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第3章 海軍整備とハルの対日政策1938-1940→準備はいいかの時代

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第 5 章 真 珠 湾 ―アメリカにとっての「戦 争 突 入 への最 善 の方 法 」 1 問 題 の所 在 と限 定 ハ ル の 日 米 通 商 航 海 条 約 破 棄 に 引 き 続 き 、 第 二 次 世 界 大 戦 勃 発 と 第 三 次 海 軍 拡 張 法 の 成 立 の な か で 、 対 日 政 策 が 経 済 制 裁 、 対 日 戦 決 意 へ と 転 換 さ れ て い く 状 況 を 海 軍 増 強 と の 関 連 を 軸 に 検 討 し 、 ア メ リ カ の 第 一 の 敵 で あ る ド イ ツ 打 倒 の た め に 、 日 本 か ら 仕 掛 け さ せ る こ と に よ っ て 戦 争 突 入 の 最 善 の 方 法 を 選 択 し 、 圧 倒 的 な 海 軍 力 に よ り 、 戦 後 ア メ リ カ に よ る 自 由 貿 易 体 制 を 達 成 す る 状 況 を 検 証 す る 。 2 第 二 次 世 界 大 戦 の勃 発 と第 三 次 海 軍 拡 張 法 (1)第 二 次 世 界 大 戦 の勃 発 ① 大 戦 勃 発 と戦 略 なき海 軍 整 備 1 9 3 9 年 夏 、 ヨ ー ロ ッ パ で 戦 争 が 始 ま っ た が 、 ア メリ カ 人 の 誰 も が 、 ど ん な 形 に せ よ 、 ア メ リ カ 軍 が ヨ ー ロ ッ パ の 戦 闘 に 参 加 す る こ と は よ も や あ る ま い と 思 っ て い た。ルーズヴェルトもハルもアメリカはその局 外 にあるという国 民 の意 向 と表 向 き には同 じく していた。 ルーズヴェ ルトは、三 選 に向 けた大 統 領 選 挙 戦 でも、その 可 能 性 を否 定 しアメリカ軍 がヨーロッパ戦 線 に送 られることはありえないと繰 り返 し述 べていた。一 方 で、1939 年 9 月 5 日 、ルーズヴェルトとハルは中 立 を宣 言 は す る が 、 若 干 の 修 正 を 議 会 に 要 請 し 、 イ ギ リ ス と フ ラ ン ス に 有 利 な 中 立 法 の 実 践 を求 めていた1 合 衆 国 艦 隊 は戦 略 的 指 向 がないまま、南 カリフォルニアの母 港 に停 泊 してい た 。 海 軍 は 予 算 獲 得 用 の オ レ ン ジ ・ プ ラ ン に 示 す 艦 隊 決 戦 概 念 に 執 着 し て い たが、政 治 的 なバックアップに欠 けたものであった。 大 戦 勃 発 が 世 界 的 様 相 を 示 す な か で 、 ア メ リ カ 海 軍 に と っ て 、 1 9 3 8 年 の 第 二 次 海 軍 拡 張 法 以 来 の 本 土 お よび 西 半 球 の 防 衛 が 海 軍 予 算 獲 得 の 最 も 説 得 力 の あ る 理 由 で あ ったが 、 こ れ でヨ ー ロッ パ の 戦 争 に コ ミ ッ ト す る こ と では なか っ た 。 1 9 3 9 年 の レ イ ン ボ ー 戦 争 計 画 を 最 優 先 し て 、 陸 軍 は 海 軍 の 作 戦 基 地 の 防 御 に あ た り 、 ア ラ ス カ か ら ハ ワ イ 、 パ ナ マ 運 河 、 カ リ ビ ア 海 に 防 御 線 を 形 成 することで議 会 の承 認 を得 ていた。陸 軍 としては西 半 球 のラテンアメリカの親 枢 軸 国 にドイツの空 軍 基 地 が設 置 されるかどうかが関 心 事 であった。

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1940年 5 月 10 日 、ナチス・ドイツ軍 の西 方 大 攻 勢 が始 まった。24 日 、ダン ケルク、26 日 、オランダ、ベルギーに侵 入 したとき、チャーチル首 相 は、アメリカ が ア イ ル ラ ン ド 防 衛 に 参 加 す る こ と 、 日 本 制 圧 の 全 責 任 を 取 る こ と 、 イ ギ リ ス へ の軍 事 物 資 の供 与 をルーズヴェルトに求 めた。1940年 5 月 22 日 、ルーズヴェ ルトは陸 軍 省 の武 器 及 び軍 需 品 を急 ぎ余 剰 物 資 として提 供 することにし、194 0年 6 月 10 日 ヴァージニア州 、シアトルビルで演 説 して、一 歩 進 んだ考 えを示 し 、 ア メ リ カ の 物 資 は 侵 略 に 敵 対 す る 国 に 供 す る こ と が 約 束 さ れ 、 航 空 機 、 駆 逐 艦 、銃 砲 その他 の軍 需 品 の供 与 が始 まった。 極 東 で は 日 本 が 日 中 戦 争 の 泥 沼 に 落 ち 込 ん で い た が 、 ア メ リ カ が ヨ ー ロ ッ パ の植 民 地 をアジアで防 衛 することはできなかった。ルーズヴェルトは海 軍 戦 略 を 導 く 基 本 的 な意 思 決 定 を求 め られ てい たが 、 慎 重 に 世 論 の 動 向 を推 し量 っ て いた。しかし世 論 はなお 2 分 した状 態 であり、ルーズヴェルトの意 思 決 定 はさら に遅 れることになった2 1940年 5 月 、ルーズヴェルトは、太 平 洋 艦 隊 のハワイ常 駐 を命 ずる。艦 隊 司 令 官 リ チャ ードソンは 何 度 も海 軍 作 戦 部 長 に書 簡 を送 り、その理 由 を質 すが、 スタークの答 えは、日 本 に対 する抑 止 であるという。リチャードソンは、「われわれ の防 衛 の重 点 は西 半 球 防 衛 レインボー 1にあるのであり、西 半 球 防 衛 にハワイ は 適 当 では な い 。 」 と 述 べ 、 彼 は 政 府 へ の 批 判 も 含 め 「 ア メリ カ の ア ジア へ の 国 益 は少 なく、第 2 の問 題 であり、ドイツ問 題 が重 要 だ」と強 調 した。明 確 な国 家 政 策 等 も な く 、 明 白 な 安 全 保 障 に 必 要 な 兵 力 整 備 も 、 戦 時 の 作 戦 も で き な い という。1940 年 10 月 には、ルーズヴェルトに直 言 するが、受 け容 れられなかっ た。 戦 略 と海 軍 整 備 には長 期 にわたるギャップが存 在 していた。ルーズヴェルトは リ チ ャ ー ド ソ ン が 考 え て い る 以 上 に ア メ リ カ 海 軍 は 強 力 だ と 考 え て い か も し れ な い。議 会 から政 治 姿 勢 を要 求 され、ルーズヴェルトとハルはアメリカを戦 争 圏 外 に置 きながら、ドイツの攻 勢 と日 本 の膨 張 を止 めるという綱 渡 りを試 みていた。 ② フランス降 伏 と戦 争 準 備 1940年 6 月 14 日 、フランスの降 伏 のもたらした影 響 は、アメリカの安 全 保 障 の構 図 を全 面 的 に塗 り替 えた。1940年 7 月 、ルーズヴェルトは閣 僚 に陸 軍 長

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官 と し て 、 共 和 党 内 閣 で 陸 軍 長 官 、 国 務 長 官 を 歴 任 し た ス チ ム ソ ン 、 海 軍 長 官 と し て 、 前 回 の 共 和 党 副 大 統 領 候 補 で あ っ た ノ ッ ク ス ( Frank Knox ) を 迎 え 入 れた。彼 らは高 名 な共 和 党 員 であり、これにより、彼 の大 統 領 三 選 への可 能 性 がいっそう強 化 された。いずれ、この大 戦 へのアメリカ参 戦 は不 可 避 と考 えた ル ー ズ ヴ ェ ル ト は 、 挙 国 一 致 内 閣 を 名 目 に 共 和 党 の 大 物 を 閣 僚 と し て 取 り 組 み 、 共 和 党 を 分 断 し て 大 統 領 選 挙 に 臨 も う と し た 。 閣 僚 の う ち 、 財 務 、 国 務 、 陸 軍 、 海 軍 の 4 長 官 で 戦 争 内 閣 ( プ ラ ス フ ォ ー ) を ご く 内 輪 で 構 成 し た3。 そ の 後 ルー ズ ヴ ェ ルト は ウォ ー ルス ト リ ー ト の 投 資 信 託 会 社 の フ ォ レスタル を海 軍 次 官 に任 命 した。フォレスタルの父 は名 の知 られた民 主 党 員 で、ルーズヴェルトが 28 歳 でニューヨーク州 議 会 議 員 に立 候 補 した時 に世 話 になったのである4 ③ 戦 争 指 導 体 制 ルー ズヴ ェ ルト は 陸 海 軍 長 官 に 代 わ って軍 の 主 要 人 事 を独 裁 す る こ と に な ったが、とくに海 軍 の主 要 人 事 には熱 心 に介 入 した。従 来 陸 海 軍 長 官 の諮 問 機 関 であった統 合 会 議 (Joint Board)を大 統 領 直 接 補 佐 機 関 とした。第 二 次 世 界 大 戦 が 始 ま る と 統 合 参 謀 本 部 で あ る 統 合 参 謀 長 会 議 ( Joint Chief of Staff ) を 作 り 、 軍 事 作 戦 に も 直 接 指 導 で き る 体 制 を 作 り 、 議 長 は 側 近 の リ ー ヒ ー海 軍 大 将 を充 てた。 合 衆 国 艦 隊 司 令 長 官 にはキング(Ernest J. King)を任 命 した。キングは強 い 意 志 と実 行 力 を持 つ、戦 時 型 のトップに相 応 しい提 督 であったが、ノックスやフ ォレスタルを無 視 する態 度 もあり、とても平 時 ならルーズヴェルトの選 択 外 にあっ た人 物 であり、彼 の戦 争 準 備 の決 意 が伺 える。 ④ 経 済 制 裁 発 動

1940 年 6 月 28 日 の国 家 防 衛 法 (National Defense Act)が議 会 で承 認 さ れた。1940 年 7 月 2 日 、国 防 強 化 を促 進 する貿 易 統 制 法 (Export Control Act) に 署 名 して強 攻 策 を履 行 す る 大 統 領 の 権 限 が 拡 大 さ れ た。この 法 律 の 1 条 は 、 ア メ リ カ の 軍 事 上 必 要 に し て 欠 か せ な い 物 資 の 輸 出 す べ て を 規 制 す る 権 限 を 大 統 領 に 与 え た 。 こ の 法 案 を 成 立 さ せ る こ と に よ っ て 、 輸 出 は 制 限 さ れ るか、完 全 に禁 止 された 5。その 3 日 後 、日 本 への軍 事 関 係 物 資 の輸 出 を禁 止 した。1940 年 7月 26 日 、航 空 燃 料 、最 高 級 の鉄 鋼 とくず鉄 が特 別 規 制 の

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対 象 となり、日 本 への輸 出 が停 止 された。 1940 年 9 月 はじめ、日 本 はフラン ス と 条 約 を結 び 、 こ れ に よ っ て イ ン ド ネ シ ア 北 部 へ 日 本 軍 を 平 穏 裡 に 進 駐 さ せ た 。 国 務 省 は ル ー ズ ヴ ェ ル ト の 同 意 を 得 て 、 イ ギ リ ス へ の 援 助 を 拡 大 す る 一 方 で、1940 年 9 月 26 日 、日 本 へのくず鉄 の出 荷 を禁 止 して日 本 のインドシナへ の 動 き に 対 応 す る と と も に 、 こ れ ら の 地 域 の 植 民 地 と し て の 地 位 を 保 全 す べ く 外 交 的 支 援 を 始 め た6 。 12 月 、 銑 鉄 、 鉄 合 金 、 鉄 の 半 製 品 を輸 出 許 可 制 の 下 に対 日 輸 出 をさらに制 限 した。 国 務 省 経 済 顧 問 ファイス(Herbert Feis)は、この処 置 は「言 葉 を実 行 に移 す 橋 渡 し 」 で あ っ た と 考 え た 。 当 時 日 本 は 必 要 な く ず 鉄 量 の 32 % 、 鉄 鉱 石 の 82%をアメリカから輸 入 していたのである。 (2) 第 三 次 海 軍 拡 張 法 の成 立 による「両 洋 海 軍 」建 設 の開 始 ① 1941年 度 海 軍 予 算 1941年 度 海 軍 予 算 は、1938 年 の海 軍 拡 張 法 に基 づく海 軍 整 備 の延 長 に あった。下 院 海 軍 省 予 算 小 委 員 会 の審 議 は 1940 年 1 月 4 日 から 17 日 まで 8 日 かけて行 われた。この間 ヨーロッパ戦 線 は奇 妙 な戦 争 といわれる戦 闘 のな い状 態 が続 いており、上 院 予 算 委 員 会 の審 議 は 5 月 15 日 に予 定 されていた。 5 月 10 日 ドイツ軍 の西 方 大 攻 勢 が開 始 され、めまぐるしく状 況 が変 化 していく 中 で、審 議 しているものが古 くなる状 況 で上 院 修 正 案 を加 えて 27 日 まで審 議 が 延 長 さ れ た 。 下 院 海 軍 予 算 は A 予 算 ( 平 時 ) で あ っ た も の が 、 上 院 で は B 予 算 (緊 急 )として8万 8000ドル追 加 された。その後 、次 々と 4 回 補 正 予 算 が追 加 されることになった7 ② 空 母 重 視 の両 洋 艦 隊 ドイツはフランス艦 隊 の喪 失 と大 西 洋 に面 する U ボート基 地 を建 設 すること により、 U ボート 戦 を有 利 に 展 開 し、 一 方 船 団 護 衛 のイギリ ス艦 隊 は 手 薄 に な ったが、アメリカの主 要 艦 隊 は太 平 洋 にあった。 強 力 な両 洋 艦 隊 の必 要 性 が強 調 された。閣 議 でこの問 題 が討 議 されたと き、 ハ ル は 太 平 洋 艦 隊 が 同 時 に 大 西 洋 を カ バ ー す る よ う に 艦 隊 の 行 動 範 囲 を 拡 大 する こと は両 方 が うま くいかなく なるこ とだと強 調 した。 アフ リカのフ ランス艦 隊 基 地 に関 してヴィシー政 権 の行 方 がハルの頭 痛 の種 になっていた。

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大 西 洋 艦 隊 司 令 官 キン グ 中 将 は 大 西 洋 で 船 団 護 衛 を開 始 し てお り 、 大 西 洋 の戦 略 的 島 嶼 の占 領 を計 画 中 であった。まずナチスからの占 領 を未 然 に 防 止 するためにグリーンランド占 領 とアイスランドに米 軍 基 地 を設 置 することになっ た8 。 海 軍 は 久 し く 大 西 洋 方 面 の 基 地 を 増 や し た い と 考 え て お り 、 枢 軸 国 か ら わ れ わ れ を 守 っ て い る 英 艦 隊 の 力 を わ れ わ れ の 駆 逐 艦 で 増 強 す る の だ か ら 、 われわれの防 衛 を強 めることになると考 えていた。 ハルの脅 威 の認 識 には、潜 水 艦 戦 の危 機 についても学 んでいた9。1940 年 8 月 4 日 、イギリス駐 米 大 使 ロシアン(Philip K. Lothian)がハルに駆 逐 艦 が毎 週 で 5 隻 喪 失 し て い る と い う ド イ ツ U ボ ー ト と の 大 西 洋 の 戦 い ( The Battle of Atlantic)のすさまじさを説 明 した。 海 軍 基 地 貸 与 協 定 (駆 逐 艦 ―基 地 協 定 ) が 1940 年 9 月 2 日 に成 立 し、50 隻 の駆 逐 艦 をイギリスに貸 与 し、アメリカは 99 年 間 、西 インディ、バーミューダ、ニューファンドランド基 地 の使 用 権 をえるこ とになった1 0。アメリカの海 上 正 面 が大 西 洋 に数 100 マイル拡 張 したことになっ た 。 フ ラ ン ス が ド イ ツ に 降 伏 し た 6 月 14 日 に 第 三 次 海 軍 拡 張 法 ( Naval Expansion Act of 1940)が成 立 して、ルーズヴェルトは艦 隊 の 11%増 を認 めた。 しかし、その計 画 はすぐに古 いものとなり、海 軍 省 は 17 日 には、四 次 計 画 とし て 75%の増 勢 を要 求 して「両 洋 海 軍 」(Two-Ocean Navy)と呼 ばれる 125 万 ト ン、現 存 の 2 倍 、40億 ドル、軍 用 機 15,000 機 に達 する計 画 を議 会 に要 求 して 承 認 を得 た。 第 二 次 海 軍 拡 張 法 と 異 な る の は 、 海 軍 省 は 、 建 艦 プ ロ グ ラ ム の 説 明 と し て 、 フ ァ シ ス ト 諸 国 お よ び 日 本 の 侵 略 の 時 期 に 、 ア メ リ カ 本 土 、 大 西 洋 ・ 太 平 洋 両 岸 を同 時 に防 衛 する手 段 として同 計 画 を正 当 化 したことであった1 1 ヨ ー ロ ッ パの 戦 況 に 対 応 し て計 画 中 の 海 軍 軍 備 が 極 め て大 幅 に 増 強 さ れ て い る に し ては 、 戦 略 な き 海 軍 整 備 で あ り 、 以 前 と し て 本 土 防 衛 以 上 の も の で は な か っ た 。 「 ど こ で 戦 う の か 、 目 的 は 何 な の か 」 と い う 方 向 性 は あ い ま い の ま ま で あった。それでも海 軍 の質 的 な整 備 方 向 は、空 母 重 視 であった。1939 年 11 月 、 海 軍 作 戦 部 長 スターク大 将 は、4 万 5000 トン級 の戦 艦 2隻 を大 統 領 に認 めさ せ、既 に認 可 されているものを含 めると総 計 12 隻 の新 鋭 戦 艦 が建 造 されること になった。この間 、空 母 建 造 は戦 艦 に遅 れをとり、1936 年 4 月 から 1941 年 4

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月 までの 5 年 間 に 1 隻 が起 工 されただけだった。しかし、ヨーロッパでの空 中 戦 がもたらす衝 撃 によって逆 転 し、1940 年 7 月 から「エセックス」型 空 母 8 隻 が発 注 され、これ以 降 、戦 艦 は 1 隻 も発 注 せず、結 局 戦 艦 2 隻 は建 造 が取 りやめ になった。 1940 年 計 画 の両 洋 海 軍 はしばらく海 上 に現 れることはなく、結 論 の項 で示 す ように、この「エセックス」級 が就 役 するのが、1942 年 後 半 からであり、その後 日 本 海 軍 を圧 倒 する原 動 力 となる。戦 艦 は、海 戦 の主 力 艦 として戦 うことなく、着 上 陸 侵 攻 時 の援 護 射 撃 の役 割 に転 じてしまった1 2 即 応 性 に 関 し て は 問 題 が あ っ た 。 「 わ れ わ れ は 準 備 が で き て い る か 」 と い う 問 題 は、報 告 書 として 1941 年 6 月 に海 軍 作 戦 部 長 へ送 付 された。参 謀 会 議 に よ る と 「 ア ジ ア に お け る こ の 問 題 は 、 ほ ぼ ヨ ー ロ ッ パ で 決 定 さ れ る だ ろ う 」 と い う 。 西 半 球 を防 衛 するために、報 告 は続 けて「われわれは、問 題 なくイギリス連 邦 と ヨ ー ロ ッ パ の 政 治 的 、 軍 事 的 な 力 か ら 西 半 球 に お け る 総 合 的 な あ る 範 囲 を 守 るために戦 争 に突 入 する。」という。 し か し 、 海 軍 は ま だ 両 洋 戦 争 の 準 備 は で き て い な か っ た 。 参 謀 会 議 に よ る と 「海 軍 は戦 争 に必 要 とする戦 艦 の 40%しかなく、重 巡 洋 艦 は 60%、軽 巡 洋 艦 は 30%、駆 逐 艦 が 40%」だという。実 際 問 題 として、海 外 に軍 隊 を輸 送 すると い う 考 え は な か っ た 。 ま た ヨ ー ロ ッ パ 大 陸 で 戦 争 を 遂 行 す る 後 方 支 援 に も 考 え が及 んでいなかった。もちろん太 平 洋 だけでも、両 洋 でも準 備 はできていなかっ た。 (3) 大 西 洋 第 一 ・太 平 洋 防 御 戦 略 ① 大 西 洋 第 一 ドイツと 日 本 の 脅 威 に対 して、 アメリ カの安 全 保 障 はヨ ーロッ パの 秩 序 に 依 存 し て い る こ と が 明 確 に な っ て き た 。 フ ラ ン ス 、 オ ラ ン ダ の 敗 北 に よ っ て 、 南 米 お よ び南 太 平 洋 の植 民 地 がドイツの影 響 下 に入 る緊 急 性 とイギリスの敗 北 はカリブ 海 とアジア全 体 に及 びアメリカ本 土 、その海 外 領 土 への安 全 保 障 に係 わること が明 白 になった。 1940年 11 月 、海 軍 作 戦 部 長 スタークは戦 略 目 標 に関 する覚 書 きを回 覧 し た。スタークは海 軍 を戦 略 無 きまま放 置 した状 態 にさせたくなかった。彼 の上 司

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に な る ル ー ズ ヴ ェ ル ト 大 統 領 、 ノ ッ ク ス 海 軍 長 官 に 海 軍 を 「 ど こ に 指 向 さ せ る の か 」 と 意 思 決 定 を 求 め た 。 大 統 領 選 挙 も 終 わ っ て時 期 を 得 た も の と 考 え ら れ た からだ。 ス タ ー クは ア メ リ カ が さ らに 援 助 し な け れ ば 、 イ ギリ ス は 長 期 に わ たる 戦 争 は で きないと考 えてはいたけれども、イギリスの持 久 力 のお陰 で、アメリカは一 息 つけ る時 間 ができた。1940 年 9 月 、海 軍 基 地 交 換 協 定 が成 立 して、アメリカはより ヨ ー ロ ッ パの 紛 争 に 足 を 一 歩 踏 み 入 れ る こ と に な っ た 。 イ ギ リ ス は さ らに 北 大 西 洋 およびシンガポール向 けのアメリカ艦 艇 の支 援 を求 め、スタークは答 えねばな らなかった。 ス タ ー ク の 覚 書 き の な か で 、 軍 事 と 外 交 に は 国 家 目 標 を 知 る 必 要 が あ り 、 二 つ の 基 本 的 問 題 に 対 応 す る 必 要 が あ る と 主 張 し た 。 「 ど こ で 戦 う の か 、 目 的 は 何 な の か 」 と い う こ と で あ る 。 ス タ ー ク に よ る と 「 私 と し て は よ り 論 理 的 な 計 画 を 立 て、 海 軍 力 をより適 切 に 配 置 し、 利 用 で き る 海 軍 力 が 外 交 手 段 を十 分 に 支 援 す る こ と が で き る 。 わ れ わ れ の 最 終 的 な 軍 事 目 的 が 公 式 に 回 答 さ れ る ま で、 規 模 または努 力 目 標 を決 定 することはできない。海 軍 の努 力 目 標 は、極 東 か、太 平 洋 か、大 西 洋 なのかということである1 3 政 治 的 意 味 合 い の 深 い 抽 象 的 で 不 完 全 な レ イ ン ボ ー ・ プ ラ ン を 真 の 軍 事 戦 略 に作 り変 えるために、スタークがルーズヴェルトに要 求 した 4 つの選 択 とは、 次 の も の で あ っ た 。 そ の 1 に 、 ア メ リ カ は 西 半 球 防 衛 に 基 本 的 な 軍 事 的 努 力 を置 くべきか。その2に、オランダ、イギリスの支 援 をして日 本 に全 面 的 攻 勢 をか け る べ き か 。 そ の 3 に 、 ヨ ー ロ ッ パ の イ ギ リ ス 、 極 東 の イ ギ リ ス 、 オ ラ ン ダ 、 中 国 に 軍 事 支 援 を 与 え る 計 画 を 立 て る べ き か 。 そ の 4 に 、 ア メ リ カ の 努 力 は イ ギ リ ス を 同 盟 国 として大 西 洋 に強 力 な攻 勢 を直 接 指 向 すべきであり、太 平 洋 は防 御 で あるべきか。この第 4 の選 択 はドック(D)プランとして知 られているものである。ル ーズヴェルトはスタークのリストを読 んだも のの、どれも選 択 しなかったのである。 論 理 と し て Dプラン が 導 かれ 、 戦 時 の ア メリ カ 勝 利 戦 略 の 礎 石 と なっ た も の であ る 。 ルイス ・ モー ト ン は 著 書 『 指 揮 官 の 決 定 』 の な かで、 「 第 二 次 世 界 大 戦 の 戦 略 の進 展 のなかでも、スタークの覚 書 きを最 大 に重 要 なドキュメントである」と述 べている1 4

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ス タ ー ク は ル ー ズ ヴ ェ ル ト の 不 決 断 に 直 面 し て 、 「 ア メ リ カ は ど こ で 戦 争 を 行 う の か 。 そ し て ど の 目 標 の た め に 戦 う の か 。 」 と 自 問 し て 、 彼 の 答 え は 「 ド イ ツ に 勝 利 するために、ヨーロッパ第 1 であり、イギリスとの同 盟 によって大 西 洋 で強 力 な 攻 勢 作 戦 を取 る。」というものであった。スタークの注 目 点 は支 援 から戦 争 参 加 、 太 平 洋 から大 西 洋 へ、西 半 球 防 衛 からヨーロッ パ大 陸 に 参 入 する 海 外 にお け る 攻 勢 作 戦 に 転 換 し た点 であ る 。 こ れ に よっ て、 太 平 洋 に 指 向 して い た陸 軍 も 海 軍 も逆 展 開 したこ とになる。それも中 立 志 向 の 強 かった最 中 に、 アメリカを同 盟 戦 争 に振 り向 けたものである。 安 全 と繁 栄 のため、アメリカ合 衆 国 は大 西 洋 、ヨーロッパの市 場 とその植 民 地 へのアクセスの自 由 な利 用 を堅 持 せねばならない。そのためにドイツを敗 北 され ねばならない。これは、その後 1941 年 5 月 、ハルが全 国 放 送 で宣 言 した内 容 と 一 にするものであった。 スター クは国 家 が 戦 争 目 的 をまず 考 え、それ を軍 が達 成 する道 を考 えてい た。 彼 は「ヨーロッパ大 陸 のドイツの席 巻 を破 壊 しなければならない。」と述 べ、如 何 にイギリスを支 援 したからと言 って、ヒットラーを打 ち負 かすことはできない。確 か なことは、イギリスの生 き残 りは緊 急 にして最 優 先 事 項 である。イギリスが降 伏 し て、 イ ギリ ス連 邦 が 崩 壊 す れ ば 、 ア メリ カ 合 衆 国 は その 貿 易 ルー ト が 閉 ざ さ れ る 危 機 に 曝 さ れ る 。 貿 易 と 原 材 料 な しに は 、 ア メリ カ 合 衆 国 経 済 は 崩 壊 す る で あ ろ う 。 ア メ リ カ は 必 要 な 武 器 さ え も 生 産 す る こ と が で き な く な る 。 も し イ ギ リ ス が 降 伏 す れ ば 、 西 半 球 は 枢 軸 国 の 侵 入 に 晒 さ れ る で あ ろ う 。 も し イ ギ リ ス が 降 伏 す れば、敵 と戦 う前 進 基 地 を失 うことになる。ドイツの占 領 したヨーロッパに爆 撃 を 加 えることも攻 めることもできなくなる1 5。以 上 のスタークの考 えは、第 1部 4 章 3 の叙 述 内 容 に符 合 するものである。 一 方 ルーズヴェルトは明 確 な意 思 決 定 で縛 られたくなかった。大 統 領 はアメリ カ 軍 事 力 が 不 十 分 だ と い う理 由 でアクシ ョ ン を避 けたかった。 彼 は 、 いず れ ア メ リカが参 戦 せざるをえないと戦 争 準 備 体 制 を築 きながら、一 方 でアメリカを戦 争 の蚊 帳 の外 におきたかったのかもしれない。1940 年 の夏 になると西 半 球 への脅 威 は 減 ってい た。 そ の 後 も ルー ズヴ ェ ルト は イギリ スの 支 援 以 上 に 行 動 す る こ と はなかった。

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ル ー ズヴ ェ ル ト の 政 策 で は ヨ ー ロ ッ パ 第 一 で は あ る け れ ど も 、 中 国 を 支 援 しつ つ、日 本 の拡 大 に対 抗 することと連 動 していた。彼 は国 民 の受 容 性 に目 配 りし ており、ドイツの敗 北 は大 陸 での作 戦 を必 要 とするとするスタークの結 論 には承 認 を与 えなかった。したが って、 陸 軍 は兵 員 が 不 足 してい たが ため、 レイン ボー 5 は、条 件 、時 、それにいかに多 くの兵 員 がヨーロッパで必 要 であるかについて も曖 昧 なままに置 かれていた。 ルーズヴェルトとチャーチルは海 軍 力 と航 空 機 による打 撃 力 を考 えていた。ベ ル リ ン 、 ロ ー マ 、 東 京 へ 数 1 0 0 万 の 兵 士 を 送 り 出 す こ と で は な か っ た 。 内 務 長 官 ハロルド・イッキーズの日 記 には、「1941 年 5 月 の閣 僚 会 議 で、大 統 領 は、ク レ タ と 東 地 中 海 戦 を 説 明 し た 後 、 こ れ は あ た か も わ れ わ れ は マ ハ ン の シ ー パ ワ ー 論 に わ が 軍 事 政 策 を 戻 し て 再 度 戦 略 を 創 設 せ ね ば な ら い の で は な い か 」 と 述 べ て い た 。 ル ー ズ ヴ ェ ル ト の お 見 立 て は 、 イ ッ キ ー ズ に よ る と 「 現 在 の 決 定 的 事 項 は制 海 にある」という1 6 ABC-1 計 画 は、海 軍 大 将 スタークと陸 軍 参 謀 長 陸 軍 大 将 ジョージ・マーシャ ル に よ り 認 め ら れ 、 統 合 陸 海 軍 参 謀 会 議 も こ の 線 に 沿 っ て 戦 争 計 画 を 練 り 上 げることで話 がついた。この計 画 は 1941 年 5 月 には完 成 し、レインボー5 として 組 み 込 ま れた。 レインボー 5計 画 はABC-1 計 画 に 現 実 に 即 した考 え に 対 応 し て改 名 したものである。軍 事 作 戦 計 画 ではないが、その目 的 と使 命 を大 統 領 の 承 認 をえる 必 要 があ った。 しかし大 統 領 は 承 認 しなかったが 、 認 め ない こと でも なかったのである。彼 は付 き返 して主 張 したことは、「国 際 情 勢 は極 めて流 動 的 で あ り 、 ど ん な 戦 争 計 画 を 決 定 す る に も 未 成 熟 だ 」 と い う 。 毎 週 何 か 新 し い こ と が起 こっていた。1941 年 1 月 にルーズヴェルトは軍 関 係 者 に述 べていたが、数 ヶ 月 し て か ら 実 行 さ れ る よ う な 計 画 に 捕 ら わ れ る な 。 わ れ わ れ は い ま 何 が で き る か で 行 動 す る 準 備 が な け れ ば な ら な い 。 」 と い う 。 戦 争 に な っ た 場 合 、 計 画 し た 戦 争 は他 の問 題 になっている1 7 ルーズヴ ェルトは戦 争 前 の足 場 として軍 を進 めることはなかった。彼 の戦 略 は 大 西 洋 、 地 中 海 の 制 海 権 を確 保 する ことにより、 同 時 に英 米 連 合 軍 によるドイ ツ 本 土 の 生 産 地 帯 へ の 空 襲 に よ り ド イ ツ 戦 時 経 済 を 逼 塞 さ せ る こ と が で き る と 考 えていた1 8

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スタークやマーシャルが欲 した誰 と戦 うとか、何 のためにという決 定 事 項 には、 ルーズヴェルトは誰 にも政 策 的 決 定 を示 さなかったのである。少 なくとも 1941 年 の春 ま では、ルー ズヴェルト の 表 向 きの 考 えは、 国 家 は 戦 争 を避 け ると言 うも の だ った。 結 局 、 戦 略 的 ギャ ッ プ が 接 近 し、 ヨ ー ロッ パ第 一 、 連 合 して戦 争 を戦 う というものである。そしてルーズヴェルトも少 なくともヨーロッパ第 一 主 義 に関 する 限 り同 調 していた。 ヘインドリックス(Waldo Heinrichs)によると、1941 年 春 のスタークの積 極 的 な船 団 護 衛 の熱 意 は、「イギリスをこれ以 上 失 わせることのないように、海 軍 はイ ギ リ ス 船 を 救 う た め に 大 西 洋 の 戦 い に 参 加 し な け れ ば な ら な い 」 と 信 じ た こ と が 大 きな動 機 になっていた1 9 哨 戒 の準 備 、船 団 護 衛 、戦 争 の可 能 性 が 1941 年 に意 味 を持 ったものであり、 海 軍 大 将 キングが 1941 年 3 月 、指 揮 下 の大 西 洋 艦 隊 に送 ったメッセージは、 「われわれがもてるもので最 善 を尽 くせ」であった。1941 年 5 月 になると、スター ク は 数 隻 の イ ギ リ ス 主 力 艦 が シ ン ガ ポ ー ル に 移 動 で き る 見 通 し が つ い た た め 、 太 平 洋 艦 隊 の 4 分 の 1 を大 西 洋 に移 す命 令 を送 った。航 空 母 艦 「ヨークタウ ン」、4 隻 の軽 巡 洋 艦 、2個 駆 逐 隊 である。 D プ ラ ン は 陸 海 軍 統 合 戦 争 計 画 に 組 み 込 ま れ て い っ た 。 イ ギ リ ス は ス エ ズ 運 河 以 東 の イ ギリ スの 覇 権 が 関 わ っ てい た と し ても 、 D プラン に 喜 ん でい た。 イ ギリ ス 首 相 に は 分 か って い た こ と で あ る が 、 ド イ ツ に 勝 つ 唯 一 の 方 法 で あ り 、 そ れ に 向 かう第 1 歩 だったのである。1941 年 2 月 、チャーチルは第 1 海 軍 本 部 長 の 海 軍 大 将 ダードレイ・ポンド卿 に、「まずは、アメリカ合 衆 国 を戦 争 に引 きずり込 むことだ、われわれはその後 如 何 に戦 うかが解 決 できる」と述 べている2 0 ② 太 平 洋 防 御 全 面 的 攻 勢 で大 西 洋 を越 えて乗 り出 すことは、太 平 洋 には軍 を残 せないこと を 意 味 し て い た 。 戦 争 資 源 の 有 効 配 分 政 策 を 考 慮 す れ ば 、 ス タ ー ク の 考 え で は、国 家 は極 東 へのコミットメントを減 らすべきであった。日 本 との紛 争 を避 け る ことであった。大 西 洋 攻 勢 、太 平 洋 防 御 、これがスタークの選 択 だった。 大 西 洋 攻 勢 の言 葉 が明 白 になると、太 平 洋 防 御 の言 葉 が曖 昧 になる。政 策 で あ り 、 戦 争 計 画 で も あ る D プラ ン は 答 え ら れ な い 大 き な 問 題 を 残 し て い た 。 防

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御 と い う 意 味 は 、 ア ジ ア の 現 状 の 体 制 を 維 持 す る の か 、 多 少 な り と も ワ シ ン ト ン 条 約 体 制 を再 現 す るのか。日 本 に強 制 してでも、 ヨーロッパの植 民 地 と中 国 だ けを残 すのか。ヨーロッパの戦 争 の状 況 を分 析 すれば、アメリカ合 衆 国 だけが、 こ れ ら の シ ス テ ム で も 強 行 で き た の で あ る 。 こ の こ と は 伝 統 的 な セ ン ス で は 防 御 を超 え てい たし、 大 西 洋 を危 険 に 晒 す こ と に なった。 ま た、 防 御 の 意 味 す る こ と は、フィリピン、中 国 、そしてイギリス、オランダ、フランスの植 民 地 維 持 が極 めて 困 難 な地 域 すべてを日 本 のなすがままに受 容 することになる。防 御 の定 義 から すると現 存 する資 源 へのコミットメントと両 立 しがたいものになっていた2 1 ③ 揺 れる太 平 洋 防 御 1940 年 6 月 25 日 、イギリス軍 総 司 令 部 は、政 府 に対 して国 家 防 衛 のためイ ギリス艦 隊 を太 平 洋 に派 遣 することは不 可 能 であり、中 近 東 から軍 隊 を引 き上 げてアジアに振 り替 えることもできないと通 達 してきた。同 年 6 月 27 日 、イギリス 大 使 は 、 ア ジ ア の 現 状 維 持 の た め に 戦 争 と い う 危 険 を ア ジ ア で 起 こ す こ と は で き な い と 伝 え て き た 。 チ ャ ー チ ル の イ ギ リ ス 政 府 は ド イ ツ の 脅 威 に 完 全 に 曝 さ れ て い た 。 イ ギ リ ス の 軍 当 局 は 、 フ ィ リ ピ ン お よ び イ ン ド シ ナ 以 南 へ の 日 本 の 進 軍 を 阻 止 す る に は 、 マ レ ー 半 島 以 北 の 前 哨 基 地 を 犠 牲 に し て 、 マ レ ー 半 島 お よ びシンガポールに兵 力 を集 中 する以 外 方 法 がないと考 えていた。 1940年 7 月 12 日 、日 本 の要 求 であった中 国 への武 器 その他 の軍 需 品 の 輸 送 を 行 な う 三 つ の 経 路 で あ っ た ビ ル マ ・ ル ー ト を 閉 鎖 す る こ と を イ ギ リ ス 政 府 は受 諾 した。オーストラリア政 府 は、イギリス本 土 がドイツに占 領 される危 機 感 か ら、日 本 に一 時 的 に譲 歩 してもアメリカ艦 隊 を大 西 洋 に移 動 できるようにすべき であるとケーシー(Richard Casey)大 使 を通 じて勧 告 してきた2 2。ここに至 って、 太 平 洋 にあっては「戦 略 的 防 衛 」を維 持 することであった。 一 方 で、フランス降 伏 後 、対 日 経 済 強 硬 策 の主 張 があった。ハルは 1940 年 7 月 、ルーズヴェルトの陸 軍 長 官 となったスチムソンとしばしば談 合 して、スチム ソンの持 論 を聞 かされていた。スチムソンは「ヨーロッパの代 わりにアジアこそ、は っ き り し た 攻 撃 を 開 始 す べ き だ 」 と い う 。 閣 僚 会 議 で も 、 大 統 領 と の 会 談 で も ス チ ム ソ ン は 日 本 に 対 す る 石 油 、 鉄 鋼 、 く ず 鉄 の 船 積 み を も っ と 禁 止 す べ き だ と 主 張 し て い た 。 日 本 は 経 済 制 裁 に 弱 い 、 従 っ て 強 硬 策 が 功 を 奏 す る と 考 え る

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持 ち主 で、ホーンベックの支 持 者 でもあった。アメリカ艦 隊 がハワイからシンガポ ールに移 動 すれば、攻 防 いずれの場 合 もシンガポールはアメリカの優 れた基 地 になると信 じていた。 1940 年 の夏 には、両 洋 艦 隊 法 が議 会 を通 過 し、秋 には イギリスと の参 謀 会 議 、駆 逐 艦 ―基 地 協 定 、ハワ イ艦 隊 常 駐 問 題 、 対 日 スクラ ップ輸 出 禁 止 の段 階 に進 んでいった。 国 務 省 の強 硬 策 支 持 者 の先 頭 は、ハルの政 治 顧 問 スタンレー・ホーンベック であった。日 米 通 商 航 海 条 約 は 1940 年 期 限 切 れになり、アメリカは懲 罰 的 経 済 政 策 をとることが可 能 になった。5 月 24 日 、日 本 の戦 争 準 備 体 制 解 体 の可 能 性 が 急 増 したと 論 じ、 こ の ま ま 、 日 本 へ の 物 資 供 給 を許 さ なけ れ ば 、 日 中 戦 争 それ自 体 が解 消 すると記 していた。 1940 年 4 月 には、アメリカ太 平 洋 艦 隊 の主 力 は、ハワイの前 進 基 地 に移 動 し ており、ルーズヴェルトはハワイに艦 隊 が常 駐 するように命 令 していた2 3。 ハル は、1940 年 6 月 14日 のフランス降 伏 後 もアメリカのアジアへの関 心 が弱 まるこ とはなく、 却 ってアメリカ国 民 は アジアでこ そ強 硬 策 をとること に意 欲 的 だと感 じ ていた。このため、極 東 に対 するイギリス、オーストラリアの提 案 する宥 和 政 策 は なんの効 力 もないと評 した。ハルは、7 月 19 日 に、日 本 との平 穏 な交 渉 を行 な う時 期 は 過 ぎ てしま ったと 感 じてい た。 そして日 本 に 対 す る航 空 用 ガソ リ ン の 輸 出 制 限 を主 張 した。ハルは、7 月 24 日 、アメリカ太 平 洋 艦 隊 がハワイから引 き 上 げることにも強 く反 対 した。これから実 質 的 な完 全 禁 輸 を支 援 するには、ハワ イ に お け る 艦 隊 の 常 駐 が 有 効 で あ る と 考 え た か ら だ 。 ホ ー ン ベ ッ ク の 計 画 に 対 して、財 務 長 官 モーゲンソーの強 力 な支 持 が得 られた。 し か し 、 一 方 国 務 次 官 ウ ェ ル ズ ( Sumner Welles ) 、 極 東 部 長 ハ ミ ル ト ン (Maxwell Hamilton)は、日 本 に対 して、石 油 とくず鉄 禁 輸 を行 なってこれ以 上 圧 力 をかけ る 提 案 に は 反 対 であ った。 海 軍 作 戦 部 長 スター ク提 督 、 陸 軍 参 謀 総 長 マーシャル将 軍 もアメリカの対 日 禁 輸 がオランダ領 東 インド諸 島 の石 油 資 源 を獲 得 するため南 進 を決 行 するだろうと論 じた。 3 国 同 盟 の前 後 からアメリカは日 本 に対 する態 度 を更 に硬 化 させ、40 年 の後 半 に は 輸 出 規 制 を 拡 大 した。 日 本 が 南 京 の 中 国 傀 儡 政 権 の 樹 立 を 発 表 した その日 に、アメリカ輸 出 入 銀 行 から蒋 介 石 国 民 政 府 に 5 千 万 ドルの新 たな借

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款 と日 本 への鉄 鋼 輸 出 規 制 を発 表 した後 、 マニラへの 新 たな艦 艇 を派 遣 す る と発 表 した。この発 表 で日 本 は更 にいらだつはずだとハルはルーズヴェルトと話 し合 った。また海 軍 省 はフィリピン防 衛 強 化 部 隊 を派 遣 するつもりだと発 表 する 件 でハルと話 し合 った。 アジアでの 融 和 策 に 反 対 しなが ら、 無 法 国 家 との 取 引 でハルが 考 え てい たこ と は 、 明 白 な る 脅 威 を 与 え る こ と な く 、 少 し ず つ 、 推 測 を 日 本 に 与 え る こ と が 重 要 だ と 考 え て い た。 わ れ わ れ が 何 時 ど の よ う に して 戦 う 環 境 を 作 りつ つ あ る か を 日 本 に 推 測 さ せ る こ と で あ り 、 日 本 が 推 測 を 続 け る う ち に 、 ア メ リ カ は 戦 争 準 備 を整 えるというものだった2 4。これは根 強 い国 内 の平 和 主 義 者 の反 発 を考 慮 し て、 セン セ ー ションナ ルに ならぬ ように し、 軍 の 動 き や将 来 の 可 能 性 の ある作 戦 が 静 か に 進 め ら れ て 行 っ た 。 海 軍 省 も 確 信 し て 、 こ の 方 向 に 智 恵 を働 か す こ と になった2 5。フランス降 伏 後 数 ヶ月 のハルの極 東 政 策 は、戦 争 準 備 を進 めると い う も の で あ っ た が 、 一 方 で 日 本 の 軍 事 物 資 が 日 本 へ の 流 入 す る の を 防 ぐ 必 要 があった。もし 1940 年 の夏 頃 に極 東 に戦 争 が勃 発 していれば、イギリスへの 支 援 は 、 増 加 ど こ ろ か 縮 小 せ ざ る を 得 な か っ た と 後 で 述 べ て い る 。 時 間 を 稼 ぐ 必 要 があった2 6 こ の 国 内 の 平 和 主 義 者 の 反 発 を 考 慮 し た 将 来 の 可 能 性 の あ る 作 戦 の 静 か な進 行 として太 平 洋 艦 隊 および大 西 洋 艦 隊 の誕 生 がある。1941 年 2 月 1 日 、 海 軍 はアメリカ合 衆 国 艦 隊 の名 称 を変 え、海 軍 大 将 キンメル指 揮 下 の太 平 洋 艦 隊 と 海 軍 大 将 キ ン グ の 大 西 洋 艦 隊 で あ る 。 ア ジ ア 艦 隊 は 、 海 軍 大 将 ハ ー ト 指 揮 の も と に 、 引 き 続 き 残 る こ と に な っ た が 、 海 軍 長 官 ノ ッ ク ス が 明 確 に し た の は、アジア艦 隊 は 強 化 されないということであり、その艦 艇 はイギリスを支 援 する ためにシンガポールに も派 遣 さ れないものだった。ハートによれ ば、彼 の 艦 隊 は 海 上 戦 闘 に は お そ ま つ で 、 い ま ま で も 長 く そ う だ っ た よ う に ア ジ ア 艦 隊 の す べ て の 艦 艇 は あ ま りに も 旧 式 で あ っ た 。 戦 争 準 備 の ため に 、 ハ ー ト は 自 分 の 艦 艇 を 既 に 上 海 からマ ニラ に 移 して い た。 太 平 洋 艦 隊 は 、 明 確 な命 令 も ない ま ま ハ ワ イ に 留 ま っ て い た 。 艦 艇 の 数 隻 は 大 西 洋 艦 隊 に 移 さ れ て い た 。 陸 軍 は フ ィ リ ピ ンの要 塞 化 に一 抹 の不 安 を抱 きながら、1940 年 にスタークのヨーロッパ第 1 主 義 を受 け入 れ ていた。 陸 軍 は 陸 軍 長 官 スチ ム ソン ほど にはイギリ スの 支 援 に 好

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感 を持 つてはいなかった。 日 本 に 対 す る 将 来 の 経 済 制 裁 ( Economic Sanction ) に 伴 う 海 軍 海 上 封 鎖 ( Blockade) 作 戦 と し て は 、 艦 隊 決 戦 を 求 め て 太 平 洋 を 西 進 す る と い う 対 日 海 軍 作 戦 、 オ レ ン ジ プ ラ ン の 伝 統 的 な 構 想 も 保 持 し て い た が 、 ア メ リ カ 艦 隊 の 西 進 へ の 準 備 中 に 、 主 と し て 潜 水 艦 に よ る 海 上 交 通 路 を か く 乱 し て 日 本 を 締 め 付 ける構 想 が盛 り込 まれていた2 7。1939 年 ドイツがチェコに侵 攻 し、イタリアが アルバニアに侵 攻 した後 、アメリカ海 軍 省 は日 本 がヨーロッパ危 機 を利 用 して、 南 進 する のでは ないかと考 え 、アメリカ 艦 隊 のカリ ブ演 習 後 のニュー ヨ ーク世 界 博 覧 会 参 加 を取 りやめ、南 カルフォルニアのサンジェゴ海 軍 基 地 に帰 投 させた。 1940年 7 月 、イギリスは艦 隊 のシンガポール派 遣 を取 りやめ、イギリス海 軍 省 はアジア沿 岸 に艦 隊 を行 動 させることはできないと伝 えてきた。 ア メ リ カ の 仏 領 植 民 地 に 対 す る 関 心 と イ ギ リ ス の 関 心 は 異 に し て お り 、 1 9 4 0 年 7月 1日 、イギリス政 府 はフランスのために、インドシナ半 島 を守 る意 思 は全 く なく、この地 を日 本 が占 領 することにも同 意 するかもしれぬ状 態 だった。 仏 領 植 民 地 マ レー 半 島 、オラン ダ領 東 イン ド諸 島 は 、 石 油 と ゴム 資 源 に お い て、アメリカの直 接 利 益 になる重 要 性 を持 つ2 8。ハルはシンガポールからオース トラリア、オーストラリアからアメリカに至 る太 平 洋 の協 同 戦 略 に関 して閣 議 で検 討 した。ハルが念 を押 したの は、日 本 が消 耗 させられているかどうかに関 わらず 、 太 平 洋 の 協 同 戦 略 、 オ ラ ン ダ 領 西 イ ン ド お よ び 東 イ ン ド 防 衛 、 シ ン ガ ポ ー ル 防 衛 と英 蘭 共 同 防 衛 を緊 急 の問 題 として取 り組 まねばならないと主 張 した2 9 1940 年 ドイツの オランダ占 領 が間 じかになると 、オランダ領 西 イン ド諸 島 と東 インド諸 島 の帰 趨 がハルの頭 痛 の種 となった。前 者 はラテンアメリカへのナチの 進 出 であり、後 者 は日 本 の進 出 である。ラテンアメリカへのナチの進 出 は政 治 、 経 済 両 者 の 心 理 的 跳 躍 台 を ナ チ に 与 え て し ま う 。 日 本 の 東 イ ン ド 諸 島 へ の 進 出 は 、 ア メ リ カ 極 東 政 策 、 フ ィ リ ピ ン 防 衛 に 大 き な 影 響 を 与 え る と 同 時 に 、 日 本 に対 する経 済 制 裁 の遂 行 を齟 齬 することになる3 0 英 蘭 がどれだけの決 意 でマレー防 衛 にあたるかが、英 蘭 共 同 防 衛 の鍵 となっ て い る 。 ハ ル は 極 東 で 英 蘭 を 支 援 す る 政 策 を 推 し て い た し 、 新 任 の ノ ッ ク ス 海 軍 長 官 も 英 蘭 と 共 同 して 日 本 を封 じ 込 め る ため 、 オラン ダ領 東 イ ン ドへ の 軍 事

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輸 送 を阻 止 することは可 能 とする楽 観 論 であった。当 面 、 太 平 洋 艦 隊 をハワ イ に 駐 留 させ 、 他 方 、対 日 戦 争 、 日 本 と 英 蘭 と の戦 争 を回 避 す る ため には 、あ る 程 度 の代 価 を払 う積 極 的 な外 交 が必 要 とされた。 極 東 における共 同 防 衛 と経 済 制 裁 行 動 は、実 行 に移 すとなると、曖 昧 のまま であった。ノックス新 長 官 は英 蘭 と共 同 して日 本 を封 じ込 め(Containment)、オ ラン ダ領 と日 本 間 の輸 送 ルート を阻 止 でき ると 考 えてい た。 ハルと しては、 戦 争 に至 らない対 日 経 済 制 裁 の考 えが人 気 を集 めており、「封 じ込 め」という戦 略 も 否 認 できなくなっていた3 1。しかし、海 軍 としては、対 日 封 じ込 めの命 題 に強 い 疑 念 が あ っ た 。 強 力 な 対 日 軍 事 的 圧 力 を 加 え る こ と も で き な い 極 東 政 策 を 暫 時 再 検 討 せざるをえないと考 えていた。 3 「日 独 伊 三 国 同 盟 」ーアメリカの真 の敵 ナチス・ドイツと日 本 との勢 力 範 囲 の確 定 と軍 事 同 盟 締 結 (1) アメリカを対 象 とした「三 国 同 盟 」とハルの立 場 ① アメリカを狙 った三 国 同 盟 1940 年 9 月 1938 年 8 月 、ミュヘン会 議 が行 なわれていた頃 、ハルはヒットラーの計 画 と決 意 に関 する限 り、もう引 きがねに指 がかかっているとみていた。 ハルが日 本 との戦 争 決 意 の引 き金 になったものは、1940 年 9 月 27 日 の日 独 伊 三 国 同 盟 (Tripartite Pact)に日 本 が署 名 したことである。三 国 は地 理 的 勢 力 範 囲 内 の 指 導 権 を 認 め た が 、 日 本 は 中 国 、 仏 領 イ ン ド 、 マ レ ー 、 イ ン ド ネ シ ア、オーストラリア、ニュージーランド、インドに及 ぶ覇 権 をドイツに要 求 していた 3 2。日 本 外 交 暗 号 は既 に 40 年 から解 読 されていたので、三 国 同 盟 はアメリカ を 狙 っ て い る と ハ ル は 考 え た 。 理 由 は 、 も し 、 い ず れ か 一 国 が ヨ ー ロ ッ パ 戦 争 と 日 中 戦 争 に ま だ 巻 き 込 ま れ て い な い 国 ( ア メ リ カ ) に よ っ て 攻 撃 を 受 け た 場 合 、 相 互 に政 治 ・経 済 ・軍 事 上 の援 助 を行 なうことに同 意 していたためである。 1940 年 イギリスへのドイツの侵 略 は急 迫 しているものに思 え ていた。戦 争 計 画 部 は レ イ ン ボ ー 4 、 西 半 球 防 衛 計 画 に 専 心 す る た め に 、 日 本 と の 戦 争 準 備 を止 めてしまった。イギリスが自 国 をドイツの猛 攻 から守 り抜 ける見 通 しがついた 頃 、1940 年 9月 25 日 になって、戦 争 計 画 部 は、現 在 準 備 ができていないし、 今 後 数 年 備 えが 充 分 でない極 東 におい て重 要 な軍 事 計 画 を起 こさない ように

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警 告 し た 。 2 ヶ 月 後 、 陸 軍 参 謀 総 長 マ ー シ ャ ル 大 将 は 「 主 要 戦 域 で あ る 大 西 洋 における効 果 的 、かつ決 定 的 な作 戦 をとる我 が国 の力 を弱 めるような武 力 の 分 散 を避 けるべきである」と提 言 した。 1941 年 1月 に、ルーズヴェルトはグルー大 使 宛 に手 紙 を書 いて、ヨーロッパ、 ア フ リ カ 、 ア ジ ア に お け る 日 独 伊 の 戦 争 行 為 は 、 世 界 戦 争 の 様 々 な 部 分 の 総 合 体 であり、 アメリ カの 戦 略 は世 界 戦 略 でなけ れ ば ならない と 述 べ てい た3 3。 こ の 頃 に な る と 、 ハ ル の 対 日 戦 争 決 意 に 引 き 続 き 、 ル ー ズ ヴ ェ ル ト も よ う や く 世 界 戦 争 参 加 への意 思 が固 まりつつあることが伺 える。 1941 年 1月 には、国 務 省 は輸 出 許 可 制 の対 象 をコバルト、ストロンチューム 等 の 希 少 金 属 、 工 業 用 ダ イ ヤ モ ン ド を 用 い た 研 磨 剤 や 研 磨 工 具 に も 拡 大 し た。 ② ハルと米 艦 隊 のシンガポール派 遣 問 題 、1940 年 11 月 イギリス大 使 のロシアンとオーストラリア外 務 大 臣 が 1940 年 6 月 27 日 、極 東 情 勢 に 関 するイギリ ス政 府 の 覚 書 きをハルに 手 渡 した。フ ランス降 伏 後 イギリ ス 極 東 政 策 の 再 検 討 の 結 果 、 天 津 問 題 の ような問 題 では 日 本 と 妥 協 す る が 、 こ れ に 平 行 し て ア メ リ カ は 日 本 の ア ジ ア の 新 秩 序 計 画 を 拒 否 す べ き だ と い う も の で あ っ た3 4 。 イ ギ リ ス は ヨ ー ロ ッ パ と 極 東 の 両 方 で 攻 勢 に 対 抗 す る に は 既 に 不 可 能 であ り、二 つ提 案 してき た。一 つは アメリカが 日 本 への 全 面 輸 出 禁 止 を課 して更 に圧 力 を強 め、シンガポールに艦 隊 を派 遣 するように要 望 するもので、こ れ は 戦 争 に 繋 が る 可 能 性 も あ っ た 。 二 つ は 、 日 本 と 完 全 解 決 の た め 交 渉 す る というものであった。第 一 のコースに対 してイギリスはアメリカと協 同 するという。し かし、 ハル は 海 軍 をシン ガポー ルに 派 遣 す る 明 白 な理 由 が ない と 答 えた。 ルー ズヴ ェ ルトと 話 し合 った結 果 も同 じだ ったが 、 ハルは、 シン ガポー ルへ の艦 隊 派 遣 は 全 大 西 洋 を 取 り 残 し 、 ヨ ー ロ ッ パ を 脅 威 に 曝 す こ と に な る 、 ア メ リ カ 艦 隊 の 主 力 は、既 に太 平 洋 、ハワイ近 くに出 ていると答 えた。日 本 に対 する経 済 制 裁 は既 に 39 年 夏 以 来 圧 力 をかけており、今 後 の制 裁 ステップリストを示 して説 明 し た。 当 時 ハ ルは 日 本 が イ ギ リ ス、 アメ リ カ に 戦 争 を仕 掛 け る 準 備 は ない と 考 え て お り 、 同 時 に 、 ア メリ カ 太 平 洋 艦 隊 は 太 平 洋 に 留 ま り、 主 要 な 紛 争 に 巻 き 込 まれないで、経 済 制 裁 と艦 隊 の圧 力 で日 本 の力 を削 いでいけるものと考 えてい

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た3 5 1940 年 11 月 にイギリス大 使 がロンドンからワシントンに帰 って、ハルに合 いに 来 た。 日 本 は 間 もなく シン ガポー ルを攻 撃 す るらしい と 言 うの である。 海 軍 専 門 家 の話 では、アメリカ海 軍 がシンガポールに大 型 基 地 を造 ってくれれば、アジア の完 全 な維 持 を護 ることになる。日 本 海 軍 が南 アジアに来 る前 に、アメリカ艦 隊 が シン ガポー ルに 留 ま ってお れ ば 、 日 本 が 介 入 す る こ とは ない と 述 べた。 しかし、 ハルは海 軍 関 係 者 に伝 えただけだった。1940 年 イギリス大 使 のロシアンから暫 く 閉 鎖 して い た中 国 国 民 政 府 へ の ビルマ ルー ト を再 開 す るが 、 シン ガポー ルは い つ で も ア メ リ カ 艦 隊 が 使 え る よ う に な っ て い る と 述 べ た が 、 ハ ル は 明 白 な 答 え をしなかった。 当 時 の 理 由 と して、 次 のように 対 極 東 政 策 の展 開 につい てイギリ ス大 使 と話 し合 った3 6。 第 1に 、太 平 洋 では戦 争 を回 避 して、イギリ スを支 援 しアメリカ軍 の 強 化 を図 る 。 第 2に 、 日 本 に は アメリカ の 原 則 を堅 持 し経 済 制 裁 を継 続 し 中 国 を支 援 する。ただ、日 本 が戦 争 を仕 掛 けることのないように留 意 する。第 3 に、 日 本 にアメリカ太 平 洋 艦 隊 の力 を認 識 させる。第 4 に、日 本 には必 要 に応 じて アメリカが力 を行 使 するのだと思 わせるが、話 し合 いのドアは開 けておく。しかし われわれの原 則 は常 に堅 持 するというものだった。 1940 年 10 月 頃 から、アメリカ海 軍 は、日 本 に対 抗 するアメリカ、イギリス、オ ーストラリア、ニュージーランド、東 インド・オランダと軍 の運 用 に関 して情 報 交 換 を始 めた3 7。1941 年 に至 りイギリスはアメリカの戦 艦 9 隻 をシンガポールに派 遣 するよう再 び要 望 してきた。前 年 12 月 イギリス側 は海 軍 代 表 を海 軍 作 戦 部 長 ス タ ー クと 会 談 さ せ 、 シ ン ガ ポー ル が 両 国 の 国 益 に と っ て 極 め て 重 要 な 地 位 に あるかを説 明 した。1941 年 1 月 、日 本 の南 進 が目 前 に迫 っているとの予 想 のも とに、シンガポールに重 巡 洋 艦 4隻 を派 遣 するかどうかが問 題 となり、ノックス海 軍 長 官 は 審 議 の た め 会 議 を 開 い た 。 こ の 時 、 東 京 大 使 館 参 事 官 ド ー マ ン (Eugene Doman)もこれに参 加 したが、彼 の意 見 では、小 艦 隊 を数 隻 派 遣 した ところで、日 本 に対 してむなしいゼスチアに過 ぎないと指 摘 した。ノックス長 官 は 派 遣 に 賛 成 しスタ ー クは 反 対 した。 結 局 ルー ズヴ ェ ルト の 決 済 に より、 シン ガポ ー ル 派 遣 は 取 り や め 、 巡 洋 艦 は ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド と オ ー ス ト リ ア に 派 遣 し た 。

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1941 年 初 頭 、英 米 参 謀 会 議 でこの問 題 も追 及 され、ABC-1として知 られる英 米 戦 略 基 本 協 定 が成 立 した。 制 服 組 み で あ る ス タ ー ク の 判 断 は 、 シ ン ガ ポ ー ル の 防 衛 施 設 の 不 満 足 な 状 態 に あ っ た こ と で あ る 。 英 米 参 謀 会 議 で 、 イ ギ リ ス 側 は 主 力 艦 の 修 理 を 行 な う 施 設 も 人 員 も ない こ と を 認 め たの で あ る 。 イ ギ リ ス 帝 国 を 守 る と い う 政 治 的 不 整 合 、 補 給 ル ー ト が 長 い こ と 、 集 中 の 原 則 に 反 す る こ と 、 ハ ワ イ が 脆 弱 に な る こ と 等 で あ っ た が 。 派 遣 し た 小 艦 隊 を 喪 失 す る 恐 れ が あ る こ と も 大 き な 要 因 で あ っ た。 ③ ハルとフィリピン防 衛 問 題 1940 年 11 月 ハルはフィリピン独 立 には賛 成 であり、帝 国 主 義 や植 民 地 の拡 大 に反 対 する 立 場 をとっていた。1934 年 3 月 に、ペリー提 督 による日 米 和 親 条 約 の 80 周 年 記 念 には、日 本 に対 して貿 易 の増 大 と友 好 増 進 のメッセージを送 ったほどだっ たが、1934 年 4 月 、 天 羽あ も う 英 二え い じ による発 表 によってハルは衝 撃 を受 けた。彼 は 「日 本 は東 南 アジアにおける特 別 な固 有 の責 任 を持 っており、中 国 に対 する如 何 なる外 国 の連 合 作 戦 、技 術 的 、財 政 的 支 援 にも反 対 する」とプレスで発 表 し た の で あ る 。 ハ ル は 英 国 と 共 同 し て 日 本 に 抗 議 す る の だ が 、 イ ギ リ ス の 外 務 大 臣 ジョ ン ・ シモン ズ( John Simon ) 卿 が 日 本 の 満 州 の 特 殊 権 益 を認 め る 発 言 を して、二 重 の衝 撃 を受 け日 本 に対 する危 険 性 とフィリピン防 衛 に関 心 を持 つよ うになる3 8。フィリピン防 衛 は対 日 戦 略 では重 要 な位 置 を占 めるものであったが、 実 際 に は 、 極 め て 消 極 的 な も の で 、 そ の 防 衛 力 の 充 実 は 殆 ん ど 試 み ら れ な か った3 9 1940 年 7 月 、グルーナート(George Gruenert)が派 遣 軍 司 令 官 として赴 任 すると、フィリピン防 衛 計 画 の根 本 方 針 の検 討 が行 なわれ、ルーズヴェルトに提 出 さ れ て い た 。 そ の 内 容 は 、 強 力 な 航 空 ・ 潜 水 艦 基 地 の 建 設 等 が 含 ま れ て お り、ハルはその内 容 を知 っていたと思 われる。 1940 年 11 月 12 日 にオーストラリアの外 務 大 臣 ケーシ(Casey)が、ハルを訪 ね て、 アメリ カ 海 軍 が親 善 訪 問 と して、 オー スト ラリアに 艦 隊 を送 ってくれ ない か と言 ってきた。ハルは「親 善 訪 問 より違 うことを考 えている。極 東 にいるアジア艦 隊 を 全 部 マ ニ ラ に 集 め る 。 潜 水 艦 も 航 空 機 も だ 。 」 と 答 え た 。 そ し て 、 「 オ ー ス ト

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ラリア政 府 はアメリカがフィリピンに更 に航 空 機 を送 ることを重 要 視 してほしい」と 述 べ、多 数 の航 空 機 がマニラに駐 留 する重 要 性 を強 調 した。 その後 も、大 西 洋 第 一 、太 平 洋 防 衛 主 義 のため、フィリピン派 遣 兵 力 の増 大 は 殆 ん ど 行 な わ れ な か っ た が 、 そ の 後 、 イ ギ リ ス に 貸 与 し て い た 「 空 の 要 塞 」 B-17 がヨーロッパ戦 線 で活 躍 する状 況 から、1941 年 8 月 、フィリピン・極 東 防 衛 の最 も有 効 な方 法 として、艦 隊 移 動 や陸 軍 兵 力 の増 強 を必 要 とせず、飛 行 場 さえ整 備 されていれば、急 速 に移 動 配 備 できる方 法 として航 空 機 が大 きく評 価 されることになった。 (2) ハルによる太 平 洋 艦 隊 の大 西 洋 移 動 への反 対 と妥 協 ① レインボー54 0とドッグ(D)プラン 1940 年 11 月 ル ー ズ ヴ ェ ル ト の 暗 黙 の 了 解 の も と で 、 イ ギ リ ス 参 謀 達 と 協 議 が 始 ま り 、 1941 年 3 月 には ABC 第 1 号 参 謀 協 定 (ABC-1)として知 られるアメリカ・イギリス・カ ナダ参 謀 協 定 が出 来 上 がった。ドイツの早 期 敗 北 が両 国 の主 たる戦 争 目 的 だ った。 原 則 的 に アメリ カ 軍 の 努 力 は 、 大 西 洋 と ヨ ー ロッ パ地 域 に 傾 注 さ れ た。 ヨ ーロッパ地 域 は決 戦 場 として規 定 された。1941 年 3 月 27 日 、ABC-1 計 画 は 完 成 し、議 会 は同 日 、70 億 ドルの武 器 貸 与 支 援 法 が通 過 して、ルーズヴェル ト は 同 盟 国 支 援 提 案 者 と し て 、 勝 利 を 補 償 す る 武 器 を 、 間 も な く イ ギ リ ス 、 ロ シ アに送 り始 めた。しかし、これは金 であって人 ではなかった。議 会 投 票 の意 味 す るところは。アメリカは戦 争 圏 外 にあって、参 加 はしないということを維 持 するとい うものだった。 大 前 提 はアメリカの死 活 的 国 益 はイギリスの存 続 にあるということである。主 力 を ヨ ー ロ ッ パ 方 面 に 集 中 し 、 ド イ ツ 打 倒 の た め に 欧 州 大 陸 で 戦 う と い う も の で あ る 。 ま ず 、 イ ギ リ ス を 支 援 し て ド イ ツ を 叩 き 、 そ の 間 は 日 本 と の 戦 争 を で き る だ け 回 避 することを骨 子 としていた。 フ ラ ン スの 降 伏 は アメ リ カ 海 軍 戦 略 の 転 換 と 太 平 洋 か ら 大 西 洋 へ の 艦 隊 再 編 成 を促 した。1938 年 10 月 、大 西 洋 艦 隊 は旧 型 戦 艦 4、新 鋭 巡 洋 艦 4、空 母 1、駆 逐 艦 一 個 戦 隊 で編 成 されていた。大 西 洋 におけるアメリカの責 任 は増 大 し、1941 年 2 月 、大 西 洋 艦 隊 司 令 官 は中 将 に格 上 げされた。レインボー5 計 画 の 一 貫 と して、 ヨ ー ロッ パ進 攻 計 画 作 業 が 始 ま ってい た 。 ドイツ と イ タリ ア2

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カ国 を敗 北 させるためには膨 大 な努 力 と大 規 模 な遠 征 軍 の編 成 が必 要 である ことが明 らかになってきた。 1941 年 6月 、ドイツがソ連 との戦 争 に突 入 すると、戦 争 計 画 立 案 者 は、700 個 師 団 のアメリカ軍 部 隊 、2200 万 の武 装 兵 が必 要 と想 定 していた。このような アメリカ兵 の動 員 は不 可 能 であると考 えられ、機 械 力 によって、2 対 1 の敵 に対 する不 足 を補 うことで望 みをかけた。 ② 太 平 洋 艦 隊 のハワイ常 駐 問 題 (1941 年 4 月 )と太 平 洋 艦 隊 の 大 西 洋 移 動 大 西 洋 で、 海 軍 は 哨 戒 、 護 衛 用 艦 艇 それ に 大 西 洋 の 諸 島 の ド イ ツ からの 占 領 を 防 止 す る た め に 揚 陸 可 能 な 艦 艇 を 必 要 と し て い た 。 艦 艇 が 建 造 さ れ る ま で、大 西 洋 艦 隊 は、太 平 洋 から補 充 する必 要 があった。艦 隊 の再 編 成 の時 期 に強 化 策 が約 束 されたが、1941 年 春 に、日 本 がソ連 と中 立 条 約 に調 印 するに お よ ん で 、 日 本 が 満 州 の 脅 威 か ら 開 放 さ れ て 、 南 方 に 進 出 す る 道 が 開 け た と 考 えられ、海 軍 は太 平 洋 艦 隊 の間 引 きを延 期 し、ハワイに艦 隊 を温 存 する こ と になった。 ルー ズヴ ェルトと ハルが 実 行 しようと してい た複 雑 な交 渉 を支 援 す るため 海 軍 は 譲 歩 を 試 み た 。 こ の 問 題 は 、 国 務 省 の 抑 止 感 覚 が 海 軍 省 の そ れ よ り も 大 き い も の だ っ た こ と に よ る 。 海 軍 作 戦 部 長 と し て は 、 ハ ワ イ で 準 備 も な く 艦 隊 が 停 泊 し てい る よりは 、 大 西 洋 で艦 隊 行 動 を す る か、 カ リ ビア海 で 任 務 行 動 に 艦 隊 を集 めるほうが、日 本 はより関 心 を集 めるのではないかと考 えていた。 艦 隊 の処 理 問 題 は、1940 年 の 4 月 の太 平 洋 艦 隊 ハワイ常 駐 問 題 に続 いて、 1941 年 4 月 、5 月 に再 び論 議 の的 になった。フランスにドイツ潜 水 艦 基 地 が建 設 さ れ る こ と に よ っ て、 大 西 洋 に お け る イギ リ ス の 海 上 交 通 路 ( Sea Lane ) が 非 常 な損 害 を受 けていた。 ル ー ズ ヴ ェ ル ト は 、 戦 艦 は ハ ワ イ 自 体 の 防 衛 の た め に ハ ワ イ に 置 い て お く 必 要 があるのだと主 張 した。 ス チ ム ソ ン 、 ノ ッ ク ス 両 長 官 は 艦 隊 全 て を 大 西 洋 に 移 動 す べ き で あ る と 提 言 し た 。 両 長 官 の 論 法 に よ る と 、 日 本 側 は 、 日 本 艦 隊 を 攻 勢 的 に 使 う こ と は な い ので、太 平 洋 艦 隊 が現 実 的 な脅 威 だとは思 っていないというものだった。

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陸 軍 参 謀 総 長 マ ー シ ャ ル 大 将 は 陸 軍 長 官 ス チ ム ソ ン 、 海 軍 長 官 ノ ッ ク ス に 同 調 し て、 軍 艦 が い ようが い ま い が 、 ハワ イは 難 攻 不 落 だ と ルー ズヴ ェ ルト に 語 った。 ハワイに 駐 留 してい る陸 軍 航 空 部 隊 は 非 常 に 強 力 であ り、 日 本 は あの よ う な 遠 い と こ ろ か ら 敢 え て 攻 撃 を し か け な い だ ろ う と い う の だ っ た 。 ノ ッ ク ス も ハ ワ イは艦 隊 がいなくても攻 撃 をうけることはないと主 張 した。 こうした見 解 はスチムソンの日 記 にあるように、大 統 領 が艦 隊 移 動 に反 対 にす る 理 由 がない と説 得 したかに 見 え た。ルー ズヴェルト は 艦 隊 の プレゼ ン ス( 抑 止 効 果 ) に あ る と い う 論 法 に 立 ち 戻 り 、 ハ ワ イ に 艦 隊 が 存 在 す る だ け で 、 シ ン ガ ポ ー ル や オ ラ ン ダ 領 東 イ ン ド 諸 島 を 含 め た 南 大 西 洋 を 守 れ る の だ と 述 べ た 。 こ の 問 題 の論 議 で、ルーズヴェルトは「ヨーロッパ第 一 主 義 」とする軍 事 的 、政 治 的 拘 束 と 中 国 に た い す る 約 束 の は ざ 間 の 中 で は っ き り し た 態 度 を 取 ら ず 、 高 ま り つ つ あ る 大 西 洋 の 軍 事 的 介 入 の 重 要 性 に つ い て も 、 海 軍 の 制 服 専 門 家 と 話 し合 うことを避 けた。 ル ー ズ ヴ ェ ル ト は 「 大 西 洋 艦 隊 は た だ 、 攻 撃 し て く る 相 手 を 監 視 し て ア メ リ カ に 報 告 す る ため の パト ロー ルに す ぎ ない 」 と スチ ム ソ ン 陸 軍 長 官 に 言 っ た。 ルー ズ ヴ ェ ル ト の 本 当 の 目 的 は 、 ド イ ツ 海 軍 部 隊 の 存 在 を イ ギ リ ス 艦 隊 に 報 告 す る ことである と理 解 したが、スチム ソンは「大 統 領 は自 分 自 身 に 正 直 に なって欲 し い と 思 う 」 と 日 記 に 記 し 、 大 西 洋 の パ ト ロ ー ル は 戦 争 行 為 で あ る こ と を 認 め 、 そ れ ら の 行 為 に 責 任 を 持 ち た い と い う 意 思 を 書 き 表 し て い る 。 ス チ ム ソ ン に は 、 ル ー ズ ヴ ェ ル ト が 自 分 の 行 為 を 実 際 に 防 衛 的 行 為 で は な い の に 、 そ う で あ る よ う に言 って隠 しているように感 じたのである。 結 局 、艦 隊 の大 西 洋 移 動 案 は陸 海 軍 長 官 、参 謀 総 長 、海 軍 作 戦 部 長 も賛 成 で あ っ た が 、 ハ ル は 抑 止 政 策 の 利 器 を 失 う こ と に 強 硬 に 反 対 し 、 当 然 太 平 洋 艦 隊 司 令 官 も彼 の艦 隊 の移 動 には猛 反 対 した。 イ ギ リ ス は ハ ルの 見 解 を 部 分 的 に 支 持 し た。 ロ ン ドン で は 、 日 本 が シン ガ ポー ル へ 進 攻 す る の を 抑 止 す る 意 味 で 、 何 隻 か の 艦 を 真 珠 湾 に 止 め て お く こ と が 必 要 だと言 っていた。ルーズヴェルトも譲 歩 し、結 局 、太 平 洋 艦 隊 の 25%が移 動 することになった。 戦 艦 3、 空 母 1、新 型 巡 洋 艦 4、 新 型 駆 逐 艦 6、若 干 の特 務 艦 が大 西 洋 艦 隊 に移 管 された。残 りの艦 隊 は 1941 年 12 月 7 日 には真 珠

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湾 に停 泊 したままであった。 1941 年 5 月 大 西 洋 では、ドイツ戦 艦 ビスマルクが撃 沈 されひとまず危 機 が 去 り、イギリス海 軍 は「レパルス」と「プリンス・オブ・ウエールズ」をシンガポールに 派 遣 す る こ と に なっ た。 シン ガ ポー ル 防 衛 手 段 と し て最 後 に 、 アメリ カ 艦 艇 を 太 平 洋 から大 西 洋 に移 すかわりに、イギリス艦 艇 を極 東 に派 遣 するというものであ った。1941 年 6 月 から 12 月 まで、作 戦 計 画 と艦 隊 配 備 は変 更 されることなく、 「 大 西 洋 攻 勢 」 、 「 太 平 洋 防 御 」 の 構 え で、 レイン ボー 5 号 に も と づ いて海 軍 は 行 動 した。 ③ 新 たな脅 威 大 西 洋 の U ボート戦 1941 年 7 月 にはルーズヴェルトはアメリカ軍 がアイスランドの 要 塞 化 を行 うイギ リス部 隊 を支 援 するというスタークの提 案 を承 認 した。海 兵 隊 旅 団 が送 られ、補 給 する必 要 があった。 その ために、艦 艇 が船 団 護 衛 の ために派 遣 され、大 き な ステップとなった。 アイスランドはドイツの戦 争 地 域 内 にあったからである。そこではドイツ U ボート は発 見 次 第 中 立 船 でも 撃 沈 すると通 知 してい たからである 。アイスランドは イギ リスとカナダの護 衛 駆 逐 艦 の燃 料 補 給 の中 間 点 でもあった。U ボートが北 大 西 洋 に 展 開 す る ため の 海 峡 であ った。 ルー ズヴ ェ ルト は イギリ ス を助 け る た め に 敵 対 行 為 をとるドイツによりマークされる海 域 にあえてアメリカ海 軍 艦 艇 を派 遣 して いった。 ④ 共 同 戦 線 参 加 国 (cobelligerency) ア メ リ カ は 共 同 戦 線 参 加 国 へ 接 近 す る よ う 動 い て い た 。 イ ギ リ ス 商 船 は 米 海 軍 が護 衛 する船 団 に組 み込 まれていた。結 局 これは、武 器 貸 与 法 と武 器 の現 金 買 い と 自 国 船 輸 送 の 要 で あ り 、 戦 争 参 加 に よ り イ ギ リ ス の 生 き 残 り を 確 保 す るアメリカ政 策 であり、もし製 品 が安 全 に送 られなければどうなるかを意 味 してい た。 イギリ ス船 員 が 護 衛 さ れ た中 立 船 と してアイ スラン ドへ の 航 路 に 参 加 でき れ ば 、 少 な く と も 商 船 運 航 の 西 側 レ ー ン に と っ て 商 船 の 安 全 が 確 保 さ れ た こ と で あり、イギリス海 軍 の伸 びきった任 務 を助 けることになった4 1

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(3) アメリカの日 本 に対 する中 国 との消 耗 戦 継 続 の強 要 ① 日 中 戦 争 による消 耗 戦 の対 日 強 要 日 本 に 圧 力 を か け る 別 の 方 法 と し て 、 中 国 を 直 接 援 助 す る と い も の で あ る 。 中 立 法 は 交 戦 国 に 対 す る 武 器 ・ 軍 需 品 の 売 却 、 金 の 貸 し 付 け を 禁 じ て い た 。 しかし通 商 禁 止 は 日 中 が 正 式 に 戦 争 をしてい な い の で、 通 商 禁 止 を適 用 で き なかった。1938 年 12 月 には蒋 介 石 政 権 に対 して約 2500 万 ドルにのぼる信 用 供 与 を補 う。これに呼 応 してイギリス政 府 もビルマ道 路 (いわゆる援 蒋 ルート)経 由 で中 国 へ輸 出 を促 進 するため蒋 介 石 政 権 に対 し 50 万 ポンドの信 用 供 与 を 与 えていた。1939 年 中 国 に対 する援 助 は拡 大 をし続 けた。1940 年 3 月 、ホー ンベックはハルに「日 本 の行 く手 には直 接 障 害 物 を置 くよりも、中 国 を援 助 する 方 が簡 単 である。」と助 言 した。この年 、秋 、ヨーロッパにおける戦 争 が勃 発 して、 ルーズヴェルトはモーゲンソーに中 国 への援 助 の拡 大 を命 令 していた。1940 年 12 月 、大 統 領 はイギリスに対 する全 面 支 援 を公 表 し、新 年 度 の初 めに議 会 で 武 器 貸 与 法 (The Lend-Lease Act)が通 過 した。この武 器 貸 与 法 を議 会 で通 過 さ せ る た め に 、 ハ ル は 財 務 長 官 モ ー ゲ ン ソ ー 、 ス チ ム ソ ン と チ ー ム を 組 ん だ 。 こ れ は 大 統 領 が 国 防 上 必 要 と 認 め た国 に 対 して、 如 何 なる 武 器 も 売 却 、交 換 、 リ ー ス 、 貸 与 等 の 権 限 を 大 統 領 に 与 え る と い うも の であ った 。 スチ ム ソ ン は 総 力 戦 へ の 重 大 な 法 的 処 置 の 達 成 で あ り 、 枢 軸 国 を 封 鎖 す る ア メ リ カ の 意 図 を 明 確 に示 したもので、スチムソンは同 法 を経 済 戦 争 の宣 言 だと述 べている4 2 ② 新 たな借 款 と米 国 義 勇 空 軍 新 たな借 款 が中 国 に供 与 され、間 もなく、蒋 介 石 は 50 機 の戦 闘 機 供 与 の約 束 を得 たのであった。また中 国 空 軍 に参 加 を望 むアメリカ市 民 を派 遣 することも 決 まった。ルーズヴェルトの経 済 問 題 担 当 補 佐 官 は、41 年 4 月 15 日 、ルーズ ヴェルトは米 軍 パイロットと地 上 要 員 が 1 年 に限 って、義 勇 兵 として中 国 空 軍 に 加 わ る こ と を 許 可 す る 行 政 命 令 に 署 名 し た と 述 べ て い る 。 日 ソ 中 立 条 約 調 印 の 2 日 後 、日 米 交 渉 の正 式 開 始 前 日 であった4 3 4 開 戦 外 交 ―日 本 側 から戦 争 を仕 掛 けさせるための対 日 経 済 封 鎖 の強 化 ( 1 ) 米 日 会 談 と ハ ル の 海 軍 整 備 へ の 配 慮 ① 経 済 制 裁 と時 間 稼 ぎ

表 に示 すように力 の均 衡 が決 定 的 に変 わってしまっていた。  表 5−3  日 米 艦 艇 数 、トン数 比   艦 艇 数 、トン 数 比 較   真 珠 湾   攻 撃 直 前   真 珠 湾  直 後   ミッドウェー海 戦 直 後 ガダルカルル撤 収(1943.2) マリアナ沖 海 戦 (1944.5)  フィリピン (1944.10) 日 本   2 3 7 隻   (1.1mt)  2 3 6 隻 (1.0mt) 2 3 0 隻 (1.00mt ) 2 1 2 隻 (1.01mt)

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