年
︒為 資先 后菩 提写 八軸 妙典
︒展 供養 於勤 修 之道 場︒ 未及 禁中 之斎 会︒ 仍︒ 道儀 無備 叡覧
︒法 音不 達天 聴︒
﹂︵ 六 座表 白︶
﹁上 勝延 喜之 跡︒ 彼城 外修 法会
︒是 禁中 披斎 筵︒
﹂︵ 六座 表白
︶
﹁諒 闇有 儀禁 闕忽 改︒ 兼帷 追善 無他
︒﹂
︵結 座表 白︶ いず れも
︑禁 中︵ 里内 裏で ある 閑院
︶で 御八 講を 開催 した こと を︑ 醍醐 天皇 の先 例に 勝る もの とし て︑ これ を讃 えて いる
︒ 初日 に読 み上 げら れる
﹁初 座表 白﹂ にあ って は︑ 会場 の決 定か ら 儀式 開催 まで の期 間が 短す ぎ︑ つま り初 座表 白の 作成 時間 に限 りが あり
︑触 れる こと が出 来な かっ たも のが
︑開 催三 日目
︑四 日目 にな って
︑よ うや く表 現の 中に 取り 込む こと が出 来た 為と 思わ れる
︒
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
三
三︑ 日時
︑天 候︑ 場に 対す る表 現の 差異 の他
︑表 白と 願文 の違 いと し て挙 げた いの は︑ 人名 の扱 い方 であ る︒ 先例 の扱 い方
︑と 言う べき か︑
﹁初 座表 白﹂ に﹁ 韋提 希夫 人﹂
﹁則 天武 后﹂ が女 人成 仏の 先例 とし て出 され てい るの が目 を驚 かす
︒韋 提希 夫人 は西 方浄 土に 関わ りの 深い 女性 では ある し︑ 則天 武后 も仏 教を 保護 し︑ 皇帝 に即 位し た際
︑﹃ 大霊 経疏
﹄を 編纂 させ
︑自 らを 転輪 聖王 や弥 勒菩 薩の 下生 と称 した 事跡 もあ るか ら④
︑全 く故 無し と はし ない
︒或 いは
︑最 勝王 院を 建立 した 建春 門院 と比 肩す るに は︑ 武后 の他 に適 当な 人物 がい なか った ため かも しれ ない
︒ もう 一人 の︑ 韋提 希夫 人に して も︑ 現代 人の 感覚 から する と︑ 不 穏な 印象 が強 い女 性で はな いだ ろう か︒ 韋提 希夫 人に 建春 門院 を当 ては めれ ば︑ 父殺 しの 子に 高倉 院が 相当 する こと にな り︑ 他意 を疑 われ 兼ね ない ので はな いか と懸 念さ れる のだ が︑
﹁国 母﹂ とい う共 通項 によ って
︑韋 提希 夫人 も則 天武 后も
︑建 春門 院を 比す るに 抵抗 のな い程 の︑ 表現 とし ての 定着 を見 てい たの であ ろう か︒ さて
︑一 方の
﹁高 倉天 皇奉 為前 建春 門院 被修 法華 八講 御願 文﹂ 及 び﹁ 同呪 願文
﹂に は︑ それ らに 該当 する 表現 は無 い︒ 但し
︑
︶旧 97 日慈 恩之 陪妾 侍女
︑
︶在 簾中 而泣 聞法 音と は︑
﹃観 無量 寿経
﹄中 98
の︑ 韋提 希夫 人の 侍女 ら五 百人 が菩 提心 を起 こし た事 を踏 まえ た表 現で あろ うか ら︑ 西方 浄土 への 往生 を祈 るこ との 心情 は同 じで ある
︒ しか し︑ 韋提 希夫 人そ の人 の名 は出 され ない
︒ま た︑ 前年 の四 十九 日法 要に 供さ れた
︑建 春門 院の 追善 願文 であ る﹁ 後白 河天 皇為 建春 門院 中陰 忌修 法会 願文
﹂に は︑
﹁引 摂聖 霊︒ 速飛 金剛 之実 輅矣
︒迎 十万 億土 之西
︒﹂ とあ り︑ やは り観 無量 寿経 の場 面を 念頭 に置 いた 表現 はあ るも のの
︑韋 提希 夫人 の名 が直 截に 表さ れる こと はな いの であ る︒ 追善 供養 の願 文は
﹃本 朝文 粋﹄
﹃本 朝続 文粋
﹄﹃ 菅家 文草
﹄﹃ 本朝 文集
﹄に 多数
︵室 町期 まで の作 を対 象︒ 願文
本︵ 呪願 文︑ 諷 誦文 を含 めれ ば 本︑ うち
︑追 善の 対象 が女 性で ある もの 本︶
︑の 願文 が収 めら れて いる が︑ 韋提 希夫 人の 名を 用い てい るの は︑ 管見 の限 りで は 例の みで ある⑤
︒則 天武 后に 至っ ては
︑一 例も 見出 すこ とは 出来 なか った
︒ これ は︑ 四六 駢儷 体が 基本 であ る願 文に
︑こ うし た具 体的 な人 名 は︑ 字数 の制 限か らも 据わ りが 悪い 場合 が多 いと いう 単純 な理 由に も因 るの であ ろう
︒ しか しな がら
︑公 顕の
﹁初 座表 白﹂ にあ るよ うに
︑韋 提希 夫人 を 先例 とし て真 っ向 から 取り 上げ る態 度は
︑願 文に は無 いも のと 言っ てよ い︒
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
四
表白 は聴 衆の 心を 惹き つけ る為 のア トラ クシ ョン 的要 素も 必要 と され
︑こ うし た意 外性 のあ る人 名を 用い ると いう よう な︑ 際ど い表 現も 許さ れて いた ので あろ うか
︒ 四︑ 表白 と願 文を 比較 した 時︑ 内容 の他 に表 記の 仕方 にも 違い があ る こと を付 記し てお かな くて はな らな い︒ 願文 が完 全な 漢文 体で ある のに 対し
︑表 白文 は和 化漢 文︵ 変体 漢 文︶ であ る︒ 正確 を期 すな らば
︑和 化漢 文を 更に 口語 に近 付け た文 体で ある
︒こ れは
︑表 白が 説草
︑す なわ ち読 み上 げる 為の 台本 とい う性 格が よく 表れ たも のと いえ る︒ 先に 挙げ たよ うに
︑﹁ 奉﹂
﹁給
﹂
﹁思 食﹂ など
︑漢 文で は表 しに くい 敬語 を︑ 細字 にて 書き 添え る工 夫が 一つ であ る︒ しか し︑ そう した 例と は別 に︑ 和化 漢文 の本 文そ のも のが
︑読 み 上げ られ る和 語に 引き 寄せ られ る形 で書 き記 され た文 章が ある
︒ これ は﹁ 実相 院本
﹃拾 珠抄
﹄﹂ ウ
行目
~ ウ 行目 にあ る︒ 14
① 観世 音菩 薩光 中顕 現御 覧︵ ウ
行目
︶ 14
②⁝ 衆幾 許奉 帰命 随喜 御覧
︵ オ 行目
︶
③ 奉讃 歎希 代御 願御 覧︵
オ 行目
︶ 12
④ 君恩 徳難 謝申 奉悦 給覧
︵ ウ 行目
︶
いず れの
﹁~
︵御
︶覧
﹂も
︑動 詞で はな く︑ 推量 の助 動詞
﹁︵ おは しま す︶ らん
﹂と 訓じ る︒
﹁東 大寺 本﹂
﹁天 台全 書﹂ では 判別 しに くい のだ が︑
﹁実 相院 本﹂ は︑ 基本 的に 章句 の切 れ目 で改 行す る書 き方 であ るの で︑ 書き 手の 意図 が明 白で ある
︒﹁ 覧﹂ が動 詞で あれ ば︑ 行の 上部 に書 かれ るは ずで ある が︑ この 四例 はす べて 行の 末部 に置 かれ てい る︒ 訓み 下せ ば次 のよ うに なる だろ う︒
① 観世 音菩 薩の 光中 に顕 現し おは しま すら ん︒
②
︵海 会の 聖︶ 衆の 幾許 か帰 命随 喜し おは しま すら ん︒
③ 讃歎 希代 の御 願を 奉り おは しま すら ん︒
④ 君の 恩徳 は謝 し申 し難 く悦 び奉 り給 ふら ん︒ また
︑④ の﹁ 給覧
﹂は
︑﹁ 東大 寺本
﹂で は﹁ 御覧
﹂と 表記 され て いる
︒ま た︑
﹁於 如来 大会 之中 定施 面目 給ラ
︵ム
ウ 行目
︶に つい ても
︑﹁ 東大 寺本
﹂で は︑
﹁⁝ 定施 面目 御覧
﹂と 表記 され てい る︒ 表白 の表 記は
︑和 化漢 文の 中で も︑ とり わけ 語る 言葉 に傾 いた も のと いえ よう
︒但 し︑ その 表記 の仕 方は 統一 性に 乏し く︑ これ を読 みこ なす には
︑相 当の 熟練 が必 要だ った と思 われ る︒ 猶︑
﹁実 相院 本﹂ の書 写の 姿勢 は︑ 本来 の表 白の 形態 まで も復 元 しよ うと した もの では なか った か︒ 儀式 の中 で読 み上 げる 際の 利便 性を 向上 させ るに は︑ 句ご とに 分け て書 き記 さざ るを 得な い︒ 単に
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
五
文案 とし て︑ 参照 に資 する こと だけ を目 的と した もの とは 違う 意識 が働 いて いた よう に思 われ る︒ 五︑ 表白 は読 み上 げら れ︑ 語り かけ られ て完 成す るも ので ある ため
︑ 言葉 の調 子を 整え るこ とに 意を 用い るも ので ある
︒但 し︑
﹃玉 葉﹄ に記 録さ れた 所を 見る と︑ 願文 も表 白に 続い て講 師に よっ て読 み上 げら れて おり⑥
︑願 文も 音調 に無 関心 であ った とは 思わ れな い︒ 例を 挙げ れば
︑
︶遠 則延 喜天 暦之 聖主
︒
︶近 又長 保長 治之 明王
︒は
︑ 75
76 端正 な対 句表 現で ある 上︑
﹁エ ンギ
・テ ンリ ヤク
﹂の 撥音 の連 続︑
﹁チ ヤウ ホウ
・チ ヤウ ヂ﹂ の拗 音の 重な りも 見事 であ る︒ 表白 の方 も︑ ここ は﹁ 尋古 風於 延喜 天暦 之聖 代﹂
︵ オ 行目
︶﹁ 訪勝 躅長 保 長治 之明 時﹂
︵ オ 行目
︶と
︑同 質の 対句 をも のし てい る︒ また
︑願 文の
︶等 覚妙 覚之 位豈 疑︒ にあ る﹁ トウ カク メウ カ 122 ク﹂ の響 きは
︑表 白も
﹁仏 則等 覚妙 覚三 尊﹂
︵ ウ 行目
︶と 採用 され てい る︒ しか し︑ 同じ 音を 採択 して いて も︑ 表白 と願 文で は︑ もた せる 意味 合い が大 きく 異な って いる
︒願 文は
︶戒 急乗 急之 善 121 兼該
︒と の対 で︑
﹁等 覚妙 覚﹂ はさ とり の意 味で 用い てい る︒ 一方
︑ 表白 は﹁ 等覚 妙覚
﹂を 第一 義の
﹁さ とり
﹂と して では なく
︑そ こか ら転 じて
﹁さ とっ た人
﹂で ある
﹁ほ とけ
﹂を 表す もの とし て使 用し
てい る︒ この 御筆 御八 講に 於い て︑ 宸筆 法華 経と 共に 供養 のた め造 立さ れた 釈迦 三尊 像を 引き 出す ため の︑ 枕詞 的な 色合 いが 濃い
︒願 文の
﹁等 覚妙 覚﹂ が字 義通 りで ある のに 対し
︑表 白の 方は ひね りを 加え た表 現と 言え よう か︒ また
﹁仏 則等 覚妙 覚三 尊﹂ の対 句に あた る︑
﹁経 又迹 門本 門一 乗﹂
︵ ウ 行目
︶の
︑﹁ 迹門 本門 シ︱ ヤク モン ホン モン ー﹂ も︑ 変形 を 加え た表 現で ある
︒こ こで の﹁ 迹門 本門 一乗
﹂と は︑ 法華 経を 指す
︒ 何故 なら ば︑ 天台 智顗 が﹃ 法華 文句
﹄中 で︑ 法華 経の 前半 十四 品を 迹門
︑後 半十 四品 を本 門と し︑ 経典 解釈 に多 用し たこ とか ら︑ 法華 経と 密接 に関 わる 語彙 だか らで ある
︒し かし なが ら︑ 経疏 類に 於い て﹁ 迹門
﹂と いう 語と
︑﹁ 本門
﹂と いう 語を 並べ て使 う時 には
﹁本 迹二 門︱ ホン ジヤ クニ モン ー﹂ 或い は﹁ 本迹 釈︱ ホン ジヤ クシ ヤク ー﹂ とい うよ うに
︑﹁ 本迹
﹂と 略す こと の方 が普 通で ある
︒そ れを 表白 では
︑敢 えて 順序 を入 れ替 えた 上に
︑略 しき らず にそ のま ま並 べ︑ 間接 的に 法華 経を 指す 表現 とし て際 立た せて いる ので ある
︒ 表白 のこ の表 現の ひね りは
︑新 鮮味 をも たら す一 方で
︑意 味の 明 快さ を犠 牲に して いる 点は 否め ない
︒し かし なが ら︑ 一旦 それ を口 に上 せて みれ ば︑ 絡み 合う 拗音 と撥 音が
︑実 に耳 に心 地よ く響 く︒ 聞か せる 為の 言葉 の彫 琢で ある
︒ 表白 の︑ 音韻 優先 の姿 勢は 時に
︑新 たな 言葉 の創 出に も及 んだ よ
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
六
うで ある
︒﹁ 今夏 朱律 之炎 天︱ コン カシ ユリ ツノ エン テン ー﹂
︵ オ 行目
︶に ある
﹁朱 律﹂ がそ れで ある
︒﹁ 去年 玄冬 之寒 朝︱ コゾ ケ ント ウノ カン テウ ー﹂
︵ オ 行目
︶と 対句 であ るか ら︑ 玄冬 に対 して 夏を 意味 する 語で ある こと は明 白で
︑解 釈の 困難 なも ので はな い︒ しか し︑
﹁朱 律﹂ なる 語を あら ため て確 認し よう とす ると
︑辞 典の 見出 し語 には 見当 たら ない ので ある
︒但 し︑ これ は﹁ 実相 院 本﹂ 一本 の筆 の誤 りで はな い︒
﹁天 台全 書﹂
﹁東 大寺 本﹂ 共に
︑み な
﹁朱 律﹂ であ る︒
﹁玄 冬﹂ の対 の語 なら ば︑
﹁朱 夏﹂ や﹁ 朱陽
﹂が あ る︒
﹁朱 夏﹂ の方 は︑ 直前 に﹁ 今夏
﹂が ある ので
︑重 複を 避け る意 味で もこ れを 採用 しな いこ とは 理解 でき る︒ では 何故
﹁朱 陽︱ シユ ヤウ ー﹂ を選 択し なか った のか
︒﹁ 玄冬 ケ︱ ント ウー
﹂と 並べ るに も︑ 特に 不足 のあ る語 では ない
︒ その 前に
﹁律
﹂の 字に
︑夏 に通 じる もの を求 める と︑
﹁笛 の音 で 定め た音 階﹂ のう ち﹁ 陰に 属す る六 律を 六呂
﹂と 呼ぶ のに 対し
︑
﹁陽 に属 する 六律 を六 律﹂ と呼 び﹁ 陽の 音調
﹂を いう
︑と の字 義が 挙げ られ る︒ つま り﹁ 律﹂ は陽 の音 調・ 六律 との 縁で
﹁陽
﹂の 代わ りに
﹁朱
﹂と 組み 合わ され て夏 を表 現し たと 解釈 でき るだ ろう
︒ 翻っ て﹁ ケン トウ ノカ ンテ ウ﹂ の音 韻を 見れ ば︑ ケ︵ 軟口 蓋音
︶︑ カ︵ 軟口 蓋音
︶︑ チ︵ 破擦 音︶ の硬 質な 響き に呼 応さ せる ため には
︑
﹁シ ユヤ ウノ エン テン
﹂で は軟 弱に 過ぎ る︒ 硬口 蓋音 の﹁ リ﹂ を含
む﹁ 律﹂ の語 勢の 強さ があ って こそ 成り 立つ ので ある
︒ 願文 も︑ 既存 の願 文と は異 なる 表現 を模 索す る気 概の 熾ん なも の であ る︒ しか し︑ 公家
・貴 顕を 第一 人称 とす る以 上︑ 作者 の独 創性 は制 限さ れざ るを 得な い︒ この
﹁高 倉天 皇奉 為前 建春 門院 被修 法華 八講 御願 文﹂ の
︶内 帰 72 十妙 以与 朕善 者也
︒の
﹁帰 十妙
﹂は
︑草 稿の 段階 では
﹁究 三妙
﹂と なっ てい た︒ だが
︑こ れを 見た 高倉 天皇 は﹁ 尤も 後代 に耻 あ﹂ り︑ とし て即 日﹁ 帰十 妙﹂ に改 めさ せた とい う⑦
︒今 辞書 にあ たれ ば︑ 十 妙と は︑ 中国 天台 宗の 智顗 が﹃ 法華 玄義
﹄の 中で 説い た︑ 妙の 字に 備わ る十 種の 不思 議な すぐ れた 点の こと を言 うと ある
︒け れど も︑ 三妙 とい う語 は無 い︒ 作者 の意 図と して は︑ 前の 句の
︶外 扶万 機 71 以楡 臣忠
︒の
﹁バ ンキ
﹂に
﹁サ ンメ ウ﹂ の撥 音を 響き 合わ せ︑
﹁扶 タ︱ スク ー﹂ と﹁ 究︱ キハ ムー
﹂を 呼応 させ たか った ので あろ うが
︑ 高倉 天皇 の仏 教の 知識 が︑ それ を許 さな かっ たの であ る︒ かた や表 白は
︑権 威を 離れ たと ころ にあ って
︑新 たな 表現 を求 め る自 由度 が高 かっ た︒ 音韻 を追 求し
︑こ れま でに 無い 言葉 を紡 ぎ出 すこ とが 可能 であ った とい える だろ う︒ 六︑ 次は
︑願 文に ない
︑表 白に 特有 の章 句を 考察 する
︒そ れは
︑経 文
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
七
を取 り込 んだ 表現 であ る︒ 実相 院本
﹃拾 珠抄
﹄の
﹁高 倉院 御筆 御八 講 初座 表白
﹂の 章句 を︑
﹁高 倉天 皇奉 為前 建春 門院 被修 法華 八講 御願 文﹂ のそ れと 重ね てみ ると
︑語 彙も 文意 も共 通し ない 箇所 があ る︒ それ が︑ 経文 を表 現に 用い た箇 所で ある
︒
① 若自 書若 教人 書所 得功 徳/ 以仏 智籌 量多 少不 得其
/辺
︵ オ 行 目~ 行 目︶
② 唯仏 与仏 乃能 究尽 諸法 実相
︵ ウ 行目
︶
③ 於光 中五 道衆 生一 切色 相皆 中現
︵ オ 行目
~ 行目
︶ これ らは
︑﹁ 経文 ニ﹂ や﹁ 雙観 経文 ニ﹂ と︑ 出所 を明 示す る場 合も あれ ば︑ 唐突 に経 文の 一句 が現 れる 場合 もあ る︒ 興味 深い のは
︑こ れら の章 句に 返り 点が 付さ れて いな い点 であ る︒ 他の 章句 には
︑例 えば
︑﹁ 花文 薫句
﹂︵ ウ
行目
︶は
︑﹁ ケモ ンク ンク
﹂と 音で 読み 10 たい 成句 であ って も︑
﹁句
﹂の 下に
﹁一
﹂︑ と返 り点 が付 して あり
︑ 殊更 に和 語に 砕い た読 みを 強要 する 箇所 があ るの とは 対照 的で ある
︒ この 三箇 所の 経文 の抜 粋部 分に つい ては
︑訓 み下 しを 指示 する 記号 がな いの であ る︒ この こと から
︑経 文の 摘句 は︑ 和語 に開 かれ るこ とな く︑ 純粋 に経 文と して 読み 上げ られ たと 推察 され る︒ この 理由 とし ては
︑有 り難 い経 文の 章句 を音 声も ろと もに 尊重 す る姿 勢も あろ うが
︑こ れも
︑聴 覚へ の効 果を 狙っ たも のの 一つ では
ない だろ うか
︒僧 侶の 声で 読み 上げ られ る経 文は
︑ま こと に貴 く聞 こえ たで あろ うし
︑経 文を 読み 上げ る僧 侶の 声そ のも のも
︑本 領を 発揮 して より 高く 響い たこ とで あろ う︒ 経文 は元 来︑ 外国 語で ある
︒ 外国 語は
︑意 味が 判ら ない だけ に︑ まず 韻律 や調 子が 強く 感覚 を刺 激す る︒ 講師 を務 める 僧侶 が︑ その 自慢 の喉 を披 露す る箇 所で はな かっ たか
︒現 代の 日本 のポ ピュ ラー 音楽 の歌 詞の サビ の部 分な どに
︑ 英語 のフ レー ズが 挟み 込ま れる のと 共通 する 現象 であ る︒ 七︑ 表白 が︑ 聴衆 の心 を引 きつ ける ため に音 韻に 工夫 を凝 らし
︑冒 険 とも いえ る表 現の 模索 に熱 心で あっ た所 は既 に見 て来 た通 りで ある
︒ だが
︑音 韻や 新趣 に富 んだ 表現 ばか りが
︑表 白の 特徴 では ない だ ろう
︒儒 者の 手に 成る
﹁願 文﹂ との 大き な違 いは
︑仏 教と その 教学 的知 識の 深度 の差 がも たら す表 現の 差異 であ る︒ 一見
︑意 味不 明で 経典 には 登場 しな い文 句が
︑経 疏類 由来 の成 句で あっ た事 例は 少な くな い︒ また
︑字 面を 追っ ただ けで はそ れと は見 えな い章 句も
︑経 疏類 を参 照す るこ とで
︑対 句と 見做 すこ とが 出来 る場 合が ある
︒ 成句 の一 例を 挙げ れば
︑﹁ 三変 土田
﹂︵ オ 行 目︶ が顕 著な 例だ ろう
︒こ れは
﹃定 宗論
﹄六 にい わく
︑﹁ 未変 之前 是同 居穢 土︒ 三変 土田 即同 居浄 土﹂ とあ るの に拠 る︒
﹃法 華経
﹄﹁ 宝塔 品﹂ に説 く︑ 釈
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
八
迦仏 が多 宝塔 供養 に十 方諸 仏の 分身 を集 める ため
︑こ の娑 婆の 穢れ た姿 を三 度︑ 清浄 な国 土に 変え た奇 瑞を 要約 した もの であ る︒ 当然 のこ とな がら
︑こ の成 句は
﹃法 華経
﹄本 文に は存 在し ない
︒法 華経 を解 釈す る経 疏類 に至 って
︑登 場す る言 葉な ので ある
︒ 経疏 類に よっ て知 れる 教義 を踏 まえ ては じめ て︑ 解釈 でき るも の の例 の一 つが
﹁十 四十 五之 月輪 並光
﹂と いう 章句 であ ろう
︒月 輪に 譬え られ るの は︑ 供養 され る釈 迦三 尊像 であ る︒ 永範 の願 文に よれ ば︑ それ は︑ 普賢 菩薩 と文 殊菩 薩を 脇侍 とす る白 檀づ くり の仏 像で あっ たと いう
︒こ れが
︑彩 色を 施さ ない 白木 造り であ った もの とす れば
︑白 々と した 木肌 の様 を月 に譬 えた 表現 とし て一 応の 解釈 は付 く︒ ただ
︑こ れは 先の 五で も取 り上 げた
﹁仏 則等 覚妙 覚三 尊﹂ に次 ぐ章 句で あっ て︑ 表面 上は さほ ど巧 みな 対句 とは 思え ない
︒近 似し た語 句を 用い た願 文の 対句 が﹁ 戒急 乗急 之善 兼該
﹂﹁ 等覚 妙覚 之位 豈疑
﹂と いう
︑厳 格で 端正 なそ れで ある のと 比較 する と︑ やや 見劣 りが する
︒ とこ ろが
︑法 華経 の代 表的 な注 釈書 であ る﹃ 摩訶 止観
﹄を 繙く と︑
﹁相 似即 の是 の菩 提は
︑︵ 略︶
︑乃 至︑ 等覚 は︑ 無明 微弱 にし て智 恵 うた た著 わる
︒初 日よ り十 四日 にい たっ て︑ 月の 光円 かな るに なん なん とし
︑闇 尽く るに なん なん とす るが ごと し︒
︵略
︶究 竟即 の菩 提と は︑ 等覚 ひと たび 転じ て妙 覚に 入り 智光 円満 にし てま た増 すべ
から ざる を︑ 菩提 の果 と名 づく⑧
﹂と いう
︑さ とり の進 化を 月の 満ち 行く 様に 見立 てた 段に 出会 う︒ つま り︑
﹃摩 訶止 観﹄ によ る法 華経 の解 釈を 念頭 に置 いて 読め ば︑
﹁等 覚妙 覚三 尊﹂ と﹁ 十四 十五 之月 輪﹂ は︑ それ を軸 に各 々等 価の 質量 を具 えた 対句 なの であ る︒ 澄憲 の所 謂﹃ 注進 状﹄ に語 られ てい る﹁ 夫説 法道 者雖 往誓 古賢 多是 当座 巧弁 也﹂ で︑ 説法 を行 うも のを 古賢 と称 する のは
︑た だ先 人へ の敬 意ば かり では ある まい
︒教 義に 精通 し︑ 膨大 な経 疏類 の文 言を 体得 して はじ めて 著わ せる 美文
︑そ れが 表白 であ った から であ る︒ 八︑ 表白 文は
︑時 への 配慮
︑場 への 配慮
︑音 韻へ の配 慮︑ 聴衆 を飽 き させ ない 幅広 い表 現と
︑様 々な 彫琢 を施 した 美辞 麗句 の下 には
︑仏 教の 教学 的知 識が 水脈 とな って 流れ てい る︒ 澄憲 の﹃ 注進 状﹄ で︑
﹁不 及後 日之 記録
︒後 代不 聞之 妙詞
︒末 世不 知麗 句︒
﹂と
︑失 われ た 先賢 の表 白を 惜し むの は︑ 彼ら がそ れを 著述 する のに 費や す労 力と
︑ それ ゆえ の質 の高 さを 強く 自負 して いた 裏返 しで ある
︒残 念な がら 筆者 には
︑仏 教に 対す る知 識が 乏し く︑ 唱導 家の 渾身 の作 品を 全て 解釈 する 力量 は無 い︒ 然し なが ら︑ 縁あ って 知り 得た こと の一 端を 紹介 する こと で︑ 博雅 の教 授を 賜る 事が でき れば 幸い であ る︒
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
九
また
︑二 で触 れた
︑御 筆御 八講 の会 場の 選定 が迷 走し た政 治的 背 景や
︑三 井寺 系の
﹁実 相院 本﹃ 拾珠 抄﹄
﹂の 巻頭 に安 居院 流の
﹁高 倉院 御筆 御八 講﹂ にか かる 表白 が収 めら れて いる のか
︑と いっ た問 題に つい ても 論じ るこ とが でき なか った
︒他 日を 期し たい
︒ 注
①
﹃平 安鎌 倉時 代に おけ る表 白・ 願文 の文 体の 研究
﹄汲 古書 院︵ 平成 十 八年 一月 三十 一日 発行
︶
② 同注
①論 文
③ 山崎 誠﹁ 三井 寺流 唱導 遺響
「拾 珠抄
﹂を 遶っ て﹂ 国文 学研 究資 料館 紀要
第十 六号
︵平 成二 年三 月二 十五 日発 行︶
④ 工藤 美和 子﹃ 平安 期の 願文 と仏 教的 世界 観﹄ 思文 閣出 版︵ 平成 二〇 年 三月 二〇 日発 行︶
⑤ 一つ は︑ 菅原 為長 作﹁ 為猶 子某 祈冥 福諷 誦文
﹂︵ 嘉禎 三年 三月 廿一 日︑
﹃本 朝文 集﹄
︶願 文作 者が 自分 の養 女を 供養 した もの で︑
﹁此 者栢 城賎 妾 之懇 緒也
︒亜 韋提 希而 表丹 誠﹂ とあ るよ うに
︑身 内の 願文 をも のし たが 故の 過度 に卑 下し た表 現と みる こと が出 来る
︒ もう 一つ は︑ 藤原 兼良 作﹁ 為先 妣少 林寺 殿修 冥福 願文
﹇代 法印 尋尊
﹈﹂
︵文 明六 年二 月廿 八日
︑﹃ 本朝 文集
﹄︶ これ は︑ 願主 が僧 で︑
﹁夫 以闍 王造 五逆
︑猶 因韋 提希 子﹂ と︑ 母を 供養 する 我が 身を
﹁闍 王﹂ つま り安 闍世 王に 準え
︑﹁ 韋提 希子
﹂と 謙遜 した もの で︑ 正確 には 追善 対象 を称 した もの では ない
︒
⑥
﹃玉 葉﹄ 安元 三年 七月 五日 条﹁
⁝先 授御 願文 於講 師︑ 次授 呪願 於呪 願 師︑
﹇呪 願在 下座 也︑
﹈復 座︑ 次講 師啓 白訖
︑読 御願 文︑
⁝﹂
⑦
﹃玉 葉﹄ 安元 三年 七月 一日 条
⑧ 関口 真大 校注
﹃摩 訶止 観﹄ 岩波 文庫
︵第 一章
止観 の大 意 ハ︑ 六即 につ いて
︶よ り 付記 本稿 は︑
﹃日 本古 典文 学研 究﹄
︵廣 田收 編 二〇 一一 年一
〇月 二三 日発 行︶ にお いて 発表 した
︑﹁
﹃拾 珠抄
﹄﹁ 高倉 院御 筆御 八講
初座 表白
﹂と
﹃本 朝文 集﹄
﹁高 倉天 皇奉 為前 建春 門院 被修 法華 八講 御願 文﹂ との 比較
﹂を 基と する もの であ る︒
「高 倉院 御筆 御八 講初 座表 白﹂ の特 徴
一〇