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Ⅳ   調査成果 の ま とめ

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Ⅳ   調査成果 の ま とめ

以上の ように、昭和49年以来30年 ぶ りに実施 した発掘 調査 によ り、多 くの成果 を得 ることがで きた。

最後 に調査 の まとめ として、考古学 的 な調査成果 と、

発掘調査 の契機 となった壁画保存環境 の劣化原因の解明 とい う2点に分 けて成果 を要約す る。

1.考古 学 的 な調 査成果

古墳の規模 と形態

 

今回の調査 によ り、古墳 の規模 と形 態、設計規格、築造方法な どが明 らかになった。

古墳 は入念 な版築工法 によって築かれた二段築成の円 墳 で、下段 部の直径23.01m(65大尺)、 上段 部の直径17.7

m(50大

尺)に復元で きた。墳 丘の規模 は、 ほぼ同時期 に築造 されたキ トラ古墳 (下段円墳径138m、 上段円墳径

94m)や

、石の カラ ト古墳 (下段方墳一辺138m、 上段円墳 径

97m)よ

りも一 回 り大 き く、マ ル コ山古墳 (下段六角 形墳の対角長236m、 上段円墳径18m、 飛鳥資料館『飛′鳥の奥 津城』2005年)の規模 に近い点が注 目され る。

古墳の築造時期

 

版築層や下層の遺物包含層か ら出土 し た土器 によ り、古墳 の築造時期 を推定す るための有力 な 手がか りが得 られた。遺物包含層 の上器 は7世紀中頃〜

後半 の土器 を主体 とす るが、飛″鳥

V(藤

原宮期

)の

土器 を最新資料 とし、版築層か らも飛鳥Vの出上が確認 され た。昭和47・ 49年 の調査時にも、同時期 の上器が出上 し てお り、古墳 の築造時期 を藤原宮期 の前後 と推定するこ とがで きる。 しか しなが ら古代 の土器の編年研究による と、飛鳥Vは、奈良時代の平城 Iと 同 じ内容の土器群 と され、平城Iの年代 は、和銅8年 (715)の 木簡 との共伴 例や、後続す る平城 Ⅱの年代観か ら、下 限が和銅末年頃 と推測 されている。 したがって古墳 の築造時期 は、藤原 宮 の営 まれた7世紀末か ら8世紀初頭 、平城京遷都直後 の年代幅の中で考える必要があろう。

古墳 の築造年代 に関 しては、 これ まで、壁 画に描かれ た人物像 の服制や、副葬 された海獣葡萄鏡 な どか らも考 究 されて きたが、出土土器はそれ らの推定年代 と矛盾の ない年代観 を示 している。

石室の再実測

 

昭和47年の旧東第1ト レンチ壁面 に、土 層 断面の実測 に使用 した当時の5寸釘が遺存 した。 この 釘 の標高 を計測 した ところ、記録図面 に残 る数値 と今回 の測量値 との間に約38cmの不整合が見 出 された。

また当時の測量が極座標 を用いた平板測量 であったた めに、当時の測量用基準点が消失 した現在、地下 に埋 も

れた石室の正確 な位置 を特定で きない とい う事態 に陥っ た。 このため昭和40年 代 の調査成果 を、現在の測量法で 検証す る必要が生 じ、定点 となる石室 を再実測す ること で、その補正値 を求 め るこ とに した。 Ⅲ章4・ 5節にま とめた トー タルステー シ ョンと3次元 レーザースキ ャナ ー を用いた石室 の実測作業がその成果である。 この再実 測 によ り、地下 に埋 もれた石室の正確 な位置や高 さ、石 室の主軸方位 な どが確 定す る とともに、昭和40年代の調 査 デー タの補正値が得 られることになったが、再測作業

に伴い、石室の歪み とい う予期せぬ事実が半U明した。

昭和47年 の石室実測 図 は、Fig 6に み るように、床面 や天丼が水平で、各壁面 は垂直である とい う前提 の もと に作 図 されてい る。 しか しなが ら再実測結果 による と、

石室 は水平・垂直ではな く、北東隅 を基準 にす ると、南 西隅床面が7.lcm、 南西 隅天丼が7.9cm下降 し、東・西両 壁の上端が西方へ2 cm前後傾 くな ど、石室が逆時計 回 り に約 ね じれなが ら、南西方向に1.3〜1.6° (26〜28%) 傾斜す る事実が明 らか になった。

こうした石室の変形 は、昭和47年の壁画発見後 に生 じ た現象 とは考 えがた く、 Ⅲ章3節に詳述 されているよう に、古墳築造以後 に繰 り返 し発生 した大規模地震 による 被害 と考 え られる。後述す る墳丘の亀裂や石室天丼石の 破損 と一連の被害である可能性が高い。

2.壁画 の保存環 境

今回の発掘調査 の主 目的は、壁画保存環境の劣化の主 原因 と推測 された墳丘版築の損傷の有無 を確認す ること にあった。発掘調査前 の緊急 ・恒久保存対策検討会では、

墳丘北東部 における土壌含水率の高 さと、墳丘の損傷 に よる雨水 の浸透が、石室壁面 に不均一 な水分分布 をもた らせ、徹 の発生原因 となることが疑われた。発掘調査 に よ り、墳丘北東部 にお ける土壌含水率の高 さが、古墳が 築造 された基盤層の土層構造や、古墳 の埋没環境 に起 因 す ることが明 らかになった。

墳丘への雨水の浸透

 

古墳 の背後の丘陵には、表土直下 に透水性 の低 い基盤層 (灰白色砂質粘土層

)が

存在す る。

このため古墳背後 の丘 陵斜面 に降った雨水 は、Fig 65下 段 の墳丘南北断面図にみ るように、斜面 にそって南西 に 流下 し、墳丘の北裾部分 の窪地 に滞留す る。北裾部分の 地表の上壌 は常 に湿気 を帯 びてお り、竹 の生育状況の悪 さとともに、肉眼で も土壌 含水率の高 さを確認で きた。

‑60‑

(2)

旧北 トレンチの土層断面 に見 える基盤層 は、水分 の影響 を受けて青灰色 に変色 してお り、滞留 した雨水が、やが て基盤層や墳丘盛土 に浸透 し、基盤層下

2mに

構築 され た石室背面 (北壁)に到達す る と推測 され る。 この よう に、緊急保存姑策検討会で指摘 された墳丘北東部 におけ る土壌含水率の高 さは、その地形や丘陵基盤層の土質 と 深 く関係 し、石室背面 に想定 される基盤層の段差や、石 室 と基盤面の比高差が、石室への水分供給 に関与 してい るもの と考 え られる。

一方、古墳 の東半部 は、排水施設である周溝が埋没 し た後 に、墳 丘 の崩壊土や腐植土、整備上が

13m〜 17m

堆積 して平坦化 し、水 はけの悪い環境 を生 じていた。 こ のため東丘陵の斜面に降った雨水 は、古墳案 内板 のある インター ロ ッキ ング舗装面や丘陵斜面 を流下 して、東裾 部 に滞留 し、現地表面 よ りも低 い位置 にある石室 に浸透 す る結果 となっている (Fig 65上段)。

これ に姑 して古墳西半部 は、後世の畑地造成 に伴 う地 下げに よ り、下段 の墳丘や基盤面が失われ、削平面 に透 水性 の高 い砂礫層が露 出す る (PL.9)。 現地表面 は石室 床面 よ りも

lmほ

ど低 く、削平面 も1.5mほ ど低位 にある ため、北 の丘陵側か ら流下 した雨水 は、版築盛土 に浸透 す ることな く丘陵下につF水される。

この ように、墳丘周囲の削平状況や埋没環境が、石室 壁面の水分分布の不均一 さに影響 を及 ば している可能性 があ り、それ らは壁面の水分計測結果 とよ く符合す る。

墳丘の開削

 

墳丘 は中世以降に大 きく削 られ、築造当初 の姿 を失 っている。昭和47年 の調査時には、墳頂部の北 東 に

lm近

い段 差が存在 した (Fig 5)。 この段差 は、蜜 柑畑の造成 に伴 うもので、昭和50年の墳丘整備時に埋め 戻 されたが、石室の北東 隅か ら0.7mの近距離 に位置 し、

石室天丼石の上面か ら1,4mの高 さにある (PL 4)。

また墳丘北東部 には、昭和47年 時点で既 に埋没 してい た段差が2段あ り、全体 で3段の階段状 に削 りこまれて

い る (PL 7)。 これ らの開削 は、墳丘背後の丘陵斜面か

ら墳丘の北〜東半部 に及び、墳丘下段部 をほぼ完全 に削 平す るとともに、墳丘上段部 を

2m近

く削 り込んでいる。

墳丘の開削は、出土 した瓦器か ら、12世紀後半 を中心 に お こなわれた と推定 され、墳丘周囲の耕地等の拡大 に伴 い、封土 を蚕食 した結果 と考 え られる。古墳が盗掘 され たの もほぼ同時期の ことであ り、 この頃が高松塚古墳の 受難の時代であった ことが わか る。

墳丘東半部 における墳丘 の改変は、先 にみた墳丘裾部 における雨水 の滞留や、墳丘へ の雨水の浸透 に も影響 を 及 ば している可能性があろ う。

木竹の影響

 

検討会では、墳頂部北東 に位置す るモチノ キが版築層 を損傷 し、根が腐朽 して生 じた空洞が虫の石 室へ の侵入経路 となっている可能性が疑 われた。 このた め根 の除去が必要 と判断 されたが、木株 は径50〜 60cnあ

り、径15〜 25cmの大い根が版築土 中に深 く根 をはるため、

今回はその除去 を断念 した。木株 は石室東

lmの

近距離

̲東

墳 丘封 土・ 版築 周溝

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「―■――――――――――――」Pm

g65 

墳丘周辺断面模式図

 

上:東西断面 下:南北断面

基 盤 面・ 基盤 層 保存 施 設 の盛 土

‑6刊 ―

(3)

にあ るが、石室天丼石上面 まで は2.8mほどあ り、壁 画 の保存環境 に及ぼす影響 は予測 しが たい。

一方、緊急保存対策 によって伐採 された竹の地下茎 を 完全 に除去 した (PL 3)。 竹 は昭和 50年 の整備時 に伐採 されて埋 め殺 された地下茎 と、その後 に繁殖 した地下茎 が上下2層に重 な り、厚 さ35cmの 腐植土層 を形成 してい た。竹 の腐朽 による空洞が数多 く存在 したが、それ らは 最深で も60cm程 度であ り、石室へ の直接 的な影響 は考 え がたい。 なお文献記録 による と、江戸 時代 に墳丘上 に高 い松 の木が存在 し、昭和10年代 には藤 の木が存在 したが、

今回の発掘調査ではその痕跡 を確認で きなかった。

地震痕跡

 

墳丘の断ち割 り調査 に よ り、地震 に起因す る とみ られ る亀裂や断層 を20カ所近 く確 認 した (Fig 45)。

版築層 を突 き破 る亀裂 には、軟質 の暗責褐土が充満 し、

その軟 質土 に沿 って木竹が根 を張 る状況が観察 された。

こうした亀裂は、墳丘内に数多 く存在す ると推測 される が、昭和47・ 49年 の調査 時 に も、石室 閉塞石 の南2.9m の地点で大規模 な地割れ痕跡が発見 されている。 この地 割れ痕跡 は、昭和47年の調査 中間報告では版築の幕板痕 跡 と推定 されたが、昭和49年には断層風 陥没部分 として 報告 され ている (猪熊兼勝「特別史跡 高松塚古墳保存施設 設置に伴う発掘調査概要」『月刊文化財』第143号、1975年)。

今回の調査成果 によ り、 この断層 も地震痕跡 と判断で きるようになった。当時の実測 図や写真 による と (Fig

7・ 49)、 土層の陥没範囲は、墳 丘 の表土直下で幅1.4m、

墓道面で幅06m、 深 さ2.6m以上 にお よび、その間の版 築層が塊状 に20〜 40cm陥没 している。地割れの間の土層 が陥没 した ものであろう。地震 の規模 の大 きさを窺 うこ

とがで きる。

南壁 断面 図

966 

断害Jトレンチ西端 の版築層 と亀裂

また壁 画発見時か ら、石室天丼石 の南2石に、主軸方 向に走 る亀裂の存在が知 られていた。昭和47年の高松塚 総合学術調査 に伴 う石室の調査では、厚 さ66cmの天丼石 に亀裂が生 じた原 因は、構造力学的にみて不明 と報告 さ れ て い る (高松塚古墳応急保存対策調査会 『高松塚古墳応急 保存対策調査会調査報告』1972年

)が

、 この亀 裂 も大 規 模 地震 に伴 う石室の損傷 とみて間違いなかろう。 また最近 の石室の調査で、床石 に も亀裂の存在す ることが確認 さ れるな ど、先述 した石室の歪み とともに、地震 による石 室損傷の実態が次第に明 らかにな りつつある。

高松塚古墳 を と りま く奈良盆地南部は、過去 に繰 り返 し大地震 に襲 われている。90〜150年間隔で発生す る南 海地震・東南海地震 とよばれるマ グニチ ュー ド8ク ラス の巨大地震 で、最 近の地震考古学 の研究成果 に よる と、

南海地震 だけで も天武13年 (684)以降 に10回の発生が 確認 されている (Fig 52)。 高松塚古墳の墳丘の亀裂や石 室の損傷が何時の地震 によるものか、それを特定す るこ とはで きないが、堅国に築かれた版築層 を突 き破 る亀裂 や断層が、雨水 の浸透す る水みち とな り、石室へ の虫の 侵入経路 となっている可能性が高い。

以上の ように、壁画の保存環境 の劣化原因は、長期 に わたって蓄積 された複合的な要因であることが明 らかに なった。壁画発見時の環境の保全 を最優先 した保存策は、

当時 としては無理の ない判断ではあったが、 もし30年前 に今回同様 の発掘調査がお こなわれ、墳丘や周溝が築造 当初の姿 に復元整備 されていれば、その後の壁画保存 も 違った展 開を辿 ったことであろう。飛鳥の象徴 ともいえ る高松塚古墳壁画の恒久保存姑策 に、今 回の調査成果が

西壁 断面 図

‑62‑

活 用 され る こ とを期待 したい。 (松村 恵 司)

参照

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