近代化と道徳思想
一デイドロの宗教観・道徳観について一
林 康 廣
〈目 次〉
はじめに
1 教育をめぐる新しい潮流 教育革命の時代
家族の変質と子ども観の変容 学校教育批判
ll 教育と宗教との位相 宗教教育
宗教批判とその認識論的基底 皿 デイドロの宗教観と道徳思想 1. 教育論の二重性と道徳 2. 教育目標と道徳 3.宗教と道徳 4. 政治と道徳 結 語
は じ め に
デュルケームによると,プロテスタソティズムの確立 とともに,道徳の自律性が強調され,礼拝本来の役割が 減少した.神のもつ道徳機能だけが神の唯一の存在理由 となった1).したがって,私たちは,道徳を世俗化しよ
うとするとき,人間が今日まで,宗教的なかたちでしか 表象しえなかった,この道徳力を再評価し,それから宗 教的象徴という衣を剥ぎとって,これをいわぽ合理的裸 体として白日のもとに示し,かつ,いかなる神話の手も 借りずにこの道徳力の実在を児童に感じとらせるための 手段を発見せねぽならない2).
いかなる社会においても,教育と宗教は,各々固有の 領域をもちながら,同じく人間形成をあぐる問題とし て,常に,本質的な係わりを有してきたし,また有して いるのである.したがって,現代においても,たとえ ば,教育をめぐる危機的状況に対して,宗教がもってき たこうした教育的価値,人間形成作用をいかにとりだ し,現代に復権させ,根づかせるかが重要な課題となろ
う.
このような課題を念頭において,貴族(封建)社会か ら近代市民社会へと移行する時代の転換期を生きたデイ
ドロの宗教観・道徳思想を社会の近代化という位相で考 察し,彼の教育思想における歴史的意義を検討してみよ
う.というのは,このような歴史的な転回点ともいえる 過渡期では,常に教育が問題となり,この時期の思想を 研究することは,多くの矛盾をかかえた現代社会を克服 するために必要な理想社会と教育思想を構築するための 重要な示唆を与えると思われるからである.
本稿では,アリエスやスニデールの方法とシエマを手 がかりとして,ディドロの宗教観・道徳思想を見ていく が,研究の対象を17・18世紀のフランス社会とそこにお ける教育問題に限定する.フラソス17・18世紀における 家族形態,子ども観とその変遷を視点として,当時の教 育状況,教育要求を明らかにし,その上で宗教,道徳を 中心にディドロの教育思想を考察する.
また,本稿を展開するにあたって,どの階層のための 教育思想かを明確にするため,17世紀を貴族社会,18世 紀をブルジョワ社会として,いささか図式化,単純化し て時代を区分する.というのは,17世紀フランス社会ば 近代的なものと封建的なものとが渾然一体となっている 社会と考えられるが,大勢では,封建社会であると私は 考えるからである.
本稿で論ずる(新興)ブルジョワジーは,土地がな く,不労所得にあずかることなく,血筋の弱点を能力,
才能,学識で補い,自らの勤勉さをもって,社会的地位 を獲得,保持しようとした階層を抽象化した概念であ る.したがって,大革命後,自己の支配を維持し,強化 するため宗教の必要となった19世紀のブルジョワジーと
は根は同じであろうが,異質なものなのである.
1 教育をめぐる新しい潮流
教育革命の時代 フラソス教育史上で教育の世俗化と して重要な事件は,1762年のイエズス会士追放であっ た.この1762年は,ルソーの『エミール』が公刊された 年でもあり,文字通りフラソス近代教育史の転回期であ
った1).
パリ高等法院は,1762年8月6日の判決により,その
管轄区域からイエズス会士を追放した2).この事件は,
宮廷を中心とするイエズス会士と,高等法院を中心とす るジャソセニストとの間に,17世紀以来長い間くすぶっ ていた衝突の最終段階であった3).
ジャソセニストの復讐が遅まきながら成就したようで もあるが,この事件における真の勝利者は,啓蒙思想家 (フィロゾフ)たちであった4).イエズス会士が敗北し
た瞬間に,ジャソセニスト(ポール=ロワイヤルの人 々)もその存在意義を失った.新しい世界観,啓蒙思想 が新興階級(マニュファクチャ・ブルジョワジーや商業 ブルジョワジー)に支持されて,歴史の前面に出て来
た5).
イエズス会士の消滅によって,「中等教育が問題とな ってきた.当時,イエズス会士の放棄したコレージュは 数百にのぼった.レソヌのラ・シャロッテ,ディジョソ の化学者ギトン・ド・モルヴォなどの法宮たちは,必要 にせまられ,国家主義国民教育のプランを立てた6).そ れらは,教育内容の世俗化と教育主体の世俗化をめざし た教育計画であった.
家族の変質と子ども観の変容 このような教育革命の 原因として,近代における家族の変質とそれにともなっ た子ども観の変容が考えられる.
フランス絶対王政期(17世紀)の家族において,身分 によっても,また地方によってもさまざまであったとは いえ,その国家権力が,まず第一一に家族を,「国家の基 本的構成要素」として把握し,その家族内部の規範をモ デルとして自己の支配を強化しようとした7).したがっ て,家族内部の規範と国家統治の規範とは相互補完的な 関係にあるものとされた.
こうして,王権は,家長によって代表された諸家族の 集合体として村落共同体を把握し,それを媒介として諸 家族を把握することとなった8).
しかしながら,17世紀も終りころになると,農民層の 分解,マニュファクチャーの隆盛,商業ブルジョワジー の活躍といった一連の社会変動の中で,村落共同体が崩 壊し,絶対王政の基盤ともいえる血縁的生活共同体大家 族は,小家族へと変質,変化していった.
この小家族は,新興ブルジョワ階級に特有な家族形態 であった9).新興ブルジョワ階級は,親子の間に距離を 置くような貴族型の生活様式に対して,比較的長期「にわ たる親密な親子の生活,直接的な愛情の絆を形成してい った.もはや親たちは,子どもを小さな大人としてでは なく,「でき上がった子ども」1°)としてみなすようになっ ヤ
た.つまり子どもは,もはや原罪や本源的なあらゆる邪 悪の刻印を押されることなく,愛の対象,教育の対象と 見なされるようになった,このような子どもに対する新
しい理解から,子ども服は大人の服と区別されるように
なった11).
学校教育批判 社会変動やそれにともなう家族の変 質,子ども観の変容にもかかわらず在来の中等教育機関 であるコレージュは,聖職や法曹界のための人間だけを 形成し,商工業の発達から生まれる仕事への準備とほと んどならなかった.コレージュが,新興ブルジョワジー やさらに下層の子弟をもうけ入れるようになると,この 問題は,ますます深刻化していった.
したがって,新しい教育内容として,フランス語,歴 史,地理,数学,実験・応用科学,技術などの有用な知 識の普及,国民道徳の形成,学校教育の国家的統合が,
要請されることとなった.つまり,イエズス会などのラ テソ語,修辞学中心の教育,言いかえれぽ,スコラ的教 養主義,非功利的,非科学的教育内容,方法が批判され るようになった.
H 教育と宗教との位相
宗教教育 キリスト教原理が貫徹している社会におい ては,宗教教育が,その教育の実質的な中身を占めてい た.そこにおける学校教育は,単に知識教育に限られる ことなく,社会統制機能を担った道徳教育を,その重要 な支柱に加えていた.
実際,イエズス会のコレージュでは,宗教儀式が,授 業計画を規制し,学習教材も多くは宗教的な内容のもの
であった.
また,生徒たちに秩序正しい生活をさせるために,コ レージュでは寄宿制がとり入れられ,重視されていた.
この寄宿制の役割は,教育のためだけの世界をつくり上 げることにあった.この世界は世間からの隔絶と,この 壁の内部における生徒に対する恒常的な監督をその特徴
としていた1).
このようなイエズス会のコレージュにおける囲い込み の厳しさを極度に推し進めた寄宿制の根拠は,子どもは は常に悪の餌食になりやすいし,生まれつき悪への傾斜 を強くもっているというキリスト教的人間観(原罪)に
もとついていた2).
したがって,コレージュでは,宗教的な規律が学校内 を支配し,生徒は説教に熱心に出席し,夜にも教師か
ら,個人的に説教を受けるといった,授業外にも宗教的 雰囲気が充満していた.
宗教批判とその認識論的基底 宗教教育を教育課程に どのように位置づけるかという問題は,宗教批判とそこ での認識の問題と通底している.
フランスでは,カトリックの支配が強固でプロテスタ
ントによる近代化の道を歩むことができなかった.した がって,フラソスのブルジョワジーにとって,近代化 は,宗教からの解放として提起されることとなった.
17世紀フラソスの形而上学のなかで,トマス・アクイ ナスの教理は,生得観念という新しい装いをこらすこと となった.つまりライプニッツなどの思想に含まれる生 得観念の強調は,中世的な道徳と絶対主義的な秩序の擁 護と密接に関連したものであったS).
ロヅクは,『人間知性論』において,このような生得 説に反論した.そして,このロックの説に対して,コソ ディヤックは,「(ロックが)生得観念を攻撃した手並は あざやかであったが,精神の生得的機能についての偏見 に手をふれようとはしなかった,見たり聞いたりするこ ととまったく同様に,観察や理解などの働きもけっして 最終的か分解不可能な根本的性質ではなく,われわれが 経験と学問によってはじめて獲得する後天的形成物に他 ならない」4)と批判し,経験の内実を感覚のみと規定す る感覚論へとイギリス経験論を徹底させた.コンディヤ ックが指摘するように,ロックにとって,心的機能の生 得性そのものは批判の対象ではなかった.
このような感覚を認識の唯一の源泉とみなす論理は,
フラソスのアソシャソ・レジーム下における精神文化の 退廃と,それによる社会秩序の崩壊を予知し,すべてを 白紙状態に還元し,自然のメカニズムにそって,徹底し た近代市民社会の構築を図るという,フラソス18世紀の 歴史的現実に根ざした積極的な表明であった5).
このようなフラソスの状況が,伝統的,特権的認識論 からなかなか抜け出せなかったイギリスに比べて,はる かに近代的,合理的な認識論を展開させたのであった.
皿 デイドロの宗教観と道徳思想
1 教育論の二重性と道徳
絶対王政とそれにくみする宗教権力に対するディドロ の批判は,きわめて過激で,的確である.しかし,彼の 現実に対する社会認識は,それほど鮮明ではない.これ は,近代市民社会における個人と社会という二極分裂を 肯景としていると思われる.
ディドロの教育論には,ヴォルテールやラシャロヅテ ほどではないにしても,民衆教育の否定が含まれてい る1).ヴォルテールには,民衆(peuple)に対して絶望 する傾向がある.ヴォルテールにとって,民衆とは生き るすべとして自分の腕しかもたない下層民のことであ り,教育しなけれぽならないのは,善良なブルジョワの ことであって,民衆のことではない2).ラ・シャロッテ も,過度の階級移動に対する不安により3),民衆の教育
要求を抑制し,否定する.
デイドロも,過度の階級移動に対する不安と民衆の野 心への恐れを表明する4).スニデールは,ディドロでさ え,ブルジョワ階級の地位が,民衆の子どもたちによる 階層的上昇によって,かすめ取られる危険があり,それ にともなう社会不安を恐れていた,と指摘している5).
しかしながら,他方では,農民に文字さえ教えないこ とを表明するヴォルテール6)と違って,ディドロは,す べての国民が,義務,無償の初等教育を受けなけれぽな
らない7)ことを主張する.
ディドロの教育学上の主著ともいえる『ロシア政府の ための大学計画』(1775−6)は,エカテリーナ∬世のた めに書かているとはいえ,近代市民社会全般の担い手の 形成論であり,国家を代表し,指導する紳士階級の教育 論でもある.
ディドロの教育論は,ブルジョワジーに固有の家族を 要めとして,国家と個人の一体化を図ろうとしたもので あった.また,彼の教育論はマニュファクチャーの進展 に伴って,次第に教育基盤としての家父長制に象徴され る家族が崩壊していったという歴史的状況を背景として
いた.
しかしながら,ヴォルテールやラ・シャロッテ同様,
ディドロにあっても,民衆は,ブルジョワジーとは違っ て,近代市民社会の現実的な基底である家族を媒介とし ないで,直接的に国家社会道徳に,順応させられてしま
うのである.
こうして,ディドロの道徳思想は,教育論と同様に,
二つの階層的分断により貫かれている.ディドロが民衆 に対応した徳育論を紳士の徳育論と同列に展開すること に戸惑いを感じていたことは本当のようである8).
2 教育目標と道徳
ディドロにとって,教育の目標は,誠実な人間(ho−
nnεte homme)を形成することであった9).しかも彼 は,みごとな天分を付与された人よりも,清らかな心を
持った人を望んだ1°).
しかしながら,ディドロの生きた時代は,学問が徳性 の育成となるという知徳予定調和の時代ではもはやなか った.こうして,ディドロは,徳だけでは十分ではな く,知性をも養うべきこと11)を希望する.
したがって,ディドロにとって,徳性陶冶と,科学的 知性陶冶が密接に結びつけられており,徳と知性こそ が,教育の二大目的であったユ2).また,単なる学問的知 識の修得ではなく,その知識の使用を可能とする能力の 育成をも重んじた13).
ディドロの場合,この知性は,分別と学識を含むもの
であり,価値判断能力に密接に関わっており,道徳的認 識といえるものである.そして,徳性こそ,人間を人間 たらしめている道徳的感情,道徳的態度といえよう.
しかしながら,この道徳的感情の内実は,カトリック のそれとは違う.つまりカトリヅクは,情念自身に人間 の一切の悪しき行為,犯罪の原因を見た.だが,ディド ロにとって情念が人間を悪や堕落や犯罪にかりたてたと しても,その責は判断力(悟性)にあり,情念そのもの にはない.情念そのものは常に人間を幸福へ,したがっ て善へと導くのであるから決して悪ではない14).
ディドロは,デカルトやモソテーニユに見られるエピ キュリスムを更に強力に押し進め,感情(情念)を人間 の行動において理性と同等に置くのである15).ディドロ は,あらゆる快楽(volupt6s)のうちで最も甘美な快楽 は道徳から生まれる快楽であり,道徳に関する二つの学 派(エピクロス,ゼノン)を和解させることは困難では
ない16),という.
私には和解しがたいと思われる感情(情念)と理性,
言いかえれば,知性と徳性をうまく調和して身につけて いる人こそ,ディドロにとって紳士(honn6te homme)
なのである.
3 宗教と道徳
ディドロは,最初の労作であるr功績と徳に関する試 論』1のの中で,「宗教なくして徳はなく,徳なくして幸福 はない」18)と述べている.しかしこれは,ディドロにと って,徳の基礎に宗教があるという意味ではない.そう ではなくて徳と宗教とを分離し,問題をこの世のことに 限定しよう19)というのである.
ディドロは,「徳をいかなる所でも道徳的徳と解して いただきたい」2°)と言って,宗教的徳と道徳的徳を区別 し,後者だけを考察の対象にしようとする.
ディドロには,他の宗教(エジプト)の非をあぽきな がら,キリスト教の優位を認め,キリスト教の道徳があ
らゆる宗教のうちで最も完全なものであるという線まで 一応退く.しまいには,キリスト教を含む宗教的徳は,
その実践面での非人間性,また「下劣な,いやしい動 機」21)において,道徳的(=人間的)徳に反する22)とい
うことを暗に言うのである。
ディドロは,シャフツベリイとともに,利益追求心 (int6ret)と自己愛(amour−propre)23)など,キリスト
教ではこの世の欲として卑められているものを復権させ る.二人にとって,有徳な人間とは,自然的情念(affe−
ctions naturelles)の統制(6conomie)24)が,その個人 の属する社会の全体的利益(bien 96n6ral)に一致して いる25)人間のことである.
シャフツベリイの立場は,有神論(th6isme)である.
彼によると,有神論は,啓示を否定する理神論と違っ て,啓示を認めるに近い立場をとる26).あらゆる宗教の 基礎が,有神論である2T).完全な有神論者とは,本質的 に善である唯一の知性によって,万物が創造され,秩序 づけられた最良の状態(le mieux)に統治されていると 信ずる28)者である.
シャフツベリイ(1671〜1713)は,ロッ衆のパトロン であった初代シャフツベリイ伯の孫に当り,幼時ロック を師とした29).ロックは,理性中心の視点を堅持しなが らも,理性自身の限界を確認すると同時に,現実のキリ ソト教の持つ社会的規制力を期待して,啓示を認容し た3°).ロヅクは,相つぐ自分への批判に対して『キリス ト教の合理性』を書いて,自分と理神論者トーランドと の相違を明らかにした31).
シャフツベリイは,宗教と道徳とを分離しながら,有 神論という宗教を採っている.これは,シャフッベリイ が,ロック同様,啓示的世界を容認することで,伝統的 な宗教感情と妥協したものと考えられる.
ディドロは,この最初の著作において,道徳的な見地 から,無神論を批判する.有神論者は,絶えず善である 神に見守られている意識から,徳を行なう.しかし,無 神論者は,こうした偉大な助けがないので,この点で欠
陥がある32).
ディドPは,「観念が感覚から生まれようと感覚によ って発展しようと宗教にはまったく関係がない」33)とい って,哲学と宗教を分離した.そして,彼は,進化論的 唯物論の成長による理神論の否定,物の実在の確信,思 惟の物質性の想定,万物連鎖の認識により唯物論の基礎
を固めた34).
しかしながら,ディドロは,道徳実践面において,終 始無神論に矛盾を感じていた.彼は,1749年7月11日付 の手紙の中で,『盲人に関する書簡』におけるソンダー ソソの唯物論に対するヴォルテールの非難に答えて,
「ソンダーソソの意見はあなたの意見でないように,私 の意見でもない」とのべている35).このように,ディド ロの場合,少なくとも道徳実践面において,唯物論二無 神論という図式は妥当ではないようである.
ディドロは子どもに宗教的義務と道徳的市民的義務を 教える36)ことを主張している.また後期に書かれた教育 論,rロシア政府のための大学計画』の中で,エカテリ
ーナll世の臣民たちに,二実体の区別,神の存在,霊魂
の不死,来世の確信を教えることを勧告する.もっと
も,これらは,真の幸福の観念から人間関係の現実的諸
関係,人間の義務とあらゆる正しい法を生じさせる科
学,つまり道徳の前提として教えられる37)のである.
大賀正喜は,自分のディドロ解釈と小場瀬卓三のディ ドロ解釈との間に微妙なズレがあるとし,ディドロが,
全人格的にはついに確固たる唯物論者になり得なかった のではないかと疑問をなげかけている38).
私も,ディドロの教育論のいくつかを読むかぎり,デ ィドロが宗教と道徳についてさまざまな矛盾しあう観念 を抱きつつ絶えず動揺していたことはたしかであり,頭 では認め,心情では否定する39)といった矛盾に陥ってい たと考える.
ディドロの道徳思想の基底には,近代人における道徳 の内実である快楽主義と理性主義があることはまちがい ない.もちろん,この近代人とは市民社会の担い手であ る新興ブルジョワジーを抽象化して得られた個人主義的 人間のことである.
しかしながら,彼の道徳思想に内包された快楽は,機 械論的唯物論者エルヴェシウスのものとは違って,単に 即物的な欲望追求にとどまらず,人間関係からかもしだ される精神的快楽なのである.ディドロには,エルヴェ シウスに対して,「けっして富や名誉や官能的快楽の必 要からではなく」4°),真理のため,「みずからの自由,財 産,名誉,さらには生命を失う危険にさらす,あの気高 い熱惰」41)が存在することを主張している.このように,
ディドロの教育思想においては,肉体的快楽よりも,精 神的快楽,つまり幸福感の方が優位を占めるのである.
4 政治と道徳
ディドロの政治思想において,主権は国民にある.国 民によって,代表者たちは任命され,基本法典と呼ぽれ る根本法を定める.行政権は主権者にあり,主権者は,
契約により全国民に結びつけられる.主権者といえども 基本法典を尊重しなけれぽならない43).
基本法典は,制限君主制国家の運営にあたり,君主と 国民の双方が遵守する義務を負う当事者間の約束に相当
する44).
ディドロにとって,個人は,反省・比較の能力をもっ て悟性の働きにより,その欲望の性質,その共通の性質 を反省することをとおして,人類の一般意思人類の共 通の欲望(すべてのものの幸福を追求するという)に達 し,ここに他人の幸福への配慮・社会形成の意思が生ま
れる45)のである.
こうして,法・社会の形成原理が人間の幸福の追求に 求められる点において,幸福論的・功利論的性格を示し つつ,幸福追求の意思が全人類に拡大せられる.しかも この人類の一般意思,人類の共通の欲望が人為の立場 からではなく,人間自然に内在する法・社会の原理とし
て,これに,倫理性と規範性が付与されるのである46).
ディドロは,特殊意思の悪への可能性を認めつつも,
なお人間自然における自然的調和を信頼しようとする.
これに対して,ルソーは,『ジュネーブ草稿』で,個人 の利益がどうして一般意思に従うことを要求するかが,
依然として不明のままではないか47),と言って,ディド ロの「自然法」項目(百科全書)を批判する.
ディドロにとって,自然法とは,われわれの行為を規 律するのに奉仕する永遠かつ不変の秩序である.市民法 の道徳性は,自然法の道徳をもととして,市民法は,自 然法を法典化することによってつくられる48).
「君の幸福と君の同胞の幸福のために,君の同胞に要 求しうるもの」49)だけが人類の本質的な性質であり,す べてのものの幸福の欲求が全人類の唯一の情念である.
したがって,個別的な幸福は,各人にとって,自然にか なったものであると同時に,社会的なものとして,実現 されなけれぽならない.このような個別的な幸福にいた るために,社会は,各人を教育するという義務と権利を もつということになる.
国家は,社会を自然法にかなったものにし,すべての 者の幸福を実現するために,それに内在する自由と所有 を保障する.こうして,政治組織と国民教育は,このよ
うな同じ本質において基礎づけられる.
ディドロは,エカテリーナH世に,子どもが神の法と ともに,人間,市民,国家の法を学びえるようにカテキ ズムをつくりかえる5°)ことをすすめる.これは,市民の カテキズムと宗教的カテキズムを一冊の本にすることに より,神の掟が市民法を清め,市民法が宗教の掟を市民 化する51)ためである.ディドロにとって,自然法は,市 民法と宗教法の理想型でなけれぽならない52).
ルソーの最初の入賞論文r科学と技芸は道徳を純化し たか,あるいは頽廃させたか』は,反技術,反科学の思 想で充満している.しかし,ディドロは,ルソーのよう に技術と科学が道徳を頽廃させるとは考えず,逆にこれ らの前進と発達こそ人間の幸福を約束するものであると 信じた53).ディドロによれぽ,フランスの道徳の頽廃
は,悪しき制度から生まれたものであって,科学と技術 の発展が産み出したものではなかった.
ルソーは,科学と技術の人間生活に対する役割を否定 的に解釈し,自然との直接的同一の状態への復帰を高唱 した.しかしながら,ディドロは,自然に対する闘争を 科学と技術の手段をもって遂行することに人間の存在の 本質を認め,マニュファクチャーの生産規模の拡大と機 械の発明を勧告鼓舞した54).
ディドロにおいて,政治組織と法が,人間生活の規範
ともいえる社会道徳(moeurs)を規定する.「法が善け ぽ,社会道徳も善い.もし法が悪けれぽ社会道徳も悪 い.」55)したがって道徳を変革することは,結局法の変革 を必然的に前提とする.
ディドロは,「偶然の幸福」と「永続的な幸福」を区 別し,法が変化するとともに,道徳も絶えず変化する56》
とし,社会の発展により古くなった法を徹廃し,新しい より善い法を創造しようとする.
かくて,ディドロは,自然的調和を信頼するので,道 徳を,社会同様,自然の延長とみて,社会の矛盾の根源 をつくことをしない.したがって,ディドロのえがく社 会像は,きわめて道徳性を帯びたものといえる.つまり 個人が少しでも,徳に欠け,悪へ傾斜すれぽ,ディドロ の社会はたちまち崩壊するのである.
以上のように,ディドロにおいて,道徳と政治は密接 に結びつけられている.したがって,ディドロにとっ て,道徳が上部構造であるとしても,その土台は経済で はなく政治ではないか57)と考えられる.
ディドロは,法によって社会を道徳化し,教育によっ て市民を道徳化しようと望んだ.ディドPtは,義務,無 償,世俗的公教育により,法を教え,国家から金銭の支 配を追放するために,学校と社会に競争原理を導入し,
社会も市民もともに道徳化しようとしたのであった58).
結 語
フランスにおいて,近代的な観念が定着したのは,ア ザールの『ヨーロッパ精神の危機』によると,1680年か ら1715年の転換の時期,つまり18世紀の啓蒙の時代であ るようだ.17世紀の人々は,封建的身分秩序や教会的権 威,古代的文化理想への盲目的崇拝を愛していた.18世 紀の人々は,ほかならぬこの束縛と権威を蛇蜴のごとく 嫌った.18世紀の人はただひたすら平等を夢見た1).ア ザールは,このことをいささか単純化し,図式化してい いすぎているきらいはあるが,巨視的にみれば,この指 摘はあたっていると思われる.
この時期から,大勢として,家内手工業からマニュフ ァクチァーへ,宗教的文化から科学的文化へと大きく転 換し,フランスにおける近代化が始まったといってよい であろう.
ジャン・ボダソやボシュエをその思想的基盤として,
絶対王政は,貴族の家族形態である大家族を擁護し,家 父長権の強化のための政策をとった.
しかしながら,新興ブルジョワジーは,貴族階級と違 って,もはや土地にしばられることが少なくなったの で,長子権はそれほど重視されなくなった.それによ
り,親子関係も変化し,家族も小さくなっていった.結 婚の条件も,貴族における土地と土地の合体を前提とす
るものではなくなった.土地にかわって,持参金が問題 とされるようになったとはいえ,結婚は,貴族における ものより比較的自由になった.
貴族階級における理想の教育は,親もとを離れた寄宿 制の下での教育であった.しかし貴族より下の階層の子 弟がコレージュに多く入学するようになって、通学生が主 流を占めるようになった.このような親元からの通学に より,長期にわたる親子の生活が可能となり,直接的な 愛情の絆が形成されるようになった.貴族と違って,土 地をもっていない新興ブルジョワジーは,子どもの未来
,子どもの教育にとりわけ熱心であった.
また,中産市民層(新興ブルジョワジー)の発展に伴 う経済の進展を通して,職業倫理は変化し,それに伴っ て,教育観も変化した.従来では,教育は,家長のもっ とも重要な責務とみなされていた。しかしながら,『百 科全書』では,子どもの教育権は夫婦にあるとされた.
このように,家族は,新しい宗教・道徳教育機関とし て,教育的機能を直接担うことになった.新興ブルジョ ワジーの家族道徳は,絶対王政下における国家支配の秩 序(道徳)と相互関係にある家父長制の下での家族道徳
とは異質のものなのである.
新興ブルジョワジーの家庭では,子どもの教育に際 し,キリスト教の原罪説にともなう体罰は否定された.
しかし,原罪説の重苦しさはなくなったかわりに,その 裏返しとして子どもの教育可能性が強調され,進学熱が 家庭を支配することとなった,実際,貴族階級は,ブル ジョワジーほど子どもの教育に対して熱心ではなかっ た.これは,新興ブルジョワジーが血統の弱点を能力,
才能,学識で補い,社会的地位を獲得し保持しようと努 めたからである.
その結果,従来の中等教育機関であるコレージュの教 育内容は,批判されるようになり,新しい社会がもたら した職業や日常生活に直接役立つ,数学,応用科学,技 術,地理,歴史などの学科が要求されることになった.
貴族(封建)社会から市民社会へと移行し,社会全体 が近代化する過程で,伝統的な封建社会に統一的に内包 されていた社会道徳は,個人道徳と社会道徳に分化し,
さらに国家道徳をも顕在化させることになった2).新興 ブルジョワジーの国家権力への接近という歴史的状況に おいて,近代市民社会が引き起こした個人と社会との分 裂を背景として,道徳規範は多様化し,重層化した.
ルソーの『エミール』は,ロックの教育論同様,学校
に頼らずに,家庭において,新しい道徳規範に従う近代
市民を形成しようと目論んだものである.また,ディド ロは,コンドルセに先だって,公教育を構想し,法によ り社会を道徳化し,教育により市民を道徳化すること で,国民に品性を与え,才能,能力,徳をそなえた紳士 を形成しようとした.
このよう二,二人の教育思想家をみれぽわかるよう に,大部分の18世紀フラソスの教育思想家たちは,当時 の学校の悪しき状況を前にして,学校(公)教育と家庭 教育の間で動揺していた.こうして,近代市民社会にお いては道徳教育主体が,学校と家庭に分裂してしまうの
である.
皿,3とIII.4で見たように,ディドロの道徳思想に おいて,個人道徳ともいえる徳(vertu)と,社会道徳
(mceurs)とが,はっきりと区別されることなく未分化 に重層しているのである.大賀正喜の指摘するように,
認識論のレベルにおいて,ディドロは,有神論から理神 論へ至り,r盲人、に関する書簡』で,ついに無神論(弁 証法的唯物論の萌芽)へとたどりついた.だが,ディド ロは,終始,道徳的立場から無神論に矛盾を感じていた のであった.
また,ディドロは,建て前として,農民にも平等に義 務教育を受けさせることを主張する.しかしながら,他 方では,彼は,本音として,過度の階級移動に対する不 安と民衆の野心への恐れを表明する.ここで,ディドロ は,『ラモーの甥』の「私」と「彼」との間に分裂して いたのであろう.
ヘーゲルは,『精神の現象学』の中で,『ラモーの甥』
により,近代的自我をみごとに分析した.ヘーゲルによ ると,近代的自我は,分裂した(自己)意識である.こ のように二極に分裂した意識こそ,ディドロ自身の意識 であったといえる.
ディドロの道徳観において,道徳性と自然(幸福)と の調和が,意識にとって,現実的でも現在的でもなく,
彼岸的なものであるのに,それが調和可能であるとオプ ティミスティクに考られたのである.ディドロにとっ て,両立不能と見える利己と利他の調和を保証するの は,個人の行ぎ過ぎを適当に制御する理性である.
ディドロの道徳思想に典型的に見られるように,近代 市民社会において,道徳規範は,個人と社会の分裂を背 景として,宗教的なものと,無神的(世俗的)なものに 分裂し,多様に重層化するのである.また,道徳教育主 体も子どもの教育に関して,学校と家庭とに引き裂かれ てしまうのである.
もちろん,ディドPは,動揺し,引き裂かれていたと はいえ,彼が構想した道徳思想に見られる快楽主義と,
理性主義が,近代の知的ブルジョワジーのエートスを形 成し,近代化の原動力となったことは否めない.近代化 を推進するためには,宗教的寛容に基づく道徳観が絶対 に必要であると言っても過言ではない.もっとも私見で は,ロックやディドロなどに見られる寛容なる宗教は,
限りなく無神に近い宗教であることは間違いない.
このような近代化の原動力となるような道徳思想(性 善説)では,両刃の剣として,かつてキリスト教におい て,原罪から起因すると考えられた悪の問題は,解決不 可能となってしまったのである.したがって,現在にお いても,かつての宗教教育にかわりうるものはいまだに 見出されていないといえる.
このような近代市民社会における分裂した道徳を克服 するには,ヘーゲルのr精神現象学』の理念である「真 なる学問意識,真なる国家意識,真なる宗教意識が,人 間精神の真なる自己認識においてひとつになる」3)よう な道徳を再構築することであると私は考える.そこで は,そのような道徳が具体的にどのように教育実践へ結 実されるかが課題となろう.
また,モンテーニュ,デカルト,ディドロの嫡子たち がことごとく行詰まりを見せた現代にあって,rパンセ』
の中で,理性の力を制限し心情を通じて信仰される宗教 こそ,人間を幸福にし,かつ正しい確信を与えるもので あるとしたパスカルの深淵な思想を復権することも無駄 ではないであろう.つまり人間というものに何を見,人 生に何を求め,自己の実存の深みに何を満たすかという ことが,道徳において問題とされなけれぽならないので
ある.
道徳思想において,合理主義(デカルト・ディドロ)
と非合理主義(パスカル)とが矛盾なく統一されなけれ ぽならないと考えられる,
以上,ディドロの道徳思想を中心に見てきたが,近代 市民社会においては,道徳教育(徳育)の主体が家庭と 学校とに,あたかもrラモーの甥』のように分裂してし まうのであった.
ディドロもルソーも「性善説」の立場から,キリスト 教の原罪を否定したので,必然的に人間の「悪」と理論 的に対決しなければならなかった.これは,わが国にお ける戦後教育が戦前の修身教育体制の否定の上に成立し ていることから,道徳教育がタブーとされ,消極的に扱 われてきたという状況と似ている.
私は,現代教育の病理の根源を解明,克服するため
に,家族史,子ども観,結婚観の変遷史などといった社
「教育科学研究」第4号 会史の観点から,宗教問題を現代教育学において,再び
問いなおさなけれぽならないと考える.
そのためには,各国の教育文化における内的一体性を 想定することは,かなりの困難を予想せざるを得ないけ れども,現代日本における教育文化の基調の特徴を解明 するには,欧米のそれとの比較が重要な課題となると考 えられる,つまり欧米の教育史におけるキリスト教との 関係(意義,役割,影響)を理念型として研究し,それ をものさしとして,仏教,儒教,キリスト教,神道など と重層化した日本の宗教を批判的に再検討し,その中か ら合理的なものを引き出し,それらを道徳思想として位 置づけて,現代教育の中に復権させることが課題となろ
う.
《付 記》
この小論文は,修士論文,rディドロの教育思想一ブ ルジョワジーの思想と教育一』,第一章,「ディドロにお ける政治と教育」の一部,「教育における世俗化」の箇所 を大幅に加筆,修正したものである.
「はじめに」の註
1) Emile Durkheim, L 6ducation morale・P・U・F・
P.6.
2)E.Durkheim, Idem p.9.デュルケム著,麻 生誠,山村建訳,『道徳教育論』1,世界教育学選 集,明治図書,44頁参照.
1の註
1)吉沢昇著,「近代人の教育と世俗的道徳」,r思想』
8月号,1970年,118−119頁参照.
2)ユベール・メティヴィエ著,安斎和雄訳,『啓蒙 時代』文庫クセジュ白水社,165頁.
3) ボルケナウ著,水田洋他訳,『封建的世界豫から 市民的世界像へ』みすず書房,219頁.
4) メティヴィエ著,前掲書,165頁.
5) ボルケナウ著,前掲書,327−328頁.
6) メティヴィエ著,前掲書,日本語と日本語訳を変 更した.165−166頁.
7)青山道夫,有地享他編,『講座家族,1家族の歴 史』,弘文堂,182頁.
8) 同上 183頁.
9) フラソス18世紀の初期において,ブルジョワ階級 は,町人(層)とも訳されることがあり,不労所得 にあずかることのできない階級のことである一tその 内実は,大・小マニュファクチャー,独立自営農 民,中小商業ブルジョワジーなどと考えられる.
1985年7月
10) J.J Rousseau. Emile ou de l 6ducation,6d. F.
et P. Richard, Garnier p.175.
11) G.Snyders, La P6dagogie en France aux
XVIIe et XVIIIe si6cles, paris, P.U.F.1965, pP.
270−342 スニデールとアリエスは,家族観,子ど v も観において,基本的には重なるが,スニァール は,子どもの発見の時期を18世紀の啓蒙時代とす
る。
Hの註
1) G.Snyders, La p6dagogie aux XVIIe et XVIIIe si6cles. pp.35−40.
2) G.Snyders, Idem pP・41−48・
3) 永治日出雄著,「エルヴェシウスの思想の構造と 史的位置」,r科学と思想』,1977.7. No.25,新日 本出版,127頁.
4) カッシーラ著,中野好之訳,『啓蒙主義の哲学』
紀伊国屋書店,122−123頁.
5) 山崎正一著,r近代イギリス哲学の形成』春秋社,
91頁.
皿の註
1) G.Snyders, La p6dagogie en France aux
XVIIe et XVIIIe si6cles, paris. P.U.F.,1965.
pp.399−408.
2)Jean−Marie Dolle, Politique et P6dagogie−Di−
derot et Ies problさmes de 1 6ducation, J・Vrin・
1973, p.19.
3) ラ・シャロッテ著,古沢常雄訳,r国家主義国民 教育論』,世界教育学選集,明治図書,28,30,187
頁.
4) Diderot, Plan d une universit6 pour la Gouve−
rnement de Russie ou d une 6ducation publique dans toutes les sciences, 6crit de 1775 a 1779,
Oeuvres complbtes de Diderot,6d. J. Ass6zat,
Garnier Fr6re p.527.
5) G.Snyders, La P6dagogie en France aux
XVIIe et XVIIIe si6cles, p.410.
6) G.Synders, Idem, P・404・ Voltaire・Dictio−
nnaire philosophique,「Fertilisation」
7)Diderot, M6moires pour Cathe血e ll・
6d. Verniさre, Garnier p.242, Plan d une Uni−
versit6 p.520。
8) G.Snyders, La P6dagogie en France aux XVIIe et XVIIre si6cles, pp.399−410.
6)Did…t, L・tt・e a M・d・m・L・C・nt・・se d・
Forbach, sur 1 6ducation des enfants, Oeuvres
comp16tes de Diderot,6d. Ass6zat Garnier, Tome 皿p.540.
10) Diderot, Ibid.
11) Diderot, Idem, P.541.
12) Diderot, Idem, P.542.
13) Diderot, Idem, P.543.
14) Diderot, Introduction aux Grands Principes,
Oeuvres compldtes de Diderot,6d. Ass6zat,
Garnier Tome I. p.88.
鳥井博郎著,『ディドローフランス啓蒙思想への一 研究一』172頁,日本語と日本語訳を変更した.鳥 井はpassionを感情と訳している,
15) 鳥井博郎著,同上,174頁.
16) Diderot, Essai sur les r6gnes de Claude et de N6ron, Oeuvres t.皿p.315,
17) ディドロには,序文(p.16)で,原書を反覆熟読 したのち,ほとんど,本を伏せて思い切って自由訳 したと言っている.したがって原書と照らし合わせ てみる必要があるとはいえ,全面的にディドロ自身 の思想になりきっていたと思われる.
18) Diderot, Principes de la philosophie morale ou Essai sur le m6rite et la vertu, Oeuvres, t.1,
P.10.
19) Diderot, Idem, P.12.
20) Diderot, Idem, P.13.
21) Diderot, Idem, P.13.
それは,来世での報酬への希望や刑罰への恐怖な どである.
22) 大賀正喜著,「ディドロにおける唯物論への道程 一著作分析を通じて(1745−1757)」,『人文学報』
1961.3,No.24,43頁.
23) Diderot, Essai sur le m6rite et la vertu, P.
101.
24) Diderot, Idem, P.64.
25) Diderot, Idem, P.13.
26) Diderot, Idem, P.13。
27) Diderot, Idem, P.14.
28) Diderot, Idem, P.21.
29) 成瀬治著,r近代市民社会の成立』東京大学出版 会,155頁.
30) 春山浩司著,r近代教育の発見一ロックとルソー の市民教育論』有斐閣選書,264頁.
31) 春山浩司著,同上,265頁.
32) Diderot, Essai sur le m6rite et la vertu p.52,
33) Diderot, Apologie de l abb6 de Prades, Oeuvres
compl6tes t.1,P.449.
34)大賀正喜著,前掲書,76頁.
35) Diderot, Oeuvres complさtes t XIX pP.419−
422.
36) Diderot, Oeuvres politiques, P.348.
37) Diderot, Plan d une universit6 P.490.
38) 大賀正喜著,前掲書,76−77.
39) Diderot, Lettres a Sophie Volland,6dition de A.Babelon, Gallimard,1【. p.274.
40) Diderot, Oeuvres philosophiques, Garnier, P.573.
41) D孟derot, Ibid.
42) Diderot, Oeuvres politiques,6d. Verniさre p.
357.
43)ディドロ著,「政治的権威」『百科全書』岩波文 庫,216頁.
44) 小笠原弘親,市川慎一編著,『啓蒙政治思想の展 開』近代政治思想の研究H,成文堂,125頁.
45) 桑原武夫編,『フランス百科全書の研究』 岩波書 店,138頁.
46)桑原武夫編,前掲書,139頁.
47)ルソー著,『ルソー全集』五巻,白水社,278頁.
48) Diderot, Oeuvres politiques, P.351.
49) ディドロ著,「自然法」,r百科全書』岩波文庫,
211頁.
50) Diderpt, Oeuvres politiques, P.389.
51) Ibid.