• 検索結果がありません。

熊野信仰をめぐる女人蘇生譚

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "熊野信仰をめぐる女人蘇生譚"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

熊野信仰をめぐる女人蘇生譚

著者 小川 路世

雑誌名 國文學

巻 103

ページ 175‑185

発行年 2019‑03‑01

URL http://hdl.handle.net/10112/16735

(2)

はじめに

熊野 (和歌山県と三重県にまたがる紀伊半島南端部) とは、 海、 山、川そして巨石といった自然を対象として発生した信仰圏す なわち聖地である。現在は、熊野三山と総称される三社(熊野 本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を拠点とする信仰ス ポットであると認識されているが、そもそもは、社殿を持たな い 信 仰 圏 で あ っ た 可 能 性 が 高 い。 『 日 本 霊 異 記 』 ほ か、 山 林 修 行者たちの行場であったことを伝える文献も少なくなく、その 信仰の実態と性格をも推察させる。ただし熊野三山が、一種の 宗 教 的 連 合 体 を 形 成 し て い た こ と を 文 献 に 辿 れ ば『 為 房 卿 記 』 を挙げることができる。平安時代後期以降、たびたびに行われ た熊野御幸は熊野三山に参詣することを目的としていたと確認 されるわけである。そして熊野という聖地は、為政者たちに信 仰されただけでなく、日本各地に「熊野神社」と称される神社 が勧請されたほか、民衆からも信仰を集めるようになる。室町 時代には「蟻の熊野詣」と表現されたように、数多くの人々が 参詣に訪れていたことが確認できるのである。 そして、熊野信仰を唱導するために、漢文体で表記された縁 起だけでなく、仮名を交えて表記されたモノガタリが形成され ていく。なかでも熊野信仰の縁起を語る『熊野の本地』は室町 時代物語の一つとして現在位置づけられているように、奇想天 外なストーリーをもって語られている。 熊野信仰をめぐる女人蘇生譚

小   川   路   世

 

(3)

一  熊野をめぐる母と子のモノガタリ

  熊野信仰の縁起を語る『熊野の本地』の原拠・現存諸本につ いては、松本隆信氏の研究が知られる。松本隆信氏が指摘され た よ う に

1

、『 神 道 集 』

2

に 収 載 さ れ る「 熊 野 権 現 事 」 や『 熊 野 の 本地』に語られる「五衰殿女御譚」はその類似性から『旃陀越 国王経 』

3

が原拠であると考えられている。 また、現存諸本については次のように指摘されてい る

4

。 室町時代後期から桃山時代頃の絵巻・奈良絵本をはじめ写 本 が 非 常 に 多 く、 版 本 に も 寛 永 頃 の 丹 緑 本・ 寛 永 八 年 版・ 元禄頃の井筒屋版等がある。本文も諸本の間で複雑な異同 を示しているが、中で、杭全神社蔵室町末期絵巻・天理図 書館蔵元和八年絵巻・丹緑本以下の版本系では、終りに五 衰殿女御が聖の修法によって蘇生することを述べるのが特 徴的である。 つ ま り、 『 熊 野 の 本 地 』 と 題 さ れ る テ ク ス ト に は、 モ ノ ガ タ リ の 展 開 に 関 わ る 相 違 点 と し て、 「 五 衰 殿 女 御 が 蘇 生 せ ず、 そ の息子である王子に供養される」という内容で語られるテクス ト と、 「 五 衰 殿 女 御 が 蘇 生 し て、 王 子 や 善 財 王、 彼 ら を 導 く 僧 侶とともに熊野に飛び、垂迹する」という内容を語るテクスト を指摘することとなる。 そ れ で は な ぜ、 『 熊 野 の 本 地 』 に 五 衰 殿 女 御 の 蘇 生 を 語 ら な いモノガタリと、蘇生を語るモノガタリが形成されたのだろう か。 そ れ は、 『 熊 野 の 本 地 』 に よ っ て そ の 信 仰 の 功 徳 が 語 ら れ る熊野信仰が、仏教を受け入れたことによると考えられる。熊 野信仰が仏教を受けいれていたことは、白河院政期の参議藤原 為房の日記である『為房卿記』に確認でき る

5

次奉供幡・花鬘代於三所之御殿

永保元年(一〇八一年)に熊野三所の御殿に、仏前の荘厳具 である幡と花鬘代を供奉した、という記述があることから、遅 くとも十一世紀末ごろには、熊野三山の祭神に本地を当てる信 仰形態が形成されていたと考えられる。また、権中納言源師時 の日記である『長秋記』長承三年(一一三四年)二月一日の鳥 羽院待賢門院熊野御幸の条には、熊野三所と五所王子の祭神と その姿、本地仏についての記録が残されてい る

6

  問護明本地、

  丞相、和命家津王子、法形、阿弥陀仏、

(4)

   両所、西宮結宮、女形、本地千手観世音菩薩    中宮、早玉明神、俗形、本地薬師如来    已上三所、

   若宮、女形、本地十一面、

   禅師宮、俗形、本地地蔵菩薩、

   聖宮、法形、本地龍樹菩薩、

   児宮、本地如意輪観世音菩薩、

   子守、本地聖観世音菩薩、

   已上五所王子、

   一万、普賢、十万、文殊、

   勧請十五所、釈迦、

   飛行薬叉、不動尊、米持金童子    毘沙門天、礼殿守護金剛童子、 、、 、他、

この記録から、熊野における本地垂迹の形態は、平安時代後 期には概ね成立していたと考えられ、仏教を受け入れていたこ とが確認できるのである。 加 え て、 『 熊 野 の 本 地 』 に は、 法 華 経 信 仰 の 功 徳 が 語 ら れ て い る こ と を 確 認 で き る。 さ ら に い え ば、 『 熊 野 の 本 地 』 に 確 認 で き る、 五 衰 殿 女 御 の 蘇 生 を 語 る 系 統 の『 熊 野 の 本 』 が、 『 法 華経』信仰の功徳を語るモノガタリと同様の構成を有している ことを指摘できるのであ る

7

。 『熊野の本地』諸本は、 「五衰殿女御が蘇生せず、その息子で ある王子に供養される」という内容で語られるテクストと、 「五 衰殿女御が蘇生して、王子や善財王、彼らを導く僧侶とともに 熊野に飛び、垂迹する」という内容を語るテクストとが存在す る。 ま た、 『 熊 野 の 本 地 』 の 原 拠 で あ る と 指 摘 さ れ る『 旃 陀 越 国王経』 さらには 『熊野の本地』 と同様のモノガタリを語る 『神 道集』に収載される「熊野権現事」には、五衰殿女御の蘇生は 語られていないのである。 次に掲げるのは、 『旃陀越国王経』 、『神 道集』に収載される「熊野権現事」 、『熊野の本地』の三話に語 られる五衰殿女御譚について比較対照したものである。

懐妊 出産と死 蘇生垂迹※

『旃陀越国王経』○○××王も王子も垂迹しない『神道集』「熊野権現事」 ○○×○ 王と王子、上人ともに垂迹『熊野の本地』(蘇生しない) ○○×○ 王と王子、上人ともに垂迹『熊野の本地』(蘇生する) ○○○○ 王と王子、上人ともに垂迹

(5)

つ ま り、 『 熊 野 の 本 地 』 に 語 ら れ る「 五 衰 殿 女 御 譚 」 に は、 原拠とされる『旃陀越国王経』や『神道集』に収載される「熊 野権現事」には確認されない、五衰殿女御が息子である王子に 供 養 さ れ た 功 徳 に よ っ て 蘇 生 す る 姿 が 描 か れ て い る の で あ る。 この点が 『熊野の本地』 の特色であるということができる。 『熊 野の本地』 は、 原拠であるとされる 『旃陀越国王経』 や 『神道集』 に収載される「熊野権現事」には語られていない「子に救済さ れる母親」という要素が付け加えられているのである。熊野信 仰の縁起を語るモノガタリとしては、 『神道集』 に収載される 「熊 野権現事」 、五衰殿女御の蘇生を語らない系統の『熊野の本地』 の時点では女性が救済の対象として描かれておらず、五衰殿女 御の蘇生を語る系統の『熊野の本地』においてようやく女性が 救済されるモノガタリが語られるのである。 それに加えて、五衰殿女御は蘇生後に大王や王子らと共に熊 野の地に神として飛来することが語られるが、この五衰殿女御 の辿った「人間から神になる」というモノガタリは、 『法華経』 利益譚と同様のプロットであることが指摘できる。五衰殿女御 は生前に観世音菩薩を信仰し、 仏道修行を行ったことに加えて、 息 子 で あ る 王 子 に よ っ て 供 養 さ れ る と い う 功 徳 を 積 ん で い た。 その結果として、人間道から天道へと転生したことが語られる のである。つまり、熊野信仰は『熊野の本地』を『法華経』利 益譚として語ることで、仏教を「救済する宗教」として受け入 れ、女性を受け入れる信仰地として民衆に印象付けようとした ことが推考できるのである。

二  『熊野の本地』と観世音菩薩信仰

『 熊 野 の 本 地 』 に お け る「 五 衰 殿 女 御 」 の モ ノ ガ タ リ は、 原 拠である 『旃陀越国王経』 、さらには 『神道集』 に収載される 「熊 野権現事」と比較しても、観世音菩薩信仰の利益が詳細に語ら れていることが指摘でき る

(8

。『熊野の本地』では、 「五衰殿女御」 が善財王の寵愛を受けた後、山中に連れられ殺害されるまでの 間に、観世音菩薩信仰の功徳によって利益を得るという場面が 語られる。そこでまず、 『神道集』に収載される「熊野権現事」 において観世音菩薩信仰の功徳を語る場面について確認してお く。観世音菩薩信仰の功徳による利益譚を語る場面は以下の三 場面であ る

9

一、 五衰殿女御が仏の容姿を得る

  千 手 三 尺

千 手 観 世 音 菩 薩

、 観 世 音 菩 薩

(6)

利 生

、 后

、 此

三 十 二 相 八 十 種 好

具 足

、 紫 磨 金 色

身 ト 成

、 自

身光

シ給

、 見

耀、 光明赫奕

ナリ

、 仏

ナレハ

、 大王

御志

、行幸成

ニケリ

、 二、王子を懐妊する   而

王 子

一 人 御 在

、 大 王

、 王 子

サセ給ケリ

、于

(レ)

時験

、善法女御

懐妊

シ給ヘリ

、 三、観世音菩薩に祈願して首を斬られる前に王子が生まれる 而

千 手 経

、 後

、 御 産

、 一 時 計

、 五 月

、 六 根 五 体 欠

、 明 玉

王子

ニテソ

御在

ケル

一 方、 『 熊 野 の 本 地 』 に 語 ら れ る 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 利 益 譚 は 次の五場面であ る

(1

一、 五衰殿女御の容姿の変化による善財王の訪れと懐妊 これを悲しみ給ひて、宮中に持仏堂を建て、本尊に十一面 観 世 音 菩 薩 を 御 安 置 あ り て、 日 夜 に 御 経 三 十 三 巻、 礼 拝 三 千 三 百 三 十 三 度 し 給 ひ て、 「 大 王、 今 一 度 宮 中 へ 御 幸 な らせ給へ」と肝胆を砕き御祈念ありければ、誠に観世音の 御憐れみにやありけん、残り九百九十九人の后よりも御容 厳くしく見えさせ給へば、大王五衰殿に移らせ給ふ。   さても五衰殿、年月の御願ひ叶はせ給ひ、御心地常なら ずして乳母を近付け、かくと仰せありければ、乳母斜めな らず喜び申しけるは、 「千人の后のうち、 一人秀でさせ給ひ、 王子御懐胎めでたさよ」とて、

二、 九 百 九 十 九 人 の 后 達 の 呪 詛 は、 五 衰 殿 女 御 の 観 世 音 菩 薩 信 仰の功徳によって退けられること 后 た ち 聞 こ し 召 し、 「 王 子 を 七 日 七 夜 呪 詛 せ し が、 如 何 あ る べ き ぞ 」 と 問 は せ 給 ふ。 「 愚 か の 仰 せ や。 百 日 の 間、 法 華経・観世音菩薩経怠ることなく読ませ、その信得にて出 で来させ給ふ王子なれば、いかばかり呪詛し給ふとも叶ふ べからず。かの御経にも 『還著於本人』 と説かれて候へば、 后 た ち の 御 身 の 上 こ そ 危 ふ く 覚 え て 候 ふ 」 と 申 し け れ ば、 「 か か る こ と か ね て 知 り な ば、 誰 か は 観 世 音 菩 薩 を 信 ぜ ざ るべき。空しく送りし年月かな」と口説き歎き給ふ。

三、馬が観世音菩薩の化身であること 后 泣 く 泣 く 宣 ふ や う、 「 馬 は こ れ 馬 頭 観 世 音 菩 薩 の 化 身、

(7)

されば観世音菩薩は三十三遍に身を現じ、衆生の苦を救ひ 給ふ。我八歳の春の頃より、怠らず念じ奉りしその信徳朽 ちもせで、この恐ろしき道すがら馬と現じ給ひて我を助け 給ふらんありがたさよ、我生を変へ仏へとならば、汝が恩 を 深 く 報 ず べ し。 神 と な ら ば 一 つ の 御 先 と 祝 ふ べ し 」 と、 この馬に口説かせ給ふことこそあはれな れ

((

四、王子が生まれるまで刀で首が斬れないこと そ の 後、 「 胎 内 に 王 子 ま し ま さ ん ほ ど、 い か に 斬 る と も 首 は斬れまじき」と仰せあり。腹の内にまします王子に口説 き 給 ふ や う、 「 自 ら 首 斬 ら れ て 後、 い か に し て 生 ま れ さ せ 給ふべき。疾く誕生あれ」と仰せければ、則ち生まれさせ 給ふ。

五、 五衰殿女御の祈願によって獣たちが王子を護ること 「三歳の間守らせ給ひ、王子育て給べ」と御祈りあり。 「同 じくは心なき獣も子をば愛しむ習ひなれば、誰も憐れと思 ひ、王子を守護し奉れ」とありければ、誠に心なき蓄類ど も頭をうなだれ、涙を流し、夜昼番替はりに仕え申す。梢 に登りては木の 実 を採り、谷に下り水を掬び、五衰殿の御 死骸を守り奉り、王子を育て参らせけることこそ不思議な れ。 以 上、 観 世 音 菩 薩 信 仰 を 読 み 解 け る 箇 所 に つ い て、 『 熊 野 の 本地』 と、 『神道集』 に収載される 「熊野権現事」 、『旃陀越国王経』 とを加えて比較すると、次のような表となる。

容姿の変化懐妊呪詛馬刀獣

『旃陀越国王経』××××××

『神道集』「熊野権現事」 ○(仏の姿になる)○××  ×× (1

『熊野の本地』○(姿が美しくなる)○○○○○

まず、観世音菩薩信仰による利益譚は『旃陀越国王経』には 説かれていない。また、 『神道集』に収載される「熊野権現事」 にも、観世音菩薩信仰の功徳によって容姿が変化したことで大 王 の 寵 愛 を 受 け 王 子 を 授 か る こ と が 語 ら れ て い る の み で、 『 熊 野の本地』に語られているような、呪詛を退ける、刀杖難を退 けるといった観世音菩薩信仰の利益譚は語られていないことが

(8)

確認できる。以上から、 『熊野の本地』 は、 『旃陀越国王経』 と『神 道集』に収載される「熊野権現事」よりも、観世音菩薩信仰に よる利益譚が豊かに語られていることが確認できる。

  熊 野 の 本 地 』 に は、 『 旃 陀 越 国 王 経 』 と『 神 道 集 』 に 収 載 さ れる「熊野権現事」よりも観世音菩薩信仰による利益譚が豊か であることが確認できた。それに加えて『熊野の本地』におい ては観世音菩薩信仰の利益譚が『法華経』に基づいて語られて い る こ と が 指 摘 で き る の で あ る。 な ぜ な ら、 『 熊 野 の 本 地 』 に 語 ら れ る 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 利 益 譚 は『 法 華 経 』「 巻 八 第 二 十 五   観世音菩薩普門品」の経文に基づいていることが確認できる ためである。

  前述の『熊野の本地』に説かれる観世音菩薩信仰の利益譚を 語 る 五 場 面 の う ち、 二、 三、 四、 五 の 場 面 に お い て「 観 世 音 菩 薩 普門品」に説かれる観世音菩薩信仰の利益譚と同様の内容を語 ることが確認できた。その詳細については以下の通りである。

二、 九 百 九 十 九 人 の 后 達 の 呪 詛 は 五 衰 殿 女 御 の 観 世 音 菩 薩 信 仰 によって退けられる 呪詛諸毒薬   所欲害身者      念彼観世音菩薩力   還著於本人 三、馬が観世音菩薩の化身であること    善男子。若有国土衆生応以仏身得度者。観世音菩薩。即現 仏身而為説法。

四、王子が生まれるまで刀で首が斬れないこと

   若復有人。臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋 段段壊。

   五、 五衰殿女御の祈願によって獣たちが王子を護ること 若悪獣圍遶   利牙爪可怖 念彼観世音菩薩力   疾走無辺方   つ ま り、 『 神 道 集 』 に 収 載 さ れ る「 熊 野 権 現 事 」 に は 語 ら れ て お ら ず、 『 熊 野 の 本 地 』 に の み 確 認 さ れ る 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 利 益 譚 が『 法 華 経 』「 巻 八 第 二 十 五   観 世 音 菩 薩 普 門 品 」 に 基 づいて語られていることが指摘できるのである。

  また、 『法華経』は、 「巻五第十二   提婆達多品」に代表され るように、女性の身体のままでの成仏こそ説かないが、変成男 子による女性の成仏を説くなど女性の仏教信仰に寄与した経典

(9)

であった。 『熊野の本地』が『法華経』 「巻八第二十五   観世音 菩薩普門品」に基づいた観世音菩薩信仰による利益譚を語った ことは、女性からの信仰を集める上で大きな役割を担っていた と考えられる。 以上から、 『熊野の本地』 における 「五衰殿女御譚」 においても、 『 法 華 経 』 信 仰 の 功 徳 に よ る 蘇 生 譚 に 確 認 で き る モ ノ ガ タ リ の 展開と同様の展開を確認することができる。五衰殿女御は生前 に仏教を信仰していたが、懐妊を妬んだ九百九十九人の后らに よって殺害されるという不本意な死を遂げる。その後に王子に よって供養され、 蘇生を経て熊野に垂迹するのである。そこに、 「五衰殿女御」が蘇生するというモノガタリは、 『法華経』信仰 の 功 徳 を 語 る モ ノ ガ タ リ と し て 形 成 さ れ る た め に 必 要 で あ り、 『 神 道 集 』 に 収 載 さ れ る「 熊 野 権 現 事 」 に は 語 ら れ て い な か っ た も の の、 『 熊 野 の 本 地 』 の 形 成 に お い て 付 け 加 え ら れ た 可 能 性が高いと指摘することができる。 つ ま り、 『 熊 野 の 本 地 』 と 類 似 す る モ ノ ガ タ リ を 語 る『 神 道 集 』 に 収 載 さ れ る「 熊 野 権 現 事 」 に お い て は『 法 華 経 』「 巻 八 第二十五   観世音菩薩普門品」に基づかない観世音菩薩信仰の 利 益 を 語 る の み で あ っ た。 し か し、 『 熊 野 の 本 地 』 に 加 え ら れ た改編の過程において、 『法華経』 「巻八第二十五   観世音菩薩 普 門 品 」 に 基 づ く 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 利 益 譚、 そ し て『 法 華 経 』 信仰の利益譚において語られる「死者の蘇生」という展開が加 え ら れ た こ と に よ っ て、 『 法 華 経 』 信 仰 に よ る 利 益 を 色 濃 く 語 る モ ノ ガ タ リ へ と 変 化 し て い っ た の で あ る。 つ ま り、 『 熊 野 の 本 地 』 は 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 功 徳 に よ る 利 益 譚 を 語 る に 加 え て、 『法華経』 「巻八第二十五   観世音菩薩普門品」信仰の功徳を語 る、 言 い 換 え る と、 『 法 華 経 』 信 仰 の 功 徳 を 併 せ て 語 る モ ノ ガ タリであったと読み解けるのである。  

まとめ

熊野信仰の功徳を唱導するモノガタリとして「出産によって 命を落とした女性の蘇生」が語られるに至る経緯を明らかにす る こ と を 試 み た。 『 熊 野 の 本 地 』 に は、 特 に 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 功 徳 が 多 く 語 ら れ て い る こ と が 確 認 で き る。 『 熊 野 の 本 地 』 と 同様のモノガタリを語る 『神道集』 に収載される 「熊野権現事」 では、観世音菩薩信仰の功徳が語られるのみで、五衰殿女御が 蘇生するという『法華経』信仰の功徳による蘇生譚の構成を持 たない。つまり、 『熊野の本地』が形成されるに至って、 『法華

(10)

経』信仰の功徳を語るモノガタリとして変化していったことが 確認できるのである。 熊野で唱導されるべき縁起は、本来ならば、王子が神として 垂迹するモノガタリであり、その関係者もともに勧請されてい ることを語れば良かったはずではないだろうか。しかし、王子 の母、つまり女性である五衰殿女御が神として垂迹し、熊野に 勧請されたモノガタリを加えることによって、熊野は「女性た ちの信仰の場」 として印象付けられていったものと考えられる。 熊 野 の 縁 起 と し て 語 ら れ た『 熊 野 の 本 地 』 に、 「 五 衰 殿 女 御 の モノガタリ」が加えられた背景には、実際に、熊野に展開した であろう信仰世界が存在したものと考えられるのである。 また、王子を出産した後に、観世音菩薩信仰の功徳によって 「 五 衰 殿 女 御 」 の 首 が 切 れ ず に、 命 を 落 と す こ と な く 王 子 を 育 てるというストーリー展開も十分に考えられるはずである。な ぜ、 そ の よ う な 展 開 を 持 た な か っ た の か。 そ れ は、 「 五 衰 殿 女 御」の願いは、自分が助かることではなく、自分の命に代えて でも王子の命を守ることであったためである。そして、母親と しての「五衰殿女御」の姿を描くことで、女性の共感を呼び起 こそうとしたのではないだろうか。熊野という信仰の場におい て、女性が救われる縁起を唱導することは、重要な意義を持っ ていたと考えられる。 熊野権現といえば、その信仰を全国に広め歩いた熊野比丘尼 と呼ばれる女性宗教者の存在が知られている。熊野比丘尼たち は 中 世 か ら 近 世 に か け て 活 躍 し、 『 那 智 参 詣 曼 荼 羅 』 や『 熊 野 観心十界曼荼羅』を主に女性たちに絵解きして布教・勧進活動 に従事していたが、この『熊野の本地』も絵解きの台本として 用いられていたことが指摘されている。熊野比丘尼の語りを通 して、女主人公五衰殿の苦悩は女性たちの共感を呼んだことで あ ろ う。 「 五 衰 殿 」 と も 呼 ば れ る こ の 物 語 は、 苦 し む 神 を 描 く 本地物の代表であるが、苦しむ女性であり母である「五衰殿女 御」が救われるというモノガタリが語られたことは、女性が信 仰する場として熊野という聖地を印象付けるものであったと考 えられる。 〔注〕 (

斯道文庫、一九七七年十二月)   野 天 神 縁 起 ―」 (『 斯 道 文 庫 論 集 十 四 』、 発 行 慶 應 義 塾 大 学 店 )「 中 世 に お け る 本 地 物 の 研 究( 四 ) ― 本 地 物 の 成 立 と 北   一九九〇年) 「熊野の本地」 (『日本古典文学大辞典』 岩波書       二一 熊野信仰』編集 宮家準 、出版 雄山閣出版株式会社 、

1

)  松 本 隆 信「 「 熊 野 の 本 地 」 考 序 説 」( 『 民 衆 宗 教 史 叢 書

(11)

( れている。

2

)  『 神 道 集 』 に つ い て は『 国 史 大 辞 典 』 に 次 の よ う に 記 さ    「 神 道 集 」 と は そ の 内 容 は 寺 社 に 属 し て 民 衆 に 寺 社 の 縁 起を語っていたらしい巫祝の徒の管理していた、物語的 な 口 承 文 芸 の 要 素 を 持 つ 神 々 の 縁 起 譚 が 多 く 含 ま れ る。 五十章に分けて十巻十冊の内容となっており、内題に安 居院作と記され、唱導の家として『元亨釈書』にみえる 天 台 宗 の 安 居 院 澄 憲 の 子 孫 が 編 者 で あ っ た か と 思 わ れ る。 文 中 に「 今 年 」 と し て「 文 和 三 年( 一 三 五 四 )」 お よ び「 延 文 三 年( 一 三 五 八 )」 を あ げ て あ り、 南 北 朝 時 代中期には成立していた。各章は神道論的なものと垂迹 縁 起 的 な も の に 大 別 さ れ る。 (『 国 史 大 辞 典 』「 神 道 集 」、 吉川弘文館   より) (

( 日)   高楠順次郎、発行 大正一切経刊行会、一九二五年一月二十    

3

)  『 大 正 新 脩 大 蔵 経 第 十 四 巻 』「 旃 陀 越 国 王 経 」( 編 集

( 一九八四年一月二十日)  

4

)  「 熊 野 の 本 地 」『 日 本 古 典 文 学 辞 典 』( 出 版 岩 波 書 店、

    会 、 校注者 新城常三 、 発行 神道大系編纂会 、 一九八四年      

5

)  『神道大系 文学編5 参詣記』 (編集者 神道大系編纂 ( 三月十五日)

(   刊行会 、 発行 臨川書店、一九六五年九月)      

6

)  『増補 史料大成 長秋記二』 (編纂者 増補 「史料大成」

( 二〇一七年三月)にて詳細に述べた。   の 形 成 」( 『 国 文 学 』 一 〇 一 号、 発 行 関 西 大 学 国 文 学 会、

7

)  こ の 点 に つ い て は「 熊 野 信 仰 に お け る「 五 衰 殿 女 御 譚 」

( 発行所 新典社、一九九二年五月三〇日) と 指 摘 さ れ て い る。 (『 延 慶 本 平 家 物 語 考 証 』( 編 者 水 原 一、 薩 が 馬 と な っ て 衆 生 を 救 済 す る と い う 認 識 が 中 世 に あ っ た 世音菩薩普門品第二十五」の海難譚の解釈として、観世音菩 菩薩の化身である」 という認識については、 櫻井陽子氏も 「観  

)

発行 成城国文学会、 一九九三年三月 )また、 「馬が観世音

(

る。 (中野真麻理氏 「『熊野の本地』 私注」 『成城国文学』 九、 り 利 益 を 得 る こ と に つ い て、 中 野 真 麻 理 氏 が 指 摘 さ れ て い

8

)  なお、この「五衰殿女御」が観世音菩薩信仰の功徳によ

( 大系編纂会 、 一九八八年二月二十九日)による。       纂会、校注者 岡見正雄 高橋喜一、発行所 財団法人神道       道 大 系 文 学 編 一 神 道 集 』( 編 集 者 財 団 法 人 神 道 大 系 編

9

)  『神道集』 に収載される 「熊野権現事」 の本文引用は、 『神

10

  )  各場面の本文引用は『新編日本古典文学全集六十三 室

(12)

町 物 語 草 子 集 』( 校 注・ 訳 者   大 島 建 彦   渡 浩 一、 発 行   小 学館、二〇〇二年九月二十日)による。 (

( の三十三の姿に変化するという。 夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅迦・執金剛 婦女 ・ 居士婦女 ・ 宰官婦女 ・ 婆羅門婦女 ・ 童男 ・ 童女 ・ 天 ・ 竜 ・ 居士・宰官・婆羅門・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・長者 帝 釈・ 自 在 天・ 大 自 在 天・ 天 大 将 軍・ 毘 沙 門・ 小 王・ 長 者・ 一九六七年十二月十六日) )によれば、 仏 ・ 辟支仏 ・ 声聞 ・ 梵王 ・       経( 下 )』 ( 訳 注 者 坂 本 幸 男 岩 本 裕、 発 行 岩 波 書 店、

11

  )  『 法 華 経 』「 巻 八 第 二 十 五 観 世 音 菩 薩 普 門 品 」( 『 法 華 難いため、×とした。 そのため、五衰殿女御が得た観世音菩薩信仰の利益とは言い ゆ え に 観 世 音 菩 薩 が 守 護 し て い る で あ ろ う と 語 ら れ て い る。 世音菩薩に祈願としてではなく、王子が特別な人間であるが それに対して『神道集』に収載される「熊野権現事」では観 願 し た こ と に よ っ て 王 子 は 獣 か ら 守 ら れ る と 語 ら れ て い る。

12

)  『 熊 野 の 本 地 』 に お い て は 五 衰 殿 女 御 が 観 世 音 菩 薩 に 祈

(おがわ   みちよ/本学大学院生)

参照

関連したドキュメント

Association between chest compression rates and clinical outcomes following in-hospital cardiac arrest at an academic tertiary hospital.. Idris AH, Guffey D, Aufderheide TP,

白山中居神社を中心に白山信仰と共に生き た社家・社人 (神社に仕えた人々) の村でし

[r]

The author is going to discuss on morphological and phonological properties of, in traditional Japanese study KOKUGOGAKU, so-called auxiliary verb RAMU and related some

(自分で感じられ得る[もの])という用例は注目に値する(脚注 24 ).接頭辞の sam は「正しい」と

 そして,我が国の通説は,租税回避を上記 のとおり定義した上で,租税回避がなされた

[r]

[r]