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Title
歴史学の危機と『アナール』 : 21世紀の社会史に向けて
Author(s)
渡辺, 和行
Citation
奈良女子大学文学部研究教育年報, 第3号, pp.49-62
Issue Date
2007-03-31
Description
URL
http://hdl.handle.net/10935/704
Textversion
publisher
http://nwudir.lib.nara-w.ac.jp/dspace
奈良女 子大学文学部研究教育年報 第3号
歴史学 の危機 と 『アナ-ル』
- 2
1
世紀の社会史 に向けて
-1.言語論的転 回と社会史 「社会史 はどこへ行 く」 (1)。 これ は、1996年 に歴史 家 ア ン トワ-ヌ ・プロス トが したためた書評論文 の タ イ トルである。 プロス ト自身 は、社会史が どこへ向か うべ きか というゾレンの話 を しているわけではないが、 この タイ トルは社会史が置かれている状況を映 し出 し ている。 2年後、 ロジェ ・シャルチエが歴史の方法 を 論 じた書物 をまとめていた。 シャルチエは、数量化 の 手法 に対す る信頼喪失、従来 の地理的区分や歴史 の 目 的の放棄、心性 や民衆文化 の概念への疑問、 旧来 の社 会階級や職業分類への疑義、構造主義やマルクス主義 に もとづ く解釈 モデルの再検討 によ って、「新 しい歴 史」 が審判 にか け られた ことを指摘 して いた(2)。 シャ ルチエの書名 にあるよ うに、 「確信 と不安 の はざまの 歴史学」 は 「崖 っ縁」 に立 たされているのだろ うか。 過去 の蘇生 を使命 とす る歴史学 の基盤 は、 はた して揺 らいだのだろうか。 このよ うに、20世紀後半 に覇権 を握 って学際的に領 域 を拡大 して きた社会史 は、1980年代 に2つの危機 に 直面 した。第1に、社会史 は成功 ゆえの 「細分化 -パ ン屑化」 とい う危機 に直面 し、「パ ン屑 と化 した社会 史」 は、ふたたび塊 (全体) を取 りもど したパ ンと し て歴史家 の糧 とな りうるのかが問われた。第2に、構 造主義 のパ ラダイムと数量化 の手法 によ って歴史家の 領域 を切 り開いて きた社会史 は、記号論 による挑戦 に 直面 し、 「ここ25年 の間 に歴史学 は、主題、史料、課 題 のいずれに関 して も、根底か ら問い直 しを迫 られ る よ うにな った」(3)。 ジャック ・デ リダな どのポス ト構 造主義者 にとって、森羅万象 のすべて はテクス トと し て存在 し、 それゆえ 「テクス トの外部」 は存在せず、 そのテクス トは多様 な解釈 を許すがゆえに 「超越的な シニフイエ」 も存在せず、過去 の実在 に迫 りえない と 歴史家 は批判 された。 こうして、歴史的真理への接近 方法、歴史 の客観性 の問題、歴史解釈 などにつ いて認渡 辺 和 行
49 識論 的な批判 が投 げか け られた。「知覚 で きる現在 と 想起 しかで きない過去」 との関係 をいかに考 え、個人 の体験的過去か ら歴史的過去 にいかに して迫 るのか と い う問題 について、根源的な問いが発せ られたのであ る(4)。 ここ4半世紀 の英米圏の歴史学雑誌 に、 そ うした状 況が反映されている。 歴史理論の専門誌 『ヒス トリー ・ ア ン ド・セオ リー』が、1980年 に 「メタヒス トリー、 6つの批判」 の特集 を組んだのは当然 と して も、実証 的な論文 を掲載 して きた歴史学雑誌 に もそれは表れて いる。1989年 に 『中央 ヨーロッパ史』が、 ドイツ史 に お けるポス トモダニズムの挑戦 に関す る特集 を編 み、 同 じ年 に 『アメ リカ歴史評論』が2つの特集 (文学批 評 や言語哲学か らの挑戦 に対す る歴史研究 のあ り方、 および 「古 い歴史 と新 しい歴史」) を組 み、1992年 に も精神史 につ いて議論 の場 を提供 して いた。 また、 1991-92年 に は 『バ ス ト ・ア ン ド ・プ レゼ ン ト』 が 「歴史学 とポス トモダニズム」 の リレー討議 を行 い、 さ らに1995-96年 には、『現代史雑誌』 もポス トモ ダニ ズムと歴史 の関係 について盛んに議論 を繰 り広 げてい た。 ホブズボームは、1997年 に、現今 の歴史学の関心 が 「概念的問題 と方法論的問題」 に向 け られていると 述べて、 こうした歴史学 の状況 に言及 している(5)。 それで は、歴史家 は自己のメチエをどのよ うに考 え て きたのだ ろうか。 これまで多 くの歴史家 は、過去 は 実在 し、一次史料 に もとづ く実証的で批判的な研究 に よって真正 な事実 に、すなわち歴史的真理 に到達で き、 過去 を復元す ることがで きると考えて きた し、今 も大 筋で はそ う考 えている。 過去 の人間の生 を復元す るの が歴史家のメチエであって、歴史研究 は死体解剖であっ て はな らず、歴史家 にとって 「過去 は死 なない」
ので ドキ ュ メ ンツ あ る。つ ま り、歴史家 は 「史 料 に記 されている出来 事 を正確かっ厳密 に再構築す ることによって、過去 に 起 こった事柄を説明 しよう」 としてきた(6)。 ドミニク ・ラカプ ラが指摘す るよ うに、歴史 の科学性 を追究 し、 「社会科学 を手本 とす る歴史家 たちは、歴史 的事象 を 詳細 に、 また根拠 の確実 な もの と して説明 したいとい う関心か ら、歴史 における物語 の役割 を股 め、分析、 仮説構築、 モデル設定 に (データ) を徹底 して用 いる 必要性 を強調 して」 きた(7)。 しか し、 ロラン ・バル トやへイ ドン ・ホワイ トによっ て、科学性 を保証す ると考え られて きた実証主義 の方 法 に認識論的な批判が投 げかけ られ\事実 に もとづ く 歴史研究 も虚構 を ともな う歴史小説 も修辞的な次元を 共有 していることや、歴史学 とは 「フィクションの-形式
」
「事実 を表象す るフィクション」
「文学的人工物」 (以上、 ホワイ ト) にはかな らず、「歴史 のデ ィスクー ル とは想像的な変形作業」 であ り、 「偽装 された遂行 的デ ィスクール」
「パ ロール行為 の シニフイア ン」 (以 上、バル ト)で しかない ことがあぶ り出され、 ポス ト モ ダ ンの歴 史学 の あ りよ うが問 われ た(8)。 いわ ゆ る 「言語論的転回」である。 現代歴史学 を取 りま く認識論的な状況 は以上 のよ う であるが、 じつ は、素朴史料実証主義への認識論的な 批判 は今 回が初 めてで はない。 それ は120年 ほど前 に 遡 る。 その頃の フラ ンスで は、「実証主義 への反逆」 が始 まっていた。20世紀 の歴史学 を牽 引 した雑誌 『ア ナ-ル』 も、 こうした知 の学際的なア リーナか ら生 ま れた。1929年 に、 リュシア ン ・フェ-ゲル とマルク ・ ブロックが編集者 とな って 『経済社会史年報』が喋々 の声 をあげ、第2次世界大戦後 の1946年 には 『アナ-ルー経済 ・社会 ・文明-』 として再 出発 し、 フェルナ ン ・ブローデルの もとで大 きく飛躍をとげたのである。 今 日までの 『アナ-ル』 の歴史 は、4つ に区分す る ことがで きる。 フェ-ゲル とブロックによる創刊か ら フェ-ヴルの死 までの第1期 (1929-56)、 ブローデル が率 いた第2期 (1956-69)、 ジャック ・ル ・ゴフやエ マこュエル ・ル ・ロワ ・ラデュ リの第3世代 にバ トン が渡 された第3期 (1969-89)、 そ して 「批判 的転回」 以降の第4期 (1989以後)である。第1期 は、2人の 創始者 による 「社会史 のための闘い」 に、第2
期 は、 ブローデルの 『フェ リーペ 2世時代 の地中海 と地中海 世界』(1949)に代表 され るよ うに全体史 的 な地理 的 構造史 と数量史 に、第3期 は、経済史 の地位低下 と心 性史や歴史人類学 に特徴があ った。第4期 は、歴史学 内外か らのアナール派への批判を踏まえたメタモルフォー ゼの時期であ り、暖味な心性史 に替わ る 「さまざまな 文化的 プ ラテ ィックの社会史」、新 しい歴史人類学 の 登場や経済史 と全体史的展望 の復活、認識論 や方法論 の深化、非西洋文明への関心 などに特徴があ る(9)。 このよ うに社会史パ ラダイムの登場 は、わが国 は言 うに及 ばず欧米 の歴史学会で も特筆すべ き事件であ っ た。 それ は、1976年 にス トイアノヴィッチが、社会史 パ ラダイムをギ リシア時代 の教訓的歴史 と18世紀以降 の発展的歴史 に次 ぐ、第3の機能 ・構造的歴史 と位置 づ けた ところに も窺 うことがで きるqo)。社会史パ ラダ イムは歴史学 の世界 を大 き く揺 さぶ ったが、 その震源 地 とな ったのはフランスであ り、牽引車 の役割 を演 じ たのが雑誌 『アナ-ル』 に集 まる歴史家たちであ った。 つ ま り、19世紀が ドイツ歴史学 の世紀であった とすれ ば、20世紀 はフランス歴史学 の世紀 と位置づ けること がで きる。19世紀 の ドイツ歴史学 は、議会資料 や外交 文書 などの文書史料 に基づ く政治史 ・外交史 とい う特 徴 を持 っていたが、20世紀 のフランス歴史学 は、記述 資料 はもとよ り図像や統計 などの非文書史料 を も活用 す る社会史 にその特色 を求 めることがで きた。19世紀 の文献学的歴史学か ら20世紀 の社会科学的、人類学 的 歴史学へ と歴史学 は発展 して きた。 この発展 の原動力 とな ったのが社会史パ ラダイムであ り、 アナ-ル学派 であ った。 ピー ター ・バ ーク も述べ るよ うに、 「もっ とも革新 的で記憶 にとどめ られ るべ き重要 な20世紀 の 歴史著作 は、 フランスでおびただ しく産み出されて き た」 のであるm)。 それで は、 ブローデルが 『アナ-ル』の編集 をお り た1969年以降の社会史の歩 みを、記号論 による挑戦 の イ ンパ ク トに触れっつ、 フランスを中心 に整理 しよう。 2 社会史 の変貌 ブローデルが、 「あ らゆ る人文諸科学 は歴史学 に組 み入 れ られ、 補助 的 な学 問 とな る」 と豪語 した よ う にq2)、歴史学 が人 間科学 の頂点 に君 臨 し社会史 のヘゲ モニーが確立す る。 ブローデルは1947年か ら 『アナ-ル』 の責任者、1949年 にはフェ-ゲルの後任 と して コ レジュー ・ド ・フラ ンスの近代文 明史講座 の教 授、 1956年か らは1947年 の改組で誕生 した高等研究院第6 部 「経 済 ・社会 科 学 」 の部 長 、 そ して人 間科 学 館 (1963年創設) の館長 と して、 まさに 「ブローデル帝 国」 を築 きあげていた。奈良女子大学文学部研究教育年報 第3号 51 1975年 にアナール派の牙城であ った高等研究院第6 部が独立 して、学位授与権 を もっ社会科学高等研究院 とな り、初代院長 には1972年 か ら第6部長 の職 にあっ た ジャック ・ル ・ゴフが就任 し、 アナール派 は社会史 の制度化 のための重要 な組織 を手 にいれた。 また1973 年 に、 エマニュエル ・ル ・ロワ ・ラデュ リが ブローデ ルの後任 と して コレー ジュ ・ド・フランスの教授 に選 出されていた ことは、 アナール派 の影響力の大 きさを 示 して い る。 さ らに、 ル ・ゴフが90分 の ラジオ番組 「歴史学 の月曜 日」 のパ ーソナ リテ ィを30年 あま り務 め、 テ レビ番組 「アポス トロフ」 にア リエス、 ブロー デル、 ショーニュ、 デュ ビー、 ル ・ゴフ、ル ・ロワ ・ ラデュ リらが出演 して 自作 を語 った ことは、社会史 の 普及 と読者 の拡大 に貢献 した。 『アナ-ル』 は、1970 年代半 ばには5500部 の発行部数 を誇 るにいた った。 こ うして アナール派 は、 ソルボ ンヌの どェ-ル ・ルヌー ヴァン学派や ロラン ・ムーニエ学派 を凌駕 し、 その影 響 は南欧や東欧 はもとよ り英仏海峡や大西洋 を越 えて イギ リスやアメ リカ、 さ らには東洋 の 日本 にも広 ま り つつあ ったq3)。 社会史がェスタブ リッシュメ ン トになるにつれて、 かつての強烈 な 自己主張、 「政治史 をその王座 か ら引 きおろす」 (ル ・ゴフ) という激 しい政治史批判 の トー ンも影 を潜め、社会史 と政治史 との間 に相互浸透 の現 象が見 うけ られ るよ うになる。 ル ・ゴフが中世史研究 に事例 を取 りつつ、政治人類学 などを用 いた 「新 しい 政治史」 の可能性 に触れて政治的なるものの復権 を述 べ、 「政治史嫌 いは、 もはや信仰箇条 で はない」 と断 言 し、 ピェ-ル ・ノラが現代史 における 「事件の復活」 を語 って新 しい事件史 を論 じ、 ジョル ジュ ・デュビー が 「新 しい歴史学 はふたたび政治 を対象 に しは じめて いた」 と記 したよ うに、1970年代前半 にはアナ-ル学 派 の内部 で も政治 的 な る ものが脚光 を浴 びっつ あ っ たq心。 さ らにフランソワ ・フユ レが、『フランス革命 を 考 え る』(1978)のなかで、政治 の 自律性 を強調 して マルクス主義的な社会経済史 の観点か らフランス革命 を理解す ることを批判 したよ うに、 フランス革命解釈 の転換が社会的なるものを包含 した 「政治」や 「事件」 の再評価 につなが った面 もあるだろ う。 1979年 の 『アナ-ル』50周年記念号 のなかで、編集 部 は、歴史学が 「新 しい問題 に直面 している」 ことを 率直に認 め、批判的であることこそが 『アナ-ル』の 創父 に対す る忠誠の証だ と述べて、社会史家に 「政治」 につ いて再考 を求 め、 「新 しい現代史」 の可能性 に触 れて いた。 さ らに1986年 には、 『アナ-ル』運営委員 会 のア ン ドレ ・ビュルギェ-ルは、 アナール派の業績 のなかでは権力の分野が長 いこと未開拓のままであ り、 それ は 「残念 な空 白」であると述べ、社会史家 に、権 力 の社会的メカニズム ・国家 と社会 の関係 ・治者 と被 治者 の関係 などについての省察 を求 め、社会的結合や 文化 の形態 としての政治 とい う把握、政治制度への人 類学的 アプローチ、政治領域 が確立す る際のイデオ ロ ギーの役割、国家形成 と市民社会 に対す る国家の相対 的 自律性 の研究の4つを推奨 していた(15)。 こうして 「政治史 の復権」 のよ うな状況が出来 した が、 もちろん、 それ は伝統的な政治史 や物語的歴史へ の回帰 ではな くて 「社会史 を経過 した政治史」u6)、「社 会史 を経 由 したのちに、新 たな射程 において政治 を捉 え、 国家 のあ り方 を問 う」uⅥ政治史 であ り、政治文化 や政治表象 などに着 目す る新 しい政治 -文化社会史で あることは言 うをまたない。 それ は、 フランス共和主 義 の シンボ リズムを分析 したモー リス ・アギュロンの 研究 (『フランス共和国の肖像』1979)や リン ・- ン トの研究 (『フランス革命 の政治文化』1984)に代表 され るだろう。 ナ ンテール学派の政治史家ルネ ・レモ ンが中心になっ て、1988年 に 『政治史 のために』 と 『今 日、歴史家で あること』を著 し、 セル ジュ ・ベルステ ンが 『政治史 の基軸 と方法
』
(1998)や 『フ ラ ンスの政 治文化 』 (1999)を編集 し、 はたまた現代史研究所 の学際的 セ ミナー (1988-90)か ら生 まれた 『政治史 と社会科学』 (1991) の共同研究が、『アナ-ル』 の 「歴史 と社会科 学」 の特集か ら刺激 を受 けたよ うに、 こうした政治史 家 の著作 は、社会史か らの批判 に対す る反省的応答や 「新 しい政治史」 の試 みであろ う。 また 『アナ-ル』 編集委員 のベルナール ・ルプチが、同誌で 「政治への アプ ローチ」
(1990年2号) の小特集 を組んだよ うに、 「政治史家 と非政治史家 とのあいだで、積年 の対立 が よ うや く解消 されよ うと」 していたQ8)。 わが国の社会史研究がセカ ン ド・ステー ジに突入 し た頃、 本家 の フラ ンスで も社会史 の変貌 が起 きて い た仕9)。それは、 フランス革命200周年や戦後50年の到来、 それにヴィシー派の裁判の開廷 もあ り、「歴史 と記憶」 や 「裁判官 と歴史家」、「現代史」 の問題 に焦点が当てられた時期 で もあ った。 じっは 「歴史認識における座標軸の転換」(デュビー) は、1970年代 に始 ま っていた。 それは、1968年の フラ ンス
「5
月革命」 に象徴 され るよ うな世界的な異議 申 し立ての運動 を経て、先進国の社会が、産業社会か ら ポス ト産業社会へ と変容 を遂 げる過程 と重 な った。 ポ ス ト産業社会 の到来 とともに、現代思想 もポス トモダ ンへ と転生 してい く。 ポス トモダンの知 の状況が人間 科学 に地殻変動 を もた らし、「言語論的転回」
「解釈学 的転回」 (ギアーツ)、 「文化論 的転回」が始 ま り、歴 史研 究 に も影響 を及 ぼ した。 こう して、 「階級」 や 「社会構成体」 の概念 を重視す る研究 か ら 「文化」 や 「表象」 の研究へ と軸足が移動 しっっ あ った。1990年 代 に ジェ ンダー ・スタデ ィーズやカルチュラル ・スタ デ ィーズ、 それにサパル タン ・スタデ ィーズ、構築主 義やポス ト・コロニア リズムへの関心が高 まったのは、 その現れである。 話 を歴史学 にもどす と、 ブローデルやエルネス ト・ ラブルースの仕事 に代表 され るよ うな経済的説明原理 が後退 し、 心 的現象 や民衆文化 へ の関心 が高 ま り、 「出来事 の復権」が観察 され るよ うになる。
「事件 と構 造 との関係」 につ いて考 え、 「構造 を浮かび上が らせ る手段 と して物語 に回帰」 (バ ーク) す る社会史家が 現れ る。 すでに1973年 に、 デュ ビーが 「出来事 をひと つの兆候 と して利用」 して 『ブ-ヴィ-ヌの戦 い』 を 執筆 していた。 さらに、長期持続的な 「動かざる歴史」 を標梼 して 「事件史」か ら距離を置いてきたル ・ロワ ・ ラデュ リが、1979年 に 『南仏 ロマ ンの謝肉祭』 を上梓 し、 「出来事 の地溝 を辿 って い けば、 いっ しか構造 的 な層位へ と入 りこんでいる」 と述べて、祭 りの最中の 事件か ら祝祭の儀礼的構造 に迫 ったのがその例である。 デ ュ ビー とル ・ロワ ・ラデ ュ リは、 「個 々の事件 それ 自体 を明 らかにす るためにで はな く、 それ らが位置 し ている文化 を明 らか にす るために、事件 に焦点 をあて たのである」 (バーク)CO)。 またエ ドワー ド・サイ- ド が、1978年 に西洋 による東洋 の表象の問題 を別扶 した こ と は、 そ の後 の表 象 研 究 に も樟 さす こ とにな る (『オ リエ ンタ リズム』)。 しか し、冷戦構造が崩壊 に向かいだ した1980年代 に 歴史学 自体 の活力が低下す る状況が生 じていた。すで に1973年 に、 フ リッツ ・スター ンが 「歴史学 の危機」 (歴史分野 の断片化、新 しい歴史知識 の異質性、大 き な総合の衰退、社会科学 の問での歴史学 の主体性 の低 下 など) を語 り、1982年 にはスチュアー ト・ヒューズ が、現代 の歴史叙述 のなかに 「素朴 な実証主義への退 行」 を認 めていた。中世 の社会経済史 を専門 とす るロ ベ ール ・フォ シ工 も、1980年代前半 にアナ ール派 の 「威光」 に繁 りが生 じたと述べ、 エルヴェ ・クー ト-エ ペガ リは、 自著の第2版が新 しい歴史 の 「死亡証明書 の様相 を呈 している」 とか、 ブローデル的な 「新 しい 歴史 は1980年代初 めに消滅 した」 と記 した。 また、 1980年代半ばに 「歴史の確実性 と不確実性」 というテー マで シンポ ジウムが開かれ、 ピェ-ル ・ショ-ニュが 数量的な 「新 しい歴史」 の 「活動停止」 につ いて発言 していたの も、 こうした状況 を映 しているだろ う。 こ うして、数量化 による 「確実性」 に対 して疑問が出さ れ、 ショーニュが、経済 と社会 に次 ぐ 「第3次元 の系 列史」 と呼んだ文化社会史の分野 にお ける統計的手法 も、1980年代 に入 ると批判 の矢 が放 たれ るよ うにな る伐1)。 1987年 に シャルチエが、 「一 時期 フランスの文化史 を支配」 して きた 「統計的なアプ ローチでは不十分 と 思われ る」 と述べ るにいた ったが、1960年代末 には、 ル ・ロワ ・ラデュ リは 「明 日の歴史家 はプログラマー にな るだろ う」 とコンピュー タの利用 を称揚 し、 「極 言すれば、数量化 しうるもののみが科学的歴史 なので あ る」 と断言 していたC3。数量化 による系列史 は、長 期持続的な構造概念や局面状況 の概念か ら生 まれた手 法であ り、平均や統計 に依拠す ることで趨勢 や傾向を 描 くことはで きて も、定性分析 を不得手 とし、個性的 な人間を描 くことはで きなか った。 この系列史 に対す る批判 をバネに して登場 したのが ミクロス トリアであ り、 ロー レンス ・ス トー ンの 「物語 の復活」 も、数量 史や科学的歴史への批判 をモチーフとしていた。ル ・ ロワ ・ラデュ リが、時系列的な 『気候 の歴史』
(1967) か ら 『南仏 ロマ ンの謝肉祭』へ と研究 スタイルを変え た ところに も、 ブローデル ・パ ラダイムか らの転回を 窺 うことがで きるだろ う。 かって ブローデルは、事件史 と ミクロス トリアを同 一視 して批判 した ことが あ ったが幻)、 ブローデルが切 り捨てた ミクロス トリアが1980年代 に注 目を集 めるよ うになる。 ミクロス トリアの手法 を深化 させて きたギ ンズ ブル グの 『チーズとうじ虫』(1976)の、仏訳 が 出たのが1980年であり、ギ ンズブルグが ジョヴァン二 ・奈良女子大学文学部研究教育年報 第3号 レ-ヴィとともに ミクロス トリア叢書 をイタ リアで発 行 したのが1981年 であ った。 ノワ リエルが、 「歴史学 の知 の危機」 とか 「歴史学 の革新力が弱体化 しっっあ る」 と評 し、 「政治的な るものの社会史 は可能か」 と か、 「現代史 とは何か」 とい う問 いを発 して社会史 の 再定義 を求 めたの も、 こうした文脈 のなかであ った伽。 3 歴史学の危機 と 『アナ-ル』 「歴史学 の危機」 は内外か ら生 じていた。 まず、歴 史学 はその外部から批判にさらされた。 レヴィ=ス トロー スの構造主義 や ミシェル ・フーコーの 「知 の考古学」 や 「系譜学」か らの挑戦を消化吸収 してきた歴史学 に、 認識論的な批判が放 たれた。 ブローデルの時代 には構 造主義 は 「歴史 にたい して冷淡」 であ り、 レグィ=ス トロースが、「民族学者 は歴史を尊重す るが、(歴史に一 筆者)特権的価値 を与 えることは しない」 と述べたよ うに脚、構造人類学 は、社会科学 の女王 とい う地位 を 歴史学か ら奪 うことを目的 としていた。 また、構造史 や数量史 に見 られ るよ うに 「科学性」 を追究す る歴史 学 は、 ポ-ル ・リク-ルによって歴史学か ら 「語 り」 を閉め出す ことはで きず、歴史 は 「物語」 の ジャンル に、 「文学 の領域 に属す る」 とか、歴史 もフィク ショ ンも物語機能 という構造論的同一J陸を持っ と批判 され、 「歴史 とフィクションの交叉」が主張 されたCB)。 た しかに、社会史学派が 「政治史 -事件史 -物語的 歴史」 とひ と くくりに して批判 したがために、歴史叙 述の物語性 について認識論的検討がなされなか った点 は否 めない。 それは、 ブローデル とフユ レの主張 に示 されている。 ブローデル は、『アナ-ル』 の鼻祖が対 決 した もの と して ソルボ ンヌの政治史 と物語的歴史 を あげ、 フユレも 「すべての物語的歴史 は事件史である」 とか、「歴史 の物語的形式 は主 に政治 的事実 の領域 と かかわ る」 と述べていた。 アナール派が編 んだ
2
つの 歴史事典、 『新 しい歴史』
(1978)と 『歴史学事典』 (1986)に 「物語」 や 「物語的」 とい う項 目がないの は、 こうした思考の表れであるm)。 さ らに、 へイ ドン ・ホワイ トらの 「言語論的転回」 派か らは言説 に依拠す る歴史学 の虚構性が指摘 され、 事実 とフィクションに哉然 と二分で きるとい う歴史家 の認識論 的前提 に疑義が提 出され、実証研究 の基盤が 揺 さぶ られた りした倒。「実証的な資料分析 のみか ら歴 史の事実 を知 りうる、 それを復元で きる、 それによっ 53 て出来事 の因果連鎖 を解 きほ ぐしうると確信 しておわ る歴史学」C9)が、批判 の姐上 に載せ られた。 た しか に 過去 を再一現前 ない し再構築す るのに不可欠 な史料 と は、 「特定 の見解 に染 め上 げ られた人 々の選別 と校閲 をすで に経 た結果」oo)で しかない。 それゆえ、歴史認 識 とは歴史解釈 にはかな らず、記述 された歴史 は、歴 史家 によって構築 されたテクス トとして存在 している。 つま り、歴史叙述 におけるナ ラテ ィヴの問題や実在 と その表象 との関係 をめ ぐる問題、 テクス トの修辞性 な どが争点 にな り、歴史的な知 は不完全 な知であ り客観 的な知 た りえない ことが指摘 されたのである。 フランスか らアメ リカに輸 出されたポス トモダニズ ムは、 「言語論 的転 回」 と して アメ リカか らヨー ロ ッ パ に逆輸 出されたが、 フランスで は1980年代末 まで、 イギ リスの論争 に見 られたほどのイ ンパ ク トはなか っ たよ うである。 その頃 まで、 へイ ドン ・ホワイ トの歴 史批判 の内容 はフランスの歴史家 に知 られてお らず、 フーコーやセル トーのデ ィスク-ル論 や歴史 の科学性 を否定す るポール ・ヴェ-ヌの歴史論 も、歴史家 のプ ラティックを哲学的に論 じた リクールの 『時間 と物語』 (1983-85)が出版 されるまで真剣 に考慮 されなか った。 アナール派 の社会科学高等研究院が、 へイ ドン ・ホワ イ トに関す るセ ミナーを開いたのが1992年12月の こと であ った ところに も、 こうした事情 を窺 うことがで き るOD。 それで も、後述 の 「批判 的転 回」 を主導 したル ヴェルや シャルチエ、ベルナール ・ルプチなどのアナ-ル第4世代 に、 ポス トモダンの影響 を読み とることは 可能だろう。 次 に歴史学内部か らの批判 についてである。 逆説的 に も、社会史 の成功が歴史学内部か らの批判 を生 み出 した。 リン ・ハ ン トの言葉 を借 りれ ば、 「皮 肉 に も 『アナ-ル』パ ラダイムは、凱歌 を奏 したその ときに まさに風化 し始 めた」 のであ る03。1
万部 を超 えれば ベス トセ ラーとい ってよい専門書 の世界で、61ペー ジ の表 に もあるよ うに 「新 しい歴史」 は順調 に読者 を増 や していたが、 じっ は心性史関係 の書物が最 も売 れ出 した1970年代 に 「心性史 に対 して疑念や批判が少 しず つ提 出されて」 いた脚。 シャルチエが 「心性」概念 に 替 えて 「表象」概念 を提起す るには、 こうした理 由が あ った伽。 ク リス トフ ・シャルルは、『フランス歴史学 年間著作 目録』 の1982年版 と1991年版 を調査 し、心性 概念 の妥当性への疑義が高 まるにつれて心性史研究 が減 った ことを確認 している脚。 さ らに、歴史学の細分化が問題 と して意識 され るよ うになる。 た しかにーIq7〔fE什 以隆の社会 中の隆底 に よ って、人 口史、家族史、 日常生活史、社会運動史、 都市史、女性史、心性史、歴史人類学、 セクシュア リ テやプ ラテ ィックの歴史 など、歴史家 による学際的な 領域 の拡大が多様 な個別研究 を生み、歴史学 の発展 に 寄与 して きたが、歴史家 は歴史家であるまえに人類学 者であ り、心理学者であ り、社会学者であ り、民俗学 者 で もあ らねばな らなか った。 リュシア ン ・フェ-ゲ ルは、すでに1941年 に 「歴史家 よ、地理学者であ りな さい。同 じく法学者、社会学者、心理学者 であ りなさ い」 と訴 えていた し、 ブローデル も1958年 に、 「歴史 家 は、経済学者、社会学者、人類学者、人 口学者、心 理学者、言語学者等 々になろうとした し、 な ったので ある」 と述べていた06)。 このよ うに、歴史研究 の隣接科学や下位科学への分 散 と蛸壷的な専門分化、研究対象の拡散や全体史的総 合か らの後退が指摘 され るよ うにな り、歴史学 の 「破 裂」や 「細分化」 を もた らしたとい う批判が出ていた のである。 かって、 「全体史」 は社会史 のマニフェス トであったが、実際には実現す るのがむずか しい一種 の綱領で しかなか った。 それゆえへクスターは、1972 年 に 「全体史」 を 「無限の歴史」 とか 「果て しない歴 史」 と訳すべ きだ と提案 していた。 また、1974年 には ピェ-ル ・ノラが 「私 に問題 と思われ るのは全体史 の 概念である」 と語 り、 ミシェル ・ド・セル トー も1978 年 に 「フェ-ヴルの大志であ った全体史 は放棄 されね ばな らない」 と述べていた。1987年 には系列史 の大家 であ った シ ョーニュも、 「全体性 を強 く志 向す ること は崇高ではあるが、全体史 を夢見 ることは愚かであ り 非科学的である」 と語 ったm)。 歴史家 のイザベル ・フラン ドロワは 『アナ-ル』 に つ いて、1970年代 に 「危機が兆 し始 め-・-、革新がま ば らにな り、 マ ンネ リが顕著 にな り、歴史学 は四分五 裂 してさまざまな運動 に分かれていった。『アナール』 はいたるところで再検討 を迫 られ」 た と手厳 しい発言 を している。 英国の フランス史家 セオ ドア ・ゼルデ ィ ンも1976年 に、 「社会史 はか くも成功 したがゆえに、 生 み出された多種多様 な業績 のなかでややその方向性 を見失 って しま ったよ うだ」 と記 していた働。『アナ-ル』編集委員 の ジャック ・ル ヴェルは、1979年 に 「歴 史学 の破裂」や 「細分化す る歴史学」 について言及 し ていたが、1986年 に、社会科学の発展が歴史学 を 「支 配 的な位置」 か ら引 きず り落 と し、 「歴史学 は万能 の 鍵」で はな くな り 「歴史学 の細分化」が もた らされた と総括 してい る。 シャルチエ も1988年 に、 「細胞分裂 し、作裂 し、拡散 した 『アナ-ル
』
」
は全体史 を放棄 したが、表象やプ ラテ ィックとい う観念が全体史 を再 生 させ る手段 になるか もしれないと語 っていた侶9)。 「歴史学 の危機」 に警鐘 を鳴 らす フランソワ ・ドス は、歴史 のなかで人間を主体 として取 り戻す ことや、 説明 と対比 して解釈 に新 たな位置を与 え ること、 出来 事 の再評価、 および歴史研究の細分化 に対 して再統合 の必要性 などを主張 し、 自著の書名 『細分化 す る歴史 学』 が、 「アナール第3世代 の歴史家 のエク リチ ュー ルに関す る特異 な時期 を指す慣用表現 とな った」 と自 負 している。 また、 ロシアの歴史家ユー リー ・ベスス メル トヌィは、1991年 に 「私 は、 ここ数年 『アナール』 の現在 の方針 につ いて肯定的な見解 とま った く出会 わ なか った」 と述べて、 「全体史」 の放棄 を問題 に して いた。1989年1月 にク リス トフ ・シャルルが主宰 した シンポ ジウム 「社会史、全体史?」
も、 こう した状況 の産物であろう。 シャルルは、「社会史の破裂」 といっ た 「危機」 について、「研究が表面的には豊か なので、 それだけい っそ う危機 は徐 々に進行す ると思 われ る」 と記 していた郎)。 こうした 「アナール派 に対す る多様 な批判」への答 えが、 ア ン ドレ ・ビュルギェ-ルの 日本講演 「社会科 学 の危機 と歴史学」 であ り、『アナ-ル』編集部 の ア ピールで あ った糾)。 歴史学 内部 か らの批判 に真正面 か ら答えているわけで はないが、1988年 に ジャック ・ル ヴェルが ま とめた 『アナール』編集部 の ア ピール、 「歴史 と社会科学、危機 的な曲が り角か (批判 的転 回 か)?」
はタイ トルを赤で強調 し、「社会科学 の全般的 危機」 とい う 「不確実性 の時代」 のなかで、 安 直 な 「政治へ の回帰」 を戒 め、比較 の方法 と歴史 のエク リ チ ュールに注意 を喚起 しつつ、 ミクロス トリアか らの 「提言」 に も耳 を傾 け、歴史学 を再考す る立場 を示 し た。 ベルナール ・ルプチは、『アナール』編集部 の ア ピールを、 アナール派が歴史 の細分化 を確認 し、歴史 学 を共同で再定義 し、熟慮 し、研究す る必要性 を示 し た もの と位置づ けている仏力。 そ して、『アナ-ル』が還 暦 を迎えた1989年 に特集 「歴史 と社会科学、批判的転奈良女子大学文学部研究教育年報 第3号 回」 を編 むにいた った。 1988年 のア ピールには 「危機的な曲が り角か
?
」 と 疑問符がっ け られていたのが、翌年 の特集では疑問符 は落 とされ、古 い立場か ら徹底 した 「批判的転回」 の 肯定へ とスタンスが変わ ったことを意味 した。そ して、 学際的な対話が歴史学 のアイデ ンテ ィテ ィを歴史家か ら失 わせ る危険があ ることや、 「長期持続」 とい う視 座が歴史 の切断や変化 を消 し去 るおそれがあることが 確認 され、解釈 とい う契機 が希薄であ り、 「歴史家 の 領域 の急速 な拡大 とまった く新 しい領野 の増大 は、予 期せぬ危険 と引 き替えに得 られた。すなわち、社会科 学 の間で はな くて、今回 は歴史学 それ 自身の内部 に新 たな専門化 とい う名の もとで、細分化 による通行不能 の障壁が新 たに築かれ るとい う危険 と引 き替えに得 ら れたのである」 と自己批判 の言葉が記 され、編集 デス クのベルナール ・ルプチによって解釈学 との同盟が志 向された。 ジャック ・ル ヴェルは、 「批判 的転回」
な どの 『アナ-ル』が行 う 「省察 にもとづいて、認識論 的な混乱の時期 を抜 け出すための試みが始 まるだろう」 と自賛 の言葉 を書 き記 している脚。 「批判的転回」 のひとっの成果が、 ルプチが編者 に な った 『体験 の諸形態 - もうひ とっの社会史 -』であ る。1993年10月 に開かれた シンポ ジウム 「新 しい社会 史へ」か ら生 まれた本書 は、永続的な構造 を分析す る とい う客観 的 アプ ローチを却 け、『アナ-ル』編集陣 5名 も寄稿 してお り、 その意気込みが伝わ って くる(4心。 しか し、 イギ リスの歴史家 ステ ドマ ン ・ジョー ンズに よって、『体験の諸形態』 は規範や慣習を重視す るデュ ルケ-ム社会学への回帰であ り、 フランス歴史学 に固 有の政治史 と社会史の分離 に甘ん じて両者 の境界 につ いて論ぜず、 さ らに歴史解釈 における言説 アプローチ について も沈黙 していると批判 された。 それゆえ 『ア ナ-ル』編集部 も、 「本書 が 『アナール』 の新 しい学 派の信条 ない し新 しい知的方針 の表明 と考え られては な らない」 と弁明せ ざるをえなか った(49。 さ らに、1994年 には 『アナ-ル』 の運営委員会 の組 織改編 も行 われ、運営委員 を1946年以来初 めて8名か ら13名 に増 やす と同時 に、運営委員会書記 を設 けた。 また、雑誌編集 の実務 を担当す る委員 の数 は4名 と変 わ らないが、編集委員 の トップの職名 を編集 デスクか ら編集長 に変更 し、編集長補佐を新設 した。 このため、 編集助手 は3名か ら2名 となった(48。 こうして、『アナ-55 ル』 の運営委員会 に歴史家以外 のメ ンバ ーや非西洋史 家が、つま り経済学者 のア ン ドレ ・オル レア ンと社会 学者 の ローラン ・テヴノー、 アラブ世界 をフィール ド とす る民族学者 の ジョス リーヌ ・ダク リア、 ドイ ツ文 学者 の ミカエル ・ウェルナー、 日本史研究者の ピェ-ル=フランソワ ・スイ リが加 わ ると同時 に、雑誌 の副 題 を 『アナ-ルー経済 ・社会 ・文明-』
か ら 『アナ-ルー歴史 ・社会科学 -』 に変更 したのが1994年であ っ たが、以上のよ うにその胎動 は1988年 に始 まっていた のである。 このよ うに、『アナ-ル』 には歴史学 への批判 に真 聾 に答えようとす る姿勢が見 られ るが、第3世代 の編 集部 には 「歴史学 の危機」 を否定 しよ うとす る傾 向 も 見 うけ られ る。1988年12月の ビュルギェ-ルの 日本講 演 も、危機 は社会科学 にあるのであ って、 「歴史学 の 危機」 という認識 は弱か った。 ル ・ゴフも 「たん に歴 史学 の危機ではな くて、社会科学全体 の危機」だ とか、 『アナ-ル』 が 「危機 に臨んで い るな ら、 それ はまた 社会科学その ものが危機 にあるか ら」だ と述べていた。 さ らに、 「歴史学 の危機 とい う仮説 を、安易 に受 け入 れている者 もいるが、われわれ は、 そのよ うな事態 に 立 ちいたっているとは考えない」 とい う 『アナ-ル』 の声明 (1988)もあった。30年 にわたって 『アナ-ル』 の編集 に関与 して きた現代史家のマルク ・フェローも、 『アナ-ル』 の購読者 に歴史家が減 って社会科学者 が 増 えてお り、 「歴史認識 の道具 と しての社会科学 で は な く、社会科学 の方が歴史認識 を持 ち始 め」 たと、歴 史学 と社会科学 との関係の変化 について述べている(4刊。 しか し1991年 に、第4世代のベルナール ・ルプチは、 「批判 的転回」が 「危機 とい う背景 の もとに生 まれた」 とか、運営委員会の方針がよ く知 られていなか った こ ともあ り、『アナ-ル』が 「アイデ ンテ ィテ ィの危機」 にあ るとい う印象 を与 え た と述 べ て い る。 ルプチ は 1986年か ら 『アナ-ル』 の編集 に携 わ り、1992年 か ら は運営委員会 のメ ンバ ーと して、 『アナ-ル』 を 「革 新 と知的実験の場」 にす るのに貢献 して きた。 その彼 が中心 にな って 『アナール』 の 「転回」 を準備 した。 ルプチは、系列史パ ラダイムの影響力 の低下、心性史 の対象 を蘇 らせ る方法 に障害が増 えた こと、 ミクロス トリアの挑戦などの問題 を真撃 に捉 え、歴史学 の方法 論 や認識論 について も積極的 に発言 し、 それが先述 の 『アナ-ル』編集部 の声明 につ なが り、研究対象 の拡散や専門領域 の細分化 に抗 して全体性 を回復す ること への希望 や期待 とな ったので ある。『アナ-ル』 の副 題 の変更 は、 旧副題が多様 なアプ ローチ と多彩 な分析 に対応 しきれな くな った ことを反省 し、 これまでの遺 産 を継承 しっっ、社会史が社会科学 との粋 をいっそ う 強化 し、学 際性 を推 し進 め、 「現在」 への強 い関心 を 維持す ることの宣言で もあ った(4秒。
「
『アナ-ル』 は現代史 の著述 にま った く影響 を与 えていない」 とい う批判 を意識 して、1978年 に ジャッ ク ・ル ヴェルが、『アナ-ル』 に現代へ の関心 を再導 入 したいと述べていたが、実際 にはル ・ゴフが記 した よ うに 「現代史部門への新 しい歴史学 の浸透 は、 きわ めて限定 された もの」 であ り也切、副題 に 「社会科学」 を入れたの は、『アナ-ル』 が 「現代 の事象 に しだ い にかかわ りを もたな くな り、--現代史の研究 にあま り貢献 で きなか った」仏0)ことに対す る反省で もあ った。 これまで、主 に中世史や近世史の分野で 「新 しい歴史」 を切 り開いて きた 『アナ-ル』が、 この間、 マル ク ・ フェローが中心 にな って 「ソヴィェ ト史」
(1985年4 号) や 「フ ァシズムとナチズム」
(1988年3号) の小 特集 を編み、 また、運営委員 の リュセ ッ ト・ヴァラン シが ヴィシー期 の 「反 ユ ダヤ人政策」
(1993年3号) の特集 を組み、その後 も 「ドイツ民主共和国の社会史」 (1998年1号)、「第一次世界大戦 と身体」(2000年1号)、 「パ レスチナの歴史」(2005年 1号) などの特集 を編ん だ ところに も、20世紀史や現代史 のホ ッ トな争点への 関心 の増大 を窺 うことがで きる。 ともあれ、 「ほとん ど1968年 まで、 われわれ は異端 派であ った」 とブローデルが述べたよ うに、歴史学 の 刷新 のために戦 って きたアナール派 は、異端派の学派 と して今後 も存続 で きるのか とい う疑義 が出 され、 1989年以降の第4期 の アナール派 に対 して は、 「過渡 期 の新 しいアナール派 ?」 (アギ- レ ・ロ-ス) と疑 問符っ さで、『アナ-ル』 が模索状態 にあ るとい う評 価 もなされている。 さらに、かつては 「異端派の雑誌」 であ った 『アナ-ル』が、1968年以降、正統派の雑誌 とな って社会 的成功 を収 め、 第3世代 のなか には、 「かっての 『アナ-ル』 の方針 ときっぱ りと手 を切 っ た」者が現 れた とか、
「『アナ-ル』 の精神 とブロー デルの教 えか ら遠 ざか って」行 く者 も出て きたとい う 非難が生 まれた。後者の非難 は、ル ・ゴフか ら 「ブロー デル神殿 の番人」 と榔旅 されたイタ リアの歴史家ル ッ ジェロ ・ロマーノの言葉である。 ブローデル との共著 があ り、高等研究院第6部 の研究主任 も務めた ロマ-ノは、第3世代の歴史家 に見 られ る経済史の軽視や歴 史人類学への傾斜、デュビーの 『ブ-ヴィ-ヌの戦 い』 などを 「ブローデルにたいす る裏切 りであるばか りか、 『アナ-ル』 その ものにたいす る裏切 り」 で もあ った と弾劾 している61)。 ブローデル 自身 も、 自分 とル ・ロワ ・ラデュ リらの 『アナ-ル』第3世代 との問 に見解 の相違や 「衝突」 があ り、 「私 の後継者 たちは、経済 を軽視 して心性 を 研究す るのを好んだのです。 それ は彼 らにとって残念 な ことです。 --・自律的な心性 の歴史 などとい うもの は存在 しません。 ---全体的視野 に立っ歴史を支持す る私が どうしてそれに賛同で きるで しょうか」 と、心 性史 に賛成で きない旨の発言 を していた6詔。 なぜな ら、 心性史が対象 とす る集合心理 は、 ブローデルの歴史的 時間の3層 モデル (構造 ・局面状況 ・事件) の うちの どの層 とかかわるのか暖味であ り、 その結果、3層 モ デルは意味をなさな くなるか らである。 第3世代 の編 集部 はブローデルを追悼す る文章 のなかで、 ブローデ ルが第3世代 の 『アナ-ル』 に留保 を示 し、徐 々に離 れてい った ことに触れつつ、全体史 の旗 を降 ろさない ブローデルに対 して、 「われわれ はよ りローカルな実 験 にふ けってお り、科学的な手続 きが明 らかに もっと 大切 だ と考 えていた」 ので、 「ブローデルの批判 は不 当だ と思われ る」 と、 ブローデル との 「不一致」 を隠 そ うと しなか った脚。 ブローデル と第3世代 の悪化 し た関係 は、死去 したプロ-デルに敬意 を表 して編 まれ た特集号 に第3
世代が執筆 してお らず、第4
世代 のル プチが巻頭言 を記 した ところに も示 されて い るだ ろ う(弧。 それゆえ、 ここには世代 間 の対立 で は片 づ け ら れない方法論上 の問題が伏在 してお り、 これ もアナー ル派が凝集 した学派で はないことを示す例である。 た しかに、1985年11月 にブローデルが死去 してただ ちに 『アナ-ル』
(1986年1号) の中表紙 に、創刊者 フェ-ヴル とブロックの名 と並んで編集長 ブローデル の名 も記 されていたが、1997年1号 か ら2000年4号 ま で ブローデルの名が落 ち、2000年5号か ら2名 の創始 者 に加 えて 「元編集長 フェルナ ン ・ブローデル」 の名 が復活 した65)。 これが ブローデ リア ンの機嫌 を損 ねた ことは理解で きるが、脱 ブローデル化 の動 き、 ない し 「ブローデル帝 国」 の脱構築 を 「裏切 り」 と断定 した奈良女子大学文学部研究教育年報 第3号 り、『ブ- ヴィ-ヌの戦 い』 を 「事件史」 と して一刀 両断するのは行 き過ぎであろう。デュビーが 『ブ-ヴィ-ヌの戦 い』の1985年版 に付 した序言 のなかで、事件の 痕跡か ら構造 に迫 る考えを記 していたが、地表 にある 溶岩 (表層)が火山の爆発 によ って生 じた地 中のマグ マ (深層) の痕跡であるよ うに、消え ることのない痕 跡を残す事件、構造が露出す る事件 もあるはずである。 また、英雄伝 に回帰 したか に見え るル ・ゴフの 『聖王 ルイ
』
(1996)が、 じっ は 「全体 を構造的 に1つの意 味 あ る もの とす る」 主題 と して1人 の人物 を置 き、 「聖 ル イの全 体史 を提 示」 しよ うと した と ころに も 『アナ-ル』 の伝統 を窺 うことがで きる。 ルプチは、 「アナ-ル学派がその使命 を裏切 った とか、存在理 由 を失 った とい うさまざまな批判が有効 なのは、批判 の 中身で はな くて、 そ うした批判が生 まれた社会的な意 味 においてである」 と反論 している60。 第3期 と第4期の 『アナ-ル』では、第3世代 と第 4世代か らなる運営委員会のメ ンバ ーに大幅な入れ替 えはな く、 その意味で連続性が見 られ るが、編集方針 において は第4世代が主導 した 「転回」 を確認す るこ とがで きる。 現代史への関心 の増大だけでな く、第4 期 の 『アナ-ル』 には日本史研究者 スイ リのイニ シア チヴであろうが、 日本 ・中国 ・イ ン ドその他の ヨーロッ パ外 の歴史 の論文や特集(
「日本型労働組織」1994年 3号、 「日本人 の視座 による日本史」1995年2号) が 増 えていることに も、 それは証明 され るだろ う。 さら に、1996年3月 に交通事故で死亡 したベルナール ・ル プチを追悼す るなかで、 アナール編集部 は、 デ ィシプ リンのアイデ ンティテ ィを保持 しっつ学際的な対話 を 推進す る決意 を新 たに している6竹。 4 21世紀の社会史 に向けて 以上、 「歴史学 の危機」 と 『アナ-ル』 の対応 を見 て きた。 「歴史学 の危機」 を考察す る研究者 の間か ら 新 たな動 きも始 まっていた。 シャルチエやギ ンズブル グの知 的営みがそれを示 している。歴史学への批判 に 対 して は、読解 の歴史学 を推進す るシャルチエが 「表 象 としての世界」や 「今 日の歴史学」、「へイ ドン ・ホ ワイ トへの4
つの質問」6秒を著 して、「社会的なるもの の文化史」 や権力行使 の形態 と文化的プ ラテ ィックの 結合、表象研究 などを提案 し、 ギ ンズブルグは、物語 的次元 を自覚す ることは、歴史叙述が持っ認識力 の強 57 化 につなが ると述べ、歴史 における立証 とレ トリック の両立可能性を主張 していた69)。ナタ リー ・ゼ-モ ン ・ デーヴ ィスの 『古文書 の中の フィクシ ョン』
(1987) も、「言語論的転回」 を意識 して書かれている。 また、 サイ- ドの言 う 「対位法的読解」 によ って、 「か らま りあい重 な りあ う歴史」(60)を肺分 けす る方法 も重要 な 視点 だろ う。 「言語論的転回」 の旗手であ ったへイ ドン ・ホワイ ト白身 も、歴史相対主義的な自説がホロコース トを否 定す る歴史修正主義 に利用されたことを踏まえて、 フィ クションと歴史 を区別す る方向- と軌道修正 して いる し、 ポス ト構造主義 の理解者で もあ ったテ リー ・イー グル トンは、ポス トモダニズムが過度の相対主義 に陥 っ て普遍 的な価値 を否定す ることを批判 した(61)。 この よ うな問題 はあるが、歴史学 にとって 「言語論的転回」 の意義 は、中村政則がまとめたように、第1に、実証 主義的な歴史学が永遠 の真理 を描 いたとい う 「神話」 を解体 した こと、第2に、歴史家の中立性 ・客観性 は 自明な ものでな くな ったこと、第3に、歴史叙述 のあ り方 に反省 を迫 った こと、第4に、歴史 は書 かれ るこ とによ って歴史 となるがゆえに、史料や事実 につ いて の再検討 を迫 った ことにあるだろう(Sa。 われわれ歴史家 は、実証研究 に安住 して素朴実証主 義 に退行す ることな く、歴史研究の細分化 と記号論 に よる挑戦 とい う 「歴史学の危機」 を熟考 し、 アナ-ル 第4世代 の行方 を見守 りつつ、 自己の研究方法 を絶 え ず吟味 し反省す る必要がある。 社会史パ ラダイムの新 たな転回 は、 そ うした地道 な積 み重ねか ら生 まれ るは ずであ り、それ こそが21世紀 の社会史 に求 め られて い る ものだ ろう。 注(1)AntoineProst,,"0d val'histoiresociale?'',
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Z
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59
d'un m
o
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u e '', Storia della storiograjia,no.24,1993,p.143.(32) Lynn Hunt,"French Hsitory in the Last
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(
4
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(48) 以 上 、 "Histoire et sciences sociales: Un tournantcritique?",op・cit・,p・293;Bernard
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(49) H.L.Wesseling,"TheAnnalesSchooland theWr・itingofContemporaryHistory",Review,
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Ibid・,p・18:LeGoff,"L'histoirenouvelle",opt cit.,p.235.邦訳、114頁。
(50) 竹 岡敬温
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『アナール』 学派 の方法 につ いて-「事件」概念の再検討 と政治史 の復権-
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『地 中海』 の誕生」 ウォー ラーステイ ンほか (尾河直哉訳) 『入 門 ・ブローデル』藤原 書店、2003年、94-99貢。『ル ・ゴフ自伝』225貢。 (52) Review,vol.1,nos.3-4,1978,pp.255-256. ピェ-ル ・デ ックス (浜名優美訳)『ブローデル伝』藤 原書店、2003年、564頁。 『プロ-デル 歴史 を語 る』279頁。(53) "Fernand Braudel1902-1985",Annales,Esc,
41eannee,no.1,1986,p.6.
(54)BernardLepetit,"Espaceethistoire,Hommage
a
FernandBraudel",Annales,ESC,41e annee,no.6,1986,pp.1187-1191. (55) ブローデルの名前が消えた り復活 した理 由につい て、2006年3月9日に 『アナ-ル』編集部 に問い 合わせたが、 いまだ回答 は得 ていない。 (56) ジ ョル ジュ ・デュ ビー (松村剛訳) 『ブ-ヴィ-ヌの戦 い』平凡社、1992年、4-5貢。 ジャック ・ ル ・ゴフ (岡崎敦 ほか訳) 『聖王 ルイ』新評論、
2001年、20、31頁。BernardLepetit,"Histoire II
despratiques,pratiquedel'histoire,optcit・,
p.13.
(57) Lucette Valensi, "Bernard Lepetit: Un histor・iendesvillesetdel'espace",LeMonde,
奈良女子大学文学部研究教育年報 第3号
Lepetit'',Annales,HSS,52eannee,no.5,1997,
pp.965-966.
(58) Roger Chartier,"Quatrequestions
a
Hayden W hite",Storia della storiograjia,no.24,1993,pp.133-142.ホ ワイ トへ の 4つ の質 問 とは、 第 1 に、 ポス ト ・ソ シュ-ル派 の言語学 と歴史 家 の 自 由を文学 的造物主 と して主張で きるのか、第2に、 歴史状況 の相違 を無視 して詩 的言語学 的比 職 を適 用 で きるのか、第3に、歴史 の知 が フ ィク シ ョン の知 と同 じと して も、史料 ・デ ー タ ・仮説 ・解 釈 とい った歴 史 の方 法 を ど う考 え るのか、 第4に、 証人 の信頼 性 や テ クス トの客観 性 の問題 を看過 す るテ クス ト研究 に、記号論 的 アプ ローチを用 い る 61 ことが で きるのか、 で あ る。 伽) カル ロ ・ギ ンズ ブル グ (上 村 忠 男訳 ) 『歴 史 を逆 なで に読 む』 みすず書房、 2003年 、 42貢。 (60) サ イ - ド (大 橋 洋一 訳 ) 『文 化 と帝 国主 義1
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み すず書房 、 1998年、 56頁。(61) Hayden W hite, The Content of the Form,
Baltimore,1987,pp.76-80.リチ ャー ド・∫ ・エ ヴ ァ ンズ (今 関恒 夫 ・林 以 知 郎 監訳 ) 『歴史 学 の 擁 護 』 晃 洋 書 房 、 1999年 、 100-101頁 。 テ リー ・ イ ー グル トン (森 田典 正 訳 ) 『ポ ス トモ ダニ ズ ム の幻想』大 月書 店、 1998年。 (62) 中村 政 則 「言語 論 的転 回以 後 の歴 史 学
」
『歴 史 学 研 究』 779号、 2003年、 34頁。 ガ リマール社刊行の 「新 しい歴史」関係の発行部数 (1989年1月) 著 者 名 書 名 出 版 年 単 行 本 ペーパーバック版 合 計 E.ル .ロワ .ラデユリ モンタイユー 1975 157,540 31,000 188,540 ミシェル .フ-コ- 狂気の歴史 1972C1961 12,100 117,500 129,600 ミシェル .フーコー 言葉 と物 1966 111,560 - 111,560 ジョルジュ .デユビー 大聖堂の時代 1976 75,500 - 75,500 ジョルジュ .デユビー ブ-ヴイーヌの戦い 1973 29,130 25,000 54,130 フランソワ .フユレ フランス革命を考える 1978 13,000 40,000 53,000 モナ .オズ-フ 革命祭典 1976 7,400 15,000 22,400 ジャック.ル .ゴフ 煉獄の誕生 1981 16,000 - 16,000 ナタン.ワシユテル 敗者の想像力 1971 9,500 - 9,500出典 :PhilippeCarrard,PoeticsoftheNewHistoTy,FrenchHistoricalDiscoursePom BraudeltoChartier,Baltimore,
1992,p.136.よ り作成。
追 記 校 正 中 に Andre Burgiere,L'Ecole desAnnales,Paris,2006.を入 手 したが、 本 稿 で は参 照 す る ことがで きなか った。
WA
TANABE
Kazuyuki
School of Annales has contributed to deepen the historical studies and to spread the territo-ries of historians since 1929. Historical studies have developped from a geographical history or a structural history Chistoire totale) to an anthro-pological history Chistoire des mentalites).
The age of Annales are divided into four peri-ods. The first is an time of founders, Lucien Febvre and Marc Bloch from 1929 to 1956. Fernand Braudel who had succeeded the direction of review "Annales" from Febvre leaded in the second period 0956-1969). Jacque Le Goff and Emmanuel Le Roy Ladurie in succeSSIOn of Braudel had conducted Annales from 1969 to 1989.
Since 1989, the fourth generation of Annales, that is to say, Jacques Revel, Andre Burguiere, Roger Chartier, and Bernard Lepetit have been protagonists of social history.
However in the 1980s, the historical studies have just confronted two difficulties which we call it "crises of history". One is a segmentation of historical researches and the other is a episte-mological challenges of post-modernism, that is to say, linguistic turn. How does the forth gen-eration of Annales think of crises of history? These are my probelmatiques that are needed to resolve.