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戦国期九州政治史の研究

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Academic year: 2021

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

戦国期九州政治史の研究

堀本, 一繁

http://hdl.handle.net/2324/4475221

出版情報:Kyushu University, 2020, 博士(文学), 論文博士 バージョン:

権利関係:Public access to the fulltext file is restricted for unavoidable reason (3)

(2)

(様式6-2)

氏 名 堀本 一繁

論 文 名 戦国期九州政治史の研究

論文調査委員

主 査 九州大学 教授 佐伯 弘次 副 査 九州大学 教授 坂上 康俊 副 査 九州大学 准教授 岩崎 義則 副 査 九州大学 教授 森平 雅彦

論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨

上記の論文は、戦国時代の九州における政治的展開を、個別大名の支配領域を超えて広域的に追求 し、戦国期九州政治史の総体的把握を行ったものである。

第1部では、戦国期九州史のいくつかの重要な画期について検討した。第1章と第2章では、明 応政変に起因する室町将軍権力の分裂が、九州の諸勢力に与えた影響について検討した。肥前にお ける少弐氏の敗北によって、大内氏と大友氏という2大名が九州の主たる政治勢力となったことを 明らかにした。

第3章・第4章においては、16世紀中期における北部九州の政治情勢を検討した。大内義隆の地 位を継承した大内義長の時期に、すでに大友氏の権力が伸張していたことを明確にし、永禄 2 年

(1559)の少弐冬尚の没落に関して、肥前国内の政治変動を明らかにした。

第5章では、肥前龍造寺氏の戦国大名化を検証した。通説であった元亀元年(1570)説を否定し、

大友氏が島津氏に敗北した天正6年(1578)の耳川合戦が、龍造寺氏の戦国大名化の大きな契機で あることを明らかにした。

第2部では、戦国期九州政治史の展開に重要な役割を果たした大名・国衆について検討した。第 6 章では、戦国期に博多に構築された房州堀に関して、築造時期や築造主体について検討した。そ して、その築造が1550年代末の九州の政治構造の転換と密接に関連することを解明した。

第7章・第8章では、筑前・筑後・肥前3ヶ国の境界地域で活躍した国衆筑紫氏の政治的地位と その居城勝尾城について検討した。筑紫氏は、少弐氏方と大内氏方の両派に分裂していたことと、

大内氏滅亡後、大友氏の勢力を背景として家中が統一されたことを解明した。

第9章では、肥前国内で重要な位置を占めた河上神社への信仰と保護のあり方を検討し、有力国 衆として台頭していた龍造寺氏は、他の国衆と共同して同社を支えていたことを指摘した。第 10 章では、龍造寺隆信・政家父子の代替り時における二頭政治のあり方について検討し、権限が円滑 に移譲されていく様相を解明した。

以上の通り、本論文は、従来、個別大名研究が中心であった九州の戦国大名研究を深化させ、戦 国期九州政治史の諸段階を明確化したことに大きな意義がある。

よって、本調査委員会は、本論文の提出者が、博士(文学)を授与されるのに十分な能力を有す ることを認めるものである。

参照

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