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南アジア研究 第28号 025学会近況・田中 雅子「英語テーマ別セッションII 多様性の国からやってきた多様な人たち」

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Academic year: 2021

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(1)学会近況 英語テーマ別セッション II Diversity at home and abroad: Changing migration trend and lifestyles of Nepal. migrants in Japan 多様性の国からやってきた多様な人たち―滞日ネパール人の移住傾向の変化とその暮らし―. 学・会・近・況. 英語テーマ別セッション II. Diversity at home and abroad: Changing migration trend and lifestyles of Nepalese migrants in Japan 多様性の国からやってきた多様な人たち ―滞日ネパール人の移住傾向の変化とその暮らし ―. 田中雅子. 日本で暮らす南アジア出身者のうち、ネパール人は最大のグループで ある。法務省によれば、2016 年末の在留外国人のうち、ネパール国籍者. は 67 ,470 人で、対前年比で 23 .2%増加している。在留資格別、また年齢. や性別のデータを見ると、その特徴は人数の多さだけでなく、属性の多 様さにもあることがわかる。 滞日ネパール人については、1990 年代から研究が行われているが、近 年、その増加は加速化しており、居住地も日本全国に広がっているが、. その実態は把握されていない。本セッションは、現在、滞日ネパール人 研究を行っている森田剛光(後日、発表を取り下げ) 、田中雅子、ディ ペシュ・カレルの3 名で企画した。ネパール、バングラデシュから来日 した研究者を含む約 20 名が参加し、報告・質疑応答はすべて英語で行 われた。. 報告1 What they gained, what they lost?:. Gender Analysis of Nepalese migrants’ experiences in Japan. Masako TANAKA.  彼女たちは何を得て、何を失ったのか?. ―ジェンダー視点から見たネパール人の滞日経験―. 田中雅子. ネパールは、全人口 2 ,660 万人のうち220 万人が不在者人口であり、国. 内総生産の約 3 分の1を外貨送金によって支えている。外貨獲得が国家. 経済や家計にもたらす効果ばかりが注目されているが、農村での労働不 足や、離婚など家族の不在が長期化した結果生じる家庭での問題など、. 221.

(2) 南アジア研究第28号( 2016年). 社会的な損失については注意が払われていない。本報告では、最初に、 ネパール人から見て日本がどのような渡航先かを検討し、滞日ネパール 人の特徴を概観した後、日本に移住経験のあるネパール人女性への聞き 取りから、彼女たちが、移住によって何を得て、何を失ったのかを事例 を通じて紹介した。 ネパール政府労働・雇用省海外雇用局によれば、2006 / 07 年度から 11 / 12 年度にかけて就労目的で日本に渡航した人は女性 320 人、男性. 5 ,076 人の計 5 ,396 人で、カタール、マレーシア、サウジアラビア、アラ. ブ首長国連邦、クウェート、バーレーン、オマーン、韓国に次いで、9. 番目に多く、近年急増しているが、ネパールの人びとは、移住先として の日本をどのように見ているのだろうか。 ネパールでは富裕層の多くが、英語を教授言語とする私立学校に子ど もを通わせており、留学であれ就労であれ、アメリカ、カナダ、イギリ ス、オーストラリアなどの英語圏は、憧れの移住先である。看護師など 専門職であれば就労機会は多いが、英語圏への移住には、高い英語力 が求められ、渡航前に英語力や専門職としてのスキルを身に着けるため の投資が必要である。したがって、英語圏への移住には、その準備をす るための経済力があることが前提になる。 非英語圏のヨーロッパ諸国は、英語圏に次ぐ移住先と考えられている が、渡航後に現地語を学ぶ必要があるため、生活が安定するまでに時間 がかかる。それでも、 渡航先の国で移住者のための言語習得や職業教育 の機会を設けていることが多いため、進学や就職の道も開かれている。 ただし、こうした機会を活かすことができるのは、移住前にネパールで 高等教育まで終えた者たちに限定される。 日本は、渡航時点で日本語力が問われないため、英語圏や非英語圏ヨ ーロッパ諸国よりもハードルが低い移住先である。また、納税証明書の 提出によって扶養可能な所得があることが証明できれば、家族滞在資格 で、配偶者や子どもの呼び寄せが可能である点が、湾岸諸国やマレーシ アと大きく異なる。 ネパール政府教育省が留学希望者に対して発行する書類の数を見る と、2009 年度には、日本は、オーストラリア、イギリス、アメリカ、キ プロスに次いで多く、留学先として第 5 位であった。しかし、2013 年に はオーストラリア、日本、インド、マレーシア、アメリカと順位が変わ. 222.

(3) 学会近況 英語テーマ別セッション II Diversity at home and abroad: Changing migration trend and lifestyles of Nepal. migrants in Japan 多様性の国からやってきた多様な人たち―滞日ネパール人の移住傾向の変化とその暮らし―. っており、2015 年に日本は第1 位となった。ネパールの学生は、一般に 特定国を目指すより、留学ビザの取得が容易であり、できるだけ少ない 費用で渡航できるところ、 つまり「行けるところに行く」傾向がある。学 生募集を拡大させたい日本の語学学校や専修学校による現地での広報 活動の活発化に呼応して、日本を目指す学生は増えている。ただし、日 本への渡航は、在留資格が留学であっても、アルバイト中心の生活を送 っているなど、生活実態として就労目的と大差ない。留学と就労の境界 が流動的であることが日本への移住者の特徴である。 2016 年末現在、ネパール出身者は日本で 6 番目に多い外国籍住民であ る。同年末時点で在留資格別の内訳は、留学が 22 ,967人(34 %) 、家族 滞在が17 ,471人(25 .89 %) 、技能(調理)が12 ,480人(18 .5 %) 、永住者が 3 ,806人(5 .64 %) 、難民申請中の者を多く含む特定活動が4 ,171人(6 .18%) の順である。家族滞在資格での入国が容易であるため、子どもの呼び寄 せや日本での出産も多く、2016 年末現在、20 歳未満の子どもは 7 ,398 人. (10 .96%)いる。ネパール人の他の移住先よりも子どもの割合が多いと 推察される。. 日本は、渡航資金さえ準備できれば、留学や技能などの資格で入国し やすい国ではあるが、移住後に満足できる場所であるとは限らない。入 国後に滞在資格を変更することが難しいこと、留学や家族滞在資格の場 合、資格外活動の許可をとっても週 28 時間しか働くことができないなど の制限が多く、また正規雇用の職を得るには日本語の習得は欠かせない など言語の壁がある。その結果、多くの滞日ネパール人は、渡航前より も社会的地位の低い仕事に就くほかなく、その後上昇する機会も少ない。 本研究は、ジョン・フリードマンのエンパワメントモデル、ならびに マーサ・ヌスバウムのケイパビリティの要素を援用し、1)適切な情報を 得られているか、2)人間らしい仕事に就けているか、3)金銭的な余裕 があるか、4)適切な住居で暮らしているか、5)知識と技能を向上させ ているか、6)娯楽や余暇の時間があるか、7)自助組織などの成員にな っているか、8)自身の出身コミュニティ以外の社会的ネットワークにア クセスできているかについて、フィールドワークで収集した事例を検討 した。 近年、目的や属性も多様な人びとがやってくるようになった結果、自 助組織への加入者はそれほど多くなく、特に女性でこうした組織に関わ. 223.

(4) 南アジア研究第28号( 2016年). っている移住者は少ない。日本で暮らした経験は、育児や子どもの教育 において良い影響をもたらしたという回答があった反面、キャリア形成 という点では、男女を問わず、自身の学歴や能力を十分生かす仕事に就 けなかったという不満が多い。女性の場合、日本が家父長制社会である ため、日本の女性と同様に、夫を支えることが求められ、欧米への移住 と比べた場合、学位取得や高度な技術の習得の機会がなく、失った時間 は大きいという回答があった。また、日本に移住後、夫婦関係に亀裂が 生じた例や、子どもと過ごす時間が少ないため、子どもはネパール語を 話さず、親子の会話が成立しづらいなど、移住によって得られる経済的 利益とは別に、社会的な面からは損失も少なくないことがわかった。今 後は、ネパールと日本の両政府に対して提言を行っていくほか、移住に よって生じる社会的損失についても調査を続ける予定である(統計の一 部は、2017 年時点で最新のものに更新) 。. 報告2 Chain Migration and Transnational Ties:. A Case Study of the Nepali Migration to Japan. Dipsh Kharel.  連鎖移住とトランスナショナルな絆. ―ネパール・マルマ村から日本への移住を例に―ディペシュ・カレル まず冒頭で、ドキュメンタリー映画「Playing with Nan」 (2012 年、監. 督:ディペシュ・カレル、齊藤麻美)の一部を上映し、 「技能(調理師) 」 資格で滞在する人々の暮らしを紹介した。彼らは滞日ネパール人の中で も最大のグループでありがら、 ほとんど研究対象となってこなかった。こ の映画では、北海道のネパール料理店で働く28 歳のラムの日常生活と、 彼の出身村で待つ両親、首都カトマンズで暮らす妻と子どもを取り上げ ながら、グローバル化がもたらす課題が、個々人の暮らしに及ぼした影 響を描くことを目指した。ラムは生まれ故郷の村を出て12 年間カトマン ズのレストランで働いたものの、家計が好転することはなかった。日本 なら稼げると聞いた彼は、家族や友人から、20%もの利子がつく金を工 面し、2 万ドルを支払って日本に渡った。映画の製作過程で、日本で働 く彼からのメッセージを録画してネパールの家族に届け、ネパールの家 族の様子をラムに映像で届けた。その映像を見つめるラムとその家族、 両者の描写を通じて、国境を越える家族の絆を描くことを目指した。 この作品は、カメラを調査の道具として用い、 「移動する民族誌」. 224.

(5) 学会近況 英語テーマ別セッション II Diversity at home and abroad: Changing migration trend and lifestyles of Nepal. migrants in Japan 多様性の国からやってきた多様な人たち―滞日ネパール人の移住傾向の変化とその暮らし―. (multi-sited ethnography)の手法で 2008 年から2014 年にかけて行っ たフィールドワークの成果である。その過程で、移住者自身が形成した. インフォーマルなネットワークやトランスナショナルな絆が、 どのように 連鎖移住をもたらし、ネパールから日本への移住の流れに影響を与えた かを明らかにした。. 2014 年末現在、在留ネパール人は 42 ,346 人おり、南アジア出身者の. 中で最多数となっている。入国管理局の統計やフィールドワークで収集. したデータから、滞日ネパール人は、かなりの割合でネパールレストラ ン業と何らかの関係をもっていると推察できる。彼らのレストランでは、 インド風のカレーとナンを主に提供しており、今では、日本の大都市圏 とその周辺地域だけでなく、小さな町でさえも、カレーとナンが食べら れるようになった。ネパール・インドレストランで働くネパール人の料 理人は、 「技能」という在留資格で滞在している。この資格があること で、日本のネパール料理店で働くネパール人は、合法的に働くことがで きる。東京都だけで、すでに500 以上のネパールレストランがあり、現 在も増加中である。近年、ネパールレストランは、日本の小都市にも出 店しており、ネパールからの移住者が日本に来る機会を創出している。 フィールドワーク中に最も驚いたことは、人口わずか 6 ,400 人のバグ. ルン郡マルマ村から、 1 ,800 人以上が日本のネパールレストランで働くた めに移住しているという事実である。今では、この村は、多くの村人が. 日本で働いていることから、地元で「リトル・ジャパン」と呼ばれてい る。さらに私を驚かせたのは、 移住者は日本で働くビザを得るために、 レ. ストランのオーナーに対して、ひとりあたり1 ,500 ,000ネパール・ルピー. (15 ,000ドル相当)を支払っているという話だった。. ネパールでは、19 世紀初頭より「ゴルカ」と総称される丘陵地出身の. 男性たちが、インド各地に出稼ぎに行っていた。現在のネパールは、労 働力輸出が著しく、農村の世帯では、一家にひとりは、国内、もしくは 国外への出稼ぎのため不在である。 この10 年間で、外国への労働者の移住は、ネパールの経済と社会に 大きな影響を及ぼすようになった。不透明な政治状況、厳しい気候、雇 用機会の不足、極度の貧困などを理由に、多くの若者が国を離れる機会 をうかがっている。2014 年のネパール政府労働・雇用省の統計によれば、 1年間で 50 万人以上のネパール人が、仕事を求めて105カ国に向けて旅. 225.

(6) 南アジア研究第28号( 2016年). 立った。約 350 万人の在外ネパール人のうち、多くがインド、中東、東 アジア、東南アジアで働いている。同統計によれば、マレーシアは、 2013 /14 年にネパール人移住者が最も多い国になった。2005 年の国連ア. ジア太平洋経済社会委員会の調査によれば、国際送金がネパール経済. を支えており、それなくしては経済危機に陥りかねない状況になってい. る。2012 /13 年の場合、ネパールの国内総生産の25 .7 % が国際送金であ る。. ネパールで働いた場合と比べて10 倍以上稼ぐことができる日本は、 近 年、ネパール人にとって人気のある渡航先のひとつになった。ネパール 人移住者の送金額に関する正確な情報はないが、 東京と北海道で行った フィールドワークから、レストランで働く者は、平均して月8 万円送金 していることがわかった。大多数の移住者は、インフォーマルなルート で送金しており、銀行や送金会社を利用する者は少数であった。 あるマルマ村出身者は、1995 年に近くの村人のつてで、日本にやって きた。彼は福岡にあるナーナックという店名のインドレストランで 2 年間 働き、その後東京に移って別のインドレストランで 8 年間働いた。2005 年には、東京で自分のレストランを開き、都内各地で計 9 つの店を経営 している。彼が過去 9 年間でバグルン郡から日本に送ったネパール人は 110 人以上にのぼる。移住予定者は、まずその機会を探し、渡航資金を 得て、宿泊先と働く場を、先に移住した者から提供してもらう。この方. 法による連鎖移住の結果、日本全国で 3 ,000 店以上のネパールレストラ. ンがあり、その数はさらに増え続けている。. 本研究は「なぜ、マルマ村からこれほどたくさんのネパール人が移住. することができたのか」 、 「彼らは1 ,500 ,000ネパール・ルピーも支払わね. ばならないにも関わらず、なぜ日本に移住するのか?」 、 「どうやって、こ れだけの手数料を払うことができたのか」 、 「移住予定者に対する交通手 段や入国方法などの情報提供を通じて、村と日本が社会的ネットワーク やトランスナショナルな絆を通じてどのようにつながっているのか」と いう問いに答えた。 質疑応答・討論 参加者からは、ネパールから他国への留学については、教育省の統計 に入っていないものが多く、政府統計を使用する場合、注意が必要であ. 226.

(7) 学会近況 英語テーマ別セッション II Diversity at home and abroad: Changing migration trend and lifestyles of Nepal. migrants in Japan 多様性の国からやってきた多様な人たち―滞日ネパール人の移住傾向の変化とその暮らし―. ること、また、移住の動機やその帰結も多様化しているので、ネパール から日本への移住のパターンも、プッシュ/プル要因による分析といっ た古いモデルではなく、新たな枠組みから見る必要があるのではないか といった指摘があった。 また、滞日ネパール人研究の今後の方向性として、留学生や看護師な ど属性別の研究の蓄積がある北米や欧州へのネパール人移住者との比 較研究の提案がなされた。 たなか まさこ ●上智大学. 227.

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参照

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