定期金賠償積極論と処分権主義 : 被害者の申立て によらない定期金賠償の可能性をめぐって
その他のタイトル Verurteilung zum Schadensersatz in Form einer Rente 'von Amts wegen'?
著者 越山 和広
雑誌名 關西大學法學論集
巻 56
号 2‑3
ページ 487‑527
発行年 2006‑11‑30
URL http://hdl.handle.net/10112/12351
越 山 和 広
定期金賠償積極論と処分権主義
被害者の巾立てによらない定期金賠償の可能性をめぐって
l
四
原告の申立てによらない定期金賠償判決の二つのタイプ
処分権主義からの考察
救済方式選択の観点
実体法理論転換の可能性?
は じ め に
目 次
はないかという考え方︵定期金賠償論︶がある︒たしかに︑定期金賠償は実体法が明文で承認しているわけではない︒
しかし︑その適法性を疑う見解は現在皆無であり︑定期金賠償が適法であることを前提として︑主として交通事故損
(2 )
害賠償の場面で比較的古くからその活用が説かれてきたことは周知の通りである︒しかし︑損害賠償訴訟で実際に原 告側から定期金請求がされた例は︑公刊された裁判例を見る限りそれほど多くはない︒
ところで︑実際の事例では︑原告が高額の介護費用の賠償を一時金で請求するのに対して︑被告が事実関係を争う のではなく︑不法行為により植物状態︵寝たきり状態︶となった被害者の推定生存可能年数︵余命年数︶を統計的資
料に基づいて例えば一
0
年から一五年程度に限定するべきであると争いつつ︑右のような余命限定ができないのであ れば︑損害の公平な分担を実現するために定期金賠償方式を選択するべきだという反論を行うことが少なくない︒こ のような被告側の主張には︑重度後遺障害を負った被害者に対する介護費用賠償を平均余命年数いっぱいまでの生存 可能性を基礎とする一時金方式で給付することが︑余命認定の困難性と︑損害の公平な分担という二つの観点から果 たして合理的なものだと解してよいのかどうかという問題提起が内在しているといえるだろう
C最近では︑介護費用
の高額化という経済状況とも相まって︑あらためて一時金と異なった救済方式としての定期金賠償の意義が見直され
(5 )
てい
る︒
他方︑訴訟上の実践論としては︑上述したような被告による定期金賠償の主張を裁判所が認めて︑原告が当初の訴
定期金賠償積極論と処分権主義
不法行為を原因とする人身損害に対する賠償方式として︑
は じ め に
ニ ニ 五
︵四
八九
︶
一時金よりも定期金の方がより合理的な賠償方式なので
︵ 四 九
O )
えの申立てで選択しなかった定期金賠償を命じることができるのかどうかという問題が生じる︒この問題はさらに︑
当事者から何ら申出がないのに定期金賠償を裁量により認めることができるのかという疑問にまで発展する︒もしこ
こで︑原告の申立てがなくても︵被告の申立てがあれば︶定期金賠償を命じることができるという発想が採用できる
ならば︑余命認定が困難な事案では疑いなく定期金賠償の実際上の効用が高まることになる︒しかし︑当初の訴えの
申立てに示された原告の具体的な意思が制約を受けてもかまわないのだろうか︒すなわち︑そのような判決は訴えの
申立てから読み取ることができる原告の合理的な判決要求意思にかなうものとみなされるのだろうかという疑問が生
(6 )
にかかわる問題である︒じる︒これは︑民事訴訟法の基本原則である処分権主義︵民事訴訟法二四六条︶
本稿は︑原告の申立てがなくても定期金賠償を命じることができるという考え方を解釈論として主張する立場・傾
向を︑適切ではないかもしれないが︑﹁定期金賠償積極論﹂と名付けて︑この考え方に含まれる問題点を検討するも
ので
ある
︒
( 1
)
かつての裁判例︑例えば東京スモン訴訟︵東京地判昭和五三年八月三日判時八九九号五三頁︶は︑原告側の将来の介護費
用の定期金賠償を認めるに足りる証拠はないとしつつ︑カッコ書きの形で︑定期金賠償の現行法上の根拠の乏しさを指摘し
ていた︒これに対して︑最近ではもはや法令上の根拠付けは問題視されてはいない︒
( 2
)
定期金関連の論文等は極めて多数に上るが︑吉本智信
I I 佐野誠﹃生存余命と定期金賠償﹂二0︱頁以下︵自保ジャーナル
社︑二
0
0五年︶にほぼ網羅的な参考文献リストが掲げられている︒なお︑判例・学説の客観的な整理︑紹介は従来発表さ
れてきたほとんどの文献で行われてきたところなので︑本稿てはそれを繰り返すことを避けて︑筆者自身の考え方を明確に
論じ
るこ
とに
努め
たい
︒
(3) 吉本
11佐野•前掲注 (2) 一八二貝以下に平成一六年三月までの定期金に関する裁判例の一覧表があり便利てある。その後
の裁判例は議論を進めるのに必要な限りで言及する︒なお︑交通事故関連の裁判例は︑週間自動車保険新聞︵保険毎日新聞 関
法 第 五 六 巻 ニ
・ 三 号
二二六
定期金賠償積極論と処分権主義 の資料も精壺しなければならないが︑筆者の調査は遺憾ながらそこまで及んでいない︒ 社︶や自動車保険ジャーナル︵自保ジャーナル社︶といった業界紙にその多くが掲載されることから︑本来であればこれら
( 4
) 植物状態患者とは︑最もよく引用される日本脳神経外科学会の提案(‑九七二年︶によればつぎのように定義される︒① 自力移動不可能︑②自力摂食不可能︑③尿失禁状態にある︑④たとえ声は出しても意味のある発語は不可能︑⑤﹁眼を 開け﹂﹁手を握れ﹂などの簡単な命令にはかろうじて応ずることもあるが︑それ以上の意思の疎通は不可能︑⑥眼球はかろ うじて物を追っても認識はできない︒
( 5
) 原告側としてはたとえ全部履行されなくても一時金の方が望ましいのが通常であろうが︑超低金利時代であるにもかかわ らず市中金利をはるかに上回る民事法定利率による中間利息が控除される︵最判平成一七年六月一四日民集五九巻五号九八 三頁参照︶ことを︑定期金方式を選択することで避けたいということもありうるであろう︒
(6)
被害者の申立てによらない定期金賠償と処分権主義との整合性に関する学説の詳細は、吉本
11
佐野•前掲注(2)―-五頁
以下︑大島箕一﹁重度後遺障害事案における将来の介護費用ー一時金賠償から定期金賠償へ﹂判タ︱︱六九号七一二頁︑八
0頁以下︵二
0
0五年︶参照︒ちなみに原告の申立てを尊重する立場が通説的と解される︒例えば︑楠本安雄﹃人身損害賠
償論﹄二三六頁︵日本評論社︑一九八四年︒論文初出一九六九年︶︑江藤俯泰﹁判決において定期金賠償を命ずることの可
否﹂鈴木忠一
1 1三ヶ月章編﹃実務民事訴訟講座
3﹂︵日本評論社︑一九六九年︶三0
三頁以下︑池田辰夫﹁定期金賠償の問
題点﹂鈴木忠一
1 1三ヶ月章編﹃新実務民事訴訟講座4﹄二四︱頁︑二六
0頁︵日本評論社︑一九八二年︶︑岩井俊﹁定期金
賠償﹂篠田省二編﹃裁判実務大系
1 5
不法行為訴訟法
( 2
) ﹄二八八頁︑三0
五頁︵青林書院︑一九九一年︶など︒筆者は︑
﹁定期金賠償と新民事訴訟法︱︱七条の訴えについて﹂近法四五巻二号七九頁以下(‑九九八年︶で︑通説的立場に立ちつ つこの問題を検討しているが︑議論として未熟な面があったので本稿で改めて議論を展開する次第である︒
ニ ニ 七
︵四
九一
︶
めに平均余命表︵厚生労働省大臣官房統計情報部発表の簡易生命表︶による死亡年齢の推定が利用される︒そして︑
当該被害者が平均余命まで生存するという可能性を前提として損害賠償額を算定する︒現在でも大多数の裁判例はこ のような前提に立っている︒しかし︑倉田氏によれば︑これは︑平均余命に強い心証形成力を認める裁判官の発想
︵﹁余命認定確信派﹂︶であり︑こうした発想では︑とりわけ植物状態に陥った当該被害者の余命年数を正確に認定し たことにはならないとされる︒これに対して︑被害者死亡を終期とする定期金賠償を選択すれば︑不確かな推定余命
年数の認定に頼ることなく損害額認定の厳格性を回復できる︒ ー
ま ず
︑
一時
金に
よる
賠償
では
︑
定期金賠償積極論によれば︑原告の訴えの申立てが一時金請求であったとしても︑それに対して定期金方式での判
(7 )
決が可能であるとされる︒そして︑そのような本案判決は一部認容︵一部棄却︶判決であると解されている︒
一部認容判決とは︑原告の当初請求は実体的要件を満たさないので形式上棄却され るべき場合に︑提訴した原告が有するであろう合理的な意思を推定して︑質的ないしは量的に申立ての範囲内で本案
(8 )
判決をする場合を意味する︒では︑ 民事訴訟法二四六条の解釈上︑
一時金請求に対する定期金判決は︑このような意味での一部認容判決ということ ができるのだろうか︒このことを︑定期金賠償積極論のパイオニア的存在である倉田卓次氏の説明に従ってより具体
(9 )
的に説明するならば︑次のようになる︒
一般に︑被害者の逸失利益の算定に際して︑その基礎となる稼働可能期間認定のた
一時金としては認容できない場合として考える見解
原 告 の 申 立 て に よ ら な い 定 期 金 賠 償 判 決 の 二 つ の タ イ プ
関 法 第 五 六 巻 ニ
・ 三 号
ニニ
八
︵ 四
九 二
︶
定期金賠償積極論と処分権主義
以上の説明を倉田説に従って言い換えるならば︑余命の認定が厳密な意味で不可能な場合には一時金請求は棄却す るほかないが︑定期金の限度で認容することができる︒そしてこれは︑現在給付請求に対して将来給付判決をする形
( 1 2 )
ので申立ての範囲内であり︑処分権主義違反にはならない︒また︑
︵一
部認
容︶
可能期間よりも早く死亡した場合に給付が打ち切られる可能性が内在する意味でも一部棄却だとされる︒
この見解によれば︑現実に最も問題となる重度後遺障害を負った被害者からの一時金請求は︑次のように処理され ることになるだろう︒まず︑植物状態の被害者がその被害者の属する年齢の男女についての簡易生命表から推定され る余命年数の間生存できる可能性は︑経験則上高くはない︒かといって︑植物状態の患者に関する統計的数値により
( 1 3 )
1 0
年ないし一五年程度の限定的生存を推認することも困難である︒他方で︑このように植物状態患者の平均余命を 認定するのが困難であることを理由にして︑簡易生命表に基づく平均余命までの生存を認定するのは論理の飛躍であ る︒したがって︑当該被害者の余命年数を導く経験則の存在が認定できないとの理由で一時金請求は認容されえない が︑定期金方式ならば余命認定が請求認容の要件にならないので︑その限度で認容されるということになる︒
判例の中にも以上のような倉田理論の影響を強く受けたものがある︒それは︑原告の申立てによらないで逸失利益 について定期金賠償を命じた札幌地裁昭和四八年一月二三日判決︵判タニ八九号一六三頁︶
( 1 5 )
ニ
﹁確かに︑身体傷害による逸失利益の算定等にあたり︑平均余命表に基づいて被害者の残存余命や就労可能年数を推認 つ
し︑その期間に同人が得べかりし利益等より中間利息を控除してこれを算出する方法は一般に採られているところであ つて︑本来個別的事象の認定には必ずしも妥当しない平均余命表も︑存命中の人間の死亡時期を予測する方法として他
になる
ニ ニ 九
である︒これは次のよう
︵四
九三
︶
一時金が算定基礎とした稼動
意味での見解をもし支持するというのであれば︑ 2 一時金として認容できるが適切ではないと考える見解
三 ︱
1 0
の介護費用が高額化
︵四
九四
︶
にこれにまさるものがないところから︑通常の場合には︑それなりに合理的なものとして用いられている︒それによっ
て損害額の算定が個別的には不衡平な結果となることがあっても︑それは一時払賠償という賠償形式に伴うやむをえな
い制約といわなければならない︒
しかしながら︑本件における原告M︵仮名にした︒筆者︶のごとく︑脳損傷の傷害を受け︑その回復の見込みがない
ばかりか︑その余命の幾何とも知れない最重篤の傷病人がなお平均余命を生存しうるとすることは︑既に認定した経験
則︵植物状態患者の余命は短いが原告があと何年生存できるかは認定不可能であるということ︒筆者補足︶に明らかに
違反するところであって︑このような事情にない通常の場合と同一に論じることはとうていできないところである︒ま
た︑逆に︑このような場合︑原告Mに対して向後生存しうる期間の立証を求め︑本件においては︑同原告の余命の幾何
たるとも予測しがたく︑その部分につき損害の立証がないものとしてその請求を棄却することは︑一時払という賠償形
( 1 6 )
式に固執する以上避けられないとはいえ︑いかにも衡平に反する結果となる︒﹂
1で紹介したタイプの定期金賠償積極論︑
関 法 第 五 六 巻 ニ
・ 三 号
つまり一時金としては認容されないが定期金としては認容できるという
一時金請求では被害者の推定余命年数について厳密な証明が要求さ
れるという前提から出発しなければならないはずである︒しかし︑最近のとりわけ裁判官を中心にした実務家サイド から主張される定期金賠償積極論は︑このような前提から出発しているわけではない︒むしろここで問題とするタイ
プの定期金賠償積極論では、重度後遺障害を負った被害者(植物状態•寝たきり状態の被害者)
していることと︑最高裁平成︱一年︱一月二
0
日判決︵民集五0
巻六号一三二三頁︶を契機として認識されるように
定期金賠償積極論と処分権主義
なった介護費用の損害としての特性︵現実に必要とされる限度で支弁されるべき費用であること︶︑年五分の割合に
( 1 8 )
よる中間利息控除の合理性に対する疑問などの観点から定期金賠償の活用を説くところに特徴がある︒このような考
成一五年七月二九日判決︵判時一八三八号六九頁︶ え方に強く影響されたのではないかと思われるのが︑原告の申立てによらない定期金賠償判決を許容した東京高裁平
( 1 9 )
である︒この判決は明らかに従来の実務の流れから見て異質な判 断を含んでいることから︑議論の手がかりとしてやや詳細に紹介する︒
︵事
案の
要約
︶ 事故車両の運転者
Yが泥酔状態で惹起した交通事故により︑事故車両と衝突した車両に同乗していた
x
︵昭
和三
0
年生 まれ︑事故当時四一歳︶が脳挫傷︑右上腕骨々折︑全身打撲の傷害を負い︑治療を受けた︒しかし︑
Xは脳挫傷後遺状態
から回復せずに意識障害︵失外套状態︶が残存したまま症状固定となり︑後遺障害等級事前認定の結果︑一級三号︵神経 系統の機能又は精神に著しい障害を残し常に介護を要するもの︶の認定がされた︒
Xは︑その後も意識が回復しないまま
入院を継続中である︒そこで︑
Xが︑逸失利益・介護費用・慰謝料等の合計一億一三八六万三四四四円の損害賠償を求め
て提
訴し
た︒
Yは︑①X
の余
命を
一
0
年に限定すべきこと︑②それが無理ならば定期金賠償を行うぺきであると主張︒審は
Y
の主
張を
全面
否定
︒
︵判
旨の
整理
︶
① 前 提 と な る 命 題
①被害者︵原告︶の推定余命年数を症状固定時から一
0
年であると推測することはできないが︑植物状態になった者の推定余命が短いことは統計上認めざるを得ない︒
~
︵四
九五
︶
~
②本件事故による被害者の余命の減少とそのこと自体による逸失利益の喪失は本件事故と相当因果関係があるから︑
逸失利益賠償は統計的稼動年数︵六七歳まで︶を基礎にして算定するべきである︒
③しかし︑余命期間中実際かつ継続的に必要となる将来の介護費用の賠償については︑現実の余命の減少が算定に大 きく影響を及ぼす︒その可能性は︑損害賠償方式で考慮されるべきである︒
②被害者の選択によらない定期金賠償を採用できるとする論拠
①推定余命年数を基礎として一時金に還元して介護費用を賠償させると︑賠償額が過多あるいは過少となり当事者間 の衡平を著しく欠く危険があることから︑定期金の方が原則として合理的である︒
②一時金賠償を求めているのに対して定期金賠償を認めることの問題点のうち︑
︵将来の事情変動は民事訴訟法︱︱七条の訴えで対処できる︒
い賠償義務者の資力悪化については︑一時金でも支払能力がなければ同じである反面︑任意保険契約を締結してい れば会社が支払いをするから︑保険会社倒産の危険はないとはいえないが履行は確保される︒すると︑損害保険会 社と保険契約を締結している本件では︑定期金賠償と一時金賠償とでは︑どちらを選択しても履行確保の側面で合
理性を欠く事情があるわけではない︒
③ 結 論
Xの死亡︑またはX
が八四歳に至るまでのいずれか早い時期を終期とする定期金給付を命じる︒
さて︑この判決をした東京高裁の裁判官にとって︑被害者の申立てによらない定期金賠償を命じることを決断した 最も大きな動機は︑脳挫傷による重度後遺障害を負った本件原告の推定生存可能年数の証明が著しく困難であるとい うことであったことは間違いがない︒しかし︑この判決が︑簡易生命表による統計的認定では当該被害者の余命年数
関法第五六巻ニ・三号
︵ 四
九 六
︶
定期金賠償積極論と処分権主義
を証明したことにはならないという前提に立っているのかどうかは︑はっきりしない︒このことは︑類似の議論を展 開する裁判官執筆の文献でも同様である︒これはいったいどのように理解したらよいのだろうか︒おそらくは︑ここ で取り上げる定期金賠償積極論者は︑生存可能年数の証明問題は個別事案ごとの心証形成の問題にすぎないとしてそ
( 2 0 )
の点の説明を避けて議論しているか︑あるいは︑平均余命までの生存を推認するのは次善の策でやむを得ないから︑
賠償のあり方としてより望ましい選択である定期金方式によるべきであると論じていると見るのが正確であろう︒別 な角度から説明するならば︑この判決は︑平均余命に基づく介護費用給付は過不足を生じる点で不公平を招くという 認識に主として基づいて︑原告の申立てによらずに定期金賠償を命じたものと理解するべきではないだろうか︒
このように︑最近の定期金賠償積極論は︑重度後遺障害を負った原告の請求について︑損害額の証明ができないか ら一時金としては棄却するほかないとまでは考えてはいない︒したがって︑
1
で紹介した倉田説は損害額証明のあり 方についてきわめて厳格な立場を維持している点で︑現時点での損害賠償実務とは一線を画した議論であると評価す るべきである︒では︑最近の定期金賠償積極論はどのように理解したらよいのだろうか︒筆者は︑﹁当該被害者の余 命を限定して認定できる確実な証拠がない場合を除いて︑簡易生命表を基礎資料とする平均余命の年数を推定余命年 数として扱う﹂という損害賠償額算定に関する判例ルールが適用されることを前提とした上での議論だと考えている︒
以上のような筆者の理解を別な表現でまとめると︑次のようになる︒当該被害者の余命年数を認定することは一時 金賠償額算定の基礎となるが︑これは︑重度後遺障害を負った被害者の場合であるかどうかを問わず困難であるし︑
( 2 2 )
極論すれば不可能なはずである︒しかし︑だからといって大多数の損害賠償請求訴訟で︑余命年数の証明ができてい ないとは扱われない︒また︑当該被害者について平均余命までの生存が困難であるが︑余命の限定にも躊躇される事
i
︵ 四
九 七
︶
例であっても︑それによって被害者の平均余命までの生存が真偽不明状態になり︑
前提とする通常の算定式が適用されることになると解される︒ 二三四
︵四
九八
︶
したがってその年数までの生存を
認定できないとは考えないだろう︒したがって︑余命を確実に限定できる場合でない以上は︑平均余命までの生存を このように分析すると︑なぜ最近の定期金賠償積極論が︑初期の積極論︵倉田説︶が説明に苦心した一部認容の可
( 2 3 )
否という議論に関心を示さないのかについての理由が推測できる︒つまり︑最近の議論では︑重度後遺障害を負った 被害者に対する賠償方式としては一時金方式自体が実体法的にも成り立ちうるけれども︑損害填補の公平さという観 点から定期金方式がより合理的だとの理由でむしろ選択されるべきだと解されていると思われる︒したがって︑ここ での問題は定期金賠償選択権の問題として検討されることになるはずであり︑
とはなじまないのではないだろうか︒異論があることは当然であるが︑以上のように筆者は考えている︒
一時金請求に対する定期金請求が許容されるかという問題については︑
いが定期金の限度で認容できる場合を念頭に置く議論と︑
期金賠償へ転換させることを容認する形の議論の二つがありうることが判明した︒前者の議論は︑損害額︑より正確 には損害額認定の一要素である推定余命年数について要件事実一般に要求される高度の証明度を要求し︑それが満た されない場合に請求棄却するのでなく︑被害者の現実的死亡を終期とする定期金の限度で認容しようとする︒これに
対して後者の議論は︑特に介護費用の一時金請求について︑簡易生命表による平均余命を前提とする損害額認定は許
3
以上の議論によれば︑
二つのタイプの区別
関 法 第 五 六 巻 ニ
・ 三 号
一時金請求が不可能ではないが合理的ではないことから定 一時金請求ができな 一部認容の可否という角度からの議論
定期金賠償積極論と処分権主義
されないとまでは考えないが︑介護費用の損害としての特殊性を考慮して︑双方当事者間の公平が確保しやすいとい う意味でより合理性の高い定期金方式を裁判所が選択できる道を開くべきだと論じる︒ちなみに︑後者のタイプの議 論の場合︑定期金と.時金とでは権利として異別であり︑それらがいわば択一的に競合すると解するのか︑それとも
( 2 5 )
権利としては同一であるが救済方式が異なるだけだと考えるのか議論が分かれる余地がある︒筆者自身は前者の見解 が正当ではないかと感じているが︑多くの見解は後者のように解している︒
なお
︑ いずれの見解も︑自らの見解が処分権主義に反するものではないとする︒その実質的趣旨は︑定期金給付に 内在するリスクが回避されうる限り︑当事者にとってより合理性の高い賠償方式が選択されることは原告の合理的意 思の範囲内にあると考えてよいということであろう︒したがって︑定期金賠償積極論を民事訴訟法の観点から検討す る際には︑原告の合理的意思に反しないといってよいのかどうか︑あるいは︑原告の実際の意思が制約されてもやむ をえないといってよいのかどうかを検証しなければならない︒
( 7
) 倉田卓次﹁定期金賠償試論﹂﹃民事交通訴訟の課題﹄九九頁以下︵日本評論社︑一九七
0年
︒論
文初
出一
九六
五年
︶︒
( 8
) 一部認容判決の可否については︑新堂幸司﹃新民事訴訟法︵第三版︶﹄三
0二頁︵弘文堂︑二
0
0四年︶︑伊藤慎﹃民事訴
訟法︵第三版補訂版︶﹄一八二頁︵有斐閣︑二
0
0五年︶︑上田徹一郎﹃民事訴訟法︵第四版︶﹄一八二頁︵法学書院︑二
O
0四年︶︑松本博之
1 1 上野泰男﹃民事訴訟法︵第四版︶﹄項目番号六二八以下︵弘文堂︑二
0
0五年︶︑鈴木正裕
I I青山善充
編﹃注釈民事訴訟法山裁判﹄︱一三頁以下[青山善充
H長谷部由紀子執筆]︵有斐閣ヽ一九九七年︶などを参照
o
(9)
倉田•前掲注
(7)
10
七頁以下の説明を要約した︒この論理に賛成するのは︑羽成守﹁定期金賠償の支払﹂塩崎勤編﹃交 通損害賠償の諸問題﹄五二六頁︑五三二頁︵判例タイムズ社︑一九九九年︒論文初出一九八七年︶︒
( 1 0 )
大島・前掲注
( 6
) 七七頁参照︒裁判例の詳細については︑波多江久美子﹁植物状態﹂塩崎勤
I I 園部秀穂編﹃新・裁判実務
大系交通事故訴訟法﹄一六四頁以下︵青林書院︑二
0
0三年︶を参照︒なお︑議論状況に関しては︑前田陽一﹁いわゆる
二三
五
︵ 四
九九
︶
植物状態の被害者の推定余命年数﹂﹃交通事故判例百選︵四版︶﹄︱二八頁(‑九九九年︶︑小賀野晶一﹁植物状態患者の救 済と損害算定﹂塩崎勤編・前掲交通損害賠償の諸問題三四八頁以下︵論文初出一九八七年︶︑岸田洋輔﹁植物状態患者の生 存年数﹂交通事故紛争処理センター編﹃交通事故損害賠償の新潮流﹄四二四頁以下︵ぎょうせい︑二
0
0四年︶とそこに掲
げられた文献を参照︒
( 1 1 )
倉田卓次﹁年金賠償再論﹂判夕八五四号八頁︑九頁(‑九九四年︶︒
(12)
現在給付の訴えに対して将来給付判決をすることは適法であるというのが多数説といわれている(松本
11
上野•前掲注
( 8
) 項目番号六二六参照︶︒が︑期限未到来であれば原則は棄却することになるのではないだろうか︒
( 1 3 )
被害者が植物状態となっている場合︑感染症に罹る可能性が高いなどの事情があるので平均余命まで生存し続ける可能性 は統計上高くないといわれる︒その際の根拠資料として提示されることが多いのが︑自動車事故対策センター︵現・独立行 政法人自動車事故対策機構︶が昭和五四年八月に介護費用の支給を開始して以来平成二年三月末までに支給を受けた一七九 四人につき︑生存者数︑寝たきりからの脱却者数︑死亡者数につ彦︑年齢別︑頭部外傷を受けてからの年数別で︑それぞれ の人数を集計したデータである︒この平成二年調査は最長︱二年かけて全ての例を追ったものである︒これによると一七九 四人中︑生存者数は五八六名︑脱却者は一四四名︑死亡者数は九二五名︑死亡した人の経過年数は五年未満が六六%︑五年
以上一 0 年未満が二二%‘ 10 年以上一五年未満が八%、一五年以上が三%。二
0年以上生存しているのは
0•五%という
こと
であ
る︒
最高裁判例の中にはこの統計を採用して余命を短縮した原審の判断を支持したものもある︵最判平成六年︱一月二四
H交
民二七巻六号一五五三頁︶︒しかし︑植物状態患者を母集団とする平均余命を基礎とするとしても︑統計としての信頼性が 明確ではないこと︵ただしこの評価に対しては医学上反駁の余地があることは当然である︶︑患者の生存が看護体制に依存 するところが大きいために十分な看護を受けられたかどうかて顕著な相違が出る︵重度植物状態患者に特化した施設では一 五年間の死亡率が五%程度という報告がある)などの問題が裁判実務上指摘されている。以上について、波多江•前掲注
0 ) ( 1
一七︱頁︑伊藤まゆ﹁重度後遺障害﹂飯村敏明編﹃現代裁判法大系
6
︵交通事故︶﹄一九一頁以下︵新日本法規︑一九 九八年︶など参照︒また︑しばしば指摘されているように︑医師ではない裁判官が被害者に対して﹁あと何年しか生きられ ませんよ﹂と告げることへの心理的抵抗感は相当大きいと解され︵倉田卓次
1 1 松居英二﹁植物状態患者の生活費控除﹂判夕
関 法 第 五 六 巻 ニ
・ 三 号
二三六
︵ 五
00
)
10
三三号一四九頁︑一五一頁︵二0
0
年︶参照︶︑植物状態患者の統計的数値を基礎に置くべきだという見解は実務上0
支配的な力を得ていない︒
(14) 倉田•前掲注 (11) ――頁はそのように論難する。 (15)
吉村徳重・判タニ九八号九一頁(-九七三年)、野村好弘•ひろば二七巻―二号一七五頁(-九七四年)、同『交通事故判
例百選︵第二版︶﹂九八頁(‑九七五年︶の解説がある︒
( 1 6 )
全損害の一時金賠償を求めた事案で名古屋地裁昭和四七年︱一月二九日判決︵判時六九六号二
0五頁︶は︑次のような論
理の下に逸失利益は一時金で支払い︑そこから控除されるぺき生活費を被害者の生存中定期金払いすることを命じた︵付添
看護
費も
同じ
︶
﹁原告が蒙った負傷は︑前示のとおり︑脳挫傷を含む死にも比すべき重傷で︑昭和四三年四月ニ︱︱日から昭和四五年三 月八日までニケ年近い入院加療をしても︑なお︑労災級別一級九号該当の極めて重い後遺症を残しているのであるから︑
この事実をもってすれば︑同原告が前記︱四年間の期間︵事故時から退職予定の年までのこと︒筆者補足︶に亘って果 して恙無く生存を維持できるかどうか︑これを積極に認めるについて容易にその心証を惹起し得ない︒さりとて︑同原
告の今後の生存年数を確定するに足る証拠もない︒
かかる場合の右原告の逸失利益を算定するについては︑一旦死者と同一の逸失利益︑即ち収入額から当該被害者の生 活費として費消さるべき金額を控除したものを算出した上︑これに︑同人の生存中その生活費として費消さるべき金額 を加算した金額をもって︑賠償を請求し得る逸失利益と認めるのが相当である﹂
わかりにくいがこれも申立てによらない定期金賠償を命じた判決である︵解説として森美樹・ジュリ五五四号一
0五頁
︵一九七四年︶がある︶︒しかし︑名古屋高判昭和四九年八月三
O
H判時七六九号五三頁で︑原告の申立てがない定期金賠償
はできないとの理由で変更され︑この判断は最判昭和五一年一
0月二六日週刊自動車保険新聞昭和五二年五月一八
H号で支
持さ
れた
︒
( 1 7 )
この判決については最終章で論究する︒
( 1 8 )
河邊義典調査官執筆の最高裁平成︱一年︱一月二
0
日判決の解説﹃最高裁判所判例解説民事篇平成︱一年度︵下︶﹄一〇
五三頁︵法曹会︑二
0
0二年︶に調査官の判例解説としては異例であるが︑﹁今後の課題定期金賠償﹂と題した一章で本
定期金賠償積極論と処分権主義二三七
︵ 五
0
1 )
関 法 第 五 六 巻 ニ
・ 三 号
二三
八
︵ 五
0二 ︶
稿にいう定期金賠償積極論の立場が詳細に論じられている︒また︑同判事がその後東京地裁民事交通部総括判事に就任され てから行った講演でも同じ立場が論じられている︒東京三弁護士会交通事故処理委員会編﹃新しい交通事故賠償論の胎動﹄
ニ四頁以下︵ぎょうせい︑二
0
0二年︶がそれであり︑主として余命認定の困難性から定期金方式の合理性を論じる︒また︑
大阪地裁の民事交通部総括判事である大島慎一判事の論文︵前掲注
( 6
) 七八頁︶は︑介護費用認定困難性の回避︑不確かな
余命認定の不要︑賠償額の過不足が生じないことによる公平性確保︑中間利息控除問題が生じないという点に定期金賠償の 意義を見出す︒これも河邊判事の議論と同様な方向にあると解される︒
(19)
菱田雄郷•平成一五年度重判解(ジュリ―二六九号)一三四頁(二
00
四年)、小賀野晶一・判評五四六号(判時一八五
八号︶一六九頁︵二
0
0四年︶︑佐野誠・損害保険研究六六巻三号一六九頁︵二
0
0四年︶︑川嶋四郎・リマークス三0
号 一
10 頁(二 00
五年)、春日偉知郎・法研七八巻三号八五頁(二
00
五年)、金田洋一•平成一六年度主要民事判例解説(判
夕︱︱八四号︶九四頁︵二
0
0五年︶の批評︑解説がある︒なお︑本文ではこの判例の判旨を筆者なりの理解に基づいて整
理して紹介する︒
(20) 河邊•前掲注 (18) 最判解一〇五四頁、河邊•前掲注 (18)
胎動二七頁は、事前の策としてやむをえないだろうと説明する。
( 2 1 )
このように考えることで︑植物状態被害者の余命限定を容易に認めようとしない大多数の裁判例と実務家から提案される 定期金賠償積極論とのつながりを最も合理的に理解することができるのではないだろうか︒
( 2 2 )
自然人の余命認定の困難さは後遺障害の程度に左右されるものではないと思われるが︑法律論としてはそのような議論は
行われていない︒
(23) 河邊•前掲注 (18) 最判解一〇五七頁、大島•前掲注 (6)
八二貝は、定期金賠償積極論と処分権主義との抵触について議論
しているが︑一部認容の可否という視点からは論じていないことが注目される︒( 2 4 )
小田敬美﹁誌上答練解説
( C
)
民訴法﹂受験新報二
0
0六
年三
月号
一
0三頁は︑東京高裁平成一五年判決の事例について
一時金としては認容できないと解している︒しかし︑春日・前掲注
( 1 9 )
九七頁は︑右のケースては︑一時金としては﹁認容 されなかった可能性が高いものであることは否めないにしても︑しかしなお︑定期金賠償を命ずるか否かの判断権は裁判所 に委ねられているということを前提としたものであると評価することはそれなりに可能であろうと考える︒﹂と論じている︒
( 2 5 )
佐久間健吉﹁医療過誤訴訟における定期金賠償﹂太田幸夫編﹃新・裁判実務大系医療過誤訴訟法﹄三二
0頁︑三二五頁
ー
定期金賠償積極論と処分権主義 ︵
青林
書院
︑二
000
年︶は民法上の任意債権として債権者に選択権を委ねると説明する︒
ところで︑定期金賠償請求権がその実体法上の要件を満たさない場合に一時金賠償に転換できるだろうか︒死亡逸失利益 については既に現実化した損害であり︑それについて将来損害であることを前提とする定期金賠償は求められないとの理由 で定期金賠償を否定した大阪地裁平成一六年一二月二九日判タ︱︱八八号二八二頁と︑これとは異なる理解に立つ東京地判平 成一五年七月二四日判時一八三八号四
0頁とを参照︒なお︑原告が定期金払いにあえて固執するのであれば︑分割払いに申
立ての趣旨を転換して認容することはてきると解したい︒東京地判平成︱四年︱二月四日判時一八三八号八
0頁
参照
︒反
対︑
名古屋地判平成一六年七月七日交通民集三七巻四号九一七頁︒
定期金賠償積極論に従い裁判所が定期金賠償を選択することが︑
思の範囲内にあるものとして説明できるのだろうか︒前章での分析によると︑この問題を民事訴訟法二四六条の解釈 論の一例として一部認容の問題の中で考察する立場と︑賠償方式選択の問題として考察する立場に分けられることに なる︒この章では学説史的な展開に従い︑さしあたり前者の議論を分析する︒
最高裁判例
実務上︑定期金賠償積極論を採用する際の大きな障害とされてきたのは︑最高裁判例︵最判昭和六二年二月六日判
時︱二三二号一
0
0
頁︶が︑原告が定期金方式を選択しない場合にはこれを命じることはできないとしてきたことに( 2 6 )
ある︒これはつぎのような事件である︒
処分権主義からの考察
二三九
︵ 五
0三 ︶
一時金での支払いを請求している原告の合理的意
か︒これが議論の中心となる︒
決は
正当
であ
る︒
﹂
︵ 判
旨 ︶
一時金も定期金も選択できる場合において︑
︵ 五
0
四 ︶
中学一二年生の男子が体育の授業で飛び込みの練習をしていたところ︑プールの底に激突して第四頸椎骨折による
頚髄損傷の障害を負い︑全身麻痺の後遺障害が残った事例で︑一・ニ審は損害額一億二三六五万円余を認容した︒これに
対して︑被告が︑付添看護費用は定期金方式により賠償されるのが性質上当然だとの理由で上告した︒
上告棄却
﹁原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて︑原審の付添看護費用に関する損害額の算定方法は︑正当として是認す
ることができる︒また︑損害賠償請求権者が訴訟上一時金による賠償の支払を求める旨の申立をしている場合に︑定期金
による支払を命ずる判決をすることはできないものと解するのが相当であるから︑定期金による支払を命じなかった原判
この判決は︑定期金方式の実体法的許容性を論じたものではないが︑
原告が一時金を選択するとそれに拘束される趣旨を明らかにしたものと解される︒また︑次章で扱う議論とも関連す
るが︑被告側から定期金方式による賠償が主張された事例で︑定期金選択を認めなかった例であることにも留意して
おく必要がある︒したがって︑判例実務の枠内で原告の申立てによらない定期金賠償積極論を採用するためには︑原
( 2 7 )
告の申立てに対する拘束力という観点を克服できることを示さなければならないはずである︒では︑余命認定の不可
能から本来棄却すべきところを一部棄却として救うという発想でこのような処分権主義の問題を克服できるのだろう
︵事
案︶
関法第五六巻ニ・三号
ニ四
O
定期金賠償積極論と処分権主義
一部乗却を導く論理の検討
の請求に対する履行期限未到来を理由とした将来給付判決になると説明されている︒
ニ四
一時金請求権の実体的認容要件の一部が欠ける以上︑原告の意思を形式的に尊重すると 請求が棄却されてしまうが︑それを避ける意味での定期金賠償判決をすることは︑むしろ損害賠償を求める原告の合 理的意思に合致する判決であると説明することになる︒そして将来の賠償金給付を命ずる部分については︑現在給付
一時金請求は不可能だが定期金請求は可能だという場面は︑請求権の発生原因事実自体が欠ける場合と いうよりは︑原因事実は存在するが即時の全額給付は要求できない場合に近い︒したがって︑この場面を口頭弁論終 結時における履行期限の未到来事例とパラレルに考えることの理論上の基礎はあるようにも見える︒しかし︑ここで の議論は︑現在給付の訴えに対して条件が未成就︑または期限が未到来である場合に将来給付判決ができるかという
( 2 8 )
問題とは明らかに異なる︒なぜならば︑定期金と一時金は支払方式だけではなく︑権利として別個であると考えられ
( 2 9 )
るからである︒さらに︑権利としては同一であると解するにしても︑定期金を一時金に対する期限の猶予として把握 することは困難であろう︒なぜならば︑原告が猶予の付与を否定するにもかかわらず︑被告側の申立てだけで︑また
( 3 0 )
は裁判所の裁量により履行期限の猶予をみとめることは実体法上できないはずだからである︒すなわち︑原告は当初 から確定額の現在債権として一時金による損害賠償を請求しているのだから︑その原告が期限の猶予を与えたという
( 3 1 )
構成を採用することが論理矛盾であることは明らかである︒もっとも︑余命認定の困難さに直面した原告が口頭弁論 終結時に期限の猶予の意思表示をしたと推定するとの解釈は不可能ではないと思われるが︑確定額債権として主張さ
れる権利に各期の期限の猶予を付したものが定期金債権となるわけではない︒それでは︑定期金は一時金の分割払い 2
たし
かに
︑
前述した倉田説によれば︑
︵ 五
0五 ︶
権が基本的な請求権として原告から主張されるのに対して︑被告から︑当該事案では平均余命までの生存は見込めな
いが︑具体的な余命年数の認定は不可能であるという抗弁が主張されると︑
来損害が具体化するたびにかつ被害者が現に死亡するまでの給付しか要求できなくなる︒これは︑期限未到来の抗弁 ないだろうか︒すなわち︑当初︑ え
るか
ら︑
一時金としての認容は不可能となり︑将
ニ四
二
処分権主義に反しないかどうかの問題は︑判決が原告の合理的意思に合致するかどうかという視点だけで判断すれ
ば足りるものではなく︑今行おうとしている本案判決が当初の請求から質的または量的に逸脱しないという前提に
立って考えるべきである︒つまり質的または量的に逸脱がないから︑その限度での認容判決を求める意思があると考
えても当事者双方に予想外の利益または不利益を与えるものではないのである︒しかし︑従来から議論が積み重ねら
れてきたように︑定期金賠償には一時金には見られないようなリスクが内在しており︑そのリスクはたとえ請求権者
が全面勝訴した場合にも存在するものである︒このようなリスクを負担するのは請求権者なのだから︑危険負担の判
断権限は請求権者が有するのが当然であろう︒筆者は︑救済方式も実体的な権利の内実を決定付ける要素であると考
( 3 2 )
一時金申立てに対する定期金判決は申立てを質的に逸脱していると考えることになる︒
ところで︑倉田説はこのような問題を回避しようとしたためか︑後に︑原告の申立てによらない定期金賠償判決は︑
一般的な抗弁としての﹁余命認定不可能の抗弁﹂︑または︑高齢者に対する﹁余命限定の推定可能の抗弁﹂による一
( 3 3 )
部認容と考えればよいという見解へと変化した︒
この議論の論理的メカニズムははっきりしないところが多いが︑筆者が理解する限り︑次のような形になるのでは
一時金請求訴訟として平均余命までの生存可能性を前提に算定される損害賠償請求 と異ならないことになってしまうからである︒
関 法 第 五 六 巻 ニ
・ 三 号
︵ 五
0六 ︶
じざるを得ない︒その原因は︑本来損害の把握方式が異なる賠償方式をいわば結論を先取りする形で無理に同一視し
( 3 5 )
ようと試みたことにあると解される︒また︑この見解は︑損害賠償を認容するための条件の問題︑より具体的にいえ ば損害額の証明の要否の問題として定期金方式を考えているにもかかわらず︑実体法的に履行期限の猶予︵訴訟法的
には一部認容の問題︶
( 2 6 )
多くの解説があるが︑定期金賠償について言及しているのは︑瀬戸正義・ジュリ八九
0号五六頁(‑九八七年︶︑潮海一
雄・民商九七巻三号︱二九頁(‑九八七年︶︑野田殷稔・判夕六七七号︱二六頁(‑九八八年︶︑藤村和夫・判地自四
0号
五 二貝(‑九八八年︶︑はやししうぞう・時の法令一三二九号七二頁(‑九八八年︶︒
(27) 瀬戸•前掲注 (26)
五六頁参照。この点を克服するためには、当該最高裁判決の事案は余命認定が困難な事例ではなかった、
あるいは︑余命限定の必要はなく平均余命を基礎にしても大きな問題はない事例なので定期金賠償を認めなかったのだとし て︑判例の射程を事実関係に関連付けて限定する手法が考えられる︒この手法を採用するのは︑吉澤卓哉﹁無能力者の扶養
定期金賠償積極論と処分権主義
いず
れに
して
も︑
が提出されたのと同様の事態であり︑定期金請求権の限度で認容できることになる︒
この新・倉田説︵弁論主義説といわれることがある︶
の趣旨は︑余命認定が困難な事例ではその不可能性を正面か ら認めるという事実認定の正道に立ち返って︑かつ被害者を救済するべきであるところ︑それには定期金方式しかな
( 3 4 )
いということであるから︑議論の基調は旧・倉田説以来一貰している︒しかし︑余命認定ができなければ損害賠償請 求権の成立を認定できないのだから︑余命認定の不可能性は損害の発生という賠償請求権の権利根拠事実を否認する
一部認容の論理を支えるための履行期限の猶予という法律構成が果たして妥当性を有するの 一時金としては認容できないが定期金の限度で認容できるとする見解には論理的な不透明さを感
と結び付けてしまったことも議論をわかりにくくする理由であろう︒
かも既に述ぺたように疑問が大きい︒ 主張にすぎない︒また︑
ニ四
三
︵ 五
0七 ︶
確保のための定期金賠償﹂損害保険研究五七巻一号五五頁以下(‑九九五年︶︒これによれば︑前述した東京高裁平成一五 年判決は︑典型的な余命認定困難事例だから最高裁判例と抵触しないことになるだろう︒しかし︑このような形での判例の 射程限定は︑問題の昭和六二年判決が事案との関係で限定的な表現を用いていないことから困難であると思われる︒
また︑定期金賠償採用の障害となる賠償額算定基礎変動のリスクを除去する確定判決変更の訴え︵民事訴訟法︱︱七条︶
の制定により右最高裁判例を支える合理性に変化が生じたという意見も有力である。例えば河邊•前掲注
(18) 最判解一 0 五
七頁︑大島・前掲注( 6
) 八一頁参照︒これは司法審査制の議論における立法事実論と類似した典味深い議論であるが︑これ も従来の日本法の議論では例はないと思われる︒民訴︱︱七条の存在に重きを置かない議論として例えば︑塩崎勤﹁重度後 遺障害者の付添介護費用について﹂交通事故紛争処理センター編﹁交通事故損害賠償の新潮流﹄ニニ八頁︑二三九頁︵ぎょ
うせい︑二
0
0四年︶と次に引用する水戸地判平成︱一年︱一月二五日︒
なお︑前述した平成一五年の東京高裁判決も以上のような議論を考慮に入れて最高裁判例との抵触はないものと判断した のではないかと思うが︑裁判例の主流は原告の申立拘束力を認めている︒東京地判平成一六年︱二月ニ︱日交民三七巻六号 一七ニ︱頁︑東京地判平成一五年八月二八日判時一八三九号︱
10
頁︑前橋地判平成一五年二月七日︵平成︱一年︵ワ︶一九 号︶︑東京地判平成一五年一
0月九日︵平成一三年︵ワ︶二八一五三号︶︑大阪地判平成一三年九月一
0日判時一八
0
0号六八
頁︑水戸地判平成︱一年︱一月二五日交民三二巻六号一八五一頁︑山口地判平成三年四月一九日判時七一九号六九頁︑千葉 地判昭和五七年︱二月二四日交民一五巻六号一六九二頁︒掲載文献ではなく事件番号を記した裁判例は︑
TKC
法律情報
データベースを情報源とするものである︒
( 2 8 )
注(
16
で)
引用
した
名古
屋高
判昭
和四
九年
月八
三
0日判時七六九号五三頁はそのように解する︒このように処分権主義との
抵触を指摘する批判に対して︑定期金賠償積極論は︑一時金方式と定期金方式とでは支払方式の差にすぎず︑そこで主張さ れる権利関係としては同一性があると反論する︒確かに︑民法のテキスト類では︑定期金賠償は損害賠償の方式の項で説明 されてきた︒例えば︑四宮和夫﹃不法行為﹄四六九頁(‑九八五年︶︑平井宜雄﹃債権各論
不I I
法行
為﹄
一 0
0頁(‑九九
二年︶︑加藤雅信﹃新民法体系
V事務管理・不当利得・不法行為﹂三0
八頁︵二
0
0二年︶︑吉村良一﹃不法行為法第三版﹄
10
五頁︵二
0
五年︶など参照︒これは︑損害賠償請求権としては同じで賠償方式の点が異なるにすぎないという前提で0
の論述として理解することができるかもしれない︒更田義彦﹁定期金賠償の裁判上の付与﹂不法行為法研究会編﹃交通事故
関 法 第 五 六 巻 ニ
・ 三 号
ニ四
四
︵ 五
0八 ︶