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日本教育学説史研究のすすめ

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Academic year: 2021

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(1)

日本教育学説史研究のすすめ

山 住 正 己

 私は、東京都立大学大学院で私の担当する教育 学演習のテーマを1979年度に「日本教育学説史 研究」と定め、以後、今年度にいたっている。ま だ、このテーマをtoうす予定はない。2年目の学 年初めに、演習淀参加する15人の大学院生諸君 に「教育学と私」と題する文章を書いてもらい、

冊子にまとめた。それは400字づめ原稿用紙400 枚に達し、左かなか読みごたえのあるものと左っ た。私は、その「はしがき」に大要つぎのような 文章をよせた。

       傘     章

 私は、1972年にこの大学の教師となり、大 学院を担当してから、いずれ、学説史にとりぐま なければならないと思いつづけてきた。というの は、第1に、日本では一般に学説史研究がふるわ ず、したがってその研究成果が貧しいという問題 があり、第2に、とりわけ教育学では、その研究 は緊急を要すると考えていたからである。

 第1の問題について最近目についた意見をあげ て齢こう。経済争の大内兵衛さん(1888−1980)

が亡くなり、「大内兵衛先生一入と学問」と題し て、辻清明(行政学)・中村哲(政治学)・丸山 真男(日本政治思想史)という専門分野のちがう

3入の学者が座談会を行なっている(r世界』

1980年7月号)。その中に「大内財政学一巨 大左構想」という見出しのついた一節があり、そ こで丸山さんが大内さんの学問についての通念に 反論している。

 通念というのは、大内さんは啓蒙家としてはえ らいが、学者としては大したことはkいというも のである。これに対し丸山さんは、大内さんの学

問は経済学のなかでも国家論や政治学に近い財政 学であり、この分野を体系として完成させること がいかに困難であるかが一般に理解されていない

といい、さらに「1つは近代日本の思想史を名の る書物は少左くないけれど、学問史というのは、

社会科学の分野ではおどろくほど手がつけられて いないためもある」と語っている。

 これは大事な指摘では左いだろうか。大内さん が意欲的に雄大な構想をもって財政学を確立しよ

うとしても、学説史がないと、その構想が学問の 発展にとってもつ意義が、広く理解されないとい

うのである。このような財政学の建設者なくても、

齢よそ学問を志す者であれば、学説史を持ちたい し、それに照らして、自分の研究がどういう位置 にあるかということを自覚し、これによって自ら の仕事に自信と展望をもてるようになるだろう。

 そして、その学説史がなく、「澄どろくほど手 がつけられてい左い」のであれば、自分たちで手 をつけるほかないし、また自分で手をつけること が、自分の学問をすすめるうえでもっとも賢い、

しかも有効な方法ではないだろうか。

 第2の教育学の問題にうつろう。ここではとく に学説史は貧しい。しかも教育学は学問として名 乗りをあげたのが大変おくれた学問であり、他の 学問分野からすると、ともすると学問としての水 準が低いと見られ、これを聞かされると、若い教 育学研究者は萎縮しがちである。そうかといって 教育学は未開拓の分野に鍬をいれ、先頭をきって 走っているのだ、と肩をいからすのも空々しい。

やはり自分の置かれている位置を確実に見つめる ことが何より大事である。

一73一

(2)

 それには、自然・社会諸科学の歴史のなかで教 育の科学をとらえる必要がある。これまでのとこ ろ、こういう歴史の試みで、もっとも規模壮大な のは、J・D・バナールのr歴史に澄ける科学』

(J・D・Bernal Science in History 1954  目恭夫訳、みすず書房、全4巻)ではないだろ

うか。その終りに近いところに教育の科学が登場 する。それは、

  第6部 現代にお・ける科学

   第13章第一次大戦後の社会科学     4、教育の科学

という位置である。第7部は結論であり、章の方 も第14章が最後で、「科学と歴史」という題に なっている。この大著の左かで、個別科学で最後 に登場するのが教育の科学左のである。それは、

つぎのよう左書きだしからはじまっている・

  「他の社会科学からやや離れてたち、科学的  立場がさらにいっそう不確かなところに、教育  学がある。理想的にいえぱこの教育学(教育の  科学)は、人間をその誕生から死にいたるまで  の間その住む社会に適応させてくれるような条  件づけ(訓練)の過程と、人間にその社会をも  っともよく利用または変革することを教えこむ  なかだちと左る過程との全部をあつかうべきも  のである。現実にはそれが学問としておこった  のはごく誇そぐ、われわれの時代になってから  であり、学校制度が、急速に増大してきた教育  の必要をまるで不適当左手段によって処理しよ  うとしているという実地の困難から生まれたの  である。」

 まさにこの通りであり、これは、左んら解説を 必要とし左い文章である。たしかにいぜんとして 科学的立場は不確かだが、生涯学習がさかんに提 唱されている今日、教育学研究の対象は、ここで

「理想的」といわれているところへ近づいて澄り、

バナールのいう「過程」をすべて対象とする必要 はいよいよ強くなった。現にさまざま左分野につ

いて専門研究者が輩出し始めている。なによりも

「実地の困難」をどうとらえるかが問題である。

日本では、この困難に目をつぶり、「教育学」の 輸入に終始していたこともあった。逆に「実地の 困難」にひきずられて、実際にはなんらこの困難 に対応できない教育学もあるのではないかという 疑問をもつ人もいるだろう。これは、教育学研究 に澄ける理論と実践の問題として、たえず検討し つづげなければkらない。

 ゼミでは、現代に直接先行する時代の日本の教 育学説を検討しつづけている。これに影響を与え た諸外国の思想・学説に目を向けなげればならな いのは当然である。残念なことに明治以降の教育 学説とされているものは、読んで大いに知的好奇 心を刺激されるというものではない。血湧き肉踊 るといった類の文章ではない。しかし、これが現 実であり、その教育学が講じられてきたのである から、ここから目をそむけるわけにはいかkい。

しかし読み検討を重ねれば、それぞれの時代にそ の人によってなぜこれが書かれたかという問題に 興味がわいてくる。ここから進んでひろく深く教 育学説の問題を明らかにし、私たちの研究の土台 を固めるようにしたいと思っている。

 この冊子には、ゼミに参加する者がそれぞれ教 育学と自分との出会いについて書いている。なぜ 教育学研究に志したかを1度ふりかえることは今 後の研究にとって大事左作業である。これを明ら かにしてお・くことは、困難な条件に出会っても初 心を忘れぬ強さをつくるのではないかと思う。こ れを出発点とし、つぎには、最初ささやかでも研 究の成果を世に問いたいと考えている。

       傘     準

 以上のような「はしがき」につづく「教育学と 私」は、一人一入の院生の考え方をふかぐ理解す るのに役立っただけでない。これによって、今日 青年たちがどのような関心から教育学研究の道を

一一

V4一

(3)

選ぶように左るかを知ることができ、したがって それはAた青年たちにどのような問題を投げかけ ることによって教育と教育学への関心をもたせ、

高めることができるか、を考える材料を提供して ぐれるものであったo

 誰もが「たいぺんなものを書かなければtkらな くなった」という気持になったが、「私」に立ち 入って、教育学研究室へやってくるまでのことを 綴ってくれた。ほぼ共通しているのは、「教育学 に近づく前に教育の問題があった」ということで

あろう。

 なかには子どものころから、父親の書棚にある 教育関係の書物をながめていた者もいれば、高校 のころ担任教師に、将来は体育の理論的研究にと

りくみたいと申し出ていた者もいる。しかし、こ の人たちも、そとからまっすぐに教育学へすすん できたのではない。では、いつから、何をきっか けにして変わったか。順不同にあげると

      、

 第1は、教員養成系の大学に在学したこと。あ る院生は、「大学教育に澄ける諸矛盾の掃きだめ のような教員養成系の大学」といい、別の院生は、

そこは、真理の探究とか、現場に根ざして、など とは、とてもいえ左いような雰囲気であったとい う。そのなかで、かえって教育学研究の必要を痛 感し、それに真剣にとりくみたいと決意した者が、

東北や関西や四国から集まってきた。このような 経歴をもつ者は、多くの場合、はじめから教育学 を専攻した者よりも強烈な問題意識をもってとり

くみはじめるものであり、これに見られる研究の 可能性をどう開花させるかが、重要な課題となっ ている。

 第2は、大学にお・けるサークル活動である。ゼ ミ参加者が加入していたサークルには、児童文化 あり、合唱あり、社会科学研究あり、さらに直接 教育問題をあつかう僻地教育、障害児教育等々、

実に多種多様である。サー一クルでは、そのサーク ルが専門とする分野についての知見を高めるだけ

でなく、メンバーの一人一人がその左かでさまざま な面で発達していぐ姿を見ることができる。そこ で人間の成長、発達に関心をよせ、そこから教育 学研究を志すようになる者が多い。一一人の院生は、

サー一クルで政治的立場の問題や個人的感情のもつ れなどにぶつかったこと自体が、自分にとって教 育学入門であったという。このような発言は、私

自身の体験とも重なってくる。

 第3は、現代社会の問題から受けた刺激である。

たとえば理科、とくに物理教育の実践に着目し、

その改革に専念する者は、かつて長田新編の『原 爆の子』を読み、教育学者としての編者の子ども

と教育にかける、かぎり左い期待を感じとり、A た原水爆禁止世界大会に参加し、原爆そして科学 の澄そろしさを思い知らされるという体験の持主 であり、その体験が彼の目を科学教育に向けさせ たのであるQ

 こんな例もある。政治問題で行左われたデモに 参加したとき、腕を組んでいた髪の毛の長ぐ美し い女子学生が「このデモは違法ではないのか」と 不安気に問い、これに先輩株の男性は「いや力関 係だ」と答えた。本人は、力関係にまかせるわけ にいか左い、といって違法で左いといいきること もできなかった。これがきっかけとなって教育行 政学のゼミでとりあげられていた基本的入権につ いて本格的にとりくみはじめたというのである。

 第4に、他の専攻分野から移った者である。経 済学・法学さらには国文学等、これも多種多様で

ある。いま教育学の第一線で仕事をしている者の なかにも、他分野から転じてきたという経歴をも つ者が多い。経済学かな転じた者は、資本主義社 会は私的所有を前提とした社会であり、その前提 を問うような発想のできる入間を創り出さない教 育のあり方に目を向け、教育学にすすむことにし たという。他の分野から転じてきた入にも、それ ぞれ転身する重要なきっかけがあったのであり、

かつて学んだ学問分野の研究成果も尊重し左がら、

一75一

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この初心を忘れず、それを大きく育てていくこと が今後の課題となる。

 以上のような内容のr教育学と私』を出したつ ぎの年、1981年の夏には、たまたま私たちの 東京都立大学で日本教育学会が開かれることにな

った。数年前にも、学会事務局から大会開催の要 請があったときには、私たちの研究室は小さく人 手不足であるとの理由で返上を申し出た。しかし、

ようやく大学院も充実し、大会運営も可能になっ たとの研究室一同の判断により、開催を引き受け た。せっかく引き受けたのだから、研究面で自分 たちが太るようにしたい、それには研究発表をし

て、学会会員諸氏の批判をうけることが何よりで あると考えた。

 先にあげたr教育学と私』の「はしがき」の最 後のところで、「最初ささやかでも研究の成果を 世に問いたい」と記してお・いたが、この学会は、

世に問ういい機会であると考えた。そして3つの グループによって研究発表を行ない、多ぐの方々 からの批判をいただくことができた。本号にのせ た篠原助市研究はその1つであり、今後も学会に 澄ける発表をもとにした論文を発表するようにし たいと考えている。批判を寄せて下さるようお願 いする。

一76一

参照

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