一九九六年一 一月
平城宮発掘調査出土木簡概報①
二条大路木簡六
付 平城宮発掘調査出土木簡概報II訂正
奈良国立文化財研究所
図版一
第二瓦九次調査SD一フ︵○○出十木簡二
(3 5)
図版二 第一.五九次調杏SD一フ︵○○出L木簡几
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図版三 第..瓦九次調査SD一フ︵OO出上木簡ご
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図版四 第..瓦九次調杏SD一フ︵○○出L木簡四
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図版五 第二瓦九次調査SD一フ︵OO出七木簡五・SD二︵七四二出上木簡
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図版六 第1瓦九次調杏SD
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図版七 二条大路濠状遺構南SD五二〇〇出上木簡一
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図版八 二条大路濠状遺構南SD瓦ノ○つ出卜木簡几
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図版九 一条人路濠状遺構南SD瓦一〇〇出土木簡一︒
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図版一〇 第..瓦九次調査SD 六〇〇出L漆紙文書︵卜y展開後・ド=展開前︶
一
(1:I)
この概報には︑一九九五年度に平城宮・京跡などから出土した木簡・
漆紙文書︑及び﹁二条大路木簡﹂の一部を収録した︒
このうち︑﹁二条大路木簡﹂については︑その整理・解読の成果の一
部を︑y﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄二二︑﹃同﹄二四︑﹃同﹄二九︑
﹃同﹄三〇︑﹃同﹄三一において順次公表してきた︒本号では︑コー条
大路木簡﹂と総称しているSD五一〇〇・SD五三〇〇・SD五三一〇
の三条の濠状遺構︵これまでは溝状土坑と称してきたが︑先に刊行した
﹃平城京左京二条二坊こ二条二坊発掘調査報告﹄において表現を改めた︶
から出土した木簡のうち︑二条大路の南端に掘られたSD五一〇〇出土
の削屑の一部を収録する︒
一︑木簡出土の地点と状況
第二五〇次・第二五九次調査︵6AAD・6ALQ・6ADE区︶
︵一九九五年四月〜九月︶
調査地は平城宮内裏の東方にあたり︑埓積み基壇官而の東隣︑東院の
北西に接する地域である︒ここに置かれた官而については︑T几六四・
六五年の第二二次調査北区︑一九八七年の第て八二次調査︑一九九三年
の第二四一次調査によって︑その北限と西限が明らかにされており︑西
面築地の内側を南流する二条の溝SD三〇三五・SD三〇五〇から出土
した六〇〇点余りの木簡︑及び墨書土器の内容から︑造酒司と推定され
ている︵﹃平城宮木簡﹄二︒﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄二九︶︒
今回の調査では︑推定造酒司の南端︑東院北方官面の北端︑両官而の
間を通る幅約一五mの東西方向の宮内道路の状況が明らかになった︒検
出した遺構は︑掘立柱建物一五棟︑門二棟︑築地塀二条︑掘立柱塀九条︑
溝一四条︑足場穴列一条︑道路一条︑土坑二基︑多数の小穴である︒南
限を確認したことにより︑推定造酒司の南北長は約二一五m︵四二〇尺︶
で︑西隣の埓積み基壇官而と南限が揃うことが判明した︒また︑官面の
南門︵奈良時代前半は掘立柱の棟門︒奈良時代後半に︑心をやや西にず
らして礎石建ちの八脚門に建て替え︶を検出し︑これを対称軸として折
り返すと︑東西幅もI〇〇mを越える大規模な官而である可能性が高く
なった︒ これまでに明らかになった推定造酒司西半の遺構変遷は︑図1に示し
た通りである︒全体としては建物が増加しその規模の拡大していく傾向
があり︑建物の集中する地域は北半から南半へ移行している︒しかし︑
甕据え付け穴を伴う作業場とこれを管理する施設を比較的広い空間を確
保しながら配置するという状況は︑奈良時代を通じて変化しておらず︑
正殿を中心とする整然とした建物配置はとっていない︒未調査の東半部
に官而中枢があった可能性も考えられよう︒
木簡は︑推定造酒司西辺の南北溝SD三〇三五・SD二︵七三三から
各一点︑宮内道路SF一一五八〇を横断する南北溝SD二︵七四二から
二七点︵うち削屑一五点︶︑SF一一五八〇の南側溝SD一ヱ︵○○か
らニハ○八点︵うち削屑二四五九点︶︑他に出土地点不明の削屑一一九
点の︑総計二九五六点︵うち削屑二五九三点︶が出土した︒
1
1。
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OA
十
SD303]SD3035 SD3050 SD16733
図1 推定造酒司跡西半の遺構変遷図
図2 SD11600 ・ SD16742の小地区割と出土木簡点数(( )内は削屑(内数))
一 2−
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南北溝SD三〇三五 官爺西辺に位置する奈良時代前半︵A期︶の素掘
りの南北溝で︑幅は二m余︒この溝の上流部分からは︑第二二次調査北
区で五六二点︑第二四一次調査で三四点︑計五九六点の木簡が既に出土
している︒西面築地塀SA一五八一四の東雨落溝SD三〇三一のすぐ東
を南流し︑南面築地塀の手前で東西溝SDこ︵七三二に合流︑さらに南
に折れて︑南面築地塀を木樋暗渠で抜け︵SD一六七三一︶︑宮内道路
SF一一五八〇を横断して︵SD一六七四二︶同南側溝SD一ヱ︵○○
に合流する︒奈良時代半は頃︵AH期︶に︑東側の南北溝SD三〇五〇
︵奈良時代末まで存続︒第二二次調査北区でヱ︵点︑第二四一次調査で
八点︑計二四点の木簡が出土︶に付け替えられるが︑SD三〇三五から
は郷制の木簡も出土しており︑暫くは併存した可能性がある︒
南北溝SDヱ︵七三三 南北溝SD三〇五〇の東肩を切る溝で︑奈良時
代末期から平安時代初頭頃にSD三〇五〇を付け替えたものか︒
南北溝SD二︵七四二 宮内道路SF一一五八〇を横断して南側溝SD
一ヱ︵○○に注ぐもので︑幅三・五〜四・五m︑深さ〇・七mを測る︒
造酒司内の排水を流すSDこ︵七三一と宮内道路北側溝SD一六七四五
が取り付く︒
宮内道路南側溝SD一ヱ︵○○ 宮内道路SF一一五八〇の南側溝︒現
状で幅約五m︑検出面からの深さ約一mの大規模な溝で︑西流する︒レしー
からSD二︵七四二が︑南からSD二︵七四一が取り付く︒この溝の下
流部分からは︑第一五四次調査において宝亀七年の年紀をもつものなど
八点の木簡が出土している︵﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄一七︶︒
今回の調査では約五〇m分を検出した︒溝の堆積状況は︑下から小傑混 灰褐粗砂︑暗灰粘質土︑灰褐粗砂︑暗茶灰粘質土︑茶灰粘質土となっており︑このうち暗灰粘質土と灰褐粗砂中には︑場所により木屑を多く含む層が見られた︒木簡は主として暗灰粘質土︑灰褐粗砂︑木屑層から出土した︒木簡の他に︑奈良時代末の平城宮土器Vや︑鳥形硯︑人形︑斎串︑桧扇の他︑墨書土器も出土しており︑﹁田﹂﹁西﹂﹁西宅﹂﹁神/西殿子﹂﹁中衛﹂﹁御﹂﹁酒﹂﹁酒司﹂﹁益頭﹂﹁四日大風/口廿七﹂﹁養﹂﹁道﹂などがある︒なお︑SD一ヱ︵○○の北岸を切る土坑SK二︵七三八からは︑絵馬二点が出土した︒第二六〇次調査︵6BGN区︶ ︵一九九五年七月〜九月︶ この調査は史跡名勝大乗院庭園の整備に伴うもので︑本年度は池の南岸から東岸にかけての四ヵ所計五四〇「︵第二六〇次調査一I〜m調査区計三三〇「︑第二六八次調査⁚Ⅳ調査区二I○「︶を調査した︒ 調査地は︑平城京の条坊でいうと︑外京の東端の左京四条七坊に所在する︒大乗院は︑寛治二年︵一〇八八︶興福寺の門跡寺院として創建された︒当初は︑現在の奈良県庁西南隅付近にあったが︑平重衡の東大寺・興福寺焼き討ちこI八○年︶に罹災した後︑当時元興寺の子院禅定院があった現在地に移った︒その後二度の火災を被るが︑宝徳三年︵一四五一︶の火災以後の尋尊による復興の様子は︑彼の日記﹃大乗院寺社雑事記﹄に詳しい︒さらに︑江戸時代の状況は︑隆遍の﹃大乗院指図﹄や︑隆温の﹃大乗院四季真景図﹄などによって窺うことができる︒ 検出した主な遺構としては︑中世の池SGO一︑近世の池SGO二の他︑中世造成土上の流れ状遺構SXO三などがある︒
3
木簡は︑園池南岸中央付近に設定した11調査区において︑池SGO二
の底に堆積した青灰色粘土の近代の層から一点出土した︒なお︑この他
に︑I調査区の表土から︑墨画のある近代の絵馬風の板一点が出土した︒
第二六六次調査︵6AFJ区︶ ︵一九九六年一月y二月︶
この調査はホテル建設に伴う事前調査である︒調査地は平城京左京三
条一坊一五坪の東北部にあたる︒調査面積は東区三三〇「︑西区六五「
の︑計三九五「である︒検出した主な遺構は︑古墳時代の竪穴住居一棟︑
奈良時代の掘立柱建物六棟︑掘立柱列三条︑井戸一基などである︒
一五・ヱ︵坪は奈良時代を通じて一体として利用され︑一五坪のやや
西よりに中心建物群を置き︑その東側は厨などの付属施設であったと考
えられる︒中心建物群は︑掘立柱から礎石建ちへの造り替えはあるもの
の基本的な配置は不変で︑正殿SB五九一五︑南殿SB五九一四︑脇殿
SB五九二丁五九一七を口の字形に配している︒今回の調査の結果︑
脇殿SB五九一三は北妻を正殿SB五九一五の北廂に揃えていることが
判明し︑北殿SB五九ヱ︵は独立して配されていることが明らかになっ
た︒南北いずれが正面かの問題はあるが︑正殿の前面を東西棟で閉じる
のは珍しく︑類例は石神遺跡や雷丘北方遺跡などに限られる︒平城宮・
京では例をみないこのような建物配置は︑特に埓の出土が多い点ととも
に︑一五・ヱ︵坪の特殊な性格を示している︒
木簡は東区西南部の井戸SE六六九〇の抜き取り痕跡から五点︵うち
削屑三点︶出土した︒掘形は︑遺構検出面では径三〜三こ︵mの不整楕
円形を呈し︑深さ〇・五mから正円形となり︑深さ三mの底面では一辺
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平城京左京三条一坊十五坪
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奈良市第94次
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三条条間路
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図3 第266次調査位置図・遺構概念図
一・五mの隅丸方形となる︒底に厚さ〇・一五mのバラス層があり︑そ
の上に横板組の枠を据えていたと考えられる︒一段の高さを二五回とす
れば︑遺構面までに一一段が入る︒抜き取り痕跡は掘形と同等の規模が
あり︑底面のバラス層上面に及ぶ︒木簡の他に︑墨書土器﹁皆女﹂﹁手
布利﹂︑草履二点︑鉄製U字形鋤先一点︑多量の平城宮土器Hが出土し
た︒井戸SE六六九〇は︑遺物からみて奈良時代の初期︑恐らく設置後
まもなく廃絶したものと考えられる︒
4
なお︑この他に一九九五年度の調査では︑第二六一次調査︵東区朝堂
院第六堂の調査︶において︑下層の第六堂SB一六八〇〇の柱穴の掘形
から︑習書のある木片一点が出土したが︑判読できない︒
以上︑▽几九五年度の発掘調査の詳細については︑﹃一九九五年度平
城宮跡発掘調査部発掘調査概報﹄を参照されたい︒
第一九三次調査B区︵6AFI区︶ ︵一九八八年七月〜コー月︶
第一九七次調査︵6AFI区︶ ︵一九八八年コー月〜一九八九年三月︶
一九八六年から一九八九年にかけて行われたデパート建設に先立つ調
査では︑大量の木簡が出土したが︑平城京左京三条二坊八坪と二条二坊
五坪の間を通る二条大路の南北両端に掘られた三条の濠状の遺構から出
土した木簡を︑﹁二条大路木簡﹂と総称している︒出土点数は︑総計約
七四〇〇〇点にのぼる︒本号では﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄二二︒
﹃同﹄三〇︑﹃同﹄三一に引き続き︑二条大路南端に掘られた濠状遺構
SD五一〇〇出土の木簡を報告することとした︒
SD五一〇〇から出土した木簡のうち︑削屑︵○九一型式の木簡︶以
外の木簡については︑既に﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄二二︑﹃同﹄
三〇︑﹃同﹄三一においてその報告を終えている︒また︑削屑について
もその一部を﹃同﹄三〇に掲載した︒SD五一〇〇の調査は︑第T几三
次調査B区︑第一九七次調査︑第二〇〇次調査︑第二〇〇次補足調査の 計四次にわたったが︑本号に収録したのは未報告分の削屑のうち︑SD五二⁚︶○東端三〇m︵UO︵P︶○九〜一八︶を調査した第一九三次調査B区︑及び西端九m︵UO四六〜四八︶を調査した第一九七次調査出土の削屑である︒両調査出土の木簡については︑本号をもって概報は完結となる︒残る第二〇〇次調査︑及び第二〇〇次補足調査出土の削屑については︑次号で報告の予定である︒ SD五一〇〇は︑二条大路の南端を大路に沿って東西に走る濠状遺構である︒当初は二条大路の南側溝ではないかと考えたが︑この溝の二m南に南側溝SD五一〇五を検出し︑それが東二坊坊闇路西側溝SD四六九九へ注ぐことが判明した︒一方︑SD五一〇〇の東端はSD四六九九の一二一m西で途切れ︑西端も一坪・八坪の境で止まる︒また途中で流入・流出する施設もなく︑濠状ではあるが流れた痕跡がない遺構である︒ 5幅一丁六m︑深さ〇・九mで︑全長二一〇mをほぼ完掘した︒土層は四層に分かれ︑上から﹁暗灰褐色砂質土層﹂﹁炭層﹂﹁木屑層﹂﹁黒灰色粘土層﹂となる︒最上層の﹁暗灰褐色砂質土層﹂は埋め立ての土で奈良時代後半の遺物を含むが︑以下の三層は堆積土で︑木簡は全てこの三層から出土した︒木簡に記す年紀は神亀二年〜天平一一年で︑特に天平七・八年が多い︒ 木簡の出土点数は︑SD五一〇〇全体で約三八〇〇〇点という概数に大きな変化はないものの︑整理・解読の進展に伴って若干変動がある︒地区ごとの出土点数の詳細は︑SD五一〇〇出土木簡の報告の完結する次号に掲載することとする︒
﹁二条大路木簡﹂全体の性格について確言することは困難であるが︑
最近の検討により︑一応の結論に達している︵﹃平城京左京二条二坊・
三条二坊発掘調査報告﹄一九九五年︶︒それによると︑木簡は基本的に
南の左京三条二坊と北の左京二条二坊から廃棄されたもので︑遠方から
運び込まれたとは考えられない︒従って︑その内容は南北に隣接する場
所の性格と密接に関連する︒従来より木簡の内容については︑天皇・皇
后など公的色彩の強い一群と︑貴族の家政に関わる一群とに分かれると
考えてきたが︑この点は継承すべきである︒但し︑点数的にはこれまで
考えていたよりは前者の比率が高いものと判断した︒そして具体的には︑
前者は衛府などが守衛すべき場所の木簡群であり︑内容からこれを皇后
宮の木簡と結論づけた︒そして︑それらは南の遺構から廃棄されたと見
るべきであり︑恭仁遷都以前の左京三条二坊一二∵七・八坪︑つまり
長屋王宅の跡地は光明皇后の皇后宮であったと推定した︒∵万︑後者の
貴族の家政に関わる木簡群については︑従来の見解を踏襲し︑兵部卿藤
原麻呂家の木簡とみて︑その邸宅を北の左京二条二坊の地に推定した︒
なお︑﹁二条大路木簡﹂に関連する発掘調査の成果の詳細については︒
﹃平城京左京二条二坊こ二条二坊発掘調査報告﹄を参照されたい︒
表一 ﹁二条大路木簡﹂の﹃平城宮発掘調査出土木簡概報﹄における掲載状況
s s HR
紅白
ド 吋
そ の 他
削 鯛
そ の 他
削 屑
○
概 報 一一 一一
○ ○
一一 四
○
一一 九
○ ○ ○
− 一−
〇
○
一 一一 一
○
一 一一
一
‑
○
一一 一 一一 一
− 予 定
−
Å
第198次A区
二 条 大 路
0 30m こ
第193次B区
第200次補足
_ U025
左京三条二坊八坪
図4 SD5100 ・ 5300 ・ 5310の平面図と小地区割
6
二︑凡 例
︵一︶木簡は内容により︑文書︑付札︑その他の順に排列するのを原則
とした︒
︵二︶SD五二⁚︶○出土の﹁二条大路木簡﹂の削屑の収録及び排列は︑
先に刊行した﹁二条大路木簡﹂のSD五三〇〇・五ご二〇出土の削
屑に倣い︑次に掲げる基準によった︒また︑その他の調査で出土し
た削屑についても︑概ね同様の基準によった︒
①四字以上︵疑問の残る文字を含む︶判読したものは全て収録する︒
②判読した文字が三字以下の場合でも︑次に該当するものはでき
るだけ収録する︒
a︑文書様式 b︑官職名 c︑位階 d︑人名 e︑地名
f︑年号・日付 g︑その他注目すべきもの
なお︑人名は原則として姓または名が完存するものに限る︒
﹁麻呂﹂または﹁万呂﹂とのみ残るものについては︑完存か
否かの判断が困難であるので収録しない︒
③排列は概ね次の順序に従い︑関連する内容のものは適宜類収し
た︒また︑削屑に限り︑点数に鑑みて特に三段組とした︒
a︑文書木簡の削屑 b︑勤務評定に関わる木簡の削屑
c︑官職名 d︑位階 e︑人名 f︑地名 g︑物品名
h︑名数 i︑習書木簡の削屑 ・J︑横材木簡の削屑
︵二︶釈文の漢字は概ね現行常用字体に改めたが︑﹁龍﹂﹁廣﹂﹁賓﹂ 口口口口目口円 口口 口−︱−〜 そ
﹁ ﹂
﹁︻ ︼
︵ ︶ 木簡の表裏に文字のある場合︑その区別を示す︒木簡の上端もしくは下端に孔が穿たれていることを示す︒欠損文字のうち字数の確認できるもの︒欠損文字のうち字数が推定できるもの︒欠損文字のうち字数が数えられないもの︒記載内容から︑上または下に一字以上の文字を推定したもの︒同一木簡と推定されるが直接接続せず︑中間の一字以上が不明なもの︒抹消により判読困難なもの︒抹消部分の字画の明らかな場合に限り︑原字の左傍に付した︒異筆︑追筆︒合点︒校訂に関する註のうち本文に置き換わるべき文字を含むもの︒
右以外の校訂註および説明註︒
﹇×一 文字の上に重書して原字を訂正している場合︑訂正箇所の
左傍に・を付し原字を上の要領で右傍または左傍に示した︒
カ 編者が加えた註で疑問の残るもの︒
マヽ 文字に疑問はないが意味の通じ難いもの︒
︵五︶釈文下の上段のアラビア数字は︑木簡の長さ・幅・厚さを示す
︵単位は皿︶︒欠損・二次的整形の場合︑現存部分の法量を括弧つ
きで示した︒なお長さ・幅は木簡の文字の方向による︒
﹁嶋﹂﹁檜﹂﹁肪﹂﹁醤﹂﹁簸﹂などについては右の字体を使用した︒ ︵六︶釈文下の中段に現在の遺存の形態を示す型式番号を記した︒型式
︵三︶釈文に加えた符号は次の通りである︒ 番号は次の通りで︑四桁の数字を用いているが︑本概報では時代を
7
μ
示す千の位を省き︑下三桁の数字で表わした︒なお端とは︑木簡を
木目方向においた時の上下両端をいう︒
6011型式 長方形の材のもの︒
目ぶ型式 長方形の材の側面に孔を穿ったもの︒
6019型式 一端が方頭で︑他端は折損・腐蝕などによって原形の失わ
れたもの︒原形は6011‑6015‑6032‑6041‑6051型式のいずれ
かと推定される︒
目印型式 小型矩形のもの︒
目函型式 小型矩形の材の一端を圭頭にしたもの︒
目ほ型式 長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたもの︒方頭・
圭頭など種々の作り方がある︒
目旨型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれたもの︒
目胎型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ︑他端を尖らせ
たもの︒
6039型式 長方形の材の一端の左右に切り込みがあるが︑他端は折損
腐蝕などによって原形の失われたもの︒原形は6031‑6032‑
6033‑6043型式のいずれかと推定される︒
目だ型式 長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状に作ったもの︒
目色型式 長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状にし︑左右に
切り込みをもつもの︒
目色型式 長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状にしているが︑
他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒
目印型式 長方形の材の一端を尖らせたもの︒ 呂昭型式 長方形の材の一端を尖らせているが︑他端は折損∵腐蝕な どによって原形の失われたもの︒原形は6033‑6051型式のい ずれかと推定される︒ 呂一型式 用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの︒︵ ︶内に製品名 を註記した 呂呂型式 用途未詳の木製品に墨書のあるもの︒ 呂β型式 折損・割截・腐蝕その他によって原形の判明しないもの︒ 呂β型式 削屑︒ 括弧内の番号は︑二次的整形の場合に推定できる原形の型式を表わす︒ ︵七︶釈文下の下段に出土地点を示す小地区名︵アルファベット・数字︶ を記した︒zは地区不明を示す︒複数の地区から出土した破片が接続 したものは地区名を併記した︒ なお︑今回報告するSD五︒00出土の削屑には︑紙ラベルの溶 解に起因する地区不明の木簡が多数含まれるが︑全て第フ几三次調 査B区︵SD五一〇〇東端よりのUOO九〜UO一八︶出土である︒ ︵八︶釈文の出土地点の下に付した﹁*﹂印は︑口絵図版に写真を掲げた 木簡を示す︒例えば︑﹁*w﹂は﹁図版三﹂に対応する︒ 木簡の釈読には﹁長屋王家木簡検討会﹂ ︵堀池春峰︑岩本次郎︑鬼頭清明︑東野治之︑綾村宏︑舘野和己︑寺崎保広︑渡辺晃宏︑古尾谷知浩︑山下信一郎︶の成果を取り入れ︑鷺森浩幸・鈴木景二・吉川敏子氏の助力を得た︒また編集に際しては︑岩田敦子・大山綾子・神棒景子・北村有貴江・中岡泰子・八木典子氏の助力を得た︒写真は佃幹雄・牛嶋茂の
撮影による︒本書の編集は古尾谷知浩こ渡辺晃宏が担当した︒
8
南北溝SD三〇三五︵6AAD区︶
丹後国加佐郡口太郷口 口
南北溝SDヱ︵七三三︵6AAD区︶
﹇野力﹈口鹿郡上郷三口部口
南北溝SD二︵七四二︵6AAD区︶
口不能求食口口口口口
口一
十一月 口 口口 口口口二人
正月 ︻価力︼
口銭
﹇価力﹈ 口銭一
一月
口
三月 (174︶
N)
Coj
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つ CO q⊃
()
g⊃
トーあ
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八← 6⊃ご・17‑7 039 0Q12
(129︶‑︵14︶‑2 081
呂 ぶ
(lll)‑24‑8 Oil 0F14
(171︶‑12‑3 019 0C14 ﹇浪力﹈若狭国三方郡口口郷忌口里 ︻乃止カー ロロ 240‑︵15︶‑4 031 0G13
口
口口所四人
口所∵人 ﹂ XJJいこ口受五斗員百十四隻
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宮内道路南側溝SD一ヱ︵○○︵6AAD・6ALQ区︶
主膳監解申宿侍二人
﹇膳監力﹈口口口解申宿侍三人
主馬署解
御書所宿壬生塩代
﹁阿刀綴良﹂ 高橋山守安都都万呂十一月廿二日秦一
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秦一万多米絲麻呂 安都都万呂
十一月廿三日秦一万
五月廿二日
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奈良宮返抄
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小鰯一升縫 御服所請鯵壱拾陸隻
宣所請如件
綾所請醤鰯漆合 人七口料
﹁行少属三嶋大調﹂
御順所請柏拾把
﹁行 林浦海﹂
御噴所柏廿把 ︵コ↑︶・︵&︶
安倍庭女都努稗田 石川尾張安倍藤子
C力
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已上四人日料依命婦
五月廿二日勝安麻呂 別当史生阿閑
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四月十日別当物部弟益
五月十三日酒部宅継
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五月十三日史生稗田友勝
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﹇滑﹈人給所請骨海藻弐升 官人御料 六月四日
人給所請堅魚煎壱合御菱料 一直銭カー
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呂Ξ 芯081 0A14 人給所請荒炭二斗﹁人給所口 口
口口内作物所 煮骨料
柏 六 把
三月廿エ
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口所請飯四升半︲1混混口口﹂
小稲申口口口口 口口口口口口口
一請カー
令史曹司口口口
﹁口口口口口口口﹂︵裏面︵同二文字ノ習書︶
泉遣使請塩■■ 彼充魚塗料
﹁行少属三嶋﹃大調﹄
︵重書︶
﹁封﹂
請宇奴汁五合 葱奎物料
﹁史生武生三継﹂ 〜〜〜〜
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五月十七日栗前福足
史生賀陽氏継﹂
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五月廿四日
o請塩壱斗〜〜〜〜つき
.A>.<V..V. 為焼皮井宍塗所請如件〜〜〜lぐ〜tぐ〜〜
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五月七日
﹁判少進安倍 少属三嶋
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請飯弐升服橋口
請食二升ごJJJ
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忽忙丿匹作忙 卜口
請折櫃壱合 銃形陸口
行史生口口口口
﹇請力﹈ ﹇口力﹈
口相替器参拾口口
﹇⁚⁚口 合器参拾口口
﹇漆力﹈
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三月十八日高橋毛人麻呂
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口口片佐良廿
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口口 三月廿三日
衛士四人給夕食 口
判大進 十三日 小口
一×三一間食二升 茨田四藤 四月五日
判大伴少進 充国助
間食壱升給出房従之
用代給飯四升半秦
右口務所作
十四日口量口
﹇請請カ﹈口申口口口
口 口口属口口口口口内舎人﹁﹂ ︻大力I
宗宜部豊万呂口 口
小進口 口口稲公一少カー
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高橋毛人麻呂
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(174︶‑︵30︶‑5 081 JB36
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﹇正月カ﹈ ︵マこ 一作カーロ年口口口五日正六位上行山田連車口
大炊 国万呂千嶋国持 口口口
山田人内厩
人盲亀四口 ﹇年力﹈
大私福万二
︻所力︼粟田大夫口
ヨカー建部高継
口人堤嶋根
T上力一口等神口
﹇升力﹈ 口口口口
大伴進三升
口佐官二升
大雀﹁口 七人
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﹁轜米五斗二升
胡麻子一斗三升
一後力︼前口二升五合口口 ︵函︶・︵ご心 ︷︸81 JA42
︻黍カー ﹁口口口斗三升 大豆二斗八合
﹁小豆二斗八合 油二升六合
﹁小麦上同口口口口口口口口口
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天平十四年
一盲亀力一 ロロ四年四月十六日口口
一万呂カ一閏十一月十八日田口口口口
口 口
﹇高カコ春力﹈
口安郡口米
参河国播豆郡析嶋海部供奉口
戸主矢田部人成口 延暦元年十月十日 伊豆国那賀郡那珂郷 調麓堅魚拾壱斤拾両 宇遅部得足 専当郡司擬領外正七位上膳臣山守
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若狭国三方郡耳郷戸主丸部真前
︻波力︼丹口口 口斗
﹇縫郡力﹈出雲国楯口口沼田郷口口
﹇播力I﹇飾力﹈ 口磨国口口口
円 口 口口専口 口︵他ニモ重書アリ︶
英賀郷戸主日下部口口同部佐知万呂
延暦二年口月八日口口口 I十力一
口郡殖月郷白米五斗
美作国勝田郡白米五斗
備中浅口郡川村口口
安那郡高迫郷千口
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(137︶‑17‑4 039 JB36
(84)‑22‑4 019 JB37 御調郡白米五斗桜間郷日下部国万呂小豆五斗﹁口口﹂︻讃一口岐国寒川郡造太郷精米五斗 ︻田脱力一讃岐国山郡三谷郷凡直小野口 延暦三年四月十二口 I日一 ﹇足カー讃岐国那珂口川郷口 一郡脱一 ︻五カー讃岐国三野郡勝間郷轜米口口伊予国周敷郡田乃郷荒木首真島一俵中村郷戸主丸部今赤戸口真魚女米五斗口郡御野郷守部思人調塩三斗 口長口口口犬 ﹇郷 丸部臣こ大椎子
﹇鮑力﹈
短口 (124︶‑(5︶‑3 081 0B12
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一津力一 口家継
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︵右二点八同一木簡ノ削屑︶
口大大 大大
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︵縦横界線アリ︶
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○ 片原町 大和奈良
田中秀善様 東京牛込 津久戸口町
二条家 口口十二月二十七日﹁﹂口口口賀
一配達料先カー︵長方形朱印﹁口口口口払﹂アリ︶
井戸SEI・︵六九〇︵6AFJ区︶
一×梢︼ o奉上木三百二材
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︵いずれも○九一型式につき型式番号の註記は省略︶
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