熊野信仰をめぐる女人蘇生譚
著者 小川 路世
雑誌名 國文學
巻 103
ページ 175‑185
発行年 2019‑03‑01
URL http://hdl.handle.net/10112/16735
はじめに
熊野 (和歌山県と三重県にまたがる紀伊半島南端部) とは、 海、 山、川そして巨石といった自然を対象として発生した信仰圏す なわち聖地である。現在は、熊野三山と総称される三社(熊野 本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を拠点とする信仰ス ポットであると認識されているが、そもそもは、社殿を持たな い 信 仰 圏 で あ っ た 可 能 性 が 高 い。 『 日 本 霊 異 記 』 ほ か、 山 林 修 行者たちの行場であったことを伝える文献も少なくなく、その 信仰の実態と性格をも推察させる。ただし熊野三山が、一種の 宗 教 的 連 合 体 を 形 成 し て い た こ と を 文 献 に 辿 れ ば『 為 房 卿 記 』 を挙げることができる。平安時代後期以降、たびたびに行われ た熊野御幸は熊野三山に参詣することを目的としていたと確認 されるわけである。そして熊野という聖地は、為政者たちに信 仰されただけでなく、日本各地に「熊野神社」と称される神社 が勧請されたほか、民衆からも信仰を集めるようになる。室町 時代には「蟻の熊野詣」と表現されたように、数多くの人々が 参詣に訪れていたことが確認できるのである。 そして、熊野信仰を唱導するために、漢文体で表記された縁 起だけでなく、仮名を交えて表記されたモノガタリが形成され ていく。なかでも熊野信仰の縁起を語る『熊野の本地』は室町 時代物語の一つとして現在位置づけられているように、奇想天 外なストーリーをもって語られている。 熊野信仰をめぐる女人蘇生譚
小 川 路 世
一 熊野をめぐる母と子のモノガタリ
熊野信仰の縁起を語る『熊野の本地』の原拠・現存諸本につ いては、松本隆信氏の研究が知られる。松本隆信氏が指摘され た よ う に
(1(
、『 神 道 集 』
(2(
に 収 載 さ れ る「 熊 野 権 現 事 」 や『 熊 野 の 本地』に語られる「五衰殿女御譚」はその類似性から『旃陀越 国王経 』
(3(
が原拠であると考えられている。 また、現存諸本については次のように指摘されてい る
(4(
。 室町時代後期から桃山時代頃の絵巻・奈良絵本をはじめ写 本 が 非 常 に 多 く、 版 本 に も 寛 永 頃 の 丹 緑 本・ 寛 永 八 年 版・ 元禄頃の井筒屋版等がある。本文も諸本の間で複雑な異同 を示しているが、中で、杭全神社蔵室町末期絵巻・天理図 書館蔵元和八年絵巻・丹緑本以下の版本系では、終りに五 衰殿女御が聖の修法によって蘇生することを述べるのが特 徴的である。 つ ま り、 『 熊 野 の 本 地 』 と 題 さ れ る テ ク ス ト に は、 モ ノ ガ タ リ の 展 開 に 関 わ る 相 違 点 と し て、 「 五 衰 殿 女 御 が 蘇 生 せ ず、 そ の息子である王子に供養される」という内容で語られるテクス ト と、 「 五 衰 殿 女 御 が 蘇 生 し て、 王 子 や 善 財 王、 彼 ら を 導 く 僧 侶とともに熊野に飛び、垂迹する」という内容を語るテクスト を指摘することとなる。 そ れ で は な ぜ、 『 熊 野 の 本 地 』 に 五 衰 殿 女 御 の 蘇 生 を 語 ら な いモノガタリと、蘇生を語るモノガタリが形成されたのだろう か。 そ れ は、 『 熊 野 の 本 地 』 に よ っ て そ の 信 仰 の 功 徳 が 語 ら れ る熊野信仰が、仏教を受け入れたことによると考えられる。熊 野信仰が仏教を受けいれていたことは、白河院政期の参議藤原 為房の日記である『為房卿記』に確認でき る
(5(
。
次奉供幡・花鬘代於三所之御殿
永保元年(一〇八一年)に熊野三所の御殿に、仏前の荘厳具 である幡と花鬘代を供奉した、という記述があることから、遅 くとも十一世紀末ごろには、熊野三山の祭神に本地を当てる信 仰形態が形成されていたと考えられる。また、権中納言源師時 の日記である『長秋記』長承三年(一一三四年)二月一日の鳥 羽院待賢門院熊野御幸の条には、熊野三所と五所王子の祭神と その姿、本地仏についての記録が残されてい る
(6(
。
問護明本地、
丞相、和命家津王子、法形、阿弥陀仏、
両所、西宮結宮、女形、本地千手観世音菩薩 中宮、早玉明神、俗形、本地薬師如来 已上三所、
若宮、女形、本地十一面、
禅師宮、俗形、本地地蔵菩薩、
聖宮、法形、本地龍樹菩薩、
児宮、本地如意輪観世音菩薩、
子守、本地聖観世音菩薩、
已上五所王子、
一万、普賢、十万、文殊、
勧請十五所、釈迦、
飛行薬叉、不動尊、米持金童子 毘沙門天、礼殿守護金剛童子、 、、 、他、
この記録から、熊野における本地垂迹の形態は、平安時代後 期には概ね成立していたと考えられ、仏教を受け入れていたこ とが確認できるのである。 加 え て、 『 熊 野 の 本 地 』 に は、 法 華 経 信 仰 の 功 徳 が 語 ら れ て い る こ と を 確 認 で き る。 さ ら に い え ば、 『 熊 野 の 本 地 』 に 確 認 で き る、 五 衰 殿 女 御 の 蘇 生 を 語 る 系 統 の『 熊 野 の 本 』 が、 『 法 華経』信仰の功徳を語るモノガタリと同様の構成を有している ことを指摘できるのであ る
(7(
。 『熊野の本地』諸本は、 「五衰殿女御が蘇生せず、その息子で ある王子に供養される」という内容で語られるテクストと、 「五 衰殿女御が蘇生して、王子や善財王、彼らを導く僧侶とともに 熊野に飛び、垂迹する」という内容を語るテクストとが存在す る。 ま た、 『 熊 野 の 本 地 』 の 原 拠 で あ る と 指 摘 さ れ る『 旃 陀 越 国王経』 さらには 『熊野の本地』 と同様のモノガタリを語る 『神 道集』に収載される「熊野権現事」には、五衰殿女御の蘇生は 語られていないのである。 次に掲げるのは、 『旃陀越国王経』 、『神 道集』に収載される「熊野権現事」 、『熊野の本地』の三話に語 られる五衰殿女御譚について比較対照したものである。
懐妊 出産と死 蘇生垂迹※
『旃陀越国王経』○○××王も王子も垂迹しない『神道集』「熊野権現事」 ○○×○ 王と王子、上人ともに垂迹『熊野の本地』(蘇生しない) ○○×○ 王と王子、上人ともに垂迹『熊野の本地』(蘇生する) ○○○○ 王と王子、上人ともに垂迹
つ ま り、 『 熊 野 の 本 地 』 に 語 ら れ る「 五 衰 殿 女 御 譚 」 に は、 原拠とされる『旃陀越国王経』や『神道集』に収載される「熊 野権現事」には確認されない、五衰殿女御が息子である王子に 供 養 さ れ た 功 徳 に よ っ て 蘇 生 す る 姿 が 描 か れ て い る の で あ る。 この点が 『熊野の本地』 の特色であるということができる。 『熊 野の本地』 は、 原拠であるとされる 『旃陀越国王経』 や 『神道集』 に収載される「熊野権現事」には語られていない「子に救済さ れる母親」という要素が付け加えられているのである。熊野信 仰の縁起を語るモノガタリとしては、 『神道集』 に収載される 「熊 野権現事」 、五衰殿女御の蘇生を語らない系統の『熊野の本地』 の時点では女性が救済の対象として描かれておらず、五衰殿女 御の蘇生を語る系統の『熊野の本地』においてようやく女性が 救済されるモノガタリが語られるのである。 それに加えて、五衰殿女御は蘇生後に大王や王子らと共に熊 野の地に神として飛来することが語られるが、この五衰殿女御 の辿った「人間から神になる」というモノガタリは、 『法華経』 利益譚と同様のプロットであることが指摘できる。五衰殿女御 は生前に観世音菩薩を信仰し、 仏道修行を行ったことに加えて、 息 子 で あ る 王 子 に よ っ て 供 養 さ れ る と い う 功 徳 を 積 ん で い た。 その結果として、人間道から天道へと転生したことが語られる のである。つまり、熊野信仰は『熊野の本地』を『法華経』利 益譚として語ることで、仏教を「救済する宗教」として受け入 れ、女性を受け入れる信仰地として民衆に印象付けようとした ことが推考できるのである。
二 『熊野の本地』と観世音菩薩信仰
『 熊 野 の 本 地 』 に お け る「 五 衰 殿 女 御 」 の モ ノ ガ タ リ は、 原 拠である 『旃陀越国王経』 、さらには 『神道集』 に収載される 「熊 野権現事」と比較しても、観世音菩薩信仰の利益が詳細に語ら れていることが指摘でき る
(8
(
。『熊野の本地』では、 「五衰殿女御」 が善財王の寵愛を受けた後、山中に連れられ殺害されるまでの 間に、観世音菩薩信仰の功徳によって利益を得るという場面が 語られる。そこでまず、 『神道集』に収載される「熊野権現事」 において観世音菩薩信仰の功徳を語る場面について確認してお く。観世音菩薩信仰の功徳による利益譚を語る場面は以下の三 場面であ る
(9(
。
一、 五衰殿女御が仏の容姿を得る
千 手 三 尺
ノ千 手 観 世 音 菩 薩
ヲ迎
ヘ奉
リ祈
ケレハ、 観 世 音 菩 薩
ノ
利 生
は今
ヲ始
メヌ事
ナレハ、 后
は生
ヲハ替
カヘ給ワネ共、 此
の身
ナカラ三 十 二 相 八 十 種 好
ヲ具 足
シ、 紫 磨 金 色
ノ身 ト 成
玉ヘリ、 自
レ ヨリ身光
ヲ出
シ照
シ給、 見
ニ宮
ノ内
モ耀、 光明赫奕
ナリ、 仏
ノ示
給処
ナレハ、 大王
ハ偏
ニ此
の宮
へ御志
シ在
テ、行幸成
ニケリ、 二、王子を懐妊する 而
レ共未
た王 子
ノ一 人 御 在
サヌ事
ヲ、 大 王
は嘆
セ給テ、 王 子
を佛
に申
サセ給ケリ、于
(レ)時験
シ有
ヲ、善法女御
は懐妊
シ給ヘリ、 三、観世音菩薩に祈願して首を斬られる前に王子が生まれる 而
る程に后
は千 手 経
を読
シ給テ、 後
ハ、 御 産
の色
モ見
ニケリ、 一 時 計
り有
テ生
レ給ヘリ、 五 月
ニ成
給ケレ共、 六 根 五 体 欠
ル事
モ無
ク、 明 玉
ノ如
ク王子
ニテソ御在
ケル一 方、 『 熊 野 の 本 地 』 に 語 ら れ る 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 利 益 譚 は 次の五場面であ る
((1(
。
一、 五衰殿女御の容姿の変化による善財王の訪れと懐妊 これを悲しみ給ひて、宮中に持仏堂を建て、本尊に十一面 観 世 音 菩 薩 を 御 安 置 あ り て、 日 夜 に 御 経 三 十 三 巻、 礼 拝 三 千 三 百 三 十 三 度 し 給 ひ て、 「 大 王、 今 一 度 宮 中 へ 御 幸 な らせ給へ」と肝胆を砕き御祈念ありければ、誠に観世音の 御憐れみにやありけん、残り九百九十九人の后よりも御容 厳くしく見えさせ給へば、大王五衰殿に移らせ給ふ。 さても五衰殿、年月の御願ひ叶はせ給ひ、御心地常なら ずして乳母を近付け、かくと仰せありければ、乳母斜めな らず喜び申しけるは、 「千人の后のうち、 一人秀でさせ給ひ、 王子御懐胎めでたさよ」とて、
二、 九 百 九 十 九 人 の 后 達 の 呪 詛 は、 五 衰 殿 女 御 の 観 世 音 菩 薩 信 仰の功徳によって退けられること 后 た ち 聞 こ し 召 し、 「 王 子 を 七 日 七 夜 呪 詛 せ し が、 如 何 あ る べ き ぞ 」 と 問 は せ 給 ふ。 「 愚 か の 仰 せ や。 百 日 の 間、 法 華経・観世音菩薩経怠ることなく読ませ、その信得にて出 で来させ給ふ王子なれば、いかばかり呪詛し給ふとも叶ふ べからず。かの御経にも 『還著於本人』 と説かれて候へば、 后 た ち の 御 身 の 上 こ そ 危 ふ く 覚 え て 候 ふ 」 と 申 し け れ ば、 「 か か る こ と か ね て 知 り な ば、 誰 か は 観 世 音 菩 薩 を 信 ぜ ざ るべき。空しく送りし年月かな」と口説き歎き給ふ。
三、馬が観世音菩薩の化身であること 后 泣 く 泣 く 宣 ふ や う、 「 馬 は こ れ 馬 頭 観 世 音 菩 薩 の 化 身、
されば観世音菩薩は三十三遍に身を現じ、衆生の苦を救ひ 給ふ。我八歳の春の頃より、怠らず念じ奉りしその信徳朽 ちもせで、この恐ろしき道すがら馬と現じ給ひて我を助け 給ふらんありがたさよ、我生を変へ仏へとならば、汝が恩 を 深 く 報 ず べ し。 神 と な ら ば 一 つ の 御 先 と 祝 ふ べ し 」 と、 この馬に口説かせ給ふことこそあはれな れ
((((
。
四、王子が生まれるまで刀で首が斬れないこと そ の 後、 「 胎 内 に 王 子 ま し ま さ ん ほ ど、 い か に 斬 る と も 首 は斬れまじき」と仰せあり。腹の内にまします王子に口説 き 給 ふ や う、 「 自 ら 首 斬 ら れ て 後、 い か に し て 生 ま れ さ せ 給ふべき。疾く誕生あれ」と仰せければ、則ち生まれさせ 給ふ。
五、 五衰殿女御の祈願によって獣たちが王子を護ること 「三歳の間守らせ給ひ、王子育て給べ」と御祈りあり。 「同 じくは心なき獣も子をば愛しむ習ひなれば、誰も憐れと思 ひ、王子を守護し奉れ」とありければ、誠に心なき蓄類ど も頭をうなだれ、涙を流し、夜昼番替はりに仕え申す。梢 に登りては木の 実 を採り、谷に下り水を掬び、五衰殿の御 死骸を守り奉り、王子を育て参らせけることこそ不思議な れ。 以 上、 観 世 音 菩 薩 信 仰 を 読 み 解 け る 箇 所 に つ い て、 『 熊 野 の 本地』 と、 『神道集』 に収載される 「熊野権現事」 、『旃陀越国王経』 とを加えて比較すると、次のような表となる。
容姿の変化懐妊呪詛馬刀獣
『旃陀越国王経』××××××
『神道集』「熊野権現事」 ○(仏の姿になる)○×× ×× ((1
(
『熊野の本地』○(姿が美しくなる)○○○○○
まず、観世音菩薩信仰による利益譚は『旃陀越国王経』には 説かれていない。また、 『神道集』に収載される「熊野権現事」 にも、観世音菩薩信仰の功徳によって容姿が変化したことで大 王 の 寵 愛 を 受 け 王 子 を 授 か る こ と が 語 ら れ て い る の み で、 『 熊 野の本地』に語られているような、呪詛を退ける、刀杖難を退 けるといった観世音菩薩信仰の利益譚は語られていないことが
確認できる。以上から、 『熊野の本地』 は、 『旃陀越国王経』 と『神 道集』に収載される「熊野権現事」よりも、観世音菩薩信仰に よる利益譚が豊かに語られていることが確認できる。
熊 野 の 本 地 』 に は、 『 旃 陀 越 国 王 経 』 と『 神 道 集 』 に 収 載 さ れる「熊野権現事」よりも観世音菩薩信仰による利益譚が豊か であることが確認できた。それに加えて『熊野の本地』におい ては観世音菩薩信仰の利益譚が『法華経』に基づいて語られて い る こ と が 指 摘 で き る の で あ る。 な ぜ な ら、 『 熊 野 の 本 地 』 に 語 ら れ る 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 利 益 譚 は『 法 華 経 』「 巻 八 第 二 十 五 観世音菩薩普門品」の経文に基づいていることが確認できる ためである。
前述の『熊野の本地』に説かれる観世音菩薩信仰の利益譚を 語 る 五 場 面 の う ち、 二、 三、 四、 五 の 場 面 に お い て「 観 世 音 菩 薩 普門品」に説かれる観世音菩薩信仰の利益譚と同様の内容を語 ることが確認できた。その詳細については以下の通りである。
二、 九 百 九 十 九 人 の 后 達 の 呪 詛 は 五 衰 殿 女 御 の 観 世 音 菩 薩 信 仰 によって退けられる 呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観世音菩薩力 還著於本人 三、馬が観世音菩薩の化身であること 善男子。若有国土衆生応以仏身得度者。観世音菩薩。即現 仏身而為説法。
四、王子が生まれるまで刀で首が斬れないこと
若復有人。臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋 段段壊。
五、 五衰殿女御の祈願によって獣たちが王子を護ること 若悪獣圍遶 利牙爪可怖 念彼観世音菩薩力 疾走無辺方 つ ま り、 『 神 道 集 』 に 収 載 さ れ る「 熊 野 権 現 事 」 に は 語 ら れ て お ら ず、 『 熊 野 の 本 地 』 に の み 確 認 さ れ る 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 利 益 譚 が『 法 華 経 』「 巻 八 第 二 十 五 観 世 音 菩 薩 普 門 品 」 に 基 づいて語られていることが指摘できるのである。
また、 『法華経』は、 「巻五第十二 提婆達多品」に代表され るように、女性の身体のままでの成仏こそ説かないが、変成男 子による女性の成仏を説くなど女性の仏教信仰に寄与した経典
であった。 『熊野の本地』が『法華経』 「巻八第二十五 観世音 菩薩普門品」に基づいた観世音菩薩信仰による利益譚を語った ことは、女性からの信仰を集める上で大きな役割を担っていた と考えられる。 以上から、 『熊野の本地』 における 「五衰殿女御譚」 においても、 『 法 華 経 』 信 仰 の 功 徳 に よ る 蘇 生 譚 に 確 認 で き る モ ノ ガ タ リ の 展開と同様の展開を確認することができる。五衰殿女御は生前 に仏教を信仰していたが、懐妊を妬んだ九百九十九人の后らに よって殺害されるという不本意な死を遂げる。その後に王子に よって供養され、 蘇生を経て熊野に垂迹するのである。そこに、 「五衰殿女御」が蘇生するというモノガタリは、 『法華経』信仰 の 功 徳 を 語 る モ ノ ガ タ リ と し て 形 成 さ れ る た め に 必 要 で あ り、 『 神 道 集 』 に 収 載 さ れ る「 熊 野 権 現 事 」 に は 語 ら れ て い な か っ た も の の、 『 熊 野 の 本 地 』 の 形 成 に お い て 付 け 加 え ら れ た 可 能 性が高いと指摘することができる。 つ ま り、 『 熊 野 の 本 地 』 と 類 似 す る モ ノ ガ タ リ を 語 る『 神 道 集 』 に 収 載 さ れ る「 熊 野 権 現 事 」 に お い て は『 法 華 経 』「 巻 八 第二十五 観世音菩薩普門品」に基づかない観世音菩薩信仰の 利 益 を 語 る の み で あ っ た。 し か し、 『 熊 野 の 本 地 』 に 加 え ら れ た改編の過程において、 『法華経』 「巻八第二十五 観世音菩薩 普 門 品 」 に 基 づ く 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 利 益 譚、 そ し て『 法 華 経 』 信仰の利益譚において語られる「死者の蘇生」という展開が加 え ら れ た こ と に よ っ て、 『 法 華 経 』 信 仰 に よ る 利 益 を 色 濃 く 語 る モ ノ ガ タ リ へ と 変 化 し て い っ た の で あ る。 つ ま り、 『 熊 野 の 本 地 』 は 観 世 音 菩 薩 信 仰 の 功 徳 に よ る 利 益 譚 を 語 る に 加 え て、 『法華経』 「巻八第二十五 観世音菩薩普門品」信仰の功徳を語 る、 言 い 換 え る と、 『 法 華 経 』 信 仰 の 功 徳 を 併 せ て 語 る モ ノ ガ タリであったと読み解けるのである。
まとめ