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中金堂院の歴史 と回廊の建築

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Academic year: 2021

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中金堂院の歴史 と回廊の建築

中金 堂院の歴 史

 

広 く知 られ て い るよ うに、 山階寺 を起 源 とす る興福 寺 は、飛 鳥 の地 に移 って厩 坂寺 と 号 し、 さ らに和 銅

3年

(710)の平 城遷 都 に よって、平 城 京 の外 京 に あた る左 京三条 七 坊 の地 に建 立 さ れ た。 平城 京 にお け る興福 寺 の創建 につ いて は明確 で ない。興福 寺 の名 が歴 史上 は じめ て況 れ るのは、

『続 日本 紀』養 老

4年

(720)10月 17日 条 の「始 め て養 民、造 器 お よび造 興 福 寺 仏 殿 の三 司 をお く」

とい う記事 だが、これ を興福寺造営 の端緒 とは考 えず、造営 あるいはその計画が進 んでいた ときに、官 寺 として造営す ることが決 まったことを示す もの と理解す る説が有力である。 中金堂 と中門をむすぶ回 廊 で囲われた区画 を中金堂院 とよぶ。創建以来、大災害 とは無縁 であったこの中金堂院一郭 も、永承 元年 (1046)の火災 をは じめ として、平安 時代 にこのほか

3度

(康平

3年

(1060)・ 永長元年 (1096)

・治承

4年

(1180))、 鎌倉 時代 に

2度

(建治

3年

(1277)・ 嘉暦

2年

(1327))焼失す る。藤原氏の氏 寺 として強大 な力 を有 していた興福 寺 は、そのたび ごとに再 建 を重 ね て きたが、江戸 時代 の享保

2年

(1717)に お きた

7度

目の火災の後 は、南円堂が寛保 元年 (1741)に復興 された ものの、中金堂仮堂が かろうじて文政

2年

(1819)に 建 て られただけで、回廊や 中門はついに再建 されなか った。

回廊 の建築

 

回廊 の建 立 は、 中金堂 とともにほぼ興福寺 の創建 当初 頃 と考 え られている。『興福寺 流 記』 は、「一

 

廊等。廊者廉也云云。宝字記云。 中門東西各長九丈四尺井広 二丈四尺云云。右天平記云。

歩廊一条。南門左右各七間。東西各十七間。宝字記云。東西各に 丈二尺。堂左右各六間。宝字記云。

各長八丈云云。」 と伝 え、 また中門の項には「(前略

)延

暦記云。(中略

)四

方各小 門二門。宝字記云。小 門入 口云云。」とある。さらに柱数 を記 した記録や古絵図な どか ら、回廊 は複廊 で、その柱間 を扉 とした 小門が各面に2つずつ開 くと考 えられて きた。興福寺初H藍を復原 した大岡貿は、 これ らの文献だけでな く、

況地 での地上観察 お よび遺存す る礎石位 置の測量成果 な どを加 えて、回廊 の柱 間寸法 を推定 した (『南 都七大寺 の研究』1966)。 しか し、東西面 回廊 におけ る桁行方 向の柱 間寸法 につ いては、遺存礎石 か ら 考 え られ る規模 が文献 と整合 しない こ とか ら、「後世柱 間が変更 された」 と解釈 しなが らも、「将来の 検討にまちたい」 とむすんでいた。

ところで、東京国立博物館 には『興福寺建築諸図』 と一括 された多数 の建築図面が残 る。 そのなかに 回廊 の平面図 (23ペー ジ、第26図

)と

梁行 断面図 (第

2図 )が

ある。断面図は梁行

2間

(梁行 寸法 :

一丈一尺五寸

)の

複廊 を瓦葺 きに描 く。

細部形態には古式を残す部分 もみられ、

享保焼失前の実測図 という解釈 (濱島 正士 「「興福寺建築諸 図」 につ いて」

MUSttM』 461 1989)で

よいだろう。

つ ま り、嘉暦

2年

の焼失後 に再興 され た 回廊 を描 いた もの で あ る。享保 焼 失 後 は再建 され ない ため、発 掘 調査 に よ って、少 な くともこの図 と一致す る遺 構 の検 出が期待 で きた。 なお、 況存 す る春 日夫社本社 回廊 (17世 紀初

)は

この断面 図 とほぼ同 じ構造 をもつ。

η

盪て参毯重身采泥判

一t

ヽ学

第2図

 

『興福寺建築諸 図』所収 の回廊梁行 断面 図

(2)

Y=15,180

Y=‑15,170

Y=‑15,160

―  X=146■10

―  X=■46,420

―  X=‐146,430

―  X=■46,440

第3図

 

発掘調 査遺構 図 (1:200、 中金堂基壇の位置は「興福寺境内現況図」(1995年作成)による)

参照

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