小河滋次郎と『上田郷友会月報』 ― 一地方機関誌 にみる足跡 ―
著者 倉持 史朗
雑誌名 評論・社会科学
号 71
ページ 183‑231
発行年 2003‑08‑15
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004444
目次一はじめに
二上田郷友会について
︵1︶上田郷友会の組織︑活動
︵2︶﹃上田郷友会月報﹄の発行をめぐって
三小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
︵1︶小河の略歴
︵2︶小河と月報
四資料││小河滋次郎関係記事目録
一はじめに
明治期以降の日本において
︑ 子どもの問
題 行 動
︵ 非 行
・ 犯 罪
等︶に対して︑刑罰的要素の排除とともに︑福祉的・教育的援助
の必要︵﹁感化教育﹂︶を説いたのは︑留岡幸助︵一八六四︱一九 三四︶や小河滋次郎︵一八六三︱一九二五︶らである︒後者の小河滋次郎は︑感化法制定等に関与し︑感化教育を理念的な側面で先導する役割を果たした︒彼は︑自らの感化教育論を様々な著作や雑誌上で展開したが︑その媒体の一つに本稿で紹介する﹃上田郷友会月報﹄がある︒
小河と上田郷友会の関係︑同月報誌上に掲載された彼の論説︑
書簡︑日記等の先行研究について言及すれば︑同雑誌はすでに土
井洋一氏・遠藤興一氏︵土井・遠藤一九八〇︑遠藤一九八一︑一
九八二︑一九八三︑一九八四︶や小野修三氏︵小野一九九九︑二
〇〇一︶らによって部分的に紹介されており︑小河研究における
︵1︶重要資料として広く認知されている︒しかし︑月報誌上に存在す
る小河に関する記事について︑全体的に網羅した資料が現在のと
ころ存在していない︒
︹資 料︺
小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
││一地方機関誌にみる足跡││
倉 持 史 朗
︵文学研究科社会福祉学専攻博士後期課程︶
したがって︑本稿では︑今後の小河研究に寄与することを目的
二上田郷友会について
上田郷友会は︑小河滋次郎など︵現︶上田市域出身で︑勉学の
この山極が︑機関誌︵会報︶である﹃上田郷友会月報﹄の発刊 ︒
︵﹁本報ノ起因ヲ記シ以テ緒
︶には︑﹁我國ヲシテ歐米各國ヲ凌駕セシメント欲
︑﹁一
﹂とあり︑﹁郡邑﹂上
︒一︱二︶ :
次に郷友会発足の経緯について簡単に見てみよう︒同会は一八
︵3︶
の通常会員は二四名であり
︑ 一八八五
︵ 明治一八
︶ 年 の 九 月 に
は︑特別・通常会員合わせて一七〇名を超えた︒その後︑暫時会
員を増やし
︑ 一八九九
︵ 明治三二
︶ 年には
五〇〇名
︑ 一九二六
︵昭和元︶年には九〇〇数十名に至っている︵上田郷友会一九九
八
︒七︶ :
同会は︑先の規則第六条に﹁第六條會合第二条ノ目的︵各
自相奬勵シ親睦ヲ鞏個ナラシムルヲ以テ目的トス││筆者︶ヲ達
セン爲メ毎月一回集會ヲ開ク者トス﹂と規定されているように︑
毎月一回﹁例会﹂を開き︑会員による演説︑討論会︑会の運営に
関する協議等を行った︵上田郷友会一八八五︱A
︒そして︑六︶ :
最初の例会は︑一八八五︵明治一八︶年一月四日に神田福田亭で
開かれている︒尚︑毎年一二月には﹁大会﹂が開催され︑東京の
みでなく上田において郷里部会も開催された模様である︒
ところで︑この例会を活気あるものとするため︑発会当初の郷
友会のメンバ
ー達は少なからずの努力をしたようである
︒ 例 え
ば︑一八八五︵明治一八︶年の五月三日に行われた例会では以下
のような取り決めがなされた︒
規則第十九條ニ由リ左ノ二個條ヲ議定ス
追加第一條通常会員若シ三回以上無斷欠席スルトキハ幹事
之ヲ除名ス
同第二條例會ニ欠席スル者ニハ當月ノ月報ヲ交附セサル
モノトス但會費収メタル者ハ此限リニ非ス︵上田郷友会一八 小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
― 184 ―
八五︱B
一︶ :
また︑翌年の三月七日に行われた例会においても︑新たに設置
された役員である﹁監督﹂が︑﹁通常會員ノ品行︑勤惰︑動靜等
ヲ視察シ其檢閲セル事項ヲ記録﹂し︑会の﹁体面ヲ毀損﹂する会
員に忠告若しくは︑
退会を決議する旨を新たに取り決めている
︵上田郷友会一八八六︱A
︒一︱二︶ :
しかし︑その後の郷友会例会の模様を報じる記事からは︑会員
数が増加する一方で︑その出席者が数名のみにとどまった︵時に
は一名しかいない︶
例会の様子が少なからず披見できることか
ら︑上記の厳しい取り決めがどこまで実効性を持ちえたのかは疑
問である︒ともあれ︑第一回の例会以降︑ほぼ毎月例会は開催さ
れ︑戦時中の断絶がありながら現在も東京︑上田両地で行われて
︵4︶いるという事実は︑驚嘆に値しよう︒
︵2︶﹃上田郷友会月報﹄の発刊をめぐって
上田郷友会の活動は︑単に毎月の例会開催に止まらず︑毎月一
回その機関誌﹃上田郷友会月報﹄を発刊したことにその特徴があ
るといえよう︒これに関して先の﹁規則﹂には次のような規定が
ある︒﹁第十二條月報毎月一回本會記事論説雑録會員ノ動静
雑報等緊要有益ノ事件ヲ採集シテ之ヲ印刷發兌シ以テ會員二頒布
スルモノトス名ケテ上田郷友会月報ト云フ﹂︵上田郷友会一八八
五︱A
六︶︒ : 第一号︵創刊号︶は一八八五︵明治一八︶年二月
に発刊され
︑
一九四四︵昭和一九︶年の廃刊に至るまで発行され続けたとされ
る が
︑ 創 刊時
︑ 廃刊時ともにその時期をめぐって諸説が存在す
︵5︶る また︑前述の規定にみえるように︑読者層は凡そ郷友会会員で ︒
あり︑発行部数も会員数とほぼ同数だと考えられ︑会員の増加に
合わせて暫時発行部数が増加したと推察できる︒
次に月報の内容構成について言及しよう︒ここでは︑一八八六
︵明治一九︶年四月に月報に掲載された﹁上田
友 會趣旨書
﹂ を
引用する︒同趣旨書によれば︑月報の内容構成は以下の通りであ
︵6︶る
︒
⁝略⁝︵月報の︶欄を分ちて記事論説雑録問答通信廣告と
なし記事には本會及會員に關する要件及ひ動靜を載せ論説雑
録の欄には主として会員の起草に係はる學術上の論文を編入
し兼ねて成規に觸れさる限りは一般
地其他につきての意見
をも記載す又問答は規則第□條の精神に由るものにして學術
其他の質問答辮の緊要なるものを登録し通信には會員相互の
往復せし書信を選抜して之れを記載し廣告は一般の依頼に應
して之れを見はすものなり去れは此月報は固とより純然たる
學術上の雑誌なれとも實は本會の機關にして二百有餘名の大
團結の耳目なり然れとも此機關は果して何等の機能を有し何
事をか耳にし何物をか目にしたるやは月報を一讀して而して
小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
後に之れを知らん而己尚ほ細則の如きは別に本會規則の□る
あり就きて見る可し︵括弧内││筆者︶︵上田郷
友会一八八
六︱B
一︱二︶ :
同趣旨書発表以降も︑必要に応じて内容構成に改良が加えられ
ているが︑上記のように学術的な論説から例会・大会報告︑会員
の動静︑郷里事情等に至るまで幅広い内容が収められており︑当
時の上田地域の状況を知る上でも貴重な資料となっている︒
更に補足として
︑ 月報の表紙及び目次の
一 例
︵ 左 第一号表:
紙︑右
第二号目次︶を紹介すると上図の通りである︒ :
現在︑同誌は一部の欠号を除き上田市立図書館に所蔵されてお
り︑現物資料及び
マイクロフィルムで適宜利用可能となってい
る︒
三小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
︵1︶小河の略歴
小河滋次郎は︑文久三︵一八六三︶年一二月三日︵新暦一八六
四年一月一一日︶上田藩医金子宗元の次男に生まれ︑後に小諸藩
士小河直行のもとへ養子に入る︒上京し︑東京大学法学部別科法
学科等を経て︵
この間の一八八五年一月に上田郷友会を発足
︶︑ 一八八六
︵ 明治一九
︶ 年内務省へ入省
︵ 一九〇〇年より
司 法 省 属
︶︒ そ の 後
︑ 一 八 九 五
︵ 明 治二八
︶ 年の第五回万国監獄会議
︵ パ リ
︶ 出席とヨーロッパ留学をはじ
め
︑ 第 六 回
︵ ブリュッセ
風習論小河滋次郎稿愛
血族結婚論︵第二︶勝俣英吉郎稿 旅行之説山極勝三郎稿 痛言村上浩稿
諸學校手引︵樂天居士︶梅や櫻に告く︵信山學人︶獨り相撲︵上田ッ子︶煙草ノ説︵前號ノ續︶
第貮號
上田郷友会月報第1号
(上田市立図書館所蔵)
小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
― 186 ―
ル︶︑第七回︵ブタペスト︶︑第八回︵ワシントン︶に参加︒国内
ではドイツ監獄学と海外で得た知見に基づいて︑監獄改良と︑子
どもの非行・犯罪に対しての感化教育の必要性を説き︑その先導
的役割を果たした︒
行政官僚として︑典獄︑監獄署長などを歴任しながら︑一九〇
〇︵明治三三︶年の感化法制定︑一九〇八︵明治四一︶年の監獄
法制定などに参画︑学術的研究の分野では一九〇六︵明治三九︶
年八月八日に法学博士の称号を得た︵東京帝国大学︑論文﹁未成
年者二対スル刑事制度ノ改良二就テ﹂︶︒しかし︑幼年囚などへの
処遇の改革について急進的であったため︑司法省内で支持が得ら
れず︑監獄顧問として赴任した清国からの帰国後退官する︒
退官後の一九一三︵大正二︶年四月に大阪府知事大久保利武に
招かれ︑大阪府救済事業指導嘱託に就任︑その後は活躍の場を主
に大阪に移し
︑ 同 年
︑ 救済事業研究会
を 創 立
︑ 一九一八
︵ 大 正
七︶年に大阪府で方面委員制度を発足させるなど社会事業の方面
で活躍した︒また︑同時期に内務省より国立感化院︵現武蔵野学
院︶長事務取扱を嘱託され︑少年法制定の動きに対して﹁少年保
護問題に就て
﹂︵ 小河一九一三
︶︑
﹁ 非少年
法 案 論
﹂︵ 小河一九二
〇︶等によって批判を展開し︑感化教育推進の立場を貫いた︒
一九二四︵大正一三︶年八月︑牧野虎次を後任として大阪府嘱
託を辞任︑翌九月に日本生命済生会理事に就任するが︑翌年四月
二日に病のために永眠した︒ ︵2︶小河と月報
先に述べたように︑小河は上田郷友会の創立者の一人であり︑
第一号の名簿には最初にその名が記載されている︒そして︑欧州
へ渡る明治二〇年代中頃までは︑会規則に定められた会の幹事︑
月報の編集委員など役員として活動し︑彼自身積極的に会の運営
に携わっていた様子が窺える︒そのため︑本会内でも小河の存在
は特別だったようで︑
例会などで協議が行われる際は座長を務
め︑会を取り仕切る様子が月報誌上で散見できる︒例えば︑一九
〇三︵明治三六︶年八月二日の郷里部大会に際して﹁本會の大黒
柱ともいふべき︑宮下君が本會創立の元老小河滋次郎君と倶に︑
特に出席すとの
通知に接した時の歡びは
︑ 如何ばかりなりし
か﹂︑﹁小河滋次郎君は︑満場の希望に︑やたら身を起して︑演壇
に起つことゝなつた︑約一時間にわたる大演説﹂︵上田郷友会一
九〇三
二四︶を行ったという誌上記事の表現が︑郷友会での小 :
河の扱われ方を如実にあらわしているといえよう︒
次に月報と小河の関係について述べる︒詳しくは後の目録で参
照していただきたいが︑大まかに分類すれば月報誌上にある小河
関連の記事は①小河自身による論稿︑②会員・編集委員による小
河に関する記事︑③小河の動向を記した記事に分類することがで
きよう︒
まず①の小河自身による論稿は︑感化教育や少年問題などを取
り上げた学術的なものから︑短編小説︑旅行記︑書信︑月報に関
する所感︑本人の心情を記したものまで多彩であり︑そのような
小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
﹂︵小河滋次郎一八八五︶に始まり︑誌上最後の論稿﹁少年
﹂︵小河滋次郎一九二三︶に至るまで四〇年近く
雄に関する記事
︵7︶ 友会への思いの一端を紹介しよう︒小河は同会発足後二〇周年大会の席上で︑会発足当時の目的はただ漠然としたものであったと回顧しながらも︑年を経るごとに郷友会の必要性を感ずるに至ったという経緯を述べた︒それは︑様々な経験から生まれた﹁生存競争場裡に立つて己の人格を全うし︑又目的を全うするには︑一個の力ではいかぬ﹂という思いと︑そのために﹁職業を以て団体を作り或いは学問を以て団体を作り或は同郷の縁故を以て団体を
ママ作り︑成るべぐ個人の勢力を強めて行くことが競争場裡に立つて
行く上に付て必要を感する﹂という小河の言葉に示されていると
いえよう︵小河一九〇四︶︒この数年後には司法省の中で孤立し︑
非職へと追いこまれる彼の境遇を思うと︑この言葉には十分な重
みがあるまいか︒
その後︑大阪府などの新天地での小河の活躍を思うとき︑﹁此
会合が我々の人生行路に付て非常な助けを為して居る﹂という言
葉の通り︑小河にとって上田郷友会の存在は生涯に亘り必要不可
欠なものであったろう︒
四資料︱小河滋次郎関係記事目録
一九〇頁以降の目録は︑﹃上田郷友会月報﹄誌上における小河
に関する記事をまとめたものである︒目録は月報誌上に掲載され
た年月日順に並べられており︑筆者が確認した限りでは小河に関
する記事は四
六五件存在した
︵ 目録中記事数は四六七件である
が︑うち二件は小河に直接的に関係ない参考記事︶︒ 小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
― 188 ―
目録中︑﹁掲載号﹂欄には﹁第一号︵一八八五年二月︶﹂︑﹁第二 回
︵ 一八八五年一二
月
︶﹂
︑﹁ 第 一 号
︵ 一八八六年一一月
︶﹂ とあ
り︑時期を異にして第一号︵二度目の出版は﹁第一回﹂︶が三種
類存在することになる︒事実︑郷友会は諸事情により三回に亘っ
て第一号を発
刊しているようであるが
︑ それらの経緯について
は︑小野氏の論稿︵小野二〇〇一︶や︑郷友会員名簿︵上田郷友
会一九九八︶を参照していただきたい︒
尚︑目録内の﹁分類﹂欄にある分類は︑先に紹介したように雑
誌編集上の項目
︵ 目次の項目
︶ に即して分類し
︑ 記載さ
れ て い る
︒ 参考までに
︑ 各項目別の記事の数をあげ
ておくと
︑﹁ 論説
﹂
が四二件︑﹁本会記事﹂八五件︑﹁上田
郷友会記事
﹂ 二九件
︑﹁ 雑 報
﹂ 九二件
︑﹁ 雑録
﹂ 五四件
︑﹁ 会報
﹂ 一一一件
︑﹁ 問答
﹂ 五 件
︑
﹁詞草﹂五件︑﹁史料﹂・﹁通信﹂・﹁書信﹂・﹁所感録﹂が各一件ず
つ︑特に編集上の都合等により分類されていない﹁未分類﹂が四
〇件となる︒但し︑この項目の分類方法は発刊された年代によっ
て異なっており︑創刊号より戦時中の廃刊に至るまで統一された
分類がなされていたわけではない︒
また︑目録中︑﹁小河の動向﹂記事に関する限り︑﹁備考﹂欄に
原文を転載しているが︑可能な限り原文通りの字句を使用するこ
とを心掛けた︒
最後に
︑ 筆者自身
︑ 修士論文作成の頃よりお世話になって
お
り︑同誌を所蔵されている上田市立図書館の皆様には心から感謝
したい︒
小河滋次郎と﹃上田郷友会月報﹄
備 考
1月4日、神田福田亭における例 会 に 出 席。小 河、「廢娼論」なる演説を行う。又、月報編集委 員に選出される。参考:山極勝三郎の緒言、郷友 会規則有り。
2月1日(第一日曜日)午後1時より外神田福田 亭での例会に出席
3月1日(第一日曜日)午後1時より福田亭での 例会に出席
4月1日(第一日曜日)午後1時より福田亭での 例会に出席
5月3日(第一日曜日)午後1時より福田亭での 例会に出席。小河の提案により、本会の隆盛を祝 うための宴会が6月7日に開かれることが決定。
6月7日、浅草井生村樓において、上田郷友会宴 会を開く。役員改選により、小河(小川)、幹事、
編集員に選ばれる。
11月1日(第一日曜日)、福 田 亭 で の 例 会 に 出 席。小河の発題により、廃娼の可否についての討 論を行う。小河、弟金子篤三郎と共に祖母の看護 のため、9月27日帰省、10月10日東京へ帰る。
掲載頁
p. 9
p. 41 p. 1 p. 5 p. 1 p. 1 p. 1
p. 1
p. 4
p. 2
p. 19 発 刊 年
1885(明治18)
年2月
1885(明治18)
年2月
1885(明治18)
年3月
1885(明治18)
年3月
1885(明治18)
年4月
1885(明治18)
年5月
1885(明治18)
年6月
1885(明治18)
年7月
1885(明治18)
年12月 1885(明治18)
年12月 1886(明治19)
年1月 掲載号
1号
(創刊号)
1号
(創刊号)
2号
(1回目)
2号
(1回目)
3号 4号 5号
6号 2回
(2回目)
2回
(2回目)
3回 分 類
本会記事
本会記事 論説 本会記事 本会記事 本会記事
本会記事 問答 上田郷友会
記事 問答 表 題
「例会記事」
「現在通常会員姓名」
「例会記事」
「風習之説」
「例会記事」
「例会記事」
「例会記事」
「例会記事」
「娼妓を廃するの可 否」
「例会記事」
「離婚ニ関スル羅馬 律ノ問ニ答フ」
著 者
小河滋次郎
小河滋次郎 ID
1
2 3 4 5 6 7
8
9
10
11
―190―
12月6日(第一日曜日)、福田亭における通常納 会に出席。役員改選により、小河、編集員に選出 される。明治18年本会記事要略−12月25日の 調査によれば、会員総数は約190人。兄金子直躬 の動静(会員紹介)記載あり。
2月7日、福田亭での例会に出席。会 員 紹 介 で
「小河君ハ本會ノ熱心家ヲ以テ自ラ居ル、東京大 學ノ法學部生ナリ」とある。
1月15日、浅草井生村樓における新年宴会に出 席。
3月7日、福田亭における例会に出席。「離婚ノ 説」なる演説を行う。
4月4日(第一日曜日)、福田亭における例会に 出席。
参考:小河関係なし p. 1
p. 44 p. 1
p. 5 p. 20 p. 33 p. 1 p. 14 p. 20 p. 3 p. 17 p. 25 1886(明治19)
年1月
1886(明治19)
年1月
1886(明治19)
年2月
1886(明治19)
年2月
1886(明治19)
年2月
1886(明治19)
年2月
1886(明治19)
年3月
1886(明治19)
年3月
1886(明治19)
年3月
1886(明治19)
年4月
1886(明治19)
年4月
1886(明治19)
年4月
1886(明治19)
年4月 3回
3回 4回
4回 4回 4回 5回 5回 5回 6回 6回 6回 6回 上田郷友会
記事
上田郷友会 記事 上田郷友会
記事 問答 通信 上田郷友会
記事 論説 問答 上田郷友会
記事 論説 雑録
「通常納会(12月大 会)記事」
「明治18年間会員出 席一覧票」
「例会記事」
「明治十八年間本会 記事要略」
「羅馬離婚律の問に 答ふ」
「明治十九年一月上 田人新年宴會略説」
「例会記事」
「西洋娼妓事情」
「羅馬離婚律の問に 答ふ」
「例会記事」
「救貧ノ擧アルヲ聞 ク」
「書斎小話」
「上田郷友会趣旨書」
小河滋次郎
小河滋次郎
(岳洋居士)
小河滋次郎 小河滋次郎
(岳洋居士)
12
13 14
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
―191―
5月2日、神田吉田屋における例会に出席。
6月6日、福田亭における例会に出席。
参考:小河関係なし 上田郷友会は事務所(外神 田仲町6番地)を設置
12月5日、浅草井生村樓における年次大会に出 席。
1月9日、仮事務所における例会に出席。
1月15日の在京上田人の新年宴会の状況につい て、小河の記事。
2月13日、例会に出席。
例会休会。「会員山極勝三郎小河滋次郎ノ両氏上 京シ」と記載。
9月11日、仮事務所における例会に出席。「小河 滋次郎君宮下勝太郎君山極勝三郎君演説セリ」と 記載。
10月9日、福田亭における例会に出席。「小河滋 次郎君ハ少年ノ學問ノ仕方ヲ演説シ」と記載。
11月13日、福田亭における例会に出席。
p. 1 p. 35 p. 1 p. 11
p. 1 p. 1 p. 13 p. 1 p. 1 p. 21 p. 1
p. 1 p. 1 1886(明治19)
年5月
1886(明治19)
年5月
1886(明治19)
年6月
1886(明治19)
年7月
1886(明治19)
年11月 1886(明治19)
年12月 1887(明治20)
年1月
1887(明治20)
年1月
1887(明治20)
年2月
1887(明治20)
年8月
1887(明治20)
年8月
1887(明治20)
年9月
1887(明治20)
年10月 1887(明治20)
年11月 7回
7回 8回 9回 1号
(3回目)
2号 3号 3号 4号 10号 10号 11号
12号 13号 上田郷友会
記事 問答 上田郷友会
記事 論説
上田郷友会 記事 上田郷友会
記事 雑録 上田郷友会
記事 本会記事
雑録 本会記事
本会記事 本会記事
「例会記事」
「罪囚ノ待遇如何」
「例会記事」
「憲法総論及英米憲 法比較畧説」
「月報遅刊乃末」
「12月大会記事」
「例会記事」
「上田人新年宴會略 況」
「例会記事」
「例会記事」
「帰郷雑記」
「例会記事」
「例会記事」
「例会記事」
小河滋次郎
小河滋次郎
(岳洋居士)
小河滋次郎
(岳洋居士)
25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36
37 38
―192―
12月11日午後1時より、上野三橋々畔蓬莱亭に おける総会に出席。役員改選により、小河、編集 員に選出される。「小河滋次郎君ノ本會ニ對スル 祝詞」を述べる。参考:1)p. 3に本會事務所焼 失記事あり。2)会員名簿p. 21に住所氏名の記 載あり。金子宗元・直躬・篤三郎・小河やす子の 記載あり
1月8日、上野公園内韻松亭における例会に出 席。
2月12日、上野公園内韻松亭における例会に出 席。小河、「帝國大學々生ニ望ム所アリ」という 演説を行う。
「小河滋次郎君ハ本月十八日命ニ因テ九州地方巡 回ノ途ニ就ケリ」
5月13日、神田吉田屋における例会に出席。「小 河滋次郎君、ハ去月中旬官命ヲ以テ三池集治檻ヲ 巡視シ往復大凡三週間ヲ以テ命ヲ復ス其間各地目 撃スル所ノ風俗人情ノ差異及感情、三池囚徒労役 ノ苦楚残状及感情并ニ旅中ノ所感 樂ノ情ヲ演 ス」という演説記事あり。参考:p. 4に小河の動 向記事あり「小河滋次郎ハ先キニ公務ヲ帯テ九州 地方ニ出張セシカ本月八日無事帰郷セリ」
6月10日、神田吉田屋における例会に出席。役 員改選により、小河、編集委員に選出される。小 河、「地方財政私考」と題する演説を行う。
p. 1
p. 1
p. 2
p. 3
p. 2
p. 2
p. 11 p. 16 1887(明治20)
年12月
1888(明治21)
年1月
1888(明治21)
年1月
1888(明治21)
年2月
1888(明治21)
年4月
1888(明治21)
年5月
1888(明治21)
年6月
1888(明治21)
年6月
1888(明治21)
年8月 14号
15号 15号 16号
18号
19号
20号
20号 22号 本会記事
本会記事 雑録 本会記事 本会記事
本会記事
本会記事
論説 雑録
「12月大会記事」
「例会記事」
「監獄管理法序」
「例会記事」
小河の動向
「例会記事」
「例会記事」
「刑罰權起生ノ諸説」
「帰郷漫録」
清浦奎吾
小河滋次郎 小河滋次郎
(岳洋居士)
39
40 41 42
43
44
45
46 47
―193―
9月16日での例会に出席。「小河滋次郎君ハ月報 ハ会員ノ機関タレバ共通ノ便ヲ圖リ共益ノ道ヲ開 クカ為メニ調査委員ナルモノヲ置キ月報ノ材料ヲ 廣ク菟集シ其改良ヲ計ランコトヲ述ベ会員ノ賛成 ヲ得テ…」と記載あり。
「小河滋次郎君ノ養父直行君ハ永々病氣ノ處薬石 其効ヲ奏セス去ル十三日ヲ以テ溘焉永眠セリ翌十 五日礫川浄土寺 ニ 葬 ル 渾 家 ノ 悲 哀 知 ル ベ キ ナ リ」。「小河滋次郎君ハ長野群馬山梨神奈川諸縣ノ 巡回ヲ命セラレ二十日除服出仕シ二十三日上野發 ノ車ニテ群馬縣ニ向テ出発セリ」p. 37に広告 記事あり
「今般都合ヲ以テ牛込區上宮比町5番地ニ転居ス」
という転居広告
12月9日、上野湖畔蓬莱亭における総会に出席。
「小河滋次郎君ハ山極勝三郎君ノ大學得業ノ祝辭 ト信濃地方商工業實見ノ模様ヲ演述シ」と記載あ り。p. 4に「小河滋次郎君ハ先ニ群馬長野山梨神 奈川東京ノ各府縣へ公務ヲ帯ヒテ出張セシガ去ル 七日歸郷セリ」と記載あり。
例会出席(日時場所不明)。 p. 4
p. 1
p. 3
p. 40
p. 1
p. 1 p. 28 p. 1 p. 28 1888(明治21)
年8月
1888(明治21)
年9月
1888(明治21)
年10月
1888(明治21)
年11月
1888(明治21)
年12月
1889(明治22)
年1月
1889(明治22)
年1月
1889(明治22)
年2月
1889(明治22)
年2月 22号
23号
24号
25号
26号
27号 27号 28号 28号 論説
本会記事
本会記事
本会記事
本会記事 雑録 論説 雑録
「郷里の紳女諸君に 告ぐ」
「例会記事」
小河の動向
小河の動向
「12月大会記事」
「例会記事」
「郷友某氏に送りた る書信の寫」
「月報改良ニ付キ一 言ス」
「木曽路紀行」
小河滋次郎
小河滋次郎
(岳洋居士)
小河滋次郎 小河滋次郎
(岳洋居士)
48
49
50
51
52
53 54 55 56
―194―
本文に著者無記名。「例会記事」で小河滋次郎が 同名の演説を行った記事が記載されていることか ら判断。
3月10日、外神田吉田屋における例会に出席。
小河、「郷友会ノ責任」という演説を行う。
「小河滋次郎君ノ令息ハ劇症ニ罹リ第一醫院ニ入 院セシガ漸次輕 快 ニ 赴 キ 去 ル 二 十 一 日 退 院 セ リ」。参考:同頁に転居広告「牛込區細工町二十 五番地」あり。
5月12日、神田吉田屋における例会に出席。小 河、「年ノ前途」と題する演説を行う。
6月9日、神田吉田屋における例会に出席。役員 改選によって小河、編集委員に選出される。
9月15日、神田吉田屋における例会に出席。
10月6日、例会に出席(場所不明)。
11月3日、神田今川小路一丁目玉川堂における 例会に出席。
1月5日、神田今川玉川亭における例会に出席。
2月2日、神田雉子町榮國亭における例会に出 席。
「小河滋次郎君ハ公命ヲ帯ヒテ内務省雇独逸人ゼ ーバッハ氏ト同伴近縣監獄巡視トシテ出發ス」
p. 1
p. 33
p. 32
p. 29 p. 34 p. 27 p. 35 p. 28 p. 32 p. 28 p. 31 p. 34 p. 35 1889(明治22)
年3月
1889(明治22)
年3月
1889(明治22)
年4月
1889(明治22)
年5月
1889(明治22)
年6月
1889(明治22)
年9月
1889(明治22)
年9月
1889(明治22)
年10月 1889(明治22)
年10月 1889(明治22)
年11月 1890(明治23)
年1月
1890(明治23)
年2月
1890(明治23)
年2月 29号
29号
30号
31号 32号 35号 35号 36号 36号 37号 39号 40号 40号 本会記事
本会記事
本会記事 本会記事 詞草 本会記事
詞草 本会記事 本会記事 本会記事 本会記事 本会記事
「郷友会員の責任」
「例会記事」
小河の動向
「例会記事」
「例会記事」
「小供喧嘩」
「例会記事」
「小供喧嘩」
「例会記事」
「例会記事」
「例会記事」
「例会記事」
小河の動向 小河滋次郎
小河滋次郎
(岳洋居士)
小河滋次郎
(岳洋居士)
57
58
59
60 61 62 63 64 65 66 67 68 69
―195―
「埼玉群馬栃木ノ三縣ヘ出張シタル維持委員小河 滋次郎君ハ去ル七日何レモ歸京」
「維持委員小河滋次郎君ハ獄務官練習所勤務ヲ命 セラレ東京集治監ニ出張中ナリ」
6月1日、牛込揚場町昇龍舘における例会に出 席。
「維持委員小河滋次郎君ハ監獄巡視トシテ東海道 畿内ノ各府縣ヘ出張ヲ命セラレ去ル十四日出發君 ノ行ヲ送テ新橋停車場ニ至ル知己十數名」
「維持委員小河滋次郎君ハ去月下旬歸省セシガ去 ル十二日歸京セリ」
10月5日、神田區美土代町自由亭における例会 に出席。
12月7日、浅艸遊舘における大会に出席。「小 河滋次郎君会員総代として演説す」と記載あり。
「維持委員小河滋次郎君ハ先月来編集ニ従事シタ ル日本監獄法講義脱稿シ出版シタルヲ以テ其一部 ヲ本會ヘ寄贈シタリ」
1月4日、神田自由亭における例会に出席。「左 ノ諸君ノ寄附アリ以テ興味ヲ助ク…百人一首一組
小河滋次郎」と記載あり。
2月1日、神田自由亭における例会に出席。
4月5日、神田自由亭における例会に出席。
p. 31 p. 32 p. 34 p. 35
p. 26 p. 33 p. 15 p. 27
p. 12 p. 22
p. 34 p. 37 p. 11 1890(明治23)
年3月
1890(明治23)
年4月
1890(明治23)
年6月
1890(明治23)
年6月
1890(明治23)
年9月
1890(明治23)
年10月 1890(明治23)
年12月 1890(明治23)
年12月 1891(明治24)
年1月
1891(明治24)
年1月
1891(明治24)
年2月
1891(明治24)
年4月
1891(明治24)
年7月 41号
42号 44号 44号
47号 48号 50号 50号
51号 51号
52号 54号 57号 本会記事 本会記事 本会記事 本会記事
本会記事 本会記事 本会記事 本会記事 雑録 本会記事
本会記事 本会記事 詞草 小河の動向
小河の動向
「例会記事」
小河の動向
小河の動向
「例会記事」
「12月大会記事」
小河の動向
「謝誓忠」
「例会記事」
「例会記事」
「例会記事」
「思い出すまゝ」
小河滋次郎
(岳洋居士)
小河滋次郎
(岳洋居士)
70 71 72 73
74 75 76 77
78 79
80 81 82
―196―
7月5日、神田自由亭における例会に出席。「小 河滋次郎君は北海道巡回中見聞せし事情と談話し 茶菓と喫して退散したるは六時頃なり」と記載あ り。
8月2日、神田自由亭における例会に出席、隅田 川で水泳を楽しむ。
「維持委員小河滋次郎君は去月二十六日長野群馬 の両縣に出張せしか去る十一日歸京再ひ茨城縣地 方に出張す同君ハ此頃内警保局監獄課長と命せ る。」p. 43に「下谷區中根岸町三十七番地」へ転 居記事あり。
11月18日、麹町區飯田町の富士見樓における小 林三郎の送別会に出席。
1月3日、神田自由亭における例会に出席。
3月6日、神田自由亭における例 会 に 出 席。小 河、「集會法の極意」なる演説を行う。
「維持委員小河滋次郎君は先頃公用を帯ひ静岡縣 へ出張し要務を措辮し歸京したり」。p. 41広告記 事あり
「維持委員小河滋次郎君より自著獄務提要一冊を 寄贈せり君先に獨逸監獄法の譯あり監獄管理法の 著あり監獄法講義の著あり然して又此著あり實に 其學に堪能にして今や監獄學者を以て目せらる宜 なる哉」
「愛知岐阜三重滋賀京都奈良大阪兵庫和歌山香川 高知愛媛徳島山口廣島岡山の各府縣巡回を命せら れ本月二十日出發す」
「近畿中國四國其他諸國の監獄巡視を了し去る十 日歸京」
p. 41
p. 39
p. 35
p. 13 p. 28 p. 38 p. 39
p. 34
p. 26 p. 21 1891(明治24)
年7月
1891(明治24)
年8月
1891(明治24)
年9月
1891(明治24)
年12月 1892(明治25)
年1月
1892(明治25)
年3月
1892(明治25)
年3月
1892(明治25)
年4月
1892(明治25)
年7月
1892(明治25)
年9月 57号
58号
59号
62号 63号 65号 65号
66号
69号 71号 本会記事
本会記事
本会記事
雑録 本会記事 本会記事 本会記事
本会記事
本会記事
本会記事
「例会記事」
「例会記事」
「例会記事」
「小林三郎君洋行送 別會概況」
「例会記事」
「例会記事」
小河の動向
小河の動向
小河の動向
小河の動向 83
84
85
86 87 88 89
90
91 92
―197―
12月4日、麹町區飯田町富士見樓における大会 に出席。
「去月下旬福島縣へ出張を命さられ三十日に出發 したり」
2月5日、飯田町仁泉亭における例会に出席。1 月の役員改選により、小河、編集委員に選出され る。
「去月下旬福島縣地方より歸京す」
「兵庫大阪京都滋賀岐阜愛知等の各府縣へ出張を 命せられ去月下旬出發したり」
「近畿各府縣の巡回地より歸京し再び群馬縣に出 張を命せられしが數日滞在歸京したり」
「長野縣へ出張を命せられ急行二泊の上歸京す」
6月3日、飯田町富士見樓における久保田興四郎 の送別会に出席。
「内務大臣に随行し去月二十五日北海道巡視の途 に上る」
9月11日、飯田町富士見樓における荘司捨藏の 送別会に出席、「小川滋次郎、溝口雄吾両君の祝 辞あり」と記載あり。また、「内務大臣に随行し て北海道を巡回し歸途森に於て大臣の一行と別 れ猶近縣監獄視察を終り去る八日歸京せり」
「神奈川縣典獄に任し高等官七等に叙せらる」
p. 23 p. 22 p. 29
p. 30 p. 29 p. 19 p. 35 p. 34 p. 12 p. 27 p. 24
p. 31
p. 28 1892(明治25)
年12月 1893(明治26)
年1月
1893(明治26)
年2月
1893(明治26)
年2月
1893(明治26)
年3月
1893(明治26)
年4月
1893(明治26)
年4月
1893(明治26)
年5月
1893(明治26)
年5月
1893(明治26)
年6月
1893(明治26)
年8月
1893(明治26)
年9月
1894(明治27)
年10月 74号
75号 76号
76号 77号 78号 78号 79号 79号 80号 82号
83号
84号 本会記事 本会記事 本会記事
本会記事 本会記事 雑報 本会記事 本会記事 詞草 本会記事 本会記事
本会記事
本会記事
「12月大会記事」
小河の動向
「例会記事」
小河の動向 小河の動向
「あッふらんしい」
小河の動向 小河の動向
「小河君著獄務提要 の序」
小河の動向 小河の動向
小河の動向
小河の動向 手舎生
都筑馨六 93
94 95
96 97 98 99 100 101 102 103
104
105
―198―
「去月下旬上京したりしも直ちに歸縣したり」。名 簿p. 6に住所(神奈川縣横濱戸部町三丁目八十 二番地)・氏名記載あり。
「従七位に叙せらる」。参考:長岡松太郎「犯罪と 教育の関係」(論説)あり
「監獄學と名つくる千頁余の大冊を著述せり」
「宮城縣に出張せり」
「兼て宮城縣に於て開会の典獄会議に出席の處去 月十七日歸縣せり」
小林省一郎の演説に「本會の創立當時にて、最も 至難なる時機に盡されたる小河君、山極君、勝俣 君…(中略)…の御盡力は非常であつたろうと推 察するに餘ある次第であります」と記載あり(p.
21)。また、山極勝三郎の演説に「本會の成立ち ましたのは恰も私が醫科大學の本科に入らんと云 ふ時分でござりまして小河勝俣及宮下諸君と盡力 致して終に本懐も成立ち月報も發兌さるゝ様な事 になりました」と記載あり。参考:名簿p. 6に 住所・氏名記載あり。
「佛國巴里府に於て開會の第五回萬國監獄會議に 帝國委員として出張を命せられ近々出發せらるゝ 由に聞く右告別等の爲め去月下旬歸省一兩日滞在 の上歸京せらる。」
3月16日、錦輝館において小河の送別会が開催 される。
p. 22
p. 26 p. 23 p. 19 p. 24
p. 20
p. 23
p. 17 p. 20 1894(明治27)
年12月 1894(明治27)
年1月
1894(明治27)
年8月
1894(明治27)
年10月 1894(明治27)
年11月
1894(明治27)
年12月
1895(明治28)
年3月
1895(明治28)
年3月
1895(明治28)
年4月 86号
87号 94号 96号 97号
98号
101号
101号 102号 本会記事
本会記事 本会記事 本会記事 本会記事
本会記事
雑報
雑録 雑報 小河の動向
小河の動向 小河の動向 小河の動向 小河の動向
「12月大会
(第9回)記事」
小河の動向
「送小河滋次郎君」
「小河君の送別会」
牧内元太郎 106
107 108 109 110
111
112
113 114
―199―
「去月二十三日横濱港解纜の佛國飛脚船カレドニ ヤ號に乗込み佛國馬耳塞港に向て出帆せらる五月 二日到着の日取なりと云ふ。」
香港到着を報告。3月31日付。
「五月四日佛國巴里府へ無事到着の旨通報ありた り。」
「佛國に於て開會の万國監獄會議決了を告けたる を以て獨國伯林に向け出發せらるゝ旨通知ありた り。」
「佛蘭西より白耳義に赴き二旬程滞在の上去月獨 國伯林に到着暫らく滞在せらるゝ旨通報あり。」 妻崎の訃報。「永々病氣の處藥石効なく遂に去る 十二日易簀せられたり眞に痛悼に不堪。」
「公務取調の余暇を以て十月以来伯林法科大學に 入學せられたり。」
「公務取調の爲め猶一ヶ年間滞欧延期を命せら る。」
「佛蘭西共和國政府より贈與されたる同國三等勲 章を受領せられたり。」
p. 26
p. 27 p. 12 p. 11 p. 12 p. 21 p. 17
p. 5 p. 23 p. 21 p. 14 p. 24 p. 6 p. 34 1895(明治28)
年4月
1895(明治28)
年4月
1895(明治28)
年5月
1895(明治28)
年6月
1895(明治28)
年7月
1895(明治28)
年7月
1895(明治28)
年8月
1895(明治28)
年8月
1895(明治28)
年10月 1895(明治28)
年11月 1896(明治29)
年1月
1896(明治29)
年2月
1896(明治29)
年2月
1896(明治29)
年3月 102号
102号 103号 104号 105号 105号 106号
106号 108号 109号 111号 112号 112号 113号 本会記事
雑録 雑録 雑録 雑報 雑報
雑録 雑報 雑報 雑報 雑報 雑録 雑報 小河の動向
小河の書簡
「でも紀行一」
「 で も 紀 行 一 ( 承 前)」
「泥藻紀行第二信」
小河の動向
小河の動向
「泥 藻 紀 行 第 二 信
(承前)」 小河の動向 小河の動向 小河の動向 小河の動向
「夢に月報を見る」
小河の動向 小河滋次郎
(岳洋生)
小河滋次郎
(岳洋生)
小河滋次郎
(岳洋生)
小河滋次郎
(岳洋生)
小河滋次郎
(岳洋生)
115
116 117 118 119 120 121
122 123 124 125 126 127 128
―200―
「南獨乙ボン府に轉學せられたる旨先頃通報あり たり。」
「瑞西ゼエネーブ府に開く刑事人類學の萬國會議 に帝國政府委員として出張を命さられたり。」
「瑞西國に開會の刑事人類學の萬國會議結了に付 獨逸伯林に歸へらるゝ旨通報せられたり。」
「去る十二日無事歐州より歸朝せられたり。」 留岡幸助の著書の序文
1月16日、福田屋において小河帰朝を祝す茶話 会を開催。「小河山極両君の有益なる談話ありて 退散したるは既に点燈の后なりき」と記載あり。
「柬甫塞國『コマンドール、ロルドル、ロワヤル、
ヂュ、カンホジユ』勲章を受領し及ひ佩用するこ とを允許せられたり。」
「久しく相州箱根地方旅行中の所去る十一日歸京 十四日再ひ郷里に向ひ出發せらしか明日頃は歸京 せらるゝ由。」
「警視廳典獄に任せらる。」
6月6日、福田亭における例会に出席。
「警視廳第四部長兼鍛冶橋監獄署長に補せらる。」
「内務省監獄事務官に任し高等官六等に叙せらる 又同氏は去る六日兵庫大阪奈良愛知神奈川の諸府 縣へ出張を命せられ即日發出せられたり。」
「去月十五日歸京せらる。」 p. 17
p. 18 p. 20 p. 23 p. 3 p. 23
p. 32
p. 35
p. 35 p. 34 p. 25 p. 14
p. 21 1896(明治29)
年6月
1896(明治29)
年9月
1896(明治29)
年10月 1897(明治30)
年1月
1897(明治30)
年2月
1897(明治30)
年2月
1897(明治30)
年3月
1897(明治30)
年4月
1897(明治30)
年5月
1897(明治30)
年6月
1897(明治30)
年7月
1897(明治30)
年9月
1897(明治30)
年10月 116号
119号 120号 123号 124号 124号
125号
126号
127号 128号 129号 131号
132号 雑報
雑報 雑報 本会記事
詞草 本会記事
本会記事
本会記事
本会記事 本会記事 本会記事 本会記事 本会記事 小河の動向
小河の動向 小河の動向 小河の動向
「感化事業之発達の 序」
小河の動向
小河の動向
小河の動向
小河の動向
「例会記事」
小河の動向 小河の動向 小河の動向 小河滋次郎
(小河岳洋)
129 130 131 132 133 134
135
136
137 138 139 140
141
―201―
「正七位に叙せらる。」
12月5日、福田屋における第13回大会に出席。
参考:名簿p. 3に住所・氏名あり 1月2日、福田屋における例会に出席。
2月6日、福田屋における例会に出席。
3月6日、福田屋における例会に出席。
「東京帝國大學法科大學に於て監獄學等の教授を 嘱託せらる。」
「去る五日神奈川縣へ出張を命せられ七日歸京せ る。」
4月3日、福田屋における例会に出席。
「長崎熊本香川の三縣并に三池集治監へ出張を命 せられ去る九日長崎縣に向て出發せられたり。」 p. 28
p. 1 p. 22 p. 22 p. 14 p. 21 p. 2 p. 18 p. 25 p. 26 p. 24 p. 23
p. 22 1897(明治30)
年11月 1897(明治30)
年12月 1897(明治30)
年12月 1898(明治31)
年1月
1898(明治31)
年2月
1898(明治31)
年2月
1898(明治31)
年2月
1898(明治31)
年3月
1898(明治31)
年3月
1898(明治31)
年3月
1898(明治31)
年4月
1898(明治31)
年4月
1898(明治31)
年4月
1898(明治31)
年5月
1898(明治31)
年5月 133号 134号 134年 135号 136号 136号 136号 137号 137号 137号 138号 138号 138号 139号 139号 本会記事
論説 本会記事 本会記事 雑録 本会記事
論説 雑録 本会記事 本会記事 本会記事 本会記事 雑録 雑録 雑報 小河の動向
「教育と犯罪の関係」
「12月 大 会 ( 第13 回)記事」
「例会記事」
「危機一 髪 善 悪 両 面鏡」(1回・2回)
「例会記事」
「刑罰及犯罪予防論 の序」
「危機一 髪 善 悪 両 面鏡」(3回)
「例会記事」
小河の動向 小河の動向
「例会記事」
「危機一 髪 善 悪 両 面鏡」
「危機一 髪 善 悪 両 面鏡」
小河の動向 小河滋次郎
小河滋次郎
(たいゆふ)
小河滋次郎
(岳洋生)
小河滋次郎
(たいゆふ)
小河滋次郎
(たいゆふ)
小河滋次郎
(たいゆふ)
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―202―
「三池集治監其他三縣の巡視を了り去る十二日歸 京せられたり。」
7月3日、福田屋における例会に出席。
「新潟埼玉群馬千葉長野福島の諸縣へ出張を命せ られ去る六日福島縣へ向け出張せられしが十一日 一と先歸京本日より開會の典獄会議決了の上諸縣 へ出張せらるゝ由。」
「本月三日出發新潟長野其他の諸縣巡回の途に上 られたり。」
10月2日、例会に出席。
「新潟長野兩縣下巡回中の處内務省よりの急電に 接し去る十八日一と先づ歸京せらる又同君は去る 七日監獄局長事務取扱を命せられたり。」 12月4日、錦輝舘における第14回大会に出席。
小河を座長として郷友会規則改正を行い、小河、
評議委員就任。
「内務省監獄長事務取扱を免せられたり。」
「去る十一日群馬縣埼玉縣茨城縣千葉縣へ出張を 命せられ明十六日群馬縣に向て出發せらるゝ由。」 p. 20
p. 24
p. 18
p. 1 p. 23 p. 23 p. 23
p. 16
p. 17 p. 21 1898(明治31)
年6月
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年6月
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1898(明治31)
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年10月 1898(明治31)
年10月 1898(明治31)
年10月 1898(明治31)
年11月 1898(明治31)
年12月 1898(明治31)
年12月 1899(明治32)
年1月 140号 140号 141号 142号 143号
143号
144号 144号 144号 145号
146号
146号 147号 雑録
雑報 雑報 雑録 雑録
雑報
論説 雑報 雑報 雑報
雑報
雑報 雑報
「危機一 髪 善 悪 両 面鏡」
小河の動向
「例会記事」
「危機一 髪 善 悪 両 面鏡」
「危機一 髪 善 悪 両 面鏡」
小河の動向
「監獄官教科書の序」
小河の動向
「例会記事」
小河の動向
「12月大会
(第14回)記事」
小河の動向 小河の動向 小河滋次郎
(たいゆふ)
小河滋次郎
(たいゆふ)
小河滋次郎
(たいゆふ)
小河滋次郎 157
158 159 160 161
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167
168 169
―203―
「去月一と先つ歸京せらしか再ひ千葉埼玉兩縣巡 回の爲め出張去る二日歸京せられたり。」 評議員として連名
「法典調査會委員を被仰付たり。」
「奈良三重愛知静岡の各縣巡回を命せられ去月二 十六日出發本月八日歸京せられたり。」
「高等官五等に陞叙せられ又警察監獄學校講師を 嘱託せらる。」
10月1日、福田屋における例会に出席。
「従六位に叙せらる。」
11月5日、福田屋における例会に出席。
12月3日、錦輝舘における第15回大会に出席。
p. 18 p. 1
p. 15 p. 22 p. 9 p. 1 p. 1 p. 22 p. 6 p. 10 p. 27 p. 20 p. 20 p. 14 1899(明治32)
年2月
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年2月
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年3月
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年6月
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年8月
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1899(明治32)
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1899(明治32)
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年9月
1899(明治32)
年10月 1899(明治32)
年10月 1899(明治32)
年11月 1899(明治32)
年11月 1899(明治32)
年12月 148号
148号
149号 152号 154号 154号 155号 155号 155号 156号 156号 157号 157号 158号 雑報
雑報 雑報 雑録 論説 論説 雑報 雑録 雑録 雑報 雑報 雑報 雑報 小河の動向
「上田郷友会資金募 集の手続並に経理方 法」
小河の動向 小河の動向
「航海日記」
「犯罪と行政との関 係」
「犯罪と行政との関 係(承前)」 小河の動向
「航海日記(承前)」
「航海日記(承前)」
「例会記事」
小河の動向
「例会記事」
「12月 大 会 ( 第15 回)記事」
小河滋次郎
(岳洋生)
小河滋次郎 小河滋次郎
小河滋次郎
(岳洋生)
小河滋次郎
(岳洋生)
170 171
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―204―
「白耳義國ブルツセル府に開會の第六回萬國監獄 会議に帝國委員として参列を命せられ本月十三日 米國へ向て横濱港を解纜せられたり。」
「第六回萬國監獄会議に出席の途次米國に立寄ら れしか去月二十五日バンクバーに安着せられたる 旨通報ありたり。」
「小河滋次郎君 君は直躬君の弟にして幼にして 小諸小河氏の嗣となり東京専門學校帝國大學法科 大學に學び内務省に入り神奈川縣典獄となり明治 二十八年に命を帯びて歐洲に航し佛國に於ける萬 國監獄會議に臨み三十年歸朝して警視廳典獄とな り内務省監獄事務官に轉じ今年再び官命を以て歐 米に航し第五回萬國監獄會議にむ今恐くは米國 より歐洲に赴くの航途にあるべし警察監獄學校等 の講師を兼ぬ著書は監獄學外數種あり皆斯界に行 はる年三十八」と記載あり。
「去月十三日米國の首府盛華頓に安着翌日大統領 マツキンレー氏に謁見せられたる旨通報せられた り。」
「監獄事務官に任し高等官五等に叙し監獄局獄務 課長を命せらる同氏は先頃英國より米國ロンドン 府に到着の旨通報せらる。」
「金子篤三郎君 上田中學に入り後ち獨逸協會學 校に移り獨語を研究す現今横濱税關に奉職し鑑定 官補なり年三十ならんか」と記載あり。
p. 16
p. 23
p. 2
p. 25
p. 26
p. 17
p. 16 1900(明治33)
年4月
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年7月 162号
163号
163号
164号
164号
165号
165号 雑報
雑報
雑報
雑報
雑報
雑報 小河の動向
小河の動向
「小河君再ひ万国監 獄会議に望む」
小河の経歴紹介
小河の動向
小河の動向 金子篤三郎の経歴紹 介
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―205―
「金子直躬君 君の父宗元翁は我に於ける洋醫 の祖なり其當時化學の講釋を聽きて其キリシタン 的に驚きたる人もありとかや父君の薫陶を受けた るもの又少しとせす君は長男にして家の業を紹く 嘗て東都に醫學を研究し爾来斯道の爲に盡瘁す平 生多忙の身を以て傍ら小縣醫會々長となり町會議 員となり區醫を華ね馬場町に住す年四十余」と記 載あり。
「此程佛京巴里府に到着の旨通報ありたり。」
「去る七月十八日佛国巴里府に於て開會の免囚保 護に關する萬國會議に出席し結了の後ち比耳義國 に赴かれたる旨通報あり、」
「金子直躬君の母氏 永々病氣の處醫藥其効なく 去月三十一日遂に長逝せられたるは惜むべし。」
「来月中旬頃横濱に歸着せらるゝ旨通報ありた り。」
「官命を以て白耳義ブルツセル府に開會の萬國監 獄會議に臨席し次て歐米各國の監獄制度を視察し 去る二十二日無事歸朝せられたり。」
「小河滋次郎君登檀の上、歐米漫遊中視察の實況 に就き約一時間に亘る演説を爲し一同をして大に 耳を傾けしむる所あり」、「小河滋次郎君は歐米就 中獨逸に於て觀察したる貴族と平民、舊封建君主 と舊臣民との關係を詳述し、且つ會員一同の意を 代表して上田舊藩主并に其連枝たる土井子爵に對 して希望を述べしに、會員一同の感を惹きしは勿 論、土井子爵にも大に感せらるゝ所あり」と記載 あり。
2月3日、監獄協会講堂における例会に出席。ド イツの国家主義に関する演説を行う。
p. 16
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p. 22
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169号 169号 170号
171号
172号 雑報
雑報 雑報
雑報 雑報 雑報
雑報
雑報 金子直躬の経歴紹介
小河の動向 小河の動向
金子直躬の母死亡 小河の動向 小河の動向
例会記事(小河の歓 迎会)
例会記事(小河の演 説概要あり)
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―206―
3月3日、例会に出席。
4月7日、監獄協会講堂における例会に出席。
「去月二十三日墓参の爲め上田に赴かれしか超へ て二十五日歸京せられたり。」
「監獄事務官の同氏は大阪府并に高知香川徳島愛 媛兵庫廣島諸縣の巡回を命せられ本月七日出發せ られたり。」
「監獄事務官の同氏は関西地方各縣巡視を終り本 月七日歸京せられたり」
「監獄事務官の同氏は神奈川縣へ出張を命せられ 即日歸京せらる。」
「監獄事務官の同氏は長野群馬山梨静岡の各縣へ 出張を命せられ去月二十八日出發本月二十日歸京 せられたり。」
12月15日、神田錦輝舘における第17回大会に 出席。
1月5日、監獄協会における例会に出席。
「監獄事務官の同氏は高等官四等に陞叙し一級俸 下賜せらる。」
「監獄事務官の同氏は正六位に叙せらる又同氏は 京都府へ出張を命せられ去る九日出發十二日歸京 更に東北各縣へ出張を命せられ去る十四日先つ栃 木県に向ひ出発せられたり。」
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雑報 雑報 雑報
雑報 論説 雑報 論説 雑報
雑報 雑報 雑報
雑報 例会記事
小河の動向 例会記事 小河の動向
小河の動向
「家庭教育と犯罪予 防」
小河の動向
「家庭教育と犯罪予 防(承前)」 小河の動向 12月(第17回)大 会記事
例会記事 小河の動向
小河の動向 小河滋次郎
小河滋次郎 199
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「監獄事務官の同氏は東北各縣へ出張の序を以て 函舘へ出張を命せらる同氏は明后二十二日歸京せ らるゝ筈なり。」
「先に奥羽各縣并に函舘へ出張の同氏は去月二十 三日歸京本月十三日再び神奈川縣へ出張同十六日 歸京せられたり。」
「本月一日豆州地方へ旅行仝十四日歸京せらる。」 12月7日、監獄協会に お け る 第18回 大 会 に 出 席。「小河君は登檀せり、郷友会の本旨、来歴、
及其必要等に就て述ぶること約十五分。」と記載 あり。
「小河雄君 私立早稲田中學校に在學す。」
「小河滋次郎君 監獄事務官にして監獄改良家の 泰斗なり前後二回万國監獄會議に列し各國に於け る斯道の大家に親炙し有名なる獨のクローネ翁の 如きは尤も親善なりと云ふ君の著書頗る多し何れ も斯界の光明として觀迎せらる。」
5月5日、例会に出席。
「司法省監獄事務官の同氏は法典調査會委員の職 を奉じ盡力尠からざる廉を以て銀杯壹個を賜はる 又同氏は長崎、三池、佐賀、福岡、熊本、大分、
鹿児島、宮崎の各監獄へ出張を命ぜられ去月二十 五日出發せられたり。」
「監獄事務官の同氏は本月十三日出張地より歸京 せられたり。」
p. 23
p. 20
p. 15
p. 15
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200号
201号 雑報
雑報 雑報
雑報
雑報
雑報
雑報 論説
雑報
雑報 小河の動向
小河の動向 小河の動向
12月(第18回)大 会記事(小河の演説)
小河雄の紹介
小河滋次郎の紹介
例会記事
「不良少年の感化に 就て」
小河の動向
小河の動向 小河滋次郎
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―208―
「上田郷友会郷里部大會に出席の爲め本月一日歸 郷同四日上京されたり。」
8月3日、上田町觀水亭における宴会に出席。
8月2日、上田明倫堂における上田町郷友会郷里 部会に出席。「本會の大黒柱ともいふべき、宮下 君が本會創立の元老小河滋次郎と倶に、特に出席 すとの通知に接した時の歡びは、如何ばかりなり しか」、「小河滋次郎君は、満場の希望に、やたら 身を起して、演壇に起つことゝなつた、約一時間 にわたる大演説」と記載あり。(演説概要pp. 24−
25)
10月6日、福田屋における例会に出席。「一同の 希望に依り小河滋次郎氏起つて郷里に關する所感 を詳細に演説する處あり」と記載あり。
11月1日、福田屋における例会に出席。
10月28日、神田錦町の三河屋における「正木峰 村兩氏の爲めの宴会」に出席。「小河滋次郎君は 正木君に對する慰勞の辭并に峰村君に對する送別 の辭を縷々詳述し且つ兩君に向つて希望を致す處 あり。」と記載あり。
12月6日、富士見樓に お け る 第19回 大 会 に 出 席。小河、基本金に関する評議員に選出させる。
1月10日、福田屋における例会に出席。
「笞刑論一篇を著述せられたり。」 2月7日、福田屋における例会に出席。
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p. 22
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年12月 1904(明治37)
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年2月 202号 202号
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204号 205号
205号
206号 207号 208号 208号 雑報
雑報
雑報
雑報
雑報
雑報
雑報 上田郷友会
記事 上田郷友会
記事 上田郷友会
記事 小河の動向
「観水亭の小宴」
上田郷友会郷里部大 会 記 事(小 河 の 演 説)
例会記事
例会記事
正木峰村両氏の為の 宴会
12月(第19回)大 会記事
例会記事 小河の動向 例会記事 溝口雄吾
(溝口生)
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小河と直接関係なし
「監獄事務官の同氏は岐阜富山福井金澤岡山松江 鳥取の諸學校へ出張を命せられ去月二十六日出発 せられたり。」
「北陸、山陰の地方出張中の同氏は去る十四日歸 京せられたり。」
「東京監獄八王子分監浦和監獄川越分監同熊谷分 監へ出張を命せられ去る九日出張十一日歸京せら れたり。」
12月4日、麹町區飯田町の監獄協会における第20 回大会に出席。
1月8日、監獄協会における例会に出席。
2月5日、監獄協会における例会に出席。
「監獄事務官の同氏は第七回萬國監獄會議へ本邦 委員として近々ズタベスト府に開會の同會へ出席 の爲め渡歐せらるゝ筈なり。」
6月4日、監獄協会における例会に出席。
「牙利國ブタベスト府に於て開會の第七回萬國 會議への本邦委員として出張被仰付本月八日未明 横濱解纜の獨國船ザクセン號に乗込み出發せら れたり。」
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年10月 1904(明治37)
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年12月 1905(明治38)
年1月
1905(明治38)
年2月
1905(明治38)
年6月
1905(明治38)
年6月
1905(明治38)
年7月
1905(明治38)
年7月 211号 212号 213号 216号
218号 218号 219号 220号 224号
224号
225号
225号 上田郷友会
記事 上田郷友会
記事 上田郷友会
記事
上田郷友会 記事 上田郷友会
記事 上田郷友会
記事 上田郷友会
記事 上田郷友会
記事 上田郷友会
記事 雑録
「我月報の利用」
小河の動向
小河の動向
小河の動向
「郷友会に対する所 感」
12月(第20回)大 会記事
例会記事 例会記事 小河の動向 例会記事
小河の動向
「実用読本の序」
小河滋次郎
小河滋次郎
(岳洋生)
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